XIV「大好きよ」

よろずなホビー
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『……さて』
 フェザーは風囁の指向をFと竜にむけた。
『お初にお目にかかる。俺はフェザー。この地ではウインドらしいが、中央や北方ではゲイルフェンサーの通り名で呼ばれている』
「なるほど、疾風剣士ね! お手並み拝見!」
 Fは大声で返した。風囁には遠話が持つ相互通話機能はないからだ。風術士同士でないと、風囁のみの会話は成立しない。
 フェザーは答えず、おもむろに剣を抜いた。
『……いざ!』
 とつぜん、風の爆発が起こった。
 強風は複雑に吹き荒れ、竜を掻き回す。
【神風陣か。最強の突風結界とはやるな】
 神風はまったく止まない。
 竜は風に弄ばれているように見える。
 脆すぎる。罠か?
 用心したフェザーは神風に乗って、周回軌道を取りつつ接近する。
 二〇ヘクトフィングで、フェザーは軌道を突撃に切り替えた。
 剣を背中に構え、太刀筋を隠す。
 と、ディアノスがその翼を大きく広げ、嵐の中で静止した。
【さあ来い!】
 やはり演技!
 竜は長い丸太のような前脚を伸ばす。
 フェザーはロール飛行で脅威の一撃をくぐり、竜の懐に飛び込んだ。
 後ろ脚と、強靱な尾が襲ってきた。
 フェザーはそれらの多重攻撃をつぎつぎと避け――一気に背中側に回った。
 背にはジョージ・ザ・ドラゴンマスター。
 フェザーはジョージに突撃する。
【なっ、しまった】
 フェザーの目的は、最初からF。
 だがジョージは仄かな赤いバリア、焼空壁に覆われている。突っ込めば大火傷だ。
 フェザーは剣に、風の力を集めた。風包念動の応用だ。
「覚悟!」
 フェザーは神技的な速度で剣を一閃させた。
 猛烈な風の刃が数枚、ドラゴンマスターに襲いかかった。
 バリアに突き刺さったそれは――一点集中による貫通効果を発揮して、たちまちバリアを突破した。
 風の剣撃はFの胸を打った。
 Fの脇をフェザーはすり抜けていく。
【貴様】
 ディアノスが、大量の風の矢を放つ。
 なめらかな動きで、フェザーは隼のようにことごとくを避けた。
 一〇〇ヘクトフィングほど離れたところで、フェザーは成果を見るべく振り返った。
 嵐の中、静かに静止する竜。
 その背中で、Fは倒れている。
 倒したか?
 フェザーは希望のまなざしで赤い衣を見つめた――だが、Fはゆっくりと起きあがった。赤い衣の切れた下には……銀に光る、チェインメイル!
「……術士が鎖帷子なんか着るなよ!」
 術士は誇りがあるので、鎧などまず着ない。
「例の攻撃の防御には、これで充分だ!」
 やはりランクヒルか……
 フェザーは生かしたことを一瞬だけ後悔したが、いまさら仕方ない。
 すべてはステラのために、自分で決めたことだ……
「だが……やばいかな?」
 フェザーは、自虐的な笑みを浮かべた。
     *        *
 フェザーとドラゴンマスターが、突風の嵐の中で激しい激突を繰り返していた。
 巨大な炎をFが放ち、ドラゴンが風で加速させる。
 それをかわすフェザー。フェザーの風の攻撃は絡み技、直進技、結界技などがあり、剣も交えてじつに多彩だ。
 ドラゴンも牙や翼、風術でつぎつぎと多重攻撃を仕掛ける。Fの火炎攻撃もあり、ややフェザーには分が悪いようだ。
「……がんばって、フェザー」
 ステラは離れた場所で地面に降り、はらはらと戦闘を見守ることしかできない。
 ステラは自分がもどかしい。
 最後の最後まで、私は自分の命運をフェザーにおんぶしていいのだろうか。
 ステラは自分の両手を見る。
 あのとき……
 ステラは、はじめて自分が水術を発動させたときのことを思い返す。
     *        *
 ――一〇月一五日。
 その日は朝から調子がよかった。先日生理が終わり、また特待生復帰初日もあって、心身ともに体調がベストの状態にあった。
「え……」
 中庭での野外練習中、私は、突然自分の両手にわき起こる力に震えた。
「……どうしました? ステラさん」
「――ランクヒル先生、なにか大変なことが起こりそうな気がいたしますわ」
「え……でも、ただの風包念動の練習なのに」
