第七章 五日目、急転。

旭和ラノベ
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「……痛てて」
 宮沢憲司がようやく体の自由を回復したところは、急斜面の通路を完全に下りきったところにあるドームであった。
「ここはどこだ……うわっ」
 宮沢憲司は起き上がって、とりあえず歩きだそうとしたが、ぬかるみの泥にいきなり足下を取られそうになって驚いた。
「なんだここは――地下の泉だと?」
 宮沢憲司はドーム全体を観察した。ドームの大半が水没しているが、端のほうに土砂が溜まって盛り上がり、まるで泉のような景観を作っている場所だった。しかし、奇麗な風景とはお世辞にも言えない、泥水の泉であった。指に泥水をつけて嘗めると塩からい。
「海水がわき出しているのか? あ、あれは……」
 宮沢憲司は泥水の間に浮かぶ高栗美佐を発見した。すぐに泉に入り、泳いで彼女の元に急いだ。
 どうやら完全に気を失っているようだ。彼女が着ている完全装備の作業服には、非常時のために色々な仕掛けがあり、水中では簡易浮き袋の役目をする。それが、彼女を溺死から救ったようである。
「……危ないな、だいぶ水を飲んでいる」
 宮沢憲司は即座に高栗美佐を岸まで運んだ。足下がぬかるんでない場所を見つけて、そこに彼女を寝かした。すかさず彼女の体を動かして人工呼吸を開始したが、効果はなかった。どうやら別方式の人工呼吸をしなければいけないようだ。宮沢憲司は高栗美佐の奇麗だが白くなっている唇を見た。そして彼は、ゆっくりと上半身をかがめた。
「……これは役得だな」
     *        *
 パン!
 五発めの大きな音が、早朝の研修施設に響いた。車が一〇台ほど止まれそうな広さの前庭で、探検隊の面々は横一列に並び、全員頬を赤く腫らしている。しかし、探検隊は出発時より二人少ない五人しかいない。宮沢憲司と高栗美佐の姿が見当たらないのだ。
「とりあえず今は非常事態だから、これで済ます。この責任は、事が解決した後に追求する」
 天野が厳しい顔をしながら言った。
 宮沢憲司と高栗美佐が二重遭難し、他に長いロープもなく、急傾斜の通路を下る装備を持ってなかった探検隊は、仮面の一団を見失った後、桃太郎の速攻の判断のもと、急いで来た道を引き返した。第二小隊の残った三人は、二人の上司がそろって遭難したので、とりあえず桃太郎の判断にしたがう形をとった。
 そして彼らは能戸課長の守る出入り口から出てきたので、能戸を散々に驚かせることとなった。桃太郎は複雑な事情を、研修施設に行く車に乗る前に能戸に説明し、彼の取り次ぎで、天野の前に登場した。
 天野はあらかじめ、能戸から電話で事のあらましを受けており、その対策をすでにこうじていた。
「桃太郎君、すぐに事を知らせた君の判断は正しい。おかげで、すでに二人の救出部隊が、君達と入れ違いに大見山に向かっている。そのことは認めよう」
「……すいません」
「謝る必要はない。責任は後で追求すると、さっき言ったはずだ。二人の件はこれでいいとして、君たちには早速、神戸の本部に飛んでもらう。君の話からすれば、重大な事件が発生する恐れがあるのでな。すでに広島に泊まっている鈴鳴教授にも、神戸への任意出頭の依頼を出して、しかも承諾を得ている。刑事事件になるだろうから、警察も立ち会った、災害臨時質問会を開くことになるだろう。これは、高栗局長が決めたことだ」
 天野の言葉に、みんなは驚きの色を隠せなかった。彼らが屋代島から研修施設までやってくるわずか一時間のあいだに、事はそこまで進んでいたのだ。この事件の局の上層部に与えた衝撃の大きさと、高栗局長の行動力の凄まじさに、みんなはただ息を飲むばかりであった。
「……それで、原発の黒裏事務部長のほうはどうなるんですか? 実際に我々は、正体不明の一団と衝突しています。彼は質問会には呼ばれないのですか?」
 その答えをなんとなく分かってはいたが、桃太郎は聞かずにはいられなかった。
「彼は質問会に呼ばれる必然性を持たない。なぜならば、何の証拠もないからだ。鈴鳴教授が、彼をおとしめようとしていたかもしれない。質問会には、あくまで事故の当事者および扶助者のみが出席を強制されるのだ――ただ、この質問会で黒裏氏の犯罪の疑いが濃厚になれば、彼は警察の追求を受けることになるだろう」
「――分かりました」
 桃太郎は、災害臨時質問会とやらに出る意欲を持った。
(自分の行動の正しさを証明してやる……やっかいなことになったな、金取護問題、災害調査の報告、黒裏大空洞疑惑……はあ)
 桃太郎は精神的に少し疲れを感じた。すると彼の脳裏にいきなり、昨日初めて顔を見たばかりの、北条萌の顔が浮かんできた。
(……なぜ彼女が?)
