第六章 五日目、大空洞探検。

よろずなホビー
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 六月一〇日の夜も深くなり、時計の針が一一時を過ぎた頃、岩国市のぼろ研修施設からこっそりと忍び出そうとする、二人の人影があった。二人とも、どこかの山にでも登るかのような重装備である。
 裏口の前までなんとか無事に到達して、彼らはようやく落ち着いたようである。
「それにしても先輩、本当にあるのか? 大空洞に宝物なんて……」
「し、声が大きい。そうさ、本当だ。だから、こうしてお前を誘ったんじゃないか」
「だけど、ちょっと信じられない。黒裏という人が鈴鳴教授の弟で、国に復讐するための資金を大見山に隠してるなんて」
「臭い話だが、俺は現に鈴鳴教授を七日に見ているし、こうして鍵ももらった。とりあえず、乗ってみて損はないと思うぞ。この先に桃を待たせてあるんだ、さあ、行くぞ」
 宮沢憲司がドアを開けた。木製の古いドアがきしみ、静かな暗闇にかすかな音を提供した。宮沢憲司と季は緊張しながら、少しずつ外に体を出した。
 どうやら誰もいないようである。宮沢憲司は安心して、開けるときの倍の速度でドアを閉めた。
「よし、後は車まで行くだけだ。由宇町で桃が待っている」
 宮沢憲司が季にそう説明した時である。
「一体どこに行こうというの、お二人さん」
 暗闇から厳しい推何の声が聞こえ、そして高栗美佐があらわれた。彼女の後ろには、子供の秘密計画を見破った母親のような、勝ち誇った様子の加藤と神岡もいる。宮沢は体が金縛りに遭い、季は高栗美佐を見て赤くなった。
「そんな探検でもするかのような完全装備で、どこに行くんだ?」
 にやにやしながら、加藤が言った。
「あそこだろ、大空洞さ」
 神岡が止めを刺す。
 そして真相を悟った宮沢が叫んだ。
「聞いていたなあ!」
「そのとおりよ。私に隠れてこんなおもしろいことをしようだなんて、まだまだ早いわよ、宮沢君」
 高栗美佐が言った。彼女は、鈴鳴が宮沢憲司と桃太郎に秘密の話をしていたのを盗み聞きしていたのだ。
「こうなったら一蓮托生よ。防人部隊第一分隊第二小隊、出発――目的地は屋代島大見山大空洞!」
 高栗美佐が宣言した。
(まさか、桃太郎を観察していたらこんなことになるなんて……)
 高栗美佐は北条萌からの連絡で、その確証はないが、おそらく金取の、何らかの陰謀の実被害を受けた桃太郎に接触しようと、機会を伺っていた。
 しかし桃太郎は、部下の宮沢憲司とずっと二人で行動していたため、なかなか機会が来なかった。そして彼女は、鈴鳴教授が二人を連れてどこかに行ったときに、その行動を不審に思い、ひそかに後をつけ、三人の話を影で聞いてしまったのだ。
「はいはい、一蓮托生だよ」
 宮沢憲司は秘密の冒険がすべて知られており、探検隊がいきなり大所帯になったことを、別に怒るふうでもなく、素直に受けとめた。
 むしろ知られてしまったために、気分がいくぶん楽になったようである。
 宮沢憲司と桃太郎の二人が鈴鳴教授に人のいない所で聞いたことは、次のようなものだった。
 二〇二五年の西関東大地震の後、日本中を大不況が襲った。そのあおりで、世界最大の人工大空洞を擁する大見山のテーマパークは、経営難から多大な負債を抱えた。そして経営元の鈴鳴建設ともども、二〇二七年に倒産してしまったのだ。
 鈴鳴家は莫大な借金を返済すべくいろいろとやりくりしていたが、二〇三五年に過労で父親が死ぬと、とうとう夜逃げ同然で一家は離散した。
 しかし長男であった鈴鳴輝久は、すべての借金を一人で引き受けた。そして年老いた母親を助けながら、T大学教授として第二の人生を送った。当時の法律では、親の借金は両親二人共が死亡した時点で、子の返済義務がなくなるとされていたので、数年後に母親がノイローゼで自殺すると、彼は借金地獄から開放された。
 すると母親を捨てて逃げ出した兄弟の一人、黒裏と姓を変えた鈴鳴啓太が突如彼の前にあらわれ、鈴鳴輝久が借金から逃れるために、故意に母をノイローゼに追い込んだと決めつけて非難した。
