第三話 秩序の追手

よろずなホビー
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 ウンラーが出港した同日の午後。
 大河ムック中流、神聖ムック帝国軍港ヤトトーウ。
 ムック帝国の水軍は、かなり小規模だ。このヤトトーウは、ムック帝国東部一帯で唯一の軍港であった。有事のさいにここを襲撃されたら、それだけで大河ムックの制水権を失う。しかしムック帝国はこの事実を理解せぬ。鈍すぎて絶滅した背角竜や帆竜のように、帝国は疲弊した巨体を持て余しているのだ。各領地で軍や法の改革に乗り出しているのは、ノーラ三世の皇太曽孫、三四一年前に大帝国を現出させた大帝フェスドナと同じ名を持つ、フェスドナンド公フェスドナ・テス・ムック・フェスドナンドだけであった。
 次代の至尊たる存在を約束されている今年で二二歳になるフェスドナが、ひとりでお供も連れずに、お忍びでこの港に来ていることは誰も知らない。
 お忍びの基本は、目立たないように変装することからはじまる。しかしフェスドナにはそれが当てはまらない。普通の町人の服装をするだけで、そこらへんにいる素朴な青年になってしまうのだ。それほど貴族らしい――彼はさらに上の皇族だが――雰囲気、威厳というものを発散させないところに、彼のすごく、そして困ったところがあった。
「……まったく、あんな中途半端な艦隊では、いくらラクシュウの海が手薄でも、見つかれば返り討ちだぞ。神官も、全面戦争は嫌だが同盟は威圧したいからといって、なにもサーナンドのどうでもよい策略の手伝いなどしなくてもよかろうに」
 ぽつりと漏らす独言は、普通の一般民衆が知るわけのない、最高機密に属するものである。とはいえ、片田舎のヤトトーウ港は基本的に出入り自由で、周辺住民が大挙して押し寄せ、なんだなんだと物見遊山である。
「この出港は、三日もせずして公然の秘密となるだろうな。でも、情報が同盟に届いたときには、どうせもう遅いが」
 フェスドナの予測は、軍上層の一致したところでもある。風に左右されない櫂船で、小数編成で、しかも目的がはっきりしない。
 今、民衆が遠巻きに見物しているのは、神聖ムック帝国第七機動水軍である。正式の艦隊ではない。帝国の機動水軍は第六までしかないのだ。しかも普通は三二隻編成の艦隊が、港で出港待ち状態の櫂船が八隻しかないことを考えると、完全に間に合わせのどうでもいい出兵だということがよく分かる。
     *        *
 派手なだけで無意味な飾りの多い、第七水軍の旗艦、ラー二一六。ラー神の二一六番目の祝福を受けた船、という安易なネーミングの巨大な突撃櫂船上で、ひとりの偉丈夫がへべれけ状態になっていた。
「それでな、誰も『果ての吸い込み竜』のいる北海へと行くのをいやがってな、俺様はこうしてお偉い帝国聖大元帥様から、とんでもない役を押しつけられたってわけさ」
 酒飲みという異名をもつ中級将軍サイオスは、昼間だというのに片手に陶器の酒入れをもって、酔った顔で部下にからむ。
「まったく、やりきれないぜ。自分から行くと言っていたあのサーナンドの間抜け野郎はともかく、な~んで陸戦専門の俺が軍船を指揮せにゃならないんだ?」
 そして酒を一口飲む。
 サイオス将軍の副官ナイヤーは、あきれと心配を混ぜたような表情だ。
「将軍……出港ですよ、飲むのは謹んでくださらないと」
「けっ、やってられるかよ……」
「将軍?」
「――グオオオオー、グオオオオー」
「……まったく、嫌な出陣のときはすぐにこれだから。もっとも、ここ半年の戦場はつねにやっかいな条件のところばかりでしたからね、これで六回連続……だけど、つぶれるなんてひさしぶりだな」
 部下の副官はもはや慣れている様子で、将軍にちかくの布をかぶせる。
「常勝不敗で、帝国最年少将軍、おまけに兵に人気が高い……煙たがられ押しつけられるのも仕方がないか……おい、出港だ」
 ラー二一六が、錨をあげはじめたときである。にわかに、軍港が慌ただしくなった。
 なにごとかと港を見たナイヤーであったが、軍港のある一画から「ガー」という咆哮がひびいたとき、ナイヤーは確信した。
「またかよ、あのお転婆姫は!」
 騒動の主は、すぐに姿をあらわした。避ける民衆の間から現れたのは、ブルガゴスガ人の標準的な身長の約二倍はあるだろうと思われる、しかしそれでも、この惑星の恐竜たちのなかでは非常に小振りな部類にはいる、後ろ二本足で立って歩く、肉食の天牙竜である。
「カーリヤ、きっとあの大きな船よ!」
 首根の鞍に座っているのは、いかつい鎧に身を包んだ戦士ではなく、まだあどけなさが残る顔の可愛らしい少女であった。
 少女は、燃えるように赤く腰まで伸びる長い髪を無造作に一本のピンでとめ、ムック貴族が飼っている鎧竜で遠乗に行くときに着る、動きやすい短めのスカートと半袖の短衣の上着姿で、強い意志をしめす両目は、髪とおなじ赤色である。短めの双角が、彼女の年齢の低さを物語る。
 副官は、ラー二一六めがけて疾走してくる天牙竜――否、お転婆姫を食い止めようと、船から降りた。
「アーシャ姫、だめですぞ」
「どいて! ナイヤー」
 天牙竜の進路上に立ちはだかった副官のナイヤーであったが、アーシャは完全に無視している。
「お父様、今度こそ、連れていってもらうわよ。いまだ、飛んで、カーリヤ!」
「ガー」
 カーリヤは前腕をひろげた。そこには、たくさんの羽根があった。翼竜のもつ膜状のものではない、羽毛と羽根による翼。それをはばたきはじめる。
