XI「史上最悪の放蕩野郎だ」

よろずなホビー
WIND&WIND/I II III IV V VI VII VIII IX X XI XII XIII XIV XV 設定

 昼すぎ、ステラとウィルは王領を通過しきった。誰もいない王道が消え、林を抜けて人混みのある白い街道に密かに復帰した。
 一コックほど経ったところで、ふいにウィルが告白した。
「ステラ、俺の本当の名前は、実は別にある」
「え……なによ唐突に」
 ステラは意外な告白に面食らった顔をして歩みを止める。ウィルも止まった。
「ウィル、どういうことなの?」
「世間知らずは平和でいいな。ステラがあまりに疑問に思わないから、かえってやりにくい。だから面倒になる前に言っておく」
「疑問に思うことはないわ」
「あるさ。俺がマスターレベルの風術を使ったり、戦術士の術を知っていることだ」
「……術士の傭兵でしょ?」
 ウィル――いや、フェザー・リンドは、頭を抱えた。
「術士が傭兵なんかするか。大陸術士協会に資格を剥奪されて路頭に迷うぞ」
「え、ウィル――」
「フェザーだ」
「フェザー……さん、どうしてですの」
「いきなりの他人行儀は止めとけ。こっちはステラの地を知ってる」
 ステラは困惑して唇をすぼめる。
「だって……嘘をついてたもの」
 嘘は駄目だよ――大小の偽りがばれるたび、事実上の育ての親だった神父さまに言われてきた。もっとも方便の必要悪と心得ているので、ステラは懲りずに嘘をつく。だが嘘を告白されると、やはり悔しい。
 慣れか開き直りか判断がつかないそっけなさで、フェザーは言った。
「ああ、ついていたさ。だがな、俺には名を偽るやむなき事情があったのさ」
 そのとき――
『そこの赤髪の傭兵さん』
 風に乗って、するどい男の誰何が響いた。
「だれ?」
 ステラは周囲を見渡す。白い街道を道ゆくほかの者は、年末なので各々に多忙だ。うす汚れた二人の田舎者に注意をむける者はいない――でも誰も声に気づかないなんて。
 近くを荷馬車がからからと通った。
「早過ぎるぞ。面倒回避の事前説明が間に合わなかったじゃないか」
『さすがですね、あらかじめ気づいていましたか。やはり並の傭兵ではないですね』
 荷馬車の音に重なって、また声の反響。
 それにしても――ステラはつぶやく。
「どこかで聞いたことのある声だわ……」
 フェザーは軽く口元をゆがませる。
「あれがやむなき事情だ」
 フェザーが指差した方角――
 荷馬車が過ぎたむこうに、さっきまでいなかった、一人のやせた男がいた。厚ぼったい外套を着込んでいる。
 背負っている大きな籠から、露天行商人だとわかる。深く被った毛皮の冬帽子の間から覗く視線が、こちらを強く意識している。
『お目にかかれて光栄です――ウインド』
「風包飛翔を使えば、やはりわかっちまうか。ウインドね――この辺りではそう呼ばれているようだな。偽者でなければ俺のことだ」
 フェザーはあっさりな物言いで返答した。
 ステラは驚愕の顔でフェザーを見る。
「あなた……」
 フェザーはからかうように、
「俺のことがドラゴンマスターのつぎに好きだって? かわいい英雄ファンの少女さん」
「こんなのが――ウインド?」
「中央や北ではゲイルフェンサーと言う」
「なんて唐突なの!」
 ステラはハーシュヒル教会の印を切った。
「世界は広……狭いですわ。まるで面白い英雄物語の佳境で、野暮な言いたがり屋が結末を教えたようなものよ!」
「目が覚めただろ」
「ねえウインド――聞いていい?」
「なんなりと」
「大陸術士協会に追われているのは?」
「半分だけ正しい。別に指名手配されているわけじゃない。ただ居場所が知れたら、無資格術士ということで実入りの大きい仕事が一切できないからな」
「一〇〇年を生きる……」
「噂好きな連中の創作だ。俺は満一九歳の、健康で助平な若人だって――話は後だ。とにかく場所を移すぞ」
『さすがはウインド君。おかげで一般に怪我人が出なくてすみます』
 露天行商人は街道脇の小径に入っていく。
 フェザーは鼻を鳴らした。
「ふんっ。人混みで待ってたのはそっちだろ――ステラ、ここで待って……いや、ほかにも……仕方がない、ついてこい」
 不安げなステラを伴い、フェザーは商人に続いた。
