* Fekt Ear
「は、反乱ですって?」
それは耳を疑う単語だった。しかしサリィは嘘など言わない。顔の真剣さが証明していた。
「同時蜂起により、主要な星系のかなりが襲われているとのこと。エアーさま、このウグレサーロ星系にも一軍が侵攻しております!」
悲鳴が響いた。侍女たちが混乱している。崇拝にも似た絶対的な信頼があるためか、サリィがどうやって情報を得たのか、誰も不思議にも思わないようだ。無条件で信じている。逃げだそうとする者、寄り添って泣きはじめる者、わけもなくうろうろする者、箒をふり回す者、副侍女長エートゥ・レミのようにすかさずエアーの周りを固めるも手足は震えてる健気な者、さまざまだった――が。
「おだまり!」
侍女長フォレー・メリの一喝が、混沌とした室内を一瞬で鎮めた。
「――さすがは仮にも軍家の娘、有事にはお強いのですね。鼓膜が痺れましたわ」
「私もたまには役に立ちますでしょう?」
「たまにはって……自覚してますのなら普段からなんとかしてくださいな」
イートゥ親衛中隊の護衛を受け、侍女たちを引き連れて、エアーとサリィは宰相府へと向かった。戦車並の防御力を誇る浮遊車に分乗して。八五〇平方キロもある王城は、歩いて移動するには広すぎる。
広大な王城はにわかに混迷の度合いを増していた。あちこちで爆発が起き、小規模な戦闘になっている。銃声がするたび、侍女たちは首を竦めて縮み上がった。
誰が裏切っているのか全容がまだ確定していない以上、宮内を守る近衛兵ですら誰も信用できないというありさまだ。エアーにとって宮廷内で真の味方といえるのはもはや、三名の宮家司と直属の親衛隊、そして侍女団しかいなかった。
いや、味方は空にいた。回廊の天井が透明なクリスタルに変わったところで、エアーは真上を飛ぶ八つの赤い光点を目にした。車列を守るように追従してくる。
政治の中枢・宰相府は王城ウグレクセトゥレメの一角、第七離宮に置かれている。四隅に立つ尖塔が強靱な防御帆を展開し、青白く輝いていた。上空には赤い天馬が一〇〇騎は張り付き、睨みを利かせていた。
正面玄関前につくと、エアーを守っていた八騎の中でひと回り大きな機体が下降し、直上を固めた。視界に収まらないほど長大な二本の光器を抱え、どっしり構えている。
車から降りて天馬の腹を見上げ、エアーは安堵の声を漏らした。
「レットゥ・フーレイですわね」
『姫さん、さっさとお入りなって』
拡声でエエ・クトゥーレイ准将の声がした。
「エエさん、姫はおやめになってください」
『騎士といえば女王より姫を守ってるほうが絵になるっしょ? だから姫さんだよ』
「もう、仕方ないわね」
宮殿に入ると、まっすぐ宰相執務室へと向かった。本宮に比べて広さは四〇分の一しかないが、それでも三五階建てで横幅が高さの一六倍あるという建造物だ。移動廊下をかなり進まなければならなかった。内部要所を固めているのは元からの警備員に加え、憲兵や陸戦、機械兵の混合部隊だった。頼もしいはずの彼らを見るに従い、エアーの表情はかえって曇っていった。
宰相執務室ではナウィが待っていた。宰相か公爵・王族にしか許されない四枚の宮羽がX字に展開し、ナウィを後光で彩っている。
「ご無事でなによりです」
「ずいぶんと落ち着いておりますのね。反乱が発覚してまださほど経っていませんのに、宰相府だけ守りが万全というのはどういうことでして?」
「……お気づきでしたか」
「気づきましてよ。王位についてから手配には意外と時間がかかることを勉強しましたので。これだけの警備を整えるには、少なくとも半日はかかりますわ。つまり式典の最中にはすでに情報を得ていたことになります」
エアーの口調は厳しかった。
「どうして激発を未然に抑えなかったのでして! 死ななくて良かった兵士がこのいまも亡くなっておりますわ! ――私に隠して、なにを企んでおりますのナウィ宰相」
「…………」
ナウィはしばし、黙っていた。
「お答えになって」
「……フォッリからは?」
「え?」
振り向くと、後ろに控えていたサリィが、首を横に振っていた。
「サリィまで――」
「お許しください。ナウィ宰相からは伝えても伝えなくても良いと言われていましたが、私が悩んでいるうちについに事が起こってしまいました。まさか今日だったとは」
「つまりサリィはおなじ宮家司なのに、蚊帳の外でしたのね」
ナウィが頷いた。
「未成年には、少々酷ですので」
「ならキークゥリ外務大臣はどこまで知っておりましたの? いまはミケン連邦に行ってますけど」
「外から情報で協力してくれています」
「……で、宮家司の企みはなんですの? 私利私欲で動くとはさすがに思えませんが」
「長くなります……」
会話が苦手な彼としては、きわめて努力して、全貌を語ってくれた。
* Naui Naue
近年王国ではファオト一世、ソエセ三世と二代つづけて若年王が即位した影響で、佞臣や悪吏の跳梁を許し、政治は水面下で腐敗している。さらにエアー一世は史上最年少の即位であるからには、もはやまともな権力構造を長くは維持できない。国を救うには、抜本的な外科手術を行うしかない。
そのためまず中枢から特権貴族を排除する。さらにエアーと貴族を切り離す。彼らのプライドを傷つけ、怒るような挑発をあらゆる機会を利用して繰り返す。偽装して貶めるのではなく、反乱の既成事実を作らせるのだ。大義名分・正義はこちらのもの、生殺与奪は思いのままとなる。
「一極計画を進めるための内閣改造だとばかり思っていましたけど、思えば不自然でしたものね。民主化の発表や侯爵位の辞退以外にも、いろいろとおやりでしたでしょうね」
「その通りでございます」
ナウィはまた長々と時間をかけて、絞り出すように説明した。
つぎの宰相が誰になるかという折、大貴族どもがよくエアーへ取りなしを頼んでいた。ナウィに内定していたので、エアーは彼らをなおざりに相手していた。あまりに適当だったので、期待を持たせるようなことも無責任に放言していたらしい。
ナウィが宰相になった後も、じつは不満を持った貴族の登城は毎日のようにあった。新任の宮内大臣に言付けて、ナウィは彼らを門前払いしていた。官庁からも特権貴族の人脈をあらかた左遷した後だったので、それだけで事は済んだ。
噂も派手にばらまいた。エアーは宮家司の傀儡にすぎない。このままでは貴族の既得権益は今後も侵され、やがては水を絶たれ、砂漠の中で枯死させられるだろう。ならば、権力を奪うべきだ……
当初はナウィらの暗殺で事を済ませようという動きもあったが、憲兵を掌握したエエ国防大臣の手により、未遂に終わっている。そして『こうなれば軍事行動を起こすしかない』と思わせるよう、リストアップすれば本ができるほど、さまざまな手を使っていた。
* Fekt Ear
エアーはあきれて嘆息した。
「傀儡はまったくの事実ですわね。それは腹が立つでしょうね。でもそこまでして反乱を煽り、あえて国賊の汚名を着させるほど、彼らは罪深いことをしてきたというんですの?」
「澱んだ水に生まれた小魚は、自分の住処がいかに汚いか自覚できません」
「患部が治癒したとき、ウグレラルナの病み具合が分かる、というわけね……裏があるかもしれませんが、いまは信じるしか私に道はなさそうですわね。ですがすこし私の気が済むよう、報復させてください」
「なんなりと」
「頬をお出しになって」
ナウィはエアーが届くようにかがむと、黙って頬を差し出した。エアーは手袋を脱いで左手を素手にすると、ナウィの頬を打つ動作を見せて、しかし途中で右手を伸ばし、ナウィの額になにか押し当てた。
それは黒い油性ペンだった。執務室内にまぬけな音が響き、ナウィの額にでかでかと『COLR《クゥラー》(肉)』と書かれた。トフォシ・ソエセ語で肉は隠語で下僕を意味する。
「これで勘弁してさしあげますわ。反乱を無事鎮圧するまで、消してはなりませんことよ」
手鏡で額を眺め、ナウィは苦笑した。
「小生は今後、女王陛下の忠実なしもべでございます――」
* Ee Ktowri/Reto fwri
