違和感を感じている。九種族合同による世界樹攻略を目指した今回の挑戦はなにかがおかしい。でも具体的にどこが変なのか、私はそれを言葉としてまとめられずにいる。なぜならばこの世界はソードアート・オンラインと決定的に違っている。サラマンダー族の将軍もたしかに言った。
『死んでもいい』
ゲーム本来のあるべき姿だ。死が終幕ではない世界、弱さが致命とならない戦い。いくらでもやり直しを許される――としても、このグランドクエストには引っかかるものがある。白玉楼を守る剣士として培った勘が告げている。ただしVRMMO履歴がいまだSAOとALOしかないがゆえか、単純に未熟だからか正答を導き出せない。幻想郷や冥界ならば構図はもっと単純なのに、ALOには多くの主張や思惑が交差しているから。開発サイド・運営サイド・幻想郷・SAO帰還者。それ以外の一般プレイヤーになればどれほど多くのグループに分けられるのだろう。
ただひとつだけ理解できるのは……私はいつものように「くわだて」の外へ置かれている。
数十メートル上空で行われている激しい戦闘を見物しつつ、そんな漠然とした形なきことを考えている。
「すまねえリーダー!」
白騎士の無慈悲な大剣が、チルノの右にいた槍使いを打ち倒した。赤いダメージエフェクトが胴体を斜めに深く切り裂きつつ背中まできれいに横断している。もしリアルであれば背骨断裂で即死する痛恨の一撃。このバーチャル世界でも致命となり、残量三割にまで減っていたHPバーを吸い尽くした。槍使いアバターの形が崩れ、空中で燃え上がる。これで二度目の死亡だったと思う。
SAOではひとつしかない命を大事にして、いつも慎重だった風林火山の戦士たちも、この場では果敢に無鉄砲な突撃を繰り返していた。まるで「はじまりの夜」のキリトみたいに、自分を軽く扱って。でもそれがALOでの日常だ。
知らなかったMMOゲームのあるべき姿。勇敢と無謀を取り違えても許される安全なIFワールド。自分の限界を死ぬことで確認するへんてこりんな界隈。そこにあるのは可能性への飽くなきチャレンジだ。だが戦いへのめり込んでる戦士たちにとっては違った重みを持っていて、それは試行という遊びではなく、わりと真剣なバトルに他ならなかった。すべてはバーチャルリアリティ環境のもたらす直接的な体験の感覚がもたらしてくれる。
「イッシン!」
クラインのかすんだような焦燥へと滲む声が、エンドフレイムの灯火へ投げかけられる。それへ応える者はすでにおらず、乗る者も心配の声もない。間近にいたチルノすら無言。その表情はやや重め。チルノに出来たのはイッシンの敵討ちだけだった。にっくき白騎士を氷剣で一刀両断、首を刎ねてしまう。このような動作のひとつひとつが、とてもやり直しの利く戦いだと私にはにわかに見えない。でもあくまでもゲームなんだ。だから刹那的な怒りや焦りはあっても、心からの深刻な嘆きや絶望は起こらない。緩くて表面的なものだけ。それでも普段あまり心を奮わせないゲーマーたちには十分な情緒の揺れ動きらしく、本物と感じさせるに足る「経験」だ。想像力の補完を必要としない、モニター越しでは得られない「体感そのもの」ゆえ、ALOはSAOとおなじく従来のMMOから隔絶した高い評価を得ている。それを源泉とした共有共感の喜怒哀楽はデジタルコードやシナリオより離れたところで生まれ、いまも綴られている最中だ。
プレイヤーたちが演出展開するドラマが一区切りを迎えようとしている。六人いた風林火山の決死隊は、これでクラインとチルノを残すのみとなった。氷精のマナポイントも一割を切ってしまい、四本目のマナ回復薬を大急ぎで飲む。白いガーディアンが二体同時に斬りかかるが、まるで風に煽られる羽虫のように簡単にかわし、MPバーがみるみる戻っていく。接近戦で強いアスナに鍛えられたようで、この妖精のゼロ距離エアレイドはずいぶんと上達していた。リアルでの弾幕ごっこでも数週間前、氷精と舐めた霊眞を降したというから、ALOを始めて確実に強くなった。チルノはこの仮想世界からそれだけ大きな刺激を受けてきたんだ。
「冷符――瞬間冷凍ビーム!」
回復した魔力を使ってすぐさま攻撃魔法を放つチルノ。水流ならぬ氷の流れが数本、小さな手よりほとばしり、前方にいた守護騎士どもの壁へ穴を穿った。一撃で八体は倒しただろう。それでも焼け石に水。さっぱりな効果に悔しそうに苛ついて両手両足を振り乱す。いつもの戦いであれば大打撃だから、拍手が起きるほどの殲滅力だ。でもまだ足りないんだ。いまの状況ではあまりにも。
真上が「壁」で埋まっている。
私たちが飛んで進むべき先に、白い天井が出現している。それはすべて動くオブジェクトで、まるでシロアリのように気色悪く蠢いていた。そこから魔法弓が放たれ、大剣が投じられ、あるいは斬りかかってくる。やつらは白ずくめ。どの妖精種族のものでもないオフホワイトの羽根を持ち、にぶい銀色に輝く全身鎧の騎士どもだ。
敵の名を単純にガーディアンという。この決戦で倒すべきモンスターはわずか一種類しか出てこない。ただその数が半端ではない。何百という単位で無尽蔵に湧いてくるのだ。いまもチルノが倒したぶん以上が内壁の穴よりリポップしてきた。
グランドクエストのやりかたは簡単だ。このやたら数だけ多い邪魔者どもを強引に突破し、天井のゲートまで辿り着ければ勝ち。その先にはイグドラシルの空中都市と妖精王オベイロンが待っている。あの須郷が化けてたニセモノじゃない。本物の妖精王は、噂だとGMのひとりが演じているらしい。NPCじゃない、血肉を持っている存在だ。
「氷符――アイシクルフォール!」
チルノはさっきからすべてのマナポイントを攻撃に振り分けている。最初は風林火山の死亡メンバーを蘇生してたけど、またすぐ死ぬから無駄だと割り切ってしまったようだ。たしかに自分で殺ってるほうが早い。チルノ自身は弾幕ごっこでならした回避力のおかげでまだ一度もHPバーをイエローに落としてない。体力回復ならにとりやアスナ、アリスにリーファが遠隔で行ってるけど、なかなか追い付かないでいる。蘇生は間近でないと無理なので、チルノが見捨てればリメインライトは捨て置かれたまま、タイムアウトで一本また一本と消えていった。風林火山を完全な捨て石として、私たち本隊は支援用魔力以外ほとんどまるで消耗していない。風林火山の薄い壁を抜けてくる守護騎士どもは、キリトと私が瞬殺している。作戦はユージーン将軍が想定した通りに進んでいた。
風林火山がすこしでもこじあけようと必死な白い壁のむこうには、妖精王オベイロンの住まう空中都市への天蓋ゲートがあるはずだ。早く近くで拝んでみたい。
それにしてもあのロリコン須郷の狙いが分からなかった。わざわざ運営から睨まれそうな目立つ名前を使うとは。ALOはSAOとおなじ基幹システムを採用している影響から、じかに名前を見る機会はフレンド・ギルド・パーティーのメンバーしかいない。だから使用制限なんか表記揺れで容易に抜けてしまえる。多少むちゃくちゃなこじつけでも、当人がオベイロンと読めばその人はもう「オベイロンさん」で周知される。
とりあえず今回の事件はすでにアスナが実兄の結城浩一郎へ直接報せてるから、そのうち対処するだろう。近いうちに日本語ネームも導入されるようだし。
イツワリの王がさっさと退場したのは良しとしよう。だけど公認された本物の王へ通じるクエストの難易度はどうにもやっかいそうだった。
チルノの回復Potがついに切れたようだ。MP消費の少ない氷の剣だけで戦い始めた。クラインもまもなく死にそうだ。アスナ以上に神聖魔法スキルを育ててる河城にとりが遠隔でずっと回復魔法をかけ続けてるけど、そのペースを上回るダメージの蓄積だった。敵としても当然の作戦として、一群をさしむけ河童少女を狙う。キリトがその援護を引き受け、二本の剣を無尽に振るい続けていた。守護騎士どもはグランドクエストにふさわしく、まともな集団行動を取る。単純に最寄りのプレイヤーを攻撃するだけの近視眼な痴れ者ではない。
「――限界だな」
箒に腰掛けてる金髪の魔法少女が、斜めに被った魔法使い帽子より覗かせてるネコミミを小刻みに揺らして言った。その魔理沙の一言を受け、いつのまにか攻略指揮官の立場に居座ってるサラマンダーのユージーン将軍が自慢の愛剣を抜く。
「前列、突撃用意! 後列はマナ回復!」
火炎状に波打った刀身を持つ両手用大剣フロベージュが、これからの狂奔を楽しみだと燃えたぎるように輝いている。キャンペーンクエストを完全クリアしないと手に入らないレア物で、いまのところ最強クラスの逸品らしい。数値的には私の白楼剣に匹敵するとか。でもこの将軍はぜんぜん満足していない。まだ実装されていないけど、何本か予定されているグラムやジョワユーズやエクスキャリバーといった世界一本きりの「魔剣」をすべて手にすると息巻いている。
九種族より構成される一八人は、各種族ごとに斬り込みとサポートに分けられている。私はむろんフォワード側だ。最初から楼観と白楼を抜きっぱなし、はぐれ守護騎士をとっくに二〇体は片付けてるけど、形ばかり身構えておく。ほかのみんなも各々の武器を手にしていく。バックアップ隊もおとなしく回復Potを飲んでいた。
将軍の命令に自然とみなが従っている。たかが人間相手、以前なら妖怪たちの反発が大きいはずだが、幽香や妹紅ですら大人しくしてるから驚きだ。このふたりは強烈な自尊心を持ってるから、いくらロールプレイとはいえ「人間ごとき」から頭ごなしに命令されるなんてもっとも嫌うんだけど……
ふたりはおそらく事情を知っている。だから素直に従うんだ。ならば謎のたくらみ、仕掛けてるのは間違いなく幻想郷の側だね。それも魔理沙レベルじゃなくもっと格上。紫さまくらいのカリスマだ。案外、八雲紫さまご本人だったりして。魔理沙は風林火山の一件でユージーンに諭されていたから違うと思う。むしろ消極的に協力してるほうだろう。
二〇秒後、全員の準備完了を音だけで察知した将軍がフロベージュを振り下ろした。
「フォワード、突撃!」
「一番槍はいただいたぜ!」
強弓より解き放たれた破魔矢のように、超反応のキリトが突出する。すぐあとに私。
チルノとクラインを瞬時に追い抜く。近くにいたガーディアンどものターゲットが私たちへ移り、安全となる決死隊の生存者。にわかメンバーのチルノが「……無念」と、まるでクラ之介みたいな武士っぽいつぶやきを漏らしていた。
これでチルノもいっぱしな風林火山の野武士だ。私とキリトはSAOとおなじくALOでもギルド風林火山に所属している。もちろんアスナと、ついでにキリト妹リーファも。こうなったらこの縁でチルノを誘ってみようかな。きっと気に入ると思うよ。
四分近くもよく頑張った。おかげで巨大ドームの半ばをすぎ、三分の二近くまで本隊は無傷のまま到達できた。釣り鐘状の形をした木のウロ、そのかなり上のほうまで大事もなしに。
あとは任せてねチルノ、クラ之介。
キリトへ視線を送ると、トサカ頭の彼氏が無言で頷いた。それだけで次なにをすべきか以心伝心だ。迫る白い壁へ向かい、半年以上ご無沙汰だったセリフを同時に叫ぶ。
『黒銀舞踊!』
私とキリトの共同技は二種類。SAO時代は一体をふたりで挟撃する黒銀乱舞が主力だったけど、雑魚相手には一対一で個別撃破する黒銀舞踊をたまに使っていた。「たまに」というのは、SAOでは一度に湧出するMob数が比較的少ないためだ。
でも魔法のあるALOはモンスターが多めに出現する。とくにいまは視界のことごとくを覆い尽くす、守護騎士どもの肉と鎧のバーゲンセール中。
守護騎士たちが放つ魔法攻撃の槍をすべてかわし、黒銀の矢が二本、通せんぼの壁へ突き刺さる。
「おりゃおりゃおりゃ~~!」
やんちゃな雄叫びをあげてキリトが突き進む。左右の黒剣を振るたび、白いエンドフレイムが燃え上がり、派手に弾ける。それは私もおなじだ。楼観と白楼を一閃するつど、仮面騎士の首が飛び、胴と腹が別れていく。身長に届きそうなロングソードで暴れ回るキリトの剣術は相も変わらず豪快で、見ていてほれぼれするね。力に任せてる割合が高く無駄もまだまだ多いけど、それだけに活発で楽しい剣だ。ゲーム世界だから最適である必要なんかない。強くて通用すればそれでいいんだ。数年前の私ならきっとバカにしていたのに、惚れた弱みというかそれとも人間を認めることに慣れてしまったからか、頼もしく感じてしまう。我ながら不思議な変化だと思う。そのおかげで稗田阿求とも上手く付き合えたし、きっとこれは良いことだ。
