三六 終:具現化する異世界

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ソード妖夢オンライン6/三一 三二 三三 三四 三五 三六

 ――運命の強制力という面倒なものが働き、キリトとアスナがアンダーワールドより脱出できなくなった。幽々子さまと紫さまが私へ一緒に残れとおっしゃった。結婚生活でも楽しみながら最終奥義を覚え、幸せと救済を同時に掴めと。
「……俺とアスナはいったい、どのくらいこの世界に残されるんだ?」
「すでに言ったでしょ? 二〇〇年よ」
 紫さまのそっけない返事に、みんな黙ってしまった。リーファとシノンは泣きだしている。
 アスナがこわごわと挙手する。
「もし私とキリトくんのこちらの体――フラクトライトを、紫さんの能力で外へ連れ出せば、どうなります? それをリアルの肉体へ戻すとか」
 一瞬いい案だと思ったけど、返答は無慈悲だった。
「境界は中間の状態を扱うのが苦手よ――幽体離脱とか生き霊じゃ済まないわ、体との繋がりが途切れる完全な分離になってしまう。つまりただの死よ」
 沈黙が落ちたけど、衝撃を受けてるキリトたちと違って、私だけは希望が胸に沸き立っていた。ようやく理解が追い付いてきたんだ。
「残ります! キリトとアスナを二〇〇年も置いていくなんて嫌!」
 キリトはすでに整合騎士で、この世界での外見年齢は固定されている。アスナは知らないけど神さまアカウントだから大丈夫だろう。
 超常の存在にしなくても幸せになれる方法があったなんて!
 私にとってこれは多くの問題がさくっと解決しちゃう最高の状況だった。二〇〇年後から先のことはそのときになってから改めて考えればいい。
 しかしカデ子が不穏な情報を伝えてくる。
「人間の魂は平常では一五〇年前後しか持たぬ。フラクトライトが記憶情報で一杯になり、生命の基本機能を維持できなくなってしまうからじゃ。わしは記憶を捨てながら命をつないできた。かの最高司祭は余計な記憶を新たに作らぬ――すなわち眠り姫となることで回避し、ほかの長生きしておる整合騎士たちは定期的に記憶をごっそり抜かれておった」
「それは俺もラースで聞いたことがある。一五〇年が寿命だって」
「ああそれね、単純にラースの基礎研究不足よ。そうじゃなきゃ、私たち人妖が何百年でも何千年でも生きてゆける現象を説明できないわ」
 紫さまのダメ出しはざっくばらんだ。
「人が受ける刺激の量は乳幼児期と少年期以降ではだいぶ違うわ。理由は脳のシナプス数に開きがあるからなんだけど、ラースは乳児期の活発なデータしか持ってないから、同等の過剰な情報をフラクトライトへずっと与え続けてしまう。年齢段階による追試は大がかりになり人体実験がバレちゃうから不可能だった。あとは自然に忘れるより溜まっていくほうが多くなるから、いずれパンクしちゃうのは当然」
「なら解決策は簡単じゃな。いまのわしならアガサと協力すればライトキューブ・クラスターを最適化できよう」
 というわけで緩衝ルーチンとか保護マクロがソフトウェア的に実装され、ついでにカデ子はバグ取りもしてもらった。
「サブのみで二〇〇年以上も稼働しておったから、あちこちダメージを受けておるな」
「隠れて大人しくしておったから、たった四〇〇箇所弱で済んでおる。最高司祭のエラー蓄積は推定数千箇所に達し、すっかり狂人になっておった」
 ウィンドウを次々と開いて、嘉手納アガサがぽんぽんタッチしていく。
「よくこれで動けておったのう、不思議じゃ――ほれっ、メンテ終了じゃわい」
「おおっ、頭がすっきりする。これほどの処理速度は久方ぶりじゃ」
「限界加速フェーズ後にメンテが必須じゃな。わしのメインプロセスを貸してやりたいところじゃが、外でまだ戦いがつづいておってな、万全でおらぬと落とし穴になりかねん。あまり働きすぎず自重しておけよ、誇れる妹よ」
「また乗り切ってみせよう、幼き姉よ」
 こうしてキリトとアスナに付き従う形で私の残留が決まったんだけど、ほかに課題があった。
 アリス・マーガトロイドだ。
「紫が私をこの世界へ連れてきた真の理由って、等身大人形の製作依頼でしょう?」
「七色の魔法遣いは頭がよくて助かるわ」
「エイリアンショックでオーシャンタートルの試験運用は予定より一年早まったわ。そのせいで突破フラクトライトをリアルへ連れ出す……つまり魂を宿らせる器……おそらくロボットだろうけど、それをラース側ではまだ準備できていない――でもアリス・シンセシス・サーティを見える形でみんなに示さないと、私たち幻想郷の明日はない」
「ほぼ当たってるわ。説得する前に自分から望むとはさすがに思わなかったけど」
「どうせアメリカ側も似たような手で連れ出そうとしてたんだろうし、幻想郷側では私にしか綺麗な体を用意出来ないんだから、がぜん腕がなるじゃない。わざわざ戦争にまで付き合わせてくれちゃって、こちらの世界の事情は飲み込めたわ。アリスさん、ちょっと採寸させて」
「え……なんですか」
 とまどい気味の整合騎士アリスの寸法を、アリス・マーガトロイドはその場でてきぱきと採ってしまった。
「キリトやアスナと違ってあんたには現実の肉体がないから、この世界から連れ出しても死にはしないわ。二〇〇年後にそっくりの人形を作って待っておくから、憑依なり寄坐(よりまし)なりで操っちゃえば日本を旅行できるわよ」
「はあ――お世話になります」
 数字が巨大すぎて実感できない整合騎士だった。
「あら? いますぐ連れ出すつもりだったけど……レミリア、この場合は運命的にどうかしら?」
 紫さまの質問に椅子へ腰掛けたままの吸血鬼が整合騎士アリスを見上げ、さらにユージオを一瞥してから頷いた。
「問題ないわ。こちらでは生きてるんだから、むしろ二〇〇年後に回収したほうがいい。アリスと旦那さんに薔薇色の蜜月を満喫させてあげましょう」
 ユージオが顔を赤くしてうつむいた。純情だね。ただレミリアが「こちら」なんて口を滑らせた。もうひとつの世界でユージオは死にっぱなしみたいだから、幸せを祈ろう。
 そのうち時間加速がはじまる。なんとなく肌の感覚で分かった。
 ヤケになったテロリストの腹いせで倍率は最大のウン百万倍、リアルでゴハンを食べてるような短い時間で、二〇〇年の時が流れてしまうという。
 クラ之介たちやお祭りでまだ残ってたプレイヤーがつぎつぎと強制ログアウトしていく。
 あっ、クラインが悲鳴をあげていた。みなさんアカウントが~~とかデーターが~~って、半泣きで消えていく。装備ごと持ち込んでたから、紫さまか藍が用意した特殊なコンバートだろう。ネクサスの規格外だから強制切断では再コンバートの手段がなく、データロストは避けられない。それなのにこの人数だから、すごいねキリトの人望。
「彼らのアカウントデータは藍が保護しているわ。いまごろ所持金に手心を加えてリロードされてるはずだから安心しなさい」
 さすがアフターフォローはしっかりしてる。私だってゲーマーの端くれだから、何ヶ月も何年もかけて育てたデータがどれだけ大切か知っているよ。
 スーパーアカウントですこし余裕あったみたいだけど、リーファとシノンも消えていく。おなじSTLでも六本木では距離がありすぎ、耐えられる倍率に上限があった。
「お兄ちゃん……」
「アスナさん、妖夢さん」
 時間が足りず涙なんかで別れてしまったけど、リアルではそれほど長い時間じゃない。
 リーファたちがログアウトすると、カデ子とアガサがまたシンクロして、チート状態だった痛覚遮断や天命保護を元に戻した。そのうちお祭りの終わりを知った妖怪たちが集合してきた。
 幻想郷のみんなと簡易のお別れ行列だ。
 挨拶もそぞろに紫さまのスキマから次々と帰っていく。誰も涙なんかなかった。二〇〇年なんて長命な存在からすればたいした期間じゃない。まだ三〇ちょっとの霊夢と魔理沙もすでに何百年と生きてゆける肉体、笑顔で握手して簡単に別れたよ。
 キリトが霧雨の剣を返そうとしたけど、魔法使いはやんわり断った。
「レンタル期間を二〇〇年に延長してやる。そのかわり妖夢をしっかり頼むぜ――泣かせるなよ?」
「ああ……」
 古明地さとりさまが餞別にと青い宝石を私に譲ってくれた。こぶし大でずっしり重い。
「……これ、どこかで見たことがあるような」
「還魂の聖晶石よ」
「え?」
 ソードアート・オンラインで変態サンタクロース巨人がドロップした蘇生アイテムだ。射命丸文の宝物になってずっとアインクラッドを登っていき、そういえば紅玉宮の最終戦でさとりさまが預かっていた。そのまま終わったんだけど――
「理屈は分からないけどここで実体化してくるなんて、なにか不思議な縁ですね。お守りにあげるわ。二〇〇年もあるんだから、役に立つこともあるでしょう」
 この世界での死はSAOと同等に重い。そのリアルさと引き合ったのだろうか。
「大切に使います」
 最後は幽々子さまで。
「妖夢、ちょっと長すぎる休暇になるけど、存分に幸せにおなりなさい」
「ありがとうございます……幽々子さま、冥界はすごい賑やかなことになりそうですが、すぐ私も駆けつけて手伝いますのでご安心ください」
 戦争のない平和な時代がくるから、アンダーワールドの人口ほぼマックス状態から二〇〇年ぶんの幽霊大盛りだ。霊界パンク問題から世界的な規制運動へ繋がるんだろう。
 菊岡の処置も運命の強制力によって修正されたというから、回避不可能な既定路線なんだ。幻想郷はそれに便乗する。
 ――幽々子さまがスキマに消え、ファスナーが閉じるように空間の裂け目が合わさり、両端のリボンが薄れていく。それと線が同時に消失し、外へのつながりが完全に閉じた。
 幽々子さま、しばしお別れです。
 きっと私、幸せになってみせますよ。
 ついでに最終奥義を覚えて、救済でもなんでもやってみますよ。
 感慨深く手をふる私とキリトたち。
 そして半霊にぶら下がる携帯の中でも、手をふってる私の頼れる小さな……
「……ユイ?」
『あっ』
     *        *
 歴史を語ろうと思う。
 東大門の会戦、さらにつづく幻想大戦がおわり、アンダーワールドに平和が……すぐには来なかったのです。
 央都セントリアに戻ったカデ子が全一〇〇層! もある白亜の塔、公理教会本部セントラル・カセドラルに入り、公理組織の解体と人界会議の設立を宣言したとたん、四帝国が反乱を起こしたよ。人界では史上初の珍事だった。
 禁忌目録は聖典の形をとってるけど、実状は最高司祭アドミニストレータの独裁が永遠に覆されないための強権装置だったらしい。だから結構いろんな穴があって、たとえば最高司祭の公認がなかったベルクーリさんの人界守備軍を、皇帝は倒すべき暗黒界軍だと「設定」できちゃう。守備軍は解散してたからベルクーリさんの指揮下には五〇〇人もいなかったけど、これが一万人の正規軍相手に完勝した。
 鉄砲に加え戦場から回収した米軍の銃器がたくさんあったし、整合騎士は一騎当千、アリスとユージオの大規模攻撃術式だけで正規軍を敗走させられる。
 皇帝たちがけっして降伏しないものだから、火の粉を払ってるうちに四帝国は勝手に滅亡した。戦後にカデ子が「これで禍根は根絶やしになったの」とほくそ笑んでたから、王侯と取り巻きが死に絶えるまでわざと放置したんだろう。最高司祭のサブとして誕生し孤独の反乱、艱難辛苦のすえようやく自由になったカデ子は、高潔な聖人ではない。キリトみたいな正義の使徒が特殊なんだ。
 既存の国が消えた人界会議は人界統一会議へと名を改め、アリス&ユージオへ議長&副議長を押しつけた。単純に一連の戦いで倒した敵のキル数だけで選んだんだ。ベルクーリさんの性格が性格だし、わりと適当だった。そのベルクーリさんは百官を監督する官房長、ファナティオさんが次長になった。旧四帝国政府の宰相・大臣・将軍が皆殺し状態だったから、円卓に並ぶ議会席はほぼ整合騎士で埋められた。議員不足で私まで座ってる始末。一四歳相当の子供だから、ほとんどユイに任せきりだった。
 武官だらけで生粋の文官がいないのは、新政府にとってかえって好都合だった。最高の頭脳を誇るカデ子がなんでも自在にできたから。
 カデ子は永世顧問に就くと、空位だった最高司祭を廃止、かわりに司祭長としてアリスの妹セルカ・ツーベルクを大抜擢し一五歳で天命固定。さらに元老機関を解散すると、カセドラルで昇降係をしてたエレベーター・ガールを引き抜き、司書長に任命した。彼女はすでに一〇〇年以上を生きる不老者だったけど、天命固定を延長される。ほかにいた不老者は整合騎士を除いて固定を解除され、老いる体になって塔を追い出された。ほとんど男だったから、たぶん将来に備えて紫さまを真似たのだろう。
 その将来とは――禁忌目録の完全廃止だ。