首都星系ウグレサーロへ襲来した一軍は、四〇光年天南のフォッレメ星系に駐留していた南天艦隊の護国主艦隊二四隻、天馬二万六〇〇〇騎と見積もられた。指揮は本来の提督ではなく、門閥貴族の一人、二一八歳になるオッラレ老公爵が執っている。わずか半日前の国葬にもなに食わぬ顔で参列していた。
迎撃するは、再編されたばかりの烈花分艦隊一二隻、天馬一万三〇〇〇騎だ。所属は壊滅した北天艦隊から親衛艦隊へ移っているが、元の親衛艦隊そのものが二隻を残して消滅していたため、エエ・クトゥーレイは事実上の親衛艦隊司令官代行だった。
地上反乱の鎮圧を千騎長の一人トフォナー大佐に任せると、エエは騎士団を率い、艦隊ごと宇宙へとあがった。一〇〇〇騎ばかり地上に残るため、動員できる天馬は一万二〇〇〇騎となる。
「オッラレじいさんか……大将を解任されたのならおとなしく蟄居してればいいものを。そうは思わないか、レーレ大佐」
レットゥ・フーレイのコクピット内壁に参謀長レーレ・エミ大佐の上半身が映っている。
『後方で物資をたらふく食べても、彼の胃袋はなお足りないのでしょう』
オッラレ・リフ公爵は軍需物資の大規模横流しを主導していたという嫌疑で、エエ国防大臣が就任してすぐに軍籍を剥奪されている。公爵はファオト一世へ娘を嫁がせた姻戚で、エアーにとって祖母の父となる。これにより裁判までは行かなかったが、最低数年は自粛して謹慎するのが慣例なのだ。
レーレ参謀長が状況を確認して伝えてきた。
『クニフォセ上空にいたすべての民間船とステーションが、軌道上から退避しました』
「下に連絡だ。クニフォセ、防御圏展開」
『はっ』
レーレからの連絡を受け、首都星クニフォセの防御機能が始動した。クニフォセは衛星軌道上に七つの巨大で薄い浮遊リングを抱えている。それに変化が起きた。惑星を取り囲むリングのすべてが、内外に向けて青白い帆を高々と掲げはじめたのだ。太陽のプロミネンスのごとく蠢くエネルギー場が、さらに強力な結界を惑星全体に巡らしてゆく。やがてクニフォセは全体が青白く輝く力場によって完全に覆われた。
『南天艦隊護国主艦隊、第五惑星軌道到達』
「各惑星軌道の星系砲陣はなにをしてる? まるで攻撃しないじゃないか」
星系全体に小型の無人攻撃小惑星を配置し、全方向からの侵攻に対し、防衛する。それが星系砲陣の正体で、ウグレサーロ星系では一万基以上ある。連携した破壊力は下手な艦隊以上のはずが、機能不全に陥っていた。
『クニフォセで星系砲陣の管理基地が乗っ取られ、コードを送られていることで無効化された模様です』
「鎮圧は?」
『まだです。地上部隊は基地のかなり手前で奇襲を受け足止めを食らってます』
「ラシニ・トゥエシ」
近侍官のラシニ大尉が出る。
『はっ、団長。話は聞いておりました』
「なら早い。貴官から詳細なデータを送り、トフォナー・レイに天馬で基地ごと破壊させろ。コードさえ切れれば自動攻撃モードになって人工知能が敵味方を判断できるはずだ」
『彼女自身の判断ですでに向かった模様ですが、護国騎士団が数百騎潜んでおり、激戦がはじまりました』
「……いつのまに敵が! いや、それ以前に地上でこの数の天馬同士が戦えば、クニフォセといえども焼け野原になるぞ!」
天馬の装備は強力だ。とくに搭載している弾頭は一撃で最高半径数百キロを破壊しつくす反応兵器で、防御機能のない未開惑星で地球ていどの大きさなら、一騎で地表の四分の一を地獄にすることが可能なのだ。
案の定、眼下の地上では巨大な光点がつぎつぎに生まれては消えていた。惑星全体に張り巡らされた力場の影響で爆発は規模を抑えられているが、それでも破壊が終息した跡では、拡大投影すると防御尖塔を備えた一部の施設以外すべてが、真っ黒な灰燼と化していた。輝きがひとつ発生するたび、万という単位で人命が消えているはずだ。
エエは回線を開いて、大声で叫んだ。
「トフォナー退け! 戦ってはならん! 王城ウグレクセトゥレメと首都エオーネー・エエートゥエー・エエークゥーの防衛に専念しろ! とにかく戦うな!」
『……無念です団長』
電磁スクリーンの向こうでトフォナー大佐がうめいてから、数十秒して地上の点滅は収まった。
「さすがに護国騎士団も追撃はしないか。レーレ、これは使えそうだな」
『同胞ですし、下には無辜の民が住んでいますから攻撃は控えめですね。王城内の決起部隊も下級の対人火器に留まって通常兵器の使用はない模様です。上に言われて仕方なくやっているからでしょう。反乱の理由が理由ですので、支持は受けにくいかと』
通常兵器とは天馬が使用するレベルの武器を指す。戦闘の平均規模が大きいがゆえ価値観がシフトしており、大量破壊とは惑星破壊級以上となる。
「そうか――だから一斉蜂起で短期決戦を狙っているのか。それにしても倍の敵とは」
『ナウィ宰相は事前に察知していたようですので、倍で来ようと勝てると見込んでいるのでしょう。一極陣もありますし』
「それだけ期待されてるってか? まあ勝算はあるけど、採るべき手は少ないわな。数も多いし星系砲陣が使えない以上、反乱を強いられた兵士の本音を突くしかない」
『オッラレ公はエアー陛下のもはや数少ない身内に当たられる御方ですが?』
「さすがだな、私がなにをする気かもう分かったのか。だがほかの作戦では敵味方の犠牲が大きいとは思わないか?」
『……たしかにそうですね。どのみち今回は大逆罪になる以上、公爵閣下にはお負けになられた際の道はひとつしかありません。出撃を命じられた陛下にも、公爵をお許しになる気配はまるでございませんでしたし』
「ならばここで散ったほうが裁判費用もかからずによかろう――そのように頼むぞ」
『はっ。援護射撃に務めます』
「ようし……」
エエは全騎士に向かって回線を繋いだ。
「烈花騎士団長のエエ・クトゥーレイだ。まもなく戦闘に移る。三分の一は初陣なので緊張しているだろうが、私の指揮にきちんと従えば生きて錦を飾れられるから安心しろ。いまから作戦を伝える――」
説明が終わると、エエはある騎士見習いに回線を繋いだ。
『団長さま』
青年というより、まだ少年だった。あきらかに緊張している。
「ようクラーニセ。初陣の緊張はどうだい」
『大丈夫です。でもよろしいのですか? 私の部隊を作戦の要などにして』
「部隊もなにも、構成要員はおまえしかいねえじゃねえか。だから失敗もなにもない。やれったらやるんだ成功させろ。うまく行ったら黒衣姫さんの下着写真でもくれてやる」
下着好きことフォレー准尉はたちまち頬を紅潮させ、敬礼した。
(そんなもんどこにもないけどよ。よし、これで多少はまともに動けるかな)
エエは自分の思惑がうまく行くことをなんとはなしに祈った。
(叙任もまだで訓練中のひよっこにいきなり実戦だなんて、まったく――たまらないぞ。だからあっという間に終わらせてやる)
* Ollr Ryh
第五惑星軌道の内側に入ったところで、反乱軍の艦隊は防御マストを立て、天馬を出撃させた。護国騎士団の天馬は地味な灰色だが、騎士は全員が歴戦の勇士だった。
「頼もしい奴らよのう。事前の潜入にも成功したし、優秀よのう」
護国主艦隊の旗艦ラウディエンテルン艦橋で、大将の正装をしたオッラレは余裕だった。スクリーンに拡大されている赤い騎士団を見て嘲笑する。
「見るがいいあの動きの悪さを。先の戦いで激減し、新兵ばかりかき集めた寄せ集めの混成部隊になにができよう……うん?」
一部の天馬が、騎士団の中央に奇妙に集中していた。その天馬群だけ、色が若干異なっているように見える。赤い騎士団なのに、奇妙に白いのだ。
「なんだあの動きは」
オッラレに答える者はいない。彼は身分を利用して南天艦隊が駐屯するフォッレメ要塞に護衛と称した私兵を伴って乗り込み、反乱を持ちかけたが翻意しなかったため、実力行使に及んだ。南天艦隊司令シエセマ中将と彼の幕僚陣を要塞の独房に監禁し、中将直属の主艦隊を強奪して決起していた。
分艦隊には中将の命を盾に他星系侵攻を命じ、護国主艦隊でウグレサーロに攻め寄せた。権限を持つ同志の妨害で親衛艦隊の補充を遅延させ、首都星系の守りをいまだ分艦隊ひとつのみに留めていたのはオッラレ自身の工作だったからだ。
