〇四 転:ダブル二刀流

小説
ソード妖夢オンライン1/〇一 〇二 〇三 〇四 〇五 〇六

 目が覚めると、天井は洋風の田舎宿だった。
「……白玉楼ではありませんか」
 これは不運だろうか、それとも僥倖だろうか。妖夢の寝起きは良い。長年の習慣で、起きてから一〇秒後にはベッドより抜け出て、装備のチェックをする。
 妖夢は現実世界へ引き戻されなかった。やはり幻想郷では、意図的に推移を見守っていると考えていいだろう。あるいは話し合いがこじれて、結論を先延ばしにしているだけかもしれない。
 インスタントメッセージの着信がある。魔理沙だ。時刻は昨夜の午後一〇時。長い一日が終わり、疲れから熟睡してしまったあとだ。
『クラインから無事に合流したと知らされたぜ。首尾はどうだ?』
 短い文面だ。クラインは妖夢とキリトの共通フレンドなので、マップ機能で位置を確認できる。妖夢とキリトの光点が重なり、ホルンカの村に移動したことまで分かったのだろう。妖夢はどう返事したものかと悩みながら書いた。
『おはよう魔理沙。我ながら間抜けなことにキリトのソロプレイに共感してしまいました。彼と先に行きます。勝手なことばかりしてごめんなさい。私たちが帰った後、残されるキリトを死なせたくないの。すこしでも生き残る確率を高めるために、できるだけ多くのことを教えておきたい』
 すこし考えて、追記する。
『すでにメッセージを受けているかもしれないけど、輝夜と会いました。積極的に戦う気のようでした。通せんぼをする意地悪な中ボスは、私がさっさと倒しておきます。私にとって、すくなくともこの辺の敵はあまりにも弱すぎて、手応えをさっぱり感じません』
 メッセージを送ると、宿屋を抜けて買い物をした。時刻は朝の四時半でまだ真っ暗だが、夜間プレイ用に開いている店があるのだ。
 不要な服やアイテムを売り払い、着替えを済ませた妖夢は、近くの森へ入って狩りをした。新しい服は動きやすいし、着心地も良好だった。やがて朝が近くなってきたのでホルンカへ戻ると、日が昇ると同時のタイミングで、キリトが宿屋の階段を下りてきた。その姿を視認したとたん妖夢は昨夜、キリトに慰められてしまったことを思い出し、緊張から胸の動悸が早まるのを感じた。そのおかげか、後ろめたさは影も形も消えていた。
「おはよう、キリト。どうです?」
 せっかく着替えたので見せたいという衝動が起こり、くるりと一回りする。上は長袖の白シャツと、緑のベスト。首元に黒いネックリボン。下は深緑色のスカート。ただし股下で布が接合されている、キュロットスカートだ。乗馬用に開発された短パン型スカートなので、活発に動こうがそう簡単に中を見せはしない。見た目と実用性を両立させた、なかなかに優秀なスカートである。長さは膝上。靴と靴下も新調した。
「おはよう――へえ。服を変えたのか。似合ってるよ」
 初歩ていどのリップサービスは出来るようだ。
「ありがとう。せっかくお金が手に入りましたし、楽しまないといけないわよね」
 さすがにスカートの下に男物のスラックスでは、見映えがよろしくない。機能性が大事だとしても、女の子たるもの、おしゃれを忘れてはいけないのだ。
 席について朝食を促す。田舎の宿屋は、食堂も兼ねている。たいてい一階がそうだ。和食派の妖夢にとって洋食のSAOはあまり慣れたものではないが、それでも空腹感を充たしてくれるぶんには採るしかない。ゲームなのに……。
 パンをハミハミしながら、キリトを観察してみる。すこし癖毛っぽい髪、きれいな肌、優しそうな目。この人をどれだけ導けるだろうか。妖夢の心の奥でほんのり、温かい安堵のような、ちいさな炎が揺れている。よくわからないが、これは親愛の情に似ている。昨夜の件で、すくなくとも悪い人ではないと分かった。一面でもキリトの内面を知ることができたのは、今後のマイナスにはならないだろう。そう思ってすこしでもあの失態をプラスに繋げたい。妖夢にチラチラ見られて、キリトはすこし落ち着かない様子だった。どうも意識していたようだ――いけない、自重しようと反省する妖夢。男と女は面倒だ。距離の置きどころが難しい。
 食事が終わると、キリトは鍛冶屋へいって武器のメンテナンスを行った。妖夢もついでにカトラスを研いで貰った。研ぐことで耐久力が最大値まで戻る。武器屋にはより上位の曲刀もあったが、攻撃力上昇と引き替えの重量増加ぶんが割に合わないと感じ、まだ更新しない。妖夢の剣は連続攻撃が肝心要なので、技が繋がらなくなるほうが怖い。キリトのほうはつづけて武具屋でショートソードを売り、ブロンズソードを二本購入。ブロンズソードは脆い青銅製だけに耐久力が低いので、一本は予備だ。あとは道具屋でポーション類を買い足し、出陣の準備は大方整った。妖夢はほとんどプライベート着も同然の格好で、カトラスを二本装備しただけの状態だが、これが彼女にとってはむしろ正式なスタイルである。
 買い物の途中で、魔理沙より返信が来て――内容が意外すぎた。
『妖夢の言や良し! それぞ乙女の大儀だぜ。初恋の味はどうだい?』
 思わず転びそうになった。さすがは魔理沙らしいというか、斜め上だ。恋符の使い手だけに、異性が絡めば色恋に結びつけたいらしい。
 魔理沙やにとりがどう動くか触れていなかったが、すくなくとも妖夢の身勝手な選択は、乙女の大儀という変なもので免罪してもらえたようだった。
 すべての用意が終わると、コンビはさっそくホルンカを出発して、つぎの町メダイを目指す。周囲にほかのプレイヤーはいない。まだデスゲーム開始二日目の早朝だ。大半がはじまりの街に引き籠もっていまだ大混乱の渦中だろう。
「……そういえばみょん」
「なんですかキリト?」
「今日はキリトさんじゃなくて、キリトって呼び捨てなんだね。口調は変わらないのに」
「そういえばそうですね。お務めと日常生活がごっちゃになってまして、相手に関係なく丁寧語中心で話すのが私の癖なんです。親しい仲でも敬体が多くて、三人称だけが呼び捨てになるんですよ。キリトはパートナーになりましたから」
「ケータイ? 電話がどうしたんだ」
「ですます調のことですよ。反対語は常体、キリトの話し方です」
「クラインも言ってたけど、いろんな言葉を知ってるね。国語が得意なんだな」
 なんと答えたものか妖夢は迷った。キリトの数倍、長生きしてるので、中学生に見えて大人みたいにいろいろ知ってるだけとは言えないし。
「そんなことどうでもいいじゃないですか。なにかおかしいのかしら」
 キリトがなぜか妖夢の言葉にくすぐったそうな反応を見せている。
「いや。なんというか、新鮮に感じてね」
「どういうことですか?」
「時々挟んでいる女言葉だよ。小説でしか見ないようなしゃべり方が、俺には心地良いんだ」
「私たちは毎日これで話してます――してるわよ。こんな感じかしら?」
「そうそれ。まるでお嬢様学校のような光景だな。俺の脳内的な、だけど」
 幻想郷と顕界では、いろいろ常識が違うらしい。
 街道の途中で出会ったモンスターは、キリトの練習台も兼ねていた。右にアニールブレード、左にブロンズソードを持ったキリトは、最初はふらついていたものの、三〇分も戦っているうちに二刀をうまく振れはじめた。
「左右から交互に連続攻撃って、難しいな。すぐ抜ける」
「だから私は格闘も使うんです。敵の反撃を許さないタイミングで技から技へ繋げるには、なんでもやりますよ」
「俺は一撃が重いほうがいいから、できるだけ剣だけの連携を心がけるよ」
 重い攻撃を加えると、それだけ敵のノックバックやヒットバックも長くなる。より余裕が生まれる理屈だ。
「体格も違いますし、そのほうがいいと思います。私は小柄でリーチも短いから、とことん接近して全身で戦うほうが便利なの。あとキリトの武器は両刃ですから、手首の捻りなしで返し斬りが出来ますよ。そのぶん最終的には武器攻撃の繋ぎが私より早くなれるでしょう」
「教えられない領域は、自分で覚えろってか。宿題としては、なかなかいい課題だね」
 さらに一時間後には、あたりまえに戦えるようになっていた。いまも赤いイノシシに左右六連撃を浴びせ、初撃より三秒とかからず粉砕したところだ。レベルが四にアップする。妖夢は三だ。
「やった。六連撃だぜ、気持ちいいな二刀流!」
「……キリトって、ゲームの天才かなにか?」
 くるくるとアニールブレードを回して鞘に戻したキリトは、首を横に振る。
「いいや、どこにでもいるゲーマーだよ」
「覚えるの極端に早すぎますよ。私がそのくらいになるのに、五年はかかりましたよ」
「人より多少は上手いって自負はあるけど、いまはそうだな、先生がいいからかな。ゲームはリアルと違ってすべてイメージの世界だから、正しいイメージを見せてもらえたら、生徒が良ければすぐ覚えるさ。鍛えるのは脳だけだし、すでに理想を知っていればその訓練もさほど必要ない」
「そんなものかしら? よく分かりません」
「あとほかに、元となるみょんの強さはなんというか、次元やステージが違う。連続多重攻撃を前提としているなんて、まるで膨大な生命力を持つ化け物を倒すために特化したような、不思議な流派だ。リアルの剣術でありながら、コンパク流剣術とSAOとの親和性はとても高い。どれほど軽い打撃だろうが、一発目さえ当ててしまえば、あとは幕引きまで一直線。まるで格ゲーみたいだな。仕切り直しが減るぶん、初太刀に集中できる。この優位は思った以上にすごいよ――俺はその恩恵に与ってるだけさ」
 キリトの分析は正鵠であるが、妖夢は苦笑いを返すしかない。
 まさか本当に体高何メートルといった怪物をぶち斬るための剣術だなんて、言っても信じてもらえそうにない。それに現実で妖夢の戦い方を真似できる人間は、おそらく誰もいないだろう。妖夢の剣は超越的な身体能力と、超人的な筋力および骨強度によって成立するアクロバティックなものであり、人間の範疇に収まる、かくあるべき二刀流より、あまりにも隔絶している。キリトがさほど疑問を抱かないのは、SAOというゲーム世界にいる現実感覚の希薄さが、かなり助けとなっていると思われた。SAOはいくら無茶に動いても、体が疲れたり筋肉を痛める心配がない。骨折もしない。おかげで正しい動作さえ覚えてしまえば、レベル一桁でも人間以上に動けるわけである。そのほぼ最大効率をキリトは極めていた。
