三〇 後:エイリアン・ショック

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ソード妖夢オンライン5/二五 二六 二七 二八 二九 三〇

「――ネイティブフェイスで結ばれた神域なんだ」
 およそ二時間をかけて語り終えた神さまの表情は、おのれの生き様を後悔してないって誇りに満ちている。きっちり結果を残せたもんね。守矢神社の本殿が静謐な余韻に包まれてるよ。いつもなら社務所か拝殿なのに、わざわざ本殿で話をしている。集められたのは十数名。境内よりひぐらしの声が聞こえてくる。
 諏訪子さまって想像以上に波瀾万丈な人生を送っていて、綺羅星のようなキャストの皆さんと関わってきたんだね。まさかあの至宝の剣を、妖忌お師匠が使ってたレプリカのオリジナル物を見たことがあるなんて、しかもヤマトタケルが握ってるところを目の当たりにしたなんて……剣士として羨ましいなんてもんじゃないよ。そのときの諏訪子さまになりたいくらい。
「……ヤマトタケルさまのサイン欲しいな」
 神さまのご縁で貰えないかなあ? 白玉楼の記録だと、ヤマトタケルは死後、まず黄泉に落ちて大国主の幽明審判を受けたんだ。「てめえ人を殺しすぎて気にくわないから鬼ね」と幽鬼にされてた。仏教伝来で地獄が発足してからは、鬼として働いてたと思うよ。そこから一転、この世へサルベージされた。生前の美しい姿を取り戻して神になったんだ。冥王の判決だろうと覆しちゃうんだから、人間の信仰力ってすごいよね。
 なぜか和人の顔をしたヤマトタケルさまと記念撮影してる妄想でにやにやしてると、後頭部ぱしーんって叩かれた。ハリセンで。
「みょーん?」
「いきなり脇道に逸れないで……本番はこれからよ」
 心を読む能力を持つ、古明地さとりさまだ。SAO以来ハリセンを持ち歩いてて、性格も前向きになった。聖女と言われるほどのカウンセラーだったから、それが彼女を支える新しい誇りになってる。
「……さて、わざわざ私の来歴をつぶさに開陳したのは言うまでもなく、どうして私がユウキを救いたいと思ったのか、その気紛れを理解して貰いたかったからだよ。人をまんべんなく救うのが役目なのに、実際の神さまは平等や公平からほど遠い存在だ。私はまず第一に自分の命を大事にしつづけ、つぎにミシャグジたちと建御名方にこだわった。全力で動けば洩矢族の王族くらい、ひとりやふたりは救えたかも知れない。でも動こうともしなかったんだ。まだ二~三歳の子供もいたけど、残酷に見殺しにしたよ」
「それは……救おうとしたらそれこそ諏訪子さまが危険になるからでしょう? みょんな私なら洩矢王国滅亡から五年後の大逆転までに、間違いなく一〇回は死んでますね。現代生まれで本当に良かったです」
 物語のヒーローは見も知らぬ子供ひとりのために命を投げだそうとするけど、それは彼らが「必ず」勝利するからだ。正義と信じた蜂起も九割九分までは非業の結末を迎える。諏訪子さまには一分の勝算すらなかった。せっかく建御名方が助けてくれた命を保つには、どれほど悔しくとも我慢して時機の到来を待つしかない。
「まさにその通りだよ。あのとき建御名方がすでに安全になってたから、ごめんねと号泣しつつも心の中では冷静だったんだ。人間側の王族が絶えていれば、大和側が警戒すべき対象は格段に減る。未来の反乱や激発を大幅に予防できる。なにせ私はつねに神権のみで、王権の座に登極した実績がなかったからね――私もそれを知っていたから、あえて見捨てたんだ」
 紫さまの扇子が閉じられた。ぴしっと諏訪子さまを指す。
「見捨てて正解よ。ヤマトタケルの戦いはね、その半分が反乱鎮圧だったの。当時の大和王権は甘い領地経営が裏目に出て慢性的な内乱状態だったんだから、禍根となる血をなくすことに熱心だったのよ。吉備王権なんかそっくり大和に乗っ取られるだけじゃなく、旧領域を四ヶ国へ細分されてしまったほどよ。ほかにも北方の高志も大和の血に染められ、おなじく四ヶ国へ分割されたわ。二六代に継体天皇って人がいるけど、遠く高志から迎えられたから『継体』なのよ。数世代前に大和の血へ入れ替えられてたから、後顧の憂いなくそんな無茶ができたわけ。足利御一家や徳川御三家とおなじで、中央の『宗家』を絶やさないための保険ね。だから地方王権に大王家以外の血脈、とくに男系が残存するなんて論外。どれほど前線の大将軍が許しても、朝廷が時間差で因縁を付けては処刑して回ってた――洩矢族の王家を、ましてや男子を助けようとしたら、間違いなく諏訪子、あなたは連座で殺されてたわよ」
「……古代の政治ってやつは怖いな。あのとき殺された王族には男の子もいたよ。私は『女』だからヤマトタケル急死の祟り騒動ていどで見逃してくれたのか。たしかに私の子らは王位請求はもちろん復権すら考えなかった。女系ゆえ喪失したと思い、発想や行動に至らない。多くの血統が男系に正当性を求めるのは、婚姻による合法的な簒奪を防ぐためだよな。女しか入籍できないから、どれだけ強い野望を持った男であろうとも外戚止まり。非合法な手段、血のクーデターや脅迫による明け渡しでしか成り代われないわけだ。運がいいんだな私は、女でいて心から良かったと思うよ。男系の血を見過ごして滅亡に追い込まれた例なんて、それこそいくらでもある。もっとも有名なのは、平清盛が女の助命嘆願を受けたばかりに、その頼朝や義経に平氏が滅ぼされたやつか……大物を演じた代償が、巡り回って一族滅亡。盛者必衰、ご苦労なことだ」
 八坂神奈子がくすりと笑った。この話へ乗るつもりだ。
「現実があまりにも運に満ちて残酷だから、諏訪子もたまには特別な奇跡を起こしたいんだな。幻想プロダクションのおかげで信仰と神力が回復してるから、神としての責任――身勝手に差別する『祟り神』の御技を、久方ぶりに果たしたくなったのか? それで白羽の矢をユウキに立てた……もしかしてあの子、あんたの子孫のひとりかい」
「そうだね、それもある。ユウキはたぶん私の子孫だ。神だから電子世界であっても感じられるよ――あの子が人妖の中で私を気にしてくれたのも、私との血のつながりゆえだろう。もう感傷にすぎない、ただの自己満足だ。なにせ明治以降、神の家族の血が日本中へ急速に拡散して、いまや日本人の一割くらいに洩矢神の血が混じってるから、ありふれた縁だ。まあ天皇家の血なんか沖縄を除いて日本人ほぼ全員が持ってるけどさ。ユウキに一連の話をして、最後の瞬間に失言から傷つけてしまった。それで個人的なフラグが立ったのさ。一時の申し訳ないって気持ちから動くように、あまりにも些細な動機だよ。私と彼女は、出会ってまだほとんど経ってなかったし、深い仲になってるわけでもない。それでも救ってやりたいと思ってしまった。ああ、どうしようもなくな。とるにたらない同情と薄い血縁から、幻想郷を挙げて奇跡を起こしたいと思ってしまった。この救いで源平合戦のような悲劇にはならない。幻想郷が平家のように滅亡するなんてあり得ないと思ってね。もし問題があるなら、どんどん言ってくれ。『白羽の矢』は悪い意味でも良い意味でも使われる。ユウキの矢はどちらに傾くんだろうね? 私の感性や判断力は基本、一二歳のガキから抜け出せないから、読みにも限度がある――妖夢、データを提供して」
 諏訪子さまに促され、私は半霊にぶら下げてる携帯端末へと視線移動。小型ディスプレイですでにスタンバイしてたユイが解説をはじめた。
『第一の救済ターゲットは紺野木綿季(こんのゆうき)さん。性別は女性、年齢は一三歳四ヶ月。医療用フルダイブシステム・メディキュボイドの臨床試験に参加し、一日二四時間の大半を仮想現実で過ごしています』
 紫さまの扇子が閉じた。
「思ったよりも若い子ね。メディキュボイドは知ってるわ、デスゲームだったSAOの能動版よね。たしかまず『終末医療』でっ……なんてこと」
 紫さまの発言に、空気が重くなる。最新医療でありながら死を前提とするとは、積極的に後ろ向きだ。でもそうするしかない悲しい現実も人間にはある。どうしようもない病気はあきらめるしかない。気力や祈りでどうにかなるものなら、人間はみんな一〇〇歳以上生きるだろう。
 深呼吸した紫さまがつづける。
「……ユイ、彼女を蝕んでる死に至る病はなに?」
『後天性免疫不全症候群――AIDS(エイズ)です』
「免疫って?」
 質問者は黒谷(くろだに)ヤマメだ。種族は土蜘蛛で、病気を操るていどの能力を持つ。この場に集められてるのは、私を含めてユウキを救えるかも知れない可能性や能力を持ってる者ばかりだ。立会人としてレミリア・スカーレット。今回の仕掛け人らしい。
 医者の八意永琳(やごころえいりん)が説明する。
「食べ物って常温や水分が多いとすぐ腐るわよね? 生き物でそれを防いでるのが免疫よ」
「……なるほど、そこら中の雑菌に生きながら食べられてしまう病気なのね」
「正確には細胞単位の免疫機構は残ってるから簡単には食べられないけど、元締めの免疫細胞がやられてしまうのよ。喩えたら交番とお巡りさんはいても警察署やパトカーがどこにもないってイメージでいいかしら」
 人体を構築する数十兆個すべての細胞が最低限の防疫機能を持っている。免疫細胞が反応・指令・急行するまでいちいち待っていられない。
 豊聡耳神子が手をあげた。
「薬剤や療法の進歩でHIVそのものはけして恐ろしい病気ではなくなってる。エイズを発症しないかぎり簡単には死にはしない――たしか推定される平均余命も日本みたいな先進国では四〇年を超えているわ。これは今後延びることはあっても短くなることはない。なぜ末期状態の重症化したエイズで、継続してフルダイブが可能なの?」
 HIVはエイズの元となるウイルス、免疫が弱くなって症候が出ればエイズと言われる。
『彼女はまだ重症化まではしてませんが、長期生存の見込みもありません。だから無菌ないし滅菌環境を維持できるこの臨床試験へ継続参加してるんです――つまり、ただのHIVではありません』
「……変種、新型の類か。人口が増えた今生の病原菌は、恐ろしいからのう。私の仙術で救える限度を超えておる」
『紺野家は一家四人、木綿季さんと双子の姉の藍子(あいこ)さん、さらにご両親。その全員が多剤耐性HIVでした。主要な薬がまったく効かないんです。原因は出産時の大量出血による緊急輸血で、その輸入血液が数十万分の一という確率で検査をかいくぐった汚染血液製剤でした。二〇一〇年代に入って輸血でエイズに感染して、しかも薬まで無効……こんな事例は数千万分の一です。HIV保菌者でも〇・〇一パーセント以下でしょう。本当に運がないとしかいえません。父親は母親との性接触で。感染発覚まで四ヶ月かかってしまったため、家族全員が巻き込まれました』
 蓬莱山輝夜が手を挙げた。
「語り方が気になるわね。すでに誰か亡くなってるわけ?」
『今年の二月に、ご両親が相次いで』
 重い空気に、本殿内へ無言が落ちた。ひぐらしの声が変わらず聞こえてくる。私もなにも言えない。同時に感染したHIV。四人のうちすでにふたりが死んでいる。しかも命をくれた親が。残された双子の姉妹にも、いつ最期が訪れるか分からない。
 あぐらを組んでる藤原妹紅が沈黙をやぶった。
「……それでもあんなに笑っていられるの? とことん諦めない前向きな娘ね。救えるものなら助けてやりたいけど、私がユウキを生かすには不死者にするしかなく、体のある一部を食わせることでしか実現できないわ。人肉食なんてほとんど未開時代の呪術そのもので、倫理的に認められる医療の姿からかけ離れている――彼女の性格は知ってるつもりよ。他人の体を傷つけてまで助かりたいとは望まないわ、きっと」
 長い時間を生きる以上、人間の死など慣れている。その死にいちいち共感などしていられないんだけど、舞台を整え一個人のドラマとして語られるとまた話が違ってくる。それを諏訪子さまも狙っており、私たちはしっかり罠へ絡め取られた。
 すぐ死んでゆく人間の死や不幸へ、心を動かされたり同情なんかしてたら本来はキリがないんだ。人間の里はつい最近まで平均寿命が四〇歳代前半でしかなかった。急速に伸張中でいまは五〇歳前後らしい。すぐ六〇、七〇に達するだろう。それでも妖怪と比べたら短命だ。
 今回のケースの場合、積み重なった不運と状況が悲壮感を高めている。ユウキの明るさと強さを知ってる者も多い。彼女の母はキリスト教徒だったという。それがユウキのオリジナル・ソードスキル、十字の剣にあらわれている。
「参りましたね――まるで誰かの通夜みたいじゃないですか。これでは記事にできません」
 射命丸文が文花帖(ぶんかちょう)に書いてたメモにガリガリと破線を入れ、そのページを破り捨てた。