というわけで、オッラレ本人には護国主艦隊内で参謀役になれる人材はほとんどいなかった。艦橋内の操艦要員はただ命令に従うのみで、彼らに銃を突きつけているのはオッラレ子飼いの将校や私兵、機械兵だ。さらにこの元大将は後方勤務のエキスパートで、前線での実戦経験はほとんどない。
敵陣の白い部分をさらに拡大させると、それは極端に密集した数百騎の天馬だった。しかも形が普通と異なる。
「角? 頭に角を生やした天馬とはな。あれだと重くてさぞや動きも遅かろう。ちかごろ生産部局で妙な動きがあったというが、まさかこれのことか? ――どういうつもりだエエ・クトゥーレイ!」
白い天馬群を中心に、烈花騎士団は円陣を取った。その影から烈花分艦隊が顔を覗かせ、艦砲射撃を開始する。
「脆弱な天馬が前で、母艦が後ろだと? ――なんとふざけた運用だ、こんなもの見たこともないわ! 全艦、あのこしゃくな白い点を集中して狙え!」
護国主艦隊の砲列が白い天馬群向けて一斉射を行った。その直後、跳躍子妨害がはじまり、映像がとぎれた。
「護国騎士団、二万騎突撃! のこりは守れ」
灰色の天馬が砲撃を追って飛んでゆく。オッラレ・リフは圧勝を確信していた。
* Ee Ktowri
エエ・クトゥーレイは狙点が中央だと知らされて喜んでいた。
「こんな簡単な挑発に引っ掛かっかるとはな。やはり中心を貫きに来た。特殊小隊を除き、全天馬後退、母艦前進し防御態勢を取れ。そして――伝えていた者ども、私につづけ!」
* Fore Eirtoezzmez
赤い陣形が慌ただしく変化する中、白い一団だけは動かなかったが、この責任者こそフォレー准尉だった。
『敵の狙点は全弾クラーニセ特殊小隊だってよがんばりな』
近侍官ラシニ大尉の連絡が、クラーニセことフォレー准尉に直接伝えられていた。
天馬クラーニセ(!)のコクピットで、フォレー准尉は頬を掻いた。
「……そんなに歳も離れてないのに、ラシニさんまで私のことをクラーニセとおっしゃるんですか?」
『ぼうやのくせに生意気だぞ』
人差し指でダメダメしてウインクすると、ラシニの通信は切れた。
「はあ。やるけどね。なんとしてもクラーニセの悪名は払拭しないと……全機防御帆出力全開、絶対防御戦を開始する」
クラーニセを中心とした七〇〇騎の特殊小隊は、全機がまるで白亜騎士団のように白一色だった。いや、むしろ銀色に近い。
七〇〇騎もいるのに小隊というのは、クラーニセ機以外がすべて無人の従騎だからだ。通常では考えられない極端な配分なので、特殊小隊というわけだ。
特殊小隊の天馬は、普通と異なっていた。コクピットや武装の集中配置されている前部のさらに前に、長く太い四角柱の角が生えているのだ。その長さたるや本体全長の三分の二ほど、およそ一三メートル前後にも達しており、正面武装は脇に追いやられている。通常全長二〇メートルほどの天馬が、三〇メートル以上になっていた。幅も高さも変化なしなので、印象はスマートだった。
「角《つの》装甲防御帆、展開!」
角装甲の上下を普通より巨大な防御マストが走り、より強固な防御帆を展開してゆく。通常より二枚多い防御帆が張られた天馬群は、後方に退いた赤い同胞に比べ、数割増しで青白く輝いていた。
「隊形、正六角形最密充填――一極!」
特殊小隊の天馬が整然と動き、幾何学的な配置になってゆく。まるで分子構造のような、正確で折り目正しい位置関係だ。
センサーが砲弾群接近を報せてきた。
「デコイ及び迎撃弾幕一斉射の後、絶対防御」
大量のデコイと迎撃ミサイルを射出するや、殻に閉じこもった貝のように特殊小隊はぴたりと動きを止めた――
小隊の眼前で、強大な光の洪水が発生した。様々な種類の弾種が炸裂し、膨大なエネルギーを解放したのだ。瞬間的に発生した衝撃波の濁流と、生き残った砲弾群が小隊に届き、二回目の輝きを産んだ。
天馬クラーニセは激しく揺れた。重力慣性制御が間に合わず、准尉はシートベルトが外れそうなほどの衝撃を味わった。
(姫さまの白! 姫さまの白!)
根っからのクラーニセは、妄想している未見の白を思って耐えた。六九九騎の従騎は主人たる天馬クラーニセの影響を直接受ける。自分がやられたら、一極は数秒のうちに瓦解するのだ。
そして彼は、やりとげた。
「……終わったのか?」
ふいに衝撃が止み、宇宙が晴れ渡った。
クラーニセを中心とした七〇〇騎の特殊小隊は、一騎として落伍することなく、母艦二四隻からの集中砲火に耐えてみせた。
フォレー准尉は自分の天馬の状態を確かめた。天馬クラーニセは全長が三メートルほど縮んでいた。前に備え付けた角装甲が三メートル溶けたということだ。
一〇メートル以上にも及ぶ角装甲の正体は、母艦でさえ一部にしか使用されない、高価な特殊装甲の角材だった。機器や装置の類は一切なく、完全な金属の塊なのだ。角装甲の先端にあった防御マストは移動式で、角の後退に合わせ、自動的に後退している。
二分後に第二波が襲ってきたが、それも特殊小隊は凌いだ。三波目で数騎の損害を出したが、なおも耐え切った。ここで母艦が前面に出てきて、限界に達して役目を終えた特殊小隊と入れ替わった。
* Ludyentelln
「なんだと!」
常識から離れすぎた光景に、オッラレの口は開きっぱなしとなった。まぬけな顔をさらし、艦橋内をゆっくりとさまよう。
「こんなことがあってたまるか!」
三度の一斉射を終えて、敵の母艦は一切の防御を行っていない。そのため烈花の斉射は九波にも及び、護国主艦隊は防戦一方になっていた。四度目の一斉射を行おうにも、烈花分艦隊からの砲撃が激しく、まとまった陣形すら崩れつつあった。
「半分の敵に砲戦の主導権を奪われるとは、なんだこの下手糞な艦隊は! 私は王者なのだぞ!」
完全な責任転嫁だった。護国主艦隊は王国最精鋭のひとつなのだ。むしろオッラレ公爵が無能をさらけ出していた。
「騎士団はどうしてる!」
というオッラレの叫びに付き合う者はいなかった。敵の艦隊に護国騎士団が張り付いていないということは、その前で迎撃されているということだ。相手はいうまでもない。烈花騎士団だ。しかも烈花の母艦は援護射撃も行っている。いくら騎士団が数で押していても有利とはいえなかった。烈花にはそれだけ余裕があった。
たった七〇〇騎の囮が産んだ、絶対的な差だった。
そして絶対はまもなく、致命へと変わった。
「――天頂方向より、所属不明天馬数百!」
というオペレーターの叫びが、母艦ラウディエンテルンに響いた最後の声となった。
三秒後、小さな振動が起こってオッラレがよろめき、真上を見ると、天井の外部スクリーンに真紅の天馬が一面に映し出されていた。オッラレがなにか言おうと口を開いた瞬間、さらに巨大な地震がきて天井が破れ、艦橋内に高熱の嵐が吹き込み――公爵をはじめとする全員が炭と化し、即死した。
* Ee Ktowri
ラウディエンテルンの真上を取り、さらに防御力場のわずかな間隙を抜けて二〇〇メートルの光槍を艦橋向けて突き刺したのはレットゥ・フーレイだった。
母艦の艦橋は艦の前部中央に位置するが、外壁と接する面などどこにもない。宇宙空間までは一番薄い部分でも軽く一〇〇メートルはある。生半可な兵器で艦橋のみを撃ち抜くのは普通不可能だが、天馬の光り輝ける超振動武器ならコツさえ掴めば出来る。
ウグレラルナ母艦の特徴で、艦橋まで最も近いのが真上だ。上が弱点なのだ。上下左右のない宇宙空間で真上もなにもないが、重力制御で艦の上下はおろか陣形の上下、さらに宇宙の東西南北まで明確に定まっている。人間は地上にいるのと等しい基準がないと、宇宙ではなにも判断できない。
「公爵は戦死なされた!」
跳躍子によるオープン回線で、エエ・クトゥーレイは星系全体に呼びかけた。
「戦いを止めよ! 護国主艦隊といえば栄えある南天艦隊の要。これ以上、国賊の汚名を継続する理由はない。繰り返す、公爵は戦死なされた! 彼と命運を共にした不幸な旗艦艦橋要員以外に、もはや道連れは不要だ。黒衣姫陛下《ネクロフェーレイ・ロークゥセ》は寛大な処遇を約束するであろう。矛を収め、原隊に復帰し、誇りある王国軍人として軍律に従いたまえ」
