ソード妖夢オンライン4 東方剣舞郷 ~ Infinity Myonment.

小説 ソード妖夢オンライン全話リスト

原稿用紙換算641枚
東方Project×ソードアート・オンラインのクロスオーバー。SAO編終了。


一九 序:マスタースパーク

一九 二〇 二一 二二 二三 二四

 吹雪が顔面に貼り付き、戦闘の様子がろくに見えない。
 氷雪フィールドでの野戦は寒さだけじゃなく、視界との勝負でもあるな。でも幻想郷(げんそうきょう)にも雪はたくさん降るし、魔法の森も鬱蒼としてるから、私にゃ慣れっこだぜ。
 吐く息が白いはずだが、臨時ブリザードの粉雪にすぐ同化してしまう。体感温度はぐんぐん下がっているぜ。はやくこの風攻撃、終わらないかな。強風に体が持って行かれないよう、クリスタル柱にしがみついている。厚い手袋をしてるから、冷たさは感じない。抱えてる矛槍が風圧を受けてきしんでいる。頼りない武器め。でも私はこの層で戦うにはまだまだレベルが足りないから、あまり強い武器を装備できない。役立たずとは分かっていても、こいつに任せるしかないんだ。ついでに私の背中を男の腕が守っている。まったくいちいち気障なことを。
 風が弱まり、ようやく突風攻撃が終了した。グォォオとかそれらしい唸り声をあげて、全身クリスタルの白竜が爪攻撃パターンに移ろうとしている。ターゲットは誰だろう。空を飛んでやがるからな、こいつにゃ前衛も後衛も関係ないぜ。
 私の背を守っていた腕が解かれた。青い背中が視界を横切り、攻撃を耐え抜いた攻略組連中の中へと戻っていく。全員が無事であることをわずか二秒あまりで確認すると、ディアベルがおおきく息を吸い込んだ。
「――D隊、引きつけろ!」
 攻略指揮官の鋭い声が響き、シールド部隊が前進した。六人全員が一メートルかそこらの大盾を構えている。
 盾連中の中心に、赤と黒で全身を固める特徴的な鎧武者がいる。ギルド風林火山のハリー・ワンだ。この攻略戦でシールド隊のリーダーを任されているぜ。そいつが盾をふりあげつつ叫び声をあげた。まるで安いスピーカーのような反響がかかり、ハリー・ワンの全身がうすく白いエフェクトに包まれていく。威嚇スキルの上位Mod、シバルリー・エコーだ。通常の三倍のヘイト値を稼ぐが、クーリングが長くて一〇分に一度しか使えない。このタイミングで使用したということは、いよいよ終盤戦と判断してるようだ。
 水晶の竜が舞い降りて、D隊に足爪を立てようとしている。七~八メートルくらいの巨大モンスターMobだから、いくら盾があっても間近にいるあいつら、かなり恐いだろうな。フロアボス並の体躯で、フィールドボスに近い強さを持っている。この山頂は水晶塊だらけで戦闘エリアが狭いし、足下も雪で動きづらい。HPが一段しかなくとも、やっかいなドラゴンだぜ。
「B隊、C隊、デルタアタック!」
 作戦にしたがって左右両壁のクリスタル柱群によじのぼっていくプレイヤーども。地形を利用した挟撃を行うつもりだ。B隊とC隊には風林火山の残る五人が含まれている。ソードマスターズにつぐハイレベル集団なので、風林火山は事実上、この攻略レイドの中心戦力なんだぜ。
「うおりゃぁぁ!」
 B隊リーダー、クラインが先陣を切り、クリスタルの一本より宙へと跳んだ。刀へソードスキルの赤い燐光をまとわせ、うまい具合に白竜の左翼に斬りつけた。ガラスの砕けるような音がして、左翼が根本より折れる。部位欠損が発生したぜ。
 飛行能力を失ったドラゴンが雪面に墜ちた。地響きとともに雪煙があがる。ボスのHPバーを確認すると、落下ダメージがあったようでバーが黄色域に入っていた。
「よっしゃ、ぜんり――」
「全力攻撃!」
 私の声は青騎士に上書きされた。さすが四ヶ月近くも経てば、私と同程度に判断も早くなるぜ。もう参謀とか要らないよなあ。
 左右からB隊とC隊、正面よりのこりの男どもが殺到し、袋叩きにされる白竜。飛行型モンスターはHP量が低めなので、たとえタンブルでなくとも(おか)に降りれば雑魚も同然だな。ガタイもあるから的がでかく、ほとんど全員が同時参加している。みるみるHPが減っていて、一分もしないうちに黄色から赤、さらにすっからかん。青白いガラス片となって砕け散りやがった。
 歓声があがる。三度目のトライでようやく仕留めたんだ、まったく二日がかりの大変な攻略だったぜ。ライバルの解放軍もおなじ階層にいて、東にある干からびた岩石砂漠地帯で難儀してるようだ。
 ラストアタックは鉢巻きアフロの両手用大剣使い、デールが取った。風林火山のアタッカーだぜ。攻略組前線のLAは最近、風林火山ばかりが持っていく。レベルの差が大きいから仕方ないけど、攻略組の精鋭をすこしでも早くレベルアップさせるための方針だから誰も文句はないな。
 妖夢(ようむ)が消えてからソードマスターズの登坂が鈍化し、刺激を受けた攻略組と解放軍がやっきになってレベルをあげはじめた。
 本当なら第五五層なんて高い層で戦ってるのは異常なんだぜ。階層プラス一〇のレベルマージンに届いてるのは風林火山だけで、あとは全員が足りない。解放軍では死者も出してるみたいだけど、競争になってるから意地の張り合いだ。私も人のことは言えないけど、まったくゲーマーは度し難い人種だな。私らもあいつらも、命知らずの精鋭部隊を組織して、必死こいて難敵どもと戦っている。幸いにしてフィールドボスとフロアボスはとっくに掃除されてるから、各種クエストを攻略しつつもっと弱い並ボス相手に経験値を稼いでるんだけど、なにしろ平均レベルが低めなもんだから、いつもフロアボス相手にするような命懸けの総力戦になっちまう。そんな緊迫の戦いばかりだと命がいくつあっても足りないので、狩場を見つけたら二日は逗留して経験値を集中的に稼いだりもしてる。
 いまのような無茶をはじめて、攻略組本隊はまだ死者を出していない。今回も全員が生き延びた。それだけが救いだな。ディアベルの指揮もどんどん上達している。私は完全にお飾りのお姫さんだ。
 私のレベルが上昇していた。これで四四か。不吉な数字だ。全身がレベル上昇を知らせる淡いエフェクトに包まれている。長いボス戦が終了したって実感がわいてきた。戦闘中外していた魔法使いの帽子をオブジェクト化し、被り直した。風の攻撃をしてくるやつだから、帽子とか確実に飛ばされるんだぜ。幻想郷なら障壁を張れるから、どれほど激しく動いても平気なのに。
「レベルアップおめでとう魔理沙(まりさ)!」
 ディアベルが拍手をして、つられて周囲の男連中も拍手してきた。おいおい、おまえらも五人にひとりはレベルアップしてやがるじゃん。なぜ私だけ特別扱いなんだ――もう慣れたけどな。でも照れたので帽子を深く被って目と頬を隠す。
「……みんなに頼ってるだけなのに、恥ずかしいぜ」
「いやそんなことはない。きみという参謀がいるから、俺たちは安心して胸を張って戦えるんだ」
 かつてなら、だな。以前は私が参謀でいるおかげさまだぜ! で正しかったけれど、スキマに感化されてからこちら、青騎士が飛躍的な成長をとげて、お世辞になりつつあるぜ。ラフィン・コフィン相手にまごまごしてた青二才はもういない。逆に私はどうだ。無駄飯食いがろくに戦いへ参加しないから、レイドメンバー中ダントツでレベル低いんだよ。私の適性階層は第三四層なんだけど、二〇層も高いとこで戦っている。冗談のような話だ。足手纏いなのに非難がないのは、攻略リーダーが惚れてるうえ、私が可愛い金髪少女だからだな。自分で言い切るのもなんだけど、容姿に恵まれたおかげで助かってる。可愛い霧雨魔理沙(きりさめまりさ)ちゃんは、攻略組本隊のマスコットガールだぜ。
「おかしいぞディアベル、来てくれ! アイテムが出ねえ!」
 ドラゴンの消えたあたりを歩き回ってたクラインが、ディアベルを呼んだ。
 代表で私が受けたクエストログを参照してみる。たしかに竜が溜め込んだとされる謎の金属かなにかが手に入るはずなんだが――周囲の水晶柱に埋まってるとか? この手のボスがいるクエストでは、キーアイテムはオブジェクト化してくるのが常だ。自動でストレージに入ってくるアイテムは無視していい。
「全員、周囲を探索!」
 鶴の一声だ。
 ざわめいていた三五人が一斉に動き出す。私もつい釣られてね。ホントにカリスマが付いてきたなディアベル。私が口を挟む必要なんかまったくないよ。以前は私が首根っこを押さえないと死者が出かねない危うい指揮をしてたのに、いまでは安全マージンに足りない厳しい条件で、誰も死なせない見事な戦いを繰り広げてる。死の危険に怯えるメンバーもいるだろうし、ときにはディアベル自身が恐いだろうに、人前では終始冷静なままで動じるところを見せず、付いてくる野郎どもに不安をなにも抱かせない。行き過ぎたゲーマーとして廃人の境地にあるわけでもなく、周囲の連中を引っ張って、可能なかぎり安全に、できるだけ早く、ソードマスターズへ集団として追いつこうとしている。
 ソードマスターズはすでに一週間ちかく、第七五層で足止めを食らっている。三度目のクォーターボスはいくつかの状況証拠から不確定要素がおおきく、うかつな挑戦すらできないんだぜ。
 倒すには人数がいる。攻略組の参謀本部、ギルド・マスタースパーク内では、風林火山を単独パーティーとして切り離し、集中レベルアップさせるべきだとの案もあったが、ソードマスターズのリーダー、アスナが否定した。安全に挑戦するなら、もっと人がいる。風林火山が加わったくらいではとても足りない。
 それほど無茶な難敵とおぼしき影が、ソードマスターズの眼前に巨大な壁となって立ちはだかっているんだぜ。
 まったく茅場晶彦(かやばあきひこ)の野郎、ヒースクリフのレベルアップを「のらりくらり」やってやがったのは、この謎の強敵を置いてたからか。
 もっとも――私たちにも奥の手がまだ残っている。
「……あーれー」
 ちょうど遠くから、美女の叫びが聞こえてきた。ジャストタイミングで、その奥の手となる一番槍だぜ。
「任務終了のようだな。わざわざここまで落ちてくるたぁ、余裕ありやがるぜ」
 アインクラッドをたまに騒がせる、スキマ妖怪こと八雲紫(やくもゆかり)の絶叫だ。
 数百メートルくらい離れたところで、天蓋を貫いてきた金髪美女。私と目があったような気がしたが、距離があって分からんなあ。スキマのやつ、そのまま山の斜面にぶつかり――音も立てず、すぽんとすり抜けていった。
 いまごろ直下の第五四層で、まさに怪談が目撃されてるところだろう。
「なんだなんだ、また紫さんか?」
 クラインが声の聞こえてきたほうへ手をかざすが、もう消えてるぜ。
「スキマのやつ、フリーフォールを楽しんでいるな」
 絶叫は演技だな。乗ったことないけどテレビで見た、ジェットコースターとかのアレ。怖いのを安全に楽しんでる叫び。
 月の謎技術によって、幻想郷の人妖少女どもは全員がなんらかの力を得てる。でもシステムが再現した範囲に留まっているぜ。
 魔法使いの私は結晶アイテムの効果を最大に引き出せるだけ。河童の河城(かわしろ)にとりは水中Mobの力を使えるだけ。サトリ妖怪の古明地(こめいじ)さとりは人の心理パラメーターを参照できるだけ。鴉天狗(からすてんぐ)の射命丸文は飛行Mobの力を使えるだけ……とは言えんな。便利すぎるぜ新聞屋のくせに。千里眼を持つ白狼天狗(はくろうてんぐ)・犬走椛の視界は、プレイヤー個室やボス部屋といった特殊空間を除いて、遮蔽物を貫通するぜ――最近になって分かったんだが、こいつはゴーストMobの視界能力だったぜ。ホラー系の層で怖いもん嫌いのアスナが助けを求めてきたけど、レベル差ありすぎて誰もソードマスターズの助っ人なんかできないんだよな。なんとか攻略できてたが。
 八雲紫は、こいつが奇怪奇天烈だぜ。自分自身の接触判定をオンオフ出来るだけ! あらゆる境界を操る能力が、SAO(エスエーオー)だとトンチキなものだ。能力を使ったとたん、床や地面を貫いてしまい、どこまでも、どこまで~~も落ちていく。能力をオフにすれば大地に激突して死んじまうから、転移結晶を使わないと生還できない困った仕様だ。転移結晶で圏内へワープさえすりゃ、どんなダメージからもアバターは保護されるからな。ありゃ、落下ベクトルが相殺されるんだっけ? 戻ったとこ、見たことも聞いたこともないから知らないぜ。
 この難儀だらけの能力だが、あることに使えると判ったんだぜ。スキマはとっくに気付いてたけど、どうも自尊心が傷つくみたいで黙ってたようだ。私なんかはブン屋からの依頼がきて、ようやく知ったくらいだった。灯台もと暗しだぜ。
 まったくなにが役に立つかわからないよな。変な力のくせに、こんなことに利用できるなんて。それはな――
 結晶無効化エリアの偵察だぜ!
