VI「ぼくがきみを、守ってあげる」

よろずなホビー
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 夕方。
 術教師Fは、忙しい実務の合間に書き上げた手紙を読み返している。
 内容はたったいま、遠報で送った。遠報とは術士の遠話を利用した、現地代筆式の高速手紙システムだ。手元にあるのは原稿だった。
「……あの子は元気でやっているだろうか」
 フレデリック・Fの目尻には、優しいうす皺が浮き出ていた。サザンクリフ導師に対していたときにはなかった、人間味溢れた表情であった。
「トーマスのおかげでいよいよ会える。妙な身内がらみの事件と重なったが、とにかく楽しみだよ……セーラ」
     *        *
 少年は机にむかっていた。
 白い神官の修行服に身を包んだブラウンヘアの少年は、大理石の共同作業場で、皆に混じって修行をしているのだ。
 とはいえ、インクで書いているのは神に接する巻物の写文ではない。
 彼が望み、求めるもの――歴史だ。
 それは学問という名の修行であった。知恵は神が人に与えた英知である。学問を究める作業は、神に対する奉仕なのだ。
 剣を極めるのが騎士なら、筆を究めるのは神官、神父の仕事た。その体系は自然の理を知る博物学と、神を証明し倫理を決する神学(大学)に分かれていた。
 とはいえ博物学に関しては、教会でおこなう仕事のレベルはそれほど高くない。さらなる高みを望む者は、推薦と審査を受けて博物院学府に入るのだ。
 少年はこの夏念願叶い、晴れて博物修道士になれた。身の入りは半端でなく、最年少で博物院に進む逸材と期待されている。
「今日も精が出るじゃないか、ティム」
 少年――ティモシー・ラッセルヒルに、同年代の友人が話しかけた。おなじく白い長衣を着ている。
 二人はほかの修道士に比べてとても若い。多くは一八~二五歳ほどだった。
「……エリック、終わったのかい」
 エリックはまさかと肩をすくめた。
「降参さ。さすがに五〇年戦争はね」
「しょうがないさ。平和になってからの文章が大半だから、推測や伝聞が多いからね」
「中には注目を浴びたいがための、大はったりまであるぞ」
 エリックは自分の持っていた織布紙の巻物をティムの机の上に広げた。
「見ろよティム。僕はこいつのせいで、一日を無駄にしたんだ」
 ティムはその文をおもむろに棒読みした。
「ジョージは双子だった。一人は五〇年戦争勃発の愚王。もう一人はドラゴンマスター。ジョージ・ザ・ドラゴンマスターは光暦一九五年現在で三〇歳前後と推測されているが、愚王ジョージと双子なので、実際は一〇八歳である……なんだこりゃ」
 ティムはあきれた顔をして、エリックに巻物を返した。
「まさかこれを真に受けて、一日中書架棚をうろついていたのかい?」
「ああ、そのまさかだよ。僕ってほら、こういうの好きだからねえ――」
「頼むからエリック、将来こういう想像に任せた奴だけは書くなよな」
 エリックは指で右頬をこすった。
「自信がない……」
 平和な時の流れだった。
 ティムはエリックが気に入っていた。こういう何気ないやりとりによって、昔の時間が蘇る気がする。
     *        *
 物心ついたときには、旅の中にいた。
 父トーマスは豪放な流れ神父で、おかげで私には友人のできにくい淋しさを感じる暇はなかった。
 ある日、父は遠報を受け取った。
「そろそろ帰ろうか」
 意味の分からない一言で三ヶ月歩き詰め、私とトーマスは巨大な牧場についた。
「ここに、母さんが眠っている」
 牧場近くの丘で、『母』の墓前に立った。
 墓碑には『セーラ』とのみあり、家名や生没年の表記はなかった。トーマスのおかげで精神的に満たされていた私には、なんの感銘も感動もなかった。
 そんな私に苦笑いを送ったあと、トーマスは大きな仕事を与える。
「ここのお嬢さんを守ってやれ」
 まもなく納屋でステラを見つけた。
