III「私、美味しくないわ」

よろずなホビー
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 大事なものが奪われた。
 役所へ盗難届けを出すべきだ。
 だがステラは旅を急いでいると言って青年の提案を断った。さらに北門から町を出ようとしたので、心配でついてきた青年は、ついに我慢できず少女を止めた。
「どうして?」
「駄目だ。おまえのような世間知らずが一人で、どこへいくつもりだ? 誰かついてやらないと、すぐに似た目に遭うぞ」
「私、それほどお馬鹿ではありません。さきほど高い授業料で、身なりのよろしくないお方は無条件で信用するな、という教訓を得ました。神父さまの貧しきに施せ、という言葉が、あくまで見た目に対することだと習いました。それでじゅうぶんです」
 青年は閉口した。
「そう一気にわめくな――とにかくだな、傲慢な箱入りを騙す方法は、まだほかにいくらでもあるということだ」
「私が傲慢ですって?」
「施すという表現を使っただろ? それはすでに、富んだ者の余裕のあらわれさ。だいいち俺にくれた大金だが、一年は働かずに過ごせる額だぞ。限度を知れ限度を」
「…………」
「それに旅費は残っているのか?」
「うるさいですわ――もうないわよ」
 ステラの目尻が涙でにじむ。
「そうか。まあ貧乏と苦労は若い内に体験しとけと言うから、これはいい経験だぞ」
 ステラは一転して吹きだした。
「まったくフォローになっていませんわ」
「――そうか? 俺は真面目だが」
「不思議な方ね。それであなた、私についてきて、どうするおつもり?」
「おれはおまえに二七ジールで雇われたんだ」
「雇われた?」
「お金の価値も正確に把握できない娘が、どうして単独で危険な旅に出てきたかは知らない。だが役所に知られたくないほど、秘密にしたい目的がある。違うか?」
「……すごい観察力ですわ」
「そして頼りになる用心棒を雇うわけだ」
「あなた、傭兵さん?」
 青年は鞘の上部を示した。烏が乗った交差槍。すこし青く錆びている。
「見たことはないだろうが、大陸傭兵協会に所属している印だ。エセではない」
「ハーシュヒル王国では、もう三〇年ほど戦争はありませんわ」
「いつも戦場ばかり渡っていられるものか。命がいくつあっても足らん」
「それで護衛をしますのね」
「そういうことだ。最近は詐欺同然のただ働きを喰らって日照りだったがな。とにかく俺もおまえも納得できる理由ができたわけだ」
「あなた、どうして出会ったばかりの私に、これほど構ってくれますの?」
 青年は一瞬考えたが、
「わからん。こういう性分だ」
「あなた、かなりお人好しですわ」
「おまえこそ」
「おまえでなく、ステラでよろしくてよ」
「そうかいステラ。なら俺も名乗ろう。俺はフェ――いや、ウィルだ」
「ウィル……」
 ステラはひまわりのように笑った。
「希望を含んだ、いい名前ですわ」
 ウィルはなにか後ろめたいところでもあるのか、ステラの笑顔に背をむけた。
「さて。今日はこの町で安宿を探そう」
「どうしてです?」
「……腹がな、注文をつけやがる」
 ウィルの胃が盛大に鳴った。
     *        *
 金貨では高価すぎて普通の買い物には使えない。銀貨や青銅貨を得るべく、ウィルは、鳴る腹をなだめつつ武具屋で鎧を買い求めた。
 ウィルは、ステラの品の良い服と並んでも遜色ない、派手めだが実用的な革鎧を選んだ。一ジール二枚払って返ってきたのがずっしりと重い小袋だったので、ステラは驚いた。
「わあ――銀や緑のコインがいっぱい」
 ウィルが広げた小袋をのぞき込んで、ステラは少々興奮している。
「金貨しか見てこなかったのか?」
「家政主任を兼ねる神父さまが、いつもお父様の代理として、牛や羊で払ってました」
「なんだって?」
「私の家は大きな牧場ですの」
「さては五〇年戦争後の新興富豪か。どこの大牧場のお嬢さんだ?」
「トラ――」
 と、ステラは慌てて自分の口に手を当てた。
「秘密です」
「おいおい、秘密とはなんだよ」
「ウィルは私が拾った身ですわ」
「拾った? おいおい、それはないだろう」
 ステラは鈴のような声で笑う。
「ですから、秘密です」
 ウィルは右手を額に当てた。
「……こいつの性格が、よく分からん」
 だが一つだけ理解できた。嫌な目にあったばかりなのに、もう立ち直っている。
 得な性格だ。
     *        *
 それから近くの大衆食堂で食事をした。