 黒裏は母親っ子だった。彼は、自分が逃げ出したことを棚に上げて、本当は自分こそが母を助けるはずだったと主張した。さすがに逃げた事実を気にしていたのか、何回か会っているうちに、その責任を輝久ではなく国にあると言うようになった。不況の時にもっと企業を援助していたら、会社が倒産し、母親が死ぬことはなかったはずだ。多額の税金を納めている者ほど、有事には手厚い保護を受けるべきだった。
 黒裏はかつての栄光の日々を忘れられず、そのような偏狭な価値観を増大させた。彼は自分の事務能力を活かし、原発の事務部長までのし上がる。黒裏に危険なものを感じた鈴鳴は、日本原子力倫理審査委員会に入り、一〇年間彼を監視した。そして黒裏が、国に対して何らかの具体的なテロを企んでいるらしいことを突き止めた。そしてその決定的ともいえる動きを見たという。
 鈴鳴は大見山の鍵を隠し持っており、時々物思いにふけるために足を運んでいた。過日――六月四日、雨の日に大見山に行ったとき、黒裏の個人的な部下である若い研究員が、彼の開けた扉から入ってきて、何かを隠したのを偶然見たのだ。
 黒裏も鍵を持っているらしい。前からたびたび大見山に物を隠していたかもしれない。そして磁気カードショッピングによって紙幣がほとんど使われなくなった時代では、隠したものは貴金属類の可能性が高い。鈴鳴はそれがテロ計画の行動資金であると確信し、それを確かめるべく、三日後の七日に再び大空洞に侵入した。
 しかし彼が見たものは、大量の水――大空洞の中ほどにある、巨大な中央ホールを埋め尽くした膨大な水だった。そして、ホール全体がわずかに振動をしていたのだ。
 鈴鳴は土木工学の知識があったため、その振動の意味する大きな危険を感じて、その場からただちに逃げ出した。
 そして宮沢憲司と桃太郎に遭遇し、最低限の警告をしてそのまま海岸線まで避難した。見知らぬ者に自分の名を知られたくなかったという。
 しかし、宮沢憲司が自然災害対策局の者、桃太郎が旧友の息子であることを知り、すぐにあることを依頼することを思い立ったという。
 それは、立場上あまり動けない鈴鳴の代わりに大空洞を調べて、不肖の弟の陰謀の証拠を持ってきて欲しいというものだった。
 近日中に大見山に正式な調査隊が入ることを、鈴鳴は高栗局長から聞いて知っていた。そうすれば、かならず黒裏の行動資金は発見されるだろう。出来れば警察が動く前に弟を自首させてやりたい――というのが鈴鳴の、一応の主張だった。
「そしてこれが大見山大空洞のマスターキーだ。もちろんこれは複製で、オリジナルは鈴鳴氏が持ってる」
 宮沢憲司が全員に鍵を見せた。
「これは高栗小隊長が持っていてください」
「いいわ。これはあなたと桃部長が依頼された仕事よ、私達は――」
「おまけだな」
 神岡が言い、高栗美佐がうなずいた。加藤もにやにや笑いながらそれに続いた。
「行きましょう、大見山に」
 季が駐車場に先に歩きながら、みんなを急かした。
 こうして、六月一〇日の深夜、岩国市の研修施設から、五名の男女が姿を消した。
     *        *
 岩国市のすぐ南にある由宇町、南北に伸びる湾岸道路沿、とある全国チェーン弁当屋の広い駐車場。そこに桃色のワゴン車が一台停車していた。この弁当屋は、宮沢憲司と桃太郎が例の大崩壊に遭遇した晩に、弁当を買った場所である。車の中には、二人の男がいた。桃太郎は広島の海洋研究所にスタッフを残し、データーの分析を頼んだ。そして内藤に事情を説明して同行してもらい、装備を整えて、宮沢憲司と合流すべく彼を待っていた。
 約束の時間を三〇分ほどオーバーして、桃太郎があくびをした時、内藤が駐車場に入ってきた光を見つけた。
「どうやら来たようですぜ」
「ふあああ、そうか。遅れて来たからな、大空洞で食べる弁当は全額奢ってもらうぞ」
 ところが、光は二台分あった。
 見覚えのあるイルカのような赤いスポーツカー、『止まるわよ』の黄色いメッセージを出しているCR―F。そしてその後ろにぴったりとついている、ごつく白い車体に数本の黄色線を縦に走らせた、頑丈そうなスポーツカーがあった。同じくメッセージを出しており、『停止につき注意』と表示してあった。
