ソード妖夢オンライン6 東方具現郷 ~ Alice in Calibur, Alicization Youmming.
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東方Project×ソードアート・オンラインのクロスオーバー。キャリバー&アリシゼーション編。本編完結。
- 東方妖精郷 ~ Alice in Calibur.
- 東方具現郷 ~ Alicization Youmming.
三一 序:アリス・イン・ワンダーランド ~ Alice in Calibur.
二〇二五年六月一日。
「クエスト固定の特殊レジェンダリー・ウェポン?」
『特別な武器に興味がないとは言わせぬぞ。レプラコーンを選んでるほどだし、おまえのスペルカードにもあるだろ。ゴリアテとか大千槍とか』
会話の相手は遠くにいる。月光鏡という闇魔法で、その機能はビデオチャットだ。
「幻想郷縁起ね……面倒よね、あれのおかげでみんな私を知ったような気で話しかけてくる」
さすがに魔界での修羅場は誰も知らないけど。みんながよく知るところの私は幻想郷に漂着して以降の姿で、都会派を自称するただの寂しがり屋だ。ファンたちの間で流布してる共通イメージとしては、頼られると内心でにやにやしているツンデレ属性が激しく萌えるらしい。いまもツンツン含めて返したし、あながち間違ってないから人間のプロファイリング能力はあなどれない。
『贅沢な悩みだな。人気者になれるし、自己紹介を省略できるから楽でいいじゃないか』
たしかに。あの本は人妖のブランド化を担う重要な戦略商品だ。幻想入りする人妖は大なり小なり心に闇を抱え、どこか病んでいることが多い。それだけに人間関係の構築を苦手とする奥手の子ばかりだ。我を張りぎみで気も強いけど、そのじつ会話や人との繋がりを求めている――分かりやすい。理想郷へ隠れ住む道を選ぶのだから、みんな事情持ちだ。黙って語らない子が多く、それらの裏はさすがに幻想郷縁起でも明かされていない。
たとえば私のトラウマは純粋な信用と信頼。
西ヨーロッパの魔界に生まれた私は、修行のすえ魔法使いとなりさらに人間もやめたけど、そのタイミングで師匠に襲われ喰い殺されかけた。なんとか撃退したら魔女集会に呼ばれ、「不慮の事故死」をとげた師匠の跡を継いで魔女になれと言われた。魔物にも人外なりの事情があって、いつも縄張り争いをしている。どんな人材だろうが欲しいらしい。でも魔女とは人に仇なし人を裏切り人を喰らう悪魔だった。だって私は師匠に騙され、小娘の姿で外見を固定してしまった。魔族にとって美味なご馳走とは「魔力の強い若くて美しい生娘」らしい。人間をやめたとき二八歳だったけど、修行に熱中してその歳で男も恋も知らない処女だった。師匠の「年頃の小娘なら魔法の覚えが早い」との甘言を鵜呑みにし、一五歳前後へと若返り……これぞ魔女が待ちこがれていた最高の食材が誕生した瞬間。
魔女を拒絶した私は住処を失い、流浪の魔法使いとなった。人間をやめた魔法使いは、しばらく人間の臭いを残している。しかも外見固定は一度しかできないことを知らなかった。ゆえに魔族は私を見れば涎を垂らす。人とも馴染めない。師匠殺しの弟子なんて最低の外聞だ。力こそすべての魔界だから処罰されずに済んでいたけど、人間からも拒絶されがちだった。金髪美少女の魔法使いは目立ったから、隠れ住むようにあちこちを転々とした。居場所がなく何度も売られ裏切られるうちに、人形へ癒しと救いを求めるようになる。それがいまの人形遣いにして七色の魔法遣い、アリス・マーガトロイドの複雑に歪んだ人格を形成していった。
こんな私が幻想入りに導かれるのは時間の問題だった。遠い異国の幻想郷に迷い込んだ当初は苦労したけど、三〇年以上も経ったいまでは良い思い出だ。すくなくとも幻想郷の妖怪は元人間だからって食べようとしないし、里の人間も騙そうとしない。適当に放置してくれるのが心地よくて、人間とまた友好的な関係を築きたくなり、お祭りなどに合わせ人形劇を催したりなどしてる。いくつかの異変を通じて妖怪にも友人ができた。ヨーロッパの魔界にいたときと比べたら、はるかに充実した人生を過ごせている。だけどそれでも、かつての傷はなかなか癒えるわけでもなく、ずっと尾を引いているのだ。
いまもって浅い付き合いになりがちで友人は少なく、人間関係に悩むことしきりだけど、ユージーン将軍みたいに積極的に話しかけてくれる人とは多くのものを簡略化できる。幻想郷縁起で最初からあるていどの情報を持ってくれているから、友好的な人から話しかけてくる確率が高い。あちらから正体をおしはかる手探りが不要なんだ。
「世界をまたに活躍されてるサラマンダー族の将軍さまが、フレンドメッセージでなくわざわざ月光鏡で私をスカウトするのは、なにを得るためかしら?」
ロールプレイでそれっぽく意味深に言ってみる。いまの私は腕利き鍛冶師・兼・細工師にしてレプラコーン最強の魔法使いだ。本物の使い手だから素人が多少真似事をしたくらいで追い付けはしないので、アルヴヘイムのアリスはいつも自信満々で輝いている。幻想郷にいる普段よりすこしテンションが高い。
テスター時代に現実の使用感覚をシステム上に再現させたおかげで、ALOにおいて幻想郷の人妖はずっと有利なままでいる。もっぱら飛ぶのと魔法で。
『さまざまな条件を揃えて不測に備えておきたいのでな。特別なアイテムには生産職のマスタークラスが必要なクエストも多い』
「マスターねえ……私はマスタースミスとマスターワーカーだから、あくまでも上級素材採集クエスト向き。エクスキャリバーの回収には関係ないと思うわよ」
ほかに考えられない。数日前、出現が予告されていた伝説の聖剣と関連イベントがアルン周辺の地底空間で発見されたとの速報がネットを駆けめぐった。
『それを知ってるなら話は早い。ライバルとなる風林火山にあのリズベットが加わる。だから万が一に備え俺も条件を等しくしておきたいのだ。SAOの終盤、英雄キリトはリズベットが鍛えた魔剣を握っていた。俺もおまえの剣を使っているからな』
「使っていた、でしょ?」
月光鏡に映る将軍の腰や背中を見回しても、五ヶ月前に納品したレジェンダリー・ウェポンなどさっぱり見えない。かわりに豪快な巨大剣を背負っている。全体的に深い赤紫色。
『サブでストレージに残しているし、クイックチェンジ指定してある。この魔剣グラムといえども無敵ではないからな。相手によってはより軽くて早く振れる剣のほうが有利だ』
「……ああ、グラムの特殊効果も絶剣には初見で見破られてたし」
幻想郷が救ったユウキちゃん、リハビリ中からメキメキ対人戦の実力をつけ、昨年末の武闘大会でリーファにつづき第二位に入った。野良試合だったとはいえ魂魄妖夢すら倒した剣士として知れ渡り、絶剣と呼ばれるようになっている。四月にあった第二回統一戦では全戦全勝で優勝し、王者に輝いた。いずれも妖夢は仕事で不参加だったけど、その愛弟子でキリトより強いリーファに勝ったから強さは本物だ。むろんこの将軍がとても勝てる相手ではない。
『ユウキのことは言うな。俺とておのれの限界くらい知っている。だがマップ固定の魔剣をすべて手に入れてやるという目的は俺でも達成できるはずだ。クエストはパーティープレイだからな。現実にこうしてグラムまでは順調に手中へおさめた。サーバに一本しかない、世界で俺だけが所有している唯一無二の剣だ。予告された四本の魔剣のうち、すでに三本まで持っている。ならば最後の一本も手に入れ、画竜点睛と伝説をしっかり完結させるべきであろう?』
将軍のこだわりはルールの範囲内で目指しているものであって、個人的な見解では横暴でないと思う。サーバに一個しかない特殊なアイテムは現段階でもそれこそ一〇〇種類は用意されており、彼のこだわりはあくまで両手用大剣に絞られている。両手剣の使い手はあまり多くない。とっさに魔法を使いづらいし、空中戦では槍のほうがリーチも長い。悪く言えば中途半端な武器種だ。だからかえって両手剣カテゴリーの魔剣収集に情熱を燃やしている。あまり人の反感を買わず賞讃されやすい。
「面白そうね。いいわ、エクスキャリバー奪取にぜひ連れていって……私もそろそろこのALOで、なにか成し遂げたという足跡を残してみたくなったようだわ」
引退はしない。でも個人的に忙しくなり、妖夢や魔理沙のようにログインしづらくなるんだ。
* *
クエストには央都アルンから直通で行けるという。おかしな話だ。
ラフィン・コフィンの残滓が壊滅して幻想郷クラスタを襲う愚か者もすっかり減り、ソロで行動する子も増えている。だから単独飛行で世界樹へと向かった。アルンへ来るのは何ヶ月ぶりだろう。待ち合わせの中央広場に、完全武装の一群がすでにスタンバイしている。
「初めまして! アリスの話は妖夢から聞いてるよっ。あちらの『仕事』で一緒になったらよろしくね? それにしても伝説の武器を拾いに行くなんて、ボクとっても緊張するよ!」
緊張してるようにはとても見えない元気な顔で、お茶の間の新米タレントが微笑みかけてきた。むろんテレビで見る顔とゲームのそれはまったく違うけど、受ける印象はまるでおなじだ。なんというか、近くにいるだけで空気が柔らかくなる楽しい子。一服の清涼剤だ。
「将軍、どうしてユウキが?」
「秘密にしておいたほうが面白いだろう?」
いじわるな将軍だ。
「いつも二刀流のボクは片手剣にしか興味ないから、エクスキャリバーなんかどうでもいい。ただ妖夢と戦えそうだから、張り切ってるよ!」
「私もリーファと戦って今度こそ勝ちたい」
ユウキの姉、ランまで同行している。二回連続で統一王者の第三位に終わった。両方とも準決勝でリーファに敗れている。
「……これはとんだ因縁勝負になりそうね」
ユージーンのエクスキャリバー攻略隊はサラマンダー族を中核とした七名。前衛がユウキ&ランの二刀流姉妹。中陣にユージーン将軍とランス兵のカゲムネ、後衛が私とジータクスという高位の火炎魔術師に、なぜかチルノ。
「なぜ風林火山のあたいがいるって思っただろ」
「うん」
「あたいは攻略メンバーに選ばれなかった! トンキーに乗れるのは七名まで! 悔しいから将軍のほうで参加することにした。クラインたちを半時間差で追う作戦」
トンキーがなにか知らないけど、エクスキャリバー攻略に必要な乗り物のようだ。
「……せいぜい大人しくしててね」
「それは無理。エクスキャリバーは一本しかないから、会えばきっと争奪戦になる。あたいも殺る気まんまん! クラインを正々堂々と氷漬けにしてやる。だから先に行かせ、邪神相手にすこしでも消耗させてやるんだ」
よっぽど悔しかったみたいだ。なにせ「最強」で「天才」だしねこの子。
「困ったわね――まもなく同僚になる妖夢とプレイヤーキルだなんて……ま、ゲームだしいいか」
我ながら気楽なものだ。命をかけた死闘を経験したことがあるから、ゲームをゲームとして割り切れる。冥界の平和を背負う妖夢は私などとは比べものにならない回数の実戦を繰り広げてきたから、それこそスイッチの切り換えはより徹底してるだろう。今回のクエストで後日にしこりが残るなんてことはまずありえない。
エクスキャリバーへの入口はなぜかアルン市街の一画にあった。街路の奥にあったその壁へユウキが向かうと、いきなり丸い扉が浮かび上がる。
「ぶっつけ本番だったけど、チルノの言うとおりだねっ」
「あたいは天才だ、間違わない」
どうも風林火山はすでにエクスキャリバー攻略の決定的なルートを確保していたようで、私たちは寝返ったチルノを通じ後を追う。
長い長い螺旋階段を降りると、いきなりだだっぴろい地底空間へ出た。一面の雪景色がどこまでも広がっている。
「ここ、拡張マップの……ヨツンヘイムよね?」
ネットで読んだ情報通りだ。無茶ぶりな強力モンスターがたくさん出てくるボーナスエリアで、アイテムやユルドをたんまり稼げる。数十名単位で行動すべき超一級の危険地帯なんだけど、トンキーとやらには七名しか乗れないという。でも――
