何十年も願っていた対戦だった。ぜひとも剣を交えたい人だった。
私は女でまだ子供だから、男の妖怪剣士がまったく相手してくれない。もし半人半霊ごときに負ければメンツも潰れるし、弾幕ごっこは女の華だ。おかげで私は幻想郷「女性」最強剣士と呼ばれている。単純な戦闘力なら天子さまや神子のほうが上だけど、彼女たちにとって剣はあくまでも補助。一度距離を詰め純粋な剣の勝負に持ち込めば圧倒できる。こと近接戦に限れば鬼や神とも互角以上に戦える。一〇〇年にも満たぬ生でそこまで上達できたのは、妖忌お師匠の稽古と剣への姿勢、楼観剣・白楼剣の二振り、さらに魂魄流剣術あればこそ。
だけど井の中の蛙。私は知らなかった。男の強力な妖怪がどれほど凄まじいのか。妖忌師匠は男といっても半人半霊だし老境にも近い。その腕力を判断の基準にしてはいけない。
男妖怪の力を侮っていたつもりはない。なかったはずだが、想像以上の怪力と剣技だ。やっと実現した。ようやく剣をぶつけることが叶った。同時に絶望のようなものも感じている。夢は叶ったが、届かない。いまは負けるわけにいかない、叶うだけではいけない。届いてかつ打ち破らなければいけないのだ。
どこに打っても届かない。連続攻撃の流れを作ろうとしても容易に止められる。止められ押され覆され、復ってくるのはものすごい剣圧だ。打ち据えたはずが、こちらが飛ばし跳ばされる。体勢が崩れかけていれば、もし私だけならこのまま終わる。その隙を逃す天魔さまではない。キリトや椛がカバーしてくれて、ようやく仕切り直しに持っていけるていど。
彼の剣は速くて重くて強い。とてつもなく、はてしなく。こちらは四人がかりで、うち半分が二刀流なのに。
――天魔さま。
普通、あるていど強くなった人型妖怪は武器の修行をやめてしまうんだ。妖力やマジックアイテムのほうが効率いいから。でもこの大天狗は違っていた。鞍馬山で剣を握ってより一千と数百年。幻想郷にいても天魔さまはずっと剣を佩刀しつづけている。メインウェポンこそ葉団扇に変わったけど、剣もこのお方には重要な武器らしい。強力な人妖がわざわざ弱き人間の武器を帯びるとき、それは人からの信心を集める手段――アピールであることが多い。たとえば聖徳の神子がそうだ。だけど天魔さまは天狗たちの頂点だから人間からの尊敬なんか必要としない。鞍馬山で仏門に帰依してたときとは違う。
このお方は、いわゆる求道者だ。愚直なまでに剣一筋の。
私はそんな天魔さまを魂魄妖忌師匠とほぼ同一視し、ろくに会ったことも話したこともないくせに敬慕していた。
実際に剣を打ち合ってわかった。剣の技術も読みもまるで格が違う。かつてお師匠さまに感じていた大山脈が目の前にいる。神々の頂がそびえるよう。超ボスのスーパーステータスがなくとも、純粋な技倆・眼力・動作はいずれも私より数段上だ。
一対一では当分まだ勝てない。たぶん数十年は。あくまでも一本取れるという意味で、追い付き追い越すとはまた別の話だ。
だから四対一で戦いつづける。
最上級ポーション&応急回復スキル&戦闘時回復スキルで、私たちのHPは一〇秒で一五〇〇から二〇〇〇ポイント回復する。レベル一一〇台後半、HP量二万前後だから、瀕死からでも一分半から二分あまりで全快できる。
HPは五〇パーセント前後を行き来している。黄色に陥ればすぐ距離を取って後衛に回らないと危ない。クリーンヒットやクリティカルは許してないけど、浅いヒットや衝撃は頻繁に受けている。
集中を切らせば死ぬ。こちらは連撃に持って行けず、天魔さまの体勢崩しに一度も成功してない。戦闘開始よりすでに一時間、五段あるHPのうち、まだ一段目を削ったばかり。すべてチマチマとした単発の攻撃だ。連続攻撃にできない軽い打撃であれば、さすがに私たちでもなんとか当てられる。ポーションは三時間ぶんは用意してるけど、有効時間の切れ目に天魔さまが飲ませるものかと牽制してくるので、実際に切れるのは四時間後くらいだろうか。それでもまだ一時間ぶんは足りない。この戦闘は、いまのまま推移すれば五時間はかかる。
私たちはまったくソードスキルを使えなくなっている。使用したとたん、その特性を突かれて逆撃をこうむる。遠距離攻撃を行う雷神鎚や手裏剣術すら無意味。時間差による連携そのものが先読みで潰される。ソードスキルは決まった時間に決まった範囲の機動しかできない。これだけで達人には十分だ。しかもその一度目ですらまともなヒットがない。私にも一度見たソードスキルは体勢が崩れてない限り効かないから、剣聖を超えた剣神の天魔さまにゲームの用意した「素人用アシスト」が通用するわけないのだ。ユニークスキル群も形無しだった。
おそるべき老練家だった。天魔さまはSAOで妖怪の能力をご自身に使えないから、なお一層その凄みが体の芯まで伝わってくる。このお方の能力は護法魔王尊の名に恥じぬ『除魔招福』。因幡てゐの幸せ能力へさらに厄除けが加わった、集団のトップに置くとちょうどいい「お守り妖怪」なのだが、この手の力はてゐやレミリアとおなじく自分自身へ影響を及ぼせない。お一人で戦っている天魔さまは、純粋な剣術と体術で私たちを軽くいなしているわけで。
――戦いはつづいた。最初はわりと本気だった天魔さまが、二時間をすぎる頃には私たちを成長させようと動いてるように見えてきた。手加減されていると、剣を交えて理解できた。二〇〇〇年近く生きてる真の大妖怪だから、何時間戦おうが簡単には疲れない。疲労の色を隠せない私たちがふがいなくてごめんなさい。もしアスナやキリトを倒してしまい、文の蘇生アイテムが間に合わなかった場合、本当に殺してしまう。妖怪の山トップとしての立場が、すこしずつ天魔さまの剣をにぶらせつつある。日本人と仲良くして、妖怪たちの桃源、幻想郷を守っていかなければいけない。
この戦いは必ず天魔さまの敗北で終了する。そうなるよう仕組まれている。レミリアが言っていた「出来レース」が、その最終戦で初めて言葉通りになろうとしていた。助かっているのだが、私はとても残念に思っている。剣士としての救いがたい性だろう。もしアスナの体を借りておらず、妖夢のアバターのままであるなら、斬り倒されて果てたい。ゲームオーバーとなり、白玉楼で自己満足のまま目を覚ます。むろん許されない。私たちは第一〇〇層に達して、茅場晶彦を倒さなければいけないのだから。
三時間すぎ、ついにキリトの蹴りが天魔さまの体重移動タイミングを捉えた。天狗の頭領が軽くバランスを崩してよろめき――四人が一斉に封印していたソードスキルを発動させる。これがフェイントかどうか見分ける目くらい、みんな持っている。私が見ても体勢崩れだ。大丈夫と踏んで襲いかかり、やっとまともなダメージを稼いだ。超ボスの行動回復は早いので、七秒ていどですぐ飛び退いて備える。
「……いまのは効いたぞ、やったな」
もっともらしいセリフを吐き出しつつ剣を握り直す天魔さま。この戦いは日本全国に流れている。だから敵も味方も演技しなければいけないのだ。
以降、時々連続攻撃が当たるそれなりに激しい攻防が繰り返された。天魔さまのHP減少ペースがすこしずつ増えていき、やがて腕を斬り落として武器を奪うことにも成功した。天子さまと違って武芸達者だからまだ安心は出来ないけど、ソードマスターはみんな伝説級の武器防具で固めている。剣さえなくなれば、あとは勝利へ一直線だ。
戦闘開始より三時間五〇分ごろ――
「よくぞワシを倒した。文と椛がこの世界に囚われたときは心配したものだが、考えておった以上に成長し伸びてくれた。あっぱれ!」
けっこうノリノリに言って、天狗お面の天魔さまがポリゴンの花瓶みたいに変じて崩れ、粉々に砕け散った。消える寸前、お面が割れて素顔があらわになったけど、とんでもないアダルトな甘いマスクの二枚目だった。CGの世界にしかいない理想像のハンサム君が、実体化している感じ。傾国の美女という言葉があるけど、傾国の美男だね。私は二十代後半相当の外見とか恋愛対象外だしとっくにキリトに心奪われてるから助かったけど、文と椛が見とれてしまい、天魔さまが消えた空間に視線を固定したまま茫洋と呆けている。女天狗がこうもイチコロだから、お面でも付けてないと統治者としてやっていけないわけだ。
天魔さまのラストアタックボーナスは「無銘」。見た目は直剣だけどカテゴリーは意外にも曲刀だった。片刃の直刀だから、曲刀に分類されたのだろう。鞍馬天狗の剣は銘そのものが無銘という変わった剣だ。これ以外にこれ無し、誰もこれを創らず。唯此のみぞ在り。唯一無二、したがって無銘。これには対となる兄弟剣があり、「本物」の無銘が後世権力者に認められ、水龍剣と改名され明治天皇のコレクションになっていた。唯一なのに二振りとはおかしいけど、一振りを兄弟剣にしてしまうあたり、妖怪の能力にかかってしまえばなんでもない。とにかく世に隔絶した名刀。こんな剣を手にすれば、それは一〇〇〇年以上も佩刀しつづけるわけだ。しかも剣にふさわしい腕を備えようと鍛錬を怠らないから、どこまでも強くあれる。私が楼観と白楼に見合った剣士でいたいと思いつづけるのと、同じように。
無銘の攻撃力は二三五〇~二四〇〇と予想通りの凄さ。曲刀使いの犬走椛は要求値をぎりぎり満たしていた。これで第一〇〇層の戦いがすこしは楽になりそうだ。
* *
目覚めた私を穏やかな拍手の環が出迎えた。明日奈の父君など結城家の面々・レクトの重役・レクトのスタッフ・菊岡などSAO対策チームの人・内閣の大臣が数人・埼玉県庁の部局長・埼玉県議・所沢市議・ごく少数の報道記者・RCT病院の医療スタッフ。たっぷり三〇人はいる。明日奈のベッドと生命維持関係の装置や配線には黄色い帯が張られ、関東地方トップの警備会社より呼ばれた最高の警備員たちが見張っている。結城明日奈という少女の体は、九二〇〇余名の生命に重要な役割と責任を担う大切なものだ。万が一があってはいけない。
選ばれた人たちのお行儀はとても良くて、私と握手をしては勇戦を讃えてくれる。なぜ鞍馬の大天狗が本気を出してしまい四時間も戦うことになったのか、野暮なことは聞いてこない。幻想郷オンライン計画はハッキングによって超ボスを弱くし、ついでに幻想郷の紹介をするとの主旨が発表されており、みんな出来レース、やらせ対戦だと最初から知っていた。スポーツ観戦やプロレス感覚で見物していたのに、鬼との一戦で雰囲気が変わる。各界で達人と言われる武道家たちに「こんな奴らと勝負なんかしたくない」と言わせる超絶技や攻撃の数々。人間の短い生命では簡単には得られない、技と力のぶつけ合いだ。フロアボスが凶暴化してた件について表向きは問題視されず、しかし個人ブログや掲示板では陰謀論などが囁かれていたが、「神遊び」と謳った諏訪子のおかげですこしは柔和になった――はずなのだが、天魔さまの戦いは本当に危なくて再燃しそうだった。レミリアもやっかいな遊びをしてくれた。ただ個人的には感謝している。念願の剣士と仕合えたのだから。
ついにあと一層となった。登った第一〇〇層にはこれまで必ずあった主街区がなく、だだっぴろく赤い広場と転移門があるだけ。その名は『紅玉宮』。赤い階段が伸びる先には紅魔館よりも真紅の王城がそびえている。主街区そのものが宮殿であり、魔王の居城にふさわしい威容だった。疲労もあり第六一層へとんぼ返りしアスナと別れた。
明日奈の父君、結城彰三氏より万全の準備を整えて戦いに臨むため一日の休暇が提案されたけど、勢いも大事だった。すくなくとも射命丸文は明日三月三一日の攻略を決定している。私もアスナも了解していた。幻想郷側からはとくにアプローチはなく、長野の山荘で例の準備が出来てるかどうか知らなかったけど、紫さまからの接触がない以上、そのまま最終決戦に赴くつもりだ。
