『あっきれたー、本当に憑依できちゃうなんて。覚えてまだ一年半くらいでしょ?』
「思いつきだったのですが……私もまさか妖怪相手に二時間足らずで成功するとは思いませんでした。いまなら魔理沙にも憑依可能でしょうね」
『幽々子さんみたいな力の強い亡霊ならわかるけど、どっちつかずの半人半霊でどういう上達速度なのよ。紅玉宮の戦いからあなた、いろいろと常識外れね』
ほかに手を思いつかず、一か八かだった。人間への憑依には一週間ていど必要だったのに。その後おもに物体で練習して次第に短くなってたけど、最短で三日だった。難易度急上昇の妖怪は――と思ったら短縮。もしかして物体のほうが難しい?
この玉兎、体温がすこし高めだ。まるで興奮でもしてるときの火照った温度だけど気は落ち着いてる妙な体感。
「鈴仙って平熱が高めなんですね」
『そりゃウサギは人間より体温高いし』
上体だけ起こし、鈴仙の体で軽く柔軟だ。私の本体は隣で寝てる。狭い布団で押し込むようにぎゅうぎゅう詰め。緑色のドレスはハンガーに吊るし、鈴仙からパジャマ借りて仲良くペアルック。番組スタッフには申し訳ないけど、ぶっつけ本番の憑依は危険だから、どうしてもと抜けてきたんだ……恋路を優先させるなんて、芸能人プロ失格だね。それに鈴仙へ頼み込むには直談判しか手がない。恥ずかしながらメアドすら知らなかった。
『ねえ妖夢、どうして桐ヶ谷くんにお願いしなかったの? 収録ドタキャンするまでもなかったのに』
「……それでは和人の『手助け』にならないからですよ。仮想現実のキリトは私に並ぶ剣豪ですし、なにかアドバイスしようにも――私のおつむは多くの面で和人に劣ってます。理解も発想も気転も判断も……」
慎重に欠けた近年最大の失点がSAOのゲームオーバー。ユイのアシストがなければあの世界への復帰すら出来なかった。ひとりよがりな浅い考えで動けば、たちまち今回のような結果に終わって……いまも傷口拡大中か。
『足手纏いが嫌なのね』
ひとりの浅慮ではすぐ失敗するから、いつも誰かの助けを借りる。冥界ではマジ侵攻で負けそうになれば、困ったときの幽々子さま。SAOは初日からキリトの力を借りていた。ALOでもひとりでは不可能だったし、GGOも鈴仙の協力を得ようとしている。
「勘が告げてます。ここだけは和人におおきく優ってる戦士の本能が、GGOへ飛び込めと叫んでるんです」
GGOへ潜入すると和人より聞かされたのは、なんと明日奈だけだ。なぜ私と直葉には告げなかったのだろう。明日奈も内容までは伝えられなかった。私の大好きな人が、去年のクリスマスごろからいろんな秘密を持つようになっている。茅場の思考模倣プログラムよりザ・シードを託され、全世界へとばらまいたのは間違いなく和人だ。その世界の種子より生まれたいろんなゲームへと数日ずつお邪魔してるようだけど、アカウントを新規に作らずALOからコンバートしていくなんて、初めてだった。
頭の良い明日奈にだけ告げ、さらにアバターを移動させた。
なにか大きな事件に巻き込まれているのでは……悪い胸騒ぎがした。真相はどうでもいいけど、なんでもいいから助けになりたい。恋愛脳で構わない。今回ばかりはちがう気がする。仕事を優先し見過ごせば、取り返しのつかない事件が起こりそうで恐かった。たとえ仮想現実の出来事といっても、ソードアート・オンラインのデスゲームはまだ記憶に新しい。あの事件では八〇〇人も死んでいる。そのうち何十人かはプレイヤーが手を下したんだ。そういう作為を感じる。
『妖夢の勘そのものはまあ信用できるわね。思慮不足でやり方は間違ってたけど』
三〇人しか立ち入りを許されない銃撃戦の聖地へと、ただの剣士が土足で紛れ込もうとしている。発覚すれば問題になる。とても許されざる行為だ。
「無理なお願いでごめんなさい。明日の本戦、展開次第ではあなたがアカウント停止になる怖れもあるのに」
『持ちつ持たれつよ。お互い苦労性なんだから、私が困ってるときに返して貰えたらそれでいいわ』
「バレット・オブ・バレッツの本戦出場って、鈴仙が二ヶ月も待ち望んで、実力で勝ち取った大舞台でしょう? いいの? 私が『ズル』なんかに利用しちゃって」
鈴仙が考え込んだみたいで、二〇秒ほどの間があった。
『……焦臭いのよ。この大会、なにか起こるわよ』
「なにか?」
漠然とした不安しか覚えてなかった私とちがい、鈴仙には材料があるみたい。
『事情と詳細は知らないけど、桐ヶ谷くんって依頼受けてるんでしょ? あの菊岡さんから』
「そうみたいですね」
『なぜ推定なのよ』
「勢い任せが良かったのか、珍しく引っかかってくれて。和人も人生経験が少ないですからね――菊岡さんじゃなかったらどうしようかと内心ヒヤヒヤでしたが」
『あきれた、嘘で返される危険もあったのに。想像だけでコンバートなんて大それたことしてきたってわけ? 無謀というか勇気あるというか』
「みょーん。珍しく一瞬とはいえ和人に口で勝ったんですから、褒めてくれてもいいのに」
『ところであなた、ALOからGGOへのコンバートに際して、アイテムとお金はちゃんと信用できる知り合いに預けて来たわよね?』
――なんのこと?
「いいえ、オフラインのメニューから選択して来ただけですけど」
『……じゃあALOへ復帰しても初期装備と一〇〇〇ユルドからの再出発ね。無一文ご愁傷さま』
鈴仙の口調には同情の欠片もない。ただ淡々と無惨な大損害を突き付けられた。
「およ? 聞いてないわ!」
なんでっ! 数々のレアアイテムと二〇〇万ユルドはあったのに。
『警告表示くらい出るはずだけど? たぶん念入りに二回くらい』
「そんなの急いでるから読み飛ばすに決まってるじゃない。鈴仙もそうでしょ?」
『私をあなたの自滅切腹みょんワールドに巻き込まないで。そりゃたいてい飛ばすけど場合によるって。コンバートの警告なら読むわよ』
「自滅切腹みょんワールド……」
こうしてまたひとつ、私の新たなる伝説が生まれた?
『あなた気をつけていても詐欺に引っかかるタイプね。どうせ妖夢のPCとかって、言われるままインストールした奇妙なアプリやアドオンだらけで動作重いでしょ』
図星すぎる。はじめて買ったPCはそんなだった気がする。いつのまにかデスクトップ画面の七割が知らないアイコンで埋まってた。
「そ、そういうのは今ではユイがブロックしてくれるから……」
壁に立てかけてある携帯の液晶で、ユイがにっこり。
『なにせ私の家ですから』
この子には会話の半分しか聞こえないのに、普通に推測して答えてる。
PCと携帯はユイの居住空間でもあるから、私がなにも言わなくても軽く快適になってる。通販でパーツ買っては和人使ってスペック向上させてるし、アプリも次々と強化してる。それらのお代を誰も支払ったことがないから、ユイはネットでなんかやってて自分で稼いでるみたい。そういえば一度、ユイにハンコと名前を使わせてと言われ、押したことあったな。あれで口座を作ったのか。
『デジタルはいいとして、リアルのほうでも保護者が必要ね。もし桐ヶ谷くんと無事に結婚できたなら、通帳とハンコの管理はすべて夫に任せたほうがいいわ。いくら万能だからってユイちゃんに任せるのはだめよ、最後のプライド失うから』
「……みょ~~ん」
すでに半分くらい失ってるよ。
* *
ユイの分析も聞きたいので、憑依を解いてから「焦臭い」根拠を聞いた。私たちに合わせ、ユイもパジャマに変身してる。パジャマ女子が三人――端から見ればパジャマパーティーだ。時刻はとっくに夜。三連休もあって、輝夜はアキバへ行ったきり今日は帰ってこないそうだ。
鈴仙が個人的に感じていた違和感は四点。
一・私とキリトの飛び入り参加。
二・ベヒモスの奇妙な動き。
三・ALOで輝夜を襲ってたジョニー・ブラック。
四・鈴仙やサバゲー組を集団で襲わせていた、赤目の骸骨マスク。
「私も敵意を感じましたけど、同時に『弱気』だったから無視してたのよ。あれがステルベンだったんですね。鈴仙の予想通りSAO帰還者でいいと思います。正体はラフィン・コフィン、たぶん……ごめん、くまのプーさんしか覚えてないの。脳の一部が壊死したフルダイブ不適合者ですからネクサスで暗躍なんて無理ね」
急速に広がるVRMMOワールド間の繋がりをザ・シード・ネクサスという。
『候補者はザザですね。SAOで赤い目の仮面を被ってました。「赤眼のザザ」を自称してたそうですが悪名を知られる前に血盟騎士団が拘束。細かく単語を区切る独特のしゃべりかたも一致します。私の把握してる範囲で二人殺しています』
さすがだねユイ。
以前SAO対策チームより奪取したデータベースから、ザザの個人情報がすらっと出てくる。さらに次々とウィンドウが開いては閉じ、開いては閉じ――ものの三〇秒で調査が終わったようだ。
『ザザこと新川昌一は東京都文京区に暮らす開業医の長男ですが、体が弱くて入退院を繰り返してるうちに高校を中退、その後はゲームの世界へのめりこみ、やがてSAO事件へ。リハビリ後は無職、親がせめて学歴くらいはと鈴仙さんの学校へ入学させましたが、籍のみ置いて一度も通ってません。殺人プレイヤーへ課せられたカウンセリングプログラムも病弱を理由にすべて拒否しています』
ユイや、いったいどこのコンピュータへハッキングしたんだい?
