第二章 知性図書館 Si rforeme

よろずなホビー
星よ伝え/序章 第一章 第二章 第三章 第四章 第五章 第六章 終章 小辞典

     * Ugwrxetorme
 第一〇七次シ・レフォーエメ星戦に参加したウグレラルナ軍の戦力は二個艦隊一七〇隻、天馬約一四万騎、人員一八万名だったが、生還できたのは八隻、五〇〇〇騎、一万六〇〇〇名という散々たる有様だった。生還者のうち六割は脱出艇によるものだ。
 大きすぎる玉座に腰掛けるというより埋もれた状態で、新王となったエアー一世は目前に浮かぶ電磁スクリーンの資料を見て嘆息した。王の証である六枚の付け羽根も揺れた。
「逆に笑いたくなるような全滅ぶりですわ」
 と言いつつも、顔は泣き晴らした跡が鮮明で、寝不足のクマも生じている。化粧をすれば隠せるはずだが、エアーは固辞した。黒衣と同様、心情を効果的に自己主張することはエアーのポリシーだ。それを反映して、左腕の喪章は巨大に作られている。
 傍らに立つサリィも喪章を付けているが、控えめだ。右手にはエアーとおなじ、被害の詳細を伝える資料を持っている。
「一ヶ月前は三個艦隊二四〇隻、天馬二七万騎、人員三〇万人でしたから、知性図書館の決戦前ですでに戦力の減少は深刻です。艦隊司令官も一人戦死しており、解散した底天艦隊の残存戦力は親衛と北天の二個艦隊に適当に分散しただけ。指揮系統の統一や再編成もろくになされておらず、これで勝負になるはずがありません」
「お父さまもお兄さまも、どうして被害を隠し、戦力補充もしないで、戦いを続行したのかしら……」
「補充の手配が遅れたという噂もありますが、真の事情は総旗艦ジットウゲッテン・テルゲルヘゥシア司令部の生存者が皆無なので知りようがありません」
 エアーは一瞬押し黙る。皆無――つまりソエセ三世もフォー王太子も、乗艦の撃沈に巻き込まれ、一瞬で死んだのだ。脱出する暇《いとま》すら与えられず。
「――ぶ、分艦隊以上の指揮官クラスで生存者はおりますの?」
「北天艦隊所属、烈花騎士団長のエエ・クトゥーレイ准将が無事です。ほかにはいません」
「騎士団長が分艦隊を?」
 サリィは顔の周辺に電磁スクリーンを複数投影して検索した。
「能力があるということで、今年の六月から併任していたようです。軍家の貴族なのにあえて一般選抜から騎士になった変わり種で、開戦時は大尉でしたので、わずか二年で五階級も昇進しています」
「めざましい出世ですわね」
「それだけ目立つ戦功を幾度も挙げてきたようです。知性図書館の戦いでは、騎士団とおなじ名前の烈花分艦隊九隻を指揮していました。じつは帰還した八隻のうち五隻までは烈花分艦隊のものです」
「……呼んでくださるかしら。ついでに人払いを。もちろんサリィは一緒でしてよ」
     * Fekt Ear/Ee Ktowri
 二〇分後、謁見の間に出頭したエエ・クトゥーレイは、騎士の軍装に身を包んだ燃える赤毛の女性将校だった。見た目原種二五歳前後、実年齢は六七歳だ。美女ではないが、個性的な美人の部類に入っていた。軍規ぎりぎりのミニスカートが年に合わず映えている。同性ながらエアーは見とれてしまった。
 准将は片膝をついて頭を垂れた。
「エエ准将でございます、フェクト・エアー陛下」
「このたびはご苦労でした。部下を大勢失われて大変だったことだと内心お察しします」
「不躾ですが陛下、いくらお若いからといっても、臣下に対してお言葉が丁寧すぎますよ」
「……え?」
 いきなりの諌言にエアーの体は固まった。
 頭をあげ、エエはつづける。
「もはや国王になられるからには、大上段から普通のお言葉でいかにも偉そうにおっしゃいなさいませ」
「ええと」
「おじいさまからの手紙でお噂はかねがね聞いております」
「ああ!」
 席を立って思わず准将を指さした。
「まさかエエ・クゥヴエ先生の?」
「恥ずかしながら小官、辺境伯の孫でございます。先王ソエセ三世陛下より男爵号を頂いております」
「……気付きませんでしたわ。エエ姓ってよくありますし」
「ですから、お言葉を」
「ずっとこれで慣れておりますし、昨日の今日でいきなり手のひらを返したように話し方を変えましたら、違和感がありすぎましてよ。きっと皆の不安を煽るでしょうし」
「――それはそうですね」
 にこっと笑う。
「でしたら小官がご指導致しますので、すこしずつ慣れていきましょう」
「はい?」
「よい日取りを後々、お知らせください」
「あの、ですから」
「女王さまは王者らしい言葉遣いをなさったほうがよろしいですよやはり、うん」
「自己完結しないでくださいませ!」
 どんっ、と玉座の膝掛けを叩き、すかさず隠し持っていたボタンを押した。
 天井より昔から変わらぬ金ダライが音もなく落ちてくる。
 タライが脳天を直撃しようとした――が、それをエエ・クトゥーレイは音速の手刀で一閃した。軍家の遺伝子が育んだ常人業でない怪力によって無惨にも変形したタライはころころと転がってゆく。床に落ちても音はほとんどしない。
「あああ、『消音くん』が! 二ヶ月ぶんのお小遣いをつぎ込んで開発しましたのに!」
「そんな妙なもん作るなよ姫さん。黒衣姫の裏の名が悪戯姫っていうのは本当なんだな」
 早足で近寄ってきたエエにおでこを軽く弾かれ、エアーは怒った。
「い、痛いですわ――近衛兵!」
 と言っても、サリィ以外誰もいない。
 サリィがつぶやく。
「人払いなされたのは陛下でございますよ」
「……むぅ」
 いくら親兄弟が亡くなっても、直接現場や遺体を見たわけではない。よって甘やかされて育ったエアーの本質は自粛することを知らなかった。一時の感情がすべての悲しみを凌駕し、タライを落下させたのだ。
 本質といえばエエもだ。悪びれもせず、頭を掻く。
「あ~~、本性晒してしまったから仕方ないか。これが私、エエ・クトゥーレイですわな。ごめんな姫さん。痛かったかい?」
 額をなでてくる。その手をエアーは払った。
「もう……せっかく見かけがお美しいのに、その赤髪の下に隠れた脳みそはおじいさまとほとんど同じ構造ですわね。仕掛けに対する反応は逆でしたけれど」
「エエ家の辞書は三代くらいじゃそう簡単に書き換えられませんよ。それでなんの用ですかね? 姫さん」
「王ですわ。それに玉座のそばで、主上を見下ろしたままでおっしゃらないでくださる?」
「こんなに小さくて可愛いのに、姫さん以外では呼べないさ」
「……褒められても嬉しくないですわ」
「国葬と戴冠が済んだら陛下と呼んでもいいですよ。とにかく人払いをしたからには、腹を括った話があるんでしょう? 形式はよしときましょう」
