第五章 四日目、海上調査。

よろずなホビー
地震竜作戦/序章 第一章 第二章 第三章 第四章 第五章 第六章 第七章 第八章 終章

 新大阪海上港。六月一〇日に日付けが替わって三時間ほどたった、もう少しで朝という時刻に、一人の小柄な人影が、港の暗く涼しい防波堤を歩いていた。わずかな風が吹き、季節外れのコートを着てサングラスをした人影は、ある場所から方向を変え、海のほうに伸びるコンクリートの船着き場を歩き始めた。
「確か、この先に桃コンサルタントの船着き場があったはず……何?」
 小柄な人影は、暗がりの中でかろうじて視界に入る数隻の船に、幾人かが群がっているのを見つけた。暗闇に物の壊れる音だけが聞こえている。只事ではない。
「貴方たち、そこで何をしているの!」
 そう叫んでから人影は後悔したが、もう遅かった。たちまち、船に群がっていた連中に人影は囲まれてしまった。全員男のようだ。
「どうする、見られてしまったぜ」
 連中の一人が言った。顔は見えない。
「構うもんか、痛めつけて脅せば、口を閉ざすさ。やれ」
 連中のボスらしき者が乱暴に指示した。幾人かが人影に掴みかかり、そのうちの一人が人影の着ていたコートを力任せに引きちぎった。そのショックで、サングラスが落ちる。男が剥き出しの腕に触れたとたんに、その柔らかさに驚いて叫んだ。
「うわっ。こいつ、女だぜ」
「それならなおさら好都合だ。女には黙らせる最良の方法がある」
 ボスらしき男が卑下た声で興奮気味に言うと、女性は顔面を蒼白にした。
「や、止めてよ。イヤア!」
「いくら叫んでも無駄だぜ、これを見てしまった自分の運の悪さを呪うんだな、ヘヘヘ」
 男達が本気であるのを悟った女性は、必死になって抵抗したが、力の強い数人の男からは逃れられない。男達は、女性を建物の影に連れて行こうとしていた。
「誰か助けてエ!」
 そのときである。
 まばゆい明かりが突然、彼らを照らした。
「うわあ」
 予期せぬ光に目をやられて、男たちは混乱した。
「何てことをしてやがる!」
「彼女を離しやがれ!」
 桃色の作業服を着た四人の男が車から飛び出し、暴漢たちに有無を言わさずに襲いかかる。目には目を、歯には歯を、女性を襲うような不埒な強姦魔には暴力を、である。
 四人の中で一際背が高い内藤が、まず女性の右半身を押さえていた男を殴る。彼は視力が回復する間もなく、身に襲いかかった力を受けきれずにぶっ飛んだ。
 次に桃太郎が女性の左腕を掴んでいた男の下に潜り込み、低い身長の瞬発力を活かした、全身バネのアッパーを繰り出した。男は後ろに倒れ、頭を堅い地面にしこたまぶつけて、痛みにのたうちまわった。
 こうして乱戦が始まるかと思われたが、次々と車がやって来るのを見たボスが指示し、暴漢達は足早に逃げ去った。彼らを何人かの桃コンサルタントの社員が追いかけた。
「逃げる手際がいいから、おそらく巻かれやすぜ」
 手を組んで内藤が悔しそうに言った。
 二、三発殴られて顔にあざを作った桃太郎は、服の乱れた女性に近づいた。
 彼女は無惨に破れたコートを羽織っており、その間から薄手の体操着が見えた。体操着も一部が破れており、ブラジャーがちらりと見えている。それを見た桃太郎はとたんに赤くなり、急いで自分の上着を女性に着せた。
「大丈夫ですか、お嬢さん」
 どぎまぎしながら、桃太郎は何とか言った。
「ええ……ありがとう。これはM・K――金取護の仕業よ、気を付けてね」
 それだけ言うと、女性は走り出した。
「――え?」
 桃太郎がぼうっとしているうちに、女性の姿は見えなくなった。
「ああ、船が、船がやられているぞ!」
 船を見に行っていた者が叫んだ。全員が船着き場に急いで駆けつけていく。桃太郎は彼女の言葉と顔を心に刻んで、走り出した。
(金取護……副局長だったな、自然災害対策局の……あの女性は昨日の『怪しい』女と同一人物か――可憐だ)
 前日準備していた船は、半分が動力を見事に破壊されて、航行不能になっていた。
「恨みを買う覚えはないんだが……」
 怪訝な顔をしながら、東京から来た桃缶詰社長が言った。艦長服を着ている。
「あの連中を取っ捕まえたら、警察に突き出す前に挽肉にしてやりますぜ!」
 内藤が叫んだ。
「親父、こうなったらしょうがない。倉庫から予備の船を出そう」
