ソード妖夢オンライン3 東方剣舞郷 ~ Myoncrad.
原稿用紙換算594枚
東方Project×ソードアート・オンラインのクロスオーバー。SAO編第三部。
一三 序:めいゆー
クリスマス・イヴは人間にとって特別な日らしい。
もちろん今時の幻想郷にもクリスマスくらいある。紅魔館が広めてくれたから。ハロウィンもだ。ただ、日本のクリスマスは、私が知っている厳かで華やかなものとずいぶん違っていた。
『乾杯!』
『メリー、クリスマス!』
クラッカーがいくつも弾け、煙と音が安普請の食堂に充ちた。私の視界も灰色のカーテンに覆われてしまい、けほけほと咳をしてしまう。視野はすぐに晴れ、みんなの上機嫌な笑顔が目に映ってくる。
周囲が爆笑に包まれてる。空気が震えるほどうるさいが、誰彼をネタに笑っているわけではない。ただ楽しくて嬉しくて、それで声をあげている。私はみんなに合わせて控えめに笑ってはいるけど、声は出さない。手にした木製のカップにはソーダ割のバレンシアオレンジ酒が入っており、その表面が泡とともに、私の緊張を含んで軽く波打っている。知っているモノ・コト・ヒトとともに在る状態を好む私は、こういうあまり知らないヒトタチに混じって騒ぐという雰囲気がちょっとというより、かなり苦手だ。滝の瀑布みたいに自然の騒音であれば心地良いけど、雑多で「知らない」意識の集団は私の心を乱してくる。宿屋の一階にあるこの食堂スペースはいま現在、一〇〇人前後で所狭しとごったがえしていた。
作り笑顔のまま首を縮めて我慢していると、奇声の重奏が鼓膜をいじめる中にひゅんと小さな音が混じって、頭へなにかが落ちてきた。こわごわ触れると、どうもいずこより飛んできたクラッカーの紙テープらしかった。取ろうとしたけど変な方向に力を入れてしまったようで、青髪に絡まってしまう。役割を終えたならさっさと耐久値をゼロにして無に還ればいいのに、演出効果かなにかの都合で、いましばし存続しつづけるらしい。個性のないコモンデータの分際で、私の頭を不当に占拠しようというのか。
右手にカップを持ったまま、私は左手だけでクラッカーの残党と戦っていた。おなじ机を囲む魔理沙と椛は、今日あった第二一層フロアボス攻略戦の話題に夢中で、乾杯したきり放置したまま、私のささやかな危機に気付いてくれない。友人たちの話題に私はついていけない。弱い私は戦力外。第一〇層より攻略戦には一度として参加しなくなっている。いつも待つ側だ。
一体なんだろう。周囲がうるさいほどに悲しくなってきた。みんなは楽しんでるのに、私はここに居るだけ、ただ参加してるだけだ。まるで置物ではないか。さっさと上階に引き籠もって、今夜の研究をしたい。いまここにいる私は誰の役にも立たないけれど、個室に籠もった私は一転して、電子世界の賢者となるのだから。妖夢のように大活躍できる時間帯の到来だ。
気晴らしにカップへ口を付け、中の液体を一口だけ飲んだ。柑橘類のすっぱくも甘い味が舌を刺激する。ついでに冷たい炭酸が舌触りを強調し、刺激も喉越しも良い。現金なもので、たったこの一口で私の気分はすこし戻った。でも今度は味に不満が出てくる。アルコール独特の若干ぬるっとした質感を再現していない。味覚エンジンの精度はしらないけど、私の要求する水準ではまだまだだ。
茅場晶彦は天才だが、体はひとつ、時間も有限。個々のモジュールやルーチンをことごとく自分で作るようなことは出来ない。だから味覚再生にしたところで、開発チームの誰かが構築したものを採用しているだろう。もし茅場が食に造詣をもち、彼自身が味覚エンジンを組んでいれば、浮遊城アインクラッドはどれだけ素晴らしいグルメ世界となっていただろう。SAOの食文化はお世辞にも豊富とはいえない。中世欧州風の単調で大雑把な味覚ワールドだ。金を積めば旨いものも口にできるが、あくまでも食材として美味しいだけで、料理の質としてはどうか。どうにも男性的なメニューが多く、繊細さと優雅さに欠ける。