「キリトの剣筋もすごいですよ。斜め斬りとか、全力振りの鋭さも、足捌きまで含めて」
 昨夜の段階でキリトのただならぬ強さを感じ取っていた妖夢だが、まさか教えはじめた朝のうちに連続攻撃を覚えてしまうとは、露ほども思わなかった。
「べつに俺の技じゃない。ソードスキルを再現してみているだけだよ。ソードスキルは玄人を使ってモーションを得たそうだから、それを意識して真似すれば、誰でも即席達人の出来上がりってわけ。ただし、なぜ有効なのかまでは理解しきれていないから、どうしてもパターンが限られる」
「玄人でデータを取った……だから盾のソードスキルはないのでしょうか? 盾を巧みに利用する攻防術って、現存しているのはほとんど西洋と中国ですよね。中世までに手盾が廃れた日本ではきっと難しいです」
「ああ――そういえば盾だけは装備スキルこそあれど、モーション技としてのソードスキルがないね。釣りスキルですら釣竿用のキャスティング・ソードスキルがあるのに。ソードスキルといわずとも、オートガードくらいあってもいいと思うんだけどな」
「つまりこの先にいる人型モンスターが使う盾は、シールド用ソードスキルがないぶん防御が弱いってわけですね。それはプレイヤー側にもいえますよ。アタックはシステムアシストで簡単に達人の動きを再現できるのに、ガード系スキルはほぼノンアシストで、盾術を一から自分で試行錯誤するしかありません」
「通常の回避や武器防御と、バランスを取ったからかも知れないね。きっと盾持ちが有利になりすぎて、両手用武器のメリットが薄れてしまう。もっともカタナスキルの噂があるように、素人でも盾を自在に操るスキルが隠されているかもな」
「私とキリトの二刀流も、片手用武器の左右同時装備がシステム上でいちおう認められているからですよ。これもなにか変わったスキルが隠れていたりして」
「あったら面白いな。ただ二刀流がシステム的に再現可能なのは、規制する必要がないからじゃないかな」
「どうしてですか?」
「片手用武器をふたつ持ったほうが強いんじゃね? と考える人はベータ時代からいてね。実際に試した者もちらほらいたんだけど、どうしてもソードスキルを使えなくなるデメリット以上の効果を得られなかった。後から装備したほうにはスキルボーナスも付かないしね。二重苦さ」
 人間の二刀流を参考にするから上手く行くわけがないと、妖夢はすぐ理解できた。人間でありながら人間以上に動けるSAOには、人間を超えた二刀流の理論体系が必要だった。それが妖夢の剣だ。現実でも短時間なら魂魄流は振れるだろう。だが身体へのダメージが深刻で、人間はすぐに体を壊すはずだ。プロボクシングの試合本番が年に数えるほどしか組めないように、多大な負担を及ぼすのだ。SAOではその心配がない。システムが再現していないからだ。
「それで今度はきちんと出来て、嬉々としてるわけなのですね。なるほど、素地はすでにあったわけですか。挑戦者キリトくん」
 魂魄流二刀を確実に物にするには、まず二刀流の有利な部分を体と頭で理解していないといけない。つまり人間の二刀流をあるていど知って、かつ覚えておかないと、妖怪変化の二刀流は学べないのだ。妖夢は数日をかけて基礎を叩き込むつもりだったのに、キリトがその段階をわずか一時間あまりで素通りしてしまい、さらに級位クラスにまで達してしまったことに、とても驚いていた。以前剣道をやっていたことや才能もあるだろうが、理由はひとつしかない。
「……みょんには敵わないな。俺の挑戦はもちろん挫折したさ。悔しくて調べてみると、二刀流の宮本武蔵も、実戦ではあまり使うなと書き残してるほどだしね。有名な巌流島は木刀一本だったし。それに剣道でも二刀流は難しいらしいね。ビッグタイトルの優勝者は、戦前まで遡らないといないらしい。見た目はカッコイイのに、傍流に甘んじている。みょんの二刀流を見たとき、興奮を抑えるのに必死だったんだ。どうやっても使いたい、覚えたいって、それしか考えてなかった」
「ならば日本一強力な二刀流を、存分に教えてあげますよ。どんどん覚えてくださいね」
「夢を見ているようだよ」
 なにげない会話であったが、ひたすら剣術やSAOについて語ることができ、妖夢の胸は弾んだ。昨日の悔悟と、いまの充実と、どちらが正解なのか。キリトへの償いのために先へ進もうとしているのか、それともただ自分を試したいだけなのか。妖夢は自身の行動に理屈をつけかねている。デスゲームの怖さは、強さの実証がある妖夢には微塵も感じられない。いざとなればキリトを守る自信すらある。
 戦いつつ妖夢の方針によりメダイの町を、さらに村をひとつ素通りしたふたりは、やがて周囲の山地が収束する谷間へと出た。そこはこぶし大の自然石で雑然と葺かれた円形広場で、奥になにかが立っている。
「いよいよ最初のフィールドボスだな。まさか二日目の朝のうちにここまで来るなんて」
「これからが私が昨日言った、見たことのない世界のひとつですよ。さっさと倒しましょう」
「本当に挑戦するのか? ボスはHPが多くて攻撃力が高いし、ダメージ硬直からの立て直しも早いぞ」
「とりあえず斬ればわかります。私はずっと、そうしてきました」
 カトラスを構え、広場へと入っていく。
 広場の奥にいた化け物が立ち上がり、吼える。はじめて見る、金属製の武器を持つモンスターだ。身長は二メートルあるだろう。大柄な犬男だった。武器は両手用大剣。しっぽがふさふさで太い。スケイルメイルの上より、狼かなにかの毛皮を羽織っている。下半身はうす汚れた半ズボンで、裸足だ。HPバーも二段に分かれている。これまでの敵はすべて一段しかなかった。
「あれがリメインコボルト・ハイランダー。力任せのパワーファイターだ。この辺りにいた、リメインコボルト・レッサーのボス」
 レッサーは妖夢がSAOではじめて出くわした亜人型モンスターだった。攻撃手段が爪と牙なので、カトラスで簡単に攻撃を潰せる。鎧はなく服だけなので防御も弱い。初心者泣かせだとキリトが言っていたが、この辻斬りにとっては雑魚もいいところ、めっちゃ弱かった。
「私は今日、どの敵にもかすり攻撃すら許していませんよ」
 妖夢のHPバーは満タンのままだ。
「どうせ俺はすでにポーションを二個も使ってる下手くそだよ」
「相対論でしょう? 私から見れば、キリトの上達速度と戦闘センスは天才的というか軽い嫉妬すら持つくらいです。私は才能以前に、幼少からずっと修行に明け暮れて、努力によって今があるだけ――だからまず私に様子見させてください」
 妖夢はキリトに天才を感じている。彼は反応速度という、天賦の才を持っていた。妖夢は半世紀におよぶ膨大な戦闘経験をもとに、敵の動きを読んで前もって備えておける段階に来ているが、そこまで行ってないキリトは敵の行動パターンを元にしたり、目線や動きを見てから反応する。なのに妖夢のように間に合ってしまうのだ。おそらくゼロコンマ一秒未満の世界で動けている。おかげで攻撃の淀みない連結が鍵となる魂魄の二刀流を、これほど早く扱えるようになった。これを天才といわずしてなんと呼ぶのか。
「釈迦に説法だろうが、無理はするな。俊敏を優先しているみょんの筋力値で、あいつの馬鹿力はとても受けられない」
「炯眼剣は使うなってことね。警告ありがとう」
 妖夢にとってようやく初となる、剣と剣を合わせられる相手だ。SAOにログインした理由がこれなのだから、その初物はぜひとも自分の手で(じか)に味わいたかった。
 赤顔のハイランダーが野獣の叫びをあげて長剣を振り回してきた。ソードスキルらしき黄色の輝きを大剣にまとわせているが――頭を低くかがめた妖夢が一瞬で距離を詰め、同時に激しい金属音が響いた。ソードスキルの輝きと音が消え、ハイランダーが動きを止める。
「なにをしたんだ?」
「……んー、ちょっとソードスキル潰しと様子見を」
 妖夢は追撃するでもなく、距離を取ってハイランダーを観察する。本当に文字通り様子を「見て」いた。硬直より回復して目をぱちくりさせたハイランダー。さすがに怒った様子でまたソードスキルを発動させて襲ってきたが、銀髪少女がかろやかに躱して懐に入り一閃を入れ――にたび犬男の動きが止まった。
「まさか小手を打ってるのか!」
 今度はキリトもしっかり見ていた。ソードスキル動作の大元は武器を持つ腕そのものだ。そこにダメージ判定が生じれば、別に武器を相手にせずともソードスキルを強制停止できてしまう。だが理屈で分かっていたところで、初顔の相手においそれと放てる技ではない。よほど研究かつ練習しているか、さもなくば天地ほどの実力差がないと不可能だ。剣道だと通常の決まり手にすぎないのは、クリーンヒット以外すべて無視できる競技形式だからだ。どこかに当たれば即ダメージとなる問答無用のチャンバラ合戦で、小手打ちの難易度は桁違いに跳ね上がる。しかも妖夢はハイランダーよりずっと背が低く、武器のリーチも半分ほどでしかない。
「集団でないと倒せないボスというから期待したのですが、あくびが出るほど弱いですね。剣道でいえば、良くても六級ってところかしら」
 くるくると両手のカトラスを回しつつ、妖夢は興味を失ったようにつづける。
「このコボルトさんは図体とパワーだけの木偶人形で、中身はフレンジーボアと同じようなものです。私を楽しませてくれるには役者不足もいいところですね。飽きましたから、今度はキリトの戦いを見せてください」
 のんびり会話をしているが、もちろんボス戦の真っ最中である。犬男が動き出すつど、すかさず妖夢が急所へと一撃を入れてその動作を封じていた。堂々と登場したのに敵と見なされないとは、憐れなものだ。
「俺の戦いというよりは、SAOの流儀になるな……武器をかいくぐって腕のほうを打つなんて、危険すぎて真似しようとも思わないぞ」
「そのSAOの流儀でいいです。私もボス級のモンスターを茶化すようなお遊びがずっと通用するなんて思ってません。なにしろまだ第一層の、かつ初ボスですからね」
「じゃあ連携で行こう。あいつのソードスキルを俺が弾くから、その隙にスイッチで刻んでくれ」
「スイッチってなんですか?」
 あきらかに拍子抜けしたキリト。勉強不足で失望させたかなと、妖夢は恥ずかしくなった。そうなのだ。いくら強かろうが、あくまでもゲームは初心者。その知識も付け焼き刃でいまだツギハギだから、MPKを知っていても、スイッチは知らないなんてこともある。キリトは言い直した。