 桃太郎は天野に張られたのとはちがう理由で頬をさらに赤く染めながら、わけもわからずに感情が混乱していた。
     *        *
 神戸の自然災害対策局本部、局長室の奥で、高栗将人はいらだちを隠せずにいた。
(なぜ美佐はあんな危険なことを……まだまだ若いな、冒険なぞに夢を馳せているとは)
 そんなことを思いながら、しかし彼は娘のことを無意味に心配しているだけではなかった。高栗は、昨日会った宮沢憲司のことを思い出した。
「……あの男がついているなら、娘は無事だろう」
「ええ……美佐は無事だわ」
 その高栗局長の独言に、高栗美佐の友人である北条萌が答えた。高栗は自分の秘書を見た。北条萌は、顔色が悪かった。高栗は、自分の娘のことを本気で心配してくれる彼女を、いとおしく感じた。
「ありがとう――」
 そんな高栗の言葉に、北条萌は小さな微笑みを向けた。
     *        *
「この馬鹿野郎! 顔を見られうえに、『ブツ』の一部を奪われただと、どうするんだ!」
 副局長室で金取は、相変らずの砂嵐に向かってわめいていた。
「大丈夫だ。奴らは私が誰だか知らないし、この計画も知らない。ただ『ブツ』から、発電所がらみの事件だとばれるだろう。そこで一計があるのだ、聞いてくれ」
 水川の声が砂嵐の向こうから聞こえる。抑揚のない、無感情の声である。しかしこれは彼の地ではなく、巧妙な演技の成果であるのだ。どうして水川がそのようにするのかは分からない。そして仲間である金取や黒裏は、無表情無感動の彼を、地であると勘違いしていた。
「……いいだろう。ワシの考えよりも良いものなら、受け入れてもよいぞ」
 横柄な態度で金取は応じた。そして水川は、まったく変わらぬ口調で自分の考えた対策を言った。しかしそれは、金取の表情を蒼白にさせるほどのものであった。
「――おまえは悪魔か? ワシに国を捨てさせる気か」
 汗をかきながら、金取は言った。しかし水川の応酬は辛辣を極めた。
「この計画を三人で計画したときから、すでにそれくらいのリスクを負う覚悟があると思っていたが、もしかしておまえは、確実に安全な位置にずっと居座ることが出来ると思っていたのか? お前にとっては、世の中金で、地位はそれを得るためだけのものだろ? 金さえあれば、地位のない隠遁生活でも、いい暮らしは可能だ。変な奴だな」
 無感動なうえに、すさまじいその言い様に金取は自尊心を大きく傷つけられたが、相手にこれ以上主導権を握らせたくないという抑制が働いて、金取は画面の向こうに能面の笑みを送った。
「ほう、言うじゃないか。しかしな水川、そんなことはワシが許さぬぞ。黒裏を捨て石にする件で貴様と同意はしたが、その仕方はワシが決める。原発の処遇もだ。それにそんなことをしなくても、勝手に地震が『ブツ』搬出の目くらましになるはずだ。ワシの仕事が済むまで、いつもどおりにしてろよ。これは命令だ!」
 そして金取は乱暴に回線を切った。
「時間を稼がなくては……時間を……厳戒態勢宣言が出されたら、『ブツ』の密輸が不可能になってしまう」
     *        *
 長浜特別専用港に停泊(というにはあまりにも大き過ぎるが――)している伊予灘沖原子力総合発電所の暗い通信室で、水川は消えた画面を見ながら金取をあざ笑っていた。
「ふんっ、そんなことを言っても、私は自分で勝手に行動させてもらうぜ」
 そしてすぐに無表情に戻ると、通信室から出ていった。
     *        *
 再び局長室である。
 ピピピピ――
 北条萌の机で音がした。彼女はその音に敏感に反応し、災害臨時質問会の資料を整理していた端末の画面に注目した。
 すると、さっきまでそこに表示されていた資料データーとは、まったく別のデーターが表示され始めた。そのあいだ彼女は、すこしも端末にかけた指を動かしてはいない。
 その画面を見ながら、北条萌の表情が会心の笑みを浮かべた。
「どうしたんだ?」
 音に反応して、高栗局長がたずねた。
「い、いえ。なんでもありません」
「そうか」
 やることがあったので、局長はそれ以上は追求しなかった。
 それを見た北条萌は安心して、端末のカーソルを素早く打ちはじめた。
(こんなにすぐにかかるとは……金取!)
     *        *
 昼近く、災害臨時質問会という、滅多におこなわれない珍しい行事に参加すべく、桃コンサルタントの桃太郎部長、部下の内藤、そして予防部二課防人部隊第一分隊第二小隊の季、加藤、神岡の五人は、群青色の高速ヘリコプターに乗って、神戸の自然災害対策局本部ビルの屋上に立った。
 五人はヘリポートから降りると、すぐに小会議室に案内された。
 淡い黄のクリーム色で統一された小会議室で、五人は他の出席者が来るまでくつろいでいた。
 全員、公式用の洋服を着用している。桃コンサルタントの二人は桃色、予防部の三人は青い礼服である。一人、入局一カ月の季だけは、ま新しい特注サイズの服がどうにも似合わず、妙な違和感をかもしだしている。
「あーあ。内藤、鈴鳴局長の過去の証人として、僕の親父も出るらしいよ。まったく、高くつく冒険だな……憲司が遭難するし」
「彼も高栗のお嬢さんも大丈夫、二人ともちゃんと訓練は受けてやすぜ」
「まあな。僕も、彼らに何かがあったとは思っていないよ。絶対に無事に帰ってくるさ。とにかく、鈴鳴教授が荒唐無稽のほら吹きか、黒裏事務部長が本当にテロを企んでいるのか、重大なことが明らかになれば、この冒険は無駄に終わらずに済むんだが。それに、無断で大空洞に入ったことくらいは、チャラにしてもらえるかもしれない」
 桃太郎と内藤の話に、加藤が割り込んできた。