 好みの女の子が悲しんでいたので、思わず父に言われたことをそのまま伝えた。
「ぼくがきみを、守ってあげる」
     *        *
 やがて本を読むようになった。
 ステラの従者とはいえ、四六時中を共に過ごしているわけではない。彼女は貴族のお嬢さんとしての習い事が色々ある。私は空いた時間、母屋の書斎で本を読んでいた。ステラの許しが出たので読み放題だった。
 最初はステラ向けに収集された子供用の本から入った。二年目には大人用の本をすらすら読むようになっていた。
 その頃から、博物学者になる夢を漠然と抱くようになる。
     *        *
 共通の秘密を持った。
 ステラが、風術の資質を持っていたのだ。
 トライヒル家には、遡れた七代前まで術士は一人もいない。いにしえの風の血は、どういう運命でステラを選んだのだろう。
 とにかくステラは自分だけに告白してくれた。私は秘密を守ることを固く誓った。
 術士の修業は一四歳くらいまでにはじめないと大成できない。要は三年ほど秘密を守ればよかった。
 なにしろステラは、術士になりたくなかったのだから。
     *        *
 初夏だった。
 不覚だ。あまり思い出したくない。
 とにかく馬から落ちた。
 そしてステラに助けられた。
 風術で。
 そのせいで術力の存在がばれ、彼女は国王命令によって術士修技館に送られた。
 ステラの父君がやり場のない怒りに任せて私を責めた。昔から事あるごとに良くしてくれる奥様は庇ってくれたが、牧場での居場所は確実に狭まった。
 ステラのいない牧場に未練はなかった。私は思い切って、自分の夢を父にうち明けた。
 すると、半月後に道が開けた。
 夢は目標になった。
     *        *
 教会に発つ朝に、思わぬことを告白された。
「おまえは俺の本当の息子じゃねえ」
 トーマス神父が、真剣な顔で言った。
「死んだセーラさまの形見。それがおまえだ、ティモシー。故あって俺の親友――いや、本当の父親のことはまだ言えない」
「僕……」
「気遣うな、夢を諦めるな。神父の長子が神父になるべきという慣習は、教会の人材確保手段にすぎん。覚えておけ――おまえはセーラさまのために、誇り高く生きるべきだ」
 見透かされていた。
「――はい、お父さん」
「けっ。この後に及んで、長年おまえを騙していた男を、父と呼んでくれるのか」
 トーマスは珍しく照れていた。
 私は年に二、三度しか行かなかった母の墓にむかった。見知らぬ母のことを、急に知りたいと思った。だけど聞かなかった。
 そしてこの日、『僕』を卒業した――
     *        *
 ――夕食の鐘が鳴った。
 博物棟からわさわさと白い集団が渡り廊下に躍り出る。その中に若い少年も二人混じっていた。目的地は学士食堂だ。
 ティムとエリックは、先輩の博物修道士の後から共同食堂に入った。
 一〇〇席の食堂にはすべての机にすでに食事が用意されていた。先に大学棟のほうから来ていた五〇人ほどの神学士と教授が、神へ祈りを捧げている。静謐な空間だ。灰色の長衣が質素な修行生活を代弁している。
 それを横目に、三〇人の博物修道士たちは祈りを一瞬で済ませ――むさぼるように音をたてて食いはじめた。平均年齢二一歳だ、無理もない。
 静けさが崩れた。しかし神学士たちは慣れているのか、我関せずと言った感じで上品に食事をする。こちらの平均年齢は四〇歳近い。生涯を学問に捧げた強者揃いだ。
「相変わらず辛気くさいねえ、神学士」
 神学士たちに聞こえないていどの声で、むかい席のエリックがティムに言った。なぜ聞こえないのかと言うと、ほかの修道士たちがうるさいからだ。様々な議論を談笑混じりに繰り広げている。
「俺たちお気楽な博物家業とは違うさ」
「だからといって僕に信仰心がないわけではないんだけどね――」
 エリックはかぼちゃスープを一気飲みした。
「ただね、人生には楽しみってものがあるだろ、と言いたいんだよ。もちろん食事は、神が人間に与えてくれた神聖な楽しみさ」