「……合図したら、飛び込んでくれ。スイッチはあとでレクチャーしてやる」
「わかりました」
 六度目か七度目のダメージ硬直より回復したハイランダーが、バカのひとつ覚えでその剣身にやや赤みを帯びた黄色の輝きを宿らせてきた。狙いは妖夢の代わりに前へ出てきた黒髪の少年。だがその横薙ぎはキリトの縦斬り技、バーチカルがあっさり叩き落とす。限度もあるが、ソードスキルはソードスキルで迎撃できるのだ。
「いまだっ!」
 攻撃者の交替、これがスイッチだ。入れ替わることで、敵の集中攻撃を回避したり、回復のタイミングを得たりする。
 妖夢のフィーバーソードダンスがハイランダーに迫った。怒濤の連続九連撃。一〇撃目の踵落としが当たる寸前で敵は回復し、襲いかかってきた大剣を妖夢はしゃがんでかわした。空振りで生じた隙に、こんどはキリトが突っ込んでハイランダーを切り崩しにかかる。
 パターンを二回繰り返したところで、モンスターが派手に横転した。その転びかたが大げさなように感じ、妖夢は罠の存在を警戒して追撃をためらった。
 横より割り込んだキリトがアニールブレードをハイランダーに突き刺し、叫ぶ。
「タンブルだ! みょん、全力攻撃!」
「およよ?」
 二刀でないので剣にソードスキルの燐光をまとわせつつ、キリトが説明する。
「累積過剰ダメージによる特殊ステータスだよ! 転倒して二〇から三〇秒は回復しないから、さっさとトドメいくぞ」
「わかったわ!」
 こうして五〇回以上みじん切りにされ、リメインコボルト・ハイランダーはあっさり退場した。妖夢の期待した剣戟戦らしきものはついに成立しなかった。最初の様子見を除けば、純戦闘時間は一分もあったかどうか。魔理沙はこのボスがソロの通せんぼになると言っていたが、こと規格外の妖夢が相手であれば、ソロでも楽勝であっただろう。妖夢の指導により強化されたいまのキリトでもおそらくは――
 初のフィールドボスをあっけなく倒した先には、見晴らしの良い沼地帯が広がっていた。キリトがいくつかの有益らしいクエストをやりたがっていたが、妖夢はもう一体いるというフィールドボスとの戦いを所望した。
「今度こそ、剣と剣との戦いをしたいです!」
「そうだな……フィールドボスやフロアボスは、一度倒すと二度と出てこない。クエストボスはごく少数を除けば、何度でも挑戦できる。ならいまは、みょんの力量に見合った敵が待っている先まで、とことん突っ走ってみるのも、一興かな。体格とリーチの差を考えたらさっきの小手打ちはケイガンケン以上の離れ業だったし、俺もみょんの本気の戦いを見てみたい」
 沼地帯と遺跡群を抜け、村や町をおなじように通過だけして、昼すぎに絶壁の街道で通せんぼする武芸者みたいな影と出会った。身長はハイランダーと同程度、やはり二メートル近くあるだろう。痩せこけた犬顔の獣人で、革鎧と短剣を装備している。地肌は赤い。雑魚も同様だったし、どうもSAOのコボルト族は総じて赤肌らしい。
「スワンプコボルト・チェイサーだ。ベータとおなじなら、あの短剣には毒が塗ってある。さらにこちらの武器を落とさせる特殊攻撃まで使ってくるぞ。すでに何匹も倒してるけど、この辺に出るスワンプコボルト・トラッパーの親玉だ」
 おもに沼地帯を住処とする雑魚Mobスワンプコボルト・トラッパーは、初の武器落としモンスターでもあるらしいが、攻撃手段がショートレンジの短剣なので、後出しでもカトラスで簡単に迎撃できた。初心者泣かせでベータ時代に何回か殺されたとキリトが言っていたが、妖夢にとっては弱いチンピラていどにすぎない。
「さて、今度こそ武器と武器で尋常に勝負できたらいいわね……」
「いまのきみのレベルなら、あいつ相手ならケイガンケンも効くはずだ」
「それは良い情報をありがとう」
 妖夢もキリトもレベルは五になっている。敵が強いおかげで経験値も多く、レベルが上昇しやすい。もっとも妖怪二刀流で一気にHPを削ってしまうふたりには、敵の強さはあまり脅威とならなかった。戦闘バランスを調整するために存在する武器使用硬直も、手数を用意している変則二刀を前にすればあまり意味を持たない。ソードスキルが使えない不利も、駆け引きを簡略化する利点の前に消し飛んでしまう。なにしろ妖夢の必殺連撃は、手軽なキック一発からも発動するからだ。一瞬でも態勢を崩されたモンスターは、もはや二度と回復しないデスマーチへと招待される。キリトも妖夢という絶好の見本を前に、水を得た魚のようにその技術を吸収していた。
 恐怖のゲームバランス崩しプレイヤーとは知るよしもなく、チェイサーがハイランダーとおなじように獣の叫びをあげ、短剣を懐に構えた。
「前衛は任せた!」
 キリトの言葉を背中に受け、妖夢は身長一・九メートルほどのチェイサーと剣を交えた。
 短剣を突くように突進してきたチェイサーだが、妖夢の左カトラスが受けて弾きあげ、すかさず右で鎧の隙間を斬る。魂魄の剣技、炯眼剣だ。チェイサーのように防具を着たモンスターは、弱点がどこかを明示しているので戦いやすい。妖夢の突きはすべて鎧通しとなってコボルトの肉をダイレクトに抉る。あとは連続技だ。
 七撃目でチェイサーがおかしな動きを見せたので、八撃目を自粛して武器ガードを展開。案の定、通常なら回復するはずのない態勢より短剣の突きが迫ったが、事前に構えていたカトラスが奏功してふたたび炯眼剣が決まる。今度は簡単に反撃させまいと、妖夢は連撃しながらスワンプコボルト・チェイサーの背中側に回り込んだ。おなじく七撃目でチェイサーの動きが回復する様子を見せたが、ターゲットは真後ろ。意外なことにこのコボルトは足技が使えるようで、うしろ回し蹴りが飛んできた。妖夢はカトラスで応酬した。生身と金属がぶつかれば当然金属が勝つわけで、カウンターが決まってモンスターが横転する。その倒れ方がいかにもげな大袈裟なものだったので、タンブルと判断した妖夢はすぐさま剣撃フィーバーへ移った。
「第一指令、アタック! 第二指令、アタック! 第三指令、アタック!」
 調子のよいことを言ってキリトがみじん斬りの祭りへ参加してきた。チェイサーが全身を真っ赤に染めてゆく。数十秒してようやく復活した。ハイランダーよりHPが多いようで、まだ二段目をまるまる残す。一回のたこ殴りで倒せる敵ではないようだ。
 キリトはそのまま攻防戦に残った。左側が妖夢、右側がキリト。キリトには妖夢のような洗練された技はないが、アニールブレードのおかげで重い攻撃が多く、生じた圧力によってチェイサーをどんどん崖際へと追い詰める。
「ねえキリト。このまま谷底へ落としましょうか?」
「たぶん倒せるけど、経験値が減る」
「それは困りましたね」
 だからふたりして挟撃して斬ることにした。「刃物によるお手玉」などという、恐るべきものが発生する。チェイサーはとても対応できない。
 妖夢が連続七回ほど太刀を入れたところで、チェイサーが溜まらず転んだ。
「もしかして、またタンブル状態でしょうか」
「全力攻撃しておこうか」
「賛成です」
 呑気に会話をかわし、しかしその雰囲気と相反する過激な斬撃の嵐が、スワンプコボルト・チェイサーを襲撃する。まさに刻むと表現するにふさわしい鉄剣の豪雨がそそぎ、チェイサーの全身を赤いダメージエフェクトが埋め尽くす。武器の攻撃を受けた箇所は切り傷などとして一時的に赤く染まるのであるが、短時間で連続攻撃を当てられるということは、赤く塗装されるということだ。
 チェイサーは二度目の転倒から回復することもなく細切れと散り、固定ボスとしての役割を終えた。
 戦闘が終了し、レベルアップ表示。キリトが六になった。
「さすがに二匹目のフィールドボスともなると、経験値もアイテムも多いな。みょん、めぼしいものはあるか?」
 津波のような数の入手アイテムに目を回しながら、妖夢はなんとかチェックを続ける。
「リネームアイテムらしきものがありました。こちらは髪でも染色するものかしら? ――ねえキリト。リソースでしたっけ? 私たちが独占していいのでしょうか」
「フィールドボス戦はリソースとは別の話だ。これはたしかに大漁だけど、俺たちは後ろめたいことはなにもしてないから、正当な報酬としてありがたく受け取ればいい。道中クエストは軒並み残してあるし、ずっと移動していたから、絶対値で見ればリソースの類はほとんどまったく消費してない。数分もすれば回復するていどのものさ。ささやかなものだよ。それにしても……いい顔をしてるね、きみは」
 妖夢の顔に、笑顔が浮かんでいる。
「ええ。ようやく夢が叶ったんですもの。私は剣と剣をぶつけるために、この世界へ来ました。やっと実現しました。これが剣を振れる喜びなんですね――師匠にお稽古を付けていただいてもらっていた頃を思い出しました」
「いまの状況がどういう異常なものかって自覚はあるのかな」
「たったふたりきりで、誰にも出来ない速度で前に進んでいます」
「そうだな。付き合ってる俺こそ、夢みたいな思いをしてる。でも本当にやってるんだよなあ。さあ、つぎはアレだな」
 キリトが指さす先には、白い塔が立っていた。その先端は第二層の天井と合体し、その岩盤と一体化している。第一層の迷宮区タワー。全二〇階で構成されたダンジョンで、この層で最高のモンスターがうろつき、最強のボスが待ちかまえている。
「つぎのボス戦が楽しみですね」
「コボルトロードは、ハイランダーやチェイサーとは比べものにならないぞ」
     *        *
 迷宮区に一番近いトールバーナは、はじまりの街以来となるおおきな町だった。といってもメインストリートは一〇〇メートルほどしかない。その中央広場に数メートル規模のアーチ状オブジェクトが置かれている。その内側がほのかに波打っていて、むこう側の風景がシャボン玉のようにゆらいで見える。
「この門、あちこちの町にありましたけど、転移門ですよね。自由に行き来できるのでしょうか?」
「残念だけど、転移門は各層の主街区しかつながない。ここを通過すればはじまりの街へ一瞬で飛べるけど、トールバーナへ戻るにはまた延々と歩いてくるしかない。第二層の主街区ウルバスから迷宮区を伝って降りてくるほうが早いくらいだ」
「リネームアイテムを魔理沙に届けられませんね。ほかの町も繋いだら、もっと楽になると思いますが」