「あれは『走万里』、中国製の高級スポーツカーだ。日本では滅多に見られない……いったい誰が運転してるんだ」
 桃太郎は特別車に詳しいわけではないが、車に興味を持つ若者なら、誰でも憧れる車の一台を前にして、一時宮沢憲司のことが頭から離れた。
 しかし停車した白い走万里から出てきた高栗美佐を見て、桃は一気に視点を元に戻し、こちらに向かいながらすまなそうな様子の宮沢憲司を見つけて、そしてうなった。
「知られやがったな~弁当奢れ!」
     *        *
 日が替わり六月一一日がやってきた。星が全天を覆っており、快晴である。梅雨の季節の真っ最中なので、束の間の快晴が五日も継続しているのは、一週間の大雨がそれほど凄まじく、その息抜きがそんなに必要であるということだろうか。
 事実は、梅雨前線が北の朝鮮半島まで移動しているからであるが、予報ではそろそろ前線の急速な南下に転ずるはずである。
 赤い『おてんば娘』を先頭にした三台の車は、屋代島スカイラインの終点にある駐車場に車を止めた。
 全員長袖の作業服で、明かり付きヘルメットを被っている。腰にはハンマーや緊急用無線をぶら下げ、背中には色々な道具や弁当(桃太郎と内藤は宮沢憲司の奢り)を入れた荷物袋を背負っており、完全装備である。
 七人の男女は誰にも見つかることなく、無事に出入り口の一つにたどり着いた。
「封鎖中の入り口は、西の端にある。その周囲も野次馬の警戒をしていると考えると、一番東のここが、もっとも見つかりにくいはずだ」
 宮沢憲司が扉の鍵穴を拭きながら説明して、鈴鳴からもらった鍵を、丁寧に鍵穴に差し込んだ。力を入れてひねる。
 すると、かちゃりという小さな音がした。成功である。しかし電気が止まっており、大扉を動かすモーターが動かないので、扉を開けるのに、さっそく大男二人が役に立った。
 二人とも体格がよく、しかも一九〇センチ近い内藤と二メートル強の季が力を込めて引っ張ったので、さしもの頑固な鋼鉄の扉も、あっという間にとは言わないが、短時間で両側に大きく開かれた。
「ふう、右側の俺のほうが早かったぜ」
 内藤が季を意識して言った。
「いや、私のほうが早いぞ」
 それに呼応して、季が言い返す。内藤がさらに何か言おうとしたのを、桃太郎が割り込んで止めた。
「さあ、行こうか。考えれば、両開きなんだから、本当は片方だけでよかったな」
 二人の大男は意味のない言い合いになりそうなのを悟って、桃太郎の仲裁を受け入れた。
「さてと、こいつの出番だね」
 神岡がヘルメットの横に、小型の黒い筒状の機械を取りつけた。
「ああ、そいつは一課盾部隊の備品だぞ、姉御。いいのかよー」
 それは、全天候型小型ビデオカメラであった。一回の充電で四日間も動きつづけ、そのうえ恐ろしく頑丈で熱に強い。過酷な特殊環境下での録画記録作業を想定した、高性能な予防部専用の備品である。しかし神岡の持ってきた型は開発されたばかりで、二課防人部隊にはないものである。
「加藤、私が持ってきたのよ。冒険には記録が必要でしょ? 前に開発部から試作品をちょっと拝借したんだけど、使う機会がなかなか来なかったのよ」
 高栗美佐はいたずら心を働かせて、自分なりに用意をしていたようである。
「あのデバガメ野郎から奪って来たんです?」
 加藤は事情を知っているようだ。
「……内緒」
 彼の追求を、高栗美佐はあっさりとかわした。加藤も、それ以上は聞かなかった。とにかくこうして、探検隊の準備は整った。
     *        *
 探検隊一行は、長く暗い通路を降り始めた。宮沢憲司と加藤が先頭を行く。それに高栗美佐と神岡、そして桃太郎が続き、季と内藤が最後尾を守る形である。
 施設の地下駐車場へと導く通路は、三〇年近く放置されて汚れのこびりついた内壁が湿気を帯びて、嫌な匂いを充満させていた。
 この地下大空洞は、ドーム工法という方式を採用している。地下の広い空間を長期間維持するべく、上半球体状に空間を掘り、上側の内壁を鉄筋硬化セグメントコンクリートで覆う。
