二三 結:幻想郷オンライン

小説
ソード妖夢オンライン4/一九 二〇 二一 二二 二三 二四

 レミリアの急造イベントがはじまって、すでに一五分がすぎている。永遠に幼い吸血鬼が回りくどく長々と語った内容はなにかというと、なんとも彼女らしいお遊戯だった。ようやく企画名を明かしてきたとき、まともに会話してたのは射命丸文だけである。
「はあ……『幻想郷オンライン』ですか」
 メモ帳にてきぱきと書く。本当によく集中力が持続する鴉天狗だと、うんざり気味ながら感心している妖夢だ。体のコントロールはとっくにアスナへ返している。
「そうよ、いい企画でしょう? どうせ出来レースなんだから、せいぜい利用してあげないとね♪」
 御機嫌なレミリアであった。最後に名が出て、これで話は終わったかのようなものだ。だが悪魔は気紛れな性格にふさわしく、蛇足的な世間話へと意識を移してしまった。
「そうそう。あなた、キリトと言ったわね。面白い運命が『いくつか』見えてるけど、さて。いまは『こちら』のほうにしておきましょうか」
「……迷宮区を踏破してきて疲れてるんだから、いいかげん休ませてくれよ」
「永遠の若さには興味がおあり? 簡単には疲労しなくなるし、妖夢ともずっと一緒にいられるわよ」
 世間話以上の、ともすれば将来に関係した重い話題だった。妖夢も思ったことのある命題だ。キリトが半人半霊だったらいいなと妄想したこともある。あえて避けてきた話だった。
「……俺に、吸血鬼の(しもべ)にでもなれと?」
 胸元にもってきた両手を幽霊のうらめしやみたいに広げ、レミリアが微笑む。
「あら、私が血を吸ったくらいで不老にできるなら、人間界はとうにヴァンパイアが支配してるわよ」
 これは暗に、そういう危険な吸血鬼はとっくに滅ぼされたことを示唆している。
「たしかに。それで、どうして俺にこんな話をするんだ」
「モンスターだと知っても妖夢から逃げず、迷わず愛を選んでいるからよ。殊勝なことだわ。人と妖怪は寿命がまったく違うから、ゆえに知りたいと思うんじゃない。私もかつて人間の従者に聞いたんだけどね、あの子ったら、死ぬまで人間でいますって返事してきたのよ。でも自分の時間を止めて、とっくに久遠の若さを手にしてるようだけど」
「それってまだ人間なのか?」
「吸血鬼の私から見れば、半人の妖夢ですら人間の範疇よ。人の身のままで不老といえば、仙人や天人、魔人がいるし、生きながら神となり奇跡を起こす方法や、魔法使いになるのも有効だし、特別な薬で不老になった者を食べ、能力を奪う手もある。色々あるのよ」
「俺はいま、SAOをクリアして早くこの世界を終わらせるほうが先だ。世迷い言に惑わされてる暇はない」
「ならせめて、なぜ妖夢との別れを選ばなかったのか、教えてちょうだい。それくらい、いいわよね。だって私のおかげで、この先一〇階層の難易度が多少は緩和される見込みなんだから」
『……また責任感や義務感からと言われたらどうしよう』
「妖夢ちゃんが知りたいって。けっこう真剣みたいよ」
 文や椛も聞きたがってる様子だ。アスナも興味を持っている。
「……いいか、一度しか言わないぞ」
『はい』
「OKだって」
「妖夢が可愛いすぎるからだよ……」
 彼氏が低い声で言ったそれは、予想もしなかったものだった。
「へ? キリトくん、なにそれ」
「恐いと思えるのか? こんな……いやいまはアスナに憑依してるけど、あんな可愛い妖夢をさ。俺は妖夢がいなければ、第一層の薄暗い森で死んでたかもしれないんだ。二刀流を覚えて一週間で第一層を突破することも出来なかったし、デスゲームなんて殺伐とした世界で、ここまで充実した日々を送るなんて想像もしてなかった。妖夢がみんな変えてくれたんだよ。いるといないとでは、まったく違う。きっとまだはるかに低い層で、ずっと下手くそでもっと弱い俺が、必死に抗ってただろうさ。元ベータテスターとして、白い目で見られているかもしれない。それをどうだ、いまの俺は。英雄さま、勇者さま扱いで、妖夢だけじゃなくアスナまで俺を好きになってくれて、結婚したいとまで言ってくれる。ここまで全てを変えてくれた、『見たことのない世界』を見せつづけてくれた妖夢を、どうして恐いと? ありえない!」
「キリトくん……それって、あなたが妖夢ちゃんとコンビになったときの約束よね」
「ああ、あの契約は、たしかに果たされている。この瞬間もずっと」
『……本当に私が大事なんだ』
 まだ以前の半端な言い方を残してるけど、思いのほうは変わっている。でなければ可愛いからだなんて言わない。恐くないの拡大として、可愛いと言ったのだろう。「好きだから」でいいのに、それでは足りないと思ったのだろうか。それとも好きなのはあたりまえだから、ほかの言葉を探して辿り着いたのだろうか。いずれにせよ『可愛い』はクライン以来、妖夢にとって特別な単語だ。それをキリトが選んできたとは、運命すら感じる。
 うふふっと、レミリアが小さく笑った。
「その恩義と『可愛いすぎる』との接点がよく分からないけど、あなたの妖夢への想いは伝わったわ。おのれを語るのが苦手なだけのようね。その若さに免じて、満足してあげましょう――」
 レミリアの体がにわかに崩れはじめた。数秒とかからず黒い塊になり、そこより大量のコウモリが飛び立つ。キリトとアスナが反射的に剣の柄を握るが、コウモリたちはただ空へと広がり、四方八方へ散っていくのみ。
「――信じたまま歩みなさい。妖夢とアスナを愛する限りにおいて、きっとあなたは幸せになれる。運命を統べるこの私が言うのだから、間違いないわ……」
 レミリアが完全に消えると、紅いドームにみしっと音がして、つぎには掻き消えていた。午後の陽気と穏やかなBGMが復活する。
『妖夢ちゃん、いまの子、最後にすごいこと言ってなかった? 私たちを愛する限りってところ』
 アスナが念話で話しかけてくる。乙女の秘密タイムだ。
『……はい。レミリアはキリトへ釘を刺してくれました。浮気したら嫁が恐いぞって』
『伝わったかしらね』
『きっと伝わったと思います。信じましょう』
『運命を統べるってことは、キリトくんが浮気する運命が、つまりそんな未来もありえるってことよね』
『キリトの場合、自分からではなくて、女にすり寄られるパターンがもっぱらだと思うわ。まず私とアスナがそうでしたよね』
『先物買いに成功したくらいで安心してはいけないってわけね。キリトくんをしっかり監督しましょうね』
『協力しますよ。これまで誰もその魅力に気づかなかっただけで、SAOでブレイクしたキリトは最高に格好いいですから、今後は泥棒猫が放っておきません』
 妖夢の主観では最高に格好いい彼氏が、さっそく妖夢inアスナに近寄ってきた。
「アスナ、妖夢。あとで話があるんだが。宿屋を借りてから」
「なに?」
 アスナの鼓動が早くなっている。心持ちな緊張と喜びだ。
「また俺に黙ってただろう。幻想郷は茅場と手を組んだな? アカウントにフロアボスを設定して、さらに自由に動き回るなんて裏技、カーディナルと同等の権限がないと不可能じゃないのか?」
 ……勘が良すぎて困ります。
     *        *
 アスナには裏事情も含めて真実を教えていたが、キリトには茅場を警察へ引き渡した件しか伝えてなかった。妖夢が表に出てきて説明する。
「そうか、あいつは死ぬ気なのか……」
 妖夢inアスナより茅場幻想入りと逮捕に至るまでの真相を聞かされたキリトは、なんと反応していいか分からない様子だった。
「ごめんなさい。いずれ言うつもりだったの。でもキリトが第七五層でどれほどの思いで決死の勝負をかけたのかって思うと、なかなか決心がつかなくて」
 妖夢は見てないが、ヒースクリフへ攻撃を仕掛けたキリトの行為は、まちがいなく命を賭けたものだった。ヒースクリフが茅場でなかったとしたら? 保護がなく一撃でHPを削りきってしまっていたら? 茅場だと証明できても報復で殺されるかもしれない。勝利の道は様々な可能性の中で、ごく細い範囲にしかなかった。おそらく茅場の気質に期待して「行ける」と踏んだのだろう。結果、キリトは最善となるゲームクリアこそ得られなかったが、次善となるヒースクリフ追放に成功する。
 SAOより去った茅場は、幻想入りという奇策を選択した。異世界に転がり込んできた、あらゆる事変の動因。とてつもないジョーカー札を手に入れた幻想郷。
 ところがその貴重なカードを、八雲紫はどう使ったのか。
 キリトの目には、おそらく裏切りとして映るだろう。少女だらけの異郷は、女ゆえに名より実を取った。正道にこだわらず横道(おうどう)を選んだ。利己的ながらも基本は正義を好むキリトに、どれだけ受け入れられるだろうか。
「……あいつは、死んだらどうなる」
 判断材料としての確認だろう。それこそ妖夢の専門だった。
「大規模な法益侵害により、議論の余地なく地獄道の最下層、無間地獄送りです。おもな罪状は大量監禁・大量傷害・大量殺人・大型詐欺・特別背任・逃走・自殺となるでしょう。SAO内の犯罪教唆などは考査されません。刑期は併科・乗算式で、おそらく三万年前後。これに善行ぶんの短縮があります。ニードルス技術を世にもたらした公共の福祉によって数千年ほど酌量されるでしょうが――それでも残り二万年以上。没地が信濃の予定で、審判する閻魔は私たちの仲間、映姫(えいき)さまになります。二交代制ですから確率は二分の一ですが」
 死後の世界は役割ごとに数が決まっているが、閻魔さまは一〇〇人以上、裁判所だけでも五〇箇所近くもある。魂の悔悟をしっかり検分するには分担が必要なのだ。一審制・累積制のうえ再審も利かないから、どうしてもごく少数の誤審が発生してしまうが、人間側が『そう信仰した』結果、『そう決められた』システムなので、閻魔たちもよくやっている。
「地獄の沙汰には詳しいね。もし茅場が人間の裁判を受け、死刑になった場合は?」
「自殺ぶんが除算されるのと、現世での刑死ぶんが割り引かれ、六割ほど、ざっと一万年は減刑されます」
「一万年って、すごい差だな……あの世へ逃げるよりずっと楽じゃないか。茅場が幻想郷に『遺す物』はなんだ?」
「彼の意識と知識だそうです。たぶん脳を完全スキャンして、カーディナルのようなAIになるのではと。その代償が死です」
「スキャン……コピーの成功率は?」
「まだ機械が出来てないので不明です。それに、ぶっつけ本番になりそうなので」
「はっはっ……そうか。どのみち茅場の『霊魂』が確実まっすぐ地獄行きってわけなら、怒っても仕方ないかな」
 キリトが笑っていた。思わぬ反応だった。
「え?」
「だって幻想郷を『救う』のは、『生きてる』茅場じゃなくて真似をしてる『モドキ』だろ? しかも成功すると限らない。NPCやAIに腹を立てるのは、モンスターMobを本気で嫌うのとおなじだ。憎むべきは見えてるものじゃなく、その裏にいて設定し、操る人間のほうだ。そいつが死にたいのなら、勝手にしてやがれだ。カーディナルも責任を取って消滅する気らしいし、そういうケジメの付け方も、俺には逃げにしか見えないけど、やり方としてはアリなんだろう。でもいくら逃げたところで、閻魔がかえって厳しく裁いてくれる。だから俺たちは、俺たちだけに出来る方法で、生きるため先に進もうぜ」
 キリトの笑顔がぼやけてくる。涙が自然と出てきていた。期待以上、最高の返事だ。
「……あ、ありがとう。キリト……えぐっ」
『良かったわね妖夢ちゃん』
「妖夢、教えてくれてありがとう。きみの正直さに感謝するよ。辛いだろうに、よく言ってくれた」
 背中を抱いて撫でてくる。温かい。密着により心音が伝わる。彼氏は落ち着いている。体温だけじゃなくて、心のぬくもりにも思われ、ありがたい妖夢だった。
「いますぐあなたのお嫁さんになりたい」
 とっさの求婚コマンド。キリトの目前に承諾するかどうかのウィンドウがあらわれる。彼氏がNOを押そうとして、何秒か迷って――
「どさくさに紛れてなにやってんだ? 俺は許しただけなのに、なんで結婚なんだ? アスナの顔と体で」
『ちょっ、なによそれ! キスしたくせに』
「みょーん。ごめんなさい!」
「まったくいちいち可愛い奴だなこいつ」
