涼宮ハルヒちゃんの憂鬱3巻超限定版よっ! ねんどろいどぷち長門有希 エンドレスエイト編 フィギュアレビュー
プレゼント限定だったハルヒは外れたけど、長門は特典なので普通にゲット。
いきなりだけど、野外撮影。
高知県の戦国大名といえば長宗我部元親(ちょうそかべ・もとちか1539~1599)だ。ゲームなどで最近ちょっとだけ知名度が上昇してきた。
高知県立歴史民族資料館(写真奥の小山に見える建物)
この歴民館は、岡豊城という城跡に建てられている。模型は曲輪跡を紹介したもの。
じつは長宗我部元親の居城だったりして。
大名クラスの戦国武将では長宗我部氏だけ苗字が四文字もあって珍しい。おかげで戦国時代シミュレーションゲームのデザイナー泣かせだ。この家のために4文字ぶんのスペースが必要だから。
元親初陣の兜と伝えられるもの。元親は姫若子とからかわれる耽美系痩身美男子であったが、初陣となる長浜の戦いで50騎の小部隊を率い、70余の首級を挙げ、元親当人も雑兵ではなく騎馬武者を2人倒したという。当時の合戦での平均死亡率は数パーセントていどであったから、いくら若様直属の精鋭部隊とはいえ、50人で70人を倒すというのは破格の手柄である。
余勢に任せた元親はさらに自らの手勢だけで敵城のひとつ潮江城を奇襲し、あっさり占領する。味方の損害は皆無であった。これら物語絵巻もかくやという目立つ戦功により、初陣1回で元親は「土佐の出来人」と呼ばれるようになる。
一夜にして評価が180度変わった長宗我部元親が、四国統一目前まで行っていたことはあまり知られていない。
長宗我部氏の最初の領域は円で囲んだ中心にあるたったひとつの赤い光点(ほとんど分からん……)だ。長宗我部氏はたびたび滅亡しかけており、元親の親の世代は当時の土佐の有力者である一条氏の力を借りて、岡豊城ひとつから再スタートした。
お父さんが頑張って、元親が家督を受け継ぐころにはちょっとだけ領土を広げていた。ここから元親の躍進がはじまる。写真が赤いのは決戦クラスの演出で一時的に赤くライトアップされてることによる。
20代のうちにライバルの本山氏を滅ぼして高知県中央部をほぼ手中にする。親の国親が数十年かけて得た土地に倍はする面積を、わずか数年でゲット。
その1年後には東の安芸氏を滅ぼし、高知県東半分をほぼ統一。陸から侵攻する本隊を囮として安芸方の耳目を集中させ、山中より迂回した別働隊が挟撃するという、用兵のお手本ともいえる作戦で決着を付けた。
西には親の国親が世話になった恩顧の一条氏がいて、それを直接攻めるなんて出来ない。だからじわじわと周囲の豪族を離反させた。
最後は四万十川の戦いで、囮で釣った隙をいきなりの総攻撃で押し通る作戦で圧勝し、土佐一国を統一する。
このとき元親はまだ30歳台半ば。若さに任せ、さらに戦いを続ける。野望は当然ながら、四国77万石の統一だった。
山を越えて同盟・養子・婚姻・力攻めなどあらゆる手を尽くし、阿波・讃岐へと勢力を浸透させてゆく。領土が広がって目立つようになると天下布武を目指す織田信長との対立は避けられず、信長派遣の武将を退けたことで、織田氏直接による四国征伐を招いてしまう。
ここで運が味方する。派兵寸前となって信長が本能寺に斃れたのだ。どさくさに紛れた元親は攻略を進め、阿波・讃岐を征服してしまう。後は伊予のみとなったが、信長死後の混乱を収め、信長の後継者となった秀吉から戦いを止め、阿波・讃岐を返上せよと恫喝される。
そんなの知るかと元親は伊予攻撃を強化し、ついには四国をほぼ統一する。なぜ「ほぼ」止まりなのかというと、服従しない残党勢力などを懐柔ないし平定する間もなく、秀吉の総攻撃を受けたからだ。正確には統一目前まで行っていた、といったところだろう。
総勢10万余の大軍が3方より四国へ侵攻する。準備不足の元親方が動員できた迎撃軍はたったの3万前後。あまりの兵力差に連戦連敗、被害が大きくなる前に元親は降伏した。
敗戦後の立ち回りが功を奏し、長宗我部氏は豊臣政権下で土佐まるごと一国を領有する国持ち大名として生き延びた。同様に九州統一目前で征伐に遭った島津氏も本拠地は国レベルで安堵されており、勝てぬとわかっていても抗戦によって武家の面目を見せる示威が、どちらでも一定の効果を挙げたといえるだろう。反対につい徹底抗戦しすぎ、滅亡しちゃった顕著な例は関東の北条氏だろうか。
元親はその晩年に、鎖国の遠因となったエピソードのひとつに直接関与している。事件の経過や背景は複雑で、真実は闇の中だ。
元親の死後、関ヶ原で豊臣方についた長宗我部氏は改易され、土佐は山内氏が預かることとなった。長宗我部氏と似たような境遇だった島津氏は関ヶ原で長らく語り草となる正面突破での退却を見せ、その剛勇が処罰を免れた理由のひとつであるというから、武家社会において損得を超える武士らしい生き様は、政治にも少なからず影響していたということか。
長宗我部家最後の当主盛親は大阪冬の陣・夏の陣で豊臣方に付き、大阪城落城後捕らえられ一族郎党子女に至るまでことごとく斬首刑となる。ここに長宗我部氏の直系は滅びたが、傍流が氏を捨て名を変え、縁もない遠地の大名の家臣に士官して血を伝えたとも言われている。下は山内氏治世下の高知城下町模型。
長門だったのでちょっとアカデミックに。前半分はもはやレビューのついででもなんでもないね。
ハルヒシリーズ本編では有能有為で本の虫な長門も、公式ギャグ作品となる「ハルヒちゃん」ではエロゲマニア少女へと変貌。
頭のうさぎさんからは日々アレでナニな危ない嬌声が漏れる……。
だが長門さんはいつもと変わらず静かで無口。こういうのをなんというのか?