 揚力が発生し、天牙竜はわずかに浮く。そして強力な後ろ足で大きくジャンプした。
 一回、二回、三回……
 跳躍のたびに飛距離が伸び、速度も増す。
「うへえ!」
 ナイヤーが身の危険を感じて伏せた直前で、最後の跳躍をしたカーリヤが、そのまま飛び立つ。竜と鳥の進化の鎖、天牙竜が飛んだ。
 カーリヤは、鞍上のちいさな同姓の友を落とさないようにうまくバランスを取りながら、飛行というよりほとんど滑空に近い感じで、三〇ゴスガ(四五メートル)の飛行可能距離を使い果たし、華麗にゆっくりと着地した。
 そこは、ラー二一六。もはや完全に動き出した、ムック艦隊の旗艦甲板上であった。
 アーシャはカーリヤに騎乗したままで、いきなり乱入してきた竜を見てあ然としている兵士や水夫たちを悠然と見回した。
「私はサイオスが一の姫、アーシャである」
 高い身分の者にしか出来ない慣れた振るまいだ。珍入者の正体を知った周囲の者たちは、一同に将軍を指さした。
 寝ている。
「…………」
 アーシャはあきれて、なにも言えない。
     *        *
 副官のナイヤーは、おいてけぼりになった。去りゆく船団を見送りながら、男泣きに、
「なんでだ~」
 と叫ぶ。となりで、知らない水夫が彼の肩に手をかける。
「兄ちゃん、もう追えねえよ。あきらめな」
 ナイヤーは気のいい水夫を誘ってそのままやけ飲みをしに行った。
 さらにそのとなりで、お忍びのフェスドナは顔に笑みを浮かべていた。
「彼女が社交界で有名な、深窓の誉れ高いアーシャ姫か……あれでは、パーティーにほとんど出ない理由がなんとなく分かるな」
 そして見るべきものはもうないと判断すると、船影から目をそらした。
(久しぶりの御前大会議裁決による出陣だったからぜひ見物してやろうと思ったら、なんとあんなちんけな規模ですっかりうんざりしていたが……彼女でまあよしとするか)
 彼も若い男である。不満は、異性という要素で吹き飛んでいた。素朴な青年フェスドナは、意気揚々と人混みに消えていった。
     *        *
 夕方、サイオスは愛娘アーシャにたたき起こされた。
 実の父を蹴り起こしたアーシャは勝ち誇った顔で、
「おはよう、将軍様」
 頭を掻いて長い角をさすったサイオスの顔は「しまった」であったが、もう遅い。
 彼は、一人娘のアーシャに手を焼いている。三年前、当時一〇歳のアーシャを、楽な農民一揆鎮圧に気紛れで連れていった。
 高原からの亡命者で構成された天牙竜騎士団五〇〇〇、それが彼の配下である。普通なら農民鎮圧は歩兵の仕事で、誇り高い竜騎士がすることではないのだが、軍の上層部は元難民の天牙族である彼らを色々とこきつかう。「酒飲み」サイオスは、帝国唯一の天牙族出身将軍であった。
 この戦いは、約三〇〇〇〇人の農民たちに、横隊展開で五〇〇〇本の騎竜槍をかかげてゆっくりと前進するだけで、あっさりと終結した。
 他の将軍なら容赦ない殺りくを行なうが、平民出の彼にそんなことは出来ない。威圧して降伏を迫ると、首謀者たちはかなわないと判断。無駄な犠牲者を出すまいと、進んで投降し、農民たちは解散した。
 後に首謀者たちは宗教裁判で、全員が即決の死刑判決を受けた。自首だったので火あぶりではなく、ラーの慈悲で睡眠効果のある遅効性毒薬投与による安楽死であった。さすがにこれは、アーシャには伝えてない。
 とにかくこの楽すぎた展開に、アーシャは少女心に何を感じたのか、戦いというものにロマンを求めた。
 それ以来、冒険物語を読みあさり、英雄譚を奏でる吟遊詩人を招き、白竜の騎士を夢見るようになった。最近では夢見るだけではあきたらず、父の天牙竜を乗りこなすようになり、槍術まではじめるしまつである。
 そしてやっかいなのが、出陣のたびに、こうしてむりやり同行しようとすることであった。
 いままではなんとかアーシャを食い止めていたが、今回とうとう許してしまった。
(あ~あ……ま、いいか……)
 この娘にしてこの父親ありである。
「勝手にうろついて邪魔をしないのなら、お前の乗船を許可しよう、アーシャ」
「わかりました。アーシャは大人しくいたしておりますわ、お父様」
 すでに船上の人だから、いまさら許可するのはおかしな話であったが、とにかく破天荒な姫は、愛らしさもあってか、将軍の部下の間でたちまち評判になった。
     *        *
 一日後、サイオスの艦隊は大河ムック本流に入り、サーナンド王国の勢力圏に進入した。
 ラー二一六はいったん戦列からはなれ、シャーリス州の州都があり、サーナンド最大の軍港でもあるシャーリス港に入港した。
 シャーリス港では、いざ出陣しようとしているサーナンドの艦隊がところせましと並んでいた。
「こりゃ本気だわ。小国のくせに、こちらの五倍は出すつもりでいるな」
「いい船だわ。どれも、ムックの船より大きいし、とても立派」
「まあな。サーナンドは海洋立国の東方なんたら同盟とは隣り合わせだからな、すすんだ造船技術を持っているのだろうさ」
 サイオス将軍とアーシャ姫は、サーナンド艦隊の指揮官と会うために、軍港の士官館へとむかった。
 ふたりを出迎えたのは、小太りで恰幅のいい中壮の将軍だった。名はミリ、自称サーナンド王国随一の水軍将軍であるが、サイオスは「間抜け」の異名以外で、ミリに関するうわさを聞いたことがない。
