第四章 三日目、陰謀。

旭和ラノベ
地震竜作戦/序章 第一章 第二章 第三章 第四章 第五章 第六章 第七章 第八章 終章

 神戸の本部で、高栗局長らが粉骨砕身で緊急会議を開いてるとき、岩国市のボロ研修施設のとある客間では、第二小隊の五人の男女が昼飯を食べながら、自己紹介をしていた。
「へえー、君達、美佐ちゃんの裸を見たのか」
 髪を短く切ったショートヘアの女性が、高栗美佐の方を見ながら威勢よく言い放つ。よく見ると、彼女は耳にイヤリングを付けている。そばかすもあり、日焼けした肌だが、とても健康的である。年齢は、二〇代半ばだろうか。
「止めてよ、次子ちゃん。それに、私はちゃんとバスタオルを巻いていたから、別に裸を見られたわけじゃないわ」
「何だ、違うのか。季ちゃんとか言ったな、紛らわしいこと言うんじゃねえ」
 男勝りでショートヘアの神岡次子は、いきなり季遊子の後頭部を殴った。
 ごん!
「うわっ」
 盛大な音がして、カレーライスを食べていた季は前のめりになり、机上の皿に、勢いよく顔を突っ込んだ。
 まさか自分より、四〇センチ以上も背の低い女性に、いきなりはたかれるとは思ってもいなかった大男の季は、まともにカレーを顔に受けて、飛び上がった。
「熱チチチチ〜!」
 そして無慈悲なみんなの笑い声にかまわず、彼は洗面台へと消えて行った。
「神岡の姉御も、新人に罪なことをしますな。あまりいじめると、外人は後が恐いよ」
 豊かで立派な顎髭を生やした男が、季の走り去った方を見ながら言った。立派な髭を持ってるくせに、彼の目も肌も若々しい。彼も二〇代半ばのようだ。
「それは偏見というものだよ、加藤ちゃん。台湾は仏教が盛んで、いい先輩にはちゃんと礼儀で報いる民族性の持ち主さ」
 それに対し、若髭男の加藤知は肩をすくめた。
「姉御、仏教は日本や朝鮮韓国(二〇〇六年平和統一)の宗教だぜ、台湾の宗教は道教じゃねえか。ま、その民族性は正しいでしょうが。だいたい、姉御が『いい先輩』だなんて、俺は聞いたことないぜ」
「知ちゃん、かわいくないね。お姉さんは、お前をそんな風に育てたつもりはないよ」
「親に育ててもらったときには、すでにこうでしたよ」
 勝手に場を盛り上げてくれる二人を見ながら、宮沢憲司はうどんをすすっていた。
(まさか、自分のななめ前にいた二人が、実は仲間だったなんてな。それにしても、なんてパワーのある人たちだろう)
 自分も相当変な意味でパワーのある、弁当博士で車スピード狂いの宮沢憲司は、そう思って高栗美佐を見た。
「何よ、宮沢副小隊長。あなたはさっきからうどんをすすってばかりじゃない。何か言いなさいよ」
(これさえなければそれなりに可愛いが……)
 宮沢はうどんを食べ終えた。空になったうどんの容器を置いて、言いたかったことを言った。
「さっきの話に関することだけど、あれは本当にお互い様ですよ。隊長は間違えて男用のシャワー部屋に入り、代わりに半裸を見られた。俺たちは女性のあられもない半裸を拝んだ代わりに、体中ばんそうこうとあざだらけ。両成敗で、これでいいではないですか」
「うう、またその話〜、私みんなからからかわれてるのよ」
 嫌がるのを分かっていて、宮沢憲司はあえてこう言った。いわゆる、可愛いが勝ち気な女の子をいじめるという、自分こそ生意気な小学生の男の子――と、同じ理屈である。
(これでは自分こそ、まるで子供だな)
 ふと宮沢憲司が自戒しようと思った瞬間、彼に天罰が下った。
「宮沢、お前が言うか! 女性の前ではな、男に人権はないんだよ!」
 ばこ。
 若髭の加藤が宮沢憲司をこずいた。宮沢憲司は前のめりに倒れながら、視界にせまるどんぶりを確認した。
「ゐをゑ?」
 そして、目の前が真暗になった。
「ふう、熱かった」
 季がようやく洗面台から戻ってくると、そこには頭がどんぶりの、怪奇どんぶり男が出現していた。
「う〜う〜」
「おう、遊子ちゃん。ごめんな、熱かっただろ。さあ、この馬鹿はほっといて、こっちに来なさい」
「は、はあ……」
 ショートヘアの神岡の威勢のいい言葉にとまどいながらも、季は思わずそれにしたがい、一人立ってどんぶりと格闘しながらもがいている宮沢を大きく避けて、話の輪に参加した。
 一〇分後。
「う〜う……」
 スポンッ!
