第二章 勝負の魔法

よろずなホビー
ヴァルキリー・スプライツ/第一章 第二章 第三章 第四章 第五章 第六章 第七章 設定資料

 試合が終わった直後、筐体から出てきたナンを迎えたものは静寂だった。
 すっかり静まったホールと、そして先に出て、ふてくされていた斬。下にいた観客たちは搭乗前の半分に減っており、こちらに対してもはや声援を送ることはしなかった。
 かわりに来たのは、同情と、慰めの言葉だった……
 仕方がないよ。
 あんな手を取られたらどうしようもない。
 とにかく、全国がんばれよ。
 馬子力王はそんな彼らに、深くお辞儀をして無言で下に降りた。斬も残念だったね、とナンにだけ聞こえる声で小さく言うと、ゆっくりと力王の後を追った。
 ナンはなんといってよいかわからず、気が抜けた足取りで馬子兄弟につづいた。
     *        *
 行きつけのハンバーガー屋に入ると、土曜の午後ということもあり、人だらけだった。
 体積の大きい力王が、困った顔で言った。
「なんだこりゃ。歩きにくいな」
「先輩、座れますか?」
「うーん、どうだろう?」
「お、空いているの発見!」
 斬が力王に先駆け、奥の角が開いているのを目ざとく見つけた。
「斬工作兵、橋頭堡を確保せよ!」
「は、兵長殿。向かいます!」
 急いで橋頭堡を目指して駆けてゆく斬工作兵。人混みという弾幕をすばしっこく抜けて、あっという間に確保して見せた。食べる前のトレイを持って近くを歩いていたカップルが急に方向転換したから、知らない間に競争があって、数秒差で勝ったのだ。斬が席に座って、勝ち誇ったようにこちらに手を振る。カップルには気付いていない。
「……よく見つけられましたね。私とおなじくらいの身長しかないのに」
「俺の弟だからな、こちらに関する集中力はVS以上かも知れないな」
 力王が腹をどんと叩いた。太ってはいないが、まるでプロレスラーのような体格だ。いかにも燃費が悪そうである。
「まあ……確かに言えますね」
 要は痩せの大食いってやつだ。
「じゃあナン、買うほう頼む。俺はいつもの組み合わせだ。斬のほうは後で携帯で伝えるように言っておく。ほら、財布。今日はめでたいから、ぜんぶ俺のおごりだ」
「ありがとうございます先輩。ぜひ、ごちそうになります」
「ファーストフードでかしこまるなよ」
 力王の財布を預かり、ナンは列に並んだ。いい匂いが鼻腔をつく。唾液が口内に溢れてきた。特別にお腹がすいているわけではないのだが。
 私も意外とくいしんぼかも。
 列はなかなか先に進まない。一〇人は並んでいる。
 はあ……どうやって気を紛らわそう。
 ナンは適当に視線を彷徨わせた。
 すると、天井からぶらさがる広告たちが目に入った。化粧品、ジュース、LVサービス、自動車――最近は食事の場で広告が溢れるのが流行っているらしい。こういうふうに人がいっぱいのときは、まるで通学列車みたいで、変だなとナンは思う。
 雑誌、保険、PV……
 PVはパーソナルビデオの略だ。それの宣伝ポスターで、VS関係のラインアップ紹介がメインだった。
[夏休み最初のイベント、第三回夏期VS全国大会群も間近! 各予選大会のベストエイト以上の全試合を試合当日にDLしよう。翌日までなら半額だぞ!]
 ナンたちの試合も全国に商品として売られるのだ。なにか複雑な気分だった。もっともこの旨を了承する許諾メールに電子署名サインしないと参加が認められないので、仕方ない。LVシステムの運営には大金が掛かり、プレイ料金だけでは赤字らしい。
 予選の日程がずらっと記されていた。ぼんやりとながめていると、そこには今日の日付もあり、四国大会準決勝以上とあった。
「はあ……負けたんだよね」
 あまり思い返したくないことだ。全国大会への、四国の枠はふたつ。つまり決勝に進んだ時点で出場権は手にした。だから油断したのかどうかわからないが、決勝はあまりにもあっさりと敗れてしまった。
「姉さんがかつて敗れたのと、おなじ戦術に負けるなんて……」
 でも――ナンは首をふるふると振った。体も揺れ、肩にかけていた竹刀袋の背負い紐がずれて、肩から離れてしまった。竹刀袋がずり落ちる。
 底が床に当たり、かつんと音がした。
 慌てて紐を掴み直し、事なきを得る。周囲の視線に恥ずかしくなり、ナンは赤くなって俯いた。くすんだ茶色の竹刀袋をしっかり抱きしめる。
「ごめんね、姉さん」
 そう、この竹刀は、辰津美のものなのだ。
 東京の大学に行ったとたん、電話一本で急に剣道をやめた辰津美。
『ナン、すまない。私は……私は、剣道をやめることにした』
 その電話を受けたのはナンだった。慌てた父が返しの電話で確認を取ったが、辰津美は理由を一切説明しなかった。激怒した父は辰津美を勘当同然に扱い、仕送りも一切止めた。それ以来、辰津美は高松に一度も帰らず、連絡もない。母はしばらく泣いていた。
