一万人を恐慌と絶望のどん底へ陥れた茅場のチュートリアルより一五日目。一一月二〇日午後二時半。
最前線はこの第七層だ。これまでの傾向から、おそらく数時間以内に第八層へゆけるようになるだろうと、私は思っていた。周囲より騒々しい男どもの掛け声が飛び交っている。家畜と砂埃が混じったような、奇妙な臭いも充満している。本来なら悪臭であるが、システムがあまり不快に感じないものへと自動調節しており、雰囲気を演出する適度な刺激となっている。
私がいるのは最大一〇〇〇人あまりを収容できる露天型コロシアムだ。水泡風土記のコラムによるとベータ時代から一部のマニアに受け、ごく少数の成金とそれに十数倍する散財者を生産したとされる曰く付きのモンスター闘技場。そこが三〇〇人ほどの観客で賑わっている。客席は石段で、すりばちの底で闘技が行われていた。ここは第七層の主街区より一キロほど離れた賭博の町モンベガス。いまも五匹によるモンスター同士の白熱バトルが進行中だった。応援と野次、たまに怒号が起きる。喜怒哀楽、狭いスペースであらゆる感情が入り乱れている。
いまのところ賭けた内容に都合の良い展開で進んでいた。今度こそ負けたぶんを取り戻せそうだ――と私がリラックスしていると、隣席に「失礼するヨ」と、小柄な人物が腰掛けてきた。
「……どうダ、ユーちゃん。オイラの教えた通りだったダロ」
語尾に鼻音の混じる独特のロリ声で、背の低い少女がエヘンと胸を張っていた。地味な茶色のフード付きローブで全身を覆っており、覗いている顔には両頬になぜか三本ずつ、ヒゲがメイクアップしてある。フードで前髪しか見えないが、金褐色のうすい茶髪で、ヒゲと合わせて特定の齧歯類を連想させる。通称を鼠のアルゴという。身長は妖夢とほぼおなじくらいだが、その顔立ちよりあどけなさはすでに消えている。
彼女の言った「教えた」が、目の前のモンスター闘技場とはまったく関係などないことを、私は知っている。はじまりの街を出たプレイヤーが、毎日おなじ場所に居続けることはほとんどない。フロントランナーが駆け足で開拓したあとを、大勢がそれぞれのペースで追いかけている。ここにいる三〇〇人も、その多くが私のように一時の娯楽に興じているだけだ。
「流石は情報屋ね。おかげで興味深いスキルが意外なほどの短時間で手に入ったわ。発動のポーズがすこし恥ずかしいけど」
返事をした私は、扇子を口元に当てて目から下の表情を隠している。相手が相手だけに、隙は見せたくない。
「先日言った、とっておきのマル秘に関しては、どうスル? 正確さは保証するヨ」
「そうね――いただこうかしら。おいくら?」
アルゴは待ってましたと指を五本立てた。
「五Kでどうかナ」
見た目と違って、手慣れたものだった。私の見立てだと、アルゴの推定年齢は一六~二〇歳くらいだ。仏教伝来による宗教紛争と神仏混淆の狭間より生じた私は、すでに一五〇〇年近く顕在しており、人間の年齢をほぼ正確に当てられる。だがこのアルゴは発育不全に加えいつもフードで顔を隠していて、なかなかに掴みづらく予想にも幅が出る。
「あら。瞑想スキルの一挙に五倍なのね」
「負けられないヨ。コレを知ってる人は、オイラ以外にほとんどいナイ」
「試すようなことまでしたのに、いまさら値切るつもりはないわ」
メニューを操作し、五〇〇〇コルをトレードでアルゴに渡した。簡易なデータのやりとりだけで、コインがオブジェクト化されるようなことはない。
「毎度アリ」
ほくほく顔のアルゴは私に、提供者として自分の名を絶対に漏らさないことを、必須の条件として何度も念を押してきた。どうも元ベータテスターであると知られることを、かなり警戒しているようだ。フロントランナーの片割れ、通称長野ちゃんがSAO初心者確定のため、ベーターとニュービーの確執などすっかり霧散してしまったのだが、プレイスタイル的に一応なのだろう。
「それでは教えるヨ。メモは取るナ、ユーちゃんの頭で覚えるんダ」
「わかったわ。それではお願いね――第一〇層、私の大切なお友達の道程を阻むトリックを」