 ランクヒルは、私が動かそうとしていた机上の積み木に手をかざした。
 すると、積み木がふわりと浮かぶ。
 風で包んで物を動かす術だ。
「簡単でしょ? ほら、もっと集中して」
「でも――」
「いいから。ステラさんは考えすぎです」
「そうでしょうか……」
 私は集中した――
 とたん、まるで堤防が決壊したかのような勢いで、両手に力が漲りはじめたのだ。
「――先生!」
 力は手から出たがっていた。だがどういう理由か、出ることができない。
「お手が、手が熱いですわ!」
 私は痛みにも似た激しいしびれを覚えた。苦しい。はやくこのもどかしいなにかを解放してあげないと……
「ステラさん、どうしました? 大丈夫?」
「いやー!」
 私は手を伸ばして激しく振った。
 周囲で修行していたほかの弟子たちが驚く。
 気付いたとき、中庭の中央にある噴水に力を放っていた。いや、その噴水だけが、私の力に反応したのだ。
 爆音とともに、噴水の水が大噴出を起こした。噴水の近くにいた者は衝撃波に吹き飛ばされたが、さいわい大けがを負った者はいなかった。あまりの勢いに、噴水は半壊していた――
     *        *
 あとで先生たちに内緒で調べたら、その術は風と水の融合術、蒸破だった。私はさらに調べ、自分が化け物のような存在になったことを自覚した。
 またそれを裏付けるかのようなカリキュラムの変更……いまだに水術は習っていなかったが、それは単に段階の問題だった。
 私は――あの日以来、水の術をどうしても使えない。理由はわかる。自分で拒絶しているからだ。だがいつかは使わねばならない事態も起こるだろう……
 いまこそ、そのときではないだろうか。
 そうだ、いまこそ!
 ステラは風術で飛び上がった。
 この場所は生まれ育った牧場だ。どこになにがあるか、手足のように知っている。
 あった。小さな崖の下に、小川。
 ステラは小川の側に降り立ち、ゆっくりと両手を合わせた。その向きは、フェザーと竜のほうだ。
 ステラが知っている水の攻撃術はひとつしかない。水術弟子の教本で盗み見た、水破砲という高水圧の術だ。ステラの知っているどんな風の術よりも、はるか遠くまで届く。
 ステラは念じはじめた。
     *        *
 フェザーは完全に押されていた。
 服は各所が破け、下の皮膚は火傷や裂傷を負っている。出血も多く、とくに利き腕である右腕は全体が真っ赤に染まっている。動かせる状態でないので、剣は鞘に戻っていた。
 まさに、満身創痍。
 だが眼だけは、いまだ激しい闘志の光をたたえている。
 その様子に、ディアノスは不満だった。
【つまらん。ヤツの奥義を披露させよう】
 相棒の提案に、Fは嘆息した。
「……おいおい。今回もか」
【相手には全力を出し尽くして戦ってもらう。これは我が幻獣の大陸にいたときからの主義だ。ゲイルフェンサーほどの者なら、天候次第でバーストが使えるはず――これは我が興を満足させる演出だ】
「演出だと?」
 Fは、曇もった空を見渡した。
「もしやこれが最初に言っていた『演出』か」
【雲を呼ぶのに二日かかった】
「……なんとも大げさな演出だな。さすがは天竜――だがバーストとなると、私の火術があまり使えなくなるぞ」
【我慢しろ】
 ディアノスは天を仰いだ。
 ――蒸気よ。昇華し、積雲となれ。
 その思念で、巨大なエネルギーが流れだした。
     *        *
「オレとしたことが、なにをムキになってこんなのと戦ってるんだ?」
 フェザーは左手に震えを感じた。
「……ちくしょう、今度はこちらの腕にガタがきやがった」
 そのとき、ぽつりぽつりと雨粒が。
「――小雨?」
 フェザーは、空を仰ぎ見た。
 同時に体が震えた。冷気が満ちている。
「なんて異常な気温低下だ……」
 フェザーは、あることに思い至った。
 もしかして――これは天恵か。
「冬なのに、あの雲が発生するというのか」
 雨はわずかだ。だがフェザーにはわかる。
 雲から落ちる雨粒の多くが蒸発し、大気から熱エネルギーを大量に奪っている。集積された冷気で、季節外れの特殊な積乱雲が発生しているはずだ。
 積乱雲の中には冷気が渦巻いている。それを応用した高等術をフェザーは知っていた。