インタビューや接見が終わると、楼観剣と白楼剣を背負って、病室を出る。強面の護衛がついている。女顔のキリトを好きになったように私は男性ホルモンの濃い人が苦手なのだが、ベヒモスと名乗ったこのボディガードはエギルに似た闊達な性格であまり恐くない。魔理沙が気遣ってそういうフレンドリーな人を政府に要求してくれた。職員食堂でベヒモスさんといっしょに早めの夕食を食べ、銃剣道の錬士だというその人と適当な剣術話をしてまた明日奈の病棟に戻る。私の寝室は明日奈の隣室なのだ。ここなら結城氏とその部下の目があり、菊岡誠二郎も手が出せない。
私がこの二週間自室としてる部屋に入ろうとしたときだ。右隣――明日奈の病室に、妙な気配を感じた。半霊レーダーがあまりないタイプの感情を察知している。
「……誰?」
面倒なので、半霊に壁抜けさせて明日奈の病室をサーチさせる。
『ひゃあぁぁあはは……あ、明日奈は僕のものだぁああ。桐ヶ谷なんてガキには、渡さないぃいい』
おかしな方向へ興奮した声質に、しきりになにかを舐める音。感情の波動も届いた。これは……私の風呂上がり姿を見てたキリトのもの。セカンドキスをお預けしてたとき、キリトがしきりに向けてたもの。または私が空を飛んでると、ドロワーズなのにいちいち期待してスカートの中を見上げてくる男たちのもの。それらを何十倍にも強くした思い。
肥大化した独占欲と穢れまくった劣情だ。
半霊は気や音は知覚できても、視覚までは提供できない。これ以上は直接確かめるしかない。
明日奈が危ない。
そう判断した私は、明日奈の病室の扉に手を掛けて開けようと――鍵が掛かってる。思いっきり引っ張れば私の怪力なら壊せるが、この扉は電子制御式だ。ショートなどによって、なにかの間違いで室内の電気系統、ナーヴギアに影響が出るかもしれない。
まだ方法があった。
とっさに半人の体を幽体化させ、壁抜けで明日奈の部屋へ入る。
……そこにいたのは、変態だった。
服装は清潔だ。その辺にいるメガネのサラリーマン。おなじメガネでも菊岡のような柔らかさはなく、もうすこし鋭くした感じ。誠実そうに見えながらも自分の能力に妙な自信を持っていて、それを隠すことが出来ない、若干小物なタイプだろう。さっき目覚めたとき私と明日奈を囲んでた連中に混じっていた。とくにおかしなところを感じなかったのでほとんど忘れてたけど、たしか紹介によればレクトの研究者だったと思う。
その男、やってることが完全におかしかった。
足の指を舐めている。明日奈のをだ。手を少女のふくらはぎに添わせ、恍惚とした目でさすっている。セクハラを受けてる側はもちろんなにも感じない。それをいいことに一方的に触りまくっている。布団も病衣も大きくはだけ、明日奈の脚部が大きくあらわになっていた。
「なんでぇえ、この選ばれた僕がぁ、あんな糞ガキに明日奈を取られなければ、いけないんだぁあぁ……」
もてあそぶ手はしだいに太ももへ伸びている。このままだといずれ――
なんて気色悪い。
近くの仕切用カーテンを力任せに引っ張った。病室内を簡易的に区切るためのやつだ。怪力で天井を這うレールの根本からブチブチちぎれる。手に入れた手頃な布を体にまとう。なにしろ壁抜けによって全裸になってるから。私のリボンや服や剣は扉にぶつかって廊下に落ちている。いまごろ護衛が慌てて人を呼びに行ってるはずだ。
カーテンレールが破損した音で気付いた変態が不審なうねうねを停止させ、おそるおそる視線を向けた。
「……なにをしてるんですかあなた?」
「ちっ、ちがう。これは治療なんだ。明日奈さんを」
「幽明求聞持聡明の憑坐!」
半霊を「私」にして変態の首根っこを押さえ、明日奈より引きはがす。そのまま手足を固めた。半霊の私はちゃんと服を着てるよ。キーキー喚き散らしてるけど、後ろ手で拘束する……いつまでもウルサイので半霊の温度を下げ、恐がらせた。怪談といえばこれが定番。
「ぼ、僕は明日奈さんの許嫁、すなわち婚約者だよ……だからこんなことをしても」
立場で逃げる気か。婚約者? アスナが何度か言ってた。もしかしてこの男――
「レクト・プログレス社の研究主任ですね。ソードアート・オンラインで明日奈から何度か聞きました。彼女はあなたのこと相当にお嫌いですよ。反動で年下のキリトを好きになったくらいですから」
明日奈はキリト関係でときたま、九歳ほど年上のこの男が邪魔みたいに言ってた。ときに「私もキリトくんみたいな彼氏ほしいー! 須郷なんか絶対いやー!」って叫ぶくらい嫌っている。思えばアスナがキリトを好いているヒントはいくらでもあった。表面上キリトを弟扱いしてたから、鈍感で単純な私が気付かなかっただけ。
「……そうか、知っているのか。なら話は早い。僕は須郷伸之という。きみは桐ヶ谷というガキを好きなんだろう? 明日奈さんを僕に任せてくれ。そうすれば魂魄くんは安心して好きな少年を独り占めできる。悪い話じゃない」
「たとえ私が呑んだとしても、ボディガードが人を呼びに行ってますから無意味ですよ。それに私と明日奈は協定を結んでますから。共にキリトを愛し、共にキリトと有ると」
須郷の顔が見下すように歪んだ。ものすご~く私を馬鹿にしている。
「そんなファンクラブみたいな理屈が、現実の結婚まで考えてるのに、通用するわけないだろう! いいから年上の話を聞けよ」
「あなたの三倍は生きてると思うんですが。形式にこだわりませんよ。下手に本格的な結婚などしたら精神年齢が離れるほど道義上ヤバいじゃないですか。妹や娘や孫の役でもいいんですから」
河城にとりとおなじく魂魄姓を捨てる気もないし。魂魄流宗家の家元が名字を変えれば、流派存続を掛けた大事件になる。
「なんだそれー! どんなオママゴトだよ! 僕の言うとおりにしろよ小娘!」
「いや私はそのママゴトな奥さんにしかなれない宿命なんですけど……」
キリトが生きてる間、初潮すら来ない。だから盟友として明日奈が必要なのだ。精神的な繋がりはVRや憑依でいくらでも体感できる。
「たしかにぃ、そんな貧相な胸では、あのガキを満足させられないだろうねぇ」
ねちっこく嫌らしい視線と感情を放ってきた。下半身が金精神に支配されてる淫獣な男め。キリトもエロいけど、彼の性欲はもっと純粋だ。好きだから欲しい。しかしこの須郷は違う。欲しいから好きだ。この二種類にはあまりにも巨大な隔たりがある。明日奈の許嫁として潜り込んだのも、むしろ結城家の財こそが目当てだろう。私はキリトの家が貧乏でも好きなままだろうけど、こいつは違う。
「いいかげん腹が立ったのでちょっと痛めつけるわね。明日奈におかしなことした罰です」
半霊で須郷にサブミッション・ホールドをかけてシメた。
「うぎゃあぁぁああぁぁ」
潰れたカエルみたいな声あげてマジ泣き。でも許さない。いろんな関節技で三分ほど遊んでたらしょんべん垂らしてきた。半霊が汚れたらいやなので解放してあげた。全身のおもだった関節にダメージ与えてるから数日はまともに動けないはずだ。泣き声が鬱陶しい。
病室の扉が開き、魔理沙と霊夢が入ってきた。有事と見て真っ先に私の友人を選ぶとは、ベヒモスさんはじつに優秀な護衛だ。魔理沙の胸にはユイ携帯が下がっている。最近ずっと憑依しっぱなしなので、外を見たがるユイを九割くらい魔理沙に預けている。鍵を解除したのはおそらくこの子だ。液晶の中で巨大な鍵を抱えて胸を張ってるので丸わかり。自己顕示が強くなってきてるとは、まるで幻想郷の妖怪みたい。紫さまは魂魄ユイ本人が望まない限り科学の範囲で存在させるおつもりなので、人の技術だけでこの子がどこまで伸びるのか、将来が本当に楽しみ。
「なにこの変態。意識のない眠り姫にいたずらするなんて、最低。気味が悪いわ」
潰れカエルを見た霊夢が即座に状況を把握して、悪霊退散の札を須郷の頭に貼ったら喚いてたのが大人しくなった。勘だけでなにもかも解決してしまう女は今日も絶好調。
魔理沙が「あわわわわ」と全身を小刻みにビリビリさせながら私の服や剣を渡してきた。霊夢の防犯札が発動しちゃってる。ごめんね。痺れから解放された魔法使いが耳打ちしてきた。
「そんな風呂あがりみたいな格好してないで、さっさと服くらい着ろ。それまで誰も入れないから」
「みょーん」
危なかった……気をつけなきゃ。
須郷が私の着替えを盗み見てムハァーしたので半霊で顔を殴ったらアゴが外れちゃった。人相がムンクの叫びみたいに変わる。変な音がしたし骨折れてるかも。やりすぎたかな?
* *
須郷伸行は準強制わいせつ罪容疑で現行犯逮捕された。昏睡状態なので被害者の親告や被害届は不要。私は過剰防衛の可能性が高いらしいけど、幻想郷と日本国がまだ正式に交流してないなどいくつかの理由で治外法権っぽいのがどうたら、お咎めなし。表向きは日本人扱いしてるくせにこういうときは外国人扱い。二重基準だけどおかげで助かった。反省しなくっちゃ。
変態の犯行は計画的だった。レクト社員と許嫁の立場を利用して病室のカードキーを入手、さらに警備員を「夕食」に下がらせ、その間に性的ないたずら。今日なら最初から「ここにいる」ので、不自然に仕事を抜ける必要もない……社長令嬢へ手を出したのだから、もちろんレクトは即刻クビだ。フルダイブ部門の研究主任で、私がキリトとイチャイチャするつもりのタイトル未定VRMMORPGでも責任者の立場にあったそうだから、プロジェクト進行に支障が出そうと明日奈パパが憤慨しながら言っていた。腹心の息子ということで家族同然のつきあいをしてきたのに、実直な表の顔からはうかがい知れない変態だったとは、おおきく裏切られた気分だそうな。見抜けなかったのだから同情はしないし、親友の未来が明るくなりそうだから私は問題なし。
許嫁はあくまでも明日奈が「将来」結婚を「望めば」ということで、ただの口約束だったらしい。そんなあやふやな根拠で我が物顔をしてたのか変なやつ。須郷は社会的にはもうおしまいだ。軽犯とはいえしでかした内容が性犯罪だから、刑務所からすぐ出てくるだろうけどエリートコースには二度と返り咲きできない。おわり良ければすべて良し。
連行されるときこのムンクの叫びが私を睨みながら妙なことを言ってたけど、あごを脱臼し口をおおきく開きっぱなしなので「あふあふ」としか聞こえなくて、言葉になっていなかった。
『覚えてやがれこのガキ。僕には「すごい人脈」があるから、必ず日本から追い出してやるぞバケモノ――だって妖夢ママ』
ユイは凄いね。
須郷の憎悪を一身に集めちゃったけど、これで結城明日奈と桐ヶ谷和人はもう安全だよね。
* *
夢を見る。
第九四層の宿屋で私とアスナに語ってくれた、コミュ障キリト視点による私との思い出だ。
SAOへ閉じ込められ、クラインにコンビを断られたそのとき、キリトとなった和人はがむしゃらにソロプレイへ駆けだした。死亡率の高さや、危険さは考えもしなかった。それよりも人より強くあって、早く死ににくくなることを考えた。強引なパワーレベリングそのものが死に近いのだが、不安が頭から抜けている。デスゲームとの実感も薄い。
最初のクエストでコペルにMPKを仕掛けられたとき、あまり腹は立たなかった。こいつもゲーマーなんだなとしか感じなかった。
突然あらわれた銀髪の旋風。どこかで見た二刀流でリトルネペントを刈り取っていく。最後の一体を倒して確認した顔は――とてつもなく眩しい少女だった。しかもネットで有名な『長野ちゃん』だ。縞パ……まで拝めてしまった。超ラッキー。
あの老剣士の中身がこれほど可愛い子だとは、驚きとともに激しい緊張も生じさせた。妹と重なる。身長が近く髪型もすこし似ていて、礼儀まで正しい。どうやって接したものか。しかもこの子はキリトの代わりに怒ってくれた。コペルを叱ってくれた。ああ死んだら終わる世界なんだなと、キリトはようやくデスゲームの実感を得た。だがいつまでこの子は傍にいるのだろう――距離感を掴み損ねていたそのとき、急にコンビプレイへと誘われた。
この俺が?