「そうだな、まあ、こちらには姉御の『ビデオ』がありますしね。鈴鳴が奴らを知っていたら、それで万事オッケー!」
「知ちゃん、そんなに簡単にことが片づくとはかぎらないよ」
 神岡は慎重な姿勢である。だが、確かに切り札は神岡の撮った『ビデオ』であった。現物証拠である、水川ら仮面の一団が持ってた五本の銀色の筒は、奪った二本の両方が、遭難した二人と共にあったからである。
「なあ季ちゃん、君はどうなると思う?」
「…………」
 神岡は季に意見を求めたが、季は一目惚れした高栗美佐が遭難したショックでずっと呆然自失状態が継続しており、目の前で手をひらひらさせた神岡は首をふって、
「だめだこりゃ」
 神岡のこの台詞と重なって扉が開き、小会議室に高栗局長と専属秘書の北条萌、鈴鳴教授にその保証人の桃缶詰社長、そして前線二部の、予防部部長の原と、作戦部部長の村田、警察のバッジをつけた西日本広域警察署の警部と刑事三人、法律事務所の弁護士、そして二名の書記が入ってきた。
 桃太郎は北条萌の姿を確認して驚いたが、むしろ納得したようである。金取副局長が局長の座を狙い、高栗局長と不和であることは公然の秘密だった。局長の秘書ならば、陰謀を嫌う剛直誠実な局長の代わりに、独断で彼を守るために行動したことはうなずける。桃太郎は、北条萌がほとんど一人で行動していたことを看破していた。複数で活動していたならば、もっとほかに安全なやりようがあったからである。
(……彼女の言ったことが真実の可能性はこれでますます高くなった。名前は――北条というのか)
 北条萌の胸のネームプレートを見て、桃太郎は、やっと彼女の名前を知った。
 全員があらかじめ指定されている席につくと、上座にいる高栗局長が、質問会開始の宣言をおこなった。
「ただ今から、大見山大空洞無断侵入事件および内部未確認暴力事件についての、災害臨時質問会を開く」
     *        *
 混沌のぼやけた自我が形をつくり出す。言葉を成さぬ無意識の領域が狭まり、頭の中を理性と言葉と人格が埋め、急速に覚醒する――
 高栗美佐は、意識が混沌の淵から帰ってきたことを感じた。
「――うーん」
 高栗美佐はゆっくりと目を開けた。するとそこには、暗闇の中にうっすらと、自分を心配そうにながめている一人の見知った男の顔があった。
「……ここはどこ?」
 意識が戻ったとはいえ、まだ彼女は現実を認識するほどまでには回復していない。
「大見山大空洞だ、小隊長」
 宮沢憲司は高栗美佐を現実に少しずつ慣らすため、遠回しな言い方から始めた。
「そう……」
 しかし彼の心づかいは、すぐに無駄になった。高栗美佐は半分ぼけた状態で、とりあえず上半身を起こしてみた。そして不自然な寒気を覚えて、自分の体を見てみた。
「きゃあー!」
 高栗美佐は一気に完全覚醒した。彼女の体を覆うのは、上下二枚の薄い布のみ――完全な下着だけの半裸状態だったのだ。
 彼女は布団がわりにかけられてた宮沢憲司の上着で体を隠すと、真赤な顔で涙を流しながら、宮沢憲司を激しくののしりはじめた。
 宮沢憲司はそれを予期していたので相手にせず、知らぬ振りで携帯の燃料を燃やす作業をつづけていた。
 高栗美佐がようやく落ち着き始めたころあいを見計らって、宮沢憲司は弁当を彼女に渡した。
「濡れてると体力がなくなって危険だから、悪いが脱がさせてもらった、すまない。とりあえず、これを食べて体力を回復させないとな」
 それくらいのことは高栗美佐も分かっていたから、感情的になってもしょうがないと判断して、黙ったまま彼の手から弁当を受け取った。そして二人で黙々と弁当を食べた。
「……今は何時?」
 弁当も食べてようやく落ち着きを取り戻した高栗美佐が、宮沢憲司に話しかけた。
「一一日午後〇時三五分だ。君は、九時間以上気を失っていたことになる」
「――みんなは帰ったの?」
「ああ、おそらく救助隊が組織されただろう」
「……助けてくれてありがとう」
 思いっきり照れた様子で、高栗美佐がしおらしく素直に礼を言ったので、その仕草に宮沢憲司は思わず顔を赤らめてしまった。
「……ど、どういたしまして」
「ねえ、仮面の一団はどうなったの?」
「分からない。多分逃げ去ったんだろう。それよりも小隊長、これが奴らの『お宝』だ。小隊長の追っていったものとは別のもので、俺が奴らの一人からぶん取ったものさ」
 それは奇妙な筒だった。直径一二センチ、長さ三〇センチほどのずんぐりとした円柱形で、銀一色で塗装されている。重さからすると、中はぎっしりと詰まっているようだ。
 それを高栗美佐は、どこかで見たことがあるような気がした。
「ねえ、これって……もしかして」
「耐放射線保護容器だ。おそらく中身はウランかプルトニウムだろう」
 高栗美佐は思わず身を乗り出した。上着が落ちて上半身の下着があらわになったが、彼女も宮沢憲司も気づかなかった。
「確かに『お宝』だわ、超一級品の……」
「こいつを欲しがる物騒な連中は世界中にいくらでもいるからな。もしかして、あの仮面の奴らが自分で、爆弾を作る気かもしれない」
 この時代、一回で千単位の死者の出る、ミニ核爆弾テロなどというとんでもないことが、地球の一部の不安定な地域で行なわれていた。原子力発電所職員による、核燃料の横流し――一生刑務所から出てこれなくなる大犯罪である。高栗美佐は戦慄した。
「服が乾いたら、こんなところとはおさらばだ。一刻も早く脱出して、誰かに知らせないと……」
     *        *
 災害臨時質問会は、自然災害が起こるという状況で発生する人為的な大きなトラブルを、緊急の際に、超法規的処置のもとで円滑に処理しようとするシステムである。