 あらゆる自然現象を解明し、利用して見せることは術士究極の目的だ。リンド家はその風潮がとくに強い。
 フェザーはステラが避難した方角を見た。
 一ハーク離れろと言ったのに、三〇〇ヘクトフィングくらいのところでなにやらこちらに手を広げている。
『ステラ――』
『大丈夫? 血だらけよ』
『さすが牧場の娘、目がいい』
『だって真っ赤だもの。でももう大丈夫よ』
『……ステラ、おまえ、もしや……』
『いま、助太刀するから!』
 ステラは右足を軸にくるりと一回転した。すると、小川が空中に生まれた。
 いや、ステラの背後にあった小川全体が、水だけ持ち上がったのだ。
 空に浮かんだ小川は、風に煽られて天の川のように揺らいだ。
 ステラがなにか叫ぶ。
 すると、小川が細かく砕けた。
 同時に、竜が喋った。
【そろそろ我が爪で、汝の体を楽器に挽歌の演奏をしてやろう】
「覚悟せよウインド!」
 Fの叫びを合図に、人竜一体の重突撃が襲いかかってきた。
 竜の右前脚爪が、フェザーの心臓を狙う。
「ちっ!」
 フェザーは浮風の術を使う。下側から、フェザーを押し上げる力が働いた。
 必殺の一撃を避ける。
 竜は勢いあまって、そのまま飛んでいく。
 そこに突然、下方から水の矢が大量に突き刺さってきた。ステラの攻撃だ。
 竜にはあまり効いていない。だが――突然、竜が白い爆発に包まれた。
 爆発は、竜の周辺でいくつも発生した。
 ドラゴンは苦しそうにもだえ吠えた。
 背上のFもバリアでようやく耐えている。
 フェザーは驚いた。
「攻撃天術か!」
 生まれてはじめて見る。おそらく蒸破という術だ。液体を一瞬で気体に変えれば、容積差で爆発が起こる。風と水に通じていないとできない芸当だ。
 まさに、絶好のチャンス。
「…………」
 フェザーはちらりとステラを見る。
 思えば不思議な少女だ。
 この一週間、弱い連中相手に滑稽を演じ続けてきた。すべては『殺さない、傷つけない』という、極めて難しい注文のせいだ。
 だがこれで終わりだ。ステラも英雄というものの正体を思い知るだろう。
 竜がこちらをむいた。
 赤い口を開けて威嚇する。
「いい顔だ。焼き肉にして喰いたいほどだぜ」
 フェザーは、ゆっくりと術を発動させた。
「冷気よ、己の力を解き放て」
 ――フェザーたちがいる真上の雲は、そこだけ巨大に膨れ上がっていた。
 見事な積乱雲。その中で蠢く激しい対流の一部が、急に下に誘導される。見えない力で次第に一つにまとめられた冷気の束は、雲の中央を走って対流の渦から抜けだした。
 冷気の巨大な塊が――重い突風となって雲から飛びだした。
 人工に誘因されたダウンバースト。
 それが一面に空気のハンマーを打ち据える。
     *        *
 なんと力のあるバーストだろう。
 牧草地にある柵や小屋がダメージを受けてゆく。冬の寒さで突風の中に細かい雹が混じっている。それが地面の破壊を加速させた。
 戦いが好きゆえに望んだ攻撃とはいえ、ディアノスはすでに後悔していた。
 ステラという要素を軽く見ていた。
 猛烈な冷気の突風と雹は、確実にディアノスの体力を奪っていた。直前の蒸破によるダメージも重く、素早く動けない。
 また、ウインドの実力も見誤っていた。
 逃げても逃げても、どこもかしこも下向きの突風が吹き荒れているのだ。
 術の有効範囲は、結界術すら凌駕している。
 見れば、すでにウインドは地上だ。
 まずいぞ――
 周囲の風が一斉に止まる。
 やはり来た。凪陣の静止結界術だ。
 浮力の足りないディアノスは落ちた。
 念じて術を施そうとしたが……
 真上から強烈な風が殴りかかってきた。
 ダウンバーストは自然現象だから、部分的に風を止めても、つぎつぎと有効範囲外から強風が供給されるのだ。
 ディアノスは翼を大きく広げて懸命に抵抗を試みるも、落ちる力のほうが大きい。
【くっ!】
 地面まで一〇〇ヘクトフィング。
 ほぼ自由落下だ。
 この高さだ。竜と言えども、三メガバグの自重で内蔵破裂を起こす。
 それはすなわち――死だ。
【ぐおおぉぉ!】
 ディアノスは咆哮した。
 屈辱を感じるのは一〇〇年ぶりだ。
 戦い敗れて幻獣大陸を追われ、人の支配する大陸に渡ってなお戦いを求めた。そして人の大陸でも我は敗れるのか!