「これはこれは、神聖ムック帝国随一の将サイオス殿ではありませんか。貴官の武勇伝の数々は、私にもよく聞き及んでおります。私は天牙族の方にお会いするのは初めてですが、これはこれは、なかなか立派な双角でございますな。おお、こちらは姫君ですか――」
「ミリ殿、悪いが、時間がおしい。これからの行動をどうするつもりか聞きたいが」
 黙っていれば延々とつづくミリのごたくなど、サイオスは聞くつもりはなかった。
 ミリは好きなおしゃべりを止められたことに気を悪くしたが、神聖ムック帝国の名前を借りられなければ今回の作戦の意味がなくなるので、しぶしぶ我慢した。
「……わかりました。では手短かに行きます。そもそも、わが国から勝手に独立を宣言したノストールを――」
 長いミリの話を、彼の主観抜きで説明する。
 サーナンドは、自国の元ノストール州、ツエッダ王国を再統合したかった。しかしツエッダ王国の背後には、大国ラクシュウがいる。
 国力でサーナンドはラクシュウに勝てない。常備陸軍だけでも、サーナンド四万に対し、ラクシュウ一三万である。これに戦時臨時徴集や傭兵を加えたら、兵力差は軽く三〇万を越すだろう。戦略戦術以前に、戦争を仕掛けたら絶対に負ける。
 サーナンドは強力な後ろ盾が欲しかった。同盟討伐の公式命令が帝国から出されて二年になる。聖戦と称してツエッダに宣戦する大義名分はすでにある。強い味方さえいたなら、明日にでもツエッダに大挙して攻め込めるのだ。
 しかし現実は厳しい。北のトアット、南のオーナンドは、両国とも昨年からの飢饉で戦争どころではない。帝国は神官どもが同盟の鉄砲を恐れて動こうともしない。
 そこでサーナンド王ポルシアは、帝国をなんとか巻き込むことにした。ツエッダが北方航海に向かうと知って、それを好機と判断、航海を阻止する作戦を短時間で考案した。
 そしてその作戦に帝国を参加させることに、見事に成功したのだ。既成事実というものを作ってしまえば、後はどうにでもなる。これは退くに退けない正義の聖戦だから、正義の総本山たる帝国は、一端加担すれば、以後はサーナンドの事実上の後ろ盾として、ラクシュウと全面的にぶつかるしかないのだ。
 それでかんじんの作戦だが、これが実に陰険である。
 まず、高原に流言飛語の策略を巡らせた。内容は「野蛮国ツエッダが、北を襲うぞ」である。ツエッダ船団が北に向かったのは事実だし、同盟がムック教圏と対立している裏もあって、これは現実味を帯びた無視できない噂だ。さぞや派手な尾ひれを付けて、北方全体に行き渡るだろう。勇猛で単純な天牙族はこの偽情報を疑いもせずに結束し、海岸にのこのこと上陸したツエッダ船団の乗員は、有無を言わせぬ天牙竜兵の奇襲を受けるだろう。
 ツエッダの冒険航海は失敗する。そして失意のうちに戻って来るところを、ラクシュウ沖で迎え撃ち、壊滅させるのだ。相手に鉄砲ありとはいえ、数倍する艦隊で襲えば何でもない。
 ラクシュウ沖まで艦隊を進められるのかという心配は、このさい無用である。ラクシュウの制海権は、ラナン海海戦で同盟軍船の多くが沈んだことにより事実上ないに等しい。
 現在海賊船に扮したサーナンド軍船が、小規模ではあるがラクシュウ、セル海域に出没し、商船を襲う通商破壊作戦を実施している。とはいえ、同盟の経済に与える影響は微々たるものである。しょせん軍船と一般商船では、絶対数に差がありすぎるのだ。
 ポルシアの作戦は、ツエッダに圧力をかけることである――それを信用した帝国は、わざわざサーナンドに援助をした。四分の一個艦隊という中途半端な形で。
 しかしポルシアの狙い目は、あくまで帝国をノストール奪還戦争へひきずり込むことである。作戦の趣旨は、当然サイオスには伝えられていない。
     *        *
 ミリと別れたあと、サイオスはそういう事情をなんとなく察して、当然のごとく不機嫌であった。
 長い無人の廊下を歩く二人。アーシャは心細くなって、無言の父に話しかけた。
「ねえ、お父様。敵のツエッダって、たったの五隻なんでしょ? それを六〇隻を越す艦隊でいじめるなんて、やりすぎじゃないの?」
 娘のアーシャは、ミリの言葉を表面しか理解できなかった。それもそのはず、彼女はまだ一三歳で、打算的な大人どもの軍事や政治の掛引きというものを知るには幼すぎるのだ。
 娘の言葉に反応したのか、サイオスは心の不平を怒濤のごとく、突然外に吐き出した。士官館まで同行してきた部下たちは外に待たせてある。通常は決して口外できぬ禁忌――教会批判――を、ここでは平気で冒せた。
「まったく、教義に熱心な神官たちと教皇帝は馬鹿者だ。自分たちこそがサーナンドを利用して正義を広めているつもりだろうが、実際はサーナンド王ポルシアが信じる『秩序』を構築する現実的な野望に利用されているだけなんだ。同盟に本格的な戦いを仕掛けるのは嫌だが、足を引っ張る程度の手伝いならする。そういう連中なんだよ、あの聖職者どもは。その足が、いずれ本体を連れてくるということに、なぜ気づかない!」
 サイオスの、はるか数十里離れた支配者たちに向けられた過激な非難は、若いアーシャを怯えさせるには充分であった。
「……? ……父さん?」
 アーシャは、それが自分に投げかけられたものだとはさすがに思っていなかったが、やはり不安になった。そんな変化を敏感に感じ取ったサイオスは、すぐさま娘に謝った。
「すまない、アーシャ。おまえには関係ない、政治家どもの話だ」
「そうなの……よかった」
 アーシャはこれ以上聞かぬ。父がそれを望んでいないことを知っているからだ。