 このようにして作ったいわば地下のドーム球場のようなものを、たくさん地下に建造し、その間を通路トンネルで結んだものが、大見山地下大空洞であった。とくに直径三五〇メートル、高さ一〇〇メートルの中央ドームは単体で世界最大。すべてのドームと通路の総容積も、同類の施設で世界最大規模を誇り、それはこの施設が建設されて半世紀近くたった今でも破られていない。
 地下駐車場は黒いアスファルトの間に飛び散るコンクリート片のかけらで、すっかり埋め尽くされていた。
「なんてこったい、天井が剥がれてやがる」
 その一つに足先を取られてこけそうになった加藤が悪態をついた。
「長年の地下水で脆くなったものが、大崩壊の振動で剥がれ落ちたんだ。段階的な修復をすれば、何年でもこいつは持ちやすぜ。三〇年も放っとかれると、やはりどうしても痛んでしまうんだな。こいつは、意外と中は崩れているかもしれないですぜ」
 建築に詳しい内藤が説明した。
「それは気をつけないといけないわね」
 高栗美佐がうなずいた。そして、みんなはそれまで以上に注意して進み出した。
 桃太郎は鈴鳴からもらった耐水紙の古い地図を広げてみた。全ての地下駐車場ドームは、平行に続く通路で連結している。そして地下駐車場ドームは、その通路とは別の、下にくだる通路で、おそらく受付と思われるドームに至り、そこから巨大な中央ドームに続いているようだ。
「とりあえず、中央ドームまで行ってみよう。地図によればそこから、他のドームは放射円状に分布しているようだ」
 桃太郎の意見にみんなは納得した。中央ドームを起点にして、すべてのドームをしらみ潰しに見て回るしかない。
 一行はなだらかに下にくだる通路を歩いた。かつては自動歩道が動いていたと思われる、腐った滑り止めゴムの匂いが充満した通路を、七人の若者は手探りで進んでいった。視界に入るのは、わずかな範囲にすぎない。
「どうやらここは、二八年前に放棄されてから、誰も一度も通っていないようだな」
 神岡がぽつりと言った。
「ほう、姉御は恐くなったんですかい」
 すかさず不平屋の加藤が茶々を入れた。そしてそれは物理の力で回答された。
「お前は相変らずひとこと多いんだよ!」
 神岡が本当に加藤の思惑どおりの心理状況だったのか、単なる観察の独言だったのか、加藤にとって、それはどうでもいい次元の彼方となった。
 思いっきり背中を蹴られた加藤は、叫ぶことも出来ずに転がっていった。どこかにライトをぶつけたのか、パリンという音とともに、加藤の姿は闇に包まれた。
「やりすぎですよ、神――」
 全員が笑いこける中で一人、根が真面目な季は神岡を注意しようとしたが、神岡に睨まれ、暗闇に消えていった加藤の悲惨な様子が頭に浮かんで、慌てて呼び方を訂正した。
「――姉御」
「よろしい」
 季はこの瞬間に、神岡次子の支配下に入った。
(昼間は気が付かなかったが、こいつは本当に気が強いおなごだぜ)
 内藤は、二メートルの大男を視線で参らせた神岡を気に入った。
     *        *
 宮沢憲司や桃太郎の一行が受付ドームにもうすぐ到着という頃、七日に発見されて、封鎖してある大空洞の一番西の出入り口。その前は、封鎖現場を警戒する群青色の作業服で囲まれており、その中に、人一倍はりきっている能戸課長の姿があった。
 大崩壊のうえに大地震の危機が迫っているというので、予防部は人手不足になり、本来は後方指揮が仕事である彼は、臨時で現場指揮を任されたのである。
「ふふふ、野次馬よ、来るならこい。この俺が追い返してやるぞ」
 デスク組だが現場好きの彼は、部下の天野たちが活躍しているのを、心からうらやましがっている。そのため、臨時で原の代理をしている村田部長から、現場に行けとの指令があると、彼は喜び勇んで駆けつけた次第であった。
 その気合いだけ沸騰している能戸の元に、周囲警戒班の一人から、三人の男がテレビカメラを持ってこの場所に近づいているとの無線報告があった。
「ふんっ、早速やって来おったわ。危険だから真近の撮影は空からだけにしろと言っているはずだぞ、どこのテレビ局だ……全員ついて来い、追い払うぞ!」
 能戸の号令と共に、封鎖現場にいた一〇人ほどの直接警戒班は、全員報告のあった場所に向かった。能戸にいつもの冷静さがあれば、半分は現場に残しただろうが、今の彼はすっかり舞い上がっていた。
