V「私は嘘をついてたわ」

よろずなホビー
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「慣れないことするから……」
 ステラの右手は、中指と薬指が肉離れを起こしていた。ウィルは自分の荷からきれいな部類の手拭いを一枚取りだし、ステラの右手を固定するために縛ってやった。
「痛みが引いたわ」
「そういう縛り方だ。安心して外すなよ」
「ありがとうウィル」
 現在二人は、街道を北へ歩いている。
 ウィットフォールには寝袋並の厚着をさせ、適当に処置してきた。
 出発の際、
「夜、平気かしら」
 余裕の出たステラが暴力教師を心配してみた。だが野宿経験の豊富なウィルが、
「今夜は冷えない。死ぬことはない」
 と断定したので、ステラは納得して結局そのままとなった。いずれ別の追っ手が術で見つけるはずだ。
 ウィルは聞いた。
「ほかに先生は、どういうのがいる?」
 ステラも考えていたのか即答する。
「学長先生はお年だから無理として、三人よ」
 副学長でファイアマスターのF。
 ウインドマスターのゾーン。
 アクアマスターのアーガイル女史。
 性格的にウィットフォールほどやっかいな乱暴者はいないらしい。
「ウインドマスター……そいつがいまは一番手強いな。術力如何でなく」
「どうして?」
「――まあいい。いまはどうにもできぬ。後で説明する。それにしてもFとはなんだ?」
「FはFよ。みんなはファイアのFと言ってるけど――ここはハーシュヒル。どんな変わった名もありえるわ」
「……なるほど」
 例えばヒドレイトの町。語源がウミヘビから来ているのは一目瞭然だ。それに――
「そういや最近まで俺を雇っていた破産成金は、バブルというふざけた名字だったな」
「傭兵家業も大変ね」
「世間知らずが言うな――さて、つぎはどこにゆきたい?」
 ステラはヒドレイトに戻ってきれいになりたいと主張したが、ウィルは反対した。
「別の追っ手の待ち伏せが考えられる」
 つぎの目的地を目指すことになった。
 ステラは周到にも地図を用意していた。リュックの奥のほうに収納してあったので、あまり汚れずに済んでいた。
 ステラが指差したつぎの目的地は、内陸に入ったニューファズ村。街道沿いに行けば北に一日だ。これは朝から晩まで歩いた距離で、一般的に三〇ハークを指す。
 というわけで北に歩いている。
「地図をすこし借りるぞ。地形を覚えたい」
 ウィルは思うところがあったのか、歩きながら一コックほど地図を丹念に見ていた。
 その間、ステラは景色を楽しんだ。
 ハーシュヒル王国は雪がほとんど降らないので、冬でも景観は色彩豊かだ。枯れ草野原、常緑樹の森や林、畑や牧場。これらは大陸南東地方でよく見られる牧歌的な風景だ。
 ハーシュヒル王国で一番目立ち、かつ特徴的な景色は、なによりも丘であった。
 小さいのは家ほど、大きいのはそれこそ山と呼べるものまで、四方を見渡せば必ず一つは丘がある。国全体にある丘は、五万とも一〇万とも言われている。
 そもそもハーシュヒル――過酷な丘、という変な国名は、あまりに多い丘が由来だ。
 国土の大半が平原であるが、丘のせいで遠くが見渡せない。国全体が堅牢な自然の迷宮と化しており、地理に詳しくないとサバイバルを強制される過酷な土地である。
 それゆえハーシュヒル――この『鬼は内』的な発想は、猛毒を持つヒドラにあやかったヒドレイトの名付けからも伺える。
 とにかく国が丘だらけなので、自然、名字にも『~ヒル』さんが多くなる。
「そろそろ教えてくれないか? ステラ・トライヒルくん」
 昼頃、ウィルがふいに切りだした。
「……ウィットフォールが言ったものね、そろそろ来ると思ってたわ」
「トライヒル乳業の社長令嬢だったとはな」
「私は新興富豪、コリンの一人娘よ」
 コリン・トライヒルはハーシュヒルを起点に活動する大資産家だ。ド=エド、ザッカスト、ブレスクリックら隣国を含め、四カ国で二〇を越える牧場を経営している。
 牧場経営の主流は乳製品の生産販売や、チーズ加工製品の運送である。生産から販売までの全行程を一手に担うことで、安い製品を供給し、急成長してきたのだ。
