キノの旅 1/8 キノ(フィギュアの国) フィギュアレビュー
第××話 「フィギュアの国」
― White Green Strange ―
白くて灰色の空間があった。どこまでも遠くて深く、なにもない。
木も草も雲もない。淀みなくただ一定のひたすらな淡い光で満ちている。光源はぼやけていてよく分からない。上とも、横とも、下ともいえた。
もしこの灰色の世界になにかがあるとすれば、それは無辺の地面だった。
地面と呼べるのだろうか。果てしない地平まで続く汚れた雪原のような、地面というよりむしろ床のようなものだった。
だが床と呼ぶにもあまりにも均一で、まっさらである。風すらもなく、表面を撫でるものはなにもない。変化がないのだ。
そのような静止でもしている不変の世界に唐突として、ただひとつの動く者が現れた。
一人の旅人がゆっくりと歩いていた。
若い人間だった。見た目は十代の中頃くらい。顔の小ささと比べて大きな目だが、視線は鋭い。黒いジャケットを着て、腰には太いベルト、後ろにホルスターを下げている。
ホルスターは空で、中のハンド・パースエイダー(注・パースエイダーは銃器。この場合は拳銃)は旅人の右手に握られていた。
旅人はパースエイダーの安全装置を解除し、引き金に指を添えている。いつでも撃てる構えだった。
不思議なことに、旅人の足元だけ、灰色というよりむしろ白に近い床が普通の地面に変化していた。未舗装の荒れた赤土と、無造作にプリントされた轍、路傍の草だ。田舎道といった感じだが、旅人を中心として数歩の範囲しか見えない。旅人が歩むに従う地面は、前方より土や草が粘土細工の早回しでも見るかのように地面から生え、形作られ、瞬時に着色される。一方の消えゆく境界ではなにもない無変化の不自然な秩序へと溶けつつ脱色し、白のキャンバスへと戻ってゆく。
「キノ。どこにいったの」
男の子の声がした。旅人の後ろからだ。すこし離れている。無音の空間なので、多少声が小さくてもしっかり届く。
「なんだい」
キノと呼ばれた旅人が振り向いた。
「ボクはまだたぶん近くにいるよ、エルメス」
「なにも見えなくて不安だよキノ。もしキノがいなくなったら誰が運転するんだい。いますぐ戻ってきてよ声を頼りにさ」
キノは歩みを止め、諭すように言った。
「なにもしないと解決しない。飢えて死ぬなんてボクはいやだ。エルメスはモトラド(注・二輪車。空を飛ばないものだけを指す)だから平気かも知れないけど」
「不便だよね人間って」
キノは不意に、下げていた銃を構えた。
「ボクもそう思うよ。だから離れ離れになる危険を冒してまで、助かる術を探しているんじゃないか」
「まさに紐渡りだね」
「……綱渡り?」
「そう、それ」
キノの突っ込みにエルメスが答えると同時に、若い旅人は身を捻らせ、静寂に轟音が。
一発、二発、三発と――
早鐘のように響いた。
キノは銃口を突きあげたまま、一歩ずつ慎重に進む。パースエイダーの先端からは煙が出ている。
十歩前後で、緑の小人に行き当たった。
地べたに三人、倒れている。
仕留めたのはもちろんキノのパースエイダーだ。見えない相手に気配だけでいずれも命中させているから、百発百中の物凄い腕だった。
「キノ、どうしたのキノ」
非常事態だというのに、エルメスの声はどこか間抜けている。
「エルメス――小さい人間だ。ボクの膝くらいまでしかなくて、髪は緑色」
「緑色の髪をした人間はいないよ」
「血も流れてない」
「ますますそれ、人間じゃないよ」
キノは無表情のまま、パースエイダーの先で小人を順番に小突いてみた。
「……うう、とーちゃんいてーよー」
三匹目が生きていた。
「ここはどこだい。どうしてボクにイヤらしい視線を向けたんだい。教えてくれたら助けてやってもいい」
「……フィギュアの国」
「フィギュア?」
聞き慣れない単語に、キノは眉をひそめた。
「城門も、入国管理官もいないのに、このなにもない無色の世界が『国』だって?」
「よつばとのレビュー背景は……常に白い。たとえ濃い系の壁紙が撮影に有利だと分かっていても、あえてょぅι゙ょ下○の基準妄想色である白で――遠くは暗さにぼやけ灰色に映る」
「なにを言ってるのか分からない」
「フィギュアは視姦される運命。いかな萌えキャラといえども、何者もレビュアーの懊悩からは逃れられない……普通なら」
「普通なら?」
小人はキノをちらりと見た。
「きみは、勝ったようだ」
言い終えると同時に、緑の小人は動かなくなった。
とたん、世界の白さが薄れはじめた。
「……エルメス!」
「こっちだよ、キノ!」
キノは迷うことなく、エルメスの叫びを頼りにその場から走り去った。
たちまち灰色に埋没してゆく緑色の小人たち。
少し離れたところでエンジンを始動する音がした。
世界が晴れてゆく。
緑色の小人たちが死んでいた場所も、白い床が霧散し、未舗装の路面が浮き上がる。それは赤土に汚れ轍が走り脇に雑草が茂る、ありふれた道だった。
澱みが払われ、風が復活した。
風に乗ったキノとモトラドが、小人たちのいた現場を一瞬で駆け、遠くに去ってゆく。
遠ざかる音だけが残留するその場に、転がっていたはずの緑色の三人はどこにもいなかった。