私の脳内パニックをよそに、鈴仙が情報を整理していた。
「そのザザって奴がステルベンで、BoBで悪いこと企んでるわけね? それを察知した菊岡さんの依頼で、桐ヶ谷くんが囮調査で派手に動いてみたけど、妖夢のほうが目立ってたし、たぶん不発。ベヒモスさんは菊岡さんの部下で、ステルベンと私との因縁を知っていて、万が一に備え現実サイドで警戒ってところ? ここに姫さまと私が下宿してるのって公然の秘密だし、ネットで検索したら数分で判明するのよ。ジョニーが姫さまに怨み持ってるけど、内部分裂でザザとは連絡切れてるだろうし、同時になにか事件を起こすのは難しそうね。まあ来たところでベヒモスさんと私服ガードたちが速攻で捕まえちゃうけど」
『ベヒモスさん――松田さんは元陸自の現警視庁SPですね。菊岡さんはいま総務省出向扱いですから、幻想課および仮想課を通じて彼の権限で動かせるのは表向き警察だけです』
「ユイ、あまり危ないところへ侵入しないでね。捕まりたくないですから……」
いくらユイが勝手にやっていても、日本の法律では私が悪いことになる。幻想郷には政府がないから、正式に交流してるいまじゃ治外法権はない。外務省にも対幻想郷の課や係はないし。人間が魂の研究を世界中で進めてる以上、妖怪の優位は数十年で消えるらしい。幻想郷は下手に独立を貫くより、積極的に日本の一部へ還るほうがいいんだって。
私と魔理沙のアイドル活動は、博麗大結界がなくとも妖怪たちが生きていける、住みやすい日本にする運動なんだよ……サボってゴメン。
心配しなくていいよと、ユイが自信満々に胸を叩いた。
『逮捕などありえません。私は菊岡さんのIDを借りて「正式」に許可取ってますから。ID-ALICEを出したとたんチェックも大甘になります。ひかえおろう、この紋所が目に入らぬか~~』
携帯の液晶内で、三人へと分裂したユイたち。ひとりが水戸黄門のコスプレしてて、あとが助さん格さん。紋所は防衛省マークだった。いくら天下のキャリア国家公務員だろうが、数々の情報源はどう考えても管轄外。越権が超法規すぎて恐い。
防衛省キャリアの枠組みを棒高跳びの世界記録更新みたいに突破しちゃってるあのリアルチート官僚、いったい何者なんだろう……。
「ねえユイ。そのIDアリスって、菊岡さんが自分の意思で貸してくれてるんです?」
『はい。新たな可能性を広げてあげるって言われまして。私が先につぎのステージへ登るかも知れないって。もしこの世の真相に気付いてなお好奇心が勝ったなら、ぜひ仮想課においでとも』
茅場みたいなことを言う。頭の良すぎる男が利益をほのめかして言葉をぼかしてるなら、あまり信用したらいけない。ただし私の彼氏を除く。男なら正義の味方でいるべきだって、利口なくせに本気で思ってる。男なら女を守らないといけないとも考えてる。だから和人はけっして私や明日奈を裏切らない。たとえ不審に見えても一時的なものだ。そんな愚かなところが、人に笑われたとしても私は愛しい。菊岡はなにを依頼したんだろう。
「菊岡さん、和人だけでは飽きたらず、餌で釣ってユイまで引き抜こうって腹ですか。そんなの許しません」
『以前ちゃんと報告と相談をしたと思うんですけど……それも二回も……妖夢さんまるで初耳みたいな?』
「およよ? 違うの?」
「妖夢……あなたってどこまで抜けてたら気が済むのよ。ユイちゃんがこんな大事なこと未報告なわけないじゃない。どうせ今夜のゴハンはなにかなーって感じで上の空だったとか、そんなんでしょ」
「……みょーん」
そのとき、鈴仙の携帯がぶるぶる震えた。
* *
「きゃっ、なにあれ! サンドイッチとペットボトルが宙に浮いてる……」
「なに言ってるのママ? ウサミミのおねーさんがいるじゃん」
若い母と幼い娘の親子連れが驚いてる。いや母のほうだけか。
「……じゃあ話に聞いてた妖怪さんがいるっていうの? ――まさか本当にいたなんて」
「あっ、お邪魔してます。近所に住んでるしがない妖怪です」
「サンドイッチがしゃべった! あっ、あの。撮影していいですか?」
「……どうしましょうか。用があるんですが」
『してあげてよ妖夢。これも幻想郷のためよ』
「はいっと、構いませんよ」
ぱしゃっ。
「あっ、たしかに写ってる! まるで心霊写真みたいで不思議だね――え? あっ! 見えた! 私にも見えてきた! これが妖怪なの? なんてきれいな。化粧してる様子もないのに、まるでモデルみたい。かぐや姫の従者ちゃんなのよね? その耳、触ってもいいかな」
「どうぞどうぞ」
「うわあ、やわらかくてあたたかい……生きてるのね。ふしぎ~~」
「ママばっかりずるーい。私もかぐや姫のウサギさんと記念撮影したーい」
* *
五分後、コンビニからようやく出てきた私は、早歩きで待ち合わせの公園へ急ぐ。慣らし運転を兼ね、また鈴仙に憑依中だ。私の肉体は置いてきた。半人と半霊は霊力が強いほど距離を取ることができる。私の場合は最長で……五〇〇メートルくらい? 測ったことないし。
もぐもぐ夕食のサンドイッチかじりながら念じる。
『飛んだほうが良かったかしら?』
『ミニスカで飛ぶの禁止。走るのも禁止』
鈴仙の恰好は私服で、幻想郷でのもの。見慣れたシャツとミニスカ。四五〇歳でも「若いみそら」だから、パジャマ外出はムリ。四〇〇歳すぎてもまだミドルティーン相当なんて、玉兎って半人半霊より確実に長寿命だね。
『夜ですし、どうせ信じてない人には見えませんよ』
食事してることもあり、声に出してしゃべってない。人の目もあるし。
『スカートめくれると喜ぶ連中にはかなり見えてるのよ私。彼らが死ぬまで若いままの嫁だから。妖夢は姿を隠せるから気軽に飛べるけど、私の場合は人の見てる光の波長そのものを操らないといけないから、マボロシ見て交通事故とか大問題だし』
以前はなかった悩みだ。日本との物流が活発化すると、幻想郷の女性たちは人間も妖怪も積極的に軽くてかわいい下着を穿きだした。ただVRMMOはほぼ全員スカート下はスパッツやレギンスで、貞操観念はしっかりしてる。
『これでまた一人、妖怪を信じる人間が増えてくれましたね』
『学校のみんなには見えてるけど、街へ出れば私が見えない人はまだまだ多いわね。とくに大人ほど』
私や魔理沙や輝夜は人間の属性が強いので、オカルトを信じない人にも見える。だけど鈴仙は違うから大変だ。
『私はみんなに見えてる妖怪ですから、鈴仙に憑依したおかげで面白い体験ができました』
半霊のほうは信じてない人には見えないけど、半人の体は必ず見える。
『ちっちゃい頃は不思議なものが見えて、大人になると見えなくなるってアレね。あと霊感があるとかどうとか。今後そういうのも減ってくると思うわ』
野良妖怪などそれこそ日本中に五万といて、毎日のように発生している。ほとんどのモノノケは力もごく微弱、意識も知恵もない赤ちゃんみたいな儚い存在だ。誕生して数日から数週間ていどですぐ消えてしまう。信心深い子供が見かけるものの多くが、体さえ持たぬ煙みたいな「なにか」だ。ごく一部が知性と自我を得て実体を保てるようになり、その段階でやっと「まともな妖怪」として認められ、さらに力が強まれば人型を取れるようにもなる。無意識で望むようで、女性の妖怪はほぼ人間の女そっくりに化けることが多い。日本人の白人コンプレックスと同じようなものかな? いまは妖怪にとって世知辛い時代だ。妖怪の種はつぎつぎ発芽するけど、水も光も足りないから、花を咲かせるまで生長できない。幻想郷ではいまも地場産妖怪が生まれてるのに。
『――はやく鈴仙が日本人全員に見える日が来たらいいですね。そうなればにとりも晴れて東京に引っ越せます。交通安全的に』
『車やバイクや自転車が私に気付かず突っ込んできたりするから、人通りの多い時間帯はあまり一人で出ないのよ』
見えないだけで、信じない人と重なれば透過するわけじゃない。
『スカート以外のボトムスで飛べばいいのに。ゲームとおなじくスパッツ穿くとか手がありますよね』
『まだ九月よ、重ね穿きなんて蒸れちゃうでしょ? それに飛んだら私服ガードの人たちが仕事にならないわよ。あの人たち上司から叱られちゃう』
『……たしかに』
背後から静かな気配が三人。さすがプロ、うまくつかず離れずだ。半霊を憑依に使っていてレーダーを働かせられないけど、鈴仙の能力らしきものでちりちりと感じられる。
何分かして児童公園についた。弱いライトひとつしかない小さな広場。そこでブランコを軽く漕いで待ってたメガネ姿の女の子。どこか儚げな印象のある少女。短髪で化粧っ気がほとんどない。鈴仙や輝夜とおなじ学校の制服を着ている。この子がシノンこと朝田詩乃か。これから羽ばたく蝶だね、なかなか良い素材を持ってる。
「先輩、遅いですよ」
「ごめんなさいね朝田さん。ちょっとコンビニでファンサービスしてました」
「……え? なんですか他人行儀に。雰囲気も違うような――」
「あっ。鈴仙、体を返します――じゃなく、ここは抜けておきましょうか」
半霊となってぬうっと鈴仙の後頭部より脱出だ。妖怪も人間とおなじく、霊魂の大半が脳に集中していた。
「きゃ!」
リアル怪談を目の当たりにして、驚きのあまりブランコより落ちてしまう詩乃。口をあうあうガクガク震わせてる。この子には幽霊も見えてるようだ。見える内容には個人差がある。
「妖夢、さっさと変身してよ」
そうだね。私の肉体なしで単独浮遊する一メートル半もの人魂なんて気味が悪いだろうから、ここはさっさと形を作っておく。
数秒でいっちょあがり、魂魄妖夢だよ……って。
およ?
――暗転。
* *
つぎの瞬間には数百メートル離れた鈴仙の部屋で目覚めてた。意識が肉体に戻ってきたんだ。
「……未熟でした」
半霊に意識移したまま、肉体から何百メートルも離して、さらに私の姿まで取った。
完全にオーバーワークだったね。私の能力は剣士だから、幽霊妖怪としてのスキルはまだ高くない。いくら霊力が強くとも使い方はまた別の理屈だ。
「半霊レーダーや感覚共有は……疲れていて利かないようね」
どうもほぼ限界距離に達してたようだ。半霊はいまごろ自動的に私のほうへ引き摺られてる。途中の家とか壁、みーんな擦り抜けちゃうから、あちこちでホラーが起きてそう。ごめんねみなさん、お騒がせします。
電話は……って、ユイごと鈴仙といっしょに連れてったんだった。詩乃の公園へまた行かないと回収できないね。
半霊が戻ってくるまで待とうと、そのまま疲れをほぐすように何分か柔軟してると。
『うわっ』
半霊が隣に住んでる人をびっくりさせてるし。ベヒモスさんの声だ。
壁をするっと抜けてきた半霊が、私の背後という定位置へと収まる。戻ってきたね、お帰り。これのおかげで私は背中を取られても平気だ。
鈴仙のパジャマ借りたままでは悪いし、ほかに替えもないからドタキャンしたステージ衣装で窓より出る。隣の窓が開いていて、見知った顔がこちらを見てた。マッチョな護衛さん。
「あっ、ベヒモスさんお久しぶりです。鈴仙から聞いてます。この窓、私じゃ鍵閉められませんので、あとはよろしくお願いしますね」
「…………」
あら? マッチョさんの顔が溶けるようにほぐれて、にたあぁって喜んでるんだけど。
「さっ、サインくれ! 握手もお願い! できれば一緒に写真も! 大ファンなんだよっ!」
「…………へ?」
* *
二〇二四年九月一六日。月曜だけど祭日なので決勝に選ばれたそうだ。昨日の日曜に予選を行っている。土曜なら仕事の人もいるので、今回ザスカーの選んだ日取りは大当たりだったんだって。鈴仙によればてっきり前回とおなじ八〇〇人ていどと思ってた参加者は、もっと多くて一〇〇〇人近くもいた。
第二回バレット・オブ・バレッツ、最強者決定バトルロイヤルがまもなく始まる。
総督府タワー地下一階の酒場ゾーン。そこに本戦出場を決めてる三〇人の一人、名物プレイヤー『うどんげ』がいる。カウンターで孤独にカクテルを揺らして無言だけど、頭の中でずーっと会話してて、ウサミミがせわしなく動いてる。
『今日の盛り上がり次第では、次回はもっと参加者が増えるかもしれないわ。優勝するなら「協力者」の多い今回が最初にして最後の機会かもしれないわね』
『鈴仙ならそのうち勝てるんじゃないですか? 何年もやってれば。妖怪だから反射神経も劣化しませんし』
外見が若いなら、人妖の脳は一〇〇年後だろうが二〇〇年後だろうがずっと若々しいままだ。いくらフルダイブ世界が肉体や体格の差を乗り越えるといっても、脳年齢の差は埋めようがない。
『そんな甘い話じゃないわよ。私は月の都で一〇〇年、弾幕シューターとして二〇年、ネトゲやオンゲで八年も銃を撃ってるのに、公式戦はまだ無冠なのよ。トップ集団になんとか入れても、肝心の頂点を極められるほど上手になりきれないってわけ。GGOでもあっというまにシノンに抜かれてるわ。彼女の異名は「冥界の女神」ってクールなのに、私はよりによって「名物」なんだから。なによ名物って、観光みやげのお菓子か!』
憑依してるから鈴仙の悔しさが直接伝わってくる。本気で勝ちたいんだ……たとえズルでも。かつてオリンピック選手に対して「寿命と引き替えに取れるとすれば、金メダルが欲しいですか」という悪魔のアンケートがあった。ドーピング問題への意識調査だったが、なんと過半のアスリートがYESと返答した。オリンピックへ出るような選手は人生の多くを競技へ捧げてきたような人たちばかりだ。勝てない選手へ努力が足りないとか言うアホがいれば、殴られても文句はいえない。鈴仙はそういう境地に達している。私は自分がまだ強くなれると知ってるけど、鈴仙はやり尽くした果てに、おのれの限界へぶちあたってしまったんだ。