 貴族や各ギルドが威張っていた保守封建の時代には、こういう総合商社は成立も運営も不可能であっただろう。
 が、大陸東部では五〇年戦争で貴族の富が散逸し、ギルドは戦乱による大破壊で組織力を失った。そこで多くの起業家が、ギルドの穴を埋める形で成功をおさめた。新興富豪の著しい特徴は、国家間の政治利害を超越した多国籍企業ばかりであることだ。
 新興富豪のもたらす税収はばかにならない。既得権益を侵された側の各国王侯貴族であったが、商人たちの足を引っ張るわけにはいかなかった。むしろ新興富豪に貴族の位階を持つものが増えている。
 ステラ・トライヒルは深窓というほどではないにしろ、そういった大富豪の令嬢なのだ。
 なるほど、ずいぶんと非常識なわけだ。
 正体がわかれば理解しやすい。
「いままで正体を黙っていたのは正しい選択だな。うかつにばらさないほうが、トラブルに巻き込まれなくて済むからな」
「そうよね」
「もっともステラは歩く非常識だからな。町に出たとたんトラブルだ」
 ステラは頬を膨らませた。
「ウィル、ひどい」
「すまんすまん。それで旅の目的だが、どこにいくんだ?」
「王都グランドヒル」
 これはとびっきりの目的地だ。
「たしか郊外に、トライヒル乳業の本部牧場があるな。家が恋しくて帰るのか?」
「ちがうわ。私、そこまで子供でないわ」
「いま、なんと言った?」
「……私は子供でないと言ったの」
 妙に子供を強調した。あきらかに気にしている。正体が知れたことで、年齢を偽っているのが急に後ろめたくなったのか。
 ウィルは、ついでだと思ってこの件にも軽くメスを入れた。
「俺は別にステラが子供だと示唆した覚えはないが――一八だものな」
「もうたまりません!」
 ステラはあっさりと降参した。
「ついでよ。私は嘘をついてたわ」
「おお、そうだったのか。それは知らなかった。それで、いくつだいステラ」
「じつは……」
 決心したくせにもじもじしていたステラだったが、ウィルがじつに楽しそうな目をしているのを見て、
「いくつに見えまして?」
 誘導に気づき、一転して澄まし顔。
 しかしウィルもやるもので、まったく冷静に答える。
「……そうだな、一六!」
 先日の予想に一歳プラスした。
 だが、ステラはそれこそしてやったりと言わんばかりの顔になった。
「じゅうろく、と言ったわね?」
「ああ。違うのか?」
 ステラは答えない。肩を小刻みに上下させ、ウィルを見て、急に小さく吹きだした。腹を抱えているが、お嬢さんなのでさすがに上品さを保って笑っている。
「う……ウィル、見事に騙されたわ!」
 ステラはウィルの前に走りでて、ウィルの鼻先に左人指し指をぴっと突き立てた。
「よくて、私は一三歳よ!」
 ウィルはステラをまじまじと見つめる。
「ばかな! 一三のガキには見えんぞ」
「がき?」
「子供ってことだ」
「子供じゃないわ。年の割に上背もあるし――きっと食べ物がよかったのよ」
 ステラは鈴のように笑った。
 やはり一五、六歳くらいに見える。
 決まりが悪いので、ウィルは口をつぐんだ。
 ウィルが黙ってしまったので、ステラもなにも言わなくなった。
 二人は歩きつづけた。
 たまにステラがくすくすと笑い返していた。
 それにしても――一三歳か。
 ウィルはその数字に引っかかるものがあったが、理由をどうしても思い出せなかった。
     *        *
「――それで、本題に戻るが」
 ウィルがふたたび切りだしたのは、街道沿いにぽつんと見つけた安宿で、汚れ落としに蒸しサウナに入っていたときだった。
 サウナは当然男女用に分かれているが、衝立を通して会話ができる。時間的にサウナを使う暇人は二人のほかにはいない。
「ステラの目的はなんだ?」
 薄明かりの中くつろいでいたステラは、ウィルの声に思わず胸元にタオルを当てた。
「目的?」
「ああ、目的だ。トライヒルの本部牧場――そこがステラの生まれ育った故郷だろう?」
「ええ」
「だがステラが家に帰るのでないとしたら、目的は家とは関係ないことになるな」