「物憂げな顔をして、どうしたの? にとり」
話しかけてきたのは人間のアスナだった。この子は独特の思考回路を持っていて、私とけっこう波長が合う。
「味は酒なのに、舌のほうがこれは酒じゃないって、つい感じてしまってね。料理としての色気が足りないわ」
「酔いも再現できないし、仕方ないわよね。私もSAOの味覚には文句をいいたいわ。たとえば第一〇層はせっかくの和風エリアだったのに、調味料がなぜか粗塩と変なソースと妙なドレッシングしかなかったのよ。どうしてマヨネーズモドキで刺身を食べなければいけないんだって、この世界の料理には失望しちゃったわ。醤油があってほかの選択肢がマヨネーズならまだ話はわかるわよ。でもマヨネーズのしかもモドキしかないって、肝心の食をおろそかにしてどこが和風なんだいって」
本当に悔しそうな表情のわりに、話している内容のどうでも良さ。そのギャップに私は苦笑する。感受性が豊かで、表情もよく変わる女の子だ。私たちの中でアスナに近い精神年齢といえば文と妖夢だが、人間の一五歳と比べたらその違いは明らかだ。やはり実際に若い子のほうが魅力的に、かつ眩しく見える気がする。
「料理スキルで私みたいな研究を始めてるんだっけ。いずれなにを作るつもりなのかな?」
「最終目標は醤油と味噌とお酢。ついでに本物のマヨネーズ味も。あとはコショウとかトマトケチャップかな。この辺りは基本よね、うん」
アスナがその美しい顔に得意の笑みを満たして頷いた。思わず見とれてしまう。いいね、美しい子はただそこにいるだけで眼福だよ。
この子は人の身として最上の部類に入る健康的な美人だ。SAOは化粧を実装しているけれど、この子はその必要がまったくなく、肌質を整える基礎化粧すら施していない。真性の美とはこういうものだ。まだ中学生というのだから、何年か後が末恐ろしい。現時点ですでに私よりも綺麗だと思う。残念なのは、SAOに囚われている間、アスナの外見的成長が止まっていることだ。もちろん現実のアスナは寝ていながら成長しつづける。この一点だけでも、茅場晶彦が目指した真なる異世界の実現が、まやかしでしかない証左だよ。
やはりこんな世界は、一刻も早く攻略すべきだね。その速度を早めるのが、私の研究テーマだ。
「ねえアスナ。今夜の研究だけど、アスナにやってもらいたいことがあるんだ。あ、もちろん強制じゃないよ。今宵はクリスマス・イヴだしね」
私の含みはアスナに伝わったようだ。
「いいわよ。ヨウムちゃんみたいに予定があるわけじゃないし」
私とアスナはなんとなく同時に妖夢を目で追っていた。
妖夢はキリトと並び、壁に背もたれてふたりきりだ。大切断事件のファースト・キス以来すっかり落ち着いて、仲睦まじい二刀流カップルになっている。人前で過度なキャッキャウフフこそしなくなったが、おもに妖夢がリードしている位置取りは計算高い。いまも階段や扉からもっとも離れた壁際を選び、誰もけして邪魔するなよと、見えない結界を張っている。その成果もあって、攻略組の公認カップルに話しかけようとする不心得者はいない。
最強のシステム外スキル、二刀流を操るカップルだから、このように意識的に防御でもしないと、弟子入り希望者があとを絶たないんだ。キリトはまだ修行中と断り、妖夢もキリト以外に教える気はないと断っている。魂魄二刀剣術をより多くの人が覚えたら、攻略活動はもっと楽になる。理屈では分かってるんだけど、剣術の指南には時間と労力がかかるから、恋に懸命な妖夢にはとても受け入れられないんだよね。いつか終わりの来る彼氏との付き合いが、一秒一分でも惜しい。有限だから大事なんだよ。
彼女の気持ちは私にも痛いほどわかる。