ラウディエンテルンは浮遊している。やられたのは艦橋のみで、艦内のほかの部署は無事だった。約二五〇〇名の乗員のうち、死者は一〇〇余名に留まっていた。
オッラレ・リフが亡くなった以上、あえて戦闘を継続する者は誰もいなかった。第二惑星の首都星クニフォセをはじめ、各惑星に潜伏していた部隊もつぎつぎに白旗を掲げて降伏ないし投降し、戦闘は終結した。
* Fore Eirtoezzmez
二〇一年ぶりに起こった第一二次ウグレサーロ星戦は、地上戦を含めても開幕からわずか三時間あまりで終わった。
烈花分艦隊は意気揚々とクニフォセに引き上げた。その分艦隊の中でもっとも新しい母艦は、側面に『AHLKANG』の白文字も初々しい新造艦アフラカヌだ。
母艦アフラカヌに帰還したフォレー准尉は格納庫で被害状況を整理していた。
初陣の興奮も過ぎると、よくもあれだけの砲撃を前に逃げ出さずにいたものだと自らを誇る気分になった。あとを整備員に託すと、格納庫の奥で椅子に座り、わずか三メートルにまで摩滅した角装甲を交換中の愛馬クラーニセを眺めつつ、格納庫への思考接続で一番の友人に電話を入れてみた。軍用電話に子機は存在せず、軍施設内で登録者が思うだけで使用できる。
しかし親友が出ない。
「どうしたんだフォセは?」
胸騒ぎがした。フォセの恋人でおなじ騎士見習い仲間モニに入れてみる。しかし出ない。非番を除きプライベートを認めない軍用電話なので、留守電モードは戦闘終了と同時に自動解除されている。
急に胸騒ぎがして、さらにべつの友人にかけてみる。
電磁スクリーンが目前に浮かび、少年の顔を映しだした。額に包帯を巻き、憔悴している。医療ベッドに寝ているようだった。
『アロエだ。どうしたクラーニセ。疲れているから手短に願うぞ』
「メオ、負傷したのか。フォセとモニに俺の回線から連絡がつかない」
『…………』
アロエ・メオ准尉は顔を伏せた。不安から目の前が一瞬真っ暗になった気がしたが、フォレーの視界は明瞭だった。
「メオ! 答えてくれ」
『シラ・フォセ中尉もファリー・モニ中尉も、もうどこにもいない』
「中尉? 中尉だって!」
准尉の上は少尉、その次が中尉――
二階級特進。
それが意味するものは、限られてくる。
『ほかにも何人も中尉になったよ――いまは俺をそっとしてくれクラーニセ。時間ができたら、あとで一緒にやつらを弔おうぜ』
一方的に切った。
「…………」
焦りながらも、騎士団のデータベースを照合する。電磁スクリーンに浮かぶ文字は、戦死・行方不明・重傷――返ってくる答えは絶望的なものばかりだった。
騎士見習い仲間で友人ともいえる一八名のうち、じつに五人もが戦死もしくは行方不明となっていた。さらに二人が重軽傷。大敗でない限り、一回の星戦における騎士の死傷率は四パーセント以下だ。精鋭の護国騎士団と正面から激突したため、初陣で未熟な新米の死傷率は高かった。
「フォセ……こんな形で俺の先に行くなよ」
殉職したら二階級特進させて故人に報いるのは、階級組織の伝統だ。
「……ちくしょう!」
フォレー准尉は何年かぶりに本気で泣いた。
* Fekt Ear
首都星系クニフォセでは、大気圏に赤い筋を引いて大地に落下してゆく流星雨が発生していた。経済活動等により周回軌道に溜まっていたスペース・デブリ(宇宙ごみ)が、惑星を覆う蒼い防御圏に掴まって勢いを失い、重力の底へと囚われている。
「まるで命の散るさまのようですわ……」
夜空を飾る人工の天体ショーを見上げながら、エアーは両拳を強く握りしめた。
「私はもう、引き返せませんのね」
* Ugwrlallna
反乱は短期間で終わる見通しとなった。
肝心のウグレサーロ星系で、反乱勢力は倍の戦力を有しながら敗北した。他の星系でもナウィ宰相やエエ国防大臣による事前対策が効き、七割の戦場で勝利した。失った三割の星系も討伐の分艦隊を派遣すると、ろくに戦うことなく降伏ないし逃走していった。とくに南天艦隊の諸将は自ら率先して投降してくるほどだった。
そのような中、エエ・クトゥーレイは期せずしてひとつの新語を生んでいた。
黒衣姫陛下という表現だ。姫なのに女王という矛盾に満ちた言葉なのだが、幼いエアーの外見ゆえにかえって受け入れられ、数日を待たず国内外に広まった。
はじめて聞いたとき、曾祖父の死に動かなかった眉を波立たせ、エアーは床を転がって嫌がった。エアーのコンプレックスとなる愛称はこうして誕生した。
大勢が明らかになるにつれ、静観していた各国は黒衣姫陛下とナウィ政権を認める公式見解を発表していった。反乱勢力は亡命先すら失い、フィーリック・シオ大公を中心としてある宙域に逃げ込みつつあった。
――知性図書館である。
* Yjallswlngwlwnnagr
内乱が勃発して三週間後の九月一四日。
二倍の敵を最小限の犠牲で撃破し、王を守った大功により、エエ・クトゥーレイは少将に昇進していた。さらに烈花分艦隊は「分」から「主」へと名称を変え、烈花主艦隊として親衛艦隊の主力部隊に正式配置された。これで母艦数も一挙に二〇隻以上となり、一〇隻台で構成される分艦隊が数個、下に配属された。一個艦隊の定数は慣例で八〇隻。
「やはり少将で母艦隊司令官というのも異例だが、親衛艦隊の司令官というのはたしか大将以上だったと思いますぜ」
うれしさを隠さず、エエ少将は事あるごとにエアーの御前ではしゃぐ。ただでさえ華麗な騎士の正装に加え、一個艦隊を指揮する証でもある巨大マントは真っ赤で、足にも届き、よく目立つ。それをなびかせ、子供のように踊っていた。
一方エアーは新調した元帥の正装だが、スカートと六枚の軍羽は黒になっている。王国軍の服装はもとより黒の比率が高いので、これでも十分黒衣姫の名に負けない。
「……ほかに適当な人材がいないから仕方ありませんの。みなさん見ておりましてよ、年甲斐もない。すこしはおとなしくしてくださいませ」
エアーが座っているのは親衛艦隊総旗艦ヤルスルングルーンナガレの指揮座。先日までは短くヤルスルンだったが、第一号で一極陣用の改装が間に合い、一個艦隊旗艦用の各種設備を整え、乗員も一挙に倍となった。もはや別の艦なので、名称変更となった。濁言で『ヤルス草の神槍』という意味で、表記するとYjallswlngwlwnnagrとなる。
母艦の名前には濁言が多用される。人造言語トフォシ・ソエセ語はウ列音のバリエーションや濁音が少なく、通常使用するアルファベットは二〇文字しかない。これは宇宙開拓に適応した高速言語だった頃の名残で、六五〇年ほど前より自然回帰をはじめた初期に乱造された、濁りの多い語彙を濁言と呼ぶ。
「敵艦隊確認、母艦およそ一〇〇隻。中央に旗艦ルクナスヴルム」
准将に昇進したレーレ参謀長の報告で、エエとエアーの顔が引き締まった。
「ルクナスヴルム……主力はやはり東天艦隊か。来ましたな、姫さん大元帥」
「ええ――来ましたね」
現在フェクト・エアーを大元帥とする親衛艦隊八〇隻は、南天艦隊七九隻、西天艦隊八〇隻を従えた三個艦隊二三九隻で決戦に挑もうとしていた。南天艦隊の司令官は過日みすみす主艦隊を乗っ取られた失態で意気込むシエセマ・イレン中将、西天艦隊の司令官は反乱の勧誘さえ一切なかった根っからの趣味人、フォレー・フオートゥ中将で、クラーニセの父君だ。
彼我の戦力差は二倍以上と圧倒しており、常識で考えれば戦う前から勝敗は決まったも同然だった。
エアーが出陣しているのは、『王族は戦場に出る』という伝統を実現することで、エアーがウグレラルナの正当な王だということを国民に広くアピールするためだ。
――というのも、そもそも反乱が国葬の直後に起こったのには、神話が起因していた。
今回の反乱を首謀したのは真っ先に敗死したオッラレ公爵だが、その彼がウグレラルナ中の放送局に配った映像があった。公爵はそこで演説を行っていた。