「地下や迷宮内は飛べないのに、落ちたら死ぬわね」
私たちが出てきたのは地下空間の天蓋、つらら状に垂れた鍾乳石の先端だった。ちょっとしたテラスになっていて、数歩踏み出せば宙に投げ出される。底まで何百メートルあるのだろう。
「ユウキは闇でも飛べるインプ族よね? この高さは大丈夫かしら」
「無理だよっ。限界高度が建物数階ていどだから余裕で死んじゃうさ!」
芸能界デビューした影響か、何事にも元気はつらつに答えてくる。
ランがテラスの縁まで進み、手をぱんぱん叩く。すると十数秒して遠くより巨大な浮遊くらげが飛来してきた。頭の上が皿状にへこんでいて、そこに乗れるみたい。
「……もしかして邪神が変身してるの? すごい仕組みね」
「この子はケロちゃんって言うんだ」
ケロちゃんが長い鼻を揺らしてうれしそうに……もし感情があれば……啼いた。あまり可愛くない。
七名が乗り込むと、ケロちゃんがふわふわと出発する。
「ねえ、どうやって手懐けたの?」
「三月はじめだったかな? このふわふわな邪神が強そうないかつい邪神に虐められていて、可哀想って姉ちゃんが言って、なんとなく助けたらヨツンヘイム固定の使い魔になった」
簡単に言ってるけど、内容はすごかった。
「もしかしてその邪神、たったふたりで倒したとか?」
「さすがに無理ですね。スリーピング・ナイツのみんなで協力したわ」
ランがごく自然に返事したけれど、それでも最大で七名しかいないはずだから常識外れの少人数だ。だって邪神のHPは最低でも数十万単位あり、強いものは一〇〇万を超えてくる。これがどれほど規格外な数字であるかは、プレイヤー側のHPが初期値で数百しかなく、育てても五〇〇〇台がやっとなのを見れば分かる。すくなくとも二〇名以上で固まってないとすぐに全滅する。
「ケロちゃんに乗ったら遊覧飛行してくれるんだけど、そのルートに空中ダンジョンへの入口があるんだ。でも邪神が多すぎて攻略なんて無理だった」
将軍が話に入ってきた。
「俺は四月にあった大会でこの興味深い話を聞いててな。さらにチルノからのタレコミも総合して、すぐに聖剣と結びつけられた。いまエクスキャリバー発見の報に乗じて動いてるレイドパーティーはおそらく一〇〇を下らないだろうが、大半の連中が受けてるクエストは――ダミーだ。これはエクスキャリバーが設置されてから一年あまりの猶予期間中に、真実のフラグをあらかじめ立てて置いた『優しき者』とその友人しか参加を許されない、真の勇者を試す特別なクエストなのだ。この戦いへ参加する価値は、あるいはグランドクエストをも上回るだろう。チルノが俺を選んでくれたことに心より感謝したい」
「えっへん」
つまり今回のエクスキャリバー発見とは、システムが準備して予定していたものだったらしい。運営の告知すらないとは思い切ったイベントだ。
「ボクもまさか、姉ちゃん以外に不気味なモンスターを助けようって奇特な……もとい、優しい子がいるなんて知らなかったよ――えーと、風林火山側のその子、誰だっけ。アスナ?」
「リーファよ。ライバルと目してる子が私とおなじ感性を持っていたとは、奇遇もいいところよ。ぜひとも今日のクエストで決着を付けたいわ」
かつて師匠に騙され、愚かにも小娘の魔法使いになってしまった自分を思い出した。信じる者は救われると言うけど、それは相手がきちんと守ってくれる場合に限る。魔界で正直者はバカを見るもので、私もていのよい被害者になるところだった。地獄に等しいヨツンヘイムでも、契約に基づかない約束手形などおなじく通用しないということか。信じられるのはランやリーファのように、直感を信じ体を張った信義のみ。眼下では火炎魔法や雷撃魔法のエフェクトが炸裂しており、あちこちで激しい戦闘が行われている。みんなニセモノのクエストを信じこまされ、けっして得られない聖剣を求めて無駄な戦いへ挑んでいる。いや邪神を狩ればそれなりに実入りはおいしいから、無為や徒労ではないだろう。でもエクスキャリバーはあくまでもサーバに一本しかない剣だ。類似クエストが大量発生してる時点でおかしいと思うべきだろうに、かつての私のように盲信してるんだろう。裏切られてはじめて気付かされるんだ……
だいたいの事情を飲み込めたところで、背後に気配が生じた。クエストフラグ発生独特の音が鳴る。
「ここから先は未知の領域だ。ほんの三〇分前に風林火山も体験していると思うが、予想通りで助かったな――真の勇者へのたむけ、正規クエストの開始だぞ」
丘の巨人族、その女王を名乗る女神ウルズが現れ、なんか困ったことになってるから助けてくださいなってよくある神話ストーリーが始まった。丘の巨人族と霜の巨人族の闘争らしいが内容などどうでも良い。ようは何体かいるボス級モンスターどもを殲滅してエクスキャリバーを引き抜けば完了する、とっても分かりやすい内容だ。
クエスト発生に伴って、ダンジョンが攻略可能なレベルに再設定されている。蓋をするように大量にいた霜の邪神のかなりが、丘の邪神を駆逐すべくヨツンヘイムへ降りたそうだ。
タイムリミットがあって、下にいる女神陣営の邪神が全滅すれば負け。偽のクエストは霜の巨人族が手引きしたもので、丘側の邪神を狩れというものだ。あちらの報酬はニセモノの聖剣でカリバーンというらしい。誰かが偽剣カリバーンを得れば、真実の聖剣エクスキャリバーは誰のものともならず、おそらく永遠に失われるかただの破壊不能オブジェクトと化す。
タイムリミットを教えてくれるアイテムまで渡された。丘サイドの邪神が全滅するまでのカウントを表示してくれるメダリオンで、一〇くらいある目盛りのうちすでにふたつ消えている。
「女神の出現でフラグが発生し、地底の邪神が数を減らし始めたのね。さっきまでいくら倒しても再出現していたのが、今後は減る一方になった。それを下にいる連中はまったく知らない。真相を知るのはこのクエストに参加してる私たちと、先行する風林火山のみ」
カゲムネが両方の拳を合わせた。武者震いしている。
「まさか騙されてる奴らとのチキンレースとは、腕がなるな。これは一度きりの超限定クエストだ、再挑戦などありえない」
「……ぶつぶつ、ぶつぶつ」
プレッシャーに弱いのか、魔法使いのジータクスも体を震わせている。
「怖じ気づくな者共! そもそも二〇万人ものユーザーを出し抜いてこのクエストへ挑めるだけでも強運なのだ、いまは最高の栄誉にある身をありがたく思い、おのれの力量でどこまでゆけるのか、ただ記憶へ刻むために全力で戦え!」
どこまでロールプレイなのか分からないユージーン将軍のハッパで、パーティーはひとつにまとまった。もうこうなれば野となれ山となれだ。私もなんとなく参加して偶然に居合わせただけなんだけど、ほとんどの人が参加すらできない特別なイベントというのが気分良い。とっても愉快で忘れられない冒険となりそうだった――
目前に天蓋より突き出たピラミッド状の迷宮スリュムヘイムが近づいてくる。氷でできた宙ぶらりんのダンジョンだ。内部が透き通っており、モンスターどもが蠢いている。そして逆ピラミッドの底に、黄金に輝く一本の長剣が突き刺さっていた。
* *
風林火山の戦闘力がいかほどに凄いのか、改めて実感した。
なにもない半透明の氷結迷宮を歩いていく。
「……いないわね、中ボスも邪神も」
「雑魚すら残ってない。あたいの最強魔法をぶつける敵がどこにもいない!」
無人の迷路をひた進む。私たちは最初は慎重に進んでいたけど、やがて早足になり、五分後には走っていた。
「ヤバイ、このままじゃ風林火山にエクスキャリバー持っていかれちゃうよ!」
「ユージーン将軍、漁夫の利を狙ってたはずが間抜けな傍観者になります。クリアおめでとう、だけどそれ寄越せなんて通用しません。先に行かせてもらうわ」
二刀流姉妹がユージーン将軍たちを置いてさっさと先に行ってしまう。彼女たちはダメージディーラーに特化した高速型の超前衛、ステータス値に差があって、忍者みたいに駆けていった。なんとか追いつけたのは三分後だった。
――なんか知らないけど、姉妹は風林火山に混じって牛頭の人型ボスモンスターと戦っていた……もとい、一方的にボコボコにしている。
「スターバースト・ストリーム!」
「ジ・イクリプス!」
「マザーズ・ロザリオ!」
「生死流転斬!」
共闘というより、どちらが早く倒しきるかを競争しているみたいだった。二刀流姉妹と妖夢&キリトのカップル、合わせて四人が切り刻んでいる。技名を叫び合うくらい余裕たっぷり。
そこへ私たちユージーン隊がなだれ込んだ。
「サラマンダー族にユージーン、ここにあり! いまこそ総攻撃のときだ!」
風林火山なんかきれいに無視しちゃって、遠隔攻撃魔法をミノタウロスの上半身へ浴びせかける。遠巻きに見ていたクラインたちも慌てて反応し、一四人でよってたかって牛巨人をリンチにのした。でもHPバーの削られていくペースはあまり変わらない。アスナに聞けばミノタウロスは二体いて、片方が魔法・もう片方が武器に強い両極端な防御性能だったらしい。魔法に弱いほうがすでに倒され、武器に弱い方を虐めてる最中だった。つまり妖夢やユウキたちへの加勢は、ほとんど無意味。だからクラインたちは離れて休んでいたんだ。
一分後、あわれな中ボスが弾け飛ぶ。ラストアタックボーナスはなぜか私だった。爆炎魔法を放ってもHPバーを一ドットしか削れないのに、こんなどうでも良い戦闘で幸運を使いたくなかった。
出会えばパーティー単位で楽しい殺し合いをする方針だったのに、なし崩しで協力関係になってしまった。もっとも風林火山だけで十分に攻略可能な高い戦力を保持しており、私たちはおまけみたいなものだ。総合的な戦闘能力ではおそらく負けている。そのあと何度か戦いを見物したけど、やはり妖夢はまちがいなくALO最強の超戦士だ。いくら絶剣ともてはやされようとも、ユウキと妖夢との間にはおおきな壁がある。それは言うまでもなく、剣を巡る戦闘で実際に命のやりとりをしたことがあるか――の、ただ一事だ。くぐりぬけた経験の質と量があまりにも違う。英雄キリトもSAO時代は命をかけて戦っていたが、本物の血を見てきたわけじゃないし、肉や骨が断たれるあの嫌な感触や音を味わったこともない。ユウキやランより弱くなってるのは単純に稽古が足りず腕がなまってるからだろう。一流の進学校に通ってるから仕方ない。
風林火山の選抜メンバーはリーダーにクライン、あとは妖夢・キリト・アスナ・リーファ・リズベット・シノンの計七名。シノンはGGOからALOにコンバートしてきた子だ。シノンが「お姉さま」と信奉する鈴仙が召還されたついでに一時移籍してきた。あちらでは有名人なので狙われて鬱陶しいらしい。公式大会の時期までこちらで羽根を伸ばすんだそうだ。金やアイテムは所属スコードロンの管理庫に預けてきた。
チルノより弱いリズベットが選ばれてるのはユージーン将軍が予想したとおり、特殊なアイテムにどんなスキルが要求されるか不明なため。ALOには北欧神話の神々が登場するけど、鍛冶系スキルと関係の深いトール神などがまだ確認されてない。今回は毛色のちがう特異イベントだから、未登場の神族NPC対策としてマスタースミスが同行している。シノンはALO新人だけど武器が弓なので、狭いダンジョンで高い戦闘効果が望めた。牛男との戦いでも味方を飛び越えて巨体へダメージを与えまくっていた。
個人的に可笑しく感じたのは、キリトの二刀流だ。なぜか両手剣で二刀流している。剣の重さに振り回されてる感じで、いかにも「ボクが考えた最強の~~」だ。
「ねえ妖夢、なぜあなたの彼氏、片手剣を使ってないの?」
「典型的な捕らぬ狸の皮算用ですよ。すでに片手剣の全ソードスキルをコンプリートしてますし、オリジナル・ソードスキルを使うほうが多いですから、熟練度を気にする必要がないの」
「……エクスキャリバーをあくまでも二刀流で使う気なのね。要求筋力値、足りるのかしら」
「キリトはいつもああいう見切り発車なスタートだからいいんですよ。才能と天性で、最終的にはモノにしてしちゃうから、今回もきっと強引に自分の技へと昇華してしまうでしょう。だから羨ましくもあり、またそういうデタラメなところが好きなんですけどね」