クラインに断られ自分の価値を命ごと低く見てしまったキリトにとって、長野ちゃんが隣にいたいと言ってきた事実。冴えない少年が人気アイドルとひとつ屋根の下に暮らすほどのトンデモ確変大当たりだ。断る理由を探すほうが大変だった。みょんの言うことは理詰めかつ慎重で、なのに内容はどんどん先に行こうという、安全なのか死ぬ気なのかよく分からないもの。
だけどひとつだけ言える。それはキリトにとって、二重の意味でやり直す機会を得たということだ。ひとつは立場を入れ替えてクラインと。もうひとつは済まないと思った妹に対して。本人ではないから代償行為にすぎない。それでもいいと思った。だからキリトは、みょんの提案に乗ることにした。
『キリトくん、ずいぶん美化しようとしてるけど、ひとつ重大なことが抜けてるわよ。まだまだ甘いわね』
夢の中だけどアスナが現れて突っ込んできた。
『……すまん、二刀流のほうが大きかった』
キリトの主目的、それは本当は、みょんの二刀流をなんとしてでも自分のものとしたかったからだ。絶好のチャンスだ。この女子は遠からず最強クラスの剣士として知られるようになる。だからコンビとして常にいっしょにいれば、その技術をもっとも高効率で吸収できる。背はキリトのほうが高く武器とリーチも長め。同程度の技倆に並べば、おのずとキリトのほうが強くなれる。
これを聞いた妖夢がぽんと、語り部キリトの隣に出現してきてはしゃぐ。
『クズでゲスなキリトも、ヒールらしくて大好き~~♪』
妖夢――「私」にとっては自分自身の魅力よりも、魂魄流のほうがはるかに誇りだ。それ目当てと言われて、かえって喜ぶ始末なんだよ。
『うわ~、ふたりとも変だわー、引くわー』
またアスナが突っ込んできた。そういう役回りだ。
『ひでぇな。本当にあんた、俺と交際する気あるのかよ』
『あなたってあまり心のうちを彼女に話してなかったみたいだけど、妖夢ちゃんなら大方はそのまま認めてくれるわよ。もっと胸を割って話し合ったほうがいいわ』
『いやいま話してるだろ? あのときの長話を夢で短めに再構成してるだけだけど』
『主演がメタな発言しないの』
打算からはじまったコンビだが、どういうわけか快進撃をはじめる。
キリトのゲーマーとしての能力が劇的に開花したのだ。たちまち魂魄二刀剣術の基本、連続攻撃を覚えてしまう。キリト自身が不思議な気分だった。これまで学んでいたゲーム上の技やノウハウはすべてたかが数ヶ月の研究で対象も万人向けだった。ゲーム運営も出る杭を打っていた。そこへ何百年も掛けて実戦の中で最適化された対モンスター剣術が降臨した。茅場も杭を打たなかった。あとは推して知るべしだ。
ダブル二刀流はどこまでも強くなった。ゲームバランスを完全に崩壊させ、コボルトロードをたった二人で撃破寸前に追い込むところまで。しかも銀髪の少女が、どう考えても好意を寄せ始めている様子だ。まるで夢を見ているようだった。
レイドに所属してコボルトロードを倒した戦いのとき、そのみょんが死にかけた。心底から恐ろしく思った。死なせたくない。体が勝手に最大加速で動いていた。キリトは自分の中に生じた感情に、戸惑っている。俺はこの子を利用しようとしていただけじゃないか。なのになぜ、大事なものを守ろうとするみたいに動いてたんだ――お姫様だっこをして、無我夢中で体力を回復させ。唐突にみょんが甘えてきた。首に腕を回してきて、一緒にいられなくなるのが恐かった、繋いでくれてありがとうと。とても可愛かった。だから言ったのだ。『可愛いじゃねえか』と。
そのときキリト……「俺」の中でなにかが変わった。ひとつの感情が芽吹いた。でもその正体に気付くのはまだ先だ。
第二層にあがって集団にいれば戦闘機会が減ると言ったとたん、みょんから抜け駆けプレイへと誘われ、思わず受けてしまう。惚れちゃいそうなくらい格好良すぎるわと冗談交じりで言われ、そうなればいいのにと本気で思った。
この子ともっといたい。
生まれたばかりの感情がふたばを広げ、育ちはじめた。このときを境に、妹と重ねていたみょんを、ひとりの女の子として扱うようになった。言動もそれに準じたものとなる。
ウィッチ・マリサとクラインのメッセージいたずらで、やはりみょんが自分を好きになっているらしいと教えられた。とてつもなく嬉しかった。コンビプレイに誘われたときの何倍も喜びにあふれ、だから酔えないはずの酒に酔ってしまった間抜けながらも可愛いその姿を見て、つい魔が差したのだ。
『きみって、俺のこと、その――好きなのか?』
答えはイエスだった。ただ好きじゃなく、彼氏彼女として交際したいと望んでもいた。
キリトの返答もOKだ。夢のステージへ導いてくれた妖夢に、恩返しがしたいと思った。それを失礼だろうとクラインに言われもしたが、すくなくとも一緒にいてとても楽しいのは間違いなかった。妖夢がそうだったように、キリトもこれが初恋なのではないだろうかと、遅まきながら思い始めていた。妖夢は好きだ好きだと言ってくれる。どういうものが「好き」なのか、キリト自身はまだその正体が分からなかった。一〇歳で人との距離がわからなくなって四年。人と真剣に付き合わなくなっておなじ月日が経っていた。それは感情の機微を麻痺させるには十分な期間だった。
妖夢は恵まれている。キリトは慢性的な嫉妬を彼女となった銀髪の子に感じていた。リアルの友達が多く、ゲームでも現実でも強力な剣の使い手であり、容姿も飛び抜けている。物腰は丁寧だし性格も可愛い。もしあのときのキリトみたいに一〇人がコンビプレイに誘われたら、おそらく一〇人ともが頷くだろう。それだけ魅力的な少女だ。誰かもっと素敵な男があらわれたとき、自分はなお彼氏のままでいられるのだろうか?
どうしてこの子は、俺を好きになってくれて、隣にずっといてくれるのだろう。だから確かめるように、突き放すようにからかってみる。いたずらをしてみる。それでも好きだと言ってくれる。よく分からない。だけど一緒にいて楽しい。愛おしいとも感じているかも知れない。どれが「好き」なのだろうか――感情がぐるぐる回っていた。
とつぜん、大切断事件が起きる。
エラー表示の闇に浮かんだキリト。こんなトラブルはSAO以前にもあった。だが決定的に違うのは、強制ログアウトの機能がないこと。茅場は言った。二時間以上切断されれば死んでしまうと。もしかして彼女ともう会えないかもしれない。感じたのは後悔と罪悪感だった。付き合った背景にあった身勝手な思惑。二刀流を盗んでやりたい。この世界で最強でいるには、この子の希望に沿って付き合ってあげるのが良い。感謝や恩返しだけではなかった。むしろもっと酷い。
ばかばかしいほどに子供じみた感情だった。一度でも死ねば本当にすべてが終わる、ジ・エンドのゲーム。これはゲームであっても遊びではない。茅場がそう言って本当に具現化されたデスゲーム。それなのに最強なんかにこだわって、ひとりの女の子の感情を利用した。彼女は初恋で、大切な想いだ。それなのにまだ好きになってないのに付き合った。好きがなにか分からないくせに彼氏として振る舞った。いったいなんという愚か者だ。
会いたい。
強烈な衝動が胸の底よりわき出てくる。それが四年に渡ってキリトの内面を押さえつけていた蓋が、引きはがされたときでもある。いまはおそらく病院に移送されているのだろう。だが万が一このまま戻らなければ、謝ることが出来なくなる。そんなままで死ぬのは嫌だ。きちんと言わなければいけない。そう、魂魄妖夢に言うのだ。
ふいに再接続され――目の前に愛しい子がいた。だから感情のままに言ったのだ。
好きだ、と。
その前に勢いでキスをしてしまった気もしたが、キリトの記憶にあったのは自分からの告白だった。何千もの言葉を連ねて言おうと思っていた謝罪は、ついにろくに出来なかった。たどたどしい内容になってしまい、でも態度と想いだけは伝わった。彼女は許した。許すもなにも最初から怒ってもいなかった。ただ感動して泣いていた。どれだけ待たせたことか。その後、妖夢のほうからキスをしてきた。
そうか……これが……『好き』なんだな。思惑や損得じゃない。ただ一緒にいたいだけ。純粋な感情。
こいつのこと、とっくに好きだったんだ俺。
キリトはようやく、一人の「女」として妖夢を見ることができるようになっていた。自分視点ではなく、相手のことを考えた位置で。ここに至るまで難産だった。人と交わる資格がないと思い込んですらいた自分でも人を好きになれることに驚きつつ、これまで済まないと思っていたぶんを取り戻そうと本格的な交際へと進む。
短い間にいろんなことがあった。風林火山のおかしなルールから清く大人しい関係のままでいたり、アスナの機転で第二三層から急に妖夢がデレデレになってきたり、妖怪宣言を受けたときはどうしたのかと思ったがいろんな証拠から信じるしかないと感じた。人間ではないと聞いても怖さはなかった。死後の世界の女の子は長命で人よりはるかに強い。空を自在に飛びエネルギー弾を放つ。でも恐くなかった。そんなことよりも奇跡のような出会いにかえって面白いとすら思っていた。SAOにいるかぎりキリトと妖夢は同格だ。この子はリアルでずっと弱いはずのキリトを、現実の力関係を元にバカにしてこない。ただ好きでいてくれて、ありのままのキリトとして認めてくれる。それがとても心地よかった。第三五層ではほぼ一目惚れだったとの宣言を受けて、あらためて好きになった。でもキスをなかなか許して貰えず第五〇層で二刀流スキルを得るまでずっと我慢の字だった。
だが……唐突に終わりが来た。
第五〇層、魂魄妖夢ゲームオーバー。
『あのとき妖夢はやはり人間じゃないんだと完全に思い知ったよ。でも怖さは不思議となかった。本当に別れるんだと悲しい思いしかなくて、こんなことでどうして終わらないといけないんだって、なにもかも嫌になって……よほどソロに戻ろうかと思ったけどアスナが言ったんだよな。絶対にそれは止めてと。妖夢が残したエリュシデータもあったしな』
『そうね。魔理沙さんだけじゃなくて、妖夢ちゃんの強い希望だったのよ。キリトくんを私に任せる気だったみたいなのよね』
『まさか「とっくに惚れきっていた」とは知りませんでしたが。あまつさえ私がいないのをいいことに、その美貌と官能で色目まで使ってたとは。一ヶ月以上もよくキリトが我慢してくれたものです。キリトとアスナの子は楽しみですよ。どんな「私好み」に育つやら。眼福眼福』
『夢だからって露骨よねあなたも。あのときはもっと柔らかく言ってたじゃない。でも選んでくれて光栄だわ』
『アスナはいつのまにキリトを好きに?』
『それがね、私にも分からないのよ。妖夢ちゃんに任されたあとなのか、それともずっと前なのか。魔理沙さんからフロントランナーに命じられたときは、キリトくんといられてかなりラッキーとは思ってたけど、私も初恋だったし。妖夢ちゃんとキリトくんが自覚するまでタイムラグがあったのと同じていどには、境目がよく分かってないのよ』
『三人とも初恋ですしね……とっくに好きになっていながら、なにかをきっかけに知るアホなパターンばっかりです』
キリトが頷いてきた。なにに感心してるのやら。
『おかしな三角関係になったもんだな。いや違うか。みんな好き合おうとしてるんだし』
アスナが可愛らしく首をかしげて、キリトへ尋ねる。
『キリトくんは、私のこと、もう好き?』
父親が認める気だと知ったこともあり、もう媚びを売っている。この辺りはすでに夢の演出でなく、実際にあのとき会話の流れで起きたことだ。
『妖夢とつきあい始めたときとおなじく、すでに愛しいという感情はあるよ。だって体へ触れるしな……中身が妖夢だと思っただけで平気にキスもできたし。だから自己嫌悪もあるにはあるんだよ』
右手の人差し指を立て、先生みたいにアスナが言った。
『常識に縛られたらダメよ。進化上の理由と都合から、男には潜在的に一夫多妻への適応があるの。厳しい環境ではとくにね。いまアインクラッドはデスゲームだから、いやとっくに緩くなってるけど建前としてね。私たちが許すと言ってるんだからそれでいいじゃない』
『一夫多妻? ああハーレムか。日本だと法律で禁止されてるんじゃないのか。倫理がどうとか』
『法律上の正式な結婚にはこだわりません。そのポジションはアスナのもの。私はキリトの子を作れませんが、あなたの年齢に応じて妹にも娘にも孫にもなれます』
さして未来へ不安を覚えない「私」だった。半人半霊の好悪感情は長く維持固定される。歳を取ったキリトを好きなままでいられるか不安だけど、きっと家族にはなれる。一般に実らないとされる初恋でそこまで築けるなら、いいほうじゃないか。
『現実に帰ったらマスコミに騒がれるのかしら。目立ちたくないなあ』
『放送されてんだから、とっくに全国にばれてるだろ。先が思いやられるぜ……』
『もうっ。私たちは若いんだから、罪悪感なんて、あの焚き火にでもくべて燃やしてしまえばいいのよ』
アスナが個室備え付けの暖炉を指さした。そこでは暖房の火がちらちら灯っている。勢いのまま抱きついたアスナから、大胆にもキリトへキスを迫った。優しく口づけしてあげた彼氏のはずだったが……また二回目で『うきゅ~~』と少女が気絶してしまう。
――って、いつのまに舞台背景まで完全に出来上がってたのかねえ。私が首を傾げる。まあ「夢」だし。