 家は江戸時代からつづく、剣道の家だ。
 峰道館。
 それがナン――峰風南の住む、家の名前である。ご先祖様が幕末に活躍したとかしなかったとかで、郷土史ファンの間では隠れた名所らしい。そういう伝統の背景があるので、峰風家はじまって以来の天才剣士の出現に、父は多大な期待を寄せていた。
 それは幼かったナンにも過剰とわかる熱の入れようだった。大会となると横断幕を作り、家族総出で応援に出た。ナンは小学三年以来、辰津美の試合をことごとく見て、その鬼神の強さを瞼の奥に焼き付けている。
 天才剣士。
 インターハイ個人三年連続制覇となると、大快挙だ。ナンが好きな写真、あの向日葵の微笑みは、そのときのものだ。
 その姉が、将来を嘱望された辰津美が、どうして剣道をやめたのか……父は世間体を気にしてか、東京に行こうとも辰津美の周辺を調べようともしなかった。
 当時小学六年生だったナンにとって、七歳半も離れた辰津美の心は想像もできなかった。今でも無理だ。
 いつも思いつくもっともらしい理由が、巨大すぎる父の期待が重圧となった、ということだ。だがそれは写真に否定される。重圧があって、あの向日葵はありえない。親なんかに関係なく、辰津美は剣道を愛していた。
 だからだろうか。
『東京へ行っても、また戦ってくれる?』
『来なよいつでも。のしてあげるから』
 この何気ない口約束が、いつまでたっても頭から離れなかった。気になって気になって、時が経つほど増幅していった。
 そして――ほぼ一年前だった。
 何気なくつけたテレビに、いきなり映った辰津美の姿。一年ぶりに見る姉は、満面の笑みをナンに向けた。それは静かな早朝の向日葵でなく、真昼のあざやかな向日葵だった。
 衝撃だった。
 食い入るように見つめるモニターで、インタビューに軽快に受け答えする辰津美。すっかり大人の女性となって、信じられないほど美しくなっていた。筋力と俊敏さを維持するために男性的だった体格はすっかり丸みを帯び、元々あった素質が開花していたのだ。
 しばらくして、ようやく辰津美が、なにかの大会で優勝したことに気付いた。
 優勝?
 しかも「戦い」らしい。
 あきらかに身体能力が低下した華奢な体で、なにで優勝したのだろう?
 そして競技が映された。
 知らない世界だった。
 ロボット兵器が戦う世界。
 VS?
 三対三?
 全国大会で優勝?
 それは男の子の世界だった。
 ナンにとっては、興味を持つはずもない対象――だけど峰風辰津美は、そこにいた。
 虹色の戦士、曹操を操って。
『来なよいつでも。のしてあげるから』
 辰津美の言葉がよぎった。
 魔法にかかった。
 正体などわからない。とにかく「勝負の魔法」だ。呼び方などどうでもよかった。
 ナンは兎のように跳ねて、素速く行動を起こしていた。中学入学のお祝いに親から贈られたコミュコンを立ち上げた。さっそくネットを検索した。学校ではいやいや習っていたけど、このときばかりは先生に感謝した。
 こうして峰風南は、VSを知った。
 同時にVSをはじめる決心も。
 あとは、仲間を探すだけだった。
     *        *
 ナンがトレイをふたつ持って席にやってくると、力王がその内容に呆れた。
「ハンバーガー四個にアメリカンドッグ、ドリンクとポテトのL……ナン、もしかして俺とおなじ量を食べる気か?」
「そんな。これくらい普通ですよね?」
「帰って夕食があるだろ? まったく、食っても太らない斬やナンがうらやましいよ」
「そんな、私は別に痩せの大食いじゃ……」
「女性に対して失礼ですよ、兄さん」
 斬が真っ先にエビバーガーを頬張りだした。かく言う斬にしても、携帯でハンバーガーセット三つをリクエストしている。
 なんとも幸せそうな斬の顔に、ナンも食欲をそそられた。
「いただきまーす」
「あ、待てよナン、斬」
 三人はしばらく食べることに専念した。そこに会話というものはまるでない。食いしん坊という種族にとって、食事とは何者の干渉も許されない、神聖な儀式なのだ。
 剣ノ舞の面々は、戦いの疲れを大量のジャンクフードで癒した。食べ終えた直後の表情は、じつに気怠い幸せに満ちている。
 だけど斬がその幸福感を破ることを言った。
「ねえ……兄さん、ナンさん。野暮ですけど、剣ノ舞、予備機を用意しませんか」
 ナンと力王はきょとんとしていた。場違いで予想外な提案だったからだ。
 力王は力の抜けた和んだ顔のままで答えた。
「なんでいるのかなー、そんなの」
「全国大会で勝つために、強力な特定戦術に対する、専用の予備機を作るんです」
 目を細めた幸せな顔で、軍師くんは真面目な内容をさらりと言う。
 だがナンも力王も、頭がついてこない。