 二人は士官館を出て、数名の護衛と合流すると、まっすぐラー二一六まで向かった。その道中、サイオスは要らぬ不安を与えた償いもこめた、明るい話題を娘に提供した。
「ところでアーシャ、おまえに侍女を探しておいたぞ」
 アーシャは、たちまち赤い目を輝かせる。
「え、本当? どんな子なの?」
 父親が遊牧で生計をいとなむ自由奔放な天牙族出身であるからか、彼女の性格は身分に縛られないうえ、かなり自分というものを表現する。それゆえ、同世代の貴族の娘たちとは、アーシャはどうしても馴染めなかった。アーシャは自然に、愛すべき友人を侍女に求めるようになっている。
 サイオス一行は、自領メルギルナンテス地方から、一週間を掛けて神都ムックに赴き、大会議に出席、サイオスはその場で出陣の命を受け、そのままヤトトーウまで来た。ここまでは、神都見物目的でサイオスに同行していたアーシャも、ちゃんと侍女を伴っていた。しかしヤトトーウ郊外で別れたはずのアーシャは、自分と天牙竜ごと、ラー二一六に乗り込んだのだ。当然侍女は港に置き去りである。
 彼女たちはおそらく不幸なナイヤーが先導してメルギルナンテスまで帰っているはずであるが、こういう事情でこの二日間、アーシャは同世代の女の子と話をしていない。その影響であろうか、すこし元気がなくなっていた。それを感じた父将軍は、先触れの者に短期の侍女を探すよう手配しておいたのだ。
「おまえよりすこし年上だが、なかなか物静かな子らしい。修道学習院の学生で、商人の娘だ。船の前で会うことになっている」
 そう言う間に、ふたりと護衛兵たちは、ラー二一六の前まで歩いてきていた。サイオスの言ったとおり、鞄を持ったひとりの見知らぬ若い女性が、実用を無視して不必要に巨大で過飾なだけの軍船を面白そうに鑑賞していた。
「君がフィーンかい?」
 サイオス将軍の呼びかけで気がついた女性が、サイオスとアーシャのほうを向いた。
 ショートカットに切りそろえた髪は金髪である。背は平均的な女性よりすこし高いていど、服装は学習院の学生の制服で、地味な灰色の長袖に長スカート。これは夏服で布地は薄いので、真夏でもおもったほど暑くはない。そしてなにより、めずらしい黄色の目が印象的である。
「はい。シャーリス修道学習院二年の、フィーンと申します。失礼ですが、サイオス将軍閣下でしょうか?」
 鈴のようないい響きの声である。頭もよさそうだ。サイオスは合格だと思った。そしてその旨を伝えようと口を開こうとしたとき、
「きゃー、きれいな髪、かわいい角、美しい目、ねえねえ、あなたなんでそんなに奇麗なの? 私、アーシャ。気に入ったわ、よろしくね」
 満面の笑顔でアーシャは一気にまくしたて、フィーンの両手を握って握手をしている。ムック式の親愛の情を示すやりかたであるが、ちょっと乱暴だ。あまりの勢いに圧倒されながらも、フィーンは「はい」とか「ええ」とか言って、まんざらではない様子だ。
「……よろしくな、フィーン」
 サイオスは娘のはしゃぎようを見て、あとでよい侍女を見つけてくれた先触れの兵に、賞金を出そうと思った。
     *        *
 天牙族は危険な巨大恐竜のいる北方高原に住む、ムック教圏に言わせれば未開の民族である。とはいえ、ちゃんと独自の文化社会をつくっているから、その考えは否定しなければいけない。
 ともかく、文明人とはされなかった北方の遊牧民族は、近年になって統一され、そこを帝国によって教化され、ムック教圏に組み入れられた。
 ツエッダ王国は冒険航海計画において、北方との通商交渉権を得ている。とはいえ、急激に浸透しつつあるムック教と敵対する同盟の国と、話し合おうという呑気な連中が北にはいるのだろうか?
 いた。いるのだ。広大な北方である。ウイハッドの力が及ばぬ部族も、多少は残っていた。ラクシュウの北、未知なる北海沿岸の天牙族たちである。この地の天牙族は定住し、漁と狩りと農耕で暮らしており、細々とだが、内陸の北方高原に住む同族との、原始的な物々交換による交易もしている。
 ツエッダ王国の狙い目は、かれらが狩る巨大恐竜たちの角や皮、肉に骨、脂である。中原ではブルガゴスガ人は巨大恐竜を狩り尽くして久しく、現在は西方との交易に依存している。こちらから提供するのは、毛竜の織物だ。天牙族は、高い保温性に狂喜するだろう。北海沿岸と呼ばれるだけあって、冬の寒さは厳しいのだ。皮服ではいささかきついはずだ。
 ツエッダ船団が自信を持って未知なる北海にたどり着いたのは、五月二六日である。時化のため、予定より多少遅れてしまった。
「第一陣、上陸」
 沿岸沿いに進んでいるうちに、ひとつの集落を見つけた船団は、クアーダ王子の指示により、三雙の小船に分乗した約二〇人の部隊を上陸させた。全員が天牙族の言葉をしゃべられ、毛竜の織物も持たせてある。様子見だ。
「どう反応するでしょうね、殿下」
 クアーダの補佐官、ブルーギルである。ツエッダ王立学校を主席で卒業した、今年で二六歳の秀才であった。茶色の髪、淡い緑の眼を持つ、不思議な雰囲気の女性である。まだ独身だ。
「大丈夫さ。いくら天牙族が気が荒いといっても、いきなり襲うなんて野蛮なことはしないさ」
 しかしクアーダの予測と希望は、現実という壁に阻まれて、すぐに絶望にとってかわられた。
「あれだ、南の野蛮国、ツエッダだ。五隻もいる、なんて大軍だ! 噂は本当だったんだ。老若男女、皆殺しだ。戦うぞ、戦うぞ!」
 サーナンドの卑怯で陰湿な罠が、花開く!