「諏訪子さんの話を聞いてしまったのと、ユイさんの語りが上手なせいで、私たちはユウキさんの特殊な症例にすっかり同情しています。ですが同時に幻想郷の奇跡を行使してしまう意味についても考えなければいけません。名代として、山の先住者として結論を先に伝えます――私たちは奇跡実行について、協力を公式に拒否します。これは天狗族および河童族、神族会議・仙人寄合・妖獣集会の総意です。石長姫(いわながひめ)さんらご隠居様方はどうでもいいそうなので、委任票扱い、よって総意として満場一致で協力しません。ただしほかの勢力がどうしようがその邪魔はしないと、天魔さまがおっしゃっています。ご自由にどうぞと。すなわち紫さんの方針は、これを消極的に支持します」
 東風谷早苗が残念そうに頷いた。現人神としての彼女の奇跡行使を決定するのは、主要な信者である妖怪の山の先住たちだ。
「具体的な内容を知る前からすでに結論を出してたとは、さすが幻想郷の要石、妖怪の山ですね。分かりました、私の奇跡は幻想郷の部外者、特定の個人へはむやみに使うなってことですね。初めて不治の病を救えるかと張り切ってましたが、私が不老になれたのも予言の力を得たのも文さんがた妖怪のみなさんが信仰してくださるおかげです。あなたたちの神として、私は自分への信仰に応えましょう。かつての諏訪子さまとおなじく、動かないことで」
 天狗たちが否と考えれば、早苗が助けたいと思っても奇跡は発動しない。曖昧な「奇跡」とはそういう類の能力だ。早苗の体を触媒として、信心の具現を起こしやすくする。
 つづけて黒谷ヤマメが手を挙げた。
「私は人を病気にするかしないかを選べるだけで、治療のほうはできないわ。諏訪子の話でいえば、ミシャグジさまの祟りのみだね。いちおう有益な使い道もあってね、致死率の高い悪疫の蔓延を防ぐことならできる」
 神子も首を横に振った。
「――私がユウキを救う手は限られている。一度仮死状態とし、尸解仙(しかいせん)へと蘇生する技しか知らぬ。それは人間をやめて貰うわけで、寝たきりの病弱な肉体に固定されてしまう可能性が高い。そんなの生き地獄じゃ」
 十六夜咲夜はにべもない。
「しょせん人間ですから私の時間停止は自身にしか及ぼせません。救済が可能だとしても断りますが。妖怪の山とおなじです」
 聖白蓮も消極的だ。
「私の魔法で治療は無理だけど、加齢や変化の停止はできるわ。ただし神子とおなじで寝たきりで固定され、いくらリハビリしようが回復しないし、術を解けば病気が再進行してしまう。特効薬や根治療法が確立されるまで待機はできるけれど……一度『不老』を体験した人間が『老い』の恐怖に耐えられるかどうか。ゆえに私は人の生死を魔法で救済したことがない」
 みんなの視線が私へ。ちょうど輪になっていて、いつのまにか順繰りに発言していた。みょーん、言いたくない。
「え、えーと……魂魄流の最終奥義と白楼剣を使えば、一撃でユウキを救えるそうです……紫さまの能力と併用で」
 紫さまが頷く。
「妖夢はすでに刻斬りへ目覚めてるわ。人間と恋をし、SAOへ努力で復帰し、和人と結ばれたいと望んだ――その経験や人生への展望がこの子の壁を破ったの。でも成長を知る半人ゆえ肉体が追い付かない。器よりも先に中身が成長してしまった、脱皮したくとも殻を脱げない芋虫のような状態ね。時空系統はいまのところ基本技しか使えなくて、宿因滅土(しゅくいんめつど)の解禁までまだ一五〇年はかかるわ。そこで私の境界を操る能力よ。一時的に半人半霊の人間属性を解除し、一〇〇パーセント妖怪属性の体とするわ。その状態で四苦八苦を断つ究極の活人剣をユウキに放てば解決する」
 神奈子さまが小馬鹿にするように笑った。
「でもそれ施術は『斬撃』だろ? しかも最終奥義にもなれば難易度は相当に高いはず、何年も練習してないと危険だよな。もし失敗すればどうなる?」
「……みょーん。まちがいなくユウキは死にます。スプラッタ」
 いくら白楼剣に霊的なもの以外への殺傷能力がないといっても、オーバーキルという意味だ。ものが刃物である以上、刃の通ったものは斬ってしまう。
「却下だ却下。確実に救えないと意味がない。一五〇年後に出直しな半熟剣士」
「面目ないです」
 みんなが笑ったよ。みょーん、情けない。そうなんだ……私がここにいるのは、ほとんどユイのご主人として。彼女の優れた情報収集能力のほうが主役だったわけ。だから言いたくなかったのに。
 つぎは輝夜だ。
「私の加速と停止は、月人と蓬莱人を除いて排他的に働く。ユウキの時間を止めれば、意識は維持できないわよ。一種の冷凍睡眠になる」
 レミリアが尋ねる。
「ユウキの時間を止めたまま、治癒可能な未来まで現状維持で寝かせておくのは?」
「無理ね。自動的に働きつづける魔法や呪いとは違うから、私がその場から離れるか、注意が逸れればすぐ解除されてしまうわ。蓬莱人にするのは論外だし、そもそも薬が何処にもないしね。不老不死にするあの薬、月の都じゃないと製造できないのよ」
 つづけてパチュリー・ノーレッジ。
「私自身が虚弱ってこともあるけど……ノーレッジ家の魔術には、病気を治したり怪我を癒すものも多いわ。さすがに死者蘇生は原理的に不可能だけど、HIV根治魔法くらい数週間もあれば開発できるわ。科学が発展したおかげでね。HIVは限定環境下でヒト細胞からの駆除に成功してるし、特殊な骨髄移植もある。残念ながらまだ実用化には至ってないけど、科学で筋道が示されている。以前は人体について分からないことだらけだったから、魔法での治療にも限度があったの。私自身、なぜ治癒魔法がそう振る舞うのか、じつは半世紀前までろくに理解してなかった。いまは遺伝子や分子反応レベルで細かいところまで明かされてきてるから、それらを取っかかりとしていろんな高度な治療が出来るわ。でも提供は断りたいところよ」
「パチェも気むずかしいわね。いいじゃない人間のひとりくらい」
「冗談言わないでレミィ。一度でも助ければ、あとは雪崩を打ってつぎつぎに救いの声へ応答しなければいけないってジレンマよ。どうしてもお金持ちになって、しかるに悪意を引き寄せてしまう。精霊魔法の性質上、代価は必ず受け取らなければ精霊との契約に反するから、奉仕活動なんて無理なの。そのうち財産狙いの悪党に襲われ、命を落とすでしょうね。寿命がない者の末路なんて悲しいものよ。いつか誰かに殺されるために生きてるんだから、諏訪子のお話にはいたく共感したわ。誰が好きこのんで殺される確率を上昇させたがる? ばかばかしい。力を持つ者は相応に世の役に立つべきだって大国主の思想なんか、鼻で笑ってやる」
「黙って行えばいいじゃない。誰にも分からず。なんなら報酬は私や諏訪子が払うから」
「死病が勝手に治るのよ? 神さま仏さまありがとうなんて、宗教権威が失墜して久しい日本で通用するわけないじゃない。かならず幻想郷の関与が疑われる。幻想郷の暮らしを守るには、法外な治療費を設定するか、または冷酷なくじびき制にして、窓口を物理的に狭めるしかないわ――むろんレミィも分かってるわよね?」
「ほかの魔法使いたちも聞きたいね」
 魔理沙は首を横へ振った。
「三〇年ちょっとしか生きてない私にHIVは手に余る。私が作る回復系の魔法薬はすべて、滋養強壮や免疫活性、代謝促進だぜ。漢方チックだな。病気にならないよう頑張りましょうって医食同源の思想だから、もし救うならパチェやアリスの助手でもしてるよ。いい機会だから西洋的なやり方も学んでおきたい」
 アリス・マーガトロイドは自信満々だ。
「全属性をマスターした七色の魔法遣いに不可能はないわ。HIVを滅ぼす白魔術なんて、自立人形と比べたらはるかに簡単よ。HIVのパターンを識別し、副作用のないマーカーを送り込み、ウイルスの活動を停止させ、固定した状態でウイルスおよび潜伏した免疫細胞をピンポイントで破壊して回る。ここまで二時間から三時間ってところかしら。三週間もあれば最適化した術式に落とせるわ――でも使用は躊躇うわね。理由はすでにみんなが述べた通りよ。自由意思で動く人形たちと暮らすって夢があるんだから、今後の魔法人生を制限されなければいけないなんて御免よ。ユウキちゃん個人は助けてあげたいけど、ひっそりと誰にも悟らせない状況を作り出せないとダメね。歴史を食べる慧音(けいね)の協力を仰ぎたいところよ」
 氷の妖精チルノ。
「魔法使いが治せると言った以上、あたいの冷凍睡眠はもう必要ないな」
 冬の妖怪レティ・ホワイトロック。
「私もおなじね。単純に凍死させる危険もあるから、魔法で短期に治療できるならそれを支持するわ」
 カーディナル・システムの具現した姿、嘉手納アガサ。
「ワシはこの類の重要な話し合いをつぶさに見ておかねば困る立場なのでな、おるだけじゃ」
 八雲紫さま。
「人体とHIVの境界を分離すれば終わりよ。私の能力に失敗はありえないから、開発期間すら不要、いますぐでも治療できる。問題点はすでにみんなが指摘してるから、諏訪子が頼んでもやりましょうって安易に動けるわけじゃないけど。いろんな病気を治療してるうちにマフィアの収入源を脅かしてしまい刺客でも送られたら、人間との見えない戦争になるわ。私たちが暗殺者に襲われても平気なのはいまのうちだけよ。そのうち銃の一撃で簡単に殺されるようになる――これは絶対に覆せない既定路線だから、そうなる可能性を抑える方向で動くしかない。古代の名医だって華佗(かだ)をはじめ幾人も俗人どもの思惑で殺されてきたわ」
 レミリア・スカーレット。
「うふふ、私は華麗なるただの黒幕よ。私の力では彼女を救えないけど、ユウキが助かる運命は視えてるわ。これだけは宣言しておく――彼女は幻想郷が救うとね。あとは着陸のしかたを模索するだけ」
 フランドール・スカーレット。あらゆるものを破壊するていどの能力を持つ。
「……『えいちあいぶい』が何かを完全に理解できたら、そのイメージを握りつぶせば綺麗かつ安全に破壊できるわ。すこしでも誤解してたらユウキって子を死なせちゃうから、あまり使いたくないけど。魔法使いたちやお姉さまと違って頭あまり良くないから、今回は辞退させて」
 八坂神奈子さま。
「面白そうだからこの場に混ざってるだけさ。私のご利益に病魔平癒はないね。ただし救済には全面的に賛成するし協力も惜しまない。それが神としての本能であり役割であればこそね」
 洩矢諏訪子さまが人差し指で宙をなぞり、光る文字を書いた。「御射軍神」とある。
「正直自慢だが、こう書いて御射軍神(みしゃぐじ)と呼ばれることもある私は、大国主が評したとおり歩く軍隊で、小さな幻想郷だ。いまもって一六〇〇種以上の能力を統括してるから……ユウキを治癒するだけなら可能だろう。HIVが特殊な大病であるだけに、まだミシャグジたちと確認は取り切れてない。私が自分で勝手に動かなかったのは、やはりみんなで話し合って万善を期したいからだった。レミリアの予言もあったしな」
 古明地さとりさまが手を挙げる。諏訪子さまが心を読む彼女をわざわざ呼んだのは、救いへの流れを補強したいからだろう。
「みんな嘘はついてないわ。賛成の有無に関係なく、ユウキが救われるのはほぼ決定事項と見ていい――あとは方法と展開。その要素を握ってるのが……最後のあなた」
 全員の眼が、月の賢者へと注がれた。
 永琳が腕組みをして迷惑そうにレミリアを見ている。
「……お膳立てまでして、真綿のように追い詰めてきたわねスカーレットデビル。それって永遠亭が保有してる超越の医療技術を、世間に向けて公開しろってことじゃない。しかも里の人間にどれだけ懇願されようが恨まれようとも解禁しなかったレベルのものを」
「ご名答。どのみち幻想郷がオープンになれば避けられない道よ。智恵の神で天孫降臨にも同行した八意思兼(やごころおもいかね)の直系が薬師をやっている。SAOで外部よりいろいろやってたのも同一人物――かならずオファーが来るわ。しかもしつこくね。ならば盛大に売り出せばいい。ユウキ救済はそのちょうど良いきっかけと宣伝になるわ。現代科学の洗礼を受けた妖怪や神や魔法使いは、その正確な知識を元にかつてない高度な奇跡を提供できるんだから。人間たちがまともな勝負をするなら、おなじ系列でありながら人の手でどうにかなるレベルにまで還元された技を『買い取る』ことでしか対抗できないし、また難病に苦しむ患者たちもそれを望むだろう――私たち奇跡の使い手は数がどうしても限られるからね」
「私が悠久の歳月をかけて開発してきた秘術の数々よ、いったいどれくらいの値が付くのかしらね」
 悠久の歳月? さらりと怖い表現が出てきたような気が。
「せいぜい高く売り付けてやればいい。世界中が欲しがって、軽く二〇兆円以上にはなるだろうね。あとは勝手に人間たちが応用・研究に勤しむだろう。幻想郷は獲得した資金でたとえ米軍に急襲されようが平気な防備でも確保すればいいわ。なんなら日本側の幻想郷に相当する土地を買い占め、来るトラブルを防止しておく手もあるわよ」
 レミリアには私たちが世界最強の米軍と戦う未来でも視えてるの?
