第二章 「ワンピース操艦士」

よろずなホビー
星伝/第一章 第二章 第三章 第四章

     1
 窓外の風景が、たちまちのうちに変貌していく。空の色が変わってゆく。はじめは見慣れた青だったものが、高山から見るような透き通る青を経て、次第に白っぽく薄まってゆく。やがてふたたび濃くなって今度は黒味を帯びはじめる――飽きたので地面を見てみる。なんと小さい。空の変貌に注目しているうちに、なにもかもが小さくなっていた。育った町、首都アーザードシティが見える。卒業した都立第三アーザード年長校もだ。大原野という美しい絵をにじませている。
 離れた雲の間に見える縞入りの青い地域は、もしかして海だろうか。ラクシュミー、現モンゴロイド〇五には衛星――月がないので、潮の満ち引きがほとんどない。だから沿岸に溜まった内陸部からの堆積物はなかなか波にさらわれず、場所によっては超遠浅海岸が発達していた。しかし潮の干満で形成されやすい干潟や見目のいい砂浜が少なく、沿岸はいまいち人気がない。
 視線を空に戻す。ついに星が瞬いた。あれ、夜? 星の増え方が異常だ。ちがう、ここは――宇宙だ。
 いよいよ、宇宙に出てきた。
 あこがれの。そして、不安の。
 そのときミサは、違和感を覚えた。
「……こんなに速いのに、どうして何も感じないの?」
 シャトルは、すさまじい加速をしながら宇宙に出ている。
 なのにエレベーターに乗ったときの、ホバー車で走るときの、重心が変化するときの妙な感覚――加速を、まったく感じない。
「すごい技術……こんなの、地上にない」
 これが宇宙の人々の実力。
 地上に縛られている私たちとの差なの……
 ――ミサは身震いした。
 いったい宇宙の連中って、原種保護を本当は、なんのために行っているの?
 ミサは、歴史を思い返した。
 かつてラクシュミー政府が抵抗むなしく人類連合に降伏したとき、長命の侵略者はラクシュミーの偏った人口構成に注目した。シヴァ星系共和国は、黄色人種を核とする移民団が創ったのだ。
 よってラクシュミーは黄色人種――モンゴロイド専用保護惑星第五号の指定を受け、モンゴロイド〇五という名に変えられた。シヴァは宇宙中に同名の恒星があるらしく、一二という味気ない番号が付加された。
 遺伝子の三分の一以上が純粋でないと判定された者、白色人種、黒色人種は、子供を作ることを禁止された。四〇〇〇万人いた人々の大半が混血の烙印を押されたので、後に一時、人口の九割五分が老年という超超高齢化社会を経験することになった。
 えっと。それから、宇宙人はどうしたんだっけ……
 そのとき、ミサの頭の奥に――妙な、くすぐったい感覚が生まれた。
――あっ、なにか、頭がすこし変……
『アクセス……思考接続』
 ――なに? 私なにか考えた?
『我々の戦略――原種保護指定惑星において、文化は旧西暦末期、すなわち三〇世紀までのものを奨励する。科学技術は宇宙航行、跳躍子制御、遺伝子操作に関するものを禁止する。社会活力は、これで十分に衰退する』
 私、こんなこと……
『たびたび起こる反抗活動には、社会の安定からなる不動の未来を与える。若者の希望と意欲を減衰させれば反骨心は萎える』
 ……なに、知らないよ私……なんでモンゴロイド〇五のこんな……
『モンゴロイド〇五。連合委託統治領、アジア民族集団原種保護指定惑星。位置は遠南十字座戦面近縁。テラからの距離四万八〇一一光年。現在の公式人口は一五〇〇万……』
 ――もう! ……現在の何がどうしたの?
『現在……宇宙暦九九〇年、旧西暦三九九〇年。ウグレラルナでは契約暦一一二四年。ミケンでは銀河中央暦九五二年』
――やめて! 誰なの? 私の声で、私の頭の中で……勝手にささやいて……
『小声でひそひそと話すこと』
 !!!
 ミサは、両耳を手で覆い、
「いやあああ、勝手に私の知らないことを、言わないで!」
 ミサの叫びに、周りの軍人たちがびくりとした。一人の男――カレル少佐が、弾かれたようにミサのところに来る。
「どうした。ミサ・マリー」
 ミサはなぜか席を立とうとした。しかし体の震えでバランスを崩し、半腰でカレル少佐の腰にしがみついた。
「ミサ・マリー。やはり宇宙が怖いか」
「――カレル少佐、私……狂ってしまいました……」
『落ち着きをなくし、心が乱れること。または思考が常軌を逸し、特殊化する様』
「ほらまた! 幻聴が!」
 ミサはカレル少佐の腰から離れて立ち上がり、不安そうに身を震わせた。
 だが、カレル少佐ははすっかり落ち着いた顔をして、むしろ楽しそうな顔をして、ミサの頭に手を置いた。そして髪をくしゃくしゃにする。
「なんだ……そういうことか」
「なんですか、私がうそをついていると思っているのですか」
『うそ。事実ではないこと』
「それぐらいわかっているわよ頭の中の私!」
 カレル少佐が声を殺して笑い出した。
「なにがおかしいのですか!」
『笑いたくなること』
「そうよ、笑いたくなることよ!」
 とオウム返しに叫んだところで、ミサは怖さが吹き飛んでいることを自覚した。
 そのときミサは、自分が十数名の男たちに囲まれているのを知った。みんなは何か怒っているような表情――いや、これは笑いを堪えている顔だ。
「准尉、階級章を外してみろ」
「……どうして?」
「いいから」
「わかりました……」
 ミサは、左胸に光る階級章を外そうとした――金具に力を入れた瞬間、頭の中に、
『アクセス強制解除……』
 と、無機質なミサの声が響いた。
 ミサは外した階級章を目の前に掲げた。
「……君だったのね、犯人は」
 階級章のドラゴンは、まるで「はい」とでも言ってるかのように神妙に見えた。
 次の瞬間、客員室は爆笑の渦で踊った。
 一人、あきれた奴だと言わんばかりの顔をしているムロト大尉を除いて。
     *        *
 思考援助情報バンクシステム。
 バッヂに蓄えられている莫大な固定情報と、常に更新されるニュースなどの送信情報が、頭の中に問いかけるだけで取り出せる。
 脳の働きは物理的な生体電気の作用であるため、外から刺激で情報を流し込むことができる。しかしそのためには、誰一人として同じ神経網を持たないカオス的な脳に、個別にかつ即座に対応できる脳のカオス理論方程式が必要だった。
 ミサは、それを完全に実用化させた宇宙の超数学にしきりに感心していた。
 今までいた世界にも一応、脳に情報を送り込む技術はある。だがそれは実に未成熟なものだった。
 脳をスキャンし、神経網地図を作製し、それでようやく個別セッティングした睡眠学習用ヘルメットのお目見えとなる。しかも脳の情報網はすぐに変化するため、同じヘルメットを長期間使うのは不可能だった。とくにネットワークが毎日のように更新される若者には、使用が禁止されている。
 階級章を撫でる。この中に一生かかっても探索しきれない情報が詰まってる。しかも覚醒した状態で利用できる。
 持ち歩きのペン型辞書がいらない。情報が思考の速度で得られる。それに思索支援機能もあるらしい。要は慣れの問題だった。
 あまりにも便利。まるで、夢みたい……
 ひとつあれば、ラクシュミーでは全能の神だ。そう、今ここから見えている――
 ミサは、窓から外を見てみた。
「きれい……」
 自分の生まれた星を見ようとしたところが、まず真空宇宙に圧倒された。
 郊外から眺める夜空もきれいだけど、こちらはなんていう濃さなの!
 黄、赤、青、白――様々な色と顔を持つ星たちが、怖い暗闇を希望の光で満たそうと躍起になって輝いている。いつもの空気というお邪魔がいないので、長年の旅を終えた光たちは、存分にミサの目に飛び込んでこれる。それは大気の底から見える、儚い瞬き蛍ではなく、派手に自らを表現する、華やかなネオンの大群なのだった。
「はじめまして……元気な宇宙」
 そしてミサは、目的を思い出して眼下に目をやる。
「ああ、これが……」
 一目惚れの君に出会ったかのように、深いため息をついた。
「……これが、私の生まれた星」
 今やミサの前に、丸い、青い惑星がひとつ浮かんでいる。黒く、希薄で冷たい、しかし輝くばかりの光が踊る、宇宙の中に。
 青い、深く青い海。星表面の多くが、なみなみとたたえる塩水、広大な海だった。ちょうどプレートテクトニクスサイクルの都合で超大陸がひとつと、数百の小島しかない単調な陸地。その西端の一部地方に、一五〇〇万人口の大半が住んでいる。そして見ることのできる陸地は、まさにその超大陸西部のみだった――他の地域は、かすむ地平、と言っていいのだろうか、大きく湾曲した星の裏側に隠れている。
 ミサは今、かつてない高さから、自分が育った星を見つめている。
 陸地で見える部分の大半は、草原と森しかない。かろうじて惑星の影にあたる東内陸部に、内陸砂漠や大山脈地帯が見える――濃い自然だ。人はこの星にテラの多様生態を持ち込み、元からいた単純な原始生態を絶滅はさせないまでも破壊した。それを非難する向きもあるが、これはこれでよかったのでは、とミサは思った。とにかく口を開けて見物するしかない緑の巨大な息吹。そして球の大地。なんて大きいのだろう。
 ミサは、右頬に湿りを感じた。涙だ。そういえば、いつの間にか星が揺れているよ。
 涙は一筋となり、ミサの顎の先に到達する前に、こらえきれなくなって落ちた。それはミサのワンピースに落ち、すぐに染み込む。
「さよなら……美しいラクシュミー。また、いつか会おうね。リン、母さん」
 ミサは涙を拭った。見る星もきれいになった。すると、
『当機は惑星モンゴロイド〇五の大重力干渉域より離脱した。跳躍安全域に入ったため、ただいまより時空跳躍に移る』
 ……じくうちょうやく?
『全員席に着き、シートベルトを締めよ』
 放送が終わると、そここで立ち話をしていた者たちが各々の席に戻って行く。
 ミサは不思議に思って立ち上がり、辺りを見回した。みんな車を運転しているかのようにベルトを締めている。
 何かが起こりそうだが、しかし別に慌てている様子はない。
ただ、こちらを見て、なにやらまた、にやにやして――
『――時空跳躍』
 ――と。
 ミサの体が、浮いた。なに? もしかしてこれっていわゆる無重力!