「うーん。なぜなの斬くん?」
 ナンが首を傾げる。見ているほうが幸せになりそうな、お気楽な表情で。
「さっきの決勝で負けたことです」
 和んだままの顔で、斬が言った。
「うわあ、あまり負けた負けたって言わないでおくれよう」
 力王が頭を抱える。顔は和んだままだ。笑っているようにさえ見える。
「悔しくはないんですか兄さん?」
「そんなことを言われても……」
「ナンさんは?」
「……うみゅう。いまは思考停止したい」
「そうですか」
 急に場が重くなった。
「たしかに、一理あるな……」
 力王の顔が記憶形状合金のように、急に元に戻ってゆく。
「戦闘ごとに機体を変える人もいる。だがVSは武器装備を相手に合わせて選択できる。それに斬、剣ノ舞はこれまで、おなじ機体で戦い抜いて来ただろう」
「おなじと言っても、調整を繰り返して来た事実があります。はじめの十兵衛は今の十兵衛ではないし、それは武藏も総司も一緒のはずでしょう?」
「ううむ。確かに言われてみれば」
「簡単なことです。今までの別仕様の機体を用意して、機動関係など、従来機の癖をそのまま継承すればいいのです――全国大会で今までとおなじやり方が通用するとは、僕には思えません」
「……そうか。じゃあ、思い切ってやろう」
「ではさっそく、具体的な議論をしましょう」
「いや斬、それは今日は無理だ」
 力王はナンを見下ろした。
「うみゅう……うみゅう……」
 幸せそうにおかしないびきを掻くナンが、机の上に突っ伏していた。
     *        *
 ナンが起きると、家だった。
「……え?」
 リビングのソファで、制服のままで寝ていた。両手には大事な竹刀を袋ごとしっかりと握っていた。
「あらナン」
 母の冴子だ。エプロンをつけて、夕食を作っていた。換気扇の吸い込みきれない湯気がナンのほうに流れ、スパイスの香りが鼻腔を刺激した。
「ママ、今日はカレーなんだね。これは『冴子スペシャル』祝賀バージョン」
「起きたとたん、食べ物が気になるとは、やはり馬子兄弟の影響かねえ。カレーよりもナン、馬子力王君に御礼を言っておきなさいよ。あなたをここまで背負ってくれたんだから」
「え? ……あああ!」
 ナンはようやく思い出した。そうだ、ついハンバーガー店で寝てしまったのだ。
「まったく、緊張が解けるとすぐに疲れが出てしまうあたり、まだまだ修行不足だね。VSって、体力を使うわけではないでしょ?」
「えーと。ごめん、修行不足です」
「まあいいわ。とにかく全国大会出場のこと、馬子君から聞いたわ、おめでとう」
「だから祝賀バージョンなんだ。オニオンがいっぱい!」
「あとわらび餅も買って置いたから」
 冴子は冷蔵庫を開けてお皿を取りだした。食卓の上にぷよぷよで透明なお餅の山が出現する。
「わあ。今日は好物のフルコース! ありがとう、ママ」
「そろそろ御飯だからナン、パパを呼んでらっしゃい」
「はーい」
 ナンは竹刀袋を持ったまま廊下に出た。
 風呂場の前を抜け、裏口の脇から渡り廊下となる。冷房が切れ、暑い風がナンの頬を舐めた。外には日本庭園が広がり、緑色の池には父が大事に育てている色とりどりの錦鯉たちが泳いでいた。
 渡り廊下が終わると、その奥は古風な武家屋敷に一変する。築一八〇年は経っている、峰道館の道場だ。元々は住居も兼ねていたらしいが、今では純粋に道場だけにしか使用していない。かつての居住区画は、物置や客間、資料室、更衣室などに変貌している。
 こちらは暑くもなく、涼しくもない。昔の日本人の知恵が、冷暖房機なしでちょうどいい気温を演出していた。
 本道場に行く前に、資料室の振り子時計を確認する。父の主義で道場に時計はない。
 一世紀ほど昔、大正時代生まれの時計は、こんこんと規則正しい音をたてて銅色の振り子を揺らせている。
「六時半、さすがはママ」
 その時計の上に、大量の表彰状がそれぞれ額縁入りで壁にかけられている。新旧一世紀半以上に渡る、道場のコレクションだ。部屋を二周して三周目に入る末席に、色あせてない新しい賞状の一群がある。主の名はみんな同じだ。
「姉さん……私、ついに行くよ」
 こくんと頷いて、資料室を出た。
 てくてくと一〇メートルほど歩くと、道場に入った。五〇人はいる弟子たちの礼が終わり、ちょうど解散するところだった。社会人の時間だったので大人ばかり。男性特有の濃い臭いが漂ってきたが、ちいさい頃から嗅いできたのでナンは不快に思わない。
 道場主の励が、弟子たちと立ち話をしていた。もちろん剣道着でだ。防具はすでに外している。
「パパ」
「ん、ナンか」
「ママが、御飯だって」
 励は腕時計で時間を確認した。
「そうか。今日も名人のようにぴったりだな」
 冴子は時計の類をほとんど見ない。完璧に近い体内時計を持っているのだ。