 地面まで五〇ヘクトフィング。
     *        *
 はじめて相棒の悔しそうな悲鳴を聞いた。
 ――Fは迷った。
 相方であると同時にセーラの仇でもある竜。
 遺言さえなければ、事あるごとに復讐を試みただろう――今回はその、絶好の機会だ。
 なにもしなければ復讐は果たされる。
 それは自らの死も意味していたが、Fにとって死は、甘美な誘いでもあった。
 なにゆえ私は、ハーシュヒルにこれほどこだわっているのだろうか。いつ私の力を怖れる弟王に殺されるかわからないのに――セーラが眠っている大地だからか?
 もしかして、私はずっと、セーラとともに眠りたかったのか――
 ここまでの考えが、わずか一パック。
 Fは死への誘惑に囚われ、動けないでいた。
 そのときFの視界に、強風の中を馬に乗って駆けてくる少年の姿――
「ティモシー!」
 つぎの瞬間、Fは術を発動させていた。
 Fの胸元の小型ランプから発生した大きな炎が、球形に竜を覆った。
 下側から吹き付ける灼熱の風が、竜の落下を鈍らせる。
 竜は平気だがFは火傷を負ってゆく。
 地面まで一〇ヘクトフィング。
 Fは焼けた手で、さらに連続術。
「燃えろ!」
 前の術にさらに同系統の上位術を重ねる、ブーストという技術だ。
 竜の下側の大地が、炎によって爆発した。
 雨天なのになんという火術の威力か。
 巨大な物理の力が竜を押し上げ――死に至る自由落下は一気に相殺された。
 紅の火の粉を周囲にまき散らしながら、青い竜は着地した。
 その背から、全身火傷を負ったFが、力無くすべり落ちる。
     *        *
 小雨の中、Fが焼けた地に横たわっている。
 ディアノスは、鼻でFをつついた。Fは動かない。探ると、Fの心の臓はまったく動いていなかった。
 ――心筋よ動け。
 効かない。
 ――動け。
 効かない。
 ――総治癒はどうだ?
 動かない。効いたかどうかわからない。
 竜は途方に暮れた。
【なぜだ……】
 ディアノスは、動かない盟友に語りかける。
【なぜ助けた、我が盟友よ――これは、我が傲慢による失態だぞ。なぜ関係ない汝が、命を賭して我を守った】
 Fは答えない。
【答えよ、盟友よ!】
「Fさん!」
「F先生!」
 幼い声がした。
 ディアノスが見ると、子供だった。
 少年少女。ティムとステラだ。
 二人は竜を物ともせず、フレデリック・Fに走り寄ろうとした。
【来るな!】
 ディアノスは吼えた。
【氷結せよ!】
 雨粒が集まり、氷の牙となって二人に襲いかかった。二人はすくみあがった。
「破!」
 氷の牙が空中で砕ける。
 ゲイルフェンサーの風術が二人を救った。
 飛んできたフェザーは、ステラとティムを後ろ守るべく前に立つ。
「水術とは……『傲慢』と言ったな。竜よ、おまえが雲を呼んだのか」
【……うるさい。若造になにがわかる】
 竜の両眼が、フェザーを睨む。
 すさまじい眼力にフェザーは数歩下がった。
「げ、図星かよ――言うことがなくなると、年上はすぐにそう来るからな」
【汝を殺す】
 ディアノスはゆっくりと飛び上がった。
【汝らを、皆殺しにする!】
 竜の赤い瞳が、色を失った。
 そしてひときわ大きく吼えた!