「ええええ?」
 裾がはだける。ミサは慌ててワンピースの裾を押さえた。
 窓外が光る。視界に窓が入って――ミサはラクシュミー、モンゴロイド〇五がぼんやりと消えたのに驚いた。今、窓から外には、淡い光がある。うすい虹のような、それでいてよく分からない、正体不明のもや――
 ふとそれが、霧塊から抜けたように消えた。
 宇宙が急激に晴れ上がる。星だ。星が見える。助かった。
 よかった……と思った瞬間、ミサは急に下に引っ張られた。
「きゃん!」
 椅子と椅子の間に落ち、お尻をしこたま打った。
「……痛い」
 そして皆が二度目の一斉笑い。ただしこれまた真面目なムロト大尉を除く。
「なんで空間移動って教えてくれないの……みんな嫌い! さいてー!」
 ミサはすっかりご機嫌ななめ。いたいけな女の子の無知を喜ぶ意地悪い大人どもから離れ、一番後列の反対側の席に座った。
 まだ連中は見ている! 父さ、いや、カレル少佐まで。ふん、無視するもんね――と、窓に視線を向けたミサは、目の前に「巨大」なものを発見した。
 ……黄色? いや、むしろ金色だ。くすんだ金色の壁……
 なんて大きい。視界の全部が金色。上下左右、一面に金。果ては見えない。
 宇宙に浮かぶ、金の壁。その横を、この小さなリフトシャトルは飛んでゆく。
「おお、我が愛しきマニエール・リエ!」
 カレル少佐が、ミサの背中で叫んでいる。
「おお、俺は帰ってきたぞ! もう一人のリエ、愛しき天空の戦艦よ……」
 芝居がかるのは癖らしい……戦艦?
 こんな金色の目立つのが? でもなんて大きい。何キロメートルあるのかしら。
 進行方向に視線をやる。壁はまだまだ続く。と、向こうから大きな、このシャトルの軽く一〇倍はありそうな白い文字……
 軍艦にふさわしい、特徴のない無骨なアラビア数字。まったくもって巨大だ。
「2……2……2……おしまい」
 文字は、後方に流れ去ってゆく。
「こんなに大きい船が、少なくともあと二二一隻もあるってことかな……」
 つぶやくと同時に、壁の流れが急に止まった。しかし船内には相変わらず何の変化もなく、ミサは慣性重力制御技術のすさまじさにいまさらながら驚いた。
 金の壁の一部が、唐突に開いた。そこから、銀色のチューブが音もなく――真空の宇宙で音があったら面白いが――伸びてきた。
 チューブはまるで磁石か空気式掃除機に吸い寄せられるように、リフトシャトルの出入り口付近にくっついた。その瞬間、わずかな振動が船内を駆けた。
『指揮戦艦マニエール・リエとのドッキング完了、貴官らの武運を願う』
 という船内放送が終わると、カレル少佐が立ち上がった。
「総員、乗艦せよ。なおミサ・マリー・カガミガワ・カレル准尉の隠し芸を心から面白いと思った者は、彼女の荷物を運ぶこと!」
「だあー! 隠し芸じゃないって……あ、運んでくれるんですか。ありがとう」
 ミサの視線が固まった。
 赤い髪の男が、ミサの席の裏側に置いていたバッグを一つ持っていた。
「……ム、ムロト大尉!」
 カレル少佐の命令に一番乗りで反応した男は、なんとムロト・カケル大尉だった。そのムロト大尉の口元が、少し引きつっている。無表情を装おうとして、明らかに失敗した顔だ。大尉は数秒ほど固まっていたが、突然口を開いた。
「自分は、紳士のたしなみを忠実に執行しただけだ」
 そしてわざとらしくごほんと咳をすると、ミサに背を向けて歩いていった。
「すいませーん、言葉の意味が微妙に笑えるんですけど……」
     *        *
 銀チューブの中を高速で進む直径一五メートルの円盤。その上に、十数名の士官が乗っている。ミサは一番後ろで手ぶらだ。ミサの八つあったバッグやトランクは、すべて士官たちが運んでくれている。ミサは彼らをすこしだけ見直していた。
 やがて鋭角を基調とした広い部屋に出た。チューブの穴が消え、そこで円盤が止まった。ゆっくりと沈み、床の一部になる。ミサは、元円盤の外に一歩を踏み出した。
 見回す。この白い部屋は四角錐を横倒しにした形状だ。狭まる側が前のようで、そこに三〇ほどの端末机と椅子が仲良く並んでいる。ミサがいるのは広い後部だ。
 留守番組だろうか、端末群の手前で十数名の士官が敬礼している。中には一人だけだが女性もいるようだ――女性の制服はスカートだ。ミサはすこしほっとした。
 だけどあの女性、ちょっと肌が濃すぎるかな。まあいいや。
 とにかく人もいることだし、どうやらここは――
「ここがマニエール・リエの艦橋だ」
 カレル少佐が横にいた。そして少佐は無言で後ろ壁を指さす。ミサが見ると――
「……母さん!」
 壁の中央には、カガミガワ・リエの肖像画があった。若いころのものだ。野外の風に髪がゆれ、笑顔が強い日光の下で美しい。今にも草の匂いが届きそうだ。
「知己にいい画家がいてな、写真を基にした」
「すてきな大作。今にも動き出しそう」
「題名は、戦艦と同じ『マニエール・リエ』……俺の宝だ」
「母さんは、これを見たらきっと喜びますよ、カレル少佐」
「まだ父さんと呼んではくれないか、ミサ・マリー。顔だけ笑顔で言葉と目が冷静なのは俺にはきついが、まあいい……」
 カレルは、手をぽんと叩いた。
「この艦にはないが、実は『マドモワゼル・マリー』という絵もあるのだ」
「その題名は、期待した見物客を落胆させるための冗談ですね」
「なんてことだ、若さと無知は罪だよ。もうじき咲く可愛いつぼみなのに、いずれ花開く日が来ることも知らず、つぼみの未熟を卑下するのだ」
「一歳の赤ちゃんが、どうすればマドモワゼルになるのでしょうか?」
 カレルの動きが止まった。
「……早く気づきすぎじゃないか」
「カレル少佐は、本気でないときはすぐに演劇が入りますから」
「もう私の癖を見抜いたか。そういう観察眼は、リエが得意としたところだよ」
「でも私は、カレル少佐の特性はあまり受け継いでないようですね」
 言ってからミサはしまったと思った。父カレル少佐の顔に、にわかに傷ついたと思われる表情の翳りが見られたのだ。しかしそれは一瞬で消えた。
 ミサのほうは、逆に後悔で胸がいっぱいになった。カレル少佐は我慢できる大人なのだ。くやしいけど――私は未熟だ。
 俯いて黙るミサに困ったカレル少佐は、
「絵の話はもういい。紹介したい人がいる」
 手を数度叩く。
「クトゥプ! サリィ・クトゥプ准尉!」
「はーい」
 すると、さっきミサが気になった女性士官が手を挙げ、元気に走ってきた。
「なんでございますか!」
 敬礼する。その声で頭をあげたミサは、まるで少女のように若く、溌剌とした女性を近くに見て驚いた。
 肌が、見たこともないほど濃い――いや、授業で見たことがある。授業の資料の中にしかいなかった人種――その女性は、黒色人種、ネグロイドだった。
 身長は、ミサよりわずかに高いていど。身は細く、体重はミサより軽いかもしれないが、健康的な顔立ちと肌だ。髪は資料で知っていたネグロイドとちがい、縮れ毛ではない。軽い天然パーマがかかった柔らかめのショートだ。目は丸く愛嬌がある。外見は女性とも少女とも言える、微妙なところだろう。
「クトゥプ准尉、彼女が――」
「はーい、ミサ・マリー・カガミガワ・カレル操艦科准尉です!」
「……うむ、その通りだ。私はこれから指揮で忙しくなるから、ミサ・マリーを頼む」
「はーい」
「ミサ・マリー、彼女はサリィ・クトゥプ参謀科准尉だ。階級も一緒だし、いろいろ聞くといい。以後の訓練を兼ねた巡航でもコンビを組む相手だから、せいぜい仲良くな」
「……はい、少佐」
 元気なく答えたミサだが、いきなり視界にクトゥプのアップがあらわれて、心底驚いた。
「私は、クトゥプ准尉。よろしく!」
 元気よく敬礼。思わずミサも敬礼を返す。ただし慌てていて左右が逆だ。
「よろしく、クトゥプ准尉。私は……カガミガワ准尉です」
「カガミガワ・カレル准尉ではないのですか?」
 クトゥプは首を傾げる。みょうに可愛い、とミサは思った。
「……ええと、私はカガミガワだけでいいの」
「そうですか。はーい、わかりました! 以後、カガミガワ准尉と呼びます」
 ミサはほっとした。この人は余計な詮索をして来ない、さっぱり系の人なのかも。
 そして二人で並んで艦橋の後部端にある机のない自由席に座る。
「この艦では私たちに仕事はありませんから、ここで出発を見物しましょう。カガミガワ准尉はどれもこれも初めてなので、きっと面白いですよ」
 ミサは心の中で胸をなで下ろした。宇宙でようやく気の休まりそうな人に出会えた。
「これより出発する。対消滅エンジン始動」
 声がした。カレル少佐だ。艦橋最奥の、端末机のない他より大きめの椅子に座っている。右隣には端末席があり、ムロト大尉がすました顔で陣取っている。他の士官は、みんな艦橋前部の端末群に腰掛け、空中に情報を表示させている。どういう仕組みか、画面を見ているだけで何もしていないのに、つぎつぎに窓が現れたり消えたりしている。
「対消滅エンジン始動確認」
 艦橋前部オペレーターの一人が返事した。
「以後はオートメイションに任せよ」
 ムロト大尉だ。
「思考チャットリンク開始」
 オペレーターの一人が返事して……エンジン回転……戦帆正常……排熱順調……
 なに? ミサは、辺りを見回した。だが、別に異常はない。誰もしゃべらない。
 ほっ……跳躍子十分に溜まって……チェック中……
 また階級章?……過剰な思考ノイズ確認……まったくいやね。モードスリープ!
 ――拒絶反応極大……対象者への情報伝達失敗……再検討、点検緊急中断……
 あれ、なんで止まらないの?
 ……ばかもの! ミサ・マリー、思考を中断しろ!