     *        *
 竜のいた近辺をしらみつぶしに探索したが、なにも見つからなかった。まもなく夜になるぜ。寒いな。クエスト攻略してさっさと帰りたい。
 どでかいヒントがあった。バトルフィールドだった山頂には、中心にこれでもかとまん丸い穴が自己主張してたぜ。直径一〇メートルくらい。深さはわからんが、一〇〇メートル未満なのは間違いない。層と層の間は、大地の厚さを除けば高さ一〇〇メートルと決まってる。
「……この穴、竜の巣か? おいリンド、縄ばしごか長いロープ、誰か持っていないか」
 機転の利くやつだぜディアベル。夜が迫ってるから、早くクリアして、風呂に入って寝たいな。スキマの偵察結果も聞きたい。
 二本繋げて五〇メートル近くにしたロープを垂らし、風林火山のクラインとイッシンとクニミツが降りていった。敵が出ても少人数で切り抜けられるのは、ハイレベルの風林火山しかいない。ディアベル以下、無理をしてこの層にいる連中は、雑魚相手でも六人以上で固まってないと安全を確保できないんだぜ。
 一〇分後、クラインたちが登ってきた。
「だめだ、長さが足りねえ」
 さらに二本繋げて九〇メートルくらいにした。今度は底まで降りられたようだ。
 二〇分後、クラインたちが戻ってきた。
「底に雪が溜まってて、試しに掘ってみたらクエスト失敗の表示と、ヒントが出たぞ。マスタースミスが要るってさ。あと竜を殺すなってよ」
 お優しいヒント機能は最近になって実装されたものだ。さとりの読心通信によれば、スキマの家族、八雲藍(やくもらん)が放った式がカーディナルと融合してしまい、人格化してるらしい。おかげで人らしく振る舞うようになって、人間のゲームマスターみたいな改良を施してくれているとのことだ。ならさっさと全員解放してくれたほうが嬉しいんだが。私たち幻想郷の人妖はとっくにデスゲーム関係ないから、自力でゲームオーバーになればリアルへすぐ帰還できるんだぜ。でもやらないのは、仲間として過ごしてきた人間たちがいるからだ。彼らを放置して私たちだけがこの精神の牢獄から逃げ出すなんて、とても出来ない。だからいろいろ苦労してるんだ。正義の味方は辛いぜ。
「マスタースミスねえ……おいディアベル、いま一番熟練度の高いメイサーって、誰だろうな」
 鍛冶屋は仕事にハンマーを使うが、そのカテゴリーは戦鎚に属する。彼らの多くは鎚使い――メイサーでもある。生産職でないただの戦鎚使いより、稼いでる鍛冶屋のほうがメイスの熟練度は高かったりする。
「間違いなくリズベット武具店のリズさんだろう。アスナさんが二週間前、ランベントライトという凄いレイピアを打って貰ったからな。キリトさんの魔剣エリュシデータには及ばないが、ハイレベルなアスナさんが装備条件ギリギリだったそうだから、現段階で全武器中、五本に入る強力な逸品と見られてる。そんな武器を作れるリズベットさんなら間違いない。じつは俺も彼女に『最高の』という条件で片手用直剣をオーダーしたんだが、恥ずかしながら俺のほうが役者不足だった。まだ要求値に足りなくて、ストレージのこやしになってるよ」
 看板だけの目立たない店を構え、静かにゆっくりハンマーを打とうと思ったリズだったが、文々。(ぶんぶんまる)新聞に載ったことで真逆の運命を迎えたんだよな。攻略組所属にして、ソードマスターズ御用達。この相乗効果と、ピンクフリルへと変身したリズ自身の話題性により、リズベット武具店は寝る暇もないほど大繁盛してるぜ。その結果リズの熟練度はめきめき上昇して、プレイヤーが装備できないほどハイレベルな剣を作るようになってきたってわけだ。ソードマスターズが第七五層まで開拓しちゃったけど、プレイヤーの多いボリュームゾーンはまだ一五から三〇層くらい。私はこれよりすこし上の位置だ。その中でインゴット素材だけは、はるかに高い七五層の店売りレベルまで手に入る。そんなもので作った武器だから、四五~五〇層クラスのディアベルたちでも装備できないんだぜ。でも驚くべきは、高い層のインゴットを難なく鍛えてしまうリズの熟練度だな。普通は無理だ。
 ステータスやスキルビルドを詮索するのはマナー違反だけど、リズはすでにマスターと呼べるところに来てるかもしれないし、まだなってなくとも、全プレイヤーでもっとも近い位置にいるな。その彼女が竜の巣に眠るインゴットを使えば、どんな魔剣が生まれるのか、楽しみになってきたぜ。
「クリア条件を満たしていない以上、このクエストは後日再チャレンジってことで終わりだな。日も暮れたことだし、さっさと下山してメシでも食おうぜ」
 寒い思いをしたから、今夜の風呂は体の芯どころか心にまで暖かく浸透しそうだぜ。
     *        *
 第五五層主街区グランザムでメシ食って馬鹿話してディアベルたちと別れた。明日は第五六層に登り、パニ村の近辺でクエストを消化しつつ新しい狩場を探すことに決まったのだが、私はあまり意見を言わなかった。ディアベルとリンドだけで九五パーセントは決めてしまって、しかもそれが無難かつ適確ときてる。最近の私はずっとオブザーバーに徹してる。ふたりとも成長したもんだ。私はいつ茅場にゲームオーバーにされるか分からない身だから、若くて伸びる人間たちにもっと経験を積ませたほうがいい。お飾りで構わないんだぜ。だけど懸念もある。第五五層でもいいかげん大苦戦だったのに、さらに上へあがって大丈夫なんだろうか。狩場はモンスターが続々湧いてくるスポットだから、レベルマージンが足りない身ですこしでも集中を欠けば命が危ない。まだ死者を出してないからいいけど、ひとつ間違えば大変な目に遭いそうで怖い。それだけが心配だぜ。
 第二二層に戻ると、転移門広間で待ってたらしいスキマの奴が、なに食わぬ顔をして私の肩を叩いてきた。勢いで私の帽子がずれ、前のめりに垂れ下がる。
 すっかり暗いのに、さらに冬なのに、なんで日傘さしてんだこの女。
「いよいよ出番よ! 魔理沙」
 わけがわからないぜ。どうしてそんな得意そうな、晴れやかな顔をしてるんだ。
「……なんの?」
「決まってるじゃない。本物のマスタースパークを、第七五層に居座る外道スカルリーパーへと乱発するのよ」
 聞いたことのないボスだな。今日の偵察で判明したのか。それにしても、なぜ私が?
「……どうして?」
「だってあなたの能力が、私たちの中で一番役に立たないのよ。最近はディアベルも使える男になってきたし、真の力を解放してアカウント停止になるのに、ほかに候補として誰がいるの?」
 なん、だと? 突然の話で、私の頭が混乱だぜ。突拍子もないな。
「おい待てよスキマ。もしかして私が、七五層ボスんとこまで行くのか? レベルまだ四〇台だぞ私」
「私なんか三〇台だけど今日はしっかり最前線で仕事をこなして来たわよ。まあ来なさい」
 なにがなんだか呑み込めないうちに、ギルド・マスタースパークの本拠地、マヨヒガ荘に連れてこられた。私の部屋は二軒隣の霧雨魔法店(仮)にあるんだぜ。スキマ御殿に用などなーい!