「……私の望みは、王立大教会の博物修道士、ティモシーに会うことなの」
「ティモシー? 略してティムだな」
 ステラの寝言に出た名だ。
「誰だい」
「幼なじみよ」
「なんだ、彼氏か」
「ちがうわ!」
 ステラの顔が耳たぶまでのぼせたように赤くなったが、衝立のむこうにいるウィルに見られることはなかった。
「じゃあ、なんだ?」
「……だいじな、家族よ。聞きたい?」
「――ぜひ、教えてくれ」
「わかったわ……」
 ステラは語りはじめた。
     *        *
 光暦一九八年――一〇歳の秋だった。
 馬術の練習で二人きりになったある日、ティムがうち明けてくれた。
「ぼくね――博物学者になりたいんだ」
 私はびっくりした。
「ティム……トーマス神父さまの跡を継ぐのでなくて?」
「神様の御技は、ぼくには見えない。それよりも見えるものについて知りたい。どうして火が燃えるかとか、振り子のトージセイとか――術士の力についてとか」
「ティムはもうみんな知ってるじゃない」
 ティモシーはたくさんの本を読んでいた。お父様が私のために買ったものだが、ティムにも読んで貰っていた。
「ちがうよ」
 ティムの声が不満で大きくなった。
「本に書いていることは浅いんだよ。ぼくはもっと深く知りたいんだ!」
「……もっと聞かせて、ティム」
「うん――どうして風は吹くのか、どうして植物は育つのか、どうして人は歴史を綴るのか……ぼくは、ぼくが見て、触って、感じているこの世界について知りたい。調べたい」
「すごいよティム!」
 ティムの熱意が伝染した。
 私はどうして自分も興奮しているのか、その理由がわかった。
「ティムは物足りないんだ。私は読んだだけで満足しているのに――なれるよ、きっと」
「ありがとう。勇気が出た」
 ティムは寂しげに笑った。
 ティモシーはその素敵な夢を、なぜかほかの誰にも語らなかった。
 半年後にその理由を知った。
 博物学者になるには、教会の博物修道士から入る道しかない。多額の寄付が必要だ。ティムはお金のことで神父さまを気遣っているのだ、と思った。
 私はティムに内緒でお父様に相談した。お父様には自由に動かせるお金がたくさんある。
 だけど――
「なぜだめなの、お父様」
「たしかにあいつは利発で見込みがある。だがなぜ私に、従者にすぎないティムの奨学金を出さねばならぬ道理がある?」
「道理……」
 お父様は渋い顔で付け加えた。
「それにトーマス神父の跡継ぎはティムのみ。神父の長子は神父。これは神の摂理だ」
 私は思い知った。切なかった。
 この世には、どうにもできない事がある。
 ティムはずっと前から知っていたんだ。
     *        *
 光暦一九九年の初夏頃から、風を感じるようになった。
 丘のむこうにいる人を、風が教えてくれる。
 町の香りを、風が届けてくれる。
 私はその素敵な力をティムにしか教えなかった。ティムも秘密を守ってくれた。
 術士の素質を持つ子供が、修業で隔離されることを本で知っていたからだ。
 私はティムと離れるのがイヤだった。
 昨年もし、お父様がティムに援助をしたなら、私もついていくつもりだった。
 でも本で読んで、女性は博物学者はおろか、神学者にもなれないことを学んだ。もし知っていたら、きっと推薦しなかっただろう。
 醜いエゴかも知れないが、神様が私をそういう性格に作られたのだからしょうがない。
 トーマス神父さまも、生まれつきは墓までつきあうしかないと教えてくれた。
 私はティムが誰よりも好きだ。
 お父様はたまにいても、側にいるのが辛かった。だけどティムは、何コック一緒にいても楽しかった。
 癇癪癖を持つお母様は、もう鬱陶しいとしか思えなかった。その怒りをティムは鎮めてくれた。なぜかティムはお母様に気に入られていた。
 ほかの使用人たちが止めようとする乗馬を、ティムは教えてくれた。
 私がいたずらをして怒られたとき、一緒に泣いてくれた。
 自慢話しかしないほかの金持ちの子を追っ払ってくれた。
 私が町の祭りにいきたいと言うと、こっそり連れだしてくれた。
 いつまでも一緒にいたかった――
     *        *