 えええ~! なんでカレル少佐の声が……
 これは艦によるチャット型リンクだ! コンピュータが正常の判断を阻害されるから、とにかく今は心を乱すな。
 できないです、そんなこと簡単には。
 ならば貴官のリンクのみを切断する――できるか? ……はい。接続完――
 …………
 静かになった。
「はーい、伝えますムロト大尉」
 突然となりで、クトゥプ准尉が返事。
「カガミガワ准尉、あなたの思考影響能力が、尋常ではないと判断されました」
「……どういうこと?」
「操艦士として、合格らしいです」
「操艦士? 私は操艦科准尉ですよね。操艦って何を――スリープ解除、階級章、教えなさい。情報度簡易モードで、操艦士よ」
『スリープ解除、操艦士。艦および艦隊の操作を思考で行う。思考影響が大きいほど、空間的限界、同時操艦数が増大する。資質を持つ者は数百億人に一人』――よく分かった、スリープして――『モードスリープ』
「――准尉、私は、戦場での駒になるために生まれたのですね」
「…………」
 さすがにクトゥプ准尉は「はーい」と言わずに、無言で頷く。
「操艦士は稀……それが私を宇宙に連れて来た理由――もしかして今のはわざと試した。准尉も知っていたのですね?」
「……命令ですから」
「別にクトゥプ准尉を責める気はありません。あの怖いムロト大尉の口止めでしょ? いかにも思いつきそうですから」
 するとクトゥプは小さく指を鳴らした。
「これで私のチャットリンクも切断したわ」
 そして左右を素早く確認して、ミサの耳元でささやいた。
「はーい、その通りです。私、ムロト大尉が大嫌いなの、どうやらカガミガワさんとは気が合うみたい。二人きりのとき敬語は止めようね、私は名前のサリィで呼んでよ」
 そしてウインク。ミサは、思わずサリィの両手を掴んだ。
「……こちらこそ。よろしくサリィ。私はミサでいいよ、マリーは余分だから」
「少佐を拒絶する権利は、ミサには十二分にあるよ。でも親心は理解するふりだけでもしてあげなさいな、少佐大はしゃぎするから」
「いつかね」
「うわあ、復讐の女神ミサ」
「一四年の空白と、出がけで母さんを泣かせたのは、無期懲役物の重罪よ」
「後で聞かせて聞かせて」
「誰にも言わない?」
「ムロト大尉ほど口、軽くないよ。あの人はまあ、いわゆる自慢癖なんだけど」
「……なんか上手くかわされたような」
 それにサリィが何か答えようとしたとき、
「指揮戦艦マニエール・リエ発進!」
 カレル少佐が叫んだ。
 艦橋全体が急速に暗くなり、内壁のすべてが――床までもが、宇宙に染まっていった。ミサは口を開けたまま、周囲を見回した。直感で、それがこの艦の全天方向を、生で映し出したものであると理解できた。
 横壁の一部に四角いウインドウがあらわれ、ふいに拡大された。そこには、あのリフトシャトルがいた。
「まだいたんだ。なんで帰らないの?」
「一度時空跳躍すると、用意していた跳躍子を必ずすべて使い切るの。それを通常空間で時間をかけて補充再生産するの」
「跳躍子? ああ、超越光子のことね」
「なにそれ? あれは光じゃないよ……まあいいや、ミサ、後で学習して――」
 サリィの声を掻き消すように、カレル少佐が叫ぶ。
「我々を運んでくれたリフトシャトルに、総員敬礼!」
 艦橋の全員が、立ち上がって敬礼する。
 ミサは少し遅れたが、今度は手を左右間違えることはなかった。
「敬礼終わり! カガミガワ・カレル准尉、貴官の恒星を見るか?」
 いきなり振られて、ミサはびくりとしたが、すぐに答えた。
「は、シヴァを見せていただけるなら、私は見たいと思います!」
「元気でよろしい。シヴァ一二、投影せよ」
 正面に、拡大ウインドウが開く。
 黄色い普通の恒星が浮かんだ。背後の宇宙は――見慣れたラクシュミーの星座だった――あれ。
 ミサは気づいた。そういえば今いるこの空間は、まったく知らない星の配置。
「カレル少佐、当艦からシヴァまでの距離はどのくらいでしょうか」
「……二八八・三七九光年だが」
「にひゃ……!」
「原種惑星の住民に、後世容易に観測される距離に停めはせん――もういいか?」
「惑星ラクシュ……いいえ、いいです」
「ならば本艦は時空跳躍に入る――総員着席し、ベルトを締めよ」
 ミサは、ウインドウが消える様を名残惜しげに見つめながら着席し、ついでベルトを締めた。これで、もう浮かぶことはない。さすがの重力制御技術も、跳躍中は働かないようだから。
「目標地点を事前探査――異常なし。跳躍!」
     2
 ミサは勉強することになった。
 一度目の跳躍で戦艦の限界である五〇六光年を飛んだ後、二度目の跳躍で目的地に着くと言われた。ただし、跳躍子を対消滅エンジンから補充しないといけないという。それにかかる時間はなんと四時間。一時間溜めればほぼ一〇〇光年飛べるというから、目的地まではざっと四〇〇光年というところか。
 とにかく暇な時間ができた。ミサはすることがない。どうしようと思っていたら、サリィがミサを小さな部屋に連れていった。
「この部屋の端末ソフトは、階級章より優秀なの。よくわかると思うからお勉強してね。とくに軍について知っておいてよ、予備知識がないと後で腰抜かすから」
 そしてサリィは、上着を脱いで端末――なんとふかふかなベッド! に寝ると、そのまま眼帯を付けて布団を被った。
「私も、あなたとパートナーを組む以上、原種・ニホノ系について知っておきたいわ」
 そして次の瞬間には、まるで特殊な訓練を受けたかのように寝てしまった。
 驚いたミサは、規則正しい寝息をたてるクトゥプ准尉の眼帯を外し、その閉じた目の前で手をひらひら――起きない。布団をあげて脇腹をこすり――起きない。スカートをあげて下着を――あ、白。宇宙の人も同じなんだ。って、私、痴漢じゃないかい? 大急ぎで布団を戻す。
「私はやらなかった私はやらなかった私はやらなかった私は…………忘却完了」
 見ればサリィの枕元にタイマーが。後三時間半……なるほど、機械が眠らせてくれるんだ。と、ミサはあわてて部屋の扉を閉め、ロックした。変な野郎が来て、いたずらされたらたまらないわ。
「よーし! 寝ますかのう! でも……サリィが言っていた軍について知るのはまた今度でいいわね」
 だって、私は宇宙に出たいとは思っていたけど、軍は無理矢理連れて来たんだから。
 さて、タイマーをサリィ・クトゥプと同じ三時間半にセットして、いざ出陣。
 ああ、なんて凄い……もう眠い…………
……――うわあ、映画館!
 マスター、何について知りたいか。
 ――変な声。えっと、とりあえず跳躍子。
 歴史的に進めるか。学問的な説明か。
 ――歴史。詳しい背景は一切抜きでいいよ。
了解。跳躍子理論について。固有名詞抜き簡易教授モード。
 ……我々の宇宙創世時に一つだった力は、宇宙を安定させるために重力、電磁力、強弱の相互作用に分かれた。人類は四つの力を一つにした超大統一理論を二二世紀に完成させ、物理学は一つの完成を見た。
 区切りをつけた科学者たちは、今度は別宇宙の物理現象を模索しはじめた。ビッグバン直後、我々の宇宙とは別の力法則を持つ、あまたの兄弟宇宙が生まれたからだ。
 二三世紀、一人の科学者が時間のない宇宙を発表した。その停止宇宙を支配する最速の素粒子は跳躍子といい、場所から場所へ移動するのに瞬間しか必要としない。
 跳躍子理論は魅力的だった。なぜならば時間に縛られない実用的な恒星間航行を実現できるかもしれないからだった。星から星に渡るには、人の一生は短すぎる。
我々の宇宙と跳躍子宇宙が分かれた直後、もっとも性質が近い瞬間に起こったことは、物質と反物質の生存競争、対消滅だった。よって跳躍子研究は、対消滅機関の実現からはじまり、二五世紀に実用化した。しかし南極大陸を消し飛ばす爆発事故を起こし、使用禁止となった。
 二八世紀、冥王星の隔離研究所で安全な極小対消滅機関を模索していた研究者が、ついに跳躍子を検出した。それは本当に天文学的に絶妙な温度、密度、反応量の条件が揃って、はじめて発生するものだった。
 跳躍子は集めた量と跳躍距離が比例する、また反跳躍子をぶつけられると消滅するなど、我々の宇宙における物理制約を受けていた。跳躍子を制御できるようになったのは、三〇世紀に入ってからのことである。
 マスター、関連情報開示可能。以下の中から……
 ――ファーストコンタクト。また歴史的流れに沿って、政治を加えて。
 歴史。了解、マスターの意志に従う。
 開示、ファーストコンタクトについて。情報レベル同位で移行。
 西暦三〇世紀初頭、人類の領域はいまだ太陽系のみだった。外宇宙移住計画は幾度も提唱されたが、いずれも実現しなかった。時空跳躍航行の概念があったので、幾世代もかかりウラシマ効果も起こる亜光速航行をしたがる者が希有だったのだ。それ以前に、太陽系から脱出する必然性がなかった。
 ただし三〇世紀は事情が違っていた。人口は一世紀前から四〇〇億人で横這いであり、経済も文化も停滞していた。政治離れが顕著となり、票集めにやっきとなった政治家たちは、キャンペーンを開始した。お決まりの移住計画である。とはいえ今回は、時間の制約を受けない跳躍子と、実現に向けての強い社会的欲求があった。
 時空跳躍船の開発が始まった。すぐに時空跳躍通信が実用化され、莫大な予算が追加された。当時の人口の三割がなんらかの形で関わった大計画は、西暦二九八〇年、試作船五号の太陽系――シリウス間往復の成功によって終了した。人類社会にかつてない冒険機運が漲り、時の指導者たちは壮大な計画を発表した。
 銀河系の中心核に、千年紀の節目に到達する。距離は二万八千光年!
 西暦二九九二年、原始的な長距離時空跳躍船九号と一〇号が特命を受け、銀河中心核ブラックホール目指して出発した。途中で多くの困難を経験し、一〇号が事故で爆散したが、九号はなんとか銀河の中心にたどりついた。時に西暦三〇〇一年一月一日のことである。そこは大変な昼の宇宙だった――という、船長の名言が残された。
 そしてこの日、人類ははじめて他の知的生物とも出会った。
 同時に二種類だった。
 ひとつは人類と同じ炭素系生物。外見も人に近い、白いウグレラルナ人。
 もうひとつは珪素系生物、球から二本の角と四肢を生やすミケン人。
 両者ともが、わずか二〇年前以内にはじめて銀河系中心に到達し、中心核ブラックホール降着円盤の外縁に前線基地を置いていたのだ。しかも人類を含む三種族ともが、自らの活動圏を宇宙に広げる起爆剤的パフォーマンスとして、同じ星域を目指したという。
 とどのつまり、銀河系に生まれた知的生物にとって、銀河系中心核は共通の聖地だったのである。
 マスター、関連情報開示可能。以下の中から……
 ――なんでウグレラルナ人もミケン人もモザイクかかってたの?