 マヨヒガ荘のさらに中枢、マヨヒガの間。そこにみんな揃っていやがった。人間はいない。幻想郷の人妖だけだ。追い出されたはずの仙人モドキまでいやがる。
 私はすぐ抗議する。当然だぜ。
「おいそこのアホ仙人! おまえのほうが役立たずだろうが。今回はおまえが行け!」
 物部布都(もののべのふと)、通称アホの子。
 灰色髪の自称仙人が、両手を上と下に広げ、天上天下唯我独尊のポーズを取りやがった。ただし手は広げた状態。それで足も開く。アホの子、お得意のポーズだ。
「我もこたびは出陣するゆえ、安心せい、こわっぱ」
「なんだって? じゃあ私とこいつが、揃って力を放つというのかスキマ? 輝夜(かぐや)も妖夢もひとりで削りきっただろうが」
 円卓の最奥にいるスキマが、扇子をさっと開く。
「違うわよ。布都は限界を突破しなくても、スカルリーパー戦では役に立つの。私とおなじように、有用の手が見つかったってわけ」
「圏内保護を無効化しちまうような剣呑な能力が、どうやってボス戦で使えるってんだ?」
 風水を操れたら『いいなあ』という半端な道士だったせいで、布都のやつは英雄になりそこねた。もしこいつが本物の仙人だったら、SAO異変はとっくに片が付いてた可能性すらあるんだぜ。
 土地の属性を変える高度な術が風水なんだが、布都ちゃんにはその才能がろくにない。なんの異能力も持たぬ一般人だった分際で、他人の施した秘術によって強引に昇仙しやがったからだ。尸解仙(しかいせん)になってから道士として修行しますとか、順序があべこべなんだよ。私を見習えってんだ。そんなことだから、SAOではエリア属性を解除するだけの、はた迷惑な能力になっちまったんだぜ。
 もし布都が生粋の仙人さまで、圏外でもHP保護を受けられるよう属性を変更できていたなら、みんな無敵の一方的な改造チートプレイが楽しめたものを、惜しいところだったぜ。まあ、茅場が黙って見逃してくれない可能性も高いけどな。
 エセ仙人のやつ、勝ち誇ったドヤ顔だ。
「こたびは紫殿に追加して、我も良き活躍の場が見つかっての。魔理沙とちがって、あいにくゲームオーバーになるにはすこしばかり早いようじゃな」
 こんな場じゃなければデコピンしてやりたい。いきなりゲームオーバーになれと言われたばかりで、覚悟なんかちっとも出来てないぞ。妖夢みたいに泣いて去りそうだ。
「……スキマ。ディアベルやクラインたちが追いつくまで待つってのは、やはり無理か?」
「悠長ね。戦力が整うのにどれだけ掛かると思ってるのよ。私の見立てだと、安全マージンに達したレベル八五のプレイヤーが四〇人以上揃うまで、最短でも八ヶ月はかかるわよ」
「みんな必死に頑張ってるぞ。きっと三ヶ月で追いついてみせる。どうして半年以上もかかるんだ」
 予感はしてたし、不安にも思ってる。おまえら急ぎすぎだって。でも私はディアベルたちを擁護せずにはいられないんだよ。
「魔理沙、感情で話すのはおやめなさい。情報さえ揃っていれば、私の頭脳はほぼ正確に大局を見通せるのよ。いまやってるパワーレベリングなんか、無理が祟っていずれ破綻するわ。解放軍のほうはすでに五人も死んで、戦力崩壊が始まってる。あなたたちが持っているのは風林火山のアドバンテージがまだ残っているからよ。限界点に達したら、あちらのように死者を出す慚悔の戦闘を幾度となく経験するわよ。以降は慎重になり、レベルアップのペースが大幅に鈍化するの。それに……いえ、文から話をさせるわ」
 射命丸文が一礼した。
「今回のクォーター・ポイント・ボス、正式名ザ・スカルリーパーは、とても人間たちの成長を待っていられるボスではありません。たとえ万全の布陣で挑んだとしても、一〇人以上の戦死者を覚悟しないといけないでしょう。それだけ難物のようです――」
 時系列をさかのぼり、第七五層でソードマスターズが何日も動けなかった事情があらためて説明された。参謀長だから私はとっくに知ってたが、布都・にとり・さとりは初耳のようだな。
 ことの起こりは第七四層だ。フロアボスの名前が『The Gleam Eyes』と、すべて大文字はじまりだったんだぜ。
 最上級ボスのしるしだ。みんな大文字はじまりなんざ、雑魚にならいくらでもいるが、『the』を冠するボスには大文字小文字でくっきり序列があったんだぜ。たとえば第一層フロアボスのコボルトロードは『Illfang the Kobold Lord』、第三五層にいた背教者ニコラスはフロアボスより格下なので『Nicholas the renegade』といった具合だ。グリームアイズそのものはキリトの二刀流スキルと魔剣エリュシデータであっさり乗り切ったが、手応えのなさを気にしたアスナが戦闘後にボス部屋を調べたところ、結晶無効化エリアだと判明した。フロアボス戦では初のことだ。
 こうなってくると、第七五層ボスもなにか仕掛けがあると見ていい。発見したボス部屋の中身は、扉をあけて外から見た限りは空っぽだった。区切りのボスは必ず特殊な演出をもって出現してたので、今回もそうだろう。偵察としてキリトひとりだけ入ると、十数秒していきなり閉じ始めたので、慌てて脱出した。プレイヤーが中にいる状態で、勝手に扉が閉まるボス部屋など、これまでなかった。
 つぎはまたキリトが半身だけ入って、ためしに記録結晶を使ってみたが、案の定カメラは作動しなかった。結晶無効化エリア。これらから類推できることは、一度閉じた扉は、おそらく内側より開けることができない。
 つまり――脱出不能のボス部屋だぜ!
 ボスは部屋から出てこられない。開きっぱなしの扉は安全地帯との境界だから、アスナもそれを利用してフロアボスを扉の近くまで誘導し、できる限り安全に戦ってきた。その必勝の黄金パターンが封じられるばかりか、緊急脱出も緊急回復も許されない。
 とんだ艱難辛苦なんだぜ。
 こんなことは初めてだった。ただでさえ強力な超ボスを、ヒーリングクリスタルなしで、かつぶっつけ本番で倒さなければいけない。第二五層でも第五〇層でも、一度では倒せなかった。ソードマスターは初見の敵だろうが簡単に倒しまくる抜きんでた力量の持ち主だ。そのパーティーでも手こずる難関が区切りのボス。慎重に情報を得て、準備を整え、作戦も立てて、やっと倒せる。それくらいの超難敵でありながら特殊アイテムなしで、かつ初挑戦で突破してみろと要求しているのだ。
 茅場晶彦のやろう、理不尽の多重連奏とはやってくれる。ヒースクリフがレベルアップをのんびりしてやがったのは、これがあったからだったんだな。
 ソードマスターズは最初、戦闘時回復スキルの修行にあけくれていた。以前から持ってたキリトとアスナは完全習得を目指し、新たに取った天狗ふたりは熟練度五〇〇が目標のようだが、問題は名も姿も知らぬ超ボスの攻撃能力がいかなるものであったかだぜ。
 どれだけ高い回復能力を得たところで、一撃でHPの半分以上を奪われそうな敵であったなら、たとえ完全習得であろうともあまり意味は持たないよな。とにかくクリーンヒットを一発たりとも受けないことだけが、生き残りの絶対条件となる。第五〇層はまだ通用したぜ。キリトのほかに、魂魄妖夢(こんぱくようむ)がいたからな。どちらかがやられても、回復してる間はもう一人がフォローできた。だけどソードマスターズにはいま、区切りのボスに対してダメージディーラーとなれる者がキリトしかいないぜ。椛も強い剣士だが、彼女には敵のタゲを取るという、盾持ち戦士ゆえの役割がある。もしキリトが大ダメージを受けたとしたら、その時点で敵のHPを削るどころではなくなるなこれ。文とアスナでは火力がまるで足りないのに、キリトが回復するまでずっと支えなければいけない。ヒーリングクリスタルが使えないから、キリトはポーションで時間をかけて休息するしかないし、文たちが崩されて状況が悪化すれば、一撃で殺されることを承知で突っ込まなければいけないぜ。なんという難易度ルナティック。
 ボスの外見だけでもいいから、戦力を推定できる情報が欲しい。
 そこで我らがスキマさまの登場だ。結晶無効化エリアからでも生還できるこいつの能力を使えば、知らぬボスの顔や装備を拝むこともまた可能――
「紫さんが見た大ボスは、これまでで最大クラスの体躯を持つ骨のバケモノ。体高こそ三から四メートルていどですが、問題は体長のほうです。二〇メートル近くはあるみたいです。さらに移動速度も猛獣のように早い」
「どういう姿なんだぜ?」
 スキマが私に紙切れを投げつけてきた。キャッチしたそれは写真だった。記録結晶は使えないはずなので、文か椛の持ってる機械式カメラを借りたようだぜ。そこにはブレブレながら、恐ろしげなたくさんの足を持つ白骨のムカデが、冗談なほど長いカマキリみたいな鎌を振りあげている姿が写っていやがったぜ。ちょっとしたホラーだ。
「長大な骸骨ムカデよ。しかも大鎌の二刀流。このメイン武器の長さは二メートル弱。それが両手。HPバーはもちろん五段で、名前もすべて大文字はじまり」
「二刀流なのにメイン武器って、さらにほかの武器まであるのかよ」
「あいつったら、逃げた私にしっぽで襲いかかってきたのよ。その先端にもノコギリ状の刃があったわ。おそらく副武装ね」
「びっくり仰天、冷や汗かきながら床に消えるスキマが想像できるな」
「危機一髪よ。しっぽは私から一〇メートルは離れてたのに、あっというまに詰めてきたのよ。あと半瞬遅ければ、いまごろ本当のマヨヒガで失意のうちに目覚めてたところね」
 文が軽く手を叩いた。
「……以上の情報とこれまでの記録やパターンから、安全マージンに達していても即死級か近いダメージを受けるだろうと判断せざるをえません。ソードマスターズは一時間あまり話し合ったすえ、弾幕による殲滅を基本作戦として選択することで合意し、紫さんへ正式に要請しました」
 それで、私が派遣されるわけか。
「文がひとりで挑んで、高所から風攻撃を繰り返すのは?」