 今度は頭を撫でながらOKを押してくれた。そのまま強く抱きつく。アスナはキリトと身長がほとんど変わらないので、自然に抱き合える。たとえゲームの中だけとはいえ、叶えたいものが実現した。もうなにも言うことはない。出来れば凍結されている妖夢のアバターや現実のほうでやりたいが、いまは贅沢すぎる悩みだ。ただ感激の中にいる妖夢だった。
「……愛してます」
『キリトくんに聞こえないけど、私も愛してますっ!』
「アスナも愛してるって」
「よし、一日でも早くクリアして、コピーの成功率とやらを、すこしでも下げてやろうぜ?」
 無意識にアスナの体をベッドへ押し倒してしまったエロ少年。乙女の悲鳴とともに宿屋の窓から放り投げられるまで、あと五秒。
     *        *
 二〇二三年三月二〇日午前一一時三〇分。
 第九〇層フロアボス攻略戦に参加する戦力は、ソードマスターズ四人にプラスし、河城にとりとクラインのなんちゃって夫婦だ。ディアベルが魔理沙を見送ったように、にとりが能力を解き放った場合、その最後を目撃したいとクラインが強く希望した。八雲紫が決めていた順番を、射命丸文は変えてない。理由は「面倒ですから」と、愛嬌よく笑って済ませた。
「この扉の浮かし彫り、いかにもですねぇ」
 幻想郷クラスタの新リーダーにして、ソードマスターズの新リーダーも兼ねている射命丸文。重責なのだが、当人は相変わらず飄々としている。飛行Mobの能力で三メートルばかり宙に浮き、魔槍ルナティックルーフでボス部屋の大扉をつんつん叩いた。
「……逆さまの城、だよな。こんなにはっきりとした意匠なんて、はじめて見るぞ」
 キリトのつぶやきに、彼氏と腕を組むアスナも同意した。
「これがあの吸血鬼ちゃんが言ってたことの正体よね?」
輝針城(きしんじょう)です。フロアボスは一寸法師の末裔』
「妖夢はなんて?」
「一寸法師の子孫だろうって」
「しょっぱなからメジャーなおとぎ話か。かぐや姫と一緒に戦ってたから、いまさら驚いてもしょうがないけど」
 キリトとアスナの左手薬指には、金色の指輪がお揃いで輝いている。夫婦の証だった。
「それではみなさん、まずポーションを飲んでください」
 最近の習慣となっている儀式だ。結晶無効化エリアだから、わずかでも生存確率を高めるため、HP満タンでもポーションを飲み続ける。ダメージを受けてから飲んでる余裕があるとは限らない。気休めだろうが、やらないよりはマシだった。
 赤いポーションを飲み干し、揃って空瓶をドアへと叩きつける。割れた瓶が細かいポリゴンのチリとなって消えた。ささやかな願掛けだ。
「それでは、戦闘開始を。椛」
 射命丸文はやはり、前へ出ない。新聞記者としてならカメラを持ってどんどん動くのだが、生来より責任というものが苦手なのだ。妖怪の山、天狗の社会でも好んでヒラ天狗のままでいる。一二〇〇歳を超え、幻想郷最速の飛翔速度を誇り、純戦闘力も高く、魔道具の葉団扇(はうちわ)を操り、個人新聞のシェアは幻想郷トップ。内容と地位が天と地ほどに釣り合わないが、この鴉天狗が天狗社会の幹部になることは今後もないだろう。
 犬走椛が、無言で扉を押す。すこしだけでいい。あとは勝手に開く。
「妖夢ちゃん、交代よ」
『はい』
 キリトに廻していた腕を解いたアスナの体が、半瞬だけだらんと力が抜けたようになる。すぐ妖夢が表に出てきて、背中と腰裏の二剣を抜いた。隣でキリトも背中の交差鞘より武器を抜いている。
 先頭は椛、第二陣に二刀流夫婦、つづけて文、最後に河童夫妻だ。
 戦闘エリアは『逆さま』だった。広さはわずか二〇メートル四方、高さは四メートルもないだろう。超ボスの部屋としては狭すぎる。見た目は天守閣の低層を上下反転させた感じ。ほとんどなにもなくて飾り気に乏しいが、ふすまや屏風の飾りは女性的な図柄だった。それらはみんな「天井側」にある。妖夢inアスナたちは床となった天井板を歩いて、戦闘スペースへ進入した。背後で音がする。自動的に扉が閉じ、すうっと幻のように消えた。脱出不可能は第七五層以来。BGMのない、まったくの無音空間。どこにもボスの姿らしきものがない。これはまさに、第二五層・第五〇層・第七五層とおなじ。
「にとりさんたちは隅っこにいてください。クラインさん、けして前に出ないよう。奥さんを守って」
「がってんだ」
 文の指示で壁際まで下がった河童娘と野武士は、しっかり手を繋いでいる。
 ソードマスターズは四人して部屋の中央へ。あるていど動いておかないと、仕掛けが反応しないこともある。
 ……だが。
 五分後。
「お~い、フロアボス~~」
 一〇分後。
針妙丸(しんみょうまる)ちゃーん、どこ~~?」
 二〇分後。
 シートを広げ六人でお昼ご飯を食べていたところに、ようやく演出が始まった。
 ボス部屋のど真ん中、宙に描かれる赤い魔法陣。その魔法陣を水面として、すこしずつお茶碗が浮かんできた。漆塗りで高価そうな立派なものだ。特大サイズで、大きさは人間が入れるくらい。これを川に浮かべて木の棒でも持てば、一寸法師がお椀に乗って漕ぎ出すシーンを再現できそうだ。乗るのは人間だが。完全に出現して、BGMと有効化の色変わり。室内全体が赤紫色へと変わっていく。音楽は妖夢も聞いたことがあるもので、タイトルは輝く針の小人族。シンセサイザーが利いている、格好いい曲だ。お椀がゆっくり天井床に舞い降りる。魔法陣がうっすら消えた。
 どこぞより実体化した人間大お椀の底には、大の字になってぐ~すか寝ているちっこい小人族の少女。すでに五段のHPが表示されていて、カラー・カーソルは赤。さすがにレミリアほどどす黒くはない。ボス名は『The Sukunabikona』、一寸法師直系の子孫、とはいえ長寿命の妖怪だからまだ五代目くらいの少名針妙丸(すくなしんみょうまる)。身長は二五センチほど。人間の血が混じってるので、十数センチていどと伝えられる一寸法師より大きいが、それでも妖夢たちと比べればずっと小さいお人形サイズ。着物姿だが、椀型の兜と縫い針の剣で武装する。隣に黄金色の小槌。打ち出の小槌というマジックアイテムで、およそ三〇センチ。物を大きくしたり小さくしたり、望んだことを叶える不思議な魔道具だ。
 アスナが頭の中で歓声をあげた。
『きゃー! この子なに、可愛い~~!』
「でもたぶん、あの輝針剣の一撃を受けたら、HP半減しますよ。ただの縫い針じゃありません。打ち出の小槌で強化された妖剣です」
「いまのうちにさっさとダメージを稼いでおきましょう」
 文の提案で、四人して眠る超ボスをぷすぷす刺しまくった。痛みを感じない世界といっても不快感くらいは生じるはずだが、完全に熟睡している。一向に起きる様子のなかった針妙丸がようやく目覚めたのは、出現より一五分ほどもしてからで、HP段が最後の一段の、レッド寸前になっていた。
「あ~~? ここどこ? しまった! や、やあ、私の逆さ城にやって来たということは、小さな弱き者たちのため、『世界をひっくり返し』に来たんだよね。なら私と一緒に……あれ、体が動かない」
 椛が済まなそうに頭を下げる。
「すみませんね、登場の口上、もはや意味ないです。タンブル中みたいですから」
「なによそれ――何時間も待たされた挙げ句、こんな落ちなんて、レミリアのばかー!」
 青い風船へと移ろい、まったく何もしないうちに小人族の姫君が弾け飛ぶ。
     *        *
「このメイス、こんなちっこいくせに、軒並みおっそろしい数値ね。片手用で攻撃力八〇〇なんて、完全なバケモノじゃない」
 リズベット武具店のマスターが、金色の小槌の直上に大きめのウィンドウをふたつ出現させている。店を経営してるプレイヤー必須のスキル、鑑定だ。純戦闘職が選ぶことはまずない。
「九〇層ボスのLAボーナスだ。俺たちじゃ使い道もないから、メンテついでにメイサーで一番熟練度の高いリズに贈るって話になった。それに要求値絡みでも、リズくらいしか装備できない」
 キリトの説明に、リズの反応は薄い。
「もうすぐ現実へ帰還できるのに、最前線に行かない私がこんなもの貰ってもねえ」
 たしかにそうだ。SAO事件が終われば、被害者のナーヴギアはすべて回収されるだろうし、浮遊城アインクラッドも消え去る。そのセーブデータを利用する機会など来ないだろう。
「まっ、くれるものはありがたく頂戴しておくわ。ちょっと試し振りするから、メンテは待ってね」
 リズがコマンドメニューを呼び出し、スキルウィンドウを呼び出す。鍛冶用から戦闘用へMod構成を変えるつもりだろう。Mod――モディフィケーションは変更・修正といった意味だ。スキルごとの微調整を行うのだが、有効無効などで匙加減ができる。
「……あれ? なにこれ。見たことのないスキルが加わってるわよ。選択した覚えなんかないのに」
 キリトが覗き込むが、首を振る。
「可視化してくれ。見えん」
「あ、ごめん……はい、どう? ほかのスキルと入れ替わった様子はないのよね」
「……雷神鎚(らいじんつち)? もしや……スキルスロットが勝手に増えてるのか」
 おかしな模様だったので、妖夢inアスナも覗き込む。たしかに雷神鎚という見たことのないスキルがリストにあった。アイコンはメイスの背景に落雷。
「どういうことですかキリト」
「俺の二刀流スキルは、選択一覧じゃなくて、最初からスロットに入ってる、取得形で出現してたんだ。スロット数も増えていた」
「あっ、そういえば私がカタナを覚えたときも、そのようだった気がします」
「へえ。じゃあ私のこれも、レアスキルってことね。ただの鍛冶屋なのに」
「いんや、たぶんそれ以上、おそらくユニークスキルだぞ。それも第九〇層で解禁された」
 クラインが自分のウィンドウを操作しながら言った。
「えっ、クラ之介さんも?」
「まあ見てなって。書いてる通りに出してやらあ」
 クラインが腰の鞘に両手を持っていき、武器を抜く姿勢を取った。その体勢で腰を沈めつつ、武具店の壁際まで下がっていく。全身が黄色いエフェクトにうっすら覆われていく。
「おめえら、俺の前に出るんじゃねえぞ――島風!」
 クラインの体が速度ゼロより猛加速し、店の端から端まで突進した。七メートルほどを一瞬で詰め、壁に近い位置で居合い抜き一閃。
 真っ赤な巨大エフェクトが店内を染色した。エフェクトの長さは刀身のざっと一・五倍。それからクラインの剣舞四連撃。エフェクトは伸びたままで、おそらく当たり判定もこのぶん伸張されている。両手武器でありながらリーチ短めのカタナが、両手用大剣以上の長射程武器に早変わりしていた。
「……こいつは、ヴォーパルストライク以上じゃないか!」
 キリトが面白いものを見つけた子供のような表情で喜んでいる。片手直剣の上位技ヴォーパルストライクもこの島風とおなじリーチ拡大かつ突撃型のソードスキルだが、単発だ。
 硬直時間を終えたクラインが、鞘に愛刀を戻しつつ振り向いた。
「どうだ? 抜刀術スキルだそうな」
「やったなクライン! これは褒美だよ」
 にとりの接吻を頬に受け、にんまりしたまま溶けている。
 それからリズベットの雷神鎚も試してみたが、やはり超強力なユニークスキルだった。基本技ガイエスハーケンは使用者の二メートル前方に雷撃を落とす単発技で、わずか三〇センチしかない打ち出の小槌でも満足に戦える。しかもソードスキルの説明を読むと、無条件の防御貫通技だった。このユニークスキルは、対象の防御力や装甲を考慮する必要がない。
「誰も使えない攻撃魔法が出し放題だなんて、なんてチートなスキルなのかしら。これで素材集めがずいぶん楽になるわね」
 もしやと思ってソードマスターズもチェックしてみると、文とアスナが獲得している。
 文は無限槍。そのソードスキルには著しい特徴がある。すべてが突撃系で、しかも突進距離が「(むげんだい)」と、際限なし。攻撃対象者に近づけばそこで攻撃が自動発動するが、大きくかわされても延々と突進しつづけるので、すばやく離脱できる。槍は通常武器でもっともリーチが長く、戦闘の組み立ては楽だ。
 アスナは閃光剣。偶然にも異名とおなじだ。細剣の上位スキルともいうべき内容で、たとえば基本技ブラックサンダーは最初から七連撃。このぶんだと中級から先は二桁連撃もありそうだ。抜刀術とおなじくリーチ伸張も付加されており、一・二倍ていど。
「閃光剣ですか……二刀流がありますので、残念ながら使う機会はあまりなさそうです」