 光暦二〇〇年。
 世紀の節目が近づいたということで、この年の後半、世間はそわそわしていた。
 一部のカルト宗派が破滅思想を煽ったが、予言した日はことごとく外れ、相変わらずの平和がつづいていた。
 一二月にもなると王都グランドヒル一帯は祭り一色になった。トライヒルメーン牧場にも都からついでで寄った旅芸人や楽団が頻繁に出入りしていた。
 あのお父様までもが祭り病にかかり、毎週のようにパーティーを開いていた。お母様も九月に騒いだあとは一度もヒステリーを起こさず、安寧記録を更新しつづけていた。
 私とティモシーにも祭り病が感染したようだ。誰の目もはばかることなく、牧場内でデートを重ねるようになった。
 とどめは光暦二〇一年、三世紀が来た瞬間だった。牧場で一番目立つ大白樺の下で、秘密のファースト・キスを交わした。
 ささやかな、短いキスだった。
 後で気がついたことだが、互いに好きだと、ついに一言もなかった。
 年が明けて、お祭り騒ぎは収まる。
 みんなが元に戻った。
 お父様は留守がちに、お母様は癇癪持ちに、ティムは、距離を置いた従者に――
 さすがに告白しなかったことを後悔した。
     *        *
 運命の日が来た。
 今年の五月一五日だ。
 トライヒルメーン牧場を構成する三つの丘は初夏の日差しを受け、いずれも新緑の萌色に染まっていた。
 爽やかな風の中、二頭の馬が駆けていた。
「ティム、遅くてよ! もっと速く駆けて」
 私は、精悍な新馬パウで駆けていた。
「ステラさま、速すぎます!」
 ティムの栗毛馬が、必死に後をついていく。
「今日の目的は、パウを慣らすことですよ」
「いやよ。こんなにいい風が吹いているのに」
 私は言うことを聞かなかった。
「それにパウはもう慣れているわ。来月の競技会は絶対に勝つんだから、一日とて無駄にできないの――ハイッ!」
 鯨髭製の鞭の音とともに、私とパウはますます速く駆けた。
 教練はあきらかにハイペースだった。
 私は駆ける。
 強い風が吹くからだ。
 ティムは懸命に後を追いかけた。
 そこに文字通りの落とし穴が潜んでいた。
 ふいに風が、不吉な感覚を伝えた。
「ティム!」
 私がふりむくと同時に、ティムの馬が体勢を崩した。
 馬の足が、草の間のわずかな窪みに取られたのだ。馬は四つ足なので、人なら転ぶような崩れもすぐに修正できる。
 だがティムはたまらない。
 馬上から落ちた。
 時間が遅くなった。
 ティムが落ちるまでが、長い。
 私は叫んでいた。
「落ちないで!」
 私の願いは、しかし届くはずがない――と思ったそのとき、奇蹟が起きた。
 風が――ティムの体を吹き上げたのだ。
 ティムはゆっくりと、草の上に横たわった。
 私はパウから降りると、泣きながらティムに抱きついた。
 ティムは助かった。私の風の力で。
 だけど皮肉だった。
 厩務員の一人が、事件を目撃していたのだ。
 ルーツマスター、ユニバースの血は大陸中に拡散しており、いつどこで隔世の術士が出てくるかわからない。よって素質を持つ子供を見つければ、多額の報奨金が出る。
 そいつは金欲しさに奇蹟審査委員会に報告し、賞金をつかむと牧場から消えた。
 まもなく私は、術士修技館に送られることになった。お父様は肩を落とし、お母様は激しく泣いた。いくらお父様が子爵閣下でも、王命には逆らえない。
 両親はおろか、神父さまやティムとも、もう半年も会っていない。
 ほんとうに、世の中にはどうにもできないことが多すぎる。
     *        *
 六月に術士修技館に入ってから、私は確信犯で不真面目になった。授業をさぼり、修業に集中せず、決まりを守らなかった。
 最初に中級術の浮風を遠距離発動させたということで特待生になっていたが、たちまち解除となった。窮屈な小部屋に移され、自由時間も減った。
 それでも不良を通した。いろんなペナルティーを受けたり、ウィットフォール先生の体罰を受けたりしたが、我慢した。放校処分になるのを待っていた。
 なのにどれほど抵抗しても、けっして退学にはならなかった。
 それほど術士とは貴重なのだろうか?