「ウグレラルナの王権は、知性図書館により授けられる王権神授である。よって図書館を失い、神たるメソーエメの審査を受けられぬフェクト王室には、もはやウグレラルナの王冠を戴く資格はないのである! 私が起こすのは反乱ではない。図書館の介在せぬいつわりの戴冠を阻止し、正当な審査を誰もが受けられる環境を整える、権利の闘争である。国葬は終わり、先王ソエセ三世陛下への忠義は尽くしたのであり、これはフェクト家への忠節の終わりを意味するのである。よって私が行うのは反乱ではない。ウグレラルナの王権を認めるのはただひとつ、メソーエメである。約五三〇年前、王権は開祖ウグル家からフェクト家へと移った。玉座はフェクト朝の独占物ではないのである。愛国ある真の勇者よ、フェクト家を追放し、知性図書館を帝国より取り戻せ! 誰もが王になれるであろう」
これを見たエアーはあきれ返っていた。いい噂を聞かなかったので元より好いてはいなかったが、いまとなっては故人とはいえ嫌悪の感情しかない。
「『である』ばかりで型苦しいですし、ご本人が一番、王になる気満々ですわよ!」
戴冠式は知性図書館で行うのが慣例だが、帝国のものになっており不可能だった。戴冠式を予定していたのは王城の中央式典場だ。午前中に王太女となり、午後に戴冠する手筈だった。
オッラレ・リフはすでに排除したが、国内の動揺は広まっていた。エアーを支持はしてくれるものの、それは反乱勢力よりましという、相対論にすぎない。
実際、オッラレが死んでも反乱勢力が簡単に瓦解することはなかった。反乱勢力はエアーの退位を望むオッラレ派と、ナウィのみを排除する穏健派に分かれていた。オッラレが死んだことで穏健派が台頭してかえって結束は強化され、前外務大臣フィーリック大公を新たな旗頭として集まりつつあった。だが、よりによってその集結地が知性図書館を睨んだ国境ぎりぎりの宇宙だった。
新たな国境に防衛部隊を置かない、というニトゥーニ条約の一文に抵触する暴挙だが、遊説外交の道中でラクシュウ神聖王国から飛んで帰ってきたキークゥリ外務大臣がモフレ・クゥロ二世を抑え、武力侵攻の口実を封じた。反乱勢力を九月一五日までに知性図書館の近くから追い散らすという条件付きだったが――
「戦いに挑む緊張は……気持ち悪いですわ。それに彼女があちらにいるというのは、本当ですのね?」
「はい。フィーリック・ウアリさまの乗艦を確認済みです」
「…………」
「エアーさま」
「なんですのサリィ?」
「万が一のお覚悟を、されてください」
エアーは答えなかった。
ここはなにか星系があるというわけでもない、ただの宇宙空間だ。もちろん名前もない。そういうときの星戦の名前は、天の川銀河系の絶対座標となる。ただ、詳細な座標はまだ算出されていない。
名無しの星戦だ。
「敵艦隊、先制攻撃の模様です」
大佐待遇の高級副官として寄り添うサリィの言葉に、エアーは深く頷いた。一極陣を導入し終えたサリィは国防省から王国軍へ籍を移していた。エアーには初陣の恐怖心もあるが、エエ・クトゥーレイをはじめ、周囲は信頼できる者ばかりだ。
だからエアーは、素直に告白した。
「あとは任せます。私はここで督戦しますわ」
エエ・クトゥーレイ少将を呼ぶとおもむろに元帥杖を渡した。戸惑う少将に小声で「敵旗艦ルクナスヴルムは沈めないでください」と添えると、艦隊全体に回線を開かせて宣言した。
「エエ・クトゥーレイ提督をこの戦いに限り、臨時の特将に任じます。この地位は元帥に当たるものとします。よって彼女が最高司令官ですわ――みなさん、エエ・クトゥーレイ特将の意志は私の意志です。彼女の力はご存じと思いますから、従ってください。そして私のために勝ってください」
頭を下げて頼んだその様子は、立体投影となって艦隊全体に届けられた。エエ特将は突然のことに息を呑んだが、襟を正すと、真新しい元帥杖を握ったまま敬礼した。エアーに合うようあしらわれた象牙の杖は、エエには頼りなく小さすぎた。
ここまでするからには、エアーの決意は誰しもが理解した。即位以来、身分や年功に関係なく大胆な人事を連発してきたエアー陛下だった。彼女が人を選ぶ基準はただふたつ、能力と信用だ。
黒衣姫陛下は、兵たちを信用した。
だから勝つ。
――三個艦隊、およそ三〇万人の兵士たちは、下は二等兵から上は中将まで、最高の戦意で勝利を誓った。
ただ、サリィの表情は残念そうに曇っていた。エエに委任したことを非難するような視線を、エアーは無視した。
エエは元帥杖を振って第一声をあげた。
「おまえら、私の四枚羽根にかけて見たこともない大勝利を味わさせてやるから、姫さんの言う通り、大人しく言うこと聞けよ! 全艦、一極陣! 防御帆展開」
母艦たちが規則正しく、六角形の格子状に配列してゆく。ただし急激に寄り添いながら。親衛艦隊を前衛とする三個艦隊は、わずか一分あまりで数十分の一という狭い領域に密集した。
* Fyeryik So/Fyeryik Uary
反乱軍の盟主に祭り上げられている壮年の優男フィーリック大公は、旗艦ルクナスヴルムの指揮座より立ち上がり、急激な変化に戸惑っていた。
「あれは……ソエセ三世陛下が亡くなられたときの愚かな陣形ではないか」
一度でも突破を許せば、内部で連鎖爆発が生じる。エネルギーの拡散もできない。
「そうか、失敗した陣形であえて勝つことで、弔いか、もしくは親を超えたことを示すつもりだな――甘く見られたものだ」
大公は酒瓶を口に運び、一口飲んだ。二倍以上の敵を前にして、酒に頼らないと精神の均衡を保てないのだ。そもそもフィーリック・シオは軍人ではなく、三代前にフェクト王家から分かれた王族直系の由緒正しい家柄なので、オッラレの後継として頂点に担がれただけだった。服装も宮廷に伺候するときのような上流貴族のそれに、むりやり提督の軍章を付けている。大公の周囲には側近と美女が侍っており、そこだけ軍艦とは思えぬ退廃的な異空間となっていた。年を取ってから出来た一人娘のウアリまで連れてきている。
「あそこに帝国と同様、ブラックホール爆弾をぶつけたら……勝てるな! さっそく準備だ、準備! あっただろ、二発ほど。それを使おう」
娘のウアリが父親の袖を引っ張った。
「お父さま、エアーさまがおられますのよ。あまりにも野蛮ですわ」
「おおウアリすまないね。もちろん、フェクト・エアー陛下の座乗艦は巻き込まずに済ませようぞ」
「ありがとう、お父さま。早くエアーさまを独裁者の手から解放してさしあげましょう。私がいくら手紙をお送りしても、まったく効きませんでしたの。ナウィに洗脳されているに相違ありませんわ」
「その通りだ。正義は我らにこそある」
勝てるかもしれないと思いこみ、にわかに躁状態になりつつあった大公父娘を、本来の艦隊司令官たる老境の大将が制した。
「盟主閣下、ウグレサーロ星戦のときと状況が似ています。敵の動きには意図があると思われますので、ご慎重に」
「……どういうことだ? イトイー・トゥレ」
「これをご覧下さい」
イトイー大将は参謀に指示し、前部スクリーンに映っている敵陣を部分的に拡大投影させた。
そこには奇妙な母艦群が映っていた。半球陣の最前列に陣取るのは、母艦というより三角形に見える銀色の金属の塊だった――
「なんだこれは」
「おそらく要塞用の表層のみに用いられる特殊装甲鈑かと。三角柱の形に加工しており、母艦の前半分を覆っています。銀色なのは鏡面処理の下地ですね。塗装は間に合わなかったのでしょう」
三面図を投影する。それは母艦の前部に、恐竜のトリケラトプスのような兜を付けた代物だった。標準艦で四キロほどの全長が、六キロ近くにまで伸びている。
「装甲鈑だと? こんな巨大な?」
「ウグレサーロでは天馬が同様の装備をして、それが母艦の一斉射を三度防いでおります。この長大な装甲に加え、おそらく正六角格子状の密集陣形と防御帆の力場が効果的に絡み合った相乗効果によって――」
スクリーンが眩しい輝きに包まれた。こちらの初弾が着弾したのだ。
一〇秒ほどして晴れた敵陣には、なに食わぬ顔で居座る三角形どもが映っていた。