『そういえばどうして妖夢ちゃんが憑依してると二刀流スキルが使用可能なのかしら』
『さあ? アスナのナーヴギアに月の謎技術が添加されてるわけでもないのに、不思議ですね』
 にとりが研究者の眼で考えてる。
「抜刀とか雷神とか、以前妖夢が『あらゆるソードスキルを使用できるていどの能力』で調べてたときには、なかったよね――クライン、あなたの刀を妖夢に貸してあげて」
「検証だな。ほれよ」
 というわけで妖夢inアスナが抜刀術の島風を格好だけ真似してみたのだが――しっかり発動した。
 真っ赤なエフェクトが収まる中、躍っていた栗色の髪がふわり戻っていくアスナ。
 拍手しながらにとりが頷く。
「これで決まりだね。新しいユニークスキル群は第九〇層近辺ではじめてシステム的に実装ないし解禁されたやつで、妖夢も元通りすべてのソードスキルを使えるようになってるわ」
 リズベットが金色の小槌を妖夢inアスナに渡してきた。
「じゃ、これは私より妖夢が持ってたほうがいいわね。きちんと役立てなさいよ」
「大切に使います」
 武器種の数を考えると、ほかにもユニークスキルが発現している可能性があったので、さっそく射命丸文と犬走椛が文々。新聞の号外を発行する。得物とプレモーションさえ分かれば、妖夢が自由に使える。防御を確実に貫通できるガイエスハーケンのように、今後の戦いをすこしでも楽にできる見込みがあった。
     *        *
 同日午後八時一五分。
 第九一層のボス部屋には、夏祭りの光景が再現されていた。
 七~八メートルもあるお立ち台に登っているフロアボス『The Varied Poker Face』、直訳すれば「表情豊かなポーカーフェイス」が、両手に扇子を持って不思議な舞いを躍っている。ピンク色の長髪に、無表情の顔。頭の周辺をさまざまなお面が円環で巡っており、その構成は能楽面が多いようだ。すべてのお面がうすく青白い火炎状のもやに包まれている。服装は青のチェック長袖に、下が桃色のバルーンスカート。たくさんのスリットが開いていて、生足がわずかにチラチラ見えている。BGMは亡失のエモーション。
「こころ~~、降りてきてー。戦いになりませーん」
 妖夢inアスナが声を掛けるが、無視されている。
「……注目されると楽しい。これが『日本中に流れる』なんて……張り切るしかない! みんな今宵はお祭りだ!」
 一心不乱に踊りに興じていた少女がやっと降りてきたのは、一〇分近くも経過してからだった。
 能楽少女がお立ち台から「とおっ」と宙へふわりと飛び――重力に引かれ、無様に落下した。
 べたん。
 という音でソードマスターズたちが気付く。天狗コンビは、周囲の縁日でNPCが売ってるものを飲み食いしていた。二刀流夫婦は風船釣り、河童野武士夫妻は射的で遊んでいた。とっとと奇襲でもすれば良かったのだが、この能楽師の『感情を操る』能力の影響を受け、祭りを単純に楽しんでいたのだ。我に返った文が指示する。
「あ~~、やっと戦闘開始ですか。みなさんポーションを」
 六人が回復ポーションを飲んでる間に、なんでもなかったように能楽少女が立ち上がる。お面のひとつが自動的に少女の顔を半分ほど覆う。キツネ面だ。左手を前に突き出し、右腕を肩の上にあげた拳法家のようなポーズを取って、格好を付けてしゃべった。
「決闘の匂いがする……希望の面をかけて、闘え!」
『黒銀乱舞!』
 左右より四本の疾風が、迅雷となってフロアボスへ襲いかかった。
「えっ?」
 ボコボコにされた。
 三分後、HPバーの一段目が消え、タンブル状態でころがっているボス。いまのお面は(うば)だ。悲しいときの面。
「なあ妖夢、仮面というかお面だらけのこの子は、なんの妖怪なんだ?」
「お面の妖怪、面霊気(めんれいき)です。面で感情を表現するの。それで付いたふたつ名が、表情豊かなポーカーフェイス。名前は(はたの)こころ」
「なるほど、ずっと無表情なのに、言動は感情的だもんな」
「普段は物静かで大人しい子なんですけど、異変になると俄然として人が変わっちゃうのよ」
 会話をしながら、猛烈に切り刻んでいる。相手が女の子だからといって、容赦とかためらいとか、まったくしていない。なにしろ痛覚が発生しないし、まちがいなくフロアボスのステータスを持っているはずだから、攻撃されて当たったら大怪我する。
「タンブル回復です! 距離を取って」
 文の命令と同時に、仰向けのこころより扇子の攻撃が放たれる。二刀流コンビがとっさに後方へジャンプしてかわす。ただの扇子ではない。見た目と異なり、超ボスの攻撃力を秘めたものだ。盾以外でまともに受けるのは危険すぎる。案の定、振り切られた扇子の先がぶつかった岩畳が、不自然なほどに激しく砕けた。
「……こやつ! さては我が希望の面を、奪いに来たのだな!」
 ゆらりと立ち上がる面霊気。お面が般若に変わる。斜め掛けなので、顔の半分は見えている。
「あっ、怒った。ていうかあんな希望の面いらないし」
 妖夢inアスナが名剣ランベントライトで示したのは、こころの周囲を舞う面のひとつ、黄金色に輝く間抜け顔。名前のほうは立派で、希望の面という。
「誰が作ったんだ? 全力で力を抜いて世の中のすべてをバカにしてるような、なんともいえない面構えだな。シュールに尽きるぞ」
「豊聡耳神子――聖徳太子です」
「……へ?」
「あれを作ってこころを抑えた……つもりなのが、聖徳の神子。ついでにいうとあの顔は神子がモチーフです」
「どういう狂ったセンスしてんだ」
 半ば無視されて怒ってるこころ。
「いまだ希望を制御できないし、作ってくれたのが聖人だから、捨てるに捨てられず困ってるのに! 食らえ! 奥義――モンキーポゼッション!」
 ぴょんっと、こころがジャンプした。すぐに着地。
「…………」
「…………」
「……えーと? モンキーポゼッションよ。だから暗黒能楽とりゃー」
 また軽くジャンプしただけ。首を傾げている。
「もしかしてこころ、『飛べない』こと聞いてないのですか」
 ふんふんと頷く。お面が猿になった。困ってるときの「表情」だ。
「この世界ではほとんど武器攻撃しか使えないぞ。知ってたか?」
 ふるふると頭を横に。その無表情に、でっかい汗の塊が。お面が蝉丸になる。目を閉じ下向く見るからに無念の表情。
 射命丸文が槍を颯爽と振り下ろす。
「全力攻撃!」
 一〇分後、無傷で第二の刺客を退けた。
 LAボーナスは兜と思われる希望の面だったが――なぜか分類が盾だった。とんでもない防御性能なので、むろん盾持ち剣士の犬走椛へ押しつけられる。
     *        *
 同日二一時すぎ。
 目覚めた妖夢が起き上がると、テレビカメラが回っている。無難にNHKだ。離島にいたるまでほぼ完全な全国放送を実現している、日本唯一の系列。ほかに民放が――なぜかテレビ東京だけ。魔理沙のおもしろ半分な推薦をマネージャー霊夢がなにも考えずに承認した形だが、視聴率のシェアを考えると極端すぎる。NHKを嫌う視聴者も少なくないため民放枠が用意されたのだが、それをテレビ東京系が独占したことで、緊急特番の「逆転伝説」が生じている。長らく語り草になりそうだ。
 NHKの女性レポーターがマイク向けてインタビュー。
「素晴らしい連続攻撃の数々でしたね! あれほど激しく剣を舞って、まったく途切れない。しかも無傷で一日二層も突破、素晴らしかったです」
 廊下側の壁に九〇インチの特大液晶テレビが設置されており、そこで第九一層フロアボス攻略戦の模様が録画ビデオとして流されていた。アスナ&キリト&クラインの目にはモザイクが入っているが、射命丸文&犬走椛&河城にとりはそのままだ。全員のカラー・カーソル、アバター名、HPバーにHP数値、レベルからギルドマークまではっきり表示されている。デスゲームの映像が外へ公開されるのは初めてのことだ。そもそも覗き見すら初。対策チームでも位置データくらいしか記録できなかった。
 これら劇的な映像は幻想郷最強のハッカー八雲藍がカーディナル・システムに干渉したことで実現していると説明されている。ただし茅場がトラップ爆弾を仕掛けており、プレイヤーへの不死属性付与やログアウト、不正なパラメーター操作は出来ないと発表されたし、事実その通りであることが対策チーム技術者の解析によって証明されている。ハッカーに出来たのは、特定キャラとのデータ交換。どうせ入れ替わるなら強力な邪魔者、超ボスが良いということで、第九〇層から第九九層までの超ボスが全員、幻想郷の妖怪と姿形に至るまでそっくり入れ替わることになった。すでにゲームオーバーとなったSAOサバイバーのナーヴギアを転用し、ハッキングログインを行う。あとは月都由来の謎技術によってボス部屋ごとバトルフィールドを形成するという案配だ。プレイヤーアカウントへの強制ログインはなにが起きるのか予想が付かないので見合わされてる。
 レミリア・スカーレット発案による『幻想郷オンライン』計画。
『妖怪の実在を日本人たちにきちんと信じてもらうの。それと未知への警戒を緩めてもらう。幻想郷でいつもやってる、人間が妖怪を退治する構図を見てもらってね。うふふ……壮大なる「やらせ」パーティーよ』
 八雲紫すらあっけに取られた、奇抜な作戦。レミリアが実行部隊を率いて茅場の幻想入りを誘導した真の理由は、これの提案と採用にあった。剣舞郷異変で外部よりレミリアが果たしてきた功績はいまのところ最大であり、また言ってることが『もっとも』すぎるので、計画案を蹴る理由もなかった。あの茅場晶彦が話を聞いたとたん腹を抱えて笑ったほどである。返答は「ご自由に」だった。
 電子の海に潜った八雲藍から接触を受けたカーディナルも、たった一分でOKを出した。藍の式神と融合したカーディナルの性格は、あたりまえだが藍に近い。要請した側がOKと考えているなら、された側もOKと思うものだった。マスターの許可も出ている。
 こうして不思議な対戦が実現し、複数のアングルより録画されたデータが各局に提供された。人間アバターは最初から目へモザイクが入っている。それぞれの個性により編集し流されたフロアボス戦の反響はとてつもないものとなっている。
 人間三人の正体が誰であるのか早速ネットで話題になってるだろう。すくなくとも結城明日奈に関しては速攻でばれるが、いま病室内にいてテレビ東京のインタビューを受けてる結城彰三氏はむしろ望んでいる様子だった。娘が九二〇〇余人の頂点にいる勇者だと知れ渡れば、社会復帰にも有利と判断してのことだろう。箔が付く。災い転じて福となすだ。
 録画をぼうっと見ている妖夢。自分でボコっておきながら罪なことをと考える。レミリアの目論見どおり、一方的にやられている秦こころに同情しつつ、向けられたマイクに答える。
「妖怪なのに、愉快で間抜けな……いえ、なんでもないです」
「いえいえ、感動しました。愛らしい小人の眠り姫に、不思議な仮面の能楽師。幻想郷の楽しそうな雰囲気が片鱗なりとも伝わってきました。妖夢さんたちと一緒に戦っておられたお仲間は天狗族だそうですね。みなさんとてもお強いです」
「四ヶ月も戦ってきましたからね。あの世界にはすっかり慣れてます」
「彼氏さんとはどうですか」
「はい、いつも通りです。人間最強で頼もしいですよ」
「妖夢さんが憑依している少女とも、うまく行ってるようですね」
「ずっとレベルを高く維持してくれていたおかげで、こうして最前線で戦えています。感謝しかありません」
「妖夢さん、また明日も憑依のほう、よろしくお願いします」
「頑張ります」
 ガッツポーズを取る妖夢。その緑服は冥界の白玉楼で仕事に励むときとまったくおなじ。隣には美しい少女が眠っている。頭に黒灰色の殺人機械を被り、頭部の多くが覆われていて、目もつぶっている。さらに肉が落ちていながらも、それでもなお、尋常でなく美しいとわかる。妖夢が奇跡の造形と言うアスナの、本物の肉体、結城明日奈だ。精神はずっと浮遊城アインクラッドに幽閉されたままだが、いまや自力での脱出に王手をかけつつある、電子の城を駆けるヒロインだった。その明日奈の腹の辺りに、妖夢の半霊がふわふわくっついている。人魂の多くはすでに外へ出ているが、しっぽがまだ中に残留したまま。それにカメラを向ける報道陣――NHKとテレ東しかいないが。相手はレクトCEOのご令嬢、さらに病院もレクト直轄だからガードは固い。マスコミがたくさん入ってきて機器に接触し、なにか異常でも起きれば問題となる。妖夢の集中も乱すわけにはいかない。