 この場合は、名目は大見山大空洞無断侵入の事実確認であったが、実際は鈴鳴教授の言うところの、黒裏の『テロ』に関する質問が目立だった。黒裏が原子力発電所に勤めているという事実が、鈴鳴の個人的な発言の結果を、ここまで大げさなものにした。
 しかし鈴鳴はわざと要領を得ない言い方をして、自称『身内』の、容疑の所在をぼかしていた。しかたがなく、神岡が撮ったビデオの点検が先に進められた。
 そしてそこには、決定的なワンシーンが映っていた。宮沢憲司に仮面を割られて素顔をさらした一人の若い男が、神岡を突き飛ばす直前に、カメラに一瞬アップになっているのが確認されたのだ。
「鈴鳴教授、この男を知らないかね?」
 大画面に映る、焦りでゆがんだ水川の顔を見ながら、警察署の刑事の一人が、はたから見てもわざとぼけている鈴鳴に、業を煮やす口調で質問した。
「……知らない」
 その鈴鳴教授の回答が、やっとまともな調子で語られた。それを見た刑事は、鈴鳴をこの男に関してはシロと判断した。
 しかし、鈴鳴はこの男を知っていた。黒裏と共にいる男、水川孝一である。ただ、あまりにも普段の無表情とのギャップが激しくて、彼をそうだと判別できなかったのだ。
 ただ、なぜかはわからないが、今はただシラを切り通すつもりのようであるから、おそらく水川と確認しても、鈴鳴は『知らない』と言っただろう。しかしそのときは、どんなささいな心理状況でも鋭く読む能力を持つ刑事によって、彼は任意取り調べを受ける羽目になったであろう。
     *        *
 一時間ほどで災害臨時質問会は閉会された。もうすぐ伊予灘大地震の緊急会議の時間が迫っていたし、唯一の証言者の鈴鳴が協力的でない以上、これ以上のことはなにも判明しないからである。
 とりあえず無断侵入の件は、実際に大空洞に何かがあったという事実によって、その事件の解明まで一時保留されることとなった。
 ビデオは警察が押収し、その分析と調査はすべて、西日本広域警察が行なうこととなった。
 高栗美佐が神岡に向かって投げた筒の映っているシーンを見て、警察は本気になったようである。
「もしこの筒の中身が物騒な放射性物質なら、君達はこの情報と引き換えに、無罪放免となるかもしれないぞ。保障してもいい」
 質問会が終了した後で刑事の一人が、五人の探検家に言った。そして彼は急いで部屋から出ていった。
 危ない橋を渡ってまで物騒なウランやプルトニウムなどを密輸して、わざわざ原子力発電をする馬鹿はいない。すなわち、この場合は『物騒な放射性物質』イコール『核爆弾の原料!』という単純論法が成り立つ。
 自分達が、もしかしてとんでもない事件と関わっていたかもしれないということと、『無罪放免』という言葉のダブルショックで、喜ぶべきか、怖れるべきか、彼らは感情の行く先を見失って困ってしまった。
     *        *
 小会議室から出ようとした鈴鳴輝久の前に、桃缶詰が立ち塞がった。彼はレトロな艦長服にパイプというスタイルを、この会議の場でも崩さずにいた。それに豊かな顎髯が加わった独特の威厳と、彼自身のきつい視線に、鈴鳴はたじろんだ。
「ど、どうしたんだ、桃」
 鈴鳴は会議で、自分が知ってることを証言しなかったという後ろ暗いところがあったので、その声はずいぶんとよそよそしかった。
「……啓太(黒裏のこと)をかばう気だったなら許すが、自分の地位の保全が目的なら、俺はお前を許さないぞ、輝久」
 それだけを言うと、桃缶詰は横に移動して、旧友に道を譲った。鈴鳴は顔を伏せたまま、早足でその場を去っていった。
     *        *
 まだ刑事が教えてくれた事への反応に困っていた桃太郎は、心の準備もなしに、目の前に北条萌の可愛らしい顔が現れたので、どぎもを抜かれた。
 北条萌は質問会の最中、ずっと桃太郎を意識していた。それは、桃太郎も同じであった。金取護という奇妙な接点で結ばれている二人は、お互いに胸に秘めている言葉があった。
「……あの時はありがとう」
 北条萌は不思議と感情が高ぶるのを感じていた。この新鮮な感覚は何年ぶりだろうか。
「それはこちらこそだ。君が教えてくれなかったら、僕の会社の大事な船を壊した犯人の、見当もつかないところだった」
 言う内容とは関係なく、桃太郎はたちまち顔を火照らした。二人ともお互いを過剰に意識しながらも、話を進めていった。当然、内容は金取のことについてである。二人とも実害を受けた以上、彼をそのままにしておく理由などなかった。
「……金取が動いたわ」
「君の流した『M・K』の文に食らいついたってわけか」
「え、知ってたの?」
「君しかいないだろ、すぐに分かったさ。専属秘書なら、局長を守るという目的もはっきりしてるしね。それで、具体的に彼はどう動いたんだ?」
「この文を読んで」
 北条萌は桃太郎に一枚の紙切れを差し出した。それは、北条萌の文章の形式をまねたものだった。
『M・Kコトカキモトモトキチガナニカタクランデイル。キヲツケロ M・T』
「金取がイニシャルを利用した動きをすることを予測して、金取護と同じイニシャルを持つ、柿本素吉という人のコンピュータに、知り合いに頼んで特殊プログラムを侵入させていたの。それが二時間ほど前に、彼のコンピュータに誰かが侵入したのを私に知らせたのよ。おそらくそいつは、彼の個人データーを改算したんだと思うわ。そしてその直後に、この出処不明の文章が局内のデーターバンクに出現したのよ。いたずらだと思われているみたいで、今はそれほど問題にはなってないけど、必ず金取が大げさに宣伝するわ」