アルゴの説明は五分近くに渡った。その内容はたしかに、五〇〇〇コルを支払うのに十分な話といえた。最後に、これはベータ時代の内容であるため、この正式サービス版でもおなじとは限らないと付け加えられた。ただしこれまでの傾向から、トリックがユルくなることはなく、むしろかえってキツくなる可能性のほうが高いとも。
彼女が私に接触しているのは、私と連れが、前線グループの女性プレイヤーに共通する特徴を持っていたからだ。
ひとつ、どれだけ男の視線を浴びようとも、顔を隠さない。
ふたつ、ベテランゲーマー並に戦闘慣れしている。
みっつ、揃って器量良しだが、髪や瞳の色が変わっている子が多い。
よっつ、頭に変わったものを被ったり、付けている子も多い。
情報屋としてロールプレイするだけのことはある。幻想郷クラスタの共通項から、私が攻略隊の、おもに女子プレイヤーとリアルで知り合いだろうと、四日前に当たりを付けてきたのだ。私はアルゴが欲しがる情報のうち、明かしてもいいものだけを開陳して、アルゴの力量を推し量った。私が提供した情報群を、アルゴは五〇〇コルで買ってくれたが、その値段はどうでも良かった。大事なのは会話自体のほうで、流れの中で、彼女の深い知識量と、裏付けを取ってから商品とする情報の扱い方から、そこそこには優秀であると確信できた。おそらく魔理沙とおなじベータテスターだろう。そこで彼女より有益な情報を引き出すことにした。慎重を期したため何日か遠回りをしたが、結果として私は、とんでもない大当たりを引いたわけだ。結果オーライである。
私はアルゴへさらに一〇〇〇コルを追加で払って、私たちが「いる」という情報と、私が買った五〇〇〇コルの丸秘情報を、魔理沙たちへ売らないようあらためて持ちかけた。私が追っていることや、第一〇層のトリックを魔理沙が知るには、アルゴに一〇〇一コル以上を提示する必要が出てくるわけだ。もっともアルゴ以外のルートもあるだろうから、あまり隠れてもいられない。つまり動くのは情報が揃ったこのときを置いてほかになかった。
アルゴが去っていったあと、今日これから取るべき行動が決まったことを、私は素直に喜んでいた。この一〇日あまりのレベルアップ道中は無駄ではなかったのだ。
これでいよいよ、勝負に打って出られる。
購入した丸秘情報は、なかなかに興味深いものだった。フロントランナーの旅は、このままだと第一〇層の迷宮区タワーでほぼ確実に頓挫する。ふたりきりではとても攻略できない限界。それをランナーの片割れ、道案内役であるキリトとやらは、きっとまだ知らない。知っていたらそろそろ足踏みなりして止まるべきだと思うはずだ。このまま一〇層まで突撃し、問題の箇所で無茶をやってしまえば、いかに魂魄妖夢といえども危ない。
たしかな情報は大切だ。私自身がすでにほかの情報も掴んでいる。アルゴどころか、パーティーメンバーにも言っていない。ふたつを合わせれば、取るべき行動は決まってくる。
いよいよ本腰を入れて、最前線の攻略指向集団をまとめあげる必要がでてきたようだ。
「……掌握するわよ。私たち、幻想郷の者の手で」
目の前で、一〇分近くに渡ったひとつの試合がようやく終わった。途中までは良かったが、後半は洗練からほど遠い内容であった。強いモンスター同士が潰し合って自滅し、勝利したのは逃げ回っていたダークホースの白ブタだった。周囲ではため息とともに、負けた券を捨てる者で溢れている。そんな中、私も右手で開いた扇子をぱちんと閉じ、周囲への効果を理解した動きで優雅に立ち上がった。金髪と、あちこちで結わえたリボンが揺れる。
私の左手よりへし折られた券がひらりと落ち、石階段に触れると同時に耐久値を失って消滅した。
試合が終わって暇になった男たちが大勢、私を見ている。美の証明でもあるから、その注目は気持ちよくもある。ただしたまに話かけてさえ来なければ。煙に巻けない無力な体がうらめしい。
私の見た目は完全に大人びており、妙齢といって良いだろう。だがまだ少女の部分もわずかに残しており、不可思議な雰囲気をまとっているはずだ。外見より人間的な肉体年齢は、簡単には掴めない。一七~一九歳でも、あるいは二四~二六歳でも通用するだろう。存在自体が謎の女、それが私だ。ただし金属製の胸当てを付け、巨大な斧まで背負っているのが、このゲームの宿命だ。あまり見た目はよくないが、私の性に合う武器や防具がこれなのだから、仕方がない。いまはただの人間だ。ポーズや趣味でプレイできるような状況ではない。