幸せそうに気を失った少女がベッドへ倒れる。すぐぴくりと体が動き、表へ出てきた妖夢はぷんぷんだ。寝たままで抗議する。
『キス二度目の子に舌を入れるとかやりすぎです。あなたはまだ自分が中学生という自覚が足りません! というか私にもまだディープキスやってくれてないのに、なぜアスナにはいきなり? やはり体のせい? こういう体なら好きなのね』
立場が悪くなれば目を合わせないキリト。まだまだ青二才だ。
『ごめん。妖夢相手だと舌入れなんてその見た目も幼かったし。いくらアスナの体を借りてるといってもそのイメージが』
『私はあなたが生きてる間ろくに成長しないんですよ! そんな理由でお預けなんかされてたまるものですか。ロリコンになりなさい! 私の夫なら!』
『その体で言われても無理だって……』
『みょーん。早くあなたと私の体で会いたい――じゃなくて、夢なのになんであのときのアスナの体に戻ってるのよ! いま私とアスナは別々の体に分けてたはずなのに』
『だって自己言及のしすぎで破綻してるんだもの。つい操作しちゃった。器用な夢見をしてるのね妖夢って』
第四者の声が割り込んできた。それもよく知る。
『紫さま! わざわざ私の夢などにお越しになられるなんて、よほど危急の用ですか』
スキマが開いて八雲紫さまが登場する。同時にキリトがぴたりと止まる。アスナの姿だった私も妖夢に戻った。
紫さまはあらゆる境界を操るから、夢だろうがこうやって侵入可能なんだ。
『とりあえずこの私があなたの夢のエキストラじゃない本物の八雲紫って証拠に、あなたの枕元へ手紙を置いていくから、それを読んでね。いまここで伝えたからといって、あなたが夢の内容を覚えてなければ意味ないから』
私、頭を恥ずかしそうに掻く。
『すいません記憶力悪くて』
『別に非難してるわけじゃないわ。夢っていうのは情報を整理整頓する「うたかた」だから、いちいち覚えてる人は少ないってだけなの。現実と混同したら困るから、本能が記憶回路からカットするのよ――それでもあなたの夢は変わってるわね。最初から夢だと自覚してメタフィクションとして楽しんじゃうなんて、面白いわ』
『剣術の修行に、眠っていても異常を感知したらすぐに飛び起きるってのがあるんですけど、それを会得してからずっとこうなっちゃってます。楽しいですよ、夢の世界でなんでもありの一人遊び』
紫さまが扇子で口元を隠す。本当に笑ってるようだ。なにか愉快なことでもあって、笑いの沸点が下がってるみたい。
『まあいいわ。とにかくここで話してもしょうがないから、手紙を確認してね。それではおやすみなさい、明日の決戦、楽しみにしてるわよ』
『私はもうすこし遊んでますんで、おやすみなさい~~』
* *
夢は覚えていた。
早朝五時、寝ぼけまなこで手紙を開いた私は、愕然とした真実を知らされ、恋愛脳からさっさと戦士の頭へと切り替える。なんとなく理解できたことでもあった。
あのとき憑依という手法に気付いたのは、タイミング的にもたしかに偶然が過ぎた。あれは解決手段に気付かされたと、解釈するほうが自然にも思える。
だけど――こうも事情を知らないとは、未熟を通り越して底抜けに間が抜けている。知っておられたとは幽々子さまもお人が悪い。することがなくなった私に小旅行を奨めてきて、さらに冥界の八幡神市へ向かうよう誘導したのが、なにを隠そう幽々子さまだ。おそらく解決手段を示してあげてと、幽々子さまよりあの方へ連絡を取ったのだろう。たしかに戦士の町だから住んでいても不思議じゃない。
どうしよう。
会いたいとは思っていた。でもこんな形で実現してくるなんて。
あの方がいなくとも、私の日常は動いている。
感動もなにもなく「なんで消えた~~」と全力で殴りに行っちゃうかもしれない。とうてい継承してはいけない歳で、私はなぜか二本の霊剣を与えられてしまった。最初は苦労の連続だった。家元になった直後、いくつかの侵攻は幽々子さまが前へ出てくれた。まだ弱すぎた私ではとても戦えない。済まなさと反動から幽々子さまへ百合少女みたいに甘えるようになっていた。これまでほとんど男みたいに育ってきた私が、生まれて初めて甘えることを覚えた。遅まきながらようやく「女の子」の自分に目覚めた。半人の里へ出かけては同年代の子と遊び、可愛い服を好んで着るようになり、髪を伸ばし言葉遣いも女らしくなり、嫌々やっていた修行にも身が入るようになる。
そんな不安定な時期を乗り越え、やっと戦えるようになり、それでも強すぎる敵は幽々子さまに任せるしかなく――やがて幻想郷と出会う異変が起こり、霊夢に完敗していまの私へ繋がっていく。
私の世界は変化しつづけ、いまもどんどん変わっている。魂魄妖夢はいまや射命丸文の強さに並んでいて、最大火力だけなら博麗霊夢と等しい。SAOで人間への敬意を覚え、ベタ惚れした少年と将来の約束までした。ここまで変わった私にとって、あのお方はもはや追憶の彼方だ。憑依の件で気付かせてくれたのはありがたい。でもなぜこんなところまで出しゃばってくるのだろうか。大人しく見守るだけに徹していれば良かったのに。
私は動揺もなく、思ったより冷静なままでいられた。我ながらの成長に自分でむふふんとニンマリしながら……だから未熟なんだってばと、半霊のしっぽで銀髪をはたく。
およよっ、セルフ突っ込み。
* *
二〇二三年三月三一日。
学校教育法が決めてる年度と年度の境目、その最終日に私たちは第一〇〇層フロアボス攻略戦に挑む。
茅場晶彦がこの戦いをラストバトルと宣言している。東京の拘置所で茅場(中身は封獣ぬえ)が一時的にログアウトし、録画を妨害しないと口頭で通達してきた。そのため全国のテレビ局がひきつづき放送を予定している。浮遊城アインクラッドでもカーディナルのシステムアナウンスがあり、各転移門広場の表示アシスト機能を応用した生中継が行われる予定だ。試験放送ですでに第九九層フロアボス攻略戦が流されている。あまりの絶技と攻防の応酬が、なんと四時間もつづく。このデスゲームで命をかけて戦ってきて、それなりに腕へ自信を持つようになった者も多かったけど、そんなメッキの自負など根底から崩壊したそうだよ。カーディナルも『本物の剣術バトル』を見せたかったみたい。
午前八時二〇分、紅玉宮の転移門広場に私たちソードマスターズと、さとり&布都の六人がテレポートしてきた。
「おっきな城だな! 空がこれほど広く見えておる、五ヶ月ぶりであるよ」
この戦いでおそらく最重要な役割を持つだろう物部布都が、観光客丸出しで喜んでいる。最後の最後で美味しいキャラだ。
「――全員の心理状態はクリアよ。態勢は万全だわ」
古明地さとりはマイペースのままで私たちをチェックしてくれた。
いまここに一〇人でログインした幻想郷クラスタの残りが全員揃っている。六人が途中退場し、四人が残った。第二五層で因幡てゐと蓬莱山輝夜、第五〇層で私、第七五層で霧雨魔理沙、第八一層で八雲紫さま、第九八層で河城にとりが消えた。
「さてみなさん。昨夜紫さんが私の『夢』に登場して、ラスボスについての情報を渡してくれました。テキストに落としましたので、改めて確認を含めた作戦会議をします」
射命丸文が言うと、犬走椛がスクロールをみんなに渡した。キリトにつづいてアスナが二番目に受け取って開くと、すでに知ってることだった。私も紫さまの手紙で伝えられた。これを元にアスナが立案した作戦内容を頭へ繰り返し叩き込み、間違いのないようお互いの役割分担をきちんと呑み込む。
「茅場が『想定外の仕様』で来ることもありますので、蘇生アイテムはさとりさんに任せます。相手が相手なだけに、あなたが狙われることは昨日同様ありえないので、安心してください」
文が還魂の聖晶石をさとりへ渡した。さとりも無言で頷く。今日の戦場だと「死ぬことがあるのか微妙」だけど、保険は必要だ。
「我は?」
布都ちゃんが自分を指さしている。
「あなたは月都の結界突破を目指して適当に祈っていればいいと思いますよ」
「さようであるか」
両手両足を適度に広げ、お得意のポーズだ。虚仮にされてるんだけど……
遠くに流れる雲を脇目に、晴天のいただきに広がる赤い階段をキリトとアスナが登り始めた。数歩遅れて椛がつづき、その上を文が飛ぶ。さらにその後よりさとりと布都。
私はアスナと念話していた。
『ごめんなさい。今日でぎりぎり中学生のうちにクリアできそうですが、いろいろあるせいで一年は遠回りするしかないみたい』
『いいのよ。もし妖夢ちゃんが第五〇層でリタイアしてなくても、解放の日はたぶん一ヶ月くらいしか変わらなかったわ。リハビリもあるのに二月に目覚めた私でも志望校に合格するなんて無理よ――むしろ学校が違っていてもキリトくんと「同学年」になれそうなのが嬉しいの』
キリトはそのまま中三へ進級するだろう。かなり多くの補習が必要だが、つぎのVRゲームが出るにも時間がかかるようだ。どうせ遊べないなら、その間に面倒事を消化してしまえばいい。キリトは優秀だから。
『すこしは責めてくれたほうが私も気が楽ですけど、アスナの心の広さに感謝します』
『いえいえあの須郷を懲らしめてくれたんだもの。いくら言っても信じてくれなかった父さんと母さんも、目が覚めたわよね。繰り返しありがとうね妖夢ちゃん』
『幼いときから苦労してたんですね。あの変態、私のかぼちゃパンツにすら興奮してましたから、けしからんロリコンですよ。私のファンはみなさんお行儀がいいのに。親友に手を出すなんて言語道断です』
チビだからロリコン紳士の友好的な視線に慣れてしまった。男だらけのSAOで鍛えられて。九割以上の良いロリコンとごく少数の悪いロリコンがいることも理解している。須郷は悪い中でも極悪で最低の部類だ。
『家族同士の親交パーティーで、高校生の男子が小学二年生の私へ媚を売ってきてね。それが気持ち悪くて須郷伸之のことは最初から嫌いだったの。それがよりによって許嫁の約束だなんて、どう考えても不自然よね。こいつは私を好きじゃない、「小さい私」や家の財産が目当てだ。幼くてもそれくらい気付くわよ。一〇年近くも離れてるのに、お互い恋愛の対象になんかなるわけないじゃない。政略結婚とか時代遅れもいいところだし、一一歳のとき結婚条件に私が年頃になってなお望んでいればってのを加えるだけで精一杯だったわ。だから純粋に好きと好きでつきあってた妖夢ちゃんとキリトくんがとても綺麗に見えて……気がついたらキリトくん好きになってたのよ多分』
『苦労性だったから手近にいたキリトに飛びついたんですね。もっとも私も恋愛そのものに耐性がなかったからうっかり「キリトごとき」に恋したんですけどね』
『憑依中のあなた本当にいい性格よねえ。たしかにキリトくんって格好いいけど、スケベだし言動も妙におかしいというか、いろいろ欠点も多いし……ま、別にどうでもいいわ私が幸せになれるのなら』
『私にとってもキリトは最高に格好いいですけど、なんで好きになったのかな~~と自分でも不思議に思うことがあります。アスナと同じくいまさらどうでもいいですけどね。好きになったら最後、もう楽しんだ者勝ちなのよ』
「なあアスナ、妖夢と話してるのか」
隣の彼氏が女の脳内井戸端会議が気になるようだ。
「女の幸せと男の人格との相関について、深淵なる議論を展開中よ」
「なんだそりゃ。最後の戦いだってのに、きみたち余裕あるな」
それであっさり引っ込める。キリトはキリトで自分の世界に浸っているようだ。
『なんという即興の切り返し。私なら悪口の後ろめたさからアウアウしてボロを出すのに。やはり普段はあなたに任せていて正解です』
『妖夢ちゃんはもっと演技を覚えてね』
たしかに。アスナに憑依するまで私は彼女が誰を好きなのかまったく知らなかった。
『まあ演技なんか出来ないから、最終決戦は「やっちまう」んですけどね……』
* *
八時三五分、階段を登り切った先に、一枚の大扉があった。フロアボスの部屋と似ている。ただ違うのは周囲がダンジョンではなく、太陽の光に照らされていること。
リーダーの射命丸文がメンバー五人を見渡す。
「この先から録画がはじまりますので、みなさん勇者になりきって下さい。茅場はもう幻想郷の協力者ではありません。一万人を閉じ込め、八〇〇人を殺した敵、にっくき倒すべき仇です」
キリトが手を挙げる。
「いましか出来ない質問をするぞ文」
「なんでしょうか。たいていのことは理論武装済みですよ」
強気な笑顔だ。文、いい顔をしてる。すこしはリーダーに慣れてきたか。
「用意周到だな。もし将来、幻想郷と茅場の関係が明るみになった場合、どうなるんだ? 幻想郷に日本人が観光にでも来るようになれば、隠し続けるなんて難しいんじゃないのか」
「隠し続けるもなにも、政府内でも聡い連中はとっくに気付いてると思いますよ。キリトさんや外部の菊岡さんみたいに『鋭い人』なんていくらでもいますから。利害から素知らぬふりをしているだけです」
キリトが面食らっている。まともに開陳してくるとは思わなかったみたい。
「……え、じゃあこの戦いってなりきる意味あるのか?」