現在の攻略ペースなら、来年のクリスマスはない。妖夢にとってこのクリスマスは、キリトと一緒にすごせる、最初にして最後の機会となるだろう。私たちは幻想郷に暮らす妖怪だ。妖夢はさらに遠い死後の世界、冥界で生きている。ゲームのクリアは離別を意味する。クリア後に改めて交際するなど、妖夢が自分のすべてを捨てて出奔でもしないかぎり不可能だ。もちろんバーチャルの世界で会うのなら別であろうが、どのように最初の連絡を取るかという問題もある。この真面目な半人半霊はキリトの今後を考え、おそらく縁を切る。好きなままで別れる。そのような予感がしてならない。
なぜならばそれは――私たち女妖怪が選んできた、もっとも普遍的な別れの選択肢であったのだから。
モノノケに男は少ない。だからヒトに近い顔貌の女人妖は、恋をしたくとも同格の相手がいない。対象は自然と人間になってしまう。その結果として繰り返されてきた悲しい物語の数々。その多くは誰にも知られることなく、長い時を生きつづける妖怪たちの胸にそっと納められている。
私が人間の男を苦手になってしまったのも、何度かの悲愛が原因だ。私はアスナほどでないが並の女よりはずっと美しいから、人間の男が簡単に惹かれてくれる。しかも私もそれほど人間が嫌いではない。むしろ好きなほうだ。なにしろ私の生きる糧は、人間たちがつぎつぎと編み出してくる優れた技術。彼らを根っから嫌いに思えるわけがない。
河童の少女と人間の男。この組み合わせは絶対数としてこそ少ないけれど、歴史的にはそれほど珍しくない。河童の住処は人間の里から比較的近くにあるが、べつに偶然でもなんでもなく、河童のほうから望んで近くに棲んでいる。あまりに山奥へ籠もれば人間の技術を知る機会は減るし、人間と会える確率も減る。
盟友なのだ。河童にとって人間は。
ただし代償として経験してしまうのが、個人レベルでの愛憎。こればかりは自然のこと、どうしようもない。
幻想郷の河童には技術オタクなギークが多く、私もその多分に漏れない。好きな分野に限って自己主張が強烈で、行動力も突出し、周囲を顧みない。そのため人間からは意外と嫌われやすい。恋仲になった男はいい。私のそういう部分も込みで好きになってくれたのだから。だけど彼の身内や友人が黙ってはくれない。私の恋はいつも、裏切りや罵倒、最後は排斥へと移ろった。幻想郷は狭すぎて、駆け落ちしたところで生き延びるのは大変だ。一度は里の外れに家を建て、村八分生活へ果敢に挑戦したけど、わずか二ヶ月後に男が病に倒れ頓挫した。私は彼を人里に預け、ひっそりと川に戻った。妖怪とちがって、人は人を頼らないと長生きできない。私は毎回、泣く泣く別れるしかなかった。それなのに私はどうしても人間を嫌いになりきれない。だって人はすぐに死ぬ。私を嫌った連中も何十年かで代が変われば、関係リセット、記憶は失われ、記録も埃に埋もれ、まっしろに戻ってゆく。
河童と人の恋。そのほとんどが一瞬の輝きで終わり、長くても数年で破局を迎える。夫婦として結ばれる例はとても少ないんだ。幸運に結婚できた河童は、川を捨てて人間のテリトリーへ移住する。そういう人に交わった子でも、半世紀もすれば戻ってきた。愛した人が寿命で死んでしまえば、たえず摩擦に晒される渦中へあえて留まる理由もない。それだけ種族の壁というものは厚い。私でもダメだったのに、妖夢の壁はさらに厚く高い。暮らす場所、世界の距離、責任ある立場。
結局はさ、想い出をありがとうと、大好きなうちに涙笑顔で幕を引くのが、もっとも正しい――
「どうかしたの?」
目の前で手がヒラヒラされていた。
「ごめんごめん。つい考え事しちゃった――それで、なんの話をしてたっけ」
アスナが呆れたと顔で言っている。パーティーの場ですら物思いにトリップしてしまうのは、内向的な私の悪いところだ。
「私がにとりの研究に付き合うという話よ。こんな日でも欠かさないなんて、熱心よね」
「まあね。偽物の世界は、さっさと壊してしまいたいからね」
「それはそれ、これはこれだと思うぜ。いまは楽しむべき時だな」
うしろから男の声。やや濁った音は、四六時中しゃべっている証拠だ。私とは正反対の、外向的で明るい人。
「あ、クライン。メリークリスマス」
