台湾高雄旅行2 屏東 旧日本軍遺跡と台湾原住民 勝利星村/屏北三郷 漫遊 おでかけフォト よろずなホビー

撮影:2024/03/18

セブンイレブン異文化仕様 台湾観光2日目 商店街なようでどこか違うマーケット空間。 ここは車が通れないだけで、バイクや自転車が普通に走りまくる一般道路。 そしてほのかに混ざってる日本語。 ここも巨大駅に近いスポット。空港や市駅に近いほど日本語が増える。表通りや繁華街は純粋な観光客向けだろうが、下町・裏通りは目立つ場所の影響を受けた余波か。私はほぼ下・裏へ一直線。googleマップのコメントや評価数での単純比較だと、表に対する裏への日本人注目格差はだいたい数パーセントだ。 積み上げられた小籠包かなにか。 朝食 なんとなく洋食系も探してみたが、露店では中華の混ざったものしかなかった。日本も洋食といいつつ和食混ざりまくりだし、インド料理といいつつ超日本アレンジだし、どこもその地域に合わせるか。 日本だとめったに見られない、車が通過できるレベルの植物アーチ。日照量・降雨量・気温の三条件が日本より良好。 来たぜ。 屏東市 勝利星村日本統治時代の官舎ライクな遺跡。 およそ120棟が現存し、遺跡公園として整備。 解説。なんとなく意味がわかるぜ。 放置されているわけじゃなく、人が触ったり子供が遊んでも怪我などしないよう、あるていどの補強工事などがされている。 おふろー 壁面が崩れ、中から竹。 こちらも竹。 編竹なんたら壁。 1920年代の旧日本軍の軍人家族や軍属などが暮らした家とか官舎とか。 大きく破損した箇所の補填に、ときおりオブジェが混ざる。 大半の建物で屋根が失われてる。または危険だから取り払ったみたい。 当時の庭先の再現だろうか。 道路ひとつ挟んで普通の建物。遺跡と現代の暮らしがおそろしく近い。 ガラスは当時のものはほぼ残ってなさそう。ヒビ割れ状態がなく、綺麗か空っぽかの両極端だし。これも安全のため。 あちこちに解説がある。 時計オブジェ。時の流れとかだろうか? 煙突 中華風の丸い門っぽいもの。 べつの時計オブジェ。設置したのは芸術家とか。 遺跡を再利用した区画。 さまざまな種類の観光むけ店舗群。 荒廃した遺跡を利用し、工事してきれいでアートなお店に大改装。というかほぼ作り直しレベルだよなあ。 トトロ アートなものを売ったり体験できたり。 どう見ても芸術。 実用性よりまず面白いかどうか。 そんな感じのものを売ったり体験したり作ったり鑑賞したり。 いろいろエネルギッシュな店が軒を連ねる。 アート村ということで、食べるほうも一工夫。たとえば写真の店は昭和時代の日本の食卓を再現。 さすがに人が増えてきたので、買い食いで済ませたが。なぜかここにも日本語で「おてもと」と。日本由来の観光地はさすがに日本語成分も多く、カタコトの日本語を話せる店主も多い。 これから行く観光地はほぼ日本語ナッシング。 一気に山へ入る。 清王朝・日帝および民国の同化政策を、あるときは剣や銃を手にして数百年に渡り耐えきった文化が残っている。 険しい山だ。わずかな距離であっというまに標高1000mオーバー。 いきなり異なる文化圏へ。 セブンイレブンも郷に従う。 屏東県 屏北三郷わりと広い山岳民族居住地域の、ごく一部をさっとかすめただけ。 幹線道路から視線を離せば、原住民文化圏区といっても普通の田舎の風景。ちょっと南国な。 訪問者の目によく入る範囲を、思いっきり観光地化してる。 この地域は剥離した薄い石の板を積み上げて建築物を作る風習か技術があるようで、表通りの建物はそういう感じのものが多い。現代建築と比べてコスパが悪いからか、裏通りはそうでもない。 謎のオブジェ。ツボみたいなものと、ハサミを合体させたもので、訪問した部落のあちこちで見られた。 日本で差別用語扱いによる言葉狩りで公的な使用の途絶えた「原住民」とか「部落」という単語は、台湾だと普通に現役だ。むしろ台湾先住民とか言っても公的にすら通用しない。 じつは先住民と原住民では、根源的には意味がまったく異なるという。たしかに先住だと、ただ先に住んでましたというだけで、それこそ数年でもおなじ意味になってしまう。原住だと、歴史や伝統、文化などが含まれ、歳月の重みが違う。 部落もおそらく似たような理由から、プライドを持って使ってるように見受けられた。そもそも差別うんぬんは日本人ゆえの潔癖症気質な視点かも。 そろそろ外界に戻る。 途中で変わったペイントを施した飛行機を見かけた。調べると軍の輸送機らしい。 夜食はまたもや囲って―― 肉だぜ。 うまい、さすがに高かった。 んなぁ、連日の食い道楽。プライベートじゃなかったから写真に写してないだけで、ほかにカニやタイ丸ごともあった。


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