 峰風励は弟子たちに軽く会釈をして、剣道着のまま廊下に出た。後片付けや戸締まりはみんな彼らがしてくれる。
 励はナンの脇を抜け、母屋のほうに向かった。ナンは父の後をついていく。
「ナン……」
「なに?」
「遊戯の世界とはいえ、よくやった」
 父はこちらを見ず、背中を向けて語った。こういう人なのだ。辰津美とおなじで、結果のみが価値という、きわめて単純な人――
 恥ずかしくなった。
 成果主義なのは、ナン自身も一緒ではないか。でなくしてあの日、勝負の魔法にかかったりはしなかった。
 ナンは思わず俯いた。励の背中を見ることができない。
「……はい。姉さんと、戦ってくるよ」
 後ろ手の竹刀袋の先が、床を擦った。
 それきり父娘の会話は途切れた。
     *        *
 東京は夏ともなると、外はいつも暑い。蒸し暑い。とくに地球温暖化の海進対策とやらが日常化してしまってからは。
 今日も海岸沿いではフロートと呼ばれる浮島が建設されている。将来の出水を見据え、ついでに雇用対策の公共事業で、埋め立て地がどんどん転換されている。その工事のあまりの騒音に、辰津美はいらいらとしてベランダの硝子戸を閉めた。
「ったく、鼓膜が破れるじゃないか」
「勝手に閉めるなよ峰風。暑さがよけい増すぞ! 今夜は地獄だ」
 茶髪の優男が抗議した。
「うるさいぞ清水」
 ついでにカーテンも思いっきり引く。勢いでまとめた黒いポニーテールが揺れる。峰風辰津美は長髪だった。外の夜景が消え、白地に黒斑点の牛柄が現れた。
「なんだその変な柄は」
「モーモーズを知らないのか?」
「知らない。暑苦しいぞ」
「せいっ! 黙れ。うるさいと集中できないんだってば」
「集中しているのは私ですけど」
 ビデオの操作をしていたタレ目の男が辰津美のほうを向いた。壁には三つのモニターが掛けられており、それぞれにVSの試合が映し出されている。
「あー。ごめん坂東。でもさ、うるさいから」
「クーラーが壊れたとなると、仕方ないですからね」
 タレ目の坂東は、もの凄い勢いでメモを取りながら言った。体中から汗が垂れている。その視線はひたすらモニターたちに向けられており、眼球が忙しく動いている。三つの戦いを同時に記録しているのだ。
「いつ見てもすごいことで、坂東くん」
 手を団扇がわりにあおいで、優男の清水が床に寝転がった。二枚目だが、今はあまりの暑さに半ば顔が崩れている。格好も上半身がシャツ一枚でしかも腹を半分出していた。
 辰津美にしても上半身はスポーツブラ一枚だけで、下半身もスパッツと来ている。男性二人と部屋にいてこれで平気なのは、彼らが仲間だからだ。ただでさえ美人でプロポーションも抜群。そんな彼女が下着同然の格好で部屋をうろついているのに、男性陣がそれを意識している様子はなかった。
「坂東、今日はどうだ?」
「峰風さん、関東地区ぐらいですね。見るべきチームが選手権を得たのは」
「じゃあ俺が見るのは関東だけだな?」
 ごろごろとウッドカーペットの床を転がって、清水が言った。
「いいえ……東海地区で、ついにカンウが来ました」
 清水が驚いたように跳ね起きた。
「なっ! カンウだと? まさかあいつ、まだおなじ機体に乗ってるのか? さすが坊主」
「峰風さんはどう思いますか?」
「……そんなのどうでもいい」
 辰津美は一瞬考えるそぶりを見せたが、しかしそう返答した。もっと気になる優先事項があったからだ。
「四国はどうだ?」
「四国地区がどうかしました?」
「昨夜の時点で、ベスト四に妹が残っていた。そう言っただろう?」
「ああ……そうでしたね。つい『強さ』にしか注意していなかったので」
「それで、勝ったのか?」
「決勝には進みましたよ」
「そうか。ということは全国に来るな、よかった――待て、『には』と言ったな?」
「ちょっと待ってください」
 坂東はあぐらを崩し、散乱したメモの山からすこし離れたところにあったリモコンを取った。それを操作する。
 モニターのひとつが変化した。凄まじい量のデータが流れた。DLしてメモリーに保存してあるPVの一覧だった。坂東は本日付のディレクトリを開け、ひとつのファイルを実行した。
 ウィンドウが開き、試合がはじまった。
『総司とやらをロック。上手く逃げろよ』
〈OK〉
〈もちろんさ〉
 高校生ぐらいの少年の声だ。画面には鳥型VSケツァールカスタムが一機映っている。右下にステータスが出ている。名は八色とあった。
 その八色がミサイルを放った。ミサイルは水色の飛行VSに向かって飛んでゆく。
 坂東がリモコンを操作した。総司が場面に映る。
 横移動から急下降と旋回を併用し、ミサイルを回避しようと試みていた。マッハ〇・九、秒速三〇〇メートルもの速度で迫る誘導ミサイルを見事にかわした――と思うや、そのミサイルが通過直後に炸裂した。
