男たちの大和YAMATOロケセット 1/1戦艦大和とおまけかみちゅ!聖地尾道

造形
撮影:2006/01/04

 戦後60年を記念して作られた映画「男たちの大和YAMATO」で使用された1/1ロケセット。全長263mのうち190mを再現している。場所は広島県尾道市、瀬戸内海は向島北岸。偶然にもこの周辺は2005年度文化庁メディア芸術祭アニメーション部門優秀賞を受賞した良質アニメ「かみちゅ!」の舞台なので、いわゆる聖地巡りも適当にしてみた。ロケセットが置かれた工場シャトルバスを降りるとまず目に入る艦首部残念ながら艦橋はない大和を上から見るにちょうど良い小山 じつはかみちゅ!で神様休憩センターのモデル自動販売機もYAMATO第1砲塔の砲門は存在しない係留時に使うのかな?副砲および第2主砲塔(94式45口径46センチ) 口径46センチは艦載で当時世界最高も、最後の沖縄特攻を除き慎重に運用しすぎたため、威力を発揮する機会はほとんどなかった。戦艦大和は軍部の高価な玩具として徒花に終わったが、大和級開発で培われた造船技術は民間に広く転用され、戦後復興を助けた。小道具長い長いロープ 実際の大和には縦横に綱が渡してあった第1砲塔から前も構造がずいぶんオミットされている艦首部より第2砲塔の上にも機銃15.5センチ副砲96式25ミリ3連装機銃浮き輪にも「やまと」バトルダメージ左舷機銃群50基もあった3連装25ミリ機銃(単装も含めると76基)観測装置? 探照燈?12基あった89式40口径12.7センチ連装高角砲バトルダメージ ハリネズミのような大げさな対空火器群は、戦艦大和の歴史において最後の数ヶ月間にしか見られないごく短期間の様相だった。すべての空母を失ってしまい、火力を増やすしか対抗手段がなかったのだ。しかし極度に密集していたため、わずか数発の爆弾が命中しただけで銃座の何割かが沈黙した。2波計400機近く襲来した米軍機の損害は被弾数十機、墜落わずか6機であり、大和の努力が水泡だったことが分かる。当時の日本軍には米軍が採用していた至近炸裂弾(近接信管)が存在しなかった。確実にかつ何発も連続で命中させるか、時限信管がたまたま敵機近くで炸裂しない限り、まともなダメージを与えることができなかった。しかも米軍機の性能はゼロ戦の最新型をも赤子同然に弄ぶほど向上しており、対米開戦前に開発された時代遅れの銃砲と管制装置でまともに補足できるはずがなかった。大和独特の機銃群デザインは宇宙戦艦ヤマトに受け継がれた。裏側は鉄骨隣にはドッグが見えるロケセットの隣にある圭ちゃん食堂カレー(500円)を食べたタカラ連斬大和が飾ってあった隣の小山から大和を見下ろすべく移動登り口は保養所入口小山の頂は水神が祭っており映画のロケ地だったかみちゅ!聖地 保養所+神様=神様休憩センター 同山より大和俯瞰。再現しているのは全長の7割ほどだが、それでも圧巻な大きさだ。航空戦力やミサイルの性能が著しく向上した現在、このような戦艦は運用可能な状態では地球上のどこにもいない。最後の戦艦ミズーリは10年以上も昔、1992年に退役してしまった。大和の大きさおよび総火力(核を除く)を凌ぐ戦艦は史上に1艦として存在しない。日本は欧米から技術を摂取してわずか半世紀足らずで世界最大の巨大戦艦を造り仰せた。日本人に多い数値目標を第一に持ってくる悪癖のせいで、性能面では欧米のより小振りな戦艦に劣っていた部分が多かったが、ともかくも世界一であり、戦後の日本人にとってひとつの象徴として輝きつづけている。それは単純な誇りや懐古であったり、反面教師や憎むべき対象であったり――さまざまな感情をないまぜにして無視できないのが、戦艦大和という巨星なのだ。かみちゅ路地のモデルとなった尾道中心部渡し船は沢山あり主人公が通学に使用したモデルは特定されてないとりあえず最寄りの船着き場に行ってみたかみちゅの1話で台風を鎮めるため主人公一橋ゆりえが渡った尾道大橋(奥側・手前はしまなみ海道の新尾道大橋)尾道大橋を通過してみる尾道駅前の広場よりハリボテぶりを披露してるロケセットを撮影主人公たちが通ってる中学のモデルとなった土堂小学校対岸にある造船所群は猫の王国キャットワールドのモデルにほかにも主人公宅や神社のモデルもあるがここで時間切れ最後に高いところからロケセットロケセットの圭ちゃん食堂で売っていたタカラ連斬模型シリーズ「男たちの大和YAMATO」をセット購入あれ? 主砲の砲塔が2本しかないぞ?シークレットのA−150計画セットだった……orz欲しいのはあくまで戦艦大和だぁ!
 シクレセットをヤフオクで売り払って天1号作戦(沖縄特攻時)の大和を落札しちった。

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