「あら、抜けたわ」
 音を聞いて、最初に高栗美佐が宮沢憲司を見て言った。
「……ふう、やっと抜けた」
 宮沢憲司は真赤になった顔の皮膚で空気を感じて、闇からの生還をよろこんだ。しかし、その気分は一瞬で崩れた。
「わはは、なんだあの髪型は。まるで山切りカットだ、富士山だぜ」
 加藤が笑い出した。
「……確かに言われてみれば」
「先輩、おかしいよ」
「罰は続くのよ」
 みんなつられてまた笑い出した。
「うわあ、これではいい男が台無しだ」
 宮沢憲司は必死になって髪型を直し始めた。
「おう、みんな楽しくやってるな」
 そこに天野分隊長が入ってきた。
「あれ、天野ちゃんじゃない。打ち合わせは夕方するって言ってたでしょ、どうしたの?」
 神岡次子のふいの言葉に、天野は赤くなった。
「おいおい、神岡。仕事の時間外だからって、『ちゃん』はないだろ、恥ずかしいじゃないか」
 天野は顔を引き締めた。
「それよりも高栗副分隊長、みんなを招集してくれ、先ほど局から連絡があってな、大変な事態になったんだ」
「みんなって、どうやって集めるの? 今回は部隊の大半が残留組で仕事がないのよ。彼らは全員、大食い競争に出かけているはずよ。今この建物には二〇人しかいないわ。短時間の非番だから、外出組はたぶん携帯緊急電話も持ってないし……不可能だわ」
 高栗美佐の指摘に、天野はあぜんとした。
「ああっ、そうだったー。どうしたらいいんだ〜!」
 宮沢憲司は、隣の加藤に小さな声で話しかけた。
「先ほどの件といい、我らが分隊長は、実はけっこう面白い人だな」
「いい目をしてるな、宮沢。そうさ、まったくそのとおりだ。間抜けのお人好しだからな、彼は」
 顎髭をさすりながら、加藤は言った。ずけずけと、厳しいことを言う人である。
「しかし彼はあの通りのナイスガイで、話と道理の分かる人だ。おまけに独身ときちゃあ、年上好きな若い女性たちが、放っとかないぜ」
 高栗美佐は慌てる天野に別に嫌悪感も抱かずに、冷静に考えた。
「とにかく、『大変な事態』って何なの?」
 そう高栗美佐は言った。
「大地震予測さ、危険度特Aのな。しかも場所はこの辺りらしい。今、緊急会議中だ」
「それなら、会議の決定が出て、具体的な指令が出るまでまだ間があるから、急ぐ必要はないと思うわ」
「……そ、そうだな」
 自然な笑みを浮かべて高栗美佐が言うと、ようやく天野は落ち着いた。
「なるほど、確かに放っといてないな……」
 頬にほのかな桜色を散らしている高栗美佐を見て、宮沢憲司はなんとなく納得した。
(しかし季も、こんな素敵(?)な中年おじさんが恋敵だとは。可哀想に……)
 そのとき急に、季が叫んだ。
「大地震だと、何てことだ!」
 そしてその直後、他の者も現実に戻り、天野の言った内容にようやく驚いた。
     *        *
 午後四時半頃、桃コンサルタント大阪支社の桃太郎の元に、仕事の追加依頼書が送られてきた。
「昼に依頼書がきたばかりなのにな――」
 依頼書に目を通した桃太郎は、すぐに無言になった。その内容がそれほどのものだった。
「部長、どんな仕事が追加しやした?」
 部下の内藤が、体格のいい体を興奮に震わせながら聞いた。新鮮な体育会系のノリを入社以来一〇年も保ち続けている彼にとっては、仕事が増えるのは嬉しきことであり、楽しみであるのだ。普通の人にとっては、うらやましい限りである。
 そんな内藤に負けず劣らずの気迫を持つ桃太郎も、喜びの興奮に体を震わせていた。