 ティムは悪友の珍説に苦笑した。
「いつからブレスクリック国教会に宗旨替えしたんだい? 禁欲はどうしたんだよ」
「禁欲はしてるじゃないか。食事も教会内だけだし。だからいいだろ?」
 エリックはじゃがいもを丸かじりした。
「それに禁欲と無縁なのはティムじゃないか」
「どうしてだい?」
「かわいい彼女がいるくせに」
 ティムのパンが落ちた。
「……おいおい、エリック」
「毎月ちゃんと手紙が来ているじゃないか。ティムも二ヶ月毎に返事しているし、好きなんだろ? ステラちゃん」
「――いやあ、好きといえば好きだけど」
「そうか、好きなのか」
 と、むかいに座っているエリックがずいと身をのりだし、ティムに顔を近づけた。
「将来結婚するのか」
「!」
 ティムは狼狽した。顔を上気させ、なにも言えなくなる。
 エリックはティムが必死に否定すると期待していたのか、興を削がれたようだ。
「ちえっ、いいよな。俺も年末年始の休みには――見てろよティム」
 勝手に自己完結して、ティムを開放した。
     *        *
 寮に戻ったティムは、手紙を受けて驚いた。術士修技館のステラから一ヶ月置きの手紙が来るのは明日二七日昼以降だ。悪天候で河川が渡河禁止になり、手紙の到着が遅れることはあっても、逆に早く着くことはない。
 手紙の表には『遠報』とあった。
「もしかして……父さんになにかが」
 だがトーマス神父が勤めるトライヒルメーン牧場付属教会は、ここから九ハークしか離れていない。歩きで二コック、早馬だと三〇フックだ。ちなみにトライヒルメーン牧場は一八平方ハークもあり、七〇〇人からの従業員が住み込みで働いている。よって牧場内に教会が必要なのだ。
 とにかく距離が近いので、術士の力を借りる高価な遠報を使うはずがなかった。
 ティムは手紙の裏を見た。
 そこには短く、
『Fより』
「Fさん!」
 Fはティモシー・ラッセルヒルに返還無用の奨学金を出してくれている、匿名の足長おじさんだ。博物修道士でいるには毎年四五ジールという途方もない大金がかかる。
 それにしてもFさんからの手紙ははじめてだ。どういう内容だろうか。
 ティムは緊張しながら、目を通した。
『学問ははかどっているかね? こちらは毎日が静かに過ぎていっている。いつの間にか二〇一年も暮れようとしているな――』
 当たり障りのない文面だ。
 ティムは真剣に読み進めた。最後に手紙はこう締めくくられていた。
『ところで、実はそちらに用があり、今年最後の三一日にも訪れる予定だ。出来ればついでに一度会いたいと思うが、どうだろうか』
 ティムが喜んだのは言うまでもない。
     *        *
 翌一二月二七日昼、ティムは午前の研究を終えると、昼食も早々に事務所にむかった。
「手紙かい?」
 事務のYおばさんはティム宛を探す。
「あったよ。いつものステラお姫さんだよ。かわいいものだねえ」
「ありがとう、Yさん」
 ティムとステラの手紙交際は、話題の少ない教会内では有名だ。ティモシーが一三歳と幼いこともあって、すっかり純愛物語に仕立てられている。
 術士修技館は平素より手紙の送付を月に一度、受領を二月に一度と厳しく制限していた。また手紙の表にはいつも『ステラより』と、名前しかなかった。
 手紙の定期性と、明かされない名字や住所が、皆の想像を膨らませた。
 やれ親が厳しい貴族の令嬢とか、され騎士の女見習いとか、どれ外国の姫君とか、これ旅一座の娘とか。もう好き勝手だ。
 さすがにステラが術弟子だと当てた者は誰もいない。友人のエリックにすら、ティムは知り合いの神父の子だと嘘をついている。
 術士は教会でもいい顔をされない。ここは術士を厭うハーシュヒルなのだ。能力ゆえ王権で保護されているにすぎない。
 とにかく好きな女の子の手紙だ。ティムは午後の研究など完全に忘れてしまった。
 自分の部屋にまっしぐらだ。
「今月こそ見させてもらうぞ!」
 独身寮の廊下でエリックが仁王立ちになって待ちかまえていた。が、ティムは一蹴りで撃退する。