「たかが二〇兆円ってずいぶん安いわね、私の久遠(くおん)。まあ薬の開発は表向きの顔のわりに趣味だったから、実際にはせいぜい数パーセントほどかしら。というか私の自由には使えないんだそのお金――私の人生ってどういうわけかずっと献身ばかりよね。姫はどう思う?」
「……これは協議が必要ね。須臾(しゅゆ)、『アクセル・ワールド』!」
 輝夜が叫んだ瞬間、その姿がブレた。直後、輝夜の周囲にカップラーメンの空容器が山と積み重ねられていた。永琳が輝夜の隣に瞬間移動していて、妹紅がその後ろで横になって昼寝している。周辺におかしの空き袋や携帯ゲーム機が散らばっていた。
「――話が終わったわ。永琳お願い」
「不運にも約一名の不死者が巻き込まれたが、蓬莱人で『六泊七日』熟慮した結果、永遠亭は保有する価値の一部、医療技術に関して――治療対象を純粋な人間へ限定しかつ魔法等を使用しない内容について、幻想郷の活動資金源として提供することにしたわ」
「協力ありがとう。これで私たちの幻想郷は救われるわ」
 レミリアがなんと深々と頭を下げている。とても珍しいものを見た。
「永琳の三〇〇〇万年ぶんを提供するんだから、レミリア、永遠亭に一兆円くらい渡してよね。真の価値が公になるからには、永遠亭はもはや千客万来でいられないのよ。仕込んでおきたい万象がいろいろあるの、私たち月人にしか出来ない秘儀の数々でね。それには大金がかかるわ」
 輝夜からどえらい数字が出てきたよ……たしかに輝夜の加速・永遠の能力を使えば、一秒を一月にも一年にも引き延ばして活用できるだろう。たったいま私たちの目の前で瞬時に一週間を越えて見せた。永琳は個人の研究で量子力学とその高度な応用にまで辿り着いた大賢者だから、実年齢よりはるかに長い時を過ごしてるとは思ってたけど、三〇〇〇万年で数パーセントってことは、すくなくとも五億年以上の時空を生き、月の都の発展にたった一人で尽くしてきたの?
 ……人類が総出で二〇〇〇年かけて辿り着いたよりも高い位置へ一人きりで登るには、たしかに何億年かは必要そうだ。どれほど有名な学者や発明家でも、生涯で突き止める真理・偉業は参考書の一行から数行に収まってしまう。しかもひとつの発明発見の裏には、数十倍から数百倍の時間と規模を必要とする「基礎研究」もある。私の剣技だって膨大な修練と錬磨あってこそ、その一パーセント以下の実戦で確実に結果を残せるんだ。
 新たになにかを成すには、とにかく時間が掛かる。可能性を片っ端から当たるしかない。輝夜も付き合ったかもしれないけど、無限に等しい何億年間も孤独な探究をつづけるなんて、並大抵どころの情熱じゃない。神の血を引いてる影響ゆえにしても、想像もできない深いものがありそうだ――
 レミリアが握手を求め、永琳さらに輝夜と強く手を取り合った。
「永遠亭の条件、たしかに了解したわ。かならず有意義に使うって約束する。まちがっても無駄にはしない――これで決まり。私に金勘定はできないから、換金や運用は紫とアガサに任せるわね」
 あっけらかんと二〇兆円以上相当らしい技が提供されることになった。具体的な金額が最初から出てるのは、そこまで含めて視てたからだろう。常識的な流れではとてもありえない。まさに運命を操るレミリアにしかできない奇跡のゴールだ。妹のフランもお姉さま~~って眼が星になってる。私が和人にときめいてるときの顔だよ。
「なんて面白いこと! これこそ幻想郷ね」
 紫さまが本当に心底から楽しそうな笑顔を見せている。ただしなにかを含んでそうな怖い笑みでもある。
「レミリア、あなた幻想郷を財団か大企業にでも仕立てる気? 政府が黙ってないわよ」
「フレンドごっこから元のアイドル路線へ切り換えたくせに、分かってるでしょ紫も。いずれ辿り着くべき状態があって、これが自衛への最短ルートだって。何事も立ち上がりが一番危険なんだから、極端な蓄財で干渉を許さない段階まで突き抜ければいいのよ。アガサはどう思う?」
 茅場の思考パターンをデータベースに持つ嘉手納アガサが、しばし黙考し無言で頷いた。
「普段より人間どもからの接触は永遠亭に関するものが最多でな、どいつもこいつも醜悪な欲の皮を幾重にも被っておる。ワシもかねてから永遠亭の科学技術や医療技術をどうしようか考えておったが、協力を依頼したところで断られると判断し手札には入れておらなんだ。それを一人の少女への同情を利用してこうも簡単に引き出してしまうとは、レミリア殿もやるな……剣舞郷異変では最後の端でプリティに大馬鹿を晒したくせに、ここで最高の一手を打ってきおったか。おそらく妥当で最善じゃと思う。激しい泥縄の利権争いになりそうじゃが、日本政府や製薬会社との交渉はワシに任せておけ。全力で防波堤になってやろう。茅場も言っておったが、苦難の果てようやく幻想郷へ辿り着いたおぬしらに、いまさら汚い世界は見せたくないからのう」
「プリティに大馬鹿は余計よ。せめてカリスマに大馬鹿って言って。私はどんな状態であろうとも意地でもカリスマなんだから」
 機嫌をすこし損ねてるように見えて、気分良さげなお嬢さまだった。これで幻想郷での立場も強化されるだろう。見た目にそぐわぬ政治家ぶりだ。
 劇的な展開に興奮した文がメモを殴り書きしてる。カメラではたった二枚しか写してない。おそらく文章だらけの大ボリューム号になりそうだ。
「あやややや! これは困ったことに――もとい、面白いことになりましたね! 結界消滅後の年金と思って妖怪の山のみなさんがせっせと金儲けしてるのに、永遠亭と紅魔館とマヨヒガ連合が一発大逆転ですか。記者としてがぜん気合い入りますよ。大天狗たちの表情が蒼白になりそうで、楽しみ楽しみ」
 射命丸文自身はどうでも良いみたいだ。紙面が盛り上がれば良し。超特大のスクープだよねこれ。
 文に感化されたのか、魔法使いたちが相次いで手をあげる。
「――レミィ、さっきの発言を撤回するわ。治療には全面的に協力する。だって金持ちのレベルが桁違いだもの。一〇兆円単位の資本力が構築するセキュリティーは王侯や大富豪に匹敵するから、幻想郷にはもはや国家権力や軍隊しか手を出せないわね」
「私も気分転換に医者の真似事をしてみたくなったわ……ユウキちゃんと諏訪子にすっかり感情移入しちゃったんだもの、仕方ないじゃない。それに永遠亭の医療技術が公開されるなら、私たちの奇跡もあまり目立たないで済みそうだし」
 パチュリーとアリスが賛同を示し、さらに魔理沙と聖白蓮。
「おっ、私はアリスの助手になるぜ。後学のため、いろいろ見て覚えたい」
「それなら私はパチュリーさんの助手に立候補しましょう。精霊魔術の体系に興味があります」
 紫さまも扇子を広げて御機嫌だ。
「むろん私も参加するほうへチェンジよ。だって諏訪子はユウキが第一目標と言ったわ。つまり彼女の姉はもちろん、ユウキたちの闘病仲間も同時に助けようって魂胆なのよね? そのほうが世間の注目も分散される。私ならいろんな病気へ同時対応できるし、治療にかかる時間も数十分で済むし、瞬間移動で何人でもつぎつぎハシゴできるわよ」
 神子が手をあげた。
「紫の助手に私を使ってくれ。気のコントロールで患者の体調を整え、心を落ち着かせるくらいならしてやれる」
 幻想郷と仙界に篭もって不動だった聖徳のルーツが、ついに公の前へとそのお姿を示すときがきたようだ。でも聖徳太子みずから治療に来たと知ったら、たいていの人は緊張と恐縮でカチンコチンになってしまうんじゃないかな?