彼にはずいぶんと助けられてきた。男で唯一、盟友と認めてる。
「聖夜と今日の勝利に乾杯っと」
振り向いた私は反射的に祝杯をかかげ、茶髪を逆立てたバンダナ男とカップのふちを軽くぶつけ合った。
この乾杯という慣習は、幻想郷の呑み会だと毎度だけれど、クリスマスでもやるとはついぞ今日まで知らなかった。
「その様子じゃ、清しこの夜はお誘いできなさそうだな」
「正月の初詣なら、初日の出から一緒してもいいよ」
「どういう吹き回しだ? にとりさんから誘ってくれるなんて」
「いつも助けて貰ってるからね。魔理沙みたいにたまにはサービスさ」
その魔理沙はいつのまにやらディアベルとキバオウに挟まれ苦笑いだ。両極端なふたりから情愛を寄せられて大変だろうが、魔理沙がサービスしているのはディアベルのほうだけだ。たとえば食事を同伴するとか、攻略の行進中に隣を歩いてあげるとか、ありきたりにデートといった、日々の愛想。キバオウにはなにもない。ディアベルは魔理沙と紫が攻略組を思い通りに支配しつづけるための最重要人物だ。対してキバオウは茅場と目されるヒースクリフへのクサビでしかない。なにかあればいとも簡単に切り捨ててしまうだろう。
なら私にとって、この気の良い三枚目のお兄さんは何者なのだろうか。気にはなりはじめている。ディアベルほど二枚目でもなく、キバオウほど不細工でもない、中庸の男。でも男気あって、男性恐怖症の相談に乗ってもらって、ずっと世話になっていて――
「や、約束ですよ! いやあ、やった。生きてるっていいな」
さっそく驚喜しているクライン。彼が私への好意をはじめて表面へ押し出してきたのは、第一八層ボス攻略戦でラストアタックを取ったときだ。私は女神のキスを断ったけど、かわりにLAのご褒美として、ギルド風林火山のメンバー記章を人数ぶん製作してあげた。私は革細工スキルと裁縫スキルを育てている。敏捷性を重視するぶん布装備の露出が多い幻想郷クラスタは、裁縫スキルで衣服の損耗を防ぐ必要がある。革装備は革細工、金属装備はおなじく鍛冶が、それぞれの耐久値を戻せるスキルだ。
「私はアスナとまだ詳しい話があるから、その喜びを仲間に自慢してきたら?」
「おうよ! 正月が楽しみだな!」
邪魔だからあっち行けと言われて喜ぶとは、おめでたいオスだ。私を好きならもっと粘ればいいのに。
「おっと、その前にこれ、取らねえとな」
オスの左手が私の頭へのびてきた。軽く撫でられる感触。髪がくしゃくしゃにされる。妖夢やてゐはクラインに撫でられると猫みたいに気持ちよさそうな顔を見せるが、私はどうだろう。あまり感情が動かない。好きでもないし、嫌いでもないし。ただ嫌悪がまるで沸かないのはたしかだ。この男はSAOにログインしたその日から、私や魔理沙をずっと献身的に守ってくれてきた。これで嫌ってたら、私はよほどの人格破綻者だ。
もはや赤の他人ではない。いっしょにいて緊張しないから。むしろ安心するほうかも。
すくなくともこの男へ恩義は感じている。感謝もしている。なぜならば私が男性と話ができるようになってきたのはクラインのおかげだ。人当たりの良い彼がいなければ、私は早々に風林火山の庇護より抜け出ていただろう。
妖怪から人間になった私は無力で、男から逃げられない環境をひたすらずっと強制された。でもその荒療治を耐え抜いたこともあり、三〇〇年近くにも渡った男限定の人見知りが、たった一ヶ月半でおおかた改善されてしまっている。私はもう一生、男とはまともな話も、恋もできないと思っていたのに、その絶望から掬い上げてくれたのが、クラインさん。これが五五〇年前の私だったら、感謝感激のあまり、速攻で惚れていたにちがいない。それこそ妖夢のように。あの子は恋愛への免疫がなさすぎて、剣士として相性の良かったキリトへ楽勝で惹き寄せられた。若かりし、惚れっぽかった私を思い出す。
「ほらこれで綺麗になったぞ」