「――ごらんのように、絶大な防御効果を生む模様です。いまのは迎撃弾幕はおろか、デコイすら使用していません」
「う……撃ち崩せぇ!」
「弾の無駄です。敵が空間跳躍妨害を行っても、跳躍子観測および通信の妨害をしていないのは自信のあらわれで、威圧によってこちらを精神的に疲労させる狙いなのです。小官にお任せください。もっとべつの手を――」
「う、うるさい。撃て、ありったけの砲弾をぶち込め! 前進だ! 制圧しろ!」
「落ち着いてください」
「黙れ! 盟主は私だ! おまえも反対しなかったではないか。私が法律だ、私が決まりなのだ! わかったら砲撃しないか!」
「そうだ大将、攻撃しろ!」
「盟主閣下は先の外務大臣、そしてつぎの宰相閣下であらせられる。そのお言葉に従っておけば、明日の栄達は思いのままぞ」
大公に側近どもも加わり、専門家の意見は口数によって潰された。すなわち便宜上とはいえ盟主フィーリックの焦りは実行された。
ウアリは父親の変化に不安を感じていたが、少女の身ではなにも出来ない。はるか彼方に対峙しているであろうエアーを想い、「どうしてこうなったんですの?」とつぶやいた。
反乱艦隊は前進しつつ、秩序もなにもなくひたすら砲撃をつづけた。しかし二撃目以降は迎撃弾幕やデコイも使用され、ただでさえ強固な一極陣は崩れる兆しも見せなかった。
* Ee Ktowri
この奇妙な乱射に、エエは首を傾げざるを得なかった。
「反乱軍にはなにか意図でもあるのか?」
「いいえ。底抜けに大馬鹿なだけです」
レーレ参謀長の断定に、ほかの参謀も一様に首肯した。エエ・クトゥーレイは指揮戦闘や戦機を読む能力こそ高いが、それは遺伝子のなせる技で、頭の出来は平均ていどだ。相手が強いほど力を発揮でき、逆に素人の不条理には勝手が違ってしまう。こんなときは自分よりはるかに知能レベルの高くバランスが取れた秀才集団のだした結論を、無条件で信用する。
「それならば話は簡単だ。こちらは整然と撃ち返すだけでよい。敵は勝手に近寄ってきているんだからな――シエセマ・イレン中将」
スクリーンに野性的な顔立ちをした、壮年の巨人が映った。南天艦隊司令官、シエセマ・イレン。身長は三メートル近い。
「小官は本来少将で一個艦隊の司令官としても後任だが、いまだけ貴官に命令させて頂く。一極陣はまだテスト段階ゆえ、今回一極陣の最前列を形成している親衛艦隊に、砲戦を主導するだけの余力はない。よって陣形の隙間から攻撃をお願いしたい」
シエセマは娘のような年齢のエエに命令されたのだが、怒るどころか逆に奮い立ち、野蛮人のような荒ぶる敬礼を返してきた。
『任せろ!』
一言のみ吼えて、通信を切った。
エアーがたまらず笑った。
「サリィ、地震竜さん、すっかり逸っておられますわね」
「なにしろ不本意とはいえ、一個艦隊まとめて反乱軍に荷担していましたからね。シエセマ中将はフォッレメ要塞でオッラレ公爵の手下に幽閉されている間、一言も発さず、一口の食事もとらなかったそうです」
「燃費の悪そうなあの体格でよく保ちましたわね。さすがは地震竜、豪の者ですのね。頼もしいですわ」
* Sezma Irn
そのシエセマ中将の旗艦だが、いまだ艦橋の修理が終わらない本来の座乗艦ラウディエンテルンに代わり、クエパランサという母艦に臨時司令部を設営している。南天艦隊には角装甲で改装した母艦はいない。
「南天艦隊は第二陣だが、事実上の先陣を担う栄誉を承った――おまえら、償いはきっちり果たせ! 巻き添えで死なせた民衆に、雇ってくれている王国に、罪を赦し挽回する機会をくだされた黒衣姫陛下に!」
身長二八八センチ、体重三五九キロ。尋常でない巨人だ。直立して勢いに任せ足を一度踏みならすと、周囲に軽い地響きがした。それゆえ彼は地震竜と呼ばれている。
地震竜の気合いに、艦隊全体で兵士士官がおおっと叫んだ。南天艦隊は体育会系だ。
「全砲門開け! 防御は親衛艦隊がしてくれているので、全エネルギーと全センサーを砲戦に動員する」
参謀長のエニ・フォレ少将が聞いてきた。
「初弾の弾種はなんに致しますか提督」
「あん? 景気良く、全弾を重力津波弾だ!」
艦橋内にどよめきが広がる。
重力津波弾はウグレラルナ王国軍が採用している戦術砲弾で最高の威力を誇る。炸裂地点で生じる局地的な重力震は、単発ではたいして怖くないが、複数の爆発によって発生する共振が脅威で、対象物を内部からひねり潰す。重力波は空間位相の防御力場で反らせるしか防ぐ手はない。
数十秒後、エニ少将が敬礼して特注サイズの指揮座に座ったシエセマに報告した。
「提督、全艦隊発射準備できました。前方の親衛艦隊、後部防御力場解放を確認」
「よおし、撃てぇ!」
地震竜が手すりに勢いよく熊の拳を叩きおろすと、南天艦隊は大量の砲弾を吐き出した。それらは一極陣の隙間という隙間をすりぬけ、反乱軍へと殺到していった。防御力場の効果は一方通行のため、力場の内側からは自由に攻撃が可能なのだ。
「ただちに第二射用意、弾種は対消滅と量子と核融合のトリプルミックス。急げ!」
* Fore Horto
元気に騒いでいる南天艦隊のさらに後方には、三番手として西天艦隊が控えている。
西天艦隊旗艦ツォジには、独特の空気が流れている。戦場にいるにしては、穏やかな雰囲気だ。原因は艦内を潤す古典クラシック音楽にある。一四〇〇年以上昔のおもに欧州で生み出された数々の名曲。それらを趣味としているのは、クラーニセの父親、フォレー・フオートゥ中将だった。
艦橋の一角にテーブルが置かれ、そこで中将は参謀たちとリラックスしていた。カップに浸していたティーパックを抜き、レモンをひと切れ入れると、スプーンでかき回す。
「いいねえ、モーツァルトは」
そこに落ち着きのない靴音を早鐘のように鳴らし、女性士官が歩み寄ってきた。
「閣下、いくら控えとはいえ、少々おくつろぎすぎではございませんか?」
「メー・マーシ少佐も一杯どうかね? 今日の紅茶はきっとおいしいよ」
「結構でございます――それよりも、このままでは出番がないかもしれませんよ。なにかアピールなさってはいかがですか?」
「メー少佐。今回は角装甲を持たない母艦は姿をさらしてはならないと陛下から厳命されている。私はね、怒られるのが怖いんだよ。だからこうして平和に過ごしている。角装甲を持っている母艦はまだ親衛艦隊にしか配備されていないし、攻撃しようにも目の前は南天艦隊で一杯だ――だから紅茶だよ」
メー副官は額に指を当てて目をつむった。
「どうしたんだい?」
「いえ、頭が少々痛くなって参りました」
「紅茶を飲めばすこしは和らぐよ」
「いいえ。きっと痛みのほかにむなしくなって怠くなって、仕方なくなりますので」
早足でテーブルから離れ、オペレーターたちのほうに向かって半ば怒ったしゃべりかたで周辺警戒強化の指示をだした。
フォレー中将は紅茶を口に運び、一口味わってから、静かに言った。
「彼女もまだ若いな。無理をせずともやがて出番はくる。人には人それぞれの役目があるものさ、我が子らのようにな。それに……」
口にするには、さすがに憚られた。
(……それに、南天が万が一裏切ったときに後背を突くため、西天はここにいるのさ)
* Fyeryik So
星戦の形勢は誰の目にもあきらかだった。
反乱軍は非効率的な砲撃の乱れ太鼓を打ち鳴らし、母艦より高い貴重な戦略ブラックホール弾を二発とも無計画に放って迎撃破壊されるなど、浪費の生きた見本という醜態をさらしていた。その惨めな艦隊行動に秩序らしきものが回復したのは、開戦よりおよそ一五分後のことだった。
反乱軍司令官、フィーリック・シオは無軌道な乱射の中止命令を出さざるを得なかった。数と弾幕の差ゆえだ。飛来してきた一撃目で生じた劣勢が二撃目に躊躇となり、三撃目で恐慌へ墜落すると、耐えきれなくなった大公は全砲門を防御戦に回す指示をだした。
自分の命を守ることに専念するなら、大公の指揮能力に関係なく誰しもが秩序だった効果的な手を打てる。自分に向かって飛来してくる弾を撃ち落とすだけだからだ。だがそれは、反乱軍が防戦一辺倒へと追い込まれたことを意味していた。