「掌握とな? 下らぬカッコなどつけて、賭けに負けし誤魔化しとするでない。そうであろう?」
私の背中にいきなり、容赦のない突っ込みが突き刺さった。的確すぎて臓腑を抉られる思いだ。威厳などこの一言でぶちこわし。外聞もなにもあったものではない。
「……布都。人の耳目がこれだけあるのよ。遠慮ってものを、あなたは覚えたほうがいいわ」
振り返って注意してみるが、返答は伸ばされた手だった。なにかをくれと言っているような。
「すまぬが、二〇〇〇コルほど所望する。倍にして返してしんぜよう」
「誰が乗るのよ」
思わず扇子の角で彼女の額を打った。
「い、痛いであろうが!」
「うるさいわね。痛覚などないわよ――まったくもう、漫才みたいじゃない」
頭を抑えた少女は、老人のような灰色の髪と灰色の瞳を持ちつつも、外見は可愛らしい少女の片手剣使いであった。見た目の年齢は一六~一七歳ほどで、どこか男の子めいた風貌をしている。彼女の名は物部布都。アバター名はFuto。布都は誤魔化すように腕を組み、知ったように頷いた。
「かような賭け事などに堕落しきりおって。精進が足りぬわ」
「で、おなじ穴のムジナのくせに、偉そうなあなたは何コル負けたのかしら? ちなみに私は累積で一〇〇〇コルよ」
「ふっ。甘いぞ甘いぞ。我は有り金をいまのですべてスってしまったゆえな! おぬしの一〇倍、一万コルほどよ!」
なぜか胸を張って、したり顔の布都。
「自慢になるかああぁぁぁ!」
今度は後ろより、子供特有の甲高い声とともに、白いハリセンが布都を叩いた。すぱあぁぁんと小気味良い音が闘技場の観客スペースに響く。周囲の男たちから笑いがあがった。
「おおうっ、これはさすがに我も恥ずかしいの。太子さまよりきつい仕置きであるぞ」
「黙れ、アホ」
「……うっ」
辛辣なセリフでアホの子を黙らせた犯人は、かなり小柄な少女だった。布都の背後より顔を覗かせ、ハリセンを両手に抱えつつ嘆息している。身長は一四〇センチ台、完全に小学生だ。その少女が私を見上げてきた。
「……魔理沙たち攻略隊はたぶん、ふたつは先の町にいますよ。この先には急に強いモンスターが出るエリアがあるらしいのに。私たちのレベルで、どうやって追いつくの? 安全マージンが足りません」
センテンスごとに区切り、独特の間を取りながらしゃべっている。うす紫色のショートヘアに、赤い瞳を持つ女の子だった。目は半開きで、瞳は焦点が合っているのかよくわからない。飾り立てたカチューシャが頭で映えている。背負う武器は豪快にも両手用大剣。地に届かんばかりの長さだ。
「さとり、連絡を取る方法はいくらでもあるわ」
女の子は首をくいっと斜めに傾げた。不思議そうな顔だ。本名を古明地さとり。アバター名は嬉し恥ずかし、Kikoenai Yattaneさん。リネームアイテム絶讃募集中で、命名結晶を入手する資金確保のため、スキルのひとつに限界重量拡張を選んだほどだ。それだけ大量のアイテムを持ち歩け、相場が高いときや場所を狙って売り捌ける。
「……いよいよ実行するのね。最前線をまとめるなら、私たち自身が合流しないと不可能ですよね。でもレベル差があって近づけない……どうやるおつもりなんですか? ――紫」
私のアバター名はYukariだ。本名は八雲紫。恥ずかしくも、閉じ込められた妖怪のひとり。扇子をすこしだけ開くと、私はぱちんと閉じた。
「第八層の街開きに決まってるわ」
わざと自信ありげに言ったのだが、さとりにハリセンで鼻先を突っつかれる。
「紫、まだ外からの連絡はないんです? あの九尾の式神なら、カーディナルシステムにハッキングくらい、仕掛けられると思うんだけど。テレパシーのほうは?」
「それが藍からはまだなのよ。意外と手こずっているのか、それとも我が世の春を楽しんでいるのか。私としたことがまったくドジよね。テレパシーも相変わらず使えないわ。ナーヴギアって思った以上にすごい拘束機械よ。あなたの読心はどうなの、さとり?」
首をふる。その仕草が妙にかわいいが、残念ながら方向は横だ。
