二〇二四年、三月はじめ――
いつものことだが、今回も唐突に告げられた。
「イナバ~~、日本に行くわよっ!」
「ちょっと待ってください、まもなくキルが二〇に……あっ」
液晶画面が真っ赤に染まり、ウサミミ男性兵士がコンクリートとキスをした。頭部が血染めスプラッタ。銃剣付きのアサルトライフルが転がる。ヘッドショットによる即死判定。
「HSを許すなんて、間抜けすぎ! なにくそっ、負け戦だろうが私ならまだ挽回できる!」
自リスポーンで生き返った「次の私」が、まずは仇討ちだぜっと、死亡地点へ向けて別ルートで進撃――
ぷつり。
液晶大画面が、真っ黒にフェードアウト。
「あああっ……」
「だから日本に行くわよイナバ」
視線をおそるおそる向けると、PCを強制終了させた犯人が恐い笑顔で佇んでいる。
「かっ、勝てそうにないから切断したって思われましたよアレ。せっかく助っ人頼まれて来たのに」
一〇対一〇でチーム戦のまっただ中だった。いまのは単純なキル数で競うルールで、先に一〇〇キルした側の勝ち。死んでもすぐ自陣で復活する。
「いくらキルレ四台のイナバでも、一八差から逆転するなんて無理よ。だって敵にゼクシードいたじゃない」
キルレシオのことだ。「キル/デッド」の数値。二から三でも羨望の対象だから、滅多にいない四台は拝まれるレベル。ゼクシードはさらに上回る五近い廃人の鑑で、動画サイトに項目が出来るほどの神プレイヤー。
「さすが姫さまですね、ほとんどプレイしてないFPSでもそこまでお知りとは」
FPSは一人称視点シューティングの略、銃器や兵器でどんぱちやる。私が得意とするジャンルだよ。
「褒めるとかどうでもいいから、さっさと用意なさい」
「なんでしょうか?」
「だから繰り返してるでしょう。日本に行くのよ」
私の顔は、とっても間抜けだったそうだ。
「……はい?」
「あなたはこの春から三年ほど高校生やるのよ。私と一緒にね」
半世紀ちょっと暮らしてた幻想郷から、いきなり出て行くことになった。
私の名は鈴仙・優曇華院・イナバ。ウサギの妖怪だ。かつて月に暮らし、幻想郷へ隠れ、こんどは日本に住む。
* *
妖夢につづく日本への留学生派遣、第二弾。それがSAO帰還者の蓬莱山輝夜さま。
『やった! これで私もアキバに行けるわ!』
ふたつ返事でOKしたそうだ。貴族だからお世話係も必要だ。SAOでは因幡てゐが随伴している。つぎは……私しかいないよね。
「私はチビすぎるから、こんどは鈴仙の番よ!」
幾千年も生きてるくせに小学生にしか見えないてゐが、嬉しそうに肩を叩いてきた。こいつはウサギ妖獣。月といえばウサギだし、幻想郷の外に何年いても平気な妖怪だ。私が生まれ育った月の都で、玉兎たちは餅をつく。地上人が月見の風習と餅つくウサギのイメージを失うことは、まだ当面ない。
試験ないと思ってたら、なぜか受けさせられた。特別扱いしてくれないのか。
入試は余裕で合格だった。お師匠さまのもとで医療活動の手伝いをしてるうちに、いろいろな知識が頭に詰まっていたから。輝夜さまは赤点すれすれな低空飛行だけど、なぜか合格。えっ、それほどレベル低い学校なの? じゃあなぜ妖夢は高校行かなかったんだ。
東京都西東京市にある中高一貫教育の新設校だけど、統廃合で廃校になってた校舎を改装・再利用している。生徒の大半が遠くからやってきて、下宿や寮生だという。教師陣もあちこちから集められたみたい。新しい学校のはずなのに、最初から中学一年から高校二年まで揃ってるし。中等部はたったの七〇人で、高等部がたっぷり五〇〇人近くとアンバランス。なのに高三が一人もいない。
入学に際し、いくつかのマナーを注意された。
『ソードアート・オンライン内の話は不可』――いや私たいして知りませんが。
『SAOのキャラネームは名乗るな』――ガンシューティングしか興味ないよ。
『あの世界でのトラブルを持ち込むな』――元犯罪者プレイヤーも通学するってこと?
ここまで聞いてようやく分かった。ここはSAO帰還者の中高生を集めた学校だ。妖夢の彼氏さんとかは進学校へいっちゃったから、別に強制じゃない。ただ半年のブランクで開いた穴を埋めきれなくて、学業的に落ちこぼれちゃった人も多いだろう。そういう人たちの救済として設けられたんだ。高三生がいないのは、最低でも二年は学びなさいってことかな。卒業さえすれば無条件で大検の資格が貰えるというから、入試免除の代わりってことみたい。
『無関係の生徒も多いので、素性さぐりは禁止』――この最後のマナーは、私もちょっと驚きだった。部外者で入学してきた人がほかにもいるって?
* *
疑問には姫さまが答えてくれた。
「あっ、それね。学校を用意したはいいけど、入学希望者が予想より少なくて『枠』を広げたみたいね。この学校、メンタルヘルスケアやカウンセリング態勢が最初から充実してるから、深刻なトラウマ症状を持つ生徒の編入を受け入れたのよ。いろいろあって高等専修に通常の中高まで併設というか、混じっちゃった超レア校よ。学年分けの呼び方は通常の中高とおなじで、両課程の生徒がいっしょの学年やクラスに混在してるみたいね」
計画では高等専修のみだったそうだ。でも意外と多くの子が立ち直っていた。半年以内でSAOが終了したからだろうって。
「ちなみにイナバは普通科、私は専修科よ。別になる授業も増えそうね」
デスゲーム参加者じゃない私は、合格して一般高校生として入学するしかなかったってわけか。試しに受けた姫さまは撃沈してサバイバー枠へ。
「妖夢ってここへ進学できたんですよね。なぜ?」
「そりゃ、和人と明日奈のいない高校にいっても楽しくないからよ。まだアイドルやってるほうが幻想郷の役に立てるからって」
妖夢がアホで彼氏がお利口すぎたせいで、私は高校生になったのか。
「今回の留学、幻想郷の立場的には私よりむしろあなたがメインかもよ。頑張ってね」
「はい?」
「だって私は元が月人だし、不老不死ってこと除けばいまも性質はほとんど人間よ。いわば日本人に受けの良さそうな表向きの顔ね。実際には妖怪のイナバこそが、学業やめる妖夢の代わりってわけ」
一三〇〇年以上昔、地上へ留まるために月の使者皆殺しにしておいて、なにが受けですか。幻想郷もアグレッシブに攻めてきてるな。
「……ま、いいか」
玉兎は露骨にペットとか労働力みたいな扱いで、月では高等教育を受ける機会がほとんどなかった。幻想郷の寺小屋システムのほうが進んでるくらいだ。三年間も勉学していいっていうんだから、幸運として受けておこう。
学園生活は順調に始まった。学校側の配慮により、私と姫さまはおなじクラスになっている。
私と姫さまはものすごく目立つ。私は頭頂からウサギの耳が生えてるし、おしりにはしっぽも付いてて、スカートのウエストラインにスリット開けて通してる。瞳は赤く長髪は紫。まるでコスプレかも。姫さまは絶世の美女、色白のパッツン黒髪、超ロングのストレート。制服のスカートは特注で、くるぶしが隠れるほどのマキシロング。音も立てずにしずしず歩く。飛鳥美人にしてあのかぐや姫そのものだから、初日から大人気だ。
下宿は学校のすぐ近く。校門から歩いてわずか三分あまりで、移動中は何人かの私服ガードが守ってくれる。マンションの隣室に毎日が日曜日のおっさんがいる。無職にしては筋骨隆々で動きに隙なし、おそらく特殊警察か自衛隊員だろう。登下校時に出没する観光客たちは、まるで皇族でも見物するかのようにお行儀が良い。悪い子はたぶん私服ガードたちが知らないうちに排除してる。マスコミをまったく見ないのは、警察庁含識課が強力にブロックしているから。含識とは、人権適用の前倒しを難しく言ったもの。ほかにも総務省幻想課と国土交通省新地課があり、『幻想郷三課』と呼ばれてる。新地とは開拓地のことだから、日本国政府の方針がよく分かる。権法によって手出しを違法化し、実効によって口出しを無実化する。私たちも日本への正式な帰属を望んでいて、民間や海外からの雑音はほとんど無視している。月の都のような、動物とおなじ扱いなんかもうゴメンだ。
姫さまがSAOの『ルナー』だということは、最初の一日目からバレていた。三日目にはもう旧攻略組の下僕が出来てた。気弱な愛想笑いが似合う男子だ。
幻想郷の住人という正体もあってか、クラスメイトで友達はできなかった……ただし下僕なら三匹ほど。姫さまの美しさもあるけど、私も妖夢並には可愛いし、クラスにはほかに女子がいない。学校全体では、男子が九〇パーセント弱。
友達はカフェテリアにいた。そばかすがチャーミングな篠崎里香と、癒しのマスコット綾野珪子。それぞれ高一と中二。姫さまによればふたりとも元攻略組らしい。里香はSAOさえなければ高二だったそうだ。中学浪人では情けないので、入試の免除されたここに来た。前の学校で妖夢の知己だとバレた珪子は、やたら英雄視されて困っていた。友人の里香が来ると聞いて、思い切って転校してきたという。
スクールライフはうまく滑り出したけど、日常生活のほうで気苦労が多い。
問題は姫さまの習慣だ。まず鍵を掛けない。ドアも窓も。永遠亭には鍵の類がお師匠の薬剤倉庫くらいにしかない。ほかはみんなオープン、その気になれば誰でもどこにでも入り放題だ。いろんなもののコレクターでありながら、姫自身は呑気なものだ。長生きしてるから物への執着があまりない。日本でもその感覚で暮らしてる。
深窓の姫君なはずなのに、ひとりでふらっと出かける。しかも気軽に空を飛ぶからシークレットサービスさん誰も追いつけない。単独行動はご自身がとても強いからいいとして、付き添いとして私の立場がない。前兆だけは見分けられるようになった。ジーンズなどのパンツルックへと着替え、サングラスを掛けたら飛ぶ。行き先はアキバかな? スカートでは絶対に飛ばないので、それだけは助かる。
さらになにを思ったのか料理をはじめた。「SAOでは名人だったのよ」って、アシストあったからでしょ。リアルでも上手なわけがなく、もちろんど下手だ。台所は大混乱で、謎の物体エックスいっちょあがり。もったいないけど捨てるしかない。たかが料理で火事とか起こされても大変だ。家事や世話は私の担当なのに、いろんなことへ興味を持って、解放感を味わってるご様子。
いくら注意しても聞かないので、最後はガードマンのリーダーとおぼしき人に頼るしかなかった。
「すいません護衛の人」
隣室の扉を叩き、筋肉おっさんに直談判だ。
「困りますよ。生活保護を受けてる無職のうえ、アルコール中毒のパチンコ狂いで糖尿病って設定なんですから、頼られる覚えはありません」
「そんな小麦色のマッスル見せびらかして、一〇〇歳まで長生きしそうな健康体なのに?」
まだ二十代だろうけど、マッチョすぎておっちゃんにしか見えない。とりあえず姫さまの困ったちゃんな事情をいろいろと話した。
「空を飛ばれるのは仕方ないとして、戸締まりや火の気への対処は任せてください。いつも見張ってますから。本名は明かせませんが、私はベヒモスっていいます」
ベヒモス? FPSのライバルにいたような。まさかね。
「これからしばらく、ご迷惑を掛けますね」
「いやなに、人でないお方は妖夢殿で経験済みですから、もう慣れてます。どんとお任せあれ。能力で劣ろうとも、機転でカバーしますよ」
なんとこの人、かつて妖夢のプライベートガードをやってたそうだ。須郷伸之による結城家ご令嬢痴漢事件に遭遇、そのときすかさず霊夢と魔理沙を呼んだ対応で信用を得て、今回の人選になったそうで。
* *
私と姫さま、里香と珪子。
全員趣味がゲームということもあり、学内外ともに四人でつるむことが多くなった。ALOに誘われた私は、実装されたばかりの日本語で「うどんげ」なる妖精へ変身。武器は迷わず弓、種族はウンディーネ。姫さまとてゐに合わせるためだ。
姫さまたちが水妖精族を選んでるのは、執政部にいるキバオウって俗物の招待らしい。有名プレイヤーのアスナ・にとり・チルノが出てったきり戻ってこないので、領地を盛り上げる最終兵器になってるとか。たしかにすごい美人だもんね姫さまのアバター。
それはいいとして私の頭にウサミミが。
「……なんでアクセサリーでもないのに、最初からウサミミがあるんですか?」
「だってあなたのアミュスフィア、永琳が手を加えてるもの」
微笑む姫さまは、青い髪を除けばリアルの姿そのままだ。永遠亭からてゐもログインして、さらにくだんのキバオウが加わり、ウンディーネ四人で冒険に出る。
「どうしてキバオウさんがくっついてるんですか?」
「護衛に決まっとるやろ。けったいなウジ虫どもが襲ってくるんや」
森近霖之助みたいなハンサム顔で、そのしゃべり方はどうかと思います。でも体は筋肉質でアンバランス……魔理沙が怒りそう。
「姫さま、私は初心者なんですが」
「大丈夫よ、いつもなんとかなってるから」
「はあ……」
事件は三日目に起きた。
「今日も元気にぃ~、イッツ、ショウ、ターイム!」
七~八人くらいの妖精どもが襲ってきた。全員がボロボロの黒いレインコートを着込んでおり、リーダーは目のところだけ穴を開けたズタ袋をかぶってる。
「ふっ、わいは無敵や。てゐはんおるかぎり絶対に死なへんで。不死身キバオウさまの必殺剣を受けてみぃ!」
私たちを守るようにキバオウが盾となってくれたけど――
「なんでやっ!」
攻撃魔法を集中的に受けて数秒でHPゼロ、エンドフレイムに燃え上がる。うわっ、こいつら強そう。そしてキバオウ弱っ!