「むろん検討済みです。私の風攻撃は万能じゃなく、最大射程は一二メートルです。しかも離れるほどダメージが減る。牽制を考えない場合、どうしてもあるていど、半分の六メートル以内に近づく必要があるんですよ。その有効射程までスカルリーパーの攻撃は容易に届いちゃいそうなんですよね。おまけに風攻撃はクーリングタイムが長いですから、倒せたとしても何十時間かかったものか。その間、一撃も許してはいけないなんて、集中力が持つとは考えにくいです。無理ゲーすぎますよ」
 たしかにケモノの早さで動くと評価された骸骨ムカデが、跳躍ないし上半身をあげれば、六メートルくらいなら難なく狩れそうだぜ。
「私がボス部屋に入っても、すぐ月都仕様の結界を突き破れるとは限らないよな。その間、このボスが待ってくれるわけないよな?」
「それは心配ありません。私がいます。魔理沙さんを抱えて安全な高度を飛びますから、時間はいくらでもありますよ。結界を確実に破る方法もすでに紫さんが考案しています」
 SAOで飛行が体験できるのか。ならやってみてもいいかなと、ほんのすこしだけ思ってしまった。
「なっ! 我はどうなる! おいてけぼりで、誰の保護もないのか?」
 アホの子が慌てていやがるぜ。
「布都さんはぶっつけ本番ですから、ついでの検証です」
 どうやら主役はむしろ私のほうだったようだぜ。なんちゃって仙人は余禄だそうだ。
「悪いけど布都――」
 紫が扇子をたたみ、その先端を布都に向けた。スキマの目は冷たい。境界の賢者より、かなり酷な内容が話された。
「――あなたは精神的にまだ未熟すぎて、永琳(えいりん)の施した結界を破ることが出来ないわ。一〇〇〇年以上を生きてきた私と文で、そう意見が一致したのよ。テストがうまくいけば幸い、いかなければこの戦いでサヨナラね。攻略の役に立てないなら、これ以上あなたがアインクラッドへ留まる理由はないわ。むしろ幻想郷に戻って、藍や吸血鬼の手伝いでもしてるほうが有意義ね。だから今夜はせいぜい、月夜の黒猫団と別れの盃でもかわしてきなさい」
 得意の絶頂からどん底へと叩き落とされた仙人モドキ。その目から涙があふれてきてるぜ。
「ひ、非道であるぞ! 見ておれよおぬしら! うわぁぁあああん!」
 マジ泣きで部屋を飛び出した布都ちゃん。でも明日になればケロっとした顔で合流してきそうだ。黒猫団やブレイブスに励まされ、根拠のない自信で『我におまかせを!』とか胸を張ってな。そんな奴だぜあいつは。
「ところでスキマ」
「その声と顔、受け入れるようね」
「ワガママを言ってられないみたいだしな。私の能力はたしかにみんなの中でいちばん役立たずだ」
 結晶アイテムはSAOにおいて数少ない魔法要素だぜ。浮遊城アインクラッドの神話によれば、地上より一〇〇枚の円盤が分断された大事件で、人間や亜人は魔法を失ったとさ。わずかな名残がクリスタルとなって長い時を眠り、使用者へかつて普遍にあった奇跡の恩寵を施してくれる。そういう設定だから、結晶アイテムはレア扱いで、効果もほとんどマックスで発揮される。元から九割以上の性能であるのに、常時一〇割にしたところで、有難味なんかないよな。
「スキマ、もっと詳しく話を聞こうじゃないか」
 こうしてSAOにおける、最後の戦いが決定したぜ。
     *        *
 ……布団に潜ってから、いまさら気付いたんだよ。
「――あ。布都をダシにして、その気にさせられた!」
 さすがスキマと天狗だ。私の劣等感を利用しやがったな。青春時代、一方的にライバルと目してた霊夢(れいむ)に、いろんなことでずっと負けつづけた。あいつとは親友であり腐れ縁でもあり、しかし他人でもある。好きといや好きだし、嫌いでもある。複雑で距離感の掴めない、奇妙な関係だぜ。その天才が巫女を引退しちまって、競争の類をしづらくなった。私の大幅な負け越しが確定だ。コンプレックスとして引き摺ったままだから、誰かと比べられて相対的に持ち上げられると、つい期待に応えたくなる。普通の魔法使いはやっかいだぜ。
 無意識のうちに流されて、受けちまった。
 長生きしてる連中は始末に負えないぜ! 私もとんだ笑い草だ。いまさら撤回もできないよな。私にも意地がある。いくら騙されたとしても、まちがいなく霧雨魔理沙の意志で決めたことだ。魔法使いの矜持でもって、せいぜい華々しく散ってやろうじゃないか。
 …………。
 …………。
 ……眠れないぜ。
 こちこちと掛け時計の音がする。布団から起き上がって、その時計を止めた。よし、無音だ。
 …………。
 …………。
 四ヶ月いかないうちにゲームオーバーか。もうすこし粘ってみたかったけど、弱いからしょうがないぜ。さとりや河童みたいに人の役に立てる特技を持ってりゃ良かったんだが、私の得意だった分野は人材が成長したらお払い箱になるもんだからなあ。精進が足りなかったってことで。これで一〇人中、四人目の退場者ってわけだぜ。私がいなくとも攻略組は廻っていけるようになっている。でも幻想郷へ帰る前に、生き急いでるようなディアベルたちに、伝えておかなければいけないことがある――明日、出陣前に会おう!
 心の整理がつくと、急に睡魔が襲ってきやがった。魔法使いだからその気になれば睡眠とか不要なんだが、アインクラッドの私はどこまでも人間として扱われてるからな。リアル魔法も使えないし。
 あ~~、眠い。現実の私はどんな体勢で眠ってるんだろう……。
 …………。
 …………。
『ま――』
 …………ん?
『ま――り――』
「うおぅ!」
 強烈な悪寒が全身を走った。びびった私は反射的に布団をはねのけ、ベッドより転び落ちてしまう。眠気なんか飛んでいったぜ。
「なななな、なんだなんだぁ?」
 なにかが入り込んでくるような、薄気味悪い感覚だ。怖気がする。誰かが――そうだ、これは誰かが私の精神、いや魂か? アストラル体か? そう、私の本質へ侵入しようとしているんだぜ! でも残念だな! 私の魂はとっくにアストラル体となって、肉体よりすこし切り離れた、位相のことなるステージに在るんだよ。捨虫(しゃちゅう)捨食(しゃしょく)によって、人間でなくなっているからな。
 さすが魔理沙さまだぜ。気持ち悪いけど、いま私に起きてる現象を正確に分析してる。
「……ようむ、妖夢だな!」
 ほかに犯人候補がいない。あの声は少女のもので、妖夢っぽかった。
 魂魄妖夢は半人半霊。幽霊ができる芸当ならたいてい可能なはずだ。おそらく憑依かそれに近いみょんな方法を思いつき、SAOへの復帰を試みてるんだろう。でもレベル四四の私に取り憑いたところで、前線へは出られないから、戦力的にどうしようもないはずだぜ。ほかの幻想郷クラスタから報告はあがってないから、おそらく私でやってるのが初挑戦。テストといったところか? ――だが、やりかたが間違ってる。慣れてないと見た。初心者め。人妖に分類される魔法使いさまの精神を乗っ取るなんて高度な憑依を、未熟者ができるわけなかろうに……
 寒い寒い寒い! 幽霊すなわち死の属性がこれほど冷たいなんて、まだ冬なのに。
 仁王立ちとなり、天井を見上げる。息を吸い込み、声帯をふるわせた。
「妖夢! おまえのアクセス経路は、ただの人間に対してのもんだぁァァァ~~!」
 大声を張り、同時に心の中で強く念じ、さらにその震えを増幅させ、アストラル体の私を振動させる。
 文字通りの、心の叫びだ。
『――――え?』
 あいつが戸惑っている? 私も気を張って、心理防御を突破されないよう万が一に備えるぜ。ビギナーズラックってもんがあるからな。
「いいかよく聞け妖夢! 私は魔法使いだ! 憑依ビギナーのおまえが取り憑くことができるのは、まだ人間だけだぜ!」
 妖夢は底が見えない。時間を無駄にすることにかけて人間の比じゃない妖怪の一種のくせに、ただ技を磨き、修行にあけくれ、強くなりつづけている。五〇年後、一〇〇年後が末恐ろしいやつだ。かつて私と並んでたのに、いまじゃあいつのほうがはるかに強い。多くの時間をひたすら強くなることに消費してる妖怪なんて、幻想郷界隈でも妖夢くらいのもんだ。昨日の素人が今日の玄人。内面世界に関して初心者だからって、気を抜いていい相手じゃないんだぜ。
 ところが、最後はあっけなかった。
『ご――め――ん』
 私の体を包んでいた冷たいなにかが、水が引くようにさっと静まった。すみやかに消えていく。悪あがきなしか。こんなところは妖夢らしいな。
「ごめん、ね……これほど潔く退くとは、魔法使いさまの主張が正確に届いたようでなによりだぜ。私もやるようになったな」
 安堵したとたん、すっかり疲れた膝が震え、情けなくぺたんと尻餅をついた。乱れた息を整える余裕もなく、右手をさっと縦に振ってメニューを呼び、スキマへメッセージを打つ。妖夢のことだ、ほかの仲間へもチャレンジしかねん。大急ぎで知らせる必要があったんだぜ。
     *        *
 第七五層、主街区コリニア。古代ローマ風の都市で、浴場やコロシアムまである。その転移門広場に転移してきた。
 待ってた賢者さんが、私たちを見て呆れていやがる。
「――で、どうして攻略組の総大将がおまけで付いてきたのかしら?」
 ディアベルが私につかずはなれずだ。
「もちろん。愛しい人の、最後の戦いをこの目に焼き付けるためだ」
 最後のときとなれば、我慢してたものを解き放ってるなこいつ。
「肝心の攻略組本隊はどうしてるのよ」
「リンドに任せている。予定を変更して四六層まで降り、アリ谷で日がな一日、安全に経験値稼ぎだ」
「……魔理沙。あなた、どういう話し方をしたの」
「まず別れの挨拶をして、みんなで思い出を語り合ってさ。私から抱負として『解放軍に合わせる必要なんかないから、攻略組はもうすこし慎重に行こう』とか、『死者を出したくないから、ちょっとばかり下層に降りてもいいんじゃないか』と言って。そのあと別れの記念撮影を希望者として、いつのまにかディアベルのやつが」
「そんなことじゃなくて! ――ディアベル、魔理沙はこれから最前線の迷宮区に行くのよ。区切りのボスで、とてつもなく危険なのよ」
「大丈夫だ!」