「力のアプローチが違うようで、いちおうずっと効いています。でも地霊殿には、事情を知っている者はいまのところ誰も訪れてくれない……幻想郷から誰でもいいから見舞いか様子見にでも来れば、すぐ事情が知れると思うんだけど。お空が私の『勝手に起こすな』って言いつけを愚直に守りすぎてて、融通が利かなくて困っちゃう……まったくあのトリ頭ちゃんは。妹のこいしも時々見に来てるようだけど、あの子はほら、読心を封じるために、心を閉じて無意識で動いてるから」
古明地さとりおよび古明地こいしの能力は、人の心を読むことだ。意識を向けなくても勝手に聞こえてしまう。さとりのアバター名が「聞こえない、やったね」になってしまったように、人混みにこうして紛れ込むのが夢で、それがSAOをプレイする動機となった。いくらさとりの能力でも、リアルで距離のある相手の心を読むなんて出来ない。だが夢が叶ったのは良いとして、今度は大変な事件に巻き込まれている。世の中上手くいかないものだ。
「そもそも、おかしいであろう。なぜ誰も、我らを解放せぬのじゃ。もう二週間も経ってしまったではないか」
布都の疑問はもっともだが――ちなみに布都はこいしが遊ぶ予定だったナーヴギアを勝手に被って珍道中の供となった。SAOであればこいしは心を閉ざす必要がなくなるので、久方ぶりにちゃんとまともな会話ができると見込まれたのだ。だからウキウキの姉妹道行きを邪魔されたさとりはずっと根に持っていて、機会あるごとにハリセンで布都をどついていた。
私は我ながら情けないが、事実に近いであろう推測を答えることにした。ああ恥ずかしい。
「たぶん――みんな、勝手に深読みしているだけだと思うわ。私が動かないから、きっとなにかあるのだろうって。ゲーム開始直前に私がプレイヤー全員と接触したことも、大きいわね。どんな尾ひれが付いていることやら」
「ただの御機嫌伺いのつもりが、粗忽者よの紫」
恥ずかしいので、私は扇子を開いて目元以外を隠した。
「あなただけには言われたくないわよ、布都。ログインしたらこいしの代わりに阿呆がいて吃驚したわ。底なしのアホよね、あなた」
「私も布都、あなたには失望しっぱなしよ、アホさん」
私がさとりたちと行動しているのは、さとりが同行を頼んできたからでもある。人の心が読めるというのは対人関係の構築においてとても不利な能力で、古明地さとりには頼れる知り合いがほとんどいない。というより、順序としては私のほうからさとりにSAOのことを教えたのだ。たまにやってしまう余計な気遣いであったが、さとりにとっては渡りに舟だった。ナーヴギアは妖怪用に私の境界操作能力でちょちょいと手を加えた。ソフトは無限に近い資金力に物を言わせてネットオークションより入手した。
SAOには私も強い関心を持っていた。一千数百有余年をかけて育み、見守ってきた幻想郷。冥界・地獄・天界といった、神代から存在していた異世界と異なり、幻想郷は世にも珍しい人工の世界である。仙人のプライベート空間を特大化したデラックス版だ。だから異相世界の創造に関わった経験を持つ私は、仮想現実とはいえひとつの人工世界といえるレベルに達したSAOを、自身でも体感したくなったのだ。
親友の幽々子より妖夢のことで相談を受けたこともある。魂魄妖夢は私が日頃より注目している妖怪のひとりだ。人間は花火のように強くなって一瞬の輝きを放ち、すぐに消えてゆく。その辺りがまるで桜の花のようでもあり、魅力的だ。日々をダラダラ過ごしている妖怪の大半は、何百年経ってもほとんど変わらない。ところが消えた祖父の言いつけを頑なに守っている妖夢は、人間のように日頃より修行を欠かしておらず、ゆっくりとであるが着実に強くなりつづけている。物質三態を自在に斬れるようになって、半人半霊の身で天狗族と同等の実力を持つようになった。むこう一五〇年はさらに向上しつづけるだろう。幻想郷の武人は妖怪の山に偏っていて、そのうちで最強はかの源義経に剣を教えたこともある天魔だが、彼も一〇〇年以内には妖夢に抜かれるだろう。いくら寿命を持つ半人といっても、妖夢は半分妖怪であるから、ピークの強さを妖忌同様、七〇〇年以上は維持しつづけるにちがいない。半人半霊の肉体寿命は一〇〇〇年以上ある。