王国軍の陣形は微動もほころばず、ただ三角柱の角装甲が少々荒れただけ。余裕がでてきた王国軍は第三陣に控えていた西天艦隊を展開させ、一極陣の外縁より砲戦に参加させた。さらに親衛艦隊本体も防御をやめ、攻撃を加えてきた。
弾幕が三倍となったことで、反乱軍は一挙に崖っぷちへと追い込まれた。起死回生を図って後方に控えていた騎士団を飛ばしたが、王国軍も当然騎士団で迎撃してきた。
* Fore Eirtoezzmez
エエ・クトゥーレイは特将の立場もあり、一騎士として出陣するのは幕僚陣の猛反対で叶えられなかった。かわりに各騎士団長に昇格したかつての千騎長五名に、自身の烈花騎士団を分割して任せた。
三万騎以上の大所帯となっている烈花騎士団は、半数近くが例の特殊小隊という、変則構成へと変貌を遂げている。その筆頭を担うのはフォレー准尉だ。天馬クラーニセはいまや血のように濃い赤で彩られ、配下となる無人の従騎も同様となっている。訓練の結果、任せられた従騎の数は一二〇〇にまで増えており、特殊小隊の中では最大数を誇る。
(今日も無事に生き残れすように)
フォレーは訓練で幾百と繰り返し、すっかり慣れた号令を発した。
「一極、展開!」
フォレー特殊小隊をはじめ、いくつものちいさなパラソルが、反乱軍騎士たちの目前にプレッシャーとなって立ちふさがった。
事前に情報を得ていた反乱軍はそれらを避けようとしたが、その隙自体を機動部隊に叩かれ、一極陣方向に追い込まれていった。一極は撃ち崩そうにも、手も足も出ない。近づけばなんとかなるかもしれないが、圧倒的ともいえるすさまじい弾幕を前にすると近寄るまでの犠牲が大きく、さらに特殊小隊ひとつに対し有人機がわずか一騎しかいないことを考慮すると、どう見積もっても投資に見合う利益――戦果は見込めそうになかった。分が悪すぎたのだ。
* Fekt Ear/Nifoi Niz
「一極、うまく働いているようですわね」
エアーは自分の軍隊が機能していることに満足していた。
「ふつうに戦っても勝てる戦ですが、味方の犠牲を減らす効果は如実にでているようです」
集計したデータを、サリィ大佐はエアーの目前に電磁スクリーンを投影させて示した。
数字の羅列を見てエアーの目が回った。
「……ええと。サリィ、具体的にどれだけすごいのでして?」
「従来の方法で戦った被害予想の、わずか一五パーセントの損失だということです。エエ特将の采配ゆえかもしれませんが、それを考慮しても極端に優れた成績を示しています。はじめから圧倒しておりますので、敵の消耗もすくなく済むでしょう。勝てるかもしれないと思われることほど、損害を拡大させる要素はございませんから。できれば大公閣下が降伏してくれればなお減ります」
「――そうですわね。敵の旗艦ルクナスヴルムにはウアリも乗り込んでいますし、先のように旗艦を潰すのは絶対避けなければいけませんわ。私、ウアリと直に会って、話し合って、仲直りしなくてはなりませんのよ。それにしても、これほど効果があるとは思いませんでしたわね」
「国運を掛けた価値があるというものです」
エアーが当初考えていたプランには、一極は影も形もなかった。見つけてきたのはエエの報告を分析したサリィだった。近い将来に来るであろう帝国との戦いを有利に進めるため、最低限の投資で最高の効果をあげる方法を模索し、結局は敵将エニフ・リートゥレのヒントに道を見いだすしかなかったのだ。
『――極端な一極密集陣形も、ある方法を用いればおそらく逆に最高足りうる。我が帝国では絶対に採用されないが』
一極理論は、じつは二五〇年ほど前から存在していた。発案者はエイレオ・トゥーセという。ただこのマイナーな戦法は採用されるたび進歩しつつも、対抗手段が短期間で登場して攻略されるため、ある意味呪われた理論として研究者の間では認識されていた。
それを成功させて見せようとサリィに思わせたのが、最近発表されたひとつの論文だった。『一極陣の進化理論』という題名で、ブルガゴスガ帝国の大学教授が書いたものだ。帝国は軍事国家なのでその筋の研究が盛んなのだ。サリィの検索の手が、敵国といえども及んだのは当然のことだった。
彼の名はニフォイ・ニセという。ブルガゴスガの地方の私立大学で軍事理論を研究していた、やたらと言動の目立つ教授で一一八歳だった。
一極陣は登場からして帝国相手に仕掛けられた戦術だった。その後も忘れたころに再発見された一極の被害を受けることが重なり、帝国では一極理論が採用されることなど考えられない。異端のニフォイは、帝国にいる限り認められることはないのだ。
ニフォイ教授はサリィの手配により、第三国のツェッダ公国を経由して亡命し、八月二二日にウグレラルナの客人となった。道中からメールを通じてサリィに持論の詳細を教え、さらにエエ大臣を介して一極を実現する準備を着々と進めてきた。
スパイの心配等、信用についての不安要素は少なかった。なぜならニフォイは生粋の帝国人ではなく、彼が若いころ帝国に編入され滅んだフトゥエセ共和国の出身者だからだ。そしてかの国こそ一極戦術発祥の地だった。帝国内で堂々と一極理論を研究しているだけでニフォイは十二分に帝国当局のマークを受け、ウグレラルナの工作がなければ国内移動すらおぼつかなかった。
「うほっ! うほほ!」
当の教授は准将待遇の似合わない軍服に身を包み、ふたりの助手と共にヤルスルングルーンナガレ艦橋の前部をせわしく動き回っている。なぜか全員が眼鏡をかけている。
「うほ、すばらしい! この美しい表示は想像を超えている。おおっ、これも!」
データ取りに余念がない。面倒臭がり屋で、不精ひげを散々に伸ばし髪の毛もひどい。だが身分証明の小綺麗な写真を見せてもらっていたエアーは、彼が芸能人並にダンディだと知っている。
はじめて彼の謁見を受けたとき、写真と実物とのあまりのギャップに、エアーは普段プライベートでしか発しない「うふふふふふ」という不気味な含み笑いをしでかしたほどだった。同伴していたエエ大臣とエエ将軍の爆笑で我に帰ると、唖然としていた教授が、急に得意気な顔になった。
「じつに素敵な笑みですな陛下。私も持っておりますぞ! うほっ! うほほほほ! 憎きクゥロ二世めが祖国を踏みにじった六五年前、私はあまりの悲しさにこの笑いを会得したのです。以来長らく雌伏しておりましたが、今ではあまりの愉快さに素直に笑うことができ、幸せの絶頂なのですよ。うほほほ! うほっ! うほほっ!」
うほうほと高笑いをはじめた変人を前にして、同類に認定されたエアーは無表情で澄ましているサリィと目が合い、大層恥ずかしい思いをして顔を真っ赤にさせた。
事実エアーの年齢に合わない含み笑いは、幾度も目撃している侍女を通じ、王城今様七不思議のひとつに数えられていた。教授の高笑いもいずれ七つのいずれかを蹴落とし、不思議のひとつに名を刻むであろう。
ともかくもニフォイ・ニセ教授の全面協力によって新時代の一極陣は実装され、ウグレラルナ軍に革新をもたらしつつあった。
* Lluknaswvlmw
エアーの勝利は確定し、約束されていた。それは裏を返せば、反乱軍にとって唯一の未来が敗北だと絶望的に保証していた。それでも東天艦隊は上からの命令を愚直に守り、必死に戦っていた。
フィーリック大公はそのような律儀者たちを踏みにじるように「無能者」と連呼しつづけ、急速に反感を集めていた。
まもなくして、反乱軍のすべての騎士団を束ねていたクニトミ・クゥレニ東天騎士団長が戦死した。その悲報を受けると、大公は両足を震わせながらイトイー大将を睨んだ。
「冗談であろう? こ、こ……これほどの防御兵器、知らないぞ」
「ごく秘密裏に開発されたのではないかと。事実そのような噂はありましたし、ミケンからの援助金と、かなりの物資が動いていた模様です」
「先の大敗から二月と経っておらぬ! 新兵器とはこうも簡単に開発できるものなのか?」
「兵器というより、ただの特殊金属の塊です。母艦を一隻作る資金で、一〇隻ぶんはあの塊をあつらえることが可能でしょう。理論さえ完成していれば、実現にはあまり時間はかからない類の……発想の転換です」