「姫さま!」
「なんとかなるから、まあちょっと待っててね――」
それから私の目の前で起きた戦いは、筆舌のごとく。
姫さまの能力を使った超チート。
瞬間的に加速し、瞬時に止まり――細剣のきらめきが辺りを血色に染める。真っ先に倒されたのはリーダーのズタ袋。首と胴が離れて爆散。そうなればあとは烏合の衆だ。
襲撃者はものの三〇秒とかからず全滅した。誰も生き残っていない。
「すまないねキバオウ。大見得きったとたん死ぬところが見たくて……じゃなく、幸運マックス能力、使うのうっかり忘れてた」
……てゐもSAOとおなじ能力、ALOでも使えてるのね。じゃあ私も使えるの?
てゐの蘇生魔法で生き返ったキバオウが、直剣を大上段に大笑いだ。
「今回は油断しただけや。正義はかならず勝つ!」
「……いやあんた、なにもしとらんがな」
つい関西弁で。護衛の意味まるでないしこいつ。
「姫さま、いまのなんですか? 噂のネオン・コフィン?」
「ん~~、ラフィン・コフィンのー、なれの果て?」
ズタ袋はSAOで殺人やっちゃったラフィン・コフィンの幹部、ジョニー・ブラックらしい。姫さまが直接捕まえた私怨から、ALOで繰り返し襲ってくるそうだ。ネオン・コフィンとも旧ラフィン・コフィンとも繋がりはない。
「ラフコフってとっくに空中分解してるのよ。ジョニーったら、牢屋で私のことチート茅場と強硬に主張しつづけて孤立したそうなの。仕方ないから新しい仲間を作って、執拗に襲ってくるのよ」
てゐがけらけらと笑う。こいつもウサミミあり。
「今回で五回目かな? 最初は二〇人もいたのに、どんどん人数が減ってるね。そろそろ打ち止めじゃないかしら? ジョニーの勇名も地に落ちてるところさ」
「打ち止めね……」
「デスゲームで人を殺したって悪名は、一部のプレイヤーにとって神聖視の対象らしいわ。でも蓋を開ければこのザマよ。口先だけの暗殺者」
「姫さまが強すぎるだけじゃあ」
「うどんげはんはワイがしっかり守ったるさかい、安心せい」
「だからキバオウさん、なにもしてないでしょ」
……けっこう深刻な問題だと思うんだけど、姫さまやキバオウのフィルタを通すと、コメディに見えてくるのはなぜだ。
その後も二週間ほど狩りをやってみた。刺激といえばジョニー六回目にして最後となったわずか四人による奇襲くらいで、正直かったるかった。たまにチート使ってるのに、運営はなぜか注意すらしてこない。
「飛ぶのも魔法もそれ以外も、幻想郷とたいして変わらないですね。弾幕がないのを除けば……まるで生活そのものを再現してるような」
うそウサがくくっと笑う。
「価値観の相違だね。鈴仙はテンポ早いガンシューティングに慣れすぎてしまってるからな」
装備を決めて対戦待ち部屋に入り込めば、条件や数が揃えば即対戦、死んでも一瞬で復活する。倒し倒されを短時間で延々と繰り返す。単位時間に対する戦闘の効率は、ALOの何十倍だろうか。
「ジブン知らんやろうけど、RPGもかつてはFPSほどやのーても、サクサクやったんやで」
霖之助っぽい顔と関西弁があまりにも合わなくて、何百回聞いても慣れない。
「そうよイナバ。VRゲームは全体的に遅くてゆっくりだけど、かわりに実感はまったく違うわよね。まさに体験。敵との遭遇間隔も長いから、モンスターはやや強めだし報酬も多めじゃない」
「……慣れてみます」
ある日のことだった。
姫さまもてゐもそわそわしている。アルヴヘイムの妖精たちがみんな空を飛んでいく。待ち合わせ場所はウンディーネ領を遠く離れた世界樹イグドラシル近郊。ゲーム内時刻は夜。満月がきれいだね。先にリズベットとシリカが来ていた。それぞれ里香と珪子で、髪の色は違うけど顔貌が学校そのまま、若干幼い感じだ。ALOはSAOの外見データを継承でき、レベルの高かった人ほど選ぶ傾向にある。はじまりの街や低層へ閉じ籠もってた人にとっては、忘れ去りたい過去だろう。でも攻略組にいたリズやシリカにとっては、そう悪くもない日々だったと聞く。この顔データは、中学生だったリズ、小学生だったシリカのもの。いまではそれぞれレプラコーンにケットシーだ。
周辺では大陸中から集まってきた物好きな妖精たちが一万人以上、いまかいまかとなにかを待っていた。
「来るよっ!」
いきなり、リズが宙の一点を指をさした。そこは飛行限界高度ぎりぎりの高みだ。
空が暗くなる。
「……なにっ」
夜がさらに闇へ呑まれたのは、なにかが月を遮ってしまったからだ。
なぜか鐘楼の音が重なっていく。どことなく荘厳な雰囲気に、私以外のみんながはしゃいでいる。
「――懐かしいわね」
姫さまが言った直後、鐘の音が一層けたたましくなり、辺りが黄金色に染められた。
眩しい輝きに目を細め、何秒か耐える。まぶたを見開くと、そこには巨大なラピュタが浮かんでいた。
……あれは。
テレビやラジオで聞いた。ネットで見た。姫さまとてゐを二ヶ月ちかく閉じ込め、幻想郷の存在を予定より何十年も早く世へ知らせてしまう元となった、すべての舞台。
浮遊城アインクラッド。
姫さまやてゐ、リズにシリカが飛んでいく。ケットシーの騎竜がブレスをはき、プーカが音楽を奏でる。サラマンダーやシルフがど派手な魔法を放っている。スプリガンが幻惑魔法で花火を打ち上げる。みんな大喜びで浮遊城の復活を祝っていた。
イグドラシルの大地で満月と浮遊城をバックに、空中カーニバルが開催されていた。
派手な演出をよそに、私の心は落ち着いていく。
「……ああ、ここは私のいるところじゃない」
ALOのグランドクエストは何ヶ月も前にクリアされてしまった。だからレクトプログレス社は新しいグランドクエストを探し、見つけたんだ。あの崩れ去ったはずの世界を。オリジナルはサーバから消えたというけど、アーガスは初期状態のデータくらい残してあったはずだ。SAOは第一〇〇層まで突破されるつど、別サーバで第一層からやり直さないと運営を継続できない。
八〇〇人も死んでるから反対も多かったろうに――これは物議をかもすだろう。それがかえってALOの名を広め、VRMMOの王者として不動の地位を確たるものとする。商売上手だ。ザ・シードでライセンス収益が落ちたのなら、本命のほうで挽回すればいい。
いまごろこの一万人余に混じって、妖夢もどこかで騒いでいるのだろうか。会ったことはないけど、キリトやアスナも一緒なのだろうか。
SAOは私にとって観察対象のイメージが強い。月の技術を扱える永遠亭は、なにかにつけてSAOへ干渉する技術の提供者となった。お師匠の手伝いをしていたのはいつも私。ただのデータ、ただの情報。壊すだけのもの。そして壊した。月の技術力がデジタルを侵蝕したパワーによって。そんなふうに考えていた。
――かつて浮遊城を裏から壊した私は、みんなほど熱くなれない。それは実験動物に対して、情が移らないよう自己を律する科学者のようなもの。
実際にあの世界へ引導を渡したのは体を張っていた妖夢たちだったけど、私は安全な位置にいて傍観してただけだった。その後ろめたさもあった。喜んではいけないって。
「なに暗くしとんのやジブン。ほらもっと明るう笑え! 祭りやで!」
……悲しく思った。
なぜ私は、筋肉世紀末のキバオウに手を取られて。
くるくる踊ってるんだぁ~~!