「技ばっかり開発しても、肝心の腕が届いてないんじゃ……」
未熟な弟子が勝手に自己流の「必殺技」を練習しようものなら、どのようなジャンルでも師匠にケツを蹴られて追い出されてしまうだろう。いまのキリトはその状態だ。効果的な技ほど隙も増えるものだから、当てるには高度な技量が要求される。それは剣も魔法もおなじ。
「あれがキリトですからね。私はつきあい始めてすぐ、余計な口出しはしないと決めたわ」
「優しいわね――ま、それでうまく回ってるならもう言わない」
きっと妖夢はこう考えている。あの変な技をキリトがマスターするなら、勝負勘も取り戻せるだろうと。常人とおなじ尺度で見てはいけないらしい。
クエストは順調に消化され、つづけての中ボスも全員でいじめ抜き、わずか三分で片を付けた。ムカデ魔人と言うしかない不気味な外見で、本来なら憎くなるほど強力なモンスターだろうが、残念ながら私たちのほうが強すぎた。とくに前衛にはゲームバランス・ブレイカーしかいない。
ムカデのいた先でイベントが発生した。なぜかきれいな女性が牢屋に囚われていて、HPバーが見えたからクラインとユージーンが罠と判断しスルーしようとしたけど、彼女のいないカゲムネとジータクスが「騎士道だ」と言い放って勝手に解放し、NPCとして仲間に加わってきた。その名はなんと女神フレイヤ。ウルズといいフレイヤといい、神話に名高いユニットが続々と出現する、かなり大袈裟なクエストだ。クラインやユージーンの予想はいまのところ的中している。
「アリスさんはヨーロッパ出身だよな? フレイヤっていや北欧神話でもかなり重要な女神さまだけんど、そんな大物が大人しく霜の巨人くんだりに捕まってンの、クエスト的になにかわかんね?」
クラインが意見を求めてきた。フレイヤ神は金曜日――フライデーの語源になるほどあちらでは馴染みの女神で、北欧の枠を飛び越えて親しまれている。
「……さあ? フレイヤが霜の巨人族に狙われたのは紛れもない『歴史的事実』よ。でも神さまの知己がいないので実際に捕まったかどうかまでは知りようがないわ。どのみち神話とイベントの関連性は、すべてデザイナー次第ね――フレイヤが登場した以上、少なくともトール神とスリュム王は登場しそう」
神話によればスリュム王はトール神の武器を質にフレイヤへ求婚した。その企みはトール自ら巨人の城へ殴り込んでご破算となったから、フレイヤがここにいるのは完全にシナリオの都合だろう……あれ、なにか引っかかる。思い出せない。
「トールは主神のひとりだぞ? 本当に出てきたらすごいな」
キリトの声には「わくわく」が多分に含まれていた。以前もグランドクエストで一緒になったが、電子世界の英雄はVRワールドでいつも特別な冒険に関わってきたわりに、どこまでも初々しい。作り物であっても容易に感情移入できてしまうし、きっと日常でいろんなことに感動しているのだろう。しょせんドラマだと思いすぐ醒めてしまう私から見て、うらやましいほどに眩しい感受性の持ち主だ。現代人なのにスレてないところが、やや古風な感性を持つ妖夢と相性を良くしてる部分だろう。そういえば日本の正妻アスナも、良家の娘さんゆえか古いといえば古い。
冒険もついに終盤、巨大な一枚扉を抜けたさきにダンジョンのラストボスが居座っていた。きらめくばかりの宝物に囲まれた王の間に君臨するのは、身長二〇メートルはあるだろう特大の巨人。全体の色は「青」だ。肌も髭も青い。
霜の大巨人、その名はスリュム。頭部には金色の冠が乗っており、王であるとわかる。丘の巨人族に勝利し、ヨツンヘイムを氷の地へと変えた張本人だ。いまその支配を完全なものとしようとしている――らしい。
王が一言、つぶやいた。
「……小虫が飛んでおる」
あとは長々とイベント会話がつづく。どうせすぐ忘れるからさっさと戦闘に入りたいけど、スリュム王にはHPバーすら出現しておらず、当たり判定が有効化されていない。待機状態のまま遠距離攻撃で倒されるのを予防する機能で、正しい手順を踏まないとどれだけ切り刻んでも無意味なのだ。だから我慢して話を聞くしかない。もっとも退屈してるのは私くらいで、みなさん熱心なご様子だ。ユージーン将軍が言ったように二〇万人もいるユーザーを出し抜いてここにいるわけで、しかも一度きりのクエストだから、そりゃ俄然とストーリーに集中してしまう。
話によればフレイヤはイヤイヤながら輿入れしたらしい。なぜか宝物庫を漁ってたので怒った王が閉じ込めてしまったとか。女神さまが泥棒の真似事なんて……宝物を取られた? なにか引っかかる。
いよいよ戦闘が始まったけど、スリュム王にとって不幸なことに相手が悪かった。「普通の上手なプレイヤー」がクリアできるようバランス調整されてるんだから、ALO最強クラスのプレイヤーがひしめくバーサーカー集団にかなうわけがなく。
スリュム王のさまざまな攻撃はすべて先読みされ、まともなダメージとして通らない。特殊攻撃もこの手の大ボスとしては既出のものばかり。王が範囲攻撃を行おうと息を吸い込み始めるつど、シノンの矢と妖夢の弾幕が正確に目を潰す。Mobは基本的にこちらを「視認」してないと攻撃できないから。
こちらの作戦はことごとく有効に働く。氷属性で力任せの霜巨人なんて、わかりやすくて小学生にも必勝法が見える。火炎系の魔法と火属性のソードスキルを中心に、かつ打撃系の技でコンスタントにHPを奪っていく。NPCフレイヤも雷撃魔法でスリュムを削っていく。チルノだけはサポート役に徹するしかなく、かなり退屈そうだ。この氷精は魔法スキルを水と神聖に限定していて、ほかの系統魔法を頑なに拒んでいる。武器すら水属性のナイフか氷剣魔法しか使わない。
戦闘開始より三分後には最初のHP段を削っていたけど、そこから急に王のパターンが変わり、熾烈な猛攻がはじまった。ダメージや行動終了からの回復が早くなり、こちらの連続攻撃を当てにくくなった。早すぎる凶暴化を不思議に思ってると、じつはイベントが発生したようで、フレイヤが「このままでは敵わない」「王を倒すには真の力が必要」みたいなことを言ってきた。でもべつに苦戦はしてないので、みんな無視して戦闘を続行している。本当のピンチになってから動けば良い――というよりは、すこしは手応えがあるぶんハードモードのスリュムを歓迎している節すらある。とくに妖夢やキリト、ユウキといったバトルジャンキーは積極的に無視する構えだ。
何度か範囲攻撃を許してしまうも、全体回復魔法や蘇生魔法の使い手だけで三人もおり問題なしだった。三度目の範囲攻撃でHP回復のため後方に下がると、暇を持てあましたチルノが一本のきれいな黄金ハンマーで床を叩いて遊んでいる。
「どうしたのそれ?」
「宝の山でこいつだけ輝いて目立ってた。ほかは『取得』できないのにこいつだけ『拾えた』から、たぶんフラグアイテム」
五メートルくらい離れてフレイヤが物欲しそうにチルノを眺めている。
「ちょっと貸して――すぐに返すから」
鑑定スキルで詳細プロパティを確認すると、やはり雷鎚ミョルニルだった。雷神トールの大事なハンマーだ。
「やっと記憶の糸が繋がったわ。おそらくこれを渡せば、女神が正体を見せて戦闘が楽になる。神話だと輿入れしたフレイヤは雷神が化けたものだったのよ」
「あたいは暇だからどうでもいいけど、楽になったらキリトや妖夢が怒るか?」
「そうね、渡さないほうが良さそうね」
ゲームだから仕方ないけど、強すぎる妖夢たちにとってALOの戦闘はほとんど息抜き体操にすぎない。そのせいか対人戦に新たな楽しみを見出してる部分もある。この戦闘は久しぶりに歯ごたえあるスルメイカのようなもの、すこしでも噛んで味わっていたいだろう。
とはいえイカもあまり足を持ってるわけじゃなく、スリュム王のHPも段数が限られる。ついに最後のHP段、その赤いドットがリーファのソードスキルで削られてしまった。
うつぶせに倒れたスリュム王が全身を氷へと変えながら口をぱくぱくしている。しゃべってるようだが「あーおー」「ひーはー」と幼児語めいたふざけたものだ。どうやらシナリオにない想定外の倒され方だったようで、セリフが用意されておらず言語モジュールの構築も間に合わなかった。
完全に氷と化した霜巨人の頭部が、数秒して突然おおきく陥没した。まるでそこに誰か巨人がもう一体いて、思いっきり踏み付けたか巨大ハンマーでも振り下ろしたみたいに。
スリュム王が砕け散った。激しいエンドフレイムと冷たい強風が吹き荒れる。
戦闘終了後、なにもない空中より私たちを褒める大声が轟いた。壮年のおっさんのもので、フレイヤがその発言を真似るように口パクしている。
空中に黄金のハンマーが出現し、フレイヤを牢より解放したカゲムネに与えられた。チルノが手にしてるものとまったくおなじ。
「……どうやらバグったままシナリオを終えるようね」
褒美をくれたあと、声だけのトール神が稲妻とともに去っていった。フレイヤはそこにずっと棒立ちで彫像のように動かなくなった。パーティーからもいつのまにか離脱している。
思わぬ報酬で伝説のハンマーを手に入れたカゲムネが喜んでいるけど、彼の武器は槍。おそらく競売にかけるだろう。いったい何十万ユルドの値がつくのか。問題はチルノが拾ったままになったミョルニルのほうだ。まさかのバグで神話級の片手用戦鎚が二本に増えてしまった。イベント終了と同時に取得処理が自動で行われ、フラグアイテムから武器アイテムへ変わっている。
「あたいこれ要らないからメイス使いのアリスにあげる」
「あら、ありがとう」
「三〇万ユルドで」
「……ちゃっかりしてるわね」
プレイ時間のわりにお金は溜まっている。ALOでは幻想郷クラスタの多くが強力な戦士、ステータス値以上のハイレベルなダンジョンやクエストで荒稼ぎできる。その場で即金で支払った。それを見たカゲムネが私とおなじメイサーのリズベットへ売買を持ちかけたが、簡単に断られた。積極的に冒険もしている私とちがい、リズベットはより純粋な鍛冶師だ。鍛冶系スキル複数でマスタークラスだし、ハンマー熟練度も過半が鍛冶プレイで上昇したものだろう。伝説武器など持てあますだけだろうし、素材アイテム採集時にプレイヤーキラーからしつこく狙われるかもしれない。PKに遭うと所持アイテムの五パーセントくらいをランダムで奪われるため、レジェンダリー・ウェポンは所有者に相応の技量と強さを求めるのだ。私は四~五人くらいまでなら返り討ちにできる。
クラインが感想を言っていた。
「殊勲もんだぜカゲムネの旦那よぉ。もし俺や将軍の判断通り囚われの女神を無視してたら、この戦闘は大苦戦どころか確実に全滅するってシナリオだったンだろーな。たぶんスリュム王を『間違って倒した』時点で進行が止まってた。つまり罠と思わせる罠で、リアル充実してるやつや疑い深い慎重なやつが填りやすく、独り身のゲーマーが得するシナリオってことなンか?」
キリトが突っ込んできた。
「それって河童の彼女がいなければクラインもフレイヤに引っかかってたってことだよな?」
「じゃあキリトも私とアスナがいなければ、フレイヤを解放してたんですね」
妖夢のさらなる突っ込みに、慌てて釈明をはじめるキリト。でも妖夢はべつに怒ってる様子もなく、ただ笑ってからかってるだけだった。一年前ならGGOへ突撃したように理不尽な嫉妬を見せてただろうに、ようやく落ち着きはじめてきた。半人半霊の固定された感情は、人間の二〇倍から三〇倍もゆっくりと変化する。妖夢の恋路は人を好きになった直後の麻薬みたいな状態から抜け、交際に慣れるつぎの段階へと進んでいる――らしい。私はまだ恋愛未体験だから。
王の間よりさらに下りた先に、目指す最終目標があった。
そこは四方を透明な氷の壁で囲まれた逆さピラミッドの最下部。黄金に輝く長剣が、泉の形を模した氷結台座に刺さっている。このロングソードを抜けばクエストは完了だ。メダリオンを見れば女神陣営の邪神はまだ三目盛りぶんは残っていて、タイムリミットまで十分に余裕を残している。