 それは階級が足りないからです。
 ――ふうん、軍でそうなら、もしかして一般の人はあまり知らないのかな?
 返答不可項目。マスター、関連情報開示可能。以下の中から……
 ――じゃあ、宇宙暦時代を。
 宇宙に新時代が到来した。人類、ウグレラルナ人、ミケン人は、普通ではありえないほど互いに科学技術、軍事力、人口においてほぼ同レベルだった。三種族は、宇宙の偶然が織りなす不思議に共感し、永遠の共存を誓い合った。
 三種族は来る銀河開拓時代に先駆けて、銀河を三分割することにした。すなわち、人類とウグレラルナ人は銀河中心を挟んだほぼ等距離に互いの母星が存在するので、銀河円盤を二つに割った。銀河中心に母星があるミケン人はそのまま銀河中心部を獲得した。
 三種族はまた、各々が銀河中心核にたどりついた日に遡って元年とする新暦を設定した。人類は宇宙暦、ウグレラルナ人は契約暦、ミケン人は銀河中央暦である。
 そして――人類に産業革命以来の爆発的な意欲と冒険に満ちた時代が到来した。
 人口だけ見ても、宇宙暦二世紀末には一五〇〇億、三世紀末には三八〇〇億、四世紀末には一兆人の大台に達した。
 禁忌とされ、行われても一代限りだった人の遺伝子改良も公認された。世代交代で改良形質は遺伝拡散していった。とくに長命化が顕著で、四世紀に人類連合が発足した時には、すでに連合内の平均寿命が一七〇歳に達していた。高IQや高身体能力の形質は、権力者や富裕層の都合で広まらなかった。
 五世紀に入ると元々のオリジナルな人類――原種が激減していた。そこで人類の盟主を謳う人類連合は原種人類を隔離して血と文化を守ることにした。また人類社会の統一を正義と定義し、急速に軍国化していった。
 また、このころになると当初の運命的な他種族への共感は失われ、交流もほとんどなくなっていた。銀河中心のミケン社会がいまだに続く戦乱の時代に突入するとともに、他の二種族への鎖国を展開した。その緊張が伝染し、人類とウグレラルナ人の間も険悪化していった。しかし暴発寸前の爆弾を抱えてなお、平和は数世紀続いた。歴代の連合大議会が、すべての社会指向を人類圏の統一と拡大に集中させたからだ。
しかし九世紀末、ついに人類社会の統一と新天地の消滅が同時に到来した。大議会は新たな指針を迫られた。
 そして、全銀河大戦が勃発した。
戦いは最初から泥沼化した。この一世紀、人類社会は人口一五兆、領有恒星系四一〇億うち恒星六八〇億、領有星雲等天体二〇〇億、有人恒星系および天体四二万という規模に変動がほとんどない。
 その状況を打開すべく連合軍上層は……
 …………
 ――なんで途中で映画が止まったの?
 マスター、時間切れ。次回の使用を待つ。
 ――全銀河大戦って何なの? 敵は? ねぇー! あ、幕降りたよ。何だかなー。後で階級章で調べるか……
 ――――
 目が覚めると、すでにサリィが起きていた。
「おはよう、ミサ」
「……おはよう。もう三時間半も経ったの?」
「はーい、その通り。でも早く感じるかわりに、完全に記憶しているはずだよ」
「たしかに、完全に覚えてる。とくにウグレラルナとかミケンとか……同じ銀河系内の仲間だなんて、全然実感湧かないけど」
「しょうがないよ。ミサにとっては、私たちですら未知の対象だったんでしょ」
「そうなの……ちなみにサリィは何歳?」
「ミサのちょうど倍。でも私を原種に当てはめたら、たぶんミサと同じくらいかな」
 ミサが見るに、たしかにサリィ・クトゥプは……たぶん、童顔だった。ミサにとって黒色人種の生サンプルは、まだクトゥプ准尉しかいない。
「不思議なものだわ。こんなに年が離れているのに同じ若さだなんて」
「はーい、私も同感であります!」
「――ところで、サリィ。なんで他の知的生物、私は見れなかったの?」
「私は准尉だけど見れるよ。参謀科だから」
「ああ、これは差別なのね、差別されているの。私は被害者、悲しいわ~」
「下手な演技ね、でも差別じゃないよ。他の知的生物はグロテスクだから、見るとショックを受けるんだってさ。だから一般人や、軍や役人で階級の低い人は見れないの。まあ、私なんかはエリートの参謀科だし~。でもミケン人はかわいいよ」
「なんかイヤミねえ。あ、ねえねえ」
「なあに、ミサ」
「私、さっきサリィに何かしたかな?」
「ううん、なんにも」
「あれ、変だな……思い出せない」
「おかしなミサ。さあ、そろそろ行こうよ。次の時空跳躍がはじまるから」
「う……うん」
 釈然としない罪の意識のようなものを感じていたんだけど、はて、私はサリィに何をしたのだったかな? でもなぜか「エリート」という言葉で、罪の意識がどこかへ飛んで行ったような……
     *        *
 スクリーン全体を覆っていた極彩色の万華鏡が消え、また見知らぬ宇宙が現れた。
「時空跳躍終了」
 ムロト大尉の声に、ミサはほっとしながらベルトを外した。
「やっぱり無重力は緊張するよ……」
 時空跳躍は瞬間的に移動する技術だが、船の中ではまるで二〇秒ほど異空間を飛んでいるように錯覚する。実際は一〇秒かけて跳躍子が船を包み、瞬間的に向こうについて後の一〇秒で跳躍子に反跳躍子をぶつけて消滅ないし拡散を待つのだ。その間、エネルギーの大半を跳躍子の制御に使うため、重力制御を行う余裕がなくなるという。
「ああ、疲れた」
 ミサは、背伸びをした。目を閉じる。
 ――たしか、もう目的地のはず。いったいこれから何が起きるのだろう。
 そして目を開け……
 なになに!
 スクリーンに、金色の大星雲が浮かんでいた。霧のようにゆらゆらと揺らめき、静かな宇宙で幻想的にうごめいている。闇に浮かぶ雲は、命を持っているかのように見えた。
 その金色の星雲は戦艦の行く手を遮るように広がり、今や全天の三割を覆っている。その面積が、刻々と広がってゆく。
 戦艦マニエール・リエは、間違いなく星雲を目指していた。
 エネルギー補給でもする気かしら……
 でもおかしいわね、なんか違和感が――そうだ。この星雲、光源が分からないんだ。それに小さすぎるよ。本当の星雲ならあまりにも大きくて、ちっぽけな人の時間感覚なんかで今まさに近づいているぞ、という実感が湧くわけないもん。
 あれ、金色の粒が一つ近づいて――うわああああああ!
 スクリーンの右舷一面が、金色になった。そしてまた、元に戻った。
 あまりにも一瞬のことで、ミサはそれが何か分からなかった。
「……何なの?」
 と、つぶやく。
 となりのサリィがミサの方を向いた。
「どうしたの、ミサ」
「今の……」
「え……軍艦がどうしたの」
「……軍艦?」
 そう答えた瞬間、今度は足元をまた巨大な金の塊――いや、棒が。
 艦橋内は一瞬金色になる。
「サリィ……まさかこの金色、ぜんぶ船?」
 その台詞に、サリィ・クトゥプは少し驚いた顔で、
「もしかしてミサ……学習は?」
「……したけど」
「連合軍については?」
 ミサは、頭を掻いた。
「……えっと。するの忘れちゃってた」
 サリィの頭が一瞬前に垂れた。
「あああ、呆れてる!」
「そうなの。天地が逆転するほど!」
「ごめんごめん……で、この雲だけど」
「艦隊」
「艦隊ね、艦隊だけど……何千隻いるの?」
「……きっと驚くわ」
「驚かないよ」
「およそ三五〇万」
「…………」
「三五〇万隻」
「……はい?」
「三五〇万隻いるのよ」
「じゃあ、この戦艦の外にある『二二二』って、この艦の制作番号じゃなくて……」
「第二軍団第二師団第二連隊の艦って意味よ」
「とうぜん軍団師団連隊で小さくなるのよね……もしかして、これ軍団か師団?」
「ううん、連隊」
「こんなに多いのにまだ連隊!」
「はーい!」
「じゃあ、私の配置である訓練小隊って……」
「はーい、たぶん一万隻くらいかな」
「いちまん! ……それって誰がどうやって指揮するの」
「操艦士のミサと参謀の私」
「……他には?」
「誰もいないよ。一隻が有人艦で、のこりの無人艦がわいわい付いてくるの」
「……この戦艦みたいに他の人とかは?」
「この艦は別の有人艦も監督する大隊の指揮戦艦だから特別よ」
「たったの二人で一万隻動かすの?」
「まさかミサ、艦隊の動かし方まで知らないとか……」
「わかってよサリィ。私、宇宙の教育を受けてないんだから」
「だいじょうぶ。九九・九九九……に、あと九が一〇〇個は並ぶ割合で、操縦のプロセスは機械がやってくれるわ。ミサはただ、動け~とか、並べ~とか、砲火ー! って叫んでりゃいいのよ」
「そんな単純なものにどうしたら『特性』とやらが関係するの?」
「思考影響が強いって言ったでしょ? あなたの脳波が特別だってことよ」
「もしかして根性? 私ないよ」
「バランスらしいよ。まあ、滅多なことではなれないのが操艦士なの」
     *        *
 戦艦マニエール・リエは、ひときわ巨大な戦艦がいる雲海の中心部で止まった。
 金色の巨大戦艦に近づくとき、マニエール・リエが減速したので、ミサはようやく人類連合の軍艦というものをゆっくりと観察する機会を得た。
 どの軍艦も、まん中が小さく膨らんだ四角い棒の形をしている。前半分から膨らんだところまで、艦の上下にある魚の背ビレや胸ビレのような構造が目立つ。そして例の「二二二」の番号が、前部と膨らんだ部分の横面にある。ほとんどの艦は止まっているが、中には忙しく動くものもいる。それらはみな、例のヒレ構造が青く輝き、彗星みたいな淡い燐光を艦の後方に伸ばしていた。そして後部を甲虫の羽根のように広げ、そこから青白いジェットの筋を出していた。
「一番いるのが巡航艦、大きめが戦艦、細長いのが砲艦、長ーい羽根持ちが盾艦……」
 となりでサリィが説明してくれる。
「そしてこれが二二二連隊旗艦、巨艦ドラグーン……全長一〇八キロ、質量一二兆トン。ちなみに平均的な巡航艦は……全長六・五キロ、質量四五億トン……だよ」
 階級章をさすりながらだ。カンニングしているな。