* *
『ゼクさんがいない?』
『ああ。たらこや闇風も最近は見ないな』
『ベヒさんにダインの旦那も消えてるね』
『俺はてっきりあんたも抜けたと思ってたぜ』
一ヶ月半ぶりくらいに馴染みのゲームへお邪魔すると、強豪の多くが消えていた。
『ま、俺らはその間にキルレ上げてランキング載ってやるって頑張ってたんだけど、あんたが帰ってきたんじゃ、また下がるかな』
ボイスチャットの雰囲気がちょっと違う。ウドンゲはすでに過去のプレイヤーらしい。流れ早いねFPS。私の声はエフェクタで変えてて、男のそれだ。
『あんたはGGOからの出戻りか? いくらリアルでもあっちはトロすぎるからな』
GGO? トロすぎる? なんだろう……考え事してて、また久しぶりすぎてうっかりしていた。
『いや私は入学が――あっ』
『なーんだ、ウドって学生だったんか?』
『リアルで忙しいんじゃ、しょうがないぜ。充実しててうらやましー』
『大学行けるやつはいいよな、親の金で遊べて。すこしは分けてくれよ』
『いえ、高校よ……もう! いいじゃない!』
一度焦るとどんどんボロが出る。まるで妖夢みたいな悪循環だ。
『学生どころかまだ生徒かよ』
『しかもいまの語尾――まさかな』
『いや間違いないぜ。いつも頑なにウサミミメット付けてたから変だなと思ってたんだよ』
『生声はけして聞かせてくれないしなこいつ。エフェクト掛けてるし』
『たまに女みたいな悲鳴もあげてたよな』
『リアルガンマニア少女みーつけた』
『ウドンゲちゃん一五歳くらいかー。若いっていいな』
……終わった。
女とバレたとたん、FPSはこうだ。どいつもこいつも態度を豹変させる。
最後にエフェクタを解除し、私本来の声で思いっきり言ってやる。
「残念ね、四五〇歳よ! 超ババアだからね」
スピーカーと画面の向こうが『中の人キター!』『この声、美少女確定だー!』『貢がせてください!』と大騒ぎになってしまってるが、もう相手にしない。
さっさと強制切断し、アカウントも削除する。
逃げることに慣れきってるなぁ。
私はかつて義務を放棄し、月から地上へ逃げた罪人だ。月の使者は――いつでも私を捕まえられるのに、ずっと放置したままだ。許されているのかいないのか。私も月に帰らないし、やってるゲームはミリタリー系ばかり。未練なのかな。
* *
私が勝手にライバルだと思ってるゼクシード・薄塩たらこ・闇風・ベヒモス・ダイン……彼らは複数のFPSで名を馳せてる、あるいは馳せてきた有力プレイヤー。各地でさまざまな伝説を残している。連勝記録・連続キル記録・大逆転のバトルなどなど。ここ数年の流行だが、一度強くなったプレイヤーはどのゲームでもおなじキャラネームを使う傾向がある。彼らの名をMMOトゥモローのGGOトピックで見つけたとき、私のムネは弾んだ。すぐにパッケージを通販で取り寄せる。
GGO――ガンゲイル・オンライン。荒廃した未来が舞台。ザ・シードから生まれたVR世界のひとつ。
火薬と暴力が支配する荒野の世界。不正プレイと性的嫌がらせを除けば、どのような凶行や無法も許される。迷い込んだライトゲーマーが数日で泣いて撤退する、最高ハードな仮想現実。
「なんて面白そうなの。これでまた、あいつらと殺し合いが出来るわ!」
永遠亭にはよく妹紅が姫さまを訪ねてくる。でも友人みたいに話し合ったと思ったら、いきなり殺し合ってたりする。それも楽しそうに。
不思議に思ってたものだ。なぜそんなに笑えるのかと。その理由は、ゲームの世界で銃をぶっぱなつようになって理解した。何度殺しても蘇る。どれだけ倒しても復活する。しかも上手になっていく。あいつらもこちらも。それが楽しい。殺し合いだが楽しいんだ。姫さまも妹紅も不死身だから。
ALOでは基本、殺し合うライバルが不在だ。倒すのはみんな意識も自我も持たぬモンスターで、味方とはひたすらに手を取り合って仲良くするだけ。グランドクエストを全種族合同でクリアした連帯がずっと続いており、どの種族間も気持ち悪いほどに仲が良い。プレイヤーキルが合理的な理由で行われることはあまりなく、もっぱら快楽目的、感情的な動機に集中している。
だからALOでは満足できなかったのか。
私は自分のいるべき場所を再発見した。
キャラ登録のとき迷った。ウドンゲでいいのかどうか。私はよくキャラネームを変えてしまう。
GGOはこれまでのガンシューティングとはかけ離れており、RPGの要素を強く持つ。普段はモンスター相手に冒険や狩りをして、合間に人間同士の対戦が挟まれる感じだ。それは即席大会だったり素人企画だったり、中には殺伐なPKも混じってたりする。GGOの存在を知らない間にライバルたちはすでにトップのレベルゾーンへ達していた。私が初心者として乗り込んでも、彼らとまともに戦うにはかなりの時間を必要とするだろう。私があいつらのレベルゾーンへ達したとき、すでにあいつらはさらに先へ進んでいる。
ショートカットする手は、ひとつしかなかった。
『うどんげ』
私が選んだのはアカウントの新規登録ではなく、ALOで育てたステータスを引き継ぐコンバートだった。カーディナルシステムやザ・シードを採用した仮想現実空間は、タイトル間でアカウントの移動が可能だ。アイテムやお金は持ち込めないけど、育てたステータスが相応に再現される。したがってうどんげの名がそのまま残る。前は片仮名だったけど、読みはおなじで平仮名。気付く人は気付くだろう。
……コンバートして、GGO首都SBCグロッケンの喧騒へと降りたち、最初にがっかりした。
「女じゃん」
仮想現実技術は、男が女・女が男を演じることを禁じてるそうだ。だからってこんなロリロリな姿にしなくてもいいだろうに。容姿はランダムだというが、ジュニアアイドルみたいな幼い顔になって――髪が短めなところを除けば、現実の私とけっこう近くなってしまってる。ほかはALOとおなじウサミミ。男どもの視線が気になるが、もう引き返せない。こうなれば破れかぶれだった。化粧アイテム買って髪を赤紫に、瞳を赤へと染めた。これで髪を切っただけの私だ。あのチャットから逃げだしたのがアホらしくなった。あちらは声だけで済むのに、こちらはフルダイブ直球だぞ。どれだけ羞恥プレイなんだ。
で、マーケットへ行って二度目のがっかりが来た。
「銃剣がなーい!」
かわりにコンバットナイフ類がやたらと豊富。あとフォトンソード……光の剣だって。スターウォーズか~~! あっ、月人の門番が持ってたっけ。
月の使者の防衛隊に所属していた私は、とくに制式装備である銃剣付き突撃ライフルを得意とした。月の技術は地上を凌駕しているから、もっとすごい武器・兵器がいくらでもある。しかし玉兎は労働者階級みたいな扱いだから、原始的な武器しか持たせて貰えない。それでも性能だけは見かけのわりに高くて、妖怪の「本体」へダメージを与える弾丸を放ち、妖怪の「本体」へ斬りつける銃剣だった。
GGOはレーザーライフルやビームサーベルのある未来。文明が一度崩壊し、国単位で抱えてた軍隊が消え去った。だから軍専門のオプション武装である銃剣が存在しないのか。いちおうユーザーメイドのナイフ類を作るスキルがある。世界観に合わないから、欲しいなら手前でなんとかしろってことだ。高校生やってて限られた時間しか遊べない私に、コツコツ成長させてる余裕はない。
プレイヤーのスミスショップを探したところ、サービス開始から一ヶ月しか経ってないからか露天で一店舗しかなかった。店主の那咤氏によれば「ナイフ作製の派生として銃剣作製スキルが予告されていますが、要求値が高すぎます。まだ二ヶ月は誰にも作れないと思いますよ」とのこと。彼からレジェンド・ブレイブスという商隊護衛スコードロン――ギルドのこと――へ勧誘されたけど断った。強くなるのが先決だから、呑気な旅プレイしてる暇ないんだ。別れ際に「また布都ちゃんみたいなマスコット欲しいな……」ってつぶやいてた。あなたSAO帰還者だったのね、その節はどうも……探り入れたらクラスメイトだった……世の中狭いな……あげくに姫さまの下僕A! 奇遇すぎてパーソナルカード交換しておく。銃剣作れるようになったら知らせてね下僕A。
わずかばかりの所持金でリボルバー拳銃を買い、一〇メートル以内まで近寄って野犬みたいな雑魚Mobをちまちま狩った。貯めた金で数日後、猟銃を加え三〇メートルほどから撃つ。さらにサブマシンガンへ持ち替え、六〇メートル前後……と、次第に離れて戦う。得意の近接武器が当分使えない私は、チームでいえばアタッカーでなくバックアップになる道を選んだ。距離を取って状況を見ながら戦うポジションだ。スキル構成も遠距離向けに傾ける。レベル制MMOであるGGOは、最初に目指したプレイタイプを途中で変更するなんて容易にはできない。やり直してたらトップに追いつけなくなる。だから最後はこの武器と決めていた。
スナイパーライフル。
狙撃銃は基本連射できないし装弾数もすくない。かわりに命中精度が飛び抜けて素晴らしい。弾丸の威力も高いから、急所へ当てれば中型モンスターまでなら一発で死ぬ。その一撃必殺の魅力に興奮した。軽くて運用コストの安いレーザービーム狙撃銃もあったけど、私は実弾式にこだわった。天候に左右されないし、ワンショット・ワンキルの爽快感がある。二週間して辿り着いたのは扱いやすいレミントンM24SWS。威力は並のアサルトライフルの二倍、サブマシンガンの数倍、拳銃の一〇倍以上。もっと高性能の銃がいくらでもあるけど、M24は数が多いのでアームロストしてもすぐ補充が利く。それに私の戦い方ではギリギリの重さだと思った。高性能な狙撃銃はたいてい大きくて重い。軽くて良い銃もあるけど、数が少なく武器喪失からのリカバリーが大変だ。
男子率九九パーセント以上だから、ヘルメットからウサミミ生やして荒野を駆けるミニスカ女子スナイパーの噂はすぐ広まった。スコードロンへの勧誘がいくつも舞い込んだよ。私が選んだのは薄塩たらこ氏が作ったスコードロン「たらこ革命」。ネーミングは酷いが重視したのは規模のほう。たらこ個人のひょうきんな人望で六〇人も参加してるから、いつログインしても即席パーティー組める。スナイパーはソロでの活動に限界がある。モンスターを狩るにしても、冒険するにしても、誰かアタッカーの助けがあったほうがずっと安全だ。
たらこのやつ私のこと気付いてたし、リアル女子高生ってことも例の自爆バレ事件で知られていた。やべえ、男どもが妙に優しすぎて恐い。あのとき言った「四五〇歳」は実年齢だけど、妖怪とは思われてないから一五くらいの小娘として扱われてる。気がつけば姫プレイみたいになってた。私もアホだから初心忘れてつけあがった。アイドルプレイヤーって楽だわ~~。早くみんなで殺し合いをエンジョイしたいねー。
するとある日、運営のGMがあらわれた。なぜかスターウォーズのダースベイダー卿みたいな格好で。著作権大丈夫かい?
「うどんげさま。あなたのそのバニー装備は、不正なデータと見られます。このままだと月に代わっておしおきよ」
頭からウサミミが生えてるし、おしりには丸いしっぽもこんもり。
即座に平身低頭で謝ったよ。
「すいません調子こきました! じつは幻想郷のウサギです! これ自前なんです、取れません外せません」
こうしてアカウント停止は免れたけど、私が妖怪プレイヤーだってことが白日になった。
でもみんなの扱いはかえって良くなったんだが、なぜだ。
たらこ氏から「永遠に若い嫁!」とか言われて鼻息興奮気味に求婚されたけど、このゲームって結婚システムなんかないよね。
無言をOKと勘違いしたのか、キスしようとしたからレミントンM24の銃床でぶん殴った。
誰もが河城にとりを落とした壺井遼太郎のように幸せになれるわけじゃない。ゲーム内で疑似恋愛とか、ちょっと無理だ。だって妖怪は精神的な存在だから、恋をするとなれば全身全霊になるだろう。ゲーム上だからって気楽になんてならない。それこそ結婚前提のおつきあい、重い愛となるに違いない。にとりが壺井ことクラインを受け入れたのは、まずクラインが小さな河童相手に本気の恋をしてくれたからだ。
* *
学校のカフェテリアでいつものメンバーとだべっていると、地味系メガネの女子が話しかけてきた。
「……すいませんが、ガンゲイル・オンラインでスナイパーをしてらっしゃる、『うどんげ』先輩ですよね」
「はいそうですが」
学校では鈴仙と呼ばれている。これが本名で、うどんげとかイナバは愛称のようなものだ。
「私、中等部三年の朝田詩乃っていいます……あの、私と付き合ってください!」
一瞬場が冷え固まったけど、緊張しすぎた詩乃が誤解するような言い方をしてしまっただけで、安心した。百合はまだ早いよ。
あうあう謝罪する姿が可愛くて、思わず頭を撫でてしまう――私のほうが背は低いけど。
詩乃はSAOサバイバーではないらしい。重いトラウマがあって、その克服のため編入してきた口だ。こちらに来て「誰も気にしなくなってくれた」ことを喜んでいる。詳細はむろん教えてくれないから、なにがなんだか分からないけど良かったね。SAOに閉じ込められてこの学校へ入学してきた子は、みんな大なり小なりなんらかの悩みを持ってるから、人にも優しくなれる。理解はできなくても共感はできるんだ。アキバで魔理沙といっしょにレトロゲーム漁りとかしてる姫さまは例外だけどね。こないだ比那名居天子→幽々子さん→妖夢経由で『輝夜さんが第二五層で看取ったリュフィオールの霊、天界で見つかったよー』と伝言来たけど、姫さまったら『天国なら良かったわね』と一言で済ませ、平然としてたし……誰だか知らないけど、リュフィオール氏よ南無。この人の死生観は常識が当てはまらないから。
場を変えて、私と詩乃だけで話をした。
「昨日ネットで見たんです。GGOに名物ガンナーとして活躍しているウサギ妖怪がいるって。女子高生してるそうだからおそらくこの学校に通ってるだろうって一文を見て、とても気になって……該当しそうなのは鈴仙先輩くらいしかいませんから」
ちゃんと鈴仙に戻ったね。よしよし。ていうか名物ってなによ?