「……わかりましたわ。私は、知性図書館でなにがあったのか知りたいのです。できるだけ詳しく。とくになぜお父さまが無謀なことをしたのか」
「――それは小官が知りたいくらいだけど、いいでしょう。私の視点で、わかる範囲でお教えしましょう」
 エエ・クトゥーレイは玉座から離れると、背中を見せて階段を下りた。騎士だけに許されるハーフマントは真っ赤で、ヒマワリの品種改良種、烈花と呼ばれるヤルス草の派手な紅色の大輪が丁寧に刺繍されていた。マントの下から覗く四枚ある軍羽にも烈花《ヤルス》が薄く浮き上がっている。
 距離を取ると、かしこまったように振り向いてエエは語りはじめた。
     * Ee Ktowri
 優しいミルク色の宇宙の一角で、青白い光の集団が生まれた。
 光点は二三四個。寿司詰めなウグレラルナの艦隊と比べ二〇倍は間隔を取っている。光たちは光度を増しつつ、その出現を阻もうとするなにかに抵抗するかのように震えながら、数秒をかけて各々が船の形を成しつつあった。つづけて唐突に小さな光が数千個、艦隊の前方に出現した。やがてすべての光が消えかけた――ところに、前触れもなく大量の輝く槍が飛び込んできた。
 槍はすべて、艦隊の前方に現れた小さなものに阻まれた。
 衝突で爆縮が起こった閃光の中で、安全弁が外れて出会った物質と反物質が対消滅を起こした。全質量がエネルギーとなって解放され、たちまち白い爆裂の連鎖が起こり、広範囲に熱波の嵐がわき起こる。猛烈なプラズマが一瞬にして星間ガスを蒸発させ、それによって発生した乱流が、爆発の外側に向かって花火のように吹き荒れた。
 やがて衝撃波が収まると、ブルガゴスガ帝国軍の無傷な姿があらわとなった。
 艦の形状はいずれも美しい流線形で、洗練されている。平均全長は五・五キロ。すべての艦に魚の背ビレや胸ビレのような青い帆状の構造が縦に走って淡く輝いていた。防御帆と呼ばれる強力無比な力場発生装置で、空間位相も利用して爆発を受け流している。帆は防御マストとマストの間に、幕のような感じで張られている。
 小憎らしい帝国艦隊の全容が正面の大スクリーンに映し出されていた。
「敵の損害、皆無!」
 オペレーターの悲痛な報告が母艦ヤルスルンの艦橋内に響いた。
「やはりまたデコイ(囮)群の時間差跳躍か。脳天気王子さまは弾の無駄撃ちを何度やったら気がすむんだ!」
 指揮座から立ち上がり、エエ准将は大胆にもフォー王太子を批判した。それに賛同する声がいくつも挙がったが、いずれも黄色い。ヤルスルンの艦橋内は、個性的な多くの美しい花で彩られている。女性という名の。
 烈花分艦隊の司令部は女性士官のみで構成されていた。エエの趣味だ。
「前回の核融合弾と異なり、今回は対消滅弾です。はじき飛ばせると思ったんでしょう」
 隣に立つ参謀長のレーレ大佐がつぶやく。大佐は近くの空中に電磁スクリーンを浮かべ、各種情報を確認している。
「対消滅弾でも甘い甘い。いまの帝国軍は重力津波の集中砲火すら無効化するだろうよ。戦略量子爆弾でもありゃ別だが、ウグレラルナで保有してるわけねえか。セトエトゥ中将閣下も参謀長としてちゃんと王子さまの尻叩いてくれよな。希代の天才っていうのに」
「いくらフォー殿下の宮家司でも無理ですよ、王族のご意志なんですから。あ、第二波の攻撃指令が来ました。弾種はまた対消滅弾、自動で同調射出します。三、二、一――」
「あ~~、もったいない。才能も物資も……」
 スクリーンに映るヤルスルンの主砲群が一瞬だけ赤く輝き、電磁力により加速した弾体が光の速さの一五パーセント、秒速四万五〇〇〇キロという初速で撃ち出された。一秒で地球表面を一周する速さだが、放たれた弾体はロケットとなり、反重力場推進により加速をつづける。最終的には数十秒ほどで光速の七~八割、二秒とかからず地球から月に到達する超高速で安定する。これ以上の速度は弾が保たない。
「投射砲門急速冷却終了、次弾装填準備よし」
 一発でも地球型惑星表面の数分の一を焼け野原にする破壊力を秘めた巨大砲弾群の赴く先は、スクリーンに映っている帝国軍だったが――しかしその姿がぼやけ、消えた。数秒して結ばれた像は、なにも映らぬ白く煙った宇宙。
「跳躍子妨害がはじまりました。もはや通常光での観測しかできません」
 跳躍子は時間停止宇宙という異世界の物理法則に従う、光速の壁を突破できる特殊な人工粒子だ。二光分以上離れているため、敵を通常光で捉えることはまだできない。
「距離は何光分だ?」
「当初は二・一光分でしたが、こちらの空間跳躍妨害で四・三光分にまで出現位置を遠くへはじいています――第三波の攻撃指令が来ました」
「四分前の敵を狙っても当たるものか。レーレ・エミ大佐、私は脳天気の命令通り天馬レットゥ・フーレイで出る。後は任せたよ」
「はっ」
「頼りにしている」
 さりげなく大佐に近づき、すり抜けざまその頬に軽くキスをしてゆく。レーレ大佐の惚けた吐息を背に、エエは艦橋後部にある出入り口から移動通路に乗った。待っていた女性騎士が数名、同行する。
 近侍官のラシニ大尉があきれた顔で近寄ってきた。
「団長、あんなことするから同性愛者だ百合だと誤解されるんですよ」
「かまわねえよラシニ。実際むさい男なんかよりかわいい女の子のほうが好きだしな」
 騎士の服装は黒を基調として地味な一般の軍人とは異なり、貴族趣味溢れた華麗なものだ。軍羽は刺繍で縁取られ、軍靴には様式として黄金の滑車が付いている。そして烈花騎士団最大の証は、真っ赤なハーフマントだ。エエ提督は両肩から騎士団長の証を示す羽根飾りを下げ、胸元に提督を示す軍章を輝かせていた。
 数分も進むと移動通路が集まってゆき、細長く広い大通りに出た。長さはほぼ一キロメートルあり、両側の壁面には一〇メートル置きに扉がついている。天馬の格納庫スペースだった。
 エエは左側一番手前の扉へと入った。部下たちも近くの扉へと散ってゆく。
 薄暗い格納庫には真紅の機体が寝そべっている。天馬レットゥ・フーレイ、全長二四メートルの戦闘艇だ。これ一機で無防備な惑星のひとつくらいなら焦土にできる。
 レットゥ・フーレイの右隣に、一回り小さい量産型天馬が一列にどこまでも並んでいた。いずれも赤系統の色に塗装されている。
 愛機に天馬中央のハッチから乗り込む。奥にあるコクピットは単座式だ。
 電源を入れて天馬を起動させると、エエは通信回線をオープンにした。
「烈花騎士団長のエエ・クトゥーレイだ。遅くなってすまない。全機始動せよ」