 ドラグーン。端がかすむほど大きな軍艦だ。ヒレ構造が二列もある。戦艦マニエール・リエは巨艦ドラグーンに急接近し、やがて膨らんだところで接舷した。銀のチューブが伸びる。艦橋はこの膨らんだ中央部の安全な最奥に隠れているのだろう。この戦艦も同じなのだろうか。ふと、操艦席を見る。カレル少佐もムロト大尉も一言もない。きっと「チャットリンク」で会話しているのだろう。ミサはどうも慣れないので切っている。
「あれ?」
 ミサは巨艦ドラグーンの辺りを飛び回っている小さな円盤群に気づいた。
 白や銀、赤。色に統一がない。大きさもまちまちだ。中にはこちらに飛んでくるものもいる。とはいえ、一定の距離で近づくのを止める。
 いったい何だろう。
「残留組を残しドラグーンに乗艦する。カガミガワ・カレル准尉も来るように」
 突然のカレル少佐の声で、ミサの思考は途切れた。
     *        *
 そのホールに入ったとき、ミサは一〇〇〇人を超える大量の人混みに驚いた。たくさんの人種が、実にいろいろな、ミサの知らない様式の服を着ている。多くは地味で清潔な格好をしているので、礼服のような類だろう。中にはミサにも理解できる背広姿もいる。だが一部には、ミサの感覚では全く理解できない全身タイツや超ふりふり、バカンスと勘違いしたかのような軽装に、中には水着にしか見えない女性もいるが、しかしそれら派手組を地味組が厭がる向きはまったくない。おそらくみんな宇宙では「まとも」のうちなのだろう。
 それら雑多な人々はミサらと距離を置いて、常に何かをしている。空中にウインドウを出していたり、口元に丸いものを浮かべてそれにしゃべったり、頭の上で小さな円盤を飛ばして……これはわかった、カメラだ。
 そう、彼らはマスコミだった。しかしラクシュミーのマスコミとちがい、一〇〇倍は態度がいい。でもなぜ彼らはここにいるのだろう――そこまで考えて、ようやくミサは自分の不思議な立場を思い出した。
「カガミガワ・カレルさんですね」
 突然ミサは話しかけられた。
 映画俳優をしていそうな、顔の整ったラテン系のハンサム青年がミサの目の前にいた。ミサにも理解できる古代背広姿だ。ハンカチを左胸のポケットにさりげなく入れているあたり、かなりラクシュミーの退化(!)文化を勉強して来たようだ。
「わたくし、代表インタビュアーのアンドリューと言います」
 ミサは青年の隠れた努力を想像して機嫌をよくし、白ワンピースの裾を軽く掴んで左右に広げ、パーティーでよくやるお嬢さまの会釈をした。すなわち首を軽くななめに倒し、足を軽く曲げて数秒だけ身を低くした。
「わ、私が、カガミガワ・ミサです」
 すると、マスコミ陣からどよめきが起こる。にわかに一〇〇機前後の浮遊カメラが飛んできてミサを囲んだ。しかしフラッシュはない。宇宙では絶滅したみたいだ。
「ミサ――ニホノ系ですね。私はかわいらしい名前だと思います」
「あ、ありがとぅ……」
 ミサの頬が赤くなる。インタビュアーから目を逸らせる。
 と、視線を逸らした先に、ミサは奇妙な軍人を見つけた。
 マスコミの群から離れた一カ所に、士官たちが立っている。その中心にいる、一番偉そうな男――彼だ。彼が奇妙だった。顔は笑っているが、目がミサを値踏みしているようにしか見えない。どこかが普通と違う、そんな感じの男だった。
 見かけは原種で三〇歳くらい……おそらく一〇〇歳を軽く超えているだろう。人種はよくわからないが、髪がやや赤みがかっているので白人の血が強いようだ。
 その彼が、笑いながらミサを睨んでいる。ミサは混乱した。なぜ? まるで何かよからぬ事を企んでいるような、卑しい目つきに思えてならない。
「それにしても、まだ一四歳というのにすごいものです」
 インタビュアーが質問をしたことで、ミサはすぐに頭の軌道を修正できた。
「ええと……私は今日で一五歳です」
「ああ、それは故郷での年齢ですね。連合絶対標準時では、今日まで一四歳です。一日分ですが得をしましたねえ」
「はあ……まだ一四歳でしたか」
「ところで、その若さで、操艦士としていったい何百万隻を動かせるのでしょうか」
「え?」
 ミサは、質問の意味が分からない。自分の操艦数なんか分からないし、それ以前に訓練を一度も受けていない。動かし方もだ。
「あ……ええと」
 焦って、思わず頭を掻く。その仕草にまで、マスコミたちはいちいちざわめく。
「すいません――准尉は慣れておりませんので、かわりに私が答えましょう」
 助け船だ。しかもこの声は――
「あああ、ビジョンの前のみなさん、御覧になっていますでしょうか。彼が天才少女の父親、エミール・カレル少佐であります。まだ六六歳の若さにして、すでに少佐。将来が有望な操艦科のエースです」
 ミサはカレル少佐を見上げた。へえ……すごい人なんだ。
 カレルはミサと同じように頭を掻いて、
「そこまで持ち上げなくてもかまいませんよ」
「あ、頭の掻き方がまったく同じであります。さすがは実の親子です。外見があまり似ていないのをみなさんは不思議に思われるでしょう。原種と私たちの子供は、どうしても外見や潜在寿命で原種の濃い血が出やすいということです。しかし安心して下さい。能力や性格に関して選択保護された原種の血が濃くなったということはあり得ないので、そこはちゃんと似てくるのであります」
 ふうん……ミサは初耳だ。でもどこが似てるんだろ。
「それでカレル少佐、娘さんの操艦限界数は、どれほどのものなのでしょうか」
「はい……」
 カレル少佐は少しもったいぶった。
「……二五〇万隻です」
 マスコミから、おおっと声が湧く。ミサはその数がすごいのかどうか分からない。
「聞きましたでしょうか! みなさん、この若干一四歳の天才少女は、まだ初陣前なのに、すでに二五〇万隻もの艦艇を操るのです。これは将来が楽しみであります。原種と私たち、すなわち伝統と革新の橋渡しによる、一〇〇〇万隻級操艦士候補が、また宇宙に誕生しました! 人類に勝利を!」
 そのアジテーションに、マスコミ陣たちが声をあげた。
「人類に勝利を! 倒せウグレラルナ! 倒せミケン!」
 軍人たち――カレル少佐をはじめとする戦艦マニエール・リエのクルーに、巨艦ドラグーンの士官たちも、より大声で叫ぶ。
「人類に勝利を! 倒せウグレラルナ! 倒せミケン!」
 繰り返している。
 ミサはそれを、何とも例えようのない顔で見物するしかなかった。
     *        *
 それからミサは急に忙しくなった。
 まずは二二二連隊長のジャック・スチュワート・ロス操艦科大佐に挨拶をした。ロス大佐は、なんと先の奇妙な男だった。ミサはロス大佐が、カレル少佐にも妙な――根拠のない優越に浸っているような、あるいは嫉妬のような――視線を送っているように思えて気になった。だがそれ以上にロス大佐が口を大きく横に広げて笑うのと、口癖の「くくく」が可笑しく、忘れてしまった。
 次いでミサは、戦艦マニエール・リエに戻ってようやく操艦数判定を受けた。訓練室で判定用ヘルメットを脱いだミサに、クトゥプ准尉が数を告げた。
「二六万隻。まあ実際は、こんなものでしょ」
「ええっ、被っただけで何も考えてないのにわかるの?」
「うん。私も理由は知らないけど」
「ところで二六万隻って、すごいの?」
「素質としては普通だよ。そのうち一〇〇万隻前後は操れるようになるわよ」
「ならあの二五〇万隻って……」
「ああ、あれね。連合市民の士気を鼓舞するためのうそに決まってるじゃない」
「……ばれないの?」
「はーい、大丈夫だよん軍事機密だから。それにばれたって困るのはミサだし」
「ひどいわ、ひどいわサリィちゃん。わたくし信じていましたのに!」
「やだ……それ、もしかして父親の真似?」
「……なんで?」
「だって……芝居がかってるよ、ミサ」
「言わないで、私も今気づいたの、昔から下手な演技が癖だって。母さんのせいだー!」
「昔からってことは、再会する前からの癖ってことだよね。やはり親子じゃん、さっさと認めて父さんって言いなよ。愛に生きるいい父ちゃんじゃん」
「でもやだもん! 母さんを泣かしたし、私も心で、砂漠で魚が釣れるほど泣いたわ」
「ま、好きになさい――あ、待って、チャットリンク――呼んでるよ父ちゃんが」
 艦橋に戻ると、大隊ごと訓練航海に出ることを通告された。
「これは実際の定期哨戒任務を兼ねたものだ。カガミガワ・カレル准尉ははじめて、クトゥプ准尉は四回目となる。階級は一緒だが、経験の差で暫定的にクトゥプ准尉を小隊長とする。なお、哨戒任務には我が大隊の全艦艇を投入するものとする」
 カレル少佐から辞令を受け、ミサとサリィは一隻の最新鋭戦艦を貰った。
 有人専用フルーツ級第三番艦・戦艦ストロベリーの艦橋はマニエール・リエより丸みを帯び、おしゃれだった。そしてオペレーター(ミサが階級章で調べると運営科。連合軍で一番数が多い)たちがいないので、艦橋前部に端末類がなくすっきりとしていた。
 ミサは艦橋後部の操艦士席に座る。目の前にはなにもない。隣にある端末にサリィが座る。すぐに端末と思考接続し、軽く念じただけで大量の情報を処理しはじめた。投影された一部の情報が端末の上で踊る。
 だが一〇秒とたたずに、サリィが作業を一休みさせた。
「ミサ、チャットリンク使う?」
「トラウマになりそ。やめとくわ小隊長さん」
 そしていよいよ出航というとき、旗艦マニエール・リエから連絡が入った。
 ムロト大尉の「巨大な」胸像がストロベリー艦橋の前部に出現する。
 するとサリィが「げ」と小さく言って端末を操作した。ムロト大尉の巨大映像が消え、ミサの目前にかわいらしく再出現した。
『なんだ、なにかあったのか? カガミガワ・カレル准尉』
「い、いいえ」
『そうか。ところで貴様の申請していた件だが、残念ながら却下された』
「えっ、どうしてオーダーメイドになるとはいえ、軍服を求めるのがいけなのですか」
『それはだな……』