「治療の一環としてGGOやりたいの? なら任せてよ」
ガンアクションは「勝てれば」自信が付く。対人を一切やらず対モンスターに限定してれば、基本RPGだし九九・九パーセントのバトルは勝利だ。PKされる危険もあるけど、私とたらこ革命が守っていれば安全だ。妖怪だってばれてからこれまで何度か襲撃あったけど、すべてカウンターに下している。妖怪倒して名を上げてやるぞって近視眼のバカがいるからね。腹立つからリーダー格のドクロみたいな仮面男はいつも真っ先に射殺してあげてたよ。ALOでの姫さまを見習ったやり方は正解で、敵はすぐ統率を失ってた。だから私も自信ついてたんだ、誰でも守れるよって。
私の安請け合いに、詩乃は慎重だった。
「――プレイするにも条件があります。ある銃が存在するかどうか」
「ある銃?」
「……黒星。それがあるなら、私をGGOへといざなってください」
武器のデータベースを照合したら、その拳銃はしっかり出現リストに載っていた。
シノンと名付けたアバターへ与えられたのは、水色の髪を持つ中背できれいな、なで肩少女。詩乃は気に入らなくてすぐ作り直そうとしたけど、可愛かったから私が押し留めた。リアルの髪型に近いから、いかにも変身って感じ。もったいなさすぎる。せっかくの地味子から華麗に化けられたんだから、化粧次第でありえる可能性として大切にしよう。
こうして冷酷なる美貌のスナイパー、無表情にしてクールなシノンが誕生した。
べつに私を真似して狙撃手になったわけじゃない。もっと重い理由で、PTSD――心的外傷後ストレス障害の発作を回避するため。サブマシンガン以下の小型銃を間近で見ると体が硬直する。モンスターといっても動物型ばかりじゃない。人間型のモンスターは銃で応戦してくるから、擬似的にプレイヤー対プレイヤーみたくなってしまう。発作は軽度で頻度も高くないけど、遊びなのに心への負担はダメと、たらこ氏より厳重注意。彼女がスナイパーを目指すもっぱらの動機となった。
シノンのスタイルは極端で、動かない。どれだけイモムシと揶揄されようとも動かない。待って待って、ひたすらワンショット・ワンキルのチャンスを待ちつづける。なにが彼女にこれほどの頑固さと集中力を与えてるのかわからないけど、もっと仲間のため動け、それがバックアップの役割だと言われたら――
「ならみなさんが私の眼前へ獲物をおびき出してください」
と強気で来たものだ。それがたまらない男もいて、薄塩たらこは私からシノン派へと鞍替え。良かった良かった。いやシノンは大変だ。私が連れてきて面倒も見てるせいか、シノンは中身が女子高生って思い込まれてる。高校生どころかまだ中学生で、アバターより幼いよ。きみたちロリコンだよ逮捕されるよ。どうも大人の男性プレイヤーたちは女子高生って生き物に弱いらしい。すまんシノン、私が考えなしだった。
首都地下ダンジョン攻略中、ビギナーズラックからシノンはいきなりヘカートIIという大型ライフルを手に入れた。サーバに数挺までといわれてる超レアな対物スナイパーライフルだ。私が愛用しているM24SWSの三倍近く重く、弾丸の破壊力は五倍くらいある。厚さ一〇センチていどならコンクリート壁ごと隠れてる敵を撃ち殺せる。ほとんど動かないシノンにはぴったりの銃だ。
ヘカートIIを得てから、シノンはゲーム内で発作の前兆も見せなくなった。もはやスナイパー以外になる気はないみたい。
スコードロン内で不足していたレベルが上昇してくると、シノンはようやく考えて動くようになってくれた。どうも彼女なりの処世術だったようで、レベル的・スキル的に数字で仲間に大きく劣ってる間は、最後尾で邪魔にならないよう大人しくしてるつもりだったようだ。そういう大事なことをシノンはなかなか伝えてくれない。心を開くのが下手なんだね。転校する前の様子がなんとなく浮かんでくる。たぶんPTSDの原因や発作そのものを理由にイジメを受けてたんだ。
そして――ついに開かれる公式大会。
* *
バレット・オブ・バレッツ……通称BoBは徹底した個人戦だ。普段はチームに混ざらないと満足に活躍できないスナイパーも、一対一という特殊条件なら意外と戦えたりする。
待ちに待った殺し合いだ! 死んでもデスペナは一切ない。武器も防具もアイテムも失わない。だから思い切り引き金を引ける。この日のために私はステータスやスキルを鍛えてきたんだ。ライバルたちよ、私を見ろ!
これまで我慢してきたのを解き放ったように暴れまくり、予選Dブロック三回戦でベヒモスを、本戦バトルロイヤルでダインを倒したけど、ゼクシードに倒された。そのゼクシードもアメリカUSサーバから参加してきた凄いやつに瞬殺される。まさか小銃すら持たないハンドガンとコンバットナイフだけのやつが優勝をさらっていくとは。シノンは予選トーナメントGブロック三回戦で、たらこも同Aブロック四回戦で姿を消していた。優勝はアメリカ人、準優勝はイタリア人らしきサブマシンガン使いだった。
この件が問題となったのか、GGOの各サーバはもれなく孤島と化した。GGOは現在日本のJPサーバと米国のUSサーバがあるけど、当初から海外よりJPサーバへ出稼ぎに来る外国人集団が鬼のように強すぎて問題視されてたんだ。国民性なのか単純に向かないのか、FPSで日本人は弱い。世界最強はアメリカ、アジア最強は韓国だけど、日本は……先進国中ではおおきく差を付けられている。BoBの惨敗を受け、日本人はかえって気勢をあげた。その結果――
『俺たちはプロゲーマーであることを宣言する!』
頑張った薄塩たらことゼクシードが月収二〇万円を同時に達成し、公式サイトの特集記事でプロを名乗った。日本人初となるVRプロゲーマーが誕生した。
ガンゲイル・オンラインはリアルマネーへの換金を大々的に認めている希有なタイトルだ。ゲーム内の稼ぎを現実へ還元すれば、それで食っていることになる。たらこたちは以前からそうだったけど、ほとんどすべての活動時間をGGOで過ごす廃人が顕著に増えてきた。彼らを駆り立てるものは金銭欲よりむしろ、まさかのプロが実際に登場したことへの焦りだろう。トッププレイヤーの多くが、私やシノンの三~五倍はログインしている。経験値効率の壁があるおかげでレベル差は一〇ていどで済んでるけど、収入やスキル成長にはもちろん天地の開きがある。
「AGIが最強なんですよ」
手っ取り早く強くなりたい連中を惹き付けた言葉がこれ。大会前からすでに予兆はあったが、ゼクシードを中心に言われるようになった。彼はプロのうえ公式大会三位だから、その発言には重みがある。俊敏値をあげ、撃ちまくって避けまくれば勝てるという理屈。ファンタジー系RPGでいえばまるで武闘家のような、AGI型と呼ばれるスタイルが増えてきた。狙撃手――いわば弓使いの私やシノンには関係のない流行だ。
同時に有志によるユーザー大会が激増した。出場料がそのまま上位入賞者へと分配される賞金システムにより、参加者は多かった。みんな捕らぬ狸の皮算用が大好きだから。
あるチーム戦大会のときだ。つぎの試合を待ちながら、サングラス姿のたらこが笑いながら言った。
「使用するのは非殺傷の競技弾、刃物もプラスチック製、グレネードは音響弾……サバイバルゲームそのまんまだな。モデルガン持って山野駆け巡ってた大学時代を思い出す」
公式大会以外では初となる、デスペナルティを気にしなくて良い対戦機会。「死に戻り」がないから短時間で多くの試合をこなせるし、「アームロスト」がないからレア武器を積極的に持ち出せる。
「私は殺し合うより楽しいかもって思い始めてます」
つい最近までは殺すのがいいよとか思ってたくせに、現金なものだ。
「どういう心境の変化なんだ?」
「楽しければ形はなんだっていいんだなって思いましてね。たとえば幻想郷には岡にあがった河童がいまして、山童というんですけど、気が向けばモデルガンと模造刀でサバイバルゲームばっかりしてますよ」
「……その山童って、もしかして」
「お察しの通り、みんな女子ですね」
「幻想郷行きてえなぁ。可愛い女の子たちに混じってサバゲーしてえ。俺おっさんだけど」
「女といっても妖怪ですから、腕力も脚力も人間とは桁外れですよ。大怪我したくなければ、遠くからニコニコ眺めるだけで近づかないことです」
「ところでうどんげ」
「はい?」
「さっきからあそこで戦ってる連中、どうも全員女にしか見えないんだが……」
ほんとだ珍しい。どうやって七人も集めたんだろう。
「たしか最近いろんな大会を開いてくれてる主催者のチームですよ。今日のもそうです。競技には晴れて初参加みたいですね」
「すばらしいのは、チーム名のほうだ」
たらこが指した指先には、みんなに見えるよう、でっかい対戦表の垂れ幕。ユーザーメイドの大会なので、思いっきり手書きだ。
「……『ヤマワロ・トリガーハッピーズ』と読めますね」
「ひゃっほー! いつまでも若い嫁たち!」
嫁欲しい野獣があらわれた。
「節操ないなあ、たらこさん」
「山童のおじょうさーん!」
野獣は喜び勇んだまま、戦場エリアへと突っ込んでいく。
迷彩服の少女たちがパニックになった。
「きゃー! 変態よ、変態!」
「なんだコイツ、尻子玉ぬいたるぞ」
「俺はきみたちのめいゆーで、薄塩たらこっていいまーす! 彼女募集中!」
「こんな野獣が、めいゆーのわけない!」
「ぎったんぎったんに退治だー!」
「結婚前提のトリガーハッピーで一緒に楽しみ……あばばばばばばば!」
無謀な野獣は蜂の巣にされた。
「言わんこっちゃない。んっ、あちらにもダメージエフェクトに染まってる変態の残骸が……」
ゼクシードだった。この人たち強くて自信と余裕があるせいかノリ良いからなあ……こうなると分かってても突っ込む。
トップと比べプレイ時間の少ない私とシノンだけど、うまく時流に乗れた。山童のスタイルは偶然だったけど、対人戦の腕を磨く現時点で最良の手段になったんだ。ダインみたいにサバゲーをバカにする人のほうが多かったけど、プレイヤー同士の遭遇戦やパーティー奇襲って、仕掛ける側はたいてい数や装備で優ってる。有利な条件で戦ってるのに、対人戦の技量って反対に落ちない? 真面目な腕磨きと称したスコードロン同士のガチ決戦も、準備と待機が長すぎて、経験のわりに消費する時間が多すぎる。デスペナもあるし。理想はもちろん回転の超早いFPSだ。でも一度フルダイブの空気を味わってあるていど強くなってしまえば、もう画面越しで戦う旧世代ゲームへはなかなか戻れない。VRMMOの純粋FPSも叫ばれてるけど、いまのところ登場する様子はない。成功したビジネスモデルがRPGしかないからだ。だからGGOもベースはRPG。サバゲーしてる私たちも普段はモンスターを狩っている。
実際に銃を手にし、弾幕の中を走り、ナイフを振り回す。硝煙を嗅ぎ、汗がまぶたへ滲み、喉が渇く。容赦のない日射が身を焦がし、あるいは泥雨の中、足を滑らせながら銃を撃つ。たとえ時間単位の対戦数が少なくとも、そのような限りなく本物に近い体感で培った技は、まさに価値ある宝物。私もALOで言われたことを、ようやく理解できるようになった。
「GGO最高! サバゲー最高!」
でも良い話ばかりじゃない。サバゲーメンバーに、てゐみたいな策士がいた。
ゼクシードのAGI最強論がミスリードだった。サバゲーで対戦するとゼクシードの耐久力があきらかに高い。ヘッドショットでないと一撃で倒せない。この一撃とはHP一割減を指す。非殺傷弾といってもダメージは受ける。ちょうど一〇パーセントだ。つまりHPバーが八九パーセント以下になれば「死亡」ってわけ。
「ゼクシードさん、信じちゃった人たちどうするんですかー? 闇風さんとかガチでAGI特化ですよ。おかげで一発でぶっ飛ばせますけど」
AGI特化は難敵だけど、サバゲー集団内でも数が多めなので慣れてしまった。かえって戦いやすい。主流になるってことはたしかに強いんだろうけど、同時に対策されやすくもなる。ゼクシードはその空隙をうまく突いてる。STRとおそらくVITの両方をバランスよく上げている。ファンタジーRPGでいえば戦士ってところ。
「ふっふっふ、時代の風は俺に吹いている。次回BoBはいただいた!」
ほかに誰が見てるわけでもないのに、両手を広げて演説モードだよ。そりゃみんなが武闘家を倒す戦法で向かってくるから、戦士は勝ちやすいだろう。
「――狙われても知りませんよ?」
「ふっ、すでに五日に一度は襲撃を受けてるよ、うどんげ君。むろん、みんな返り討ちにしてやってるけどさぁ! あっはっは!」
本当のことだから笑えない。私はこの人と戦って勝率はせいぜい二割強だ。強さを根拠とした自意識、なんというナルシストで露悪趣味。魔理沙よりも過激な演技派だな。
ゼクシードの騙し作戦がどういう波及となったのか、サバゲー組の有力プレイヤーへ粘着する阿呆が登場しはじめた。私にもひとり、圏外で仕掛けてこずに、ただ口論でけしかけてくる変なやつが湧く。骸骨マスクとマントですべてを隠した、名乗りもしない失礼なやつ。