「ははは、やったー。大地震だってよ、大地震。そいつがもうすぐ起こるかもしれないから、明日の大崩壊原因究明事後調査にからめて、大見山二次崩壊の危険予測事前調査もしてくれってさ」
 桃太郎は、大きい仕事ほど熱血する。
「それはすごい! 地震なんて、俺は初めてですぜ。この業界に入った者なら、誰でも一回は手がけたい大調査だ」
「よおし、内藤。営業に返信を送るよう伝えてくれ、もちろん受諾のだ。それから、準備する予定装備と動員人数の増加だ。緊急の場合だから、みんなお前に任せる。こういうことは、僕はまだまだ素人だからな」
「がってんでいー!」
 内藤は威勢よく自分の机に戻ると、仕事に取りかかりだした。
 桃太郎は大窓の外に広がる近未来の相変わらず殺伐とした、しかし異様に活気のある大阪の町並を眺めた。
「憲司、僕と君との約束を果たすチャンスがいきなりやってきたぞ。しかし、君はこの仕事に同行して来るのか?」
     *        *
 ほぼ同時刻、神戸の自然災害対策局。自分の部屋で、金取はある人物に電話を掛けていた。
 パソコンのネットを使った、個人の秘密回線である。パソコンのテレビ画面そのものが画像、音声の受信機であり、送信機であった。しかし、金取の元にある画面には、相手の顔ではなく、灰色の砂嵐が表示されているだけである。
「おい、お前のところは、本当に大丈夫だろうな」
 金取は目つきが悪くなっている。相手が故意に映像を遮断している画面を見ながら、きつい口調で金取は再び訊ねた。
「この地震で一日でも出荷が遅れることがあれば、相手方とやらは納得しないだろう。本当に大丈夫なのか?」
「……大丈夫ですよ、ボス。すべて順調です」
 砂嵐の向こうから、しわがれた声が帰ってきた。年齢不詳のつぶれた声である。
「そうか――ところで、『ブツ』の隠し場所は大丈夫だろうな、この計画には大金を投じたんだぞ」
「大丈夫ですよ、大丈夫……」
 相手はそれしか言わない。その態度に、金取は苛ついた様子であった。
「とにかく、奴にちゃんと確かめておけよ、黒裏」
     *        *
 国際経済都市東京市。東京が政治的な首都であったのはすでに四〇年も前のことであったが、首都機能移転後も、相変わらず日本の経済的な首都でありつづけている。これは米国の、ニューヨークとワシントンD・Cとの関係と同じであった。
 皇居に近い湾岸商業浮島の一画に、桃コンサルタント株式会社の本社がある。桃色で塗装された一五階建てのビル。その中階層に、社長室はあった。
 赤い二重円の中に、桃色で桃の字を模した会社章を打ち付けてあるドアの奥に、七〇〇人社員の頂点に立つ男が立っていた。
 桃缶詰、五一歳。桃コンサルタント二代目社長で、建設系コンサルタント業界の重鎮たる一人である。
 顔を深い髭にうずめた彼は、セラミックのパイプを加えていた。パイプは擬装で、煙は出ていない。襟と袖に桃色の三重線が入った、深い青色のブレザーを着込んでいる。まるで近代の、欧米諸国の軍艦に乗っていた、艦長のような服装であった。
 彼は、窓の外に広がる海を見ていた。二〇世紀末に比べ、遙かに奇麗になった東京湾ではあるが、江戸時代以前、五〇〇年前の美しさを取り戻すことは、人類が滅びるか、地球から出ていかない限りは、永遠にないだろう。
 リリリリ――
「社長、衛星映像電話です。自然災害対策局の高栗局長からです」
 壁の上のスピーカーから音がすると、オペレーターが電話の連絡を告げた。
「繋げてくれ、四番画面だ」
 すると、壁の一部が突然スライドし、そこから卓球台ほどもある巨大な液晶モニターが出現し、高栗局長の髪がない、肌色の頭が映し出された。