たぶん、そう、むっつりスケベ?
ねんどろいどシリーズは造型とクオリティが高い水準で安定しているから、特典レベルでも安心して買うことができる。この利点は信用という面で他メーカーに対し、とても大きいアドバンテージだと思う。
ヘッドホン
さらにヘッドホンを付けたままできみどりさんを乗せることも。
ノーマル長門
抱えるはもはや人には中身を見せられないPC。
下半身
さて、これでレビューも終わりだ。
プレゼント限定だったハルヒは外れたけど、長門は特典なので普通にゲット。
いきなりだけど、野外撮影。
高知県の戦国大名といえば長宗我部元親(ちょうそかべ・もとちか1539~1599)だ。ゲームなどで最近ちょっとだけ知名度が上昇してきた。
高知県立歴史民族資料館(写真奥の小山に見える建物)
この歴民館は、岡豊城という城跡に建てられている。模型は曲輪跡を紹介したもの。
じつは長宗我部元親の居城だったりして。
大名クラスの戦国武将では長宗我部氏だけ苗字が四文字もあって珍しい。おかげで戦国時代シミュレーションゲームのデザイナー泣かせだ。この家のために4文字ぶんのスペースが必要だから。
元親初陣の兜と伝えられるもの。元親は姫若子とからかわれる耽美系痩身美男子であったが、初陣となる長浜の戦いで50騎の小部隊を率い、70余の首級を挙げ、元親当人も雑兵ではなく騎馬武者を2人倒したという。当時の合戦での平均死亡率は数パーセントていどであったから、いくら若様直属の精鋭部隊とはいえ、50人で70人を倒すというのは破格の手柄である。
余勢に任せた元親はさらに自らの手勢だけで敵城のひとつ潮江城を奇襲し、あっさり占領する。味方の損害は皆無であった。これら物語絵巻もかくやという目立つ戦功により、初陣1回で元親は「土佐の出来人」と呼ばれるようになる。
一夜にして評価が180度変わった長宗我部元親が、四国統一目前まで行っていたことはあまり知られていない。
長宗我部氏の最初の領域は円で囲んだ中心にあるたったひとつの赤い光点(ほとんど分からん……)だ。長宗我部氏はたびたび滅亡しかけており、元親の親の世代は当時の土佐の有力者である一条氏の力を借りて、岡豊城ひとつから再スタートした。
お父さんが頑張って、元親が家督を受け継ぐころにはちょっとだけ領土を広げていた。ここから元親の躍進がはじまる。写真が赤いのは決戦クラスの演出で一時的に赤くライトアップされてることによる。
20代のうちにライバルの本山氏を滅ぼして高知県中央部をほぼ手中にする。親の国親が数十年かけて得た土地に倍はする面積を、わずか数年でゲット。
その1年後には東の安芸氏を滅ぼし、高知県東半分をほぼ統一。陸から侵攻する本隊を囮として安芸方の耳目を集中させ、山中より迂回した別働隊が挟撃するという、用兵のお手本ともいえる作戦で決着を付けた。
西には親の国親が世話になった恩顧の一条氏がいて、それを直接攻めるなんて出来ない。だからじわじわと周囲の豪族を離反させた。
最後は四万十川の戦いで、囮で釣った隙をいきなりの総攻撃で押し通る作戦で圧勝し、土佐一国を統一する。
このとき元親はまだ30歳台半ば。若さに任せ、さらに戦いを続ける。野望は当然ながら、四国77万石の統一だった。
山を越えて同盟・養子・婚姻・力攻めなどあらゆる手を尽くし、阿波・讃岐へと勢力を浸透させてゆく。領土が広がって目立つようになると天下布武を目指す織田信長との対立は避けられず、信長派遣の武将を退けたことで、織田氏直接による四国征伐を招いてしまう。
ここで運が味方する。派兵寸前となって信長が本能寺に斃れたのだ。どさくさに紛れた元親は攻略を進め、阿波・讃岐を征服してしまう。後は伊予のみとなったが、信長死後の混乱を収め、信長の後継者となった秀吉から戦いを止め、阿波・讃岐を返上せよと恫喝される。
そんなの知るかと元親は伊予攻撃を強化し、ついには四国をほぼ統一する。なぜ「ほぼ」止まりなのかというと、服従しない残党勢力などを懐柔ないし平定する間もなく、秀吉の総攻撃を受けたからだ。正確には統一目前まで行っていた、といったところだろう。