 いきなり無効化すると社会が大混乱しちゃうから、まずはアンダーワールド基本法が作られた。シャスター王と協調した二界同時発布で、いわば憲法だ。今後あらゆる法律はこの基本法を元にするけど、禁忌目録のような魂への拘束力はない。自分で考え自分で律し自分で行動する、普通になるための長い旅が始まった。
 これらの方針を決めるにあたり、キリトとアスナが持つ現代日本の知識が大いに役立った。ユイもその処理能力と無尽蔵のデータベースを活かし、積極的にカデ子のサポートをする。ユイの携帯を充電できるのは私の発電斬撃だけだから、一緒にカデ子の助けとなる――というより、ただのお手伝いさんだった。どれだけ剣が強くとも、それ以外は庭園造りと料理くらいしかスキルがない。高校に進学できないほどのアホだし、せめて空を飛べて便利だからあちこち使い走りさせられたよ。トホホ。
 明快な政治パフォーマンスとして、セントリアや人界を四つに分断していた高く長い壁を撤去した。人々の交流や移動を制限し最高司祭の支配をより盤石としてたものだ。大壁は総延長二〇〇〇キロを軽く超えており、人力で壊すには規模があまりにも巨大すぎたので、アスナの能力とカデ子の権限行使で破壊して回った。この事業で人界統一会議への支持は絶対なものとなった。みんな正直、邪魔だと思ってたんだね。
 賛同者が増えた勢いでつづけて貴族特権の大半を停止し、すべての大貴族から領地を回収した。整合騎士と衛士が旧領地へ入り、虐げられていた領民を解放して回る。二年としないうちに爵位までなくなった。カデ子は合理主義者だから邪魔になるものは徹底的に排除し、ドラスティックに改革を断行していく。ベルクーリさんですら舌を巻くほどの辣腕ぶりだし、どれほど不満を持たれようが禁忌目録ある限り暗殺などありえない。ほとぼりが冷めたころ――つまり今の世代が死に絶えてから、さくっと目録を無効にすれば万事スムーズに仕上がるって算段だ。憎まれっ子世にはばかるを地でいってる。
 平行して国交の樹立、暗黒界との交易がスタートする。通貨や度量衡、カレンダーまで統一された。基本法のおかげで移行作業はスムーズに動いた。さらに居住や移動、言論の自由の保障、就労や転職の自由まで認められる。アンダーワールド人は職業を設定しておかないとステータスやスキルが伸びないから、天職システムは維持するしかない。ただそれの固定をなくし流動化を認めた。
 政体的に統一された人界は新国名を付ける必要が生じ、カーディナルをもじってカルディナとする。カデ子に蘇生された恩を、議長カップルが国号で返したんだ。ところが暗黒界より注文が入った。ビクスル・ウル・シャスターはカデ子より信任された王だから、我らもカルディナを名乗ると。
 こうして東西ふたつのカルディナが成立する。
 ひとつはシャスター朝カルディナ王国。なら人界側は? ツーベルク朝カルディナ王国だ。先の大戦では勝った側なのに、国のトップがあちらは王でこちらが議長どまりは変だろと、国民のみなさまから突っつかれたんだ。ノリだけで議長職をやらされてたアリスは、さらにノリのまま一挙に女王さまになった。ユージオは養子入りしユージオ・ツーベルクを名乗り副王。王族がさすがに騎士名は名乗れない。カセドラルの無人だった八〇層以上を王城とした。
 君主制が復活したから、ベルクーリ長官が宰相を名乗るようになった。実権はほとんどカデ子だったけどね。でも宰相はべつに不満なんか持ってなかった。これまで飽きるほど長生きしてきたから、いまさら忙しい国政なんかどうでも良かったんだ。ファナティオさんと悠々自適、のんびり飛竜に乗っては遊覧飛行とかしてる毎日だった。たまに司書長の子が同行した。昇降係としてカセドラルにずっと閉じ込められてたから、外の景色を見たいと。でもあまり二人の邪魔をするのも……と遠慮してたところ、デュソルバートが申し出て遊覧へ連れてった。彼には整合騎士になる前、奥さんがいたらしい。それと面影が重なったのだろうか、いい雰囲気だったよ。一方アリスの妹ってだけで国教のシンボルにされた司祭長セルカは気楽なんてものじゃなく、プレッシャーに押しつぶされそうな毎日だったけど、エルドリエがよき相談役となって精神的に安定した。エルドリエはアリスの信奉者で、妹のセルカにも優しかった。
 キリト&アスナと私はツーベルク朝カルディナ王国軍の司令官&参謀長&親衛隊長をやってた。世界最強の私は王都セントリア防衛が仕事らしいけど、外敵なんてどこにいるの? だからカデ子の手伝いしてたんだ。軍のおなじ官舎で三人仲良く暮らしはじめて、でも同室での同棲へは達してない。キリトのくせにガードいきなり強くしないで。私とアスナはとっくにウェルカムだから。
 戦争がありえない以上、軍の公務はすぐ激減しキリトは暇になった。するとセントリアの鍛冶師などを巻き込み、機竜と名付けた有人ロケットを開発すると、旧暗黒界を取り囲む果ての大絶壁、大気圏ぎりぎりまで貫く地の果てを飛び越えた。その先には大海原が広がり、しばらく飛ぶとなんと! 緑豊かな広大な新世界が広がっていた。でもちょっとモンスターが多かったのが残念。
 カルディナは海に囲まれ、絶壁の塀で隔離された揺りかご大陸だったんだよ。まるで幻想郷の極端バージョンだ。
 なぜ世界のさらに外があると思ったのかな?
「だって地平線がゆるやかに丸いだろ。この世界は円盤じゃなく球体になっている」
 なんとも単純なことで。リアルとおなじだからこちらもそうだろうという発想。でも本当に達成して正解にしてしまうなんて凄い!
 機竜の操縦士はキリト以外にもいたんだけど、モンスターが少なく水にも恵まれた肥沃な大地を発見できるのはロニエとティーゼだけだった。以前キリトとユージオの付き人をしていたこのふたりは、先の反乱鎮圧でノーランガルス皇帝を討ち取る大殊勲から整合騎士見習いに昇進、さらに機竜パイロットになってたんだ。
 キリトは機竜の正操縦士として、第一期の「整合機士」にロニエとティーゼを任命した。カデ子の秘術によって晴れてアナリシス機士となり、不老者の仲間入りを果たす。
「イメージを具現化する、そういう理想を茅場は語っていた。カルディナ大陸のさらに外側は、そこへ初めて到達した人の持つイメージでマップデータが生成・固定されてしまうんだと思う。開拓のためにも、機竜は優しくて豊かなビジュアルをもつ者に託そうと思う」
「ねえキリト、どうして世界の拡大へ熱心にこだわるの?」
「いまとなっては仕方ないけど、カデ子とアガサが揃ってたあのとき、ダークテリトリーを大改造して、せめて人界並にするべきだった。限られたリソースをシャスターはどうしても同族へ優先的に回してしまう。リルピリンたちを公平に扱うには、旧暗黒界の歴史は流血が多すぎた。彼らには新たな国が必要だと思う」
 なんと、せっかく見つけた新天地を、気前よく亜人たちへ与えようと考えてたんだ。
 キリトの正義志向は平和な時代でも変わっていない。彼は軍司令官にすぎないのに、手が届く範囲よりはるかに高く広いものを見ている。子供みたいに冒険してるわけじゃなかったんだ。紫さまの影響下にあった以前の私ならシャスター朝への内政干渉を「ダメ」と言ったかもしれないけど、目的が崇高すぎて全肯定まっしぐら、出来ることならなんでも協力したよ。剣しか能のない私にもやれる仕事があったから。
 数々の新大陸には、天命数十万にも届く強力なボスモンスターがあちこちにいたんだ。
 彼らは例外なくAIを搭載しており、習ってもないくせに人語まで理解した。どうも野生のカーディナルが自動的にエリアボスを配置してるらしい。さすがゲーム世界……アドミニストレータが死んだことで、彼女が不正にコピーし奪った権限で不活性化させていたカーディナルシステムのメインプロセスが、本来の居場所・イメージビジュアライザーの下位システムで再活性してたんだ。自動調律機能が回復していたから、世界も広がってくれたわけで。クラ之介たちがログインできたのも野生のカーディナルが動いてたから。
 キリトはエリアボスの保護にこだわった。職業剣士の私には備わってない価値基準だけど、キリトの英雄的で純粋な理念を構築している感性なんだ。カルディナ大陸にかつていたボスモンスターは何百年かの間に整合騎士や暗黒騎士がほぼ倒し尽くしてた。ユージオの持つ青薔薇の剣がそういうボスの残骸とともに残されていた宝剣だ。SAO時代からそうだけど、一度倒された特殊ボスはそう簡単には復活しない。
 保護運動に先立ち、かつて人界の境界を守護していた巨竜たちの再生をキリトが主導し、なんと成功させた。知性があるといってもAIでフラクトライトは持たないから、カデ子の蘇生術式を参考にすれば仕込みがなくともなんとかなった。彼らとの交渉で手応えを感じたキリトは本格的に動き出す。
 キリトは神獣という一般名詞を思いつき、彼らのプライドを満たすことで、地域ごとの開拓・居住権を獲得していった。でも中には性質的にどうしようもない暴れ者もいて、やむなく私が半殺しに遭わせて契約させた。一一万近い天命を持つ私は巨竜に押しつぶされようが平然としてて、ほとんど無敵だったからね。人型アバターで上回るのは九九万九九九九の絶対超越ステイシア神アスナだけで、ベルクーリさんが一万くらい、キリトも七〇〇〇がやっとだ。穏便に知恵比べを挑んでくる神獣もおり、そのときは才女アスナ&ユイの登場。いくらキリトでも教養全般では譲る。インテリ神獣の背後には野生のカーディナルが控え、データベースより智慧(ちけい)を仕入れている。
「いつもありがとう妖夢、アスナ。このお礼はいつか精神的に」
『なら結婚して!』
 いつかなんて待っていられないから、ふたり同時に即答しちゃった。あれよこれよのうちにキリトと私とアスナで合同結婚式だよ。五〇〇〇人も参列する大イベントになった。さすがに今度は同室へ移り、同棲を飛び越えて正式な夫婦だから、やっと結ばれ――
「妖夢はだめだ、まだ体が幼すぎる。あと一九〇年以上もあるんだから我慢してくれ」
 みょーん、お預けですか。
 でも半霊でアスナに憑依すれば問題なし、体験だけクリア。
 刺激を受けユージオ&アリス、ベルクーリさん&ファナティオ、シャスター&リピア、イスカーン&シェータとロイヤル級ウェディングが連発した。その後も散発的にレンリ&ティーゼ、エルドリエ&セルカ、デュソルバート&元昇降係、リルピリン&レンジュといったカップルの挙式が相次ぐ。なおこの前後に整合騎士が全員、整合機士へと再叙任された。
 三人で暮らし始めて数年後。
「えっ、私じゃないわよ。たしかにシリカちゃんへフェザーリドラの情報を伝えたのは私だったけど、大元は妖夢ちゃんからメッセージを受け取ったからよ」
「あれ? じゃあピナを見かけたとき、キリトはどうしてましたっけ」
「悪いがまったく覚えてない。あのときで記憶に残ってるのは、体術の修行で妖夢とずっとバカ話をしてたことくらいかな」
「およよ、体術スキルでは、あなたと一緒に星を見たことしか覚えてません」
「もう一〇年以上も経ってるから、三人とも細かい記憶が薄れつつあるわね。これは一九〇年後がかなり危ないかも――そうだわ」
 アスナの提案で思い出の記憶を片っ端から紙へと書き、数ヶ月かけて備忘録としてまとめた。アホな私はすでにあまり親しくない人妖や人間のことを名前から忘れてしまってて、才女のアスナや賢いキリトですら記憶の枝葉が曖昧になり始めていた。ユイのデータベースと比較したらやはり食い違いが出てきて、たとえば日本の実家の間取りすら間違っている感じ。私なんか白玉楼の庭園の形状を知らない間に勘違いしていたほどだ。自分で造営したのに。
 古い記憶を正しく維持していくためにも、リアルワールドの備忘録は定期的に読み返して記憶を再固定・修正していく方針になった。過ぎ去った思い出として語るならいいけど、私たちは二〇〇年目にそこへ「戻る」わけだから。
 ユイのデータベースからもかなりの情報が本の形にまとめられ、ほぼすべてがキリトかアスナの個室に所蔵された。私の部屋には二冊だけ、幻想郷縁起と魂魄流秘伝書だ。でもこれらの本、一般には見せたらダメだって。出版もしないそうだ。
「どうして公開しないの? みんな喜ぶと思うよ」
「情報の中には政治思想もあるけど、君主制以外はこの世界のシステムと相性が悪い。思想的には前進しても、社会運用効率は後退してしまうんだ。アンダーワールドの進歩はアンダーワールド人に任せよう」
 たしかに、就職や婚姻ひとつとってもいちいち権限保有者が設定しないといけない。アンダーワールドはファンタジー世界としてデザインされた。それに政治体制の移行はたいてい流血を伴う。
『カデ子さんも反対してました。二〇〇年の隔絶をほどよく乗り切るには、世間への刺激や興奮は分散してたほうが良いって。自然に起こる発明発見や意識改革の機会を奪ってはならないって』