『ごめんなさい、私が軽率だったわ。山童だって何十年もサバイバルやってるのに、GGOではさっぱりですものね』
山童たちも個々に能力を持ってるけど、多くが銃の腕とは結びつかない。鈴仙もその能力は波長。特殊すぎて競える相手のいない、孤高の優勝者。だから才能が足りなくても、慣れ親しんだ銃器の世界で強さを求めるしかなかった。私は能力がたまたま人と競えるものだった。才能の有無は知らないけど、伝統と流派と師匠と武器に恵まれてここまで強くなれた。これだけ境遇が良ければ、私でなくともきっと強くなれるだろう。幸運だった。
『……奇跡的にうまくいったら、最後は「協力者」同士で決着つけるわけだけど、大丈夫?』
『鈴仙?』
『魂魄妖夢は彼氏と「殺し合う」ことになるのよ。桐ヶ谷くんはあなたと真剣勝負の機会を得られて、どう控えめに見ても張り切ってたわよね。だって私がめちゃくちゃ優勝したがってるから、どうしてもガチになる』
『……みょーん』
そうなんだ。最初は巻き込むのは鈴仙だけにするつもりだったのに、詩乃ことシノンを通じて、キリトまで一緒になってしまった。いやどのみち鈴仙とタッグ組むって教えないと意味ないから結果はおなじだったけど。
* *
詩乃が鈴仙を呼び出したのは、キリトについての相談だった。「うどんげ先輩」の世話になってきたシノンは、その恩返しとばかりに、初心者プレイヤーの「女の子」と勘違いしたキリトへ親切にレクチャーした。キリトもキリトで、よせばいいのに自分の正体を教えず、なあなあでシノンと意気投合しちゃってたんだ。私や明日奈で女の子の扱いに慣れてるし。男にはすぐ虚勢張るくせに……武器購入資金にと、超難度の懸賞金つき弾避けゲーム完全クリアして『弾道予測線を予測するゲーム』とか抜かしたですか。たしかにGGOも相手の「目」を見切ってれば楽勝だもんね。サバイバーならほかにも何人か出来るんじゃない? 勘で避けてる私はもう一段階上だけど。
で、やっちゃったエロキリト。
予選寸前、シノンに更衣室まで連れてこられたキリト。いつものラッキースケベ体質が発動し、シノンの下着姿を上下くまなくしっかりその目へと焼き付けたわけで。慌ててじつは男ですと告白し謝ったものの、良好だった関係は一瞬で崩壊、そのうえ予選トーナメント決勝でフェミニスト気取って降参させ、シノンちゃんさらに怒りの大魔神。おまけにSAOとALOの「英雄キリト」と判明した日には、どう反応していいものやら。
そのぶつける先のない鬱憤をせめて愚痴として吐き出そうと鈴仙先輩を呼んだら、なんとキリトの彼女までついてきた。妖怪アイドルの私が。
私だったらどう思うだろうか。もう大混乱だ。シノンは心療の一環でGGOをプレイしてるらしい。なんらかの渇きを満たすため、大会で勝ちたいだろう。なのに公私とも恵まれた有名人が、排除しなければならないライバルとして立ち塞がろうとしている。譲ってくれよと文句のひとつも言いたくなるよね。私とキリトは銃撃ゲームの初心者だったけど、BoBは個人戦だから台風の目になってしまった。もしチーム戦なら突出しすぎ、十字砲火の豪雨でやられてただろうし、それ以前にどこも入れてくれない。
シノンにとって私たちは鬼門だ。止めうる武装はショットガンくらいしか残ってないけど、鈴仙によれば散弾銃を使ってるところを見たことがないという。慣れない武器はそのぶんシノンを弱体化させる。ほかのライバルにも勝ちづらくなる。
悩んだ詩乃の結論は、「私も協力させて!」という、至極――開き直ったものだった。
鈴仙の部屋に戻ってみんなで密会した。ユイはオブザーバーで、和人も携帯のテレビ電話機能で参加する。埼玉から呼ぶにはもう時間が遅かったから。私がアカウント停止にまで至ったと知って、さらに鈴仙に憑依して参加すると聞いて、完全に呆れてたよ。
「私は優勝したいんです。悪夢を克服するために」
詩乃の目は本気だった。
「私も優勝したいわ。一〇〇と二〇年越しの夢として」
鈴仙も譲らなかった。
仲の良い先輩後輩が、一人しか立てない頂点を巡ってにらみ合っている。
ユイと鈴仙の情報を提供すると、和人もやっと菊岡さんの依頼内容を教えてくれた。
『警察に謎の犯行予告があったらしいんだ……ガンゲイル・オンラインのバレット・オブ・バレッツが恐怖に彩られるだろうって。えーと、メモは……これだ。「偽りの強者が、真なる力によって裁きを受けるだろう。その強者の死によって、仮想現実を超越した現実の破壊と死が起こる。本当の力、本当の強さを見せてやろう。愚かなる者どもよ、恐怖とともに知るがよい。俺の名は――」、なんだこれ』
「……よ、予告者の名は?」
促す私はすでにそうだけど、言ってる和人も噴き出すのを我慢してた。
『――死の銃と書いて、デス・ガン』
数秒後、私たちはみんな腹を抱えて笑ってしまった。まあ私も自分の技に恥ずかしい名前付けまくってるから人のことは笑えないし、SAOでもそういう名前の技をでっかく発声して使ってた。そんなお年頃なんだ。自分や仲間は良くて、人だと笑ってしまう。
イタズラと捨て置くには、最近のVRMMOでは注目される事件が起きすぎていた。筆頭はSAO事件だし、ゲーム内での対立から現実での殺人にまで発展したケースも数件ある。ちいさな傷害や脅迫など星の数ほどあるけど、つい最近もイメージダウンとなった事件があった。新宿の路上で自作のスチールソードを振り回し、無差別に人へ斬りつけた男が現行犯逮捕された。一〇人が負傷し、二人が重傷。警官が拳銃で足を撃ち捕縛した男は、名を倉輝緒――クラディールだ。ドラッグで幻覚を見ていたらしい。
そういった事情をふまえ、GGO開発運営の米国ザスカー社へ情報を伝えようとした。しかし所在地すら不明で連絡が取れない。アメリカは超訴訟社会だ。ゲーム内容とリアルマネー還元システムからトラブルが起きやすく、完全秘密主義を貫いてるようだ。仕方ないからアカウント作ってGM呼んで伝えたけど、いきなりアカウント停止。わざわざ官公庁のIPで本物アピールしてるのにありえない仕打ち。複数のルートでも伝わらないから、業を煮やした警察は総務省通信ネットワーク内仮想空間管理課――通称「仮想課」へ連絡したそうな。担当は菊岡誠二郎。
幻想郷とSAOに関わった実績および人脈により、菊岡氏は総務省の仮想課・幻想課へ二重所属してる。予告者は「オンラインの死がリアルも破壊する」と考えられない奇想天外なことを言ってるため、在野にいる未知の異形も考慮された。それで菊岡より意見を求められた紫さまが告げたそうだ。
――GGOへ桐ヶ谷和人を派遣しなさい。そういう『運命が視えている』そうよ。
レミリア・スカーレットだ。以前キリトを視て、いろんな「オンライン上」での運命を知った。どうやらそのうちの一つが今回の事件らしいね。和人も得心してる。
『俺が適当に動いていれば、勝手に誘われるらしい。明日奈にだけ伝えたのは、未知数な部分が多くて確信が持てなかったのもあるし』
キリトはSAOとALOの勇者だ。それがBoBで暴れれば、デス・ガンとやらをおびき出せるかも。最初から強いアバターを得るためコンバートも利用した――でも釣れたのは私だけだった。さらに私が鈴仙と和人の仲介となり、情報を交換・共有するに至った。
鈴仙が首をかしげる。
「ベヒモスさんの件は? すでにラフィン・コフィンと妖怪との対立を予測してるみたいな動きだけど」
ユイがカバーする。
『菊岡さんのことですから、そのていどリサーチ済みだと思います』
『つまり俺たちの動きは確実性を増すための、まさに囮にすぎなかったってわけか。人が悪いな、水面下ではとっくに「当たり」を付けてたわけだ。俺は妖夢用の疑似餌で、ステルベンのターゲットはまさにきみだよ鈴仙さん』
「すこし恐いけど、問題はバーチャルとリアルを同調させるトリックが不明ってところね。デス・ガン候補としてステルベンのことを知らせます?」
『いちおう菊岡氏に報せておくよ。なんの動きもないってことは、脅迫罪で検挙できない……つまり証拠を押さえてないってことだし』
最後に詩乃が突っ込んできた。
「大会を止めろとか具体的な要求がありませんから、これってまだ軽犯罪じゃないですか? 苦労のわりに点数を稼げないから、警察も面倒を押しつけたんですよきっと」
中学生の指摘に、いつのまにか脅迫と勘違いしてたキリトが「してやられた」って顔してた。私も気付かなかったよ。
こうして話はまとまった。私と鈴仙、キリトとシノンの、四人による共同戦線だ。ステルベンはおそらく鈴仙を狙ってくる。そこでなにが起きるかは不確定要素が多いけど、すくなくともリアル側は強力なガードマンが何人もいるから物理的には手出しできない。とにかく証拠を掴ませるよう働きかければ良いみたい。
* *
『……出来レースになりそうですけど、あとは私たちの腕しだいですね』
鈴仙がカクテルをぐいっと一気呑みした。試合前だけど仮想現実だし酔わないから、景気付けにはちょうどいい。
『大層な絵空事って思わない? 全員を退けたあと、優勝したい私とシノンで対戦、キリトはさっさと負けておく。私とキリトが残っていてシノンがすでに敗退してたら、私が引っ込んで妖夢が出てきて、キリトと対戦……これほどデタラメな胸算用なんて、我ながら誇大妄想ね。ほかの二七人もとても強いのに』
『三〇人のうち三人もが協力するんですから、勝算はあると思いますよ』
『まあいいわ、どれほど無謀な計画だろうとも、まずは実行してみることよ』
大会本戦は三〇人がひとつの戦場で戦うバトルロイヤル方式だ。ルールは単純で、最後まで残っていた者の勝利。逃げ回ってもいいし、共闘も認められている。隠れつづけても良いが、位置表示のペナルティが課せられる。
あと一五分で、楽しい殺し合いがスタートする。
* *
第二回本戦のバトルフィールドは、ゲームがはじまる瞬間まで公開されなかった。
だから転送された南国の島で鈴仙がマップデータを表示させたとき、私は思わず笑ってしまった。
『これは楽しい観光旅行になりそうですね!』
『私がいるのって沖縄か……端っこすぎるわよ。囲まれてるよりはましだけど』
見事な日本列島が浮かび上がってる。輪郭だけは本物そっくり。マス目から見て、北海道から沖縄までおよそ二〇キロほど。縮小したミニ日本だ。
『とりあえず北上するわね』
『警戒しなくていいんですか?』
まったく周囲を見てない。
『プレイヤーは最低一キロ離されるのよ。ここは沖縄島のしかも最南端近くだから、いるとしても北の奄美諸島とかじゃない?』
西の海岸つたいに北へ駆けていく。両手にM24SWSを持ち、すぐ撃てる状態。銃架は倒してる。街はなくてずっと大自然だ。陸側はすぐ深い森……というより林だから、高速で動くなら海沿いを走るのが手かな。
ミニチュアの沖縄島は狭くて、数分ですぐ北の端。
『珊瑚の環礁みたいな絶景だわ』
幅数十から一〇〇メートル、深さ二〇~三〇センチほどの遠浅が北北東に伸びている。うっすらと見えてるのは対岸の九州島だろう。その手前にひとつかふたつ大きめの小島が見えており、おそらく奄美諸島などだ。
『本土へは浅瀬を伝っていくわけですね』
『身を隠す場所がないし足下も水だから、島から狙われたら不利よね――さて、いったん森に退くわ』
『どうして?』
『まもなく最初のサテライト・スキャンがあるからよ。一五分おきに全員の位置を知らせる、BoB本戦独自の機能』
忘れてた。それがないと戦場が広すぎて、この大会は決着まで何十時間も掛かるだろう。スキャン結果はアイテム端末に表示される。
森……どうみても林だが、そこへ戻り、適当な場所で伏射の態勢を取る。銃口を向けるは奄美。
……五分後、最初のサテライト通過。
『やはりいたわね。奄美の南端にいるから、まちがいなく沖縄より北上してくるやつ、つまり私を待ってるわよ……ペイルライダーか。残念ながら初顔合わせね。戦闘スタイルは知らないけど、スナイパーでないことだけは確かよ』
『名前も分かるんですね。キリトたちは?』
『あなたの彼氏さんは北海道よ。ふたりに囲まれて戦闘中みたい。どちらも強い人だけど、彼なら大丈夫でしょう』
『シノンは?』
『楽しそうな登山してるわよあの子』
鈴仙が指さしたのは富士山だった。その山頂に向かって進んでる光点がひとつ。名は……シノン。ヘカートIIの大火力を活かすには、最適の場所かもしれない。
『ステルベンは?』
『――どこにいるのかしら? あっ、消えた……つぎは一五分後よ』
鈴仙が待ち伏せをやめ、大胆にも林を出て身を晒す。M24SWSの先端には銃剣装着。
『接敵まで体のコントロールをあなたに任せるわ。しっかり避けまくってよね』
さっそく意識チェンジだ。私が表へ出てくる。このうどんげというアバター、筋力値と俊敏値を多めに振ってるため、重い銃を持ちつつも鈴仙の体はなお軽い。浅瀬へ入っておもむろに奄美方面へ突っ込んでいく。ほかにルートはない。
『スナイパーなのに積極的に前へ出る――おかしなものですね』
『妖夢と組んでるから可能な方針よ。すこしでも早くシノンたちと合流するには、途中にいる邪魔者みんな短時間で排除しなければいけないから。バトロワ形式だとスナイパーって漁夫の利を得やすいから、見逃してくれる甘い人は少ないわよ』
一分ほどじゃばじゃば走って、だいぶ奄美が近づいてきた。あと一〇〇メートル――
「来たっ!」