「あまり便利だと、ありがたみがないだろ?」
 時刻は午後五時すぎ。一日かけて第一層を端から端まで駆けめぐり、ボスを平らげたこともあって、妖夢とキリトは揃ってレベル六にまで上昇している。スキルスロットも増えた。
 大きめの町なので、装備関係だけでも武器屋・防具屋・服屋などに分かれていた。
 妖夢は武器屋に入り、曲刀を更新した。二段階ほどすっ飛ばしてサーベルとシャムシールだ。キリトは鍛冶屋で武器防具のメンテナンス。妖夢はつづけて服屋を物色し、魔理沙が言っていたレギンスを見つけたので買ってみた。それをスカートの下にオブジェクト化する。黒い布地がふくらはぎまでくるんだ。ストッキングと違い透過しないので、これで下半身の視覚遮蔽度はさらに高まった。男子の視線をまったく気にせず動き回れるだろう。季節は一一月だし、保温効果もある。ファッション的に靴下が邪魔となったので、アンクルソックスを買って替えた。これはほぼ靴の大きさの靴下で、端から見れば素足に靴を履いているように見えるスタイルだが、レギンスとの相性は良い。
 ここまで五分ほどだが、キリトはまだ意外と時間がかかるようだ。耐久値を回復するメンテナンスは演出作業を伴うので、武器防具が多いほど手間がかかる。キリトは直剣に加え投げナイフに各種革装備もあり、さらに強化も行うと言っていた。妖夢の武器は曲刀のみで、防具類に至ってはなにも付けていない。強化に関してもそのぶん重さが増えると伝えられ、速さ優先の妖夢はできるだけ素のままで使うことにした。上の層にのぼればすぐ更新するのだから、付加効果がすべてリセットされる強化に、あまり関心はない。
 暇をもてあます妖夢はインスタントメッセージを打った。相手は魔理沙。
『現在トールバーナ。リネームアイテムありました』
 三〇秒で返事。
『はりきって進撃しすぎだぜ。それでアイテムの名前は?』
『命名結晶』
『間違いなく改名アイテムっぽいぜ。私も方針を変えて前線に出ているから、追いつくまで預かってくれ』
 ためしにマップを確認すると、魔理沙・にとり・クラインが、ホルンカを抜けてその先にあるメダイへと移動中だった。妖夢のせいで魔理沙は方針を変え、動くことになった形だろうが、悪いことをしたという罪悪感を妖夢はあまり感じなかった。なにしろ魔理沙たちは八人で固まっている。この大人数なら、雑魚だけを相手にしてさえいれば、そう簡単に危険な目には遭わないだろう。魔理沙とにとりを守るという使命を与えられたクラインも、この仕事がないときと比べ、格段に早くレベルアップできるはずだ。明確な目標を見つけた男の強さは、今日のキリトで思い知った。
 妖夢は続けて、射命丸文にメッセージ。どうせ聞かれるとわかってるので、先制だ。
『今日の到達点:トールバーナ 今日の戦果:フィールドボス二体 レベル:六』
『あやややや、それはなんてエクセレント!』
 キリトの用はまだ終わっていない。河城にとりにメッセージを送る。
『染髪アイテム手に入れました。入り用はありますか?』
 にとりはあの青い髪で困っている可能性がある。
『なぜか大好評だから、いらないよ』
 人見知りなのに、モテるのは素直に嬉しいらしい。霧雨魔理沙はとても口が悪いので、男を前にすると借りてきた猫となる河城にとりに人気が集中しているさまが想像できた。
 つづけて輝夜に送ってみる。
『現在トールバーナです。モンスタードロップの染髪アイテムが余っており、引き受け先を探しております』
 NPCショップに売ってしまっても、レアアイテムはそのまま消えてしまう。リサイクル品などとして売りに出されるようなことはない。商人プレイによるユーザーショップが出現するのはまだまだ先の話。単純に勿体なかった。
『追いついたらいただこうかしら。うちのリーダー、ディアベルがご執心なようよ。ディアベルとあなたとはフレンドでもなんでもないから、ここは相応の対価を支払わせるわ。トールバーナ先着の件はあまり触れ回らないほうがいいわね。どこで理不尽な恨みを買うかわからないわよ。ゲーマーは嫉妬深いから』
 思わぬ臨時収入が約束された。
 クラインからメッセージが入った。魔理沙やにとりとの遣り取りで気付いたのだろう。
『元気にやってるようで安心したぞみょん吉。ところでものは相談だが、べっぴんな青髪さんの攻略法をぜひアドバイスしてほしい』
「…………」
 冷めた目で返事を打つ。現状では絶対に不可能な内容で。
『技術系の国家資格をダース単位で取ればあるいは』
 キリトの用が終わると、近くで見つけた食堂で夕食を採り、宿泊となった。ただキリトが面白い宿を知っているようで、町外れの牧草地へと案内された。そこの農家の二階まるごとが今夜の宿泊地だ。
 サプライズがあった。お風呂に入れたのである。
「さすがベータテスターですねキリト。ありがたい湯だわ」
 ゲームなので排泄も汚れもない。入浴の必要などまったくないのであるが、気分の問題である。妖夢は気持ち良く体をリフレッシュできた。混乱しきった初日とちがい、心地よく眠りにつけた。なんという充実感か。できればまだ数日は、幻想郷へ連れ戻さないで欲しいと、妖夢は願った。反省したことなどすっかり忘れているが、SAOの魅力には抗いきれない。余裕だらけで、デスゲームの状況はやはり問題にもならなかった。
 ちなみに二階の区割りといえばリビング・寝室・浴室しかなく、妖夢とキリトはいわば同部屋になっている。鍵は階段へ向かう廊下の扉にしか付いていない。もちろん寝床は別々で、寝室は妖夢に譲られ、キリトはリビングのソファーである。キリトを気に掛けるより楽しさが先行した少女のほうはぐっすり寝付けたのだが、その寝室には当然、いちいち鍵などない。頭の中でいろんなものと戦っていたかもしれない少年のほうは翌朝、意外にもなんともない平気な顔をして起きてきた。
「おはようキリト」
「……おはよう。今日も良い攻略日和だな」
 妖夢からアプローチしないとあまりキリトは自分というものを見せてくれないが、距離感を覚えるほどではなかった。ただ、見えない壁が妖夢にはすこし嫌だ。
     *        *
 デスゲーム三日目、午後三時。
「みょん。本気で入るつもりなのか?」
「まさか私も、初挑戦で最上階までまっすぐ来られるとは思っていませんでしたよ。だってコボルトたち、どいつもこいつも、あまりにも弱いじゃないですか。あんな見かけ倒しのへっぽこ犬人間ども、クラ之介さんより下手ですよ」
「本当は強いんだけどね。さっき倒したルインコボルト・トルーパーも、三連撃がやっかいで本来なら数分は攻防がつづく難敵だった。みょんが強すぎるんだ……いまの俺も、それほど掛からないか」
「そうですよ。キリトだってまるで時代劇の主役みたいです。魂魄流二刀術を基本だけとはいえここまで自由に扱うなんて、覚えるのやはり早すぎます。すでにSAO中の椛……メイプルより強いかも。チルノじゃないですけど、天才よ天才」
「誰だよモミジメイプルとかチルノって。俺の知らない子を引き合いにしないでくれ。それに俺がもし天才なら、みょんは人智を超越した剣聖になるぞ。昨日も言ったけど、ゲームだから体を鍛える必要もないしな。最適な手本があってその動作パターンや反応タイミングさえ覚えれば、あとは能力値の範囲内でいくらでも動き回れるってわけだ。この疲労と怪我を知らない体で、きみの技をリアルの俺も使えたら嬉しいのにな。みょんがその細腕でどのように奇跡の剣を振るうのか、現実でも見てみたい」
 キリトはきちんと自己分析ができる人間だ。危うげなように見えて、ソロを選びたがる彼の強さには、持ち前の気質以外にそれなりの根拠もありそうだった。SAOを知ってから羽目を外しまくっている妖夢は、自分を恥じた。まるで制動装置のない自動車ではないか。ただ加速するだけで、簡単に事故を起こす。キリトがブレーキとなってくれるなら、妖夢は安心してアクセルを踏めるだろう。
「バーチャルって便利ですね。キリトが強いおかげで、私も楽ができてます。SAOってパーティープレイが前提だって魔理沙が言ってました。背中を預けられるパートナーがいると、本当に戦いやすいです」
 長命強力な妖怪として人間を内心で見下すことも多い妖夢であるが、ことキリトに関してはなぜか、ほとんどのことがプラスに見えてしまう。いったいなにが自分の胸中で起きているのか、妖夢自身が説明できない。
「みょんに認められると、さすがに誇らしいよ。俺もソロ中心だったベータ時代と比べて、バトルが楽しくて仕方ない。ひとりでは多勢に無勢で避ける戦闘も多かったが、みょんと一緒なら総ナメできるからな」
 ふたりの眼前に、そびえるもの。
 薄暗い虚ろの通路に、高さ六メートルにも届かんとする巨大な扉が立ちふさがっている。
 門扉には幾何学模様が描かれ、来る者を拒まんとする呪文のようにも見えるが、封印などがまったくないことは、キリトの情報で知っていた。ソードアート・オンラインのフロアボスおよびフィールドボスのクエストに、特殊なフラグ立て、アイテムや鍵は必要ない。やつらはただそこで待っているだけで、到達できた者なら誰でも自由に挑んで良いのだ。
 勝てれば、の話であるが。
 はじまりの街の転移門広場より北へ九キロ、高度九五メートルの地点である。この扉の向こうに、第一層のラストボスがいる。
 魂魄妖夢、レベル七。キリト、レベル八。HPはふたりとも一〇〇〇を超えている。
「いくぞ」
 キリトがボス部屋の大扉を強めに一回だけ押した。
 それだけであとはゆっくりと自動的に開いてゆく。
 きれいに開ききった先には、横幅二〇メートル、奥行き一〇〇メートル、高さ一〇メートルの細長い空間が広がっており、ほぼ真っ暗。システム補正のおかげで一番奥まで見えるが、うっすらとした果てに玉座があり、何者かが座っているシルエット。
 ゆっくり慎重に歩を進めるふたりの前に、やがて大ボスがその姿を晒したのであった。ルインコボルト・トルーパーを巨大化させた印象だ。だが妖夢は感性に刺激を受けた。
「……似ているわ」
 そうだ、SAOのネット予約を邪魔した劾鬼に、こいつはそっくりなのだ。白玉楼を襲撃した、あの鬼モドキに。赤肌だし半裸だし尾もあるし、デブだし背丈までおなじ。ただ違うのは目がふたつあることと、兜を被っていること、武器を持っていることだ。妖夢は思う。これはなにかの啓示だろうか?