クラッカーの紙テープを手に、私へ優しく笑いかけてくれているクライン。ただ間が悪いことに、ちょうどそのタイミングで紙テープの耐久値がきれ、ポリゴン片となって霞のように消えた。あ~~っと残念がる風林火山のリーダー。
「んー、いちおう、ありがとね」
私が形ばかりのお礼を返すと、「いいってことよ」と片手をあげ、茶髪の青年は軽やかなステップを踏みながら仲間たちの元へ向かった。
風林火山の六人は、しだいにその装備を洋風から和風へとシフトさせている。第二〇層でプレイヤー用の武器としてはじめてカタナが出現して以来、彼らのテンションも高くなっている。クラインは片手用曲刀の熟練度をあげようとやっきになっていて、大小の戦闘へ熱心に参加していた。曲刀の熟練度が全プレイヤーで一番高いのはまちがいなく妖夢だけど、まだカタナスキルは取得していない。それだけ私たちの攻略速度が茅場の想定より早いのだ。
「うらやましいなー」
なぜかアスナが、私と野武士のたわむれを微笑ましく感じたようだった。
「クラインさんをどうこう特別になど思ってないわよ。私の好みは頭のいい人だし」
「じゃあどうして頬が赤いのかなぁ~~?」
「…………ひゅい?」
クリスマスはまるで温泉だ。体温を上昇させる妙な効能があるみたい。
* *
「ニトリさん、あなたが好きです! ……付き合ってください」
困った。
クリスマスの妙ちくりんな気にあてられて、行動に出てきた男の子がこれで三人目。
こういうことは、イヴの前に済ませておくべきことだと思うんだけど、どうして当日にやっちゃうのか。
その時点で考えなしの、雰囲気に流されてついやっちゃった告白だと分かるわけよ。そんな未熟な男なんて、本来は門前払いだね。
宿屋の裏へ呼ばれての告白だけど、いくら村レベルといっても今日到達したばかりの層だし、周囲にはしっかり人がいてね。もろ目撃されてるんだよなあ。時刻はとっくに夜だけど、私の青い髪とキャスケット帽は特徴的すぎて、簡単に個人特定される。
攻略組女子への告白なんて日常茶飯事だからとっくに風物詩なんだけど、今日はなにしろ、クリスマス・イヴだもんな。あ~~、恥ずかしい。
この羞恥によって、私の気分はますますマイナスに冷え込む。その精神状態を見透かすように、雪まで降ってきた。SAOで見るはじめての雪は、大粒のぼたん雪で、白磁のような結晶が切ないほどに煌めいている……。
この男子、私の顔を見ようとしない。ずっと目線を反らせて、体全体がガクブルだよ。自信なさすぎにも限度あるでしょ。というか私のCカップをジロジロとか、かえって失礼なんだけど? なんだかなあ。だからこんな特別な日になってようやく動けたんだろうね。
妖夢も流されて雰囲気と勢いで告白しちゃったけど、あれは魔理沙やクラインの後押しがあり、妖夢が酔えない酒に酔っちゃうという間抜けもあって、可愛く思ったキリトがつい告白させてみたくなって――いろんなことが重なって起きた奇跡。しかもキリトもあるていど惹かれていて、条件をオールクリアしていた。
つまりね。
なーんの前触れも予感も、ましてや人間関係なしに、いきなり好きだぜって言われて、はいそうですとか、女がそう簡単に答えるわけがない。大博打にもほどがあるよ少年。
もちろんこれがディアベルだったら、私もつい悩んでしまうかもしれないね。断るけどさ。でも彼ほど顔のいい爽やか男子は、そういない。だから凡百な男は知り合うって過程を通じ、あるていどの時間と体験を共有しないとだめなんだよ。準備もないのにこれじゃあ、びっくりするか戸惑うだけじゃないか。
――ふと、クラインが脳裏に浮かんだ。そうだよね、もし私を落とせる男がいるとすれば、一番近いのは盟友クラインだ。私のほうに好きという感情はまだないと思うけど、恋は理屈じゃないから。いつ私も妖夢みたいにコロっと行くか分からない。べつに不安はないさ。男性恐怖症から抜けるというのは、誰か男を好きになるってことだからね。