「その耳も尾も、ありえないデータ。妖怪の不正は、許さない」
「バーカバーカ」
「サバゲー、は邪道。それも妖怪が、持ち込んだ」
「バーカバーカ」
「運営が正さねば、誰が正す。プレイヤーだ。それは俺」
「バーカバーカ」
「きさま、いつか殺す」
「バーカバーカ」
聞く耳持たないよバーカ。口先だけで言ってなさい。あんたが人を憎んで時間を空費してるあいだに、鈴仙・優曇華院・イナバはどんどん強くなってやるからね。
嫌う人だけじゃない。新規にサバゲーへ加わってくる友好的な人間もいる。たとえばこいつ。
「僕、シュピーゲルっていいます。今日がサバゲー初体験。うどんげさんすごいですね妖怪だなんて。憧れますよ妖怪! なんでも出来るんだから」
上下没個性な迷彩服のひょろ長三枚目。妖夢のじいちゃんみたいな灰色の髪。
「……はあ」
「そちらのシノンさんも憧れてますよ。僕、シュピーゲル。AGI型です。しかも超AGI。ボーナスの九割を振ってるんだ」
「……どうも」
自分からAGI型バラすとかこいつ素人だ。私たちスナイパーなのに。AGI型なら腹撃っても一撃で殺せるから、難易度の高いヘッドショット狙わなくて済むって絶好の情報与えてんじゃん。もし嘘ならかなりの狐だけど、こんな笑顔でそれは――ないな。
案の定、シュピーゲルの戦績は散々だった。三回くらい大会に出てきて、個人戦一勝一三敗……
「技量以前に、強さの基本となるレベルそのものが低いんじゃない? もっとMob狩りしたら?」
「すぐほかのプレイヤーに殺されますんで……なかなか」
「野良パーティーやスコードロンに加わらないの?」
「僕は……ソロなんですよ」
そりゃ強くなれないわけだ。GGOはSAOやALO以上にソロプレイに向いてない。出会い頭のPK沙汰なんか日常茶飯事だ。友人や仲間でない限り、確実に勝てると見るやシノンですら「狩る側」に回ることもあるんだから。幻想郷の評判に繋がるから、私はカウンターPKのときしか暴れないけど。
「良ければ理由を聞かせてくれない?」
「……リアルに体の弱い兄がいましてね、オンラインで悪いやつらとつるんだ結果、心まで弱くなった。そんな兄に幻滅しまして僕。人と組むのはいけない。頼れるのは自分の力だけだって……幸いなことに、ひとりぼっちには慣れてますし」
思い込みが激しそうだな。
「最初から思ってたけど、きみ話しすぎ」
「え?」
気が高ぶると余計なことをしゃべるタイプ。かつてSAOに潜った妖夢がそう。剣の世界にはっちゃけた結果、早い段階で本名などを人間に知られてしまった。そのような軽さをこいつも見せてる。簡単に女バレしてた私もそうだよ! なんか共感しちゃった。
「……仕方ないわね。私とシノンが一緒に冒険してあげるから、ソロ主義は返上しなさい」
「えー。私いやですよこの人、懐かれたらあとが怖そう」
シノンはスパイシーだ。
「うどんげさん――お姉さまと呼ばせてください」
性格は暗いけど、どこか憎めない子分ができたかも……と思ったのも束の間だった。
「俺のうどんげとシノンの世話になるたぁ、この薄塩たらこ様の目が黒いうちは許さねえ。てめぇは血の涙が出るほどにしごいてやる!」
たらこが連れてった。首根っこ引っ張られてずるずる荒野へ消えてくシュピーゲル。
「ヘ、ヘルプミー!」
「あー、頑張ってねシュピ坊や」
私はなんとなく手を振って健闘を祈るが……
「清々しました。あの人、嫌い。だって私のお姉さまに、色目使ってるんだもん」
シノンよ、私をそういう対象で見ないでおくれ。
まあシュピ坊やも狩られにくくなるだろう。サバゲーやってる者同士はフィールドやダンジョンで遭遇しても殺し合わないって暗黙が出来つつあるから。
そんな愉快な感じに実力アップの好循環が巡ってるうちに、来たよ来たよ。
第二回バレット・オブ・バレッツJPサーバ大会。
真の世界最強はUSサーバや新設のドイツDEサーバで勝手にド派手に決めちゃってください。本場FPSじゃゼクシード・薄塩たらこ・闇風クラスでも、ランキング末端にお邪魔するていどだった。ヌルいなりに弱小サーバ最強でも決めましょうかね。弱いといってもVRMMO発祥の地だからユーザーだけは多いんだ。ざっと四万人。うち八〇〇~九〇〇人ほどがエントリーしてくる感じ。
季節は夏休みを終え、九月に入っていた。
* *
ずっと獲物を狙っている。読んだ位置から姿を見せることを願って。照準スコープで拡大したビルの影。のろまな巨人……ベヒモスはきっとあのルートから来る。
汚くて乾燥してて暑い。さらに寂しい風のうねりが耳を逆撫でようとする。この世界のバトルフィールドはどこもいつも不快な刺激に溢れてるのに、不思議と落ち着いてしまう。私の体には一〇〇年近く過ごしてきた日々が染み込んでいるから。
四階建てのうす汚れたビル。その屋上に陣取っている。錆びた鉄の臭いに、銃痕だらけのコンクリート。屋上の表面は土と埃まみれで、何年も掃除されていない――どころか、そもそも廃墟だ。強烈な太陽光線がふりそそぎ、うつぶせの髪と背と足を容赦なく焼いてくる。風景は灰色と茶色で、乾ききっている。周辺にある木はまばらでしかもすべて立ち枯れてしまっていた。厳しい熱射と砂漠のような乾燥に耐えられるのはわずかな雑草ばかりだが、緑色の占める割合はごく狭く、とても弱々しい。
時計を見てみると、試合の残り時間は……あと三分か。
トーナメント式だから引き分け判定はない。三〇分すぎたら無気力試合として両者失格になる。戦わなかったことそのものを咎められるわけ。
仕方ない――動くか。
対戦相手はベヒさん。超STR型の彼は動きが遅くて集団戦向き。BoBのような個人戦では、私が勝てる確率が順当に高い。だからベヒモスのおっちゃんは慎重になるしかない。もはや私を巻き込んでの同時敗退すら視野に入れてるだろう。
「そうはさせるか」
短時間で近寄って勝負を決めたい。重いものは捨てよう。私はサブアームの短銃身ショットガンとプラズマ手榴弾を体より外した。さらに肘当てとすね当ても外す。どうせ試合が終われば自動的にストレージへ戻ってくる。腰に差してたコンバットナイフを、ライフルの先端へ着剣する。刃渡り三〇センチ近い大型の銃剣だ。下僕Aことレジェンド・ブレイブスの那咤くんが銃剣作製スキルで仕上げてくれた。報酬はリアルでの一日デート、夏休みに浅草巡りで履行済み。小声で告白されたけど聞こえないフリした。
重たい狙撃銃に銃剣……何度見てもシュールな図だ。リアルじゃ不可能なんだけどゲーム世界だし、銃剣そのものが隠れ武器みたいなものだ。私のSTR値もすでに現実の人間を超えた怪力になってる。
これで戦闘準備完了。
その場で立ち上がって姿を晒した私は、迷うことなく廃墟ビルの屋上より飛び降りた。高さ十数メートル。
当たりを付けてた影より、ひとつの塊がぬっと這い出てくる。背負っていた巨大な銃が動き、やつの右肩脇より六門の銃口がせり出してきた。
「あちらさんも読んでたか」
私の体へと赤いラインが何本も重なる。バレットラインと呼ばれる弾道予測線だ。「おまえは狙われてるぞ」ってこと。素人をなんちゃって達人に変えるシステムアシストだけど、敵の姿を一度は目に入れてないと発動しないって制限もある。視界から外して一分以上経っても見えなくなる。
私は撃たない。命中しないって分かってるし。
ベヒモスより銃弾の雨が襲ってきた。すさまじい連射速度の機関銃だ。でも当たらない。自然落下の速度が早くて、ベヒモスの予測射撃が間に合わない――じゃなく、あちらの銃が重すぎて、補正が効かない。六連装のガトリング銃身だけで二〇キロ近くあり、持ち歩くとか仕様外のゲテモノだ。
落下地点は日影の植え込みで、そのクッションに受け止められた。ダメージはわずか五パーセント。さらにコンクリートブロックの厚い壁で遮蔽されてる。だからベヒモスはどうしても「落ちてる私」を撃つ必要があった。彼我の距離は一〇〇メートル近くあって、手投げ弾――グレネードは届かない。グレネードランチャーを持つ余裕なんか彼にはない。もしベヒモスが動けば、隙を見つけ次第一撃のもとに射殺するだけだ。火力差はともかく、命中精度は比較にならない。
私はスナイパーだから、ちゃんと考えてるよ。
苛ついたベヒモスが、私がジャンプしてきたビルの外壁を撃ってる。なにしてんの?
「俺の特技は、肉を削ぎ落とすこと!」
なにか叫んでる……うわっ!
落ちてきた破片が頭を狙ってきた。
「私ったら、まぬけー!」
機関銃だから短時間でたくさん当てれば、壁も剥がれ落ちるな~~。そりゃ当然。あちらの弾数は五〇〇発あって私の一〇〇倍だ。給弾ベルトで全自動。
私は頭に白いヘルメットを被ってる。ウサミミのところだけ穴を開けて通してる。これで多少の破片は当たっても平気なんだけど――三〇センチとか無理じゃー! 潰されるわー! 慌てて遮蔽物より脱出する私、コンマ五秒後には、たくさんの破片が落ちてきて草むらを埋めてしまう。
非殺傷弾のサバイバル戦じゃ、オブジェクトを利用するなんて不可能だった。これはサバゲー否定してるダインの旦那も一理あったかな。廃人なのに月収一〇万届いてないから、ほんの一理だけど。ベータ版でもいいから、どこかフルダイブFPSサービス始めないかなあ。
呑気に考えつつも、体は必死に逃げまどう。隠れるところどこよー!
ベヒモスが冷静に私を掃射して……「戦わなければ勝てな~い!」……ないね。うわあ、一〇〇メートルも離れてるのに声聞こえるよー。「あのチビは調子に乗りすぎたぁぁ!」――頭のネジが飛んじゃってる。ベヒモスがリアル思春期だったときのアニメでしょそれ? この三〇分近い我慢を解放してるんだ。スナイパーでごめんっ。
ベヒモスの武器はその名をミニガン。あんな物騒なくせにミニだなんて冗談みたいな名前だけど、由来は一五〇キロ以上ある対物機関砲を小型化した対人制圧機関銃だ。それでも大量の弾を合わせた総重量は四〇キロにはなるんじゃないだろうか。それを「持ち歩く」とか、彼の機関銃愛はほとんど根性と偏愛で出来ている。BoBはもちろん、個人戦の大会でああいう重機関銃使いは優勝どころか上位に入ったことすら一度もない。マシンガンはどうしても命中精度が低いから、有効射程外からライフル類で狙い撃てば済む。狙撃は別にスナイパーライフルだけの特権じゃない。精度こそ落ちるがアサルトライフルでも可能だ。姿さえ隠せていれば、初弾のバレットラインは出ない。一方、重すぎて腰をしっかり落として撃つしかないミニガンは、隠れて撃つのがそもそも困難。
だから私はあのマッチョに予定調和として勝たなくてはならない。この一戦に勝利したほうが、本戦への切符を手に入れるのだから。
ベヒモスがハイテンションのまま、奇妙な発言を繰り返している。
「スターバースト・ストリーム!」
今度はSAOのレジェンド技っすか。いつもサバゲー対戦してるけど、たらこやゼクシードじゃあるまいし変なこと言う人だったっけ?
つぎつぎと発生する赤いバレットライン。ミニガンの六連装機関銃が高速回転し、つぎつぎと弾丸を放ってくるが、私の体をかすりもしない。だって私はスペルカード弾幕シューターだ。こういう戦いを何十年もやってきた。高度な予測射撃を経ないただ乱雑に放たれる追い弾なんて、簡単に命中を許さないよ。
広場を横断してべつの廃ビルへと潜り込む。残り時間は二分もない。私は軽いダメージを受けてるので、このまま待てば判定でベヒモスが勝つ。でも彼は殺しにやってくるはずだ。それがベヒモスの誇りだから――およそ一分後、7.62mmNATO弾を断続的に乱射しながら、身長二メートルの大男が廃墟に侵入してきた。
私のほうはすぐには撃たない。すでに二階に移動して、その床に開いた穴のひとつからチャンスを伺っている。その直径はわずか一〇センチ。ほかに大きな穴がいくらでもあるけど無視だ。ベヒモスの牽制射撃がそれら大きめの穴を抜けて二階の天井に突き刺さっている。破片がぽろぽろ落ちる。狙撃の可能性くらい彼もベテランだから分かるし。もし牽制で反応があれば、さらに撃ち込むだけだ。雑にしてじつにスマートな大火力運用。五〇〇発をすべて撃ち尽くす勢いでぜいたくに使っている。
……来たっ。
照準に逞しい顔が合わさった――システムアシストが発動し、着弾予測円が出現。収束をはじめる。心拍などと連動してるやつで、これが点になった瞬間に撃てばほぼ確実に当たる。バレットラインとおなじく素人を達人化するありがたいギフトだ。だがこういうときに頼ってはいけない。だって穴はわずか一〇センチ。すぐ見えなくなる。
猶予はない!
予測円を無視し、スコープのクロスサイトのみでタイミングを合わせる。筋肉の緊張と心臓の鼓動が勝手に銃身を微振動させるけど、クロスがわずかに逸れ、戻る寸前。
ここだっ!