 諏訪子さまが嬉し泣きしている。
「……ありがとう。みんな、本当にありがとう」
 鼻水まで垂らして感激してるよ。冷静に見えて、かなり本気でユウキを助けたかったようだ。ほんのわずかしか関わってないのに。他人に近い少女でありながら、なにが諏訪子さまをここまで感情移入させたのだろう。それはこの方の話を聞いた私であっても、その深淵を知ることは適わない。私は魂魄妖夢であって洩矢諏訪子ではないのだから。
 だがことは大きくて目立つ。医療は日本だけでも年間何十兆円もの大金が動く世界だ。権利関係も複雑に交差している。多剤耐性エイズを一介の土地神さまが完治させたとなれば、世界中を駆けめぐるトップニュース、反響は激しくまちがいなく壮絶な大騒ぎになる。日本国内だけでなく世界各地から難病死病の患者が諏訪と八ヶ岳へ押し寄せるだろう。勝手に動いて奇跡を示せば、どのような悪影響が幻想郷にもたらされるか分からない。すでに紫さまとレミリアを通じて「役割」を知らされていた諏訪子さまは、その役目を果たそうと動き、みんなを集め相談の形をとった是非の話し合いに懸けた。途中まで反対も多かったけど、勝負に小さな神さまは勝ったんだ。良かったね諏訪子さま。もらい泣きしていたよ私。
 ――あれ? 私、なにもしてないよ? 笑われただけっ。
 ……みょーん。
     *        *
 薄暗い廊下。天井から床まで全面が白い、簡素にして清潔な空間だった。ライトさえ白く、単色に包まれたフラットなホワイトの世界。窓が一切ない。そして夜のような静けさ。外からの音も光もまるで届かない、遮音の行き届いた研究施設みたいな場所だった。
 その統一感をいきなりやぶる、場違いな人間が登場した。二十代半ばほどの小柄な美女で、マイクを持っている。
『……みなさん、テレビ神奈川です。ここは病院なので、小声で失礼しますよー。はい、彼女が科学の時代に蘇った本物の神さま、諏訪子さまです』
 カメラが横に振れ、いつもの恰好をした諏訪子さまを映し出す。こちらも風変わりゆえ場違いだ。女子レポーターが一度マイクをわきに挟み、両手を合わせて諏訪子さまを拝んだ。
『諏訪大社のおまけ、洩矢神だ――おっと、カメラはこちらか。よろしく』
 神さまも小声。テロップ紹介が出て「洩矢諏訪子(幻想郷)/種族:国津神(諏訪信仰)」と表示された。
『とても可愛らしいお姿ですが、こう見えて彼女は三七〇〇年以上も生きておられる日本最古の女神さまらしいです』
『正確には人間と完全におなじ姿をした女の神としてだな。神そのものはもっと前からいたさ。蛇とか鹿とか(いぬ)とか蛙など、身近な動物の形を取ってね』
八百万(やおよろず)の神ですね。あらゆる物に神や精霊が宿る』
『人間たちの豊かな想像力のおかげで、長生きさせてもらってるよ。信仰あっての神だ。その逆はない』
『さて神さまといえば奇跡やご利益ですが、諏訪子さまもお使いになられると』
『諏訪信仰の範囲であれば、いろんなことが出来るね』
『なにかと話題の多い賑やかな幻想郷ですが、またもや特大の技を見せてくれるそうですね。今回のびっくりはなんでしょうか――』
『ここ病院の施設だよね』
『そうですね。いかにも病院です。それも並のスペースではありません』
『難病患者用の特別区画だね。つまり――さくっとHIVでも治療しようかと思う』
 神さまがごく気軽に言ったけど、内容の重さにレポーターの反応が遅れた。たぶん打ち合わせと違うのか、それとも初めて聞かされるのかな。
『……さっ、さくっと治療ですか。と、ととと、特効薬を開発できればノーベル賞は確実とされてる難病ですよね』
『なあに、諏訪の神々に不可能は……死者蘇生とかは無理だけど、たいていのことは出来るさ』
『医療免許もないのに?』
『こんな見かけだけど医者の真似事もやってきたよ。迷信じゃないまともな大国主の技で、洩矢の民を中心に何千人も助けてきた。健御雷に呪われた健御名方の両腕を救ったのも私だ。天津神の呪詛を解ける私に、ウイルス疾患など敵ではない……』
『諏訪子さまの能力は土に申すものだと聞いてますよ』
『それは表の顔だ。私の本質はね、いにしえの祟り神なのさ』
 両手をぱちんと合わせ、聞こえないほど小さな声で祝詞を高速詠唱。
『おいでませ我が朋友、長野県のミシャグジども!』
 すると諏訪子さまの周囲に、数々のしゃべる動物がうぞうぞと沸き上がる。白い蛇やら手や足が長い男とか、頭が鹿だったり猪だったり、巨大な狼や犬、空を飛ぶ魚、足が三本の赤いカエル……みんな半透明だ。およそ三〇体ほど。画像がぐらりと乱れた。カメラマンがビビってるよ。
『……か、母さん、助けて』
 レポーターも気を失って倒れ込んだ。床に崩れる寸前で半透明の長い手が伸びて彼女を支える。手長さんだね。
『あらら、やりすぎたか。だから肝の据わったベテラン寄越せってリクエストしてたのに。そこのカメラマン、この百鬼夜行を見てもしっかりカメラを回し続けるとは、きみはプロ意識が高いね――倉橋医師、彼女の介抱をお願いするよ』
『治療プランはすでに聞いて安全性は確かめてますから、こちらこそ頼みました。あの子を救ってください』
 画面外から男性の声がして、数秒して画面内に入ってきた白衣の男がレポーターの肩を担ぎ上げる。ミシャグジに無反応ってことは、彼は初見じゃないみたい。
『担当医の許可もいただいたし、さっそく行こうかね。カメラマンくん』
 諏訪子さまと祟り神たちが「第一特殊計測機器室」と書かれてる部屋へ入る。スライド式のドアがすでに開いていた。半透明の祟り神どもに混じって無言のカメラもつづく。たぶんカメラマンさん、むちゃくちゃ怖いだろうけど、プロ根性でしっかり中継をつづけている。
 部屋の中にはさらに仕切りがあって、厚いガラスの向こうにべつの部屋が見えている。ホコリと雑菌を最大限に排除したクリーンルームだ。その薄暗い中に四角い機械と寝台があり、中に細身の体が横たわっている。八割以上が隠れてて見えないが、諏訪子さまとおなじくらいかもっと小さな体だ。
『デリケートな病気だから、患者の名前や正体は勘弁してくれよ。でもあの子の声を聞けば私がどうして治療したいと思ったか、その一部でも理解できると思う――聞こえるかい?』
『名前は言わないほうがいいみたいだねっ。すごいね神さま、カメラを通じてボクにも見えるよ。たくさんほかの神さま連れてる。さっすが土着神の頂点だっ』
 スピーカーより漏れてきたのは、まだ若い女の子の元気な声だ。とても死の病と闘病しているとは思えないような、ハツラツとした生気に満ちている。
『声でわかると思うけど、彼女は死ぬにはまだ幼すぎる年齢でね、恋のひとつすら知らない。フルダイブ環境下でクオリティ・オブ・ライフこそ維持できるけど、あくまでも仮想現実だ。本物には適わない。私は仮想世界で彼女と出会い、その境遇を察知してしまった。この子はなにも言わなかったよ。黙って去るつもりだったようだが、私が引き留めた。長く生きてこういった方面に敏感だから、いくつかのサインで分かってしまったんだ。神と知りながら救いを求めるでもなく健気に生きる姿を見てるうちに、気紛れから奇跡を使ってやりたくなったわけさ――阿弥陀万治郎(あみだまんじろう)
『へい姐さん。さっそく俺の出番ッスね』
 アフロ頭の大仏みたいな人間型ミシャグジが前へ出た。たしか諏訪大社下社の近くにある「万治の石仏」より発生した神だ。万治って年号のときに彫られたからそう呼ばれてるだけなのに、拝む人の少なからずが万病を治す仏さまと勘違いした結果、医療系のご利益を得たと聞いてる。
 諏訪子さまがカメラ目線で解説する。
『私の祟り神としての能力は、仲間の神にお願いし、その能力を使わせるものだ。ファンタジー系のゲームでいう召喚魔法や精霊魔法の使い手とでも思ってくれ。魔法を用いる非接触の儀式だから、いまから行う治療は補完代替医療、すなわち民間療法とおなじ扱いになる。信教の自由に基づき加持祈祷が代替医療の一種として認められてる以上、諏訪信仰の門徒たるこの子へ施す衆生の祈りも法律上は「いまのところ」問題ない。抗議したい視聴者は対応の遅れてる政府にやってくれ』
『神さま格好いい!』
『普段は途中を省いて効果のみ利用しているが、それでは細かい調整が利かなくてね。エイズの治療はそれなりに気を遣う技なんだよ。したがって本来の回りくどい求聞口授(ぐもんくじゅ)となる……万治郎、彼女が患者だ』
『オッス、失礼しやす』
 アフロ大仏が幽霊みたいにすいっと壁を抜け、隔離された部屋へと入っていった。
『ねえ諏訪子さま、この大仏みたいな人が私を助けてくれるの?』
『さすがに彼だけでは無理だね。ここに呼んでる二九柱のミシャグジ全員で治療する。阿弥陀の仏神でもある万治郎にできるのは「あみだくじ」にちなんだ「走査」だ。CTスキャンの心霊版ってところかな』
『ウッス、俺はお嬢さんの治療の舵取りをする船頭ッス』
『神さまでも万能じゃないんだね』
 ユウキの声には失望とかそういうのは感じられない。神もまた自然の一部なんだと、単純に理解したよって印象だ。物事の本質をすぐ知る頭のいい子。諏訪子さまが気に入るのもわかる。
『集団意識の信仰より生じるのが神だから、平均的な人間の想像力や理解を超える芸当が、つまり「判りにくい」ことは神の奇跡じゃ不可能なんだ。たとえば伝染病に苦しんでる人へ体力回復の術をかけたら、すくっと元気になるとみんな思ってしまう。だけど実際はそんなことすれば最後、病原菌までモリモリ増殖させちまって逆効果さ。お払いなどによる心霊療法の成功率が低かったゆえんだろうね。けっきょく医者のほうが優秀って話になる。感染症や病気の科学的な仕組みが解き明かされたのはつい最近だから』
『じゃあ死んだ人を蘇らせるのなんて――』
 ユウキの興味はわかるよ。オカルトの究極は不老不死と死者復活だ。彼女はすでに両親を失ってる。スリーピング・ナイツの友人もふたり亡くなった。どうしても関心があるだろう。
『悲しい現実だけど、おなじ理由で死者の蘇生も不可能さ。生きてるって状態を正確に理解してる人間がとても少なくて、誤解したまま神の奇跡になる。結果として生き返した瞬間に即死するかその状態にすら達しないから、超常の存在へと改造する以外の方法で蘇生させるなんて、神にも妖怪にもさらには魔法使いにも不可能なのさ。魔法に出来る現象すら人間の無意識、「大いなる凡庸」が決めてるんだよ。だから多くの民族のいろんな言葉で、さまざまな不思議が起こせる。飛んだり変身したり、なにもない空間から雷撃や氷や炎を出せるのに、一方で風邪ひとつ治せやしない。ここが科学と超常との決定的な差かな。もし医者か科学者ばかり数百人が一箇所に定住して特定のなにかを拝めば、一世紀くらいして発生した神はきっとすばらしい先進の奇跡を獲得できるだろうが――ま、小さなご利益をたくさん組み合わせれば、私たち古い神々にも大きな奇跡を起こせるよ』
『すごい賑やかな大手術だね。みんな治るといいな……』
 みんなとはスリーピング・ナイツの面々のことだよ。アリスやパチュリーに紫さまもいまごろべつの病院でテレビの取材を受けながら活動している。医療用フルダイブ機メディキュボイドは試作段階で維持費もかかるから、スリーピング・ナイツがみんな利用してるわけじゃない。ユウキの姉ランは一般病棟でアミュスフィアを使っており、雑菌への露出が多いぶん病状が進行してるそうだ。だからまだ体力に余力を残すユウキで先に「試す」んだ。ユウキ本人も了承済みで、うまくいけば続けてランもおなじ治療を受けると聞いた。
『幻想郷に任せろ。私たちの力を』
 諏訪子さまがまた両手を合わせた。一メートルほど宙に浮き、六芒星とカエルの姿がぼんやりと彼女を覆う。神々しい祝詞のしらべが室内に反響する。
 そこからはミクロな「奇跡?」の連続だった。ビジュアル的には退屈で地味だけど、起きてるのはエイズ史上初のことだ。
 ミシャグジを入れ替わり立ち替わり送り込み、ユウキの「手術」を非接触で進めていく。ユウキは麻酔沈痛効果のある術を断った。ペインアブソーバーで痛覚を遮断してるから、痛みがあっても判らないそうだ。アミュスフィアはリアルで痛覚や圧感が働けば即座に強制切断するが、終末医療用のメディキュボイドは「苦しみ」から解放するコンセプトによりセキュリティがないらしい。ナーヴギアはどうだったんだろう――初めて被っていきなりデスゲームだったから覚えてないや。復帰は憑依で私自身では被ってないし、デスゲーム終了後に国の強い要望で幻想郷のものもみんな回収した。