 青騎士がフトコロから、大きめの結晶アイテムを取り出した。すべての結晶の中でもっとも高価な、回廊結晶だぜ。コリドークリスタルともいう。最大数十人を記録した場所へ転移させることが可能な、夢の超レアアイテムだ。
「いくらそんなものを持ってきたからって、肝心の座標が記録されてないと意味ないじゃない」
 前もってその場に行く必要がある。それがこのクリスタルの使いづらいところだ。
「問題ない」
 記録してある座標データを私たちへ見せてきた。たしかにそこには、第七五層迷宮区、ボス部屋寸前のスポットが地図データとして表示されている。準備よすぎだろ、おまえ。
 スキマの眉間に皺が寄った。あー、美女がもったいない。こりゃ相当に怒ってるぜ。
「……文!」
「あやややや~!」
 射命丸文がふわりと宙へ逃げる。この世界で空飛ぶ天狗を捕まえられるやつなんか誰もいない。私やキリトの投剣スキルを使っても、SAOのロングレンジアタックは攻撃力を総じて低く抑えてるから、当たったところで落とせやしない。それだけ文のレベルは高いんだぜ。いまは八八くらいか? 私の倍だ。
「だって愛の別れですから! ネタですよ! 私は新聞記者ですよ!」
「まったく、スクープと来たら根回しに余念がないわねあなたって」
 幻想郷ならスキマのほうがずっと強いが、SAOでの射命丸文は強力な戦士に成長している。この鴉天狗を物理的にどうにか出来そうなのは身内じゃ犬走椛だけなんだけど、基本的に文の味方だ。それを察したスキマは、嘆息してさっさと諦めたみたいだった。弱っちくなって、切り替えが早くなってるぜスキマ。
 天狗が昨夜のうちに先んじてディアベルと接触し、とっくにみんな知っていやがったんだな。道理で攻略組の男連中、聞き分けが良かったわけだぜ。安全確保のためコリドークリスタルまで用意してあげるとは、まったく困った記者魂だ。おかげで私は楽できるけどな。
 第七五層フロアボス攻略戦、パーティーご一行さまの面々はこうだぜ。
 まずソードマスターズの四人。リーダーのアスナに、人間最強のキリト。妖怪から天狗ふたりで、文と椛。四人の平均レベルは九〇くらいだってさ。
 攻略のキーとなるのが私。どきどきの主役だぜ。おまけでテストをさせられる自称仙人。最後が付録のディアベル。総勢七人。ディアベルのせいでパーティーひとつに収まらなくなったから、ディアベルをリーダーとして新しくパーティーを組み、ソードマスターズとレイドを組んだ。
 スキマ賢者の八雲紫は見送りだ。さすがに二日つづけて怖い思いはしたくないらしい。七五層じゃレベル差ありすぎて、どんな雑魚にも一撃で殺されるからな。
 さて出発だ! 青騎士が右手を掲げた。
「コリドー、オープン」
 ディアベルの手にあった結晶が砕け、うすいモヤモヤが壁面状に発生した。いま相場はいくらだろ、もったいないぜ。モヤモヤの幅は数メートルある。ここを通過すれば、つぎの瞬間にはもう超危険地帯ってわけだ。
 まずソードマスターズが進み、さっさと転移していった。つづけて布都がはしゃぎながら飛び込んで、最後にディアベルが、私へと手を伸ばしてきた。すこしでも思い出が欲しいんだろうな。ここは乗ってやるよディアベル。ハンサム野郎の手を取ってあげるぜ。スキマが手を振っている。行ってくるよ。
 ゆっくり進み、軽い目眩のような感覚を経て、私は迷宮の中にいた。あっというまだぜ。眼前にそびえる高さ一〇メートル近い大扉。その表面には単純な幾何学模様が浮き彫りされている。ボス部屋の扉は中の存在を語る。ふたつの腕みたいなものが、スカルリーパーを暗示しているように私には見えるぜ。でも骸骨ムカデとか、体長がすごいとか、この扉じゃ分からんよなあ、絶対。適当だなデザインしたやつ。
 そんな、ぼ~~っと見上げてる私を、いきなり抱きしめてきた男の腕。
「なっ!」
 ディアベルのやつ、最後だからって気でもとち狂ったか? そりゃデートするくらいには仲良かったけど、肌のスキンシップなんか許してないぜ。私の想い人は香霖(こうりん)――
「間に合ったようだね」
 すぐうしろで、聞いた瞬間に全身のこわばる声がしやがったぞ。
 なんでだ?
「急にライバルがフィールドから消えたから、気になって調べさせてもらったよ。このような面白い戦闘であるなら、ぜひ見学させてもらいたいのだが、構わないだろうか」
 なぜおまえがここにいる。
 おそるおそる振り向けば、赤い鎧に、白の配色。巨大な十字盾を持つ、この世界の創造主にして、真の支配者。
「ヒースクリフ!」
 ディアベルは私を庇っただけだった。疑って済まん。もしそのままだったら、湧いて出たヒースクリフに突き飛ばされていたところだったぜ。
「あんたら、なんのつもりだ? コリドーに便乗とは悪趣味だな。レベルが足りず、たちまち殺されるだけだぞ。転移結晶は人数分、ちゃんと持ってきてるんだろうな」
 キリトの厳しい物問いだ。コミュ障か知らんが、困ってる人を除けば赤の他人にけっこうきついんだよこの少年。
 あとから来たのはヒースクリフだけじゃなかった。キバオウやゴドフリーといった解放軍の幹部たちが五人、顔を並べてたぜ。
 イガグリサボテンが前に出てきて、自己主張だ。
「わいらは見学しに来ただけや。戦いに参加するわけやない。後方や壁際におったら安全やろ?」
 私はヒースクリフの狙いに気付いた。この男、第一層や第二五層のときとおなじく、おのれの目で見てみたくなったんだな。普段は解放軍に囲まれて私たちの手が届かぬ安全地帯にいるくせに、ときにこんな大胆な行動に出てくる。胆力のあるやつだ。
 それにしっかりご同行もいて、身の守りは完璧だぜ。ここで私たちが即席の茅場明かし作戦を取ろうとしても、キバオウたちが邪魔になりそうだ。せっかく一発逆転のチャンスなのに、スキマがいないのが口惜しい――
「お待ちなさい!」
 あ、やはり追いかけてきたかスキマ。
 八雲紫が転移してきたと同時に、コリドーのゆらめく膜が消えた。
 ヒースクリフとスキマが睨んでいる。いや、一方的に敵愾心を燃やしてるのはスキマのほうだな。まったく余裕なさそうだぜ。魔王のいきなりの介入に、落ち着いて対処できなくなってるんだな。こんなところはいかに賢者でも、感情に支配されやすい女の端くれだぜ。すこし共感した。
 スキマですらこうだから、私なんかじゃ手に負えないぜ。任せるしかないな。
「やあ、攻略組の真のオーナー。代表者という形できちんと話すのは初めてだね。いつぞやは愉快なメッセージをありがとう。ビクトル・ユーゴーはあまり知らなくてね、返事を出すまでかなり悩んでしまったよ」
 たしか『?』と『!』の件だな。スキマが悩みすぎた末に起きたメッセージのやりとりだ。スキマがつい女としての弱さを晒したときに限って、茅場が直裁的に関係してくる。偶然にきまってるから、時と運の巡り合わせまで味方に付けてやがるわけだ。茅場晶彦め、なんて男だ。
 スキマも情緒の乱れを自覚してるようで、扇子を広げて目を除く顔の下半分を覆い、懸命に自制を保とうとしている。
「場所が場所だから、人さまの転移に乗じたマナー違反の追求は後回しにするわ……ここにいてもどうしようもないから、仕方ないけど、お望みどおり観戦を許可してあげる。アスナ、それでいいわよね」
 アスナが緊張を隠せない顔で、ヒースクリフと目を合わせた。
「――はい。紫さんがそれでいいのなら、私も反対しません。解放軍のみなさんは、紫さんたちと一緒に、戦闘エリアの端っこで見学ということでいいですね? メインの戦場からは何十メートルも離れて見づらいとは思いますが、ザ・スカルリーパーは私たちソードマスターですら即死しかねない高い攻撃力を持っていると予想されています。絶対に前へは出てこないでください」
「それだけじゃ警鐘が足りないぞアスナ。おいあんたら、この先のボス部屋は結晶無効化エリアだ。さらに扉が勝手に閉じる極悪な仕様にもなってる。生きるか死ぬかだ。俺たちは自分の命を守るだけで手一杯で、とてもあんたらをフォローできない。タゲだけは取っていてやるから、自分の命はてめえで守れよ。それでもいいなら、付いてこい」
 キリトのやつ、言うようになったな。妖夢が消えた直後はすこし不安定な時期もあったが、彼女の残したエリュシデータを装備できるようになってまた調子を戻してきて、さらに男をあげてきたぜ。軟弱なガキだと思ってたが、こんな一面も持ってたか。妖夢がコロっと惚れちまうわけだ。
 黒の剣士の突き放した警句に、解放軍の連中が渋面を返しやがった。でもヒースクリフだけは挑戦的な笑みをキリトに向けた。こいつもただもんじゃねえ。
 ヒースクリフの笑みを一瞥で済ませたキリトは、きびすを返してさっさとボス部屋の扉を押した。アスナが「あー! ずっるい」と、子供っぽい声で文句を垂れてる。いくら最前線の舞姫でも、素が出ればまだ中学生だな。
「それでは行きましょうか、魔理沙さん」
 天狗が私をうしろより抱えて飛んだ。開いた扉をくぐる。ボス部屋の中は半球ドームになっている。すんげー広いぞ。高さは五〇メートルはあるんじゃない? てっぺんは第七六層にこんもり入り込んでやがるぜ。その辺りは外から見ればきっと山になってる。
「戦闘、開始!」
 うしろでアスナがランベントライトを抜いて叫んでたけど、遅いぜ。一番乗り競争はとっくに始まってる。私の真下にはキリトがいて、すでに二刀流で臨戦態勢だ。左手に私が名前を知らない剣を、右手にエリュシデータ。左右で攻撃力や重さが違いすぎて、振りにくいらしい。妖夢は左右非対称のほうが戦いやすく、蝶のように舞って蜂のように刺してたけど、キリトはおなじくらいの性能じゃないとベストの戦いがしづらいらしい。こういったところはゲーム世界限定の天才剣士ってところだぜ。
 キバオウのやつが見上げてやがるな。私の足のほうを。アホめ、パンチラ対策は済ましてるぜ。空を飛ぶってわかってるのに、そのままでいるわけないだろ。スカート下のボトムスは、今日だけ特別だ。妖夢が好んで利用してたレギンスだぜ。
