銭形砂絵(琴弾公園) 漫遊 おでかけフォト よろずなホビー
日本にも地上絵がある。
高松でひな祭り観光をしたあと、時間が余ったのでそのまま丸亀を抜け、さらに西進した。
香川県観音寺市 観音寺&神恵院
2013年は四国八十八ヶ所霊場が1200周年らしい。すごいね。
面白い顔した仁王さまだな。
こちらが観音寺で。
こちらが神恵院。
お寺は早々に――
メインディッシュだ。
琴弾公園 銭形砂絵(寛永通宝)
東西122m、南北90mか。かなりでかいね。
日本にナスカの地上絵みたいなものが江戸時代からあったのは面白いね。降雨の多い日本では長持ちしないので、毎年2回以上作り直している。で、まずは「寛」。
つづけて「永」。このお金は江戸時代のはじめ、1636年に鋳造がはじまって、幕末まで継続して生産された。
みっつめの「通」。明治30年ごろまで通用したという。
最後に「寳」だよ。観音寺市では地域通貨として寛永通宝が使えるらしいけど、実際の使用率はどんなものだろう。
おまけで真ん中の穴。ここに紐を通して持ち運ぶ。
展望所より瀬戸内海を臨む。
下に降りて、砂絵に近づくぜ。そういえばこの砂絵、日本で一番古いものでもあるな。公式は不明だが、伝説では1633年、丸亀藩主のため地域の人たちが砂絵を作ったのが始まりという。寛永通宝が出回る3年前なので、当初の図柄は違っていただろう。
歴史ある砂浜なので、松も面白い。
なんだこの盆栽みたいな松は。フリーダムすぎる。
近づいたぜ。
きっちりしてるな。400年近くに渡り、一貫して観光用として整備維持され続けてきた、希有な地上絵だぜ。
魚眼で全体を写してみる。
このような歴史のある地上絵は、日本ではほとんどほかに例がないようだ。おかげでこの砂絵は、小説やテレビ、映画のモチーフになったことがあり、テレビのロケも行われている。桃太郎電鉄というゲームにも登場してるらしい。
なかなかに興味深い砂絵であった。第二次大戦中は米軍がなにかの軍事施設や擬装と勘違いし、再三この地上絵を偵察したという。もちろん見た目まんまの観光用だったわけだが。