通常の妖怪は信じる者がいなくなれば力を失って消える、つまり死ぬため、歳を取らないことが恵まれているわけでもない。とくに神ともなれば信仰を集めることが存在理由となってしまい、常に他者の顔を伺うことに縛られてしまう。半人半霊は冥界付属の種族なので、いずれ必ず死ぬかわりに人間が信じる信じないの宿命を受けない。どちらも一長一短だった。神道と仏教の境界より生まれた私は、消滅の危機とは無縁だ。どれだけ宗教の力が弱くなろうとも、文化遺産や観光資源としての神社仏閣が守られているかぎり、日本人の心より伝統観念への敬意が失われることはない。おかげで私は気楽なままに、ほかの世界を見物したり、管理したりといった道楽にふけることができる。強者の成長と行く末を見守るのも趣味のひとつだ。
私が楽しく観察している妖夢が、強烈に惹かれたSAO。バーチャルの新世界など科学技術では初物であるから、外界の歴史を目撃する意味もあって、私はできれば正規の手順で見たいと考えた。アインクラッドに潜り込むだけなら、境界を操って容易に侵入できるが、ゲーム側にもカーディナルという自律型管理システムがあるわけで、異物と認識され衝突は避けられない。長時間滞在し、かつ繰り返しログインするには、ありきたりな方法が安全で確実だ。コンプレックス解消として必ず遊びたがるであろうさとりに教えたのは、親切心もあったが、引率者となる名分を手に入れるためでもあった。プライドが邪魔をして、面倒で遠回りな手を打たせたわけだ。
SAOに私がこだわったのには、さらにほかの理由もある。私が見越している幻想郷の未来と、静かに進めている計画の根底には、茅場晶彦の存在が大きく横たわっている。彼がいなければ、私は外界と幻想郷を間接的に繋ぐようなことをまだしていなかっただろう。それだけ茅場以前と茅場以後で、世界のありかたは違っているのだ。その茅場が作った異世界に、私が求める来るべき未来のヒントがある気がしたのであるが――
……結果は残念なことに、狂気のデスゲームとなってしまった。おまけに四六時中アホの相手まで。接続IPが一緒だと、最初はほぼ同箇所に出現する特殊仕様により、さとりと布都はほとんど隣り合ってあらわれた。拍子抜けたさとりの感情が激しい怒りに支配されるまで、時間は五秒とかからなかったらしい。合流予定場所にやってきたさとりは、なんと布都の両手をロープで結んで、口にテープまで貼ってしまっており、下手人でも連行するようだった。その後はハリセンを標準装備するまでになり、SAOにログインしてすっかり過激が板に付いた。良きにせよ悪しきにせよ、古明地さとりは妖夢と並んでもっとも変化した子だろう。自分も作っていた人との壁を、崩すことに成功したのだから――いささか度が過ぎているきらいもあるが。
「くっ。おぬしら、あまりアホアホ言うでない」
私とさとりに厳しいことを言われた布都は、耳を塞いで座り込んでしまっている。さすがに短時間で連発され、滅入ったようだ。だがどうせすぐに忘れてまたアホを繰り返すのだこいつは。長い眠りの間になにがあったのか、復活したあとはアホの子まっしぐらで、神霊廟異変より一〇年以上経ってるのに、いまだに正式な仙人ではなく、修行の身という半端な道士のままだ。
「我も反省しておる。太子さまはなぜ我を捜してくださらぬか。いや、見つからぬよな地底など普通――はあ。気まぐれで散歩などするでなかった」
アホを無視するさとりが半目で、私を見上げた。
「紫が……当人もまさかSAOに閉じ込められてるなんて。あまりの恥ずかしさに、あなたの式神は、本当のことを誰にも言えないのだけかもね……」
似たような内容でも、さとりと布都では攻撃力が違う。私は突沸的な羞恥に身を焦がし、頭を抱えてしまった。
「あーん、責めないでよ。仕方ないじゃない。意味深とか思わせぶりな態度が身に染みついちゃってるんだから」
幻想郷の管理者を自認し賢者とまで謳われているから、このような現状がとても歯がゆい。
天狗と並ぶまでになった妖夢をそれでも簡単に下すなど、私の実力は幻想郷でも指折りクラスなのだが、強大な力をテレパシーに至るまで根こそぎ喪失したいまは、強さが支えていた余裕ゆえに意外と詰めの甘い要素が災いし、同行者からすっかり舐められカリスマブレイク進行中だ。そもそも相手がエセ仙人なアホの子と、旧地獄のトップという組み合わせだから、能力が使えようが使えまいが、私を敬ってくれる間柄とは、あまりいえない。
