II「これで幸せになれますか?」

よろずなホビー
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 人口四万を誇るハーシュヒル第五の都市ヒドレイトは、沿岸随一の観光都市でもある。よって町の中心部には、四、五階建てのホテルが林立している区画がある。
 その中でも最高級のホテル『ヘヴン』の美人受付嬢は、奇妙な少女に困惑した。まるで教会のプリーストのような服を着た、しかし泥まみれの少女が、ホテルの格式を無視してロビーに踏み込んできたのだ。
 彼女は眉をひそめた。たまに勘違いする奴がいる。ホテルで恵んで貰えると思っているのだ。受付嬢は恋人でもある守衛を呼ぼうと思ったがやめた。相手は小娘だ。他の客の目を気にして、普通の客に接するように泥少女に対した。
 内容はもちろん、丁重なお断りである。
 少女はしかしまるで気にせず、風呂に入りたいと言いだす始末。受付嬢はさすがに腹が立ってきた。だがプロである。表情にはまったく出さず、あくまで遠回しに気づかせようとした。
「お客様、当ホテルではサウナの湯気に高価な薬草エキスを含ませております――はたしてお客様は、いくらお持ちでしょうか」
「これで足りるかしら」
 少女が何気なく取りだした、燦然と輝く一枚の金貨に、受付嬢の目色が変わった。
 一ジール。それは彼女の給料一〇日分の額であった。
     *        *
「ねえ」
 寝ていた赤髪の物乞い青年は、呼びかけられて一瞬で目を醒ました。元々自分に向けられた意識には、寝ていても瞬時に目が覚めるよう訓練してある。
「あなた、寒いのに大丈夫です?」
 ……なんだ?
 眼をこすり、声の主を見上げた。
 見かけは一五、六歳くらいの、可愛い少女だった。大きめの白い服を着ている。
 少女の髪は湿っていた。どこかで湯浴みをしたらしく小綺麗だ。背負っているリュックだけが少々汚れている。
 こっちが寒い思いをしているのに、朝から蒸し風呂かい。世の中不公平だぜ。
 青年が心中でひねているとも知らず、少女は心配そうな顔でたずねた。
「ねえ。もしかしてお金がないの?」
 さすがに頭に来た。琥珀色の瞳に怒りを込め、
「あたりまえのことを聞くんじゃねえ!」
 思わず叫んでいた。
 通りを歩いていた者たちが一斉に振り返る。いつの間にか人通りの多い時間帯になっていたようだ。年暮れの稼ぎ時なので人通りも多い。青年の叫びは、忙しい人々の雑多な思考を一挙に吹き飛ばした。
 だが当の白い少女だけは、反応が鈍い。目を何回かぱちぱちさせる。
「――すいません、知りませんでしたの。まったく世界は広いですわ」
 軽く会釈した。
 青年は予想にない反応に戸惑った。
 なんだこいつは? 物乞いを知らないときた。これはあれだ、深窓のお嬢様という人種だ。あげくが世界は広い? 頭に鳩でも飛んでるのか。
 これは幸運か、はてまたなにかの罠か。駄目元でとりあえず幸運を期待してみよう。
「見ての通り俺は金に困っている」
 目の前の帽子を顎で示す。帽子には五ブル青銅貨一枚のみ。流通価値は最低レベルで、饅頭一個にもならない。
「できれば多少の工面を頼みたい」
 少女は反応せず、不思議そうに帽子を見つめている。分からないらしい。
 本当に世間知らずだ。
 青年は心中で舌打ちした。面倒だ。
「金を入れてくれ。それで俺は幸せになる」
「帽子に入れますのね」
 少女はベルトを兼ねた小さなポーチから革製の財布を取りだした。
 やれやれ。一人でうろついて大丈夫かねえ。まあ、俺の心配する――なんだ?
 しゃがみこんだ少女は、汚い帽子にていねいにコインを何枚も入れた。だがそれらは、すべてが金色に輝いていたのだ。
 ジール金貨だと!