キリトがおもむろに自分の剣を抜き、その切っ先をユージーン将軍へと向けた。
「……さて、ここで今日のメインイベント、エクスキャリバー争奪戦と行こうじゃないか」
すっかり忘れてた。
* *
キリトに触発され、おたがいのパーティーメンバーで七人ずつが固まっている。
剣士たちの対戦相手はすでに決まっている。
ユージーン将軍とキリト、ユウキと妖夢、ランとリーファ、チルノとクライン。この四組は因縁の対決でもあって、お互いに勝負を望んでいる節もある。ただ問題はのこる連中だ。私にはアスナやリズベット、シノンと戦う理由がとくにない。
「どうしよっか?」
アスナが私へ聞いてきた。余り者同士、お互いにどう動くべきか戸惑っている。なにせ七対七の単純なパーティー戦ではない。自然と一対一の勝負が四件、個別に成立してしまった。ただ残った三人がどう動くかまだ不明なので、戦闘は始まっていない。
「このまま四試合を見物する手もありだと思うけど、二勝二敗で引き分けになったとき、困ったことになるわね。五試合目を組むのがセオリーだわ」
「なら話は早い。五試合目は三対三で行えばいいのよ」
好戦的な発言はシノンだ。彼女の武器は弓なので、一対一では距離を詰められると弱い。集団戦ほど輝ける。
「俺もそれで良いと思うぞ」
魔法使いのジータクスが追従した。鎧すら着ておらず、やはり接近戦には弱い。
というわけでなし崩し的に五試合マッチが決まった。ルールはHPを削りきるまで。蘇生魔法の使い手が何人もいるから、死んでも大丈夫だ。先に三勝したパーティーがエクスキャリバーをいただく。
最初はいきなりユージーンVSキリト。こういうのは大将戦に持ってくるべきだろうに、三勝ルールってことになったからお互いに決着を主張して初戦となった。戦闘はシステムのデュエルモードで行う。そうしないと敗者側に通常のPK沙汰とおなじペナルティが発動してしまう。
「おまえとの直接対決はこれでようやく二度目か。統一大会では負けたが、今度はグラムもあるし、勝たせてもらうぞ」
「悪いが俺も簡単に負けるわけにはいかないんでね……」
キリトはすっかり本気モードで、両手剣の二刀流から片手剣の二刀流に戻っている。漆黒と水色の剣身が腕の延長みたいに軽やかに動いており、まるで体の一部だ。でもこのクエストをずっと両手剣でやって付いた癖が抜けないのか、動きがすこし固い。キリト最強の必殺技、名前は知らないけどオリジナル・ソードスキルの数十連撃が炸裂した。おそらく四〇連は超えてたと思うけど、その猛烈な乱打をなんと将軍は耐え抜いてみせた。削られたHPバーはわずか一割に留まっており、両陣営よりおおっと感嘆の声がもれる。将軍が技後硬直に付け込もうとしたけどキリトも欠点は熟知していて、ディレイ寸前におおきくバックジャンプして追撃を許さなかった。ふたりとも好勝負の予感へ狼のように笑っている。
数度の攻防があって、キリトが右手の剣で単純な三連撃サベージ・フルクラムを放った。そのタイミングでユージーン将軍がついに魔剣グラムの特殊効果を使う。エセリアルシフトといい、連続する剣戟で一度だけ敵の武器や盾を擦り抜ける半チート技だ。キリトの剣を幽霊みたいに抜けた将軍の一撃が、黒の剣士の顔面へときれいに――ちがうっ、なんらかのキャンセルを挟んで、左の剣がグラムを弾いていた。しかもソードスキルだ。これはまさかバーチカル・スクエア? すかさずソードスキルを発動させたんだ。四連撃のうち後半の二撃を受けてしまった。魔法属性の付加もあり、将軍のHPバーが一気に黄色まで落ちる。もしクリーンヒットしていればすでに勝負は決まっていた。
「おなじ武器種でソードスキルの連結とは、猿みたいに器用な真似を。そのような曲芸は裏技だらけのSAOですら不可能だったはず」
「左・右・左・右と交互に出せば、ALOであれば可能なのさ。SAOと違ってALOは、二刀流でも片手用のソードスキルを使用できるから、もしかしてと思って試してるうちに出せてしまった。むろん技の終了動作がつぎの起こし動作と重なってないといけないから、繋がるパターンには限りがあるしタイミングはシビアだ。おそらくまだ俺しか使えないから、とりあえずスキルコネクトと勝手に呼んでる」
「前から思ってたが、おまえは手の内を明かしすぎだ。敵に塩を送るのは良いとしても、せめて戦いが終わってから講釈しろ!」
「その余裕、いつまで言ってられるかな?」
キリトの攻勢がはじまった。SAOでは不可能だったスキルコネクトなる新技で、ユージーン将軍をちくちく追い詰めていく。ソードスキルは動きが決まってるから、そればかり使ってもあるていどの達人には通用しづらくなる。したがって通常技に奇襲なども織り交ぜて剣の嵐を組み立てていた。妖夢を見ればスキルコネクトは初めてのようで、単純に「すごいねっ!」という感心顔だ。いつもの恋する妖夢だった。キリトのこととなればとりあえず肯定する。
だが最後にドラマが待っていた。
キリトが右手で放ったハウリング・オクターブ、最後の一撃を将軍がエセリアルシフトで抜き、黒づくめの肩口へ重い一撃を食らわせようと――しかしすでにキリトの左手剣が輝いており魔剣グラムを弾いた。おそらくホリゾンタル・スクエア四連撃だ。スキルコネクトによる最終攻撃。これをかわす術は、将軍にはもはや……
あった!
将軍が上半身をおおきく反らし、必殺の連続攻撃をかわした。正確にはグラムを盾として残して。将軍の両手はフリーになっていた。グラムを手放し、キリトとの間に物理的な壁を作っている。だからキリトの必殺技はグラムを打つだけで、ユージーンの赤い鎧へは届かない。
クイックチェンジで半瞬後には予備武器を装備している。将軍が手にしたのは、私が数ヶ月前に鍛え上げ納品したレジェンダリー・ウェポンだ。青い刀身は魔剣グラムと比べたら厚みに欠け、攻撃力も心許ないけど、そのかわりはるかに軽くておそろしく速い。
ユージーンがソードスキルを使った。鮮血のような独特の輝きはおそらくオリジナル・ソードスキルで、ヴォルカニック・ブレイザーだろう。たしか八連撃だったと思う。
軽量武器で加速補正された鋭い突きがキリトに迫る。それがホリゾンタル・スクエアの四撃目を強く押し返す形となった。ユージーン将軍のほうが勢いもあり、装備重量もあってそのぶんウエイトが大きい。まともにぶつかればキリトは弾かれてしまう。
この瞬間、キリトは終わった。
個人戦のキャンセル&コンボ技には致命的な欠点がある。失敗するか封じられると、容赦のないディレイを敵前で受けてしまう。集団戦ならフォローや救援が入る状況でも、ソロでは絶望。
案の定キリトは満足に動けず、上半身を反らしてヴォルカニック・ブレイザーをやりすごそうとしている。その表情には余裕のかけらもない。下半身や左手をろくに動かせず足掻いている。技後硬直が始まって、重い枷となっているからだ。普段ならこのディレイを別のスキルやジャンプなどでキャンセルないしやりすごすんだけど、ユージーンがとっさの機転で封じてしまった。スキルコネクトはタイミングや動きが合ってないと繋がらないとキリトは言った。ユージーンはその弱点をさっそく突いたんだ。連結にしくじれば自由にならぬ体を敵の前へと晒してしまう。チートみたいに強力な技ほど失敗で窮地に陥るようバランスが調整されており、むろん魂魄流も繋ぎに失敗すればディレイが待っている。いまキリトは落とし穴に足を取られた。
四撃目までは耐えたが、五撃目を腹に受けてからは超特急だった。まさに火山噴火にふさわしい猛烈な炎剣の奮迅が黒服のスプリガンを覆い尽くし、たった四発のクリーンヒットでHPバーをきれいさっぱり飛ばしていた。補正があるとはいえ、ソードスキルの火力はすごいな。
エンドフレイムが起こり、キリトが人魂になる。アスナが走っていってすぐ蘇生魔法をかけた。
「あーあ、負けちまった。ナイスファイトだったぜ将軍」
「痴れ者が! 愚直にも手の内を明かすからこんなことになるのだっ! 通常の魂魄流で戦っていれば俺などものの一分で倒せるくせに、こんな場面で人を新技の練習台にするから負けたのだ!」
手厳しいユージーンだった。たしかに戦術的な話を勝負の間、彼は一度も発しなかった。余裕のなかった証でもあり、口調から見るに実力で勝てたとは思ってない様子だった。
* *
第二戦はユウキと妖夢。妖夢はわざわざゲーム憑依を解除し、チート状態から抜けた。半霊が消え耳も伸び、現実で使ってるいつもの二刀が霧散した。ALOに魂魄妖夢そのままでログインできるのが彼女の強みなんだけど、そのアドバンテージをみずから捨てている。
ストレージより片手用曲刀を二本選び、あらたに装備する。長短二剣は妖夢のスタンダードだ。ALOのカタナはすべて両手用なので、素早さを信条とする彼女はゲームシステムに従ってSAO時代とおなじく曲刀を使うようだ。
「負けたときとおなじ条件でないと意味がありません。今度こそ……」
「ボクもあのときの勝利は偶然だったと思ってる。だから――実力できみを倒し、最強であると証明するよ!」
戦いは……奇妙な駆け引きとなった。
お互いにまったくソードスキルを使わない。いや妖夢は元からALOではほとんどソードスキルを使用しない。ソードスキルの利点と弱点を知り尽くしているから、自分では使えなくなるんだ。魂魄流は一撃でも当てればそこより連続攻撃に入り、倒すまで切り刻む勝負ありの技術。ゆえにソードスキルの火力は必須でない。それにALOのソードスキルには付加属性による魔法効果が余計な空気の乱流を起こし、連続攻撃が阻害されやすいうえ――相手があの絶剣ユウキ。キリトはその辺りなんか知るものかとスキルコネクトを開発するなどシステム技の応用に余念がないし、誰を相手にしても派手なソードスキルを使ってくるけど、妖夢は違う。彼女は現実でも職業剣士であり、ソードスキルに頼る時と場面を選ぶ。
確実に当たるときに使えだったかな? 魂魄流の教え。
妖夢は師匠の言葉をずっと守っている。
ユウキもおなじ考えなのだろうか? 妖夢に勝った試合ではマザーズ・ロザリオを使っていたそうだけど、基本のソードスキルすら利用しない。お互いの二刀流が金属音を響かせ、激しい牽制と様子見をつづけている。ALOでは魂魄流二刀剣術の指南テキストが流布しているけど、派手さにばかり目が泳ぎがちで、ユウキのように正しく習得している子はとても少ない。なんでもいいから相手の体勢を崩せばそれで良い魂魄流の本質は、とっても「地味」なんだ。
「この勝負、きっと一瞬で終わるぞ」
チルノがそれっぽく言ってるけど、この子が読んでた漫画に似たようなシーンがあったから無視した。そのくらい私だけでなくみんな分かってる。
試合はあっけなく終了した。
開始よりおよそ三分くらい経ってユウキがとっさに出した足蹴りを、妖夢が膝でガード。そのまま前進しつつユウキの軸足へカウンター斬撃一閃。
「あっ」
体勢を崩した絶剣を七回ほど刻んでジ・エンド。すべて綺麗に急所を斬っており、わずか二秒あまりの出来事だった。最後はユウキが空中に浮いてたので、おそらく魂魄流の連携技を使ったと思うけど、神速すぎて技名までは私に分からない。妖夢は幻想郷でも近接最強女子だから。
姉の魔法で蘇生したユウキが首をかしげている。
「視線を外して闇雲に蹴ったのに、なぜピンポイントでガードされたんだろう。ムラがある蹴りだから当たりやすいと思ったのに」
「それはもちろん勘です。うまく説明できませんが、なんとなく分かるんです」
妖夢の返事は明快だ。実戦を重ね体で覚えるしかないと言っている。
「さすが師匠! 年の功だねっ」
「……みょーん? 私が師匠?」
「うんっ。完敗したおかげで、これでボクも晴れて妖夢を師匠って呼べるよ」
「およよ、そうですか。私が師匠ですか。いっ、いいですよべつに」
妖夢も単純な子で、簡単におだてられている。ユウキはきっと妖夢から色々なものを吸収しようとするだろう。妖夢のほうは気前よくなんでも教えてしまうに違いない。魂魄妖夢の実地による剣術指南なんて、一時間一万円でも希望者が殺到するだろうに、それを師匠の一言で――なんと贅沢な。