 森からこつぜんと現れた天牙竜兵七〇余騎、烈火のような殺気を帯びている。
「駄目だわ、引きあげさせて!」
 ブルーギルの悲鳴は、無意味だった。
 上陸していたツエッダの第一陣約二〇人は、一方的に虐殺された。
 その際、仲間を救おうとして、クアーダは鉄砲による射撃を行なってしまった。これがまずかった。
 天牙族に多くの被害が出て、かれらは完全にツエッダ船団を敵と認識した。
 あとは、もう終わりである。どこに行っても待っているのは、避難して無人の村か、執拗な攻撃、罠の応酬、夜陰に乗じた小船による奇襲……好戦的で結束の固い天牙族のまえに、弁解の機会もないまま、ツエッダ船団は消耗していった。
 五隻いた船団は最初の戦闘からわずか三日のうちに、ヌートリアが座礁、コッコリスが炎上放棄、累積死者は二三八人にのぼった。
 業を煮やして、見せしめに集落をひとつ燃やすべきだと進言した武官もいたが、弱気なクアーダがめずらしく断固拒否した。
「馬鹿か、君は。そんなことをすれば、僕たちはただの侵略者になるぞ」
 それでもなお王子に食い下がる武官に、ブルーギルがクアーダを援護する。
「帝国建国の父、フェスドナ大帝とおなじ愚を我々が犯すことはありません」
 神聖ムック帝国では神聖視される英雄も、ムック教圏から分離した同盟では、冷静に残虐な第二代教皇帝の実体を評価していた。
 大帝に例えられると、さすがに武官は自分の愚劣さに気づいて、恥じて王子に陳謝した。
 クアーダは善良な青年でしかなく、大帝ではない。したがって、結論はひとつしかない。
「……だめだ。引き返そう」
 クアーダが失意うちにこの決定を下したのは、いうまでもない。
 それはムック歴三四一年五月二八日。ウンラー出発三日後のことであった。
     *        *
 四隻の船団が、海を渡る。
 ウンラー公子の船団は、直列陣を保ったまま、沿岸ぞいにラクシュウ王国沖を北上する。
 東に行くには、東へ流れる海流を利用したほうが速い。その海流は、ラクシュウ王国の北、ほとんど未知の領域である天牙族が住むあたりとの境界からはじまる。
 ウンラー公子の船団は、やや沖の北上する海流に乗って、そこに向かっているのだ。
 貴賓室。起きたばかりのウンラーは目をこすった。日はもう真上、ゆうべ慣れない酒に興味本位で手を出したのが響いたようだ。
「公子、おはようございます」
 ウンラーの侍従長、ヒムケットである。流れる漆黒の長髪を風になびかせ、ニヒルを気取る黒目の、天牙族から帰化した若者である。
 彼の角はとても長い。中原人より一・五倍は長い双角が、天牙族の象徴であり誇りであり、彼のそれは天牙族の標準よりもさらに長かった。
「現在はアットナ岬沖を通過中、ラクシュウ最北の港、リートまではあと二日です」
 ヒムケットがウンラーの側にきて報告する。ウンラーは二日酔いから覚めきれずに、痛む頭を押さえている。
「公子、水をお持ちしましょうか?」
「いや、かまわない。こんなことくらいで大切な真水を使うのは、公子だからといって許されるわけではないからな」
「わかりました。ところで、ターエン様がお呼びです。第二集会室まで来てほしいと」
「そうか、わかった」
     *        *
 船の左舷中央を走る薄暗く長い通路を抜けた先に、第二集会室がある。ウンラーは部屋に入った。ふたつの窓で明かりを取り入れ、光のかげんはちょうどいい。
 部屋の真ん中にある円卓をはさんで、ターエン老とガナスが話していた。ガナスはウンラーを見て、
「若様、ちょうどいいところに来ました。ささ、こちらに」
 と、いちおう上座とされている椅子を勧めた。ウンラーが座すると、おもむろにターエンが話をはじめた。
「公子よ、おそらくリートまで行くとわかることじゃが、わしらはムック帝国やサーナンドから追手を出されているかもしれぬぞ」
 ウンラーはすこし驚いた顔をしたが、
「……それはありえない話ではないですね、老師様。私もそれは考えていました。帆付の突撃櫂船なら、搭載物資が限られていますが、すくない食料がもつまでの近海という条件で、帆船に追いつくことが可能です」
「その通りじゃ。もちろん、サーナンドという、わしら同盟に恨みをもつ国のことを考えないとならぬぞ。それでじゃ、サーナンドの取りうる策というとじゃな――」
 こうして、ウンラーをはじめとするセル公国船団首脳部は、ムック教圏からの追手を想定した、対抗手段を考えた。
     *        *
 ムック歴三四一年六月一日、ラクシュウ王国最北端の港、リート港である。
 ちいさな港に入ったセル公国船団は、なんと二週間前に出発して、北方に向かったはずのツエッダ王国船団を発見した。
 船はいずれも多少の損傷を受けており、公式に発表された数よりも二隻すくない三隻の帆船が、疲れたように帆をたたんでいた。
「やあ、ウンラー。してやられたよ」
 それが、ウンラーが町の宿屋で会ったクアーダの一言目だった。
 クアーダの部屋で、ふたりの情報交換が行なわれた。とはいえ、ウンラーはたいした情報はもっていない。かわりにクアーダの悲惨な体験と、ここ数日で有名になった、みょうな海賊のうわさを聞いた。
 謎の海賊は、なんの旗も立てずにいきなり上陸。逆らう者以外は誰も殺さず、おもに食料のみを略奪したあと、沿岸警備艦隊が到達するまえに、迅速に去っていくのだ。
 その海賊は、ラクシュウ王国沿海を北上中だという。沿岸警備艦隊がいくら探しても、狡猾な海賊本隊は速度をかえ、進路をかえ、神出鬼没な暴れようである。沿岸警備艦隊は、ラナン海海戦で船が激減しているために、完全な捜索網を張れずに悔しがっているという。
 ウンラーはすぐに確信した。クアーダの体験――天牙族が問答無用にツエッダを敵と見なした――は、ターエンが予測したとおりだったのだ。そして妙な海賊とやらこそが、ムック教圏からの追手にちがいない。
 サーナンドとしては、奇襲が失敗しても、それを取り繕える状態にしないといけない。そうするために、海賊を装うだろうことは容易に推測できる。主に奪うのが食料だというのは、かれらの目的がまさにに食べ物だからにほかならないのだ。
 交渉を断念して、意気消沈して戻るツエッダ王国の船団を捕捉撃滅するつもりだろう。必勝を期するため、船団に数倍する艦隊を編成しているにちがいない。
 親友の説明に、クアーダは驚いた。
「……いわれてみれば、そう解釈すれば、いちばん分かり易いな。どうしよう、ウンラー。僕たちはどうすればいいのかな?」
「あせるな。とにかく、ターエンたちとあらかじめ考えておいた作戦がある」
 単純である。二船団の戦力を集中させて、敵に当たるのだ。全部で七隻。これだけいれば、十分な勝算がある。クアーダは話を聞きはじめたときからずっと恐怖で震えているが、ウンラー自身も迫る戦闘にやはり震えている。もちろん、戦いははじめてである。しかも、未熟な自分たちが最高司令官なのだ。
 二人は相談のうえで、ある行動に出ることにした。どうせ敵の間者が船団を監視しているのだ、最大限に利用させてもらおう。それはムック教経典のある一節を利用したもので、うまくいけば敵は引きあげ、無駄な戦いを回避でき、どちらにも被害は出ない。とはいえ、戦いの準備は怠らない。敵がこちらの思惑に乗らなければ、戦うしかないのだから。
     *        *
 ミリはずっと不機嫌であった。突撃櫂船はあまり荷物を積めない。そこで、食料調達のための襲撃を敢行する必要があった。最初はミリが指揮したが、廃村を襲うという醜態ぶりで失敗におわった。以後の調達はすべて、サイオス将軍が行ない、ことごとく成功した。
 そのうえ、二国共同で航路を設定する会議でも、ミリの幕僚たちはつねに異国の将軍、サイオスの意見を是とするのだ。ミリの意見がみんなを納得させたことは、ほとんどない。
(やつは陸戦のプロではなかったのか? 水上なら俺のほうが上のはずなのに、なぜやつは認められて、俺は認められない? さてはやつめ、俺の部下に、なにか賄賂でも送ったか? そうだ、そうにちがいない。くそ、なんて野郎だ!)