 ソードマスターズのうち、文を除く三人がボス部屋の中央まで一気に走っていった。私と文はすこし距離を取り、ほかの見学者どもは扉近くで集団になってる。ぎぃぃときしむ音がして、大扉が自動で閉じた。なんと扉がうっすらと消えていく! 完全に閉じ込められたぜ。こんな心臓に悪い演出まであったなんて、スキマから聞いてないぞ。このボス部屋、BGMが一切鳴らない。嵐の前の静けさってやつだぜ。奇怪なほどの無音が不安なのか、観戦者たちがざわめいてる。おもにキバオウどもだが。
 アスナが大声で言った。
「布都さん! 出番よ! モンスターMobの不死属性を解除して!」
 作戦がはじまったぜ。まずテストとやらだ。テストを受ける布都が、両手を合わせて謎の印を組んだ。
「我におまかせを!」
 それが言いたかっただけだろ、おまえ。決め台詞だもんな。
「うむむむぅ! 天の磐船(あめのいわふね)よ天に昇れ!」
 にわか受験生が奇声をあげた瞬間、その足下に赤い円が発生し、一気に広がっていった。属性の変わった場所が変色する。灰色に沈んでいた戦場が、すこしずつ赤茶色に染め直されていく。
 それとは別に、ボス部屋の天頂に蠢く影だ。入ってきた直後にはいなかったと見られる、虫の這うようないやな気配。
 シャーっという咆哮。バケモノがおのれの存在を知らしめる。
 見上げたら、写真の骸骨野郎がいやがったぜ。どこから見ても骨のムカデだ。ただし人間の骨で組まれている、悪趣味のきわみなデザイン。BGMがはじまった。聞いてる者の不安感を増幅させるような、いやらしい旋律だ。こんな葬列みたいな曲で戦えってのか。
『The Skull Reaper』
 ボス名の上に灯ったカラー・カーソルが、どす黒いほどに深い赤だ。固まった血の色だぜ。私のレベルが低すぎるってことだ。『こいつと戦うには、おまえは超弱い。命の危険だぞ、さっさと逃げろよ』みたいな警告標識を兼ねている。適性レベルになるほど色が明るくなってくるんだぜ。でも逃げられない。私はこいつを倒すため、はるばる下の層くんだりから登ってきてやったんだからな。本物の魔法使いさまだぞ、ありがたく拝めよ。不思議と怖れはないな。空を飛んで安全だからだな。昨日戦った白竜のほうがまだ怖かったぜ。
 四ツ目を不気味に光らせ、骸骨ムカデが落ちてきた。知らなかったら寿命が縮みそうな演出だぜ。真下にいるキリト、アスナ、椛が飛び退く。ムカデさんは得意げに着地姿勢を――取ったはずだが、そのまま激突した。
 ものすごい音がした。土煙がもうもうと立ちこめ、落下地点からも赤い円が生じ、広がっていく。本来この円のほうが本物なんだよな。ボスが動き出した合図であるとともに、その当たり判定が有効化、すなわち無敵の不死属性が解除されたお知らせ。すでに布都から発していた円と重なり、ふたつの赤い円が混ざっていく。
 煙が薄まると、スカルリーパーくんが豚みたいな悲鳴をあげてやがるぜ。五段あるHPバーの最上段が、いきなり半減していた。たくさんある足の何本かが部位欠損で消えている。まったく動けないようだ。デカブツゆえに高所からの落下ダメージが大きくて、最初から転倒状態、タンブルステータスが発生していやがる。
「フルアタック!」
 アスナの指示で、キリトと椛も突撃した。ソードマスターズ三人がスカルリーパーを好き勝手に切り刻んでる。この超ボス、モチーフはマヤの神だと思うんだけど、本人おそらく存命してるからこれ見たら憤慨しそうだな。もっと格好良くしろよって。
「太子さま、我はやりましたぞ!」
「よくやったわね布都。場面は限定されるけど、これは今後も使えるわ」
 スキマが珍しく人を褒めてやがる。策は成功した。本来ならこの骨ムカデが地に落ちてはじめて当たり判定が有効化されるんだぜ。つまりノーダメージ奇襲だ。布都め、役に立てたな。スキマの力といい、どんな応用が隠れてるかわからないぜ。これで活用方法の見つけようがない私の退場はさらに補強されちゃったわけだ。ちゃんちゃん。
「つづけて魔理沙さん、あなたの出番ですよ。このメッセージをどうぞ」
「……これがスキマの言ってた、限界突破に成功する仕込みか」
 新聞屋に渡された紙切れを開く。あ~~、なるほど。妖夢相手なら私もいろいろ工作とかイタズラやって来たし、スキマとタッグを組んだこともあるけど、年季と格が違いすぎるな。ここまで万端だったなんて、あいつには永遠に勝てなさそうだぜ。
『早く帰っておいで魔理沙。あまり長いこと顔を見てないと、僕も張り合いがない、気がする/森近霖之助(もりちかりんのすけ)
 スキマのやろう、こういうときのために、さとりの読心通信から抜いて隠してやがったな。前から私の「使い道」を想定してたってことか。
「お膳立てに乗るのは癪だが……これは、発奮せずにはいられないぜ!」
 私が好きな朴念仁、香霖のやつが、珍しく待ってるという。なら帰ってやろうじゃないの!
 森近霖之助は幻想郷にある古道具屋、香霖堂の店主だぜ。私は小さいときから店に入り浸ってた影響から、霖之助のことを店名のほうで呼んでしまう。ガキってそういう名詞の区別がなかなか出来なかったりするしな。でもそれだけオリジナリティある呼び方でもあるから、気に入ってるぜ。この男は私だけのものだって思えてくる。
 妖夢は恋を自覚してたった一時間で男女交際に至ったが、私はすでに一五から一六年目くらいだ。気の長い話だぜ。
 相手はハーフとはいえ妖怪だから、人間とは違う時間を生きている。だから私も妖怪の仲間入りをして、長い時間を生きることに決めたんだぜ。本気の恋ってやつは面白いな。簡単に自分の由来を捨てることができた。不思議と怖いものはなく、むしろ喜びの中で、アヤカシの魔法使いになったんだぜ。これで時間はいくらでも得た。いつの日か、あいつが振り向いてくれるかもしれない。可能性を繋いだだけで、私は幸せになった。もし人間のままなら、いま三〇歳すぎだから、結婚して子供こさえて育児に忙殺されてるか、みじめな行き遅れを味わって、失われていく美しさを嘆き、鏡台のまえで泣いてたかもな。どちらにせよ魔法の研究どころじゃなさそうだ。香霖を好きにならなくても、遅かれ早かれ私は人間をやめてたかもしれん。だけど「恋がきっかけ」というの、ロマンチックじゃないか? こちらのほうが女の子らしいよな。素敵だぜ。
 わくわくするな。早く香霖とねんごろな仲になって、妖夢みたいにあれとかこれとかやってみたい! うらやましかったぞ妖夢!
「香霖~~! 私を待ってるだって? こいつを言質(げんち)に、デートを要求してやる!」
 たとえスキマのでっちあげ、嘘八百でも知ったことか。そういう情報があったというだけでいいんだぜ。責任は紫になすりつけ、私らしく攻めて攻めて、強引に本命デートをもぎ取る! それが私の恋色スパークだ。
 霧雨魔理沙の恋は、パワーで行かないとな!
 なんか力が湧いてきたぜ。来たぞ来たぞ、私の体内より、恋のマジックパワーが。
 限界突破!
 さすが私だぜ。あっというまだな。
 アバターだった全身に破線が走っている。属性が変わっていくあかしだ。鎧などの防具が消え、白黒の洋服、エプロンの私。帽子はつば広でフリル入り。なにもかもニセモンじゃなく本物だぜ。幻想郷の魔法使い、霧雨魔理沙さまだ。
 BGMも変化した。私はたくさんのテーマ曲を持つからどれが選ばれるか楽しみだったぜ。こいつは『恋色マスタースパーク』だな。マスパ祭りをしようと思ってたところで、ちょうど良い軽快なのが流れたな。アップテンポで過激に早い。葬式めいた陰気な曲より一億倍いいぜ。私たちは勝つために戦ってるんだからな、死を予感しちまう曲なんかお断りだ。
「おい文、離していいぞ」
「それでは蹂躙戦をお楽しみください~~」
 ぱっと離された私は、人工重力に引かれて落下する。だが――
「……来い!」
 念じただけで、どこからともなく飛んできたぜ、私のかわいいホウキちゃんがな。さっと捕まえて空中停止だ。別になくても飛べるんだけど、雰囲気ってやつも大事だよな。
 魔法使いは、箒に乗る。
 いまどきは知らんが、私の中で魔法使いってのはそういうもんだ。この知識も香霖堂で読んだ本だったかな?
 よう箒、久しぶりの相棒だぜ。どういう乗り方でいこうか……ディアベルの目があるな。世話になったあいつには、思い出として良い私を見せておきたい。おしとやかにしてやろう。
 箒にまたがるんじゃなく、立つわけでもなく、体を横にして腰掛ける。よし、どうだ。女の子らしいだろ? だけどな、見た目と違って、攻撃するほうは一味ちがうぜ。
 帽子に手をつっこみ、もうひとつの相棒を取り出す。八角形のちっこい炉だ。
 ミニ八卦炉。
 私の宝物だぜ。恋する香霖が作ってくれたマジックアイテムだ。改造を重ねていろんな機能を持ってる。こいつ自身の魔法効果を使うこともあるし、私の魔法を補助してくれる触媒みたいな働きもするぜ。いろいろと便利なやつだ。
「みんな引いて!」
 下でアスナの命令が聞こえてきた。骨ムカデを刻んでたソードマスターズが離れている。どうやらタンブルが終了し、スカルリーパーの野郎が行動の自由を取り戻したようだぜ。
 おっと、目の前におかしなウィンドウが表示されやがった。邪魔だからドラッグして視界のワキへどかせる。輝夜たちの例で聞いてる。カーディナルの警告だ。細かく読む必要なんかないぜ。私は意識的に突破した口だからな。くそっ、骸骨ムカデがついに動きだした。起き上がりを攻められなかったのは、ゲーマーとして失策だ。
「そうは問屋が卸さないぜ」
 輝夜も妖夢も、区切りのボスにろくな攻撃をさせなかった。私もおなじくらいのワンサイドゲームを披露しないと、示しが付かないってものだぜ。ギャラリーもいることだしな。
「くらいやがれ! 恋符――」
 フトコロから一枚のカードを取り出し、左手でかざす。スペルカード宣言だ。右手はミニ八卦炉を持っていて、魔力を注入する。弾幕ごっこ用の抑えたやつじゃない。人を殺せるレベルの、熱くてヤバいやつだ。単純な魔力の強弱じゃなく、質のちがいでコントロールするんだぜ。私は魔法使いだからな、技術で勝負だ。口の中で術式を高速詠唱。完成だ!
「――マスタースパーク!」
 初手は基本、やはりノーマルのマスパだぜ!