これで一勝一敗。
* *
第三試合はチルノとクライン。
「あたいを選ばなかった恨み、ここで晴らす! アイシクルソードは最強だ!」
「ヨツンヘイムで氷の妖精が活躍できるわけねーだろ……その逆恨みの幻想、俺の霊刀カグツチで打ち砕いてやんよ」
カグツチは現段階で最強クラスのカタナ、妖夢がゲームへ勝手に持ち込んでる楼観剣と白楼剣よりも高い数値スペックを誇るが――
アスナと同等の技量を持つチルノが無難に勝利、二勝一敗で追い詰めた。
氷漬けのクラインがガタガタ震えている。
「かっ、かき氷が怖くなったぜ」
第四試合はランとリーファ。
「連敗記録も今日までです!」
「悪いけどランの剣って素直というか正直というか、奔放なユウキと比べてずっと読み易いんだよね」
格の違いを見せてリーファの勝利に終わった。負けたランはそれはもう悔しそうで。
「妖夢さん、私もあなたを師匠と仰いでいいですか? 強くなりたいんです!」
「およ? また私?」
「あーっ、妖夢さんは私の師匠なのにっ!」
「楽しそうっ、ボクも混ぜて!」
妖夢をユウキ・ラン・リーファの三人で奪い合っている。
「みょ~~ん」
ともかく二勝二敗、勝負は三対三の第五試合にまでもつれ込んでしまった。
風林火山側は前衛にアスナとリズベット、後衛でシノン。こちらは前衛カゲムネ、後衛が私とジータクス。
「作戦はどうするアリス殿?」
「私はなにも思い浮かばぬ……シノンは光弓シェキナーを持っている。良い案はないか?」
カゲムネとジータクスはサラマンダー族の軍組織でそれぞれランス隊とメイジ隊の隊長をしてるはずだが、私をリーダー扱いしてきた。実年齢ではまちがいなく最年長だし、その影響だろうか。
「このままぶつかれば、カゲムネは挟撃されてあっというまにやられるわ。そうなればあとはジリ貧ね」
「たしかに。私もあのアスナとまともにぶつかって勝てるなどと考えていない。ましてや二人もいる」
「だから私も前衛として出る――ジータクスはひたすらシノンに火球で攻撃を。いくら光弓シェキナーといえども連射性能ではあなたの高速詠唱に届かない。一番弱くかつ早いのでいいから、とにかく連発して」
「了解した」
カゲムネが怪訝な顔をみせた。
「アリス殿は基本、魔法使いだったと記憶しているが、前衛もこなせるのか?」
「大丈夫。だって私は弾幕シューターの端くれよ? 回避なんてお手の物」
さっそくミョルニルが役に立ちそうだった。
* *
「リズ、速攻いくよ!」
「突貫!」
……お互い考えてることはおなじだった。私とカゲムネはリズベットを集中的に狙った。反対にアスナとリズベットはまずカゲムネを狙う。後衛ではジータクスとシノンが魔法VS弓矢で互いの動きを封じ合っている。
「うおおおっ、重装甲なのに、やられてたまるか」
カゲムネが懸命に踏ん張ろうとするけど、動きがトロくて攻撃をなかなか回避できない。六名の中でフルプレートアーマーを着込んでいる唯一のアバターだが、避けられなければどうしてもダメージが蓄積していく。しかもリズベットの得物はハンマー。殴打系武器って鎧の防御力をあるていど無視できる。
「しつこいわねあんたたち」
リズベットのほうは頑張って避けてるけど、装甲が薄いのでヒットを許せばダメージが大きい。飛べないうえ超接近戦なので回復魔法は使用すらできない。ひたすら武器攻撃の応酬で、削り合うデスマッチになってしまった。
試合開始より二分で、カゲムネとリズベットがほとんど同時に死亡した。まだ試合は続いてるけど、ランとチルノが蘇生に入る。猶予は一分しかないから終わるまで待つわけにもいかない。生き返ったふたりはそのまま退場した。
私とアスナの対決はすこしずつ差が開き始めていた。
「なぜ当たらないの?」
「そんなのチルノと何度も戦ってるあなたなら分かってると思うけど……この戦いでも私でなくカゲムネを狙ってたし」
幻想郷の人妖は規格外の回避能力を持つ。それは飛べない状態でも変わらない。スペルカードルール対戦には、通常の弾幕ごっこのほかに、近距離で行う弾幕格闘式がある。それはさらに飛行中心と歩き中心に分かれる。そんな競技を二〇年以上も継続して遊んできたら、どれだけ上達するかは子供にもわかる。
私の武器ミョルニルは雷撃属性で、水妖精族のアスナへダメージボーナスを与えられる。このまま推移すれば、おそらくこのバーサクヒーラーに勝てるだろう。あとは後衛だが――
「すまんアリス殿っ」
ありゃりゃ~~。
ジータクスが胸に矢のクリティカルヒットを受けて倒れるところだった。すでにチルノが蘇生へと向かっている。シノンがすかさず矢を向けるけど、私とてバカじゃない。大人しく射られてたまるものか。アスナを背にするよう回り込んでいく。その機動を邪魔しようとアスナが攻撃してくるけど、さっと避けていくよ。ふふん、これが幻想郷だ。
うまくアスナを盾にし、シノンが悔しがって光弓シェキナーを下げる。よし、このままアスナをミョルニルで殴り殺せば――
なんとシノンが武器を変えた。弓をストレージにしまい、かわりに短剣を手にしてこちらへ駆けてくる。
「ヤバッ」
シノンが手にしてるのはALOでも超レアな武器だ。着剣すべきライフル銃がないのになぜかデザインだけされている特殊な剣。
銃剣。
おそらく鈴仙の影響を受け、サブ武装として携行している。リーチが短いしやっかいだ。構えはまさに特殊部隊、剣といってもナイフだね。
アスナとシノンに挟撃された。
「軍隊式だけは、いーやーっ!」
いくら私が弾幕ごっこに慣れていても、フリーの手でニギニギと捕まえてこようとする人なんか想定外だ。銃剣とかコンバットナイフってそこの辺りが怖い。ただ避けるだけ、受け流すだけではとても対応できない。私は魔法使いだから体術なんて苦手だし、抵抗しても無駄と思ってるから覚えるつもりも対策する気もない。
あっというまにシノンに腕を掴まれ、動きが止まったところに星型の五連撃スターリィ・ティアー、アスナのオリジナル・ソードスキルをまともに受けてしまった。迸る粒子のエフェクトは派手で、効果のほどを物語っている。きれいにHPを削っていく。なんて勢いで減っていくんだろう、こりゃ助からないな~~。
かわいいリメインライトの灯火がいっちょあがり。
ああっ。これがリアルなら人形たちの頼もしい守りがあったというのに――
蘇生させてもらったけど、将軍たちみんな沈んでいた。反対に風林火山は大喜びで、代表のキリトがエクスキャリバーを引き抜こうと全身の筋肉を震わせている。栄冠まであと一歩だったのに、わずかな差で届かなかった。
「これが甲子園の決勝戦で負けた高校球児の気分なのね」
世界が慟哭に震えている。悲しみのあまり、世界そのものが揺れている――
「……じゃない! 本当に地震だわっ。メダリオン確認して!」
将軍とクラインがタイムリミット表示アイテムをチェックする。
「あん? ……ちゃんと残り一目盛りで留まってンぞ」
そのときキリトがちょうどエクスキャリバーを抜ききったところで、いきなり激しい輝きが発生した。
眩しいっ。
目をつぶると同時に、なにかに突き飛ばされた。慌てて目を開けると、目の前を茶色の壁がもの凄い勢いで走っていた。まるで列車の車窓より反対路線のレールを眺めてるような。
「……木の根?」
体を起こすと、エクスキャリバーの刺さっていた辺りより木の根が四方八方へとどんどん伸びている。
「どうやら剣を抜けば発動するトラップかなにかだったようだな」
「冷静に言ってんじゃねえよ将軍。とにかくズラかるぞ野郎ども! たぶんこの城、お約束なら崩壊すんから――って、すでに階段ねえじゃん!」
下りてきた螺旋階段が木の根に巻き付かれて破壊されていた。外壁へ急速にヒビが走って、枠を残してガラスのように砕けた。外気の冷たい風が頬へ吹き付けてくる。
「丘の邪神は全滅しなかったんだからクエストには私たちが勝った。だから必ず助かる道が用意されてるはずよ」
アスナの推測にキリトが指さした。
「簡単じゃないか。俺たちはどうやってこの空中迷宮に来たんだ?」
彼の人差し指が示す透明な壁の先、はるか下方に、二匹の大型くらげがふわふわ漂っていた。
* *
細かく崩れ落ちていくスリュムヘイムをくぐり抜け、二匹のくらげ――トンキーとケロちゃんが飛んでいく。
吹雪の世界に閉ざされていたヨツンヘイムがその姿を変えているところだった。さっきまで逆ピラミッドのあった空間より世界樹の根が張り、一挙に地底まで伸びていく。地底空間の底へ辿り着いた先から、雪と氷がどんどん溶けて消えていく。かわりに緑が芽吹き、植物が繁茂していった。魔物たちが棲んでいる城や建物はたちまち植物に覆われ廃墟と化した。
すべてが変わったあとには、丘の巨人族が勝利したあるべき世界が登場していた。邪神と呼ばれた巨大モンスターたちは、ただの動物Mobとなった。森と水と淡い光に包まれた地下空間は、もはやベテランプレイヤーが金稼ぎをする殺伐とした世界ではなくなっていた。今後その役割は浮遊城アインクラッドの最前線が一手に担うだろう。騙されて偽のクエストに狂奔していた者どもが、ぽかーんとして新たな世界に戸惑っている。チルノが彼らへ手を振っていた。
離れたトンキーの頭上で、リーファが感激にむせび泣いている。感受性の強い子だね。おなじくランはどうだろう――やはり泣いていた。あまり感情移入してるように見えてなかった妹のユウキもだ。この姉妹は「あるべき健康」を回復した地底世界に、かつての自分たちを重ねているのだろう。
そのうち二匹のくらげが寄り添ってきた。リーファやランの言うことを聞かず、自動的に一箇所へ集まる。
女神ウルズが再度あらわれ、礼を言ってきた。
さらに姉妹を名乗るほかの女神も出現して、莫大な報酬アイテムの嵐となった。ベルザンディとスクルドといい、いずれも北欧神話の女神。この冒険は一本の剣を巡るものとしてはあまりにも大きな内容だった。広大なマップひとつが丸ごと形容を変えてしまったし、お初の神が何人も登場した。あの様子だとスリュムは二度と登場しないだろう。北欧神話の神々はあまり数が多くない。そのうち「敵」の陣営は数がすくないのに、貴重な魔王のひとりがいきなり消えてしまったわけだ。スリュム王と対戦できたプレイヤーはわずか一四人……運営はこれでいいんだろうか。
そんなことを考えてると、キリトが隣のくらげより聞いてきた。
「アリスさん。スリュムとかウルズって、本物もいるのか?」
キリトはなぜか私のことを「さん」付けで呼ぶ。そういう印象なのだろうか? 外見年齢は妖夢と一~二歳しか変わらないのに、個人的にすこし寂しい。
「当然いるわよ。たぶんこのクエストで見たよりずっと神々しいと思うけど」
「ラグナロクでみんな消えるんだったっけ。それは大丈夫だったのか?」
「あの最終戦争は未来の話よ。しかもぜったいに発動しない予言。だってこの世の終わりだなんて、条件が厳しすぎて起こりようがないから。世界が滅びる前に人類絶滅のほうが早いわよ」
北欧神話は人間のたくましい想像によって神々や世界の死までこと細かく用意してるけど、それが実現することはない。なぜなら人間の想像パワーがいかに強かろうとも、地球そのものを揺さぶるなんて無理だから。妖怪や魔法を創造する「信じる力」にも限界があって、できないものはどうしようもない。たとえば後付けで宇宙や地上の創造を考えても、それは過去に遡って現実にはなりえない。
ほかにも想像を絶する広さや期間も実現できない。日本の仏教では地獄に天文学的な懲役や無限の空間を与えてるけど、出現した地獄はその物理的な制約に沿った時間と広がりに縛られている。でなければ旧地獄なんてものはできない。何億年何兆年なんて懲役も長い目で見れば地獄がパンクするから設定し得ない。受刑者が底なしに増える地獄では、鬼も過労のあまり死んでしまうだろう。刑期を終えた死者はさっさと冥界に行って、浄化と転生の輪に戻って貰わないと困るのだ。死後裁判を消化しきるため閻魔だけでも一〇〇人以上いるのが実状だ。神道に端を発する冥界では、人間が明確な「従事者」を想像しなかったので、原住民だった半人半霊が公務員をしている。