 静かになった無人の出入り口であるが、その静寂を破る団体が、脇の繁みから登場した。その団体は、全員が何処の服ともわからぬ、まったく特徴のない灰色の服を着ていた。
「……第二、第三の手を使う前にこんなに上手く行くとは……変な奴だな、あいつ」
 その中の一人が、抑揚のない声でそう言った。金取に『ブツ』を取ってこいと言われて、実行部隊を組織した水川である。水川の他の仲間は『兵隊』といい、水川の忠実な部下たちであった。
 なぜ彼にこのような仲間がいるのかは、金取自身も、水川の上司の黒裏も詳しくは知らない。ただ、裏の仕事はいつも、水川と、この物騒な『兵隊』に任せていた。
 水川は耳に付けた超小型無線のスイッチを入れた。
「オーナーだ。ハートのエースで片がついた。二番席と三番席は、次の勝負が終わるまで、ポーカーで遊んでいろ」
 そして水川は白い仮面を被った。『兵隊』達も灰色の仮面を被る。そして正体不明の怪しい五人の団体は、立入禁止の警告ロープをまたいで、開けっぱなしの扉から闇に消えていった。
     *        *
「ひでえな、姉御は。ちょっと暗い場を和ませようとしただけじゃないか」
 下り坂の行き着いた先で、顎髭がすっかり汚れてしまった加藤は、機嫌を悪くして座っていた。
「お前のは単なる冷やかしだろ。まあ、加藤ちゃんが転がったことで場は和んだけどな」
 神岡のきつい応酬を受けて、加藤はあきらめたようである。そして心配そうに近寄ってきた季に向かって、小さな声で注意した。
「季、こいつは口喧嘩が滅法強いからな。こうなったら、すぐに自分から引くのが得策だぞ」
「何か言ったか?」
 神岡が疑惑の目を向ける。
「とんでもない」
 加藤は神妙にとぼけた。季はそれを見て笑い出しかけたが、加藤に足を踏まれ、顔をしかめながら思いとどまった。
 そこに高栗美佐が到着した。加藤のヘルメットの明かりが壊れているのを見て、自分のヘルメットを脱いだ。
「加藤君、先頭を行く者が明かりなしではいけないわ。私のを貸してあげる」
 高栗美佐は自分のヘルメットを加藤に渡し、自分は加藤のヘルメットをかぶった。
「これはどうもすいません、小隊長」
「さてと、先に行こうか」
 場がおさまったと判断した桃太郎が促し、再び一行は探検を再開した。受付ドームをすぎ、他のドームに伸びる通路をすべて無視して、まっすぐ中央ドームを目指した。
 一五分ほどして、彼らは薄暗く広い空間に出た。閉じられた広い地下空間特有の、体の底に響いてくるようなにぶい振動の、空気の張りがはっきりと感じられる。
「中央ドーム……換気孔は生きてる」
 桃太郎はかすかな空気の流れを意識した。
 そしてその空間を観察しようと最初に見上げた宮沢憲司が、信じられない光景を見て思わず叫んだ。
「地下の都市だ!」
 全員が一斉に闇を見る。明かりが空間に集中し、複数の建物の影を写し出した。確かに都市である。地下に地上と同じ建物群が、そこには存在していた。
「全部ホテルだ。寝るときぐらいは地上と同じ雰囲気を楽しんでもらうために、わざわざ建てたのさ。ここは高さが一〇〇メートルはあるからな。内壁が空の色で塗装されてるだろ? 地上を再現してるのさ」
 探検隊一行の中でもっとも年長で、事情に詳しい内藤が説明した。なるほど、その通りである。内壁は下の部分に森林と海が、上の部分には空が描かれてある。ただし、ずいぶんと痛んだり、はがれ落ちたりしていた。
「どうやら鈴鳴教授の言ったことは本当だったようね。最近までここは、水浸しだったようよ」
 歩きだしながら、高栗美佐が言った。
 足下は、土と泥とが混じり合って数センチほどぬかるんでいる。そして泥が、ドームの内壁や建物の壁に付着していた。高さは二メートルくらいまでだろうか、そこまで水がきていたのだ。
 そして偶然に、加藤は地面に走る巨大な亀裂を見つけた。人がすっぽりとおさまりそうな幅の、しかし底の見えない深い亀裂が、ドームの中央を東西方向に走っていた。
「大崩壊は大雨で溜まった水が、重さで一気に抜けたせいってか? 嫌だねえ」