 病室の壁に楼観剣と白楼剣が立てかけられている。妖夢以外が触るとビリビリ痺れる、霊夢のお札つき。その鞘には埼玉県庁が緊急発行した「臨時登録証」なる制度外のものが下げられている。合法とするため特別立法が審議中だ。現物を見た鑑定家がその場で二本合わせて七五〇〇万円の最低額を付けており、鎌倉時代の銘刀、重要文化財クラスとされた。もし冥界を守護する最強の霊剣であると実証されれば、その時価は一挙に数億円へ達する見込みだ。すでに国宝指定の話も囁かれている。これら素早い動きは結城彰三氏の働きが大きい。さらに色々あって警察が没収しに行くどころじゃなくなっている。
 妖夢・霊夢・魔理沙はいまや不法入国者ではない。生まれたときから日本語を母語とし、一度も海外へ出てないことを根拠に(三人とも二〇年近く前に月へ行ってるが黙ってる)、国籍や戸籍こそ持っていないが、日本人であると強引な解釈がなされ、総理大臣みずからが滞在許可を出した。強権発動による超法規的措置だ。政権崩壊の瀬戸際より救ってくれた女神とその仲間だから、むしろ全力でサポートしてくれる。反対意見もむろんあるが、正義の名にふさわしい妖夢の活動は国民の絶大な支持を受けてしまい、恋のため動く健気な子を掣肘するなど、どだい無理というものだ。また違法と判断するにも刑法にない事柄も多く――たとえば「道具なし」に空を飛び回る鳥人間を規制する法文などあるわけない――なあなあのうちに居場所を確保した三人娘であった。
 当然その注目度も高く、RCT所沢総合病院のロビーや周辺には大勢の記者がいるが、SAO攻略に専念したい妖夢が彼らの前へ出てくることはない。一週間前からほとんど病院に住み込みでお世話になっている。報道陣の前にはいま博麗霊夢が出張っていて、記者のリクエストに空中から酒樽を出す一発芸を披露していた。公に認められたので、衣装は巫女服だ。空中に浮かびながら、咲き残りの梅を肴に酒をあおっている。どこぞの教育委員会より抗議も来たが、霊夢の実年齢を聞けば黙るしかない。魔理沙は例によって日課のアキバ通い。今日はユイも連れて行っている。時間的にそろそろ「空から」戻ってくるだろう。
 幻想郷でも正義の味方だったという三人は、おおむね好評をもって受け入れられている。
 三人娘が拠点とする埼玉県所沢市はにわかに幻想郷の聖地となり、おもにオタクを中心に観光客が集まってくるようになった。地場産品の外装を変えた、幻想郷焼団子とか佐山幻想茶とか、実のない名だけのものがさっそく売られている。ただし商標登録・意匠登録のほうはすでに謎の『武玄河伯(ぶげんかはく)』氏によって数十件が提出されており、勝手な幻想郷商法は長くつづけられないだろう。またネットの各ドメイン名もおなじく謎の武玄河伯氏によってとっくに抑えられている。さらに特許方面、おもにビジネス関連発明やビジネス方法特許に同名が見え隠れしており、経済アナリストたちの注目を集めていた。それは無言のアピールで、幻想郷が「日本の一部」として経済的な結びつきを望んでいる証左であった。武玄氏の生年月日欄には白雉(はくち)四年生まれと書かれている。真実なら西暦六五三年、一三七〇年前。正体は河童の長老だが、代理人を使うなどしており法律上の問題はないようだった。妖怪からの出願など想定してるわけもなく、うまく擦り抜けている。
 八雲紫が茅場の身柄を日本へ渡しただけで、幻想郷は当座の安泰を確保していた。なにしろ向こうが妖怪や元人間をつぎつぎと『日本人扱い』してくれている。それは自動的に日本国憲法の人格権に基づいた保護を受けられることであり、これほど巨大でありがたい利益はなかった。
 内閣や与党はべつに妖夢たちの華美に籠絡されたわけではない。妖夢が憑依すれば解放が早まり、連動した幻想郷のお遊びでさらに加速される。それによって助かる命はどれほどにのぼるのか。一〇ヶ月だったものが一ヶ月に、さらにより短くなる。首相官邸の本音はともかく、建前が許さない。人道上の観点からも、さらに国民感情も考慮し、妖夢たちを受け入れざるを得ない有様でもあった。もし拒絶すれば、今度こそ政権の座よりすべり落ちて、何年も戻って来れないだろう。
     *        *
 三月二一日午前一〇時、第九二層フロアボス戦開始。
 袈裟服を着た僧尼『Ichirin The Sledgehammer』と、その背後にいる雲入道『Unzan the Cumulonimbus』が相手だ。バトルフィールドは宝船。メインマストの縦帆にでっかく「寶」と書かれている。周囲は海原を再現しており、ごく稀にしかない水上ステージ。円周およそ一〇〇メートル。果ての壁面には雲や水平線が描かれている。BGMは時代親父とハイカラ少女。
 尼は雲居一輪(くもきょいちりん)、雲状の入道は雲山(うんざん)という。一輪は少女だが雲山は高さ五メートルもある雲の巨人だ。胸から上しかない、ヒゲだらけのハゲオヤジ。雲山は取り巻きボス扱いでHPは四段。
 ようやくの妖怪らしいバケモノの登場に、キリトがあきらかに期待している。お遊びじゃなく、まともに戦えそうだと。
 しかし。
「どうして~~」
 戦闘開始と同時に距離を取ろうと飛び退いた一輪が、自分から水に落下した。飛行Mob扱いの入道が慌てて水面より掬い上げてくる。
「あのー、一輪さん。もしかして飛べないって聞いてないのですか?」
 ずっと寺に籠もってる人なので、あまり親しくないだけに妖夢も「さん」付けだ。
 太い雲の腕に抱かれた一輪が、袈裟の端を雑巾絞りしながら、妖夢inアスナへ怪訝な目を向ける。
「すいませんが、どなたですか? あなたとは初対面ですし、下の名前で呼ばれる覚えもありませんよ」
「……魂魄妖夢です。この子に取り憑いてまして」
「まあ、それは大変ですね。さっそく仏の力で調伏してさしあげましょう」
「話、通じてなーい!」
 一度タンブルに陥るまで切り刻んで、ようやく会話ができた。
「……わ、私は命蓮寺の代表です。みんなが『刻まれるのはいやじゃ~~』『日の本(ひのもと)に恥を晒すのは勘弁~~』と取り乱していましたが、そういうわけでしたか」
「あー、押しつけられただけですか。剣舞郷異変すらろくに知らないなんて、世俗に疎すぎますよあなた」
「いいでしょう。あなた方をコテンパンにのして、命蓮寺の名を日本天下万民に轟かせてみせるとします」
 なにを勘違いしてるのか、この尼、強くうなずいて目をランランと輝かせている。
「それじゃあ拙いんですって。キリトやアスナを殺しでもしたら。人間たちは本当に死ぬ世界なんですから」
「……え? わざと負けなければいけないんですか? そんな不道徳を、私に行えと? とても承伏しかねます!」
 いきなりの再戦だ。一輪と一心同体な雲山の殴り攻撃をランベントライトでパリィしながら距離を取る。
「誰よこの融通の利かない僧をログインさせた奴は!」
「あの吸血鬼しかいないだろ――どうでもいいけど、昨日の小人といい、今日の大入道といい、ナーヴギアのサイズまったく関係ないな」
「いつもの謎技術ですよ。ウサミミが邪魔だった因幡てゐからして不可能を可能にしてましたし、どうにもでなります――」
「ラストワード、華麗なる親父時代!」
 一輪のやつ、スペルカード宣言しやがった! 雲山による超乱舞技だ。狭い船上で回避困難なこの攻撃をまともに食らったら、下手をすればキリトもアスナも死んでしまう。雲山の目からビームは再現されないだろうが、ただのぶん殴り乱打でも、飛べないこちらを殺すには必要にして十分すぎる。小手調べの一撃目は犬走椛の盾でなんとか防いだが、雲山の腕は二本ある。二撃目もキリトが全力で逸らしてくれたが、体勢を大きく崩している。インパクトダメージでHPが一割以上も奪われていた。クリーンヒットだと即死級かもしれない。
「――こうなったらこれで」
 クイックチェンジで打ち手の小槌へと持ち替え、頭上で二回転。小槌が桃色に輝く。今朝方、憑依直後から出発までの間に見つけておいた技だ。ブーストでタメをショートカットし、振り下ろした。
 アルテミスの首飾り。
 雷神鎚スキルによる、広範囲への落雷。乱舞の第二段階を本格発動させようとしていた雲山と一輪をきれいに巻き込き、行動停止――ファンブルに成功。さらに体術キャンセルでつづけての大技。渦巻き状の軌跡を胸元で取り、雷神鎚スキル奥義を放つ。
 トゥールハンマー。
 高さ六メートル、直径二メートルはある稲妻のタワーが出現した。一輪と雲山を嚥下に収め、ガシガシHPを削っていく。およそ一五秒間のフィーバーが収まると、タンブルで動けない僧尼と入道が転がっている。雷神鎚は効果こそ大きいがクーリングタイムが一〇分から一五分もあるので、この戦いではあと一度か二度使えればいいほうだろう。
「全力攻撃! ターゲットは雲山さん!」
 文が叫びながら無限槍の一撃を加え、そのままいつものたこ殴りだ。まずは攻撃の要、雲山を集中的に狙う。四度の攻防で入道雲を退けると、あとは戦闘力に乏しいただの尼さんだけが残された。
「……姐さん聖さま、すいません」
 無念のほぞを噛みつつ雲居一輪が青い星と消えたのは、戦闘開始から一九分後のことだった。
 ラストアタックボーナスは親父の胴丸。雲山のムキムキボディをかたどった気色悪い鎧で、じゃんけん大会のすえ、負けたクラインがいやいや引き取る。そのままエギルの店へ直行し売却処分。なぜかエギルが気に入り、非売品として棚の一角に陳列された。
     *        *
 同日午後七時前、第九三層フロアボス攻略戦。
 一面の高原ステージ。足下は高地に多い芝生みたいな草と、角の粗い石ころだらけだ。腿の高さまでドライアイスのような薄い霧が広がっている。この霧のせいで戦闘エリアの広さは不明だが、うっすらと見える壁までは四〇~五〇メートルくらいか。ほぼ円形。壁面には雲海よりタケノコみたいに屹立する険峻な深山の数々が描かれている。
 中央に湧いた魔法陣より建物の礎石みたいな要石(かなめいし)に乗ってあらわれたのは、鮮やかな赤に光り輝く剣を手にした派手な女の子。青い長髪、白い服、ロングスカートの裾がまた青、虹色の前垂れ飾り、黒い帽子に桃の飾り。ボス名は『Tenshi The Bhava-Agra』と表示されている。BGMは有頂天変。
「ようこそ偽りの非想天(ひそうてん)へ。そちらの栗毛が妖夢ね――ずいぶんと美しい生娘に憑依しちゃって、どれだけ自分に自信がないの。せっかく天と親より授かった肉体だというのに」
「偶然ですよ天子(てんし)さま」
「その子を理想と仰ぐとしても、本質がまるで正反対。あなたの気質の形容には、まったく似合わないわね。半人の悩みは解消されるどころか拡大の一途なのね」
「たまたまです」
「人に恋しておきながら、人になりきれない未熟を恥じなさい。半人はあくまでも半分だけが人の宿(しゅく)。のこりは幽界の虜。どこまでも未熟で、人として熟すことがない。永遠に実らぬ果実」
「だから偶然と言ってるでしょう。とっくに将来を誓ってますし、アスナとも息は合ってます」
「ならばこの緋色の剣にてその青い果実、迷いごとばっさり斬り落としてあげるわ。今回の戦い、手を抜く気はないから覚悟しなさい!」
 たしかに天真爛漫なまでに明るく濃い発色の赤は、緋色といえた。
「……おい妖夢、なんだあの女。話ぜんぜん聞いてないし、全力で掛かってくる気のようだぞ」
 キリトが耳打ちしてきた。ひそひそ話タイム。
比那名居天子(ひななゐてんし)さま、天人族です。ただし親の七光りで天人さまになれた変わり種ですから、いろいろと拍車がかかっておかしな方向にねじれてます。レミリアのやつ、『天人くずれ』さまを配置するなんて、なに考えてるのかしら」
 敬称なのに言いたい放題だった。これほど尊敬されない天人も珍しい。天人は仙人と似たようなアプローチによって「成れるもの」だが、仙人以上に超難関の狭き門だ。格式も仙の上位にあり、ほぼ全員が天界に暮らす。
「天国の有頂天なお嬢さまか。あのビームサーベルの太いやつはどんな剣だ?」