 ミリは勝手に妄想に取り付かれている。この小男は、年功だけで将軍になった貴族である。水軍の将なのは、ただ単にサーナンドが陸軍重視で、体よく閑職に回されているのだ。そんな男に、一定の能力を越えた軍指揮官というものが、未経験の分野でも最初からある程度の成果を上げることが出来るということが、理解できるはずがなかった。
 サーナンド軍部は、今回の作戦が失敗してもかまわないと思っている。なぜならば、帝国をノストール回復戦争に参加させてラクシュウと戦わせるきっかけを作るのが、本作戦の主旨であり、国王ポルシアの意志だからだ。だからこそ、ミリのような「間抜け」を、「たまには手柄を立てさせてやるか」風に、手軽に送り出したというわけである。
 そんな彼が一気によろこぶ朗報がもたらされたのは、六月三日のことである。
 リート港に潜伏させておいた諜報員からの伝書翼竜が、セル、ツエッダ合流船団の出港を伝えた。
「やったぞ、獲物だあ。ハッ、艦隊戦では、船の数は俺のほうがサイオスなどよりも多いからな、手柄はすべていただきだ~」
 こんな器の小さい男など、サイオスはまったく気にしていない。
 サイオスは、戦闘の緊張感に、静かだが純粋に高揚しだしていた。
「……そうか、わずか七隻か。すこし可哀想だな」
 報告にたいし、そう答えたのみである。
 ただ、思惑と違うところは、なぜツエッダとセル船団が合流したのかということと、彼らが南に向かわず、東に向かっていることである。
 ムック教の経典では、大海洋の東の果てには二頭の超巨竜がいるとされる。南東にいる果ての吐き出し竜と、北東にいる果ての吸い込み竜である。そこから先には、世界はない。
 二頭の巨竜は、海流を作っている。セル沖まで西進し、陸地にぶつかって北に転身、未知なる北海から東進する海の流れである。
 船団は、愚かにも果ての吸い込み竜めがけて旅立った。ムック教信者にとっては、放っておいても勝手に全滅する船団だが、ミリは指示を変えない。すなわち「追え」である。
     *        *
 ムック歴三四一年六月五日午前一一時。
 東に流れる海流に乗ってから二日目、ムック教圏混成艦隊は、とうとう七隻の帆船を発見した。中原のブルガゴスガ人が知る世界の、最北東端の境界――未知なる北海で、互いの正義をかけた戦いがはじまろうとしていた。
 ツエッダ王国船団旗艦ウイル甲板前部。
「東に逃げたら教義の『果て竜』を恐れて追って来ないか……いささか甘かったようですね」
 補佐官ブルーギルが静かに言う。
「どうしようどうしよう……」
 クアーダは、ただうろたえるだけである。
 セル公国船団旗艦ギルガンデツ後部デッキ。
「ふぉふぉふぉ、いよいよあれを使う時じゃ」
「こんなに早く指揮する羽目になるとはな」
 ターエン老と親衛隊長ガナスがはりきっている。ウンラーは後方の敵艦隊を眺めて、
「なぜ追って来たんだ……」
 と、悲しそうにつぶやいた。
 最初の戦力と位置関係は、セル、ツエッダ混成帆船船団七隻が、南西から北東方向に直列陣で進んでいる。それを西から追うムック教圏混成軍は、ミリ率いるサーナンド艦隊が北側にあって四七隻、サイオス率いる神聖ムック帝国艦隊が南側にあって八隻、計五五隻で、いずれも突撃櫂船。数の比は圧倒的であった。
 正午。ムック教圏軍は帆を降ろし、帆柱を斜め倒しにし、戦いのラッパが海に響いた。
 未知なる北海海戦は、まずムック教圏軍の先陣争いで幕を開けた。
 もちろん勝手に争いだしたのは、ミリである。サーナンド艦隊は、同盟船団を右側面から突こうと、南東におおきく進路転換、そのさい、ミリの命令で故意に神聖ムック帝国艦隊の進路を妨害し、無理をしたサーナンド艦隊は、あっという間に方形陣を崩した。
 ミリは陣形を再編せず、艦列を乱したままで北東に進路を取り、しだいに北に修正しながら、同盟右側後方側面から突撃を開始した。
「わはは! 全船、襲いかかれ! 一隻たりとも生かして帰すなよ」
     *        *
「ミリはなにをあせっているんだ、馬鹿者が」
 サイオスは、自軍艦隊に二並縦列陣を組ませて、サーナンド艦隊のさらに南側をおおきく東へと迂回させながら、ラー二一六の船上で戦闘の推移を見守っていた。
「はじまったわフィーン。見に行きましょう」
「そうですね、まだ最前線までは遠いですから、甲板に出させてもらえるかもしれません」