 ユイの説明は分かりやすい。たしかにこれだけの情報を公開してしまったら、大きく進歩したあと、変革期がすぎた先が退屈になってしまいそうだ。リアルで何十億人が一〇〇〇年かけて築き上げたものを、二〇万人ていどで発展させるにも限度がある。
 こうして社会改革は公平性の確保くらいで留まり、大航海時代みたいな雰囲気を保ったまま、世界の拡大が続いていく。
 地理上の発見が相次ぎ、神獣たちの許しも得られて、私たちの活動圏は大幅に広がった。ゴブリン族・オーク族・オーガ族・ジャイアント族はそれぞれ大陸まるごとをキリトより譲り受け、建国事業に邁進してゆく。神獣たちは亜人の信仰に組み込まれていった。神さまとして崇められてるんだから、ボスモンスターのほうも威厳を示さねばならず、暴れるなんて簡単にはしない。もし横暴の兆しあればキリトや私が飛んでいって説教したり剣にものを言わせたよ。
 そういう功績を重ねていくうちに、何十年かするとキリトは宗主さまとして亜人たちから深く敬われるようになった。約束の地へと導き、飢餓や貧困より解き放ってくれた大恩人。そのうえ神さえ一目置くのだから、亜人の王よりも偉い奴だろうって話になる。
 となれば身分立場の問題だ。キリトの権威が高まりすぎて、現状に納得しない者が増えてきた。
 不老者同士なら以前からの交友で穏便に済みそうだけど、残念ながらシャスター朝も亜人の王もみんな普通の人だ。大戦当時の指導者はとっくにあの世へと去り、代替わりが進んでいた。
 二〇〇年を壊れることなく生き延びるためにも、カデ子は奇跡を乱発できない。だから復興期がすぎると天命固定を厳しく制限するようになっていたんだ。永遠の若さに釣られたディー・アイ・エルも固定の更新は三〇年で打ち止めだった。野心の塊で内乱の種だから、不老不死なんかに出来ない。カデ子が新たに不老を与えた、あるいは延長した人材は、その手の不安要素がない人ばかり。禁忌目録の廃止は、聖書やコーランを否定しようってくらいヤバい仕事だ。
 不老の信義がない新しい王や大臣たちには、身分という杓子定規がいる。ただしそれに従うと、宗主キリトの主人であるツーベルク王家は、相対的にすべての王家より上位ってことになってしまう。それはほかの王にとって容認できない状況だった。なにせ彼らのご先祖さまはツーベルク夫妻の業火に仲良く掃滅されている。
 解決策はキリトが王になることだけど、残念ながらカルディナ星はすべての大地が分配済だった。
 そこでキリトの目は天に向いた。宇宙へ出よう――
 でも最初と違って飢えや貧困、差別の問題は解決しており、社会的な必然がなかった。人々の意識もかわり、いつのまにか亜人って言葉すら消えていた。物心が満たされ、皆が豊かな暮らしを謳歌している証拠だった。この星は無数の人間が住めるほど広いのに、人口は二一万人ちょっとで打ち止め、土地が余りすぎて使い道に困るほど生活は余裕しゃくしゃくだ。戦乱がない中で開拓がすすみ、世界の総人口がライトキューブ・クラスターの上限数に達してずっと横ばいだ。
 それでもキリトは挑んだ。根っからの冒険者だから。
 最初とちがいスタッフの熱血が不足しがちなので、技術開発ペースは鈍化していた。それでも二〇年後には改良しまくった機竜で宇宙進出を果たし、カルディナの月――衛星に前線基地を置き、さらに外宇宙へ冒険、主星ソルスの反対側に隠れていた水と緑の可住惑星を見出す。むろんキリトのイメージから野生のカーディナルとメインビジュアライザーが創出してくれた贈り物だ。カルディナ暦一〇五年のことだった。
 この惑星の名は最高司祭アドミニストレータにちなんでアドミナとなった。死後一〇〇年以上が経過し、長らく人界を平和に保ってた彼女が再評価されるようになってたんだ。形はどうあれ人界が動乱と無縁だったのは間違いない。
 アンダーワールドの宇宙はこれでおしまいだった。以降いくらソルス星系外縁部へ到達しても、新たな天体は見つからなかった。おそらくメインビジュアライザーが容量一杯になったんだろう。
 初期の移民はわずか一五〇人。キリトは彼らの前でアドミナ王国の創始を宣言し、ミニ国家の王となった。私とアスナが王妃で、正副の上下はない。浮遊城アインクラッド第二二層に似た地域を見つけ、美しい湖のほとりへログハウス平屋一戸建てをつくり、なんとそれを王宮とした。しかも拡充もせず何十年も過ごした。ユイを娘としてプラスしてもたった四人だけのロイヤルファミリーだから、小さな家で十分だったんだ。
 私とキリトは子を成していない。成す以前にある事情でお預け継続中、結ばれてない。
 遠慮してかアスナも王妃になって「から」は、一人も産んでいなかった。
 じつはキリトとアスナはすでに三人の子をもうけ、大人まで育て上げていた。でもそれはすでに一〇〇年近くも昔の話。二男一女は無事に成長し、それぞれに家庭をもった。彼らの子孫をキリトは誰一人としてアドミナ王家へ迎えなかった。家一軒しかないし、王朝名もない。アスナですらアスナ・ステイシアの名を持ってるのに、キリトはずっとキリトのままで通し、家門による氏族をあえて組織しなかった。
「ちょっと古巣のいざこざを見てたからな」
 キリトが複雑な心中を明かしてくれた。
 ツーベルク王家では増え続ける王族が一向に城から出ず、しだいに国費を圧迫するようになり、禁忌目録を改正するしかない事態となったんだ。原因は貴族制度にあった。ツーベルク王朝には爵位すら存在せず、貴族とは軍籍に付随する名誉号にすぎない。下向すれば最後、一般庶民の生活に甘んじなければいけなくなる。
 アリスもユージオも心を鬼とし、理由を見つければ宮廷より追い出してたけど、王宮の雰囲気は緊張とギスギスで鬱屈しきっていた。
 そんなときカデ子のびっくり改正だ。
 ――王族とは王と配偶者、さらに二者の子供に限るものとする。
 ずいぶんと緩やかになっていたとはいえ、まだ有効だった魂への刻印。平和な時代においてこれへ逆らえる根性をもつ者はおらず。
 二五〇人あまりのツーベルクさんがカセドラルより叩き出された。
 おかげさまで財政があっというまに改善する。八万人の国で三桁規模の王家なんて悪夢でしかない。
 このショック療法から五年後、忌まわしき禁忌目録はその役割を終え、完全に廃止された。
 禁忌目録を絶対としていたのは、最高司祭に外部から協力していたラース技術者の工作らしい。コード八七一と呼び、アンダーワールド人すべての右目に仕込まれていた。疑問に思うと痛みを与え矯正しようとしてくる。さらに逆らうと痛みが増していき、最後は死ぬ。これを乗り越えたのはアリスとユージオだけらしい。旧暗黒界の上位者への服従もおなじ仕組みだった。カデ子とアガサが揃ったあのとき一度解除し、今度はカデ子だけでも解ける状態で再封印していたんだ。
 入念に準備を整えていたから、社会的な混乱はほぼまったくなかった。「殺人」が解禁されたも同然なのに、最初の年の殺人事件はゼロ。
 以降、ツーベルク王家は五~六人前後に留まっている。孫は一般国民とおなじ教育を受け、ぜいたくは許さない。
 キリトの王国では国庫の利益は極限まで還元する。だから最初から王族を増やさない。例外はユイだけだ。ユイは私たちのことをパパママと呼ぶようになっている。
「俺がファミリーネームを考えなかったのは、魂魄の名を捨てた妖夢がリアルワールドに帰ってもそのままだと魂魄流が伝承的にヤバそうだったからなんだけど、今となってはせいぜい利用するだけだな」
「ありがとうキリト」
「ねえキリトくん。私たちがリアルワールドへ帰ったら、王位請求権者のいないアドミナはどうするの?」
 細剣を研ぎながらアスナが聞いてきた。今日はシェータに誘われ南大陸で狩りだという。
「ユージオたちが冒険したがってるから、ツーベルク家に譲るよ。たぶんベルクーリご隠居が統治すると思う」
 そうなのだ。キリトが見つけ、キリトが冒険してビジュアルイメージを固定した惑星だから、アドミナはカルディナと違って普通じゃない。
 フィールドには小はスライムに始まり大はドラゴンに至るまで、さまざまな異形の動物どもが蠢いていて、こちらを見つけたら攻撃してくる。
 一大モンスターワールド!
 おまけにエルフ・ドワーフ・ホビット・ノーム・ライカンスロープ・ケットシーといった、これまでアンダーワールドにいなかった「NPC」が社会を支え、「クエスト」まで自動生成されていく。アンダーワールドには以前からコボルト族やトロル族といったNPCがごく少数ながら存在して、旧暗黒界で細々と暮らしていた。ラースが亜人族のテストなどで作って放置してた仕様を、キリトが豊かな想像力で応用したってわけ。
 冒険者たちが集う、ドキドキとハラハラに満ちたロールプレイングゲーム王国なんだ。すでにカルディナという平和が達成された故郷があるから可能だった、大胆な運営方針。さすがにフラクトライトをもつ種族のNPCはいない。カーソル表示のないアンダーワールドだから、冒険者との見分けが付かなくなるし。
「死んでもいいゲームなんてヌルすぎるぜ!」
 ふざけてるけど冒険者登録審査で全員が読まされるアドミナの「国是」だ。この星の国民は冒険者と呼ばれ、自己責任で死ねと突き放している。こんな修羅の国が実現しているのは、ディー・アイ・エルが晩年に開発した汎用蘇生術式が広まっていたからだ。カデ子ほど完璧じゃないから生き返るかわりに感情・記憶などフラクトライトの一部を損耗してしまう。あまり死にすぎるとヤバいけど、リアルRPGを楽しめる最低条件が整ったわけで。
 そこに登場したのがアドベンチャーワールド、アドミナ。
 おかげさまで暗黒騎士とか拳闘士とか暗黒術士に、かつて亜人と呼ばれた人たちのうち血の気が多い者、さらにシェータなど戦いたいだけの整合機士まで、戦士たちが大勢暮らす世界になってる。蘇生魔法がいつも間に合うとは限らず、天寿をまっとうできず冒険のさなかに倒れ死んでいく勇者もたくさんいるけど、みんな承知で満足にバトルライフを過ごしていける。男が八割を占める異様な国だ。人口は全星合わせても一万ちょっとにすぎないけど、冒険者の生活を支えクエスト演出を担うNPCたちが四万人もいる。ついでにシャスター朝で肩身の狭い思いをしてたコボルトやトロルをまとめて引き取り、NPCらしく生きられるようにした。
 こんな脳みそ筋肉な冒険者の星で、繊細でナヨナヨな王族なんていると思う?
 イメージが具現化するこの異世界で、キリトは理想そのままの国を作り上げた。
 アリス女王が以前、アドミナを表敬訪問してきたときだ。毎日大冒険にいそしむ私たちを見てこう言った。
「キリトたちばっかり戦う機会があってずるーい! 私もいいかげん、剣を振りたい振りたい振りたい~~」
 身も蓋もないねアリス。いくら不老でも歳を重ねるとしだいに地が出てくるようになり、とってもお転婆さんだ。紫さまの救った小アリスがしっかり息づいている。
 キリトの予想通り、そのうちアリスがキリトを呼び出すと、シャスター朝を証人とした三王家で条約を結ぼうとした。
「……えっ? なんで俺がいまさらカルディナ王になるんだ?」
 なんと予想とは裏腹に、アリスはキリトを人界の王にしようと画策しちゃってた。
 カセドラル五〇層の円卓には、ゴブリン・オーク・オーガ・ジャイアントそれぞれの王も揃っていた。アンダーワールドを統治しているすべての王が、史上初めて一堂に会している。
「あなたが気持ち悪いほどお人好しすぎるから、こちらから折れてあげるの。キリト、あなたすべての王族と王家と王国の頂点に立ちなさい!」
 キリトがアドミナ全星まるごとRPG大会にふけってる間に、調整役のなくなったカルディナ星では王国間の関係が微妙なことになっているらしい。
 戦争なんかになれば大事件だが、幸いなことにいまのアンダーワールド人は流血の闘争を心底から毛嫌いするようになっていた。血の気の多い武闘派連中はアドミナ星へ集まって、勝手に隔離されていく。本星には声だけ大きな羊の群れが残る。
 下々はどれだけ体制へ不満を持とうが、テロや暗殺など考えても実行にはけっして至らない。クーデターのやり方すら忘却の彼方だし、戦争の起こし方なんてきれいさっぱり忘れている。一方アドミナ星でどれほど名をあげようとも、個人技に秀でるだけで大集団を操る将にはなれない。
 土地も収穫物も余りまくって上から下まで等しく豊かな社会だから、混乱や戦争は起こりにくい。それでも人間であるから、感情的なしこりや不安、ネガティブなものはどうしても積もっていく。平和だけど文句は生じる。でもアドミナへいくほど度胸もない、中庸の人たちにつきものの問題だ。
 できるかぎり多くの人を納得させ安心させるには、精神的な権威・象徴・誇りが必要になっていた。
 それは何か?