 仲間がその亀裂をそれぞれの思いで凝視するなか、加藤はそう言いながら亀裂を飛び越した。
 一行は相談し、東側からしらみ潰しに探索することにした。この中央ドームを中心に、大きく東西方向にせりだした楕円状に、各種ドーム施設が配置されている。
 また、探検隊は手分けをせずに、ひと塊で行動することにした。地図が完全に正確である保障はなかったし、どんな不測の事態が起こるか分からないからである。
 上にあがる通路を通り、最初に行き着いたドームは、複数の連絡通路が交差する、単なる中継ドームであった。それでも、小学校にある体育館ほどの広さがある。
 東方向の通路は、下に向かうものが二本あった。一行はそのうちの一本を進んだ。
 そしてその先にたどり着いたドームは、別の中継ドームであった。南北方向に、平らな通路が伸びている。
「北と南にドームがある」
 季が字のうすれた案内板を見つけた。
「なんだよ、いきなりちがうぞ」
 地図を見て桃太郎が怒った。鈴鳴の記憶を頼りにした、手書きの地図である。
「桃、来た道筋をたどればちゃんと戻れるさ。ところで季、なんて書いてあるんだ」
「北はプールランド、南は人工森林浴場だ、先輩」
 宮沢憲司の問いに季が答えた。
「とりあえず、北のプールランドに行ってみようぜ」
 案内板を撮っていた神岡が適当に言い、みんなはなんとなくそうすることにした。
 しかし、通路は途中で落盤していた。
「おいおい、たかが半世紀で見事に崩れるとは、どういう手抜き工事をしやがったんだ」
 内藤が文句を垂れた。一行は元の場所に戻り、南の通路を行くことにした。
     *        *
 行きついた先の人工森林浴場は、立ち枯れた木々が散乱している淋しい場所だった。自然石で敷かれた通路の間は、臭いもしない水でぬかるんだ土で覆われていた。最高でも一〇メートルほどの、もはや種類も分からないほどに枯れた木々が視界をさえぎり、ドーム全体を見通すことはできない。
 そのドームの中ほどと思われる辺りまで探検隊一行が進んだとき、季は異様な雰囲気を体に覚えた。そしておもむろに歩みを止め、神経を磨ぎ澄まし、ある一点をじっと見つめ始めた。
「どうしたんだ、何か見つけたのか?」
 その様子を不思議に思った宮沢憲司が、季に合わせて自分も止まり、季にたずねたが、季は返事をしなかった。
 全員が足を止め、何かに怯えるかのように季に注目した。そしてその中で内藤は季と同じような雰囲気に捕われ、季の見ている一点に気を集中させた。
「誰かの気配ですぜ……」
 ぽつりと内藤が言った。そしてそれに季がうなずく。それは武道の心得のある二人にしか分からない、独特の感覚であった。
 その言葉に他の全員が驚いた。今この大見山大空洞にいるのは、我々だけのはずだという先入観があり、それが驚きをより一層大きなものにした。
「そんな馬鹿な、コウモリか何か――」
「フイ・ヒャム(台湾語で『危ない』)、みんな伏せろ!」
 加藤が内藤の台詞を否定しようとしたとたんである。季が大きく叫び、加藤の言葉は途中で掻き消された。
 ひゅんっ
 全員が条件反射的に背をかがめたところに、何かが飛んできた。そしてそれは探検隊の頭上を通過し、後方にある枯れ木の一本に当たって、乾いた音をたてた。
「指弾か……明かりを消せ、狙い撃ちにされるぜ!」
 内藤がそう言い放ち、頭のライトを消した。他の者は事態をよく把握しないまま、とりあえず内藤にしたがった。そして周囲は完全な暗闇に包まれた。
     *        *
「……ライトを消したか」
 次の小石を投げようとしていた水川は、目標を見失ない、手に持っていた小石を胸元のポケットにしまった。
「ボス、どうします?」
 灰色の仮面を被ったままの『兵隊』の一人が、水川に小声で話しかけた。
「考えるまでもない。向こうがじっとしている間に、さっさとずらかるだけだ」
 水川は白い仮面を被り、脇に置いていた銀色の筒を手にとった。『兵隊』たちも、同じ筒を持っていた。
 五人の灰色の服を着たこの団体は、闇の中ではまったくその姿を見ることはできない。さらに彼らは特別な訓練を受けているようであった。仮面の暗視カメラを使いながらとはいえ、光のないドームの中を、足音も立てずに移動しているのだ。