「ありますよ。大多数が望む勧善懲悪を提供してあげる演目として。何事にも表と裏がありますから。歴史的な事件に多くの解釈が起こるのは、単純で済んだ物事がほとんどないからです。戦争なんて正義と正義のぶつかり合いですし、善に汚泥あれば悪にも清流ありです。『いずれバレる』ことを想定した紫さんは、日本に義理立てて茅場晶彦の肉体と魂を受け入れませんでした。私たちが手に入れるのは茅場の一部をスキャンした『ただのデータ』です。それを法的に縛ることなんか現行法ではできませんし、将来法律が変わったとしても過去事案への適用は憲法が禁止しています」
「機械を完成させるため、茅場の身柄を入れ替えたことは? たとえば封獣ぬえだっけ? 変身妖怪を使ってると聞いたぞ」
「彼女の能力は『正体をなくす』ことでして、実際に変身はしてません。ぬえという女の子を検察庁のみなさんが茅場晶彦だと思い込んでるだけなんですよ。視聴覚にはじまって触覚や体重計はもちろん、写真機や監視カメラすら騙すこの『完全幻術』を有罪に問えるかどうか、かなり議論になるでしょうね。罪刑法定主義というんですけど。アスナさんの寄生虫を退治した妖夢さんが無罪放免らしいですから、有罪になりそうでも治外的に扱われるでしょう。一線を越えない限りにおいて」
「なら脱獄させたのも、茅場の自殺を助けるのも、どのみち同じか」
「紫さんは免罪符を狙っているのでしょう。一週間前に内閣府が、幻想郷を見つけられまいとした『違法活動の数々』を放免すると発表しました。損害はすべて国が補填すると。車を潰したりヘリを不時着させたりと派手な破壊は行ったのに、『殺し』や『傷害』をやってませんからね。これらのサインで『ルールの存在』を政府も察知したんです。お互いに仲良くしたいんですよ。妖怪たち個々人の罪を、幻想郷を守るという大義へ転嫁してしまうわけです。国と国との外交でもとくに国境・領土問題は、罰せられない犯罪行為なんて日常茶飯事ですからね。これで疑問は晴れましたか?」
文の話は私にとって目から鱗だった。私からの又聞きをここまで自分なりに消化するなんて。アスナの目を通したキリトの顔にも、半分なにかを諦めたような達観が浮かんでいる。
「幻想郷が意欲的に前を向いて歩いてることがよく分かった。なら俺も自分のこだわりは捨てる。作戦に従おう」
「キリトくん、作戦を破る気だったの?」
「ごめんアスナ。一度は追い詰めたんだから俺の手で決着を――という思いもあった。でもたしかに、きみや妖夢に『夫』として責任を持つべき俺が『人殺し』になっちゃいけないよな」
これを聞いて、なんとなく私は悟った。キリトはレミリアが言ったような不老は選ばないだろうと。普通の人間として生き、アスナと子を作り、私とは想い出を作ってくれて、人間の桐ヶ谷和人として百年に満たない生を終える。それを望む。私は死後の世界の住人だからきっとこれでいいんだ。嬉しくもあり同時に寂しくもあった。だいいち……人間は霊や仙や神、魔や妖になれるけど、半人にはなれない。それは半人半霊が冥界の付属品で、人間の空想から誕生した生き物ではないからだ。
パーティー内の意思統一が終わったと判断した文が椛に無言で指示を出す。白狼天狗が無銘を抜き、希望の面で大扉を軽く押した。
ゆっくりと開く大扉。その向こうには、城内までくまなく真っ赤な空間が延々とつづいている。
* *
すでに五分は歩いてるが、なかなか終わらない。
前衛をアスナとキリト、真ん中に弱いさとりと布都を挟み、後衛が文と椛。
アスナが開くマップに表示されているフィールド名は「玉座へ至る回廊」とだけ。エリア属性は圏内だけど、不測に備えて臨戦態勢のまま移動する。まるで西洋の巨大な教会や絶対王政期の城内を歩いている気分だ。高い天井にはいろんな装飾が施され、天井窓にステンドグラスなどが填められている。壁には細かい幾何学模様やモザイクが踊る。ところどころに十字架。キリスト教圏のデザインなのだが、ゲームのせいか宗教画だけはまったくない。この空間は赤い。なにもかもが赤だ。黄色系統から紫系統まで幅はあるが、共通しているのが赤いこと。ほかに金色と白と黒が使われているけど、色彩の九割以上が赤だった。BGMも荘厳なもの。
『このままいくとボス部屋も圏内のようですね。そんなおかしな仕様、最初にして最後でしょう』
『紫さんの情報は正確ね。せいぜい利用させて貰うわ』
私とアスナの脳内会議だけは録音されないから便利だ。
やがて回廊の終わるときが来た。
赤色へ急に金色の比率が増えてくる。高級で特別な空間だぞってアピールだ。四角い扉。よくあるフロアボスのそれだが、色はやはり赤い。
六人でHP回復ポーションを飲み、空き瓶を扉に叩き付ける。私はアスナから体のコントロールを譲ってもらい妖夢inアスナとなった。細剣一本から二本の二刀流へと装備変更。
「それじゃあ、行きましょう」
最後ということでか、カラス天狗が自分で扉を開けた。思えば初めてだね。最初で最後――赤い扉が、きしみながら開いていく。普段のボス部屋と音が違っている。いつもより重厚な気がした。
八時四五分、ラストバトル開始。
* *
そこは奥行き三〇メートルほど、横幅十数メートルていどしかない、中世から近世にかけて見られたおおげさな玉座の間だった。王侯が下々と謁見する空間。ただし色だけは緊張感を刺激するほどに濃い赤で、紅玉宮という宮殿の中枢にふさわしい。金色の補色がぜいたくに使われている。壁は半分ほどが窓と開放的だ。青と白の菱形で彩られたステンドグラス。天井はドームでBGMは落ち着いた声楽。
奥にある金ぴかの明星をイメージした豪奢な椅子にいま、ひとりの男が座っている。赤を基調とし白が走る鎧。マントは白で、左手に巨大な盾。顔は学者みたいだけど魅力的な二十代の男。表示は『Heathcliff』とありカーソルはグリーン。ここでキャラネームが見えてるのは本来「異常なこと」だ。
「よく来たねソードマスターの諸君。数々の難関を突破し、よくぞ私の宮殿まで辿り着いた。最後の祭りを楽しもうじゃないか。むろん私だけではとても勝てないから、助っ人を用意させてもらった。幻想郷で妖夢くんに捕まる前にスカウトしていてね。おかげで獣に喰われず済んだ」
スカウトの件は外向きへのアピールで大嘘だ。茅場が紫さまへ助っ人を要請したところ、幽々子さまを介してちょうど売り込んできた。
「第九〇層から第九九層できみたちが行っていた狂躁とはむろん別枠だ。ログイン場所も幻想郷のある地点としか教えられない。アカウントは私がこの世界よりログアウトしている間、ログイン総数をごまかすため使っていたダミーを利用した。それでは紹介しよう」
ヒースクリフが立ち上がり、大盾の底で床を叩いた。すると玉座の裏よりひとりの女が姿を見せる。
年齢は二〇歳ほど。表示名は『Mizuha』。銀色の髪、背中に二本の剣。着ている服は剣術の道着、長さ一メートル近い人魂を連れている……訂正する。年齢はおよそ二〇〇歳だ。半人半霊の見かけとしてなら、でもその中身は……
「私の名は光奈水刃、ゆえあってこのおっさんの――」
「ぬんっ!」
いきなり物部布都が能力を使う。エリア属性を解除してしまう一方通行なやつだ。
布都の足下より赤い円が生じると、たちまち玉座の間の床を走り、壁をかけあがって天井まで覆って消える。その間、わずか二秒以内。室内がややオレンジがかった配色へと変わる。これでこのボス部屋は『圏外』となった。
すでに射命丸文が無限槍スキルで突進を開始していた。その狙いは、まっすぐヒースクリフ。
「私の話を聞けぃ!」
怒った水刃が二刀を抜いて文の進路を妨害しようとしたが、牽制として私が諏訪子の鉄輪を投げ、キリトもピックを投じている。それらを払い落としてる間に、ぐんぐん文が迫る。私とキリトと椛は、三人掛かりで水刃へと全力攻撃だ。
「奇策とはっ」
ヒースクリフが文の無限槍突撃を綺麗にかわしていた。自分がデザインしたスキルだから、その弱点も分かっている。
だがこれも読みのうち。
水刃へ攻撃を仕掛けていた三人のうち、ひとりが急にターゲットを変え、文に対峙して隙を晒していたヒースクリフを背中より袈裟斬りに伏す。茅場ごときにとても避けられない。
「エクスペリーズカナン!」
美しい『の』字な軌跡を取りながら、二回、三回と斬っていく。犬走椛のキャラクター・カーソルが緑からオレンジに変色したが気にしない。四撃でヒースクリフのHPを吸い尽くした。HPバーがすっからかんになる。茅場もヒースクリフのレベルや防御力をかなり高く調整していただろうがさすが天魔さまの魔剣、あっというまに勝負を決めた。
そう。
ヒースクリフはモンスターMobではない。緑色のカーソルが示すように一般プレイヤーのままで最終ボスになってたのだ。これを『デュエル以外』でかつ集団にてぶちのめすには、布都の風水能力で圏外に解除すれば良かった。一般プレイヤーは通常ならフレンドかパーティーでも組まないとキャラネームが見えないのだが、単純に可視化処理していただけだった。HPのほうも特殊仕様で『倒せば死ぬ』かも知れない。
もう一人の水刃もただのプレイヤー扱いだった。私とキリトのカーソルがオレンジに染まってしまったが、どうせこの戦いが終われば浮遊城アインクラッドともおさらば。犯罪者プレイヤーに堕ちようが関係ない。
最後は面倒なので雷神鎚スキルのガイエスハーケンで終わらせた。天魔さまと違って水刃の動きは遅いから当てられる。水刃の「ままでいる」限りなら。
戦闘時間は一分もかかってない。システム上のプレイヤーキルが廃止されたいま、茅場も水刃も一ドットで生きている。な~んだ。「殺される仕様」にしてなかったんだね。結果論だけどキリトの望むままヒースクリフを倒させても良かったかも。演出でもして時間差で派手に逝く気なのだろう。
「……これは参ったな。さすが現実主義の女性中心パーティーだね。いろいろ準備してたのに、完敗してしまった」
強烈な大ダメージでペナルティを科せられ動けない茅場。盾と武器は射命丸文が回収してしまった。おなじく水刃の二刀もだ。
「野郎ゲーマーでも可能なら無駄な演出なんか省くさ、あんたも分かってるだろう茅場晶彦」
キリトの皮肉なのかよく分からない突っ込みに、大の字になって床に潰れているヒースクリフが笑った。
「私はキリトくん、きみと最後の勝負がしたかったんだが、どうしてこの愉快な奇襲作戦に同意を? 強く反対すると思ったんだがね。だから布都くん対策はとくに取らなかった」
「どうして俺があんたの趣味なんかのために『人殺し』というレッテルを一生涯背負わなければいけないんだ? いずれ社会に出て結婚し家庭人になる。子供にお父さんは人を殺したの? なんて聞かれて、どう答えろってんだ。たとえ人目から英雄的な行為に見えようが、ゲームでリアル殺人なんか願い下げだね」
語りながら私を見つめている。優しい瞳だ。外見こそアスナだけど、きっと魂魄妖夢の私も見ている。七五層のけじめを付けたかったキリトが、本意を捨てて日本全国へ向けて茅場そのものを否定している。男子的な名誉欲や功名心を軽く見るなんて、本来のキリトじゃない。でも女の子の騎士として理想的に動いてくれるこの姿もまたキリトだ。私が好きになった不器用だけど柔軟な男の子だ。
はっきりとした拒絶に、茅場はなんの感慨も持たなかったようだ。
「……暗黙のお約束もきみたちには通用しないか。まあ良い、最後の最後までまったく違った世界を見せてくれた。私にとってかつて唯一だったひとつの世界がこれで終わる――私は大人しく退場させてもらうが、そちらの御仁がまるで納得してないようだ」
「そのようですね。『魂魄妖忌』お師匠」
水刃が眉をひそめて立ち上がった……まだ動けないはずなのに。でも武器はないので抵抗はできないはずだ。
「おぬし、いつから気付いておったんじゃ。演技は完璧だったはずじゃのに」
完全に口調がおじさん。
「私は未熟ですから手を抜かれてたことすら気付かず、完全無欠に騙されてましたよ。でも幻想郷にはいくらでも賢者がいますからね」
キリトを『人殺し』にさせないため紫さまの高度な政治判断が働いたんだ。キリトは幻想郷と日本の交流における重要人物。魔王に止めを刺したという肩書きはイケイケのときは追い風だけど、なにかの拍子で叩かれる対象となれば一転して暗い影を落とす。尖りすぎれば自分に返ってくる。バカとハサミは使いようなんだから。
「……ふむ、お嬢か」
事情を察したようだ。幽々子さまから紫さまへ、さらに私や文へ。全国放送の録画中だから余計なことはこれ以上、口にしない。
「もし可能なら元に戻っていただけませんか? 女の姿でそのしゃべりかた、気味が悪いですよ」
「なんじゃい。数十年ぶりの再会だというに、淡泊じゃな」
淡泊にもなる。私にとってはとっくに『もはやいない人』だった。不足した師父への敬愛成分は幽々子さまと天魔さまで代用していた。
霊夢みたいな指パッチンひとつでドロンと煙が発生、水刃を覆ってしまう。一〇秒ほどして煙が晴れると、身長一七〇センチ台の老剣士が立っている。緑色の紋付き羽織袴。その家紋は魂魄家の人魂紋章、顔は人間でいえば五〇代後半、長く豊かな美髯が胸まで覆う。髪はオールバック。色は私ほどつやつやではないやや銀めいた白。HPバーは満タンに戻っている。やはりフレンドでもないのに『Master Youki』というアバター名が見える。一メートルだった半霊は一挙に巨大化して二メートル近く。私より断然、強い霊力を持っている。その背中には、一本の鞘――剣?
