東方日蝕帳 Shoot the Eclipse. 漫遊 おでかけフォト よろずなホビー
射命丸文の視点で綴られる金環日食の観測記録。
文文。新聞 第百二十七季 皐月の三
皐月二十一日、日蝕が起こるらしい。
蝕との字にある通り、太陽がすっぽり陰てしまう事件である。ただし今回は妖怪などによる怪異ではなく、ただの自然現象という話だ。
暇つぶしに行った計算で発生を導き出した河城にとりさん(河童)はこう語った。
「お天道さんの完全な蝕は、ピンポイント的に幻想郷では百七十三年はなかった出来事だね。外の世界、日の本全体に視野を広げると、九百三十二年ぶりの大がかりな規模だから、平安以来の騒ぎだよ。ついでに私の財布も潤うよ。宣伝よろしくね」
たしかに本紙記者は百歳かそこらだった幼少のみぎり、日の蝕甚を目撃していた気がする。お国中を巻き込む現象だけに、顕界の喧噪が伝わっているのか、幻想郷でも人間の里を中心に日蝕ブームが起きそうだ。妖怪と違い人間の一生は短いので、百年単位のレアイベントに、にわかお祭りは確実だろう。
これは河城にとりさんが河童のバザーで大々的に売ってる、日の蝕を眺めるための特殊な観察用プレートである。太陽の光線がもつ有害な成分を通さず、安全に目を守るという。値段はわずか五百圓だ。
その一部をレンズの形に切り取り、取材用の簡減光易フィルタを作ってみた。さっそく試し撮りをしてみたいと思う。
普段の取材では使わない三脚に、カメラを固定する。撮影用の三脚は外の世界で忘れ去られて幻想郷入りしたものが、香霖堂にて売られている。
試写は一度で成功したが、太陽が薄いもやに覆われていた。それにしても周囲が暗いのは、まるで夜のようで面白い。
どうやら雲の影響を受けてしまうようだ。
時間を開けて、雲のないときに写したところ、きれいな形の太陽を写すことが出来た。これで日の蝕を写す準備が整ったといえるだろう。次号では蝕の模様を伝えることになる。(射命丸文)
文文。新聞 第百二十七季 皐月の四
前号で予告した通り、二十一日に起きた日蝕の様子を、時系列に沿って記す。
観察用減光プレートの手引き書によれば、午前七時半前後が蝕甚となる予定だが、残念ながら妖怪の山は午前六時半を過ぎて暫し経ってもなお、雲が濃かった。どこまでも薄灰色の曇空が広がっているのみだ。すでに部分蝕が始まっているのに。
もちろん天狗の力で空を飛べば、雲を突き抜けて蝕を観測できるが、ブレブレでとても写真記録には残せない。そこで水辺へ移動した。雲を減らすには、地形が平らな方がいい。
山を下りて霧の湖、矢印の場所に撮影ポイントを絞った。
格好のポジションとして知られており、すでに人間の里から何台もカメラが整列していた。
雲間より見える青い空を、これほど恨めしいと思ったことはなかった。
正面方向の太陽が、雲に覆われていたのだ。
この状態で減光フィルタは役に立たないので、外すことにした。お役目御免である。あとは天に運を任せるしかないだろう。
待つこと暫し。ついにわずかな隙間より、蝕のピークを迎えようとする太陽を捉えることに成功した。
蝕にも何種類かあるが、今回はお天道さんの前に、月がすっぽり綺麗に重なる現象である。不思議な形の太陽だ。香霖堂店主、森近霖之助さん(半妖)が翌日、こう評していた。
「まるでマンガの三日月だね!」
漫画とは、香霖堂でしか手に入らない戯画の一種である。
蝕甚が近づくにしたがい、辺りが急速に暗くなってきた。太陽は青い円で囲った高さにあるのに、まるで日没直後のようで不思議な感覚だった。
太陽は完全に雲の向こうにあり、なかなか写真に収められない。
まさに神頼みである。ここは耐えるしかない。
だがそれは幸運にも報われた。下は、すこし薄くなった瞬間を狙って写した一枚である。これだけではあまりよく分からないだろう。おそらく人間の里で見ていた人にも、この状態でしか観測できなかった方が多いと思われる。
そこで画像処理を施した。すると蝕がくっきりと現れた。これは幻想郷の記憶と呼ばれる稗田阿求さん(人間)によれば、金環日蝕という現象らしい。
「月の見かけの大きさは一割ほど変化しています。その小さいときに太陽との中心蝕が起きれば、金環日蝕となります。逆に大きければ、皆既日蝕となります。金環と皆既の発生割合は、ほぼ同率のようですね。中心食以外は、ただの部分日蝕です。ただし中心食のときでも、部分蝕しか見られない地域のほうがずっと多いらしいです。ですから金環も皆既も、とても珍しい出来事なんですよ」
なるほど、自然はときに面白い。
さらにもう一枚、金環を写せた。こちらのほうが雲が少なく、より明るいので、引き延ばして掲載する。金環蝕はわずか数分で終了した。もっとも雲を通してでは、金色というよりは白い輪である。
蝕甚のまっただ中にたまたま写せたのは幸運だった。その後はまたしばらく雲の厚い状態がつづき、視界は遮られたままだった。
つぎの撮影機会では、すでにお日様はこのような状態であった。
もちろん周囲はとっくに普通の明るさを取り戻している。
観測プレートがもったいないので、なにか使い道はないかと考えているうちに、さらに雲が晴れてきた。そこで試したかった撮影を試みてみた。
空とフィルタ越し部分蝕の、同時撮りである。コレボレーションが成功してうれしい。これで河城にとりさんへの義理も果たせただろう。(射命丸文)
補記
金環日食撮影地:高知県高知市種崎 高知新港
撮影日時:2012年5月16日・21日
21日朝、高知県は生憎の雲に覆われていたが、おもに海沿いを中心に金環日食が見られた。撮影ポイントを海浜へ移したのは、雲が内陸より薄くなりやすく、観測できる見込みがあると経験的に知っていたからで、高知以外の地域で通用するかどうかは知らない。
なお、河城にとりのインタビューに登場する数字は、幻想郷が長野県南部にあると仮定してのものだ。高知での中心食発生は163年ぶり。