 調理場からの煙が充満し、煤が天井に張り付いている食堂に入って、最初ステラは尻込みしていた。だがウィルが勝手に頼んだスープをこわごわと口に運んだとたん、
「美味しい! まったく世界は広いですわ」
 一口で虜になり、夢中で飲んだ。
 最近いい食事にありついてなかったウィルは、ステラの五倍は食べた。それでも食べ終わったのは同時だった。
 ウィルは偉そうに言った。
「こういう場所ほど安くて美味い。覚えとけよ、お嬢さん」
 ステラは満足した顔で頷いた。
「はい、先生」
「先生?」
「あ……」
 ステラは黙った。ウィルは思い返した。
「ステラは風術弟子だったな。この近くに術士修技館があるのか?」
 ステラは、なかなかウィルの問いに答えなかった。一〇パックほど置いて、
「……ありますわ」
 歯切れ悪い、か細い声だった。
     *        *
 高級ホテル『ヘヴン』の受付嬢は、一ジール近い臨時収入があって機嫌が良かった。
 最高級の贅沢なサウナとはいえ五スール銀貨一枚で済むのに、あの小娘はよほど常識がないのか、釣りを要求しなかったのだ。
 で、受付嬢は自分の懐から五スールを出し、残る九五スールを着服した。
 あまりにほくほく顔だったのでさすがに恋人の守衛にはばれたが、支配人やほかの同僚にさえ知られなければよい。
 もっともサウナから出た娘が、蝶に変身を遂げていたのが少々気に障ったが。
 そんなことを思っているところに、新たな客が来た。茶色の変なだぼだぼの服を着た、髭もじゃのおじさんだった。受付嬢はその不格好な客を内心で煙たがりつつも、愛想五割増しで笑いかけた。
 客はなぜか、深夜に出て戻れるホテルを探していると注文をつけた。受付嬢が当店は一晩中開いていますと答えると、客は頷いてチェックインを決めた。
 最後に受付嬢が客の名前を伺うと、そのおじさんは根拠もなく胸を張って答えた。
「ウィットフォールだ」
     *        *
「遅すぎる……」
 ――ヒドレイトから一五ハークほど離れた位置にある、王立術士修技館。その一室にて、ステラ対策の指揮を執っているフレデリックは悩んでいた。
「……まだ遠話はないのか」
 術士はたいてい遠話の術を使える。地脈や水脈を用いた長距離通信術だ。
「ウィットフォールの阿呆め。もしや、勝手なことをしでかす気か」
 功名心に溢れたやつのことだ。大いにあり得た。
 ステラは普通の脱走術弟子ではない。慎重を期すため、見つけ次第連絡しろと言い含めている。それが日が昇って以降は、定時連絡さえ寄越さない。
 Fの額に皺が寄った。
「導師のエゴなどに構ってられるか。念のためにジョージのほうも動かすべきだな」
 Fは引き出しを開け、マッチを取りだした。それで壁のランプに火を付けた。
 Fは炎を包む形に両手を広げた。
「私は、いつも通りに私の責任を果たせばよい――そうだな、セーラ」
 彼は己の力素を行使した。
 火よ――我が念を飛ばせ!
     *        *
「汚い部屋だわ」
 老人に案内された部屋に入ったとたん、ステラは失礼千万なことを言った。
「なっ」
 すっかり顔がひきつる宿屋の主人。好々爺がみるみる鬼になってゆく。
「すまん爺さん、これで許してくれ」
 あわてたウィルが一スール銀貨を渡した。
 それで外面だけおさまった宿屋の主人は、サウナの時間を説明して出て――扉が、怒りの音をたてて閉じた。
 大きな音にステラは首を縮めていた。
 ウィルはため息をついた。
「おいおい、変なこと言うなよ」
「……失言でした? 素直な感想でしたが」
「素直な感想ね……」
 ウィルは部屋を見回す。ベッドはツギハギが目立つし、土壁はあちこち細かく崩れ、修繕してごまかしてある。窓にガラスはなく、汚れた木板をスライドするボロな仕組みだ。
 なるほど。汚いと言えば汚い。
「一晩三スールの宿屋だからな。こんなものだ。ステラの基準はいささか高すぎる」
「そうですの? 本当に世界は広いですわ。すいません」
「俺に謝られても困る」
「ならあのお爺さまに謝ってきますわ」
 部屋を出ようとしたステラを、ウィルはとうせんぼをして止めた。
「終わったことを蒸し返すな」
 ステラは不思議そうな顔でウィルを見上げた。ステラの背は一五四フィング。一七八フィングのウィルより頭一つ低い。
「言っておくが、人はあたりまえのことをいちいち指摘されると腹が立つ。ステラが知らないから、という問題では済まない」
「聞くのはだめですの、ウィル」
「黙って覚えろ。それにお嬢さん語は使うな」
「なぜですの?」
「変に目立って、トラブルを招く」
「……わかった、もうしゃべらないわ」
「ちゃんと言えるじゃないか」