 総司は散った弾片に襲われ、空中で体勢を崩しかけた。
『な、ディペット《DIPET》ミサイル!』
 斬の戸惑った声が聞こえた。
 八色たちは間を置いてミサイルを発射させてゆく。そのミサイルはことごとく総司の近接で勝手に炸裂するやつで、総司はなかなかダメージを免れることができない。
 と、また飛んで来たミサイルが急にあらぬ方向へと流れていった。
 総司のそばに来るミサイルはつぎつぎと上下左右に飛び散っていく。
 それに構わず、八色たちは洗練された連携と間隔でミサイルを小出し発射させていった。常に最低一本が狙っており、総司は対策に専念しないといけない。
『……くっ、このままでは』
〈こちら力王&十兵衛。斬、あまり誘導妨害を使うな。一五秒しかないのに、たちまち使い切ってしまうぞ!〉
〈そうだよ斬くん! 落ち着いて〉
『わかっていますけど、ダブルじゃなくディペットじゃ、どうしようも!』
 ディペットミサイルはVT信管を採用している。ドップラー効果を応用して敵の至近で爆発する。ダメージこそ小さいが、狙った方向に威力を集中させる指向性爆破なので、弾片や爆圧のクリーン回避は困難だ。
 剣ノ舞は完全に混乱していた。
 八色はその高機動力を利用して距離を取り、定期的にミサイルを総司に放つ。武藏や十兵衛が追いすがろうとすると、超短パルスレーザー砲で迎撃して来る。レーザーは見えない上に光速だ。二機がその退避や防御に気を取られている隙に、あっというまに距離を稼ぐ。地上と空。速度差は明白だった。
〈ちくしょう、ああも徹底して逃げられると、どうしようもないぜ。卑怯者め〉
 力王が悔しそうにわめいているが、事態が改善するはずもない。
 その様子をじっと見ていた辰津美だが、あることに気が付いた。
「……剣ノ舞、動きが固いな」
「そうか? 相変わらずどいつも下手だ」
 清水の声を無視し、辰津美は坂東の手からリモコンを取ると、カメラを武藏に合わせようとした。なかなかうまくいかない。
「くそ、利き手なのに右じゃいまいち」
 仕方なく左手に持ち替えて操作した。
 カメラが武藏に合った。
『もう、当たって!』
 妹である、ナンの声が辰津美の耳に届いた。それだけで、本能で辰津美は理解した。
「……呑まれ方がちがう」
「え? なんですか?」
 坂東が不思議そうに尋ねた。
「剣ノ舞、リーダーの焦りは本物だ。だが妹は、ナンは本気ではない。気が抜けている」
「なるほど」
「そんなことがわかるのか?」
「清水は一人っ子だからな」
 辰津美は半ばいらつくようにリモコンを坂東に返した。坂東はふたたびカメラを総司に合わせる。
 八色にゆいいつ追いつくことのできる総司は、回避地獄を強いられて攻撃に参加できない。かなりダメージが蓄積しているが、なんとか空中に浮いていた。飛行VSはすべてヘリフライヤーだ。装甲内蔵型の小型プロペラ群で飛ぶので、ヘリコプターよりはるかに撃たれ強い。総司の場合は隊服羽織の流しが膨らんだマントが浮遊装置になっていた。
 やがて八色のミサイルがふたたび総司を正確に狙いだした。補助装備の誘導妨害を使い切ったのだ。
 つまりは――
 もはやミサイルの誘導機能《ホーミング》は妨害できない。
 三機の八色が、残ったミサイルを一斉に発射した。
 死刑執行。
『あああ!』
 二〇本以上のミサイル来襲を受け、総司はたちまち破壊された。どんなミサイル回避の達人でもこれをかわすのは無理だ。白煙と黒煙が空中に花のようにちりばめられた。たった今まで総司を構成していた部品の破片群が、煙の尾を幾筋も引いて草原に降り注ぐ。
 そこで坂東が一時停止を押した。
「つづきを見ますか? この後タイムアウトの五分まで、ひたすら追いかけっこです。当然ヤイロバーズが残機優勢で判定勝利。事実上の完勝ですね」
「いやいい――純粋逃げが四国に上陸するとは、剣ノ舞にしても不運なことだ」
「世界大会の決勝では、私たちも見事にしてやられた戦術ですからね」
「今の中華英雄には通用しないがな」
「純粋逃げはともかくよ。峰風、妹さんが本気ではない、というのが俺は気になるな」
「それは準決勝を見ればわかる。坂東」
「これですね。最初から武藏を追います」
 データを再生させる。
 戦場は砂漠で、敵は三対三。
 開幕と同時に、剣ノ舞にはるか彼方からロケット弾が降り注いできた。ヘラロケットの地を這うような爆発が辺りを制圧してゆく。剣ノ舞は最初から逃げまどっていた。
〈こちら斬&総司。これはロケットヘヴンです! 昨日の戦術と違いますよ兄さん〉
〈わかっている! 準決勝ともなると裏を掻いてくるな。作戦変更だ、どうする?〉
〈こちらの装備が弱いです。近づけないかぎり、なんとも〉
〈となれば斬撃しかないか。だが近づいても、ロケットであぶり殺されるぞ〉