 ぶっ殺すモードだから、威力は桁違いだ。殺人仕様の魔法なんか、一〇年以上は使った記憶がないぞ。
 過去最大級のモンスターだ。当てるべき的はでかい。私のマスタースパークも極太だ。ほらほら痛いだろう? 最初は細いけど、みるみる太く、凶悪に成長していく。
 ミニ八卦炉より、どでかいレーザーが放たれている。幻想郷屈指の大火力によって私の体が揺さぶられるぜ。殺傷モードだから、輻射熱が体をじわじわ焼いてくる。四ヶ月ぶりだが、いいレーザーだ。直径はざっと五メートル。物理法則を無視して、ミニ八卦炉より膨らむように横へ斜めへと拡散し、広がりきったところから直進へと移る。魔法のレーザーだから可能なことだぜ。
 レーザーの周囲に星をかたどった弾幕が生じる。避けられたときの保険だ。当たれば幸いってな。私の弾幕は夜空の星とか流星をテーマにしている。これも香霖が由来だったな。その星どもを操作し、すべて骨ムカデへと向かわせた。妖夢が無駄撃ちしなかったていうじゃないか。私も倣うぜ。
 一〇秒くらいして、レーザーの光束が細くちぢんでいき、糸となり、光の粒になって終わる。マスタースパークが終了した。スカルリーパーのやつ、上半身がダメージエフェクトで真っ赤っかだぜ。そのずっと向こう、ボス部屋の壁面まで焼けただれている。破壊不能オブジェクトといっても薄い表面だけは壊せる。それによって強力な攻撃で床や壁が砕けるといったアニメ的な演出ができるんだが、その壊せる部分が徹底的にやられているな。なんだこの現実のマスパとおなじような威力は――視界の左上に見える自分のステータスを確認すると、なんとレベル二九〇だって? HPも六万近くある。そういえば血の色だった骨ムカデのカラー・カーソルが、白に近いピンクに薄まってるな。いまの私にとって、あいつはものすごく弱い雑魚ってことだ。これは間違ってもプレイヤーに当てないよう、気をつけるべきだな。オーバーキルだぜ。即死させちまう。
 骸骨ムカデがカマキリの鎌をかかげ、私へ突っ込んできた。タゲ取り成功。まあ、こんな痛そうなのぶち当てたらなあ。でも遅いぜムカデ野郎。すぐさま次の砲撃を仕込む。私はマスパ祭りをやるんだからな。私の代名詞だけあって、マスタースパークは何種類も開発してるんだぜ!
「恋心――」
 またカードを提示しつつ符種も宣告して、あとは口を小さくしてごにょごにょだ。ほかの連中が無詠唱ですごいのドカドカ放ってるから、魔法使いもそのスタイルに合わせてる。本当はもっと声をあげて唱えたいけど、弾幕ごっこじゃ格好つかないんだよな。というか専心を保てず負ける。理想と現実の狭間で、らしくさせて貰えないなんて、魔法使いも辛いぜ。通常弾幕なら無詠唱で楽勝なんだけど、大技はな――
「――ダブルスパーク!」
 最後に叫ぶこれ、宣言じゃなくてじつは呪文の一部だぜ。魔法発動でよく最後に言ってるやつな。トリガースイッチだ。
 ミニ八卦炉より誘導線がふたつ生じる。二本の間は四〇度くらい開いている。狙点はこの中間だ。もちろん狙いは、ザ・スカルリーパー。その鎌が五メートルまで接近してたけど、間に合うかなんてちゃんと計算済みだぜ。
 二本の巨大レーザーが発生し、節目のボスを呑み込んだ。灼熱だぜ。なんて熱量だ、私まで焼かれるようだ。可殺バージョンのダブルスパークは初披露だな。カウンターに入った激しいインパクトで上半身の浮いた骨ムカデが、一気にボス部屋の壁際まで飛ばされ――無様に落ちていった。
 そう。入ってから気付いたんだけど、このボス部屋には床と繋がる「壁」がなかった。ボスと戦う広場が、一本の柱の上に設けられている。かなりの空間をぜいたくに使ってやがるんだ。それだけスカルリーパーは特別製ってわけだな。ダブルスパークはドームの壁を叩いているが、星のほうをホーミング誘導し、ターゲットを追跡させた。以前の私には使えなかった追尾機能だが、いまではお手のモンだ。霊夢のやつがガキのときから簡単に使ってたから、悔しくて編み出したんだよ。開発に一〇年以上かかったけど。
 ダブルスパークのレーザーが弱まりだすと同時に、重たいものが落ちた音響と、苦しそうな豚の悲鳴。
 箒を飛ばしてボスの真上に移動する。床のない、人間どもの入れないエリアだ。五〇メートルくらい下、ボス部屋の谷底に、土煙にまじり、地に伏してもがく骨やろう。まるでなにかの幼虫みたいだ。落下ダメージでまたタンブルのようだな。じゃあ追撃してやるぜ。
「魔砲――ファイナルスパーク!」
 当てたら困るプレイヤーがいないから、遠慮なく超強力なやつをお見舞いしてやる。むろん殺傷バージョン。
 こんどのレーザーは直径一〇メートルだ。さらにミニ八卦炉を揺り動かして、こいつをまんべんなく焼いてやる。こんがりだ。星の発生も三割り増しだぜ。
「つづけて、魔砲――ファイナルマスタースパーク!」
 見た目はあまり変わらないけど、レーザーは心持ち太くなってるし、火力も五割アップだぜ。
 威力だけでいえば三番目くらいに強力なマスパだ。連続でファイナルって付いてるけど、当時まだ若かったんだよ。これ以上のものはもう開発できないって思ってたんだ。察しろ。
 弾幕ごっこなら同じのを何発も放つ。このスペルカードなら撃つたび移動するんだが、それやっちゃうとこいつ倒しちゃうんだよな。お祭りだから、どのスペルカードも一発ずつしか撃たないぜ。よし、もっと焼いてやろう。骨グリルだ。
「星符――ドラゴンメテオ!」
 マスタースパークの一種だ。高所より放つ、空対地専用の高飛車な魔法。隕石や流星と呼ぶには派手すぎる、虹色の特大レーザーが、ホネホネ君を綺麗に焼き撫でる。
「まだ焦がし足りないぜ」
 ダメージエフェクトで赤く染まった骸骨ムカデに近づいた。遠距離のつぎは近距離だよな。
「恋符――マスタースパークのような懐中電灯!」
 至近から全方位マスタースパーク。本来は対妖精技で電灯器を使うんだが、可殺モードではミニ八卦炉だ。そこから放たれる眩しいレーザーがくるくると暴れて曲がる曲がる! 私自身がずっと動いて炉の後ろ側に回らないと、危なくて仕方のない暴走魔法だ。私らしくもあるぜ。「ような」とあるように殺傷力のない「やる気を削ぐ光線」を放つ技だが、いまの殺人モードなら系統として立派なマスパだ。対戦相手との距離が近いほど、大ダメージを期待できるぜ。レーザーのほとんどはきれいに骨ムカデを焼いてるから、結果オーライだ。魔法は火力だぜ。
 上ではギャラリーが崖の端まで走り寄り、眼下で開かれてる光と星の祭典を見物してるぜ。連中の安全は確保されている。どんどん行くぞ。
 おっと、タンブルが終わって回復しやがったなコイツ。ならこの魔法だ。
「邪恋――実りやすいマスタースパーク!」
 マスパ系は発動時の隙がでかいが、こいつは例外だ。先触れの導線に仕込みがしてあって、針で刺すような痛みが生じる。
 しっぽで奇襲しようとしてた骨カマキリの動きがほらみろ、ぴたりと止まった。封じた骸骨のしゃれこうべを、巨大なレーザーが奔流となって襲うぜ。魔法使いは接近戦が苦手だから、弱点克服に用意してる技がいくつかある。その中でもこのマスパは大技なほうだ。魔法を放ちながら、箒を蹴って高度を取った。
 実りやすいマスタースパークが終わると、高度三〇メートル。この高さにあいつの攻撃は一切届かない。
「いい姿だな。とことん弄んでやる」
 ダメージだらけで赤いままのスカルリーパーが崖に足をかけ、よじのぼろうとしている。器用なやつだ。天井に張りついてたくらいだからな。よく見たらこれ、崖というより円柱だ。上のバトルフィールドは、一本の細い円柱の上に広がってる円卓みたいなものだ。カフェテラスなどでよく見るタイプのやつ。柱をツル植物のようにねじ周りながら、骨カマキリが登りはじめている。
 登らせないぜ。上にはディアベルたちがいる。私の役割は、誰も死なせずこの戦いを安全に終わらせることだ。
 無詠唱で放てるナロースパークやウィッチングブラストで剥がそうとしたが、火力不足であまり効果がない。そういえば破壊不能オブジェクトだから、どんな大火力でも構わないんだった。あの柱が倒れることはありえない。
 じゃあこいつだ。
「妖器――」
 呪文を唱えながら思ったぜ。そういや私、スペルカードルール対戦でもないのに、どうして律儀にカード見せて符名もフル宣言してんだ? 輝夜も妖夢も符の類なんか示さなかったし、符種すらほとんど言ってなかったらしいのにな……そうか! 私だけが生粋の幻想郷生まれだから。
「――ダークスパーク!」
 SAOにログインした人妖たちで、私のほかはみんな、幻想郷の外で生まれ育った連中だ。本当の命をかけた戦いなんて、私だけが未体験なんだよな多分。スペルカードルールで育ったも同然だぜ。身に染みついていやがる。
 私は幻想郷しか知らない。せいぜい冥界・地獄・天界・仙界・魔界……死に関連したあまりお呼びでない場所しか見てないな。人間の世界か、行ってみたいな。日本の広い空を、自由に飛んでみたい。妖夢が秋葉原にいったと聞いて、かなり羨ましかったんだぜ。いつの日かアキバに立ち、魔法使いのままで大手を振ってショッピングしたいもんだ。
 真っ黒な光線が大ボスを引きはがした。支えを失い、また底へと落ちていく。ダークスパークは偶然から生まれた魔法だ。ある異変でミニ八卦炉が付喪神(つくもがみ)みたいになったとき、引き出された潜在の力だぜ。その割に威力そのものはマスタースパークと変わらないけど、見た目が格好いいからな。
 魔力放出はまだ残っている。ミニ八卦炉の向きを調節して、落ちていく骨ムカデにダークスパークの照準を合わせつづけた。
 ――あれ? 骨のやつ、膨らんでる?