 七人の探検隊はドームの中央に相変らず息を潜めたままである。水川らは半ば安心しながら、忍び足で自分達のやって来た通路に向かっていた。
 しかし彼らの期待は裏切られた。人の気配を敏感に感じ取る能力のある人間が相手方におり、目的の完遂を拒んだのだ。
「そこだ!」
 内藤が叫び、突然ライトを付けた。しかしその直前に、季がすでに走りだしていた。
 予期せぬ閃光の洗礼で機先を制された灰色の団体は、まず群青色の巨人に襲われた。季が足で薙ぎ、手で突くたびに、一人また一人と、濡れた地面に倒れていった。彼らの持っていた筒が、周囲に転がった。
 しかし彼らはただのヤサ男ではない。すぐに起き上がり、この先兵を痛めつけるべく複数で同時に襲いかかろうと試みた。
 そこに桃色服を着た大男――内藤が割り込み、体ごとぶつかってきた。灰色の『兵隊』達は、再び地面に寝転ぶことを強要された。
 さらに応援に専念することに決めた高栗美佐と神岡に見送られた宮沢憲司、桃太郎、加藤が加わり、五対五の乱闘が始まった。
 加藤は一人の『兵隊』と、髭と仮面の引っ張り合いをしている。宮沢憲司と桃太郎は二人でコンビを組み、二対一で戦っている。内藤は二人の『兵隊』を相手に地面を転がりながらの組合いを繰り広げている。
     *        *
 そして、お互いで一番の実力者どうしだと見抜いた水川と季は、乱闘の中心から少し離れた場所で対峙した。
「お前は誰だ?」
 白い仮面を着けた気味の悪い、しかしスキのない男に、とりあえず季はたずねた。
「…………」
 白い仮面の男――水川は答えなかった。
 季は他の言語でたずねてみた。
「Who are you?(英語)」
「ニークイシン?(中国語)」
「リシシャン?(台湾語)」
「…………」
 いずれの言語にも反応せず、いきなり水川は季との距離を詰めた。水川は両手で季の肩をつかんで動きを封じ、季の腹部に膝を蹴り上げようとした。しかし季は強引に水川をつかみ、力任せに引き離した。
 態勢を崩した水川に、季は肘打ちを入れようとした。それが決まる寸前に水川は態勢を取り戻し、するどい足運びで一気に距離を取った。季の肘打ちは空を切った。
 そして二人は距離を保ったまま、じっとお互いを睨み始めた。
 しかしその睨み合いはすぐに中止された。
 水川は視界の端で、運び去ろうとしていた筒の一本を拾った高栗美佐を確認した。
 とたんに目の前の戦いを放棄して、水川は彼女のほうに走り出した。季は水川の意図を察して、慌てて後を追い出したが、水川の足は速く、とても追いつけなかった。
「それを渡せ!」
「きゃあああ――!」
 水川は高栗美佐に襲いかかろうとした。高栗美佐は恐怖で体が言うことを聞かず、ただ筒を抱えて立ったままで叫ぶことしか出来なかった。
 水川の一撃は確実に高栗美佐を襲うはずであった。しかし、次の瞬間に倒れていたのは水川のほうであった。
 近くにいた宮沢憲司が、横から高栗美佐と水川の間に入り、ふいを突かれた水川の顔面に、鉄拳をお見舞いしてやったのだ。
 カウンターぎみの一撃だったため、水川が食らったダメージは大きく、白い仮面が割れて弾け飛んだ。
 宮沢憲司が頭部ライトの光を倒れている水川に当てると、そこにはいつもの能面が苦痛にゆがんだ、ひびの入った眼鏡をした若い男の顔があった。そんな彼に向かって、宮沢憲司はぶしつけに質問をした。
「お前は誰だ、黒裏とやらの仲間か?」
 宮沢憲司はべつに答えがあると期待して言ったわけではなかったが、起き上がりながら水川はあっさりとそれを認める発言をした。
「あんな奴と一緒にしないでもらいたい。私はもっと崇高な使命で動いているのだ」
 ポーカーフェイスが切れた水川は、黒裏に対する侮蔑の感情を顔にあらわにしながら、しかし声だけは感情を抑えていた。
 そして季と宮沢に半包囲されている不利を感じ、また全体的に『兵隊』達の形勢が芳しくないことを見て取ると、引き際と判断して、指令を出した。
「全員退却する。『ブツ』を忘れるなよ」
 そして水川は目も止まらぬ速さで宮沢憲司と季の間を抜けると、少し離れた場所で立っていた高栗美佐に再度迫った。