 それは誰か?
 答えはすぐに出る。
 キリト王しかいない。
 茅場の言葉をヒントに具現化する異世界の仕様を見抜き、それを実証、さらに世界を豊かにしてくれた。おかげで争乱そのものが起こりえない平和の世界になった。奇跡を起こした功績はあまりにも絶大で、弱小国の王で済ましていいものではない。
 SAOのころから利己主義でありながら同時に利他主義の潮流でも生きてきたキリト。
 それはアンダーワールドの漂流者となってからも変わらず。
 私の夫がこれまでの事績で正統な報酬をきちんと受け取っていれば、いまごろ全世界の支配者になっている。
 それをたかが人口一万人の、しかも辺境惑星に暮らす。税収もみんな国の運営に回し、この世界へもたらした平和の使者にふさわしい生活を送らない。
 王たちは不満に思ってたんだ。キリトが贅沢しないから。
 王たちは後ろめたかったんだ。キリトが隠者なままだから。
 ビクスルIV世・ザンケール・シャスター王が言う。
(けい)にはキング・オブ・キングス、皇帝に即位してもらいたい。あのヒューマンエンパイアを称した四匹の虫などではない。地上のすべてとソルス、宇宙の隅々に至るまであまねく統治したまう至高の御座だ」
 かつて人界が四帝国に分割されていたのは、最高司祭が反乱の確率や規模を抑えるためだった。
「断る」
 ああ、やはりキリトだからそう言うよね。
「誰かが上に立たないと、この世界がどこで破綻するか分からないよ。約束の日までまだ六〇年もある」
 ユージオの懸念に、キリトはただ首を振って。
「二一万人に君臨する皇帝なんて、あちらの歴史上に存在してきた本物の皇帝さま方に失礼だからな」
 あら?
 アリスが眉にしわを寄せて質問した。
「本物の皇帝とは、どういうことです。リアルワールドの件か?」
「リアルワールドだと、皇帝はすくなくとも何千万人って規模の統治者を指してきた。多い地域だと億人」
 王たちが口をつぐんだ。彼らの常識と比べ単位が大きすぎる。
「あちらの認識へ合わせるためにも、皇帝だけは名乗っちゃだめなんだ。日本との『外交』でかえって不利になる」
 単純な言葉の軽重ではないとキリトは言っていたんだ。日本の象徴はまさにその「皇帝」で、人口は一億人だ。
「なら……あくまでも王であるならいいんだねキリト?」
「呼称はユージオたちで決めてくれ。俺は大人しく従うよ」
 二日後、キリト星王が誕生する。正直、皇帝よりぶっ飛んでると思った。戴冠式では星王~~と呼ばれるたび、キリトの頬がひくひくしてた。
 私とアスナが星王妃、ユイも初めて王族に組み込まれ、公式に星姫さま。もちろん血は繋がってないけど、絆は血よりも濃い。キリトの子孫を名乗る連中がカセドラルへ押し寄せたけど、門前払いできれいにスルー。キリトの血を受け継ぐ人なんていまや何千人もいるから、相手にするわけない。
「どうしてキリトは星王へのオファーを受けたの?」
「アンダーワールドのみんなが選んでくれたからだよ。自分から王になるのとは重みが違う。ほかの王のためにも、受けないわけにはいかないさ」
 そういえばアドミナ王になったのも似たような動機だったね。かつて私やアスナだって彼女にしてと頼んだから恋人になれた――キスや結婚だって誘ったのはみーんなこちらからだ。
 ……そうか、これが『キリトの世界』の本質なんだね。
 マイナスの状態を見つけたキリトは、全力でそれを正そうとする。でもそのあとは良かった良かったで終わりなんだ。
 普通の人が行うその後が、キリトには欠落している。でもなぜか最終的に巨大な利益となって巡ってきちゃう。きっとほかの人は真似をしちゃいけない領分か領域がある。桐ヶ谷和人という英雄に独特の個性が。
 で、考えて至った結論。
 ――ただの「正義の味方」だよね~~。
 ひたすらお助けするだけで、なかなか求めない。そういう正義のお決まりってものを、地でやっちゃって貫いている。だからって無原則で助けるわけじゃなく、きちんと相手を選ぶ。助ければ良い状況も選んでいる。一方的な奉仕ばかりでなく、ときに報酬もちゃっかり得るから周囲も安堵する。だから破綻しにくい。理想に生きすぎればどこかで折れるけど、キリトの正義は幼稚で純粋ながら同時に不純で高度だ。矛盾してるみたいだけど成立してる。利己と利他・偽善と公共性のバランスがよく取れている。それに多少の無理があっても英雄の能力でクリアしてしまう。周囲もキリトなら間違わないだろうと、大丈夫だろうと安心して頼っていける。
 だから私はどうしようもなく和人が好きで愛しくて仕方ないんだ。
 だから王たちはキリトを星王へ()したんだ。
 おめでとう、星王への即位おめでとう。恥ずかしい名前だけど。
 星都はセントリアに置かれ、同時にツーベルク王家がアドミナへ移住していった。キリトとアリスが国をそっくり交換したってわけ。こんなハチャメチャ、不老者ならではの絶対の友誼がないとまず不可能だったよ。お互いに深く信頼し合ってるから。
「私たちが王になれたのは、キリトの指示でリアルワールドの大軍を押し留めたから。国を傾けかけたこともあったし、不釣り合いな玉座だったのよ。だから田舎者にふさわしい辺境の星を年金代わりにいただくわ――これで冒険し放題よ! とても約束の日なんか待ってられない。血がうずくわ!」
「ごめんキリト、不意打ちみたいにアドミナを奪っちゃって。でもいくら親友でも、僕はアリスの笑顔のほうが大事なんだ」
 私もキリトもアスナも、苦笑するしかないよこれ。
「滅茶苦茶だなあいつら」
「……でも、じつに人間らしいわね」
「私もそう思います。みなさんとっても人間してますね」
 久しぶりに古巣へ戻って調べてみれば、立つ鳥跡を濁さず、信義のツーベルク家にたがわぬ清潔さで、すべてがそっくり残されていた。
 カデ子やベルクーリさんをはじめとする国の重鎮は、誰一人としてツーベルク王家についていかなかった。人界のカルディナ王国は社会から経済にいたるまで完成され高度に安定している。国名をなんとか朝と付かないただのカルディナ星国へと改め、キリトは君臨すれども統治せずを地でいくことになる。ただし――
 ただし、地上に関してだけ。
 星王になったキリトが行ったのは、宇宙軍の創設だった。
 すべての王の王という立場をさっそく利用し、各国から資金や人材を集め、星間航行機竜一〇〇機もの大戦力を維持管理していく巨大システムを一〇年かけて構築した。
「外敵など存在せず、せいぜい暴れ神獣を鎮めるくらいだろキリ坊主よぉ。なぜオーバーキルな戦闘力を持ち、技能を高め守っていく必要があるんだ?」
 ベルクーリ宰相の疑問へ、キリト星王は簡潔に答えた。
「約束の日から先、リアルワールドに舐められないためさ」
「でも俺たちにはすでに秘奥義――ソードスキルと心意の技がある。いまの俺ならアメリカ野郎の戦車をまっぷたつに斬り裂けるぞ」
「整合騎士の妙技にアピール効果はないわよ宰相」
 星王妃アスナがキリトを支持した。
「心意もソードスキルもね、物語やゲームにいくらでも類似の技があるのよ。何百年かけて磨いてきた伝統の技で誇りであっても、ザ・シード・ネクサスで誰もが気軽に追体験できちゃう以上、感心はされたとしても、よくやるなあ――というていど」
「誰もが気軽ねえ。さすがは創造主さま方ってところか」
「でも世界そのものを自由意思で造り替えたと知れば、私たちを無視できなくなる。仕様外の予期せぬふるまいを通常はエラーやバグと呼ぶけど、はたして今のアンダーワールドは失敗なのかしら? ザ・シード仕様でファンタジー世界からスタートして、宇宙にまで自力で進出したとなれば、これは大きな意味を持ってくるのよ。ただのNPCじゃなくて、考える頭脳と霊魂を持った人間だと主張できる。キリトくんはそれを狙ってるのよね?」
「はったりはネゴシエーションの基本さ――国際的な宇宙軍は、まだリアルワールドに影も形も存在しない夢の組織だ。ゆえに相当なインパクトを政治家たちに与えると思う。軍ってのはオーバーキルでないと抑止力として説得力を持たないから、リアルに対して揮われることのない幻のパワーだとしても、どうしても必要な過剰なのさ」
「高価な玩具の正当化にも聞こえるが、外のパワーゲームもガキ大将どもが仕切ってるみたいで、わりと単純そうだな」
「大人ってのは賢く我慢することを覚えた子供の代名詞だろ? あとは詐欺師と宗教にさえ注意しておけば、リアルワールドはさほど怖くない」
 魅力的な笑顔でキリトは自信満々に締めくくった。私は黙ってただ聞いてただけだよ。こういう話になると一五〇年経っていてすらも傍聴者になる。三つ子の魂百までというように、頭の中身は長生きしたところで改善されやしないから、キリトもアスナも凄いなあってアホ丸出しだけど――まあ私は強いですからね? 強さだけなら負けないのさっ。
 宇宙最強、魂魄妖夢。
 ……ごめんなさい幽々子さま、紫さま、妖忌お師匠、天魔さま。ただ気が大きくなって増長してるだけです。
 人口二一万人ぼっちの狭い世界で、しかも身体能力頑強な妖怪で、さらに正統的な剣術をしっかり習ってきた身で、トップに立てないほうが情けないですよね。
 一五〇年もかかったけど、ようやく最強であると自負できるようになってきた。
 つまり純粋な技量でアンダーワールド最強だったベルクーリさんに、強力な必殺技とか弾幕なしで勝ち越せるようになってきたのが最近。といってもベルクーリさんは心意を使うし、私も魂魄を使う。お師匠が根性と言ってた無のさらに上にある謎パワーだけど、秘奥義っぽく自分の家名そのまま魂魄と呼ぶようにした。霊には二種類あり、魂は心・魄は体に宿る。心のありさまを体へと影響させ、ときに流れが反対となる技だから魂魄。魂と魄を互いに響かせる半人半霊らしい奥義なんだ。根性って汗だらだらで、なにか変なものが臭ってきそうだよね? とにかく心意と魂魄はほぼおなじ能力で、それぞれデジタルとリアルの意思具現奥義なんだ。
 ついでに例の課題、最終奥義も無難に使えるようになったけど、キリトが言うんだ。
「なあこの技……こちらをもっとこうすれば、うん、もっといけるぞ」
「え? ――最終奥義なんだけど」
「でも改善できる。なあ妖夢、ちょっと中級から上級の奥義とか必殺技をいろいろ、久しぶりに見せてもらっていいか?」
 大事なものが崩れそうな気がしたけど、大好きな愛する夫だし、なにより英雄の相・主人公の運命を生きてきた勇士。
 生ける伝説の勇者王が良くできるというんだから、こわごわ見せて。
「よし、この溜めをああして――その動きもちょっとこうしてみよう」
 ああ……魂魄流一〇〇〇年以上の血と汗と涙が。
 数週間の分析と指南により、上位技三〇のうち二七が改良され、さらにそこより新奥義がいくつも派生する始末。こんなにポンポン技って誕生していいのかな? キリトってば本当、なにもかも規格外すぎる。