仕方がない……ここはあのバンダナ男を利用しよう。嫌いじゃないから誤解されても別にいい。両手と両足をもじもじさせて、困ってるアピールだ。
「ごめんなさい。私、あの、すでに」
効果は想像以上に抜群だった。
「分かってます! クラインさんですよね。見てました。だから、僕の気持ちを伝えておきたくなったんです! 迷惑だったでしょうが、聞いてくださりありがとうございました! またこんな寒い中に呼び出してすいませんでした! これから無名の一ファンに戻ります。水泡風土記、これからも楽しみにしてます!」
一気に伝えると、男の子は走り去っていった。
理解がありすぎるのも、かえって辛い。まるで悪女みたいだ。
「……いい子なんだよねえ、みんな」
私に告白してきた男子は、これで通算一六人目だ。攻略組には綺麗な花が一〇輪以上も咲き誇っているけど、私は間違いなくもっとも多く告白されてる花だろう。その理由くらい自己分析できる。言動はしゃかりきなのに、どこかオドオドしていて、守ってあげたくなるような印象だからね、私。実際に弱いし。たぶんリズベットやシリカよりも。なにしろ私は、自分で体系化したキャンセル技すらまともに使えない、ど~しよ~もない運動音痴だ。
まあクラインと正月に一度デートすれば、今後こういう無謀な告白も減ってくれるだろう。妖夢のファーストキスという前例がある。男避けとして使う形になるけど、すまないねクライン。でも文に下手なことは書かせないよ。新聞で攻略組公認なんてされたら、あとが怖いじゃないか。
宿屋の二階に戻ると、私が取っていた部屋ですでにアスナが待っていた。胸当てとハーフマントを付け、腰よりレイピアをさげている。これより戦闘に赴かんとするみたいな、完全武装だ。
「どうでした? 三人目さんは」
「外れ。まーたヘタレさんだったよ。性格は良さそうだけどね」
「『あなたなら、きっと良い子が見つかるわよ』――みたいなフォローはなし?」
「しないしない。なんの救済にもなんないし。何日か前に出た統計だと、男九四パーセント、女六パーセントだしね。これでも縮まったんだよ。死んでるの男ばっかだから」
「そんなに差があったんだ。みんな血眼で彼女を欲しがるわけね」
「ま、攻略活動が順調すぎて、心に余裕があるのも大きいと思うよ。アスナはパーティーからこちら、何回コクられた?」
「なんか中途半端なのがあって、明らかなのは一回、かな」
「告白以前に誘おうとして固まったパターンがあったんだね。ああいうの歯がゆいよね。もっとシャキンとしろって背中を叩きたくなるよ。期待を持たれたらいやだから、やらないけど」
「告白されたほうもぶっ飛んでて、初対面でプロポーズ。もちろん、ごめんなさいってはっきり断ったわ。後腐れの無いように、希望なんか根本からぽっきり折ってあげたわよ」
「これで通算三度目?」
「はい、三回」
「それは、女冥利なすごい勲章だなあ」
「でも私まだ中学生だし。みんなロリコンよロ・リ・コ・ン! 昨日なんか小学生のシリカちゃんに求婚した二十歳くらいの変態紳士がいたそうよ」
「世も末だー」
「マリサに言わせたら『旧来のMMORPG感覚で一部のバカが錯乱してるだけだぜ』らしいわ」
私もアスナも慣れたものだった。私は告白された回数で最多だが、アスナは求婚された回数で最多となる。料理スキルを育ててることもあって、手料理をたびたび提供しているからだ。スキルは実際に反復使用しないと上達してくれないので、とくに用がなくともアスナは手料理を作る。それを勘違いする男が出てきても、仕方ないだろう。それに顕界の男はどうも、家庭的な女の子に弱いらしい。輝夜も料理を作るけど、あまりにも絶世の美女すぎて、余計な色恋には巻き込まれていない。紫と並ぶ至高にして隔絶した高嶺の花だ。男共が彼女にしたいと思う花は、私やアスナくらいまでらしい。
アスナとさらに適当な男談議を交えてから、今夜の研究に入った。