「太郎、それでは時間がかかりすぎるぞ」
「しかし――」
「大丈夫ですよ、桃さん」
 そのとき、どこからか声がした。桃コンサルタントの社員たちがそちらを振り向くと、白い作業服を着た、一人の男が立っていた。
 ブルドックのような、しかし愛嬌のある犬顔で五〇がらみの男である。
「――犬山さんか、どう大丈夫なのですか」
 桃缶詰が、上手すぎるタイミングに警戒しながら言う。
「私の船を提供しましょう。一五隻あります」
 犬山コンサルタントの社長、犬山が丁寧に言った。
「確か、私の記憶では、貴社の同行は八隻、と聞きましたが?」
「それですよ。最近、この港では物騒なことに、出港まじかの船を壊す愉快犯が連続しているというので、余分に用意してあったのです。見てください、私の会社の船も、三隻やられました」
 見ると、一〇〇メートルほど離れた距離にある船着き場に、いつの間にか明かりが灯っており、そこに大小二〇隻ばかりの白い船が繋がれていた。そのうちの端の三隻が、言うとおり、目茶苦茶に破壊されていた。
「……うむ、確かにそうだな」
 証拠もあって、桃缶詰は何か気にかかりながらも、一応納得した。
 桃太郎は、記憶を探りながら考えた。
(大阪港で愉快犯? 聞いたことないな――怪しい。こいつらも、金取副局長とやらと関係があるのだろうか。もしそうなら、女性を襲い、我が社の船を壊すような輩は許せないぞ、犬山、金取……)
 その確たる証拠もなく、北条が嘘を言っている可能性もあったが、桃太郎は直感で、見たことのない金取を悪と、正確に判断した。
     *        *
「はい、高栗です……何なのよ、萌、こんな時間に。まだ三時すぎじゃない」
 岩国市のボロ研修施設。ここに明朝の出発を控えて、予防部二課防人部隊第一分隊が泊まっている。高栗美佐副分隊長は、寝ていたところに、振動モードに切り替えてあった携帯電話の呼び出しを受けた。廊下に出て、電話に出た。相手は、北条萌だった。
 ピーターラビットの絵柄の可愛い寝間着を着ている高栗美佐は、北条萌の友人である。
 高栗将人局長の一人娘である彼女は、局に就職するとすぐに、局長専属秘書の北条萌と知り合った。歳も近いだけあって、二人が友人になるのに時間はかからなかった。
 北条萌は、これまでの経緯を説明した。金取護の高栗将人への挑発、先手を打って怪文書を流したこと、緊急会議で金取が『原発』という言葉に反応したこと、仲間を作ろうと思って桃太郎に接近したこと、そして彼に再接触しようとしたら何者かが船を壊していたこと。さすがに、貞操の危機に遭遇したことは黙っていた。
 最後まで聞いて、高栗美佐は友人を叱った。
「どうして最初に言ってくれなかったのよ、萌。一人でそんな危険なことをするなんて……父のために突っ走る情熱は認めるけど、私、貴方のそんなところは嫌いよ。もし何かがあったら、どうするの!」
 北条萌は、自分がもう少しで犯されるところだったことを思い出して、戦慄した。
「ご、ごめんね、美佐……これからどうすればいいかな、私……」
 北条萌は、まさか自分に直接危険が及ぶとは思っていなかった。今までの行動が、単なる正義感からの、遊びのレベルだったことを思い知らされた。覚悟のない火遊びだった。
「萌、後は私に任せて――」
 金取護は自分の知らないところで、北条萌、桃太郎、高栗美佐の三人を敵に回した。
     *        *
 それから約八時間後の午前一一時、岩国港に、桃太郎率いる九隻の、桃色の船がやって来た。屋代島大見山南岸大崩壊の事後調査と、地震による二次崩壊の危険の事前調査に同行する、予防部二課防人部隊第一分隊の同行組を乗せるためである。
 桃太郎の父親の桃缶詰は、何隻か付けるという桃太郎の意見を退け、たった一隻で、後はすべて犬山コンサルタントの船で、伊予灘大地震予想震源海域まで向かった。途中で神戸に寄って、休んでいる原の代わりに予防部の指揮を取っている作戦部部長の村田と、予防部三課守衛部隊の同行組を乗せている。
 天野ら同行組を乗せた桃色の船団は、海面上昇の影響で作られた、海面高一五メートルの防波堤の間を通りぬけ、岩国港を出港した。