 金貨など滅多に見ない。
 おまけに最高額コインまで御登場だ。
 一ジールが七枚に、一〇ジールが二枚。二七ジール。一〇ブル青銅貨にしたら二万七千枚分に相当する。超大金だ。
 周囲の者がおおっと仰天する。
 青年は思わず帽子を手繰り寄せた。
「これで幸せになれますか?」
 少女が座ったままでたずねた。青年は無言で幾度も頷いた。満足したのか、少女はにこりと微笑んだ。
「よかったですわ」
 少女が天使に見えた。
「よければ、名前を教えてくれ」
「ステラです。それではごきげんよう」
 生ける天使ステラは立ち上がり、また軽くお辞儀をすると、ゆっくりと歩き去った。そんな彼女を、当然、多くの人が見送る。
 そんな中で、一人のガラの悪そうな少年が、少女の後をつけはじめた。
 おいおい……
 青年はゆっくりと立ち上がった。金を懐にしまい込み、埃を落とした帽子を被ると、外していた剣を拾った。
 腹が鳴った。
「催促はよせ。いまはあちらが大変そうだ」
 青年は歩きだした。
 ステラと少年が去った方角に。
     *        *
「まあ、あなたもお金に苦労してますの」
 暗い路地裏で、ステラはすっかり困った顔をしていた。
「ですけど持ち合わせがありませんの」
 一七、八歳に見える少年は首を傾げた。
 珍妙な格好をし、顔面には入れ墨だ。しかしステラに怖がる様子はない。
「なぜだい。さっき物乞いを助けたじゃないか。お金に余裕があるからだろう?」
「いまは本当にありませんの」
 少年の眉が軽く逆立った。
「もしかして物乞いには恵むが、俺みたいなちんぴらには恵めないというのかい」
「ちんぴ?」
「両方とも社会に適応できずにいるだけで、不幸を強要されている存在なのによ」
「……そうなのですの?」
「俺は世のすべてから見放され、不幸なのだ。だから天使が恵んでくれれば幸せになれる。君が天使だ」
 ステラはなぜか頬を赤くして照れた。
「私が天使――わかりました。呼び寄せます」
「……呼び寄せる?」
「すいませんがここは狭くて風がないので、なにかで私を扇いでください」
 少年はにわかに訝しんだ。
「やい貴様、あやしげな趣味か」
 少年の豹変に、ステラは怖じ気づいた。
「――しゅ、趣味ではありませんわ。それが唯一の方法ですの」
「……よくわからんが、逃げるなよ」
 少年は近くに立てかけてあった木板を持ち、ステラを扇ぐ。気色悪そうな顔をしている。
 嫌なら単純に脅迫して奪えばよいのだが、ステラを非力だと甘く見て、興味本位で不可解な要請に従ったのであろう。
 かすかな風を受けつつ、ステラは頭上に両手をかざして口を開いた。
「風よ……」
 手の上に、風の渦。
 やがてつむじ風のような回転が急激に速くなっていった。
 少年は、我を忘れて扇ぐのをやめた。
 だがステラの頭上にあらわれた風の渦はすでに止まらない。
 ――そして、それは現れた。
     *        *
 青年は、路地裏に続く入口を、三人のちんぴらが塞いでいるところに出くわした。
 ちんぴらどもは通行人たちを睨んでいる。人々はその威圧に素直に従い、わざと興味のないふりをすることで、おのれの平和を守っていた。
 青年だけが真っ向から対立する。
「おい!」
 眼をつけられたと判断した少年の一人、一番背の高いのっぽが、物乞いに歩み寄った。
「汚ねえおっちゃんよう、なに見てんだ」
 青年は答えない。帽子を深く被り、横をむく。シカトだ。
 トラブルを避けたいという動きではない。あまりに堂々とした、意図的な挑発。
 のっぽの顔は一気に赤くなった。
「バカにするな!」
 殴りかかる。
 青年は素早く反応した。
 帽子を脱いでのっぽの顔面に叩きつけ、躊躇せずむこうずねを蹴る。
 嫌な音がした。
 のっぽはたまらず崩れた。
 耳に煩わしい悲鳴をあげて、路上を転がる。