「おい、将人、眩しくてかなわん! さっさと顔を見せろ」
 パイプを手に持つと、いきなり開口一番、桃缶詰社長はそう怒鳴った。
「何だとう、久しぶりに話す親友に何て言い草だ、この野郎。そういうお前だって、こちらにケツしか見せてないくせに!」
 画面いっぱいに高栗将人の顔が出現し、半分怒った様子で叫んだ。
 桃缶詰はコホンと咳払いをすると、体を机のほうに向けた。カメラがそちらにあったからである。椅子に腰掛けて、ななめ横の高栗の画面を見て、桃社長は言った。
「それで、何の話だい?」
     *        *
 局長室で、自ら桃缶詰社長に大地震の事前調査の依頼をして、快諾を得た高栗は、電話を切ってほっとした。
「ふう、あいつに万が一断られたらどうしようと思ったが、こんな大仕事を断るような奴じゃなかったな」
 高栗は机の引き出しを開けて、いくつかの書類を取り出した。そしてそれにてきぱきとサインと判子をした。
「おい、北条。こいつを調査部を通して桃コンサルタント東京本部に転送してくれ、正式な調査依頼書だ」
 しかし、返事は帰ってこなかった。
「……あいつ、どこに行ったんだ?」
 高栗は、このとき初めて、秘書がいないことに気が付いた。
     *        *
「とにかく、奴にちゃんと確かめておけよ、黒裏」
 そう言い捨てると、機嫌が悪い金取副局長の顔が消えた。
「ふん、金の亡者が……」
 しわがれた声で言いながら、黒裏は暗い部屋を出た。廊下の明かりに照らされて、彼の姿が見えた。身長は普通だが、極端に痩せた五〇がらみの男、それが黒裏であった。
 白髪の混じったオールバックの髪が、シミ一つ無い奇麗な白衣と全然合っていない。
 白い壁の通路を歩きながら、彼はある場所に向かっていた。
「金取め、こちらを利用しているつもりだろうが、利用しているのはこっちだということを、いつか思い知らせてやる」
 黒裏が通路の行き止まりの扉を開けると、そこは外であった。
 静かな波の音が聞こえてくる。黒裏は上を見上げた。そこには、表面が鋼鉄製の、白い数本の巨大な円柱がそびえ立っていた。それらを無数の管が包み、かすかな機械音が聞こえる。そして、円柱の下側に、小さなマークが付いていた。
 赤線で形作られた正三角形の囲みの中に、中心の小さい円。それを囲む形で等間隔に配置された、根元の切れた赤いドーナツ扇が三つ――病院の放射線写真機や、核関連施設、原子力発電施設の象徴である、放射線警告標識であった。
「復讐はもうすぐ成るのだ。地震なんぞに邪魔されてたまるか」
 伊予灘沖海上原子力総合発電所。それが、黒裏のいる場所の名前である。
 これは、軽水炉五基、高速増殖炉三基、研究用転換炉二基の、一〇基の原子炉に、廃水処理場、変電所などの原子力発電関連施設が一カ所に、しかも海上の巨大な人工浮遊島に集められた、とんでもない施設であった。
 黒裏は原子炉操作室の一つに入ると、ある男を呼び出した。
「これは事務部長、いったいどうした」
 呼び出された若い男は、眼鏡の他には、これといった特徴のない、普通の若者だった。
「例の件に関する話だ、来い」
 そう言うと、黒裏は建物の影の、誰もいない場所に若い男をつれていった。
「水川、金取がうるさくてな、例の計画の進行具合を知らせないと安心しないらしい」
「そうか」
 水川と呼ばれた若い男は無表情で、声にも抑揚がない。
「水川、『ブツ』の隠し倉庫だが、今どれくらい溜まっている?」
「…………」
「『ブツ』は倉庫にどれくらい溜まっているかと聞いているんだ!」
「無い」
「なにい!」