〈ロケット弾をなんとかして、すべて使わせないと……〉
『こちらナン&武藏。斬くん、私が囮になるよ。回避しか取り柄がないから』
〈え? それでいいんですか?〉
『とにかく相手のロケットさえ使い切らせれば勝てるんでしょう?』
〈俺に代案はない。ナンと斬に任せる〉
『ありがとうございます、先輩』
〈……わかりました。ではナンさん、こちらが斬撃を狙っていないかのように見せかけてください。僕と兄さんで、敵の攻撃がナンさんに集中するように誘導します〉
『うん。頼んだよ』
 その後、剣ノ舞の連携は見事なものだった。相手チームはどんどん弾頭を消費し、最後の一本まで撃ってしまった。その瞬間を狙って、坂東がカメラを対戦相手に合わせた。シュバリエの威容が映る。だがそれはいまや、半ば裸になった偽りの虚像だった。
『……な、武藏が生きていた? あれをかわすなんて、どういう反射神経をしている!』
 剣ノ舞が一斉に突撃を開始した。
〈全機ストームトルーパーになった!〉
〈あいつら、けっきょく突撃が目的かよ〉
〈リーダー。俺達、騙されたんだ。斬撃潰し用のロケットはもうないよ〉
〈くそ! こちらは空から……〉
『まだ取り返しはつく。全機迎撃!』
 シュバリエと剣ノ舞は乱戦に入った。だが近接戦闘力に秀でた剣ノ舞の前に、シュバリエ三輌はたちまち沈黙してしまった。
「これは昨日、私たちが決勝で取った作戦に近いですね。理にかなっています」
 坂東は冷静な顔で分析した。
「もっとも峰風が一人で三機斬りしたから、作戦の意味がなかったけどな。こちらは堅実で安全で、理想的だぜ」
 清水の皮肉とも取れる言い方に対し、しかし当の辰津美は笑っていた。
「ははは……ナンめ。間違いなく中華英雄の試合をチェックしてたぞ。とっさに思いついたにしては、提案までの時間が短すぎる――ところで坂東、ちょっと気になった場面がある。悪いがリモコンを貸してくれ」
「どうしたんですか?」
 リモコンを受け取った辰津美は、試合を巻き戻した。左手で操作する。
「ここだ」
 シュバリエが最後の一斉射でロケット弾の罠を張ったところだ。
 ゆっくりとコマ送りにする。
 シュバリエ側から見た画面で、煙の左側から一瞬、黒いのが出たように見えた。しかしそれは直後にふっと消えた。そこにロケット弾が数本着弾し、派手な爆発をあげた。
 ――そして、武藏はシュバリエから見て、右側に出ていた。
「補正突破現象《ミラージュフェノミナン》? おいおい、マジかよ!」
 清水が面白そうに叫んでいた。
「これって、幻影者《イリュージョナー》じゃねえか」
「よく気付きましたね峰風さん。さすがにすばらしい観察眼です」
 辰津美が返したリモコンで、坂東が同じ箇所を再チェックしていた。サブウィンドウを呼び出して、別データも参照している。その指先は隠せぬ軽い興奮で揺れていた。
「この通信対戦の時差《ラグ》は〇・一六五秒。筐体一・五五の実用補正限界は〇・四五〇秒――二・七三倍差ですから、余裕で許容内ですね。通信対戦の強制補正表示《DICOC》を、見事に突き破っています。稀にあるフロックなバグではなく、本物の蜃気楼ですよ」
 すっかり興味津々の清水が質問した。
「そのレベルで、最新の一・八〇筐体ではどうだ? あれはきついだろ?」
「今回だけを見れば、ラグが〇・二秒前後を超えればじゅうぶんに起こりますよ」
「確実だな? αでも?」
「開発者当人が言っているんですよ」
「それもそうだな――峰風が言っていたのはこれのことか? 最初は身内ゆえの判官贔屓かと思ったが、確かにすごいな」
 辰津美本人も顔が赤かった。
「まあちょっとちがうが、とにかくそういうことだ。準決勝の本気さが、決勝では嘘のように消えている。精神面で少々問題があるな」
「そういうことは別にして、今度の大会、めちゃくちゃ面白くなりそうだな、ええ? 坂東のいたずらに、これは使えるだろう」
 はっとして、辰津美は清水に抗議した。
「αの革命に私の妹を巻き込むな」
「おいおい、巻き込む側は坂東だって。だいいち辰津美にしたって、坂東や『党首様』の提案に賛成しただろう?」
「いや……自分のことだし。でもまさかナンがいきなりなるとは」
「姉妹で揃ってイリュージョナーというのは、世界でもはじめての例ですね。とにかくまずは、党首様に連絡でしょう」
「……そうだな」
 辰津美はため息をついた。
 嬉しいはずなのだが、なにかしっくり来ない。そもそもナンがVSをはじめた理由はわかりきっている。二年以上も前の、何気ない口約束を果たしに来るためだ。
 ナンには自らが剣道をやめた理由を、まったく説明していない。普通なら真っ先にそれが気になるはずなのに、なぜナンはVSそのものをプレイして、全国の切符を手にしてから会いに来るのか?