総勢10万余の大軍が3方より四国へ侵攻する。準備不足の元親方が動員できた迎撃軍はたったの3万前後。あまりの兵力差に連戦連敗、被害が大きくなる前に元親は降伏した。
敗戦後の立ち回りが功を奏し、長宗我部氏は豊臣政権下で土佐まるごと一国を領有する国持ち大名として生き延びた。同様に九州統一目前で征伐に遭った島津氏も本拠地は国レベルで安堵されており、勝てぬとわかっていても抗戦によって武家の面目を見せる示威が、どちらでも一定の効果を挙げたといえるだろう。反対につい徹底抗戦しすぎ、滅亡しちゃった顕著な例は関東の北条氏だろうか。
元親はその晩年に、鎖国の遠因となったエピソードのひとつに直接関与している。事件の経過や背景は複雑で、真実は闇の中だ。
元親の死後、関ヶ原で豊臣方についた長宗我部氏は改易され、土佐は山内氏が預かることとなった。長宗我部氏と似たような境遇だった島津氏は関ヶ原で長らく語り草となる正面突破での退却を見せ、その剛勇が処罰を免れた理由のひとつであるというから、武家社会において損得を超える武士らしい生き様は、政治にも少なからず影響していたということか。
長宗我部家最後の当主盛親は大阪冬の陣・夏の陣で豊臣方に付き、大阪城落城後捕らえられ一族郎党子女に至るまでことごとく斬首刑となる。ここに長宗我部氏の直系は滅びたが、傍流が氏を捨て名を変え、縁もない遠地の大名の家臣に士官して血を伝えたとも言われている。下は山内氏治世下の高知城下町模型。
長門だったのでちょっとアカデミックに。前半分はもはやレビューのついででもなんでもないね。
ハルヒシリーズ本編では有能有為で本の虫な長門も、公式ギャグ作品となる「ハルヒちゃん」ではエロゲマニア少女へと変貌。
頭のうさぎさんからは日々アレでナニな危ない嬌声が漏れる……。
だが長門さんはいつもと変わらず静かで無口。こういうのをなんというのか?
たぶん、そう、むっつりスケベ?
ねんどろいどシリーズは造型とクオリティが高い水準で安定しているから、特典レベルでも安心して買うことができる。この利点は信用という面で他メーカーに対し、とても大きいアドバンテージだと思う。
ヘッドホン
さらにヘッドホンを付けたままできみどりさんを乗せることも。
ノーマル長門
抱えるはもはや人には中身を見せられないPC。
下半身
さて、これでレビューも終わりだ。
プレゼント限定だったハルヒは外れたけど、長門は特典なので普通にゲット。
いきなりだけど、野外撮影。
高知県の戦国大名といえば長宗我部元親(ちょうそかべ・もとちか1539~1599)だ。ゲームなどで最近ちょっとだけ知名度が上昇してきた。
高知県立歴史民族資料館(写真奥の小山に見える建物)
この歴民館は、岡豊城という城跡に建てられている。模型は曲輪跡を紹介したもの。
じつは長宗我部元親の居城だったりして。
大名クラスの戦国武将では長宗我部氏だけ苗字が四文字もあって珍しい。おかげで戦国時代シミュレーションゲームのデザイナー泣かせだ。この家のために4文字ぶんのスペースが必要だから。
元親初陣の兜と伝えられるもの。元親は姫若子とからかわれる耽美系痩身美男子であったが、初陣となる長浜の戦いで50騎の小部隊を率い、70余の首級を挙げ、元親当人も雑兵ではなく騎馬武者を2人倒したという。当時の合戦での平均死亡率は数パーセントていどであったから、いくら若様直属の精鋭部隊とはいえ、50人で70人を倒すというのは破格の手柄である。
余勢に任せた元親はさらに自らの手勢だけで敵城のひとつ潮江城を奇襲し、あっさり占領する。味方の損害は皆無であった。これら物語絵巻もかくやという目立つ戦功により、初陣1回で元親は「土佐の出来人」と呼ばれるようになる。
一夜にして評価が180度変わった長宗我部元親が、四国統一目前まで行っていたことはあまり知られていない。
長宗我部氏の最初の領域は円で囲んだ中心にあるたったひとつの赤い光点(ほとんど分からん……)だ。長宗我部氏はたびたび滅亡しかけており、元親の親の世代は当時の土佐の有力者である一条氏の力を借りて、岡豊城ひとつから再スタートした。