「ティムや神父さまが教えてくださったの」
「だからそれは無しだって――そういえば気になっていたが、ステラは何歳だ?」
 ステラは食堂のときとおなじく口ごもった。
「……一八歳」
「…………」
 ウィルは黙ってステラを見つめた。ステラはたまらず、ウィルから目を逸らせる。
「なるほど、一八か。そうは見えないな」
「私の見かけは何歳に見える?」
「そうだな……」
 ウィルは考える振りをした。
「一五くらいかな?」
「私、若く見えるのよ、ウィル」
 ステラは必死に誤魔化している。
「俺は一九だ」
 ウィルは、ふいに自分の年を言った。
「年齢の近い若い男女が、一晩を一緒に過ごすことになる。ステラは平気か?」
 ステラの体が硬直した。
「私、美味しくないわ」
 ウィルはさすがに転びそうになった。
「もっと別の言い方があるだろ! どこから仕入れた知識だ」
「殿方は二人きりになると、若い女性をすぐに食べるから気をつけなさいって、神父さまが――どこを食べるの?」
 先ほどからたびたび出てくるが、どういう神父さまだ。
「男は別に人食いじゃねえ」
 ウィルは、ステラのあまりの基本知識のなさに苦笑した。真性の箱入りだ。これは術士修技館の生活もまだたいした期間ではない。
「安心しな。俺はガキには興味ねえ」
 決定的な発言に気づかず、
「食べられずに済むのね」
 ステラは呑気に安心した。確実にガキという言葉の意味を知らない。
 ステラにとって、世界はまだまだ広かった。
     *        *
 夜が来た。
 寒くなったので窓を閉めた。木の板は半ば腐っていた。下手にもたれただけで抜けてしまうだろう。
 就寝前、ステラは着替えをすると言ってウィルを一時部屋から追いだした。さすがに最低限の羞恥心はあるらしい。
 なかなか可愛らしい寝間着に着替え、長い髪を結わえて、ステラはベッドに入った。
 ウィルも寝る用意をする。彼は午後、数日ぶりに風呂に入って綺麗になっている。赤い髪もさらさらだ。
 新品の鎧を脱いで剣を横に置く。そこに真新しい青マントを無造作に敷いた。
 これで男の寝床一式が完成である。
 ステラはすまなそうに、
「ウィル、それでは寒いわ。私だけがベッドを使っていいの?」
「なあに。雇われ護衛が床でいいって言ってるんだから、お嬢さんは大人しくベッドで寝な。じゃあ、明かりを消すぞ」
「うん……」
 ウィルは菜種油のランプに近寄った。
 すう――
 とつぜんの小さな寝息。
 ウィルは驚いて振り返った。
「なんて早業だ」
 ステラはすでに眠っていた。
 ウィルは戦士、狸寝入りは見破れる。
「健気だな。あの事件で疲れていたのか」
 ウィルは知らない。ステラは昨夜から一睡もしていなかったのだ。
 サウナ直後にチェックインして眠るつもりだったが、町を見物したいという好奇心に勝てず軽い散歩に出た。以後は寝るタイミングを完全に逸してしまっていたのである。
 眠ったその顔は――あどけなく、幼い。
「やはり若いな。天使みたいだ」
 自称一八歳。
「……そんな高齢の術弟子はいないぞ」
 ウィルはステラの反応を思い返した。
 出自を隠し年齢を偽り、術士修技館や役所と関わりを持ちたくない。
 前者は自己防衛、後者は少女が脱走者なら説明がつく。
 術士は稀少。よってセントノヴァなど一部国家を除き、権力者の厳重な管理下にある。術弟子の脱走は手配物の事件となる。
「いったいなにが目的なんだか」
 そのとき、少女が小さな寝言を発した。
「……ティム」
 ティム?
 そういえば神父さまと一緒に口にのぼった名だ。身内か友人か、いずれにせよ目的地の近辺にいる可能性が――
 そのときウィルは、はじめて気がついた。
「そういや旅の終点を聞いてねえや」
 北門から出ようとしていたから、おそらく方角は北だろう。北には徒歩で一〇日ほどに王都グランドヒルがあるが、ステラが都を目指しているとは限らなかった。
「間抜けな護衛がいたものだ――ま、いいか。考えなしに頭を突っ込んだのは俺だし」
 ウィルは恥ずかしさをうち消すかのように、急いでランプの火をつまんだ。
 部屋はすぐに暗くなる。
 ウィルはごろんと床に転がった。
 ――今回も異なる名前を使ってしまったな、フェザー・リンドよ。こんな子供にまで偽名で名乗って、なんの意味がある?
 術士の祖ルーツマスター、ユニバース・リンドとおなじ名字を持つ青年は、やがてまどろみの中に意識を沈ませていった。

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