 白地に赤い二重円、その中に桃色で桃の字を模した桃コンサルタントの旗。それと、青地の海に緑一色の日本列島、それを守るように時計回りに伸びて互いを結ぶ二本の腕が外周を囲む、自然災害対策局の旗。二本の旗を掲げた一隻の、長さ約二五メートルほどの二〇〇トン級海洋調査高速艇に、桃太郎部長と部下の内藤、それに局からの同行組のうち、天野の第一小隊と、高栗美佐の第二小隊が乗っている。
 船首の少し広い空間で、宮沢憲司と桃太郎、天野の三人が話をしていた。
「……ということは、俺と君たちとは、自然の数奇な運命が巡り会わした同士だったんだよ」
 天野がそう言った。天野は、桃太郎に会うやいなや、上司の能戸課長から聞いた『フルネームが桃太郎』の話をした。そして、自分の名前が日本三景の一つ、『天橋立』と同音異字の、『天野橋立』であることを告白し、名前仲間であることを喜んだ。さらに新人の部下が桃太郎の親友であり、そのフルネームが著名な科学童話作家、宮沢『賢治』の同音異字、宮沢『憲司』であることを知らされ、感激に身を震わせた。
「それで、君たちはいつ知り合ったんだ?」
 天野が聞いた。二人は仕事が一緒に出来ることを喜ぶ暇も与えられなかったが、自分の同類ということと、その性格で、天野という個人を気に入っていた。
「実は、私が一〇歳のとき――二〇四一年に、彼が東京から、北海道の札幌に引っ越してきたんです。名前の関係ですぐに仲良くなり、クラスも高二まで一緒でした。私がこの世界に入ったのも、桃の影響を受けてです」
 宮沢憲司が説明した。
「ほう、一四年前か――その一年前の二〇四〇年に、君の地元は、滅多に来ないはずの台風に、しかも特大の奴に襲われたな。確か、桃コンサルタントが、その復興計画に大きく携わっていたな。高栗局長がよく言ってたよ」
 天野が感慨深げに言い、桃太郎が答えた。
「はい。当時局がまだ環境庁自然災害対策部だった頃の高栗班長と、当時会社の課長だった僕の父――桃缶詰は、家で一緒によく酒を飲んでいました。今回の仕事は、その頃の縁で実現したんでしょう」
 とたんに、天野は目を輝かす。
「桃缶詰! 何と、まだ仲間がいたのか……我々は、たった三人ではなかったのだぞ」
 天野は感激している。
 それを見て、桃太郎は思った。
(……その前が桃柿栗で、さらにその前が桃之花、そしてさらにその前が一代目の桃太郎だなんてとても言えない……)
 桃家は、代々変な名前のセンスを父系で受け継いでる。ここまで来たら、意地で名付けているようである。
 彼らがそのような話をしているのを遠くから見ていて、高栗美佐は何故か心が収まらなかった。
(――私は彼に嫉妬しているというの? 彼は男なのに)
 自分の慕う天野と話をしている宮沢憲司を見ながら、高栗美佐はそう思った。
     *        *
 一時間ほどで船団は目的地に到着した。山口県屋代島東端大見山の南側海域。それが、調査目的地の具体的な場所名である。
 桃太郎は船団を四隻ずつの二つに分けた。一方を七日の崩壊地域の海面上部および海面下の様子を具体的に調べる事後調査に、残りを伊予灘大地震発生時の二次崩壊の可能性を探る事前調査に、そして桃太郎の船は、両方の総指揮である。
「こんなケースは珍しいよ、憲司」
 海底の様子が手に取るように視覚的に見えるようになる音波探査機を作動させた数隻の船が、少しずつ海面を移動し始めた。具体的な調査がはじまったのだ。
 その様子を見ながら、桃太郎は宮沢憲司に言った。
「何ていったって、普通は調査網が災害を予測して事前調査を行ない、それに基づいて具体的な対策をこうじて、災害事故発生、もしくは起こらなかったか、食い止めたりした後で、事後調査を行なうというのが通例だというのに……両方を同時にするなんて、僕は初めてだ。しかも一回の海上調査に、調査船を九隻も使うなんて、規模がダテじゃない」
「俺は、いきなり例外だらけの調査に同行している訳だ。それにしても、桃、何もすることがないってのは退屈だよな」
「いや、そうでもないぞ」
 宮沢憲司がぼやいた後に重なった声は、若髭の加藤のものだった。
 加藤は二人のそばに来て、天野の方を首を振って示した。見ると、同行組の現場最高責任者の印である黄色い腕章をつけた天野が、各音波探査船に無線でいろいろと指示をしている内藤のそばで、メモを取っていた。