指先にくいっと力を入れた。引き金を引ききった瞬間、照準の中心に哀れな生け贄、筋肉おっさんが来た。成功を確信する。
しっかり固定した肩への衝撃とともに、必殺の7.62mmNATO弾が長身バレルより解き放たれ、音速の三倍近い速度で飛んでいく。発射炎の輝きに獲物がこちらを向いて――やっと気付いたようだがもう遅い。二階から一階へ、ほんの一瞬。ターゲットの頭部が粉砕、血しぶきのエフェクトが飛び散る。だが無念でなく痛快そうにいびつな笑みをこちらに向けながら、ミニガンを連射しつつ大男が倒れる。狭い廃墟に発射音がこだまのように広がった。もう穴のむこうには闇しか見えていない。
数秒後、ポリゴンのガラスが砕け散る音が響いてきた。頭部を狙撃用ライフル弾でピンポイント貫通したのだから、一撃でHP全損。この世界の生命力勘定はリアルより少々頑丈だけど、それでもあまり強くはない。ノーマル拳銃弾なら急所だろうが何発かは耐えてみせるが、その一〇倍以上もの破壊エネルギーを持つ弾丸でヘッドショットを受ければ即死する。現実の私は多少の銃撃では死なない頑強な妖怪だけど、この世界では人間の仲間で扱われている。そんな平等な条件でまた勝てた。月都での経験が半世紀以上も経ってこんなところで役に立っているとはね。
M134ミニガンと私のレミントンM24SWSはおなじナトー弾を使用する。つまりミニガンを一発でも急所に受ければ私は即死だったってわけ。四肢のどこを掠っても手足は簡単に消し飛んでたから、なんともエクストリームな綱渡りだった。念のため銃剣を用意してたけど、今回は使わなくて助かった。いくら得意といっても、身長差が五〇センチもある。
コングラチュエーション表示が視界の上方に踊り、祝福音。Cブロックトーナメント準決勝突破――
予選は全一五ブロックに分かれ、各トーナメントの一位と二位が本戦へ進む。私はいま、決勝戦を待たずに本戦への出場権を獲得したのだ。
前回はさっさと退場してしまったけど、今回は優勝したい!
硝煙の臭いを背中に、私の体が青い輝き、テレポートのエフェクトに包まれた。
* *
「強かったな。前回とおなじく、またきみに阻まれたか」
「いえいえ、まぐれ勝ちですよ」
本当にギリギリだった。ベヒモスが判定待ちに出たら? あそこに一〇センチの穴がなければ? 手足のどれかをもがれてたら? 小さな失敗をいくつかやってるし、私の戦い方はベストじゃなかった。幸運だったとしかいえない。
「もし本戦に出るようなことがあればどうしようかと思ってもいた。これで私は『任務』に専念できる」
いまは間近にいるので、彼からひしひしと感情の「波」が流れてくる。永遠亭改造アミュスフィアによって使えてしまう、妖怪としての能力だ。意識すれば働いてくる。リアルで何百キロと離れていようとも、仮想現実を経由して分かってしまうんだ。アミュスフィアは感情を数値化する。アバターの表情などとして視覚的に出力されるのは情報の一部だが、私には隠れた部分に至るまでソースデータが、複雑な波形として「視」える。ポーカーフェイスは通用しない。
「……お仕事、がんばってくださいね」
「ああ、それでは健闘を祈るよ」
それ以上はなにも言わない。彼がしてきた敬礼に、私も敬礼を返す。
思考の具体は分からない。たとえアミュスフィアに読心の力があっても、私の能力の範囲で再現は無理だ。さとり妖怪の古明地さとりですらSAOではデータ参照に留まった。そのデータの波で十分だ。これまでの人生経験を元に想像できるから。彼はこの戦いに負けて、さして悔しがってない。それよりも次のことへ集中できると安堵してる。
間違いない。この人は私と姫さまをいつもガードしてくれてる隣室の筋肉おっさんだ。
GGOではリアルとおなじく、護衛のお仕事が大好き。ときにはほかのスコードロンの護衛を有償で引き受けていて、ヤマワロ・トリガーハッピーズを襲ってきたダインのパーティーを、あのミニガンで全滅させたこともあった。誰かの支援さえあれば、ミニガンほど恐ろしい対人武器はほかにあまりないだろう。そのレア度はシノンのヘカートIIと並ぶ。
……たぶんBoB絡みでなにか事件が起きてるのだろう。だって今回のバレット・オブ・バレッツは前回とすこし違う。いやな予感がするんだ。
扉がとじ、ベヒモスがエレベーターの向こうに消えていった。
ばいばーいと振っていた手を下げて身を翻す。いまいるのは総督府のエレベータ昇降区画。勝ち残りが転送される地下二〇階待機エリアと、敗退者が転送される一階ホールとの――運命の境界線だ。
公式大会だから死んでもデスペナルティはなくアイテムもロストしない。ただ勝者は残留し、敗者は追い出される。
「……なにを、している、妖怪」
面倒なやつに声を掛けられた。強力なエフェクタを掛けて、死人のような薄気味悪さ。こいつ嫌い。人じゃないからって異常に敵視する男だ。でも私からの報復は、直接襲われでもしないかぎりできないんだ。幻想郷の賢者にきつく言われてるから。日本の国籍と人権を獲得するその日まで、幻想郷の妖怪はネコを幾重にもかぶれって。どこに出ても恥ずかしくないよう、品行方正でいなさいって。怒った八雲紫は心底恐ろしいから、天邪鬼や嫉妬妖怪すら大人しくしてる。
「大会中に、敗退者と、接触するなど、有利な情報でも、得たか。不正行為で、訴えてやるぞ」
演技なのかいちいち細かく千切りながら言う男だ。全身灰色ずくめのボロマントで、両腕に包帯をぐるぐる巻き。フードからわずかに見える顔には悪趣味な骸骨状の仮面。目の部分が宝石でも入れたように赤く瞬いている。私も狂気の赤瞳だから被るんだよ気持ち悪い。
「ただのサバ友よ。途中ログアウトで棄権失格になる以外、メッセージ使いたい放題、試合観戦し放題なのに、接触も不正もないわよ。勝つために情報を仕入れるなんて、むしろ作戦として当然じゃないの? どうして私だけが責められる筋合いあるわけ?」
つい口調が厳しくなる。もう一〇度めくらいで、いいかげん撃ち殺してすっきりしたい。圏内だから無理だけどさ。こいつ口ばかりでプレイヤーキルとか直接では襲ってこないからやっかいなんだ。まもなくそれが実現するかもだけど、あまり良い因縁じゃないね。
「俺と、貴様は、おなじCブロック。トーナメント決勝で、合えば――絶対に殺す!」
と言うや、骸骨男が青いエフェクトとともにテレポートしていった。準決勝第二試合がはじまった。
「出来るものならやってみなさい……ステルベン」
私の返事を聞く者はすでにいない。
骸骨赤目のあいつは、オープンな私と違って多くが謎のプレイヤーだ。モニター表示で『Sterben』のキャラネームを知ったのすら、ようやく今日なほどだし。スティーブンと誤読しそうだけど、永遠亭で薬師の助手してた私だからすぐ正しくステルベンと読めた。医療用語で意味は「死」――不吉すぎ。
名前を象徴するような外見だ。感情を読み取られぬマスクと声替えに、全身を隠すフード付きマント。ステータス・スキル・アーム・ギアのすべてが秘密主義。なにせ試合ごとに使う武器が違ってる。ショットガンやアサルトライフルやサブマシンガンだったり、対人で不利なレーザーガンまで使う。特徴がありながら特徴のない、個性があるのかないのか不明な、灰色のオールラウンダー。
情報収集が大事みたいに言ってしまったから、なんとなくドームの中心へ向かう。ほんの二時間前までは多くの人がいた控えスペースも、だいぶ閑散としてしまった。ほとんどが決勝や準決勝進出者。中にはすでに決勝を終えたブロック優勝者もいるようで、おおはしゃぎでメッセージを知人に打っている。
「たらこさん、もう勝ってるなんて早いですね」
顔を上げた男が親指を立ててGJポーズを向けてきた。永遠に若い嫁をゲットした希望の星クラインにあやかってか、最近は赤いバンダナを付けてる。
「おう、うどんげ。見事Kブロック優勝したぜ。惚れたか?」
「おめでとうございます」
いつものことなので最後は無視。シノンとかどん引きしてるけど、やめられないみたい。まあこの性格だから一五〇人のスコードロンを統率していられるんだろうけど。
「これもAGI特化って流行を無視した成果かな。ゼクシードが言ってたこと信用しなかったおかげで、きっちり勝てた」
「ゼクさんもさっさとブロック優勝してるみたいですね」
青い装束のサングラス男が、ネット放送局MMOストリームのオンライン取材を受けている。優勝候補の筆頭だ。やはりAGI最強ってミスリード発言してるよ。私やたらこさんクラスには彼のビルドが違ってると分かるだろうけど、ただ遠くから見てるだけの外野にはなかなか見分けが付かないだろう。それほど銃器のバトルは際どい。私やシノン、ベヒモスみたいな分かりやすいスタイルはレアなんだ。
「ほかにもサバゲー組がだいぶ勝ち残ってるぜ。ベヒさんは残念だったが、まあ組み合わせも運だ。仕方ないな」
SAOの攻略組になぞらえ、私たちはおおっぴらに『サバゲー組』と呼ばれるようになっている。主宰スコードロンは名目上ヤマワロ・トリガーハッピーズ。彼女たちも四人くらいBoBにエントリーしてたようだけど、あっというまに全滅した。典型的な下手の横好きだ。訓練用の非殺傷弾に目を付けてサバゲールールを持ち込んだのも、死亡率が高すぎて割に合わなかったからだろう。
「それにしても……あれは運とか超越してるよな。ないぜ」
たらこがモニターのひとつを指さした。
「……妖夢」
銀髪をなびかせて月明かりの森林を疾走する緑色の洋服。魂魄家の家紋、背中には二振りの刀。中学一年生くらいにすら見える幼くも整った容貌。おまけに半霊付きだ。
負けてリアルの仕事に専念できると言ったベヒモスの態度もおかしかったけど、こいつはイレギュラーの度合いが高すぎる。
剣士の魂魄妖夢が「最強のガンナー」を決めるバレット・オブ・バレッツにエントリーしてる。しかも勝ち進んで、Mブロック決勝だった。
『雑兵のくせにやりおるっ!』
狂ったようにアサルトライフルを撃ち回る対戦相手は、特徴ありすぎて誰にでもわかる夏侯惇。三国志の兜を真似た原色ヘルメットと古代の部将を思わせる長い顎髭、さらに眼帯状の照準器が特徴で、中国大陸の銃器しか使わない中華マニア。彼はサバゲー大会で二度の優勝経験を持つ有力プレイヤーの一角だ。
私は白いウサミミ貫きヘルメット、紺色のブレザー、赤ネクタイ、うす紫色のミニスカート……あれ? もしかしてもっと目立ってる?
――夏侯惇がノリンコCQを小刻みに撃っているが、妖夢にはまったく当たらない。刀で弾を斬るといった曲芸すらしない。きれいに左右へ避けている。
「まるで忍者だな……うどんげ以上のすごい回避力だ。あの夏侯惇に初心者みたいな下手なバースト撃たせてやがる。あーあ、ジャムった」
私には「避けながらまっすぐ突っ込む」なんて狂った芸当はできない。あんなアニメみたいな真似やられると、心理的なプレッシャーはどれほどか。
「そりゃまあ、弾道予測線なんて便利すぎるもの実装してしまった時点で、幻想郷の弾幕シューターには当たりにくいですから」
まぬけな戦いが多い私だけど、勝率だけは高い。かろうじて強さを支えてる最後の砦が、回避力だ。女の妖怪ってなぜか抜けてるドジっ子が多い。生来のものだから注意してどうにかなるものじゃないし、身体能力に救われてるよ。
「でもあのバトルフィールド、夜中だぞ? 暗視ゴーグルも付けてないのに」
「彼女の視力は特別ですよ。妖怪そのもので参加してますからねえ」
「うどんげは使ってないよな? 妖怪の力」
もう何度も聞かれてることだから、さらっと返事だ。
「まさか。私が能力を使えるなら、あの子とおなじく銃器不要ですよ」
右手の指で拳銃の形を取る。
「これで狙えば、銃弾の形をしたエネルギー弾を放てますから。レーザーだろうがライフル弾だろうが、散弾だろうがお手の物です。ほかにも当たれば爆発するやつとか、近くに達しただけで自動炸裂する近接信管弾みたいなの。追尾する弾丸なんてのも可能ですよ」
「それって武器じゃなくもはや兵器だろ」
ごめんなさいねたらこさん。私は能力しっかり使えてるよ。波長をいろいろやるんだけど、地味で目立たないから。
『うぬが……真の三国無双よな』
画面の中で、夏侯惇が一刀のもとに両断されていた。竹が割れるように、体が綺麗に左右へと分かれてしまう。
幽霊妖怪の妖夢は憑依能力の応用によって、VR世界へリアルそのままでお邪魔できる。あとで一悶着ありそうだ。リアルマネーが動くGGOは不正に敏感だ。私ですらゲームマスターの注意を受けたことがあるし、一部プレイヤーに逆恨みされてるんだから、ALOのように寛容とはいかない。
『この楼観剣には、斬れぬものなど、あんまりない!』
上手く言ってるつもりなんだろうけど、斬れないものが意外と多いってことなんだよね。微妙な自信のなさがバレてるから、自分で黒歴史とか言ってたくせに、しっかり使っちゃってるよこの子。以前とちがって未熟な自分を肯定できるようになってるみたい。
モニターの中で凛々しく剣を鞘へ戻す妖夢。彼女を凝視するプロゲーマーの筆頭格が、めったにない渋面を作っていた。
「いつもテレビで歌ってるのを眺めてるうちに、彼女がSAOとALOの英雄だってこと忘れちまってた……剣で斬殺されるたぁ、ナイフで喉元えぐられるより、ありえねえ。キリトといい、気をつけよう」
妖夢は存在そのものが異端すぎる。おそらく感情的な抗議が寄せられるだろうし、運営もなんらかの裁定を下すしか――ん、最後になにか言ってなかった? なぜ妖夢の彼氏の名が?