私が左へ回避しはじめた直後、マズルフラッシュの輝き。さらに弾丸の塊が一瞬で飛んできて、後方の水面を広範囲で波立てた。
『えっ、いま撃ってくる前から避けはじめてなかった? どうやって狙われてるって察知したの? 初弾にはアシスト働かないのに』
『勘です』
また来た。すぐ右へ大きめに動く。足下の水がかき混ぜられ、透明だったものが濁る。半秒後に今度は予測線が発生する。たくさんの子弾で構成された、直径一メートルを越す円だ。すぐに実弾が飛来して、寸前まで私のいた場所を「面」で貫いた。
『ちょっ! この足場で散弾クリーン回避しちゃうなんて、どういう見切り技よ』
『見切りじゃないですよ。見てから動いてたら当たるじゃないですか――あえて言うなら、心眼かしら?』
SAOのときから得意としていた。敵やプレイヤーが私を注目して生じた、わずかな処理の差を「気配」として察知できる。気が強くなった瞬間にさっさと避ければいいんだ。キリトもSAO終盤で可能になってたみたいだけど、「稽古」しなくなった今はどうだろう。気を感じる心の目は、使わなければすぐ衰える。私は半霊で意識的にいつもやってるから、高いレベルで維持されてる。
前進速度をすこし早める。ショットガンの散弾がしつこく狙ってくるけど、みんな左右や伏せで回避する。避けながら突撃は――さすがにやらない。このアバターはあくまでも鈴仙だ。怪しまれないためにも彼女の運動能力で可能な範囲に留めなければいけないし、たぶん私の運動神経にこのアバターのステータス値が追い付かないと思う。AGI特化とやらじゃないから。
一方的な射的が五分ほどつづいたけど、すべてクリーン回避してみせた。そのあいだに八〇メートルほど距離を詰め、ペイルライダーのいる小島へ上陸を果たす。正面の小さな高台に陣取っていた敵の姿が見えない。場所を変えたようだ。
『無傷なんて、や・り・す・ぎ。長丁場で回復アイテム使っていい戦いなんだから、多少のダメージは受けても構わないのよ』
『およ?』
『あなたがいまやったのは、足下が泥でぬかるんだ戦場で、マシンガン目掛けて突撃した歩兵がなぜか無傷で生き延びちゃうようなものよ』
『短時間で排除するしかないって言ったの鈴仙なのに』
『……まあいいわ。やっちゃったものはしょうがないし、今後は気をつけてね。私はあなたほどデタラメじゃないから』
『敵に近づきましたので、体のコントロール、鈴仙に戻します』
『あとは任せなさい。まずは私がどう戦ってるか、実地で示すから』
鈴仙はペイルライダーのいた丘には向かわず、右からの迂回ルートを選んだ。頭の上でウサミミが反り立っている。
『私にも聞こえます。すごい聴力ですねこの耳』
濃密な音情報だけで私にもわかった。丘陵の向こうへ退いたペイルライダーは、鈴仙が高台を登ってくるか、または侵攻しやすい島の左側から来ると睨んで待ち伏せている。
M24を背負うと右側にある岩壁をよじのぼり、さらに高所を取った。伏せた状態でライフルのスコープとウサミミの両方で探索し、わずか五秒足らずで林の影に潜んでるペイルライダーを発見する。迷彩スーツとシールド付きメットでうまく溶け込んでるけど、相手が悪かったね。衣擦れ音ひとつで見つかるんだ。距離五〇メートル。即座にウサミミを倒し、ヘルメットへと密着させる鈴仙。たしかに敵に見つかりやすいもんね。
「……スナイパー相手に待ち伏せなんて、ばかな人」
数秒後、一撃で仕留める。
* *
つぎのサテライトで鹿児島に誰もないことを確認すると、鈴仙は奄美から屋久島・種子島を経由して一気に九州へ上陸した。東岸を北上する。
『ステルベン、どうします?』
やっとデス・ガン候補を発見できた。最初に見つけられなかったのは、マップの端っこ、東と南の果てにいたからだ。
『しばらく放置しておくしかないわよ。だって……南鳥島とか』
洋上の孤島、リアルでは日本本土から二〇〇〇キロ近く離れた僻地中の僻地だ。このマップだとおそらく直径一~二メートルていどの平らな岩だろう。その上でひとり寂しく体育座りしてるステルベンの姿を想像して、くすくす笑いたくなった。
彼がバトルロイヤルへ参加するには、もし船の類がないなら泳いで渡ってくるしかない。浅瀬を示す地形が周囲にまったくなかった。
『ステルベンの出現位置って、バグでしょうか』
『日本のメーカーならまずやらないけど、きっとアメリカンジョークよこれ。テストで見つかったバグを、面白そうだからそのまま残したとか。幸運と笑うか不運と嘆くかは、ハードラックを引き当てたステルベン次第ね。とりあえずサテライトで船があるのは確認できたからそれで良しとしましょう』
佐渡島の近く、海上にプレイヤーがいた。ネームは薄塩たらこ。目に見えて高速で動いてたから、おそらくモーターボートかなにか。
『なんにせよ問題が後回しになるのは、私も助かります。デス・ガンの予告するトリックは鈴仙が対決しないと分かりませんから、その前にほかの誰かに倒されずに済みますので』
まずは先に進むことだ。
ルート上に横たわる川はどれも幅一〇から二〇メートルていどで、掛かってる橋はすべてまったくおなじ見た目だ。転がってる石ころの大きさや場所まで変わらない。たしかに適当だ。橋を渡るたび鈴仙から一時的にチェンジする。私には狙撃が通用しないから、橋のような狙われやすいポイントは用心するに限る。
耳川の橋を通過中、対岸からサブマシンガン使いの奇襲を受けた。例によって初弾を撃たれる寸前に気の増大を感じ、とっさに橋から川へ飛び込んで回避した。サテライト・スキャンですでに接近は察知してたけど、わずか数分で一キロ近くを移動してさらに奇襲ポイントを選定しベストタイミングで攻撃してくるとは、大胆な中に確実なうまさを持ってる。
『あのモヒカンはギンロウね。ダインの仲間。軽率なお調子者だけど思い切りがいいから、わりと強かったりする人よ』
『まるで私たちみたいですね』
泳ぎながら岸辺近くのススキ原へ移動、身を隠しながら上陸した。ギンロウは慎重に接近しつつ草むらへ一発ずつ撃ち込んで、様子見している。
「うどんげちゃーん、いるんだろー? 俺が勝ったらデートしてよー!」
『失礼なやつですね。このまま私が撃ち殺しましょうか? いくら素人でもこの距離なら外さないと思いますし』
せいぜい二〇メートルだ。
『それは無理ね。M24の左上に水滴マークとバーアイコンが発生してるでしょ? 水に浸かった銃はペナルティで一定時間撃てなくなるのよ。ギンロウもそれを知ってるから、狙撃銃相手にああやって身を晒してるの。妖夢、また私が倒すから任せなさい』
『私が銃剣つき狙撃銃を振り回したらきっとエクストリーム剣術になりますからね。お手並み拝見』
勝負はあっというまについた。プラズマグレネードで攪乱しつつ「チャージ!」と叫んで銃剣突撃を敢行し、モヒカンを串刺しに退ける。
『わお、二撃でHP全損とはやるじゃないですか』
『まだまだ。あなたと彼氏さんは一刀で倒してたじゃない』
今度は二発ばかり腹に受けHPが三割ほど減ったが、すぐリペアキットで回復する。見た目は無針注射、回復ペースはSAOとおなじでゆっくり。
『サブマシンガンってあまり痛くないんですね』
『拳銃弾使ってるしね。リアルの人間なら一発で即死か行動不能だけど、この世界じゃ妖怪モドキで、数当てないと動き止められないのよ』
『だから受けてもいいって言ったんですね』
『防御貫かれて大丈夫なのはショットガンの子弾二個までとハンドガン、サブマシンガンくらいよ。アサルトライフルからはダメ。ダメージでかすぎて行動不能ペナルティ受けちゃって、動けないうちにトドメ刺されるから』
九州をだいぶ北上したところで、四国島がくっきり見えてきた。
端末で定時サテライトを確認すると、光点がすでに一八へと減っている。キリトは北海道と東北の覇者となり、日本海側を新潟まで南下してる。彼の進んだあとに光点はひとつとして残ってない。キリトが倒したというより、途中からみなが恐れをなして逃げたというほうが正しい。富士山の周辺も見事なくらい空白地だ。シノンを倒そうとした者はすべからく返り討ち。あと南鳥島に誰もいない。
『ステルベン、消えてますね』
『海に飛び込んで溺死でもしたのかしら? 三〇秒すぎたらHPが減り始めるのよ』
『この本戦って、やられても「死体」としてずっと残るんですよね。自滅でも?』
ペイルライダーもギンロウもその場で消えずに倒れたままだった。
『たしかどんな理由でも変わらなかったはずだわ』
本人がアミュスフィア側の条件設定などで強引にログアウトでもしない限り、その場に死体として意識ごと残ったまま、大会終了までライブ中継をのんびり観賞することになる。
『あの骸骨マスク、いまごろ海底で魚の餌になりながら鈴仙を見ているのかも』
『……まあいいわ、私は優勝目指して全力を尽くすだけよ』
この先、どういうルートを辿るかで話をする。
『地形が複雑な瀬戸内ルートはのこのこ撃たれに行くようなものね、ここは南四国を伝って淡路から本土へ渡ろうかしら』
『四国の最高峰、石鎚山のてっぺんに獅子王リッチーという人がいますが。ライフルで狙われませんか?』
なにせミニ日本だから、山岳はおもだった山しか再現しておらずあとは適当な丘陵だ。石鎚からは西四国全体を狙えるだろう。ミニ四国島は東西二キロもない。
『そいつはスナイパーじゃないから無視して構わない。据え置きの重機関銃で近づいてくる人を掃射するタイプだから、こちらから近寄らない限り恐くないの。ベヒモスと似た爽快なバカね。嫌いじゃないわ』
『鈴仙でも狙撃しない人は放置するのね』
『狙撃銃って、有効射程が飛び抜けて長いのよ。シノンは一キロ以上離れたターゲットでも一撃で仕留めるわ。私も八〇〇メートルまでなら余裕よ。一キロでもたいてい二発以内でケリを付ける――まあBoB本戦に出てくるレベルの人には、その二発目がまず通用しないけどね』
『でもどうやって四国に渡るんです? 浅瀬もないし、九州の北まで行けば山口へ橋で渡れますけど』
『泳いでいくに決まってるじゃない』
メニューからいきなり装備一括解除を実行した。つぎつぎストレージへ自動収納され、下着姿になってしまった。スパッツすら消えてる。
『なにしてるんですか! これって中継されてるんでしょう?』
『放送してるならカメラを示す水色の輝点がすぐ近くにあるはずよ。ペイルライダーのときも、ギンロウのときもあったと思う。でも今はないでしょ? まだ生存者が多いから、戦闘してるとこしか流さないのよ。終盤戦で脱いだら晒し者になるけど、いまは平気』
さっさと飛び込み、対岸の四国目指してクロールで泳ぎはじめてる。
『……でも流す対象をセレクトするスタッフには見えてるわけですよね』
『さあ、その辺りはどうなってるか知らないわ。プログラムで判別してると考えたほうが自然じゃない?』
『大胆ですね鈴仙』
『しょせん仮想現実のデータよ。恥ずかしがっても始まらないわ』
『その割り切りがちょっと理解できませんね。ALOでもアスナとシリカは一向にミニスカの下をガードしないんですよ。いくらキリトやクラ之介たちに見られようとも、かるく怒るだけで対策しないの。露出狂かしら?』
『憑依した妖夢は口が悪くなるって本当なのね。変身したべつの自分だからじゃない?』
『ふうん……』
一分ちょっとで四国に上陸する。ここは宇和島近辺? ステータス値だけなら現実の人間を大きく凌駕してるし、装備をストレージへ放り込めば身も軽くなる。ミニ日本だから海峡モドキ通過もあっというまだった。水中継続ダメージによりHPが五割近くも減少していた。またリペアキットを腕に注射して……
『鈴仙、どうも水色のが空中で光ってるようですが』
「きゃーっ!」
とつぜん女の子らしい悲鳴をあげ、ライブ中継カメラからトンズラする下着少女うどんげ。これはまた「名物」らしいエピソードが加わったね。
* *
『これって貸しボートですよね』
『どうもレンタル乗り物のようね』
高知に相当するエリアを海岸伝いに東進中、開けた浜辺に桟橋と建物があった。サイバーな感じが周囲の大自然と落差ありすぎて笑いそうになる。アメリカらしい大雑把さだ。
『借ります?』
『たらこさんも乗ってるし』
腹に「Whale Watching」と書かれた銀灰色のモーターボートで海へ出た。大きさは三人乗りくらい。狙撃銃も届かない沖合二キロくらいまで離れてから、富士山の方向を目指す。途中でクジラが潮吹いてた。
誰もいない穏やかな海原を軽快に進んでいく。定時サテライトで確認すると、キリトは関東平野へ入ってやはり縦横無尽。シノンも堅調なようだ。生存者は確認できる範囲で一四人。私たち以外に海へ出てる人は――相変わらずたらこだけで、日本海側で洋上狙撃手みたいな真似して暴れてるみたい。多くのプレイヤーが移動に岸沿いを利用してる。内陸はすぐ森や草原に湿地で道はあまりない。市街地は東京・名古屋・大阪の三箇所。
『……ねえ妖夢。消えてたステルベンが復活してるわ』
『あら本当ですね』
南鳥島にステルベンが戻ってる。たしかいなくなってから二度目のサテライト・スキャン……
おかしな現象が起きた。スキャン結果表示時間がすぎてほかのプレイヤー位置が消えたのに、ステルベンだけ表示されたままなのだ。
『なにこれ? またバグなんですか?』
『……ボートの進路をステルベンへ向けるわよ。これは先に倒しておくべき敵かも』
モーターボートは時速四〇キロくらいで進んでるから、二〇分ほどで付く計算だ。念のため燃料計は――無限大ですか。ビバ、アメリカ!