 ――ダウンバーストをもたしていた積乱雲の底から、幾筋もの、漏斗状に渦巻く流れが生まれた。
 その濁った雲の流れは静かに地面に達し――つぎの瞬間には、地面を掻き回す大きな音をたてはじめた。
 バースト系の最強技――竜巻であった。
 エネルギー源は巨大な積乱雲。いくらでも暴れていられる。
 ステラは悲鳴をあげた。
「……やめてー、牧場が!」
 七つの細い竜巻が徐々に一ヶ所に集まる。その進路上にある小屋などは、すべてが粉々に粉砕された。
 その異常に牧場に点在する各施設から、多くの人が出てきた。外にはまだ散発的な雹混じりの雨が降っていたが、灰色の嵐はそれを上回る危険な轟音を響かせていたのだ。
 牧場の従業員たちは、渦の悪魔を見上げるや、大慌てで中の連中に知らせて逃げる。
 暴竜は、次々と竜巻を発生させてゆく。
 半地下の倉庫が潰される。牛舎に迫る竜巻。そこから牛たちを追い立てる牧童や大人たち。牛どもは恐慌状態に陥って啼いている。
 灰色の渦巻く幾本もの塔ども。
 それらは三つの丘全体を覆っていた。あたりは日食が来たかのように、急に暗くなっている。まるで夜のようだ。
 暗闇で破壊の宴を喜ぶ竜巻ども――トライヒルメーン牧場に、甚大な破壊がもたらされつつあった。
「やめて……お願い」
 泣きじゃくるステラ。ティムは悲しげにステラの背中をさすり、また心配げに真実の父である王兄F閣下を見やる。
 Fに、後から駆けつけたトーマス・ラッセルヒルが蘇生を施していた。邪魔な鎧を外して心臓マッサージを行い、定期的に人工呼吸を行う。途中からティムも加わる。
 堪りかねたフェザーは、最高位の静止風術結界を発動させようとした。
「はあ……」
【グォォォォォ!】
 竜が叫ぶと同時に、雲の間から信じられない巨大な雹が降ってきた。
 フェザーはそれを迎撃せざるを得ない。なにせ側にはステラたちがいる。
「うなれ真空の嵐!」
 直径三ヘクトフィングはあろうかという雹が、切り刻まれて粉々に砕け散った。
 降ってくる破片群は強力バリアで受ける。
「……ちくしょう、隙がない。まさかあいつも風と水を使う天竜とはな――」
 竜はフェザーたちの頭上を遊覧するかのように旋回している。あきらかにこちらを襲う気配を見せている。
「――我を失っているような感じだな。よし、ダメもとでこれなら!」
 フェザーは指を鳴らした。すると、竜から二〇〇ヘクトフィングほど離れた空中に、突然フェザーが出現した。
 そのフェザーは、ディアノスを挑発するかのようにファイティングポーズを決める。
 竜は怒ったように吼え、一気に空中のフェザーに躍りかかって後脚爪の一撃を見舞った。
 しかし爪はフェザーをすり抜けた。
 竜はさらに怒り、執拗にフェザーを襲い続けた――
「ふう……やはり子供だましの幻影にひっかかったか。これでしばらくは持つな」
 フェザーはドラゴンマスターが気になった。
「私に任せてみて!」
 ステラが蘇生に回復術を申し出ていた。
「なにか知っているのか?」
 トーマス神父の問いにステラは頷く。
「でもうまくいくかどうか……」
「ならオレとティムがやる横でやってくれ」
「ええ」
 ステラは蘇生活動をする二人の横で、Fの頭に手を乗せてなにかを念じはじめた。
「ステラ……変わったな」
 さいしょに出会ったときより、はるかに心身ともに強くなっている。これで一三歳とはとうてい思えない。
 一三歳――なるほど。そうだったのか。
 フェザーは、昔を思い返した。
     *        *
 術士の宗家たるリンド家に生まれた俺は、稀にみる風力素特性を備えていた。生後三日で、風術の素質を開花させた。
 あまりに幼かった俺は、セントノヴァの術士修技館でなく、リンド宗家で修業を積んだ。
 物心がついたときには、すでにマスタークラスの修業を終えていた。俺は物足りなくなって、あらゆる事を勉強した。勉強と修業することしか知らなかった。
 八歳ごろ、剣術に興味を持った。禁止されていたので隠れて学び始めた。最初は独学で、やがては身分を偽り町の道場で。
 俺の剣術修業がばれたのは、一二歳のときだった。どこの大会にも出ようとしない俺を、師範が怪しんで帰り道を付けたのだ。翌日には破門されていた。国随一の名家であるリンド家に睨まれるのを怖れたのだろう。
 俺は親父に呼ばれた。
 激しい問答となった。親父は術士は剣を習うなと言う。だが俺は納得できない。術も剣も両立できる実力があるのに、どうして習ってはいけないのか?