 黒裏は驚いた。
「……すでに予定量は全部揃った。倉庫にはもう置いてない」
 水川は、無表情で言った。
「――すると、もう倉庫から運び出しているということだな?」
「そうだ。『外』に運ぶまでに、少しでも安全な見つかりにくい場所に置いてあるほうがいい。だから移動させた。あれは軽いから、一人で十分運べた」
「軽いって、全部で七〇キロはあるはずだぞ。まあいい、とにかく、私を驚かせるな!」
「何を言っている。そもそも『ブツ』がもう倉庫にないのに、そこにどのくらい溜まっているか聞くなんて、変な奴だな、お前」
「貴様の方こそが変だ、そんなこと俺は知らなかったぞ。また勝手に一人で事を起こしやがって、なぜ俺に言わない! 今度こんなことをやったら、ただじゃ済まさないぞ」
 黒裏は完全に怒っている。容赦なく水川を責めるが、水川は無表情のままである。
「……それで、『ブツ』はどこに隠してあるんだ?」
「大見山大空洞」
 その瞬間、黒裏は体が硬直した。
「なんだって?」
「大見山の人工大空洞だ、知らないのか?」
「そんなことは分かっている! あそこは、あの事故が起きた場所だぞ、七日の大崩壊だ!」
「七日の大崩壊? 知らないな。『ブツ』を隠したのは四日だ」
 この言葉に、黒裏は完全に逆上した。
「貴様はニュースや新聞は見ないのか!」
「そんな物に興味はない」
「どうやって隠したんだ? 入口はすべて閉じているはずだぞ!」
「一つ開いていた」
「うう……だいたい、どうして五日間も俺に話さなかった!」
「聞かなかったじゃないか、変な奴だな」
「貴様が変だ、今日という今日は許さん!」
 黒裏は水川に殴りかかった。しかし、五〇歳近い彼の拳は、若い水川には簡単に避けられた。しかし彼の動きは、どこか慣れているものがあった。何か武術の心得があるようだ。水川は黒裏のがむしゃらな攻撃をすべて避けながら言った。
「事務部長、ここで仲間割れをしてもしょうがない。この計画の仲間は、ここでは私達の二人だけだ」
 数分後、結局一発も当たらずに、黒裏は疲れて息を乱しながら、水川を睨んだ。
「ふん、まあいい。とにかく、金取にこのことを言ってやるか。奴め、どう慌てふためくか、見ものだな……おい、水川、貴様も来い。通信室に着くまでに、この三日間に起こったことを教えてやる」
     *        *
 午後五時一〇分頃。
 桃コンサルタント大阪支社ビルの出入り口から、桃太郎が出てきた。
「驚いたな、いきなり親父から電話が掛かってくるなんて。しかし、場所が違うとはいえ、親子で同じ仕事を別々に指揮するのは初めてだな」
 桃太郎は社宅に向かって歩き始めた。周囲の社員たちが礼をする。
(おそらく彼だわ……)
 その様子を見た一人の女性が、桃太郎のほうに急ぎ足で近づいた。
 前方から明らかに自分めがけて歩いてくる女性を見て、桃は不審に思った。
 その女性は、不審に思われても仕方がない格好をしていた。暑いのに女性用ロングコートに身を包み、黒いサングラスを掛けた姿は、物語などによく登場する、『ありがちな怪しい奴』そのままである。
 その女性は、桃太郎の目前五メートルほどで立ち止まった。
 桃太郎はこういう時に、相手を無視することが出来ない性格だったので、女性と二メートルほどの距離を置いて止まった。
「桃太郎災害調査部門部長ですね」
 完全に怪しい女性は、若く、鈴が鳴るかの様な軽やかな声を発した。
「そうだが、君は誰かね」
 その声に惑わされずに、桃太郎は用心した。
「M・K……金取護に気をつけて、彼は何かやろうと企んでるわ」