「いてえ、いてえ。折れた!」
 ちんけな当たり屋の痛がり様ではない。
「ひでえよ。助けてくれよ。母ちゃん」
 嗚咽混じりで涙も流している。
 のこる二人は赤髪が怖くなり、その場から動けないでいた。仲間の助けにも行けない。
 と、青年が路地に入ろうと近寄ってきたのを見て、一人が急に短剣を構えた。が、もう一人がその手を押さえた。
 押さえた少年は、近寄ってきた青年の剣に気づいたのだ。その鞘には、烏が乗った交差槍の銀板打ち飾り。
 少年たちは、ゆっくりと道を譲った。
 青年が路地に入ると、二人は冷や汗を拭った。一人は不幸なのっぽを助けに走った。
 しかしもう一人は、青年が入った暗い路地を見つめた。
「傭兵……」
     *        *
 突然空中から落ちてきた小さな宝箱を、ステラは当たり前のように受けた。同時につむじ風は散った。
「重いものですから、転移用に簡易結界を設置しておいたんです」
 ちんぴらどもの兄貴分は腰を抜かしていた。
「じゅ……じゅ……」
 口をぱくぱくとさせている。
 ステラは首を傾げた。
「どうしました?」
「じゅ……じゅつ……」
「なんか術の臭いがするぞ。裏道とはいえ、町中で使うのはまずいんじゃねえか」
 いきなり割り込んだ声は後ろからだった。
 ステラはふりむいた。
 さきほど幸福にした物乞いだ。
「まあ、元気になりましたのね」
「ステラと言ったな。まさか助けようというのが、風術士だったとはなあ」
「私、まだマスターではありませんわ」
「風術弟子か。それなら来て正解だったぜ」
「私はこの方を幸福にしてさしあげるところでしたの」
 ステラが目で示した兄貴分は、惚けた顔でうんうんと頷いている。
「けっ、この平和頭が。どう見たらその粗暴な不平屋が不幸に見える。働けってんだ」
 そのときであった。
 ちんぴら少年が跳ねるように動いた。
 ステラの宝箱に手をかける。
「なにをしますの!」
 ちんぴらが引く手に、ステラが抵抗する。
「渡せこの化け物!」
 予期せぬ罵倒に、ステラが硬直した。
 その隙にちんぴらは宝箱を奪うと、一気に路地を駆けだした。
 その後を青年が駆ける。ステラも追おうとしたが、青年が制した。
「はぐれるとあれだから、ここにいろ」
 青年だけが、少年の後を追った。
 だがちんぴら野郎の動きは速い。
 青年は直感した。
 ――こいつ、盗みのプロだな。
 こちらは空き腹の上、地理に詳しくない。
 逃げられる可能性が高いな。
 術を使うか?
 いや――町中ではまずい。あくまで足のみで追うべきだ……
 自然、思考はステラ嬢の扱いに傾く。
 世間知らずの術弟子が、一人で街をうろついているとは……放置したら、三日もせずに人買いにさらわれるだろう。
 やれやれ。
 またやっかいな事に関わりそうだ。だからといってこの性格を直す気など毛頭もないが。リンド家の家訓にもあるしな……という以前に、『遠い親戚』を放ってはおけないしな。
 結局、盗人には逃げられた。
     *        *
 ――術士という存在がいる。
 風、火、水、地の四力素を自在に操る者だ。
 いまから約七〇〇年前の月朧暦五三八年、大陸の中央、セントノヴァ正聖教皇領に最初の術士、ルーツマスターが誕生した。
 名をユニバース・リンド。
 四力素すべてを操った唯一の術士である。
 ユニバースの子孫は、多くが術士になった。彼らは各国に呼ばれ、世界に散っていった。
 大陸全体に術が広がるに従い、逆に血は薄まっていった。いまとなっては、多くの術士は一力素のみしか操れない。
 だが術士の血を遡れば、必ずルーツマスターにたどり着く。術士たちはいわば、全員が遙か遠い親戚のようなものだった。

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