『いったいどうしたんです?』
『特別ルールを利用して自己アピールを図ったのかもね。サテライトは物理的に衛星軌道より確認できないプレイヤーをスキャンしないって、それっぽい仕様になってるの。たとえば洞窟に隠れてたり、建物の地下に入ってたり、水に潜っているといった具合ね。やつが消えたのはたぶんそれ』
『じゃあこの表示されっぱなしは?』
『ペナルティよ。三〇分間継続して一〇〇メートルの範囲内に留まれば、その後ずっと表示されたままになる。固定を選んだシノンやリッキーですら、ペナルティ回避のため細かく動いてるわ』
『……いまは四回目か五回目のサテライト・スキャンですから、最初は島から泳いで離れ、また戻ることで、それを回避してたんですよね』
『ええ。でもそれを止めたのは、たぶんモーターボートの存在を知ったから』
『たらこですね』
『自分から動けないなら、あちらから来て貰えばいいって単純な発想よ。私の見立てでは、このままだと洋上スナイパーしてるたらこさんが大回りしてステルベンを潰しにかかるわね。それじゃせっかく隔離状態にあったステルベンの謎が解明できないから――たらこが動く前に、先に対決するわ』
『キリトとシノンとは、ぜんぜん共闘できませんね』
『出現位置がお互い悪すぎたのよ』
歩いて渡れる浅瀬が伊豆・小笠原島弧としてマップ中央南部を縦断してる。そこを南側より迂回しつつ、南鳥島を目指す。
……暇な時間がすぎていく。
『ねえ鈴仙。ひとつ疑問があります』
『なに? そろそろ到着するわよ』
『ステルベンって隔離されてなければ、肝心のあなたと戦う前に、ほかのプレイヤーに倒されていた確率のほうがずっと高いですよね』
『……そうね。やつの実力は良くても私と同程度。ゼクシードや闇風やたらこさんクラスと出くわしたら、ものの数十秒で敗退しそうね。私は彼らと戦い慣れてるから、なんとか三割は粘れる。でも戦った経験がなければ、腕の差はそのまま絶望的な分厚い壁になるわ。それは私の銃剣が初見殺しとして猛威を振るってるのと同じ』
『じゃあどうして犯行予告なんかしたんでしょうか。勝算があるんですよね』
『…………言われてみれば』
『私や鈴仙がやってるようなチートっぽいトリックがあると考えるのはどうでしょう。妖怪が手を貸してるとか』
『いくら小島でぽつんと座ってるバカを一方的に撃つだけとはいえ、気をつけないとね』
油断は禁物と心を引き締めた鈴仙だったようだけど、五分後、まるで拍子抜けの光景を目にすることになってしまった。
……誰もいない。
スコープを覗いてる鈴仙が首をかしげる。私も鈴仙の中で「はてな?」顔だ。
「どういうこと?」
南鳥島は想像してたまんま、とんでもなく小さな岩だった。海のどまんなかに顔を出している、二メートルていどしかない岩テーブル。こんなところに一時間以上もひとりぼっちで誰かいたとすれば、とんだ漂流者気分だ。
アイテム端末でマップを見る。やはりプレイヤーがいることを示している。この大海の小岩とステルベンが重なっている。
『水に長時間潜っていられる装備ってありますか?』
『あるわよ、アクアラング一式が。でも役立つ場面が少ないわりに高く売れるから、みんな手に入れてもすぐ手放すわね。それにこれほど透明度の高い海なら、潜って隠れても見えちゃうわよ』
いちおう確かめるため、鳥島の周囲をくるくる巡ってみた。海に隠れて島をずっとバックとしていれば、鈴仙の耳が聞き逃さない。
『やはりバグなんでしょうか?』
『とんだホラーね。気色悪いけど近寄ってみる?』
『……そうしたほうがいいみた――避けて!』
どすっ。
たしかに見た。岩の上、なにもない箇所より閃光が迸ったのを。寸前にいつもの気を感じたんだけど、体の自由は私になかった。
「うっ、撃たれたの?」
胸元を確認している鈴仙。双丘の間にダメージを示す赤い円がくっきり描かれている。かなり口径が大きそうだ。だけど鈴仙の体が物理衝撃で吹き飛ぶことはなく……HPもほとんど減らず……バーのすぐ脇に「痺れ」を示すマークが点灯した。
『……電磁スタン弾。なんで? スナイパーライフル専用のMob捕獲弾なのに。あいつ狙撃銃まで扱えるっていうの?』
海へ飛ぶ込む音。視界の外側だけど、透明人間がこちらへ向かって泳いでるのだろう。おそらくステルベンだ。なんのトリックを使っていたのか。このボートへ達するのに、まだ時間がかかるはず!
『鈴仙――辛抱してください。いちど憑依を解いて現実に戻ります』
『頼んだわ……ベヒモスさんがいるから大丈夫だとは思うけど』
全感覚、ブラックアウト。
* *
目覚めるや即座に立ち上がり、徒手格闘の態勢を取る。個人所有ながら国宝指定を受けてる楼観剣・白楼剣は、普段持ち歩かず桐ヶ谷家で保管している。本格的な仙術を覚えた霊夢が、私にしか開閉できない強固な封印を施した。魔界の一部、法界とやらに隔離してある。
――鈴仙の部屋は静かなものだった。意識をゲーム世界に預けてる鈴仙の周囲に、怪しい者は気配も影もいない。半霊レーダーで走査するも、隣室に幸せウサギがいるくらい。幻想郷から出張してきたんだ。輝夜は寝てるみたいで、フルダイブ中?
「……てゐ?」
隣の居間へ出てみる。てゐがテレビ見ながら大笑いしてた。BoBのライブ中継で、半透明人間のステルベンが大写し。いまにも溺れそうな平泳ぎで超スロー。VR世界では練習しだいで誰でもスーパーマンになれるけど、慣れない動作はいまのステルベンみたいにリアルでの運動音痴が露呈してしまう。HPも減り始めてるし、まるでコメディ。緊張感が削がれてしまうよ。
「あら妖夢どうしたの? 喜劇の特等席から離れるなんて」
「輝夜さんは?」
「姫さまならALOに潜って元ディアベルやキバオウたちとBoB観戦してるよ。はるばるやってきた私は待機。こうしてれば鈴仙も安全さっ」
なにせ因幡てゐがいると不幸のほうから逃げていく。
「事件は?」
「とっくに解決したよー。姫さまのカメラで私が撮ってるから、見てー」
ソニー製のコンデジを渡された。輝夜だけあってデジタルガジェットは豪華、フルサイズセンサーを搭載し二〇万円以上もする最上級モデルだ。電源を入れ閲覧モードで確認すると、このマンション一階の渡り廊下で、ベヒモスに抑え込まれてる貧相な若者がひとり。何枚か連続で見てみると、周囲にはSPもいる。顔を幾度も殴られた形跡のある若者は、鼻や頬やアゴの骨が折れてるのか、顔面の輪郭そのものがすこしおかしい。おそらく危険な武器を持っていたため、ベヒモスも手加減できなかったのだろう。安っぽいプラスチック製の、見慣れぬハンドガンのようなものが転がっている。その先端より無色透明な液体がこぼれていた。毒薬?
「そいつ金本といって、旧ラフィン・コフィンのジョニー・ブラックだって。現実側の実行犯さ。ライブ中継とタイミング合わせて、鈴仙を毒殺するつもりだったみたいね。妖怪の本体は肉体じゃないから無駄なのに」
妖怪に効く毒や薬は、おなじゾーンで生きる者にしか調合できない。しかも妖怪の種類ごとに違ってくる。
「……ジョニーとザザは仲違いしてるはずなのに、なんで協力関係なの?」
てゐは肩を竦めた。
「さあ? まあそいつ姫さまを個人的に恨んでたし、鈴仙ついでに姫さまも害するつもりだったんじゃない? すべてはこれからの捜査で分かることさ。その金本ってバカ、私が写してると『カメラが浮いてる』って騒いでたよ。妖怪をありのままの存在として信じてないね。だから人間用の毒で殺せると楽観視したのかな。とにかくリアルはもう安全だから、さっさと戻って安心させてあげなよ」
* *
憑依し直すと、ハイライトシーンの始まりだった。
透明人間やめた骸骨マスクが、ボートへヒイコラ這い上がってくる。鈴仙みたいに装備解除してなかったので時間がかかり、地味にHP消耗しまくってのこり二割以下なんだけど。サテライト・スキャンで最初、表示ペナルティ受けてなかったのは、「死なずに到達できる距離」を探ってたのかな? 最初からこうするつもり……というより、わずかな可能性に賭けて。
仮面に水が侵入してケホケホ言ってる。かなり間抜け。だけど演技を忘れず、ひとつの拳銃を取り出す。それを右手に掲げ、空中に浮かぶ水色の中継カメラを確認していた。カメラ目線のまま、空いた左手で十字を切った。全身濡れネズミ、しずくボトボト落ちてる。
『妖夢! 私このままだと「処刑」されちゃう』
鈴仙かなりビビってる。ごめんね心細かったよね。
『大丈夫よ、あちらはすでに解決していたわ。実行犯……ジョニーは逮捕されました。ですからザザの奴がなにをしようとも、リアルのあなたは死にません』
『そ、そう……良かった――って、なんでジョニー? ま、話はあとで聞くわ』
『ところで麻痺してても例の能力で乗り切れるんじゃありませんか?』
『狂気の力? 完全に忘れてた』
だけどステルベン、なぜか鈴仙と目線を合わせようとしない。微妙に顔を反らして演技を続けてる。
『しまったー! 昨日ルナティック・レッドアイズであいつ倒したのよ。勘付いてる!』
『体は動かせる?』
『まだ無理。数十秒はなにも出来そうにないわ。エストック使わないこと祈るしかないわね』
十字を二度切ったステルベンが、拳銃の銃口をぴたりと鈴仙の額へと向けた。ただしあくまでも視線は合わせない。
「これが伝説の、始まり、となる。貴様ら、妖怪が、偽りとなり、俺が本物、となる。俺が最強、俺が王だ――」
エフェクトを掛けた不快な声だ。そいつは指に力をこめつつ――
「この銃と、俺の名は、デス・ガン、という。恐怖とともに、刻め。イッツ・ショウ・タイム」
ぽすん。
うん、不発だったよ。だって泳いできたからその銃も「濡れてる」のに。
「……?」
焦ってるステルベンの赤い目が、鈴仙と重なった。
『――テレメスメ・リズム!』
瞬間、ステルベンの全身ががくんと固まる。
『こうなったらチートばれてもいい! 全力で狂わせる!』
私にも伝わってくるよ。怒ってるね、鈴仙めっちゃくちゃ怒ってる。
鈴仙の狂気は強力で、彼女の人生すら狂わせてきた。一九六九年、アポロ計画による人類の月到達。月の都は「侵攻か」と一時騒然となり、歩兵だった鈴仙は実戦を怖れるあまり、自らの狂気に踊らされて脱走、地上へと逃れて幻想郷へ隠れた。裏の月に何十とある「異世界」のひとつにすぎないのに、アメリカがわざわざ同盟国由来の異世界をピンポイントで狙う理由があるのだろうか? 月の都は幻想郷より狭くて小さい。「都」を名乗ってるのは日本より移住した月人の趣向で、元は玉兎たちが餅をつくなどして暮らしていた。アメリカはむしろ欧州や北米起源の在月異世界と交流したがるだろう……その情報と能力があればだが。けっきょく月面着陸はただの「科学の成果」だった。そんなことすら見えなくなるのが狂気だ。
スペルカード弾幕で擬似的に表現された狂気しか知らないから、真の意味での「狂気」を見るのは初めてだ。たしかこいつはラストスペルだから、いきなり最強クラスの狂気技。うわっ、波打つ線が見えてきた。これが彼女の「視」ているザザの波長か。仮想の腕が二本伸びてきて、いきなりぱしんと、蚊でもやっつけるように叩き潰してしまう。押し潰された波長が不協和音で苦しそうにもがいてる。まるで死にかけの断末魔のように。
潰された波長のむこうで、赤眼のザザことステルベンがブルブル震えてる。いったいどんな狂気に染められたのだろう。波長能力の中でも狂気の領域は、破壊しかもたらさない不幸な力。滅多に使わないゆえ抑制も利きにくい。ターゲットが妖怪だから未遂で済んだものの、ザザたちの悪行は卑劣だ。SAOの暗部から抜け出せなくてリアル殺人やろうとしてた奴だから、このくらいの罰は受けないとね。
「……あっ、あうあ」
喉元を押さえ、苦しそうに震えている。彼がどのような世界を視てるのか知りようがないけど、体験したいとは思わないね。かつて私も鈴仙との初対決で、誤って軽い狂気に染まったことがある。当時の私はまだまだ辻斬りバカだったから、瞳が赤くなったくらいであまり変わらなかったけど。
強張っていた筋肉に弾力が戻ってきたのを感じた。ようやく麻痺が解けたね。
「えいっ」