 百騎長以上の士官数十名から一斉に返答が来る。エエは頷くと、一時的に回線を切った。
「――思考接続《ナートゥエアー・クニノクトゥロ》」
 エエは思考接続を同調させた。思考は微弱な生体電気による物理現象なので、個々人のパターンを登録することにより機械で読み取ることができる。両手両足の動きと音声入力、思考の多重入力で操縦する。
 蜂の腹に似た後部の動力部が青白く輝くと、レットゥ・フーレイはふわりと浮かび、広大な格納庫内を奥へと進んだ。ほかの機体もつづく。反重力場推進により音はしない。燃料噴射や駆動による機動はほぼ絶滅して久しく、もっぱら重力制御だった。
 壁際まで進んで止まると、後方でシャッターが降りた。急速に空気が抜かれ、周囲が真空になると合図の音がして前方の壁が開いた。エアロックの向こうは宇宙空間までさらに三〇〇メートルほどあり、間にいくつもの隔壁が設けられていた。そのすべてが上下に退き、白い宇宙が覗きはじめる。
「烈花騎士団、発艦!」
 赤い天馬たちは、宇宙放射線と電磁波が荒れ狂う宇宙へと乗り出した。
「我につづけ!」
 先頭に立ち、母艦ヤルスルンの後方に向かう。ヤルスルンの周囲には赤い船ばかり八隻が寄り添っていた。いずれの側面にも数列のスリットが開いており、赤い天馬が大量にはき出されている。
 味方の集結を待ちながら、艦隊の様子を確認する。ブルガゴスガ帝国軍に比べずんぐりとふくらみ旧態めいた作りの母艦は、ほとんどの艦が傷ついている。防御マストは折れ、砲門は潰れ、装甲鈑のあちこちが焼けただれ、破壊された外壁は応急修理の跡が痛々しい。
 生き残った防御マストが、青い防御帆を展開してゆく。ラグビーボールの出来損ないみたいだったものが、マグロへと見栄えが劇的に変化する瞬間だった。
 そのような巨大魚の群れが、ところ狭しと集まっている。平均全長四キロメートルに達する母艦一七〇隻が、直径一五〇〇キロしかない知性図書館を完全に背負うように寿司詰めになっている。
「まるで観艦式だな。こんなに極端に固まるなんて、まともな陣形じゃない。容積にして、通常の艦隊の一万分の一以下といったところか。うまく中央で戦略級弾頭にでも炸裂されたら、一撃で全滅だ――もっともそんなことをしたら、図書館まで危ないけどな」
 宇宙の半分が輝いた。敵からの第一波が届いたのだ。前衛の母艦がデコイを射出し、同時に迎撃の中性子粒子ビーム弾幕を張っていた。音は一切せず、肉眼では瞬間的な爆発の閃光が生まれては消える、地味な花火がひたすら展開されてゆく。
「おかしいな、爆発が小さい。レーレ大佐、敵の弾種はなんだ?」
 ヤルスルン艦橋にいる大佐が答えた。
『全弾、核分裂弾です』
「なんだと! ただの対空弾じゃないか。直撃しても天馬しか墜とせないぞ」
 登場した当時は悪魔の発明と怖れられた核兵器も、時の流れで通常兵装になっている。放射能も問題ではない。
『知性図書館が傷つくのを怖れている、と見せかけている可能性がありますね』
「なるほど――あの図書館の頑丈さを、帝国軍は知ってる。なにせ過去一〇六回の争奪戦で無傷で、そのうち三二ないし三回は目撃者の片割れが帝国だったんだからな」
『その通りです。ただ、見せかけている可能性は個人的には高いと思いますが、情報が少ないので断定とまではいきません。より正しい判断は上でするでしょう』
「でもいくら総司令部の参謀陣が優秀でも、肝心の王子さまが最近あれだからなあ」
 その後、第二波第三波と一斉射撃があった後、攻撃は散発的になってきた。こちらの艦隊も未来位置を予測して砲撃をつづけている。
 だが――騎士に指令が下りない。
「……なぜなにも命令が出ないんだ。進撃させて敵艦隊を襲うなり、敵騎士団を迎撃なりするのが常道だろう」
 いぶかしく思い、上司の北天艦隊司令官へ通信回線を結んだ。高壮の男性が出た。
『どうしたエエ准将』
「不躾をお許しくださいレネ中将。どうして騎士団が遊兵のまま放置されているのか伺いたいのです」
『フェクト・フォー殿下のご判断だ。帝国軍艦隊は知性図書館を怖れ攻撃の手がゆるい。艦隊戦は艦砲のみで対処する。よって騎士団は全機で敵騎士団を迎撃する』
「まさかこの場で? せめて三〇光秒は敵陣寄りでないと、母艦が危険すぎます!」
 俊敏な天馬の群れが鈍重な艦隊より強いのは覆せない真理だった。その影響で戦艦等大半の艦種が消滅し、現在は実戦用の軍艦といえば空母機能を持つ『母艦』しか存在しない。そして母艦の一〇〇〇倍以上という規模で天馬が編成される。
『天馬の総数は敵が推定二二万騎、こちらは一四万騎と少ない。まともに当たるのは愚の骨頂だ。しかし知性図書館が近くにあると、敵の騎士は攻撃の手がゆるむはずだ。戦略目的が図書館の奪取であるからな。それに通常光による観測だと、敵の天馬は四割が艦隊守備に残り、こちらへ飛来しているのは六割らしい。数でほぼ同等となる。そういうことだ。私は忙しい、切るぞ』
 レネ中将の顔が消えた部分の内壁を、エエは怒りの拳で打った。同時にレーダーに反応が出る。エエはすかさず指揮用の回線を開いた。
「敵襲だ! 烈花騎士団、全機防御帆開きつつ桜花陣に展開せよ! 左翼ニレク、右翼トフォナー、上翼アレク、下左翼フィート、下右翼エフォマ各千騎長が務め、私の直属部隊は中央に集結。急げ!」
 スクリーンに五名の千騎長が現れて敬礼し、すぐに消えた。いずれも有能な女性中級指揮官で、階級は大佐だ。
 三〇秒とかからず、烈花騎士団は五枚の花弁をもつ美しい桜の花となった。周囲ではほかの騎士団も各々の陣形を取りつつある。同時にそれらの陣形が淡くかがやきだす。
 白い宇宙に地味に溶け込んでいた天馬はいまや、八ないし一〇本の防御マストを立て、トルコ石のように鮮やかな蒼天色の防御帆を張っていた。
 騎士たちがにらんでいるのは、帝国の砲撃が来ている方向ではない。四〇度近くずれた白い空間だった――そこに、肉眼で多くの光点が煌めきはじめる。にわかに光の洪水が出現した。
「ラシニ、敵の数と構成は?」
 レットゥ・フーレイに寄り添うように従っている近侍官ラシニの天馬サラレ・メナァーは、高い情報収集能力を持っている。団長機が指揮に集中できるようにするためだ。
『推定一四万騎。データベースより構成騎士団は水羅・空牙・地鎮・幻視・破邪・天元・白亜――あとは不詳。烈花騎士団の正面は白亜騎士団! 渦巻銀河円盤陣です』
「白亜騎士団だと……白い死神が!」
 歯ぎしりをする。
(これまでの三回の戦いで、いずれも艦隊守備を務めていた死神がこちらに来たということは――帝国軍はヤる気だ!)