「……これは二重の生け贄作戦じゃないか。このM・Tってイニシャルは、高栗局長のだろ? 自分に対する目を、何かの冤罪を着せた柿本という人に向けさせ、さらにこの文を出したのを局長として、その手段の卑劣さをもって一気に追い落とすつもりだ!」
 北条萌は『卑劣』という言葉に反応して気を落とした。最初にこの手法を使ったのが、自分だったからである。彼女の心情を悟った桃太郎は、慌てて取り繕った。
「だからさ、君のはいいんだよ。相手が卑怯で正攻法が通用しないから、奇計を用いるしかないだろう?」
「ありがとう……」
「いいさ、こちらこそごめん」
 二人はいい雰囲気でなんとなく見つめ合った。漫画だったら、背景に花が咲き乱れていることだろう。
「おほん」
 二人が勝手に世界を作っているので、近くにいた者はなかなか話しかけられなかったが、最年長者の立場で、高栗将人が咳を一発。
 その音で、桃太郎と北条萌は周囲の様子に気がついた。とたんに、二人とも顔に朱を塗りたくったような顔になって動けなくなった。みんなが聞いてる中で、二人は秘密の会話をしていたのだ。
「それで……北条、これはいったいどういう事だ? 桃の若部長も関係あるらしいが、金取副局長の動きとやらについて、最初から説明してはもらえないかな?」
     *        *
 犬山コンサルタントの社長、犬山は不機嫌であった。
(金取め、どういうことだ。俺との仲は対等のはずだぞ、いきなり頭ごなしに命令してくるとは、一体どうしたんだ……)
 まもなく伊予灘大地震の第二回緊急会議が開かれる。犬山はさきほど自然災害対策局の本部に着いたばかりだった。調査結果の最終報告書を携えて、五階の本会議室に向かっていた。
 犬山は金取から授かった計略により、伊予灘大地震事前調査の主導権を桃缶詰から奪った。自然、その分析と報告の義務は彼にのしかかり、犬山は一睡もせずに、広島で作業を行なったのだ。
 そしてその結果は、『地震は起こる』である。しかし犬山は神戸に向かうヘリの中で、予期せぬ金取の電話を受けた。そしてその内容は、犬山を驚愕させた。
 犬山は会議室の前についた。日本列島を両腕が囲む独特のマークを刻んだドアは、今は大きく開け放たれており、まだ出席者が全員揃っていないことを示している。
 犬山は会議室に入った。そして周りを見渡し、自分の名前表示標が置いてある席を見つけると、そこに座った。今度は注意深く周囲を見渡すと、すでに来ている出席者の全員が、深緑の服を着ていることに気がついた。
(まだ前線二部の連中と、局長が来ていないのか……めずらしい)
 そこに金取が来た。金取は犬山に気づいて少し目線を送り、何かを訴えた様子で、そして自分の席に向かった。途中で彼も、原や、村田、高栗局長といった、群青色の服の連中が一人も来ていないことに気がつき、いぶかしんだようである。しかし何かに気を取られているようで、落ち着きがなさそうな感じに戻り、急いで席に着いた。
(金取め……どういうつもりだ。『地震が起きない』ことにしろだと! 冗談じゃない、報告は桃コンサルタントもするし、局も独自にデーター収集と分析を行なっているんだぞ。結果は同じに決まってるじゃないか。そんなことをしたら、俺は信用を失い、今後二度と、仕事がもらえなくなるぞ)
 自分に利益のないこの依頼を、犬山は受ける気などまったくなかった。それには、金取の理不尽な『命令』に対する反目があった。
 数分後、会議開始予定時刻の直前になってやっと、会議室に原、村田、高栗局長、北条萌、桃缶詰、桃太郎といったメンバーが、まとめて入ってきた。
     *        *
 第二回緊急会議は、まず昨夜の大空洞侵入事件と、宮沢憲司、高栗美佐の遭難、そして災害臨時質問会のことが明かされた。
 それを知った者は大半が一応は驚いた。平時であったら、それこそ大問題となったであろうが、大地震というイベントのインパクトにかなうべくもなく、すぐに会議は本題に移った。
 しかし、すべてが発表されてたわけではない。探検隊が遭遇した仮面の一団、神岡のビデオに映っていた謎の男に銀色の筒、そして不可解な鈴鳴教授に黒裏の疑惑――『核物質』に関係することは、意図的に伏せられていた。これは、警察からの依頼であった。
 本題は、まず各部の報告が行なわれた。
 そして次に桃太郎による、大見山大崩壊の原因究明が目的の事後調査と、地震発生時における二次崩落の、危険性を調べる事前調査の報告が、重ねて発表された。
 それはすべて部下に任せた分析であったが、大方は桃太郎の予想した通りであった。大見山南岸崩壊の原因は、大空洞に老朽化の影響で水が溜まり、それが自重によって一気に弱い部分を貫いて、連鎖的に外側を崩落させたものだという。梅雨の水はなくなったものの、剥き出しとなった地盤のすべり易い箇所が、ショックでだいぶ脆くなっており、地震による大規模な二次崩落の危険は十分にある。
 そして次に犬山の報告が行なわれた。犬山は報告する前に金取のほうを見た。金取は期待をよせてほくそ笑んだが、それはすぐに失望の表情にかわった。
 犬山は、大地震が『起きる』と、当初の報告書どおりの内容を述べたからである。報告を述べた後で、犬山はあることに気がついた。
(そうか、これが金取の言っていた『手数』だったのか。俺は、奴の何かの企みに利用されたんだな)
 桃缶詰の、自分の報告書より何倍も、内容の濃い報告を聞き流しながら、犬山は自分の知らない金取の計画に気がついた。
 そしてその思いは、桃缶詰の直後の、局の統括部部長による、付け足しの報告で決定的になった。