 痛みに関しては基本、生じないはずだと万治郎が言った。しずしずと進んでいく手術は二時間以上にもおよんだ。アリスや紫さまがざっくり言ったようなことを術で実現するには、何百ものプロセスが必要らしい。その一部始終を熟女に変身したソソウ神――石皿瀬白巳(いざせはくみ)が解説する。この蛇神自身はユウキの手術で役立つ能力を持ってないけど、完全動物型のミシャグジを統括しているリーダーだから、白巳がいるだけで頼もしいらしい。テレビ神奈川のレポーターが目を覚まし、途中から中継に復帰した。ユウキの担当医もミシャグジたちの質問にてきぱき答えている。人間が特殊な薬や大がかりな装置を使わないと出来ないことが、神であればその能力を持つ者が念じれば容易に現象として起こせる。見た目ではまったく変化が見られないが、ユウキをモニターしているセンサーの数値変化が物語っているらしく、倉橋医師が興奮している。ユウキの生命パラメーターが良好な方向へ推移してるらしい。
 ミシャグジや人間たちが動き回ってるのと対照的に、諏訪子さまはずっと清涼な呪文をとなえつづけている。耳に入るミシャグジの声や進行に合わせ、つぎつぎと先手を打ってるのだ。この場にいるミシャグジはすべて生き霊モードだから、諏訪子さまが能力を召喚しつづけないと満足に力を出し切れない。弾幕ごっこでも見せたことのない不断の集中力で、六芒星の魔法陣と三本足カエルがふわふわと神さまの周囲を巡っている。
 二時間一五分を回ったときだ。
『いまだ! 北斗逆秩里(ほくとさかつねり)!』
『待ってましたっ』
 諏訪子さまの叫びに反応したのは、人間サイズの灰色フクロウだ。縁が黒くて太いメガネを掛けている。彼女のご利益……じゃなく、祟りのほうだったかな? その力は「転移」属性で、悪いことをした子におしおきを下す。その神罰を今回、ミクロなHIVへと落とした。
『マイクロバリアンス神隠し!』
 フクロウの秩里が翼を広げつつ高らかに鳴いた瞬間、倉橋医師がいつのまにか手にしてたガラスのシャーレに黄色く淡い輝きが灯る。ユウキの全身もホタルのようにほのかに光って、その輝きが一段と明るくなった。これまでも一〇回以上は光に包まれてきたけど、それまでで最大の輝きだった。
『うっわー、眩しい! カメラセーブ、セーブ』
 ユウキも驚いている。
 ……二〇秒近くつづいていた光の奔流が急速に収まり、クリーンルームはまた薄暗い清浄へと落ち着いた。ユウキを取り囲んでいたミシャグジたちが、治療の指揮をとる万治郎へ注目する。部屋の外でもガラス越しにテレビカメラと諏訪子さまが、待機のミシャグジたちや倉橋医師にレポーターが、アフロ大仏をじっと見つめている。
『……反応、完全消去。除去率一〇〇パーセントッス。HIVそのものと、HIVに端を発する有機分子および疑い物質、さらに宿主細胞のすべてを駆除しきってるッスよ。これでもう彼女の体を蝕むエイズとは、オサラバッスね』
 数秒後、室内が歓声で沸いた。テレビカメラが倉橋医師が手に持つシャーレへ注目している。蓋をされた透明な硝子製のシャーレ内には、マイクロバリアンス神隠しとやらでユウキの体内中より転送されてきたHIV汚染分子が溜まっている――ほんのわずか、一ミリにもならない。黄色と赤で濁った体液の層ができている。
 エイズ治療を困難にしていたのは、HIVの嫌らしい特性にあった。免疫系には病原菌はもちろん菌に侵入された体細胞を破壊する機能もあるが、エイズの攻撃対象は免疫系そのものであり、四六時中免疫の中枢へ潜り込んでるうちに、免疫がやがて勘違いを起こすようになる。HIVウイルスが侵入した宿主細胞を異物と見抜けなくなり、攻撃しなくなるのだ。ウイルスは体細胞とあまりにも異質なので排除しつづけてくれるが、体細胞内へ逃げ込まれると最後、どうしようもなくなる。しかも免疫細胞のひとつヘルパーT細胞には休止期という機能があり、HIVに乗っ取られたままいつ起きるか知れない時限爆弾になってしまう。将来に備え抗体情報を保存するメモリー能力が仇になってしまった。こうなるとHIVキャリアは生涯に渡り高価な薬を飲み続ける必要があり、潜伏された細胞を直接破壊ないし無害化する薬が望まれていた。実験などにはとっくに成功しているけど、乗り越えるべき壁がたくさんあってまだ実用化に至ってない。
 それがついに、直接分離という原始的な形で実現した。
 テレビ中継をずっと見ていた私にも、現地の興奮が伝わってくる。
『ねえ、ボク。もう恐怖に怯えなくていいのかな……姉ちゃんと一緒に笑って歩ける日が、来るって思っていいんだよね』
 スピーカーのむこうでユウキがぐずっている。生まれてこのかた、ずっと少女を蝕んできた死の病。両親は帰らぬ人となり血を分けた姉も危なくなりつつある。このままだと一家全員が病気に敗れ、この世より消え去るところだった。親は間に合わなかったけど、せめて姉妹には幸せになって欲しい。
 諏訪子さまが手を叩いて、みんなへ号令を掛けた。
『感動してるとこ悪いけど、彼女はこれから緊急検査だ。医学と科学の確認を受け、きちんとした療治のもと一日でも早く元気になって貰わないとね――先生』
『HIVを人類ではじめて駆逐してもらっただけで十分です……あとは私たちに任せてください。彼女を蝕んでるエイズの症状をすべて治癒してみせます』
 諏訪子さまにできるのはHIVの摘出まで。エイズで失った免疫や体力、脅かされつつある視力、さらに進行中の脳症までは無理だ。このエイズ治療のため、四週間近くもかけて入念な打ち合わせとリハーサルを繰り返してきたと聞く。神の奇跡もこれ以上はつづかない。
 ミシャグジたちがクリーンルームから出て行くのと入れ違いに、反対側のシャッターが開き、看護師が数名入ってきて、作業を始めた。
『わあ……楽しみだなぁ。また外を走れるようになるんだ、学校にいって勉強ができるんだ。神さま、ありがとう』
『なあに私は祈っていただけだ。ミシャグジたちがいなければ、なにも出来なかったよ』
『みんなありがとう! 姉ちゃんもよろしく』
 諏訪子さまがさすがに疲れた顔で答えたよ。
『一日ひとりが限度だな』
     *        *
 激動の日々が始まった。
 長野県警が臨時に設置してた幻想郷の粗末なゲートが、諏訪子さまの治療パフォーマンスわずか一ヶ月後に石油王の豪邸みたいな門構えとなった。最新のセキュリティと、良質で強力なガードマンたち。むろん妖怪のほうが強いけど基本怠け者だし人間相手にはオーバーキルだから、人間には人間で対応するのが最善だろう。妖怪の中で真面目とされてる私ですらサボったり遊んだりするし、退屈な門番なんて妖怪に合ってない――紅美鈴(ほんめいりん)も大変だね。人間には妖怪よりずっと勤勉な子が多いよ。十六夜咲夜ってその優雅な瀟洒さからあまり言われないけど、人間だけにマジメ一徹さでは私より数段は上だ。
 幻想郷では木の電柱が一挙に埋没式に、立派な舗装道路やら、研究都市並の太い通信回線とか、どでかいパラボナアンテナとか、あやしげな研究施設などが次々と建っている。妖怪を総動員すれば人間には不可能な短期間で工事できるんだよ。金さえあれば最速でことが進む。これまで一〇年かけてすこしずつやってたこと、年単位の変化が、月単位に加速された。それほど永遠亭の寄付したものは巨額な財となって返ってきた。
 二五兆円。
 ……想像できない金額だよ。どうしようこれ。まだ正式な日本の一部じゃないから、幻想郷の収入に対する法人税はまだないけど、取引や取得に対する手数料や税金があって、三兆円以上が長野県や国庫、外国に持って行かれる。それでも使い切れないほど天文学的な大金が転がり込んできている。一兆円を永遠亭に支払っても、まだ超巨額。想像を絶するお金だ。長野県議会でも「どうしよう……」と棚ぼたに困惑してる。県予算が年間一兆円前後なのに、五〇〇〇億円以上の臨時収入が入ってくる。とりあえず県債の返済へ回すみたい。
 永遠亭は医療に関する保有技術の三分の一ほどを売り払うと同時に、ネットワーク世代の妖怪といえるユイ&アガサの能力を駆使して、無数の特許を主要国で平行申請した。その件数、日本だけでも一〇〇万件近くに達する。さらに論文も一〇万件、おもに先進各国で。それらの内容を見たとたん、世界中が『えーりん! えーりん!』となった。私の知識ではよく知らないけど、これまで停滞していた多くの分野や産業、学問で革命的な進歩が期待できる、ブレイクスルー的な技術や有望なノウハウ、発想の転換の数々がデカデカと記されているらしい。今後数十年で幻想郷さらに日本へもたらされる金額および経済効果は、五〇〇兆円をゆうに超える模様だそうな。
 一〇〇万の発明と一〇万の発見……その裏には未発表も膨大にあるらしく、発展途上にあった残骸や、すでに地上の人間が到達したもの、あるいはまだ公表できない危険なものや人類には早すぎるものも含まれるだろう。ここまで広く深くたったお一人で開発研究するには、たしかに何億年も必要ですよねー。
『エイリアン・ショック』
 経済用語としてすぐに定着する。永琳のエイリンを異星人のエイリアンに掛けたものだ。ノーベル生理学・医学賞を筆頭に数々の世界的な賞が贈られそうな情勢だ。
 幻想郷を日本の一部に!
 まるで油田でも見つけた勢いで国会を中心に立法の研究会やいくつかの委員会が相次いで発足した。これまで日和見を決め込んでた連中が手の平を返して積極的に幻想郷へ関わろうと動きはじめてる。幻想郷ブームも巨大な炎が灯ったよ。私や魔理沙がドサ回りで歌った諏訪市の幻想郷イベント、一一月の開催でいきなり一〇倍の五万人に増えてあっぷあっぷだったそうな。来年はじめは諏訪地方全体に広げて、まんべんなく集客を分散する方針で行くってさ。
 ヨーロッパとアラブを中心に『えーりん! えーりん!』ブームが起きている。月へ昇った神そのものではなく、従事した神と人間の子孫こそが大活躍。そのストーリーがキリスト教的さらにイスラム教的にツボに填ったらしい。神の代理人が世を支配するって便利な思想は日本だけじゃなかったんだね。
 世界中で神そのものと対話しようという動きが活発化していて、まずメキシコが大々的に報じた。ナトワル先住民の呪術師団が、ケツァルコアトル神との接触に成功したと。ジグラッドの頂上で翼を生やした巨大な蛇へ伏礼する一団の写真が公開され、真偽を巡って世界中で激しい論戦が展開された。紫さまは「あら久しぶりね。起きてたんだ」とおっしゃってたから、どうやら本物らしい。
 アメリカやドイツをはじめ先進国が科学的なアプローチを試みてるようだけど、みんな失敗するだろうって幽々子さまが笑っている。実際メキシコにつづいて接触に成功し「本物」と見なされたのは、インドのラクシュミー神やガネーシャ神など数柱、ミクロネシアでロア神、アフリカ大陸ではエジプトを中心に一挙に一〇〇柱以上との交信が実現するなど、伝統的な手法に頼ってるほうが成功率は格段に高いみたい。中国でも学者数百名を動員していくつかの「伝統儀式」が再現され、うちひとつがドンピシャで関聖帝君が北京(ペキン)に降臨した。三国志で有名な関羽さんに「一〇〇年以上も武廟に閉じ込められたままだったぞ! 清朝が滅びてからこちら、おぬしら何をしておったか!」と怒られたそうだ。信心の力は偉大で、ただの人間であろうとも霊界に魂が残っていれば神になれる。日本でも菅原道真さんがその辺の神よりもはるかに凄まじい神力を蓄えてるよ。天満宮や天神ってみんな道真さんだから。
 世界中で数千もの儀式が行われてるけど、超絶メジャーなイエス・キリストやアッラー神、ブッダ、ヤハウェ神の顕現には誰も成功していない。超常では人間の体を自由に治療できないのとおなじように、世界宗教にもなると起源に関する部分はさまざまな説がぶつかり合い、信心が相殺し合ってブラックボックス化するらしいね。
 世の中は『えーりん! えーりん!』に始まる超常実在の大ブームだった。おかげで「本命」の救済活動はあまり注目されずに済み、諏訪子さまが時の人になりすぎることも、ユウキたちスリーピング・ナイツが必要以上に世間へ曝される困った事態にもならなかった。
 アイドルの仕事がお休みだった私がたまたまいて、定期報告会で耳にした会話だ。うん、すっごい偶然。
 会話してたのは永琳とレミリア。
「レミリア、あなたやっかいな役を私が自分から買って出ると知って、あえてこの月の賢者を追い込んできたわね?」
「いずれアストラル体を直接攻撃する銃が発明されれば、金持ちになった魔法使いや妖怪が人間とおなじく撃ち殺されてしまうようになる。でもあなたは普通じゃないから肉体が細切れになろうが滅びない。水素爆弾の爆心地にいようが復活再構成できる、ほぼ完璧なる不老不死者だから。それこそ活火山の燃えさかる火口へ落とすくらいしか方法がない」
「だから私が当面の間、みんなの弾避け・防弾チョッキになってあげるのよ。まったく面倒な性格だわ。月にいたときから一貫して貧乏くじばかり引いてる」
「でも動きがあるのは、止まってるよりはずっと楽しい人生じゃないかしら?」
「そうね――私が地上へ逃げて月の発展を中断させた理由、知りたい?」
「それってもしかして、月の都が火星や金星へ広がらなかった理由に通じるのかしら? ぜひ知りたいわ」