 ステラは胸騒ぎがしていた。
「――やはりあの商人、懐かしい声だわ」
     *        *
 林の中をしばらく進んだところに、小さな荒れ地が広がっていた。朽ちた小屋があったので、捨てられた開墾地だろう。
 周囲は三つの丘に囲まれ、見通しは悪い。
 ここなら舞台設定は完璧だ。
 やはりだが、無言で前を歩いていた商人は足を止めた。こちらをむき、背中の荷を降ろす。相変わらず帽子を深く被っている。
『このあたりにしましょう』
 また頭に響く声だ。
「ウィ――フェザー、これ、なんでして?」
 ステラが戸惑い気味にフェザーを見上げる。
「風囁という術さ」
「……あの人、ウインドマスター!」
「王室お抱えの戦術士だ。術教師たちみたいに正直に術士長衣を着ないから、一見ではマスターと知れ――」
「やっぱり、ランクヒル先生だわ」
「――は?」
「あの人……ゾーン先生の前任だった、ランクヒル先生よ」
 フェザーは、またもや頭を抱えた。
「面倒すぎるぞ、おい……」
『ステラさん……子爵の御息女が、そんなに汚れてかわいそうに。さあ、帰りましょう』
「その気は一バグもないわ。ランクヒル先生、お願い、行かせて!」
『……現在は、戦術士ランクヒル中尉です』
 商人――ランクヒルは帽子を脱いだ。その下からは、二五歳前後と思われる、顎の細い中性的な顔の男。ブロンドの短髪は癖毛で、目が細い。
『ウインド君の高名は存じています』
 ランクヒルは――おもむろに外套を脱ぎ捨て、宙に勢いよく放りあげた。
 外套の下には、黒い長衣に紫マント。マントは絹をムール貝で染めた逸品だ。
 外套が地に落ちると同時に、ステラたちは木陰から湧いた戦術士に囲まれていた。
 増えたのは男四人に女一人。全員がランクヒルとおなじ、黒い衣と光沢ある紫マント。
「ですが、こちらは六人います」
 ランクヒルは、はじめて直接しゃべった。
「吟遊詩人のサーガでは、竜を倒したとか、一〇〇人の術士を一度に倒したとありますが、それが誇張だと承知です。私たち全員を相手には勝てませんよね――命は取りません。ステラさんから手を退いてくれませんか」
 ランクヒルの細い目が、自信ありげに開かれた。だが当のフェザーに、まったく表情の変化は感じられない。
「ステラ、この場合は――」
「誰も……できれば殺さないで」
「小生意気で可愛い理想主義者さんよ、俺が勝つと信じきっている言い方だな」
「……だって、ウインドでしょ?」
「――善処する」
 そしてステラに耳打ちする。
 ランクヒルが、困って頭を掻いた。
「すいませんが……この状況でなにを?」
「最初から六人いることは知っていたさ」
 フェザーはランクヒルに笑いかけた。まるで友人に対するような無邪気な笑顔に、ランクヒル中尉は戸惑った。
 と、フェザーがステラを左腕で抱きあげた。承知済みのステラはフェザーの首に手を回し、大人しくしている。
「広がれ!」
 不意打ちの形で、フェザーの風術が発動した。風の衝撃が全方位に広がっていく。
 戦術士たちは各々の力素を駆使した防御術を施す。
 水張陣、地振陣、遮空壁、焼空壁――
 それはフェザーの折り込み済みだった。戦術士たちはおなじ格好をしているので、力素が分からない。ならば術を否応なく強制発動させればいい。
「せいっ」
 空気を切り裂く真空刃を放つ。
 二人いた水術士の一人を狙い撃つ。水がない場合、水術士はマントの下に水袋を隠し持っている。だが水が少ないので増幅術を伴い、術の発動が二段階になるのが難点だ。一人いた火術で防御した女は、ランプを使わずに防御壁を発生させたので火と風――炎術士だ。
 真空の見えない刃は一直線に進む。
「あ……うわっ」
 水術士は防御が間に合わず倒れた。足を狙ったので命に別状はない。
「ウインド君、覚悟!」
 ランクヒルの風の矢による反撃。
 ついで二人の戦術士が念じる。
 石礫、灼熱の蛇が発生する。風の矢も合わせ、いずれもフェザーの足元を狙う。
 上半身にはステラがいるからだが――
「空気の壁よ」
 フェザーはあっさりと防御し、
「これでも食らいな!」
 すかさず手を薙ぐ動作で大技を出した。
 全方向に突風が広がる。
 一番軽いブレイズマスターの女が飛ばされ、近くの木の幹にぶつかった。したたかに背中をぶつけ、気絶する。