 金取派だと周知の徳山が、地震が『起きない』と報告したのだ。その根拠は、情報部のデーターによるものだった。この報告は、明らかに情報部部長がしなければいけないはずであったが、なぜか関係ない徳山が行なった。するとこの報告は、たちまち原や村田の強烈な批判を浴びてしまった。そして徳山の報告は、完全に無視される形となった。
 金取が慌てて徳山を擁護しようとしたが、それも無視された。犬山は、普段と微妙に違う、会議の雰囲気を敏感に感じ取った。
(会議全体が、金取を敵と見なしている)
 そしてわずか一時間あまりで、緊急会議は閉幕した。大見山大空洞は段階的爆破が決定されたが、それは遭難している二人の救出後とされた。そして決定的な言葉が高栗局長によって、宣言として発せられた。
「伊予灘大地震は一三日から一四日の間に発生するものとして、ただいまより危険地域に厳戒態勢と敷くことを、ここに布告する」
     *        *
 その言葉を聞きながら金取護は、頭のネジがどこか飛んだような感覚を覚えた。
「……どいつもこいつも、ワシの邪魔をしおって!」
 自分の知らぬうちに、周囲が自分を追いつめてるように金取は感じた。それはそれで事実であったが、金取護は、自分が自暴自棄の狂気に片足を突っ込みかけていることを、いまだ自覚していなかった。
     *        *
 同時刻、屋代島、大見山大空洞最西端出入り口。相変わらず熱気を充満させている能戸課長は、そこで救助隊から報告を受けながら、二人の救出を今か今かと待っていた。
「もう七時間にもなるぞ、まだ見つからないのか……うわっ、なんだ?」
 能戸は、頭に寒気を感じた。上を見上げると、昼まで晴れていた空がどんよりとした雨雲に覆われ、今にも大雨になりそうである。
 そして時折、気の早い雨粒がぽつりぽつりと降ってきているのであった。
「梅雨前線が戻ってきやがった……大崩壊に大地震に遭難事故に梅雨かよ、嫌だねえ」
「そうですねえ」
 横から能戸の聞き慣れない声が聞こえた。
 能戸がいぶかしげに声のした方向を向くと、そこにはすっかり泥で汚れた、自然災害対策局の重装備作業服を着た若者がいた。
 そしてその隣には、同じような状態の、しかし能戸には見覚えのある女性が立っていた。
「ただいま、能戸課長」
 高栗美佐は微笑んで、ふざけた調子で言った。
「お、お帰り」
 それに対して、能戸は間抜けにも思わず反応してしまった。
 こうして宮沢憲司と高栗美佐は、自力で無事に生還した。
     *        *
 六月一一日の昼さがり、関東平野の北、盆地状の内陸にある、緑に囲まれた日本の首都。大災害などで政治、経済が共倒れにならないようにするため、東京から政治機能を移転しただけの、人口も少ない完全な政治都市である。緑の海に浮かぶ壮麗な、しかし機能性も配慮してある建物群の中に、目立たぬように首相官邸があった。そしてその現在の主が、小さいが奥ゆかしいおもむきの庭に面する縁側で、テレビゲームをしていた。
 泉銀河、六六歳。家庭用ゲーム機の隆盛期に育った世代の内閣総理大臣である。ゲームが主に子供のものという常識は、この時代には消滅している。したがって一国の元首たる彼は、こうして堂々とゲームを楽しんでいた。
「長かった。こいつがタコ魔王だな……」
 彼がプレイしているのは、もう七〇年近くもシリーズが続いている、『RPG最後の幻想』の最新作である。床に敷いた投影機の上に広がる立体映像の画面に、最後の大ボス、タコ魔王が、泉の分身である勇者グループと対峙している。
 ルルルルルルルル……
「ん?」
 音が鳴ると同時に、いきなり立体映像の一部が消え、高栗将人局長の髪がない顔があらわれた。そこは偶然、彼と同じく頭がつるつるな、タコ魔王のいる空間であった。
「総理、いきなり強制回線を使用したことをお許しください。危急を要する事態ですので」
 泉は目許に笑みを浮かべて、コントローラーのボタンを押している。勇者のグループが高栗の顔に攻撃を仕掛けている。
「かまわぬ、今朝遭難者を救出するための、大空洞への緊急立入許可をもらいに同じことをしたばかりだろ。何の用だ? 地震はやはり起きるのか?」
「……はい、ご明察の通りです。それで、厳戒態勢布告の宣言をしていただきたいのです」
「わかっておる、それが私の役目だ。詳しい資料を送ってくれ、いつでも閣議の用意はできておる。二時間以内に宣言を出そう」
 高栗は深く礼をして回線を切った。それは、泉銀河がタコ魔王を倒した瞬間だった。
     *        *
 桃太郎と北条萌は、局の二階にある開発部に来ていた。そこは災害調査会社の技術に負けじと、予防作業を円滑にするための局独自の技術、発明を、日夜研究開発している部署である。
 二人は、正体不明の機械が埋める狭い廊下を進み、ある部屋にたどり着いた。北条萌がドアをノックした。
「入って、開いてるよー」
 ぶっきらぼうな返事に従って、二人は部屋の中に入った。その部屋にはパソコンがずらりと並び、すべての画面が点いている。
 その一台を操作していた男が、二人を出迎えた。その男は、小太りの体に白衣を着ており、眼鏡を掛けていた。髪はぼさぼさである。
「北条さんか。連れ合いさんは初めて見る顔だな、どちらさんだい?」
「棚置君、彼は私と同じく、金取を敵とする者よ。ところで、例の追跡はどう?」
「ばっちり。俺のプログラムは完璧だからな。ついでに柿本君のデーターの改算箇所も特定しておいた。彼の口座が、一億円も増えてる」
 この男は棚置透という。二二歳で、開発部の研究員である。見かけは滅多にいないハードなおたく青年であるが、その実力は見かけ以上に、コンピュータ、機械発明に関しては、群を抜くものがある。