「ああやって、調査の具体的な内容を記録したり覚えたりするのが、同行の役目だ。調査をするのは委託した会社だが、調査結果を吟味し、決断を下すのはあくまで我々自然災害対策局だからな。調査時の具体的な事を知っておかないと、判断にどんな誤りが生まれるか分からない。だから、同行を馬鹿にするな。ちゃんと自分なりに観察してろよ」
 そう言うと、加藤知は神岡次子のほうに行った。そして、二人でいろいろと話し始めた。
「……仕事のときは、全然違う顔をするもんだな」
 宮沢憲司は、真剣な二人の顔を見てそう言った。加藤は、初めての仕事で何をしたらいいか分からない宮沢憲司を喚起したのだ。彼はその加藤の好意を受けとめ、自分なりに仕事を始めた。
 宮沢憲司は、ひたすら桃太郎の後を追った。
「どうしたんだ、憲司?」
 とうとう気味悪がって桃太郎がたずねた。
「これが、俺なりの仕事さ。一応加藤たちの上司だからな、違うことをしてみせるのさ。つまり、桃の仕事ぶりを観察する」
 宮沢憲司の説明に、桃太郎は唖然とした。
「憲司、お前、馬鹿?」
     *        *
「……ハアー」
 季は、宮沢憲司と同じく初仕事で、やはり何をしていいか分からず、とりあえず船の隅で、趣味の太極拳を舞っていた。
 彼の視線の先には、三日前の災害で崩壊した大見山南側の海岸線があった。むき出しの茶色い岩肌と土の塊――海上約五十メートルもの高さまでが、無惨で悲惨な状況に変わっていた。これは、海面下約三五〇メートルまで続く地滑り崩壊の爪痕の一部にすぎない。
「三日前、二百人以上の生活が、一瞬で土砂に飲み込まれた――無念の墓標よ、ここは」
 その隣に、高栗美佐が静かにやって来て、言った。ほとんど独白に近いものだった。
 幅五キロにも及ぶ大崩壊の生々しい海岸線に沿って、群青色の船がちらほらと見える。三日前の事故直後から、救助活動をしている予防部一課盾部隊の雄姿であった。
 全六分隊、七四〇名が、昼夜を問わずに八時間交代でずっと働いている。それに混じって、海上保安庁の巡視船や地元漁船、警察の船、それに自衛隊のヘリなどが探索に協力している。しかし今やこの救助活動は、まだ見つからぬ、残った四〇人あまりの行方不明者を探すだけの、沈痛な焦燥の儀式と化していた。最後に生者が救出されたのは、もう三〇時間も前のことである。
「自動常時異変観測網が完成したときは、人々は喝采したものよ。科学の勝利と……だけど、傷だらになった観測網は、この大惨事を防げなかったわ――」
「…………」
 季と高栗美佐は、茶色の海岸線と海を見ていた。純情な季は、顔を真赤にしていた。
     *        *
 ポンポンポンポン――音波の響きである。
 大小二〇〇隻にのぼる探索船の中を、時々音波探査に散った桃色の船が進む。海岸線に垂直に一定距離進み、そして海岸線に平行に少しだけ移動し、また垂直に進む。複数の位置確認衛星を使って正確な自分の位置を調べながら(GPS)、織物の縫目のように縦横無尽に、事故海域を調べていた。
 二時間後、音波探査の一応の結果が出た。
 桃コンサルタントの技術者たちが桃の司令船に乗り込み、音波探査船からの転送データーを検討した。
 甲板で季と昼飯のおにぎりを食べていた宮沢憲司は、話し合いが終了して船内から出てきた桃太郎を見つけると、近づいて聞いた。
「これからどうするんだい?」
 桃太郎はまるで先生のように言った。
「サンプル採集さ。現物がないと始まらないからね。とりあえず、音波探査でめぼしい場所は確認した。事後調査のものは崩壊して堆積した沖の部分を、事前調査のものは崩壊して剥き出しになった近海部分を採集する。この船も参加するぞ」
 そして一度は集まった数隻の船が、再び散らばった。桃太郎の船は一〇分ほど移動して、ある地点に到着した。海岸線の近くだから、崩壊原因を探る、事前調査のほうである。丁度目前には、空と山との境のなだらかな稜線が一点に集まる、大見山の山頂部分があった。崩壊地域の東西方向の、ほぼ中心地点にあたる場所である。
「チタンジェットコアラー用意、三〇メートル二本」
 内藤がそう言うと、船内は慌ただしくなった。船の後方両端にある縦に細長い貨物室の上部カバーが自動的に開き、下から床が持ち上がって来た。そして長さ一〇メートルほど、直径一五センチくらいのしぶい銀色の管が山積みになっているものが姿をあらわした。