「烈花騎士団、X線ビーム一斉射撃用意!」
 赤い天馬の砲門群が白い敵陣を狙う。
「狙点、白亜騎士団の中央! 撃てぇ!」
 光速の衝撃が数万本、巨大な桜から放たれた。
「核カートリッジ再装填、全機任意で射撃をつづけよ!」
 X線ビームは一度射撃するごとにカートリッジを入れ替えるので連射が効かないが、ごく小規模とはいえ核爆発を用いるビームなので威力は大きい。
 敵騎士団からの砲火も届いてきた。大半は防御帆の力場で逸らされるが、運悪く同時に何発も受けた天馬は負荷に耐えられず防御力場を突破され、被弾して後退する。
 烈花騎士団と同様、ほかの味方騎士団も動かず、陣形を維持しつつ射撃を繰り返す。しかし敵からの弾幕も激しく、損傷する天馬がぽつぽつ出てきた。撃破される機体もいる。
「怯むな! ランダム回避を取りつつ、落ち着いて無人の従騎を効果的に盾とせよ!」
 各騎士には従騎と呼ばれる無人の天馬が数騎以上与えられている。プログラムによる自動操縦で、騎士の命令にも従う。主人を守るよう本能的に刷り込まれているので、無人機の消耗率は有人機の二倍以上。通常八割の従騎率は、三回の戦いで現在七割弱にまで低下していた。
 一分も射撃戦を行っているうちに、距離は急速に縮まってきた。
「後衛部隊、重力津波ミサイル、量子ミサイルの混合で、放て!」
 後方で防御に余裕のある天馬が一斉にミサイルを発射する。敵もミサイルを雨のように発射してきた。敵陣との中間地点でミサイルが互いに補足し合ってぶつかり、大量の大爆発が生じる。
 赤い閃光と重力震のシャワーを浴び、エエは叫んだ。
「全機抜刀!」
 レットゥ・フーレイが劇的に変化した。機体横部に張り出していたブロック状構造が変形して二本の腕となり、下部に据え付けられていた棒状のものを取って伸ばしてゆく。それは幾重にも折りたたまれていた槍で、完全に伸びきると全長二〇〇メートル余、レットゥ・フーレイの八倍以上ある長大な槍となった。前半分が赤く熱して輝き始め、円錐形にふくらんで欧州の騎士が大昔に使っていたランスのように様変わりした。それを二本、二刀流だった。
 おなじ変化は周囲すべてで起こっていた。持つ武器は槍・剣・斧・鎌・棍棒状等、さまざまな形だが、共通する特徴はやたらと細長く巨大だということだ。短くても天馬本体の四倍を下回ることはない。この光器と呼ばれる武装こそ、天馬を駆るパイロットが騎士と呼ばれるゆえんだ。
 大爆発の輝きが消えて宇宙が晴れると、視界いっぱいに銀河系の形を彩る大量の青い光点が迫っていた。敵との距離はもはやほとんどない。
「突入!」
 先頭を切ってレットゥ・フーレイは駆け出す。すぐ周囲を六騎の従騎が囲み、近侍官のラシニ機サラレ・メナァーもついてくる。
 射撃武器を連射の効くレールガンに切り替え、乱射しつつ獲物を探す。さっそく手頃な白い天馬が一騎、迫ってきた。光器モーニングスターを振り回してくるが、従騎たちが行く手を阻む。そこに敵の従騎どもが手を出してきて従騎同士の戦いとなった。
 手の空いた敵機はふたたびレットゥ・フーレイを――しかしすでにエエは逆に懐へ飛び込んでいた。槍で串刺しにして動きを封じると、サラレ・メナァーがきて至近からレールガンを連射し撃破した。防御力場もおなじ箇所への連続攻撃には耐えられない。
 主を失うと従騎は一瞬混乱する。その隙にエエの従騎は敵を一気に押して全滅させた。こちらに損害はない。
 つぎの獲物を探すが、様子がおかしいことに気付いた。
「敵がいない?」
 周囲には味方の赤い天馬しかいない。
『団長、大変です! ほとんどの敵が一合か二合打ち合っただけで、すり抜けていきました!』
「なんだとラシニ!」
 レットゥ・フーレイを回頭させると、青白い光の海が味方の艦隊めがけて殺到していた。辺りを見渡すと、騎士団同士の壮絶な近接格闘戦があちこちで行われている。白亜騎士団だけが防御線を素通りしたのだ。
『してやられました! これほど見事な突破は見たことがありません』
「褒めてる場合か。烈花騎士団、全機白亜騎士団を追撃する! ソエセ三世陛下をお守りせよ!」
 ――しかしすでに遅かった。
 数十秒後、エエの目前で巨大な火の玉が出現した。その赤い地獄は収縮し、真っ黒で不気味な空間へと取って代わった。
「戦略ブラックホール爆弾……」
 惑星や要塞天体を破壊するために使用される、直径一〇〇メートルはある巨大な弾頭だ。一発で母艦数隻ぶんもの値段がするうえ、艦隊戦で使用しても弾速が遅く的も大きいので有効距離の前で墜とされるのがオチだった。使用場面がごく限られるが――天馬で運べば問題はない。
 モニターで拡大して確認すると、艦隊の中心に重力崩壊による穴がぽっかりと開き、直径数百メートルのブラックホールが出現していた。さっと見たところ、すでに艦隊の半分ほどが消失していた。
 生き残った母艦がつぎつぎと引力の蟻地獄へと呑み込まれてゆく。強烈な重力でねじ曲がり、解体されながら、黒い井戸へと消えるまで奈落のダンスを踊りつづける。星間ガスも激しい流れを作り、一方向へ回転しつつブラックホールへと落ち込んでいた。余剰エネルギーが高速ジェットとなって自転するブラックホールの上下から噴出しはじめる。
 諦めずに引力と格闘している母艦もまだ多い。しかし遠くから容赦ない白亜騎士団の射撃が浴びせられる。いずれも艦の後部――つまり重力制御エンジンに。母艦の防御力場は強固なので簡単には被弾を許さないが、時間の問題だ。
 エエはセンサー類を総動員して総旗艦を探したが、側面に『JITUGETEN TELLGELHEUSA』と書かれた全長七キロの巨大母艦や、それを守っている黄金の近衛騎士隊も一騎も見あたらない。
「私のじゃ埒があかない! ――ラシニ、親衛艦隊はどうなった?」
『…………』
「ラシニ!」
『……す、すいません団長』
「陛下はどうされた? 脳天気王子は?」
『総旗艦ジットウゲッテン・テルゲルヘゥシアは――』
 声が震えている。
「親衛艦隊の旗艦は?」
『反応がありません。北天艦隊レネ・クゥ司令の旗艦も同様です。脱出艇もだめです』
 二個艦隊の旗艦が、二隻とも一瞬でブラックホールに呑まれたことになる。
「そうか……」
 エエ・クトゥーレイが黙祷のために目をつむったのは数秒だけだった。回線に誰かが割り込んできたからだ。
『提督、ご無事でしたか』
 自分の母艦を任せたレーレ大佐の顔だった。エエ准将の顔がさすがにほころぶ。
「ヤルスルンは健在だったか」
『健在というほどではありませんが、提督のかわいい向日葵は九輪のうち七輪が無事でございます。ただいま全艦、ブラックホールの引力圏から脱出できる軌道に乗りました』
「艦隊の外殻近くにいたのが幸いしたか。待ってろ、いますぐ助けにいく。ありったけの弾幕を張りつつ、撤退準備を開始しろ。跳躍子妨害を中止し、空間跳躍用の跳躍子をフル生成だ」
『すでに行っております』
 異世界の粒子の跳躍子は、この宇宙では極めて不安定で、電気と同様、大量には長時間溜めておけない。