 アーシャ姫は戦場の高揚を感じて我慢できなくなり、とうとう侍女のフィーンを伴って甲板まででてきた。
 兵士に言われてふたりのところにやってきた父に対し、アーシャは拗ねたように首を傾け、上目使いに、
「ねえ、いいでしょう?」
 サイオスは、愛娘のこの仕草に恐ろしく弱い。こういうときのアーシャは、亡き妻に瓜二つなのだ。サイオスが妻に一目惚れしたのも、この仕草がきっかけであった。
「……うむ。ただし、戦いがあるていど激しくなったら、奥に戻れよ。足手まといだ」
「はーい、アーシャはそうします」
 上機嫌のアーシャは船の縁に行き、ミリの艦隊を遠見しだした。そのとなりには、ひっそりとフィーンが立っている。ふたりはただそれだけで、周囲に強烈な存在感を与える。
 サイオスはふたりから目を離し、サーナンド突撃戦法をじっくり見分しようとしたが、すぐにやめた。陸戦専門であるサイオスの素人目にも、目茶苦茶な陣である。勝利を確信しているのか、戦力の配分がなっていない。これでは、いざ乱戦というときに、どうやって包囲する気なのだろうか。
     *        *
「公子、そろそろじゃな」
「そうですね……全船、隊列を維持したまま、右舷急速回頭四五度!」
 ウンラー公子、初陣の瞬間である。
 船団の先頭を行くギルガンデツは、熟練した水夫たちによる機敏な操作で帆をたくみに動かし、風を受け、操舵環を回して振られるように右に回頭する。船が横方向に受けたものすごい力できしみ、船全体の材木が嫌な音を鳴らす。
 その後につづく六隻の帆船も、負けじと公子の船の航跡を追う。美しい曲線を海のキャンパスに描きながら、同盟船団はみずから、迫るサーナンドの衝角に弱い腹をさらした。
 それを見たミリはいぶかしんだ。いくら「間抜け」と名高い男でも、将軍になるくらいだから、一軍の将としての経験と知識の蓄えはある。
(戦力差が圧倒的の場合は、少ないほうは、多くの場合は生け贄の殿をのこし、あとは全力で逃げるはずだが……これは、もしかして罠か? やばいな)
「突撃やめい!」
 ミリがもうすこし有能であったなら、すぐにこう指示しただろう。しかし、やはり間抜けである。判断に迷っているうちに、敵船の甲板上に鉄砲がずらりと並んだのを見てとったとたん、何も考えずにすぐに結論を出した。
(なんだ、鉄砲なんかで一気にけちらすつもりだったのだな。馬鹿にしやがって、こちらが、お前らの新兵器に対する対抗手段をなにも考えていないと思っているのか!)
「敵は、鉄砲でわれわれを撃つつもりだ。銃盾用意、全員裏に隠れ、突撃を続行!」
 銃盾は、厚さがブルガゴスガ人の頭ひとつ分ほどまで、木片をくり返し張り合わせただけの、ただの分厚い板切れである。それを突撃櫂船の前にかかげるだけで、甲板上の兵士は鉄砲から守られる。漕ぎ手は最初から船のなかにいるので、関係ない。
 効果がないとわかっているのに、七隻の帆船は一歩も退かずに、ただ鉄砲を乱射する。たちまち、灰色の火縄の煙と白い火薬の硝煙がたちこめ、帆船全体が薄い霧に包まれたかのような情景となる。
「科学文化がどうした! 俺の勝ちだ!」
 勝ち誇ったミリがそう叫んだ瞬間――
 ドゴォン!
 ドゴォン!
 聞き慣れぬ轟音が、あたりに響く。
 そして数秒後――
 バシュ、ボガッ!
 ミリの目前で、僚船がいきなり爆炎に包まれる。船体がふたつに折れ、そのまま沈んでいった。
 その間、わずかにひと瞬き。
 同じような光景が、つぎつぎと周囲で起こる。さきほどまで完勝を信じていたサーナンド軍は、一挙に奈落の底に突き落とされた。
 サーナンド兵士たちの脳裏に、数ヶ月まえの一大海戦がよぎる――大砲だ。同盟のやつら、大砲を実用化してやがった!
 ラナン海で自分たちが確認したわけではないぶん、ウゼラ教圏の超兵器「大砲」のイメージは、ムック教圏では実像よりもおおきな恐怖の対象となっていた。兵士たちはすっかり戦意を喪失し、戦いどころではなくなった。
 もはや撤退しかない――しかし、ミリはここでさらなる醜態を重ねる。
「なにをしている、サイオスめに俺の手柄を横取りされるじゃないか! これは聖戦なのだ! ラーに栄光あれ! 突撃!」
 ここまでくると、「間抜け」を通り越して「愚か」である。
 全軍を衝撃が走る。将軍は、どうしろというのだ? われわれに勝てるはずのないいくさをやれというのか?