緋想の剣(ひそうのつるぎ)は天界の宝具らしくて、私が直接見てきた範囲では最強クラスの刀剣です。気質を操る特殊な力によって、どこに当たっても弱点かつクリティカルになる。しかも攻撃力も凄まじくて、SAOでいえば、おそらく四〇〇〇前後。攻撃を受ければ……確実に即死します」
『へーそれは一大事ね』
「なにもかもチートだな……」
 アスナもキリトも本気では恐がってない。妖夢が冷静なままなので、安心しているのだ。四〇〇〇という数値は、封印を解除した楼観剣が三〇五〇だったことからの類推。スペルカードルールで使うには本来、危険すぎる剣だ。
「まだ~~? 本気になってる私に、小手先の技なんか通用しないから。なんでも仕掛けてご覧なさい」
 天子が油断してるおかげで助かっている。この様子だと、妖夢とキリトの鬼神のごとき超連撃はろくに知らないみたいだ。天界は冥界だけでなく幻想郷ともリンクしているが、距離がありすぎて下界の変遷からは蚊帳の外だ。気移りな性格だから、かつて妖夢と対戦した内容もとっくに忘れているだろう。
「即死武器とは、やっかいすぎますね」
 ひそひそに文と椛も参加してきた。
「私の盾で受けるにも、相手は超ボスのしかも両手用大剣です。これまでの例からインパクトダメージ六~七発で致死量に達しますから、正攻法は厳禁です。まだ先があるのに『還魂の聖晶石』を消費させたくありません」
 ひとつしかない蘇生アイテムを、たしかに第九三層なんかで失いたくない。それも出来るだけキリトとアスナの保険として残しておくべきだ。
『腕をちょん切って武器奪い。これで勝てないかしら』
「アスナが部位欠損を提案してきました。私とキリトで天人さまの前腕をしつこく攻撃し、剣が落ちたら文が奪取。どうでしょう?」
「以前妖夢が見せてた、攻撃をかいくぐってという奴か。第一層ではじめて見たときは度肝を抜いたぞ」
「天子さまは身体能力こそ恐ろしいですが、剣の腕前は頓珍漢(とんちんかん)です。あるのは気攻めだけ。私はもちろん、キリトでも存分に狙えます」
「成功の見込みが高そうですね。よし、決まりです。私たち天狗は牽制などを担当しますよ――」
 文が椛に合図を送った。
 すると椛がいきなり盾を天子に向け、奇声をあげる。効くわけないが威嚇スキルだ。
「え? なに? ――あっはっは! ちょっと待ってよその盾、なんて変な顔!」
 笑いのツボにはまったらしく、希望の面を見た天子が、要石の上でよつんばいになって全身で笑っている。剣を持たぬ左手をだんだんと打ちつけ、注意が散漫になっていたところに、射命丸文の無限槍スキル突進。要石よりはたき落とされた。五メートルあまりを落下し草地の岩盤に激突。
「ぶげし」
 HPバーがすこし減る。スカートが綺麗にめくれ、かわいいウサギ柄の純白パンツが丸見えだ。そういえば最近の天子はショーツ派だった。
 キリトはとっさに横を向いていた。さすが分かってる夫だ。クラインのほうは河童娘に耳を引っ張られてる。
 ゆらぁ~と幽霊みたいに起き上がった天子が、すまし顔でスカートを直すと一転、ムキーと怒りながら緋想の剣を振り回してきた。ほとんど腕の力だけで振っており、素人剣術まるだしだ。ただし剣圧で床がざくざく裂けていく。天子の進んだあとはぐちゃぐちゃに破壊されてしまい、傍目からもとんでもない攻撃力だった。
『黒銀乱舞!』
 隙を見て左右挟撃――しようとしたが、天子が急に刺突奇襲を仕掛けてきた。それがキリトの胸に当たろうとして――危険きわまる即死剣をぎりぎり黒い剣で逸らし……ぱりんと、折れた。魔剣エリュシデータが緋想の超チート攻撃力に耐えられなかったのだ。第五〇層で妖夢がキリトに預けた剣が、ふたりの仲を静かに繋げてきた思い出の品が、つまらぬことで失われてしまった。だが躊躇しているキリトではない。すぐさまクイックチェンジで予備の剣、リメインズハートに持ち替える。投げ捨てたエリュシデータは、霧の中で弾けて消えた。
 天子の単調な攻撃はすべて見切られている。まるで風舞う花びらのように避ける二刀流夫婦が、隙を見つけては斬ってくる。たった一箇所、天子の両腕、手首に近い部位を狙って。五、六……七撃目で目指していたステータス、部位欠損が発生した。左手首が消失するが、まだ右手が緋色のチート剣を離さない。一〇、一一……キリトの一二撃目でついに右腕も飛び、ポリゴンの破片となって破裂した。落ちた赤い剣を射命丸文が拾い上げ、空中に飛んで逃げる。ビーム状の輝きが消え、ただの剣となった。
「ふむ、話にならない……私のほうが! 返せ~~! そこなカラス、返しなさーい!」
 抗議する天子だが、SAOでは空を飛べないので無駄なあがきだった。その間にも妖夢・キリト・椛が三方より切り刻んでいる。武器を失った天子はまだ怪力を誇るといっても、体術的に優れてるわけではない。その戦闘スタイルは天人の身体能力にものを言わせた力押し。努力を知らぬがゆえ、戦闘技術などなきに等しかった。徒手空拳で応戦するも、ソードマスターたちにリーチでも技でも大きく劣り、あとは料理されるだけで終わる。
 文の初撃から一二分で戦闘終了。
 LAボーナスは予想通り緋想の剣。攻撃力三八〇〇という超越的なチート剣だが……要求値がすごすぎて誰も装備できない。情報稼業で珍品と縁の深い鼠のアルゴに進呈し、彼女のコレクションとして世界の終わりまで余生を過ごすことになった。
     *        *
 アルゴと別れたあとだ。第九四層主街区ガイカルドの宿屋で、妖夢inアスナがキリトの借りた部屋にお邪魔していた。
「魔理沙から聞きました。第七五層ボス戦での話ですけど、『第一層でキバオウさんを急かしてた人がヒースクリフ』だと、誰から聞いたんですか?」
 キリトには人見知りのところがあるから、人当たりの良いクラインやエギルみたいな人でないと、なかなか友達にはなれない。妖夢だけでなくアスナも疑問に思っていたから、尋ねてみたのだ。
 いまのペースなら、数日でSAOは終わる。憑依してるものだから妖夢はアスナとすぐ対面できるが、キリトは違う。すべては政府のさじ加減次第で、いつ会えるか分からない。そんなキリトの友人として妖夢が認識してるのは、男性プレイヤーではクラインとエギルだけ。ユイがSAO被害者全員の名簿を手に入れており、SAO終了後にいつでも連絡を付けられる。たとえばオフ会などだ。そういうのに呼ぶべき対象がほかにもいる可能性があったから、知っておきたかった。
 ところが返答はなんともかんとも。彼氏さんが平然とおっしゃったのである。
「そんなの、誰も見てないし聞いてないよ。俺の勝手な想像だ」
「……およ?」
『嘘って見破られたらどうする気だったの?』
「アスナが嘘を指摘されたらどうしたのかって呆れてますよ」
「大丈夫、押し通すさ。それでヒースクリフを強引に追い詰める。ブラフ、ハッタリはネゴシエーションの基本だろ?」
「まったく。あなたは将来、検察官や裁判官にはなったらいけませんよ。冤罪の元です」
「妖夢はそんなところお堅いよな。自分でもけっこうあちらこちらで暴走してるのに」
「冥界とはいえ、これでも体制側ですしね。暴走は恋する乙女という免罪符で」
「それなら俺もおなじだ。妖夢に会いたい一心だったんだから。勝負に出たのは、妖夢が魔理沙への憑依に失敗したと聞いたのが大きかったかな。きみが外側から頑張ってるなら、俺も内側からとことん頑張ろうって思ってね――さとりの読心通信で一度もメッセージを送ってこなかったから、寂しかったんだぞ?」
「ごめんなさい。キリトの前から突然いなくなったのは完全に私の落ち度でしたし、攻略も遅れてしまって、あなたに合わせる顔がなくて、恐くて」
 しゅんとなる妖夢inアスナの頭を撫でるキリト。
「どうせそんなとこだろうと思ってたよ。だからリアルで会いたいと強く考えるようになってたんだ。一秒でも早くクリアしたいとチャンスを探していて、気がついたらヒースクリフに攻撃してた」
「連絡を付ける手段は?」
「目覚めてから考える!」
 なんでもないように笑ったキリトが、ベッドへ座るように促してきた。
「キリトらしいですね。単純ですが、理由が私好みで素敵です」
 妖夢inアスナが腰掛けると、隣にキリトが座って、肩を抱いてくる。まるで以前の妖夢に対していつもしていたように。
『うわあ~~。いつもだけど、キリトくんってかなり大胆よね。まあ結婚しちゃってるし』
「……私はいま、体も顔も声もアスナなんですが、もうすこし戸惑いとか照れとか、葛藤とか悩みとか、そういうのはないのでしょうか? キスもそうでしたが、最初から今日までこうも平常運転だと、ちょっと困惑します」
「なーに言ってんだよ。そんなに頬を緩ませて喜んでるくせに。アスナのほうもなんだろ? どちらも愛しろって勝手に決めたのは、きみたちじゃないか」
「キリトは冷静にエロいですね。役得あらば素直にいただく主義なのね。デザートは取っておくほうが美味しいのに」
「妖夢でとっくに慣れきってるのに、ほかにどうしろってんだよ。結婚までしてて、どうせ恋人の付き合いも、肌と肌であとはまあ……そんなんだろ?」
 妖夢inアスナの目がピッカーンと光る。
「いまなにか、エロキリトっぽいことをあわや爆弾発言するところでしたね? 一昨日(おととい)なんか押し倒してきましたし」
「勘弁してくれよ。アスナの件といい、妖夢って前より押しが強くなってないか」
「別れなくて済むようになりましたから、これからは美しい思い出よりも、楽しい思い出です」
「でもSAOが終わったら……俺たちはどうなるんだろう」
「大丈夫ですよ。続きます。ほかのVRゲームで会えます」
「VRジャンルはてっきり規制されると思ってたんだけど、どうなってるんだ?」
「国会でも討論されましたが、すでに多くの分野へ広がってるのに、ゲームだけ規制するのは今更らしいです。たとえば医学方面で寝たきり患者用のVR寝台が開発中で、今年中に臨床試験が開始される予定だそうです。そのダイブ先の有力候補がVRゲームです。環境ソフトを組むよりずっと格安で、広範な世界を提供できますからね」
「医療が相手じゃ、あからさまに反対の声はあげられないな」
「もはや生活の一部ですから、自動車やタバコを禁止できないのとおなじですね。というわけでナーヴギアから危険な機能を取り除きセキュリティーも強化した後継機が発表されました。発売は二ヶ月後です。同時にレクトの子会社が新機種に合わせたRPGの開発を発表しました。半年後の発売を目指してるそうです。眉をひそめるより、喝采を送る人のほうが多いですよ」
「たくさんの人が死んでまだ九〇〇〇人以上が寝たきりなのに、世の中、現金な連中ばかりだな」
 ぴとっと頭をキリトに寄せて、そのまま目をつむる。
「おかげで今後もこんなことができます。私とキリトは、幽明結界(ゆうめいけっかい)と幻想郷を介して冥界と日本に離れてますが、いつでも会えるわ――形だけでも結婚してくれて、ありがとう」
 彼氏はなにもしてこない。こういう状態でじっとしていたり、バカな会話に興じていたのが、ふたりのかつての日常だった。人に見せつけることのない、宿屋のデート。いまはそこにアスナが加わっている。
 五分ほど経ってからだ。
「キリト、抜き打ちテストです。いまからアスナにコントロールを戻します」
「……それすでに抜き打ちって言わないだろ」
 アスナの体が軽くしなる。筋肉のコントロールが一瞬だけ統御を失った影響だ。すぐ本来の持ち主が肉体の統制を回復させる。
 目を開けたアスナが、たちどころに体温を上昇させてキリトから離れようとしたが、キリトが離さない。
「キ、キリトくん。嬉しいけど、まだまだ私には刺激が強すぎるよ」
「離すほうが妖夢に失礼だし、俺もアスナとならこうしていたい」
「……『同時に愛して』とか早まったかなあ。なんだかんだで律儀よねキリトくん。妖夢ちゃんに嫉妬しちゃう」
『私もいまアスナに嫉妬してますから、おあいこです。大人しく楽しみやがれ』
『クラインさんも言ってたけど、なんで憑依してると口が悪くなるのよ』
『あなたのお父さんが、キリトを認める気、かなり満々です。もうすこし一悶着くらいあったほうが私も気が収まるのに、みんなお利口すぎてつまんない』
『えっ、どういうこと?』