お父さんが頑張って、元親が家督を受け継ぐころにはちょっとだけ領土を広げていた。ここから元親の躍進がはじまる。写真が赤いのは決戦クラスの演出で一時的に赤くライトアップされてることによる。
20代のうちにライバルの本山氏を滅ぼして高知県中央部をほぼ手中にする。親の国親が数十年かけて得た土地に倍はする面積を、わずか数年でゲット。
その1年後には東の安芸氏を滅ぼし、高知県東半分をほぼ統一。陸から侵攻する本隊を囮として安芸方の耳目を集中させ、山中より迂回した別働隊が挟撃するという、用兵のお手本ともいえる作戦で決着を付けた。
西には親の国親が世話になった恩顧の一条氏がいて、それを直接攻めるなんて出来ない。だからじわじわと周囲の豪族を離反させた。
最後は四万十川の戦いで、囮で釣った隙をいきなりの総攻撃で押し通る作戦で圧勝し、土佐一国を統一する。
このとき元親はまだ30歳台半ば。若さに任せ、さらに戦いを続ける。野望は当然ながら、四国77万石の統一だった。
山を越えて同盟・養子・婚姻・力攻めなどあらゆる手を尽くし、阿波・讃岐へと勢力を浸透させてゆく。領土が広がって目立つようになると天下布武を目指す織田信長との対立は避けられず、信長派遣の武将を退けたことで、織田氏直接による四国征伐を招いてしまう。
ここで運が味方する。派兵寸前となって信長が本能寺に斃れたのだ。どさくさに紛れた元親は攻略を進め、阿波・讃岐を征服してしまう。後は伊予のみとなったが、信長死後の混乱を収め、信長の後継者となった秀吉から戦いを止め、阿波・讃岐を返上せよと恫喝される。
そんなの知るかと元親は伊予攻撃を強化し、ついには四国をほぼ統一する。なぜ「ほぼ」止まりなのかというと、服従しない残党勢力などを懐柔ないし平定する間もなく、秀吉の総攻撃を受けたからだ。正確には統一目前まで行っていた、といったところだろう。
総勢10万余の大軍が3方より四国へ侵攻する。準備不足の元親方が動員できた迎撃軍はたったの3万前後。あまりの兵力差に連戦連敗、被害が大きくなる前に元親は降伏した。
敗戦後の立ち回りが功を奏し、長宗我部氏は豊臣政権下で土佐まるごと一国を領有する国持ち大名として生き延びた。同様に九州統一目前で征伐に遭った島津氏も本拠地は国レベルで安堵されており、勝てぬとわかっていても抗戦によって武家の面目を見せる示威が、どちらでも一定の効果を挙げたといえるだろう。反対につい徹底抗戦しすぎ、滅亡しちゃった顕著な例は関東の北条氏だろうか。
元親はその晩年に、鎖国の遠因となったエピソードのひとつに直接関与している。事件の経過や背景は複雑で、真実は闇の中だ。
元親の死後、関ヶ原で豊臣方についた長宗我部氏は改易され、土佐は山内氏が預かることとなった。長宗我部氏と似たような境遇だった島津氏は関ヶ原で長らく語り草となる正面突破での退却を見せ、その剛勇が処罰を免れた理由のひとつであるというから、武家社会において損得を超える武士らしい生き様は、政治にも少なからず影響していたということか。
長宗我部家最後の当主盛親は大阪冬の陣・夏の陣で豊臣方に付き、大阪城落城後捕らえられ一族郎党子女に至るまでことごとく斬首刑となる。ここに長宗我部氏の直系は滅びたが、傍流が氏を捨て名を変え、縁もない遠地の大名の家臣に士官して血を伝えたとも言われている。下は山内氏治世下の高知城下町模型。
長門だったのでちょっとアカデミックに。前半分はもはやレビューのついででもなんでもないね。
ハルヒシリーズ本編では有能有為で本の虫な長門も、公式ギャグ作品となる「ハルヒちゃん」ではエロゲマニア少女へと変貌。
頭のうさぎさんからは日々アレでナニな危ない嬌声が漏れる……。
だが長門さんはいつもと変わらず静かで無口。こういうのをなんというのか?
たぶん、そう、むっつりスケベ?
ねんどろいどシリーズは造型とクオリティが高い水準で安定しているから、特典レベルでも安心して買うことができる。この利点は信用という面で他メーカーに対し、とても大きいアドバンテージだと思う。
ヘッドホン
さらにヘッドホンを付けたままできみどりさんを乗せること……も?