彼氏だけに活躍させないさ、黒と銀の舞踊だからね。私も得意げに冥界筆頭としてふさわしい剣を披露しているよ。人間なら老境に至ってようやく手に入るかという高みの剣。静かで無駄のない光跡を形作り、本物の人斬りとして技術の粋を若い肉体で見せつけている。ガーディアンたちは体高二メートル以上もあり、楼観剣より長い両手大剣を手にしている。HPも装甲も並のMobより強力に設定されたハイエンドなモンスターだけど、それでも勢いを乗せ確実に急所を斬り裂く「実在の殺人剣術」には脆い。たちまち防御を突破し、容易に一刀両断できる。時代劇の殺陣シーンみたいなスピードで屠っていく。
これもALOがゲームだからだ。キリトも私も学業があるから、数値的なステータスは四六時中ログインしている廃人プレイヤーよりも下だ。実技に併せレベルでもトップでいられたSAO時代とは違う。助かってるのはSAOほど絶望的な開きが生じないこと。数字レベルで最強のアバターであろうとも、初期装備アバターがデュエルでギリギリ倒せる作りになっている。腕次第なんだ。
モンスターもだ。ゲームバランスの都合から、どれほど強敵と触れ込んだMobといえども、しかるべき装備&スキル構成の「素人」がきちんと倒せる強さに設定されている。アルヴヘイム・オンラインの武器攻撃は、得物の性能にヒット時の勢いと重みでダメージ量が決まる。SAOにかなり近い仕様だけど、ソードスキルがないからさらに差がつく。つまり玄人と素人では、武器で与えるダメージに天と地の開きが生じちゃう。おかげで私の鋭い剣は「素人向け」に調整されたガーディアンの装甲をたやすく貫けてしまう。これが数値的にもプレイ時間的にも中堅プレイヤーにすぎない私やキリトが、廃人さんたちを抜き去って数万人の頂点にいられる真の理由。ナーヴギアとアミュスフィア以前、ボタンやクリックひとつとタイミング合わせで最大効率を叩き出せていた、古き良きコントローラーやキーボード&マウスの時代とは、根本から異質の入出力システムだ。
運動音痴や出不精に不公平すぎる「欠陥」ともいえそうだけど、SAOにソードスキルがあったようにALOにも魔法の数々がある。強力な攻撃魔法を四方八方から同時に浴びせられたら、私といえども狩られてしまうだろうし、実際にチルノがやられている。とにかくリアリティ溢れるバーチャル体験には必要不可欠なプロセスらしい。
私とキリトの穿った穴を中心に、白い壁がすこしずつ崩れていく。いくら補充されようとも構いもしないハイペースで殺戮していく。もちろんほかのみんなも活躍している。穴の周囲に貼り付き、埋めさせてなるものかと、確実に騎士どもを打ち倒していく。暴風雨のような剣戟の嵐が吹き荒れる。
破壊活動に熱中するフォワードの後方では、バックアップ役の九人が攻撃魔法と補助魔法をぜいたくに放っていた。とくに魔理沙・パチュリー・アリスの魔法使い三人は本物の面目もあって超越的な高速詠唱を誇っている。一〇単語以上のロングワードをわずか一秒足らずで唱え、システムにしっかりかつ正しく認識させてしまう。限定されたマナポイントを最大限に効率良く消費しつつ、回復Potも高速回転で供給していく。ショートスパンで繰り出される雷撃や火炎や真空刃の豪雨が、白灰の肉壁をじわじわと押していた。
この後列にあって魔法使い集団を直接守護する要はユージーン将軍その人だ。彼はかつてのディアベルとおなじく、自分のあるべき場所をきちんと理解している。もし将軍が集団の中で最強かそれに近い位置にいれば、自ら剣を振るって先頭に立っているだろう。でも幻想郷クラスタとSAOサバイバーだらけのこの戦いで、ユージーンの空戦能力は下から数えたほうが早い。前に出ればかえって足手纏いとなる。だから彼は指揮役に徹し、後衛を狙ってきた守護騎士を切り捨てる護衛任務を自らに課していた。
その意気や良し。爽やかで気持ちのいい男だと思う。ユージーンのような人がもっと組織トップに増えてくれたら、この先もALOは楽しい世界のままだろう。魔理沙の上司になったアリシャ・ルーと、リーファのとこのサクヤも面白い領主と聞く。ウンディーネも元ディアベルがトップに就いてるから、プレイヤー人口の多い四大人気種族はいずれも秩序だった行動が取れると思う。競争を煽るようなゲームデザインに反して、種族間レベルの対立はいまのところ起きていない。おかげで実現した全種族参加の作戦だ。
本隊が戦いに参加して二分も経ったころには、クラインとチルノも回復して前線へ戻ってきた。一一人となった戦士集団はさらに浸透力を増し、白灰で濁る肉と鎧の壁を突き崩しにかかる。だがそれを許さないぞと、秒間一〇体以上のペースで守護騎士が産み出されていく。この戦闘エリアは縦長の巨大なドーム型をしており、その内壁全面に出現ポイントが散りばめられ、ガーディアンのゆりかごを構築する。さすがに私たちの通り過ぎた下側より湧出するような卑怯はせず、堂々と前面より登場してくる。偵察で確認済みだ。もしこの局面で下から湧いてこようものなら、魔理沙たちが運営へ強く抗議するだろう。
「なんでえこの数、さすがにやってらんねーぞ」
クラインの弱音が耳に届いた。偵察を請け負っていた風林火山も、七人しかいないのでドームの八割を超えるこんな高さまではあがってなかった。上にいくほどたくさん出るとは傾向的に分かってはいたけど、私もまさかこれほど苛烈な急カーブ上昇ペースだとは知らなかった。いくらなんでも際限がなさすぎる。内壁にある白い蜂の巣穴から、沸騰した泡のようにつぎつぎ湧いてくる。上下からの挟み撃ちがないことだけが良い情報だった。つまりクリア不可能では、おそらくない。「ボス」のいないこの戦い、誰かがゴールに付けばたぶん終了する。たとえ登場してきたとしても私とキリトがいれば倒せる。だから雑魚なんか一点突破あるのみ。剣を加速させる。もっと早く、もっと軽やかに。
しかしシステムのリミッターが私の袖を引っ張ろうとしていた。グランドクエストを受け、空を飛んですでに六分をすぎた。アルヴヘイムの翼は最長一〇分ちょっと持つけど、フルに一〇分間は飛べない。集団による作戦行動だから最短時間プレイヤーに合わせるしかないんだ。それが――じつは闇妖精族インプの私とルーミア。月明かりのない真の闇でもすこしずつ飛翔力が回復する唯一の種族。その代価としてスキルで伸ばしても九分に届かない滞空制限。刻限が迫っている。それを報せるように漆黒の羽根が目に見えて色を薄めていく。
……こうなったら無我のごとき境地しかない。
「キリト! 加速しましょう!」
顔も目も合わせない。ただ大きめな声で伝えるだけで、好きな人はわかってくれるから。
「はじまりの夜の再現だな!」
そうだよキリト。リトルネペントを掃討したときの大規模バージョンだよ。人の心を読むのは疎いのに、バトルともなれば呼吸するように仲間の意図を理解してくれる――そんな理想の相棒が恋人だから、とても嬉しくて幸せだ。だって剣を振る以外なにもいらない私だから、恋したのもバトルジャンキーの剣士だった。
もはや手加減なし効率優先、格好良さも優雅さも抜きで、作業のように乱雑な剣がはじまった。ひたすらに斬り続けている。SAOだと最前線のモンスターは数撃を当てないと倒せなかったけど、このガーディアンたちは私やキリトの技倆であればたった一~二撃で殺すことができる。SAOに数倍するモンスターと日常的に戦う、ALOワールドのバランスだ。
ところがいま九種族二〇人の妖精たちを塞ごうと邪魔してくる者どもときたら、数倍どころじゃ済まない三桁規模。数えるのも億劫になるほどの圧迫感だ。でもプレッシャーにはならない。だってこいつら、ものすごく弱いから。でも強くもある。彼らの大剣はもし当たれば私やキリトに大ダメージを与えるだろう。弓矢魔法も侮れない。五発のクリーンヒットで殺されちゃう。離れても近くても、侮ってはいけない強敵。
ゆえに弱かろうが倒し甲斐はある。すぐこちらも殺されると分かってるから、その綱渡りの緊張がぞくぞくする。無敵に見えながら一度でもしくじれば、この数の暴力だからたちまち死へと一直線だ。斬りかかってくる剣をぎりぎりで避け、カウンターで首を刎ねる。その勢いのまま円心流転斬の縦回転、エンドフレイムの彼方より飛来した新参二体を捉え左右同時に切り裂いた。さらに一歩進んで特攻してきたガーディアンを肩から腹まできれいな袈裟斬りで撫で斬る。白い爆散が連鎖する。私の周囲はずっと煙でくすぶったよう。
どいつも一撃こいつも一撃、みんな一刀両断。淀むことなく、止まることなく、ただ機械的に殺戮していく。この残酷さが魂魄妖夢の剣術、魂魄流宗家の技だ!
私の領域にあるプレイヤーは、全身真っ黒なスプリガンだけ。ずっとやかましい咆哮をあげながら暴れに暴れまくる。スイッチが切り替わったようなバーサーカーぶりで、狩場でたまに見せる痺れるようなキリトさんそのものだ。戦闘への集中力は、たぶん私より上。戦うことにただ没頭している。
がらあきだったキリトの背中へ斬りかかっていたガーディアンを白楼剣で刺し殺す。それで動きの止まった私。好機を逃すまいと下降してきた二体が大剣を振りかぶる。普通ならたぶんダメージものだろうけど、黒い旋風が迅雷のように走ると、やつらの首と腕がきれいに胴体とおさらばしていた。連続で死亡エフェクトの爆発。
キリトも私も、わざとこんなふうに戦っている。背を晒してもすぐ相方がカバーしてくれると分かってるから。自分の隙を最小限に抑えるように戦うなら、効率はもっと落ちてしまうだろう。身を晒すように思い切って乱暴な剣を振れるのも、全幅の信頼をおいて背中を任せられるパートナーがいるから。絆という安心だ。
呼吸するように支え合っている――
なんて理想の戦いなんだろう。
熱血バトルアニメを見て私が憧れていた、最高で本物の相棒。
それが実際に手に入っているなんて。この戦いが終わっても、私はインプ領には帰らないだろう。ずっとキリトやクラ之介とパーティーを組む。剣を通じて人と一体になれる境地。最高の時間を得られるんだ、何物にも代え難い至高のひとときを。
酔っている。剣に溺れ、陶酔している。
それでもいい。いくら敵が技量的に弱くてもいい。適度な緊張を持って、無双の剣舞を狂うように踊る。
この世界はゲームだからもっと遊ぼう。私とキリトは剣士として本格派だから、グランドクエストのような大層なバトルじゃないとなかなか満足できないんだ。いまのように心の底から満喫できない。それはソードアート・オンラインでもおなじだった。デスゲーム環境でラブコメしちゃうほど余裕があった。だからアルヴヘイム・オンラインでも最難関のバトルへ挑んでいる。
前列の中心かつ先端にいて、肉と鎧の壁を削り穿ち、ひたすらに切り裂いていく。
黒と銀のすぐ近くでは、青と緑がこれまた格好も外聞も気にしない乱れ打ち花火を剣で表現している。アスナとリーファだ。多少荒くなろうとも、彼女たちの刃筋はちっとも衰えを見せない。ALOはSAOとおなじく、肉体の疲労を数字で表現することのない「疲れない」ゲームだ。だから脳みその集中力さえ持続できれば、持てる技は最高のパフォーマンスを発揮できる。エッジが立ったままの剣がきれいにガーディアンを蹴散らしていく。
澄み渡った蒼天のように青い長髪を荒ぶらせて銀の細剣を二本持ちで猛烈に刺しつづけるアスナ。高位の水魔法および神聖魔法の使い手にしてウンディーネ最強の剣士。容姿と体格データはSAOからそのまま受け継いでいる。
SAOの終盤で私が数週間憑依したアスナは、由緒正しい魂魄流をその身に染み込ませている。剣道でいえば級位から一挙に有段者へと駆け上ったようなもの。持ってる武器こそ細剣だけど、私はレイピアに合わせた剣を振っていた。だからアスナの魂魄流はあたりまえのように通用する。普段は滅多に二刀流を使わないようだけど、この作戦ではむしろ見せつけるような異形の閃光を披露していた。火力はキリトほどじゃないけど、守護騎士のことごとくを二撃で確実に倒していく。一撃二撃のばらつきがないだけに、リズムの取れた正確で緻密な剣を舞っていた。荒くとも精緻。矛盾してるようだけど、それがアスナというハイスペック少女なんだ。
リーファは明るめの黄色い髪をポニーテイルに結わえ、青い瞳に元気をたたえて剣道のように長刀を振る。「めぇぇぇん!」「せいぃぃぃ!」と、トドメを刺すとき甲高く叫んでいるのがユニークだ。これは私の指導で、リアルとファンタジーの感覚を同一化させるよう努めている。一種のイメージトレーニングだ。剣道はスポーツでもあるから、打的時に大声で主張しないと有効打として認めて貰えない。ALOで培ったイメージは実戦で確実に役立つので、剣道のほうに合わせていれば彼女にとって一石二鳥となる……たぶん。このこと話したらアスナに思いっきり笑われたけど、リーファは私のことを師匠扱いしてて、この……「りゃああぁ!」――やはり変なんだろうな、そんなお間抜けな方針を愚直に守ってくれている。うん、もういいよ。やはり直接見たらおかしいねこの掛け声。「つきぃぃい!」……あとで話そうね。というか中学剣道って突き禁止じゃなかった?