「さすがだな参謀長」
『お待ちしております』
 国王の死に落胆してばかりはいられなかった。エエは烈花騎士団の混乱を鎮めると、掃討戦に入っていた白亜騎士団を後方から急襲した。ミサイル乱射によって白亜騎士団は一時慌ててブラックホールに追い落とされる天馬が続出し、少なからぬ被害を出したが、すぐに体勢を立て直すと、激しい反撃にうってでた。
「こちらは八五〇〇騎、白亜騎士団は二万三〇〇〇騎――勝負にならん、圧倒的に不利だ。味方は来ないのか?」
 遠くの戦況を確認すると、味方の騎士団は包囲され、一方的にやられていた。ソエセ三世とフォー王太子が戦死した動揺から立ち直れないのだ。戦闘を停止し、降伏する部隊が続出している。
 無惨な総崩れだった。
「もはや戦いどころではないな」
 いかに生き延びるかが大切だった。
 エエは烈花騎士団のすべての天馬を烈花分艦隊の周囲に集結させた。ほかの残存母艦を守る余裕はないと判断し、戦力を集中したのだ。たちまち白亜に攻められせっかく生き残った母艦が沈みはじめるが、それを守ればこちらが全滅する。沈み行く母艦からエエへの非難が呪詛となって放たれるが、准将はあえて正面から受け止めた。
「おまえたちの復讐は必ずする! すまない」
 無事抜け出せた脱出艇や母艦に対してはフィート千騎長とニレク千騎長の部隊を護衛に回し、こちらに合流させた。
 ブラックホールはいまや星間ガスが寄り添って土星の輪が巨大になったような回転円盤を形成し、上下にジェット流が大きく噴出する白いガスのメリーゴーランドと化している。本体はまったく見えない。
 やがてブラックホールから離れ安全圏に出たところで、包囲網を奇跡的に突破して敗走してきたべつの騎士団の天馬を回収し、敵の空間跳躍妨害をかいくぐりつつ、即座にむりやり空間跳躍に打ってでた。
 エエはヤルスルンの艦橋に戻って指揮を執る。
「提督、敵の妨害が強力です。跳躍予定先に跳躍子の連絡を繋げられません」
「あらゆる波長でねじ込めレーレ! なんとしてでも空間跳躍して逃げろ」
 時間を取られているうちに、白亜騎士団に囲まれ、一隻・二隻と沈められてゆく。ヤルスルンも満身創痍となっていった。
 そのような危機的状況で、不可解な通信が入った。
「なんだ?」
「敵将が提督と通話を求めています!」
「……まさか皇帝モフレ・クゥロか?」
「白亜騎士団長です」
「白い死神だと……わかった、映せ」
 正面スクリーンに、天馬のシートに座った若者が映った。
 艦橋内が一瞬呑まれたように静まりかえる。
 シルクの透き通るような白い軍服に身を包んだ、銀色に輝く白髪の青年だった。それは老人のような白さではなく、清潔で真摯なイメージが沸く、健康的な白さだ。
 面構えはじつに整っていて、猛禽のような鋭い眼光と、誠実そうな柔らかい口元がバランスよく配置されている。軍人として人の上に立つべくして立っている美丈夫だ。彼の履歴書には、帝国最強の騎士にふさわしい驚異的な戦歴が綴られている。あまりの強さに敵からだけでなく、味方からも死神と畏怖され敬遠される、その名は――
 エニフ・リートゥレ大将。
 六三歳にして帝国軍騎士総監、爵位は上からふたつめの侯爵。母親はウグレラルナのさる大公家の出自と噂され、彼女がブルガゴスガの大公家へ嫁いで生まれたのが彼だった。傍流だが皇帝の親戚筋に当たり、第一七位ながら帝位継承権すら持っている。
 事実ならエアーの遠戚ということになる。ウグレラルナでは『大公』は王族が家臣となったとき下賜される公爵位とされ、普通は本人一代限りだった。しかし多大な功績を残すと姓を変えて五代まで実子に継がせることを許され、扱いは公爵中の上位となる。この方法以外で大公家が誕生することはないため、フェクトの血を受け継いでいるのだ。ウグレラルナのフェクト王家は、長年に渡る遺伝子の洗練で美男美女揃いだ。白い侯爵の、軍人にしておくには惜しい美貌は、フェクトの血筋という噂も納得できる。
『エニフ・リートゥレである』
「こたびは新たな伝説を作られましたな、エニフ閣下。小官はエエ・クトゥーレイ准将だ」
 相手が相手なので、立ち上がって話はする。しかし侯爵であろうと、敬語など最初から使う気はないし、敬礼もしない。
『そなたの最初の攻撃、見事だった。あの精密な集中射撃で数百騎がやられた。主を失ってからの回復も予想外にすばやく、背後からの奇襲も鋭かった。そのせいで一五〇〇騎も失ってしまった』
(烈花騎士団の被害はその倍だ!)
 口には出さない。相手に有利な情報を提供することになるからだ。それにしてもどうして褒めてくるのだろうか――
『どうだ、私の元で働かないか? いまなら私個人の権限で帝国軍中将の位を授けよう』
 少将を飛ばし、二階級の特進。考えられない待遇だ。
 艦橋の視線がエエに集中する。
「断る」
『即答か』
「当然だ。小官がエニフ閣下の騎士団をああも簡単に突破させなければ、こんな事態にはならなかったかも知れないのだ。無能非才の身でこれほど破格な引き抜きになど応じられないし、応じるに足るだけの実績があったとしても小官はウグレラルナの貴族だ、受ける道理がなかろう」
『そうか、残念だ。だが勝敗は戦場の常、私が烈花を選んだのは、単にそなたの騎士団が圧倒的に整然としていて、天馬も少なかったからだ。編み目を通過するにも、薄くて均一なほうが良かろう。それにそなたが生還して、はたして命長らえられるのか? ――敗戦の責任の一端を自ら認めたであろう』
「責任は取る。処刑されるならそれが小官の運命だ」
『知性図書館の失陥も確定だ。死刑にならずとも、重い処断は免れないと思うが?』
「図書館くらい、しばらく帝国に貸してやるさ――宇宙征服の秘密とやらでも入手できるものなら、調べてみるんだな。私以外にも忠義の将軍はいくらでもいる。代わりたっぷりと利息を付け、徴収しに行ってやるさ」
『威勢がいいが、その将軍に参謀の有為な献策を採用する器量と実力が伴っていないと空しいだけだ。今回の戦いにしても、これほど密集するとは浅はかにも程がある。おかげでずいぶんと楽だった』
「まさか図書館を無視していきなりブラックホールとは思わないだろうからな」
『それであの密集か』
「私としては下策中の下だと思ってたよ」
『国王が許した策を、歯に衣着せぬ言葉で批判するとは剛の者だな。だが下策というわけでもない。極端な一極密集陣形も、ある方法を用いればおそらく逆に最高足りうる。我が帝国では絶対に採用されないが』
「そんな革命的な戦法があったとしても、実現できないと意味はないし聞いたこともない。ホラ話はさておき、エニフ閣下さん、図書館が危ないぜ」
 スクリーンの端で、ブラックホールにゆっくりと吸い寄せられている知性図書館が映っていた。
『ああ……あれは大丈夫だ』
「どういうことだ?」
 不思議なことに、どれほど近寄っても、図書館が変形することはなかった。母艦はたちまち飴のように引き延ばされて砕かれたというのに。
「時空のゆがみが発生しないなんて、まるで物理現象を無視していやがる」