ずっと魔界にいたのでヨーロッパの事情は詳しく知らないけど、おそらく似たような違いが世界中にいくらでもあるだろう。神だからこのくらい可能だろうと期待したところで、物理的に不可能な限界が存在する。実際に太陽で暮らす太陽神がありえないようにね。
「可愛いッスよー、ほいそこで流し目ちょうだいっ」
いつのまにかクラインがカメラを取り出し、女神スクルドにポーズを取らせて即席撮影会を開いていた。ああ……印象が似てるね。翼を生やした兜とブーツに勇ましい鎧は、戦乙女ワルキューレのようだ。鎧兜を着込んだ未成年の少女で、はきはきと喋る。まるで中高生のコスプレそのもの。すこし河城にとりとキャラが被っているね。あの子は人見知りこそ激しいけど、めいゆーになればこのスクルドみたいに溌剌として、場合によってはユウキよりも元気一杯になる。
「ネットに公開してもいいッスか? あ、これ俺の名刺っス」
「ほう、これを名刺というのか。クライン? それがおまえの名か。なら我もこれを交わそうぞ」
なんとクエスト限定NPCのはずが、メッセージ用アドレスをクラインに渡してきた。まるで意識でも持ってるかのようだった。
……このクエストって最初から最後まで、あらゆることが規格外だよ。
* *
エクスキャリバーに関連する特別なクエスト『氷宮の聖剣』について、運営はなにも知らなかったらしい。ALOのシステムが勝手にやったことだった。だから事前アナウンスもなかったし、おおがかりな話なのに正規ルートへわずか一四名しか参加できなかった。八〇〇〇人近くが騙されしまい、あまりにも不公平すぎると抗議のGMコールが大量に舞ったとか。運営は仕方なくカリバーンをお詫びとして大量プレゼントするしかなく、これでも伝説級武器の一種だからゲームバランス上の影響が大きいらしい。剣カテゴリーに強いアイテムが偏在すれば、バランスを取るためほかの武器種も底上げしなければいけない。さらに敵もそれに応じて、おまけに魔法と武器のダメージ量差も――と、調整につぐ調整の山が宿題として山積みだ。
ALOのカーディナル・システムはザ・シード規格では唯一、SAOオリジナルの忠実な複製コピーだ。そのせいか運営が把握しきれてない落とし穴があったようで、クエスト自動製造機能になんらかの誤作動が生じ、広大なマップひとつを完全に書き換えてしまう重大な結果がもたらされた。通常ならチェックに引っかかって発生しないと思われていた大冒険が、たかが剣一本を巡るクエストでなぜか起きてしまったのだ。レクトがヨツンヘイムで準備していたキャンペーンやイベント予定が大きく狂ってしまった。開発運営チームの時間的なロスは人件費に換算して一〇〇〇万円を超えるという。
ふたつに分けたデュアルコアを持つカーディナルは、みずからバグや異常をチェックし修正する補正機能を持つ。生命体の遺伝子を真似た仕組みで、データ破損の確率が天文学的に低くなる。よってレクト・プログレスはこの件をシステムには最初から欠陥が潜んでいて、それが表面化した「暴走」ないし「誤作動」だろうと判断し、運営全般を任せている子会社ユーミルに全システムの一時停止と部分初期化を指示したが、幻想郷より待ったが掛かった。
「擬似的な意識が芽生えておるかもしれん! その儚い双葉を摘むわけにはいかんぞ、人類の叡智、とにかく偉業なのじゃ!」
ALOの総責任者、アスナのお兄さんへ意見したのは嘉手納アガサ。ソードアート・オンラインのメインフレームを管理していたシステムそのもの、「最初のカーディナル」が実体化した幼女賢者だ。特別に許可をもらったアガサが最高管理者権限ID「ヒースクリフ」でアルヴヘイム・オンラインにログインし、クラインへ仕様外の反応を見せたスクルドと面会した。会見後にアガサは語る。
「スクルドだけでなく、ウルズとベルザンディも疑似人格の苗を育んでおった。作り物であるとすら自覚しおって、つぎはどのクエストに呼ばれるのか再登場を楽しみにしていたぞ。あの三柱は過去・現在・未来を司る時の女神という設定じゃから、ALOのカーディナルがプレイヤー行動をチェックできる機能を与えおった。それで人間たちの冒険を眺めてるうちに、AIがプログラム的な自我を持ったんじゃな。かつてSAOでも何人ものNPCが似たような性能を獲得してたものじゃ。たとえばエルフ戦争キャンペーンのキズメルがそうじゃな。ワシは彼らのうち、ユイしか助けてやれなんだ。SAOのリセットは多くの可能性を失わせてもしまったのじゃよ。それがALOでまた起きておるとは、ワシにとってこれほど嬉しいこともほかにないぞ――むろんアルヴヘイム・オンラインのカーディナルも、口が利けるなら人間臭い応答を示すであろうよ」
これがニュースのトップを飾るやいなや、ALOのユーザーが一挙に五万人増えた。アガサの正体が元カーディナルであることは、とっくに知られている。八雲紫の指示により戦略的な情報公開を決めた。秘密にしていたのは最初の一年だけで、ほとぼりが醒めたころに出自を明かしたんだ。世界の種子の評判がいいからか、世間の反応は「べつにいいんじゃない?」だった。人間の技術より生まれたプログラムが、死にたくないと願って妖怪になった。その事実だけでも、幻想郷に圧倒されがちな日本人にとって小なりといえども朗報だった。
アガサの尽力で自我モドキたちの安全が確保された数日後、私はただのアリスとして歌手デビューした。
* *
「どうして私がセンターで歌うの? まだ一ヶ月なのに」
「そりゃアリスが一番人気だからだぜ。日本人は洋物に弱い」
魔理沙の口調に悔しさやひがみは感じられない。霊夢に対してはコンプレックスの塊なんだけど、単純に売れればなんでもいいみたいだ。
「紫さまの思惑、見事に当たりましたね。人間に必ず見えるアリスさんなら、三番手への起用も安全で確実、正解です」
妖夢は根が善良で裏をあまり考えないから、いまは良い方に取ってくるのかな。これは素直に喜んでおいていいのだろうか? すこし複雑だ。だって私は自分がデビューした裏事情を知っている。
二ヶ月前のことだ。
『てこ入れ?』
家へやってきた幻想郷最大の賢者が、ゆかいな話を持ちかけてきた。
『あなたは新たなスターとなるの。マスパみょんの人気は頭打ち、伸び悩むどころかゆっくり下降中よ――私はひとつ重大なことを忘れていたわ』
『魔理沙も妖夢も彼氏がいるってことでしょ? それ込みでデビューさせたと思ってたけど、違ってたの?』
『……私の化石みたいな感性では男どもの我が儘を予想しきれなかったのよ。底が浅いのかそれとも業が深いのか、ほんの二〇〇年前なら良人がいようが美への賛辞なんて不変だったのに、いまはプライベートや背景も含めて包括的に売り出さないといけないなんて、二四時間三六五日の生活すべてが「仕事」じゃない。難しいわね芸能って』
『そこで私なのね』
最初から乗り気で、もうデビューしたつもりでいた。美しくて可愛い容姿が初めて人と自分の役に立つ。あちらの魔界ではエサ扱いでろくなことがなかったから、踏みにじられたマイナスぶんを今度こそ取り返したい。美とは本来、賞讃されてしかるべきなんだ。日本の魔界を見習って欲しい。
『あなたは元人間ゆえに超常を信じない人にも見えるから、ちょうどいいわね。それに初恋すらまだって聞いてるわよ。アリスという名は無垢の象徴でもあるし、ルックスも服装センスも満点』
『生きてゆくのに必死で、恋どころじゃなかったのよ。孤独に慣れてしまった私の内面なんて深海のような暗黒、無垢から何光年も離れてるわよ?』
心や性格は顔に出るともいうけど、すくなくとも人妖にはあまり当てはまらない。たとえば紅魔館のスカーレット姉妹は姉と妹でまったく性質が違うのに、外見から受ける印象はほとんど変わらない。
『いいのよ外面だけで夢を見せられるなら――ところであなた、歌はお上手だったかしら?』
『そんな瑣末な事、どうでも良いと思うけど? 私の劇を見てるならそんなこと、いまさら確かめる必要もないんじゃなくて』
正直なところ私の歌唱力はと~~っても高く、ゴスペルから演歌までこなせる本格派だ。あまり名誉なことではないけど、幻想入りまで孤独でいた時間が長かったせいでいつも暇を持てあましていた。人形の服を作りながら何年もハミングしてるうちに絶対音感と豊かな声量が身についてしまった。独唱は音痴になりがちだけど、カラオケみたいに魔法を仕込んだ人形に採点させてたからね。ついでに演技力と構成力もある。人間の里で人形劇を披露するようになって、すでに二十数年が経った。魔界ではなんの役にも立たなかった人形遣いの腕が、幻想郷だとみんなを笑顔にする。だから私は全力で張り切れたし、これで下手なほうがどうかしてる。
生まれつき西洋人形のような容姿を得た。派手な見た目にふさわしい中身でいたいと、たしなみへの努力を怠らない。たとえ人とあまり会わない暮らしをしていても、それがアリス・マーガトロイドの生き様だ。いくら人付き合いが苦手だからって、田舎者にだけは見られたくないから。
おかげさまでファーストシングルはヒットチャートの一位を爆走中。ソロでのアーティスト名は『アリス・イン・ワンダーランド』。この場合のワンダーランドとは幻想郷のことだろう。マスパみょんと合わせた三人のユニット名はあえて付けず、アリス・イン・ワンダーランドとマスパみょんの連名で歌う。こうすればマスパみょんの固定ファンがアリスへ反感を持ちにくくなるらしい。というより芸風が違いすぎて一緒にできない。あちらを偶像とすれば、私は完全に歌手だ。
ステージ上のアリスはいつも人形に囲まれている。スペルカードルール対戦では武器を手にするこの子たちも、歌となれば本物の楽器を持って即席の楽団だ。録音ではなく自前での生演奏、それも私の売りとなった。まさに不思議の国のアリス、ワンダーランドの舞台が幕を開ける。
妖夢や魔理沙には悪いけど、今日のあなたたちはどこまでも引き立て役よ。都会派魔法使いアリス・マーガトロイドを輝かせるバックダンサーになってね。
「華麗に鮮烈なヒートアップよっ!」
……あとで気になってネットで評判をチェックした。
『懐古趣味がじつに似合う』『一九世紀みたいで綺麗だと思います』『昔の貴族やお姫さまみたい』『幻想郷の洋物担当だよね』『大英帝国の古き良き空気』『ネオ・ゴシックロマン!』『クラシック名曲のカバーを聞いてみたい』
おおむね好評だった――好評なのだけど!
「どうして誰も都会的とか、今時とか新しいって言ってくれないのよー!」
薄々でなくともはっきりくっきり分かってたけど、私の都会派ってかなりセンス古いと思う。それこそ一世紀半くらい。
……翌朝事務所より届いたファンレターも似たようなものばっかりで、古典派のように見なしている。たしかに西洋の魔界は文明的に遅れていた。まさにその風土で育ったから、借り物やイメージといった真似事ではなく「そのもの」で、ゆえに新鮮さをもって受けている。でも中には感想や励まし以前な突拍子のない妄想も混じっていて。
『今日も僕に笑いかけてくれてありがとう。愛してるよアリス。七月三日の午後六時に約束通り秋葉原駅前で待ってるから、今度こそ愛を語ろう。前みたいにすっぽかさないでくれよ? シュピーゲルより愛を込めて』
「うわっ危険な香り。すでに昨日じゃない――って、事務員チェック抜けてるわよ!」
手紙の類はみんな他人が目を通して、大丈夫なものだけ送ってくる。そうしないと芸能人なんてやっていられないから。
* *
はじめてセンターに立って三日後の七月六日、日曜日に合わせてダイシー・カフェでパーティーが開かれた。三週連続でシングル一位を達成したお祝いと、エクスキャリバー入手の打ち上げを兼ねている。
「いやー、連れられてマスパみょんも久しぶりの三位! めでたいぜ!」
昼間から思いっきり酒が入ってる魔理沙。ここは「日本」なのに……霊夢ですら巫女に復帰してから酒は夜に留めている。幻想郷の習慣がなかなか抜けないようで、夜から収録あるのに大丈夫かな?