この剣道一直線なシルフ族少女の中身はキリトこと桐ヶ谷和人の義妹にて従妹の桐ヶ谷直葉さん。私や和人の一学年下で現在中学二年生。さらにおなじ川越北中の後輩ちゃんだ。リアルで剣道をやっていて、素質があったので鍛えてみたらあっというまに埼玉県最強へ登り詰めた。さすがキリトの血縁だね。いまでは男子部員でも物足りず、私と顧問を相手に練習してるよ。
グランドクエストでようやくリーファと合流できたし、今後はゲーム世界限定のアクロバティックな二刀流をコーチしてあげようと思っている。現実だとすぐ体を壊してしまう邪剣も、ALOなら息抜きにちょうどいいだろう。空を飛べるこの仮想世界は、妖怪剣術を扱ううえでSAO以上に適している。なぜなら魂魄の二刀流は、空中殺法こそが神髄だから。
ほとんどダメージも受けず、竜巻のように活躍するリーファ。すっかり強くなったね直葉。まだまだ伸びるよ。
アスナも相変わらず基本に忠実な正統派だ。高い頭脳によって無駄のない剣となる。高性能な有機CPUが出力する行動パターンは理路整然としていて、勘と経験に頼ってきた魂魄流をより良く最適化してゆく可能性を多分に秘めている。機械的に見えてしかしその動きは獅子奮迅と呼ぶにふさわしい猛獣のもの。理知的でかつ情熱に富んだ剣舞はとても美しいな。
アスナとリーファの刺激を受け、私の剣がますます加速していく。
キリトもだ。私が速くなれば、彼氏の二剣もよりヒートアップ、高速になる。剣はもとより振るう腕すら見えなくなっていく。でも敵を倒し損ねることはない。乱雑にみえて剣の筋はその道をまったく乱さず、当たれば確実に守護騎士たちをデータの海へと還していく。
元祖の私に野生のキリト、由緒のアスナ、正道のリーファ。四人の魂魄流が狂ったような台風となり、ガーディアンたちの中心で荒れまくる。死の超新星を輝かせている。土煙のような爆発の連鎖が中空に四散し棚引いて消える。
目に見えて壁が崩れ始めた。これまでは数に押し返されて再突撃といった一進一退に近い状態だったけど、その流れが一方的に傾いた。
「行けます!」
「ああ、行くぞ!」
確信はきっと本当になる。
あいもかわらず作業のように敵を倒し続けているけど、心のほうは興奮しっぱなしだ。楽しい。この肯定された破壊衝動がじつに愉快だ。グランドクエストを突破すれば、まちがいなく喜ばれる。みんなが嬉しいと思う。私はただ楽しんでるだけなのに、人の役にも立てる。
やってることは粗暴な大爆走だ。おもちゃを壊してきゃっきゃと笑ってる幼子と変わらないのに、褒めて認めてくれる。これほど意味不明で痛快なことはない。とっても単純な動機、剣を本気でかつ全力で振ってギリギリまで楽しみたい――それを実践する。この場と機会を提供してくれたみんなに感謝しきりだ。
物事は高みを見るほど、やがてシンプルに、かつ明瞭になる。かのアインシュタイン博士が見つけたこの世の真理はE=mc2の短い公式だった。私の剣が求める高みも単純。
それは――限界を知らぬ。
すべての悪を貫く絶対無敵の剣技。
チルノを笑えない。子供が玩具のプラスチック剣を掲げ、ぼくは最強の勇者だとはしゃぐような、そんな児戯の恍惚。人間界の善悪がとても複雑で業の深いものだということを、私はとっくに知っている。実際には干渉なんかできないし、正義の味方になんかなれない。茅場の件ひとつ取っても私は幻想郷の利益を守るため働いた共犯者だ。この世はずる賢い人が有利なように出来ている。だからこそ死後の世界くらいはせめてもと、平等に悪行を裁くようデザインされたんだ。虐げられたみんながそう願ったから。冥界の白玉楼さえ守っていれば、私は正義の剣士でいられる。なんて分かりやすい。
ALOもシンプルな、ただのゲームだ。そこで最強になろうが、現実は一ミリも動かない。魂魄妖夢はやはり妖忌お師匠よりずっと弱いし、天魔さまにも稽古すらつけて貰えないほど未熟なままだ。それでもいいんだ。だって仮想現実はやがてリアルの延長になるんだから。それを八雲紫さまが予言している。まだ未完成なバーチャルリアリティで、先取りしている予行演習のようなもの。すでに現実は動いている。私はソードアート・オンラインでキリトと会い恋をした。同盟者アスナと会い盟約を結び、先の何十年かをどうするか決めてしまった。このグランドクエストが私にとってどう動くかなんて分からない。なにかあるかも知れないし、ないかも知れない。動くものはいろいろあり、動かないものもまたそれと同じくらい多岐に渡る。
ムーブメントの先駆けにいる私は、ただ剣を操り、無人の野を往くがごとく突貫していく。時間を見れば七分をすぎている。もう羽根が持たない。ラストスパートだ。
無我夢中で剣を振りながら、今回の「企み」で私がなぜなにも知らされていないのか、なんとなく察した。事前に知ってしまえば全力で戦えなくなるからだろう。でもいいんだ。きっとクリアする行為そのものは良いことに違いない。対外にも対内にも。だから。
すべてを斬る!
利き腕の右手には楼観剣。刀身一メートル強、柄も含めたら一メートル四〇センチには達する大太刀だ。妖怪の刀匠が鍛え上げ、多くの魔を滅してきた破邪の剣。長すぎて佩刀できず、斜めに背負っている。その鞘には私の性別を反映して自然と花が生えてきて、いつも一輪だけ咲いている。柄の根元に人魂を模した房飾り。
左手には白楼剣。私にとってはサブだけど、カタナプレイヤーならメインウェポンになれる刀長は七〇センチ弱。柄も含めておよそ九〇センチ。魂魄家の家宝にして迷いを断つ鎮魂の刃。この剣の鞘は楼観へ横向きに括り付けている。
抜き身の二振りがそれぞれの刀身を白銀にひらめかせ、つぎつぎと獲物の血を吸っていく。私はこの世界に魂魄妖夢そのものとして参加できる。だからほかの武器はいらない。四〇年あまりもの時をすごしてきた大切な相棒たち、体の一部も同然に操れる二振りの霊剣。キリトとどちらか選べと言われたら、きっと楼観白楼を選択しそうなほど、私そのもの。
楼観を薙いでガーディアンを払う。白楼で刺して騎士どもを塵に戻す。奇襲ぎみに打ちかかってくれば白楼剣で斬り落とし、楼観剣で引導を渡す。二本の剣は攻守自在、即興でなんでもこなしていく。
アインクラッド第五〇層では実現しきれなかった銀と黒の相克が、ついにいま達成されようとしている。アーシュラ戦でうっかり月都の結界を突破してしまったあのとき、システムを圧迫して強制送還となった。でもいまの私はシステムに優しく、おかげで常時封印解除状態だ。ゲーム機の制限なんか関係ない。通信速度の縛りなんか容易に飛び越えて、妖怪少女の魂魄妖夢としてあるべき神速と超絶反応をALOで発揮できる。それは本来キリトの才能で、天才ゲーマーにしか得られない電子の邦土。ズルでもいい。これは私の刻斬り能力なんだから。愛しい彼氏と完全に同調し、カマイタチのような疾風であらゆる抵抗を粉砕撃滅していく。
これだ、この忘我のシンクロを経験したかったんだ。
私の最速領域について行ける、唯一無二のパートナー。
その名は桐ヶ谷和人、この世界では耳の長い妖精スプリガンで、黒髪のトサカ頭を持つキリト。かわいい顔はリアルの和人とあまり変わらない。知り合って一年以上が経ち、リアルの和人はすこしだけ大人びた。でもALOのキリトはやや幼い印象を持っていて、SAOを匂わせる。私がつい見とれ大好きになってしまった、不覚にほぼ一目で心奪われたあのときの雰囲気を醸し出す。何度見ても格好いいな。お爺さまにしごかれたせいで男性ホルモンの濃い「男らしい」殿方が苦手になった。だからキリトみたいな中性的な男の子が仮想空間限定とはいえ剣の天才で助かった。私は余計な悩みからいろいろと免れている。
キリトは天才だから、その高みを誰も追い抜けない。だけど琢磨し並ぶことはできる。妖怪で何十年も修行してきた私だから、その技倆と本能で強引に合わせることがかなう。幻想郷最強の女流剣士、妖怪の少女戦士と、ゲーム世界の天才直剣剣士。ふたりを繋ぐのはひとつの流派、魂魄流。
時間が遅く感じられるようになり、至福のときを味わっていた。意識がキリトと同一に、ひとつになっている錯覚。お互いにどう動くか完全に理解していて、どんどん先を読んでガーディアンの肉壁へと無茶なアタックをつづけていく。フォローし合っているから、無謀じゃなく必然の動きとなる。まったく剣先が見えぬ真空の剣迅で、あらゆるものをなきがように押し通って。私たちにアスナとリーファもつづく。スプリガンとインプの同一化に、さらに美人のウンディーネと闊達なシルフが加わった。四人がひとかたまりとなり、弾丸のように駆け抜ける。守りなんか要らぬ、ただ攻撃あるのみアクセル全開だ。
こんな男の子と相思相愛だなんて、これほどの女の子と親友だなんて、あまりにもラッキーすぎる。SAOで会って、現実でもバーチャルでも一緒――なんて恵まれている。幸せの絶頂だよ。果報者だね私。
どこまでも速く、どこまでも重く。どこまでも高く!