「チタン合金の一〇メートルの管を繋いで、そいつを海底に水流ジェットと重りの力で海底に突き刺すのさ。管の先までワイヤーを付けたピストンを入れておけば、ピストンのあった空間は堆積物に置き換わる。押す押されるの関係が反対だが、注射器と同じ原理さ」
 桃太郎が宮沢憲司に説明する。短時間で必要最小限のサンプルを必要とする場合に使うやり方だという。低予算で行なえるのも良い。元々は半世紀以上昔に、大学の海洋地学の研究などに使われていた手法の改良版である。
 一〇メートルの管を三本繋げたものが二本、クレーンで釣り上げられた。上の先端には巨大な重りと、クレーンに固定された巻きワイヤーが付いている。重りの外側には三枚の羽根が、垂直方向からやや斜めに付いている。重りの上には機械が取り付けてあった。水流ジェット装置と、各種制御装置である。
「一本目に海水注入、同時に海中投入用意」
 内藤の指示で、二本のクレーンのうちの一本が下がり始めた。同時にクレーンの上から船から汲み上げられた海水が流されはじめ、三〇メートルの管に注入される。管に入らない海水の水しぶきが甲板全体をおおい、口を開けて上を見上げていた宮沢憲司は、思わず塩水を飲んでびっくりした。
 管が半分ほど沈んだとき、内藤が手をあげてクレーンの動きを止めさせた。
「水流ジェット装置作動」
 ふたたび内藤の指示があった。空中にあるエンジンの音が周囲に響く。すごい音量であった。これが水中に入ったとき、どれほどのパワーを発揮するのだろうか。
「投下!」
 内藤の号令に少し遅れて水柱が立ちのぼり、チタンジェットコアラーは泡とともに、水中に消えていった。ただ、ワイヤーを吐き出し続ける巻きワイヤーだけが、クレーンの先に付いている。
「まるで釣りだな」
 宮沢憲司の隣の神岡次子がそう評した。
 水中で自由になったコアラーは、たちまち重りの重力と、破壊的なジェットの力とで、凄まじい加速をした。そしてわずかに斜めを向く羽根の力で、回転しだした。制御装置の微調整で、常に真下方向に加速していく。
 そして自由になってわずか数秒後、コアラーの先端が海底に着底し、ものすごい勢いで沈んでいった。しかし中のピストンは海底面に残存し、相対的にコアラーの外側の筒だけが、ねじりながら地中に突き刺さっていく。
 次の瞬間、この状態では強い回転エネルギーを相殺することになる羽根が、電気信号で重りから外れて放棄された。二秒もせずに、重りのちょうどすぐ下までコアラーは突き刺さり、見事に海底下約三〇メートルの土砂を取り込んだ。
 ワイヤーがびくっとしなり、伸び、コアラーが海底に突き刺さったことが分かった。
「よし、引き上げ」
 内藤が指示する。こうして、神岡次子の言うところの「釣り」は成功した。
     *        *
 二本目も上手く行き、桃太郎の船は意気揚々と集結場所に移動した。他の船も次々と集まっており、一〇分ほど待つと九隻すべての船が集結した。しかし最後にやってきた船が、奇妙な事を報告してきた。
 崖沿いに二〇メートルのサンプルを採っていた同船は、コアラーの一本を人工のコンクリート片に阻まれて、サンプル採集に失敗していたのだ。
「多少の石、岩などはそのまま粉砕してしまうチタン合金のコアラーが曲がってしまうほどのものだから、いったい何事かともぐり(潜水夫)に調べさせたら、何と厚さ四〇センチ、三メートル四方もの鉄筋コンクリートでした」
 船の船長が、ぼろぼろな白灰色の破片を桃太郎に渡して説明した。
「鉄筋硬化セグメントコンクリート……こいつはトンネルなどの地下建造物や巨大ビルによく用いられる。今回の事故の起きた範囲は国定保存漁村だ、こんなものが使われているはずがない」
 天野が破片を見て指摘した。
 そのコンクリートは変形しても壊れにくく、強力な剛性を持っている。しかしとても高価なため、普通の建材としては使われない。
「そうか、考えられるのは……」
 宮沢憲司が山を見た。海に浮かぶかのように見える緩やかな山、大見山。そこにいた全員が、同じく大見山を見た。
「大見山地下大空洞……やはりだったが、原因は決まりだな」
 桃太郎は指を鳴らして言った。
「よし、今すぐそのコンクリート片のあった地点の音波探査をする。そしてコンクリート片の反射波の特徴を洗い出し、最初に取ったデーターと比較するぞ」