だがそんな私をパーティーリーダーとしてちゃんと立ててくれる仲間もいる。
「ユカリさ~ん」
人混みを掻き分けつつ栗色のストレートロングヘアを波打たせて近づいてきた少女が、手を振っている。私に匹敵するほどの、目を見張る美貌をしている。見た目の歳は一五~一六歳。それがそのまま実年齢。彼女は人間である。武器は細剣で、品の良い物腰に合っている。この子はとんでもない拾いものだった。育ちの良いお嬢さまであったが、フィールドに出てわずか一日で戦闘に慣れると、四日目にはマニュアルに書いていない謎の追加ダメージを量産しはじめ、六日目にはついに剣先が見えなくなり、いまやパーティーの主戦力、優秀なダメージディーラーとなっている。レベルも一番高い。謎の追加ダメージは文々。新聞の特集記事により、システム外スキルのブーストだと知った。とにかく出来る子だ。
威厳をほんのすこしだけ回復させて、私は扇子を口元に広げた。
「アスナ、戦果はどう?」
「はい。じゃーん、プラス一万コル、一万コル!」
オブジェクト化したコイン袋を、三人の眼前で誇らしげに掲げている。袋はリンゴ大だ。
布都とさとりがおおっと拍手した。
「まだまだよ、シリカちゃんなんか、はるかに凄いんだから」
よたよたと重そうにアスナの後をついてきた女の子が、スイカでも入っていそうなほど膨れた袋を、どさっと足下に置いた。ツーテールに髪を結わえた、古明地さとりとほぼおなじ身長と年頃に見える、じつに可愛らしい素直で無垢な少女。年齢はわかっている。最初の自己紹介で一二歳と言った、やはり人間のシリカだ。武器は短剣。
「大穴でじゅ、一五倍です……九万コル」
布都がまた拍手した。さとりのほうは指を咥えて羨ましそうに見ている。はじまりの街のオークションハウスに出品されるリネームアイテムを、余裕で落札できる大金だ。高騰がつづき、現在の相場は三万コル近い。ハウスの支配人ロザリアはワルぶった姐さんだが、姉御肌で年下の面倒見が良い。さとりは自分の幼い見た目を利用してロザリアの同情を引き、フレンド登録に成功しており、命名結晶が出品されるたび教えて貰っている。毎回ありったけの額で委託入札を依頼するメッセージを飛ばしていた。
「私はトントンだったわ。作戦失敗よ」
シリカのさらに後ろよりもう一人、茶髪の少女が姿を見せて肩をすくめた。年頃はアスナとおなじくらい。アスナやシリカと違い、ひとりだけ手ぶら。若干跳ね気味なショートヘアと、そばかすの童女顔が可愛いくて、名をリズベットという。やはり人間。武器は少数派の戦槌だが、それは彼女が鍛冶系スキルの斬撃武器作成および金属装備修理を選択しているからだ。いずれ店を持つのが夢だという。前向きで良い。
アスナ・リズベット・シリカ。いまでこそ生き生きと本来の明るさを取り戻して騒いでいるものの、はじまりの街で私が仲間に誘った一〇日ほど前は、三人とも死んだ魚のような目をして、ろくに口も開かなかった。
八雲紫・物部布都・古明地さとり・アスナ・リズベット・シリカ。この六人でフルパーティーを組んでいる。はじまりの街を幻想郷の連れ三人だけで歩いてると、数時間に一回ほどの頻度で男に言い寄られる。たいていパーティーへの誘いかけだが、それでは私が主導権を取りにくいので、すべて断っていた。街を観察すると、男避けにフード付き外套で頭部を覆う女子が増えている。だが顔を隠すのは妖怪として常に人間どもを見下してきた私たちの気位と矜持が許さないため、はじまりの街を出るに当たって、思い切って女子六人でシステム上限までメンバーを埋めたのだ。
勧誘した人間の女の子は、私がリーダーで居続けるため、中学生以下と見られる若い子に絞った。義務教育期間中の子は年功序列に弱い傾向があり、狙い通りどの子も聞き分けが良い。ただ私の趣味で容姿レベルの高い子ばかりを選んでしまったため、かえって人の目に留まる効果を生んでおり、噂を聞いたアルゴを呼び込んだ。それにほとんど言い寄られなくなったので、目的も果たしている。
私はアスナたちの戦果をただ褒めた。