「じつはね、どうしても集積回路を発明できなかったのよ。つまりまともなコンピュータを作れなかったというわけ。ゆらぎのあるミクロ世界では完璧な製品なんて不可能なんだけど、その不具合を前提として救済してしまう予備回路って単純な発想が私にはついにできなかった。真空管までが個人の限界だったの。コンピュータがないと宇宙空間をより遠くへ飛べないわ。実際、集積回路以降の開発や研究はマンパワーの産物よ。どんなに少なくても一〇人はいて、数百人、ときには数千人で最先端の基礎研究開発を進めていく。二〇一三年に証明された質量の起源だけでも、何兆円ってお金と一万人の人生、半世紀の時を必要としたわ。もはや私の活動ではどう足掻こうともとうてい及ばない、限度を超えた神の領域だった」
「月の上であなたも大変だったのね。それで、コンピュータがないと隣の惑星にすら行けないってどういうことかしら? 月と地上との往還は羽衣と操縦者の勘でやってるじゃない」
「それは月齢のパワーを使って術式が大幅に自動補正してるからよ。地球からあるていど離れると、人間たちの信心が届かなくなるの。もう天津神も国津神も関係ないわね。超常が使えないから純粋な科学力と正確な数字で勝負するしかなくて、それにはどうしてもコンピュータによる自動制御が必要なの」
「だから月の神はちゃんと月に住めるのに、ほかの星の神は地上で偉そうにするしかないのね。太陽まで実際に飛んでいった太陽神の話は聞いたことないから。どの文明の神もみんな自称で嘘っぱち、誰も証明できない。何十もの異世界が交雑してる月は狭くて大変そうだな」
「なにせ超常の存在が唯一たどりつけて、かつ生きつづけていられるただひとつの外の星だからね。月の神でもないくせにいつか火星へとか太陽へと夢想ぶっこいてるアホどもまで居着いている。月の都――というより私がひたすら技術を発展させてたのは、国防上の必然でもあったのよ。月夜見さまは戦いがお苦手だから――地上を照らすイメージから月の神には軍神も多いから、万が一にも征服しにきたらお手上げだわ。人間の形をした神はどうしても好戦的な傾向があるからね。諏訪子の言葉を借りれば、しゃべる動物のほうがまだ平和的で大人しいという……どちらが邪悪なんだろう」
「あなたが消えたとたん、月の都がそれ以上発展しなくなったのは、それだけみんなが永琳に頼り切ってた証拠よね」
「単純に人材不足ね。綿月(わたつき)家など私とおなじ神の血統を除けばみんな凡人の範疇よ。私はお爺さま、智恵の神の血を引いてたから天才と呼ばれるだけの頭脳を持ってたけど、ほかは字が読めたってだけで超エリート扱いだった時代の人だし、まだ日本人も一〇〇万人しかいなかった。そんな少ないうちから選ばれたのが月人なのよ? 日本人は鎌倉時代ですでに一〇〇〇万人、江戸時代には三〇〇〇万人に達していたわ。ましてや一億を超える現代日本人たちのトップ集団と比べて、どこまで優秀だと思う?」
 紅茶を一杯すすって、紅い悪魔が切って捨てる。
「無理ね。比較するまでもないわ――優秀な人間は十数年かそこらで、あっというまに数百年数千年を埋めて詰め、永遠の凡庸を抜き去ってしまう。脳や魂の容量には限りがあるから、月人や妖怪や神でも、頭の良さも戦いの技もその人の限界に達したらそこで終わり。諏訪子が言ってたように『殺されやすい』性質の私は、カリスマブレイク属性のおかげで長命におごらず済み、紅魔館でこつこつ組織を蓄えてきた。力・知・技、そして数」
 紅魔館は館というよりはお城で、数百体の英国妖精をメイドの名目で抱えている。幻想郷人口の五パーセントくらいが住んでるかも。
「そうよ、まさにそれで正解。私だって発明発見の九九・九パーセント以上は覚えてなくて、記録を読み返すしかないわ。脳のほうも記憶野の半分は姫や弟子たちとの想い出や基本的な薬の知識で固定してて、研究のほうはせっせと忘れてるのよ」
「器用な芸当ができるのね。神の子も悪魔も変わらないか。私だって戦いや魔法の技よりフランやパチェ、咲夜たちとの楽しい時間を何倍も大切にしてる」
「私たち力ある者ですら日常を尊ぶのなら、他の人は言うまでもない。いくら穢れを回避して何千年と長生きできても、月の都は普通の人たちの集団よ。私が消えてもすこしずつ進歩はしていたようだけど、月人はわずか数百人しかいない。幾万倍もの人口を持つ地上が開化し追い付く速度はそれこそ猛烈だった。とくに一九世紀以降は目まぐるしいほどの加速度だったわね。しかも私がこのたびたくさんの智慧を放出しちゃったから、ますます技術がフルバーストするわよ。月の都も近いうちに地上と交流を持たざるを得ない日が来ると思うわ――私の教え子たち、大変な時代を経験するでしょうね」
「あまり心配してない口ぶりだね」
「実際に痛い目に合わないと分からないものもあるのよ。なんら反応が見られないけど、自覚あるのかしら? あと一世紀とかからず科学と技術と軍事、さらに『科学魔法』でも追い抜かれる屈辱が迫ってるって。なにをどう足掻こうとも、月の都に優越の未来はありえないわ。結界を簡単に擦り抜けて、探査機が月の都のそばに降り立つ。いまの地上の進歩力は、一年で私の数百万年ぶんに匹敵する。私と姫が全面的に協力しようがかつての栄華はもう無理よ。集積回路すら自力開発できなかった私に、地上より大きくリードしながら高い技術を維持していく永遠はもう営めない――むしろ開発したものをすぐ真似され、中には逆に進歩的な技の登場すら許すわよ確実に。それだけ地上は天才どもで溢れている。だから私はもう永遠のアクセル・ワールドで研究しなくなった。たまに研究熱が出て篭もるけど、テーマはひとつだけだし、せいぜい数年から長くても数十年とごく可愛いものよ」
 最近の病気の薬がいろいろあった理由か――。
「最後にひとつ聞かせて。あなたが月の使者を皆殺しにしたきっかけよ。もういいでしょう?」
 一分以上、月の賢者はためらっていた。
「……あいつら、私と姫に研究の続行を要求したのよ。不老不死の薬を飲んだ姫が罰で地上に降りたとたん、月の都はぱたりと新技術を生み出さなくなった。私が集中研究できないんだから当たり前よね。もっとも集積回路でずっと行き詰まってた私はほっとしていたわ。もう十分に頑張った、だから隠居しようって考えたの。月のためには存分に尽くしてきたじゃないかって」
「何億年も頑張ってなお足りないと言われたら、そりゃ皆殺しにしたくもなるわね――柱の影で盗み聞きしてる妖夢、あなたも根が真面目なだけに気をつけなさい」
「みょーん! ごめんなさい」
 私はけっこう真面目系クズが入ってるよ。強くなることへの努力は惜しまないけど、ほかは適当。幽々子さまのお言いつけだってときには破っちゃうし、こんなマナー違反も好奇心に勝てず平気でやる。仕事と任務と趣味と好きなことが幸運にもみんな同一だから、真面目だと思われてきただけなのかも。恋をして例外が増えてきてからそう思うようになった。
「悪い子にはおしおきしちゃうぞ?」
 永琳がウインクしてどこから出したのか注射器の針を私へ向ける。笑ってるけど顔が怖いです。
「アイドル業あんまり張り詰めて頑張りすぎると、いつか私みたいにキレてすべてを失うわよ。とくに和人関係は幻想郷の未来と直結してるそうだから気楽にね。もっと適度にリラックスして、いちゃいちゃ遊び回ってるくらいがちょうどいいわよ。あなたの反則級の可愛らしさと彼の律儀な性格なら、見捨てられるなんてまずあり得ないから」
 思わず敬礼してしまったです。
「精進します! 全力でイチャイチャします!」
 諏訪子さまが意識して「あーうー」でいたり、レミリアが「カリスマうー☆」を志向したり、永琳が「えーりん! えーりん!」の道を歩いてるように。
 私はいつもの「みょん」な魂魄妖夢でいる。ただそれだけでいいんだ。
     *        *
 ALOでユウキたちと会うようになった。リハビリが順調にいきはじめてALOを再開したユウキが、どこまで対人で強くなれるか試したくなったらしい。諏訪子さまを通じて「練習台」として私が紹介された。ついでにキリト&アスナも。リーファはリアルで剣道の大事な試合と練習があって無理だ。
「久しぶりユウキ」
「アスナっ!」
 ユウキがアスナに飛びつくように抱きついた。どうやら以前からのお知り合いらしい。
「第二六層から第二八層にかけてのフロアボス攻略戦でお世話になったんだ。ほら私たちスリーピング・ナイツってALOはまだ新参だったから、指揮官役や指南役がいればいいなって思ってて。単独パーティーで挑むってね」
 無謀な試みに見えるけど、単独パーティーでのボス撃破はすでに私を含めたアスナ・キリト・リーファー・クラ之介たち七人パーティーで成功の実績がある。新生アインクラッドのフロアボスはデスゲーム時よりはるかに強化されてるけど、それでも魂魄流にかかればそんなものだ。
 ユウキたちが風林火山選抜につづけて単独パーティーでのボス討伐にこだわったのは、この世に生きた証拠として長く残るものをどこかになんでも良いから刻んでおきたかったからだという。新生アインクラッドは攻略メンバーの名が第一層・黒鉄宮にある石碑へ彫り込まれるんだ。デスゲーム時は死者と生者を教えてた生命の碑が置かれてたいわくつきの場所ね。
 とりあえず七人全員が助かる見込みになったので、ほかの攻略ギルドから睨まれる単独パーティーでのフロアボス攻略は第二八層を最後に引退、つぎの楽しみを対人戦に探してみるんだとか。
「スリーピング・ナイツの名は止めないのか?」
 キリトの不躾な問いに、ユウキが不敵に笑った。
「ボクたちの出発点だから、変えないで行こうって決めたんだ」
「アインクラッドもアインクラッドのままだ――それでいいと思う」
 あっさりとした物言いに、大人になっているなと感じたよ。私はまだ子供のままだけど、キリトは桐ヶ谷和人としてすこしずつ大人の階段を登っている。もうじき話が合わなくなるのかな……そうなると妹のポジションになってしまうね。すこし寂しいかも。日本の嫁として明日奈がいて良かった。だって彼女なら精神でも知性の面でも和人を満足させてあげられるからね。恋愛面の私は可愛いだけが取り柄で、その……アホだから。
 ユウキもその姉のランも、最初から反則級に強かった。戦闘センスもそうだけど、反応がおそろしく早い。私は刻斬りの技でかろうじてリアルの強さをALOでも再現できてるけど、彼女たちは純粋なフルダイブ環境のみで高度な技量を得ている。
 何度目かの練習で、私は大妄語戒剣(だいもうごかいけん)によるチートを解除した。はっきりと上下の白黒をつけてみたくなったんだ。それだけユウキたちは群を抜いている。
「これがALO本来の私です」
「……変わらないね」
「変わらないわよ」
 外見はたしかにそのままだ。でも反応速度は大幅に遅れるし、楼観と白楼をはじめ、言霊による強化も使えない。耳が尖って、半霊もない。
「ちゃんとしたデュエル形式で試合をしてみましょう。ユウキが勝てば、可能な範囲でなんでもお願いを聞いてあげましょう」
「頑張るよっ。姉ちゃんもやろうよ」
「そうね、私も張り切っちゃおうかな」
 マザーズ・ロザリオ。キリスト教徒だった彼女の母親に由来するオリジナル・ソードスキルに大苦戦した。なにそれ。二二連撃もあったなんて聞いてないよ。
 ALOには「二刀流スキル」なんかないんだけど、特別にオリジナル・ソードスキルに限って実装されている。マニュアル化されたオンライン魂魄流に合わせての特例で、アスナのお兄さんからのプレゼントだ。でも私はあえてオリジナル・ソードスキルを登録していない。だって決まった動きだから、真の強者に避けられたらおしまいなんだもの。技を途中でキャンセルできる行動には限りがあるから、それを先読みされて動かれると、こちらはもうお手上げだ。リーファやキリトのクラスにはソードスキルなんてろくに効かない。私にもソードスキルは仕掛けるだけ無駄だよ。
 通常ならね。
 でも初見の二〇連撃オーバーはきつかった。
 先に戦ったランのジ・イクリプスは見慣れてたし私も使ってたから無難に退けられたけど、ユウキのほうはひたすらの高速刺突だ。これをカタナでいなすのって難しいんだよね。勝てると思ってた――ら、甘かった。
 試合終了後、キリトが頭をぽんぽん叩いてきた。
「まーぬーけー。油断しすぎだ」
「そ……そういうときだけ子供っぽく戻らなくていいですっ」
 キリトも挑んだ。剣一本で負け、二本でも負けた。しかも姉妹ともに! うふふふっ、ざまあみろ。年甲斐もなくキリトの頭をぽんぽん叩き返しておなじセリフを言い返したよ。日本人の人口は一億。フルダイブの申し子なんてどこにでも転がっているものだ。
 キリトったら私の態度に悔しがってたし、まだまだ子供っぽいところもあってすこし安心した。でもユウキたちへは紳士的に接しているから、やはり大人なんだね。すこし胸がきゅんとなった。最近デートはしてもキスがご無沙汰だなー。
 アスナは紺野姉妹に挑まなかったよ。お利口さんだ。
 年末に開かれたALO最強を決める武闘大会ではリーファが優勝、ユウキが第二位、ランが第三位に輝いた。私たちSAOサバイバーはキリトの第四位がトップで、私は仕事があって参加できず、七位にクラ之介が入った。アスナは不参加だった。