 俺はリンド家の中で孤立していった。
 ――世界はこんなに広い。
 家にいる必然がなければ、出ていくまでさ。
 術士はみんな親戚だ。さあ、強い奴らとか、面白い奴らに会いにいこう。
 一三歳の秋、家を出た。
 以来、多くの名を持つようになった。
     *        *
「なるほど……」
 フェザーはようやく得心した。
 なぜステラの無茶な要請を、命を危険にさらしてまで守り続けていたのか。おのれが自立したのと、おなじ年齢でステラが旅立ったからだ。どうりでステラの年齢を知ったとき、引っかかるものがあったわけだ。
 己の信ずるままに術士修技館を出たステラ。じょじょに本気になっていった信念のようなものに、心知らず共感していたのだ。ステラの試みは徒労に終わるかもしれない。だがまず、竜との決着をつけねばならない。
 フェザーはバリアを形成して、全員を守っていた。契機があれば竜をなんとかできる。
「だがなにをきっかけにすれば……」
 そのとき、大きな一声。
「やった! 復活した!」
 神父さまとやらだ。
 フェザーが見ると、Fが蘇生していた。本来なら助かる状態ではなかったはずだ。竜が暴れる前に、なにか効果的な術を施したのかも知れない。
「ああ……よかった……先生」
「……Fさん」
 ステラとティムが、Fに抱きついている。
「おいおい――ステラ、苦手だったはずじゃなかったのか?」
 Fは辺りをみて驚いている。神父さまが火傷を心配して動くなと言い、無理矢理寝かしつけた。そして八方塞がりの状況を説明する。
 あらかたを聞き終えたFは、
「かつてド=エド軍を蹴散らしたときの暴れ様は凄まじかった――いまはそれに似ている。ディアノスは長生きをしすぎた結果、戦いに自己存在を求めるようになった」
 ステラがにじり寄る。
「竜――ディアノスを止めるには、どうしたらいいのでしょうか?」
「一度ああなったら、たとえ無事な私を見たところで、暴れるのを止めはしないだろう……力でねじ伏せるしかない」
「力って……あの竜を止める方法があるのですか?」
「トライヒル。きみなら、あるいは」
 Fはステラに静かな視線を向ける。それは期待でも懇願でもない、なにか泰然としたものだった。
 その視線を、ステラは正面から受け止めた。
「――わかりました。でも条件があります。聞いていただけますか?」
「……ああ」
 ステラの要求は、やはり自身の自由の保障と、そして驚くことに他の弟子たちをむりやり戦術士にしないことだった。
「……知っていたのか、ハーケン計画を」
「――いいえ。はじめて聞く名前だわ」
「ははは……利口な子だ。どうりでみんなが出し抜かれるわけだ」
 Fはハーケン計画を説明した。
 立案者はケイン三世だ。
 ステラに天術の才が芽生えたとき、ケイン三世は狂喜した。これで軍事バランスを崩すことができる。
 近年、ハーシュヒルが最も敵視する北の軍事大国ド=エド。この国は、火と地の力素を操る原導師――アトムハイマスターのレッドボーン・キリングを擁している。
 当年三九歳の彼は、最強の物理攻撃術、神光を操れた。すべての物質を純粋なエネルギーに変える、とんでもない禁術だ。
 この化け物に対抗できるのはドラゴンマスターのみ。だがケイン三世は重用しない。兄なので正直煙たいのだ。いまとなっては殺意さえある。
 そこでステラを骨幹とした、新たな戦術士部隊の育成。これがケインの思惑だった。ところが大臣たちは、ハーケン計画をジョージに任せてしまった。
 ハーシュヒルは絶対王政ではない。王と言えども、臣下への干渉には限度があった。
 王は現在矛盾に悩んでいる。
 ――説明が終わって、みなは一様に口をつぐんでいた。
 Fは秘密事項を漏らし、正直せいせいしていた。決してハーケン計画に乗り気ではないからだ。ステラが天術士として大成した暁には、高い確率で自分の死が待っている。いまはド=エドの怪物に対抗できる唯一の力ということで命長らえているにすぎない。Fにとっても矛盾した計画なのだ。
 だがFは確かめたいことがあった。ステラを試す。
「それでステラ……もし私がステラの要求を飲んだとして、戦術士になりたい弟子はどうする? リンドバーグやマギーあたりは、戦術士になりたがっているぞ」
「――それは各人の自主です。私が問題にしているのは、なりたくない者に強制するということのみです」
 真正面から挑むような視線を、Fに向ける。その定見に、Fは満足した。
「トライヒルの理想に乗ろう――私も、思うところがある……」
 Fはティムを見た。
 ティムは恥ずかしそうに視線を逸らせる。
 Fはなんとはなしにほほえんだ。
「止めて見せろ……竜を……」
     *        *
 そのまま疲れて寝てしまったドラゴンマスターは、じつに穏やかな顔をしていた。
「なにかを悟ったようだな。あるいはセーラの呪縛から解かれたか」
 トーマス神父がFの火傷の手当をしている。