「すまんエリック、足元が狂った」
 まったくすまなそうに言うと、大急ぎで自分の部屋に入った。
 鍵を掛ける金属音が廊下に響く。
 壁に鼻を打ち据えたエリックは、わびしい心境でそれを聞いた。
「……これで三連敗」
     *        *
 教会に入って、四通目の手紙。
 手間のかかった蔓草模様の封筒だ。ピンクの縁取りもある。すべてステラの手書きだ。
 ティムはペーパーナイフを持ち寄り、蝋と糸の封を丁寧に切った。
 いい香りが広がった。
 適度に乾燥したミントの葉が入れてあったのだ。ティムはミントの葉を脇の机に置くと、三つ折りの手紙をゆっくりと広げた。
「…………」
 本文を一気読みした。
『こんにちはティモシー。また一月経ちました。ステラはこの日を深く深く、大東海よりも深く待ち望んでいました。毎日の修行がいくら厳しくても、ステラはティムのことを想わなかった日は一日とてありません』
「……相変わらずだな」
 ステラは文中の一人称を「ステラ」で通す。
 人称表記の精神年齢を意図的に下げることで甘えているのだろう。正直嬉しい。頼りにされている証拠だったからだ。
 手紙はいつも通り、この一月に修技館であった様々な出来事について述べてある。
 ところどころに黒線で文の一部が消されてあるが、これは修技館側の検閲だ。
 それにしても――
 ティムは、あまりに珍しい、検閲線だらけの一文が気になった。
『先日、●●●●●●●がまた●●●●●を●●●●●●。●●については●●●●●。きっと●●●●●●●●。でも知って欲しい。ステラは知ってもらいたいのです。ティム……好きです。大好きですわ』
 最後は心が籠もっている。
 なにが書いてあるんだろう。
 ティムは脇の棚にむかい、茶色の小瓶を持ってきた。ハンカチに小瓶の液体を少量含ませ、気になる文面を幾度も擦った――すると、検閲インクの成分が薄れていった。
 ティムは検閲用のインクを消し、元々のインクを消さない薬品を使ったのだ。ステラには季節の贈り物として、消えないインクを贈ってある。いずれも父が用意したものだ。
 ティムは時折父の底知れなさを感じる。特別な薬を調達できたり、金持ちと知り合いだったり――どういう過去があるのだろう。
 検閲が消えた。文面を読む。
『先日、Fさまがまた新たな修行を指示しました。修行については書けません。きっと消されるでしょう。でも知って欲しい。ステラは知ってもらいたいのです。ティム……好きです。大好きですわ』
 Fは別の手紙で検閲を消したときに出てきたので知っている。副学長で火術士だ。Fさんと偶然おなじ呼び名だが、おそらく別人だろうと判断していた。ハーシュヒルでは、一文字だけの名字は珍しくない。
「それにしても、修技館はなにを極秘にしたいのだろう――何気ない内容なのに」
 ティムは、窓から外を眺めた。
 高き丘の中心に座する王城グランディス。威風堂々とした灰色の城は、三〇年の平和でかつてない豪華な装飾に彩られ、なお長い平和を約束しているかのように見える。
 だが歴史を習っているティムは知ってる。
 術士修技館が動くとき、それは――
「国王陛下は……覇権を望んでいるのか?」
 五〇年戦争が終わって以来、東方諸国間の軍事バランスの鍵は術士が握ってきた。例外はドラゴンマスターくらいだ。
 なにしろ軍事的指導者は実際に戦闘をしないかぎり力量は未知数だ。しかし術士は戦わずして仮想敵国への示威効果を期待できる。
 その術士の教育機関で極秘の変化があるということは、近年の術士バランスを覆す要素が見つかったことになる。
 人材か技術か。どちらかは分からない。
 だがそんなことはどうでもいい。
 ティムにとって気がかりなのは――
「ステラ――」
 ティムは渦中に身を置いている、好きな子の無事を祈ることしかできない。

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