 知性図書館がブラックホールから抜け出せなくなる境界――事象の地平面に、かなり接近したときだった。
 図書館から前触れもなく白い光線が放たれ、ブラックホールに落ち込んでいった。すると劇的な変化が起こった。回転するブラックホールから強力なプラズマエネルギー放射が起こるや、数秒とかからず忽然として蒸発してしまった。
 宇宙の巨大な真珠は、何事もなかったかのようにブラックホールがあった空間に侵入していった。
「なっ……なんだこれは」
『太古の知的生物の置き土産が起こした、人類の科学力を超越する奇跡の技さ』
「知性図書館って、いや、メソーエメって何者なんだよ……」
『人類以前の知的生物が遺した、生きた遺跡。メソーエメはその意識であり、意志』
「そのていど小官も承知しているさ――エニフ・リートゥレ、貴様は図書館でなにをする気だ。噂に違わず、無謀にも宇宙征服でも企てるつもりか」
『それはモフレ・クゥロ二世陛下がお決めになること。一介の将軍にすぎない私には関係ないことだ』
「一介の将軍とやらが、ウグレラルナの軍家たる私も知らなかった、あの化け物じみた防御性能を知っている道理がなかろう」
 レーレが叫んだ。
「提督! 跳躍可能です!」
「なんだと! ただちにすべての天馬を収納し、全艦、空間跳躍だ!」
『残念ながら、ここまでのようだね』
「もしつぎに出会う機会を得られたら、つまらぬ与太話を紡ぎ出すその口、縫い合わせてくれる!」
『手術台で楽しみに待っているよ』
 一分後、ヤルスルンをはじめとする残存母艦は空間跳躍を強行した。
     * Fekt Ear
 後はひたすら王都を目指すだけだった。
 出現ポイントに高速輸送便の軍事中継港ばかりを選んだ。箝口令を敷きつつ、施設で常時大量生産している跳躍子を臨時徴収した。これで跳躍子の生成時間を大幅に短縮し、通常なら四日かかる一〇〇〇光年の距離をわずか一日で踏破したのだ。
「――以上が小官の知るかぎりの、顛末ですわな」
 しかしフェクト・エアーは黙っていた。いつからか溢れ出していた、涙が止まらない。サリィのハンカチがぬぐうと、その感触でようやくエアーは反応できた。
「……お父さまとお兄さまの最後を教えてくださり、ありがとうございます、エエ准将」
「礼を言われるいわれはありませんよ。陛下と王子さまを死なせたのは私の責任だ。敗残の身をお預けします。全軍の大元帥たる王の権限にて、自由に料理してください」
 エアーはエエの態度を、自分のやるべきことはやったと自負を持ち、堂々としていると受け取った。
(彼女はおそらく、死ねと伝えましたら迷いなく自らを裁いてしまうでしょう。でも)
 ――もったいない。
 と、脳裏をかすめた。
 それに怖かった。自分の口先や気分ひとつで、人を簡単に殺せる権力、というものが。罪は罪、対処をせねば示しがつかないが、エアーはエエを好きになりつつあり、罰を与えるのは個人的にいやだった。
(私の考えひとつで、エエ男爵の未来と人生を大きく左右してしまう――)
 立場の重さと潔癖との狭間で、エアーの心は嵐の小舟だった。なんとか舵を取らねばならない。
「サリィ……」
「ご自身のお信じになった通りにご裁決ください」
 助け舟は出なかった。サリィはエアーが直面するはじめての重い選択の機会で、経験を積ませようとしていた。
(もはや私は女王なのですのね)
 たとえまだ子供であっても、だ。エアーは心身面はともかく、智においてはすでに大人なのだ。軍事における罰則の規定や、過去の例もかなり知っている。恩賞についてでもある。帝王学も修めた。
(足りないのは、覚悟だけ)
 些細な嵐で怯んでいてはだめだ。
 舟底でうずくまっていた身を起こし、エアーは舵をしっかりと握った。
 ようやく口を開く。
「王国軍の新たな大元帥として命じます。エエ・クトゥーレイ准将、あなたをソエセ三世陛下とフォー王子殿下をお守りできなかった咎により、中佐へ二階級降格、烈花分艦隊司令および烈花騎士団長の職を解きます。男爵号を剥奪し、一年の職務停止および謹慎処分とし、罰金一〇億ラトエを科します」
 一〇億ラトエは天馬一〇騎の値段に匹敵し、国民の平均年収五万年ぶんに当たる。恒星系をまるごと領地に持つ貴族だからこそ払える額だが、男爵では破産寸前となるだろう。
「……ははあ。小官の犯した罪に比べましたら格段に軽いご裁断、謹んでお受け致します」
 エエは膝を折り、頭を垂れてその処罰を受け入れた。さすがに肩が震えている。エアーはその沈痛からすこしでも短時間ですくい上げようと、早口でつづけた。
「そして命じます。エエ・クトゥーレイ中佐、あなたを味方を数多く生還せしめ、重要な情報の数々を持ち帰った大功により英雄として遇し、二階級特進、准将に任じます」
 思わぬ言葉に、エエの頭があがり、エアーを直視する。とことん真っ直ぐな人だ、とエアーにはその態度も好ましく映った。
「ついで空席となっている烈花分艦隊司令と烈花騎士団長の役職、ふたつを兼任して頂きます。報奨金一五億ラトエを与え、子爵に叙し、領地をこれまでの倍とし、職務停止と謹慎を解きます」
「子爵への昇格に、ご加増までして戴けるとは……」
「これからも王国のために、そしてこれからは私のために、よろしくお願いします。それが亡きソエセ三世陛下の無念を晴らすことにもなるでしょう」
 エエは臣下の礼を取った。
「謹んで拝命致します。つぎの戦いにて、必ずや帝国軍艦隊と白亜騎士団を討ち果たしてごらんにいれましょう」
 しばし恐縮してエエが退席すると、エアーはつぶやいた。
「サリィ、私は戦争なんて本当は嫌いですわ」
「はい」
「人がたくさん死にますし、将来大人になったとき、もし私が王族の義務として戦場に立ったとき、私の号令ひとつで何万人もの命が失われるかも知れないと考えると、それだけで夜も寝られませんでしたの――でも……」
「……お覚悟、なされましたね」
「私は仇を取れると思いますか?」
「もちろん、思います」
「気休めでもありがとうサリィ。昨夜ですけど私、睡魔が訪れるまで布団の中で今後のことを思索しましたの。いたずらを考えるときとおなじ方法ですけど、レベルはまるで異なりますわ。相手は帝国ですもの――素人考えですけど、聞いてくださる?」
「もちろんでございますよ。それにエアーさまはすでに、黒衣姫として実績をお挙げになられておいでです。この称号が代名詞となって帝国に与えた経済的・政治的なダメージは小さくはないと思いますよ」
 サリィの暖かい眼差しにエアーは顔を赤くし、ぽつり「ありがとう」とつぶやいた。
「……それで私の考えですけど、昨夜考えていたことに、エエ子爵から聞いた話を加味して軌道修正した案ですの。それは私がさっきまで信じていませんでした図書館の意志を利用しますわ」
 それから長く話をしてゆくうちに、次第にエアーの心は高ぶってきた。自らの演説に酔ってきて、興奮が止まらない。
 すべてを語り終えると、拳を振りあげ、いきなり笑いだした。