 岩肌へ激突する寸前に空中停止、一瞬だけ激しく輝き。
 超新星の爆発を起こしやがった。青白い紙吹雪となって、谷底を覆い尽くす。
「まだ遊び足りないぞ!」
 ここ何年かで新開発したマスパがいくつか残ってるのに、人間たちへお披露目できなかったじゃないか。ずっと殺人モードで限定解除してたからなあ。しまったぜ。でも本気で行かないと、倒しきらないうちにアカウント停止などにされたら目も当てられないからな。手を抜けるボスじゃない。
 まあいい、結果オーライだ。まもなくゲームオーバーだし、さっさと勝利の凱旋と行こうじゃないか。
 上の円卓へと舞い戻るぜ。箒から降りると、ディアベルたちが拍手して迎えてくれた。獲得した経験値は二九五万なんてびっくりな数字だぜ。でも私のレベルが高すぎてレベルアップの報せはないな。ラストアタックボーナスは片手用曲刀で、おそらく魔剣クラス。犬走椛に良さそうだな――おっと、いつ消えるか知れない。急がないと。
「アスナ! 受け取れ」
「はいっ!」
 所持している全アイテムと全コルを、ソードマスターズのリーダーへ渡す。戦闘前はカスみたいだったのに、たった一戦で私のストレージと財布は宝物庫になってやがった。
「すばらしい戦いだったよ魔理沙くん。ぜひとも握手してほしい」
 ヒースクリフめ、満足した顔でしれっと言いやがる。私がゲームオーバーの憂き目を見るのは、そもそも貴様がこのボス部屋とスカルリーパーをデタラメに設定したからだぞ。
 イヤイヤ握手を交わしてやったさ。
「応援ありがとう団長さま。おかげさまで、こうして先の展望が開けたぜ。第一〇〇層までまっすぐだな、あっはっは」
 この男から声援なんかなかった。知っていてわざと勘違いしてるようにでも言ってやる。私にはこのていどのことしか出来ない。八雲紫よ、きっちり仕事は果たしたからな、あとはスキマたちに任せたぞ。
 第七六層への階段と扉が出現している。この先へ私は行けない。寂しいが、みんなの勇姿はここで見納めだ。
「魔理沙……」
 青騎士が前にでてきた。みんな私とこいつの関係を知ってるから、譲ってくれるぜ。
「ようディアベル、今日まで世話になったな。道をふさいでた邪魔者は退治してやったから、しばらく攻略組が無理をすることもないぜ。だからおまえ、死ぬなよ」
「分かっている。数百人の命を預かってるからな。勝って兜の緒を締めていくさ」
「約束だぞ。生きてリアルに戻ってこい」
 拳を叩き合い、健闘を祈った。私の体に白い光がまとってきた。笑って去るぜ。
「なあ魔理沙……戻ったら俺は、一旗あげて、いずれ男として成功してみせる」
 最後になに言ってんだ?
「おいおいディアベル、私にその気は」
「愛してる」
 息がつまった。
 ……マジ告白きた。やべえ、女の本能が勝手に喜んでやがる。いい男だからなこいつ。体温が上昇するぜ。
「――えーと。うぉい」
「きみと生涯を共にしたい」
 俳優みたいなその顔で熱く見つめるなー! 私には香霖ってココロに決めた殿方がおりましてね?
「うらやましいなー」
 アスナ! 指を咥えてないで助けろ。
「いいわねえ……」
 スキマ、おまえもか! その歳で処女って噂は本当らしいな!
 ああっ、どんどん体が薄まっていく。まともな拒絶の返事もできず、このまま浮遊城アインクラッドより。
「なっ!」
 ヒースクリフの声だった。
 つづけて耳障りな擬音がとどいた。これは、圏内でプレイヤー同士が模擬戦闘を行うとき、よく聞く衝撃音。
 ぶつかる寸前に、圏内保護の見えない障壁が発生して、凶器を押し留める。その音だぜ。
 誰だ、こんなところで圏内戦闘なんか仕掛けた馬鹿者は!
 ――いや、待てよ? ここは、ここは圏外だぞ? そうだ、圏外じゃないか。たった今まで、命をかけて戦ってた。
 布都ちゃんか? 違う。なんちゃって仙人だから、解除はできても逆はできない。
 全員が注目している視線の先に、ふたりの男。
 片方は赤と白の鎧で、ヒースクリフ。もう一方は、頭の上から靴先まで、黒ずくめの剣士、キリト。二本の剣が輝いている。キリトの側から奇襲を仕掛けたんだな。
 ヒースクリフに切っ先を向けたまま、キリトが言った。
「やはり……システム的不死か」
「なっ、どういうことなんやヒースクリフはん。し、神聖剣スキルのModかなにかですかいな?」
 キバオウの声が震えている。だがイガグリサボテンにも分かってるはずだ。そんなこと、ゲームバランス的にありえないと。圏外でプレイヤーが不死属性を持つなんて、完璧なチートだぜ。
「この男のHPはおそらく一定値から下がらないよう、保護されてるんだ。絶対に死なないように。なあヒースクリフ。いや、茅場晶彦」
 全員がざわめく。あーあー、なんてこったい。
 やりやがったなキリト。
 アスナから相談は受けていた。キリトが茅場の影に気付きはじめてると。この若造、今日になっていくつかの情報からヒースクリフが茅場だと確信し、一か八かの博打に出やがったんだな。もし不死属性がなかったらオレンジに堕ちるところだったぞ? どう言い訳する気だったんだ。たとえ見抜けたところで、こんなお粗末な形だと逆に謀殺される危険だってあるってのに。男はこれだから困る。リスクを天秤にかけながら、命の危険を顧みない。だから茅場の秘密に関しては、最重要機密として女だけで秘匿していたんだよ。
「……ほう。どうやって気付いたのかね? 聞いた、とか?」
 嫌らしい言い方をしやがるぜ。私たち幻想郷クラスタがとっくに知ってたことを、暗にひらけかしてやがる。
「なにを思い違いしてるかわからないが、あんた、あまりにも堂々としすぎてたんだよ」
「堂々?」
「あと二五層も残ってるのに、命をかけてまで見学する戦いか? ディアベルさんならまだ分かるさ。だけどあんたは違う。キバオウさんたちは俺の挑発で、隠せない恐怖心を顔にだした。でもあんただけは違った。あの笑いは、絶対に死なないと確信してる者にしか出来ないよ」
 なっ、あれだけでそこまで見破ったのかキリト。それなら博打にでる価値もすこしはあるだろうぜ。この黒の剣士、妖夢がやたらと持ち上げてたな。『最短ルートで本質を知る』だっけ、この若さでどれほど鋭い慧眼の持ち主なんだよ。恋は盲目ってわけでもなかったのか半人半霊。
「あんたは以前から変だったんだ。技量に恵まれてるわけでもない割に、どんな苦境でもHPをイエローに落とさない鉄壁の伝説。そのうえ、出現の早すぎた神聖剣スキルとその防御特性」
「…………」
 ヒースクリフのやつ、すっかり神妙に黙ってるな。それとも私みたいに感心してるのか?
「そもそも第一層からおかしかった。キバオウさんを急かしたのって、あんただそうだな。ヒースクリフには第一層のフロアボス戦を見たいと思う、強い動機と理由があったわけだ。第二五層でも輝夜さんの弾幕を見て、驚くより興奮してたよな。そんな奴、ほとんどいなかった。第五〇層では妖夢の戦いを見られなかった。だからこの層の戦いは、どうしても見ておきたかったんだろう?」
 キバオウを急かしたのがヒースクリフだと? ずっと前に文がしてた予想は的を射てたのか。どうやってそんな重大情報を入手してたんだキリト。私ですら知らなかったぞそれ。
 ヒースクリフは目をつむって頭を垂れた。二秒ほど考えて、ふたたび顔をあげ、目を開く。その眼光は、覚悟を決めた男のものだった。
「――たしかに私は茅場晶彦だ。付け加えれば、このゲームの最終ボスでもある」
 動揺が広がった。女性陣を除いて。
「なんでや! ……なんでなんや~~!」
 とっさにキバオウが斬りかかった。だがその剣が茅場に届くことはない。紫色の多角形に跳ね返される。それでも男どもは全員、武器を抜いてヒースクリフを包囲している。
「血の気が多くていかんな。せっかく魔理沙くんと感動のお別れシーンだというのに、物騒だろう」
 茅場がおもむろに左手をさっと縦に振った。メニューウィンドウがあらわれる。左手でだ! システム管理者にしか出来ないぜ。第一層のチュートリアルでやってたよな、茅場。私が煽った投石から逃れるためにな。そいつをにたび衆人に見させようとして、いろいろ苦労してたんだぞ。あっさり出しやがって。
「待ちなさい茅場。なにをするつもりか知らないけど、誰もあなたに攻撃できないんでしょう? ちゃんと話をしようじゃない、仮想世界の創造主さん――――…………」
 くそっ、音が聞こえなくなった。急激に世界が白んでいく。これからスキマが魔王と本格的な交渉をはじめるっていうのに、私はここでおしまいかよ!
 カーディナル・システム! あと五分でいいから、私をまだSAOにログインさせたままで……
 じゃなくて、ディアベルに断ってないだろうがよ~~!
 私、あいつの言葉に「喜んだ」って顔を見せてるぞ! 期待させてしまった! どうすんだよー!
     *        *
「……ただいま」
「あ、お帰りなさい。びっくりしました。早かったですね」
 目を開けると、ごそごそ音がしてた。だからしゃべってみると、隣の部屋から妖夢の声が返ってきた。予想はあったさ。憑依の練習台にされ、迷惑をかけられたからな。申しわけなく思って、掃除や世話をする。そんな子だこいつは。根は真面目だし。
 ナーヴギアを外して起き上がる……なんだよ私の姿、このお人形みたいな服。うわあ、すげえな。どこもかしこもフリルだらけだぜ。私の普段着もフリル付いてるけど、これほど徹底はしてないぞ。みんなレース編みだし。水色と白の配色――そうか、アリスだな。人さまで遊びやがって。
 頭を触ると、リボンまみれだった。リボン大盛り。いくつ付けてるんだよ、着替えてやる!
 起き上がってすぐさま着替えたぜ。四ヶ月近くも寝てたから体臭すごいはずなんだが、ほとんど臭わないな。妖夢が入念に拭いて垢を落としてくれたようだ。肌着も清潔だし、髪からいい匂いもしている。なんだこの香水、持ってないぞ。教えたこともないのに私の好みを知ってるとは、器量好しだぜ妖夢。さすが白玉楼(はくぎょくろう)の住み込みだな。あとで教えてもらおう。
 白黒の魔法使い、霧雨魔理沙に戻った。よし完璧だ。寝室を出る。
「すまないぜ妖夢、おつかれ……」
「お構いなく。私も楽しんでましたので」
 妖夢の野郎、私の夏服を着て、飛行用の箒で掃き掃除をしながら、くるりくるくる踊っていやがったぜ。
 半霊からぶら下げてる携帯に精巧な3Dモデリングの幼女が映っていて、妖夢へしきりに話しかけている。SAOから脱出した噂の人工知能、ユイだろう。そいつも私の格好を真似している。
「おまえら、なんなのぜ?」
「決まっているじゃないですか。ファッションショーですよ」
 コスプレの分際で、似合ってたのが悔しかった。

© 2005~ Asahiwa.jp