 どうにもできないのか?
 反抗を通すことに疲れつつあった九月のはじめ、ティムからあの手紙が来た。
 それは私を驚かせるに十分な内容だった。
 ティムがハーシュヒル王立大教会の学士になった。しかも大学の神学士でなく、博物修道士として!
 意を決してトーマス神父さまに相談したら、神父さまの旧知に進歩的な大富豪がいて、その人がスポンサーになったことで寄付金問題が解決したという。
 ティムも私も馬鹿だった。神父さまは、ティムに跡を継がせることにこだわっていなかったのだ。息子がしたいことをさせる――そういう自然体の人だったのに。
 ……私は、感動した。
 思わずうれし泣きしていた。
 よかったね、ティモシー。数年来の夢が叶ったんだ。これからは手紙を王立大教会のほうに送らなくちゃ。
 どうにもできなかったはずのことが、どうにかなったなんて凄いよ。
 私は、かつてティムと出会ったときのことを思い出した。あのときは神様までキライになっていた。それを救ってくれたのが、ティムだった。
 頑張ろう!
 私は決心した。
 消極的に抵抗するなんて止めよう。積極的に、賢く抵抗しよう――いつかこの場から出てみせるために、先生を騙してやる。
 つまり、あらゆるものを吸収してやる!
 前はティムが助けてくれたけど、今回ティムは、自分だけで解決した。
 今度は私の番だ! 世界は広い!
 それから私には、思わぬことが起きたときに言う、面白い口癖ができた。
     *        *
 特待生に復帰した一〇月一五日だった。風術教師のランクヒル先生について風包念動を修業中、誤って中庭の噴水を粉々に破壊してしまった。
 私が悪いのに、ランクヒル先生がべつの部屋に呼ばれて長時間怒られた。
 それから一〇日ほどたって、急にランクヒル先生が学校を辞めさせられた。
 一一月に入ってすぐ、後任のゾーン先生が来た。ランクヒル先生ほどの術力はなかったけれど、ハンサムな先生だった。聞くところによるとランクヒル先生とは友人らしい。
 ゾーン先生には悪いけど、私はすでに理不尽な学校を抜け出す意志を固めている。真面目なゾーン先生につけば、短時間で多くの風術を覚えられるだろう……
 でもあらたな修行カリキュラムを受けるなかで、わたしは気付いた。
 どうしてゾーン先生が来たのか。
 どうしてカリキュラムが変更されたのか。
 それを伝えたかった。もはや自分のためだけでなく、みんなのためでもあった。
 誰に伝えよう……
 ティム。
 そう、ティモシーに伝えよう。
 ティムなら、大教会にいるティモシーなら、私の話を聞いてくれる。彼しかいない。そしてティモシーならきっと、進歩的というスポンサーや、王宮の偉い誰かに話を――
     *        *
「……あとは、下弦の半月になる一二月二五日の夜を待つだけだったわ。月が夜半過ぎに東から出る日だから……月を頼りに東方面にむかうの。そこには白い街道があるから。夜明けが近づくと月が昇って東がわかりにくくなるけど、今度は曙があるから……運良く天候は味方をしてくれたわ」
 湯気の中、ステラは語り終えた。
 衝立の向こうのウィルは、二〇パックほどして感想を返した。
「……おまえ、思ったより頭がいいな」
「ひどい! 一言多いともてないわよ」
「女に不自由はしてねえよ……それで、修技館の警備は……どうやって突破したんだ?」
「昼間は警報結界とかいろいろあるけど、夜は道もない森が広がっているから」
「いわゆる、油断ってやつか……」
「秘かに鍵開けの術も練習してたし」
「風包念動の応用だな……」
「かなり術に詳しいのね」
「ああ……疾風だしな……」
「……ウィル?」
「……おれは……ウィルでな……フェ……だ」
「なにを言っているの? あなたはウィルでしょ? 傭兵ウィル」
 だが、返事はなく。
 かわりにステラは、衝立の向こうで、なにかがずるずると崩れる音を聞いた。
「あなたって、サウナに弱いのね!」
 驚いたステラは、慌てて宿の主人を呼んだ。
 のぼせたウィルが正体を回復するのに、三コックもかかった。

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