「うふふふふ! モフレ・クゥロにエニフ・リートゥレ、絶対に地獄の業火で焼いてさしあげますわ。後悔にうちひしがれ、地底の片隅で燃え尽きた白骨となってしゃれこうべひとつで泣きわめくがよいことよ! ふふふふふ」
「……お見事です」
 広い謁見の間に、拍手がひとつ。
「サリィ?」
 短い拍手を終えると、サリィはエアーの前でエエが行ったように臣下の礼を取った。
「どうしたんですのサリィ。いきなりそんな他人行儀に」
「私、エアーさまに長年黙っておりました秘密がございます」
「どういうことですの?」
 普段の姉妹然としたサリィではない。これまであまり見せたことのない、能面のような別人の表情で、彼女は言った。
「私の意識の一部は、エアーさまがおっしゃる図書館の意志だからです」
「……ほえ?」
 エアーの口はしばらく開きっぱなしだった。
     * Iotowz kurryerez
 サリィに連れられ、薄暗い部屋へとエアーは案内された。
 あまり広くはない。天井の照明は抑えられている。真に重要な話し合いを行う、密談用の場だった。床は紫苑の絨毯だ。
 円卓があり、服装からそれとわかる二人の廷臣が腰掛けている。エアーを確認すると鶴翼の宮羽をおじぎさせて立ち上がり、簡易的な臣下の礼をした。不安な表情をしていたエアーの顔に、安堵の色が浮かぶ。目が慣れて判明した彼らの正体は、よく見知った顔だったからだ。
「……ナウィ宮内大臣にキークゥリ財務大臣」
 ナウィ宮内大臣は九三歳の男性で、ソエセ三世に幼少から付き従った宮家司だった。キークゥリ財務大臣は一三七歳になる中年女性で、祖父ファオト一世の妹、大叔母フェクト・ラーファ大公の宮家司だった。
 だった、というのはいずれの主も故人だからだ。ラーファ大公は帝国の連続テロで薨去された王族の一人で、フェクトの血族は姻戚を含めてもかなり減っている。
 上座にエアーが座ると、サリィと二人の大臣も順番に席に着いた。エアーは期待と好奇心の混じった顔で円卓を見回している。まるで小動物のような女王を見物して、ナウィはにこにこしている。が、口は堅く閉じられている。この宮内大臣、寡黙で必要以外ほとんど話をしない。かわりに表情が感情に正直で、無駄に豊かだった。
「おほん」
 大のおしゃべり好きで宮廷に流布する噂の半分を量産してると言われる財務大臣のキークゥリが、場を仕切って話をはじめた。
「エアーさま、お話はフォッリ・サリィ殿からすでに伺っております。修正すべき点は多いと思いますが、基本案として良いものだと存じます」
「ありがとうございますキークゥリさん……え? サリィはずっと私と一緒におりましたのに」
「――それは、私たち王族の宮家司は代々、意識の一部を共有しております。イメージ的にはテレパシーでございますね」
「思考接続とは違うのでして?」
「あれはこの宇宙の物理現象です。私たちのそれは、もっとべつの宇宙の、物理ですらない現象です」
「……まさか超能力ですの?」
「真性オカルトではございません。れっきとした別世界の、心の現象です。人類が別宇宙の粒子とされる、跳躍子を自在に用いているのはご存じですよね?」
「はい」
 この世には数え切れない宇宙が存在し、無数の物理法則が成立している。ある宇宙の物理や次元数がどうなるかはその宇宙生成の起源、環境や進化におおきく左右される。
 人類が自身の住む宇宙の物理法則を解明し、超大統一理論を完成させたのは二一世紀中頃。それを用いたシミュレーションによって時間停止宇宙が見つかった。
 時の流れがない宇宙が広がりを得るためには、時間に干渉されず飛び回る粒子が必要となる。それが跳躍子だった。
 二二世紀中頃、宇宙生成直後の物理現象が未分化の環境に近い対消滅炉で、跳躍子の生成に成功した。宇宙は光の速度に縛られて旅をするにはあまりにも広すぎるが、跳躍子は問題を根底から吹き払った。以後人類は爆発的に人口を増やしつつ、銀河宇宙に放散してゆく。
「人類が実用化にこぎつけた別宇宙の粒子や物理法則はほかにもたくさんございます。ですが、理力に関してはまるでだめです」
「……理力?」
 聞き慣れない単語に、エアーは首をかしげた。
「個人の意識が肉体という器に縛られて一生を過ごしますのに、それがなぜなのか、万人を納得させうる証明された科学理論はございません。いまだに宗教の答えにも頼らざるを得ないのです」
「なるほど、霊魂ですわね」
「はい。現在の科学では神経のネットワークと電気信号のやりとりでしか説明できない、幽体すなわち魂です。魂の現れが理力です」
 理力の実用は、自然に能力として獲得するのと、民俗的な経験則で部分利用する以外では行われていない。
 人類が見つけた理力方程式は密かにいくつも存在するが、研究者の大半は物理現象の一種として捉えようとする。その時点で正解には永遠に辿り着けない。理力理論の統一による完全実用などほど遠いことだ。阻むのはオカルトの勘違いと偏見とされている。
 何事も基本の解明がないかぎり、応用は効かない。
「もしかして、べつの宇宙の理力を用いているのが、知性図書館ということですの?」
「知性図書館の起こす奇跡の多くは、魂のみで構成された世界の理力現象を利用したものでございます。物理現象とは異なりますので、結果を間接的に見ることはできても、現象の働きかけを物理で観測することはできません。私たち宮家司の意識共有もそうです。人類の技ではまず伺うことが叶いませんので、私たちが言わない限り、見せない限り、見られない限り、知られることは易々とはないのであります」
     * Fekt Ear/Fory Saly
 知性図書館のあらましと意志についてさらに一通りレクチャーを受け、エアーの案を下敷きに今後の方針を話し合って決定したころには、すでに日も落ちていた。
 夕食を経て人払いを行ったエアーは、自室にてサリィに夜着への着替えを手伝ってもらいながら今日の感想を述べていた。
「知りませんでしたわ。ウグレラルナ王国の影の支配者が、まさか謎の人外さんだったなんて。それでサリィはどこまでヒトのままで残っているのでして?」
 サリィは人類にとって異端ともいえる存在のはずだが、エアーにそれを怖れる様子はない。
「謎の人外だなんて、そのような大げさなものではございませんよ。肉体はそのままですし、心に宿ってる図書館の意識、メソーエメの欠片は幽霊のようなものです」
「取り憑かれたとき、どんな気分でしたの?」
「そうですね――もう一七年にもなるんですね。宮家司に選ばれ、今後の一生が約束されたと大喜びで初出仕した春の日から」
「覚えていますわ。サリィったら満面の笑みで、知識圧縮の英才教育を受けている私に保母さん言葉で話しかけてきたんですもの」
 サリィの顔にほのかに朱が交わる。エアーのようにストレートな感情表現はしない。
「でもたしかつぎの日から一週間ほど、暗かったですわね。それだったんですのね」
「ええ……わずか一六歳で背負い込むには、重い秘密でした。エアーさまに紹介された数時間後、挨拶回りの最後で当時宮内大臣に就任されたばかりのナウィさまと執務室で一対一で会って、頭を触られまして、意識の分身と知識の破片を与えられたんです」