『総務省に圧力かけてキリトの身元を調べあげてしまったんですよ。アスナほどじゃないけどお坊ちゃんらしいですね。詳しくはあえて聞きませんでしたが、家柄良し、家族は全員優秀、将来有望な男の子らしいです。アスナと一緒になるのに、さほど障害はなさそう。とくにヒースクリフの正体を茅場だと見破ったことを高く評価していました。キリトが茅場をSAOから追い出したのは間違いないですし。直接クリアには結びつきませんでしたが、テレビで乱舞技を見て、第二三層から超絶な剣技でアスナを守ってきた騎士だと解釈してます。さらに茅場逮捕のニュースを見て、決心を固めたようですね。あの逮捕の元には、キリトの英雄的な行動がありましたので。その勇者を娘が好いているなら、私というオマケがいても認めてあげていいらしいですよ。まあ私もアスナの解放を早める約束ですから、誰も損しない「Win-Win」なんですよねこの関係って』
『……父さんも順応性が高すぎるわ。重婚なんて大反対だと思うんだけど、法律的にどうする気なんだろ――母さんは?』
『さあ。すいませんが、さすがにそこまでは。私は父君としか会っていません』
「アスナ、妖夢と話し込むなよ。俺にはなにも聞こえないんだから」
 キリトがすこし拗ねている。
「え、ごめん。別に悪口じゃないから」
「それで、なにがしたい? キスか? ハグか? ぐえっ、ぐええええええ」
 キリトの腕へアスナがアームロックを掛けていた。甘い雰囲気は完全霧散だ。
「……女の子に言うセリフじゃないでしょ。英雄気取りですっかり増長してるわね。まずいろいろと矯正しないといけないわ。妖夢ちゃんが甘すぎたみたい」
『私は自信満々なキリトもワイルドで好きなのですが』
「鬼嫁だ……」
「ならきちんと扱いなさいよ。虚勢張ってリードしようとしたって無駄なんだから」
 とたんに顔を青ざめさせ、表情に弱気なところを浮かばせた。
「ごめんごめん、勘弁してくれよ」
「よろしい。私が無制限でキリトくんにゾッコンじゃないってこと、忘れないでよね。初恋ルンルンのまま、エッチネタ以外ほぼ全肯定の妖夢ちゃんとは違うんだから」
 プロレス技から解放したとたん、頭を下げて謝罪するキリト。
「すまない。まだどう接したらいいのか分からなくて、いい加減に扱ってしまった」
 態度がまるで違う。
「前から思ってたけど、キリトくんってやはり外弁慶な人?」
 妖夢も思い返す。そういえば外に向けては必要以上に強気なときも多かった。
『アスナ、キリトの化けの皮を剥がすチャンスです』
『……そうね』
 こほんと一息、アスナが落ち着いた優しい声でたずねた。
「ねえキリトくん。よければ教えてくれない? あなたが人を苦手になった理由」
「……リアルのことは、マナー違反」
「結婚を前提としたお付き合いをしようとしてるのに、マナーもなにもないでしょ。化けの皮を剥がせって、妖夢ちゃんも同意済みよ」
 途方にくれた黒の剣士が、天井ならぬどこか遠くを見上げている。
「とんでもない子たちに『攻略された』んだなあ俺……」
     *        *
 キリトこと桐ヶ谷和人は、六歳にして自作PCを組めるほど機械に強かった。対外的にはよくいる少年だったが、一〇歳のとき事件が起きる。偶然から住基ネットの記録を見てしまい、自分が養子だと知ってしまう。本当の両親は事故死しており、母方の親戚である桐ヶ谷家へ引き取られていた。
 まだ幼かったこともあって、それ以来、和人は家族との距離感を掴めなくなってしまった。従妹だったと知った妹とはとくに距離を置くようになってしまい、また剣道で和人だけが先にやめた引け目から、中学に入るころには最低限の挨拶しかできない状態まで悪化してしまう。
 逃避から和人はゲーム世界へのめり込むようになっており、SAO発売時期には廃人ゲーマーの域にまで腕前をあげていた。むろんリアルでの人付き合いもうまく出来ず、学校に友人らしい友人はいなかった。それがゲーム方面にも波及して、難易度の高いソロプレイを好むようになっていた。こうなると成績も下降線を辿るものだが、学業だけは出来た。養子の立場ゆえ、かえって勉強を頑張っている。家ではゲーム三昧なので、すべての勉強は学校にいる間だ。決まった時間で効率よく集中し結果を出す姿勢と行動力はゲームで培った。
     *        *
「すぐ強気を見せるようになってたのは、PK対策でついた癖なんだよ。あいつらって確実に勝てそうな弱いやつだけ狩るから、たとえソロでも平気だぞって強がってたら、本当は勝てても襲って来ないことも多いんだ。とくにSAOは表情まではっきり見えてしまうしな……」
 しゃべりを終えた。一〇秒ほどして、アスナの感想。
「意外と短かったわね。三分も掛からなかったわ」
『もっと長い話になると私も思ってました。キリトにとっては青春の重い悩みなのでしょうけど、しょせんは恵まれた環境下での「ぜいたくな悩み」です。でも込み入ったところを知って嬉しいわ』
「……これでいいよな? 今後はもっと真摯になる。すまなかった」
 頭を下げてきたキリトの表情が作り物でないと感じたアスナが、突発的に甘い声でデレる。
「つまんなーい。ねえキリトくん、妖夢ちゃんとの付き合い、人見知り外弁慶の視点からどう思ってたか教えてくれない? これまでは表面上のばかりじゃない」
「……え~~」
 やはり作り物でない面倒臭そうな表情で、キリトが答えていた。
『一歩前進ですね。キリトの仮面を一枚、壊しましたよ』
『よし、この調子で攻めていくわよ』
 なかなかに面白い話が聞けた。キリトはどうもコボルトロードに殺されかけた妖夢を助けた折、お姫様だっこ状態で甘えてきた可愛さにすっかり参って「好き」になってたらしい。自覚したのが時間差で大切断事件。なーんだ、最初のデート路は一方通行じゃなかったんだ……詳しいことは何度でも思い出すことにしようと、アスナの中で妖夢はにんまりしながら耳を傾けていた。
     *        *
 三月二二日、午前九時半、第九四層フロアボス攻略戦。
 夜中の薄暗い荒れ地ステージ。出現の演出は霧だ。それが集まり、一人の幼女が出現する。
 頭の左右に角を生やした『The Little Pandemonium』、BGMは御伽の国の鬼が島。ゆらゆらと体を前後に揺らしている。右手に瓢箪を持っている。両手首と髪の結びに鎖と重りがじゃらじゃら。
『いやーん、可愛い~~~!』
 小人族もそうだったが、アスナはこの手のファンシーな子に弱いようだ。だがキリトは警戒を解かない。
「妖夢、この小さな妖怪は?」
「角があるように鬼族です。日本最強の妖怪種族よ。名は伊吹萃香、酒呑童子(しゅてんどうじ)ご当人です」
 どうせすぐ日本中に知られる。面倒くさくなりそうなことは、あらかじめ提示しておいたほうが良い。すでに一寸法師や秦氏・聖徳太子伝説・見越入道・天人天女伝承について全国で大勢の歴史マニアが蠢いている。今日はそれに酒呑童子が加わるだろう。
「酒呑って、男の鬼じゃなかったか? それも大男」
 瓢箪の中身を口に含み、萃香がけけっと笑う。
「みみっちい人間風情が真実なんか残すわけないって。女の私にやられちまって、悪知恵で騙してようやく勝てた。それでも殺しきれなかったんだ。だから都合のいい話をでっち上げてるのさ」
「……強そうだな」
「これまでのどの子よりも『圧倒的』に強いですよ――キリト、前へ出ないでください。これから、本当の仕合をお見せします。椛、私の右をお願いします」
「了解」
 これまで前衛は妖夢inアスナとキリトだったが、妖夢がキリトを下がらせ、犬走椛を連れてきた。さすがにキリトが焦る。
「ちょっとなんだよその扱い。俺は……」
 厳しい目で彼氏を見据える。アスナの体であっても、凄まじい気迫だ。
「ダメです! 当時日本指折りのモノノフが束になって、魔剣や奇計を用いてかろうじて退けたんですよ。いまはもっと強くなってます。あなたていどの『腕』では、数分で殺されます」
「これは出来レースだと……」
「理由は知りませんが、すでに違います。昨日の二戦、彼女たちはソードマスターズを本気で倒しに掛かってました。でもシステム仕様のおかげで助かりました。しかし今日は通用しません――だってこの鬼は……」
 しゃがんだ萃香が言った。
「ミッシングパープルパワー、ずっと固定!」
 ぐんぐんっと、魔法のように小鬼が巨大化をはじめる。たちまち身長八メートル前後になった。ただし頭身はそのまま。いくら見た目がファンシーでも、可愛く思えるサイズにも限度というものがある。妖夢inアスナの中でアスナも絶句してるようだ。
 キリトが本能的な恐怖から、二、三歩後ずさってしまう。ただの巨大Mobではない。
「彼女はあらゆる密度を操ります。物質的なものから、精神的なものまで。これまでの子もそれぞれの能力を使ってました。私がすべてのソードスキルを操り、文が空を飛べ、椛が千里眼を使うのとおなじです――SAOの仕様から分裂は出来ないでしょうけど」
「さらに私にはやっかいな性質があるんだよね~~」
 呑気に巨大な萃香が言う。
「そうですね。キリトは『半端に強い』からこそ、戦えばまちがいなく殺されるでしょう」
 妖夢inアスナと犬走椛が、キリトを守るように戦闘態勢を取った。
「教えてあげよう少年。鬼はね――勝負事の手加減が大っ嫌いなんだ」
 すさまじい拳骨が真上より降ってくる。それをきれいに弾く妖夢inアスナと椛。これが長期戦の合図となった。
     *        *
 戦闘はすでに一時間にも及んでいた。ひたすら戦いつづける三人の女傑。アスナの体を変幻自在に操る魂魄妖夢、どんな攻撃も確実に止めてみせる犬走椛。軽やかに飛び回り、隙を見つけるつど攻撃を加える射命丸文。肉を切り、骨を断つような、そんな薄皮一枚の上を綱渡りしている。ほんのすこしでも気を緩めば、たちまち殺される。そんな戦闘行為に没頭している。
 あまりにも異次元の戦いに、キリトはとても参加できない。これまで見てきたどの戦いよりも、はるかに高レベルなものだった。読めない。どうしてあの攻撃がこう繋がるのか、ここでいま行ったフェイントの意味が分からない。あっ、もし俺があそこにいたら死んでた……なぜこう動いたのだ。しまった、また俺なら死んでた。好きな子の戦いが理解できない。それは犬走椛もだ。内心でキリトはこの犬耳剣士には勝てるかもと思っていた。だけどとんでもない。キリトの及ばない高次領域で戦っている。もしキリトが椛の立場なら、五分と持たず殺される。射命丸文も強い。この子の戦いはかろうじてまだキリトにも分かる。だけど動き方が普段とまるで違う。本当はこんなに強かったのか――それがなんとなく見抜けるていどに、キリトも腕をあげていた。一度でも参加すれば最後、もはや萃香のターゲットにされてしまうことは間違いない。そう、キリトは見逃してもらっているだけなのだ。キリトの後方では、クラインとにとりが固唾を呑んで戦いの行方を見守っている。もし三人が崩れたら、河城にとりは即座に能力を解放するつもりだ。
 とっくにポーションは切れ、インパクトダメージ回復が間に合わなくなりつつある。キリトに出来たことは、戦いに参加しない三人ぶんのポーションを、わずかな隙を見て前衛の戦闘狂たちへ渡して廻ることぐらいだった。巨大化した鬼はキリトへ手を出してこない。それはキリトに戦う意志がなくなっているから。もし卑怯な不意打ちでもしようものなら、たちまち排除しにかかるだろう。
 物事にはいつか終わりが来る。このハイレベルな饗宴が終焉したのは、戦いがはじまって一時間と二〇分後だった。勝者ソードマスターズ。辛勝だった。
     *        *
「いやあ、今回も楽しかったよ。またヨロシクね~~」
 バイバイと手を振りながら、最強の鬼がガラスの欠片へと消えていく。
 妖夢inアスナ・椛・文の三人は、ろくに動けなくなっていた。精神的な疲労はどれほどのものか。
 胸を激しく上下させつつ、リーダーのカラス天狗が気丈に笑う。
「……ひとつしかない蘇生アイテムを使わずに済みましたし、にとりさんも温存。武器群も壊れず全員無事。結果オーライです」
「もしかしてレミリアは、蘇生アイテムを使うか、にとり・さとり・布都が能力を解放するまで、マジ勝負を掛けてくる気かもしれません。ドラマチックを求めて」
 妖夢inアスナの予想を、白狼天狗が肯定した。