 そう言うと、女性は走りだし、桃太郎の脇をすり抜けて、そのまま走り去った。
「……いい匂いがしたな。背も意外と低かった。でも、やっぱり怪しいな……M・K、今朝の怪文書は、彼女だったのか」
 桃太郎の横を走り抜けた女性は、身長一四九センチの彼とそれほど身長の差がなかった。建物の影でロングコートを脱ぎ、サングラスを外して変装を解いた北条萌は、機能的な群青色の秘書服に戻った。
「はあはあ。いやー、暑かった。すっかり汗だくだわ。汗疹が出来ちゃう前に、早くシャワーを浴びないと……」
 北条萌は、桃太郎の顔を思い出して頬をほんのりと赤く染め、少しだけにんまりとした。
「……奇麗な人だった。可愛い」
 男なのに『可愛い(ハート付き)』と評される、桃太郎は可哀想である。
     *        *
 その頃、金取は姫路の家に帰る車中で電話で話をしていた。運転は車のコンピュータに任せてあり、本人はただ後部座席の真ん中にでんと座っているだけである。
 この映像電話は、自動運転の際にフロントガラスに映像を反射投影して話すタイプで、画面には調査部部長の貝塚が映っていた。
「そうか、昼間の会議で最初に話していたあの男だな」
 無料となる普通高速道路を時速一〇〇キロで自動走行する高級車の中で、金取の陰謀が進められていた。
「はい。副局長以外でイニシャルが怪文書の『M・K』になるのは、局内には情報部の彼しかいません」
「それで、そいつにはどんな特技がある?」
「柿本素吉は監視網の監視技師なので、コンピュータ、とくにテラネット(インターネットの未来版)を介した、情報取り扱いのプロフェッショナルです」
「よし、調査部からいつものように経理部のコンピュータに侵入して、予算の一部をかすめ取れ。一億ほどで十分だ。ただし、テラネットを中継して、しかもわざと足を残すんだ。そして、金を柿本素吉の口座に振り込め。その時は、柿本のコンピュータから操作したように見せかけろ」
「はい。そうした後は、こちらからあの怪文書を局中にばらまいて、柿本に罪をなすりつけると……」
「そうだ、察しがいいな。さらに怪文書を高栗が出したことにすれば、個人の罪の暴きかたの卑劣さを口実に、奴を一気に追い落とすことが出来るだろう。ククク、高栗め。奴は、自分の仕掛けた罠で、自分自身を破滅に追い込むことになるのだ」
「……そうすれば、金取副局長は局長。そして私は……」
 貝塚は思わず期待に胸を膨らませた。
「もちろん、その功で副局長にしてやる。しかし、成功したらだぞ。くれぐれもへまをやらかして、ワシに迷惑をかけるなよ」
「はい、最大限の努力をします」
 ひきしまった顔になった貝塚の顔が消えて、普通高速道路の灰色の風景に戻った。
「ククク、奴はこれで全力を尽くしてくれるだろう。馬鹿めが、絵の餅を眺めて喜んでいるがいい。クククク、カカカカカ、ぎゃははははははー」
 金取にこそ、取らぬ狸の皮算用という言葉を教えてやりたいものだ。
 ルルルルル――ルルルルル
「――はははは……誰だ、せっかく高笑いの新記録が出ようとしていたのに」
 高取は、リモコンを手に持って操作した。
すると電話がつながり、ふたたびフロントガラスに画面が投影されたが、それは灰色の砂嵐だった。
「金取だ。黒裏だな、さっきの報告か?」
「……はい、そうです。よく分かりましたね」
「こんなことをするのはお前くらいだからな。で、ワシにどんな報告がある?」
 黒裏は事のあらましを説明した。
 『ブツ』はすでに予定量が全部そろったこと、しかしその『ブツ』が水川の独断で大見山大空洞に隠されたこと、大空洞の出入口の扉の一つが、少なくとも六月四日に開けっ放しになっていたこと。