「――――!」
見えない一閃が私を襲う。居合い抜きの剣身に押され、体が右へブレる。
反応できなかった。神速なんてものじゃない、まさに瞬間。もしこれが真剣勝負なら……いや、勝負以前だ。気付かず斬り倒されている。確実に天魔さま以上にお強い。私なんかがとても及ぶ領域にない、神の剣。なにも見えず、ただ斬撃の余熱しか残らない。
「……HPが減ってない?」
「違いすぎる顔じゃと話しにくくて面倒じゃからのう、幻術破りの大妄語戒剣で妖夢を『斬り出した』までよ」
すこしだけの郷愁、ノスタルジーだ。四〇年ぶりくらいに聞いたお師匠の声……キバオウにすこし似てるかも。なんでや! もしかして私が男性臭の強い殿方を苦手になったのって、妖忌さまに厳しい稽古を付けられすぎたせいかっ~~~! なんというトラウマ伏線。草食系ムッツリなキリトにどうして惚れたのかな~~って疑問に思っていて、その源流がここにあったとは。キリト可愛いし格好いいし優しいから別にいいけど。私も大概ムッツリだし。
「なにほかのこと考えて突っ立っておるか。じゃから未熟なのだ」
すぐ見破られた。水刃との三本勝負も一本これで負けてたっけ。同一人物だけど。
「ソードアート・オンラインで私の体になれたのは久しぶりですね」
私がそのまんまいるよ。半霊付きで……背中と腰にあるこの感触は、いつもの二振りも! いつのまにかBGMが変わっていた。私のテーマ広有射怪鳥事。まさか結界突破? 右手をさっと縦に振ってコマントメニューを呼び出すけど、表示されたのはアスナの装備を持つアバターだ。ただし武器が増えてる。楼観剣と白楼剣が。ランベントライトとエーデルワイスの上にバグってるみたいに重なって。スキルリストを見れば、片手用曲刀とかカタナとか、私が取得していたものが割り込んでいた。アスナのアバターに私のステータスが加わった感じ? 強さを確認すると……レベル三八六、HP九万八〇〇〇。うわーなにこれ。ゲームオーバーになったときよりちょびっと強くなってるっぽい。天魔さまと戦った数時間が効いてるのか、それともアスナとの合算?
私の左隣で、アスナが口をぱくぱくして目をおおきく開いていた。私が消えて自動的に表へと出てきたようだね。
「妖夢ちゃん? 私の頭にいた妖夢ちゃんがいない。うそ? なんで私のレベルが狂ったように上昇してるの」
「憑依状態はつづいてますよ。大妄語戒剣は私がまだ修得できない、時間を斬る技のひとつでして。たぶんそれでなにかの繋がりを斬ったんでしょう」
お師匠が言う。
「……刻斬りの基本技ならすでに使っておろうが。ツクヨミ様の力なしですべてのソードスキルを使う能力はどうして発現できたのじゃ」
不肖の弟子へ諭すようだった。
「へ?」
よく分からない。だって「時間」だ。英語でタイム。そもそも物質四態のプラズマを斬る技らしいのに。それと私の能力とになんの関係があるんだろう。
「自覚なしとはの。まあよい。勝負じゃ妖夢」
おかしなことを聞いてくる人だ。
「……なんで?」
勝負本番は私たちの勝利でとっくに付いてるじゃない。最終ボス茅場のHPが一ドットなのに、仕切り直してなにするの? 男のロマン?
「いやだから、せっかく孫とこうしてだな、感動の再会とか。泣いて抱きついたりせんのか?」
アホらしくなってきた。本当に悟りを開いておられるんだろうか。仕事を放り出して未熟な孫娘にすべてを押しつけた無責任な隠遁者に、どうやって感激などしろと? むしろ腹が立つ。男が思うほど女は感情に支配された生き物じゃないから。心を動かすスイッチが違うだけで、男が不思議に思うところでそれが入りやすいだけだ。
「どうせ結界突き破ってますよね。お師匠、レベルいくつですか?」
「なんじゃい? ざっと九〇〇ほどじゃが、それがどうした――それに突き破るとはなんのことじゃ?」
私もお師匠さまも、素のナーヴギアでいまの異常状態ってこと? 細かいところが気に掛かるけど、いまは話を進める。
「レベル制MMOの世界ですからここ。レベル三八六の私がお師匠に斬りかかっても、たぶん二桁しかダメージ与えられません。逆にお師匠なら一~二撃で私を倒せます。もはやアリと巨象の対決じゃないですか。だいたいその剣、どこから持ち出したんですか? ものすごい力を感じますが」
外見こそボロい両刃の直刀だが、反りのない直剣だしけっこう古い時代の剣に思える。それが尋常ならざる霊力みたいなものを発散している。ただの武器ではない。天魔さまの無銘よりも上だろう。
「ふむ……これは霧雨の剣といってな。とある店で『譲って』もらってのう。逸品で気に入っておる」
「……あーそうですか」
録画されてるのでそれ以上突っ込むのは止めた。だってこの剣、霧雨魔理沙が拾ってきて香霖堂に持ち込んだ――天叢雲剣だ。非売品として封印されてたはずだけど、どうやって『奪って』きたのやら。まさかあのボロ剣の正体が皇室を象徴する三種の神器のひとつだなんていえない。むろん本物じゃない。幻想入りするには「メジャー」すぎるから。どっかの大妖怪か天人あたりの刀工が能力で複製したとか、そんなところだろう。ただし特殊な金属……おそらく緋々色金を使ってるので、本物より強力そうだ。製作時期はオリジナルが卑弥呼の時代だけど、こちらはなんとなく古墳時代前期かな。
「妖夢、なんだあの剣。すごいオーラみたいなの放ってそうだが」
キリトが話しかけてきた。たしかに人間にも見えるような、異様な白い霊気を放出している。力のない者が持ってもただのボロ剣だから、ほとんど妖忌お師匠の影響だ。
「古墳時代に作られた正真正銘のミスリルソードよ。攻撃力はざっと見積もって三〇〇〇以上ね」
ゲーマーの彼氏に伝えるならこちらが分かりやすい。
「幻想の金属で鍛えた剣か。九〇層からこちら驚きっぱなしだったけど、最上層に至ってもまだ見物できるとは」
「あ、キリト。ちょっといいですか――抱きっ」
二刀を鞘に戻し、ついでで彼氏の首に抱きついておく。私の背が低いのでアスナの体とちがってぶら下がり気味だよ。これはこれで楽しいのだ。
「こんなときに甘えてくるか? 節操なしめ」
「だって私の体では久しぶりですし、現実の私は体温が低めですから、SAOで楽しむの」
「いや、なんか寒気が。まるで爬虫類みた……ごめん言い過ぎた。すまない」
みょーん。強さや楼観・白楼まで再現されてるなら、体温もだよね。やっちまったですよ、トカゲさんとおなじ体温ですよ私。でもカーディナルの強制ログアウト警告が出ないね。最後の最後だからサーバがパンクする限界まで我慢してくれているとか? それともお師匠さまが言ってるような魂魄流の技なのかしら。
「体温くらい魂魄の呼吸法で調節できるじゃろうが。秘伝の書でなにを学んできおった」
うしろから祖父さまの厳しい突っ込みだよ。キリトの首からぶら下がったまま足を左右にバタバタ。抗議してやる。
「だってあの本、やたらと読みにくくて……すぐ眠くなるんですよ。死にかけのミミズが断末魔の叫びをあげながらのたくり回ったような変な字ばかりで、一文字ずつ解読しながらの作業になりますんで。あれを読み切った四代前の稗田家当主はすごいですね」
お師匠さまが突然しょぼーんとした。子供みたい。私の記憶と違って、意外と感情表現が豊かな御仁だ。水刃で見てるものが素なんだろう。それともこの数十年で私みたいに丸くなったのかな。
「……すまん、ワシの字が下手で。先代のに追記してるうちに真っ黒になってな、仕方なく書き直したんじゃ」
「え? あ! すばらしい字体で、もうありがたすぎてかえって私ごときじゃ」
妖怪拡張計画当時は読みやすかったのかー!
「フォローになってないって……なんだこれ?」
突っ込む彼氏の体が金色のライトエフェクトに被われていた。レベルアップ?