以前なら雑誌の執筆や編集を終えたあと、寝るまでの合間に研究を行っていたけど、水泡風土記は刊行ペースをしだいに下げている。いずれ役割を終えて、情報活動は射命丸文と犬走椛の文々。新聞に一本化してゆくだろう。水泡風土記はこれから先どうしたらいいのかを、文々。新聞はこれまであったことを書いてきた。私が示す道しるべはやがてネタがなくなるが、新聞のネタは浮遊城アインクラッドが存続するかぎりなくならない。だけど私はあえて自分の探求をつづけている。いつ消えるか分からない私たち。すこしでも多くをこの仮想世界で生きてる人々へ残していきたい。魔理沙が言ったのだ。正義の味方になろうと。私はだから盟友たちのため、クリスマスだろうが頑張るのだ。
ベッドに腰掛けた私は、ストップウォッチとメモ帳を開いて準備を済ませた。
「OK、始めていいよ。好きなタイミングで」
アスナは現段階で最強の細剣、ワイルディアフェザーを抜くと、それを眼前に立てて構え、フランス銃士のような礼を取った。数秒ほど維持したあと、そのままフェンシング的なポーズへと崩してゆく。もちろんフェンシングそのままではない。あれはあくまでも競技化されたもので、自分の命そのものをかけたデスゲーム向けではない。アスナによって独自のアレンジが入り、妖夢やキリトのような足捌きによる体重移動、すなわち剣術の要素を採り入れている。たとえば自由となっている左手はほとんど上げないし、重心をいつも若干低めに保っている。これによってアスナ独特の爆発的かつ正確な突きと、非凡な回避が両立できる。
「それでは行きます――リニアーからのコンボ技、フルブーストで」
薄緑色のライトエフェクトを帯びたアスナのレイピアが、右腕を引いた状態より凄まじい速さで虚空へと突き出される。並のフェンサーならここで体ごと一旦引いたりするが、剣だけを戻したアスナは腰を沈めつつ一歩踏み込んでおり、さらにソードスキルの二連撃らしきものを放った。緑色の閃光が乱れ散るさまに感心しながら、私はストップウォッチを止めた。
「どうだった?」
「さすが『閃光のアスナ』だね。リニアーの突きから三撃目まで、一秒ちょっとしかかかってない。細かいとこは光りすぎて分からないや。剣筋もただの光のラインにしか見えなかったわよ」
ソードスキルを自力誘導するブーストには、エフェクトの輝きが増すという演出効果がある。あまりに明るくて、コンボの詳細がわからなかった。サウンドのほうも激しくなって耳障りだ。
「いまのはリニアーとパラレル・スティングのコンボよ」
「予想はできるけど、どこでリニアーの技後硬直を待ったんだい?」
アスナは首を可愛らしく捻った。
「うーん、もう無意識で出してるから、説明しづらいわね。おなじコンボをシステムアシスト・オンリーのノンブーストで行くから、それで見て」
おなじ動作が繰り返されたけど、今度はさきほどの二倍近く時間がかかった。音も光も小さくて、大人しいものだ。おかげで私にもしっかりと見物できた。
「やはり私の予想通りだね。アスナはリニアーのスキルモーションからポストモーションへ移るゼロコンマ三秒の間に、パラレル・スティングのプレモーション移行と踏み込みの出だしを同時に行ってるよ。体の自由が利かなくなるゼロコンマ五秒の間は、フルブーストのときも力を抜いてるのかな?」
私が言ったことを訳すとこうなる。ソードスキルの攻撃動作が終わり、硬直タイムへ入るわずかな間に、上半身はつぎの発動ポーズを準備し、下半身は間合いを調整する。硬直中は慣性で流す。
「そうね。たしかに力を入れたり抜いたりのオンオフを細かく繰り返してるわね。踏み込みは最初しか力を入れないわ。あとは勢いのまま。パラレル・スティングそのものに前進ベクトルが働くから」
私は頭を掻いた。これは難物なようだ。
「非キャンセル式コンボなら、私のような下手っぴプレイヤー向けのマニュアルを組めるかもと思ったけど、こいつもどっこい、キャンセルとおなじていどにはシビアなようだね」