「そうは行くものですか。次子、パス!」
 今度は心構えができていた彼女は、持っていた銀色の筒をすかさず近くにいた神岡に投げた。
「え、私?」
 しかし神岡はまったくこの行動を予想していなかったため、反応が遅れた。
 神岡は筒に間に合わず、筒は彼女の頭上を通過して暗闇に消えていった。そして筒がどこかのコンクリートに当たったらしい音がした。次に、連続的にそれが転がる音が聞こえた。
「やばい、急なエスカレーターの通路だ。下のドームまで転がり続けるぞ!」
 『兵隊』の一人と筒を取り合っていた内藤がそう言うと、高栗美佐は急いで筒の消えていったほうに走りだした。
「待ってよ、『お宝』が壊れちゃう!」
 神岡がぼうぜんとしてそれを見ているところに、水川が迫って来た。
「どけ!」
「うわっ」
 水川に突き飛ばされた神岡は空中で下を見た。すると不運にも、落下先に敷石の通路があり、彼女はそこに頭から落ちようとしていた。
 それを感じた神岡は、目を思いっきりつむったが、意外にも衝撃は小さかった。
「大丈夫か?」
 内藤が、神岡を受け止めたのだ。神岡は内藤の太い両腕から脱出しながら、照れた様子で礼を言った。
「ありがとよ」
 その礼は非常に短いものであったが、内藤にはそれで十分であった。
     *        *
 宮沢憲司は『兵隊』の一人ともみ合いの末、筒の一つを奪い取ることに成功した。
 残る三本の筒は、どうやら敵方が回収したようである。水川と『兵隊』の一団は、宮沢憲司が獲得した筒と、高栗美佐が追いかけていった筒を無視して、逃走に移っていた。
「奴ら、どうやらすべての筒にこだわっているようではないな」
 桃太郎が暗闇を疾走する一団を追いながら、宮沢憲司に言った。
「……そうだな、それだけ一本一本の筒の中身が高価なんだろう。最低限の量があれば十分だということか」
「きゃああぁぁ~」
 そのとき、後方から高栗美佐の悲鳴が聞こえて、人が転がる音と重なった。
「何だ!」
 全員が追いかけるのを止めた。
「彼女は僕達が助ける、みんなは奴らを追いかけてくれ!」
 一番後方にいた桃太郎がすかさずそう言い放ち、宮沢憲司とともに悲鳴のあった方に向かった。
 一本の筒と一人の女性を飲み込んだエスカレーター通路は、きつい傾斜を感じさせた。エスカレーター本体は撤去されていて、滑らないように下に降りるのは至難の技のようだ。
「この不正確な地図によると、この通路は落差が五〇メートル以上はあるらしい」
「落差五〇メートル! 角度からして、距離はざっと一五〇メートルってとこか。確かあいつのメットライトは壊れてたな、片手でライトを持って降りたら、途中で足を滑らすのは当然だ。二年先輩の上官だろ、こんなことで遭難なんかするなよな」
 桃太郎の説明に文句を言いながら、宮沢憲司はロープの準備をしていた。
「ロープが足りないな……桃、三〇分たっても戻らないときは、俺も遭難したと判断してくれ」
 リュックを背負いながらそう言うと、宮沢憲司はロープの端を丈夫そうな枯れ木に巻き付けて、もう片方の端をつかんで通路の入り口に片足をかけた。
「頑張れよ、憲司」
 桃太郎の送りの言葉に、宮沢憲司は片腕をあげて格好をつけてみせた。
 そして不運は起きた。片腕をあげたひょうしに、宮沢憲司は体のバランスを崩した。そして後ろ向きに頭から倒れたが、そこには彼の背中を受けとめてくれる平らな地面はなかった。
「そんな馬鹿な~」
 頭を下にして片腕をあげたまま仰向けの状態で通路を滑り降りだした宮沢憲司は、呪いの言葉を吐き出しながら、瞬く間に闇に吸い込まれた。たちまち頭部のライトの光だけがわずかに見えるだけとなり、そしてその光も消えた。
 その一部始終を見ていた桃太郎は、一分間ほど、現実と事態の把握に努力を要した。
     *        *
 六月一一日午前三時一五分頃、大見山大空洞にて遭難者発生。遭難者の名前は、
 高栗美佐、一九歳。
 宮沢憲司、二四歳。
 以上の二名である。

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