 生まれ変わった魂魄流白玉楼エディションは、以前よりも如実に冴え渡る切れと破壊力を手に入れていた。リアルに帰ったら秘伝書、書き直さないとね。
「心意とソードスキルを否定されたベルクーリ宰相のお気持ちがやっと分かりました。伝統だからっていいわけじゃないんですね」
「いいえ、守り伝えるのは間違ってないわよ。より優れた見識の持ち主が出てくるには、時間が必要だもの」
 アスナの冷静なお言葉、痛み入りました。
「この場合は見識というよりは、頭脳の性能ですね。剣豪に頭の良い人は少ないでしょうし」
「コンプレックスの持ちすぎよ。魔王と戦ったとき妖夢ちゃんが言ったじゃない。得意あれば~~って」
「そうですね。私は素直にキリトへ胸ときめいていることにします」
 そう言葉に出しただけで、ほんのりと温かいものが込み上げてくる。落ち着こうかなってタイミングで惚れ直すサイクルを繰り返していて、常時メロメロなままだ。いつでも気軽に幸せ気分を味わえるから、安上がりだし楽しい。
「いいなあ妖夢ちゃんずっと初々しくて。私はすっかり落ち着いて――」
「未熟でいるのもいいものです」
 そうなのだ。私はいまだにキリトの子を物理的に産めない。
 半人半霊としてすでに二二〇歳だから、人間でいえば二一歳くらいでとっくに成人している。なのに来ていない。成長し変化してゆく種族にもかかわらず、言動も思考もみょーんなままだ。
 それが意味するところは――
 半霊はいまや身の丈をはるかに超え、二メートル以上に大きくなってしまっている。強靱な霊力を備えちゃった。
 どうやら私は博麗霊夢や茨木華扇(いばらきかせん)とおなじ存在になろうとしている。最初は幼いからとお預けくらってたけど、いまや「絶対ダメ」と来てる。アスナ憑依限定のままだ。
「諏訪子さまなんか私より幼い体なのに本番やっちゃってるわよ? なんで? どうして?」
「あっちは奇跡でどうにでもなるマジモンの神さまだろうが。神仙って肉体がものすごく強いって聞いてるぞ」
「そうですね。傷も秒単位で直るみたいですし」
「つまりただの半人では得られない最高性能のボディだよな? その諏訪子さんと同じ神仙の領域へせっかく到達しようかって妖夢が、ダイレクトで肉欲を覚えていいのか?」
「……良くないかも」
 霊夢は血統書付きの処女だ。神子(みこ)はあの言動から未体験っぽいし、布都(ふと)ちゃんは未通女(おぼこ)の時分まで若返り、結婚後の記憶全喪失なんて巨大すぎる代償を払ってる。青娥(せいが)は既婚者だったうえ、家族を裏切って昇仙したため邪仙に堕ちた。そのせいか神子より神通力が弱い。限りある者が限りない者へ至るには、代価として失うものもまた必要なんだ。
「妖夢には一〇〇〇年どころじゃなく、永遠の時を若く強くて美しい姿のまま生きて欲しいと心から願っている。俺やアスナの青春時代は延長二〇〇年どまりだ――分かるね?」
「あなたと交われないのが、私の代償……ってことですか?」
「最強の剣士になれる道が拓けてるのに、それを閉ざす度胸なんて俺にはないよ。俺と妖夢の出会いは剣だった。だから愛とか絆より……」
 頭を撫でてくるキリトはそれ以上は口を濁し、深いところは言ってくれなかったけど、すくなくとも分かったことがある。
 現実へ戻っても、桐ヶ谷和人は久遠を生きる存在にはならない。むしろ積極的に普通の人として生き抜き、潔く寿命を迎える尊厳を選ぶだろう。かつて思い込んでいたことが、今度は本当の路線として動きだそうとしていた。私の役割は生きて生きて、それこそ呆れるほど生きつづけ、キリトやアスナとの思い出を後世の人々へ伝えてゆくことなんだろう。
 それを夫の口から間接的に伝えられたけど、不思議なほどショックを感じてなかった。
 二〇〇年の休暇そのものがボーナスステージなんだから。
 霊力も魔力も理力も持たない和人と明日奈が、過分にして得た二〇〇年の若さだった。紫さまやレミリアに感謝こそすれ、それ以上は欲張っちゃいけない。きっとそれで正しい。
 幽々子さまの従者として聞き分け良く仕上がった性格が、このときばかりは恨めしかった。
 でもきっとこの性格だから、キリトやアスナとずっと良好でいられたんだ。
 ――その後はあまり大過なく穏やかな時が流れていく。
 変わったことといえば、毎年夏になると各王家がアドミナ星へ冒険で集まるようになったことくらいかな。
「王たる者、または王子たる者、人を導くにふさわしい勇気を持つべきである」
 というアリス・ツーベルク女王のスパルタ教育ぶりが紹介され、悪乗りしたシャスター朝が王子たちを一夏の合宿と称して送り込んだのが始まりだった。
 これでよく死者が一度も出てないねって感じの冒険――という名の恐るべきデスゲームに、カルディナ各王家とアドミナ王家の王族たちがガチで挑むサバイバル行事が慣例になっていく。私たちがリアルへ戻る二〇〇年目まで本当に一人も死ななかった。大小のけが人はたくさん出てたから、確率論的にすごいよ。
 このイベントのおかげで私やキリトたちもいい感じに息抜きできるようになった。
 はたして二〇〇年の日が来る……
 慌ただしい激動の日々が始まった。
     *        *
 異様な雰囲気の中、審議が行われている。
「――あなたは人間だと、そう主張されるんですね?」
「ええ、フラクトライトを持つれっきとした人間です」
 マイクへ凛とした高い声を発する金髪の少女。
 でもその全身はあまりにも精緻で精巧、とてつもなく人形じみている。頭のリボンから顔の造り、着ているエプロンドレスに指先から足の先にいたるまで、コンピューターによって作画された理想の少女が、リアルへと迷い込んだような違和感を醸し出している。
 質問者の役をになっている野党議員が、いろいろ与党の不利を暴こうとやっきになっていたが、相手が綺麗すぎてその舌鋒もにぶりがちになっていた。
「ツーベルク参考人は人間だと主張されているが、その正体は人形へ憑依しているもので、我々の感覚だと幽霊のようなものです。幻想郷の奇術によって姿をもち会話可能な状態を保っている。それでも人間だとおっしゃるんですね?」
「幻想郷に詳しい方々ならご存じでしょうが、早苗という現人神(あらひとがみ)が『常識に囚われてはいけない』と言っている。私たちアンダーワールド人はみな、死ねば霊界へ導かれるフラクトライトを有しています。さてその世界より来訪している私はいまどうしています? 日本国の国会へ呼ばれ、あなたがたと会話をしている。死後裁判の列へ並んでいるわけではありません」
 アリス・ツーベルクが右手をゆっくりとあげ、与党が用意した表示スクリーンのひとつを指した。
 そこには中継マイクを片手に絶叫するレポーターの姿がアップで写っており、背後には大勢の人間の列というより、ひたすら群集の壁。すごい大騒ぎで、あちこちで喧嘩が起きては鬼が棍棒を振り回して一喝して睨みを利かせる。彼らの容貌は日本人ではない。アリス・ツーベルクのようなヨーロッパ系だったり、やや浅黒い南方系だったり、日本人どころか人間に見えない矮小な小人や、はてまた身長三メートル前後もの巨人、小太りな豚鼻、全身に毛を生やした犬人間……みんな顔色が悪く、血色に乏しい。平均年齢は高めだが、若い個体や中年くらいは剣や槍で武装してる者も多く、剣が胸に刺さったり背中から矢が生えてたりしている。薄暗い永遠の夜に支配された世界で、地の果てまで膨大なアンダーワールド人で埋め尽くされている。レポーターがいるのは川岸で、その周辺には大量のテントが次々と設営されていた。自衛隊員がいそがしく動いており、アンダーワールド人の霊も手伝っている。
 彼岸のまさに現在の慌ただしい光景だった。
『あの世の入口は難民キャンプの様相を呈しております! いったい何十万人の幽霊がいるのか、とても正確な数は分かりません。ひとつだけ分かるとすれば、それはこの問題が私たちすべての日本人にとって切実で深刻な問題でもあるという厳しい事実だけでしょう!』
 ナレーターや自衛隊員の額には特殊なお経が記されている。聖白蓮(ひじりびゃくれん)が書いたもので、これがないと彼岸のルールで生きながらにして「死人扱い」される。
「自衛隊が緊急派遣されるほどあの世はてんてこ舞い。はっきり申しまして政府の責任がどうとか人間の定義など語ってる段階じゃないでしょう」
「……ですが物には順番がありましてね。死人の一部や地獄の鬼が武装してる以上、集団的自衛権の問題があり、いまの幻想郷を通じた自衛隊派遣そのものに関しても法律上、はたしてこれが妥当な決定かどうか。さらに明らかに日本人でない者が日本の霊界へ難民まがいの不法――」
 アリスが拳で机を強く叩き、質問している野党議員が黙ってしまう。
「状況が悪化しつづけてる一方なのに、議論してる暇なんかないでしょ! さっさと一致団結して山積してる問題に対処しろって言ってんの。責任など事が落ち着いてからゆっくり考えればいいのよ」
 委員長がトントンと木槌を鳴らし、静粛を促す。
「アリス・ツーベルク参考人、質問外の私見を述べないように」
 すかさずアリスの後方で手をあげる小柄な少女。閻魔の帽子を被っている。
 委員長と質問者が顔を合わせ、質問者が一礼して下がった。いくら少女でも相手は閻魔、神の眷属だ。アリスとは権威の重みが桁違い。
四季映姫(しきえいき)参考人の発言を認める」
「政府に積める善行は世界に冠たる災害派遣システムを駆使し、あの世を救う一事です」
 椅子より立ち上がった少女が、よく通る声で演説をはじめた。マイクすら使わない。
「彼岸の許容量はあと一〇由旬(ゆじゅん)平米もありません。このまま後手後手に回れば、三途の川へ死者が溢れる事態になりますが――多数の溺死者は避けられません。地獄で責め苦を受ける以外の方法で死者がもう一度亡くなれば、輪廻転生から外れるばかりか霊魂そのものの消滅となります。つまり死よりも悲しい最悪の結果がもたらされるわけです。放置してしまえば、福島原発のような手遅れを演じる羽目になるでしょう。四方を海に囲まれた日本は無数の船舶を保有してますよね? 転移手段は私たちがご用意できます。すぐそこに救える手があるのに、こまねいて悲劇を迎えるおつもりですか? 魂の消滅はアンダーワールド人だけでは済みません。まもなく臨終を迎えようとしている日本人も大勢が巻き込まれるのですよ! ……議員諸兄の英断に期待します」
 国会議員にはお墓へ片足を突っ込んでるご年配も多い。さすが神さま、あっというまに空気と流れが変わった。死後世界の実在が証明されてる以上、誰だって善行を積んで天界へ召されたい。閻魔が善行と言ってるのだから、「英断」に加担すれば間違いなくプラスに働くだろう。
 私はただ呼ばれただけで、最後まで一言も求められなかったよ。ふかふかシートで座り心地のよい椅子だったな~~。ほっとした。
 ところで何十万人も乗せるすごい数の船を、どうやって三途の川へ転送させるの? 紫さまでも能力の使いすぎで干からびちゃうよ?