「――知性図書館の」
「膨大な量でした。でも分かるんです。それでも一部だと。まるで遺伝子のようにでたらめで、法則もなく自動機械のように」
「どうして破片?」
「一〇〇〇年に渡って受け継がれてきたからです。劣化と修復と、たまの補充を繰り返して。図書館本体の意識は理論値の限界、三〇〇〇光年ほど届くらしいですが、それで可能なのは単純な観測やコードの送受信くらいだとか。会話レベル以上のまともなコミュニケーションを取れるのはわずか二〇〇光年ていどまでで、宇宙では短すぎます。魂の奇跡は強大ですが、伝達に関しての影響力はちいさいんです。ですので意識も知識も分身なんです。触媒とする宿主を代理人として」
「それが宮家司……」
 サリィは頷いた。
「極めて優秀な個人を選別し、分身のコピーを継承させます。そして凡人でしかない契約者の子孫をサポートして、知性図書館一帯の宇宙を領土として確保しつつ、外部人類社会の干渉から図書館を守らせるわけです。ああ、凡人さんも契約時に図書館から貰った、かすみのような意識の破片を識別用として秘かに受け継いでいますよ。宮家司に比べたら屁のようなものですが――というわけではい、本当に恐ろしい秘密でした」
「……カチンと来ます表現ですけど、国王は人外さんの操り人形なわけですのね。宮家司を失った王族に継承権がなくなる理由も分かりましたわ。入籍・養子・姻戚に継承権が認められない事情も」
「はい。しかもこの秘密には、意図的に不必要な相手に暴露しようとしたら、実行する前に強制的に自殺させてしまうトリガーまで組み込まれていました。一生涯つきまとう引き金ですから、覚悟できず悩んでおりました。立ち直れましたのは、エアーさまが心配されてなぐさめてくださったおかげでした」
「サリィ……可哀想に」
「そうなんです。ああ、こんな小さな子が、偉大な意志の雇われ仔犬が、なにも知らずに尾っぽを振って私などのために哀れんでくださる――そう思いましたらもう、心の中で泣いてなどおられませんでした」
「あのぉ……サリィ? 口汚いですわよ」
「これが本当の私です」
 なぜか敬礼して、きっぱりと言い切る。
「……すごく厚い猫の毛皮でしたのね」
「はい。もうエアーさまと二人きりのときは、これまでほどには被らなくて済みます」
 心なしかサリィの頭からネコミミが、頬から髭が生えて笑ってるように見えた。
「――そういえば、サリィがいつも私のことをすぐに聞きつけていましたのは、宮家司の意識ネットワークを利用していましたのですね? ナウィさんとか」
「近年ずいぶん亡くなられましたが、宮家司は私を含めまだ五名おりますからね。宮廷に三人、軍属に一人、民間に一人。つい三年前までは総じて一一名もおられましたが」
 テロや戦闘での死亡だ。知性図書館の戦いでもフォー王子の宮家司で親衛艦隊参謀長のセトエトゥ中将が亡くなっている。共有意識のネットワークは五光年ほどまでしか届かないので、宮家司同士でどうこうも出来ない。
「セトエトゥ・エエメさんはこの一〇〇年で最も優秀な逸材でした。お小言が多少過ぎるのが欠点ですが、いい人でした。もったいない損失だと思います」
 とキークゥリ財務大臣も心底から残念そうに言っていた。
 着替えが終わると、エアーはサリィにそっと体重を預けた。
「サリィ、明日から忙しくなりますわね。私はじつを申しますと、見たこともない人外さんの意志などどうでもいいのです。お父さま、お母さま、そして二人のお兄さまの復讐を帝国に果たすのが先決ですから」
「人はたくさん死にますよ」
「抵抗せずウグレラルナが滅ぼされたら私の未来がなくなりますわ。それにウグレラルナの民は帝国によってほかの戦場に駆り出されますので、どのみち人は死にますわ。いまは大愚戦争の時代ですもの。ですので、私は自分の将来を掴むため、ついでに図書館も守ってさしあげますわ。よろしくお願いします」
「……はい。こちらこそ」
 サリィはふいに優しく抱擁してきた。
「どうしましたの? 恥ずかしいですわ」
「私は半ば、人間ではなくなっています。モンスターみたいなものです。それをお知りになりながら、まったく変わらず接してくださるエアーさまの態度が嬉しいのです」
「サリィはサリィでしてよ」
「たいていの王族の方は、お知りになった直後は疑心暗鬼になられるそうです――ついでですが、今後のことでお話しておきたいことがございます」
「……なんですの?」
「知性図書館で大敗した理由についてです。お耳汚しになる辛い推測ですが、お許し願えますでしょうか」
 エアーの体がこわばった。だが口からは小さく「許します」と漏れた。
「ありがとうございます――帝国軍を知性図書館へと誘い込む戦略に決まったとき、セトエトゥ中将は自らの正体を明かす必要に迫られました。私たち宮家司には幾つかの義務が深層意識に刷り込まれております。そのひとつが、主が図書館を守るときか王位を継ぐとき、自らの正体を明かす、というものです」
「……セトエトゥ中将はフォー兄さまに正体を明かしたわけですね」
「はい――ですがご存じの通り、フォーさまは……」
「私と同様、あまり図書館の意志をお信じにはなっておりませんでした」
「その通りです。しかもあのとき共有意識は使えない状態でしたので、ソエセ三世陛下が伝えなければ証明する手段すらございま――」
 エアーが腕をそっと伸ばし、サリィの口元に塞ぐように手を当てていた。
「……サリィ、それ以上はいいですわ。お父さまは私以外には厳しかったお方、お兄さまといえども宮家司の事実をすぐに認めてくださるはずがありません。お兄さまが尋ねたとしても、自分で判断してみろと突き放したはずです――サリィ、私はフォー兄さまの轍は踏みません。同様に、半世紀前のファオトお祖父さまのも。それでよろしいですのよね?」
 手を離すと、サリィの唇はかるく震え、目に涙を溜めていた。
「エアーさま……」
「私には軍事の才も、政治の勘もありませんわ。私にできるのは、皆に命令を下して有能な代理人に有為に動いて頂くことのみです。そのうえ私は子供ですわ――だからこそ一層、自分の暴走には慎重でないといけませんのよね?」
「ご名答でございます。フォーさまもセトエトゥ中将と仲違いになるまでは、ご立派な指揮官として帝国と正面からお渡り合えておりました」
「自重、初志貫徹といきたいですわね」
 といいつつサリィの頭にいつのまにかネコミミのカチューシャを乗せることに成功し、ひとり微笑むエアーだった。
(忙しくなりますわね――そうですわ、ウアリに約束を守れませんと、断りのメールを入れないといけませんわ)
 道が決まると精神に余裕も出て、姫さま最後の日に交わした幼馴染みとの約束を思い出した。
 ケーキを自由に食べるという息抜きは、しばらくお預けになりそうだった。

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