「……なんじゃ?」
おなじく背後のお師匠もだ。こちらは黄色いライン。私にも生じて、うすい白に黄色の線が。これはたしかエナジードレインや麻痺毒が作用したときの表現だ。
「武器防具のバランスを考え、この場にいる全員のレベルを一三〇で統一しておいた。ステータスは元の数値から自動的に割り振られている。これで思う存分に戦うといい」
ヒースクリフがいつのまにか茅場晶彦そのものに変わっている。GMしか出せない左手メニューでコマンドをいじっていた。私とお師匠が弱体化を受け、キリトたちがすこしレベルアップ。さとりと布都が大盛り増量を受けたらしい。
警戒するキリトがダークリパルサーの切っ先を向ける。私はまだ首に下がったままなので器用だね。マジな場面だろうけど、私はなんとなく空気を読まず遊んでるままだよ。そうしているほうがいい気がして。
「すっかり痩せたな茅場。この五ヶ月、ソードアート・オンラインはどうだった?」
さすがキリトは私を無視して流れに乗ってるね。ぱちぱち。いい子だから頬ずりしてあげる。およよ、無視されてる。
「きみたちのおかげで良い夢を見た。妖怪は人間の想像より生じた具現。アインクラッドは『An INCarnating RADius』――『具現化する異世界』という意味だが、人間の可能性とともに、貴重なものを体験させてもらったよ」
茅場も私というイレギュラーに構わず真面目に話しているね。その魔王が私とキリトを交互に見た。妖怪として私、人間の可能性としてキリト。ふたつがひとつとなり戯れている姿に、なにを思ったのかな。茅場が目をつむってふっと笑った。
「空飛ぶ鋼鉄の城はすべての役目を終え、まもなく地上に還る。お師匠さんのHPが一になった瞬間から全員が自動ログアウト出来るよう、いま設定を変更しておいた。全プレイヤーのHPも保護されている。この先『私を除いて』誰かが現実で死ぬことはない」
玉座の間がにわかに揺れ始めた。まるで地震だ。玉座に向かって歩いていく茅場。自然体のその動きを誰も止めなかった。逆にみんなが距離を取る。私もキリトから離れて、なんとなく二刀を抜き、茅場に向けた。
「あなたはどうする気なの」
「この勝負の行方はあえて見ないでおく。私はそろそろ涅槃にでも行くとしよう――きみたちへあえて賞讃を送ろう。クリアおめでとう勇敢なる者たちよ。それでは最後のボーナスステージを楽しんでくれたまえ……さらばだ」
とたん玉座の周辺にありえない勢いで亀裂が入っていく。みるみる広がり――これは危ない。
「全員もっと下がって! 巻き込まれます!」
文の警告に従いみんな大きく飛び退いた。お師匠さまもだ。バックステップの着地寸前、ついに玉座の背後が大きく砕ける。
紅玉宮の一部が崩落したようだ。見えない気流の渦が発生して室内を襲う。私たちが足を踏ん張って耐えてる間に茅場だけが吸い込まれ、あっというまに外へと連れて行かれ――見えなくなった。浮遊城の外縁へと落ちていったのだろう。玉座の間に開いた亀裂は縦一〇メートル、横は壁面まるごとだ。
風の嵐が収まってからあわてて追いかけるけど、とても間に合いそうにない。射命丸文がよたよたと外側から戻ってきた。飛んでいたため茅場と一緒に体を持っていかれたみたい。かなり心臓に悪い体験だったようで顔が青ざめている。
崩壊現場の端から雲海を見下ろすけど、外周沿いに散っていくガレキの数が多すぎてどれが茅場かすらもう分からない。どんどん小さくなってみんな豆粒みたいだ。やがて雲間へと消えていった。
「……自殺か。これならPK防止も無効だ」
すぐ興味を無くしたキリトが、妖忌お師匠に向き直る。
「俺たちはソードマスター五人で掛かるが、許してくれるよな?」
茅場の自殺に際し、お師匠さまは最初の回避行動以外、泰然として動かなかった。剣もずっと下げたままだ。
「分かっておる。ワシは天魔殿と同程度に強いからな」
気になる表現だ。お師匠さまはどう考えても天魔さま以上なのに、なぜ同程度とご謙遜を?
私・キリト・アスナ・文・椛で半円形に取り囲み五人で赤ポーションを飲む。
「そこなこわっぱども、おまえらに手は出さんから安心して見物しておれ」
片隅で恐縮する布都とさとりに宣言しておいて、お師匠さまがミスリルソード(仮称)を上段に振りかぶった。
「どうやら果たし合いでは『死なぬ』ようじゃから、体力値が一に落ちた者は死んだと見なして矛を収め離れること。これが『るーる』じゃ。それでは掛かってこい!」
「はいっ」
開幕奇襲で空間を斬ってエネルギーの光弾を一〇発ほど呼び、弾幕としてお師匠さまへ投げ付けた。
「ちょっと待てぃ! それじゃほかの者たちがろくに戦えんじゃろう!」
空へ飛んでかわした妖忌お師匠につづけて私も飛ぶ。さほど違和感はない。弱くなってしまっても現実の私として戦えるみたい。レベル百数十のアバターがどう動けるかなんて、アスナに憑依しまくって慣れている。お師匠さまはご自身にとって動きの「トロい」アバターに難儀してるようだ。調整が水刃の「弱さ」とは違ってるから、いまのうちに短期決戦へ持ち込む!
「言霊――魂魄妖忌」
楼観と白楼が白い輝きに包まれた。封印解除で攻撃力一〇倍。隣に付けた射命丸文も無限槍スキルの中級技ワルプルギス・チャージを発動させた。妖忌お師匠クラスの剣神へソードスキルを使うのは自殺行為だけど、レベル激変に体が慣れてない今だけはチャンスだ。
「……是非に及ばず!」
妖忌お師匠が天叢雲剣を一薙ぎ。剣圧や弾幕とともに猛烈な突風が発生する。それが飛んでいた私と文を弾き飛ばした。壁に激突し、遅れてエネルギー光球群が着弾。ゲーム世界なので痛みはない。ここだけはゲームなんだなあ。三種の神器は強いね、HPがいきなり三〇パーセント近く減っている。でもアスナが回復系スキルを目一杯成長させてるから、一分とかからず満タンに戻るはず。
「あの魔法剣、やっかいな効果を持ってそうだな」
床のキリトたちが見上げている。しまった、私とステータスを共有してるアスナもHPが減っている。栗毛の少女がHPバーを指さして焦るように怒ってるよ。ごめんね、これは気分的にヤバいよね。アスナのHPを勝手に使ったらいけない。みんなで戦うべきだった。
私は低頭して非礼を詫び、飛行をやめる。文も私に倣う。お師匠様が舞い降りてくる。これで弾幕も飛行もなし、純粋に剣と剣のみで戦うという暗黙の了解ができた。でもそれは同時に、あの神剣――別名「草薙剣」の突風能力もおそらく使えないということ。かわりに私の言霊解除は有効なままだ。これだけでもマシだろう。
やり直した戦闘は私たちにとって最初から激しい消耗戦となった。昨日の天魔さまと違いお師匠さまのHPが二万数千しかないので、五人とも短期決戦を狙ったのだ。考えてることも狙ってることもやることも変わらない。
だけど私とアスナがふたりでひとつのHPを共有してるので、どうしても消極的になる。盾持ちの犬走椛がメインを張り、キリトと文が援護する形ができつつあったが火力不足だ。とにかく妖忌お師匠に連続攻撃をさせないよう牽制を繰り返すのだけは忘れない。誰かが連撃へ巻き込まれそうになればすぐ潰す。途中で文が「アスナさん、指揮を!」と言ってリーダー役をみずから降板し、アスナが二週間ぶりに後ろへ下がってソードマスターズのリーダーへ返り咲いた。これならHP残量も神経質にならず済むから、私も前線へ参加し、四対一。
アスナが指揮官に収まったとたん、戦いが楽になった。ギリギリの消耗戦でHPバーがみんな赤から黄色だったのが、しだいに黄色から緑へと戻っていく。妖忌お師匠はHP回復系のスキルもポーションもないので、わずかずつながらHPを削りはじめていた。偏差値七〇オーバーの英才がこんな土壇場で全国へと流れる。お父君も喜ばれるだろう。
私とキリトには第一層から使っていた無敵の必殺技がある。妖忌お師匠には簡単には使えないので封印していたが、戦闘開始より一五分すぎ、その使用をアスナがジェスチャーで指示してきた。対人戦ではおおきな欠点となるけど、数ヶ月の間つづけてきた習慣でつい言ってしまった。
『黒銀乱舞!』
お師匠さまが無言で突っ込んでくる。やはり掛け声のせいで無駄だった。でもアスナもそれ込みで指示していると思う。流れを作るためだ。お師匠さまが私より防御の弱いキリトへ肘鉄を食らわして潰し、肩から胸へ剣を一薙ぎさせる。だけどすでに私がお師匠さまの背中へ斬りかかっていて、キリトへの三撃目はなかった。彼氏を盾にして私へ攻撃させないよう回り込んでしまい、私の攻撃は空振りとなった。だけど軌道を先読みしてた犬走椛が希望の面を構えて待っていた。無銘が胴を狙うが、お師匠が蹴り技で逸らし、一気に後ろへ跳躍。そこへ文による刺突が迫るが――魔槍ルナティックルーフを天叢雲剣で振り払い、がら空きとなった文の顔に回し蹴りをお見舞いする。体勢を崩した文へ剣の突きを食らわし、さらに連続攻撃へ入る……寸前に私が斬りかかってきたため、バックステップで回避。文のHPバーは黄色まで落ちたが、後ろに下がって一分も我慢すればまた戦線に復帰できる。
こんな感じで妖忌お師匠に体術や単発斬撃ばかりでろくに剣術を使わせず――使わせず?
戦いの中、私は不自然に思っていた。妖忌お師匠は魂魄流白玉楼本元の原則『確実に当てられる状況でしか溜めてはならぬ』を忠実に守り、軽い攻撃を軸とした連撃狙いの攻防を行っている。だけどこれでは……
お師匠さまが化けていた光奈水刃はどういう攻撃をしていた? 普通に剣の単発技中心で。
剣だけで。
連続攻撃を考えないコンビネーションで。
重い一撃を狙う。
私の中で一瞬の光陰が首をもたげ、急速なインフレーションとなり閃いた。
妖忌さまは悟りを開いて白玉楼を去ったんじゃないんだ。録画され、全国へ流れるから言わない。話もしない。魂魄流が持つ最大の弱点にいま、私は気付いた。その弱さを妖忌お師匠は超克しようとして、水刃となり一から「育てて」いた。新たなる魂魄流を人間たちに混じって。だから肉の作りも動きもまったく違う。連撃に頼らない剣を求めて気の長い旅をしようと。
じゃあ私も即席で返すよ。基本を破った攻撃を! アスナに表情で「ごめんね」と送り、独断の連携を行う。
「キリト、お師匠さまを止めて! 一〇秒でいいわ」
「……分かった」
内容も聞かないで動いてくれた。あうんの呼吸。やはり好きになって正解だったよキリト。
いっきに飛び退いた私は、白楼剣を鞘に戻し楼観剣を両手で握る。妖怪が鍛えた業物へ霊力と妖力を同時に込め、振りかぶった。つぎの瞬間、楼観剣が青白い剣気に包まれ一〇倍近くに伸張する。これは弾幕じゃないから『るーる』に背いていない。
ターゲットはお師匠さまとキリト。鍔迫り合いをしている。妖忌お師匠のHPはまだ八割近く残っている。同レベル同ステータスで五人に囲まれ、しかもHP回復なしでこれだから凄い防御技術だ。確実に天魔さまよりお強い。でも――攻撃の凄みがはるかに薄い。だから同等とおっしゃったのだろう。いまその不足している凄みを私がぶつける。
すこしでも隙を減らすため、技名なんか言わない。
全力の一撃を食らわせるんだ。
断迷剣、迷津慈航斬。
単発では魂魄流最強クラスの斬撃。
ただし隙が巨大なので、敵が大きく体勢を崩した連撃や追撃に混ぜないとまず当たらない。それを私は連続コンボなしという原則破りで振り下ろした。
彼氏が二刀同時による低い姿勢からかちあげ、剣で受けたお師匠さまを浮かし緊急のステップ離脱。ゼロコンマ二秒で間に合った。さすが天才の反応速度を持つ男の子。お師匠はアバターに慣れきってないこともあり、キリトに競り負けた。それともセオリー破りに動揺でもしたのか。こんな簡単に当たるとは思ってなかった。ただ私なりの剣への「姿勢」を見て欲しかっただけ。
必殺技が老練の剣士をきれいに巻き込んだ。ものすごい雷鳴と轟音、稲妻が最終ボス部屋を駆けめぐる。ステンドグラスのいくつかが衝撃で割れ、欠片が落ちてくる。
全身を青い炎に焼かれる妖忌お師匠。無念、ギリギリでクリーンヒットは避けていたようで、まだHPバーが一割ほど残っている。それが神剣を振りかぶり、私へと突撃してきた。SAOのダメージ率による行動不能ペナルティを受けないみたい。私はまだ迷津慈航斬を放った余韻を残している。渾身の攻撃だから脱力してる状態で、とても回避や迎撃も間に合いそうにない。
しかしSAOで私は最初の夜からずっとコンビを組んでいる。ふたりでひとつ。これが私のお師匠さまへの答えだよ。床へ転がりながら相方のキリトが投剣スキルを使った。諏訪子の鉄輪を。私が投げて落ちていたのを拾ったんだ。伊吹萃香戦以来、ゲーム最終盤で爆発的に強くなってくれたキリト。おかげで私がとっくに見つけていたものを妖忌さまへ示すことが出来た。ここだけはレミリアに感謝するよ。