     *        *
 伊予灘で、一六隻の船団が調査をしていた。白い大きな四隻が調査海域を大きく取り囲み、周囲の航行船に警告を出している。残る一二隻の船舶が、いろいろな調査をしていた。そのうちの一隻だけが、桃色であった。
「……これなら、意地を張っとらんで、息子の言う通り、二、三隻は回してもらったほうがよかったかもしれんな」
 狭い甲板に、五〇人ほどの人間がひしめいている。本来、数隻に分散するはずの人員が、この一隻に集中しているのだ。あっちでラドン濃度調査を、こっちで無人潜航艇の操縦を、そっちで魚群音波反応調査をと、にっちもさっちもいかない大混乱である。
 その中で桃缶詰社長は一人、相変わらずのレトロな艦長ファッションに身を包み、煙の出ないダミーパイプを口にくわえて、自分の判断を後悔していた。
     *        *
 白い船の中で一番大きな指揮船に、愛知県に本社を置く、犬山コンサルタントの社長、犬山がいた。犬山コンサルタントは、環境危機時代の間だけ食っていける、自然災害環境調査のみを専門とした会社の一つである。
 生き残りの激しい生存競争の中で、始めは理想に燃えまともだった彼の精神は、いつからか濁り始めていた。そして同じ波動の金取と相通ずるところがあったのか、彼は金取との個人的な癒着を蜜として、仕事を得るようになった。金取が唯一同じ立場で接する人間、それが犬山である。
 犬山の近くには、彼より一歳だけ年下の、作戦部部長の村田が立っていた。局からの同行組のリーダーである。
 本来は伊予灘大地震の事前調査を請け負ったのは桃コンサルタントであったから、金取の策略で割り込んだ形の犬山コンサルタントは、高栗局長の指示によって、桃コンサルタントの付き添いとされていた。しかし何者かによって桃コンサルタントの船がやられ、組織的活動に不備を感じた桃缶詰は、仕方なく総指揮権を犬山に譲った。
 同行組の最高責任者が犬山の船に乗っているのは、以上の理由からであった。
(ふふふ、まったく金取はいい奴だぜ。怪文書のことを教えてやっただけで、三日もたたずにこんな美味しい仕事を横取りさせてもらえるなんて。本当は大崩壊の仕事を得る決定的な貸しにしてやりたかったんだが、こっちのほうがより大きい獲物だったな。それにしてもこんなに上手く行くとはな、あの野郎の悪知恵には脱帽するわい)
 犬山は昨夜車中の金取から指示を受け、手下を使って桃コンサルタントの船を壊させた。その際、あらかじめ自分のところのどうでもいい船も三隻ばかり破壊しておくのを忘れなかった。こうして、事情の分からぬ桃缶詰を騙し、大仕事を奪ったのだ。これを金取は『手数』と呼んでいたが、犬山にとってはそんな事はどうでもよかった。
 村田は船団中で最も忙しそうな桃色の船を見ながら、ふいに犬山にたずねた。
「いったい誰がやったんでしょうねえ? まったく酷い輩ですな、犬山さん」
 桃コンサルタント船破壊事件の事である。何気ないが突然のことに犬山は内心びくついた。事件が起これば、先ずそれによって一番得をする者を疑え、という言葉がある。犬山は、もちろんその疑惑から逃げ切れる自信はあったが、思いがけない人物からその件に触れられて緊張した。
「そ、そうですね、私は愉快犯の仕業だと思うんですよ。まったく許せない連中ですな」
「そうですよ。そういえば、貴方の船もやられたんですね、嫌な世の中です。災害に呼応して、人心も乱れているんでしょうか」
 どうやら村田は、犬山の懸念した意図で言ったようではなかった。犬山は安堵して自分に言い聞かせた。
(いかんいかん。こいつは人がいいから、他人を疑うなんてことはないはずなんだ。少し、疑心暗鬼になりすぎたな)
 少しして、また村田が話しかけた。
「ところで犬山さん、そろそろデーター収集も終わりになって来ましたね。帰る際に、ぜひ寄ってもらいたい所があるんです」
「わかりました。どこですかな?」
 犬山は、気を楽にして言った。
「伊予灘沖海上原子力総合発電所です。今は、長浜の専用港にいるはずです。高栗局長を迎えに行くんですよ」
     *        *
 いったい誰が最初に、伊予灘に原子力発電所を作ろうと思ったのだろうか、今となっては正確に知る者は誰もいない。