 その答えは、勝負そのものがまさに目的であると考えるのが自然だろう。
 あの子はいつも本気だった。
 その本気を、はたして私はちゃんと受け止めてあげることが出来るのだろうか?
 思わず苦笑したくなった。
 なんてことはない。
 私もあの口約束を、有効だと思っている。
 だからこそ妹の心配をするのだ。
     *        *
 二週間が経った。
 力王、ナン、斬の学校が終業式を迎えた。三人ともおなじ讃岐中央学園だ。最近とみに増えてきた、中高一貫の公立校である。
 その制服を着て、ナンは高松駅のロータリーにいる。変な校則があって、公性の高い場に出るときは、制服を着用しなくてはいけないというのだ。肩にはいつもの竹刀を袋に入れて下げている。
 穏やかな風が吹く。時間はまだ朝の九時前だ。いくら真夏とはいえ、死ぬほど暑いという時間ではない。高松駅は瀬戸内海がごく近い臨海の駅だ。潮風が思ったより涼しく、気持ちが良かった。
 竹刀が風に揺れ、背中をとんと押した。それがまるで、辰津美に励まされたかのような錯覚を得る。
『姉さん。本当にいいの?』
『ああ。これは私が最初に優勝したときの想い出深い一振りだ。もうぼろぼろで稽古にも試合にも使えないけど、手入れすれば飾り映えくらいはするだろう』
『ありがとう――大切にするね!』
 運命の約束をした翌日、家を出る寸前にくれた竹刀。それはこの二年間、お守りとしてナンを公私で支えてきた。
 そしてそれから二年と数ヶ月が経った。
 今日、家から出るときだった。
 父の峰風励が、ナンに急に行くな、と言った。
「どうして?」
「辰津美と戦えるという保障はないだろ?」
「出ないと確率はゼロになるんだよ」
「四国中学総体が来月に控えている。その大事な稽古もあるだろう」
「VS大会はたったの二日間だよ。それに帰ってから剣道部の集中合宿があるし」
「足りないな。一日休めば取り戻すのに数日かかるというだろう」
「いつの時代の話をしてるの? 今のコンディションピーキング技術なら数日の間欠ぐらいなんでもないって」
「知らないな。やはり家で鍛えてやろう」
「――パパ、両立しているからVSに出てもいいって言ったじゃない。あの日の『よくやった』というのは、嘘だったの?」
「悪いが気というのは変わるものだ。やはり剣道のほうが大事だ。それに……たかが遊戯、ゲームじゃないか」
「パパ……なんでいきなり、そんなことを言うの? 今までちっとも反対しなかったじゃない! せいぃぃ!」
「辰津美とおなじその口癖はやめろ。とにかくだめだ。くだらないゲームの大会に峰風南が出たら、峰風家の格が下がる」
「くだらないって……そんな。私、VSが好きなのに」
「なに! なら余計にだめだ。どうせ東京に行って、二度と帰ってこないつもりだろ!」
「そんな……パパぁ」
 励が玄関に降りてきて、いままさに出ていこうとしていた娘の腕を掴もうとした。
 そのとき、鋭く空気が裂ける音がした。
 励の脳天に、いきなり後ろから一本が叩き込まれた。
「はぐっ……」
 励は前のめりに倒れてきた。ナンは父を受け止めようとしたが、中二女子の腕力では、大人の男性は重すぎた。我慢しきれず離した。
 伏した励は気を失っていた。
「パパ! 大丈夫? 大丈夫?」
「構うことはないわ」
 犯人が言った。竹刀で自身の肩をぽんぽんと叩いている。
「ママ――」
 峰風冴子は哀れみの目で、夫を見下ろした。
「まったく、ナンに対してはずっと暖簾だったくせに、いざとなると怖くなって反対するなんて。東京から帰らない? そんなわけないじゃない。ナンの帰る家は、ここなのに」
「大丈夫かな、パパ」
「この人のどこがどれだけ頑丈かを、私は知り尽くしているわ。まったく心配ないの」
 優しい声で娘に微笑みかける。
「だからナン、精一杯暴れてらっしゃい」
「……わかった。必ず、姉さんと戦ってくる」
「辰津美に言ってね。あなたはまだ、うちの家族だって。わたしの娘だって」
「うん!」
 ナンはそして、旅立ったのだ。
 だけどさすがに、早く着きすぎた。高松駅ですでに一時間は立ちん坊をつづけている。列車の出発予定時刻は九時だから、そろそろのはず……
「ナンさーん」
「おーい」