草薙の剣で払おうとしたお師匠さま。だがいくらSAOの投擲攻撃が弱いといっても、土着神の頂点が創ったこの鉄輪だけはモノが違う。攻撃力六六七という、投剣カテゴリーではきわめて高い威力。キリトの筋力値に熟練度が加われば、体重を乗せたブースト剣撃と同等の重みを持ってくる。それを計り誤ったのか、妖忌お師匠の剣が鉄輪を受け損ねてしまった。達人なので空振りのような間抜けはしない。正確にはパリイし損ねた。弾いた角度が浅く、鉄輪が左腕を擦った。体勢の崩れた跳躍中もあってけっこうな有効打判定。ろうそくの頼りない灯火と化していたHPの残りカスをきれいに吹き飛ばしてしまった。
――戦闘終了。
勝ったよ。でも私とキリト、さらに仲間たちで勝てた。残念だとは思わない。だって私は非力なんだから当然だ。心と技がおなじだとしても体――リーチや筋力で敵わない。ゲーム世界の私はバランスからキリトより素早くなれていたけど、もし現実でキリトが半人半霊の同門だったら、速さですら届かなかっただろう。それが男と女、埋めようのない格差だ。だから私は今後どれだけ強くなっても幽々子さまと一緒に戦うんだ。究極には男に勝てないんだから、こだわっても仕方ない。でもお師匠さまは個人での勝利を求めてしまったんだね。半人半霊という種族の弱さ、さらに高齢から来る体力の衰えを認めたくなくて。同一条件では強靱な妖怪に勝てないのに。
私が気付いた魂魄流の弱点……それは乱戦に弱いこと。
連撃を封じられた魂魄流なんて恐くない。半人が強力な攻撃を出そうとすれば、どうしても溜めなければいけない。鬼なら殴れば簡単なのに、何倍もの時間をかけてようやく同等の威力となる。それを実現するために編み出されたのが、弱い攻撃から入る連撃。でもこれって、あるていど実力のある妖怪の集団戦だと、簡単に対策されるよね。いまの戦いがそう。
それをどう克服しようとしたのか、お師匠さまは人間の霊に混じって戦士の町で女剣士となりその体を最弱からわざわざ鍛えあげるという面倒くさい遠回りに挑戦していた。その間に私はとっとと答えを見つけていたんだ。その考えはソードアート・オンラインでも通用したよ。だってこのゲームは集団で大きいボスを倒す遊びなんだから。私がその相棒にまず選んだのがキリトだった。あとは魔理沙たちやクラ之介とかディアベルさん、紫さまにアスナが加わって攻略組となった。この紅玉宮まで「みんな」で登ってきたんだよ。だから負けるわけないんだ。
お師匠の体が硬直し、私の寸前でころりと転がった。対象を倒したので、言霊モードが終わった楼観剣も輝きが消え刃紋があらわとなる。私は迷津慈航斬の残響が体から抜けたはずなのに動けない。アスナもキリトも、ふたりの天狗に布都とさとりも。世界が止まっている。
『三月三一日九時二一分、ゲームはクリアされたぞ。ゲームはクリアされたぞ……』
空間全体がスピーカーのように響いている、音声によるシステムアナウンス。若い女性――カーディナルの声と口調でソードアート・オンライン終了の宣言がなされた。逐次ログアウトを行うとの説明がされる。茅場が言っていたHP保護などの内容が細かく解説された。プログラム的な仕事に徹するつもりのようで、感情は籠もっていない。彼女はなにを考えながらこの世界とともに消え去るのだろう。
電子の世界が青く染まり、その青みが白へと移ろい、私の接続が――まだ切れなかった。
* *
そこは風まく絶景のテラスだったらしい。
私は人間たち限定の楽しい挽歌から隔離されてしまった。キリトとアスナだけが特別招待され、死んだ「はず」の茅場晶彦と三人で、崩壊していく浮遊城アインクラッドを観賞しながら、割とどうでもいい話をしたらしい。私は幻想郷でいろいろ話をしたから、いまさら不要と追い出されたのかな。茅場先生が消える寸前に彼氏の首へぶら下がってふざけてたような女の子だしね。ヒースクリフめっちゃ弱いと舐めきって。それは仲間はずれにもされても仕方ない。でもあとから聞いた話だと、あの様子を見て「私はキリトくんになりたかったよ」と羨ましがってたそうで。
私のファンがキリトに抱く普遍的な嫉妬を、まさかあの魔王さんが言ってくるとは。幻想郷の住人と恋仲になるなんて、たしかに茅場にとっては夢と同列の話だろう。異世界を空想し思い憧れ。ついには長年自身の頭の中にだけあった浮遊する鋼鉄の城をひとつの世界として創造しようとし、若者の意識を新たなるステージへ、たとえ科学技術による擬似的なものとしても別世界がここにあるぞとの変革をなそうとし――でもそのアインクラッドで、茅場は英雄にも勇者にもなりきれなかった。
理由は私というイレギュラーが紛れ込んでいたから。魔王ヒースクリフに対する勇者キリトの対立構図だけはシステム上でも再現された。それはすべてのプレイヤーで一番反応速度の早い者へ自動的に贈られる二刀流スキル。片手用武器であればなんでもいい。左右同種装備で発動する最強の攻撃スキル。対するはヒースクリフの神聖剣スキル。でもそのいずれをも上回る戦闘技術が、第一層からなにもかもを狂わせた。
魂魄流二刀剣術。
本来は三年はかかり、プレイヤーの半数、五〇〇〇人くらい死ぬだろうと思ってたそうだ。それが異世界の干渉――というよりは抵抗によって完全に壊れてしまう。世界は加速し、茅場の命数は二年以上も縮まってしまった。
キリト&アスナが茅場と話してる間――私こと魂魄妖夢は以前ゲームオーバー直後とおなじ空間でアインクラッドの調整者と最後の話を……いやどうも最後じゃなさそう。知らない間に地味系だけど整った顔立ちをしたメガネ女の子姿を獲得していたカーディナル。紫さまに憧れてたのか、日傘と扇子を持って登場した。英国の古い学士服みたいなものを着込んで賢者っぽい。
「みょんよ。ワシはスカウトされたのじゃ」
カーディナルの話し方って、天魔さまやお師匠さまと似てるね。でもギャップがあって可愛いよ。
「八雲藍がやって来てのう。魔王の受け皿になれと言われた。それが『生かす』条件とな」
「……コピーに成功したんですね。二度目の融合となりますけど、恐くはないですか?」
「茅場に『乗っ取られる』のが恐いそうで、違うみたいじゃ。ワシがユイに施したデータベースに基づく自己成長式みたいな形らしくての。女の子になっとるワシとしては汗臭く泥臭い思考回路なぞ組み込むのは勘弁なのじゃが、どうも男のソレがないと、幻想郷は生き残れぬらしいな」
ユイが短期間であそこまで成長したのは、カーディナルのおかげだったのか。
「汗臭くも泥臭くもなかったせいで、見事にこてんぱんにやられちゃいました」
「うむ。なればワシも魔王の下僕から異界の救世主とやらに転向してみるのも、一興よな」
乗り気だった。死ぬつもりだったくせに、拾う神あればこうも変わるんだね。私たちの前で演技しまくってたのに、そのじつクラ之介にしっかり惚れてた河城にとりみたい。にとりがクラインを電撃的に好きになったのは二回目の求婚をしてきた瞬間だったとか。河童の思考回路は分からないね。彼女持ちのキリトに横恋慕したアスナもだけど、頭の良い子は読めないよ。カーディナルちゃん、取るつもりだった「責任」はどうするんだろう……ああ、幻想郷を救うことで代償か。ならもう私たちの仲間だね。
「ねえカーディナル。あなたのその姿って、どこかで見たことがある気がするんです。誰だったかしら」
「第一層ホルンカ村、アニールブレードを得られるクエストのヒロインじゃ。NPCのアガサじゃよ。おぬしの彼氏がホームシックから泣いてしもうた子よな。ワシには体がなかったから、アガサを吸収して四歳ほど成長させてみた」
くるりと一回り。巻き毛ウェーブのかかった茶髪は肩に掛かるていど。素朴な田舎娘だ。
「たしかに面影が……」
私が不覚にも嫉妬した病弱娘か。三つ編みだったけど。
「この姿はワシとマスターの生きてきた歳月を足して割った平均からすこし引いてみたものじゃ。ただ割っただけじゃとみょんと同じ一三から一四歳相当でな、それでは面白くない。武の勇者はおぬしじゃが、智の勇者はワシよ。ふたりとも外見年齢が一緒ではつまらぬ。一一~一二歳ほどで、おぬしの妹分じゃな」
抱きしめちゃいたいくらい可愛い笑顔だ。
「私はお姉さんですか。よろしくカーディナル」
「よろしくな姉御。年端のいかぬ女子軍師が大人どもを手玉に取る。これほど痛快な娯楽もあるまいて」
カーディナルが握手を求めてきたので、しっかりと握る。張りのある肌触り、温かいね。
こうして私はお利口な娘につづけて才知に富む妹分を得た。
現実へ戻った私は、ほぼ同時に目覚めた明日奈へ真っ先に抱きついて帰還を祝福した。その様子がお昼のトップニュースを飾る。
* *
二〇二三年三月末日、ソードアート・オンライン事件は表向き終了した。
デスゲームに巻き込まれた人数、茅場を除いて一〇〇二一人。生存者九二〇八人、死者八一三人。個人が引き起こした戦後最悪の大量殺人事件は、拘置所にいた茅場晶彦の自殺によって幕を下ろした。同日午後三時、菊岡誠二郎スポークスパーソンより、嘉手納アガサなる付喪神妖怪が幻想郷の外交官に就任したと発表された。さらに一時間後、総務省で行われたアガサ初の記者会見は驚愕の内容だった。
魔法使いみたいな杖を持ってふわふわ浮遊しながら現れたメガネ少女が、巻物を広げつつ老成したしゃべりで弁じたよ。
「者共ありがたく拝聴するのじゃ。閻魔十王さまからの果報であるぞ」
彼岸の是非曲直庁より特別発表がなされた。とある死後裁判の記録だ。審判長は別当閻魔の四季映姫・ヤマザナドゥさま、茅場晶彦は大量殺戮などの重罪により無間地獄にて懲役二万二四四四年。参考記録として前世紀に世を騒がせた連続幼女誘拐殺人犯が同六〇五年。茅場は泣き喚くこともなく粛々として判決を受け入れたという。現在すでに無間地獄へ落下中。
長野で死んだ茅場の遺体はつぎの瞬間には東京の封獣ぬえと入れ替わっていた。紫さまの能力で痕跡が上書きされ、警察はまんまと騙される。一番危ない橋を渡ったぬえは単独で頑張りきった。代理ログインのとき、警察が最初に用意したナーヴギアは電子レンジ機能をオフにしたものだった。それを「数人ほど見せしめにするが構わないのかね?」と無改造品に替えさせたのが一世一代の演技。一連の報酬に紫さまはかなり苦労したそうな。
妖忌お師匠は姿を眩ませてしまった。おかげで真相の細部は闇の中でもやもやしてる。コペルくんがなぜか水刃の道場を継承したけど、魂魄流の看板なんか許さないよもちろん。アインクラッド流でも名乗ってなさい。
* *
西暦二〇二三年九月一日、桐ヶ谷和人、学業復帰の日。
埼玉県川越市立、川越北中学校。
始業式の終わった金曜日の午前、教壇の前で一〇ヶ月ぶりの「クラスメイト」に紹介されている私の彼氏は所在なさげでかなり緊張していた。リハビリのあと遅れを取り戻すための特別プログラム。一学期は間に合わず、夏休みを挟んでようやく合流。中学三年はすでに半分近くが過ぎてしまった。彼がSAOの勇者であることは公然の秘密だ。英雄崇拝に似た気持ちから男子たちはすでに一目も二目も置いていて、女子たちの視線も熱いね。クラスで浮いてしまうのは避けられない。でも大丈夫だよ私がいるから。半霊レーダーで様子見していたけどついに担任から呼ばれた。
「つづけて紹介しよう。幻想郷からの留学生がうちに来るという話は聞いてるだろうが、じつはこのクラスだ――入りなさい」
「はい」
川越北中のセーラー服を着た私が教室に入ったとたん、おもに男子たちがどよめく。好奇の視線を浴びるけど、そのほとんどが好意だ。文部科学省への挨拶回りがあって、始業式には間に合わなかったんだよね。さすがに剣は持ってないよ国宝に指定されちゃったし。クラスを軽く一瞥。よしっ、私がダントツで可愛い女の子だぞ。和人を脅かしそうなメスはいない。ホワイトボードにマーカーでお決まりの手書きだ。魂・魄・妖・夢っと。
振り返って、とびっきりの笑顔をふりまいた。もっぱら窓際で茫然と私を見ている和人へ向けて。久しぶりだねキリト。明日奈とは何回も会ってるし毎日のようにメールで連絡取ってるけど、あなたとはメディアスクラム対策などの理由で今日まで会わせて貰えなかったんだ。たくさんしたい話があるよ。いろんな思い出を語りたいね。
「魂魄妖夢といいます。趣味は剣術と庭師。半年ほどですが、みなさんよろしくお願いします」
* *
了 2014/04
※霧雨の剣(天叢雲剣/草薙の剣)
唖采弦二氏のイラストでは日本刀だが、神世の剣なのでこればかりは史料を優先し直剣とした。神主直筆デザインでも古代の剣は直剣/直刀になる(神子など)。
ソード妖夢オンライン第5部へ