 正月をすぎてから、和人よりメールで相談を受けた。明日奈が長期間ALOにログインしなかったそうだ。その後もALOにほとんど繋げてないらしい。私はアイドル業があるから元からあまり遊べてないんだけど、公私ともに安定充実してるはずのアスナになにがあったんだろう。和人には誤魔化してるようだ。彼氏にすら秘密だなんて。
 明日奈にメールを送った。
『年末、剣技大会に出なかったそうですけど、なにかあったの?』
 意外にすぐ返事が届いた。やはり持つべきは盟友だ。
『――私ね、母さんから、ゲームをやめろって言われてるの』
 そういえば明日奈より母親の話を聞いたことがない。SAOでも私はお父さんのほうとばかり会っていた。もしかして明日奈の母は、SAOで一年を「失った」娘の人生を後悔しているのだろうか。その辺りを推測混じりで深めに突っ込んで見たら、やはり考えてた通りだった。
『人間じゃない……とやらと遊んでるのや、和人くんと交際してるのが気に入らないらしいの。正月ね、京都の実家で、親戚の大学生を紹介されたわ』
 じゃない、のあとに「バケモノ」とか「妖怪」が挿入されてるんだろうなきっと。
『それってお見合いみたいなものですよね……断ったの?』
『とりあえず言葉をはぐらかしたわよ。あっちだって私が和人くんと付き合ってるの承知してたし、全国放送されてプライベートかなり知られてるから――それでも乗り気なのって、きっと父さん絡みなのかしら?』
 SAOやALOの事件でレクトはかえって躍進した。いまやノリノリの優良企業だ。
『私にできることはない? なんでも言って』
『ごめん妖夢ちゃん。これは私の問題だから、自分の力だけで解決しないといけないの。大丈夫よ、この先も似たようなトラブルはいくらでも起きるんだから、このていどの障害を突破できなくて、どうして和人くんと結ばれるなんてできるのかしら』
『がんばって。いざとなれば本当に頼ってください。だって私も明日奈がいないと困るもの』
 幻想郷によって有名人へ仕立てられた和人はそれはそれはモテるから、明日奈のようなとびっきりの美女で抑え付けておく必要がある。この少年、女の子に関してはまだまだ免疫薄くて流されやすい。私が好きだ好きだとみょんみょん媚びてるだけで好きになってくれたし、明日奈とも好きです好きです言われてるうちに仲良くやっている。いつ第三の女があらわれるか知れたものじゃない。
『あなたに頼るのは最後の手段。とにかく全力で母さんと話し合ってみるわ……私はただ従順で大人しかった以前の人形みたいな娘とはもう違うんだから』
 人間は短命だからこそ、真剣に戦って勝ち取ろうとする。長生きした妖怪はすぐ守りに入っていく。見た目がおなじ若くても、人間はずっとパワフルだ。
 一月末、明日奈がまたALOへログインしてくるようになったと、和人よりありがとうメールが届いた。無事に母親と和解できたんだね。
 お礼だって強引に和人とリアルデートしたよ。夢だった東京ディズニーで。入念に変装しまくって挑んで、いつ誰に見破られるかハラハラドキドキの一日だった。快感。
     *        *
「……あの、直接では初めまして。紺野木綿季だよっ。まだ歩けなくて、こんな姿でごめんなさい」
「姉の紺野藍子です。えーと、ALOそのままなんですね神さま。驚きました」
 二〇二五年二月初旬、諏訪湖を一望できる高台の立石公園。二〇万人近くが押し寄せてる第五回・諏訪幻想サミットに、電動車椅子の姉妹がひっそりと参加していた。吐く息が白い。気温は三度だから厚着だよ。
 双子なのでよく似てる。髪の長いほうが姉、短いほうが妹。アバターのユウキやランと違ってずっと幼く見える。一一歳ごろから寝たきりだったから、体がたいして成長しておらず、もうじき一四歳なのに一二歳相当の諏訪子さまと同程度かちょっと小さいかも。リハビリと復帰は長い道のりだ。奇跡で体力や筋力までフォローしてあげるほど、幻想郷もサービス満点じゃない。そこから先は自分でガンバレと突き放す境界は、しっかり踏まえるべきなんだ。えこひいきが過ぎると、本人と周囲にとってかえって不幸になるから。
「すいませーん、本物ですか~~? きゃー! やっぱり洩矢神さまよー!」
「神さまー可愛い! こっち向いてー!」
「おいっ、まさかあの子……諏訪子ちゃんだって」
「みょんちゃんまでいるぞ! 最高に運がいいな俺ら!」
 ……私たちもひっそりと参加していたつもりだった。まさかの驚きが小さいディズニーと違って、いくら変装しても無理だよ。私や諏訪子さま、容姿と身長で特徴ありすぎてメガネや私服ていどじゃ誤魔化せない。きっちり整った顔の輪郭とリアル小中学生っぽいチビ具合で、もう「本物ですかー?」と質問くる。神さま降臨って実績あるし……。
「お外の空気はいいものさ。木綿季、藍子。たっぷり楽しんでいってよ」
 人から拝まれることに慣れきった諏訪子さま、泰然自若としている。周囲をきれいに無視して、恐縮してる姉妹へほがらかな笑顔を向けてる。周りを意識してしまう私はまだまだ未熟だ。
 ファンたちにあっというまに囲まれてるけど、みなさんお行儀が良くて押しくらまんじゅうにはならない。車椅子ってすごい抑止効果だね。
 紺野姉妹と私たちで、展望台のほうへ向かう。ファンたちきれいに道をゆずってくれるね。マナーが良くてよろしい。姉妹には彼女たちの担当医が付いていた。私は初対面だけどテレビ中継で見てたし、諏訪子さまは姉妹治療の際にずっと一緒だった。
「……彼女たちが外へ出られる日をこうして見られるなんて、夢のようです。神頼みって本当にきくんですね」
「なあに、奇跡の前渡しをしたまでさ」
 難病・死病と怖れられた病気の多くが急速に駆逐、改善されつつある。
 エイリアン・ショックの第一弾として世に放たれた医療技術の数々が、地球規模で希望をもたらしていた。デモンストレーションとして行われた諏訪子さまのエイズ治療は、あっというまに話題のひとつとして流れ、情報の海に埋もれた。なにせあのとき集まって「治せるよ!」と言った面々が分担し、スリーピング・ナイツを同日同時刻に治療して回ったからだ。スリーピング・ナイツは終末医療のネットワークで出会い、結成したゲーム仲間。全員がさまざまな死に至る病を抱えており、治療時点ですでに二人が亡くなっていたが、生存していた七人を同時に根治してしまう。きれいさっぱり副作用もなしに。
 医療業界や製薬各社は喜ぶと同時に恐怖もした。科学が魔術に敗北したように見えたからだ。だけど種明かしを受けて安堵もした。最新科学の知識あればこそ、高度な治療の技を実現できたんだと。そこに永遠亭と八意永琳の登場だ。
「人類と神の叡智を結集した超常にすこし近い治療ノウハウの数々、いりませんか?」
 警戒しつつもライバル社に負けじと我先に飛びつくしかない有様だった。結核や白血病をはじめとして、人類を散々苦しませてきた数々の病魔の特効薬がいくつも含まれている。根絶したと思うつどしつこく復活してくる病気への薬もある。最新ではエボラ出血熱やパーキンソン病の特効薬すらあった。ただの個別薬だけではない。滋養強壮など漢方的な汎用薬のラインアップもあり、しかも見たことのない新しい系統だった。伝統的な薬に見えて、まったくの新系譜。即効性のため対処療法に高い効果が期待できる。
 エイズなど新しい難病は永琳をもってしてもまだ特効薬は作れてないが、それでも死のリスクを大幅に抑える新薬が含まれていた。各国は承認するしないの選択を迫られたが、アフリカのとある国が抜け駆けしてサンプルの試用に踏みきり、エイズ末期患者がわずか数日で起き上がれるようになると、もう雪崩のように使用する事例が出た。みんな臨床試験の名の下でだ。成分調査や非臨床試験など数段階をすっ飛ばして、もはや法もなにもあったものじゃない。それだけ必死に求め待ちわびてる人が大勢いた、奇跡の数々だった。
 正式な認証を何年も待ってる間に死んでしまう。一秒でも早く調合・処方してくれとの声が大勢をしめ、先進国でもデモや暴動が起きた。諦めて絶望していたら、じつは助かります――もうみんな必死だった。きたる死を受け入れたつもりで聖人モードに入ってた人すら、生存本能に火が付いて「投薬してくれ!」と野人のように猛り吠える。効果が巨大すぎていまのところ副作用の有無や可能性は顧みられていない。問題があるとしても数年は待たないとデータが取れないだろう。現代ではとうていありえない順序あべこべが現実に起こっているが、有識者や聖職者の苦言は無視された。副作用や法の遵守よりもまず『生きたい!』だった。たとえ見知らぬ毒素で余命が半分になろうとも、たった数年で死病に殺されるか果てるまで寝たきりを強いられるよりは、いくぶんか長く健康寿命を保てるわけで、ならばそれで良いではないかとの割り切った考えだ。
 これらありえない事態の裏には、『神』の名が燦然と輝いている。最初に諏訪子さまたちが行った劇的なパフォーマンスと、思兼神の孫という永琳の出自。双方に神が関わっていた。神さまだらけの日本では神秘の価値など本物であろうとも地域振興に利用されるていどの軽いものだが、多くの国ではもっと深い意味、根源的な畏敬の付加価値を有する。日本の天皇が欧米で「皇帝」と同列に見なされるように、たとえ多神教の神だろうが『神は神』だ。
 神の奇跡。
 これが高い売り文句となり、おもに日米を中心にすべての権利が法外かつ正当な値で売れた。それらの総額が二五兆円。あまりの高額で一度に支払えない企業が多く、分割などで最長一〇年に分散される。臨床試験の名目で行われている数段階飛ばしの治療ですでに何百万人も健康を取り戻している。また成分分析などから研究も活発化した。これまで何百億円もかけて探していた薬用成分が、その数割ほどの値段で効果ごと手に入る。さらなる応用を求めてみんなが永琳の築いた孤独なお薬ワールドへ注目だ。「霊素」こと元素番号〇のニュートロニウムとか、怪しげなものまで使われている。
 お薬の中で入札により最高値を付けたのがインフルエンザ特効薬。どういう理屈で作用するのか、性質の変異が激しいウイルスを根こそぎ退治するスーパー薬で、これだけで一兆円以上の値が付いた。単独で購入できる製薬会社などおらず、日米英瑞の四ヶ国七社による共同入札だ。冒険にしてもすさまじい投機だが、それでも何年かで元が取れるらしい。とてつもない規模の身近な病気なんだね。第二位は結核完治薬で七〇〇〇億円。第三位には四〇〇〇億円近くでマラリアのワクチン――予防薬がエントリーした。
 通常の薬とはべつに、超常の力を利用した数々の魔法薬も存在はしてるようだけど、公開の対象外だったし具体的な内容も明かされていない。記者会見で数々の夢を実現できると意味深に言ってたから、誰でも思いつく惚れ薬とか、性別が転換するとか、子供が大人になれるとか、反対に若返るとか、そういうファンタジーなやつだと思う。私の想像が及ばない奇想天外なものもありそうだ。
 魔法系の薬で長たるものが、輝夜の永遠能力そのものより抽出した不老不死の薬だろう。飲んで蓬莱人となったのは輝夜・永琳・妹紅・嫦娥(じょうが)のみ。嫦娥は中国の月神だ。中国の月世界もあって、そちらには中国語を話す玉兎たちがいる。不老不死の薬を求めて月に来た嫦娥だけど、中国の玉兎がついてたのは伝説と違ってただの薬草だった。いくら中国人がそのように想像しても、具体的な成分を知らなきゃさすがに奇跡の薬も具象化してくれない。かわりに中国の玉兎は寿命がない。薬を食べてるから不老って「設定」だ。それでご近所だった日本の月世界へ来たわけ。ただの餅をついてる日本の玉兎には寿命がある。餅を食べて健康にはなれても不老は無理という「設定」だ。嫦娥の依頼で不老不死薬の開発に成功しちゃったわけで、これがのちに月と別れる原因にもなった。
 ――高台より望む諏訪湖は何年かぶりの全面凍結。空は澄み渡っている。蒼天の碧とわずかな絹雲。静かな湖面は白い無音に沈み、こゆるぎもしない。凍ってなければまるで鏡のように空を写してくれるだろうけど、いまはうすく雪も積もっている。真冬の乾いた空気に透き通った微風がそよぎ、私たちを優しく撫でた。冥界に暮らす私はなんともないけど、リハビリ中の姉妹には堪えるようだ。体をぶるぶると震わせている。
「……さっさと本番、行ったほうが良いみたいですね」
「頼んだよ妖夢。ぶった切ってくれ」
 神さまの指示に従い、右手を虚空へ伸ばす。
 ――封印解除。
 そう念じただけで、目の前に四角いちいさな神棚が浮かび上がり、周囲よりざわめきが。超常の存在自体は一般的になりつつあるけど、超常現象そのものを目にする機会はやはり少ない。私たちだっていつも空を飛んだり魔法を使ったりしてるわけじゃない。理由がないと力は発動させないし。
 いまは違う。使うべきときなんだ。
 神棚の門が開き、そこにモザイク状の謎の異空間が。博麗霊夢の施した特殊結界、私にしか解除できない仙界の扉。