いつまでも続けばいいと願った。
ずっと戦い続けたいと心から思った。
でも終わりが来る。唐突に。
斬るものが、いきなり消えた。
突破に成功したんだと気付いた。
ガーディアンのいない空間を、全速のまま飛んでいく私とキリト、さらにアスナとリーファ。みんな激しく胸を上下させている。成し遂げた歓喜で四つの笑顔が咲いている。ランナーズハイに似たような気怠い微熱に包まれ、精神的な疲労はない。
目の前には、巨大なつぼみのように閉じた白灰色の天蓋。その天井へと――私たちはぶつかるように「舞い降り」た。
四人がゴールへたどり着いた瞬間、あれほど全力で抵抗していた雑魚の荒海が停止した。無尽蔵に湧いていたポップも止み、巨大なドームは急速に静寂へ包まれていく。
ボスはいないみたいだね、ちょっとだけ残念。
「作戦終了、全員天頂へ急げ!」
ユージーン将軍の命令に、参加しているメンバーがみんな、開いた突破口より我先に飛んでくる。もしガーディアンが気をかえて再攻撃してきたら、あっというまに総崩れとなるだろう。でもないよ、もう戦いは終わったんだから。守護騎士たちはもはや剣を振り上げるでもなく、魔法の弓を構えることもせず、敗者の群れとなって呆然と見送るだけだ。
淡い黄金色の輝きとともに天井が開いていく。開ききった時点でそこにいる妖精だけが、世界樹イグドラシルの樹上にあるという空中都市へと案内されるのだろう。重そうな石の扉が、重低音の響きで揺れながらずれていく。その奥には謎の輝きが満ちており、温かい白光が漏れていた。私たちにつづけてみんなが「降りて」くる。この天井近辺は上下の重力が逆さまになってたんだ。だから上を目掛けていたつもりが、つぎの瞬間には下降している。これは面白い仕組みだ。滞空制限ぎりぎりゴールでも、限界時間が切れていようとも、天蓋のごく近くにさえ到達できていればもう気にしなくていい。極限までエアレイドを粘れる。
生存者二〇人が無事に揃ったところで、扉が開ききった。テレポートがはじまり、私を独特の浮遊感が包む。五感がひとつずつ奪われていく。転移で感覚の混乱を起こさないようにするための措置。
最後に視覚が消え、闇に包まれた。
* *
聴覚が戻されると、吟遊詩人のリュートを基調とする壮麗なBGMが出迎えた。嗅覚が復活し、心地よい森の香りが鼻腔をくすぐる。最後に視覚が返されると、そこはいきなり玉座の間だった。かつてSAOの最終決戦で魔王ヒースクリフと対決したような赤と金の極彩ではない。もっと落ち着いた、木目と大理石と水流と木々がおり混ざった、自然味に溢れた王の居城。赤いのは足下の絨毯くらいだろう。それも玉座の近くにはなく、しっとりとした色合いで目に優しい。
瞬時にそこが世界樹の中だとわかる。目の前には階段があり、三〇段ほど上に狭いステージと玉座がひとつ。座ってるのは緑の質素なトーガを着込んだ……ひとりの女の子だった。外見は一〇歳に届かないくらい。幻想郷そのまま弓状の翼を生やしている。虫の羽とも鳥の羽根ともつかぬうすい色だ。
どこからともなくファンファーレが鳴った。それにびくりと身を縮ませる妖精王。玉座の周辺にいるアルフ族の近習たちが指さして笑っている。その側近たちも一〇歳未満と幼い少女たち。女王様も含めて威厳もへったくれもあったものじゃない。
「よ、よよ、よくぞ、その小さき翼を天へと届かせました。みみ、見事でありましたよ、そなたら。い、イグドラシルのいただきへようこそです……」
緊張の面持ちで話した妖精王オベイロン陛下。おどおどした小声もそのまま。髪は服とおなじ緑色。リアルだと黄色いリボンを結わえている箇所に、いまは華奢な王冠が乗っている。
「大ちゃん!」
チルノがいきなり飛んでいく。階段を歩いて登るなんてしない。だって正真正銘の妖精族だから飛ぶのは歩くのとおなじくらいあたりまえだ。練習して飛ぶことをあとから覚えるほかの妖怪とまったく違っている、自然の一部にして生まれながらの飛行者たち。
大妖精の手を取って上下左右に激しく振っている氷精。かなり興奮してるね。
「あたい以外の妖精と会えなくて、いつも探してたんだぞ! まとめて世界樹にいるなんて、人が悪いなみんな」
オベイロン女王陛下の正体は大妖精。チルノの親友でオリジナル名は忘却の彼方にある。妖精中の上役、大妖精として仲間内のまとめ役をしてるうちに、役名で固まってしまった薄幸の子だ。一〇〇年足らずで古いことをどんどん忘れていく妖精ならでは。大妖精はほかにも複数いて、チルノが暮らす霧の湖一帯を仕切る大妖精がこの大妖精ちゃんだ。ややこしいね。
「ごめんねチルノちゃん。内緒だって言われてたから。でもチルノちゃんならきっとイグドラシルシティに来れるって浩一郎さんも予告してたし」
明日奈のお兄さんが? ちらりとアスナを見てみると、目を合わせたアスナが閃光みたいに首を横へぶんぶん。身内にすら完全に秘密だったみたいだね。
「私たちはどうだい。似合ってる?」
女官アルフのひとりがチルノへレース編みの長衣を見せびらかす。ミカンのようなオレンジ色の髪が鮮やかな妖精のサニーミルク。青い瞳でチルノに得意げな目線を送っている。
「あー、かわいいかわいい。あんたらがアルフなのは分かるよ。光の三妖精だし」
イグドラシルの空中都市に暮らすアルフ族は、光の種族という設定だ。側近の三人娘はやはり幻想郷の妖精たち。それぞれ日と月と星の光を象徴するサミーミルク・ルナチャイルド・スターサファイアの三人だ。電線が引かれている博麗神社裏の大木に棲んでいるから、このゲームで遊ぶのも比較的簡単だろう。
「なにせ光の妖精だからな、本物なのにこちらでも光じゃないとおかしいって言ったらまとめてアルフになってたわ」
「滞空制限がないアルフのテスターしてるの。最高高度で世界の端から端まで飛んだりとかね。あと新機能のテストも押しつけられて、かえって忙しいわ」
「ストレス溜まりますから、三日置きくらいにほかの種族に化けては下界で冒険してましたのよ。チルノ以外の『本物』の目撃例はみんなそれね。いつも三人一緒だとバレますから、行動はたいていバラバラだったけど」
チルノや三妖精くらい小柄なアバターは課金しても選択できないので、児童ほどちんまりした女子プレイヤーがいれば、その正体は幻想郷の本場物で確定する。遭遇率はレアモンスターより低い。
「大ちゃんはなんでアルフの女王さまに?」
「戦闘が苦手なので……スタッフの方に伝えたら、なぜか」
「それはしょうがないな!」
あっさり納得してしまったチルノ。たしかに大妖精は陽気ながら内気で大人しめなので、ごく稀にしか弾幕ごっこへ参加しないし、異変での登場もすくない。能力そのものもろくすっぽ使わないので、この大妖精、じつはなんの精だかほとんど誰も知らないくらいだ。
「チルノ~~、話はあとでも出来るでしょ。そろそろイベント進めなさいよ」
ネコ巫女霊夢が注意してる。そうだ、このまま世間話でもはじめた日には、妖精だから丸一日は井戸端会議に費やしそうだ。日々を楽しく過ごすことに全精力を傾けている妖精たちは、話題という甘い飴に事欠かない。彼女たちの記憶野は、けっして枯れないネタの宝庫だ。
仕切り直して主従の礼。ゲームの設定だと妖精王オベイロンはすべての妖精族の頂点に君臨していることになっている。たとえその正体が大ちゃんだとしても。
女王との謁見イベントは順調に進み、晴れて九種族とも飛行制限解除が誓約された。当初の宣伝文句だった「アルフ族への転生」は運営側の都合、いわゆる大人の事情により「ない」らしい。かわりにアルフ族しか使えなかった神聖攻撃魔法が使用可能になる。これまで聖属性は状態回復や蘇生など、補助系しかなかった。
私は自分の手でグランドクエストをクリアできた感動と、剣を通した興奮状態をキリトと共有体感できた喜びを噛みしめるのに一杯で、クリア後のイベント進行にはあまり集中していなかった。攻略の中心戦力としてガーディアンを覆滅するのが私の役割だったし、個人的に大きな宿題だったキリトとの楽しい狂乱の宴をやっと実現できたから、もう興味はなかった。私にとっての祭りは終わったんだ。報奨としてアイテムとユルド銀貨をいっぱい下賜された。キリトや魔理沙が歓声をあげてたから、とても美味しい内容らしい。でもどんな武器も楼観と白楼の代わりにはなれない。ストレージをチェックしたら強そうでレアっぽいカタナがあったのでクラ之介に譲ったらものすごく感謝された。くじ運が悪くメインアームのカタナが手に入らなかったみたいだね。お礼で一〇万ユルド貰ったよ。
イベント終了後、天上都市イグドラシルシティを案内された。よほど暇なのかガイド役は女王さま自らだ。まだ整備途上だったようでNPCはほとんどいない。シティ中央にある女王の居城は王城というより宮殿の佇まいを醸し出していて、名をヘリャルブルンという。「勇士たちの泉」という意味らしい。建物は敷地の一部だけで、のこり八割は英国風の自然庭園だ。NPCの代わりに魔法使いみたいなローブ姿のアバターが歩き回っている。みんな一定のシステム管理権限を持つゲームマスターたちで、どうもオンライン上のサポートセンターを兼ねているようだ。詰め所や備品室・多人数転移ゲート・機能コンソール室と書かれたボードがあった。ログインしたGMが直接介入しないと解決できない問題もある。アルンに据えると目立つので樹上に設置したのだろう。プレイヤー側はコールひとつで連絡できるし、GM側も任意転移能力を持つから、仮想サポセンはどこにあっても問題ない。
天上の空中楼閣はシティを名乗っているけど、規模としては現状、大きめの村といったところ。拡張工事のまっただ中で、最終的には一〇〇〇人ていどが暮らせるくらいを想定してるんだって。工事中や予定地といった看板があちこちに立てられていて、多くが別荘地か公園みたい。ヘビーゲーマー用の本格的なホームは指向してないようだね。たしかに世界樹のてっぺんから冒険へ出かけるなんて、行きも戻りも時間が掛かりすぎて効率が悪い。メリットはめちゃくちゃ遠くまで滑空できることぐらい。光の三妖精は低位のシステム管理権限で任意転送というチートコマンドを使ってるそうだけど、そのような特別扱いなんて一般プレイヤーには適用できないよね。だからこの町の役割はただの別荘地だ。世界のてっぺんに家を持っているなんて、自己満足にすぎないけど一種のステータスにはなれそう。
最後にシティの外れにある北展望台へやってきた。ワールドマップの半球全面を一望できる。いま季節は冬なのでノーザンエリアは広く雪に閉ざされている。その雪景色がなかなかに美しかった。クエスト直前に降った雪がイグドラシルの根元、央都アルンまで白く染めている。ちょうど一二月二五日でホワイトクリスマス、格別な想い出になった。キリトとアスナは今日を最後に受験へ専念し、ALOを数ヶ月休む。
「まるで冥界みたいね」
「……このように色に乏しいのか?」
「ええキリト。私の暮らす冥界は、灰色に沈んだ大地なんです」
本当はもっと鮮やかな色彩もあるだろう。でも冥界を照らす幻実の太陽に力が足りないから、年中季節に関係なく薄暗く火山灰が降ったような静謐に埋もれたままだ。半人半霊の体毛が銀灰なのも、肌が病的に見えるほど色白なのも、弱い陽光に濃い色素が不要なためだと思う。色素って細胞を紫外線から守ってくれるんだって。
絶景をしばし堪能した私たちは、女王オベイロンに見送られアルンへ帰還することになった。展望台から飛び降りる手もあってクラ之介と河城にとりのおしどり夫婦、ネコ霊夢&ネコ魔理沙のケットシーコンビ、ほかにアリス・マーガトロイドと堀川雷鼓、博麗霊眞ちゃんにクニミツが希望しスカイダイビングで帰っていった。のこる一二人はヘリャルブルン宮殿の転移ゲートを使う。中低位のスーパーバイザー権限で大量ワープは無理だ。
転移ゲート室は無味乾燥な部屋で、白い内壁にはテクスチャーも光反射の補正もない。いきなり前世紀のポリゴンみたいな殺風景すぎるカクカク空間があった。プレイヤーに見せることなど想定しておらず、最低限のリソースで表現している。
「こんな手段で帰ることになろうとは、運営チームはたるんどる。攻略後のまるで同人イベントのような手作り感丸出し対応といい、『世界樹の守護者』クエが早期にクリアされると、想像もしてなかったようだな」
ユージーンのあきらかに失望している独白に、私はすかさずウンウンと頷いて返す。ほかの子は反応が薄い。たぶん裏の事情を知ってるからだ。
「上級魔法がまだ蘇生復活のリバイバルくらいしか実装されてないからな。すでに非アクティブ系ドラゴンが確認されてるに関わらず、ケットシーのテイム可能モンスターも小型のものしか公開されていないし、レプラコーンもまだレジェンダリーウェポン開発に成功してない。だから中級魔法や装備だけで攻略されるとは、考えてもなかったんだろう」
私に追従したのはキリトだった。コミュ障だった彼は遠き日の彼方にある。
「……たしかにこの戦いは、魔法や装備の強弱を常識もろとも突破している。伝説として永らく語られる戦いになるだろう。俺はおまえたちの超絶な剣技こそが成功の鍵だと思ってる」
将軍の口元がちいさく挑戦的に笑ってる。この男、嫉心や羨望もあるだろうに表情へおくびにも出さない。人の上に立つロールプレイを積極的に行ってるだけに、いろいろと演技が上手そうだ。
「攻略指揮官の腕が良かったからだよ」
キリトもキリトで即興的に切り返す。そこにはおだても皮肉もない。ただ事実をありのままに言っただけだ。私の彼氏は不器用だから。
今度は本当に面白そうな笑みを浮かべ、将軍はやや重い感じで。
「そういうことにしておこう」
握り拳を立て、キリトへ向けるユージーン。
「いまの俺では試してみるまでもなく貴様には歯が立たぬ。だが今後は魔法も武器も充実する。俺はすべての魔剣を手に入れるつもりだし、スキルも剣術も鍛え上げる。だからいずれ直接合いみまえるときあらば――勝負だ」
「ああ。そのときは望むところだ。敵味方の立場に関係なくデュエルに応じよう」
拳と拳を軽くぶつけた。すでに最強にある者と、その座を望み目指す者。男らしい堂々とした約束を見た。いいなあと思わずうらやんでしまったけど、ここは自重だ。どうせ幼い容姿の私が言っても似合わない――
「おまえのほうは受けぬのか? 俺はいつの日か妖夢殿とも真剣な一戦をやってみたいのだが」
……ありがとう将軍。
まだ立てられたままの拳に、私も握り拳を……ぴょんぴょん。
「およよっ、届かなーい」
「どうした妖夢殿? ん?」
長身のユージーン、いじわるしてる!