鈴仙があいつの足を一発蹴る。それだけで良かった。安定の悪いボートで、ステルベンは処刑ごっこのため恰好つけて立っていた。かんたんにバランス崩して海へ落ちる。
「バーカバーカ」
エンジン掛かったままスタンバイ状態だったので、すぐその場より離れる。鈴仙らしいやり方だね。とどめはゲームシステムに任せるわけだ。
ステルベンのHP残量はわずか一五パーセント。自力であの岩礁まで、絶対に戻れない。
四十数秒後、プレイヤー死亡の効果音が背中よりかすかに届いてきた。でも鈴仙は振り向こうともしなかった。
こうしてデス・ガン事件……なのか? は終わった。
* *
その後の展開はこうだ。
伊豆でボートを乗り捨て、シノン立てこもるミニ富士へ合流。すでにキリトが到着していて、三人がやっと揃う。キリトとシノンも三人ずつキルしてた。
サテライト・スキャンで富士山に集まった光点がちっとも減らない。それが意味するところを知った生き残りが近寄らなくなった。私たちは時間稼ぎ戦略を取らず、打って出て狩りを行う。沿岸はボートに乗った薄塩たらこが神出鬼没に襲ってくるため、みんな内陸に入って進んでいる。それを数に任せて各個に襲う作戦だ。私は鈴仙の中で完全に見物客。
まず日光で機械の馬にまたがってた銃士Xを倒した。ほかにもレンタル物件あったんだ。残念ながらシノンのヘカートIIが威力ありすぎて、馬ごと破壊しちゃった。
西進して関ヶ原でシシガネとギャレットのペアを退ける。私たちに習って共闘したようだけど、こっちのほうが数多いし有効射程も長い。彼らが乗ってた軍用ジープを再利用し、鈴仙の運転で誰もいなくなった近畿・中国を快適に西進、大橋から四国に入り、途中でスルーしてた固定砲台の獅子王リッチーを撃破。その際にジープが重機関銃の掃射を受け止め、尊い犠牲となった。みんなが飛び降りた無人のジープをリッチーにぶつけたんだ。アウトレンジから狙撃しようにもコソコソ山影へ隠れるから、思い切った手になった。いくらキリトが凄くてもヴィッカース重機関銃への特攻はさすがに死ぬし。
「……海上に光点がふたつ」
サテライト・スキャンを見ると、いつのまにかゼクシードとたらこが合流している。太平洋側を南進中で、仙台沖。
「優勝候補が組むなんて、すごい展開ですね。私たちで勝てるでしょうか」
「俺は手間が省けるから楽でいいと思うぞ」
四国を出て神戸大阪の市街エリアで三輪バギーを発見。二人乗りだったけど強引に三人で。女の子ふたりに密着されて、エロキリトすごい役得だね。いまさらすぎて私も嫉妬する気が起きてこない。鈴仙通してキリトの感触を楽しむくらいで行ってる。和人はどうせ今後もラッキースケベ体質なままだ。ラブコメ主人公になるていどの能力。私が余裕なのも、和人が浮気しないと知ってるからなんだ。秘密主義な部分も多いけど、根は誠実だから。高校ではモテるみたいで、明日奈もヤキモキ……してる暇ないんだって。明日奈のほうが男女問わずモテモテだ。
明日奈はなりゆきだったけど和人まで有名人にしてしまったのは、幻想郷の戦略だった。悪いことしたかな? 妖怪と仲良くして伴侶まで約束した人間がいれば、これはもうイメージ広告として利用するしかない。私はSAOクリア後に悟ったんだ。紫さまとレミリアにしてやられたー! 幻想郷はみずからオープンになる攻めの進路を選択しちゃったから、和人と明日奈、さらに壺井さんには、人生の節目ごとにマスメディアから注目されつづける騒々しい生涯が待っている。もっと平穏な一生を送れるはずだったのにね。
バギーで東へ進むうちに、洋上の光点が三個へ増え、潰し合ってるほかの星たちはひとつまたひとつ散っていき――
* *
およそ三〇分後。
「悪く思うなよ? おまえらが共同戦線張ってるなら、こちらもってわけだ」
たらこがにやりと笑ってる。
高さ三七七・六メートル、まさにミニな富士山の山頂は、直径一〇〇メートルほどと大きめだ。リアルから等しく縮小してるわけじゃなく、コミック的な強弱を付けて地形を再現している。山頂外縁の西側に鈴仙とキリトとシノンが並ぶ。立ってるのはキリトだけで、すでに戦闘態勢は整っている。火口を挟んで東側には、薄塩たらことゼクシードと闇風が並ぶ。鈴仙によると考えうる最強最悪のトリオらしい。三人全員が優勝候補。格下の私たちに勝てる見込みは、キリトが最初に誰かを斬れるかどうかに掛かってる。三対二になれば、こちらは一撃必殺なぶん有利だ。
三時間に渡るロングマーチの最終章、これより最後のサドンデスゲームが行われようとしていた。
生き残ってるのは七人。うち六人がサバゲー組だ。
だから仲間外れにされてる一匹が、火口の底……といっても高低差一〇メートルもないただの窪地にすぎないけど、そこで抗議してる。
「俺もサバゲーが効率いいって、強くなれそうだって気付いてたよ! でもサバゲー組のアイドルたち襲って手痛い返り討ちに遭ったのに、いまさら合流もできねーだろ!」
粋な反りのカウボーイハットに、首元に赤いスカーフ。ほかにも全身各所が西部劇風に統一してある、ウェスタンスタイルが特徴的なダイン。ちょびヒゲと割れたアゴが、いかにもガンマンっぽい。だけど彼のメインアームは拳銃でも単発ライフルでもなく、はるかに強力な連射式の銃だ。とっくに弾切れだが。鈴仙のライバルのひとりで、九州で倒したギンロウのボス。全身傷だらけでHPもイエロー。
伏せたままの鈴仙が、M24SWSの銃口を向け大声で質問する。
「ダインさん、骸骨マスクのステルベンがあなたを焚きつけた。それで間違いありませんね?」
「ああ。あいつら色香で男どもを惑わしてうまい汁を吸ってるって、サバイバルゲームを餌に不正してる連中だって騙されて襲ったんだよ。そうでもなきゃ、あれほど上玉ぞろいのスコードロン狩ろうとするわけねーだろ。むしろお近づきになりてぇよ」
ダインがいきなりナイフを投げてきたけど、頭を倒したうどんげのヘルメットで弾かれる。昨日ブロック決勝中継で見た場面の再現だ。エストックを投げたステルベンはなお闘志を燃やしてたけど、いま身を翻して逃げに入ってるカウボーイは情けないだけ。おなじナイフ投げでも意味がぜんぜん違う。届かぬとも視線だけで戦っていたステルベンは、敵ながらこの男よりも評価できる。
「用済みね」
鈴仙の指パッチンを受け、おなじく伏射姿勢のシノンがウルティマラティオ・ヘカートIIで楽にしてあげた。鈴仙が撃つと思い込んでたダインは、シノンから贈られた特大の鉛玉を避けられなかった。「股間」のど真ん中に命中し、腰がごっそり消滅、両足も弾け飛んで物言わぬ上半身が転がる。
「……モテたいならせめて、銃口に向かって死んでみせろ」
シノンって子、自分だけでなく人にも厳しいね。
元々ダインを追ってるうちに富士山へ戻って来ちゃったんだ。これでのこり六人。こわーいシノンのやり方に、たらこたちが反射的に股間を押さえていた。
三〇秒ほどお互いに黙ってたけど、こほんと咳をした赤トサカで全身黒服の男が一歩前にでてきた。闇風という。
「ルールは簡単だ。三対三でやり合う。つづけて勝った側の生き残りがつぶし合う。最後に立っていた者が……優勝だ!」
合図があったわけでもないが、いきなり戦闘が始まった。闇風たちの先制攻撃は効果なし。とっくに読んでた私たちも応戦し、激しい銃撃戦となる。手数はあちらが多いけど、こちらは一発の威力が大きい。
突っ込むキリト、クロスファイアで倒そうとするたらこたち。狙撃銃で邪魔するシノンと鈴仙。キリト目立ってていいなあ――私は傍観者だ。デス・ガン倒して安心した鈴仙が、ちっとも体のコントロールを任せてくれなかった。適当に感想言うだけで、鈴仙たちの戦いを見物している。きっと私の出番は来る。それを信じて――
戦闘開始から三分後、キリトのフォトンソードが闇風の首を刎ねた。AGI特化の最後にして最強のプレイヤーが消える。その一分後、シノンに頭を貫かれ、たらこ沈黙。三対一となってしまえば、最強の呼び声も高いゼクシードであろうとも――彼の銃撃を回避したキリトの背後に、シノンがいた!
クリティカルヒットがシノンを直撃する。
「よくもっ!」
ゼクシードのアゴを射貫いた鈴仙の復讐により、最終バトルはその第一ラウンドを終幕する。だが第二ラウンドの幕がすぐ開かれるわけでもなく、幕間劇があった。
シノンはまだやられてなかった。首と肩の間を撃たれてたけどHPがギリギリ三パーセントで持ちこたえていた。ダメージディレイで動けないので、鈴仙が回復キットを摂取させている。
キリトがかなり困った顔をしていた。
「……三人とも生き残った場合、約束じゃ優勝に興味のない俺がわざと退場して、うどんげとシノンで戦うんだったが」
「わかってます。私のHP回復には五分以上もかかります。こんな状況で中継を見守ってるギャラリーをずっと待たせるなんて、失礼でしょう」
「ごめん。俺も一度、思いっきり戦いたかったから」
おかしな形で、キリトとの決戦が実現してしまった。
『妖夢、負けたら承知しないわよ。私にはシノンとサシで決着をつけるって約束があるんだから』
『……キリトの応援をするつもりで、けっきょく足を引っ張ってますね』
『あなたは良くやったわ。妖夢という保険がいたから私は安心して戦うことが出来た。だからここまで勝ち残れた――それだけで十分じゃない』
『ありがとう。きっとつぎの試合へ繋げるから、体を借りるわよ』
憑依の浸透レベルをあげ、鈴仙の自由を奪う。二時間ぶりに表へ出てきた私がまずしたのは、鈴仙のメイン武器をシノンのすぐ横に置くことだった。
「……身を軽くするんですね」
シノンが話しかけてくる。
「負けないから安心して。M24を預けるわ。かならず取りに行くから」
「なら一時交換ってことで、私の腰に差してる拳銃を使ってください」
まだ動けないシノンのホルスターにあったハンドガンは、グリップに星型のマークが意匠されているトカレフ拳銃だった。私はあまり銃器に詳しくないけど、白玉楼には人間の武器を使う襲撃者もいた。その中に旧ソ連製のこいつが――
『黒星ね。ソ連オリジナルを元にした、中国製五四式トカレフ……シノンが克服すべき銃。まさかとは思ってたけど、自分自身で装備するようになってたなんて』
鈴仙の声色が、妙に感心してるような印象を持っていた。鈴仙も含め誰も詳細は知らないけど、シノンはこの銃にまつわる事件ですべてが変わってしまったらしい。
「たしかに預かったわ。『あなたの一部』を借りるわよ」
「……いつまでも『あの男』から逃げても仕方ありませんからね。同級生たちがやってるように、自分からぶつかって折り合うしかない」
それだけ聞けば十分だった。黒星はホルスターごと借りておく。
腰の銃剣を抜いて右手でしっかり握る。銃剣にはハンドルがあり、コンバットナイフとしても使える。シノンより借りた黒星はホルスターに戻し、腰に装備。キリトは拳銃を持ちながら剣を振ってたりするけど、リーチの短いナイフでは片手がフリーでいることが重要だから、いざという時まで抜かない。
すでに待っていたキリトの元へ歩いていく。富士火口の底、目印はダインの残骸で、挟むように対峙する。私はナイフ使いの姿勢を取る。いつもとはちがい、腰を深めに沈め、両手は心臓の高さ。左手を前に突きだし、右手の銃剣をすこしでも隠す。プレイヤーメイドらしく、ブレードのバックに銘が見えた。『Nezha Bayonet Mark4』……ネズハ四式ってところ? 短期間で改良を重ねてる。ネズハとやら、あなたの熱意、借りるわよ。
「キリト――いざ尋常に」
「ああ。来い」
中継されてるから、キリトもシノンも「妖夢」とは一言もしゃべらなかった。私と鈴仙の会話もずっと念話だ。シノンには戸惑いもあったようだけど、キリトは私がちゃんと「いる」って感じてる。かつてアスナに憑依して何週間も一緒だったときの経験があるから。
真剣勝負にふさわしく、キリトとおなじ装備になった。刃物と拳銃。ハンドガンは基本的に無視していい。この世界の人間はリアルより丈夫だから、二~三発連続で受けない限り、体勢は崩れない。単発ならペナルティは発生しないし、拳銃に速射性は期待できない。だってキリトも私も銃の扱いはド素人だ。だから勝負は――
――剣で決まる!