 ――来いっ。
 またもや念じただけで、鞘におさまった長短二本の剣が門より飛び出してくる。受け取った直後、ぱちんと指をはじいたような音をたてて神棚が消える。
 長いほうの鞘には引っかける部位があり、そこに短い剣の鞘をがっちり斜め交差で固定できる。組み立てた状態で肩紐に腕を通し鞘を背負う。紐を調節してがっちりと固める。左肩へ慣れた重みが掛かってきた。久しぶりだね、楼観剣と白楼剣。
 国宝、楼観剣。
 国宝、白楼剣。
 日本政府がありがた迷惑で大袈裟な指定をしてくれた余波で、私の剣は妙なコレクターなどから狙われるようになり、普段は封印しておかないと危なくなった。法律もあるし。今日は長野県から正式な許可をもらってる。ここで剣を使って良いと。背中へ右手をやり、さっそく抜いた。いい鞘走りの音がする。
 抜いたのはまず楼観剣だ。純粋な破壊の武器。さらに救いをもたらす白楼剣とは違う。短い白楼剣は鞘におさめたまま。
 身長にも届かんばかりの長剣を正眼に構え、諏訪湖を見下ろす私を、まわりのギャラリーが固唾を呑んで見守っている。なにをするつもりなんだろうって。
 私は聖なる湖へお辞儀をすると、そのまま数メートルほど浮かび上がる。構えたまま体を左へずらし、諏訪湖の左側、山々が連なるふもとへと向ける。そこには積雪と森の中に沈んでいるお宮の一群が。
 諏訪大社上社本宮。そこを狙うように楼観剣を振り上げた。念を込めると、青白い霊気の妖炎が霊剣をおおいはじめる。
「ニギミタマ!」
 半霊が震えると、優しい仏さまみたいな微笑をたたえた私が出現する。おなじく楼観剣を握る。
「アラミタマ!」
 凛々しい顔をして眉を寄せた戦闘モードの私があらわれる。やはり楼観剣を持ち、突きの構えで威嚇するよう。
 ここで楼観剣を鞘に戻し、白楼剣を抜いた。迷いを断つ破邪の宝剣。すでに出現している分身たちは楼観を手放さない。白楼剣へいまの楼観とおなじく念を入れて青い炎を灯す。
「クシミタマ!」
 半霊の後方より、お利口そうに澄ました私が浮かび上がった。こちらは白楼剣を正中に構える。
「サキミタマ!」
 四体目の分身が、みょんな笑顔で白楼剣を構えもなく楽しそうに振り回している。ネコミミつけてネコのしっぽを揺らしてる。和人を前にした私だ。
 鞘へ戻してた楼観をまた抜き、左右長短の構えを取る。
「我、四つの魂を省みて一霊を統御する心の鏡となす――」
 半霊より分身した四人がそれぞれに剣を構え、青い霊波を刀身へ宿らせた。
魄鏡剣(はくきょうけん)一霊四魂(いちれいしこん)!」
 ありったけのパワーを込めて振り下ろした一撃。同時にほかの四体も剣気を放つ。青い塊の数々がひとつへと固まり、まっすぐにお社目掛けて飛んでいく――その狙いは、本宮後方に広がる、御山の森、中腹ほど。
 時空を斬る技、初歩の上位、一霊四魂。
 仏教を奉ずる魂魄流では珍しい、神道に由来する剣撃。なぜこの技があるのかというと、「神」を専門とする個別対処技だから。人を救う仏門だけでは神に届かぬ剣もある。迷いを断つにも、郷にいれば何とやら。
 私が神を起こせるほど正しい者であるなら、心の鏡が響いて届いてくれるはずだ。すでに何百年も眠っている彼へ。
 青白い流星が森へ落ちた。神域の結界が自動発動し、雪景色の御山を淡いグリーンに包む。だけどすでに一霊四魂は浸透し、山の龍脈を巡っている。土着神の諏訪子さまは地脈を操るけど、元が水神である彼は龍脈を操る。だから私はそこを刺激した。水は龍、龍は天。ほとばしる水の柱が御山の四隅へ出現し、天を突く棒となる。直径二~三メートル足らずだろうが、とてつもなく高い。一〇〇メートルはあるだろう。
 山は轟かず、弱い冬の陽光を受けて閑かにたたずんでいる。ただ水の柱がしっかり四本立っていることからも、この地に眠る特別な存在がはっきり分かる。
「……しぶといね。魂魄の奥義をもってしても一撃じゃ無理か」
 いつのまにか左隣に諏訪子さまがいる。
「先陣お疲れ、あとは私たちに任せな」
 右隣にどこに隠れてたのか、神奈子さままで。
 洩矢神と八坂刀売神が両手を合わせ、揃って祝詞をつむぐ。たちまち魔法陣があらわれ、激しく彼女たちの周囲で回転をはじめた。
 ここまでだね。
 私の役割は終わった。彼が眠る龍脈のエリアを囲っただけでも良しとしておこう。あとは坤と(けん)の神々による対話だ。
 地へ降りると、紺野姉妹が大喜びで神の奇跡を見上げていた。なにが起きようとしているのか、みんな薄々と気づいている。今日なにをするつもりなのか、諏訪大社へはすでに連絡済みだ。今年は数年ぶりに諏訪湖で御神渡り(おみわたり)が見られた。凍結した氷が湖を横断するほどの規模で派手に割れる現象だ。ただの自然現象だけど、人間は神が諏訪湖を渡っていると神聖視した。それに掛けて、神奈子さまがぼそっとおっしゃったんだ。
『あいつ、起こしてみない?』
 で、本当にやってるところ。
「祟り神・目覚めの道祖神!」
「神の恋・御神渡りフリージング!」
 ……聖域に石が降ったり氷の吹雪が襲ったりすごいことになってるけど、神がやってることだからいいのかな? いまごろ神社の人たち蒼白だろうね。相手が祭神さまだけに怒ることもできない。
 地響きとなって何キロも離れたここまで届いてくる。いまごろみんな「なんだなんだ」と御山に注目してるだろう。
 ふたりの妻が激しく銅鑼を打ち鳴らしてるのについに我慢できなくなったのか、私が閉じ込めた龍脈の動きがにわかに活発化してきた。
「……来るねっ」
「あっはっは! 起きろ起きろ」
 術をやめた諏訪子さまと神奈子さまが、我先に空を飛んでいった。私は紺野姉妹のそばから離れない。いちおう約束してるし、エスコート役を。だってALOで試合して負けたから……人間だからって侮って舐めすぎた。ごめんなさい妖忌お師匠。しょせん妖夢は半人前です。
 ふたりの妻がご神体の「御山」上空についたころ、ついに龍脈が弾けた。四本の水柱が崩れ、その水が地へと落ちて辺りを雨ざらしとする中に、一柱の輝きが森の中より生じた。黄金色の眩しい光に包まれ、森の中より空へと昇るひとつの塊。それを嬉々として追いかける諏訪子さまと神奈子さま。
「ねえ妖夢、なにが起きてるの?」
 木綿季が私のスカートを引っ張っている。
「ああ。人間の視力じゃ見えませんよね。ねぼすけで力のコントロールが利かない建御名方さまを、諏訪子さまたちが捕まえようとしてます」
 諏訪信仰は神道系では日本トップクラスの信心を集めている。蓄えた膨大な神力は、寝起きの神にはそう簡単に制御できない。いまの建御名方さまはおそらく、アマテラスさまより強くなってると思う。
 空の彼方に消えていった神たちが降りてきたのは、それから二〇分後だった。私たちはすでに倉橋医師の運転する車で本宮へと向かっていたけど、野次馬たちが一斉に神社を目指し大渋滞が発生してたので、木綿季をお姫さまだっこした私が空を飛んで先に失礼した。
 本宮は何千という人で溢れかえっていた。幻想郷コスプレも大勢いる中、私は地上へ降りもせず高度五メートルほどを維持しつつ、まっすぐ拝殿後背林を目指す。境内にいるみんながカメラを構えて私たちを写していく。コスプレ撮影のためスタンバイOKの人が多いから、とっさのシャッターチャンスに強い。
「木綿季ごめん。あなたの顔がネットに流れるかも。きっと名前や素性もすぐ特定されます」
「いいよ別に。だってボクはこんなに可愛いから目立つのはいやじゃない。いまは神さまの再会シーンだっ」
 和人や明日奈、クラ之介もそうだけど、幻想郷と深く関わった人は顔出しで有名になる運命なのだろうか。直葉ですら私との絡みでドキュメンタリー特番が組まれたほどだ。最近でそういった不運から逃れられたのは朝田詩乃くらいだろう。この木綿季も自分で可愛いと断言しちゃうように、なかなか剛胆な性格だ。たしかにエイズより快復するに従って、急速にALOで見せるコケティッシュな容姿を得ている。すでに病弱少女の儚さは感じられず、生来の快活な気性がそのまま出ている元気系の可愛いらしい子。姉のほうも似たような積極性を持ってるリーダー型、世話焼き委員長タイプの女の子だ。
 拝殿脇をかすめるように抜け、森に侵入。龍脈レーダーと半霊レーダーから、神さまたちの座標は分かっている。距離、およそ二キロ。
 森の上へ出ればすぐ着くけど、そうなれば今度は人を集めてしまう。だから速度を落としつつ木を避けながら慎重に進んでいく。
「わあぁ~~、まるでシューティングゲームみたい」
 木にぶつかれば死ぬような速さなのに、木綿季はお気楽なものだ。この性格だからエイズとの闘病に気丈にふるまって来れたんだ。そして諏訪子さまを引きつけた。彼女が助かったのは運だけじゃない。希望を捨てなかったから奇跡を呼び、結果論として助かったんだ。宝くじに当たるにもまず券を買わなきゃね。
「もしかしてアダルトなことになってるかもですが、いいですか?」
 抱きつくだけならともかく、キスとかしてそうだ。
「興味あるからむしろ見たいよ。ボクも生活が安定してきたら彼氏が欲しいなあ」
「木綿季ならいくらでも相手が見つかると思いますよ」
 なにしろゲーマーはロリコンだらけだからね。幻想郷の人妖たちはむろん、私だっていまだに告白されてる。
 数分後、張り詰めるような強い神聖な気配を正面に感じて速度を緩めた。
「……すさまじい威圧感ですね。これが有数の信仰を集める主祭神のパワーですか」
「ボクはなにも感じないよ。へー、そんなものなんだ」
 そこはすこし開けた場所だった。日が差し込む中で、弁当を広げてピクニックしてる夫婦たち。真冬なのによくやるよ。
「思ったよりのんびりでしたね」
「現実はこんなものだよエロ妖夢」
 ガーン、エロキリトにだけ言われてた秘密、二年以上も経って木綿季に言われちゃった。どうせムッツリスケベですよ。ファーストキッスだってまず私からしていいぞって言ってたし、剣士だから好機と見れば速攻なのよ。
 はじめて見る建御名方さまは、諏訪子さまのお話通りの美男子だった。モデル雑誌にそのまま常連で登場しそうなイケメンだ。時代なんかに流されない、けして風化しない格好良い顔。意外なことに木綿季はとくに反応を見せてない。私みたく「男の子」じゃないと対象外なのかな。服装は中世の神官服だ。デザインこそ地味だけど、配色のほうは紫で金糸を散りばめた派手なものだった。
 諏訪子さまも神奈子さまも、私たちへ見せたことのない穏やかな自然な笑顔で夫と話をしている。これが一〇〇〇年以上も連れ添った絆か――うらやましいと思った。何百年と離れてたのに、まるで昨日も会ってたように普通にしている。私は和人とずっとこのような日を過ごせるのだろうか。
「きみが魂魄妖夢くんか。冥界の守護、お務めごくろう」
「あっ、ありがとうございます」
 緊張してあまり多くは話せなかった。後光を背負ってるほどのご立派な神さまだ、これは紫さまでも平伏しかねない。たぶん彼が幻想郷へ転がり込むことはないと思うけど、諏訪大社も大変だろうね、ついに建御名方さま降臨だもの。この黙ってるだけで華になる超二枚目俳優、どこに住まわせるんだろう。
 木綿季も建御名方さまに頭を撫でられ、持ってきたカメラで記念撮影。ほくほく顔でピクニックに混じった。この料理、諏訪子さまの手作りだって。三〇〇〇年以上の伝統料理、とっても美味しい。諏訪子さまが妖怪から神になったきっかけも、人間の料理を覚えたい一心からだった。食は生きる基本だよ。
     *        *
 三ヶ月後、歩けるようになった紺野木綿季ちゃんがまさかの芸能界デビューを果たした。
 やはりあの日、私に抱っこされてネットへ露出したのがはじまりみたい。さっそくいくつかの番組で一緒になったけど、病み上がりなのに超元気ってギャップ萌えから、おもにロリコン紳士諸君に大人気のようだよ。私とおなじ属性だね。姉の藍子ちゃんもユニット目的で勧誘されたそうだけど、看護師になりたいって夢があって断ったそうだ。双子でありながらまったく違う。先を見る堅実な姉に、いまを謳歌するこの妹あり。おもしろい友人が増えた。
「ボクは、生きてて良かった! ……生きてる実感をやっと得たよ! 神さま、アスナ、妖夢……ボクに命をくれたパパ、ママ。みんな、みんなありがとう!」
     *        *
     了 2014/09


※アクセル・ワールド
 SAO原作者川原礫先生のもうひとつの代表作。SAOのパラレル未来。
※数億歳の扱い
 永琳の数億歳は非公式の公式設定。原作にも「人間が居なかった時代」とあるが無視した。日本神話をすべて事実とする東方観は、リアル現代日本の延長にあるSAOでは採用できない。創世神話をひとつでも肯定すれば、人間原理に基づき世界中の神話も認めねばならないからだ。矛盾の大暴走で収集がつかなくなる。
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