なにかがおかしい。たぶんここはこう来るだろう。「ノーマル長門」と。
抱えるはもはや人には中身を見せられないPC……書いていて違和感に気付く。
前になんか書いたことがあるはずだ。
さて、これでレビューも終わりだ、と。
プレゼント限定だったハルヒは外れたけど、長門は特典なので普通にゲット。
いきなりだけど、野外撮影。
高知県の戦国大名といえば長宗我部元親(ちょうそかべ・もとちか1539~1599)だ。ゲームなどで最近ちょっとだけ知名度が上昇してきた。
高知県立歴史民族資料館(写真奥の小山に見える建物)
この歴民館は、岡豊城という城跡に建てられている。模型は曲輪跡を紹介したもの。
じつは長宗我部元親の居城だったりして。
大名クラスの戦国武将では長宗我部氏だけ苗字が四文字もあって珍しい。おかげで戦国時代シミュレーションゲームのデザイナー泣かせだ。この家のために4文字ぶんのスペースが必要だから。
元親初陣の兜と伝えられるもの。元親は姫若子とからかわれる耽美系痩身美男子であったが、初陣となる長浜の戦いで50騎の小部隊を率い、70余の首級を挙げ、元親当人も雑兵ではなく騎馬武者を2人倒したという。当時の合戦での平均死亡率は数パーセントていどであったから、いくら若様直属の精鋭部隊とはいえ、50人で70人を倒すというのは破格の手柄である。
余勢に任せた元親はさらに自らの手勢だけで敵城のひとつ潮江城を奇襲し、あっさり占領する。味方の損害は皆無であった。これら物語絵巻もかくやという目立つ戦功により、初陣1回で元親は「土佐の出来人」と呼ばれるようになる。
一夜にして評価が180度変わった長宗我部元親が、四国統一目前まで行っていたことはあまり知られていない。
長宗我部氏の最初の領域は円で囲んだ中心にあるたったひとつの赤い光点(ほとんど分からん……)だ。長宗我部氏はたびたび滅亡しかけており、元親の親の世代は当時の土佐の有力者である一条氏の力を借りて、岡豊城ひとつから再スタートした。
お父さんが頑張って、元親が家督を受け継ぐころにはちょっとだけ領土を広げていた。ここから元親の躍進がはじまる。写真が赤いのは決戦クラスの演出で一時的に赤くライトアップされてることによる。
20代のうちにライバルの本山氏を滅ぼして高知県中央部をほぼ手中にする。親の国親が数十年かけて得た土地に倍はする面積を、わずか数年でゲット。
その1年後には東の安芸氏を滅ぼし、高知県東半分をほぼ統一。陸から侵攻する本隊を囮として安芸方の耳目を集中させ、山中より迂回した別働隊が挟撃するという、用兵のお手本ともいえる作戦で決着を付けた。
西には親の国親が世話になった恩顧の一条氏がいて、それを直接攻めるなんて出来ない。だからじわじわと周囲の豪族を離反させた。
最後は四万十川の戦いで、囮で釣った隙をいきなりの総攻撃で押し通る作戦で圧勝し、土佐一国を統一する。
このとき元親はまだ30歳台半ば。若さに任せ、さらに戦いを続ける。野望は当然ながら、四国77万石の統一だった。
山を越えて同盟・養子・婚姻・力攻めなどあらゆる手を尽くし、阿波・讃岐へと勢力を浸透させてゆく。領土が広がって目立つようになると天下布武を目指す織田信長との対立は避けられず、信長派遣の武将を退けたことで、織田氏直接による四国征伐を招いてしまう。
ここで運が味方する。派兵寸前となって信長が本能寺に斃れたのだ。どさくさに紛れた元親は攻略を進め、阿波・讃岐を征服してしまう。後は伊予のみとなったが、信長死後の混乱を収め、信長の後継者となった秀吉から戦いを止め、阿波・讃岐を返上せよと恫喝される。
そんなの知るかと元親は伊予攻撃を強化し、ついには四国をほぼ統一する。なぜ「ほぼ」止まりなのかというと、服従しない残党勢力などを懐柔ないし平定する間もなく、秀吉の総攻撃を受けたからだ。正確には統一目前まで行っていた、といったところだろう。
総勢10万余の大軍が3方より四国へ侵攻する。準備不足の元親方が動員できた迎撃軍はたったの3万前後。あまりの兵力差に連戦連敗、被害が大きくなる前に元親は降伏した。
敗戦後の立ち回りが功を奏し、長宗我部氏は豊臣政権下で土佐まるごと一国を領有する国持ち大名として生き延びた。同様に九州統一目前で征伐に遭った島津氏も本拠地は国レベルで安堵されており、勝てぬとわかっていても抗戦によって武家の面目を見せる示威が、どちらでも一定の効果を挙げたといえるだろう。反対につい徹底抗戦しすぎ、滅亡しちゃった顕著な例は関東の北条氏だろうか。
元親はその晩年に、鎖国の遠因となったエピソードのひとつに直接関与している。事件の経過や背景は複雑で、真実は闇の中だ。
元親の死後、関ヶ原で豊臣方についた長宗我部氏は改易され、土佐は山内氏が預かることとなった。長宗我部氏と似たような境遇だった島津氏は関ヶ原で長らく語り草となる正面突破での退却を見せ、その剛勇が処罰を免れた理由のひとつであるというから、武家社会において損得を超える武士らしい生き様は、政治にも少なからず影響していたということか。
長宗我部家最後の当主盛親は大阪冬の陣・夏の陣で豊臣方に付き、大阪城落城後捕らえられ一族郎党子女に至るまでことごとく斬首刑となる。ここに長宗我部氏の直系は滅びたが、傍流が氏を捨て名を変え、縁もない遠地の大名の家臣に士官して血を伝えたとも言われている。下は山内氏治世下の高知城下町模型。
長門だったのでちょっとアカデミックに。前半分はもはやレビューのついででもなんでもないね。
ハルヒシリーズ本編では有能有為で本の虫な長門も、公式ギャグ作品となる「ハルヒちゃん」ではエロゲマニア少女へと変貌。
頭のうさぎさんからは日々アレでナニな危ない嬌声が漏れる……。
だが長門さんはいつもと変わらず静かで無口。こういうのをなんというのか?