私の殺気を感じたキリトが筋肉をこわばらせ――フェイントで気をほどき「無心」で踏み込み、刺す。
膝に一撃。浅いけど確実に抉った。
キリトが「なぜ?」って顔をしてる。さらに追撃で喉を狙うけどかわされた。やはり「意識」すると通じないね。心の目、まだ使えてたんだ。
あとは激しい剣の応酬。光剣は受けずにかわす。ライフル弾を斬るほどだから、銃剣なんか瞬時に破壊してしまうだろう。ひたすら避け、ラッシュが途切れる瞬間に反撃へ転じる。銃剣ナイフのリーチは三〇センチしかないけど、私には十分だ。稽古・修得してきたのが剣術のみでも、年の功で多くの刃物を「らしく」使うことができる。アスナに憑依していたときも細剣をなんとか魂魄流へアレンジしてた。フェンシングの指導者が見たら怒りそうだけど、ゲーム世界で通じればいい。いまもALOでMobやプレイヤーがやってる短剣スタイルに因幡てゐのアーミー式を混ぜた自己流で戦ってる。本場の特殊部隊にいるプロには敵わないだろうけど、キリトに通用すればいいんだ。
もし私が刀を持てばキリトはまず勝てない。だからこのネズハ四式でいい。限られた条件と運命が出会いようやく実現した、とっておきの舞台で大勝負。これは燃える。キリトと私がけっこうエキサイトしてきた。必然の理由もないくせに、剣士が銃器の世界で勝手な殺陣。動機と目的があってここまで来たのに、ごめんねシノン、ありがとう鈴仙。
SAO時代、私たちはほとんどデュエルを行わなかった。二刀流の火力が強すぎ、万が一の事故が怖くて。最後の最後、幻想郷オンライン企画で集中的に稽古したくらいだ。直接対決でキリトが私に勝てたのは一回だけ。それっきり。
ソードアート・オンラインをクリアしてから、リアルの和人は社会復帰と勉学と受験に忙しくて、剣を極める道から離れていった。いまでは妹の直葉にリアルではもちろん、ALOでも大きく引き離されている。だって教えたことみんな吸収してくれるものだから、はりきって妹さん鍛えすぎちゃった。この八月にあった全中では、一本も取らせぬ圧倒的な強さで全国制覇してる。早々に名門へのスポーツ推薦も決まってしかも特待生だって。受験勉強しなくていいから、ずっと自主練習に明け暮れてるよ。周囲を見る余裕もできて、レコンだったかな? 長田くんと交際をはじめた。公私充実した子は安定してて強いよ。もしいま戦ってるのが直葉だったら、ナイフの私に勝ち目はない。
私の能力は剣術限定で、短剣はカバーされてない。私のナイフ術は人よりいくぶん達者なレベルに留まってる。回避力は剣術のままだから、攻防合わせて直剣を持つキリトと互角になる。
キリトの攻撃はすべてわかる。だってアミュスフィアを通じて意識が伝播してくるもの。剣筋も読めるし。目で見て、心でも見てる。
彼の踏み込みがしだいに浅くなってきた。私がフリーの左手ですぐキリトの腕や肩を取ろうと試みるからだ。攻撃をいなすのにも使える。怪力のモンスター相手なら防御にも武器を使わないと難しいけど、プレイヤー相手なら体捌きと素手で、腕や肩を狙えばいい。ナイフ使いは両手で戦ってるんだ。
魂魄流はひたすら攻撃を繋げて圧倒する流派だから、体術系の技もたくさんある。左手一本でキリトを組み伏せば、動きを完全に封じてからナイフで急所を何度か刺せば倒せるはず。スマートや洗練からかけ離れたとても泥臭い戦いだけど、剣術を使わないときの私はこんなものだ。SAOでも武器リーチの短かった最初のころは蹴って殴ってもたくさん混ぜていた。
一度でも体勢を崩されたら終わりと知ってるから、キリトが慎重かつ消極的になってきた。私の怖さを思い出したのだろう。でもそれはキリトもおなじ。光剣が正確に急所を狙ってくる。魂魄の技だ。
フォトンの曳航が私の鼻先をかする。ぞくぞくするね。銃剣ナイフでキリトの脇腹をかする。キリトも笑ってる。楽しい、なんて楽しい殺し合いだ。
去年のクリスマス、ALOのグランドクエストでも似たような高揚を楽しんでいた。あれから九ヶ月、おなじ興奮を銃の世界で追体験するなんて。
でも倒すべき敵手は、恋人。ゲームじゃなければ背徳だあ。
お互い負けても、個人的に失うものなどたかが知れている。なにも背負ってないから、純粋な技術と限界の範囲で高度な駆け引きを行っている。キリトは距離を多めにとって機会を伺い、私は大胆にもどんどん入っていく。スナイパーの戦いみたいに、勝負は一瞬で決まるだろう。
しだいに陶酔してきた。この戦いの参加者でいられることに酔っている。
『鈴仙、あなたをシノンとの決勝へ導いてあげるわ』
『…………』
鈴仙の返事はない。ずっと固唾を呑んでるね。アスナのときもそうだったよ。「凄すぎ」て言葉がなくなるんだ。
見せてあげるよ、魂魄流の特殊技のひとつを。
無心の境地。
一閃。
――ネズハ四式の一薙ぎが、キリトの左手首を拳銃ごと刈り取っていた。
キリトが慌ててバックステップ。追撃はしない。すでに彼が逆撃を仕込んでるから。これでサブを奪った。
謎の攻撃に、あきらかに戸惑ってるね。どこまで持ちこたえられるかな?
心の目には弱点がある。この超感覚はフェイントに弱いんだ。私はキリトに殺しの極意を伝えていない。心得というやつを。
剣は殺す道具だ。だけどいま、習った剣で本当に誰かを殺す人なんて滅多にいない。殺しを教えてきた「武術」の大半は理想へと昇華し「武道」となった。いま現実でみなが汗を流してるものは多くが「道」。「術」ではない。
道に精神があるように、術にも極意がある。
それが気。キリトは感じるところまで来てるけど、操るほうは無理だ。現実に殺す覚悟で戦ったことないから。コミックやアニメで殺気を消すといった特殊技が出てくるけど、気の操作とはまさにそれ。この技、心で見る者同士じゃないと、使う意味あまりない。つまり対Mob戦だけ考えてれば良かったSAOでは、教える必要がなかった。気配の察知くらいすこし鋭い人なら誰でもできるけど、静寂な空間で近くにほかに誰もいないといった好条件が重ならないといけない。でも真の戦士はそれを激しく動き回る戦闘中にやっちゃう。
武士による治世が長くつづいた日本では、かつて多くの戦士が第三の見えない目を持っていた。だから精神論が長らく主流だったんだよ。
さて、そろそろ終わりかな?
殺しの心得――それは人を平然と「殺せる」こと。
動じないから気を掌握できる。
シノン……あの子はたぶん知ってる。現実の殺しがどうであるかを。正常な精神の持ち主だから、平然となんて無理。「気」が耐えられない。だからあれほどまでに深く傷つき悩んできた。何年間も。私も最初に妖怪を殺したときは立ち直るのに二ヶ月はかかった。常に戦いがあるから何年も待ってはくれなかった。平和だったら私も年単位で悩んだだろう。
キリトは知らない。殺しがなんであるかを。唯一の機会は私が阻止してしまった。だから彼には気配断ちも無意識戦闘も不可能。今回はこの極意を実地で見せて、私との差を知ってもらう。
トドメはうどんげのスタイルで行おう。あまり私の戦い方でやってしまうと、明日からの彼女が大変なことになりそうだから。
「チャージ!」
おそらく鈴仙にとって決まり文句のこれ。直後にまた本能モード、気を断つ。
――――無心戦闘、開始。
…………。
キリトのフォトンソードが――
え?
私の必殺の突きがキリトのアーマーがない部分、ワキの下より正確に深く刺さり。
同時に。
キリトの剣も、私の腹へ貫入。
見えなかった。
HPバーがものすごい勢いで減っている。なぜ避けられなかった?