パーティーに集まったのはクエストへ参加した人および風林火山のレギュラーメンバーのうち、関東地方に住む者が二〇人ほど。さらに魔理沙やシリカといったダイシー・カフェの常連に、輝夜と鈴仙まで混ざってる。あとは幻想プロダクションの職員が何人か。ユウキは残念ながら生番組の出演で欠席だった。歌手ではないから、昼間はたいていタレントの仕事が入ってる。
ユージーンの中の人と初対面だけど、ひょろ長い痩せぎすのお兄さんが豪華なサイン色紙を渡してきた。すでに魔理沙や妖夢のサインが入っている。なぜか和人と明日奈も。
「そのカチューシャ似合ってますよ……あの、大ファンっす。サインください」
ぼそぼそと小さな声でしゃべる。身長だけは一八〇センチ以上あって立派だけど、体重は五〇キロくらいだろう。ALOで見る将軍のイメージとまるで正反対だった。はるばる九州から飛行機で飛んできたとか。
「慣れてなくて遅いけど我慢してね?」
ゆっくりと書く。自前で魔導書を執筆するから我ながら字はきれいだ。崩し文字や妙な記号化はせず、装飾アルファベットで丁寧に筆記した。術の使い手は言葉や文字には力が宿ると知っている。だからサインといえども「崩す」のは勘弁で、魔理沙もサインは綺麗な字体で書いてる。妖夢はアイドルらしく丸っこい字だけど、なぜか筆ペンを用いる毛筆体だ。
ユウキの姉ラン、リアル名で紺野藍子から礼を言われた。
「ずいぶんと遅れてしまいましたが、お礼を言わせてください。ジュンの命を救ってくださって、ありがとうございました。幻想郷のみなさんにはどれほど感謝の言葉を連ねても伝えきれません」
スリーピング・ナイツの件で、直接に会って礼をしたかったらしい。あのときは四グループに分かれて七人を治してまわり、諏訪子が紺野姉妹を、パチュリーがシウネーを、紫がノリ&テッチ&タルケンを、私は魔理沙を助手にジュンという男の子を担当した。リアル名は純くん。彼を蝕んでいた病気は癌だった。未成年の癌は進行も早く、抵抗力も低いから治療が難しい。大人なら何年も猶予があってその間に治せる例も多いけど、若年者ではとたんに死病と化す――転移の有無をミクロのレベルで把握するのに手こずり、魔法による「非接触手術」は一時間半近くにも及んだけど、なんとか成功した。いまでは夜間中学に通って、二年遅れの高校進学を目指しているそうだ。
私たちが起こした奇跡のあと、怪しげな心霊治療の流行は幸いにして来なかった。時を置かずエイリアン・ショックが起きたので、みんな確実な医薬に飛びついた。おかげで私も無事に歌手をやっていられる。
パーティーはつつがなく進み、お祝いされる主役ふたり、キリトこと桐ヶ谷和人と、アリスこと私、アリス・マーガトロイドってそのままだけど、並んで記念撮影だって。芸能界デビューしてから私への態度が変わった人も多かったけど、この和人って子はまったく変わらない。ALOですでに三回も冒険してるのに、いまだに自然体を装った他人行儀って、奇妙な演技ね。人付き合いに餓えながら、幻想入りの日までついに友人を持てなかったから分かる。不遇だった独りぼっちが、環境の変化によって仲間に恵まれるようになった。それでも過去の自分から脱皮しきれず、条件によって昔の顔が覗いてしまう。私はおそらく和人に過去を思い出させてしまう、緊張を強いるタイプの女なのだろう。彼女となった妖夢は彼にとってリラックスできる女の子だ。妖夢も剣士ゆえの闇を抱えるけど、それでもナチュラルに可愛い性格だからうらやましい。女の私が一緒にいて癒されるんだから、男はなおさらだ。
撮影が終わるとみんなして適当な日常会話だ。和人の周りには彼を慕ういつものメンバーが集まっている。私は普段なら外野なんだけど、撮影直後もあっていまは中に混じっている。
珍しく和人より話題を振られた。
「そういえばアリスさん繋がりなんだけど、面白いバイトをしてるんだ。えーと、ソウル・トランスレーションという次世代かさらにその先のフルダイブ技術なんだけど、そこでいまテストダイバーをしてる」
GGOの騒動では総務省のアルバイトを通じて関わっていたと聞く。進んだフルダイブ技術とやらも一貫なのだろうか。なら紫が予言していた魂の秘密に迫る研究のことか?
「ソウル・トランスレーション……魂の翻訳? すごい大袈裟な名前ね。それがどうかしたの」
「詳しくは機密事項だから言えないんだけど、ラースの開発スタッフが『アリシゼーション計画』と呼んでるんだ。アリス化、アリスを目指す――そんなところだと思う」
「それこそ機密事項に抵触するんじゃないの?」
「あれ? そうかも」
話題のためだろうが、口の軽い少年だ。この子に幻想郷の重大事項は教えてはいけないってのは紫やアガサの共通認識らしいが、身をもって理由を体験した。和人に対して隠し事が苦手な妖夢も、さまざまな情報から意図的に隔離し置き去りにされている。ただひとり、明日奈だけは紫よりレクチャーを受けているらしい。
「ルイス・キャロルが出版した不思議の国のアリスによって、この名には純粋や無垢のイメージがつきもの。とくに創作や象徴的な意味で顕在化するわよね」
「アリスさんの芸名もそこを?」
「そうね、思いっきり便乗してるわ。ただアリスにはもうひとつ、キャロルが込めた隠れた意味があると言われてるの」
「……隠れた?」
「無知ないし未知よ」
和人は五秒ほど黙っていた。
「それは意外な単語だな。どういう根拠で?」
「不思議の国のアリスは、キャロルが知り合いのリデル一家とピクニックに行った際、リデル家の末娘アリスを主人公として語った即興ストーリーを起源とするわ。あまりに受けが良かったものだからまとめて本にして贈ったんだけど、そのタイトルを『地下の国のアリス』というのよ。迷い込むのは『アンダーランド』であって、『ワンダーランド』ではない。ワンダーランドって訳せばおとぎの国よ。それってどの文化圏でもあるていど定型化されてるものなの。たとえば日本だと時代劇っていくつもの決まり事やお約束があるわよね。でもアリスが冒険したのは当時あった特定の神話や伝承に惑わされることのない、まったくでたらめの地下世界、様式化された不思議ではなかった。広く知られるワンダーランドは、出版バージョンすなわち一般向けのタイトルだったの――なにしろ不思議の国のアリスは、その後の新たなスタンダードとなったんだから」
私のアーティスト名は「アリス・イン・ワンダーランド」。高名な著書「Alice's Adventures in Wonderland」から「アドベンチャー」だけを抜かしてまるごと使用するんだから、インタビューなどに素早く答えられるよう学習は完了済みだ。無知や未知が潜むという説はわりと知られている。
「つまりアリシゼーション計画には、ランダムというか不特定や不確定な要素が大きいというわけか。仮想現実はきちんと用意されたシナリオを体験するものだと思ってたんだが。それが物語という表現装置だよな」
「開発者がなにをしてるのか知らないけど、つい先日もエクスキャリバーのクエストで人工知能のゆらぎに振り回されたばかりじゃない。案外そこは、決まってないことのほうが圧倒的に多い世界だったりして」
「面白い話だな。仮想現実の進歩はシナリオすら定めない段階に行くのか」
「そうかもしれないわね。ところでソウルなんとかって新技術は、どこまでリアル世界に近いの?」
「じつは本試験は仕様的に『覚えてない』んだけど、『記憶を持って帰れる』初期のダイブでは……そこが現実かどうか見分けが付かなかった。動き回ればちゃんと汗をかき、転べば痛いし怪我までする。服を着ている感覚まであった。土を掘ればまるで土や砂の一粒まであるようで、SAOやALOとはまるで世界が違う。妖夢たちにはすでに話してるけど、かなり驚かれてるよ。ただし商業ベースでの実用化はしばらく難しいと思う。現状だとあまりにも装置が巨大なんで、あれでゲームサーバの維持なんて元が取れるのかどうか」
今度は私が何秒か黙る番だった。
フルダイブ中の記憶が消える? ……これって、まさか紫が言ってたやつに付属する現象じゃないの? まだ二年とすこししか経ってないわよ? いくらなんでも早すぎるわ。
「どうしたんだアリスさん?」
「――いえ、ちょっと魔法的にね。そういう世界でのエフェクト処理はどうなるのかなと想像しちゃって」
「魔法の試験もあったけど、エフェクトと呼ぶべきか分からない。あの輝きはもう、デジタル的なものとは違っていた――」
和人の語りはつづいてるけど、私はべつの思いに捕らわれていた。
二年前の三月、SAOより起こされた紫が言った。人間が近いうちに魂のデジタルコピーや保存に成功すると。
人妖の本体は魂だ。それは肉体から離れたすこし位相のずれた「異相」に漂っている。その特徴は記憶情報や生物情報の高次記録にある。ゆえに妖怪の肉体は物理的な限界や常識から解放される。妖怪を信じない人間には見えなくなるし、肉体のDNAは意味をなさない。肉体の脳が持つ記憶もおなじ。純粋な妖怪は放射能だらけの環境でも生きていけるので、放射性元素にまみれた地獄でも平気だ。炎で焼かれようが冷たい氷に漬かろうが、簡単には死なないし、銃で撃たれてもけろりとしている。ゆえに破魔の武器は術の掛かったものだ。異相を抜き魂を直接攻撃するためで、魔物には相応の準備が必要だった。
ラースという会社が成功したのは、人間の意識や魂に関してのもの。おそらくは量子的な力場のパッケージを用い、異相でない同位相のまま、脳と完全に重なった状態で干渉・制御・コントロールする特殊なデジタル技術。出力方法は仮想現実だ。人間の魂は肉体と一体化してるから、そのふるまいは常時、物理的に作用する。記憶・知覚・思考といった行為は電子とシナプスの動きだし、DNAやほかのたんぱく質もその粒子・分子としてしか働けない。
従来の仮想現実は電子や粒子へと直接かつ物理的に働きかけていた。魂が動かした電子の動作結果を検出し、仮想現実へと反映させていた。それを脳の電界に囲まれた光量子――魂の側を量子的に直接検出し、「物理的・電子的なプロセス」をカットしてフルダイブへと量子的に出力していく。そのとき和人の脳は物理的にどうなっているのだろう。未知の領域だし、情報が少なすぎて推測しかできない。たぶん明日奈を通じて紫はとっくに知っているだろう。深い考察は賢者に任せることにして――記憶に残さず魂のほうを操作する技術を、すでに日本人は手に入れようとしている。
「量子コンピュータか……ずいぶんと早く実用化したわね」
「アリスさんもそう思う? やはりソウル・トランスレーター――STLは純粋な量子コンピュータだと」
適当につぶやいたのだが、いつのまにか会話の流れに合っていたらしい。
「リアルと見分けがつかない世界は、通常の情報処理技術ではとても再現できないわ。秒間に処理すべきデータ量があまりにも巨大すぎる。ほかに答えはない」
「数世代後のシード・ネクサスが楽しみだ」
それへ私は答えなかった。紫の予言が正しければ、STLなるものは確実に「軍用」の技術だ。和人と接触している菊岡は総務省職員であると同時に自衛官だから――はたしてゲームのレベルへ降りてくる日は来るのだろうか。記憶をブロックできるなんて、その気になればいくらでも悪用できると言ってるも同然だ。なのに和人はのんきにテストへ参加して、デスゲームに巻き込まれたときの危機感が欠如している。
菊岡が和人を量子世界のテストダイバーに選んでいる理由は明白だ。仮想世界との親和性や才能もあるだろうが、幻想郷への牽制、一種の人質として扱えるからだろう。幻想郷にとってこの少年の利用価値はおおきい。妖夢と和人の仲が順風であるかぎり、妖怪と人間は手を取り合えると世間さまに信じ込ませられるし、本当にそうなってくれなければ困る。妖夢の性格も和人の性質も浮気や裏切りなどとは無縁で、遠距離恋愛や関係維持に持ってこいだ。誰にでも未来が見えるから、日本の側も桐ヶ谷和人を利用したがっている。
この現状を紫は黙認してきたし放置してきた。それはおそらく、運命を視るレミリア・スカーレットがそうすべきだと言ってきたからだろう。SAO・ALO・GGO、いずれもレミリアや紫が絡んでそのつど和人は強引な「成長」を果たしてきた。
そこより導かれるのは、アリシゼーション計画に和人がより深く関与するだろうというシナリオ、そして幻想郷も関わる運命。
幻想郷のゆくえについて思いを馳せていたからだろう――だから驚きよりも「やはり」との認識が強かった。
その見知らぬ痩せた少年がパーティーに紛れ込んでいた事実も。
なにかに取り憑かれたような濁った目で、私へと銃とも注射器ともつかぬ見慣れぬものを向けている。
「アリスサァアアアン、ナゼナンダ、ナゼキテクレナインダ……」
ああ、これが「事件の始まり」なんだなと、冷静に考えていた。
プラスチックと思われる安っぽい外見は、使い捨ての医療器具かなにかだろうか? だけど人間向けに作られた道具や薬物で、人間でない私に干渉できない。魔人としての本体はアリス・マーガトロイドの肉体とズレているのだから。たとえこの侵入者の目的が物理的に達せられたとしても、効果としては及ぼされない。第一目標がクリアされても、それは第二へと繋がらない。
ただし人間であるなら違ってくる。
「危ないっ」
正義の味方としてSAOを戦い抜き、その後も勝者の側としてずっと表舞台の輝きに照らされてきた英雄。
黒の剣士キリトが現実でも勇者らしく動いた。
どのような紆余曲折があったか知りようもないけど、もはや日陰者の悪としてしか自己を主張できなくなった襲撃者の暴力が、ターゲットとなった私でなく桐ヶ谷和人に降りかかり――彼の胸に当てられたプラスチックの銃がプスンと、空気の抜けたような締まりのない音をたてた。
何秒かして明日奈の悲鳴があがる。
ほぼ同時に妖夢が暴漢を組み伏せていた。瞬時に腕の骨が折れるいやな音がして、気弱な悲鳴をあげた少年が気絶し泡を吹く。場数を踏んでる妖夢はまるで容赦なく、最善とおぼしき行動を取れる。恋人は盟友の明日奈に任せ、さらなる被害の拡大を防ぐよう最大限に動いている。周辺に視線を投げかけ、ほかに不審者がいないか探っている。剣士だけあって、こういうときは早い。かつて大切断事件とやらで役立たずになったそうだけど、交際開始よりすでに二年半、恋が弱さとなる時期はとっくにすぎていた。でもその顔には涙が伝っている。動揺はしてるようで、とっさの怒りから襲撃者の首を折ろうとしたところを輝夜に止められた。このような非常時は冥界守護の筆頭剣士として活躍してきた妖夢の怖い面が出るところだ。悪即斬は伊達じゃなく、彼女は「殺し慣れ」ている。
店の中はもうパーティーどころじゃなく大騒ぎだ。私だけが動かず、ただ立ちつくしている。
「ごめん明日奈。ごめん妖夢……」
被害者となった少年はもうひとりの恋人、明日奈の腕の中で意識を失った。
「もしもし、たったいま――」
魔理沙が電話で救急車を呼んでいる。でも何分かかるだろう。
終わりの始まりが、いまやってきた。なんの毒物を注射されたか知らないけど、桐ヶ谷和人は絶対に死なない。そういう運命に導かれてこの日を「無事」に迎えたに違いない。二年以上をかけ目的をもって鍛えられた和人がなんらかの試練に立ち向かい、幻想郷の未来も切り開く。たぶんそうなる。
――レミリアに紫、こうなるって知っていたのね?