     *        *
「あまねく天と地よ――」
 幻想郷主導による作戦が遂行されようとしていた。
 伊勢神宮の上空に出現した紫さまと神奈子さまに諏訪子さま、さらに建御名方(たけみなかた)さま。四人とも直径一〇メートル以上の大きな魔法陣を展開している。
 先刻までカラッと晴れてた観光地が一面のどんより曇天、強風が吹き荒れ、肌寒さに観光客たちが体を縮こめている。
 偉大なる力をもつ四人のさらに末席へ、私がひっそりと加わっている。
 三重県の南、お伊勢様の直上数百メートル。
 背より身長に達する長刀、楼観剣を抜く。それを真一文字に構え、薄緑色の魔法陣を構築。
「……妖夢、いきなりで悪いけど時間がないの。一気に叩き起こすには、これしかないわ」
 巨大な奥義の連発が始まりそうだ。
 魂魄流「元」最終奥義、宿因滅土(しゅくいんめつど)の精神統一へと入る。
 振り上げてる白刃へ、紫さまたちの妖力や霊力が流れ込んでいく。ここに眠る神の数が多すぎて私の霊力だけでは足りないから、紫さまたちのパワーでブーストするんだ。とくに今回の強靱強烈な封印解除に境界能力は必須。
 約束の日、スキマを通して迎えにきた幽々子さまと紫さまは、二〇〇年を経たわりに変化の小さい私を見てとても驚いていた。外見の成長といえば、髪が伸びて肩を隠すセミロングになってるのと、半霊がほぼ倍加して三メートルくらいに大型化したこと。身長の伸びはわずか二・五センチ。人間に換算した年齢は、おそらく一五歳になるかならないか。それも半人半霊的な尺度であって、私そのものは身長一五三センチ、現代日本じゃ小学生に間違われても仕方ないくらい幼いみょんとした容姿のままだ。
『……余裕でアイドル続けられるわね。ねえ妖夢、ひとつ質問があるけど』
『ご安心ください紫さま。バージンのままです』
 幽々子さまが私の半霊を興味深そうに触りながら。
『そうねえ。ヤッてないから強大な霊力の作用で成長が止まってるみたいね。(よこしま)に惑わず正しい仙に至れば、身体強度は半人半霊の枠を抜けて、天狗や鬼の領域まで高められる。このまま修行すれば、妖夢は心技体すべて……あ、心はいくらなんでも無理ね……とにかく最高の剣士を目指せるわ。あなたの夫、なかなか炯眼ね』
『最強になれると知らされたこともあって我慢できてました。それに夜の生活は盟友への憑依でいくらでも精神的に楽しんでましたので、夫の負担は半分で済んでました。たまにキリトへ憑依し殿方の気分も味わってましたよ』
 いくら心が幼いままでも実年齢のほうが大層なもので、赤裸々なことなんて平然と話せる。
 とっても「懐かしい」日本へ戻ると、海に浮かぶオーシャンタートルはすっかり半壊してて、思った以上に大変な戦闘になっていた。異邦の神の能力で原子炉が暴走したそうだけど、輝夜が時間停止を発動、事なきを得た。
 生き残ったテロリストたちは全員拘束されていた。闇神ベクタでログインしていたガブリエル・ミラーは幼馴染みの悪霊に取り憑かれ死亡、すべての髪が真っ白に変色していた。悪魔へ魂を売ったPoHは肉体すら残らず完全消滅。血の塊だけがSTLに残っていた。PoHが使ったSTL装置にはその前に那咤さまが使われていたそうで。目が醒めた彼がまだ操られてた神と交戦、イブリース化したアル・シャイターンに一瞬でのされた。
 今回の事件は全地球規模の国際問題へと発展し、アメリカどころか世界中が大騒ぎになっている。神々を操るミラーの能力は、どうもPoHの提供らしい。だから下半身を満足に動かせないのにオーシャンタートル侵入に随行できたんだ。ミラーが間接的に能力を拡大させる方法を探って、世界的ネットワークをもつCIAを通じ起きたばかりの神と接触、神々の襲撃へと繋がった。
 最終的に八一柱もの神がそそのかされたけど、いくら力が弱くなろうとも神だから幸いにして死んだ者はいなかった。
 幻想郷陣営は重傷四、軽傷は数知れず。幻想郷にも結界をすりぬけた神々の奇襲があり、特殊な借り物の能力をもつ神があろうことか大陸間弾道ミサイル――ロシアで厳重に保管されてたICBMをぶち込んできた。しかも核弾頭。国際的なあれこれ完全無視で、おねむしてた神の倫理ってぶっ飛んでるね。でも幻想郷がもつチート能力はそれを上回る。月より来援した稀神(きしん)サグメが逆転能力を発動、口に出すだけで反転するカウンターパワーだけど、効能や呪いじゃなく事象・現象そのものを反射させる月の住人らしい強力なものだ。ICBMの直撃を受け、サグメを中心に大爆風が発生。でも核爆発じゃなかった。それはICBMを作るのに使われた製造の火力だった。エントロピーの逆転によってミサイルになる前の物質へ還り、散っていく鉱物や鉱石の乱舞。美しい光景だったそうだ……放射性物質がまき散らされたから、除去するのにまたほかの子が出てきたりしたけど。幻想郷の妖怪はミサイルの直撃を受けても死なないってネットで話題になってる。むろんそんな真性の化け物はそれほど多くない。
 二度に渡るアメリカ軍の転送はPoHがVR空間での訓練を悪用したものだったと結論付けられている。本人が死んじゃったしアル・シャイターンも雲隠れしてしまい、真相は謎のまま。インターポールが国際指名手配してるけど大魔王だし捕まるとは思えない。PoHの霊は大魔王に喰われて彼岸には現れなかった。そういえば最高司祭の裁判記録に目を通す機会があった。地獄行きだったけど、刑期は意外に短い三〇〇年ちょい……記憶を奪う整合騎士とその使役による大量殺害の指示、人の尊厳と自由意思を完全無視した禁忌目録、蘇生魔法の開発で行った非道など、諸々の罪科が計上された。でも数百年の平和と安寧によるプラス査定も多量にあり、マイナスが大きく縮小した。
 まだまだ全体は判明してないけど、騙された一〇〇万人のプレイヤーでショック死した人はいまのところ見つかってない。でも万が一があるから、気の早い連中が訴訟だとか妖怪排斥を叫んでいる。あのお祭りは賛否両論、いい意味で騒がれてるね。妖怪は注目されてナンボだから、どうせならって弾幕フェスティバルになったんだ。
 ――それが幻想郷、されど幻想郷、なれど幻想郷。
 私がいまからお伊勢さんへと振り下ろす斬撃は、桐ヶ谷和人を起点とする歴史の転換点を補完する、大きなイベントのひとつになるだろう。教科書に載っちゃうのかなあ。半世紀後くらいの中高生が、私の顔写真に変な落書きしてたりするのかなあ。
 そんな一撃を実行しようとしている。
「さあ妖夢、斬っておしまい。『東方プロジェクト』の第一撃よ」
 かつて紫さまがアインクラッドで語った奥の手「虎の威を狩る狐で悪いか作戦」、言い換えて「東方プロジェクト」だって。極東の島国、世界の東方より地球を変える計画。超常復権を確固とするスタートだ。
 いくら取り繕ってもやることは情けない。天津神さまのご威光と膨大な神の力をお借りする。
 神々の干渉により、あの世へ流入する死者がレミリアの視た運命より増えすぎた。アガサがカデ子にメインを分け与え、メインとサブの揃ったカデ子がアンダーワールド人の平均寿命を極限まで伸張させ、不老者もたくさん増やし、霊を半分以下へ抑える――という手筈だったんだ。
 でも神々が外でまだ暴れてるから、サーバを監視したりサポートできるアガサはメインとサブを持ったままじゃないとヤバかった。
 増えすぎた死者の実数は不明だけど、八〇万人に余裕で届いちゃう。うち三分の一を三途の川へ浮かべた船に移すとしても、二〇万人以上を収容できるトン数はあまりにも膨大、さすがの紫さまでも過労死しちゃう。
 紫さまに匹敵する能力や存在力を持つ種族は天津神しかいない。だから霊界を救うため、強引に起こす作戦が誰の許可もとらず決行される。
「アマテラスさま、ご免なさいっ!」
 間抜けな懺悔の叫びとともに、限界まで蓄えた力を一閃とともに解き放った。
 宿因を示す白光が一寸の光陰で地面へと突き刺さり、大地へと浸透。しばらくは無音で風も収まっていたけど、しだいにお社が揺れ始め、ごーんごーんと共鳴を始めた。地震のような地鳴りが起きてるけど、地面は揺れていない。全体が低音に響いている。そのうちお伊勢さんにたくさんあるお社の数々より七色の光がたちのぼった。
「虹ね……竜の象徴……成功だわっ」
 龍神を最高神にあおぐ幻想郷では、竜族はそのうち大地の支配を目論んでいるという噂がまことしやかに語られている。竜は虹に舞い降りるという。その虹が幻想郷に暮らす者、または関係者の放つ妖力・霊力の加圧への返しで湧きあがった。これは無意識の作用だろうか。
 虹色が下より上を照らし、昼だというのに大気まで極彩色に染まっていく。地面より昇竜してゆくオーロラが乱舞し、とても美麗だ。自分でやっておきながら、伊勢神宮で起きている現象の美しさにすっかり見とれていた。
「なんて綺麗なの。これが天津神たちの宿因……」
 そのうち虹の下で社の数々が――扉が思いっきり開き、中より神々しい霊気を発散している古代神の方々がつぎつぎと登場する。眠った時期により鎌倉から江戸くらいまで、さまざまに歴史を感じさせる豊かな装束だ。平安時代以前は神もまだ日常にいた。
 半分くらいの神がアクビしている。ある人は背伸びをし、ある人はこちらを見上げてなぜかピースサイン。でも、一番おおきなお社より出てきたとびっきりお美しくて、とびっきりの存在力をもつ羽衣姿の女神さまが。
 あれ? なぜ飛んで近づいてくるの? なんか怒ってるんだけど? え? ええ?
「ガンガンうるせえのは、てめえの仕業かぁ~~!」
「お口が悪い! イメージと違う! 美人が台無しですっ!」
「そんなの知るかぁ~~!」
 脳天をごつんと一発、天照大神(あまてらすおおみかみ)さまに殴られた。
     *        *
 東京へ乗り込んだ最高神や古代神のお歴々に、予想通り日本政府は腫れ物でも扱うかのように萎縮しきってしまった。国会で閻魔がみんなに見えてたように、エイリアンショック以降、妖怪は見えなくても神は見えるという人が爆発的に増えている。だから極東の島国で一番えらい女神さまが降臨したという話は、世界を巡るトップニュースとなる。平凡な握手の写真だけど、へいこら平身低頭な内閣総理大臣に対し、堂々と背筋を伸ばしてふんぞりかえる絶対者アマテラスの構図だ。
 紫さまはどうせ起こすならと、日本各地をスキマ行脚して眠っていた天津神・国津神、さらに人間から神格化した大物をつぎつぎ目覚めさせ、その多くで私の宿因滅土が使われた。元とはいえ最終奥義なのに大安売りです……剣撃で「うるさい」から、一発で目を覚ますらしい。でも明治神宮の明治天皇まで銅鑼の大音声(だいおんじょう)で叩き起こすのはいくらなんでも……
 世界的にはアマテラスさまへの注目が大きかったけど、国内的というより「国会的」には明治天皇のほうが激しい影響を持っていた。アマテラスさまは伝説上のものだけど、明治神宮におわす明治天皇はちがう。東京都民にとってダイレクトな身近のゴッド。世間では徳川家康と菅原道真(すがわらのみちざね)が人気のツートップ。といっても家康さん東京に来なかったけどね? 動かざること……って拒否された。日光東照宮はいきなり家康ご本人を押しつけられ、ありがた大迷惑だ。諏訪大社の建御名方さまは現人神用の住居があったからまだ良かったけど、長い時が経つうちに神の大半が眠っちゃう理由が人間たちの反応を見てるとよく分かる。今回起こしちゃった神さまたちも、いずれ面倒回避にまた眠るんだろう。触らぬ神に祟りなし――幻想郷のため利用しちゃってご免なさい。
 拝借した虎の威は絶大で、老朽船を中心とする避難用船が大小数百隻も東京湾へと集まってきた。それを幻想郷が総額五〇〇億円近くで買い上げてしまった。幽霊を乗せてた船など縁起が悪すぎ、現役復帰は難しい。廃船が前提なら損を承知で誰かが買い取るのが上策で、エイリアンショックで巨大財団となってる幻想郷が被った。人権を得る道程の大事な局面であるから、これくらいどうした! が紫さまの弁。
 すごい神さまたちの奇跡能力で、東京湾に浮かべた大船団が三途の川へと転送された。これも世界中に中継されトップニュースとなった。オーシャンタートルの件で刺激を受けたようで、世界中でもさまざまな奇跡がつぎつぎに起きており、マスコミ業界は東西南北津々浦々、朝から晩まで大忙し。
 気がつけばアンダーワールド人は人間として扱われていた。一度助けてしまうと、もうなりゆきで認めるしかない。アリス・ツーベルクが国会でいろいろ言ってたのがほとんどそのまま公知されていく。いやはや権力者の認知ほど強力な宣伝はない。アリス・ツーベルクは公式にアンダーワールド大使として扱われるようになり、幻想郷勢力から離れて毎日あちこち動き回っている。アンダーワールドは彼女の双肩に掛かっており、独立独歩の戦いは現在進行形だ。いまアンダーワールドは時間倍率を等倍に合わせている。政治的判断により、これが加速されることは今後二度とないだろう。ふたつの世界は等しい時間を歩みはじめた。
「もしかして紫さまが狙ってたのって、既成事実だったんですか」
「話に聞けば、あなたの夫もそういうのが得意そうだったじゃない。幻想大戦では私が外へ消えたとたん大活躍だったそうね。ユージオたちを迎えに出てるあいだに登場してた鉄砲も驚いたけど、英雄って凄いわね。それが能力の賜物だとしても、うらやましい頭の柔軟さだわ。思いつくまでは行けても、様々な思惑や抵抗をすべて回避して実現させるのは至難なのよ。いったい元からの才覚と英雄の能力は、どちらが先だったのかしら? 茅場とおなじで、彼は死ぬまで敵に回したくないわ」