 二〇二五年の西関東大地震の後、原子力発電所の耐震設計問題が浮上した。いかな堅固な建築物とはいえ、活断層の真上にあるものは、必ず破壊されてしまう。
 日本において、もはや陸地に原子力発電所を作るのは無理だといわれた。しかし当時は、迫り来る温暖化による海面上昇の恐怖から、その原因とされる二酸化炭素を、大量放出する石油や石炭などによる発電は、既に世界的に全面廃止されており、原子力発電以外に頼れる主力発電手段はなかったのだ。
 陸上がダメなら海上だと、短絡的に誰かが言い始めた。よく調べれば安全な土地があったかもしれなかったが、世論はいつしかそれを至上の案のように感じ始めた。
 そうなれば後は進むのみであった。津波の心配の少ない内海で、周囲に大都市のない場所――生け贄に愛媛県北西岸沖、伊予灘が選ばれた。地元住民の猛烈な反対を押し退けて、二〇二八年、長浜という小さな町を拠点にした、世界初で最後の海上原子力発電所が起工し、七年後に完成した。
 この原子力発電所は、『浮島』という構造をしている。海面上昇による新しい臨海地域運用の形として考案された、浮島は、周囲数キロにも渡る、巨大な箱船である。桃コンサルタント本社のある東京の湾岸商業浮島や、桃や犬山らが出港した大阪新海上港も、巨大な浮島の一つであり、全国に大小一〇〇基ばかりが建設されている。
 ほとんどが臨海で固定用の巨大な杭を海底土台に打ち付けて、海面上昇に合わせて杭を微調整しているだけであるが、この発電所の浮島は、他とは変わっている。
 それは、いつもは有事の際の周囲への危険を少なくするべく、伊予灘の沖まで移動していることである。発電した電力は、特殊な巨大海底ケーブルで運ばれ、四国の電力の半分をまかなうことが出来る。
 しかし今は梅雨時であり、時化が発生したら危険なので、同発電所は長浜の専用港に避難していた。
 そこに高栗将人が、施設の移動依頼をしに来ていた。ここは地震発生の際に最も恐ろしい事態の元凶となる。局長自らが動くのは、それだけ危機感があるということである。
「しかし、高栗局長。やはり、地震が『起こる』とはっきりしないと、とても動かせませんよ」
 高栗に応対しているのは、発電所の事務部長、黒裏であった。金取に移動を引き伸ばさせろと言われて、心ならずも、彼はこの論理で押し通すことにした。
「しかし彼は、地震が起こる可能性は高いと言っているではないか。私は観測網の力を信じている」
 高栗の隣で、一人の学者風の男が言った。
「鈴鳴さん、私は可能性で事を論じる気はありませんよ。とにかく当発電所としては、基本的に梅雨が終わるまで沖に移動する気はありません。地震が確実に起こることが分かってから、再要請してください」
 黒裏はしわがれた声でそう言うと、二人を見回し、何も言わずに応接室から出ていこうとした。その時、ほんの一瞬だったが、先ほど鈴鳴と呼んだ男にちらっと視線を向けた。しかし視線を向けられたほうは、明らかにそれに気づかぬ振りをしていた。
「ふんっ」
 そう言うと、黒裏は部屋から出ていった。
 一連の出来事に、高栗は気がつかなかった。
「……どうやら、無駄足になってしまったようだな。証拠を突きつけないと駄目か」
 高栗将人はそうつぶやいた。
     *        *
 長浜に桃太郎の船団と、桃缶詰、犬山の船団が同時にやってきたのは、午後七時である。発電所の一角にある付属の港に、二〇隻以上の船が一斉に停泊し、波止場は桃色、白色、群青色の作業服にあふれていた。
「親父まで犬山の船についていくことはなかったのに。おかげで、僕までこんな遠回りをする羽目になってしまった」
「俺は犬山に指揮権を委託した以上、義務を果たしただけだ。それにしても、何故わざわざお前がついてきたんだ!」
「親父を迎えるためだ」
「あー、これだから。お前のその妙に律儀なところは、こんな時はかえって不都合を生じるぞ。分析の時間はどうするんだ? すでに二時間は遅れてるぞ」
「広島市に国の海洋研究所があるだろ、もうそこを確保している」
「だから――……それで間に合うな」
 桃太郎と桃缶詰の親子の口喧嘩は、どうやら息子に軍配があがったようだ。
「もうそれくらいでいいだろ、桃」
 宮沢憲司が機を見計らい、桃太郎を父親から引き離した。