 北条萌は彼に頼んで、柿本のコンピュータに誰かがアクセスしたらそれを感知して、逆探知をするプログラムを仕込ませたのだ。
「ありがとう、おかげで助かるわ」
「なあに。俺も、テラネット仲間の柿本君が理不尽な罪を負うのは、黙って見てはいられないからね。君の言う通りになって、正直行動しててよかったと思っている」
 柿本に金取が飛びつくと予想した北条萌は、知り合いの棚置を説得して、この罠を完成させたのだ。
「それで、犯人は誰だったの?」
「予想どおりと言っちゃなんだが、調査部部長、貝塚だ。さらにこれは本当に偶然だったが、彼のデーターを検索していると、ワープロソフトにこんな文章があった」
 棚置が端末を叩くと、例の怪文書が表示された。
『M・Kコトカキモトモトキチガナニカタクランデイル。キヲツケロ M・T』
     *        *
 副局長室である。金取護は自分の机で、彼にはもったいない高級酒をがぶ飲みしながら、切り札を宣伝すべく行動を開始した。
 彼は経理部に映像式の内部電話を掛けた。画面に銀行の頭取を連想させる顔つきの男があらわれた。経理部部長である。
「どうしたんですか、副局長」
 普段はすべてを統括部の徳山に任せている金取が、いきなり電話をしてきたので、彼は不思議そうな顔をしていた。しかも金取は、明らかに酔っていた。
「午前頃から、奇妙な怪文書が流れているという噂を聞いてね」
「ああ、あの怪文書ですね。数日前に流れたものと類似してますから、また誰かのいたずらだと思いますよ。それにしても不当に個人を中傷するとは、悪質な輩がいたもんです」
「もしかして、本当のことかも知れないぞ。一応、柿本素吉なる者の口座を調べてみろ」
「?? なぜですか?」
「うるさい、言われた通りにしてみろ!」
 経理部部長は一瞬表情が固くなったが、すぐに返事をした。
「分かりました、一応調べてみます」
     *        *
 宮沢憲司と高栗美佐が無事に生還したという朗報と、核物質かもしれない筒発見の迷報が、同時に局に届いたのは、その日の午後三時半である。
 高栗局長は局長室で、岩国の研修施設にいる天野から、とんでもない報告を受けていた。
「――ウーム、『核物質疑惑』のお土産付きか……出迎えを大勢呼ばなくては」
 そして彼はなにより、娘の高栗美佐が無事だったことに、胸をなで下ろしていた。
「無事だったのね……よかった」
 彼の隣では北条萌が、本来の職務を忘れて、画面の天野に繰り返し友人の無事を聞きながら、目に涙を溢れさせていた。
     *        *
 宮沢憲司と高栗美佐は、神戸に向かうヘリの機内で、内閣総理大臣の演説をテレビで見ていた。
「――という訳で、本日六月一一日午後四時をもって、瀬戸内海西部全岸の厳戒態勢を宣言します。なお、伊予灘大地震発生の予定時刻を一三日午前零時から一四日午後一二時までとし、この間を特別警戒時間として、これから発表する地域への立ち入りは全面禁止となります。該当地域の住民の皆さんにはまことに恐縮ですが、一両日中のすみやかな避難をお願いいたします――」
 歴代首相でも一、二を争うハンサムといわれる泉首相であるが、今日の彼は就任以来の大きな事件の演説で、よりハンサムに見えた。だが彼は若い女性にモテるには、いささか高年齢すぎる。
「……いつの間にか、大変なことになっているようだな」
「そうね。だけどこれが加わったら、さらに大変なことになるわね」
 高栗美佐は足もとのアタッシュケースを軽く蹴った。それには、宮沢憲司が水川達から奪った筒が入っている。そしてその中身は、高い確率でウランかプルトニウムである。
「これが物騒なものだったら、また大空洞に戻らないといけない。まだあそこには、筒が一本あるからな」
 高栗美佐の追いかけた筒は、結局見つからなかった。泥で濁った海水の充満するあのドームでは、金属探知機なしでは、とうてい小さな筒を見つけることはかなわないだろう。
 二人を乗せたヘリは、雨が濃くなってきた空を、神戸を目指し全速力で飛び続けている。
 金取護は苛ついていた。経理部は、柿本の銀行口座には別に問題はないと返答してきたのだ。そして再び、最初の『M・Kガナニカタクランデイル。キヲツケロ』の文章が流れていることを知らされた。桃太郎、北条萌、棚置透が寸前で、貝塚の仕掛けた罠を喰い破ったのだ。ここに来て、金取は完全に切れた。
「高栗め、いつの間に……水川も徳山も犬山も貝塚も、どいつもこいつも無能ぞろいで役に立たぬ!」
 金取は貝塚を呼んだ。一〇分ほどして、貝塚が副局長室にやって来た。彼は、なぜ自分が呼ばれたのか、見当もつかなかった。
「お前、失敗したな」
 まず金取が言ったことは、その一言だった。
「え……私はちゃんとやりましたよ」
「だが、実際に柿本の口座の金は消えてるし、またあの文が局内を流れておる。おしまいだ、もうおしまいだ……」
 金取はブツブツと独言を言い始めた。貝塚はそれに嫌な予感を感じたが、自分もこの陰謀に加担した以上、罪は同じで、もはや運命を共にするしかない。
「貝塚、ワシと一緒に来い、行くぞ!」
 貝塚は「どこに?」と聞こうかと思ったが止めた。もはや、自分には逃亡生活しか残されていないと悟ったからである。逃亡者にとってどこにいようが、場所は関係ないのだ。
     *        *
 ヘリが風圧で水しぶきをまき散らしながら自然災害対策局の屋上に着陸したのは、午後六時半であった。
 すでに大雨の状態になった中を、宮沢憲司と高栗美佐は、大急ぎで天井のある場所まで駆けた。