 紫さまが認めちゃうほどの男だけど、残念ながら和人と明日奈は眠ったままでまだ起きてこられない。魂の記憶を物理的な脳へ固定させる必要がある。パチュリーが魔法を使って時間短縮してるけど、それでも一週間は必要だそうだ。ラースのスタッフには記憶消去とかコピーなんて馬鹿はやるなよ? と釘が刺された。じつは死後裁判の記録簿に、なぜか菊岡氏をはじめとするラースのスタッフが混じっている。それもおなじ人が何回も。フラクトライトのテストや研究で、魂を量子コピーし、どう振る舞うかテストしてたんだ。自分がコピー品で生身の肉体を持ってないことに耐えられず、みんな自我を崩壊させて死んだらしい。当然ながらそれらの魂もみんな霊界へと導かれてしまう。最初から生身を持たないアンダーワールド人だけが主体を保持できる。生きてることの定義も今後はいろいろ変わりそうだ。
 菊岡氏は事件が収まる前に姿を眩ませた。ラース内のスパイに銃で撃たれており、海へ落ちて死亡したと見せかけてうまく世間より消去。死体があがることはむろんない。でもたぶん私が知らないところで紫さまが保護してると思う。菊岡の背後にいた偉い人たちは保身に懸命で素知らぬふり、幻想郷は菊岡の死亡偽装によって縁切成功、将来の要らぬ出費を抑えた。
 地獄へ落ちると知りながら菊岡があえてアンダーワールドを創造した理由は、主観時間にして二〇〇年も前にアスナから聞いている。すでに動き出している研究企画を、夢を追う一人の男としてどうしても実現したかったという。欲しいものを次々と手に入れていく和人がおなじ男として羨ましく、地獄がどうしたって心境だったそうだ。菊岡はアメリカだけでなく幻想郷にも挑み、両方に勝ちたかった。結果は勝ち負け曖昧なところ。
 ラース内のスパイ、柳井という男は騒動の中で逃げようとして自滅、あやうく落下死寸前で宇佐見菫子(うさみすみれこ)が捕獲し、おかげで事情が明らかとなった。コード八七一は柳井そのまま。ソードスキルは整合騎士の強さを絶対とするため最高司祭の要請で柳井が勝手に実装したものだ。
 話によれば柳井は元ALO開発運営スタッフで、あのロリコン須郷の悪いコトにも協力していた。たとえばネオン・コフィンへ情報を流し、チルノやアスナを襲わせてる。サポートセンター乗っ取り事件に関連する容疑で須郷とともに検挙されていた前科持ちだ。どうしてラースに参加できたのかといえば、それはアリシゼーション計画が秘密の研究だったからに他ならない。いろいろと裏の誓約などがあって奇跡の研究職復活を果たした柳井であったが、どうもプロフィールなどで犯罪記録の半分くらいを須郷に抹消してもらってたようだ。また須郷は柳井を通じてラースの内部事情にも通じており、挽回を図ろうとアメリカの軍事産業関係者へ売り込んでいた。おかげでアメリカは須郷という秀才の目を通した、整理された高度な情報を得ることに成功していた。アメリカ側の工作が次々と紫さまとレミリアの裏を突けたのも、須郷の一次分析あればこそ。柳井は最高司祭に操られてしまうような、そのていどの小物だった。
 日本の片隅で赤いサイレン灯が回る白黒ツートンの車へ押し込まれる痩せた男。目にクマがあり頬もそげ落ち、かつての面影はほとんどないけど、ニュース映像を通じて聞こえたセリフだけは相変わらずだった。
『違う! ぼくは悪くない! あいつらが悪いんだ、選ばれたこの僕より優秀な妖怪なんてものが日本にいるからいけないんだー!』
 警察は真の災禍として須郷伸之(すごうのぶゆき)を逮捕、事件があまりにも大きすぎるので、三度目の正直で今度こそ何年か出てこられないだろう。オーシャンタートルは表向き海洋資源探査開発用の施設で、実際にそういう採掘観測設備も持っており「正業」として営んでいた。それが全半壊して使い物にならない。アンダーワールド人を人間として扱ってる以上、どれほど壊れていようが修復して維持管理するしかなく、日本が今後一〇年で受ける機会損失は推定三〇〇〇億円を超えるという。いろいろ連鎖的に膨らんで日本円で一兆円に届こうとしてるアメリカよりはましだけど……大統領辞任しちゃったし。
 柳井を捕まえた菫子は私とおなじで幻想郷の住人ではない。かつて深秘異変を起こした一般の日本人で、ずっと幻想郷の外に暮らしている。超能力者で夢を通し幻想郷へ入り浸れる。よって今回の事件を察知し勝手に参加、漁夫の利でおいしいところを持っていった。茅場を幻想郷へ導いた秘封倶楽部の、なんと初代会長を名乗っているけど、あちらは平行世界のしかも未来だから直接の繋がりはない。彼女の子孫にいずれ宇佐見蓮子(うさみれんこ)の名を持つ子が誕生するだろう。
 メガネを揺らしながら元気にマスコミのインタビューへ答えていた。とっくに成人してるのに魔理沙みたいな魔女っ娘リボンつき帽子とルーン文字だらけの襟立てドラキュラマントはどうかと思います。
『いやー、驚きだったわ。幻想郷のため出来るオカルトもあるはずだって必死だったし。SAO事件のときはかえって迷惑かかるから、事情通なのに動けなかったのよ。だから今度はって張り切ったわ。仕事すっぽかしてクビ切られちゃったから、国で雇ってよ。幻想郷の専門家としていい仕事するよ?』
 幻想郷と日本との橋渡し役になっていた菊岡氏が死んだことになったので、後継者として宇佐見菫子が緊急浮上してきた。日本在住でありながら自力で飛べる人間だからとても貴重だ。今年で何歳だろう。三〇歳までは届いてないはずだけど、見た目はまだまだ若いね。せいぜい二〇歳代前半くらいにしか見えない。紫さまも正式採用の構えで、おかげで美人スポークスパーソンって評判の気配だ。去る者いればつぎが芽吹く――世の中うまく回ってる。
     *        *
 幻想郷の思惑どおり、世界中で規制を求める運動が始まった。ノーモア・ヒガン、死後の世界を守れ! 魂の電子コピー反対! AIの軍事利用反対! 奇跡を科学で解き明かすのは神への挑戦だ! ――いろいろ議論が噴出してるけど、真理の探究者がひとりでも隠れて研究しつづける限り、すこしずつ私たちの秘密が暴かれていくだろう。速度が鈍っただけだ。
 日本では超常生命体への人権や国籍を真剣に討論するようになった。しかし神さまはOKでも妖怪は……という意見も多い。彼岸が霊だらけになったのは魔王のせいで、妖怪も魔の方面へイメージ的に振り分けられてしまう。なかなか思ったようにはいかないけど、なんにせよ前進はつづいてる。
 意識を取り戻した和人と明日奈は、しっかり二〇〇年の日々を覚えていた。ラースの研究主任・比嘉タケルが「一五〇年しか生きられないはずなのに、ありえないッス」とショック受けてたけど、落ち込み時間はわずかで、すぐ詳細なデータ収集に走り出していた。科学者らしい切り換えの妙だ。
 まだ検査などでオーシャンタートルから離れられないから、覚醒の報を聞いて駆けつけた。射命丸文の領域はさすがに無理だけど、いまの私は亜音速で飛べる。
 筋弛緩剤の攻撃を受けてから二週間も寝たきりだったから、筋力が落ちてまだベッドより立ち上がれない。せめて運動をと、私が先にリアルへ持ち帰っていた霧雨の剣を振っている和人。魔理沙が「和人が死ぬまで貸してやる」と受け取りを断り、そのまま手元へ残った。
 霧雨の剣はアンダーワールドでも幾度となく活躍してきた。最後は主観時間で一五年前、天命五〇万を超える宇宙神獣アビッサル・ホラーをわずか二撃で退治した。空気がない宇宙では会話によるコミュニケーションを取れないので、宇宙神獣だけは暴れたら倒すしかない。呼吸できないのに生身で飛べちゃうのがデジタル奥義・心意の真骨頂らしく、私はさすがに窒息死しちゃうからロニエ・アナリシス・アナベル提督が指揮する機竜母艦の中から指くわえて観戦してた。
 生体脳へ記憶を植え付けてた間にすっかり世間が様変わりしてることを、和人はすこし残念そうに笑った。
「出遅れたかな? さらなる有名人になり損ねた」
 それが安堵であると私は見抜いている。でも言葉にだす。共感の共有だった。和人は一九歳から一六歳へと若返り、すこし嬉しい私だ。
「いいのよあなた、もう十分に働いたじゃないですか。桐ヶ谷和人はアリス・ツーベルクという普通を解き放ち、歴史のトリガーをきちんと引きました。死ぬような最悪の未来はもちろん、ひどい後遺症がのこる可能性、あちらの記憶を失う危険もあったのに、五体満足で無事に戻ってきました。考えうる中で最良のシナリオだと思うわ」
 明日奈が携帯をチェックして笑った。彼女は健康なままなのですでに退院状態だ。
「妖夢ちゃんったらアリス女王ともども私たちの代わりにあちこち顔出して、すっかり時の人ね。東方プロジェクト? 紫さんの体面好きも変わらないわね」
「明日奈ママも和人パパも表に出なかったおかげで、しばらくは平穏に暮らせそうで私も嬉しいです」
 盟友へ抱きついて喜んでる一〇歳にも届かない女の子。黒髪ロングがそよぎ、白いワンピースがとても似合っている。
「いい肌触りねユイ。人形ってとても思えないわ」
「アリス・マーガトロイドさんは最高の人形師です。さすがに体温再現は無理なようですが五感が備わっていて、生のパパママと触れ合えて幸せ極上気分です!」
 べつの話になるけど、ユイはフラクトライトを獲得している。還魂の聖晶石を使った裏技をアスナが思いつき、アンダーワールドの二〇〇年を耐える電子の魂とデータの肉体を手に入れることに成功した。精密機械はコンデンサやバッテリーという時限爆弾を抱えており、電源を落としていても経年劣化で寿命が来る。二〇〇年も持つ携帯は存在しないから、みんな必死だった。三〇年かかったけど幸せは繋がった。その後はちょっと過保護になって、娘のポジションに落ち着いた。ユイが持っていた莫大なデータベースはフラクトライトへは引き継げなかった。ユイは有限の知識に縛られる人畜無害な永遠の娘になったけど、たぶんこれでいい。
 私がユイの奇跡を思い出し感動してると、和人がいきなり妙なことを言った。
「そうだ、STLじゃなくアミュスフィアでいい。ちょっとアンダーワールドで会ってきたい奴がいる。今後のことについて相談したいことがあってね」
「それがいいと思う。あの人もさすがに今回ばかりは姿を見せるわ」
 即座に答えた明日奈に、私の理解がいつもの空中散歩をはじめた。
「およー?」
「二〇〇年もあったのに、まさか妖夢ママ気付いてなかったんですか? 野生のカーディナルがエラーチェック機能なしでフル稼働しつづけてるのに、誰がメンテナンスしてたのか」
「ユイまで? みょーん、私だけいつもの仲間はずれ……どうせ馬鹿ですよ」
 AI茅場さんは至極元気だったらしい。フラクトライト用ロボットに興味を持ってオーシャンタートルの内部ネットを散策してたところ、働き過ぎでへとへとの八雲藍に捕まり、半日に渡って愚痴を聞かされたあと、アンダーワールドの加護をまるごと押しつけ……もとい、任されてたそうで。二〇〇年以上の長丁場になるとは思ってなかったみたい。
 天才さん、キリト星王へひとつ注文を出してきた。クローズドに閉じ込められてるかと思ってたら、リアルワールドで起きてることもしっかり把握できてるんだね、チートお見事。
     *        *
 和人が電脳の茅場晶彦と接触した二日後、幻想郷で一〇〇〇年以上に渡ったひとつの呪いを断ち切った。
 衰弱が進行し危篤状態だった稗田阿求に、宿因滅土をぶちかましたんだ。
 ただし白楼剣のほうで。
 楼観剣では破の力となるが、白楼剣だと癒しを施す。それがこの奥義技の特徴。
 白鳥が乱れ飛ぶような霊力の放散が鎮まり、鞘へ白楼を戻す。主治医の永琳(えいりん)や親友の小鈴、稗田の家人たちが緊張の面持ちで注目する中、たしかに斬られた阿求の体にはなんの傷も見られない。すっと安心の気が室内に満ちる。なにせ行為が斬撃だから、失敗すればナマモノを斬ってしまう。いくら迷いを断つ剣といっても刃は刃、特殊な念でコントロールしないと物理法則に従うのみ。だからテレビで私の奥義が成功しまくってるのを見て、ようやく正式依頼が来たんだ。長くても一〇日と持たないだろうと永琳に宣告されていたその最終日だったから、大急ぎだったよ。
 阿求は転生者の習いに殉じて早世するより、あるべき寿命まで生きて幻想郷の大転換期を一部始終すべて見届けるほうを選択した。「死んでなんかいられるか」とは、当人の弁だ。
 そのうち真っ青な顔に赤味を戻し、息を吹き返した阿求が、布団へ寝ながら私へ時間をかけて謝意を述べた。その最後で自嘲気味に言う。
「……自分から望んだとはいえ、これで私の代で終わりですね。稗田の記憶と記録の環は」
夭折(ようせつ)の呪いを斬っただけですから、転生術はまだ有効ですよ。輪廻から外れるかわりに閻魔さまの元で善行を積むんでしたっけ?」
「――え?」
「アンダーワールドにいる間に夫がこの技を最適化してくれまして、繊細な芸当ができるようになりました。御阿礼の子(みあれのこ)は今後も続きます。ただし短命なんて悪しき伝統だけはさようなら」
 阿求の嬉し泣きは一時間も止まなかった。稗田家では三日三晩の大宴会となり、私は忙しいはずなんだけどずっとお(いとま)できなかった。幸いなことに先の読める幽々子さまがちゃんとスケジュール調整してくださっていた。
 幻想郷がさらに拓かれれば、人里の有識者でも最上格の阿求は必要不可欠な人材となる。事実上のトップが紫さまでも、公式的には人間であるほうが望ましい。
「元気になったらまずは結婚よ結婚! これまでやりたくても体が弱すぎて阿礼(あれ)以来ず~~っと出来なかった結婚! 一二八五年ぶりについに解禁です!」
 酔った阿求の本音、たしかにとっても分かるよその気持ち。すでに里の適齢期をすぎてるけど、いい子だから霊夢なんかとちがってすぐ良縁に恵まれると思う。