 またアースマスターの男は、疾風に乗って迫ってきた剣士に焦った。
 フェザーは細剣を抜き、右手に構えている。ステラは器用に左腕に抱えていた。
「ひいっ」
 恐怖のあまり、ステラを考慮しない術――地割砕で迎撃した。
 フェザーは土の爆噴をあっさりとかわし――地術士の肩に剣を叩き込む。
 ステラが小さな悲鳴をあげた。
「勘違いするな、峰打ちだ」
 刃のない方で打ったのだ。
 だが当のアースマスターは白目となり、崩れ倒れた。打撃力は相当のものだ。
 鋭く空を裂く音。
 後方から、氷の礫だ。
 フェザーはなんなく避ける。
 もう一人のアクアマスターが放ったのだ。
 フェザーは、つぎの狙いを定めた。
 ふたたび爆風を繰りだし、敵全員の術攻撃を封じる。そして風に乗り各個撃破。
 それゆえ疾風剣士――ゲイルフェンサーと呼ばれるのだ。大陸最東部でこの複合技が披露されたのは、これがはじめてだった。
     *        *
 ランクヒルはひょんなことから念願の戦術士になれた。さらに術力の高さゆえ、わずか勤務二月目で小隊長に抜擢された。
 いまの彼は満たされているはずだった。なのにランクヒルは、ステラを心底うらやましいと思っていた。
 ウインドを完全に信頼して、すべてを任せているステラ。ウインドはそれに全力で応えようとしている――なんていい関係だろう。
 と、ランクヒルの脳裏にゾーンが浮かぶ。
 ウインドが肉迫してきた。
 ステラはすまなそうに眉を寄せている。
 ウインドがゾーンに見えた。
 一撃。
 ランクヒルは気を失った。
     *        *
 ランクヒルは、部下のアクアマスターによる覚醒術で目を覚ました。
「これは……負けましたか」
「残念ですが――」
 部下は仰向けに倒れているランクヒルの左肩に手を添えた。
 痛みが砂に吸い込まれる水のように引いた。さらに肩のあたりが暖かくなった。周囲のむくみが消えていく。内出血していた血が、血管に戻っているのだ。
「ありがとうダレス君。楽になりました」
「小隊長、大丈夫ですか?」
「……君の治療は天下一品ですよ。それでこちらの被害は?」
「自分は左アキレス裂傷、一人は背の強打撲、小隊長を含めほかは肩ないし横腹に峰打ち」
「死者も重傷者も出なかったのですか?」
 驚いて半身を起こし、見渡す。近くで半裸になり、肩や脇腹の打ち傷をさすっている部下が二人。いずれも無言で頷いた。
 倒れているのがまだ二人いるが、血が流れた様子はない。
「こちらを全員殺せたはずなのに……」
「やつは計り知れない強さを秘めています」
 ダレスは冷静にウインドを分析した。
「細剣で打ち技を行ったのですから、大変な技量です。そのうえ奴はトライヒル嬢というハンデを抱えて戦いました」
「……残念ですが、力の差は歴然ですね。さっそく上に報告しましょう。ジョージ様なら対策を考えてくれるでしょう。私の風翔遠話はウインド君に聞かれます。すみませんがダレス君の水脈遠話で伝えてくれませんか」
「はい……」
 ダレスは自分のマント裏に吊してある、皮の水袋のひとつを真上に投げた。
 袋が破裂し、中の水がダレスを囲む。そしてメリーゴーラウンドのように渦を巻く。
 その横で、ランクヒルは苦笑していた。
「ステラさん、元気そうでしたね――」
 ステラとウインドは、昔のゾーンとランクヒルに似ている。互いを信用しきっている理想の関係だ。
 だからこそステラは元気だった。
 ランクヒルなぜか、ウインドに負けたことがそれほど悔しくなかった。
「不思議ですね――そうだ、今度ゾーン君に私信でも送りましょう」
 ――ゾーン君。君は私の術力に嫉妬していますが、私も君の頭脳には、一生かかっても及ばないと悔しがっているのですよ。
 そろそろ互いへのコンプレックスを、畏敬の形でおさめませんか? 畏友として。
     *        *
「……ねえウィ――フェザー」
「あん?」
「さっきはありがとう。誰も殺さなくて」
「…………」
 フェザーはステラの素直な感謝にはにかんだ。フェザーは新たな服に着替えている。ハーシュヒル調の旅装束。雨天時用の、フードが折り畳まれた巨大な襟が特徴だ。