「私は幽霊妖怪なんですよ? 『ゲーム機に憑依』して、でっかい人魂をALOに連れてきてるんですよ。そんなバケモノ相手に、こんなことして恐くないんですか? インプ領だと夜間で会うと逃げだすプレイヤーまでいたのに。うらめしやー」
「あの妖夢さん……飛べるって忘れていませんか?」
射命丸文に呆れた調子で突っ込まれ、私の顔はたぶん一瞬で沸騰しちゃったよ。
「みょ~~ん」
室内が爆笑で満たされた。
ああ……こんな大舞台の最後で、しょうもないお笑いネタを提供してしまった。
「妖怪といっても、たいして人間と変わらんな」
苦笑しているユージーン将軍の感想だ。うん、こんな幽霊が出てきても、私でもたしかに恐がらないよ。
* *
大妖精オベイロン女王陛下がやっと転移用コンソールの操作に入ってくれた。
何十秒ものあいだ笑い声がつづいてたから、針のむしろだったよ。最初から浮かれまくってたSAOでは笑われ慣れてたけど、SAO解放の英雄として鳴り物入りでプレイスタートしたALOでここまでアホの子を晒したのは初めてだ。まだまだ未熟だなあ。天然と言われてもしょうがない。
それにしても、何分経ってもなかなか進まないね。
あれ、どうしたんだろう。
「――おかしいわ、権限がロックされているとか?」
システムコンソールは頭の高さくらいに浮かんでる無機質なサイコロで、表面のレールに挿してあるカードを引いたり押したりして動かす仕組みのようだ。でも大妖精がいくら試してみても、黒い浮遊ボックスはうんともすんとも反応しなかった。
ついには灰色のカードそのものを抜いて調べてみるも、なにも分からないようで、部屋を出てその辺にいたGMを捕まえる。ローブのフードから出てきた顔は十代前半ていどな少年のもの。黄緑色の髪と目で典型的なシルフ族の容姿をしてるけど、きっとステータス的にはアルフ族そのものだろう。公式的にアルフはまだ見つかってないことになってるから。
「……な、な、なんだろう。ぼぼんぼ僕の行使レベルじゃ分からないね。ただの僕アルバイトだし。うん」
緊張しまくった裏声でどもってる魔法使い妖精。GMは女王に声を掛けられた時点でほほを赤く染めていた。大妖精ものすごく可愛いし、幻想郷クラスタもいるから仕方ない。だって私がリアルの姿を斬り出してる。
「レコンじゃない! こんなところでなにしてるのよ? ――ってバイトか」
いきなりリーファが大きめの声をあげ、GM少年へと驚いたように疑問形を投げかけた。すぐ自己解決してるけど。
「ごめんね黙っててリーファちゃん。でもスイルベーンにはしばらく戻らないって聞いたから、会うならこれしかないって思ってたんだ」
どうやらお知り合いのようだ。
「うちの学校アルバイト禁止じゃない。まったくバカね、ただ脱領者になったらいいだけじゃないの」
「それじゃダメなんだ」
いまどきの男子には珍しいおかっぱ頭にアホ毛を揺らし、レコンが真摯な顔でリーファの手を取る。
「リーファちゃんが英雄になったら、遠くにいっちゃう。だから僕も立派になりたくて応募したんだ。アルンと思ってたのにまさか空中都市が勤務地になるなんて想定外だったけど、すぐクリア――いけない、禁則事項だった」
緊張で赤かった頬がさらに別の意味で朱色になっているレコン少年。きっとリアルで直葉のこと好きなんだろうな。中学生ってこと隠してバイトはダメだけど。
「遠くにいっちゃうって……ギルド風林火山に入ったら、すぐ私とパーティーくらい組めるわよ。知ってるわよね? お兄ちゃんと妖夢師匠も参加してるから」
「ぼ、僕なんか無理に決まってるじゃないか。だってあの熱血最強ギルド、確実な入団条件もいまだ不明なんだよ。ソロでイビルグランサーを二〇匹退治できるあのシグルドですら門前払いだったのに」
イビルなんたらは飛行オオトカゲで、初級ダンジョンボスに相当する。
「シグルドが断られたのはアタッカーだからよ。変なイメージ持たれてるみたいで、風林火山ってフォワード向けの人ばかり希望してくるのよね。ソードマンはとっくに一流が揃ってるから、本当は私みたいなオールラウンダーやにとりさんみたいに優秀なバックアップが欲しいのに」
「……えっ?」
「レコンはスカウトに特化してるわよね。風林火山にまだいないスキルビルドだからちょうど良いわ。偵察やトラップが巧みだって言えば、私の推薦で大丈夫よ。直接戦闘の苦手なにとりさんが入ってるんだから、十分いけるわ。出立時に伝えてなかった?」
「き、聞いてないよそんなこと」
「ごっめーん。教えるつもりでついうっかり忘れてた」
てへへと頭を掻きながら舌をだすリーファ。
「ひどいよリーファちゃん」
なんかこれはこれでお似合いかもしんない。剣道へ邁進してる直葉に、いまのところ恋してる余裕はなさそうだけど。レコンの男気次第だね。
「……もしかしてこのレコンってやつ、通常プレイ用のアバターとほとんどおなじ外見でGMやってるのか?」
キリトが小声でもそもそ耳打ちしてきた。くすぐったい。
「そうみたいですね――あっ」
運営にばれたらバイトクビ、ペナルティでアカウントも凍結される可能性がある。ゲームマスターは小なりとも裁量権を持つだけに、強烈な自制を求められる仕事だ。ノーマルアカウントにGM権限が与えられるなんて考えにくいから、リーファがすぐ気付いたほど似てるなら……完全アウトだよ。
正体もリアル名も知らぬ我が校の後輩くんよ、きみの恋は修羅の道まっしぐらだね。見つからないことを祈るよ、合掌。
じゃなくて、バイトGMにエディットの自由を与えるとかダメでしょ浩一郎さん! GMたち公平でいられるか相当に我慢を試されるし、買収されたら不正プレイの苗床になっちゃうよ。キリトへの恋慕がバレてた明日奈や、須郷の変態性を見抜けなかった彰三氏もそうだけど、結城一族の人って妙なところで抜けてたりする……輪を描いてもっとヌケサクな私だから大きな声でいえないけどね。浩一郎さん、末端まで配慮が行き届かないのかな。ユイやアガサにチェックしてもらったほうがいいかも。
留学期間が終わればリアルの和人と会える時間が減る。私のしょぼい学力で高校進学なんか不可能だし、幻想郷アイドルプロジェクトも動きはじめた。だから今後のおつきあい拠点となるALOは、できるだけ清潔に保っていたいんだ。たとえばチルノをよってたかって狩ったような悪い子たちは、なるだけ退治しておきたい。たしかその首魁がシグルドとか言ったかな……あれ、いま聞いた名のような。
そのチルノがいつのまにか、コンソールのカードキーを手にしていた。なに? 大妖精が渡したの?
「天才のあたいに任せてみろ」
颯爽とした足取りで転移ゲート室へ入っていく。
バイトじゃもう話にならないわとメニューウィンドウで高レベルGMコールしてた大妖精が「ぬ゙?」とまぬけな声をだした。自分の右手をあげて……ちゃんとカードがある。色も形も、チルノのものと似ていて、すこし違ってるような気がする。
カードが二枚ある! おいバカ氷精、謎のカードはどこから持ってきた? どこの誰のものよ?
「チルノ!」
「待ってチルノちゃん!」
私と大妖精が同時に叫んでゲート室へ戻ったときには、すでにチルノが第二のカードを黒いキューブへ挿していて。
空気が凍りつくように、世界が固まった。
* *
穴に落ちたような落下感。不快な酩酊感の中で目覚めた。いままで立っていたのが瞬時にベッドでの就寝体位だ。上下感覚がずれ、弛緩していた筋肉と神経へ急な力が入ってしまう。体温などもまったく違うから、こういう体感の激変はどうしても一種の車酔いみたいな違和感を覚えてしまう。周囲をドラムで叩かれてるようなぐわんぐわんとした、回転運動を急に止めたときのようなバランス感覚の喪失がきた。
「……バカ妖精が」
強制切断が起きたのだとすぐ理解した。ただごとではない。飛び起きてアミュスフィアを外す。ふらつきつつも数歩で三半規管の制御を取り戻す。こちとら妖怪さまだぞ、このていどで気持ち悪いとか情けないな。半霊までへたばってグロッキー状態だね。キリトとリーファも切断されたはずだから、まず話をしないと――扉に手をかけ、部屋を出て廊下。角を曲がると階段があってその奥に扉がふたつ。手前が直葉の、もうひとつが和人の部屋。
ほとんど知られてないけど、じつは私は桐ヶ谷家に下宿してる。表向きどこかのアパートで暮らしてるって設定になっていて、桐ヶ谷家のみんなもいつも口裏を合わせてるけど、むろんカモフラージュだ。自身の姿を完全に隠すことができるから誤魔化しなんていくらでも利く。秘密を守るため大手を振っての通学はない。毎度毎度で姿を消し、しかも空を飛んでいる。たいてい道を歩くキリトの真上が定位置で、守護霊みたいだ。
和人の部屋をノックすると、飛び出すように出てきた彼氏はさすがに無表情だった。この一年で骨格はすこし男性らしくなってきたけど、SAOで半年近くも寝てた悪影響か、成長期だというのに身長の伸びはさっぱり。おかげで私はあまり離されず済んでいる。
「あれはおそらく須郷のカードだ」
開口一番、私が知りたかった謎への回答を導き出した。さすが名探偵、勘の鋭さは霊夢にも匹敵する。
私たちがニセモノの妖精王を狩ったとき、ドロップしたアイテムにあのカードがあったのだろう。それをランダム分配でチルノが入手した。大妖精がカードを使えなくなったのは、須郷のカードがより高位の管理者権限を持っていて、正規カードの使用を制限する特殊コードを自動で実行していたと推測できる。
「須郷は元ディレクターで自身も技術者だから、SAOやALOに関してはプログラムコードレベルで詳しい。やつはなんらかの手を使ってセキュリティを騙し、不正なアクセスコードをゲームに持ち込んだ。あとはグランドクエストに紛れ込んで、ゲームを台無しにしようとしてたんだ――いやまだ引っかかるな。そうか、内部に協力者がいるはずだ。そうでないと日々変化するパスワードを突破できない。どうして運営から警戒されるオベイロンをわざわざ名乗っていたのか謎だったんだが、きっとその名前そのものが合図だ。須郷のほうから接触しないなら、痕跡は残りにくいよな……内応者はGMに混ざってるぞ。だってゲームマスターが偽オベイロンへ注意や警告の名目で接触したところで、それが写真として記録されたとしても、また人に目撃されても誰もおかしく思わないだろ。メッセージ機能を使えばログの検索参照で一発バレだから、完全犯罪を期するならアバター同士による直接接触しかない。もしかしてレコンがGMアバターを自由にエディットできたのも、なにかカラクリがある。GMアバターを用いて不正を働くとすれば、たとえば通常のプレイヤーに似せた、GMに見えないアバターを作っておいて、特定プレイヤーを贔屓したり情報を流して操ったり……これは根が深そうだな」
和人がどんどん推理を進めている。たぶんそれ、大方が合ってるよ。頭のいい彼氏って便利だね。私はアホだからかなり遠回りしないと正答に辿り着けない。それをずいぶんとショートカットしてくれる。頼りがいがあって素敵だな。それにしてもなぜ、ずっと視線を上へ向けて廊下の天井ばかり眺めてるんだろう。もっと私を見てよ。
隣室の扉が開き、慌てた表情の直葉が携帯を片手に転がり出てきた。
「お兄ちゃん、妖夢師匠! 長田くん……じゃなくて、レコンから電話があったの。仮想サポセンが乗っ取られたらしいわ!」
ALOでリーファとしてプレイしてる直葉は、リアルでは黒髪のおかっぱ頭で愛らしい女の子だ。背は私より何センチか高く、胸が猛烈に成長中。二年とかからず明日奈に並ぶかより巨乳を湛えるだろう。
だがそんな直葉ちゃん、なんですかその格好! ピンクのギンガムチェックとは派手ね。
「……スグ」
和人が妹を見てたのは一瞬で、すぐ目をまた上に……また?