たぶん、そう、むっつりスケベ?
ねんどろいどシリーズは造型とクオリティが高い水準で安定しているから、特典レベルでも安心して買うことができる。この利点は信用という面で他メーカーに対し、とても大きいアドバンテージだと――なんだろうこの既視感は。
もう何回も繰り返している気がする。
きみどりがどうした。これはなにかがおかしい。
ノーマル長門――と、何回も書いてるはずだ。
なにかの陰謀か?
なにかが、足りない。だが、なんだ? なにが足りない。
分からない――これで、レビューも、終わりだ。
プレゼント限定だったハルヒは外れたけど、長門は特典なので普通にゲット。
いきなりだけど、野外撮影。
高知県の戦国大名といえば長宗我部元親(ちょうそかべ・もとちか1539~1599)だ。ゲームなどで最近ちょっとだけ知名度が上昇してきた。
高知県立歴史民族資料館(写真奥の小山に見える建物)
この歴民館は、岡豊城という城跡に建てられている。模型は曲輪跡を紹介したもの。
じつは長宗我部元親の居城だったりして。
大名クラスの戦国武将では長宗我部氏だけ苗字が四文字もあって珍しい。おかげで戦国時代シミュレーションゲームのデザイナー泣かせだ。この家のために4文字ぶんのスペースが必要だから。
元親初陣の兜と伝えられるもの。元親は姫若子とからかわれる耽美系痩身美男子であったが、初陣となる長浜の戦いで50騎の小部隊を率い、70余の首級を挙げ、元親当人も雑兵ではなく騎馬武者を2人倒したという。当時の合戦での平均死亡率は数パーセントていどであったから、いくら若様直属の精鋭部隊とはいえ、50人で70人を倒すというのは破格の手柄である。
余勢に任せた元親はさらに自らの手勢だけで敵城のひとつ潮江城を奇襲し、あっさり占領する。味方の損害は皆無であった。これら物語絵巻もかくやという目立つ戦功により、初陣1回で元親は「土佐の出来人」と呼ばれるようになる。
一夜にして評価が180度変わった長宗我部元親が、四国統一目前まで行っていたことはあまり知られていない。
長宗我部氏の最初の領域は円で囲んだ中心にあるたったひとつの赤い光点(ほとんど分からん……)だ。長宗我部氏はたびたび滅亡しかけており、元親の親の世代は当時の土佐の有力者である一条氏の力を借りて、岡豊城ひとつから再スタートした。
お父さんが頑張って、元親が家督を受け継ぐころにはちょっとだけ領土を広げていた。ここから元親の躍進がはじまる。写真が赤いのは決戦クラスの演出で一時的に赤くライトアップされてることによる。
20代のうちにライバルの本山氏を滅ぼして高知県中央部をほぼ手中にする。親の国親が数十年かけて得た土地に倍はする面積を、わずか数年でゲット。
その1年後には東の安芸氏を滅ぼし、高知県東半分をほぼ統一。陸から侵攻する本隊を囮として安芸方の耳目を集中させ、山中より迂回した別働隊が挟撃するという、用兵のお手本ともいえる作戦で決着を付けた。
西には親の国親が世話になった恩顧の一条氏がいて、それを直接攻めるなんて出来ない。だからじわじわと周囲の豪族を離反させた。
最後は四万十川の戦いで、囮で釣った隙をいきなりの総攻撃で押し通る作戦で圧勝し、土佐一国を統一する。
このとき元親はまだ30歳台半ば。若さに任せ、さらに戦いを続ける。野望は当然ながら、四国77万石の統一だった。
山を越えて同盟・養子・婚姻・力攻めなどあらゆる手を尽くし、阿波・讃岐へと勢力を浸透させてゆく。領土が広がって目立つようになると天下布武を目指す織田信長との対立は避けられず、信長派遣の武将を退けたことで、織田氏直接による四国征伐を招いてしまう。
ここで運が味方する。派兵寸前となって信長が本能寺に斃れたのだ。どさくさに紛れた元親は攻略を進め、阿波・讃岐を征服してしまう。後は伊予のみとなったが、信長死後の混乱を収め、信長の後継者となった秀吉から戦いを止め、阿波・讃岐を返上せよと恫喝される。
そんなの知るかと元親は伊予攻撃を強化し、ついには四国をほぼ統一する。なぜ「ほぼ」止まりなのかというと、服従しない残党勢力などを懐柔ないし平定する間もなく、秀吉の総攻撃を受けたからだ。正確には統一目前まで行っていた、といったところだろう。
総勢10万余の大軍が3方より四国へ侵攻する。準備不足の元親方が動員できた迎撃軍はたったの3万前後。あまりの兵力差に連戦連敗、被害が大きくなる前に元親は降伏した。