「私が規定身長に六センチ足りないからですか。でも私を無理矢理軍に入れたのはあなたがた宇宙の人たちなんですよ」
『だからわがままの一つくらい許せという論法か。自分はあまり好まない言い方だな』
「――すみませんでした」
『心の籠もらん謝罪などいらん。とにかくもっと軍に忠誠心を持て』
 ミサは開いた口が塞がらない。望まぬ仕官である以上、忠誠などできない相談だ。とはいえ拒絶せず、軍に馴染もうとしている器用な自分も、ミサは嫌いだと思った。
『ところで却下の理由だが、インタビューだ』
「……インタビュー?」
『そうだ。それで貴様の変わった服が受けに受けてな……いったい何人が、貴様を見ていたと思う? 三人に一人、五兆人だよ五兆人。貴様はもう時の人なのだ』
「……時の人、ですか」
『というわけで貴様は軍の宣伝のため、日夜を問わず今の服か近い姿で軍務に付くこと。これはさる将補閣下直々のご命令だ。ところでその種類の服に替えはあるのか?』
「ワンピース類は一五着ほど……」
『よかった。もしそれを作るとなると、大隊八八万隻がしばらく止まるところだったぞ――変な顔するな。しょうがないだろ、誰も貴様のサイズを知らないんだから』
     *        *
 ミサは宇宙に浮いている。自分の肌が、宇宙の冷たさを心地よいものとして受け取ってる。試しに飛んでみる。まるで風を切ったように進める。宙返り。自由自在だ。自分の手を見る。すごい、金色に透き通っている。私は金色の妖精だ。宇宙を飛び、永遠に生きる星の旅人だ――さあ、行こう。ラクシュミーに立ち寄って、アン・リンと母さんを連れて、三人で終わりのない果てしない時空の旅へ……好きな宇宙を飛ぶのだ。
「ミサ、同調が強すぎるよ! 抑えて」
 サリィの声で、ミサの体がびくりと揺れた。ミサは目を開ける。ミサは今、長髪を後ろで一房に束ねて背中に流し、赤系の少し派手な半袖ワンピースに着替えている。裾が先の白より短く、膝小僧が見えるほどなので、より活発そうな感じに変身した。
 当然胸には、階級章がにぶく光っている。
「……せっかく気持ちよかったのに」
「だめだって。見てよ、艦列が人の形になっちゃった」
 サリィが念じると、ミサの目の前にごく淡い金色のミサが映像として現れた。
「……一万隻で、結構な形に見えるのね」
「とにかく元に戻してよ」
「わかりました。小隊長さん」
 映像のミサは急速に形を崩した。全天モニター外の戦艦たちも動く。
「あああ、艦隊を操作するのがこんなに楽しいなんて――すてき」
「幸せねミサ。私もやってみたいけど、特性がないからせいぜい一〇〇隻が関の山ね」
 艦隊は、やがて美しい三角錐になった。
「たしかこれでいいのよねサリィ。はじめてなのに、本当に思いのままだよ」
「システムがいいのよ。最新鋭艦だから」
「どうしてぴよぴよヒヨコの新人にいきなり新型をくれたの?」
「ベテランは、使い慣れた艦のほうがトラブルが少なくていいからよ。新型はたいてい、どこかでぼろを出すから。まあ技術屋が後で直してくれるわよ」
「……私って、毒味役?」
「はーい、その通り! でも今の凄い集中度、睡眠に近い状態だったよ。ミサ、模擬訓練も受けてないのに。何かやってた?」
「こちらにあるか知らないけど、私ね、夢見バンドという、夢を操れる機械を――」
「はーい、夢想機ね! ミサすごいレベルだよ。まるでウグレラルナ人みたい」
「ウグレラ? がどうしたの」
「ウグレラルナ軍人って、キザなの。戦闘の直前に余裕があれば、今のミサみたいに艦隊で何か形をつくるわけ。まあ、挑発ね」
「キザ……挑発……何者なの?」
「敵よ」
「敵ねえ……私、いまいちピンと来ないんだよなあ。見たことないし」
「それは前線に出て間もない私も同じよ。初陣まだだし。でも敵は敵なの」
「ねえサリィ、昔は仲がよかったのに、なんで今は戦争してるの? 全銀河大戦だっけ。一〇〇年近く続けてるって……ばか?」
「……ミサ、とんでもないこと平気で言うね。でも偉い人の前で言ったらだめだよ」
「へえへえ。とくにムロト大尉の前とかで」
「やだあ、まさにその通りじゃない!」
 そのとき、時空跳躍通話感知の音がした。
『こちら戦艦マニエール・リエ。ムロトだ』
 ムロト大尉の胸像――今度は最初から小さい――が、現れた。
『どうした、二人とも固まって――カレル少佐の命令だ。これから送るデーターに従い、二日間の哨戒巡航を行え。訓練用にどうでもいい宙域ばかりをルートに選んだから、敵と出会うことはまずないが、気を緩めるな。では二日後に集結予定宙域で会おう』
 そして消えた。サリィの端末にデーターがどっと並びはじめる。慌てて処理しながら、サリィが溜めていた息を吐いた。
「ふう……噂の光子砲は一万光年を貫くってね。危ない危ない」
「三〇〇光年も離れているのよね、カレル少佐の大隊本隊から――私たちは孤独な宇宙の彷徨い人……サリィ様、私たちの駆け落ちはついに成功しましたのね!」
「そうなのよミサ、愛の蜜月逃避行は続くの。でももう楽しい時間はおしまいだわ」
「どうしてなの、愛するサリィ様」
「忘れないでミサ、参謀科の私は、これから少し忙しくなるのよ」
「忙しくなるって……どうして?」
「はーい。哨戒のプロセスって、操艦士の出番がほとんどないのよ」
「哨戒って、見回りよね。どうやるの? こんなだだっ広い宇宙で」
「数で勝負よ。まず巡航艦を一隻ずつばらまくの。さらに巡航艦一隻には偵察機一〇〇万機が搭載されていて、それを一機ずつばらまーく。そして一機が一定の範囲を、跳躍子で走査しておしまい」
「……それでどのくらいの範囲をカバーできるの?」
「あ、ミサ、悪いけど操艦接続切って……ありがとう……えーとね、この訓練小隊には巡航艦が八〇〇〇隻いるから、まあ……半径二五〇光年、てとこかしら」
「直径で五〇〇光年……すごいサリィ!」
「私はまだ訓練生よ、たいしたことないわ。ムロト大尉なんか、悔しいけど五〇万隻を一度に操って、半径一〇〇〇光年は軽くこなすよ――で、偵察している範囲に怪しい船があれば、即座にこちらに連絡が入るの」
 言いながらも作業を進め、サリィはすさまじい勢いで情報を処理し終えた。
「はーい! 会心のプログラムちゃん、行ってらっしゃいませ~!」
 すると、にわかに全天スクリーンが輝いた。ミサは目を細める。一〇秒ほどするとまた元の宇宙に戻った。宇宙は――さきほどまで淡い金のベールに包まれていたのが、一挙にうすくなった。鮮明な黒い宇宙が戻った箇所が多い。
「巡航艦は、みんな無事着いたようね。後は八分ほどかけて跳躍子を溜めて、偵察機をばらまくだけね。それを確認したら、後は三時間置きに一〇〇光年ずつ移動すればいいよ。散らばった巡航艦と偵察機群も同じタイミングで勝手に時空跳躍していくから」
「ふうん……」
 ミサは艦隊の投影映像を見た。数値データは「二〇〇〇」と表示してある。
「残ったのはでかいだけの戦艦ばかり……操艦接続要求――よし。ほら、警護なさい」
 ミサは操艦接続を再開して、戦艦たちを操った。ミサとサリィの指揮戦艦ストロベリーは、たちまちいかついボディーガードに囲まれた。宇宙が黄色くなった。
「ねえサリィ。なんで操艦士がいるの? 私の思考影響はせいぜいで半径一〇〇〇万キロしか届かないのに。宇宙なんて、億、兆、京キロの世界じゃない。それに今のように全部無人でやれば、人が死ぬこともないわ」
「……そうはいかないよ。戦闘時のジャミングやハッキングアタックは、それはそれは凄まじいから。コンピュータプログラムなんてすぐに壊されちゃうから、ロムからソフトを随時供給して、生データーもほとんど綱渡りよ――重いソフトや連携ソフトなんか全然使えないんだから」
「ずいぶん見知ったような断定ね。サリィ、たしかまだ実戦ないって?」
「……使えないらしいから」
「とにかくそれに唯一対抗できるのが人様の脳味噌? 不思議だな」
「思考影響の大きな人の脳波は、ただの電波なのになぜか妨害できないんだって。届く範囲があるのも不思議よね」
「へえ、宇宙でも分からないことがあるんだ」
「科学の最先端は常にわからないことで一杯だそうよ。とにかくこれについて、一部の人は霊魂だ神だ~と論外言ってるけど。わからないと言えば、操艦士の特性についてもよ。遺伝子的にどこを強くしたらいいのか、いまだにおおまかなことしかわかってないの」
「……だから、試しに原種と混ぜたのね」
「それを最初にやったのはウグレラルナよ。私たちは真似をしただけ。じゃないと戦争に負けちゃうじゃん。無力化技術ばかり発達してどんどんバカになる兵器より、人である操艦士のほうが価値のある時代だから」
「またウグレラルナが出てきた……」
 ミサは、サリィから視線を逸らした。
「どんな人たちかな……ウグレラルナ人……私たちに近い外見の、キザな連中……」
     3
 何の変哲もない宇宙。本当は星が生まれ、輝き、死に、そして蠢く。動いている、活発な世界――しかしその動きはあまりにも壮大にゆっくりとしていて、短い生涯を生きる人には、星が動くとはにわかに思えない。
 その宇宙の、銀河円盤の領域である天の川が、大きな光とともに揺れた。
 星たちが、動き、揺さぶられたように見えた。急に重力あるものが現れたことで生まれた波動――重力震は、しだいに弱くなりながら、周囲の空間に溶けていった。
 同時に、重力震の原因となった大きな光が細くなり、急速に消えた。そして小さな騒動の跡地を、いつの間にか白光の彗星が我がもの顔でうろついていた。
 その白い彗星を、すぐに青い光が覆い始める。やがて白銀の彗星は、淡い青の煙に包まれた。その青い雲に分け入ると、彗星を形作る光の一粒一粒が見分けられる――それは船だった。白い船は、人類連合の船とは明らかに異なっていた。