 もう混沌である。命令に忠実な理性と生きようとする本能とが交錯し、突撃する船と逃げようとする船がぶつかりあう。銃盾が倒れ、重い盾の下敷きになって死ぬ者が続出する。
「わるいが、俺たちも必死なんだ。恨まないでくれ」
 ウンラーは目をつむる。けっして、砲撃を止めさせようとはしない。そのときは、自分たちが死ぬ番だからだ。敵司令官が撤退を指示するまで、攻撃を継続しなければならないのだ。戦争とは、本当に非情きわまりない。
     *        *
「いやあ、なによ……これは戦いではないわ」
 アーシャ姫は、サーナンド艦隊が壊滅してゆくさまを目の当たりにして、体を恐怖に震わせた。ここには、勇ましい戦士も、誇り高き騎士もいない。ただの殺戮ゲームの場だ。
「私の知っている戦場は、こんなものではないわ……見たくない、見たくない!」
 そう叫ぶと、アーシャは涙を散らしながら、船内に駆け込んでいった。その後を、やはり辛そうな表情をして、侍女のフィーンが追って行く。
 その様子を見て、サイオスはつぶやいた。
「……ようやく夢から覚めたか。これが軍人のやっているほんとうの戦争なのだ、娘よ」
 そしてサーナンド艦隊を見る。
「わざわざ俺に、敵の奥の手を見せさせてくれてありがとうよ、『間抜け』ミリ。さてと、どうやってあれを料理しようかな?」
 サイオスは、自分の台詞に苦笑した。
「ありゃりゃ、俺も馬鹿者だな。素直に退却すればいいのに、まだあの化物に勝つことを考えてやがる……」
 そしてすぐに指を鳴らして、指示を出す。
「全船に告ぐ、敵の正面に出るぞ、やつらの死角は――前だ!」
 サイオスは冴えている。短時間で、大砲の弱点を看破した。帆船の先端は急に細くなる。正面に撃つ大砲を設置する場所を確保するには、現在の造船技術ではあまりにも困難だ。
     *        *
 同盟船団の後ろ半分はツエッダ船である。かれらも大砲を撃っているが、砲弾はただの青銅や岩のかたまりだ。爆発はしないが破裂はする。それでも数撃でサーナンドの突撃櫂船に致命的な損傷を与える。ツエッダ船団総指揮官、クアーダ王子は感心していた。
「すごいなウンラーは。二国なら、たしかに濃い弾幕を張れるよ。あいつら、一隻も近寄れないじゃないか」
 クアーダは興奮ぎみだ。作戦がこんなに上手くいくとは思わなかったのだ。
 しかしその優位も、すぐに打ち砕かれた。敵の別艦隊が、いつの間にかこちらの正面にいるではないか。この敵を大砲で撃つ手段なんか、クアーダは知らない。あるわけがない。
 帆船は小回りが利かない。もはや避けても、機動力に富む突撃櫂船の突撃を逃れられない。
「逃げろ!」
 それでもクアーダは、命令を出した。そう、ゆいいつの逃れうる可能性を――前面のセル公国船団を壁にする手段を選んで。
 ツエッダ船団三隻は、大きく左に進路転換。そのまま直進するセル公国船団を無視して、一路逃げにかかった。
「すまない、ウンラー。どう考えても、前にいる君が逃れるすべはない。せめて、僕が助かってやるよ」
「……なさけなや殿下」
 ブルーギルが嘆いた。
     *        *
「おやおや、やはりツエッダの王子は逃げだしましたな」
「それはそうですよ、老師。どう考えたら、この状況で戦おうと思うんですか? 私たちが取るべき道は――」
「降伏か、逃げるか、じゃろ? じゃがな、こいつの性能を確かめてからでも遅くはないと思うがのう、公子よ」
「……わかりました。やってみましょう」
 ウンラーは腹を据えた。この戦力差で今まで勝てたのは、すべてターエン老師の知恵のおかげだ。ならば、今度も頼ってみよう。
     *        *
 セル公国船団が直列陣を解いて並列陣になったとき、サイオス将軍は嫌な予感がした。
(なにを考えている? そのまま横をむくには、貴様らの速度は速すぎるぞ!)
 しかしもはや、自国の二段突撃櫂船は敵大砲の射程内だ。いまさら引き返そうとしたら、ただ砲撃を食らうだけである。
「全力で漕げ!」
 そう叱咤する。もう一刻半も漕ぎ続けている漕ぎ手たちは、最後の力をふり絞って漕ぐ。同盟にくらべたら数段は遅いが、それでも一〇〇人の力が生みだす最大速力は、今の同盟帆船をおおきく凌駕する。
 ……ヒュ~ン
 そのとき、なにかが飛んでくる音が聞こえてきた。
 サイオスは空を見る。黄色いボール?
 それはラー二一六の前面甲板に落ちて弾けた。爆発も炎上もしない。ただ、なにかの液体を周囲にばらまいただけである。
 くさい、揮発性のにおい……
 油だ!
「油だと! やられた、その手があったか」
 サイオスは周囲を見る。やはりすべての船に油の玉が撃ち込まれている。おそらく投石器だろう。そして、次の手は決まっている。 敵船団を確認する。各帆船の船首には、数人の弓兵がいる。全員、火矢をつがえて、狙うは油の床!
 しかし、まったく撃とうとしない。
「……降伏しろか。無駄に兵を死なせるのは俺の流儀じゃねえからな、わかったよ」
 観念したサイオスは空を見上げた。青い。
「あ~あ、これでとうとう戦歴に『負け』がついちまった。ま、いいか」
 神聖ムック帝国艦隊旗艦ラー二一六は、降伏を示す「折れた槍」を長い棒に結びつけ、船首にかかげた。
 同時にすべての船が漕ぐのをやめ、「こちらに戦う意志なし」をセル公国軍に示す。
 午後三時、戦闘は終わった。
     *        *
 アーシャ姫の侍女フィーンは、ラー二一六の後部倉庫にいた。
 重い穀物の袋を軽がると持ち上げては横にどける様子は、とてもおとなしい学習院の女学生には見えない。
 フィーンは、荷の山からある箱を取り出す。両手でやっと抱えることができるほどの大きさだ。彼女は、慣れた手つきで箱を開けた。
「クーっ」
 箱のなかには、白く美しい、なかなか立派な一羽の翼竜が入っていた。
「ごめんね、狭かったでしょう、ポンパー。時間がないの、これを父まで届けて」
 フィーンは翼竜の足にある筒にちいさく巻いた紙を入れると、ちかくの窓を開けた。
「クエーっ」
 ポンパーは一声鳴いて主人を見つめ、そして一気に窓から飛び立った。
 翼竜は白い波間にまぎれるように低く飛びながら、戦場から去っていった。戦闘が終結した解放感からか、誰も気がつかなかった。
     *        *
 間抜けで愚かな将軍ミリは悔しかった。
「くそう、覚えてろよ!(死語)」
 そして残ったわずか六隻の船で、さっさと戦場から逃げ出した。
 未知なる北海海戦は、セル、ツエッダ側にひとりの怪我人も出ないという、完全勝利の形で終わった。ポルシア王が信じる秩序の追手は、同盟船団によって粉砕されたのだ。

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