敗戦後の立ち回りが功を奏し、長宗我部氏は豊臣政権下で土佐まるごと一国を領有する国持ち大名として生き延びた。同様に九州統一目前で征伐に遭った島津氏も本拠地は国レベルで安堵されており、勝てぬとわかっていても抗戦によって武家の面目を見せる示威が、どちらでも一定の効果を挙げたといえるだろう。反対につい徹底抗戦しすぎ、滅亡しちゃった顕著な例は関東の北条氏だろうか。
元親はその晩年に、鎖国の遠因となったエピソードのひとつに直接関与している。事件の経過や背景は複雑で、真実は闇の中だ。
元親の死後、関ヶ原で豊臣方についた長宗我部氏は改易され、土佐は山内氏が預かることとなった。長宗我部氏と似たような境遇だった島津氏は関ヶ原で長らく語り草となる正面突破での退却を見せ、その剛勇が処罰を免れた理由のひとつであるというから、武家社会において損得を超える武士らしい生き様は、政治にも少なからず影響していたということか。
長宗我部家最後の当主盛親は大阪冬の陣・夏の陣で豊臣方に付き、大阪城落城後捕らえられ一族郎党子女に至るまでことごとく斬首刑となる。ここに長宗我部氏の直系は滅びたが、傍流が氏を捨て名を変え、縁もない遠地の大名の家臣に士官して血を伝えたとも言われている。下は山内氏治世下の高知城下町模型。
長門だったのでちょっとアカデミックに。前半分はもはやレビューのついででもなんでもないね。
ハルヒシリーズ本編では有能有為で本の虫な長門も、公式ギャグ作品となる「ハルヒちゃん」ではエロゲマニア少女へと変貌。
頭のうさぎさんからは日々アレでナニな危ない嬌声が漏れる……。
だが長門さんはいつもと変わらず静かで無口。こういうのをなんというのか?
たぶん、そう、むっつりスケベ?
ねんどろいどシリーズは造型とクオリティが高い水準で安定しているから、特典レベルでも安心して買うことができる。この利点は信用という面で他メーカーに対し、とても大きいアドバンテージだと思う。
ヘッドホン
さらにヘッドホンを付けたままできみどりさんを乗せることも。
ノーマル長門
抱えるはもはや人には中身を見せられないPC。
下半身
さて、これでレビューも終わりだ。
いや、これで終わりではない。
さて、これでレビューも終わりだ。
なにかが足りない……。
さて、これでレビューも終わりだ。
ヒントが隠されているはずだ。
だめだ、分からない……。
プレゼント限定だったハルヒは外れたけど、長門は特典なので普通にゲット。
いきなりだけど、野外撮影。
高知県の戦国大名といえば長宗我部元親(ちょうそかべ・もとちか1539~1599)だ。ゲームなどで最近ちょっとだけ知名度が上昇してきた。
高知県立歴史民族資料館(写真奥の小山に見える建物)
この歴民館は、岡豊城という城跡に建てられている。模型は曲輪跡を紹介したもの。
じつは長宗我部元親の居城だったりして。
大名クラスの戦国武将では長宗我部氏だけ苗字が四文字もあって珍しい。おかげで戦国時代シミュレーションゲームのデザイナー泣かせだ。この家のために4文字ぶんのスペースが必要だから。
元親初陣の兜と伝えられるもの。元親は姫若子とからかわれる耽美系痩身美男子であったが、初陣となる長浜の戦いで50騎の小部隊を率い、70余の首級を挙げ、元親当人も雑兵ではなく騎馬武者を2人倒したという。当時の合戦での平均死亡率は数パーセントていどであったから、いくら若様直属の精鋭部隊とはいえ、50人で70人を倒すというのは破格の手柄である。
余勢に任せた元親はさらに自らの手勢だけで敵城のひとつ潮江城を奇襲し、あっさり占領する。味方の損害は皆無であった。これら物語絵巻もかくやという目立つ戦功により、初陣1回で元親は「土佐の出来人」と呼ばれるようになる。
一夜にして評価が180度変わった長宗我部元親が、四国統一目前まで行っていたことはあまり知られていない。
長宗我部氏の最初の領域は円で囲んだ中心にあるたったひとつの赤い光点(ほとんど分からん……)だ。長宗我部氏はたびたび滅亡しかけており、元親の親の世代は当時の土佐の有力者である一条氏の力を借りて、岡豊城ひとつから再スタートした。
お父さんが頑張って、元親が家督を受け継ぐころにはちょっとだけ領土を広げていた。ここから元親の躍進がはじまる。写真が赤いのは決戦クラスの演出で一時的に赤くライトアップされてることによる。