 尖った三角錐形の頭。中央部は羽根状の板が数枚後方へ伸び、翼構造を成して頭を飾っている。そしてそれら翼板の間から、一本の蛇の尾のようなものが生えていた。その尾が青く輝いている。しかし尾を輝かせる粒子は、翼から吐き出されていた――同じ船が、たくさんある。数十万、いやそれ以上。
 その中心に、ひときわ巨大で目立つ船が一隻あった。尾が二本ある。
 船の艦橋は中央部の奥まった内部にあり、ドーム型をしていた。艦橋は船と同じく白色で、前半分に端末が並んでいる。そこで多くの人が働いていた。しかし彼らは、どこかで人間と異なっていた――彼らは白かった。
 肌は透き通った白磁のようで、髪と眉はほとんどが銀か白だった。また船と同じ白い服を着て、白いハーフマントを羽織っていた。彼らは白に包まれていたが、老人とはかけ離れた、胆力と精気に満ちた青年ばかりだった。そして彼らは縦に長い猫の瞳を持ち、また耳の先端がやや尖っていた。全員が背中、ハーフマントの下から、目立つ翼、ないし羽根状のものを生やしていた。それらはあまりにも形に差があるので、彼らの生体部品ではなく付け羽根だった。羽根は白か銀か金を基調にしていたが、しかしいずれも色の半分は白か透明だった。
 彼らは白の中に生きる、白い民だった。
 何もかも白――それが、人類に極めて近い外見を持つ異知的生物、ウグレラルナ人だった。
 しかし、白が好きなウグレラルナ人にあって、その者は異質だった。
 彼は艦橋後部にいた。彼は椅子に座り、まるで何も気にしていないかのように、堂々と落ち着いていた。しかしやはり彼は異質だった。なぜならば、彼はただ一人、髪と眉が黒かったのだ。漆のように黒く、宇宙のように深みがあった。背中まである黒い長髪を、彼は無造作に背中に垂らすようなことはせず、右肩側から体の前側に優しくもたれかけさせていた。その瞳もやや黄色がかっており、神秘的な肌に合っていた。
 そしてなにより、彼は若かった。この艦橋にいる誰よりも、明らかに彼は若く、溌剌としていた。少年期の幼ささえ、その卵形の顔には残っていた。彼はハンサム・ボーイだったが、男性的というよりは完全に中性的な魅力に満ちていた。
「インペラートル金風殿」
 黒髪の彼に、隣の参謀端末席に座る普通に白い髪をしたウグレラルナ人青年が話しかけた。黒髪のインペラートルは、眠そうな顔で、
「なんだ、グラキエース。せっかく戦によい曲を思いつくところだったのに」
 いずれも声に出している。ウグレラルナ軍は、思考チャットリンクをあまり用いないようだ。すくなくともこの二人は。
 澄んだ声に、グラキエースは慣れているのか感銘を受けた様子もなく、
「宇宙が、金風殿の黒い髪のように静かです」
「ああ……でもここは、本当は恐ろしい森なのだな」
「はい――でも、静かです」
「何が言いたい。はっきり言え」
「小官は、この静けさの裏には、何かがあるような気がします……」
「……またそれか。せっかく見つからずにここまで来れたのを、幸せだと思えないのか」
「ですが小官は、静けさの奥で企みをしている人類連合軍の影を感じます」
 インペラートルは、こりをほぐすように首を左右に倒した。
「俺は参謀であるおまえほど頭がよくないから、そんなことは分からんよ。来た敵を倒すだけさ――それで白羽官、本題は何だ?」
 銀髪のグラキエースは、小さく息をついた。
「……静かな宇宙に、一つのさざ波が起こりました。人類連合の公式生放送を、ミケンの強行偵察中隊が捉えたのです」
 黒髪の士官――インペラートルの眉が軽く動いた。
「どうせまた、はるかな過去の瞬間を送ってきたのだろう」
「七刻前です。はるかな過去という表現は当てはまらないと思いますが」
「情報の鮮度という意味では、十分に太古の化石だ。なぜミケンの連中はいつも生放送を中継送信して来ないのだ。どうせいつも通り、気が狂った監察官のように隅々までチェックしていたにちがいあるまい」
「ですが報告して来たからには、重要な情報かも知れません。御覧になりますか」
「見よう。グラキエース白羽官、映せ」
「わかりました」
 グラキエース白羽官が念じると、インペラートルの目前に、人類社会で五兆人が見たという、ミサへのインタビューの模様が現れた。立体化されている。
「なんという色の数だ。人類は嫌いだ、何もかもが濃すぎる」
 インペラートルは、興味なさそうに適当に見ていたが――
「グラキエース、拡大だ……この少女が、茶番の主人公か」
「金風殿と同じ黒い髪の少女ですね。どうやらその通りです」
「着ているあの白い服は好きだ。人類の服にしては、シンプルに洗練されている」
「お気に召しましたか?」
「当然だ。もし彼女がウグレラルナ人なら、ぜひ歌唱会に招待したいものだ」
「ですが金風殿ほどに上手だとはお……インペラートル金風殿!」
 グラキエースのにわかに大きくなった声に、シアムミーアは頷いた。
「ああ……軍服を着ていないから騙されたよ。まさか軍人だったとは……」
「どうやら彼女は、例の……『仕組まれた子』のようです」
 インペラートルの黒い眉に力が籠もった。
「俺と同じなのか――かわいそうな少女だ」
「彼女の境遇に同情なさるのですか」
「それもあるが、我々の作戦が成功すれば、宇宙に出ても出なくても不幸になるな」
「彼女が目標の星の子だと、やはりインペラートル金風殿も思いますか」
「この辺りで原種の星はあそこしかないだろう、当然の帰結だ。それにしてもミケンめ、せっかく楽しんでいたのに、全く外れのない頼もしい連中だ。面白くはないがな」
「同胞を、面白い面白くないで差別しても得はないと思いますが」
「いちいち突っ込むなグラキエース、はじめの話を聞き流したことは謝るから――だがな、ミケンは同胞ではない。我々を利用しようとする一部のミケンが、こちらに愛想のいい角を振っているだけだろうが」
「ですが少なくとも、今回だけは同胞です」
「明日は敵だがな」
「ところでミケン側のコメントがあります――『この女は、作戦対象である原種惑星出身の可能性大。作戦の主旨を完遂すべく、捕捉撃滅を提案す』――以上」
「そのていどの結論を出すのに、七刻も費やしたのか。ミケンのムダ角どもめが」
「言い過ぎです……あ、金風殿、ウィクトーリア白風殿から時空跳躍通話です」
「我が天敵が何の用だ。出たくないな」
「ですが階級は彼女のほうが一つ上ですよ。出ないわけには……」
「ああ、わかったよ。まったく、おまえこそ俺より階級が二つ下なのに、よく言う」
「誉めて下さってありがとうございます」
 しかしそれに応酬はせず、インペラートルは肩を回した。
「戦闘準備は整ったぞ、さあ早く出せ!」
『なにが戦闘準備だって?』
 人類に勝利を! の部分まで進んでいたインタビューがとぎれ、そこにウグレラルナ士官の胸像が現れた。明らかに女性とわかる丸みある顔立ちで、そこは人類と変わらない。ただ彼女の場合、インペラートルと同じく、普通のウグレラルナ人が持たない、燃えるようなウエーブがかった赤いセミロングの髪と、同じく赤い瞳を持つ美人だった。背中の付け羽根は白を中心とした翼状のものなので、赤さとの差異が目立つ。これまた、インペラートルと同じくやたらと若々しい外見を持っている。
「これはこれはウィクトーリア白風殿、小官にどのような用件でございますか」
 映像の女性はあきれたのか、意志の強そうな口元に少し力をこめた。
『いちいち慇懃な口調で、手まで優雅に敬礼するな。わかってるだろ、あのミケンが送ってきた録画のことだ』
「ああ……小官も見ました」
『私の参謀マルス金羽官は、ミケンの提案した作戦目標変更を支持した。それは私も同じくするところだ』
「あのマルスが変更案を支持? ――可憐な少女をいじめたい、と喜んでるのですか」
『可憐? いじめる? 気に入ったのか。そういえばあの小娘は金風殿と同じ黒髪だったな。死なせたくなくば、自分で捕まえることだ。それから歌唱会でも舞踏会でも好きに誘うがよい――とにかく私は、ミケンの案に乗ろうと思うが貴官はどう思う』
「私の意見を聞いてどうするんですか。白風殿だけでサイズモ銀翼帥閣下に上申すればよいではありませんか」
 すると投影のウィクトーリアは身を乗りだし、赤い髪を陽炎のように立たせた。
『受け入れられたら、私だけ功績を得ることになる。そんなのは嫌だ。貴官とは、あくまで戦場での勲功で優劣を決したいのだ』
「好敵手扱いされても困りますが……」
『それを決めるのは貴官ではない、私だ。とにかく賛成か反対か、決めろ』
「まったく困ったおかただ……聞けグラキエース、我々は巣ごと害鳥を駆除するために見知らぬ森を進んでいた」
「はい」
「だがすでに巣はもぬけの空。ヒナ鳥は遠くに羽ばたこうとしている――しかもその害鳥ときたら、なんという可愛らしさか。興奮した狩人たちは、危険な森の中でたった一羽の愛らしい小鳥を追い回そうとしている。グラキエースはどう思う?」
「……我々の目的は巣と鳥の両方のはずです。鳥を追撃しても、向こうが素早ければ、我々は森の中で鳥と巣の両方を見失います。かわりに巣をねらえば、もしかして巣が恋しい鳥が慌てて駆けつけるかもしれません。来なくても、巣だけでも木から落とせます」
「なるほど、さすがにグラキエース白羽官は堅実な答えを出す」
「いいえ、積極攻撃を良しとするミケンならともかく、ウグレラルナの参謀科なら、一〇人が一〇人、同じ答えを出すはずです」
「そうか……ウィクトーリア白風殿、僭越ながら、あまり参謀のマルス金羽官をいじめないほうがいいと思いますが」
『……ちっ、ばれたか。まあいい、今回は私は動かぬ。理由はさっき言った通りだ。だからインペラートル金風殿も、勝手に変なことをするなよ』
「心配には及びません、私はいつも戦場でのみ結果を出して来た男です。それはウィクトーリア白風殿も同じはず――お互い、仕組まれた子として、せいぜい励みましょう」
 ウィクトーリアの顔が、赤くなった。髪がまた立つ。
『貴官が自虐的に使うその単語は大嫌いだ』
 一方的に時空跳躍通話を切った。
 インペラートルは肩をすくめた。