 そこには桃太郎をはじめとする、二人の知っている仲間たちが揃っていた。
「憲司!」
「美佐!」
 それぞれの友人の名を呼びながら、その中から桃太郎と北条萌が走り出てきた。
 高栗美佐は泣きじゃくりながら走ってきた北条萌に抱きつかれた。高栗美佐は、小柄な北条萌の背中を抱いて、黙って立っている。
 それを横目で見ていた宮沢憲司は、いきなり桃太郎に殴られた。本気で殴られたわけではなかったが、思わず宮沢憲司は腰がくだけてしりもちをついた。
「僕とみんなを心配させたバツだ」
 それに対して宮沢憲司は、赤く腫れた頬をさすりながら、笑みを浮かべた。
「ただいま、桃」
「おかえり」
 桃太郎も笑みを返した。
 そして宮沢憲司と高栗美佐の二人は、後からきたみんなに、さらにもみくちゃにされるきつい歓迎を受けた。
 ひととおりの歓迎の後、宮沢憲司はアタッシュケースを、連絡を受けて来ていた警部に渡した。警部は短く敬礼すると、すぐさま走り出した。時間を少しでも短縮させるため、分析は自然災害対策局内で行なう手筈になっている。
 そのままの足で、彼らは大会議室に入った。高栗局長の指示で、すでに地震対策の下準備に忙しい後衛八部を除く、前線二部と局長の、実行部隊のみによる変則緊急会議が開かれた。
 自然災害対策局で同じ日に二回も、緊急会議が開かれたのは初めてのことである。それは、宮沢憲司と高栗美佐が持ってきた筒の正体如何によって、当初どおりの作戦で大見山大空洞を爆破するわけにはいかなくなったからである。
 会議のさなかに、筒を分析に回していた警部が駆け込んできた。彼は、予想どおりの結果を持ってきた。
「あれは純粋のプルトニウムでした! それでは私はこれで。例の原発を抑えなくてはいけませんから」
 そして警部は疾風のような速さで去っていった。現物証拠が見つかった以上、外部捜査をする必要がなくなったからである。すぐさま捜査礼状を持った現地の警察が、伊予灘沖海上総合原発に乗り込むだろう。
 作戦の修正作業は、筒が核物質だという前提で行なわれていた。筒がそうではない場合は、当初の作戦どおりに、ドームに眠る筒ごと、大空洞を爆破するだけの話である。
 しかし事態は決した。
「今から『地震竜作戦』を開始する! 全員準備を急げ!」
 高栗将人局長が、変更した作戦名を大きく叫び、予防作戦の開始を宣言した。これがないと、会議は終了したと見なされない。
 こうして、地震竜作戦は始まった。
     *        *
 雨の伊予灘沖海上総合原子力発電所である。水川は金取から、ポケベルの呼び出しを受けた。
「どうした、金取」
 暗い通信室で画面を見る水川は、声だけが変化がない。金取にはこちらの顔は見えないからである。水川は、にやりとしながら金取を見ている。それは、金取が目に見えて狂気に取り憑かれたような様を呈しているからであろうか。
 金取は、水川に対して、昼間とはまったく逆のことを言った。
「おい、水川、一度しか言わないぞ。すべて貴様が昼間に言った通りにしろ。ワシは国を捨てる! 貴様も『ブツ』を持って、ワシについて来い! 計画の出航場所で待っている」
 それだけ言うと、金取はすぐに通信を切った。逆探知でも恐れているかのような、追いつめられている者と彼は化している。
 水川は金取の命令にすべて応じるつもりであった。
「ふん、お前が言わなくても勝手に私はやるつもりだったが……まあいい、奴がどういう醜態をさらすか、それを見届けるまでは付き合ってやるか」
 その時、水川のいる暗い部屋に、誰かが入ってきた。黒裏である。彼は、そうとう慌てている様子である。それを予想していたのか、水川は全然動じない。
「貴様、俺に内緒で勝手に金取と話をしていたとは、いったいどういうつもりだ……」
 黒裏は、途中で言うのを止めた。水川が冷たく笑っている……それは、彼が初めて見る、本当の水川であった。そして最後の……
「お前は変な奴だから嫌いだ。私は、お前の誇大妄想に付き合うのはもう飽きた。プルトニウム密輸程度で、国の体制に何の復讐とやらが成るのだ、馬鹿らしい」
 水川は黒裏を侮蔑の表情で罵倒しながら、静かに彼に近寄った。そして黒裏と至近距離で向かい合った。
「――死ね」
 いきなり水川は懐から銀色に光るナイフ取り出して、右手を横払いに一閃させた。とっさに危険を感じて反応しようとした黒裏であったが、実際には一歩も動く間もなく、彼は自分の命の火が消える自覚も持たずに意識を消失し、仰向けに倒れた。
 たちまち首の辺りから血が溢れ出し、死体と化した黒裏と周囲の床を染めた。
「さてと、次の仕事に取りかかるか……」
 水川は何事もなかったかのように、通信室から出ていった。
     *        *
 神戸からリニアモータートレインで東京府東京市に戻った鈴鳴は、列車から降りた直後に、改札口で数人の警官に囲まれた。
 体を構えて警戒する鈴鳴に、その警官の囲みの間から、一人の男が近づいてきた。男は鈴鳴に警察手帳を広げて示した。彼は、警視であった。
 警視が出てくるほどの事態になっているのだ。鈴鳴は覚悟を決めた。
「すいませんね、なにせ物騒な件がからんでいますから……任意同行をお願いします、鈴鳴教授」
 鈴鳴は、自分が撒いた種で、事が大きくなりすぎたことに、不安を感じていた。彼は、『ブツ』がプルトニウムであることを知らないし、ほぼ同時刻に黒裏が死んだことも、当然知らなかった。
「――分かりました。私が知っていることはすべて話しましょう」

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