 聞き覚えのある声に、ナンは顔を上げた。いつのまにか下を向いていたのだ。
 通り過ぎた車の窓を開けて、仲間たちが手を振っていた。
 心細かったナンの顔に、にわかに笑みが溢れてきた。
 無人運行《フルオートドライブ》タクシーが止まり、馬子兄弟が降りてきた。やはりナンとおなじく制服姿だ。力王がカードで運賃を支払う。荷物をすべて降ろすと、無人タクシーは自動でバス乗り場脇のタクシー乗り場に向かった。そこには有人タクシーの親父たちがいて、無害煙草を吹かしながら立ち話をしている。
 無人タクシーが登場したのはナンが生まれたころだが、昔ながらの有人タクシー需要がなくなることは決してない。
「待ったか?」
「いいえ、ほんの五分ほどです」
「そうか。では行こう」
 力王と斬が歩き出す。ナンは足元に置いていた旅行鞄を掴むと、その後に続いた。歩行のリズムに合わせて鞄の牛柄が揺れる。
 と、馬子兄弟の行く手に斬くらいの少年が三人出てきて、横断幕を広げた。ミミズのようなひねくった字で「がんばれバーテックス馬せ斬!」とある。
「行け行け斬!」
「がんばれがんばれ斬!」
「日本を征服だぁぁー!」
 見た瞬間にナンは笑ってしまった。
 可愛いものだ。かつての自分にそっくり。
 いつもああやって、会場で辰津美を応援していた。たしかに父の励が率先した部分もあったが――
 私にしても姉さんの強さに心酔し、期待していたと思う。ああ、なるほど。だからかな、私が姉さんにこだわるのは。
 私はずっと、姉さんになりたかったんだ。
 ……え?
 ナンはこの自然と湧いた自覚に、素直に驚いた。
 いままでこんなことは、思いつきもしなかったのに。やはり全国大会というのは、なにか違うものなのだろう。
 それにしてもこの三人、ずっと隠れていたのだろう。奇妙に隠密性が高く、ナンはまったく気付かなかった。
「こらあ」
 斬が顔をトマトみたいに赤くして、三人の元に駆け寄る。同級生なのだろう。私服だったのでわからなかった。
「『瀬』ぐらい、ちゃんと書いてよう!」
「なんだと斬。この則昭さまが、せっかく見送ってやろうというのに」
「わあああ、みんなが注目してるじゃないか」
「絶望だぞ。俺がどんなに苦労してこの字を書いたか」
「その気持ちはありがたいけどさ貴史、恥ずかしいんだってば。みんな見てるだろ?」
 なるほど、たしかに周囲を歩く人たちが、なにごとかと足を止めて斬たちに注目している。力王は完全に他人を装い、それはナンも同様だ。笑い声を必死に我慢しており、涙が出そうになってくる。
「うわー。僕たち有名人だー。みなさーん、僕は良介って言います~」
「そうなのだ!」
 一番体格のある則昭が両手を広げた。貴史と良介はそれぞれ横断幕の端を持っている。
「則昭、貴史、良介! 三人揃って『のーたりん』キッズホイッツ!」
「うわー!」
 斬の赤面は最高潮に達した。
「……とにかくわかった。うん。うれしいよ。全国ではちょちょいと活躍して来るから、ほらほら、帰った帰った」
「わはは! 任せなさい」
 まったく脈絡のない会話を終えて、斬はようやくナン・力王に合流してきた。後ろではまだ三人が妙なパフォーマンスをつづけている。基本的に目立つのが好きなのだろう。
 ナンはまだ顔が赤いままの斬に笑いかけた。
「斬くん、面白い友達だね」
「えええ? 違いますよ。あれは悪友です」
「まあ一応友人とは認めているわけだな――ずいぶんと立場も変わったものだ」
「え? 先輩、昔なにかあったのですか?」
「VS関係でな」
「ぜひ聞かせてください」
「そのうちな。さてと、行こう。戦場へ」
 力王が元気に腕を振り上げた。
 その姿がかつての無邪気に辰津美を追いかけていた自分と重なるようで、ナンはまた笑いたくなった。
 だけどそれよりも、今は素直にこう言いたかった。
「はい」
 元気よく体全体で返事したからだろう。
 古ぼけた竹刀が、袋のなかで揺れるのを背中で感じた。お守りの竹刀もむずむずしているんだ。ナンは嬉しくなった。
 行こう。
 全国大会へ。
 東京へ。
 二〇年度夏期VS全国選手権大会へ。
 三人の若人が今、旅立つ。

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