 ――本能的な戦意の高まりを叫びとし、銀と黒の二刀流戦士は突っ込んでいく。
「はああああぁぁ!」
「うおおおおぉぉ!」
 …………
 ――
 ……撃退された。
 同日夜九時、トールバーナの町。
 昨日とおなじ農家に借りた部屋で、キリトが机に突っ伏していた。
「負けた~~」
「戦いました~~」
 ふたりの反応は真逆だ。キリトは悔しさが、妖夢は満足感が先行している。妖夢は風呂よりあがったばかりで、温まった体より湯気がのぼっていた。服装もリネンのキャミソールにホットパンツで、肌の露出度が高い。妖夢なりの湯上がり着である。ゲーム世界なので本来こんなものは不要であるが、現実世界のこだわりを守っていたかった。気持ち的にSAOに負けてしまいたくないからだ。精神衛生の観点により、下着も毎日替えている。キリトはフル武装したままである。
「みょんは今日、ずいぶんと元気だよな。フィールドより二倍はテンション高いぞ」
「迷宮区タワーのコボルトって、ほとんどが武器を持っていましたもの。剣と剣で戦えて、幸せです。SAOはこれが目的だったんですよね私」
 装備はとっくにストレージへ収めているが、屋内で剣を振るジェスチャーを見せる。
 本当に嬉しい心からの笑みに、キリトはすこし引いているようだ。とくに最後のボスは、妖夢にとってますますSAOを遊びたくなったときの戦いがはからずも再現され、しかも武器を持っての、白熱した長期戦。たとえ撤退を余儀なくされたとしても、気分が良くなってしまう。
「おいおい、俺が見ているのはバーサーカーか? いくら実感が伴わないといっても、死んだら本当に終わるんだぞ、このゲームは」
 キリトはメニューを呼び出すと、ログイン数を表示して妖夢に見せた。およそ九七〇〇人。チュートリアル直後は九八〇〇をすこし超えていたので、総ログイン数は一万弱だったと推定される。初回一万本といってもデスゲーム開始時点で全員がログインできたわけがないから、出荷実数は一万プラス数百本あったようだ。おそらくベータテスター優待枠ぶんなどだろう。
「ほら。わずか三日目で、もう三〇〇人も死んでいる。このうち二〇〇ちょっとは外部から強制的に外そうとしてのものだったし、初日はすぐ夜になったから、実際は二日間で一〇〇人、一日で五〇人ずつも死んだ計算だ。動く人はこの先もっと増えるから、死亡ペースは上昇する可能性が高い。単純計算だと俺たちは、半年ほどで全滅する」
 なんというハイペースだろう。妖夢はすこし大人しくなった。
「自重します。できるだけ」
 でも体のウズウズは、どうしても治まらなかった。
「……今日の反省でもするか」
「そうですね。夢中でよく見ていませんでしたが、コボルトロード、HPの二段までは削りましたよね。四段って、削り甲斐があって面白いわ」
「ごめんみょん。俺がHPをイエローゾーンまで落とさなければ、撤退せずに済んだ」
「私も四割は持っていかれましたから、おあいこですよ」
「それは俺を庇ったための、もらいダメージだろ。フロアボスは数十人規模で攻略するのが前提だから、理不尽に強いんだ。いくら強力なコンパクの二刀流でも、ふたりきりではきついな」
「魔理沙とルナーの情報によると、いくつかのパーティーがようやく沼地帯に差し掛かった辺りだそうです。まだまだ私たちだけで挑むしかないわけですね」
「新しい町や村についたら、クエストをいくつかこなすものだからね。狩りでレベルのマージンも稼いでおきたい」
「マージン?」
「安全の度合いかな。レベルがあがればHPが増えて、おなじ相手に負けにくくなる。俺とみょんのレベルは現状かなり高めなんだけど、理由は人より先に進みすぎているからだ。それでもあのボスには足りない」
 両手を合わせて、妖夢が提案した。
「明日は、ひたすらレベルアップに励みませんか? 再戦は明後日でどうでしょう」
「その作戦で行くか……」
 話の間、妖夢は時々キリトが向ける、会話の内容とはまるで異なったベクトルの視線を感じていた。お風呂上がりでうろつくのは早まったかと、妖夢はすこし後悔していた。
 ――翌朝。四日目。
 いつものように早めに起きた妖夢がベッドルームより出てくると、ミノムシみたいなキリトの姿があった。自分の体を野外泊用の寝袋に詰め込んだ状態で、さらに外側より毛布でぐるぐる巻きにしており、その寝顔はどこか、やりきった感で満ちている。首もと近い結び目の位置から、最後は歯で縛ったようだ。これだと容易には袋より抜け出せない。おそらくもてあますリビドーかなにかを抑えるため、がむしゃらにミノムシさんへと変身したのだ。
 妖夢がキリトをとくに警戒せず、肌を惜しげもなく晒していたのは、初日のパンチラ申告によって信用していたのもあったが、もし夜這いといった間違いがあっても即座に起き、体術で撃退できる自信があるからだ。すくなくともこの二日間で、律儀でまっとうな男の子だとわかった。たとえ心を容易く開いてはくれなくとも、仲間として、また人としても信頼できる。ただ心の繋ぎかたをまだよく知らないだけなのだ。
「あなたって、小さな紳士よね」
 妖夢はまどろむキリトの頭を軽く撫でてあげた。ご褒美のつもりだがあくまでも理由付けにすぎず、実際のところ彼に触れてみたいという欲求もあった。まだ出会って数日なのに――
     *        *
 デスゲーム五日目、午後一時。
 魂魄妖夢、レベル一〇。キリト、レベル一〇。
 ボス部屋の前で、無心に準備体操をしているキリト。妖夢は自然体で緊張している様子などはない。
「このレベルから先は、第一層では経験値効率が悪くなってそろそろ頭打ちだ。たぶん今後たとえ二~三週間戦いつづけても、レベル一二から一三くらいが成長の限界だろう」
「また蹴散らされたら、あとはほかの人が追いついてくるまで待つしかないってわけですね」
「不本意ながら、そうなるな」
 そして数時間後――
「だめだ。あともう一山なのに超えられない」
「強いですねコボルトロードさん。三戦してみんな負けちゃった」
 お風呂から出てきてさっぱりした妖夢に対し、キリトは椅子に座り、頭を抱えている。妖夢はまたあのラフな服装だが、キリトは剣を片付けただけ。まるで対照的な姿だ。
「どうすれば攻略できるんだろう。精神力とか不屈の闘志で、どうにかなる相手でもないし、なにか作戦があれば」
「仕切り直すたび体力が完全回復してるなんて、ズルいですよね。また一からやり直しですもの」
「RPGのお約束だから仕方ない……ボス部屋からけっして出てこないのだけが、俺たちに有利な仕様だな。でもみょんが言ったように、コボルトロードのHPが回復しきってるのを見るたび、苦労が水の泡になったような気がして、どうにも腹立たしい」
「気にしすぎです。拘泥はあまり心に良くないですよ。風呂にでも入ってリラックスしましょうよ」
「すまないみょん。俺が弱いばかりに。どうしても俺のHPが持たない」
「そもそもふたりきりで挑んでる時点でほとんど無茶じゃないですか。キリトが謝ることなんてないですよ。みんなが追いつくまで待つって選択もあるんですから」
「きみは見たことのない世界を見せてくれると言ったよね」
「いまはこの辺りが限界だったみたいです。ごめんねキリト。フロアボスって思った以上の難敵でしたね。この体が弱すぎて、すぐ壁が来ちゃった。修羅の血や六根清浄斬(ろっこんしょうじょうざん)でもいいけど、迷津慈航斬(めいしんじこうざん)や未来永劫斬さえ使えたら、あんな木偶の坊なんか朝飯前なのよ私」
「コボルトロードを木偶と言い切るとはすごいね。コンパク流には、どれだけの技があるんだ」
「一〇〇くらいありますよ」
 真顔で言い切る妖夢に、キリトは唖然とした。
「……ケイガンやゲンゲツでも奥義クラスなのに、まだたくさんあるのか」
「もっと高度な技は、いまのレベルでは体がついてきません。時間をかけてすこしずつ再現してゆくしかないです」
「それでは遅い。俺はもっと、どこまでも強くなりたいんだ」
 つまり早く現実に帰りたいということだろう。当初は妖夢のボス狙い一直線に不満を持っていたようだが、いまではキリトのほうが熱心だ。コペルを許したり妖夢にリーダーを任せたりと、他人との関わりで自分の利益をあまり顧みない彼であったが、こと自分が掲げた目標に対しての執着には、かなりのものがあった。ようは妖夢の方針を理解し共感していくうちに、キリトの第一義へと転じたようである。
「足りないのですか?」
「ああ、時間が惜しい。一日でも早く」
 妖夢がキリトについて知っている情報は、それほど多くない。だからその範囲で、思いつくことを言ってみる。
「それってスグさんとかのこと?」
「……あのときヨウムは、そこまで聞いていたのか」
 キリトは本気になると、みょんではなく本名の妖夢で呼んでくる。
「どうしても気になったんです。ごめんなさい……」
 十数秒の沈黙があり、やがてキリトが口を開いた。
「――茅場晶彦のせいでこんなことになって、俺は後悔するようになったんだ。現状からただ逃げていた以前の日々を」
「リアルに残してきた課題があるんですね」
「スグは俺のいもう……いや」
 キリトはなにか言おうとて、やめた。かわりに問いかけをしてくる。
「ヨウム。俺はこの、意味のないデスゲームに、なにを見出せるだろうか」
「すでに見つけていますよ」
「見つけている?」
「ええ。ありふれた理由ですが、生きて戻るってことよ――キリトは生きて現実に帰って、キリトの宿題をすればいいんです。そのために私は、なんでも協力してあげます。それに」
 思考がまとまらない。言葉を探す。
「それに……なんだ」
「きっとキリトのご家族も、待っているはずです。それがきっとキリトの見つけた、生きる意味。ですからこのゲームはもう、キリトにとって意味のないものではなくなったんです。キリトはキリトの人生の、主人公でしょ? 私も私の人生の主人公で、それぞれのドラマを生きています。だから意味がないなんて思ったら、本当に意味が消えてしまいますよ。その意味づけは、キリトにしかできないの」
「どうしてヨウムは、そんなに俺に良くしてくれるんだ」
 顔を上げたキリトに見つめられ、思わず異性を意識して胸がどきりとする妖夢。なにを期待しているのだその物欲しそうな顔は。