20代のうちにライバルの本山氏を滅ぼして高知県中央部をほぼ手中にする。親の国親が数十年かけて得た土地に倍はする面積を、わずか数年でゲット。
その1年後には東の安芸氏を滅ぼし、高知県東半分をほぼ統一。陸から侵攻する本隊を囮として安芸方の耳目を集中させ、山中より迂回した別働隊が挟撃するという、用兵のお手本ともいえる作戦で決着を付けた。
西には親の国親が世話になった恩顧の一条氏がいて、それを直接攻めるなんて出来ない。だからじわじわと周囲の豪族を離反させた。
最後は四万十川の戦いで、囮で釣った隙をいきなりの総攻撃で押し通る作戦で圧勝し、土佐一国を統一する。
このとき元親はまだ30歳台半ば。若さに任せ、さらに戦いを続ける。野望は当然ながら、四国77万石の統一だった。
山を越えて同盟・養子・婚姻・力攻めなどあらゆる手を尽くし、阿波・讃岐へと勢力を浸透させてゆく。領土が広がって目立つようになると天下布武を目指す織田信長との対立は避けられず、信長派遣の武将を退けたことで、織田氏直接による四国征伐を招いてしまう。
ここで運が味方する。派兵寸前となって信長が本能寺に斃れたのだ。どさくさに紛れた元親は攻略を進め、阿波・讃岐を征服してしまう。後は伊予のみとなったが、信長死後の混乱を収め、信長の後継者となった秀吉から戦いを止め、阿波・讃岐を返上せよと恫喝される。
そんなの知るかと元親は伊予攻撃を強化し、ついには四国をほぼ統一する。なぜ「ほぼ」止まりなのかというと、服従しない残党勢力などを懐柔ないし平定する間もなく、秀吉の総攻撃を受けたからだ。正確には統一目前まで行っていた、といったところだろう。
総勢10万余の大軍が3方より四国へ侵攻する。準備不足の元親方が動員できた迎撃軍はたったの3万前後。あまりの兵力差に連戦連敗、被害が大きくなる前に元親は降伏した。
敗戦後の立ち回りが功を奏し、長宗我部氏は豊臣政権下で土佐まるごと一国を領有する国持ち大名として生き延びた。同様に九州統一目前で征伐に遭った島津氏も本拠地は国レベルで安堵されており、勝てぬとわかっていても抗戦によって武家の面目を見せる示威が、どちらでも一定の効果を挙げたといえるだろう。反対につい徹底抗戦しすぎ、滅亡しちゃった顕著な例は関東の北条氏だろうか。
元親はその晩年に、鎖国の遠因となったエピソードのひとつに直接関与している。事件の経過や背景は複雑で、真実は闇の中だ。
元親の死後、関ヶ原で豊臣方についた長宗我部氏は改易され、土佐は山内氏が預かることとなった。長宗我部氏と似たような境遇だった島津氏は関ヶ原で長らく語り草となる正面突破での退却を見せ、その剛勇が処罰を免れた理由のひとつであるというから、武家社会において損得を超える武士らしい生き様は、政治にも少なからず影響していたということか。
長宗我部家最後の当主盛親は大阪冬の陣・夏の陣で豊臣方に付き、大阪城落城後捕らえられ一族郎党子女に至るまでことごとく斬首刑となる。ここに長宗我部氏の直系は滅びたが、傍流が氏を捨て名を変え、縁もない遠地の大名の家臣に士官して血を伝えたとも言われている。下は山内氏治世下の高知城下町模型。
長門だったのでちょっとアカデミックに。前半分はもはやレビューのついででもなんでもないね。
ハルヒシリーズ本編では有能有為で本の虫な長門も、公式ギャグ作品となる「ハルヒちゃん」ではエロゲマニア少女へと変貌。
頭のうさぎさんからは日々アレでナニな危ない嬌声が漏れる……。
だが長門さんはいつもと変わらず静かで無口。こういうのをなんというのか?
たぶん、そう、むっつりスケベ?
ねんどろいどシリーズは造型とクオリティが高い水準で安定しているから、特典レベルでも安心して買うことができる。この利点は信用という面で他メーカーに対し、とても大きいアドバンテージだと思う。
ヘッドホン
さらにヘッドホンを付けたままできみどりさんを乗せることも。
ノーマル長門――気付いている。もう幾度もエンドレスであったことに。
だがそれに終止符を打つべきヒントは、これまでの数々のレビューで示されていたはずだ。
それはなんだ? いったい何だ?
さて、これでレビューも終わり――じゃない!
ぱんつだ!パンチラだ!
これこそが答えだったのだ! こうして長いレビューは終わった……。