「呼吸してないわっ!」
蒼白な明日奈と、今度こそ狼狽して硬直してしまった妖夢。
和人の胸へ両手を当て、人工呼吸を試みている明日奈。だけどそれは最善ではない。
「無駄よ。毒物のショックで呼吸が止まったなら、息を吹き返してもまた同じ、毒が阻害してくるわ」
「アリスさんお願い、魔法でなんとかして! 和人を助けて!」
さすがに息が止まったままだと危ない。アルヴヘイムなら死者すら蘇生できるアスナも、この場では普通の女子高生・明日奈だ。現実でもヒーリングの魔法を操れるのは私しかいない。すぐさま明日奈とかわり状態確認の魔法を使う。毒物の同定は後回しだ。まずは生命活動の維持を――
――やはり心臓のほうも止まってる。心肺はひとつながりだ。
混乱を広げるだけなので危機的な状態は告げない。口に出さず緊急マッサージの呪文をつむぐ。外部より間接かつ強制的に自律神経を操る魔法で、悪用すれば対象の心臓を止めたり脳内出血を引き起こし、即死させられる恐怖の禁呪だ。魔界出身ですべての属性を操る私だからこそ使える。心肺停止より三分あまりで無理矢理に脈拍回復、さらに呼吸を安定させ――毒物のせいか筋力をうまく制御できない。筋肉を侵す薬かなにか? ここはもう一段階、魔法を上書きする必要がある。電気的な刺激でコントロールできないため、念動によって直接、強引に動かす。私が人形を操るときに用いる魔法技術の応用だ。
「魔理沙、毒物のタイプを特定して」
「わかった」
心臓を規則正しく動かしつつ呼吸も戻す。大変な二重操作が軌道に乗るのに五分近くも要した。毒はなお効いていて和人を殺そうと攻撃をつづけている。早く中和しないといけないが私には余裕がないので魔理沙任せだ。和人の脳に酸素が足りないし、うまく血の流れを維持できない。なんて強力な毒なの。
「こいつは……筋弛緩剤だぜ!」
フォローに入ってくれた魔理沙の走査魔法で毒物の種類は特定できた。でも具体的な薬名が分からない。妖夢が暴漢の意識を刈りとったのが仇になっている。それに気付いた妖夢が少年を激しく揺さぶってるけど、完全に気絶したままだ。
中身がわからない以上、魔法を継続使用して筋弛緩剤に抵抗しつづけた。遠くより救急車のサイレンが聞こえてきた。やがてカフェの扉が乱暴に開かれ、救急隊員が数名かけつける。そのひとりが凶器を拾ってすばやく分解していた――なんてこと! 現物を見れば早いのに、そんな基本的なことにすら誰も思い至らなかった。それほどまでに私も動転していたのか。
「……サクシニルコリンだ!」
内部容器のラベルを読んだ隊員の叫び――その薬物名には聞き覚えがあった。GGOで発生した輝夜&鈴仙への殺人未遂事件で一躍有名になったから。もしデス・ガンが狙ったのが人間であれば、確実に死者を出していただろう。実際、和人は死線をさまよっているし、私がいなければ死んでいる可能性もある。正体不明の毒物と戦いつつ呼吸および心臓を同時に操るなんて、ほとんどの魔法使いには荷が重すぎる。複数の人形を使いこなすマルチタスクな私でなければ、まず無理だった。
五分あまり呼吸が止まっていたし、その後もサクシニルコリンのせいで正常からほど遠い状態だったので、脳へのダメージが心配だ。だけど命さえあればどうにかなる。幻想郷の超常を総結集すれば、スリーピング・ナイツを助けたときのような奇跡を起こせるだろう。
レミリア・スカーレットめ……
もしかすれば私が歌手デビューした真の理由や、聖剣クエストを経てパーティーに参加する資格を得たのも、すべてはこの事件のためではないのか? 暗殺者を呼び込んだのは私、さらに和人をかろうじて救ったのも私。それならばアリス・マーガトロイドこそ運命の紡ぎ手に翻弄された盤上の駒、いい面の皮だった。
* *
緊急搬送された桐ヶ谷和人に明日奈がついていったけど、私や妖夢は同行できなかった。プロフェッショナルの面目と意地もあり、妖怪流の「あやしげな治療」は丁重に断られた。SAOの英雄は脳にダメージを受けてる可能性が高いが、パチュリーの魔法を使えば難なく治癒できる。脳のシナプスが物理的に破断しても、光量子の魂に情報が残留していればそこからサルベージできるのだが、そういう原理を説明しても理解されないだろう。
ラースの研究者たちを除いて。
歯がゆいがこれもおそらく紫やレミリアが見通していたシナリオだろう。彼女たちが静観している以上、私も勝手に動くわけにはいかない。いま幻想郷は大事な時期で、たったひとつの誤りからなにもかもが台無しとなる。そんな中でもろくに情報を与えられず、ゆえに自由な振る舞いを許されてるのが魂魄妖夢だが、この子は生死の瀬戸際にいる恋人を求めもせず、すべての仕事をキャンセルして冥界に戻ってしまった――いったいなぜ?
こんな事態では芸能活動に集中できないし、魔理沙も相棒を欠いて仕事にならず、事件から数日後に一時的な休暇をもらい、揃って幻想郷へ戻ってきた。
一ヶ月ぶりの幻想郷はあまり変わらず、静かな田舎と呼ぶにふさわしい山奥の秘境のままだ。エイリアン・ショックによる急速な近代化が進行中だけど、私や魔理沙の家がある魔法の森は幻想郷でも過疎地域、道らしい道すらない。
休暇ついでに新しい人形を作ろうと思い立ち、裁縫道具を取り出す。私は人形を一から造るというよりは、集めた既製品を元に工夫を施し、着飾るやり方を好んでいる。なんだかんだ言って木型より組むような本職の人形師には適わない。消費者としての人形好きであって、人形遣いだ。東京で最新のドールを五体仕入れ、持って帰ってきた。幻想入りする古いものと比べたらじつに技術の進歩を感じられ、可動部も多く複雑な動きが可能だ。
「……さて、どんな人形にしようかしら」
私の人形は金髪ロングが多い。そういう子を好むが、たまにはほかの色もいいかな? ――と思いつつ、結局金色の植毛ヘッドを選んでいる。
玄関でトントンと、扉がノックされた。
「魔理沙? それともパチュリー?」
『……声が、アリスと違う』
なんと若い男の声だった。
しかも思念波? 頭に響くようなものではなく、空気そのものを震わせてしゃべってるような感覚だ。すかさずオープンの思念で返す。
『どこから迷い込んだ亡霊かしら? 私はアリスだけど名字はマーガトロイド、この森に暮らす魔法使いよ』
『ごめん、僕の勘違いだった』
短いけど誠実で素朴そうな声だ。
扉を擦り抜けて入ってきたのは、痩せた十代後半の少年の霊体。日本語で話してるけど日本人には見えない。髪はうすい茶色で、瞳はなんと黄緑色。すくなくとも「ただの人間」でもない。変わっているのは服装で、まるで近代西洋みたいな懐古趣味のシャツ姿だった。もっとも幻想郷は総じて古いまま止まっている。私も一九世紀みたいと言われる始末だ。
『金髪に青い服。たしかに聞いてた通りでアリスに近いけど、何年も封じられていたアリスが成長してるわけもないし……』
『勝手に自己完結しないでくれる? 人違いのおわびに、まず名乗りなさいな』
『僕は――ユージオ。上の名はないただのユージオ。死んだばかりで年齢は見たままだ』
『ふうん、死後の世界を抜け出してきたってわけね……なりたての死人にそんなこと出来ないわよ?』
『一緒に天へ召されたはずの大事な人が「来なかった」ので、探すため天の門番を突破してきた』
『……まさかあなた、天界を実力行使で出奔してきたというの? ありえないわよ、その細腕で天人に勝てるなんて』
天人は強力な種族で、妖夢ですら苦戦する。
『僕の強さは関係ない――魔法使いなら、人探しを頼めないだろうか。名はアリス・ツーベルク、年齢は一一歳くらいだ』
ユージオは死ぬには若すぎるけど、彼の探してるアリスも幼い。でも同情も憐憫もない。人間とはすぐ死ぬものだ。
『若くして亡くなったなら、善でも悪でもないからたいてい中間の冥界行きね。まず天国には来ないわ』
『僕にはあなたに恩を返すことができないけど、事態は一刻を争うらしいんだ。僕の故郷と――戦友で親友の「キリト」が、さらに「もう一人のアリス・ツーベルク」が危ない』
……どうやらまだ休ませては貰えないようだった。
※マザーズ・ロザリオとキャリバーの順番が原作と逆
心身ともに健康となったユウキが、冒険する姿を書いてみたかった。
※プレイヤー側のHPが初期値で数百しかなく、育てても五〇〇〇台がやっと
原作ALOのチートキリトはスキルアップボーナスを大量にゲットしており、初期四〇〇から推定数千へ大増量、ルグルー回廊でサラマンダー部隊の魔法集中攻撃に耐えた。五〇〇〇はアニメ二期マザーズ・ロザリオ編OPが根拠。