「あの吸血鬼ならやりかねませんね。となれば、残りの層はたぶん、鬼と同格か、さらに強そうな――核の八咫烏(やたがらす)や、守矢の神様、聖徳道士さんですね。または天魔さま」
「ちょっと勘弁してください。頭領が相手だなんて、私たちが束になっても勝てませんよ」
 文が頭を抱える。責任を回避したがるためプレッシャーには弱い。
「まだあります。レミリアはきっと妹も連れ出してきますよ。これは手強いですね……」
 レミリア・スカーレットの妹、フランドール・スカーレットの能力は「あらゆるものを破壊」する。射程は関係ない。目で見えてさえいれば、手を握るだけで壊してしまう。基本魔法のないSAOで、その力がどう発現するのか不明だが、もし再現されればその恐ろしさはチートどころではない。スペルカードルール上では禁じ手だが、おそらくSAOでは使ってくる。痛みのない、死んでも――人間プレイヤーを除けば死なない、「暴れる」には理想の空間だ。
「あのぎゅっ、どかんって、いやだぁ~~」
 想像しただけで悶絶してる文に手を伸ばし、にとりが起き上がらせた。
「――ごめんね弱くて。もっと強ければ私も参加できるのに」
「にとりに責任はありません。レミリアの真意はわかりませんが、言っていたこと以上のオイタをやろうとしてるみたいですね。ここはなんとしても突破して、おしりペンペンです」
『すごい胆力ね。私じゃ耐えられないわよ』
『アスナこそあの神経の焼き切れそうな戦いをよく我慢してくれました――ちょっとした余興でもやってみましょうか』
『余興?』
 妖夢inアスナは、キリトの元へ歩いていった。彼氏はすこし所在なさげにしている。自信を砕かれたのだから仕方がない。だけどそれを、さらに粉砕しようとしている。魂魄流の同門と戦ったときに思ったことを実現させるため。
「キリト、この体のコントロールをアスナに返しますので、いまからデュエルしてみてください」
「……妖夢の戦いを『体験』してきたアスナは、俺より強くなってしまってるのか」
「これは大事なことです。キリトが真の勇者となるために」
 キリトの体が震えた。武者震いだろうか。漠然な不安を、徹底的に思い知らされる。
「きついな、これが妖怪流の愛か」
「むしろ武道家の愛です。この先はキリトも戦いに参加できないと、とても上へ進めません。手荒な修行になりますが、ソードマスターズには真の『四人目』が必要です」
「最強と思ってたら、じつは最弱でした……か。しょせんゲームでプログラムだもんな――厳しい試練だけど、まずは受けてみるよ」
『ちょっと妖夢ちゃん、勝手に進めないでよ』
「いいからアスナ、あなたなりに本気で戦ってみてください。たぶん勝てます」
 三分後、本当にアスナが勝った。もう一回戦ったが、結果は揺るがなかった。
     *        *
 それから三日、攻略は一時中断された。
 キリトは朝から晩まで、妖夢inアスナと剣を交える。おなじ相手だけだと偏るので、犬走椛と射命丸文も相手になった。ついでにアスナ当人とも。
 一日目の夕方、アスナにようやく勝てるようになった。
 二日目の昼、文から初の一本を取った。
 三日目、四本に一本は文から奪うようになった。アスナには勝ち越し、椛からもやっと一本。
 ついに魂魄妖夢からは一本も取れなかった。だがそれでキリトも満足できた。何十年も修行してきた妖夢に簡単に勝てるなら、冥界の筆頭剣士はとっくに代替わりしている。
 妖夢が言ったのだ。本当は剣を交える必要があったのだと。キリトは妖夢と剣と剣をぶつけたことがなかった。デスゲームだからとんでもないことだと思い込んでいたが、たしかにこれほど剣の腕を上達させる特訓はほかになかっただろう。アインクラッドのモンスターはステータス数値を除けば素人に毛が生えたていどの腕前しか持っていない。ボスもただ反応が早いだけ。そいつらを相手にいくら戦闘を重ねたところで、連続攻撃の繋ぎやダメージ効率は上手くなっても、キリトの腕前そのものが高くなろうにも限界があったのだ。魂魄二刀流と出会うまで、キリトのゲーマーとしての能力がせいぜい上手なほうで止まっていたように。
 潜在能力を短期間で才能へと伸ばすには、より高い次元の物事と当たるしかない。
 キリトにとってそれは、彼女と直接、剣で語りつづけることだった。
 第六一層湖上都市セレムブルグにあるギルド風林火山本部。そこの修練場で彼氏が言った。
「妖夢、きみと出会えて良かった」
「ん? ボコられて言うセリフじゃないわね」
「……あー、これで一〇五連敗か」
 連続ダメージのペナルティがまだ残っていてキリトは動けない。HPバーは真っ赤っか。最近のデュエルはPKが廃止されたこともあり、完全決着モードが選ばれるようになっている。オーバーキルに達してもHPがギリギリで踏みとどまるのだ。むろんそこで試合終了となる。
 キリトと妖夢がデュエルで勝つときは、ほとんどが一撃目を当てた時点で決着する。あとは連続攻撃で一気に削りきってしまう。だがキリトはどうしてもその初撃を妖夢操るアスナへ入れられない。
「俺な、自分がどんどん強くなってる実感があるんだよ。見えてないものが見えてきた。剣の世界が広がっている」
「たしかに、最初は二〇秒も持たなかったのにたった三日で一分は持ちこたえるようになりましたし、妖怪の山で数百年ほど見廻りやってた文からすでに四回に一度は勝てるってのが、すごいです」
「ぜんぜんさ。一撃目でもう勝ててしまう魂魄流の連撃がなければ、まったく歯が立たない。アスナにもまだ負け越してるはずだ」
「技術は誇りよ。魂魄流は連撃で勝率を確保する剣術ですから、卑下することはありません。それに文も椛も四~六連撃ていどならよく使ってるでしょう? 運が悪ければそれで行動不能、あとはトドメを受けて終わり。SAOのHP量ならもうおしまいですって」
「妖怪武芸とは、幾度も斬ることと覚えたり」
 行動可能になった彼氏が起き上がる。デュエル状態を利用した戦闘時回復スキルで、HPバーはすでに黄色へ戻っていた。デュエル終了後すぐつぎのデュエルを開始して、ずっとHP回復を維持する実戦練習用の小技だ。
「たしか光奈水刃(みなみずは)さんだっけ。妖夢に俺を鍛え直させる方法を思いつかせたきっかけって。死んだコペルが門下やってるとか不思議だな」
「ええ。戦士の町で何十年か道場の師範をしてます」
「妖夢を満足させるほど強いくせに人間の幽霊相手にだけ教えてるってのが引っかかるけど――どうしてきみはあの小さな鬼と戦うまで、俺との直接勝負を避けてたんだ? 再会から一〇日以上も経ってたのに」
 妖夢inアスナが吐息まじりで諭すように言う。
「……それは、キリトが一番よく分かってるんじゃないですか? もし私があなたを『とくに理由もなく』ここまで幾度も一方的に叩きのめせば、どう思いますか? キリトは包容力がありますが、プライドもけっこう高い男の子なんですよ。長らくアインクラッド最強の称号も持っていました。いくら強かろうが私はあくまであなたの彼女です。可愛い女の子でいたいに決まってるじゃないですか」
 彼氏彼女の円満な関係のほうが大事だ。必要でなければやらなくて良い。必要になったからやっている。剣を振るう喜びは、別にほかのゲームや現実でも得られる。SAOは妖夢にとってすでに終わる予定の、まもなく過去となる世界だ。カーディナルも茅場も自殺をほのめかしてるし、べつに自己崩壊せずとも警察が確実に封印するだろう。データとして受け継がれようのないものに、すでに執着はない。
「いじわるな質問をしてしまった、謝る。ごめんな妖夢。どうしても『もっと強くなれる可能性』とか『修行の効率』が気になってしまって、上には上がいて、届かないと思うだけでこれだ。まだ人の気持ちに配慮が行き届かないな。そう、きみの言うとおりだ。あの鬼との凄絶な戦いに圧倒され、アスナにも負けて、だから納得できてるんだ。これほど負けても卑屈にならず、強くなることへモチベーションを傾けていられる。レベルをあげ、プログラムを効率良く倒す斬り方を磨くことだけが、強くなる手段じゃないってね。いまの稽古は身のためになる」
「ご名答です。ならば今日はあと一〇本、行きましょう。私たちの場合どうせ一撃目で終わりですから、五〇パーセント回復でいいわよね?」
「ははっ」
 元気に手を打つ彼女に、彼氏はカラ元気で応じるしかなかった。たったいま、五〇パーセントに達してバーが緑色になる。
     *        *
 キリトが使えるようになったと判断したソードマスターズは、ふたたび連日の攻略を再開した。
 二六日午前一〇時半、第九五層フロアボス攻略戦。『Miko The Saint』こと豊聡耳神子、BGM聖徳伝説。
 戦闘エリアは夢殿だった。空を飛ばないので高くそびえるやつでなく、一層に縮んだ夢殿とそこを囲む回廊空間。聖人にして超人、かつ不断の努力を怠らない妖夢タイプの人なので、元人間でありながら高い戦闘能力を持っている。彼女にとって武器は象徴的な性格が強く、佩刀している宝剣は形こそ豪華だが性能そのものは名刀止まりだった。しかしながら神子自身の剣技は射命丸文クラスの冴えで、ソードスキルもしっかり覚えている。格闘技も仙人の修行で修得しており、妖夢並にはこなす。神子を象徴する欲を聞く能力がSAOでどう再現されたかというと、自身への攻撃を察知できるものとして働いていた。これによる回避率の高さが、攻防に優れた強敵であることを雄弁に語っていた。出だしの隙が大きな雷神鎚スキルや無限槍スキルは効かない。取り囲んで回避不可能な状況を作り――すなわちオーソドックスな黒銀乱舞が攻めの軸となった。
 戦闘の途中、神子がこんなことを言った。
「天狗、私の希望に心服し日本中に見せてくれてるんだね?」
 本物の神々しさと比べゲテモンお面だ。犬走椛は困った顔で返答する。
「……ただ単に性能値が高いので使ってるだけですけど」
「むしろ笑われてそう」
「定番ネタ確定です」
 散々な反応に、神子は失望していた。面を作ってすでに一〇年以上。あちこちで酷評されてきたのだろう。
「真の芸術と信仰は……簡単には理解されぬものなのです!」
 まとまったダメージをなかなか与えられず、最終的に戦闘時間はなんと二時間一五分。「たわむれは終わったな、さらばじゃ!」とバイバイしながら、ようやく幻想郷へ帰ってくれた。LAボーナスはずばり「宝剣」。片手用直剣で、攻撃力は七〇〇ほど。ダークリパルサーとリメインズハートがいずれも宝剣より長いことから、キリトの予備剣となった。キリトの基本スタイルはより重くより長くだ。精度と速さ優先の妖夢と住み分けている。
 昼ちょっと過ぎには第九六層主街区を開放したが、ソードマスターズはそのまま休息に入った。一回のフロアボス戦で精神的に大きく消耗するため、初期のような一日二階層突破はもはや無理だった。
 翌二七日午後二時、第九六層フロアボス攻略戦。『The Nuclear Fusion』こと霊烏路空(れいうじうつほ)、BGM霊知の太陽信仰。
 幻想郷の妖怪たちが持つテーマ曲でも突出した勇壮にしてど派手な楽曲とともに出現した地獄のカラス少女は、間欠泉地下センター最深部をそっくりそのまま再現したボス部屋の中央で腕組みをしていきなりこう言い放った。
「助けてくれ! なぜか突然、飛べなくなってしまったのよ!」
 この空ちゃん人妖になってまだ日が浅く、動物時代の鳥頭な性分が抜けず、いささか記憶力が……弱い。レミリアにいろいろ言われてナーヴギアを被ったようだが、あまりにたくさんの情報を列挙されたせいで、自分が仮想空間にいることすら理解してないようだった。文がくどくど説明したが、頭に「?」マークを点灯させるだけでどうにもならなかった。仕方なく戦闘開始してみたが、やはり手加減とか一切してこない全力モード。
 元々は地獄のカラスだったが、八坂神奈子が八咫烏の力と融合させ、一挙に「最強のカラス妖怪」となっている。地獄の火を扱う地獄鴉と、太陽の化身である八咫烏。その組み合わせは火力の一点において最凶最悪となる。おなじカラス妖怪の射命丸文も嫌がる強さだ。ただし攻撃力一辺倒で防御はろくにない。鬼の萃香はああ見えてバランスの取れた戦闘技術の高いれっきとした戦士だったが、空はちがう。天子を何倍もやっかいにしたタイプだ。天子が暴走軽トラなら、こちらは暴走ダンプカーであろう。