「……時間がないかもしれないからですよ」
 理解しきれないとキリトが首を振る。
「ときどき変なことを言うねきみは。その割には、あまり急いでいる様子が見られない」
「私がやりたいのはボス攻略そのものよりもむしろ、私の持っているものをできるだけ多くキリトへと伝えることですから――キリトが確実に生き残るために」
「前半と後半がズレてるぞ。後半だけに従うなら、はじまりの街に引き籠もっているのがもっとも安全だし楽だ。矛盾している」
 キリトが笑った。妖夢も釣られて破顔する。
「そうですね。それが本来なら、一番楽で確実です。根っこからおかしいわ私たち」
 一通り声に出して笑い合うと、妖夢は肩の荷が下りたような気がした。
「本音をいえばねキリト。私は何度か言っていたように、やはり単純に強い敵と剣で戦いたいだけなんですよきっと。充足を得るために。その相手は人間であっても……そうよ、キリトでも構わない。でもいまはこんな異常事態ですから、モンスターのボスしか戦うべき相手がいなくなりました。キリトに伝えるって言っておいてけっきょく可愛いのは自分かよって、矛盾ですよねこれ。でもそんなものなんです」
 意味なんて取り方しだいでいくらでもどうにかできるいい加減なものだと、妖夢は言いたかった。つまり納得できるのであれば、なんでも良いのだ。人の意識はしょせん、本能と理性の天秤に支配されている。あとはできるだけ良い状態、健やかな心理でいられれば、きっと幸せに近づける。それをキリトも無意識のうちに感じたのだろうか――
「俺も酔狂にこんなことをしてるのは、強敵を相手にして満足したいんだろうな。俺は強いんだって。あとSAO最強クラスで居続けたい。ついでに家族と和解したい。おおっ、もしかしてこれで俺、自己完結した?」
 目指すゴールに誘導できて、妖夢は心で喝采を叫んだ。
「それでこそキリトですよ! キリトの意味と、キリトのドラマを再発見して、回帰したってだけです。単純ですけど、それゆえに重要よ」
「自分を見失いかけてたってわけだな。ありがとう、みょん」
 そのお礼の仕方が愛おしかったので、からかいたくなった妖夢は、いじわるな目で、キリトへこれ見よがしにふふんと鼻息をむける。
「でも最強という目標なら、みょんという強力すぎるライバルが控えていますよ。レベルでも抜かれた二番さん?」
「言ったなこの野郎~~」
 キリトが妖夢を捕まえようと手を伸ばしてきた。思わぬスキンシップに妖夢は緊張したが、他愛ない遊びにすぐ嬉しさのほうが優り、きゃっきゃと童心に戻って騒ぎ立てる。妖夢はようやく、キリトと心のどこかでも繋がったような気がした。たとえそれが幻だとしても。
「やっと追いついたぜ! ……なにやってんだ? バカップルじゃあるまいに」
「まままま、魔理沙!」
 開いた窓から突然の闖入者に、両手を合わせて力比べをするようにじゃれていたふたりは、揃っておもしろい悲鳴をあげた。
     *        *
 まもなく日が暮れようという時間帯であるが、そこに集まっているメンバーの意識は高かった。トールバーナには古代ローマ時代の屋外型劇場遺跡を模した広場があり、煌びやで華やかな面々が会している。なぜならば女性がやけに多いからだ。
 メンバーはまず、数日前からホームとしている魂魄妖夢とキリト。ついで霧雨魔理沙と河城にとり。そのふたりをガードしてきた、クラインにハリー・ワン&イッシン&ダイナム&クニミツ&デールと、いずれも気の良い男ども。さらにたったふたりで辿り着いた射命丸文とその助手兼護衛である犬走椛。最後が男四女二のパーティーで、女は蓬莱山輝夜と因幡てゐ、男はやたら顔の整った二枚目とその仲間たち。男たちの平均年齢はクラインたちよりやや低めといったところか。ハンサムボーイはディアベルと名乗った。黒髪で衣装センスのよい片手用直剣使いだ。のこる三人はリンド&シヴァタ&ヤマタ。高校生と見られるリンドは富士額のおチビで、背がキリトほどしかない――まだ中学生のキリトはこれから伸びるからいいのだ! と、妖夢は心の中で相棒を弁護した。シヴァタは全身を革鎧で覆い、フルヘルメットで素顔が見えない。肌の浅黒いヤマタは適当なチョンマゲと曲刀装備で、サムライっぽい。クラインたちと気が合いそうだ。
 男が九割以上を占めるSAOにあって、女七、男一一の異質な配合比率である。しかも女はいずれも美少女揃いだ。奇しくも全員が幻想郷の関係者であるが、男たちは知るよしもない。ありふれた女子であれば、茅場の宣告から五日でこんなところまで到達する度胸など、そう持ち合わせていないだろう。たとえ武器を使い慣れてない子でも、リアルな戦いそのものには慣れている。そんな様子であり実際その通りであった。容姿水準の高さも人間でない間接的な証である。
 妖怪とはそもそも、人の願望や信心、自然への畏れより発生したもの。女の姿であれば常の女より美しくなるものだ。負の感情により醜く生まれた妖怪女もいるであろうが、すくなくとも幻想郷にその類の醜女は見あたらなかった。もっとも醜い女の化け物は、人間の退魔師や武士によってほとんど滅ぼされたのが本当のところだろう。美とはそれだけで、破れても生き残る可能性を高めてくれる。
 妖夢の場合はちまっとした見た目のおかげで敵が勝手に油断してくれるので、存分に利用している。ほかの子にも妖夢が知らないだけで、美にまつわるサバイバルの逸話がいろいろとあるだろう。
 トールバーナのボス戦会議を仕切ったのは、様々なMMORPGでリーダー職の経験が長いと自己紹介したハンサム、おそらく二〇歳前後のディアベルだった。ひとりで石畳のステージに立ち、みんなを見回す。劇場遺跡はすり鉢構造をしていて、ステージを取り囲むように石段が配されていた。集まった面々はパーティーごとに散らばって座っている。
「俺はディアベル――職業は、心持ちナイトを少々たしなんでま~~す」
 男たちよりすぐに突っ込みが入る。好意的なものが多い。全員が戦士のSAOに、システム上の職業はない。あるのはリーダーに向いたスキルや装備・前衛に向いたスキル構成・おなじく後衛に・壁戦士・ソロ・コンビ・職人、といったキャラ作りの違いだけだ。ディアベルの冗談で場がなごんでいる。掴みは完璧。たった一言で会議の空気を変えたことに妖夢は感心した。リーダー職が長いというのも頷けた。
「マナー違反だと分かっているがあえて聞きたい。みんなのレベルを教えてくれ。これはデスゲーム開始からまだ日が浅いからこそ、どうしても確認しておくべき大切な情報なんだ」
 魔理沙やクラインたちは五から七、文&椛は七&八、輝夜やディアベルたちは六から八であった。ディアベル自身は八だ。最後に報告した妖夢の一一とキリトの一〇が突出していた。ふたりの異様なハイレベルぶりに、ほかの男たちからざわめきが立つ。
「ここにいるメンバーは狩りやクエストもそこここに、最前線を目指して邁進してきた勇気ある面々だ。したがってレベル的にも、現在考え得る最精鋭だと思う。はじまりの街より出てきた人のほとんどは低い経験値のモンスターばかりを相手にしていて、よくてレベル四から五が関の山だろう――しかし残念ながら俺たちでも到着が早すぎて、まだ安全マージンが足りないと思う。俺が伝え聞いたベータ時代の話を総合すれば、最低でも八は欲しい。したがって全員が強くなるまでレベリングを行い、それから……」
 ディアベルは白くそびえ立つ迷宮区を指さした。
「ボスを倒し、このゲームがクリア可能だってことを、はじまりの街で待っているみんなに、伝えよう!」
 共感した男たちが、拍手やエールを送る。女たちもいちおう拍手はする。
「方針について、なにか質問はないか?」
 魔理沙が手をあげた。
「人数が少なすぎる気がするぜ。私なら四〇人以上は欲しい」
「その人数が集まって、かつ安全マージンに達するまでいったい何日かかるのか、という問題があると思う。きみもゲーマーなら理解していると思うが、人が少ないほど分け前も大きい。いくら死んだら終わるデスゲームといっても、きちんとしたレベルさえ確保していれば、決まったルーチンワークしかこなせないたかがプログラム、必ず勝てるはずだ。俺を信じて、ついて来て欲しい。もちろん誰も死なせる気はない。危険と判断すればすぐに退くつもりだ。この一戦において、安全確保は論じる必要も覚えない大前提だ」
「そこまで言うのなら、私も腕に覚えくらいある。お手並み拝見といくぜディアベル。おまえが失敗したら、つぎは私が率いてやる」
 つづけてクラインが手をあげた。
「俺もゲーマーの端くれだし、ここまで先んじて来られたからにゃ、先手必勝に憧れもするぜ。だから基本的に異論はねえが、ひとつ心配がある。この人数だと一人当たりの負担が大きいよな。だからそこの子――ハッピーラビットだったよな。完全にお子様だけど、ボス戦は大丈夫か?」
 大人の立場からクラインが危惧したのは、因幡てゐのことだ。アバター名ハッピーラビットは、身長一三〇センチ台とダントツのチビ。外見はどう見ても小学生で、一〇歳ほどにしか見えない。しかもふさふさで大柄なウサミミまで付けていて、子供趣味全開だ。
「あら。私がボスを見て、怖じ気づくとでもいうのかなクライン?」
 見た目に似合わぬ挑戦的な発言をするてゐの赤い瞳に、いたずらな光が宿っていた。癖毛の髪はきれいな黒色のショートカットで、幼いだけに美しい艶が入っている。最大の特徴はやはりウサミミだ。ふさふさのそれが頭よりかわいらしく生えており、左右に垂れていた。防具は申しわけていどに革の胸当てを付けているのみで、衣服はピンクのワンピース。ベルトはなく、長さは膝下まであり半袖だ。足はなんと裸足である。両腕にもなんの装備もない。武器は背中に短剣がひとつ。
「ハッピーラビットは前線で戦う十分な強さを持っている。それはパーティーリーダの俺が保証しよう」
「でもよう。軽装すぎんじゃん」
「軽装というなら、みょんに至っては一切の防具なしね。もし私の参戦が不安ならあんた、手合わせでもして確かめてみる?」
 挑発的な流し目を投げかけて、ハッピーラビットこと因幡てゐが立った。
「……そう言うんなら、試させてもらってもいいけどよう」