「何だとう。貴様、その意味が分かっているのか!」
 金取は、自分の計画が大幅な修正を必要となったことを悟った。怒りながらも、対策を急きょ考える。
(確か、原が会議中に報告したことによると、政府に大見山探索を依頼したそうだな。時間を稼ぐ算段をせねば……)
「金取副局長、大見山大空洞が地震で崩れたら、大変なことになりますよ。一刻も早く回収しないと」
「それくらい分かっておるわ、黒裏。おい、水川の阿呆はそこにいるか」
「私はここにいるぞ、何か用か?」
「そんな緊張感のない声で話すな、全部貴様が悪いんだぞ!」
「反省している。副局長の言いたいことは分かる。私がもう一度大空洞に行って、『ブツ』を取って来たらいいんだろ」
「そうだ。ところで、出入り口は警戒態勢にある。どうやって大空洞に入るつもりだ?」
「……策がある。私だけでは行かない。私の仲間も一緒だ」
「――そうか、『兵隊』を使うのか。よし、この事は任せたぞ、水川。近日中にあそこは探索の手が入るから、明日にでも取りに行け。それから黒裏」
「な、なんだ?」
 金取が慌てるのを期待していた黒裏は、金取が落ち着いているのが意外だったらしく、自分の予測が外れて呆然としていたので、突然話が自分に戻って驚いた。
「お前にも働いてもらうぞ。明日そちらに高栗局長が移動申請をしに行く。お前は事務部長の職権を最大に利用して、二日間は発電所が長浜から移動出来ない状態を作れ!」
「何故そんなことをする必要があるのだ?」
「馬鹿かお前は? 地震と水川の勝手な行動という不確定要素が入ったことで、我々の計画が狂い出したのだ。局の関心を大見山から少しでもそらすために、原発に問題を発生させるのだ」
「……分かった、何とかしよう」
 しわがれた声がさらにつぶれた感じで、黒裏は答えた。一方的に命令されて、黒裏は屈辱感でいっぱいだった。
 そして電話は切れた。リモコンを脇に置いて、金取は吐き捨てた。
「ふん、小物が。黒裏の奴、ワシを試しやがったな。実力があるから、ワシはここまでのし上がってきたんだぞ。ワシを利用しているつもりだろうが、そうはいかん……陰謀とは、手数を多く持っている者が勝つのだ」
 金取は、今度は無画像式の小型携帯電話を取り出した。そして電話を掛け始めた。
「ククク、手数は多いに越したことはないからな」
 ジジジジ――ジジジジ
「はい、犬山コンサルタントです」
「自然災害対策局の金取だ、社長を頼む」
     *        *
 岩国市。カラオケボックスの一室で、防人部隊第一分隊第二小隊の面々は、歌を歌っていた。乗りに乗っている。そこに天野が来た。
「おい、仕事の追加だぞ」
 しかし、季の凄まじい歌声とみんなの声援で、ぜんぜん聞こえない。
「え、何なの? 後にしてよ、天野ちゃん」
 唯一彼に気が付いた、扉の一番そばにいた威勢のいい神岡次子に簡単にあしらわれて、天野は肩を落とした。
「はあ。緊急会議が時間がかかるからって出動組でカラオケに行ったら、今度は三時間も歌い続けるとは……こいつらって……」
 天野は沈んだ目で回りを見た。ガラス越しで内部が見える周囲の部屋には、群青色の服を着た者達しかいない。
「……おまけにこれまで経理部まわしだもんな……俺って、損な性格なのかな」
 大事故に対してまったく緊張感のない彼らが打ち合わせをやるのは、深夜になりそうである。

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