 ステラも新調している。こちらは上半身はおなじだが、下半身は豊かに広がるスカート。保温性は低いが機能的で歩きやすい。
 さっきの戦闘で、ステラが手に巻いていた手拭いを落とした。あれにはフェザーとステラ双方の臭いが染みついているので、風翔香査対策で下着まで含めて装備を一新したのだ。もちろんサウナにも入っている。
 フェザーはようやく返答を見つけた。
「――わかっていると思うがステラ、俺は傭兵だ。だから雇い主の要請には、自分の命が危うくならない範囲で応えるのみだ」
「はい。でも相手を生かしたことで、『ゲイルフェンサー』の戦い方が知られたわ」
「……ステラ」
「私は世間知らずだけど、無知でなくてよ――いかな英雄も手の内を知られたら、おなじ敵にはつぎからはやりにくくなるのよね」
 フェザーは感心した。
「珍しいことを知っているものだな」
「神父さまが教えてくれたの。私があまりに英雄に憧れるから……たしなめで」
「また神父さまか」
 つくづく思うが……どういう神父だ。
「だから、いいことを思いついたわ――とにかく戦いを避けるため、街道を避けて森の上を飛んでいけばいいの」
「たしかに有効な手段だ。だが問題がある。俺一人では、ろくに飛べないおまえを抱えて長時間は飛べない、ということだ」
「どうして?」
「飛行術は基本的には個人技なのさ。いつもなら一度に一〇ハーク以上は飛べるが、一人でも抱えたら、俺の実力でもコープス川すら飛び越せない。なぜ俺が地下から行こうとしたか、これで分かるだろ?」
「もっと飛行術を教えて」
「――はい?」
「私がいる間、フェザーにはできるだけ人を傷つけてもらいたくないの――だからフェザーの負担を減らすために、戦いを回避するために――そして、私が足手まといにならないように……教えてください」
 ステラは、意志の強い瞳で見上げてくる。
 ――こいつ、本気だ。
 フェザーは思わず吹きだした。
 腹を抱えて笑う。ステラは気を悪くして頬を膨らませている。それを見てフェザーはさらに笑った。
 本気だ。やっと本気を見せた。
「……なんという都合のいい理想主義だ!」
「教えて!」
「――おいおい」
「よくてフェザー、法外な雇い金の件は忘れていないわよ。だから大金に見合う――」
「リンドだ。フェザー・リンド」
「――ように働く……え?」
「俺のフルネームはフェザー・リンド。リンド家史上最悪の放蕩野郎だ」
「えええ!」
 ステラは数歩退いた。無理もない、リンド家は術士中の術士の名家だ。なにせルーツマスター、ユニバースの直系なのだから。
 ステラの瞠目を気にせず、フェザーは教師のように続けた。
「リンド家七〇〇年の教訓の一つに、真実に理想を願う者を援助せよ、とある」
 ステラの顔に、冬の寒さを吹き払う明るい笑顔が満ちた。
「ウインド!」
「だが俺はリンド家から勘当され、おそらく一族名簿からも削除された放逐の身だ。リンド家の家訓を遵守する義務はない」
 ステラの笑顔がしぼむ。
「……え、じゃあ、だめってこと?」
「いや、反対だ」
「――なにが言いたいの?」
「フェザー・リンドは、本当は名乗ってならない名だ。よって俺は多くの名を持つ――だが俺は俺、自分が何者かを自分でわかっていれば、名前など糞喰らえだ――普段はな」
 ステラは思い出した。ウィットフォールが追ってきたとき、似たことを話していた。名前は重要だが、重荷なら呼び名は自由――みたいなことを。なにせ屈辱の『世界は広いですわさん事件』があったので、頭にこびりついている。
 フェザーはまとめに入った。
「あえてフェザー・リンドを名乗るのは、自分の血と心に正直でいたいとき、責任を背負いたいときだ。いくら糞喰らえでも、本来の名に頼りたいときもある。なんびとも俺がリンド家の血を持っている事実を消せないし、俺がリンド家の家訓を誇りにしている心を操作できない――」
「フェザー……」
「俺はステラが本気になるのを待っていたのかも知れない。だからこそ全力で協力しよう。俺の特訓は、どんな術教師よりきついぞ」
「――イエッサー、教官!」
 ステラは凛々しく、軍隊式の敬礼をした。
 道ゆく人々が、何事かと一斉に振り返る。
 フェザーは恥ずかしさに肩身を縮めた。
 おいおい、どこで覚えたんだ?
 ……たぶん神父さまだな、また。

© 2005~ Asahiwa.jp