「連結に失敗したら、ディレイ中と直後にかえって隙が増えてしまうわよ。キャンセルはたいてい成功後に隙が生じるから、失敗してもフォローが利くぶんまだいいわ。したがってリスクとしてはコンボのほうが高いと思う」
「体験者は語る、か。あるていど危険に身をさらさないと、覚えられないよねやっぱり」
「まだまだ。ヨウムちゃんとキリトくんの二刀コンボは桁違いの領域よね、あそこまでいくと」
「それも予想がつくけど、手練れの言葉を聞きたいわ。言ってみて」
「通常攻撃の高速コンボは、ソードスキル・コンボより難しいのよ。あらかじめ予備動作へ持っていく私のコンボは、硬直が解けると勝手につぎのソードスキルが発動してくれるわよね。だから硬直時間を考えなくても最速で繋がるの。それに対してヨウムちゃんたちのコンボは、攻撃ディレイの解除タイミングを常に見極めないといけない――早すぎると当然、あっというまに連結が途切れてしまうわ。そのシビアなコントロールを、なんと両手両足で交互に行っている」
「そんなところだよね。妖夢は半世紀以上に渡る研鑽の成果、キリトは天才くんだしなあ。プロフェッショナルすぎて参考になんないわ。もっと凡人というかど素人向けの裏技が見つからないかなあ」
「でもキャンセルもコンボも、普通の人くらいならなんとか出来るわ」
私は頬を膨らませた。ぷんぷんだ。
「むー。たしかに私は運動神経が枯れてるよー」
「ちがうちがう。にとりは連続攻撃の一般化なら、すでに成功してるってことよ」
「おっ、アスナのひらめきが出たね。さすが偏差値七〇台」
これはつづきを促す私からのサイン。アスナも分かっている。以心伝心。
「中国雑伎団って知ってる?」
「テレビで見たことあるよ。サーカスと違って、徹底的に人体だけで練り上げられた、人並み外れた技の数々。たっぷり魅せてくれたわ」
「あれって、特別に才能ある人たちがやってるわけじゃないらしいのよ。小さなころからひたすら同じことを仕込まれて、すこしずつレベルをあげていって、最終的にあんな凄いことになるの」
それで十分だった。私はアスナの発言に探していた答えを見つけた。
「なるほどっ! 段階的な教練か! 基本的なことを見落としてた」
「私のリニアーは、レベル一のときは硬直時間が二秒近くもあったわ。これだともちろん連続技になんか使えない。それがいまでは〇・五秒。おなじ技でも、レベルや熟練度があがればより簡単になる――」
「つまり二刀流だろうがキャンセルだろうがコンボだろうが、初期の武器や初期ソードスキルで練習すれば、あるていどのレベルがあれば、下手糞でもなんとかなるかも知れないじゃん。あとはすこしずつ装備や技のランクをあげていって、徐々にこつを掴めばいい。そうなのね」
「そうなると思うわ」
興奮してきたぞ。これは面白いことになりそうだ。
「次号の水泡風土記は、コンボ技と連続攻撃修行の特集号にするわよ! アスナ、もっと色々と見せてちょうだい――いや、ここは平凡な人も呼んで、その練習方法が機能するか検証しないと。リズベット! そうだ、シリカも呼ぼう。ついでに連撃達人の代表として妖夢も! 二刀流まで一挙にマニュアル化できたら、これほどみんなを喜ばせるクリスマスプレゼントはないよ!」
「ヨウムちゃんはキリトくんと……お邪魔したら悪くない? 馬に蹴られてなんとやら」
「なにを言うかね盟友アスナ。私のめいゆーなら、一緒に妖夢の色ボケ少女を説得してくれよな。このような光明が得られたのに、たかが彼氏とのイチャイチャごときで無駄にする時間なんか、一秒も惜しいじゃない! あちらはふたりの都合、こちらは九三〇〇人の都合だ!」
「錯乱してるな~~」
「いいから妖夢たちを呼ぶ! めいゆー!」
「はいっ!」
反射的に敬礼してメッセージを打ち出すアスナ。その顔が怖い先生に叱られたように強張っている。
わかっちゃいるけど、一度こうなったら私は止まらないんだよ。これで何度も里の人たちとトラブルになった。
でもね、幻想郷の河童はそういう生き物なんだよ、めいゆー。