「すばらしい大勝ね。さすがはビギナーズラックといったところかしら」
シリカは謙遜したように手を顔の高さでフリフリ。
「とんでもありません。幸運を分けてもらっただけですよ」
「幸運?」
「はい――えーと……」
どう説明したものか困った様子のシリカのかわりに、アスナが説明する。
「あの私たち、半時間ほど前に、頭から兎の耳を生やした、不思議な格好の女の子に会ったの……その子が私たちと握手して、こう言ったわ。『きみたちのような女の子が前線にいるとは感心だね。特別に私が幸せにしてあげよう。ただし賭けるのは、これはと思った一回だけだよ』って。面白いので私たちも乗っちゃって、その通りにしたら、本当に勝っちゃって。だからこれもなにかの縁だろうって、一回しか賭けてないわ」
「不思議な子でした。私もアスナさんも、なぜかあの子の言うことを聞いたほうが良いと思い込んでしまって、おかげで所持金の半分以上を平気で賭けて――勝ったから良かったものの、負けてたら蒼白でした」
リズベットは一人だけ意気消沈。
「私だけは調子に乗ってその後も賭けちゃって、ズルズルと、プラマイゼロ……」
さとりが私に赤い瞳を向けてきた。
「……紫」
「ええ――間違いないわ、因幡てゐね。きっとクエスト関係やアイテム補充かなにかで、一時的にモンベガスに戻ってたのよ」
アスナたちもいるので、その先を私は言わなかった。ウサギ妖怪てゐの能力は、人間を幸せにすること。命数を操作し、確率や運命、健康が益となるように働かせる。良い方向にしか動かせないので、人を呪ったり不幸にはできない。その反動からてゐは直接行動によるいたずらが大好きだ。本来なら因幡てゐがこのデジタルワールドで力を使えるわけがないが、どういう理屈か行使できた。魔理沙たち通称攻略隊は、フロントランナーにすこしでも追いすがるため必死のレベリングを続けているという。無理もしているだろうに、なぜかまだ誰も死んでいないらしい。もしかしたら、因幡てゐの加護が働いているのかも知れなかった。
希望がわいてきた。つまり自分たちの能力もなにかコツがあって、ふとした拍子で使用できるかもしれない。とにかくは、情報交換だ。
私は奇遇から降ってきた道標に、素直に感謝した。
「これはますます、魔理沙と直接、会う必要が出てきたわ」
いつもならさっさと切り上げて午後の冒険に出発するのだが、今日は待機だ。
およそ一時間半後の午後四時一〇分、第八層への転移門が解放されたとの報せがもたらされた。放っておいても誰かが勝手に「開通したぞ~~!」と叫びながら町中を走り回るので、とくに注意を払う必要はない。ただどこでもいいから町にいることが重要だった。最初に新しい層へ転移する第一集団に入ることができるからだ。
第八層へ移動するため、さっそくモンベガスの転移門広場へと現れた私こと八雲紫とゆかいなご一行。素顔を堂々と晒す、若い割に垢抜けた少女たちに、男たちの目が集まる。前線の層までやって来る女で、主街区よりさらに先に出てくる子はまだ少ない。それはモンスターと戦ってその抵抗を排除しなければいけないからで、つまりそれなりのレベルがある証拠だからだ。はじまりの街を出たこの一〇日あまりで人の視線にすっかり慣らされた私以下六人は、いまさら気にするでもなく転移門を通過する列に並ぶ。
私の方針で積極的に最前線付近で戦いつづけており、すでに全員がレベル一二以上に達している。前線で冒険をすると、短期間で強くなれる。低層で美味しいクエストや狩場を独占したところで、何層か上にいけば簡単に覆せてしまう。第一層や第二層を巡り、苦労のはてに強力なレア装備を手に入れ、それを最大限に強化したところで、第四層や第五層の平凡な店売り品とステータスはたいして変わらない。魔剣や宝具クラスの超レア装備ともなれば一〇層・二〇層単位は余裕だろうが、ゲームはまだまだ序盤。そんなものが手に入るのはずっと先だ。とにかく上へあがって適当にクエストをこなしていれば、ボリュームゾーンくらいすぐに追いつく。それがレベル制MMOの現実だ。