とにかく注意だ。
「直葉ちゃん見えてる!」
「妖夢師匠! 下! 下!」
ほとんど同時に、お互いを注意し合って――およ? 私、目線を自分の下半身へと向ける。
…………。
なぜ愛用の縞々ボーダー柄が見えてるんだい?
……やっちゃったー。
「みょーん!」
「きゃっ!」
私も直葉も、脱兎のごとくそれぞれの部屋へ直行。
うん、スカート忘れちゃってた。しょうがないじゃん、脱いでないとシワになるし。和人も推理に逃避してないで、さっさと注意してよ! 現実じゃ斬らないからさあ。
* *
あれから三時間後、私たちはなぜか肩車をしている。
世界樹の根元、その北側テラスにて、肩車で重なること五段。その一番下に私がいる。四人を支えるなんて、なかなかに重いよ。すぐ上が射命丸文、真ん中がリーファ、四段目にチルノ、最上段がキリト。
この五人の役割は、須郷の謎のコードによって占拠されたイグドラシルシティへ外側から到達すること。
チルノが発動させちゃった須郷のアクセスコードは、イグドラシルシティにいる全プレイヤーを強制的に「死亡」させる恐怖のウイルスだった。それも即切断で猶予なしって極悪モード。全員が最後にセーブした地点へ戻されたんだけど、オンラインサポートセンターのGMアバターが壊滅状態。彼らのホームタウンはイグドラシルシティ、再ログインしたとたんウイルスコードによって即死する。ALO運営スタッフは優秀だからワクチンソフトそのものはすぐ開発できたけど、リアルからの使用が難しいのが問題だ。万全を期するなら一度サーバを停止させないといけないけど、週一の定期メンテナンスを年末年始は行わないと数日前に発表したばかりだ。冬休みや正月休暇で多くの人が継続ログインしつづけるから、ほんの数時間でもサーバが止まるのは避けたいらしい。
サーバを止めず問題を解決する方法は外側でも練られている。GMアバターのデータを手作業で修正することで、最終セーブ地点をイグドラシルシティから移動させ、サポート活動そのものは細々とだが再開しつつあるらしい。平常運転とまではいかないけど、最低限の治安活動は維持できているようだ。
「サーバを止めるのは最後の手段だって。頼んだわよみんな!」
フレーフレーしながらアスナがよいしょしてくれる。計算上、この肩車飛行は五人が限界だ。
北テラスより発射するこの作戦はいちおう極秘だ。央都アルンは世界樹の南側に主要な構造と市街を持ち、北側は目立ったものもほとんどない。単純に日当たりの関係で、北に建物を作っても日影の時間が長いため不人気スポットを宿命づけられてる。なら最初から作らないでおこうと、寂しいバランスになった。そのかわりマイナーなイベントをやるには好都合で、北テラスと呼ばれるスポットがその主要ステージになってるらしい。コスプレ大会とか同人誌即売会とかを、なぜかオンラインゲーム上でやってるそうな。世界樹から直接張り出した古代ギリシャ風の空中庭園は、風光明媚で落ち着いている。雪もかなり緩んできた。
「ロケット点火!」
一番上にいるキリトが気楽に叫んだ。それを合図に私は飛び立つ。肩へ加重が掛かってくるけど我慢して、より浮遊するイメージを全身へと巡らせる。するとしだいに妖精ロケットが浮かんでいく。どんどん速くなっていく。肩のうえにいる四人は飛んでいない。私が運んでいるわけだ。
グランドクエストを攻略したといっても、急な事件だったので、私たちはまだ飛行制限を解除してもらっていない。実装にはバージョンアップデートくらいの手間と時間が掛かるそうで、世界樹へ外側から至るにはほかに手がないんだ。
この奇妙だけど唯一の手段を思いついたのは、なんとチルノだ。
宿屋に集まりみんなでどうしようこうしようと困って話し合ってると、チルノがふいに――
『あたいチビだから分かるよ。外でいっぱい肩車して……おおきくなれば届く』
――と言った。世界樹の幹は侵入禁止エリアで直接登れないし、一番低い枝もとても到達できない高さにある。いつもならバカだって一蹴されるんだけど、発想の転換が隠れてることに気付かされたんだ。
「あたいったら天才ね!」
私の何人か上ではしゃいでる氷の妖精。そうだね、今回だけはその発想力を認めてあげるよ。子供の突飛な思考はときにこんな奇跡を用意する。時間がたてば運営でも解決できるだろう。でもサーバ停止という苦い記録が残ってしまうし、多くのプレイヤーの楽しみを奪う。そこにプレイヤーが貢献できる余地を見つけてくれたんだ。
妖精肉弾ロケットは計算上定員五名、メンバーはバーチャルリアリティによく適応してる者、随意飛行のとくに得意な者が選ばれた。チルノだけは強固に参加を希望して認められている。自分の落ち度だから、自分で落とし前を付ける。チルノらしいけど別に傑出した飛行能力者じゃないから、負担の小さい上のほうだ。最上段のキリトは……言うまでもない。メンバーの大半がどうしても女性になるから、下のほうだと色々と都合が悪い。さっきパンツ見られたばかりだし、ここは大人しくトップに座ってね。キリトは運営からワクチンコードを与えられている。弓矢の形をしていて、ウイルス有効圏外から実行――すなわち撃ち込むんだ。
上昇をはじめて三分ほどして、ある重要なことに気付いた。
わざわざアホな肩車ロケットやらなくても、滞空制限のないGMアルフ派遣すれば済むよね?
…………。
「けっこうなトラブルだってのに、お兄さん余裕たっぷりですね」
明日奈にしてこの人あり。まだ会ったことないけど、なんてお茶目な人なんだろう。チルノが「こうしたい!」と伝えてきたから、乗ってあげてるに違いない。英雄奇譚にでもするつもり?
「運営のはからいだ、乗ってやろうぜ!」
キリトも気付いてる。文も事情を察していそうな顔。知らぬはチルノとリーファばかりなり。
失敗すればすぐに正規スタッフが処理する。ならばこの余興、チルノのためにも一発で成功させたい。真相は知らないけどサーバを停止させず解決ってね。
はりきった私はますます飛行に集中し、順調に速度をあげていった。インプ族の私が一番下なのは、滞空制限が短いからだ。加速度や稼げる高度などを考慮している。計算はアスナがやってくれたから間違ってはいないはず。はたして八分とすこしのち、滞空制限の切れた私は予定通りに離脱した。二段目の射命丸文が「点火」し、キリト・チルノ・リーファの三人をより高い空へと運んでいく――
「頑張ってね~~!」
手を振りながら滑空へと移った。滞空リミットをすぎても羽根は消えず、ゆっくり下降していくことができる。いきなりの自由落下で墜落死なんて理不尽は、ゲーム世界だから起こらない。
――何分もかけて空中散歩だ。ふっふっふ。私はいま文明の利器、カメラを持ってるのだー。とんでいく肉弾ロケットをぱしゃり、ほど良い世界樹の遠景もぱしゃり。ほかにすることもないから、気ままに写していく。こういうのんびり、年始に制限が解除されたらいつでも出来るようになるね、楽しみだ。世界樹の北面はほとんど誰もいなくて、遠くの音もよく聞こえる……キンッ。
剣と剣のぶつかる音が耳に届いた。
行楽モードだった私の精神が、即座に戦士モードへと移る。カメラをしまって臨戦態勢。世界樹近辺は特殊クエストなど一部例外を除けばモンスターが出没しない。だからこんなところで物騒なちゃんばら音がするわけないんだ。音が幾重にも連なってるから、おそらくデュエルとも違う。何人もが武器を抜き、攻撃魔法を放っている。すくなくとも一〇人以上。
「誰がアスナを『狩って』るの!」
ここは央都アルンの市街エリア外、すなわち圏外なのでプレイヤーキルが可能だ。
怒りに任せ、私は飛翔のイメージを切った。すかさずフリーフォールに入る。滑空しながらでも羽根の飛翔力は回復するので、激突寸前にまた「飛べ」ば安全に着地できるはずだ。試したことないけど。
重力に任せて全速力で地面を目指しながら、魔法の言葉をつむぐ。水系統の補助魔法、アイススコープ。
氷の望遠レンズで、テラス周辺を拡大凝視する。
「まだ無事ねっ」
雨合羽みたいなボロいコートを着込んだ集団が、ウンディーネ族の女性を囲んでいる。アスナはすでにテラスから離れ、アルン中央市街の方面へ向け世界樹の東面側を高速飛翔中だ。追いすがる三〇人近いPK野郎を一人また一人と切り捨ててるけど、多勢に無勢、このままではやられてしまうだろう。いけない、一〇人ほどの別働隊が行く先で待ちかまえている。逃走ルートを読まれていたのか。
レンズを捨て手足をグライダーのように動かし、「敵」の別働隊へ突っ込むよう落下点を修正する。だけどそれは突然起きた。
別働隊の後方……岩だらけの地面より巨大な炎がわきたつ。
システムの演出するエフェクトとしてはリアルだ。あれは「あちら」の獄炎だね。
幻想郷において迷いの竹林付近でときおり見られる、真の火炎。畏怖すべき燃える鳥。
仮想現実でも大袈裟なほどに色濃い爆炎が、巨大な不死鳥の形を取った。死と再生を象徴するフェニックス。
空中へと飛びたち、数度羽ばたくと別働隊を威嚇するように吼える。美しい鳴き声だが、これより襲われる対象はおそらく恐怖しているだろう。そんな炎の中心、フェニックスの胸部にいるのは不死者だ。燃えるような赤毛の長髪と、白いシャツに赤いもんぺズボン。あちこちリボンで飾って、女の子らしさをアピール。彼女の髪は本来ロウソクのように白いけど、いまは火妖精サラマンダーだ。
「私の出番は必要なさそうですね」
地面まで二〇〇メートルほどでインプの羽根を再可動させ、急減速する。高度一〇メートルほどに滞空していた連中のほぼ同高度で、私は止まった。ぶっつけ本番だったけどうまくいってほっとした。滞空制限までたった一五秒……最初から羽根はしょぼくて薄い。これはもし突っ込んでもアスナの助けにはなれなかったな。私は楼観と白楼を抜くことすらせず、戦場を素通りして近くに生えてる石柱のてっぺんへと降りた。ちょこんと座る。
「なっ、何度でも殺せ!」
PK野郎のひとり、リーダーと思われる男が震え声で言った。
連中がまとめて攻撃魔法を放った。不死者は避けもせず敵意の雷雨をまともに受ける。彼女のHPバーがものすごい勢いで減ってたちまち空っぽになった。エンドフレイムが発生して――しかし死亡エフェクトが消えたあとには人魂じゃなくて、またその不死者が再登場する。
「……再構築」
小さくつぶやいた不死者の正体は、藤原妹紅。歴史に名を残す藤原不比等の娘だ。ある意味私よりも間抜けなうっかりさんで、特殊な能力も才能もなかったのに、うっかり不老不死の妙薬を飲んでしまったがため不老不死となり、そのまま現代までしぶとく存在してきた。いわゆる布都ちゃん系。でもぐーすか眠ってた布都ちゃんと決定的に違うのは、長い歳月のうちに高い能力を得たこと。
「チートだ!」
リーダーが恐怖に奇声をあげてるけど、妹紅は我関せず。
「蓬莱人へ喧嘩売ったわりに、雛鳥のさえずりしか出来ないのね」
「……バケモノめ! 俺たちの聖域をチートで荒らす悪魔が!」
「文句なら輝夜にでも言ってよ。どういうわけか能力使えてるし」
そうか、私が斬り出した幻想郷の妹紅は、例の強制切断でリセットされてる。クエスト時に白い髪だったのがいまは赤。つまり妹紅のアミュスフィアは永遠亭由来、月都の謎パワーの恩恵を受けてるんだ。結界を完全突破すればまずテーマ曲が流れるけど、とくにそんな様子はないから、普段から死んでもすぐ復活できるみたいだね。魔力を消費しない蘇生アイテム効果が自動発動する感じ?