     *        *
 人に影響されやすく素直な私は、世間的にいえば「都合の良い女」らしい。
 アスナばかり二〇〇年もキリトとしちゃってたのに、ずっと我慢できてそのアスナと笑い話ができてしまうような女だ。しかもアスナへの敬意やキリトへの愛が薄れることはなかった。カセドラルでも女官たち定番の噂になっていた。普通なら破綻するのに不思議なほどうまく回っている、カルディナ最大の謎だと。でもそれは私が痴情ごときより「最強の座」を優先する心理を忘れている。
 私は純粋にして無垢な剣士だ。ずっと剣に打ち込んできて、手に入れた愛は守れたらいいなと思うけど、本音はいざとなれば剣を選ぶ。キリトもだから仙人化が進んでる私へ手を付けなかった。
 それに憑依がキリトとアスナにとって免罪符になった――三人とも楽しめてるじゃないかって。実際に憑依だけで満足できてるのも否定できない。
 SAOで可能だったように、ALOでも隠れ仕様でアレが楽しめるらしい。さすがに文部科学省がうるさくて私は年齢制限で引っかかる。脳波が「妖夢はお子さまだよ!」と主張してしまうから誤魔化しは通用しない。実年齢じゃなく相対年齢がキモだから。たぶん今後もアスナ/明日奈に憑依して……が私のスタイルになっちゃうんだろうな。
 でもシステム上で妻の座は私のもの。仮想世界では私が、現実世界では明日奈が奥さん。これで盟友との契約はようやくその安定状態に至る。
 お利口に付き合おうとしてる私だけど、和人もかなり「都合の良い男」だ。
 突っつかれて好きよと告白させられたけど、彼女になりたいって言ったら恋人ごっこに付き合ってくれた。そこからすべては始まったんだ。以来、彼氏を手放さないよう、精一杯可愛くしていろいろやってきた。でも都合の良い男って部分は恋愛関係だけじゃない。彼の人格すべてがそうなっている。
 SAOで会った当初は欲深い計算高くて人見知りする普通のゲーマーだったのに、英雄として自覚し始めると人助けや正義とか義侠心へ目覚め、人へ譲り報酬を少なめに受け取るようになってきた。それは次第にエスカレートし、アンダーワールドでは業績一〇〇に対し報酬一くらいに甘んじても平然として、なんとも思ってない。たんなる変人なのに聖者扱いして宗主さまと崇めてくれる素朴な人がとくに亜人に多かったけど、世の中あれなものでタチの悪い奴によく騙されかけてた。いつも明日奈かユイが見つけて潰してたよ。私も一緒に制裁を加えてた。
 そんなお人好しの権化が、なぜ王の中の王にまで登り詰めることが可能だったのか――やはりアンダーワールド人が平均すればキリトの同類だったからだろう。暗黒界ですら勝負には正道を求める風土が根強くあった。リアルへ向けるとSAOやALOでもキリトを支持してくれる人たちがたくさんいた。SAOで幻想郷クラスタがずっと攻略組を掌握しつづけられたのも、ゲーマーの皆さんがおなじく集団として都合の良く優しい人たちだったからだ。たとえ欲は深くいろんな渇望を抱えていようとも、根はやさぐれてない。だって人妖少女の容姿レベルがそのまま良い方向に通用したから。
 厳しくも優しい世界。
 キリトが成功し勇者となり、英雄として語られ星王にまで登頂できた条件は、仮想世界におけるみんなの寛容と純粋さにある。
 だから世知辛い現実世界の桐ヶ谷和人はたぶん、これまでのような華やかな成功は望めないし収められないと思う。それに世界の転換が予告されたラインを過ぎてしまった。運命まで運ばれたのだから、和人にとっての今後は能力的には余暇、一般人とおなじ平等な条件で歩むことになるだろう。
 ユイも交えて明日奈とその件で何日も話し合い、和人の人生を全力でサポートし盛り上げると改めて盟約を結んだ。人に利用されやすいマイナスぶんを、明日奈の知力と私の武力、ユイの機転でカバーするんだ。星王キリトはアンダーワールドだけの存在だ。いまの和人はただの高校生、人よりゲームが上手で、普通の運動神経と若干だけ鋭い勘を持つ、でも私たちにとって最高の男の子。
 アリス・ツーベルク大使は、星王キリトや星王妃アスナ&妖夢の情報を正確には流していない。アンダーワールドが外部から来た人間の手で「開眼」したと知れば、アンダーワールド人の扱いが不利になると考えてるようだ。私もそれでいいと思う。和人と明日奈にはまだ休息が必要だ。
 どうせ放置していても時が至ればマスコミが和人たちを追うようになる。和人と明日奈は二〇歳くらいを機に婚姻を結ぶそうだから、重婚を禁止してる日本で私がどう反応するのか興味本位で知りたがる――嫉妬すらしないよ。二〇〇年の時を共有してきた事実にはそれだけの深さと重みがある。安心して和人と明日奈を祝福できる。明日奈とは元からそういう約束だった。アンダーワールドのアスナは王を誘惑する牝狐どもをことごとくブロックし、鉄壁どころか鋼鉄の防御を誇った。隙の多い私なんかより何倍も信用できる。
 とにかく騒がれる日々はまだ何年か先だ。それまで和人たちは安息の日々をすごし、魂魄妖夢に世間の注目を集めさせておけばいい。
 私はいまから、おそらく幻想郷を絶対安泰とし妖怪が人権を得る最強の隠し札を切ろうとしているよ。
 紫さまが誰にも語らず胸の中で温めていた特別ミッション。
 てっきり博麗大結界を斬るんだと思ってたけど、考えたらまだその時期じゃない。いま結界がなくなれば土地所有権や境界線の問題が起こり面倒なことになる。この件ではすでに長野市の不動産コンサル大手と契約し、該当しそうな土地の調査や買収が全国規模で始まっているそうだ。先祖伝来ならまず手放さないだろうから、こちらから補償金なりを提示せねばならず、公有地とか保護林などもあるし、幻想郷へ売り付け荒稼ぎしてやろうとヤクザ業者が蠢動してるともいう。事前に解決すべき課題が山のようにそびえている。
 大結界はいずれ私が斬るみたいだけど、それはまだ先のことだろう。妖怪が人権を獲得したとしても、形となり定着し日常となるには、時間の緩衝がいる。リルピリン王がユージオとアリスを許したのは臨終の床だった。
 さていよいよ精神統一も佳境だ。雑念に身を置きながら統一もなにもないけど、気を蓄積させ濃縮するのが精神統一の本質なんだ。だから歌っていようが妄想していようが、強く自分を持っていればそれでいいんだよ。
 まず憑依の奥義を使う。
 三メートル近い半霊がぶるぶるっと震え、静かに私と重なり始めた。
 憑依奥義、自縄不縛(じじょうふばく)
 自分自身へ憑依し、潜在的に持ってる霊力・妖力を限界まで伸張させる半人半霊の身体技だ。
 これを覚えるには憑依を一〇〇年近くは習っていないとできない。かつて憑依を覚え始めた当初、私の上達速度は異様に早かった。でもそれは憑依能力を知らないうちに、そのときの霊力や年齢で到達可能な上限のほうがどんどん進んでしまい、闇雲に勢いだけで追い付いたもの。剣術のほうはいつも限界ギリギリの高みでストップしてるから修得はゆっくりだったし、魂魄の確信技は二〇〇歳をすぎてようやく実戦で使えるレベルになった。
 完全一体となった覚醒バージョンで、全身よりほのかな燐光を発する。その輝きがしだいに強くなり、蛍光を通り過ぎてスポットライトを当てられたような眩しさへと高まっていく。
 これで真下にいる人たちにも私の存在が知れるだろう。
 大都会東京、皇居の真上。
 皇居の上空は何者も立ち入ってはならぬと法律で定められている。
 ただし法改正されておらず、妖怪はまだ日本人(仮)だから鳥とおなじ。皇居外苑をまたぐ鳥が注意されないように、私を罰する法はない。緊急スクランブルが掛かっても皇居の上空にいる限りヘリコプターすら近寄れない。
 楼観剣と白楼剣を同時に抜き、二天一流の中段に構えた。このあいだ神格化してる剣聖・宮本武蔵さまに稽古をつけていただき、真実の人間向け二刀流をちょっとだけ習った。彼が実際に使っていた二刀流は、伝えられているものとまったく違っている。伝統の二天一流は凡人に合わせるため易しくなり、静に始まり動へ至りまた静へ戻る作法が常となっている。だけどじつは違う。生涯無敗の武蔵はキリトすら霞むほどの絶剣だった。
 型などない徹底的なる無手勝流が、二天一の真相。それは魂魄流が実践している現役殺人剣術とおなじコンセプトだ。申し合いは五戦して全敗した。たぶん天魔さまでも勝てない。妖忌お師匠でようやく互角? あまりにも強すぎて全身がゾクゾクした。これは崇拝に近い。神仙の剣士はすごい、この領域に至る身体を得られるなら、処女のままでいいよ。その決心の――桐ヶ谷和人を諦めるための戦いだった。
 だから私はいきなり激しく動きだす。止まっていれば相手に出し抜かれる。動いていれば容易には斬られまい。単純にしてあきらか。
 軌道は五芒星。巨大な魔法陣を空中飛行によって斬り出す。すでに奥義技は始まっている。言霊の宣言もしてないのに、楼観も白楼も白銀に輝いている。その一対の剣先より光の帯が生じ、空中に魔法陣の一部として輝線を紡いでいく。
 斬った五芒星とそれを囲む円陣の大きさはちょうど直径一〇〇メートル。魔法陣の中心で宙に「百倍」と書き、とんと軽く斬る。魂魄の確信、ないことをあることにする妖怪の心意――魔法陣が一挙に拡大し、直径一〇キロメートル。この数字はよく覚えている。いまから出現させたいものの、第一層の直径だ。
 AI茅場から星王キリトへのリクエスト。
『ありがとうキリト君。アンダーワールドを限界まで拡張し「具現化する異世界」として完成させてくれた。やはり君に世界の種子を託して正解だった。実験だったSAOは仮想から仮想への具現化、ネクサスは現実から仮想への具現化、アリシゼーションは仮想から現実への具現化だった』
「科学者さまは楽でいいな、分類しておしまいか。パターンごとにどれほどの事件があり血と涙が流れたと思ってるんだ」
『察してると思うがまだ一種類残っている。現実から現実だが、これには二種類のアプローチがある』
「無視かよ――SFで見たことあるぞ。人間のほうをサイバー化で具現にするか、そうでなければ世界そのものを具現する」
『前者は手段を「ブレイン・バースト」、目的を「アクセル・ワールド」と呼ぶが、まだ技術とインフラが不足しており当面は具現化できない。だが後者は違う』
「異世界そのものを現実に出現させるほうが超難関だろ。ディズニーランドみたいなのがそうだって言うあんたじゃないだろうし」
『キリト君はアドミナを創った。あのRPG惑星を』
「まさか本当に出来るとは思わなかった――あんたも協力してくれたのか?」
『少々な。つまり君には協力してあげようと思わせる人望があり、可能と見られる勢力と繋がっている』
「幻想郷の妖怪たちに、新しい異世界を創ってくれと? 大層なお願いだな」
『ダメ元で妖夢くんに頼んでみてくれたまえ。きっと面白い事件が起きてくれる』
「分かったよ。ったく、その自信はどこから来るんだ」
 ――紫さまったら、即採用。
「そのうちリアルの体を得るアンダーワールド人たちのために、広大な土地が必要だったのよ。ちょうどいいわ」
 和人を敵にしたくないように茅場もまた同じ。両者が揃った特別なお願いを断るわけなく、しかも以前から紫さまが秘めていた奇策とも合致していた。
 私の周囲に幻想郷の人妖たちが二〇〇人以上もうようよ集まっている。みんな妖力や霊力を放出し、楼観剣と白楼剣へ集めてくれる。最近の私はすっかりみんなのパワーを集めそれを解き放つ便利屋さんになっている。
「魂魄流……」
 名付けたのは和人だよ。だから隠れて聞いてた茅場も自信を持ってたんだ。だって私は和人が頼むなら全力で実現させてあげたいって思うもの。
 宗教的な用語を使う魂魄流なのに、最終奥義でそれらしき単語がまったく入ってない技だ。
 愛する夫が組み上げちゃった奥義で、しかも凄いよ。幻術破りの大妄語戒剣(だいもうごかいけん)を大幅改造して、究極の存在変換剣技にしちゃった。刻斬りの初級から大出世で新しい最終奥義だ。剣術と魔導を深く知った、勘の鋭い英雄で頭も良い……そんな偉大な王が編み出した技。でも和人は使えないから、私が斬るんだ。
「最終奥義――」
 魔法陣の中心に紫さまのスキマが生じ、人の背丈ほどで箱形をした装置が浮かび上がる。漆黒にたたずむサーバーラック。かつて一万人を閉じ込め、八〇〇人が亡くなった世界……そのメインフレームだ。データは消えたけど、役割を終えたあとも検察庁が押収してずっと保管してあり、プレイヤーたちの念を蓄積したまま眠っていた。それをちょいと無断で拝借している。
 きっと素晴らしい日々が始まるだろう。神は見えても妖怪は見えない人もまだ大勢いる。聖は復権したけど魔はまだまだ。
 でもこれがトドメになる。世界はきっと楽しい方向へ、面白く騒がしい混沌としたものへと加速していく。綺麗なだけじゃ世の中は面白くないよ。
 小生意気でズル賢い妖怪が大手を振って交差点を歩くための第一歩を、今度こそこれで決める!
 左右同時に、未来への幸せとなる特急切符を振り下ろした。
「具現化する異世界!」
     *        *
 ――西暦二〇二五年八月三日、日曜の人出で賑わう東京都の晴れ渡った蒼穹へ、虚空の浮遊城が出現する。
     *        *
     了 2015/09


※具現化する異世界
 Web版がボカしてる部分まで突っ込んで考察。
※野生のカーディナル
  原作が説明しておらず独自解釈。AIを備える特別なNPC神獣を創造配置できるのはカーディナルだけ。
※コボルトなど
 川原礫先生の筆が滑ったもの。刊行版で修正しきれてなかったので採用。
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