 クラインも立ち上がったが、あまり乗り気でないようだ。
 てゐがメニューウィンドウを呼び出し、デュエル申請をクラインへ送った。それを受領するクライン。モードは初撃決着。
「私がいればこの攻略戦、勝利は確実だよ。足下をぜんぶ四つ葉のクローバーにもできるんだから」
 自信たっぷりなてゐの表情を見て、妖夢は何日かまえに抱いた自分の懸念がまったくの杞憂だったことを悟った。輝夜がてゐをお伴に選んだのは、裏付けがあったからだろう。そう――てゐは輝夜の影響を受けたのか、いつのまにかいっぱしのゲーマーになっていたのだ。だがクラインもゲーム歴は長いし、妖夢とキリトから強い刺激を受けているはずだ。この勝負、結果が読めない。ただ、てゐの幸福能力はSAOだと消えてしまうはずなので、ウサギ娘の不可解な発言の意図が掴めなかった。
 ディアベルが審判役を務める。ステージへと降りたてゐとクラインの間にタイム表示が出ており、二五……二四……と減っている。これがゼロになった瞬間、ふたりのHP保護は当事者間のみ限定で解除される。町の中は圏内と呼ばれ、システム的にプレイヤーのHPやステータスは保護されている。それでもデュエルモードだけは例外だ。
 デュエルには三種類のモードがあるが、HPがゼロになったとたん本当に死ぬいまの浮遊城アインクラッドにあって、初撃決着はほぼ唯一の選択肢であった。先にシステムが判定する有効強打を入れたほう、または相手のHPを半減させたほうが勝つ。
 クラインの武器は片手用曲刀だが、空いた左手に盾はない。おそらく両手持ち属性となるカタナを目指しているから、盾は不要と思っているのだろうか。てゐはぶらぶらと散歩でもするように辺りを歩いている。タイム表示が二まで減ったところで、ようやく武器を抜いた。とたんそのポーズが劇的に変貌する。まるで特殊部隊のナイフ使いみたいに腰と体をかがめ、さまになる体勢で短剣を顔の高さに構える。表情は、わざと嘲笑。
 意表をつかれたクラインの集中力が回復するまえにタイムがゼロとなり、試合開始となった。ウサギのように跳ねたてゐがクラインへ突進する。だがその先制攻撃はぎりぎりのところでクラインに弾かれた。キリトや妖夢の刺激を受けてわずかな期間にかなりの修練を重ねたようで、クラインはレベル以上の力を発揮できるようになっていた。てゐのワンピースが反動でめくれあがるが、下にはちゃんとスパッツを穿いている。
 てゐが派手な機動戦をおこない、一撃離脱を繰り返す。それなりに重武装で動きの遅いクラインはつねに迎撃する形だが、その剣筋も足運びも、初日と比べて格段に進歩している。おそらくソードスキルのモーションなどを研究して吸収したのだろう。ふたりともソードスキルはまったく使わない。様々なプラス補正効果と引き替えに、ソードスキルには避けられると絶望的な隙を晒し、また技後硬直も長めという欠点がある。防御の甘いモンスター相手であればまだよいとして、対人戦ではなかなか使いづらいだろう。レベルが上昇すれば初期ソードスキルほど隙が減って使いやすくなるはずであるが、レベル一桁台の現状では、どのような技でも、回避されればすぐ敗北へ直行だ。
 実力は完全に伯仲。戦闘は長期化しつつも意外な熱戦となり、一分も経ったころには声援が飛び交っていた。システムの認めるクリーンヒットは起こらず、かすりヒットやジャブ的な牽制打によってじわじわとHPが減ってゆく。HPバーの減り方は両者ほぼ同等。最後は四分すぎにクラインの横撃がてゐの短剣をその手より弾き飛ばし、てゐの降参で終焉した。HPはふたりとも四割ほど削れており、ペース的にいずれ二分以内に決着がつくところであった。惜しみない拍手が劇場遺跡に響いた。誰しもがクラインとハッピーラビットの戦いに満足していた。
 てゐとクラインが握手をかわす。
「あんた強いね。奇襲も挑発も効かなかったし、油断もしなかった。最初はただのケチ付けかと思ったけど、私を心配する資格があるわ。見直したよ」
「俺も節穴だった自分の目を恥じるぜ。リアルとちがって、この世界はレベルとステータスに、腕と度胸がすべてだったな。そのお転婆ぶりと腕っ節なら、その辺の男よりよほど頼りになるわな」
 てゐは短剣を拾うと自分の座っていた席に戻っていった。輝夜がポーションを渡すと、飲んで苦そうな顔をした。清楚系お嬢様の輝夜といたずら兎が並んでいる絵は、歳の離れた姉妹のようだ。一方のクラインは仲間たちとハイタッチ。HPは減ったに任せたままだ。放っておいても宿で寝れば朝には完全回復している。精神衛生上の問題というだけだ。
 攻略会議が再開された。クラインとてゐの対戦がカンフル剤となったようで、積極的かつ建設的な意見が飛び交った。最後のほうになって、ディアベルがようやくボスそのものの具体的な内容に触れる。
「聞いた話では、この中にすでに迷宮区を最上階まで踏破し、ボスと試しに戦ってみたパーティーがいる。偵察情報を提供してもらいたい」
 かなり上のほうで離れるように座っていた妖夢とキリトへ、一斉に視線が集中する。キリトが居心地悪そうに体ごと横を向いてしまった。ここは私が出るべきだろうと、妖夢は立ち上がった。妖夢の解釈では、キリトのコミュ障傾向はおそらく家族との連携がうまく行ってなかったことが原因で、そのコンプレックスの根本が現実世界にある以上、SAOより解き放たれない限り解決の入口にも立てないのだ。キリトはこの攻略会議でまったく発言しておらず、有益な知識と経験をたくさん有しながら聞き専門に甘んじている。だからこういったシーンではできるかぎり自分がフォローしてあげようと、妖夢は決意した。
「迷宮区には亜人型モンスターのコボルト族が数多く出現し、その半分ほどがソードスキルを使います。上層ほど強力になりますので、気をつけたほうがいいですね。迷宮区のマップに関しては攻略率六割ていどですが、あとでみなさんにお渡ししましょう」
 あきらかに安堵の雰囲気が広がった。マップがあるのとないのとでは、ダンジョンの難易度がまったく違う。
「二〇階にいるフロアボスの名前はイルファング・ザ・コボルトロード。やはり人型で体高三メートルほどです。盾と斧を持ち、もちろんソードスキルを放ちます。HPは四段。正確な数値は不明ですが、ノンブーストのソードスキル換算でおそらく三〇〇から四〇〇撃は当てないと倒せません。このボスには三匹の取り巻きがいまして、ルインコボルト・センチネルといいます。全身鎧を着込み、金属製の棍棒を持つ重装備の戦士で、やはり人型。おなじくソードスキルを使います。コボルトロードのHPが一段減るごとに三匹ずつ湧出しますので、優先的に倒すべき目標となるでしょう。弱点の喉元を狙えば、ブースト込みのソードスキル換算で四ないし五発で死にます。通常攻撃なら十数撃ですね」
 射命丸文が猛烈な勢いでメモを取っている。さすがリアルで新聞記者をやってる天狗の報道部隊だけあって、速記はお手の物だ。
 妖夢は一呼吸置いた。ここから先は、どうしても妖夢とキリトが突破できなかった壁だ。HPがフルであればどうにかなるかもしれないが、すでにだいぶ消耗してしまった状態から挑むことになる。HP回復なんてとても間に合わないので、キリトのHPバーが注意域のイエローゾーンに達したら即撤退だった。
「――なお、コボルトロードは最終段のHPが赤色になると、武器をカタナのノダチに変えます。これはベータ時代のタルワールとまったく違うそうです。いわゆるバーサク状態になりますと、ベータ時代の最高到達点だった第一〇層で確認された、カタナのスキルを放ってきます。ダメージ量が増え、範囲攻撃まで加わります。さらに即死級と見られるやっかいな三連撃があり、なかなか手が付けられません。武道経験者でないと、カタナスキルを初見で見切るのは不可能に近いでしょう」
 情報の持つ意味にキリト以外の男性が全員、驚愕の表情を見せた。レベル一一とレベル一〇のペアがたったふたりきりで、フロアボスを攻略寸前まで追い詰めたと、告白しているようなものだったからだ。もはや偵察といったレベルではない、ガチ攻略バトルだった。もしこのローティーンエイジャーコンビにもうすこし力があれば、こうして攻略会議なんて開いていられなかっただろう。女性陣は涼やかなものだ。魂魄妖夢ならばこのていど、やってのけるとよく知っている。魔理沙とてゐは面白がってさえいた。
「……カタナか! カタナがあったんだなみょん吉!」
「はい。間違いなく」
 クラインの目が輝き、ガッツポーズを取っている。カタナおよびスキル確認。敵が使うならいずれプレイヤーも使えるだろう。武士プレイが目標のクラインにとって、妖夢やキリトの壮絶な強さに驚く以上に、待ち望んでいた吉報であった。おなじような表情を、おそらく武士プレイが目標と見られる、ディアベルパーティーのちょんまげヤマタも見せている。分厚い二重まぶたがちょっと面白い。
 ディアベルがすこし考えて、言った。
「みんなの中に武道経験者はいるかい? ――みょんさんはもちろん該当者だね」
「はい。私は剣術を中心に古武道を嗜んでいます」
 妖夢につづき、キリトが控えめに手をあげた。小声でぼそりと。
「……過去形だが、剣道を」
 さらに犬走椛が挙手した。髪型の一部が犬耳に見える、おとなしめな白髪の美女。外見年齢は一八~一九歳ほど。装備は片手用曲刀のシャムシールに、カイトシールドだ。アバター名はメイプル。
「仕事でいつも真剣を扱ってます」
 抜き身の刀、すなわち観賞用や格好付けのナマクラではない、人を殺せる本物の刃を、細身の女子が振るという。さすがに男どもがざわついた。
 ディアベルがそれを静めるように手を叩く。
「コボルトロードの終盤はいまの三人を中心に戦って貰うかもしれない。もちろん余裕があれば、みんな参戦してくれ」
 あとは明日の冒険をどうするかの摺り合わせが行われ、妖夢が迷宮区のマップデータを希望者に提供したところで解散となった。
 終わると同時に魔理沙が寄ってきた。魔法使い帽子を跳ね上げて、妖夢に催促する。
「――命名結晶、プリーズ」
「はいはい」
 再会直後は変なところを目撃され、その後ずっとからかわれて焦りまくり、とてもそれどころではなかった。