両手をズボンのポケットに入れたまま、妹紅が笑った。それは死の微笑。私は安全だとわかっていても、背筋がぞくりとするほどに恐い。
「とりあえず――鬱陶しいからそろそろ墜ちてもらうわよ」
それからの戦いは一方的だった。不死鳥の獄炎はマナポイントを消費しないタイプの攻撃らしくて、使いたい放題。あっというまにプレイヤーキラーの一団を駆逐しちゃった。どれほどの熱量を持ってるのか、ひと撫でするだけでHPを完全に吸い尽くす。瞬時に燃え尽きて人魂が転がる。
最後にのこったボスが石柱に腰掛けて観戦してる私に気付いて、なぜか飛んで向かってきた。なにその死中に活ありって顔。羽根を消耗してる私なら人質にできるとでも思ったのかな? 甘いよ。だいたいあんた飛ぶの下手すぎ。楼観剣と白楼剣を抜き、いきなり結跏趺斬を放つ。クロス交差した剣気の塊が高速で飛んでいき、そいつの下半身を消し飛ばす。上半身だけ残った男が重力の法則に従って放物線を描き、私の左脇へ転がった。HPバーがじわじわ減っている。致命傷だからあと数十秒もすれば死ぬだろう。
憎々しげな目で私を見上げてくる。
「女ぁ……そのチート技でグラクエを不当に突破したんだな」
卓越した技術と純粋な連携で見事攻略したあの戦いをチートと決めつけ愚弄するとは、腹が立った。敬語なんか使ってやるものか。
「なに言ってんの? そんなのでクリアしても面白くないから、誰もなーんも使ってないわよ」
ルーミアの闇能力すら未使用だったよ。私の霊剣だって数値的にはキャンペーンクリアの報酬で貰えるレベルだから、今後は弱体化する一方だ。
「嘘をつけ、いま使ってただろうが! すべてのゲーマーの敵、腐敗の温床! その美貌で運営をたらしこんだか」
この男にとっては重要だろうが、いま語るべきことじゃない。私はALOを遊べている。それが答え。
「実力差もわからないくせにPKなんて小生意気なことしようとするから、容赦なく叩き潰してあげてるだけじゃない。あなた何者? 見ればシルフ族のようね」
フードの端から緑色の前髪がのぞいている。ハンサムだけどあまり悪人っぽくない。こいつは須郷のような小悪党の相だ。とりあえず写真でも残しておこうと、ポーチからカメラを取り出した。ぱしゃり。あとでリーファにでも見てもらおう。
「殺すなら殺せ、小虫へ教える名など持たぬ」
「放っておくだけで、もう死ぬみたいよ?」
「…………」
「質問を変えるわ。あなたをここへ寄越したやつは――オベイロンを名乗っていなかった?」
「……どうして妖精王と知り合えるものか。アルベリヒ殿やスピカちゃんはあんなバケモノとは違う」
この男、妖精王の中身が人間じゃないと知っている。アルベリヒとかスピカは運営側? なら須郷と繋がってるのかな? もしかしてキリトが推理した内部協力者か。
「オベイロンに本物の妖精をあてがうなど、チートのきわみ! 運営はなにを考えてやがる! だから俺たちユーザーがこうして正しいゲームプレイのありかたを広めようとしてるのではないか。ゲームは人間のものであり、異質な妖怪どもはみんな追い出されるべきだ。その崇高な活動を邪魔するとは、背徳の亡者め、大神オーディンの裁きを受けよ」
「およっ、マジになって言ってるし。ロープレしてるうちにその気になっちゃってるわ、傲慢な人ね」
私も陶酔くらいするけど、せめて難関攻略や目標達成の瞬間とか、特別なときにしようよ。下半身もがれた敗残でわめいても無様なだけでしょ。
「いずれヘルヘイムに落ちるぞ!」
「最初から死後の世界の住人なのに私。ほーれ幽霊だよ~」
半霊をそいつの顔面に重ねておちょくる。一気に半霊の温度を下げてやると、反射的に縮み上がってる。幽霊といえばなんか低温っぽいのが怪談の定番だ。幻想郷には夏になると幽霊を捕まえて涼を取るふとどきものもいる。
「お、覚えてろ……」
遠吠えとともに、HPがゼロになった負け犬は人魂へと燃え果てた。
「妖夢ちゃ~~ん」
背中から親友の声。無事で良かった――威勢のいい燃焼音が聞こえてくるよ。足をあげて石柱の上に立ち、くるっと体を反転させたら、やはりアスナ追ってたPK集団まとめて血祭りのただ中。
不死の業火が一帯を蹂躙し、PK妖精どもをつぎつぎと巻き込んでいく。妹紅を核とした鳳凰が優雅に飛んでいるが、火勢は地獄そのもので、衰えるところを知らず貪欲に犠牲者を求めつづける。処刑執行人は両手をポケットへ入れたまま浮いてるだけで、逃げまどうプレイヤーキラーを続々と焦がし殺す。
恐怖のあまりログアウトする者が続出してるけど、中立地帯だからアバターはその場に残されたまま、たちまち燃やされて灰となる。やつらはアスナを狩ろうとした報いを受けていた。逃走に成功した妖精はおらず、まさに皆殺し。別働隊とおなじく最後に残されたのはリーダー格と目される男。フードを深く被っていて顔が見えない。妹紅に威嚇され、地に落ちてぺたんと尻餅。
「……なにも吐かんぞ」
虚勢の震え声だ。
滞空時間がちょっと回復してた私が飛んでいって近くに降り、襲撃者のボロ合羽フードをめくってみる。
「あら、私とおなじインプ族ですね」
痩せぎすで頬のこけた顔だ。見た目は二〇歳前後だけど、もちろんリアルはまったく違うだろう。髪はやや紫入った黒でストレート長髪、乳白色な色素に乏しい肌などの特徴から、闇妖精でまちがいない。ナヨナヨして陰湿っぽい感じ、どこかで見たような。
「SAOでは大変でしたね。リハビリはどうでした?」
「…………!」
なぜ知ってるって顔、やはりSAO帰還者だったか。この男あの世界で私と会って、会話も交わしたことがある。さてどうやって口を割らせよう――
「落ちぶれたものねクラディール」
……アスナ見破るの早すぎ。
たしかに雰囲気が一致する。おっさん騎士団の創設メンバー。解放軍の幹部でありながら、強姦未遂で牢獄送り。
「こ、今回は負けたが、次はないと思え」
「運営公認の緊急活動を邪魔しようとしたのに、あなたこそ次があるのかしら。損失が出たとして賠償できるの?」
クラディールの体がブルブル震えてるよ。アスナこわーい。
「殺したければ殺せ」
覚悟を固めたようで、それっきりクラディール……ALOで同じキャラネームとは思えないけど、とにかくPK集団のリーダーは口をつぐんでしまった。
いろいろ聞いてるうちに目も閉じてしまったので、飽きたアスナが左手でメニューを呼び出し、GMコールしようとしたとたん――いきなりクラディールが動いた。縮んだバネが跳ねるような勢いでアスナに飛びかかる。その右手にはどこに隠してたのか、短剣が握られている。
「死ねぇ!」
でもね、通用するって思ってた? こういう三文芝居のような場面とっくに慣れてるんだ。
瞬間の居合い抜きが炸裂する。
襲撃者の腕がふたつ、明後日の方向に飛んでいく。アスナの命を奪うはずであった短剣も一緒に。腕は根元からきれいに両断されていて、クラディールは肩から先を失ってしまった。
斬ったのは我が愛刀、白楼剣。この剣の鞘はたいてい真横に差す。それは鞘走りを効率よくおこない、刹那の刻に勝利するため。攻撃を察知し反撃へと移るまで、まばたきの間で事足りる。
けしからぬ不意打ちへのお仕置きは、私だけじゃなかった。
閃光の断罪が爆発する。襲撃者の胸元へ、またたく間にオーバーラジェーション一〇連撃が突き刺さった。むろんALOにソードスキルはないから、直接操作による再現。
アスナの見事な迎撃ぶりだ。反りのないレイピアだからカタナほど素早くは抜けないけど、なにしろ異名が閃光だし。私が数週間憑依していた体験によって、この少女の剣技は人間としてなかなかの高みにある。現実では体が出来てないから難しいけど、チンピラ数人ていどなら棒が一本あれば容易にのしちゃうよきっと。
おかげさまでクラディールのHPバーはすっからかん。連続刺突の激しい反動で大地へとめり込みながら。
「……この、人殺し野郎が」
三下の捨て台詞とともに、PK集団のリーダーが燃え上がった。
しかしアスナが動きを不自然に止めている。
「どうしたんですかアスナ」
「――見た?」
「え?」
「クラディールのHPバー左にあったギルドタグ」
その声がやや緊張をはらんでいる。
「いいえ、とくに気にはしませんでしたが」
「まかさと思ったけど、間違いないわ――『ラフィン・コフィン』よ」
アスナがその恐るべき単語を口に出すと同時に、私たちの真上で花火のような輝きが咲いた。
チルノの作戦が成功したんだ。
* *
文とリーファが張り切りすぎて、イグドラシルシティの高々度へはキリトに加えチルノも到達できた。キリトは優しいから、チルノにワクチン実行を譲ったんだ。おかげさまでサーバ停止という事態にならず空中都市は無事解放――表向きだけど。本当に最悪サーバ停止が必要だったのか、最後まで教えてもらえなかった。きっと「夢は夢」のままでいたほうが良いってことなんだろう。たしかにチルノは一躍英雄になった。変な意味で。
教えてくれた範囲で私が知ったのは、今回のグラクエ攻略作戦がなんと明日奈のお兄さん自らの発案だったってこと。提案を受けて方針を了承したのが八雲紫さま。ALOは幻想郷と人間との距離を縮めるための試金石で、大切な実験場らしい。だから自尊心の強い妹紅や幽香が大人しく従ってたんだ。魔理沙はただのお飾りで、ユージーン将軍はなんか知らん間に勝手にしゃしゃり出て仕切っただけ。
結城浩一郎氏はグランドクエストを「一度きり」で終了させたかったらしい。そもそも前任者の須郷が定めていた売り文句、アルフに転生という時点でおかしかったのだそうだ。パッケージや公式サイトで攻略できたら滞空制限解除とあるけど、それはつまりアルフになった種族へプレイヤーが集中してしまうことを意味しているんだって。たとえ継続してグランドクエストを実施できるようにしても、職人向けで戦闘に不向きな種族がアルフへステップアップできるのはいつの日か。アルフになりやすい戦闘向けかつ人気の高い種族が、グランドクエストへの協力を盾にして、職人向けや不人気の種族をいいようにあごで扱う、搾取してしまう。そんな深刻な上下関係が生じてしまう状況が予想された。
つまりALOのグランドクエストは、一度でもクリアされれば勢力均衡が大きく崩れて二度と覆らない。その先のゲーム運営に深刻な悪影響をもたらす可能性を多分に含んでいたんだ。正せなかったのは、開発初期の段階でアルフ転生コンセプトを須郷が大々的に発表してしまったため。売りにしてしまった以上、一種のブラックボックスと化して手を付けられなくなった。
結果として九種族同時攻略なんて苦肉の策が提案され、実行し本当に一発でクリアしてしまった。おかげでレクトプログレスはやっかいな問題を解決できたわけって話。九種族合同の攻略作戦だけど、どうも失敗するたび難易度を微妙に下げていくつもりだったらしい。その辺りの不公平さが、根が真面目っぽい私になにも知らされなかった理由だ。あと元ディアベルたちが一〇〇人単位の助っ人集団を組織しつつあったとか。わずか一八人で挑戦するなど、やはり無謀のきわみであった。ならばみんな団結して、数で攻略しよう! ――物語みたいな演出だから、みんなして盛り上がりそう。踊る阿呆に見る阿呆だね。まあ、私たちは強いですからね。用意されてた演出をすべてふいにする勢いで、きっちりファーストアタックでクリアしちゃいました。
SAOの最終戦近くはみんな教えて貰ってたのに、ケースバイケースって紫さまもお人が悪い。いや情報が寸前とかけっこういい加減だった気もするなSAO時代も。私ってば賢者さまの舞台上で踊ってるピエロなのか……ま、ただの剣士だしね。せめてピエロじゃなくソードダンサーだと思い直しておこう。