 太陽の核融合を操る空の能力は、SAOではおもに竜族Mobが持つ灼熱ブレスとして再現された。右手の制御棒より放たれるブレスを浴びれば、超ボスなのでただでは済まない。とにかく守りの弱さを突いて攻撃につぐ攻撃あるのみだった。
 四〇分と短めだがそれでも長丁場で退けた。最後まで自分がどこにいるのかすら理解してなかったから、ソードマスターは全員ほっとした。LAボーナスは宇宙のマント。裏地に宇宙空間が描かれている、空がいつも着ているマントだ。軽い割に性能値が高かったので、機動力優先で防御面に不安のある射命丸文が装備することになった。
 翌二八日午後一時半、第九七層フロアボス攻略戦。『The Lord Of Deity』こと洩矢諏訪子、BGMネイティブフェイス。ピアノとドラムの超絶技巧曲だ。挑戦的な主旋律が聞く者の魂を激しく揺さぶってくる。
 そんな曲に対して、本人はのんびり屋だ。知らない間に幻想郷へ来て、知らない間に異変を楽しんでしまった。弾幕ごっこを神遊びと呼び、神前奉納の舞いに喩えている。
 神であるからレミリアに同調するとは思えなかったが、全力で「神遊び」を仕掛けてきた。手ぬるい遊びはしない。武器は右手に持つ鉄製のフラフープみたいな鉄輪だ。神の造った神具だから、ただの鉄ではない。ステージは石階段を除き守矢神社まるごと。
 諏訪子自身は小学生くらいの体格もあって、肉弾戦が得意ではない。本来であれば絶対者として一方的に遠くより殲滅し、近接武器は補助的なものにすぎない。だがSAOで再現された能力によって、ソードマスターズを苦しめた。諏訪子の能力は(こん)を創造する。大地を操るものだ。SAOでは農業系スキルが広く実装されており、土地オブジェクトを色々と変えることができる。その力を諏訪子が使うと、特定の足場を瞬間的に田んぼや畑、草地へと変えてしまえるわけで、射命丸文以外は満足に動けない図式が発生した。諏訪子だけは自分の行く道を一時的に固い道に変える。まるでオセロのようにボス部屋の床をぽんぽん入れ替え、妖夢たちに包囲されない場所を確保しつづけた。背の高い草を生やすと瞬時にして視界も奪われてしまい、諏訪子がどこにいるか分からないし、味方の連携にも支障を来した。
 こうなってくると攻撃は射命丸文の無限槍と妖夢の雷神鎚、さらに手裏剣術スキルが頼りだった。ユニークスキルの手裏剣術は投剣の上位スキルで、鼠のアルゴの仲間、忍者プレイヤーのコタローが取得していた。その特性は投擲武器のブーメラン化や連投化だ。これまで投剣スキルで往復特性などを持たせるには体術スキルと専門武器が別に必要だったが、手裏剣術はそういった面倒から解放され、ついでに同時連投で火力も増す。
 諏訪子が弾けてガラス片となったのは二時間半後のことだった。誰もHPバーをイエローまで落とさなかったが、精神的にはとにかく疲れた戦いだった。LAボーナスは鉄輪。カテゴライズに困ったようで、なぜか投擲武器扱いだ。もちろん妖夢が受け取った。憑依後テレビで確認すると諏訪子のパンチラが話題になっていた。よせばいいのにミニスカで日本のを穿くからだ。
 この三日はいずれも長期戦となったが、ソードマスター四人の奮戦により切り抜けた。蘇生アイテムとにとりはまだ温存できている。二刀流夫婦の特訓も毎日何時間も続いている。翌朝の乱取りで、ついにキリトが妖夢より初の一本を取った。これに対し、妖夢とアスナは熱烈なキスで祝福する。その様子を修練場の片隅より見ていた、ひとりの河童娘がいる。犬走椛に稽古をつけてもらっているクラインへ視線を送り……なんちゃって夫の口元だけを、じっと見つめていた。
 三月二九日午後三時、第九八層フロボス攻略戦――
 真っ赤な絨毯に囲まれた紅魔館の大広間を再現したボス部屋の奥底に、スカーレット姉妹が妖しく微笑んでいる。
 一〇日ぶりとなるレミリアの隣に、ボス名『The Devil's Sister』は妹のフランドール・スカーレット。レミリアと違い、羽根が独特だ。横に張った枝に、色とりどりの宝石を垂らしたよう。飛ぶときは妖力を使うので、人妖の翼が示すのはおもに性質や属性となる。BGMは亡き王女の為のセプテット。高貴な落ち着いた旋律に幼少の不安定さをも同封する調べは、幻想郷でも人気上位の楽曲だった。
 ふたりともモンスターMobとしての属性は飛行。こちらは飛べるのが文しかいないので、どれだけの苦戦を強いられるか。
「よく来たわね。あれほどの陣容を無傷で退けてくるなんて、さすが勇者ご一行さま。キリトがここまで強くなるなんて、やはり妖夢が惚れ込んだ男、ポテンシャルの高さは超一級ね。でもそれもここまで――スピア・ザ・グングニル」
 裏の悪役らしく前口上を述べつつ、レミリアが掲げた右腕に炎の槍を出現させた。とんでもないエフェクト光量だ。長さだけでも二メートル以上ある。SAO本来の仕様ではまず無理臭いので、おそらくSAOのシステムで秘かに実現されているなにかの武器、たとえばデバッグ用の特殊武器などを利用しているようだ。
「禁忌、レーヴァテイン!」
 フランドールのほうも炎状の魔杖を出現させる。さらに大きく長さ三メートル近く。燃えたぎる炎そのままだ。グングニル以上にヤバげな空気が伝わってくる。おそらく緋想の剣とおなじ即死級だ。
「――あなたたち、コンティニューさせないからね」
 だがテンションの高いスカーレット姉妹と違い、ソードマスターズはすっかり白けている。
「……勝てるわけねーだろ」
「はい、どう高く見積もっても私たちに無傷で勝利の見込みはありません。HP五段の超ボスが二体でいずれも飛行能力持ち。さらに火炎属性付加の長リーチ即死武器とか、無茶とか無理とかの限度むちゃくちゃ超えてますし」
「というわけで――にとりさん、やっちゃってください」
 文の指示に敬礼する河童。
「ひゅいっ! 盟友!」
「おうぇい?」
「私を愛してるかー?」
「がってんでい」
 突飛な質問でありながら即答してくれたクラインに、やや無表情だった河城にとりがひまわりみたいな笑顔を咲かせた。
「私も……めいゆーを愛してるよ!」
 にとりが電撃的に告白をかまして飛びつき、クラインの首へ抱きつく。反射的に支えたクラインだが、偶然にもお姫様だっことなった。にとりは止まらず、その場で甘い雰囲気もなにもない接吻を交わす。バンダナ男が目をくるくるとルーレットみたいに回していた。
 とたん、BGMが上書きされる。優雅な洋風のテンポが打ち消され、田舎風味な和の音律が流れだす。河城にとりのテーマ、芥川龍之介の河童。にとりの全身に破線が走り、真っ青なエナメル質の服に変わっていく。長靴とリュック。そのままクラインとともに宙へ飛ぶ。妖夢inアスナが見上げるとスカートの中がチラチラ見えてるが、水着だ。
「デスゲームという強烈な吊り橋効果のおかげでせっかく久しぶりに条件外で『本当に好きな人』ができたのに。もっともらしい試練を与えて、成長を楽しみながらゆっくり『愛していくフリ』を味わおうと思ってたのに、もうゴールインじゃないか。つまらない」
 超妖怪弾頭とも言われる河の便利屋さんが、かな~~りご立腹の様子だった。
「よくも私の『遼太郎改造計画』を邪魔してくれたわね。ぎったんぎったんにしてやる」
 冷や汗だらけでこわごわ後退する吸血鬼姉妹。にとりはレベル二五五。いかにHPが多くとも、レベル一二八のスカーレット姉妹では勝負になるわけがない。どうも吸血鬼たちは、にとりが簡単には能力を解放できないと睨んでいたようだ。だが実際は真逆だった。
「……まっ、待ってよ。これは『キリトを急成長させる運命』が視えたから――」
「問答無用! 水符――河童の幻想大瀑布!」
 魔法陣とともに突然、無より生じた大滝の洪水。弾幕でなく本物の水流。すなわち弾幕ごっこではない、可殺モード。それほど怒っていた。迫り来る鉄砲水にレミリアたちが頭を抱えている。避けようにも二人がいるのはボス部屋の一番奥だし、床から天井までをくまなく覆う「避けさせる気のない」水壁が押し寄せている。
「お姉様、話がちがうよ! 思いきり楽しく遊べるんじゃなかったの?」
「私は……私は……私は、自分の運命だけは占えないのよー!」
 四分後、スカーレット姉妹が仲良く昇天する。妹様の恐るべき能力が使われることはなかった。というより終始「溺れっぱなし」で使う暇がなかった。ソードマスターたちがいる箇所を除き、大広間は大洪水の痕みたいにあらゆる箇所が汚れ、破壊され、濡れまくっていた。吸血鬼は流水に弱いので、河童とは相性が悪い。SAOだと弱点はなくなるはずだが、本能に刻まれてるようで姉妹はろくに反応できなかった。妖怪は精神の生き物でもあるので、負けを認めたら本当にそうなる。人間以上に影響力が大きい。茅場に苦手意識を持ってしまった紫がいちじるしく精彩を欠いたゆえんでもある。
 にとりが消えるまでの元なんちゃって夫婦のやりとり。
「私は妖怪として第一世代の個体なので、河城姓は譲れないわ。壺井さんはほかに兄妹は? 家名を継ぐような」
「……います。おりますとも!」
「じゃあクラインが私に婿入りして。あなたが河城遼太郎になる。わかった?」
 そのときのクラインのくしゃくしゃな顔といったら、妖夢も思わず感動で涙ぐむほどだった。
「は、はい! 喜んで!」
 結婚の約束を取り交わすと同時に、「めいゆー、愛してるぞ~~」と朗らかに笑って消えた河童娘。その様子がしっかり日本全国津々浦々まで放送されたのは言うまでもなく、河城にとりと壺井遼太郎が妖夢に先行する形で、異種族婚という新時代の扉を開けてしまったのであった。
     *        *
 三月三〇日、第九九層ボス部屋。
 正午、犬走椛がこわごわと扉を開け、六人が進入する。にとりに代わる解放枠は古明地さとり&物部布都。このふたりは能力を解き放てるか疑問があるため、保険で両方ともだ。輝夜は味方の死と復讐、妖夢は剣術への熱中、魔理沙は決意の恋心、にとりは告白とキスで月人の結界を突破した。特別な感情の爆発が必要なのだが、布都もさとりもとくに材料がない。
 ……そこは広大な和室の広間だった。壁面はすべてふすま。カエデやイチョウなど、秋の葉がきれいに色づく図柄だ。
 BGMが鳴りはじめた。なぜかフランドール・スカーレットのテーマ曲「U.N.オーエンは彼女なのか?」――もしかして最初は姉と妹で別々のボスをやる予定だったかも知れない。ソードマスターズが頑張りすぎて、姉妹一緒になったのだろう。
 ボス部屋の奥、ふすまの一対がすいっと左右に引かれ、奥に正座する男性がひとり。特徴的な山伏服に、高下駄、天狗の仮面、黒い翼。ボス名『Tenma The Great』、HPは見慣れた五段。
 ソードマスターズ全員が緊張する。幻想郷最強の剣士、天魔だ。その正体はすべての天狗でもっとも偉大なる八巨頭の一人、とくに戦闘技能に秀でた鞍馬天狗。天狗の中の天狗、祀られて護法魔王尊。合わせて、天の魔。ゆえに、かの名を天魔という。姓はない。ほかに誰も天魔を名乗れず、ただ天魔と言えば通じるから、上の名を持つ必要がなかった。そのような大物であるが、おそらく予定外の出番が来てしまった。
 その男がゆらりと自然体で立ち上がり、腰より剣を抜く。直刃の古刀だ。奈良から平安初期くらいの作。見た目こそ地味だが、威力はまったく違う。楼観や白楼にも引けを取らない魔剣のはずだ。
「……よくここまで来たね」
 落ち着き澄み切ったその声には、なんの乱れも感じられない。天狗面で素顔こそ見えないが、声の印象から人間に置き換えて三〇歳前後ほど。妖夢たちは構えていた武器を下げ、揃って礼をした。そうしなければいけない気がした。それだけの相手だ。
『よろしくお願いします』
「うむ、礼儀正しくてよろしい。なら、勝負と行こうか。ちゃんと四人同時に掛かってこいよ。律儀にひとりずつなんて、ワシが貫禄で勝ってしまうだけだしね。どういうわけかHPがものすごく多くて卑怯だから、技倆の差とか以上にワシのほうが有利すぎるんだよ」
 射命丸文がやりにくそうに槍を振り下ろす。
「戦闘……開始です」
 こうしてSAO史上最長となる戦いの幕が切って落とされた。

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