クエスト放りっぱなしで道だけ開拓してくれる、フロントランナーさまさまだった。個々人の弱さは、大人数パーティーの連携でカバーしていた。リズベットとシリカは最初の数日こそリアル指向の戦闘に怯んでいたが、ほかの四人があっけらかんとして平気なのが伝染したようで、いまでは元気に戦えている。場数さえ踏めばなんとかなる。ソードスキルは素人と熟練者との境だけでなく、性別差や年齢の壁をも、あっさり取っ払うのだ。SAOは本来、楽しむためのゲームなのだから。
メニューのサーバプロパティを呼び出した。現在のログイン数――生存者は九三五五人。二週目の死亡ペースは一週目と比べて半減しており、さらに減り続けている。激烈な攻略速度もあるだろうが、プレイヤーメイドによる発刊物の功績がとくに大きいだろう。暇つぶしにさとりやアスナたちが新聞や雑誌を読んでいる。
発行物には電子書籍の感覚でつぎつぎとページを変えられるスクリーン式と、物理的にページをめくる冊子形式の二種類がある。書く方もボードを打つのと、ペンで直にメモを書く二種類があり、好みに応じて使い分けることができた。
フロンティアを切り開く妖夢とキリトの影響は絶大だが、出版の影響もおおきい。この世界は初期の混迷より抜け出て、人らしい営みを急速に構築しつつある。はじまりの街ではMTDという生活協同組合のようなギルドが誕生し、組織化が進んでいるという。
あとは混沌めいた攻略方面をどうするかだ。なりゆきで動いているだけの前線集団を、裏方よりまとめるのが私の野望だ。
それに……私が攻略集団の顔役を志向する理由はほかにもあった。むしろこれが大きい。
「……茅場晶彦、あなたはただの一兵卒に甘んじるべきよ。居場所など作らせてあげないわ。見てらっしゃい。誰を閉じ込めたのか、死ぬほど後悔させてあげるから」
この世界には、茅場もいる!
根拠となる現象をすでに掴んでいる。それを示せば、魔理沙たちが私の指針に従ってくれる公算はじゅうぶんにあった。茅場のことだから、すでに攻略隊に紛れ込んでいるかもしれない。だが真に重要なポストを幻想郷の少女が占めてさえいれば、やつの思い通りにさせずに済む。観察者になると言ったのだから、茅場はできるだけ傍観者のままで寂しく孤独に過ごしているべきだ。
茅場晶彦は私にとって、デスゲーム以前から重要人物であった。残念ながら重要の形が変わってしまったが、もはや敵となった彼に、私なりの反攻を試みるのである。
整然かつ大人しく並ぶことにかけては世界有数を誇る日本人。待機列は順調に消化され、いよいよ私たちの番となった。この門をくぐり抜け、あとは転移門の前で待ち伏せ、魔理沙たちがやってきたところを捕まえる。
転移門の上に『Opening Fleabane to traffic !』と空中で文字が躍っている。Fleabane――これが第八層主街区の名前だ。SAOのワープは転移先の名前を口に出さないと有効にならないため、開通直後はまる一日ほど、表示が出てくれる。発音が分かるまで試行錯誤するのが面倒だが、最初に転移した人がとっくにシステムの既定した正しい読み方を広めていた。私は振り返ると、仲間たちに告げた。
「行くわよ。手を繋いで」
私と布都が、布都とさとりが、さとりとシリカが、シリカとアスナが、アスナとリズベットが繋いで、横一列で転移門の空間へ入った。パーティーを代表して、私は野心の叫びをあげた。
「転移、フリーベン!」
第八層主街区フリーベンで待つこと三〇分、私と霧雨魔理沙は二週間ぶりの再会をはたした。それはソードアート・オンラインで生活らしいものを始めたプレイヤーたちに、さらなるプラス方向の変化をもたらす邂逅となった――
……かも、知れない。
こちらを指さした魔理沙の最初の言葉は、私の思惑を完璧に挫くものであった。
「おい見ろよみんな! 間抜けだ! 最高の間抜けがいやがるぞ!」
痛快なほどの大笑いにつづき、妖怪少女たちの爆笑が周囲に響き渡り――布都やさとりまで連られている。アスナたちや魔理沙の仲間と思われる男どもが、何事かと戸惑い、ぽかんとしていた。
* *
了 2013/04
※接続IPが一緒だと、最初はほぼ同箇所に出現
ALOの最初、バグったキリトがリーファの近くに落ちた理屈。アニメでは説明なし。
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