一個艦隊を生産するだけでも二〇兆ラトエ近くが必要となる。税収の二パーセントに達し、平時の軍事費の大半を占めてしまう。
宇宙というのはなんでも天文学的に金がかかり、連絡艇ですら五〇年は働かないと個人では買えない。母艦一隻となると五〇〇万年で、大貴族でも私有するのは至難の業だ。人口が一〇〇〇億単位でも、保有軍艦は一〇〇〇隻単位になってしまう所以だった。
エアーの計画は実戦を想定した以上、ミケンからの限られた資金を用い、短期間で軍を強くする必要があった。偶然は発明の父というが、必要は発明の母という。サリィは女性なので、一極陣への着眼は必然だった。
「――白旗だ、降伏だ! 勝てん、こんなのに勝てるはずがない。ただでさえ倍以上の差がある」
「それもよろしいかと、大公閣下」
恭しく礼をする。イトイーが冷静なほど、フィーリックの苛立ちは加速されていた。ここで大公はあることに気づいた。
「いかん! 大逆だった。私は死刑になる。だから――そうだイトイー大将、おまえ降伏したふりをして敵を引きつけろ。その間に私は逃げて帝国に駆け込む。大将は私が逃げきられるよう頃合いを見計らって攻撃し、身代わりになれ。どのみち老い先短い身だろ」
無表情だった大将の眉が傾いだ。
「……さすがにそれはお受けしかねますな」
「なんだと! 盟主たる私のいうことが聞けないというのか」
「そのご主張はもう聞き飽きましたよ」
大将が指を鳴らすと、大公とその仲間は銃を持った士官に囲まれた。寸前まで笑っていた美女の悲鳴が艦橋にこだました。
「イトイー! どういうつもりだ貴様」
「あなたがさっさと私に指揮を任せてくれたなら、負け方のやりようは色々あったのですよ。ですがこうなればもはや、私たちの命が助かる道はごく狭うございます」
大公は察した。大将たちは、盟主を生け贄の羊――スケープゴートとして供し、投降する気なのだ。大公の娘、ウアリが恐怖の声を漏らした。
「お、お父さま? 私、死ぬんです――の?」
「そんなことはないぞウアリ。おい大将。きさま、弑逆だぞ! こんな馬鹿……」
「撃て」
最後の言葉を完全に言い切ることさえ許されなかった。十数本の光線に貫かれ、フィーリック・シオ大公は一五六年の人生を終えた。座したまま絶息した大公の手から酒瓶が落ち、床で割れて破片が飛び散った。まだ二五歳のフィーリック・ウアリをはじめ、大公のしもべも、うら若い半裸の美女に至るまで全員が殉死していた。彼らの死は無情で、一瞬のものだった。まるで戦場における命の価値とおなじていどに。
数分後、反乱軍艦隊はすべての母艦と天馬が動力を停止し、防御帆を畳んで降伏の意志を示した。ただし『責任者の命を取らない』という条件付きで。受け入れない場合は強行突破して戦場を離脱した後、知性図書館に突入して玉砕するという内容だった。それは帝国軍の呼び水を意味している。
* Fekt Ear
攻撃を中断したエエから報告を受けた瞬間、エアーは顔を伏せた。
「……ウアリが!」
いくら最近付き合いが途絶えていたとはいえ、大事なはずの友人だった。若すぎる。その不条理な死を知らされたエアーは、必死に涙を見せぬよう、務めていた。
(どうして! まだ会ってないのに!)
だが悲しむ時間を状況は与えてくれなかった。エエの権限では決定を下せない、政治的な課題が転がっている。しかもすぐに結論を出さないといけない。それはエアーも分かっていたから、年相応に大声で泣くのを我慢しているのだ。ただ涙が出るのは止められない。顔を隠すしかなかった。
さすがに責任を放棄するわけにはいかず、三分ほどして無理矢理落ち着かせると、エアーは判断を下すべくサリィや各艦隊の幕僚陣と協議した。しばし苦悩した末、一五分後に受諾した。エアーにとって大将との苦々しい通信が終わると、勝者は深く息を吐き、目元にハンカチを当てて感情を誤魔化した。
「ウ……ウアリは親友でしたのよ! サリィも仲がけっこう良かったじゃない。死ぬ理由なんて――いえ、それはともかく疲れましたわ。仲間の首をさしだす裏切りを、善しとする悪趣味な美学は私にはありませんのに。本心は復讐したくて、溜まりませんわ」
すこし離れた場所でレーレ参謀長と話をしていたエエ特将が、エアーの内心を察しながら言った。
「非道者を逃がさない自信はあるけど、それ以前に認めませんと、ただでさえ激減している戦力がよけいに失われますからな」
「……そうですわね。先もありますし、犠牲を抑えるには、今回は……仕方ないですわね」
脇に立つサリィが察して口添えしてきた。
「イトイー老人は財力と権限を奪って流刑とし、エアーさまのお目に触らぬ辺境で、不満を持たないていどの待遇で飼い殺してしまえばよいでしょう。半世紀もすれば寿命で勝手にくたばります」
「実績と人望は無視できませんわ。今後、なにかと災いの種になる可能性はなくて?」
「それに備えて軍資金を没収し、隔離するのです。事を起こしても小規模で済むでしょう。そしてそのときこそ、こたびの罪も鳴らして処断なされば片は付きます」
「……気の長い復讐ですわね。ウアリは天国で私の報告を待つことなく、とっくに転生してるかも知れませんわ」
そこにレーレ参謀長へ事後処理を任せたエエ特将が寄ってきた。
「さてと、勝った勝った――小官の役割は終わったから、姫さんに元帥杖をお返ししますぜ。さすがに元帥さまでは天馬に乗れないので私としてはあまり楽しくないわな」
エエはエアーに杖を渡そうとした――が、当のエアーは杖へ手も伸ばさず、指揮座に腰掛けた状態で硬直し、額に汗がたらり。
「あれぇ? 姫さんどうしました? 受け取られないんですか?」
エエはわざと周囲に聞こえるような大声で、注目を集めた。
「……ずるいですわよ。私に泣く暇を与えないつもりですわね」
小声でエエにささやくが、エエこそいじわるそうな目をして言い返してきた。
「なんのことですかなぁ? それでこの杖、接着剤かなにか存じませんが、手袋から離れないんですがねえ」
杖を持っている手を離してみせたが、元帥杖は手袋に張り付いたままだ。
「騎士の手袋を台無しにするなんて、決闘物ですよ。小官にいたずらなさるなんて、お気が悪いですねえ――黒衣姫陛下?」
「……その呼び方はおやめになって」
「黒衣姫陛下、黒衣姫陛下、黒衣姫陛下、黒衣姫陛下、黒衣姫陛下」
「みいいい」
エアーは耳を押さえて椅子から降りると、艦橋内を走って逃げた。
エエがしつこく追いかけてくる。
「黒衣姫陛下、どうされました。黒衣姫陛下、この杖を受け取ってください。黒衣姫陛下」
「ごめんなさい~~」
黒衣姫陛下はバランスを失って転倒すると、その場で耳を押さえて床の上を転がった。
「いやあぁん」
総旗艦ヤルスルングルーンナガレの艦橋はのどかな歓声に包まれた。
* Lasni Toes
二回目の出撃も無事生還したフォレー准尉に、エエ少将の首席近侍官ラシニ・トゥエシ大尉が連絡を入れた。
『なんですかラシニさん?』
さすがに疲れた顔をしている。
「クラーニセ坊や元気にしてるかい。生きてるかい」
『ごらんの通りですが』
「私は団長が出られなかったため、旗艦詰めで体が鈍って仕方なかったよ」
『はあ』
「そうそう、前回は団長に騙されてなんも頂けなかったってね。今回は私から特別にご褒美をあげよう」
『え?』
「今日の黒衣姫陛下さま、ベストショットだ」
ちょうどエアーが転がり、嫌がっている場面が映った。ラシニは艦橋でエエの後方に控えていたのだが、暇なので記録係と称してビデオを回していた。
『――――!』
「なっ、鼻血だと坊や! 別に下着とか見えてないのに?」
『いえ、すいません。その、あの、あそこまではだけた足だけで刺激的でして……』
彼氏のいないラシニは六歳年下のフォレー少年が意外に好みだったので、ひそかに狙って度々連絡を取っている。だがクラーニセの名に恥じず、ロリコンの気はやや重傷の域に来ているようだ。
顔で決めるのそろそろ止めようかな、というのが、鼻血を見た面食いの感想だった。