変態須郷の所業は、これもしょんぼりな内容だった。未遂に終わったけど、露骨な威力業務妨害を行おうとしていたんだ。代わりにチルノがやっちゃったので逮捕こそされなかったけど、警察の事情聴取は受けたしニュースになったので社会的には今度こそ完全に終了した。検挙者はレクトプログレス社員から出た。柳井といい、米国企業への高給転職という空虚な夢物語を信じ切っていた心の弱い男だ。アルベリヒおよびスピカという上位GMを操り、内部から須郷に協力した。パスワードを漏らし、結果としてゲーム運営に支障を来しかねない損害を出した。あのときの強制切断でバイトGMふたりが三日ほど入院している。さらに社内調査により、イグドラシル内にあやしげな空間が見つかった。未完成の研究所らしきものがどのような目的で使用されるはずだったのか不明だけど、どうも須郷の真の目的は、空中都市が混乱に陥っている間に研究所を完全消去することにあったらしい。そういうデータ上書き機能がカードの解析で発見された。
もし須郷がリーダーのままALOが発売されれば、グランドクエストは絶対に攻略できない――というよりさせない悪質な仕様になる可能性があった。そう感じさせるグランドクエストの欠陥を、浩一郎氏が指摘している。須郷がいくら変態といっても有能な人間だから、重大な欠陥があるとわかって開発を進めるなんてまず考えられない。つまりアルフへの転生なんて最初から飾りで、真の目的はむしろ消そうとしていた謎のバーチャル研究所にこそあったのだろう。そういう鼻白むような話だ。
ともかくもフルダイブ技術の暗部を垣間見た。これよりも難しい部分は私にはもう理解が届かないから、あとは頭のよい人に任せよう。
あの胸くそ悪いPK集団。ギルド名は悪趣味にもネオン・コフィンという。創設者はクラディールで、ALOでは前後逆さまのリーデ・ラウクを名乗っていた。事件直後にアバターを自主削除して、さっさと逃亡しちゃった。どうもクラディールのやつ、SAOで牢獄にいる間にラフィン・コフィンと仲良くなっちゃったらしい。当時クラディールの上司だったキバオウが、解放軍に泥を塗られた激怒のあまりラフコフ真向かいの独房に放り込んだのが、今回の遠因。キバオウはALOでもキバオウのままサラマンダー族で領主目指してたらしいけど、サバイバーであることを吹聴しすぎて支持を得られず、執政部からも弾かれてしまった。いまはウンディーネに転生し、元ディアベルの副官をしてるそうな。
やはり襲撃は仕組まれていた。オベイロン須郷の悪事は途中で瓦解したけど、アルベリヒ/スピカ柳井が憂さ晴らしで情報を子飼いのネオン・コフィンへ流したんだ。しかし結果は全滅。設立者と後ろ盾が同時に消えたネオン・コフィンは、メンバーの離散があいついで急速に勢いをなくしつつある。かつてのラフィン・コフィン幹部クラスが参加ないし残留しているかは不明。
妹紅があの場にいたのは、霊夢の勘があったからだって。秘密作戦だったから妖精ロケット五人以外はアスナだけしか北テラスには向かわなかった。でも私たちを付けてるような集団っぽいものをちらりと見たような気がする――という、じつに曖昧な記憶情報だけで、霊夢は妹紅を急かしたんだ。人妖の能力を使うには基本、私の刻斬りの力を利用するしかないんだけど、妹紅は月の謎結界によって最初から使えるわけで、しかもマナポイントを消費しない。あのとき単独で救援に向かうならほかに人材はいなかった。なにせ勘だから、大勢を向かわせて外れだったらアレだし。
私が倒して尋問したシルフの男は写真からシグルドと判明した。パワー志向のプレイヤーで、頭角を見せていたリーファをしきりにパーティーへ誘っていたらしい。でもリーファが私を褒めちぎるし、まったくなびかないので、容易に幻想郷の妖怪たちを逆恨みしたそうだ。そこをネオン・コフィンに勧誘され、初仕事がチルノ狩り。氷精の位置情報を提供したのはアルベリヒ/スピカ柳井だ。シグルドが風林火山へ入団しようとしていたのは、内通者となって私やにとりを処刑場へおびき出すためだったそうな。私が霊剣の封印を解いたら、一〇〇人で襲いかかってきても撃退できるのにね。
シグルドはシルフ領主サクヤから正式にレネゲイドとして追放された。自由意思で脱領者となるのとシステム的に追い出されるのとでは、立場がまったく違ってくる。シグルドはシルフ領の町や村に入ったとたん、NPCガーディアンによって追い払われるか、行動設定によっては問答無用で殺される。SAOでいうオレンジプレイヤーのような扱いだ。
私たち幻想郷の妖怪がなぜ、チート可能でありながら放置され運営からも処罰されないのか、ネオン・コフィンの連中は理解していない。可能であるという状態、ただそれのみを持って有罪としていた。いや違う。チルノはチートに類する行為を、私が斬り出しても大してできない。目障りだから狩られたんだ。
アルヴヘイム・オンラインの総合ディレクターに収まってる結城浩一郎さんは、お人好しで性善説の人だと私は思っている。悪用されないかぎり、問題とは見なさないタイプ。私はその期待に応えようと勉めている。チートそのものはちょくちょく使ってるけど、その使用がどの段階で悪用と判定されるかは、ユーザーじゃなくGMが判断すべきだ。いまのところ注意も警告もゼロ。
クエストのボス戦などでチート技は使わない。むしろどうでもいい場面で多用するけど、赤の他人が見てるときは自制している。魂魄のチートで狩場を独占するとか、人の獲物を横取りするとか、ましてや姿を消して窃盗や詐欺行為をしでかすなど、もってのほか。絶対にやらないよ。それは妹紅もおなじ。あの業火を日常的に使ってたら、とっくに私も知っていたし、たぶんアカウント停止されてる。
幻想郷の妖怪たちはあまりにも強い力を持っている。ルール仕様の範囲でも多くの子が一流戦士だ。だからマナーをお行儀良く守るんだよ。
この件で私や妹紅への弾劾が叫ばれたけど、運営は静観を通した。妹紅は超チートを行使したけど、クラディールたちも情報源がチートだったからおあいこなんだ。ネット世論も妖怪叩きに乗らなかった。ネオン・コフィンの前身はSAOで本当に人を殺している。直接の繋がりはないといっても、そんなエッセンスを継承した愚連隊のゆがんだ「正義」なんか、大半のプレイヤーが認めなかった。
それでも人間と妖怪は細かい部分で違ってるから、どうしても大小の軋轢は発生する。紫さまが人外交流の実験場として見守っているALOは、理想郷とならなかった。妖怪と人間の力量差が大幅に埋まり縮められる世界でありながら、互いに寄り添って普遍的に仲良くなるとか、そんな都合の良い奇跡はない。
壁を作る人間は作るし、作らない人は作らない。妖怪のほうもおなじ。これまでのような付かず離れずの関係がつづく。
やがて私はアイドルデビューし、中学校へあまり行けなくなるとともに、ALOでもろくに遊べなくなった。
三月、移動中のロケバスで、和人と明日奈の志望校合格を伝えられた。
中学は私が和人を見守り、高校は明日奈が見守る。盟友との計画は無事にバトンタッチを果たす。
でも私はまだまだ桐ヶ谷邸にお世話さまだよ。ご両親公認の代償として抱擁もキスもできなくて、せいぜい手を繋ぐくらい。徹底的に清く正しいプラトニック・ラブになっちゃってるけど、でもそれでもいいんだ……だってバーチャルのほうで逢い引きしてるから。明日奈は高校合格したお祝いと称してリアルで初キスかましやがったそうだけど、ズルいな盟友。私もまだなのに。
白玉楼でのお勤めがしばらく出来てないけど、あちらは問題ない。一年半以上も襲撃がないから。魂魄流の実力が広く公知され、バカどもが怖じ気づいてしまったんだ。従者でああなら、より強いとされる幽々子さまは一層の無敵超人というわけで。勝ち目なんか皆無だから、さすがの命知らずもなけなしの命が惜しくなる。万が一に勝てたところで、あとが恐ろしい。白玉楼の裏に幻想郷が控えていることも知れ渡った。幻想郷が結集した総戦力は高天原の天神たちに匹敵するから、関連施設へ誰もちょっかい出せなくなったわけ。
おかげで私は当初のプランに基づき、日本でアイドルタレントやってます。歌はあまり得意じゃないけど、人並みで十分らしい。それでもプロとして通用しちゃうって、アイドルの世界って面白いね。
剣をマイクに持ち替え、幻想郷の未来を掴むための新たなステージへとチャレンジ。
* *
二〇二四年五月末。
クリスマスのあの事件から半年が経っていた。
今日の私は魔理沙と一緒に歌番組へ出演するんだけど、その控え室で雑誌記事を目にした。
最近VRMMOの世界で、ひとつの革命が起きているらしい。
アーガスが開発し、レクトが受け継いだカーディナルシステムは、その完成度かつ先進性から、ほとんどすべてのフルダイブ型VRゲームが採用するところとなっていた。というよりカーディナルを導入しないとそのゲームは失敗すると言われるほどに、市場を独占していたんだ。ただしカーディナルの使用料は高い。レクトとて神様や善人じゃないから、商売は貪欲に行ってる。価値あるものはそれ相応の高値になるものだ。それで儲かりまくっていたレクトだったけど、いきなりライセンス売り上げが急落してしまう。
その原因は『ザ・シード』なる謎のフリーソフトが、カーディナルの牙城を突き崩しにかかってるからだそうだ。熱意さえあれば誰でも新世界を構築できるプログラムパッケージ。おかげでVRワールドが急速に広がり始めているという。無料なだけにゲーム以外での利用も爆発的に増えている。多様化したフルダイブVRに、質的な向上の追い風が吹いている。各方面で開発が活発化していた。
世界の種子とも呼ばれているこのフリーウェア、あきらかにカーディナルシステムを参考にしてると見られるけど、微妙に特許が重ならないよう、巧みに回避されている。レクトが訴訟を検討して解析した結果、手に負えないと匙を投げた。そもそも訴えるべき開発者が誰で、どこにいるのかも不明だ。
「まるで死んだはずの茅場晶彦が生き延びていて、新たに開発したかのような、見事な完成度である。ツールが完備され、拡張性そのものも高い――か。すごいことが起こるものですね」
『ここに「ザ・シード」があります』
私の半霊からぶら下がってる携帯のユイが、さっそく見つけてきたよ。画面の中でオレンジ色の卵みたいなものを抱えてる。
「早いですね。どう?」
『そうですね――カーディナルさんとおなじ親から生まれた妹ですね』
「妹?」
『コードの癖がおなじです。世界の種子の作者は……いいえ、これ以上は言わなくてもいいかな』
横で話を聞いてた魔理沙が突然くけけっと笑った。はしたない。
「電子の世界を元気に泳いでるようだなあいつ」
「……なんの話?」
「茅場がアガサのデータベースになるだけで満足して死ぬような玉じゃないってことだぜ――ま、そのうち会えるんじゃないか? キリトのやつ誤魔化してるつもりだったようだけど、私の誘導尋問に引っかかって電脳のあいつと会ったみたいに言ってたし」
なにそれ、初耳すぎる。
「茅場がいるって? ネットの世界に? キリトが会った?」
『妖夢さん、剣を振って和人さんとたまにデートできればそれで幸せですからね』
「みょーん」
言い返せない。わたしったら単純ね。
『世界の種子を広めるには、人間の協力者が必要です。たぶん和人さんが関係していたりして。逆算したら半年前のクリスマス辺りが怪しそうです』
「あの日、私が見送ったイグドラシルのてっぺんで、なにがあったのかしら」
和人と急に会いたくなってきたぞ。お忍びで高校に突撃でもしちゃおうかしら。
ALOは一段落したけど、この世界はどんどん変化しつづけてる。新たなる潮流の起点にキリトが本当に関わっていたというなら、なんで教えてくれなかったんだろう。まだまだ心配事は尽きそうにないなぁ。
おっと、仕事の時間だ。サードシングルの収録だから、はりきっちゃうね。でもこの曲名なんとかならないかな。いっそのことチルノをデビューさせてもいいんじゃない? あの子けっこう歌上手だし、もうほとんどの日本人に見えると思うよ。
私が持つ歌詞カードには、冒頭からバカっぽくこう書いてある。
『あたいったら天才ね!』
歌のタイトルは――「チルノ・ダンス」
※アルベリヒ/スピカ
前者はゲーム版の須郷、後者は原作&アニメでナメクジ姿のヤナ(柳井)が人体実験で使ってたスピカちゃん。