 その横で、ステラは天を舞い踊る竜を睨んでいた。竜巻どもは相変わらず暴れており、嵐と共にみぞれが降っている。フェザーが常に防御結界を張ってくれているので、移動せずにいられるのだ。
「天竜ディアノス……私とおなじ力を持つ竜……どうしてあの竜がいるのに、私が戦術士になる計画の必要があったの?」
「――竜の所行は恐怖にしかならん。人による脅威でないと、戦争が起こるだけだ」
 トーマスだった。
「神父さま……」
「というのが、おそらくフレデリックの言い分だろう。きっと竜の天術については王に隠しているだろうよ。もし知っていたら、王はとっくに戦争を起こしているだろうさ――ケイン三世は、そういう御仁だ」
「F先生らしいわ。でも所詮は屁理屈ね」
「言うな。四方が敵だらけのなかで、必死に自分の正義を貫いてきた男だぞ」
「……私には、まだわからないわ」
 ステラはティムに視線を向ける。
「ティム――私についてきてくれる? 私では、どうしたらディアノスに勝てるか見当もつかないの」
「――わかっています。私の浅学な知識でよければ、お貸しします!」
「フェザー、あなたは腕の怪我がちょっと酷いから、ここの守りをお願いね」
 ステラはフェザーに軽くウインクした。
「……まったく、お株を完全に奪われたな」
 フェザーらが見送るなか、手を繋いだステラとティムはゆっくりと、灰色の雲がネズミのように蠢く空に上がっていった。
     *        *
 雲間から少年少女が浮かんでくると、ディアノスは嬉しそうに吠えた。フェザーの幻影には目もくれずに向かって来る。
【グァァァァァ!】
 ステラは単純に腹が立った。
「……なによ! 余裕かまして」
「だからいいんですよ、ステラさま」
 ティモシーは冷静だ。
「どのみちこちらはそこに活路を見いだすしかありません――できれば、一撃で」
「一撃ね……」
 ディアノスは赤い口を開けて威嚇した。
「いやっ!」
 ステラはとっさに、さきほどとおなじ連続技をつかった。
 周囲の雨粒を集め、水の矢にして放つ。
 ディアノスは水の矢を難なくかわすが、すり抜けざま、ステラは水の矢を蒸気に変化させた。
 白い爆発がディアノスを襲った。だがディアノスは防御結界でそれを防いだ。
 ステラにはディアノスがなにか笑ったように思えた。は虫類だからわからないが――と、ディアノスの周囲の雨粒が、凝結してたちまち幾千もの氷になる。
【グォォオオ!】
 ディアノスの叫びとともに、氷の飛礫が雨霰と襲ってきた。
「いや!」
 ステラは慌てて防御結界を張ろうとした。
 精神集中が間に合わない!
 ステラは怖くなり、目をつむった。
 直後に、体に氷が当たる音。腕や足が痛い……
 ――だが、顔や体には当たらない。
 運がよかったのかしら。
 ステラはゆっくりと目を開け――
「ティム!」
 襲来した氷を、ティムが受けてくれていた。とっさにステラの前に出たのだ。施術者と手を繋いでいることで、ティムはあるていどは自分の意志で動ける。
 ティムは頭や肩から血を流していた。おそらく見えない背中などは悲惨なさまだろう。
 ステラは思わず涙がこみ上げる。
「ティム……ごめんね、ごめんね」
「ステラさま……空気が」
「――黙っていて、いま治療するから」
「だめです。決着がつくまでは、術力を攻撃に取っておかないと……空気です。空気が、震えています……」
「空気……」
 ステラはたしかに、空気が色めき立っているような感覚を肌に感じていた。
「これって、もしかして……」
【ファオォォ】
 気が付くと、ディアノスの巨大な顔が迫っていた。
「きゃああ!」
 ステラはなにも考えずに右に飛んだ。
 二人は暴風に煽られた。
 左足になにかがばちんと当たる。痛い。
「くっ――」
 くるくると木の葉のように舞い、ようやく止まる。目を回しつつ、ステラはしかしティムがいないことをすぐに認識した。
「どこ! どこ?」
 まだ平衡感覚は回復していない。
「……下!」
 当たり前のことにようやく気づき、見当なしに全速で下降する。
 平衡が半ば回復したところで、ステラは落ちゆくティムを発見した。
「ティモシー!」
 ステラはぐんと速度をあげた。地面に落ちるわずか一パック前で、ティムを回収することに成功した。ティムの腹を左腕で掴む。
 下方向に強い慣性力が加わる――ステラは、左肩に嫌な鈍痛を覚えた。
「え……痛っ!」
 だがティムを離すわけにはいかない。
 上空から、また竜が襲いかかってくる。
「もうっ!」
 逼迫したステラは空いていた右手に力を込め、なにも考えずに突きだした。
 ステラの腕から放たれた術は、偶然にも爆押風という術だった。殺傷力は皆無に等しいが、一方向に猛烈な突風を生む。フェザーがコープス川の地下通路から脱出する最後に使った術だ。
 猛烈な風が、竜の勢いをわずかに弱めた。
 その隙に、ステラは上に逃れる。竜は勢い余ってそのまま地上を掠め飛んだ。
 このときになって、ステラは左足首に激痛を感じた。
「きゃ!」
 まさか骨折? 左肩のほうは――脱臼?