ちょっとだけ混乱したけど、すぐわかった。
そうか……キリトが天才だってことの本質を忘れていた。
また私の未熟が招いた失敗だ。
キリトはおそらく私が気を断った瞬間に合わせ、視野外から攻撃するという手で、反撃に成功したんだ。気を断ってる間は、私も気を感じられなくなる。これって諸刃の剣なんだよ。それを「知る」なんてすごいや。やはりキリトはキリトだった。こんな短時間で弱点を直感で悟り、対抗策を思いつき、刹那のタイミングに合わせて実行してくるなんて……普通なら混乱のまま負けるだろうに。思いつけてもシビアすぎてぶっつけ本番じゃまず成功しないよ。
でもキリトだからやっちゃうんだ。
すごいね。私、負けたのかなあ。HPがどんどん減っていくよ。どうしよう、悔しさよりも驚きのほうが強い。この男の子が大好きで良かった。恋人で良かった。
「好きよ」
私の突発的なラブラブ光線を受けて、キリトが戸惑ってる。刺し合ってるのに喜んでるとか変態だ。ごめんね鈴仙、いまはあなたの外見と声だから。
「残念……エネルギー切れだった……か」
彼氏の答えは思わぬものだった。被弾部位と光剣の攻撃力からHP全損は確実なのに、鈴仙のHPバーはなぜか三割も残っていた。腹には赤いダメージエフェクトの跡。
フォトンソード、カゲミツG4。数々の強豪を屠ってきたその輝きが、完全に消滅している。
まさかの強運が働いている。キリトのHPはのこり一割半。キリトが刺してきたから、必殺と思った銃剣の威力も乗らなかったんだ。
「愛してるわ」
頭を寄せ、唇をそっと重ねつつ――
ホルスターより抜いた黒星をキリトの側頭部に当て。
とどめをさした。
接吻のショックに思考停止していたキリトは、なにも反応できなかった。
砂塵の中へ崩れるキリトを抱いて支え、頬を撫でながら、私は愛おしい感情を抑えずに言う。
「……これが平然と殺せるってことですよ」
* *
三時間あまりの熱戦となった第二回バレット・オブ・バレッツJPサーバ大会は、女子プレイヤーのダブル優勝によって幕を下ろす。
一〇〇メートルを置いてうどんげとシノンがほぼ同時に放った弾丸は、きれいに中央で交差し、互いの頭に赤い花を咲かせたのだ。
* *
事件の全容はこうだ。
ジョニー・ブラックこと金本敦は、輝夜PKに挫折して以降も機会を伺っており、姫の連れがGGOへコンバートしたことを知るや即座に自身も追い、襲撃メンバーを集めてるうちにステルベンを発見、接触しPKへの協力を求めた。赤眼スケルトンはザザと見破られるとは思ってなかったようだが、独特のしゃべりに特徴がありすぎ、誤魔化せなかった。しかしSAO時代の不仲もあり、ジョニーの願いを無下に断る。追い詰められたジョニーはステルベンに扮し、「名物」うどんげを数度襲撃する。戦力不足で最強スコードロンを襲った結果は完敗である。ステルベンの評判はガタ落ちし、孤立してしまう。当時ステルベンは弟シュピーゲルとコンビプレイをしてたようだが、この件で関係が悪化、リアルでもゲームでも別れてしまう。
SAOに続けてGGOでも足を引っ張られた。しかも唯一にして最後の味方だった弟からも軽蔑されてしまった。ステルベンの正体、新川昌一はジョニーを憎み、陥れて復讐することにした。それもゲームではなくリアルで。ゲーム内での仕返しにこだわっていたジョニーを説得し、リアルで襲わせる。おそらく失敗するが、成功しそうだと思い込ませればいい。たったそれだけのために彼は何ヶ月もかけ、それっぽいトリックを考えつく。まず輝夜が鍵をけして掛けないことを知った。これで侵入は楽だ。鈴仙を殺す手段は薬物注射。新川の家は病院で、筋弛緩薬が手に入った。ごく微量なら医薬品として正常に働くが、過剰に注射すれば心筋や呼吸が停止して死ぬ。このサクシニルコリンは痕跡が残りにくい。警察が最初から薬物を疑えば発見されるだろうが、そう思われないよう工夫すればいいのだ。
こうして生まれたキャラが死銃――デス・ガンだった。
ゲーム内で銃撃し、同時にリアルで毒殺する。妖怪どもの実在が証明されたばかりだから、オカルト大ブーム中。完璧に思われた。
同時期メタマテリアル光歪曲迷彩という透明人間マントも手に入れており、公式大会でうどんげだけをピンポイントで狙える算段も付いた。その実証のためダインをけしかけ、強力な護衛を従えた山童をあえて襲わせた。ダインたちに混じっていたステルベンは、光歪曲迷彩でまんまと単独の生還に成功する。ダインたちとはパーティーを組んでいなかったため、敵味方双方から生存は確認できない。死ねばその場ですぐ消えるから、乱戦の中では「本当にやられた」かどうか確認のしようがない。
金本敦は鈴仙ついでに輝夜も殺したがっており、策を与えたら必ず動く。VRもリアルも、双方とも現実性が増してきた。
この辺りでおかしな化学変化が生じたようだった。自身の逮捕を承知で、金本を本物の犯罪者へと追い込むつもりが、いつのまにか新川当人が犯罪計画の成功を信じるようになったのだ。あまりにも真剣にトリックを考えつづけた結果だった。ミイラ取りがミイラになるの典型で、ジョニーだけでなくザザも「そのつもり」になってしまったのだ。
光歪曲迷彩マントの応用も広がった。大会参加希望者のリアル住所を知ることができる。ゲーム内の端末から申し込むとき、上位入賞者へ贈られるプレゼントの郵送先を記入する欄があるからだ。姿を隠したまま覗き見て情報をゲットしておけば、気に入らないプレイヤーを次々とデス・ガンで葬ることができる。ザスカーはアメリカのシークレット企業だから、日本の警察になんかユーザーの情報を絶対に漏らさない。事件を起こすたび、お金とアイテムだけ継承してさっさと別のアカウントへ乗り換えればよい。現実で絶大な力を持つデス・ガンと光歪曲迷彩さえあれば、ゲーム内でレベル・スキル的な絶対強者でいる必要などないのだから。
下見を繰り返したら、輝夜と鈴仙の暮らすアパートを守る者は昼しか見えない。大会が行われるのは夜の七時からで、ガードもすでに仕事を終えて解散し帰ってるはずだ。彼女たちの家で鍵が掛けられるのはたいてい寝る寸前だ。輝夜は鍵を持ち歩かないため、閉め出されたら困ってしまうからだ。だから金本は誰にも気付かれることなく侵入を果たし、ふたりに筋弛緩薬を注射できるだろう……
ここで刑事が巨大なアラを指摘した。輝夜まで死んだら毒物を疑われ、分析でサクシニルコリンが特定されるだろう、と。もっともそれ以前に輝夜は「死んでもすぐ生き返る」わけだが、この力はまだほとんどの人に知られていない。
あまりにも大きな見落としに、新川と金本はうなだれるしかなかった。
警察が踏み込んだとき、新川昌一は失意の自殺を図っていた。自分に筋弛緩薬を注射しようか躊躇していたところを取り押さえられる。新川の発言はまるで狂人のように要領を得なかったが、粘り強い刑事たちがパズルのピースを組み合わせることに成功し、すでに述べられた全体像が見える。ただし犯行当日だけは埋めきれなかった。本戦で敗退する寸前あたりから記憶が飛び、気がつけば連行されるパトカーの車内だった。心のどこかが壊れてしまった新川は、赤い円形のものを見ただけで発作を起こすパニック障害にかかった。
金本は顔面に神経麻痺の後遺症がのこった。警察の過剰な暴力を訴えるが、手にしていた注射器が銃器型だったことと、ベヒモスたちへ先端を向けた過失により、通常の職務内のことで問題なしとされた。近年の銃はプラスチック外装も多いから、たとえ安っぽい見た目でも最悪を想定するしかない。撃ち殺されなかっただけでも金本は幸せだろう。
事件が茶の間を賑わせた二週間後、GGO内に出現していた光歪曲迷彩系アイテムが圏内で使用不能になった。所有者たちは大小の「不正」をしでかしていたようで、アカウント停止処分者が続出する。
捜査は順調に終わったかに見えたが、ひとつだけ汚点が残る。
――病院から盗まれたサクシニルコリンのうち、一本だけが見つからなかった。
新川昌一の弟、中学三年生の新川恭二が捜査へ全面的に協力してくれたが、どうしても発見できなかった。
どうしても……どうしても。
* *
私は鈴仙から怒られたけど、感謝もされた。まだ限界と諦めるには早いと知ったからって。たしかに憑依で体は鈴仙以上になれない。あの動きの数々は鈴仙自身が再現できるんだ。
GGOの名物がSAOの英雄にキスをして、いきなり撃ち殺す。いろんな憶測が飛び交う。以前から近接での銃剣が強かったのだけは知られてたから、うどんげへ接近戦を挑む人が激減したそうな。おかげでチャージの機会が減って悔しがってる。しても相手が最初からビビってしまい、勝負にならない――圧勝できちゃうそうで。
自滅切腹みょんワールドによりほぼ無一文でALOへと戻ってきた私だったけど、後悔はなかった。また和人の可能性を知ることができたから。
* *
一一月になって、詩乃がリアルで私と鈴仙と和人を呼びだした。
場所は上野公園の南、御徒町。エギルさんがリアルで経営する、ダイシー・カフェ。
ジュースをひと飲みした詩乃が、いきなり重い過去を告白してくる。
「私――小学五年生の二学期でした。郵便局にきた強盗を撃ち殺したんです」
詩乃の父はまだ幼いころ交通事故で他界している。夫を亡くしていた母は、心のどこかを壊していて、ひたすら安全で平穏な日々を願うように生きていた。詩乃は正義感に駆られ、優しいが弱い母を守ってあげようと心に誓っていた。事件が起きるころには「敵」と思ったものには敏感に反応してしまう、小さな正義感になっていた。
だから行動してしまったのだろう。強盗は最初の犠牲者として母に暴力を振るい、銃を取り出して局員に金を要求した。下手な動きを見せた男性局員をひとり撃つと、こともあろうかつぎの獲物として詩乃の母へと銃を向けた。
あとは反射的だった。子供の誓いは場合によって義務にも等しい。強盗の腕へと果敢に噛みついていた。
蹴り飛ばされたが強盗も拳銃を落としていた。それを奪い、気がつけば撃ち殺していた。恐怖が止まらないから、完全に動かなくなるまで撃ちつづけるしかなかった。その銃が五四式・黒星。子供の撃つ銃ではなく、反動で詩乃の肩は外れていた。
あとは警察がたくさんやってきて、ほとんど記憶がない。
若年者による正当防衛だったため、詩乃が罰せられることも、事件の真相が報道されることもなかったが、人を殺した強烈な体験は少女をパニック障害へと追い込んだ。モデルガンや銃の映像・写真を見ただけで、全身の硬直や過呼吸を引き起こす。殺した男がやってくる。幻となって襲ってくる。
小学校ではひどいイジメに遭った。詩乃の症状でたびたび授業が止まったのと、ひとりだけ特別扱いされていることへの不満がきっかけだったが、行為はエスカレートし、やがて殺人者のレッテルで激しく責めるようになる。母親を守った幼い正義は、おなじく幼い無知と無理解によって踏みにじられた。同級生にとって詩乃はもはや、宇宙人のような異物にすぎなかったのだ。日本へ留学した妖夢や輝夜が異端視の対象にならないのは、自身が強力な存在であることが抑止力になっているし、世間の関心や注目もある。だが詩乃はただの無力な少女にすぎず、母を除けば誰も彼女を守ろうとはしなかった。
中学では目立つイジメこそ影をひそめたが、徹底的な無視が始まった。詩乃のことを知らない子も、話しかけてくるのは最初だけですぐ「敵」に鞍替えする。人の噂も七五日なんてそれこそ大嘘だ。中学生になれば理屈もわかるものなのに、いびつな集団排斥は三年以上も継続した。
政府が心理カウンセリングに特化した中高一貫教育の臨時学校を作ったことを知った詩乃は、溺れる者は藁をもつかむ思いで転校を決めた。残してきた母を除けば、地元にはなんの未練もなかった。かつての友達はみんな裏切り、同級生はすべて興味の対象外だ。苦しんできた詩乃にとって、既知の世界は「敵」だった。
新天地はこれまでとうってかわった優しい桃源だった。なぜ彼らはみんな自然に接してくれるんだろう。誰も詩乃の過去を詮索しようとしない。ネットで検索すればすぐ分かるのに、クラスメイトが興味を示してくるのは「いま」の詩乃だけだ。そうか、どの子も十分に傷ついてきたんだ……ここはみんなで守り合う、最後の楽園なんだね――わずか二週間で、数年ぶりに笑顔を取り戻す。
この優しい学校には不思議な人たちがいる。一〇〇〇年以上を生きてきたという「かぐや姫」と、おなじく何百年も生きている「玉兎」のペア。輝夜は全員に見えているが、鈴仙は見えない子もいた。とくにSAO帰還者でないと思われる子の多くには、最初のうち鈴仙は映らなかった。
詩乃には初日から鈴仙が見えていた。その優越感から、見かけるたび気になる先輩となる。
ドジでのろまなウサギなのに、なぜああも元気な自分を持っていられるんだろう。しだいに鈴仙の内面へ興味を持つようになった。このウサギはきっと強い。弱いけど強い。その心を持ちたい。この人の見ているものを知りたい。世界を一緒に見てみたい。
不思議なウサギ妖怪の趣味が、ガンシューティングだと知った。GGOの名物だという。なんという偶然! 気がつけば動いていた。遠くから見ているだけだった少女が、一歩を踏み出した。
――GGOを始めてから、夢中で銃を撃った。以前の学校にいた仮面をあえて被り、桃源の笑顔を押し殺した。それは甘えるのがいやだから。最短で強くなりたいからだ。守られてる桃源から外へ出よう、そして「うどんげ」と並んで戦いたい。倒すべきなにかを撃ちたい。無心のまま撃って撃って撃ちまくり……紆余曲折もあったが、完治まで一直線だった。BoB大会の優勝により、詩乃は症状を完全に克服したという。彼女を悩ませていた「あの男」――詩乃が撃ち殺した強盗の影が、夢や幻視に出てこなくなった。もう銃に関するあらゆることが平気だった。
「すべてはお姉さまのおかげ……お慕いしてます」
熱い視線を送られてる鈴仙、困ってるように見えて、まんざらでもなさそうだった。
詩乃の話が終わってすぐ、同じ席でサプライズがあったよ。
「そうだ……妖夢、これを受け取ってほしい」
青い小箱だった。開けてみると、なんと指輪だった。しかもプラチナとダイヤモンドで、ちいさいけど本格的な造り。はめてみるとサイズもぴったり。
「――なんてきれい。これって一〇万はしますよね。エンゲージの前渡しって思っていいの?」
「ザ・シードのこと黙ってたのは謝るよ。茅場の意識体から言われたんだ。もし妖怪と人間の……いや、言い訳だな。俺は傲慢になってたんだ。もっと妖夢のことを知って、もっと俺のことも知ってもらうべきだったのに」
「いいのよ、私だって和人に黙ってたことありますし」
「……あのとき、不思議なこと言ってたもんな。まあレクチャーはお互いそのうちってことで」
この指輪、これまで菊岡さんに頼まれるままネットワーク捜査官の真似事をやってたバイト代で買ったそうだ。
「今日は一一月一二日……俺ときみが交際をはじめて、ちょうど二年だ」
すっかり忘れてたよ。私は女にしては記念日に無関心で、誕生日すらほとんど祝おうとしない。だから和人がプレゼントを贈ってくれるなんて。おなじものをアスナにも「二周年」で贈る予定だって。
「最高のプレゼントです! 嬉しい……愛してますよー!」
「うわっ。襲ってくるとか、男と女で立場が逆だろ!」
エギルさんことマスターのミルズ氏が呆れてる。
「そういうことは隠れてやってくれ」
明日奈に遅れること八ヶ月、リアルでのファースト・キッスをようやく頂戴いたしました。
※妖怪の発生
公式設定へ補完。
※アメリカとの月面戦闘はなかった
永夜抄・儚月抄は設定の対立や矛盾が多い。当作では「うどんげ勘違い」を採用。