* *
Mブロック決勝が終わって一〇秒後、勝者の妖夢がテレポートしてくる。距離は私から五〇メートルくらいだ。最初一〇〇〇人近くでごったがえしていた地下二〇階も、いまでは三〇人を切っており、さすがに誰がどこにいるかすぐ見つけられる。予選のはじめくらい、一部に人がやたら集中していたが、妖夢が混じってたからだ。この子はアイドルとして芸能界デビューし、すでに半年ほど活動している。三日に一度はどこかのテレビへ露出していて、GGO限定の田舎名物にすぎない私なんかとは、比べものにならない知名度と人気がある。
本戦出場確定までは勝負に集中したかった。だから妖夢をわざと無視してたけど、いいかげん注意しておいたほうがいいだろう。もう手遅れだろうけど。
「あらいたんですか」
近寄ったとたん失礼なことを! 胸に手を当て、先輩としての威厳を見せないと。いやガンナー以前かこいつ。
「何度も戦って私の弾幕テーマ知ってるでしょ? 勝ち残って当然よ」
「ごめんごめん冗談よ。鈴仙が遊んでるって、つい三〇分前まで知らなかったんです」
ありえねー! 呆れたわこいつ。予備のリサーチもなしに銃弾の世界へ飛び込んでくるなんて。ザスカー社を刺激しないためにも、サブにハンドガンくらい差しなさいよ。
「あんたねえ……とことん自分と周囲以外には興味ないのね――じゃあ妖夢がこのゲームに殴り込みかけてるのって、彼氏関係?」
妖夢の性格で道場破りみたいな行為はありえない。必要がない限り、自分の強さを見せびらかすようなことはしない。
「……察しがいいですね。はい、キリトが最近いろいろ隠し事するようになってますので、今度こそ真相を知るために」
モニターのひとつを見上げる妖夢。そこでは……ふたりの女の子が戦っている。女子プレイヤーの極端に少ないGGOではとても珍しい光景だ。ましてや公式大会の予選ブロック決勝。ブロック表示はF。片方の青髪の子はよく知ってるもなにも、毎日GGOで会ってる友達だ。滅多に出現しない超レア銃、対戦車ライフルのヘカートIIを操る冷酷なスナイパー、シノン。いまではおそらく私より強くなってる。成長期の人間は、妖怪とは比較にならない早さで上達していく。
もうひとりは――見たことがない。さらさらな黒髪で、なで肩の華奢な子だ。でも武器がおかしい。左の拳銃はいいとして、右に銃剣並のジョークウェポン、光剣を手にしてる。スターウォーズ気取りで「フォースがなんたら」とかやるライトセーバーもどき。GGOであえてフォトンソードを選んでるとなれば、やはり妖夢関連か。いまシノンの銃弾を斬りやがったから間違いない。とんでもない達人だ。五〇口径12.7mm弾だぞ? 拳銃弾の数十倍という強烈な破壊力を持ってる。胴体に当たれば上半身と下半身がふたつに分裂するようなやつだ。
「どう見ても女の子よね? あの黒髪の子って、キリトさん関係なら、椛かアスナさんがコンバートして来てるってこと?」
「いいえ、女子に見えますが、あれはキリトよ。今回アスナとかは無関係です」
「なっ」
たしかに対戦画面のネーム部分で「Kirito」と読める。ビジュアルの確認に夢中で、名前を見ればすぐわかるって基本をど忘れしてた。自慢にもならない悲しい事実だが、私は妖夢と同程度にいろいろ足りないし。いやホント勘弁してください。いつもうっかりでごめんなさいお師匠さま……
このキリトちゃん、とても可愛いのに男だという。どうやらレアなアバター、伝説のM九〇〇〇番台を当ててしまったようだ。硬派なGGOはプレイヤーのほとんどが男。あまりにむさ苦しいので、潤いとして男性用アバターに女っぽい「男の娘」仕様が混じってるとは聞いたけど、私も見たのは初めてだった。もしかして女プレイヤーそのものよりレアじゃない? どれだけ可愛いといっても、あの女の子っぽいアバターの股間には、男の子の象徴が付いてることになる。興味深いね。
ほかの人たちも、食い入るようにモニターを見ていた。こいつ何者なんだって、ダークホースだ。どうも光剣を操るキリトに気付いてなかったのは私だけみたい。妖夢に注目しすぎて、もう一人の異物をきれいに見落としてたんだ。私の目って思ったより節穴なんだなあ、妖夢のことバカにできないや。
対決はやがて接近戦となり、ふたりが短く話し合ってシノンの降参により幕を下ろした。訳が分からないよ。シノンの銃はGGO最強クラスの狙撃銃で、私のレミントンM24とは比較にならない有効射程と破壊力を持っている。扉を背に隠れようともその扉ごと撃ち抜くほどのモンスターだ。コンクリート壁も一〇センチくらいなら余裕で貫通する。そんなオーバーキルでもキリト氏には通用しなかった。もはや彼を止める手はショットガンしかないんじゃない?
キリトも甘いというか優しいやつだ。ゲームであっても殺さずに済むならそれで良しか。この少年については間接的にしか知らないんだけど、女の子にばかり優しい気がするんだよね。だから妖夢も気苦労が絶えないのかね? おなじ中学校に通ったり、卒業してもまだ彼氏の実家に住んでたり。最近は芸能活動でろくに帰れてないようだけど。
勝者となって戻ってきた男の娘キリトへ、逸るように早足で詰め寄る妖夢。その様子だと、やっと直接的な接触を図れたわけだね。これまでタイミングがまったく合わなかったんだろう。面白そうだから私も興味本位でついていく。
「ききき、菊岡さんからなにを依頼されたんですか?」
「しっ、声が大きい――すべてが終わったら話すよ。だからいまは俺を信じてくれ。きみやアスナを裏切るようなことはしていない」
冷静なキリトと、やや感情的な妖夢。
「……本戦でもし私とばったり出くわしたら?」
「そのときは――悪いけど戦う」
「真剣勝負で私に勝てるとでも? 本当のことを教えてくれたなら、いくらでも協力しますから」
あららっ、これは痴話喧嘩? 仲睦まじいと聞いていたのに、とても珍しいものを見ている。
「いいかげん俺を信じてくれないか? きみに話して容易に解決するような内容じゃないんだ」
キリトの目が男だね。見た目は女だけど、その魂は男だ。私の波長を視る能力でも、嘘をついてるようには感じない。
「ザ・シードの件すら話してくれないのに、どうして信じろって? ……キリトのバカっ。知らない、嫌い!」
そのまま妖夢はぷいっとキリトから離れようとして――
「嘘よ!」
キリトの胸へとフェイントで飛び込んだ。
どういう心理回路が働いてるのか、よく分からんこの娘。
声を殺して泣きだした妖夢の背中を、軽くとんとんと叩くキリト。たしか現実では一〇センチちょっと彼氏のほうが背が高いけど、いまはたった数センチ差にまで縮まってるね。妖夢も意外と策士だから、もしかしてこれを機会と抱擁を伺ってただけかもしれない。
つまりいまの詰問っぽいのは、ただのきっかけや見せかけだ。
本当は彼氏がしてることを目撃し、時間を共有していたいだけなんだなこの小娘は。
お互い現実ではろくに会えなくなった。それがゲーム世界でも難しいとなれば、追わずにいられないんだろう。しかも妖夢はけっこう真面目なところもあるから、名目がないといけない。好きだから一緒にいたいだけだなんて、そんな身も蓋もない理由じゃコンバート機能を使うのには軽い。きっと妖夢自身の剣士的な部分のプライドが許さない。
「真相なんて本当はどうでもいいんでしょあなた」
妖夢の肩をぽんと叩き、私なりに至った結論だけ伝えてみた。キリトは人の心を読むのがまだまだ下手だと聞いてるから、変な勘違いしてそれが妖夢を悩ませるのも可哀想だし、フォローになれば幸いだ。
「……うん、寂しかったの。キリトの邪魔はしないから近くにいさせて?」
ほら簡単に本音来た。素直で単純な子め。上目遣いで頭を傾げるとか、あざとい。女の私でもドキリとするほど、とんでもなく可愛い生き物だ。それがネコみたいに甘えてくるんだから、男には相当に破壊力ありそう。キリトの「波長」がやや短くなり、すこし波立ってるね。
「――分かった。好きなようにしてくれ。不安にさせてすまなかった妖夢。口止めされてるから詳しくは話せないけど、けして非道なことも、裏切りもしていない」
「信じる。こちらこそごめんなさい。私やアスナが黙ってたときもキリトはずっと信じてくれましたし、今度は私の番ですよね。明日の決勝ではキリトの邪魔になりそうなもの、みんな斬り捨てます!」
彼氏が彼女の頭ナデナデして仲直り。あっさりしたものだ。
「菊岡さんによれば、俺たちが強ければ強いほどいいらしい。頼んだぞ」
なにこの波長の重なり。ふたりともピッタリ。
相性のいいカップルだ。性格がパズルのピースみたいに填っている。お互いを認めて折り合い、すぐに謝る。譲れない部分はひとまず棚に上げるけど、将来の解決を約束する。それも誤魔化しじゃなく誠実に。感情面で亀裂が入りにくいし、容易に修復される。
幻想郷の未来を占うふたりだから、あるべき仲に戻ったのはいいことだ。
* *
第二回バレット・オブ・バレッツ予選トーナメントCブロック決勝は、真夜中の平坦な砂漠ステージが戦場となった。場所も時間もランダムだから文句は言えない。二戦つづけて乾燥地形か。スナイパー的にはついてない。夜なので暑くはないが、ここは遮蔽物もろくにないと来た。
トーナメントの戦場は一辺一キロのエリアで、敵味方は最低五〇〇メートルの間隔で出現する。私は試合開始と同時に伏せて、やつの開幕レーザーをかわした。
「対人戦でレーザーライフルとは、裏の裏を掻いてくるわね」
光学銃は防護フィールドで防がれやすい。粉塵・砂嵐・濃霧・降雨でも威力を発揮できなくなる。そのため対人戦は確実性の高い実弾銃が多いのだが、どうせ使ってこないだろうと高をくくり、軽量化のためフィールド発生装置を装備しないやつもいる。私もその類のバカだけど、当たらなければいい。回避力と防御力を比べて、回避を取った。
対戦相手はやはりステルベンになった。
因縁の対決だね。初顔合わせだけど。
戦闘は予想通り、撃つ骸骨に避ける私の構図になった。開けた場所で隠れるものはない。ステルベンは長射程の利を活かし、やや高所を陣取ってその固定位置から私を熱線で焼き殺そうとする。私はたまに反撃するだけで、ひたすら逃げる。この戦いで私の銃は役立たずも同然だ。
レミントンM24SWSは装弾わずか五発。しかも一発撃つごとに手動のボルトアクションで再装填し直す必要がある。面倒なのはすべて命中率のためだ。自動再装填・連射機構は、原理的に超高精度を維持できない。だから一〇〇年以上昔に発明された単純な機構が、いまだに現役で使用されている。カメラの世界でもそういうのがある。便利で万能なズームレンズだけど、画角の固定された不便な単焦点レンズも現役だ。理由は単焦点のほうが小型・高画質にできるから。やはり一〇〇年以上昔に登場した、よりシンプルなものだ。
単純ゆえ、時と場合がそろえば最高性能を発揮できる。
それが人妖たちが個々に持つ、能力。
なんとかのていどの能力って謙遜して言うことも多いけど、そんな「ていど」で済む生易しいものじゃない。
それ一点の専門家だから。
だからほかの人には負けない。たとえば妖夢は剣術を扱うていどの能力。まだ成長途上だけど、究極的には日本最強の剣術使いになれる可能性を秘めてる。完成品の実例は妖忌おじーちゃん。おなじく剣術を扱う能力持ち。天魔さんでも歯が立たないらしい。たかが半人半霊が剣を手にしただけで、天狗や鬼、さらに神をすら退けてしまえる。それが能力の持つ意味。妖夢は自分に才能がなく、性格や努力で強いと勘違いしてるけど、実際は違う。能力を持って生まれたこと自体がすでに天賦の才なんだ。成長が遅いのは半人半霊だから。種族として弱いため、大器晩成を宿命付けられている。
能力を持つ妖怪はみんな、なんらかの天才。
私は『狂気を操るていどの能力』を持つ。それはあらゆる波長を視て操る能力の結実。一四歳で発現し、三〇〇年もかけてやっとモノにできた。それだけ時間がかかったのは、私の種族・玉兎が弱い妖怪だからだ。月の先住民族だったのに、あとからやってきた月人の召使いになってる。てゐはウサギが妖怪化した妖獣兎で不老だけど、私は違う。妖夢とおなじでいずれ老いて死ぬ。月の都に暮らす玉兎たちは、人間のように乳飲み子からお年寄りまで揃っている。天狗や河童みたいに赤ちゃんがおらず可愛い少女や精悍な青年ばかりとか、中年をばっさり飛ばしていきなり威厳溢れる長老になるとか、そんな偏った社会じゃない。
寿命があるから死の怖さを知っている。だから私の波長能力は、もっとも強く働いたとき、狂気の形を取る。
人や自分が見てる光や音の波長をいじったり、近くにいる人の脳波長を感じ、またそれを操作したり――それらのうち、GGOで再現できるものも数多い。
こんな歪んだパワーを清く正しく使うなんて、小心な私にはできないよ。
人心を惑わせる罪深きウサギだ。だからGGOだと基本封印で、普段は心の波長を視るくらいにしか使ってない。バレたらアカウント消されるだろうし。
だけど今回は違う。こいつ相手になら、チートを使ってもいいと思える。
たらこさんを通じて仕入れた情報だとこのボロ骸骨、妖夢も激しく睨んでたらしいから、やはり私というより妖怪そのものを深く憎悪してるみたいだ。私が妖怪ってバレた直後、Mob狩りの行き帰りで何度かへんな連中から襲われてたんだけど、そのリーダーが骸骨マスクしてた。思えば同一人物かも。ヤマワロ・トリガーハッピーズを襲ったダインのチームに、ステルベンらしき者が混じってたという未確認情報もある。みんな返り討ちにして一人残らず全滅させてるから、性懲りもなく襲うたびステルベンはデスペナ受けてたわけだな……繋がりがありそうなダイン。対人戦における考えの違いから感情的に対立し、最近は話すらしていない。ステルベンについて情報が欲しいけど、教えてくれるか難しそう。
まあいいや。降りかかる火の粉は自分の弾丸で払い落とせばいい。
戦いながらすこしずつ距離を詰めていく。妖夢やキリトのようにまっすぐ突っ込むみたいなデタラメは無理。でもずば抜けた回避力だけで十分だ。一五分ほどかけてやっと能力の射程圏内にたどりつく。その距離、一〇メートル。
私はすでに銃剣を着剣している。M24の残弾は一。手榴弾もショットガンも使い果たしてる。ステルベンが弾切れになったレーザーライフルを捨て、サブアームの……ナイフ?