「せっかくの美人が台無しじゃないか」
「インペラートル金風殿、ご機嫌ですね。白風殿に口で勝ったからですか」
「まあいいじゃないか。とにかく俺としては、連隊長のサイズモ銀翼帥が動かないならそれでいい――だいいち、同じ仕組まれた子どうしで殺し合うのは、嫌だ……」
「金風殿……」
「グラキエース、貴官の作った歌姫ラエティティアを呼んでくれ。歌唱会だ!」
 グラキエース白羽官は、右手の五本指をきれいに広げ、胸に当てた。ウグレラルナの敬礼である。
「はっ、私のラエティーをお呼びいたします」
     *        *
「は、はーい! ミサ、反応だよ!」
 戦艦スロトベリー艦橋に、サリィの興奮気味な叫びがこだました。
「……ど、どうしたの?」
「だ、だから……反応だよ……」
 サリィの声は、ややかすれている。緊張しているようだ。
「出たの?」
「わからない。でも……やだ、破壊された!」
「何が破壊されたの?」
「探査機の一機――今、近くので再走査――だめ、反跳躍子がばらまかれてる……直接行かせなくちゃ。だめ、プログ……ああん!」
 サリィの胸が激しく上下している。ようやくミサも、事態が尋常でないことを知った。
「……敵なの?」
「わからない――ああ、また破壊された――こっちも……えええ!」
 端末机に、次々と情報が投影される。
「もう二〇〇万機も……あ、とうとう巡航艦が……」
 サリィはパニック寸前だ。
「反撃できないの、サリィ……偵察機同士の戦闘よね、これ」
「うん……でも、プログラムに入れてない~」
「なんで!」
「私みたいな訓練生じゃ、そこまでカバーできないよ――もう、なんでどうでもいいはずの天底宇宙に敵が出るの! しかも偵察を初めて三〇分も経たずに……ムロト大尉のバカヤロー! あああ、ちょっと目眩が……」
 ミサは席から立ち上がり、落ち込むサリィの肩を撫でた。
「がんばってサリィ。私が頼れるのはあなたしかいないし、あなたがなにかしないと状況は悪くなる一方よ。とにかく……こんな時はどうすればいいの?」
「……ありがとう、すこし落ち着いた」
 サリィは、顔を青ざめながら、端末を確実に操作してゆく。
「妨害されていない宙域に、書き換えプログラムを送信……先手を取られたから、もう偵察機を回収して巡航艦を呼び戻すしかない……それから……指向性時空跳躍痕からこちらの位置は逆探されるから――来るよ」
「来るって……」
「ミサ、時空跳躍で逃げて!」
「……どうして?」
「コンピュータは、敵をミケンの中隊だと予測しているの……こちらは小隊でしかも定数にも足りない――数が違いすぎる!」
「逃げる……」
 ミサは、自分の席に戻った。だが、すこし体が震えて座れない。ミサは椅子にもたれかかった状態で、
 ――操艦接続要求。こちらミサ・マリー・カガミガワ・カレル操艦科准尉。戦艦ストロベリー、応答して……
『思考波が乱れている。航行に支障が出るため接続拒否。手動で行え』
 ――操艦接続要求。
『拒否』
 ――――
 ミサは途方に暮れた顔で、
「サリィ……手動でやれって」
「えええ! そんなのむりむり、まだプログラムが……ああああ」
 サリィの顔が強ばった。宇宙の――全天スクリーン左舷側の一点――を向いている。
 ミサはサリィと同じ部分を見た。そこはちょうど護衛戦艦がなく、宇宙が見渡せた――急に光る……
「やばい!」
 突然サリィは叫ぶと、端末机をつかみ、頭を寄せて投影情報を睨んだ。すると猛烈な勢いで情報が現れ消え、流れる――すさまじい勢いと効率で考えている。やはりサリィは凄いし偉い――とミサは思った。
 宇宙では、光が消えた。やがて――そこに緑の球体が現れた。ぼうっと鈍く光っている。
「任意拡大、あの異常な光!」
 ミサが叫ぶと同時に、サリィが疲れたように倒れた。
 慌てたミサはサリィを抱える。
「サリィ!」
「は~い、大丈夫……だてに一〇〇〇万倍の倍率を勝ち抜いちゃいないわよ」
 そのとき、近くにいた戦艦が一隻、ふいに時空跳躍した。
「あれはカレル少佐のところに向かった。巡航艦たちにも命令した。じき戻ってくる……しかもそれは向こうには探知されていないわ。もう大丈夫よ……」
 ミサは、サリィを参謀席に座らせた。汗をハンカチで拭ってやる。
「ごめんね。こんなときに何もできなくて」
「なあに……今度何かおいしいもの奢れ」
「うん……でも私、宇宙でおいしい店も料理も知らないよ」
「他の星行ったことないんだね。デートが楽しみだな~、いろいろうそ教えちゃう」
「そうよ、だから後は任せて……」
 そしてミサは、全天スクリーンに視線を移した。映っていた。拡大された緑の球塊は――艦隊だった。一隻一隻がぼうっと緑に光っている。艦も緑だ。すべての艦がこちらを向いているので、よくわからないが、とてつもなく長い砲門らしきものがたくさん、艦の外側に生えている。それらはもちろん、こちらを捉えていた。
 ――その映像が、突然消えた。そう、本当に唐突に。
「あれ?」
「……反跳躍子による時空跳躍妨害よ。あの映像は跳躍子で観測していたの。光など素粒子の速さは、一秒あたり最高でもたったの三〇万キロだもんね……」
「……私には何ができるの? 逃げるとか」
「こちらが時空跳躍で逃げれば、向こうの本隊は来たばかりだから追ってこれないわ。でも跳躍子を使ってない予備戦力を近くの宇宙に温存しているはず……指向性時空跳躍痕からこちらの位置を割り出し、追っ手を放ってくるよ」
「つまり私にできるのは、カレル少佐が来るまで持ちこたえること」
「はーい、その通り」
「分かったサリィ――ストロベリー、思考チャットリンク。操艦接続ではなく手動……というか、思考接続で準備をするよ。ただし私は慣れていないのでしゃべるから、私の思考より声の判断を優先して――おねがい」
 ミサの頭にコンピュータが返してきた。
『了解、チャットリンク接続完了――素粒子妨害がこちらに届くまでになら可能。ただしその後は操艦接続が必要』
「ありがとう……敵の情報を表示、お願い」
 ミサの目の前に、数値が現れる。
『ミケン軍二個中隊、推定質量八七五兆トン、数二五万隻、なお増加中。距離九〇〇〇万キロ、五光分。陣形は半球攻勢陣、直径一〇〇万キロ。相対速度秒速二・五万キロ、加速接近中。敵の確認戦術、時空跳躍妨害』
「ぜんぜんわからないけと、なんとなくピーンチ……こちらも時空跳躍妨害」
『了解。各種素粒子妨害戦はするか』
「なにそれ?」
『ジャミングとハッキングアタックだ』
「? まあいいわ、それもやって」
『射程相殺戦はするか?』
「……?」
『エネルギー吸収物質を散布して、有効射程を短縮する。現在の有効射程は推定二京七〇〇〇兆キロ』
「有効ならお願い」
『時空跳躍干渉はするか』
「……ごめん、それも知らない」
『敵の偵察に出ていた巡航艦が、次々と時空跳躍合流している。その出現位置を予定位置よりむりやり遠くにずらす技術だ。近くにいる敵の時空跳躍を封印することもできる』
「やって! 当然よ」
『了解』
「それから……とりあえず戦艦群をこの艦の前に並べて」
『了解……了、解……りょお…………』
「あれ、こいつバカになった? もしかしてこれが素粒子妨害……」
 全天モニターを見る。そこには緑の球が……光が届いたのだ。光は素粒子の一種だ。
「ミサ、もうプログラムはロム物以外ろくに動かないわ。こちらでモードをデーター表示だけにするから、再度操艦接続よ!」
「操艦……わかった、サリィ」
 ミサは自分の顔の汗を拭った。そして念じた。
 ――操艦接続要求。こちらミサ・マリー・カガミガワ・カレル操艦科准尉。戦艦ストロベリー、受け取って。お願い。
『ロムプログラム起動……操艦接続……拒否』
「だめ! まだ私できない……やはりできないよ、戦争なんて」
「……落ち着くのミサ――私を落ち着かせたように」
「落ち着く……」
「自分を見つめて! 迷わないために」
「……やってみる」
 ミサは、気持ちを落ち着けようと目を閉じた。
 どうして私は、ここにいるのだろう。
 ……宇宙に出たかった。
 そして宇宙に連れてこられた。これは奇遇。
 宇宙は、だけど夢の世界ではなく戦争の世界。エキサイティングだけど。
 今、火の粉が私の目の前にある。
 もし私が操艦士でないならば、何もできずに祈るだけ――誰か助けて~
 でも私には、力がある。
 ……そう、力が。いくらでも自分を守れる、すばらしい力が。
 私は望まずにここにいるけど、力がある。
 そして――今は、生き残らなくちゃ!
 今、この危機をちゃんと切り抜けないと、死んじゃう。
 疲れたら、戻って来て――って言ってくれた母さん! 私、生き延びるから!
 そして暖かい布団に寝て、リンと長電話するの。
 ジュースを飲みながら、先生の悪口でうさを晴らして。
あ、もう学生じゃないやい。まあいいや、関係ない。
 とにかく――
 私が生きる理由はいくらでもある!
 限界はない! 信じるんだ!
 ――――
 ミサはゆっくりと目を開き、緑の球体を睨んだ。
 それは刻々と大きくなっている。それでも五分前の姿だ。本当の位置は、どこだろう。
「生きる。これが……私の決めたこと!」
 そしてまた目をつむる。
 ――操艦接続要求。こちらミサ・マリー・カガミガワ・カレル操艦科准尉。戦艦ストロベリー!
『ロムプログラム起動……操艦接続……』
 お願い、受けて!
『……了解、完了』
「――やった!」
 ミサはうれしさのあまり、その場で飛び上がった。
 全天モニター外の戦艦たちの後部が一斉に開き、そこから白い光が漏れる。
 ミサと艦隊が、一体になった――
「はーい、ミサ……やるじゃん!」
 サリィの疲れた顔にも笑みが浮かぶ。
 ミサは、椅子に座るのも忘れ、艦橋の中央で殊勝にも仁王立ちになった。
 敵ミケン艦隊をびしりと指さす。
「……ようし。カガミガワ・ミサ、生き残るぜ!」

© 2005~ Asahiwa.jp