 桃缶詰は相変わらずの艦長ルックを正して、パイプをくわえて一人で憮然としていた。
「高栗局長、お迎えに参りました」
「おお、村田か。すまないな」
 そのとき、宮沢憲司の聞いたことのない声が聞こえて来た。
 作戦部部長の村田が、黒裏にあしらわれてしまった高栗局長と、もう一人の男が並んでこちらに来たのを見つけて出迎えたのだ。
 何となく宮沢憲司と桃太郎がその様子を見たとたん、二人は同時に叫んだ。
『ああ、「逃げろ」のおっちゃん!』
 二人が見たのは、大見山大崩壊直前の現場にいた、あの男であった。
 彼は、若い頃はさぞやもてただろうと思わせる精悍な風貌に、しかし学者のような俗世間離れした独特感をただよわせた、見た目は四〇歳ほどの男であった。
「こら、そこの二人、誰が『おっちゃん』だ。この方は、T大工学部教授で、日本原子力倫理審査委員会会員の鈴鳴輝久先生だ。今日の仕事で、委員会から同伴してもらったんだ。それを、いきなり失礼じゃないか」
 さすがに、高栗局長が二人を諫めた。
『すいません!』
 二人が謝る。これも同時であった。
「ははは、いいよいいよ」
 鈴鳴が笑ってあっさりとこの場をおさめた。しかし、彼は二人の顔をじっと見ていた。
「おい、鈴鳴じゃないか、こんなところで会うとは奇遇だな。久しぶりだぞ」
 そこに、桃缶詰がやってきた。
「……その艦長服は、もしかして缶詰か! 久しぶりなんてもんじゃないよ、二〇年ぶりじゃないか」
「ほう、鈴鳴先生と桃缶詰社長は、旧知の仲ですか」
 高栗将人は、二人の仲に興味を持った。
「そうさ。何せ、彼の有名な大見山大空洞を作った鈴鳴秀樹の息子だからな、彼は。つまり、鈴鳴建設の御曹司ってことだ。鈴鳴建設からは、当時俺の親父がよく仕事をもらっていたんでね、こいつとは幼馴染みなのさ」
「御曹司だったのはもう三〇年も前のことですよ、缶詰。今では熱心な学生に囲まれて、好きな研究に没頭する毎日です」
「ははは。こいつ、会社が倒産したとたんに、迷惑をかけるから友人を止めてくれなんて言うからな、腹のたった俺は無理矢理生涯の友を約束させてやったんだぜ。それでも、五年ばかり経って突然消えやがったと思ったら、今では大学教授様か」
「ああ、あの時の苦労は凄まじかったよ……」
 鈴鳴と桃缶詰は、二〇年ぶりの再会に話がはずんでいた。
 それを聞いて感動に涙を流している高栗局長の元に、一人の女性が走ってきた。
「お父さん、こんなところで何してるのよ」
「おお、美佐か」
 高栗美佐をはじめ、防人部隊第一分隊の面々は、天野分隊長を除き、局長がここに来ていることを誰も知らない。昨日カラオケをはじめ、夜中まで騒いでいたせいで、ろくな打ち合わせもできなかったのだ。
「え、お父さん?」
 その台詞を聞いて、宮沢憲司は硬直した。この人こそ、我らが自然災害対策局の最高責任者、高栗将人局長その人だったのだ。
 宮沢憲司の反応におもしろがって高栗局長はにやりとしたが、次の瞬間こけた。
「へえ、頑丈そうな体ですね、どうやって鍛えたんですか?」
 これこそ、宮沢憲司最大の武器、豪胆である。誰に対しても変わることのない一貫した言動姿勢。これが、彼の性格であった。もっとも、この時は思いっきりボケてしまった。
「ばか~」
 高栗美佐は部下の言葉に赤くなった。
「……実にはきはきとした若者だな、名を聞こうか」
「宮沢憲司といいます。可愛らしい娘さんの部下です。局長、それでは失礼させてもらいます」
 そうすらすらと答えて、宮沢憲司は桃太郎のところに歩いていった。
「名前も気に入ったぞ、わはははは」
 高栗美佐は、そう言って笑う父親を見ながら、ひたすら赤くなるしかなかった。
 宮沢憲司と桃太郎が話をしているところに、桃缶詰から離れた鈴鳴輝久が近づいてきた。
「あの時の……七日の夜に、赤いスポーツカーを運転していたのは君達だったんだね。それについて話したいことがある、向こうに行かないか?」
 二人がすぐさま承知したのは言うまでもない。この人物は吉か凶か、宮沢憲司は鈴鳴輝久なる人間に深い興味をもった。
 そして三人がどこかに行く様子をじっと見ていた人がいる。それは高栗美佐であった。

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