月夜の下、死神のようなおぼろげな姿で、やつが妙な刃物を手にしていた。
レイピアのように細いが、全長はさほど長くなく、ナイフ類だ。そもそも剣と呼べるリーチの武器が、このゲームにはキリトのフォトンソードしか用意されていない。ならあれは銃剣スキルで作れる、変則ナイフの一種だろう。
私と彼は、どちらともなく棒立ちでにらみ合う。そのまま五秒ほど対峙した。
「……死ね」
「突撃!」
刃物同士の戦いがはじまった。
激しい打ち合いが一分以上つづく。お互いに体の一部へかすって小さなダメージを受けるけど、大きなヒットがない。鈍器のようなショートスピア――銃剣という変わったカテゴリの武器を相手にすれば、たいていの奴が三〇秒ともたない。それが互角とは、悔しいけど実力はステルベンが上か。こいつVRゲームで剣を長期間扱った経験があると見た。
じゃあそろそろ行きましょうかね。
剣を交えながら、赤い双瞳でステルベンの骸骨マスクを凝視した。いかにも戦ってる中で興奮してるみたいに。できるだけさりげなく発動しないと、バレるもん。
――ルナティック・レッドアイズ。
数秒して骸骨野郎の波長が縮み始めた。よし、かかった。
心底から憎そうに私を睨み付けてくるステルベン。仮面に隠れて表情も目も見えないけど、波長でわかる。この近距離でフットワークを忘れてはじめてるから、すでに狂気の領域に囚われている。攻撃が単調なものになっていく。
「……殺す。女、殺す。殺して、死なせる」
リアルでは数十から数百キロは離れてるだろうに、こうして間近にいるように能力が働いてしまう。おもしろいものだ。まだまだ狂え狂え、どんどん狂え。波長を縮めていく。
足の動きが単純になって、気付いたことがある。
こいつSAOサバイバーっぽい。
だって足運びが下手になったとたん、急に弱くなった。弱くなりすぎ。私の攻撃がどんどん当たり始める。
SAOにはGGOとおなじく素人を強引に達人化してしまうアシストがあった。ソードスキルという。その威力の高さから、足の動きがあまり重視されてなかったと聞く。ブーストとかキャンセルとかコンボとか、旧世代の格闘ゲームみたいなものが幅を利かせていた。
妙に剣さばきが達者なくせに、基本が出来てない。だから足が止まった瞬間からいちじるしく弱くなった。結果を早急に求めるファンタジー剣術にすぎないから。
ならば妖怪への過剰な敵意も頷ける。驚異的な技量差から、妖夢には絶対に勝てない。最強を欲する男たちにとってどれほどの絶望か。アインクラッドの男どもは、みんながみんな幻想郷クラスタに友好的であったわけじゃない。ラフィン・コフィンのように実力行使を試みた集団もいた。姫さまが襲われてたように、遺恨もくすぶっている。
私はつまり、八つ当たりされてるだけなんだ。業腹がふつふつと煮えてきたよ。
鈴仙・優曇華院・イナバの双眼、真っ赤なレッドアイズが、禍々しい力をステルベンに波及させる。
波長をどんどんぎゅっと押しつぶして――……
細い針みたいな刺剣エストックを振り上げた骸骨マスクが、唐突に「キエ~~!」と大声で叫んだ。
「ころっ、殺してやるぅ! 妖夢は、強すぎて無理。だからせめて、おまえを、殺して、リアルでも、死なせる!」
失礼すぎることを叫んでるな。本命はSAO最強だった妖夢だけど、とても手が出せないから、かわりに私を現実で襲って殺したいほど憎んでるってこと? ゲームなのにどういう神経してんのこいつ。いよいよチートで追い込んでやるべきだね。
やつの波長をものすごく小刻みに振動させ、まともな冷静さも判断力も消失。ふむ、完全に掛かった。
染まれ染まれ、闇に塗りつぶされろ。
――狂気の色に。
だがそれも一瞬だけだ。狂わせてしまえばチートがばれる。いまなら私への敵愾心で冷静さを失っただけだと多くの人が思うはず。
「死ねぇ!」
臨界寸前、半狂乱となったステルベンが刺剣をフルスイング。踏み込みが足りないから私が身を反らしただけでおおきく空振りし、致命的な隙を晒す。
いまだっ。
「りゃあああぁ!」
気勢とともに放つ。まるでお手本のような銃剣の突きが、ステルベンの胸、その中央へときれいに決まった。我ながらまるで狙っていたかのようなたしかな手応えだ。
対戦相手のHPバーが確実な勢いでぐいっと減っていく。イエローゾーンに達した。反動で後方へ何歩かよろめく。
あとはトドメで最後のライフル弾をぶちこめば――いきなりだった。
でかい音と閃光がした。あいつも私も飛ばされる。
……うわぁ、ステルベンが仕掛けてたトラップに引っかかったよ。いや夢中になってた私が強く突いたせいだけど。耳鳴りがわんわんする。たぶん一五メートルは飛ばされた。HPバーがイエローをすぎレッドに……瀕死か。今日はヘマしまくってるな。痛覚がないからわりと冷静に考え事できるけど、現実だったら大パニックだろうね。両耳とも鼓膜破れてるだろうし。
一〇秒以上周囲が見えなかった。視界が晴れて確認すると、私の左足と右腕が消失している。全身に赤いダメージエフェクトが粒状に散らばってる。
「クレイモアね」
強力な指向性対人地雷だ。散弾銃を地雷にしたようなもので、七〇〇個の鉄球が一方向へ飛び出す。
幸いだったのが、仕掛けた奴も巻き込まれたこと。戦闘はまだ終わってない。地面を這いながら近くに転がってたM24を拾うと、ボロ切れになって転がってる骸骨マスクのほうへ銃口を向ける。片手しかないから口を使って、むりやり射撃体勢を取った。
ステルベンも足に大ダメージを受けて起き上がれない。
仮面の赤い眼光がずっと私を写してる。安物ガラスを通したこいつの視線にはなんの力もない。フルダイブだからアバターといえども瞳には力が宿っているのに、その素顔をすら隠して誰にも見せない。さぞや憎いだろう。でも後ろめたさで形作られてるような男の眼力なんか、私は怖いと思わない。
「……きさま、なにをした」
直後に起死回生を狙う一投。投剣スキルの曳航が私の眉間を狙っていたが、その正確さが私をHP全損から救った。頭を前傾させるだけで、エストックをふたつに折り跳ね返す。軍用ヘルメット被ってるから、軽い針剣ごとき貫通は許さない。
私の赤瞳はこの世界でも本物。その本質の差が、勝敗を分けたんだ。
「あなたの赤目は、しょせん偽物よ」
最後の銃弾が、骸骨仮面の中心を貫通する。
* *
倒したやつが大嫌いなステルベンだったから、チート使いながらも気分いいし後悔はない。ブロック優勝もしたことだし、勢いを持ったまま本戦へと挑める。前回は開始一五分で敗退した。出現場所が悪かったし、私の腕も未熟だった。
ログアウトして目覚める。私の部屋は四畳半とコンパクト。せんべい布団と勉強机に、あとはわずかな私物だけ。パジャマから普段着へと着替え、机上のモバイルをスタンバイ状態から起動する。
「妖夢はやっぱり失格か」
ガンゲイル・オンラインの公式サイトにお知らせが載っていた。理由はみっつ。「ゲームに存在しないチートソードを用いた」――あの二本の剣だね。「コンバートに際し不正なデータ書き換えを行った」――常に妖夢そのものになるからね。「銃器を一度も使わなかった」――やはり。大会名が『銃弾の中の銃弾』なのに、剣しか持たない子が出場して勝ってたらダメでしょ。
ルールを確認してみる。あった。七番目にしっかり書いてある。
『最低でもひとつは弾体を発射・射出できる武装とする』
地雷や手榴弾、ナイフでしか戦わないピーキーな変人はお断りってことだ。アカウント停止や削除されなかっただけでも良しとしないとね、妖夢。
妖夢がALOで見逃してもらってるのは、責任者が明日奈のお兄さんだから。幻想郷の住人でアカウント停止に至った例はない。
――窓ガラスを軽くとんとん叩く音がする。
「……なに?」
ここ二階だよ? セキュリティから窓の外には人が伝って来れそうなものはない。そういう物件を選んでるから。壁をはい上がるか、もしくは人妖のように空を飛ぶか――
半透明なスリガラスの向こうに、緑色のなにかが見える。
……妖夢か。
私の部屋を把握して、ふわふわ窓から訪問する。ベヒモスさんも対応不能だよ。半霊レーダー全開だね? よほどせっぱ詰まってるんだなあ。
鍵を外して窓を開けると、やはり妖夢がいた。おいおい歌番組のステージ衣装そのまんまだよ。イメージカラーだからこの子はずっと緑なんだよ。焦ってるように頭の黒リボンが左右に強く揺れている。半霊もおなじくぷるぷるんって微振動。
「失格に抗議したら垢BANされました。お願い鈴仙……憑依させて」
マジですか。
※GGO
原作よりザ・シードが一年以上早く広まったため、GGOの登場も一年早い。シノンもまだ中学生。
※山童のサバイバルゲーム
公式設定。東方茨歌仙。非殺傷弾はSAO原作。
※玉兎は老いる
公式漫画の描写より。