 ステラは幼いころから落馬でしばしば骨を折っていたので、痛いとまず骨の異常を心配する癖がある。
 いずれにせよ、これでは集中できない。
「ティム……負けちゃうよ」
 ステラは思わず涙を流した。同時に体が震えてくる。勢いに任せて飛び出したはいいが、しょせん戦いは素人でまだ子供。いきなり最強の幻獣を相手にして、いままで勇気を保てたのが不思議なくらいだ。
「ステラさま……」
「ティム!」
 ティムは、かろうじて意識があった。
 見れば体中に氷礫がいくつも当たっており、あざだらけで痛ましい。
「よかった、ティム……生きていた」
「ステラさま……雷です。雷を――」
「雷?」
 ――ティムは気を失った。
「……ありがとうティム。ヒントをくれて」
 ステラはティムに軽く口づけをした。
「――大好きよ」
 さきほど感じた空気のざわめき。それは、雷の前兆だ。
「ティム……死んだら、ごめんね」
 ステラは恐怖に震える体に鞭打つように、竜を睨んだ。
 竜。英雄の竜。
 でもいまは、私の行く手を邪魔する敵。
 敵は――倒す!
 ステラは、水や風の力で雷が扱えるかどうかを知らなかった。
 しかしステラにはなぜか確信があった。
 たぶん、できる。
 ステラは右手を天に伸ばした。
 竜は口を開けた。不気味に濃い赤が、死神のように思える。正体を失った目をたぎらせ、一声吼えると、一気に飛んできた!
 ステラの体は小刻みに震えている。
 怖い――だけど、敵。
 左半身には二カ所の怪我があり、しかもティムを抱えている。もはやすばやく動くのは不可能だ。
 ――どうしよう。
 そのとき、
「ステラ! 飛行術を解除して、自然の落下に任せて避けろ! オレが受け取る!」
 後方下から、フェザーの声。
 ステラは、振り向かずにちいさく頷いた。
「……ありがとう、フェザー」
 暴竜が迫る。もう視界の半分は竜だ。
 ――ディアノス。
 ごめんね、いまから虐めるよ。
 ステラは風裂飛翔を解除した。
 とたんに重力がステラを捉え、ステラとティムを地に吸い寄せる。
 ステラは右手を上げたままの姿勢で、すとんと落ちた。
 そのステラがいた空間を、狂えるディアノスが駆け抜け――
「雷撃!」
 ステラが叫んだ瞬間、
 巨大な音と光が、ディアノスを貫いた!
     *        *
 すべてはあっけなく終わった。
 稲妻の一撃を喰らった青い竜はたまらず滑空した。地面に降り立ったところで、さらに落雷の一撃。竜は二、三度悲しそうに啼いて倒れた。
 直後、風が一斉に止み、すべての竜巻が唐突に消滅した。それでも空から貪欲な冷気の塊が落ちてきた。
 それを吹き飛ばす強烈な風が上空に吹き渡り、雨雲に大穴を開けた。
 竜巻どもが巻き上げた大量の土砂や木片が降ってくる中、雲間から晴れ間が覗いた。光の柱が地面にまで伸びる。
 やがて気温が回復してきた。
 竜は二コックほど気絶していたが、気づくと何処かへ勝手に飛び去った。

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