 妖夢はストレージより薄茶色をした缶コーヒー大の結晶アイテムを取り出す。受け取った魔理沙は興味深げに一〇秒ほど命名結晶をこね回していたが、使い方をプロパティで確認すると、自分のアバター名を変更すべく使用した。魔理沙の手にあった結晶が弾け、うっすらと消えてゆくと、その黄金色の瞳を写すように、ちいさな入力ウィンドウが出現した。すでに決めていたアバター名をすぐに打ち込み終える。魔理沙を見てみると、HPバーの上に表示される名前がYoumuからMarisaに変わっていた。
 注意を促す音声が鳴り、妖夢にインスタントメッセージが届いた。対象者にのみ送られるダイレクト型システムアナウンスだ。
『フレンドのYoumuがMarisaへと改名しました』
 顔の広い魔理沙らしく、広場にいた人の半分以上が同様のメールを受け取ったようであった。魔理沙へ多くの顔が向く中、ディアベルだけは妙な表情だった。彼は仲間との話し合いを切り上げると、妖夢と魔理沙、キリトの三人に近づいてきた。
「ヨウムさん、もしかしてきみはウィッチ・マリサか?」
「マスタースパークを食らいたいか。こんな帽子を前線で好んで被るのは私だけだぜ。気付けベータテスター」
 どうやらディアベルは魔理沙やキリトとおなじ、元ベータテスターらしかった。
「……本当に女だったのか」
「また言われたぜ」
 魔理沙は別に気を悪くした風には見えない。
「今後は魔理沙でよろしくだなディアベル。じつは本当の妖夢はこのみょんだぜ」
 思わず「どうも」と挨拶してしまった妖夢だが、ディアベルは魔理沙しか見ていない。
「勿体ないな。いまの金髪ロングのマリサさんのほうが、黒髪セミロングだったベータ時代より、ずっと美しい」
「好きで金髪に生まれたわけじゃない。髪とおなじ私の瞳や、いかにも日本人然とした顔の造りを見ればわかるように、ただの突然変異だぜ。欧米人とのハーフならまだしも普通の日本人だから、たまには黒髪黒瞳に憧れもする。口説くならおととい来やがれだぜプレイボーイ」
 人間として生まれた魔理沙の変わった髪や瞳の色は、先天的に備えた強力な魔力のせいだ。幻想郷でなければその才能に発現することも、ましてや育てることもなかっただろう。
「見た目で型に填めようとするのはきみの悪い癖だよウィッチ。俺はこう見えて一途派だ」
「知ったこっちゃないぜ。私はベータのディアベルを知らない」
「俺は勇者シシオウだ」
「勇者……」
 斜に構えて余裕を見せつけてばかりの魔理沙が、珍しく驚くような表情を見せた。
「動揺してもらえて、光栄だね」
「シシオウこそ逆詐欺だろ。アバターより実物が二枚目すぎて笑えないぜ。どこの芸能人だよ。それにディアベル……ベータテスト時と名前の繋がりすらないんだな」
「マリサさんと似たような動機だな。日々やっかまれるのはリアルだけで勘弁ってわけさ。だからゲームごと、仕切り直すごとに新しい自分を創っている。いまの仲間に俺はベータの件を知られたくない。この顔でさらに元テスターと知られたら、余計な反感は避けられないだろ?」
 元ベータテスターがこのデスゲームで圧倒的に有利なのは妖夢も理解できる。もしかしたら後方では、すでに深刻な亀裂が生じているかもしれない。人は不満の捌け口をおもに少数派の異分子へと向けるものだ。茅場晶彦は神のごとき存在となり、遠すぎてどうしようも出来ないから、手近な者が対象となってしまう。黙考していた魔理沙は軽く頷いた。
「……遊び方は人それぞれ。考え方もしかり。了解したぜディアベル。尊重しよう」
 魔理沙は妖夢とキリトを向いた。
「ふたりともこの件は他言無用に頼む。かぐ――ルナーとハッピーラビットにもだ」
「わかりました」
「了解」
 ディアベルは軽く頭を下げた。
「恩に着る」
「ならトレードで、私のやり方も導入してもらえるかな?」
「それとこれとは別の話だ。今回はまず俺が主導権を取った。だから俺のやり方で行かせて貰う」
「じゃあ代わりにラストアタックはうちのみょんが戴くぜ」
「俺も強くなっている。楽には渡さない。そうそう、俺の勇者は廃業だ。会議のとき名乗ったように、いまはナイトだ」
「騎士ディアベルね。私のようなお姫様をこの浮遊城より解放するのは、熱血の金色勇者より白馬の王子様のほうが似合いそうだぜ」
「言ってろ。たんにベータ時代と違う称号でないと、俺の都合が悪いだけだ」
 指で銃の形を作り、撃つ動作を真似てから、魔理沙がからかった。
「おいディアベル。ひとついいことを教えてやる。おまえの新しい名はな、イタリア語の方言で悪魔を意味してるぞ」
 イケメンは顔面を手で覆って、首を横に振った。
「……語感で選ぶもんじゃないな。験担ぎということにしておいてくれ」
「ウィッチとデーモンは、魔法使いと騎士より相性が良いと思うんだぜ。だから次回からは私の提案も勘案しておいてくれ」
「こんなデスゲームじゃ、協力もやむをえないか。考えておこう。じゃあな」
 ディアベルと魔理沙は拳をぶつけあい、にかっと笑い合った。
 事情はよく知らないが、妖夢にはそれが、すがすがしいライバル関係の一コマに見えた。
 そのまま去ろうとしたディアベルであったが、妖夢は用件を思い出して声をかけた。
「悪魔さん」
「早速からかうのはよしてくれないか」
「あの、ついごめんなさい」
「なにか用かい、みょんさん」
「私が預かっている染髪アイテムの件ですが」
「……いくらになる?」
 ディアベルは表情こそあまり変えなかったが、それゆえ顔に「欲しい!」と書いてあった。きれいな黒髪だと思うんだが、どうするんだろう。
「え、あの、お値段はルナーさんからは?」
「そこまでは聞いていない。言い値で買わせて貰おう」
 相場なんか知るわけがない。技倆に負うところの多い妖夢のプレイスタイルはたいしてお金を必要としないが、だからといってあまりに安くしすぎると、魔理沙関係者が妙な恩を売ろうとしていると誤解されかねない。困った妖夢は、知っていそうな人に頼ろうとした。だが魔理沙はすでに射命丸文と犬走椛の新聞記者コンビに捕まっていた。リネームアイテムについて取材を受けているようだ。
 慌てて周囲を見回し、最後の手段。
「キリト~~!」
 耳を押さえたキリトがひとり。
「……そばにいるから、迷子の子猫みたく啼かないでくれ。みょんの声はいささか甲高い」
「ごめんなさい。あの、相場わかりますか?」
「四〇〇〇コルってところだな」
「高くない? すこし上の層にいけば売ってるんでしょう?」
「それは決まった色にしか染められない染髪料のことだ。みょんが持っているアイテムは、あらゆる色を自由にカラーリングできるレアアイテムだ。稀少品には、相応の礼を払うべきだと思う。みょんが気前よくマリサに渡した命名結晶は、プレイヤーオークションで一万コルをオーバーしても不思議じゃない」
 たしかに、はじまりの街には一〇〇〇人単位で元ネカマが引き籠もっているはずだ。彼らは一日でもはやく男性名へリネームしたいところだろう。フレンド登録やパーティー参加をはじめ、いろんな面で支障がある。
 向き直った妖夢はディアベルへ値段を提示しようとしたが、ディアベルはすでにトレードウィンドウを開いて四〇〇〇コルを準備していた。異論はないので妖夢もトレードに応じる。こうして臨時収入はおもわぬ金額となった。
 ディアベルはさっそく使用方法を確認しつつ、妖夢に話を振ってきた。
「彼氏さんはベータだよね。さすが、お互いに後腐れのない価格を突いてきた」
 予期もしなかった主語の奇襲に、妖夢の顔が一瞬で真っ赤に染まった。耳たぶまで熱い。
「かかかか、彼氏とは……違います」
「へえ、意外だな。お似合いなのに。それでは俺はこれで」
 爆弾を落としていったディアベルは、さわやかな笑顔を残して去っていった。
 のこった二刀流ペアは、ふたりして並んでいる。
「…………」
「…………」
 沈黙に耐えられず、妖夢は誤魔化して頭を掻いた。
「え、えへへ、お似合いですって。おかしいわよね」
「ダブル二刀流でコンビパーティーだから、端からはそう見えるんだろう」
 キリトの頬にもすこし赤みが差していた。
 このままではいけない。おかしな空気を消すべく、妖夢は話題を探す。
「魔理沙とディアベルって、なんのライバル関係なんでしょうか」
「……攻略指揮官としての、かな。ウィッチと勇者は、フロアボス攻略の回数を競い合ったライバルだったよ」
「魔理沙って、思ったよりすごい人?」
「ベータ時代に倒されたフロアボスは九体だが、ウィッチが四体、勇者も四体。もちろん群を抜いていた」
 二人だけで大半を倒したことになる。
「……どうして協力し合わないんですか?」
「指揮スタイルがぜんぜん違うんだ。マリサは後方で指示することの多い魔術師タイプ、ディアベルは自ら剣を振るうことも多い勇者タイプ。ほかに回復POT大量の司祭や、ロングレンジからの一斉投擲を好むシーフ、あとは個人プレイだけど、占い師に忍者もいたかな」
 RPGとは、わかりやすい喩えだ。
「ベータ時代の和気藹々(わきあいあい)とした雰囲気が伝わってきそうですね」
「いまのデスゲームこそが異常なんだ。ソードアート・オンラインは、本当は楽しく遊ぶゲームなんだから」
「たしかにそうですね――ねえキリト」
「なんだい、改まったような声で」
 ゆっくりと、心を込めて妖夢は伝えた。
「クリアしましょうね」
「……ああ。そして俺は、現実に帰ってやる。家族とやり直すんだ」
 胸がちくりと痛む。
「私も、戻るわ」
 だが妖夢は、キリトよりも先に帰ってしまう可能性が高いと思っている。残されたキリトへどこまで、生き残るための技を伝えることが出来るだろうか。


※二刀流が再現可能
 物理的な威力が生じれば必ずダメージ判定が起きる仕様なので、イレギュラー装備状態だろうが有効打でありさえすればOKと解釈した。
※スキルスロットの数
 原作基準。レベル六で三個、一二で四個、二〇で五個となり、あとはレベル一〇刻みで一個ずつ増える。
※シシオウ&金色勇者
 ディアベル役を担当した声優はガオガイガーの人。狙ったキャスティングと思われる。

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