パチュリーと行く大塚国際美術館 漫遊 おでかけフォト よろずなホビー
パチュリーと一緒にヨーロッパの複製名画を原寸大で大量に眺めてきた。陶板名画の美術館。
アレクサンダー大王
教科書などで見たことのある人も多いだろう。有名なモザイク壁画だね。ちょっとだけインテリジェンスな内容っぽいので、今回は東方Projectより動かない大図書館パチュリー・ノーレッジでお届けする。
徳島県鳴門市鳴門町 鳴門公園
大塚国際美術館
ここは古今東西の名画を陶板複製画として見物できる日本初かつ最大の美術館。複製画専門として世界屈指となる。美術館としても日本第2位の敷地面積を持っており、ざっと3万平米。日本最大は東京の国立新美術館。
今回いきなり名画に興味を持ったのはミレー展へ行く機会があったため。下の「種をまく人」をなにかで見たことのある人も多いだろう。教科書クラスの名画が数奇な巡り合わせで地方都市(高知)にやってきて、実物を見て意外なほどに興奮した。ただし厳重な警備や人集りで、ゆっくり観賞とはいかなかった。むろん撮影など絶対に禁止だ。
ミケランジェロ
No.1 システィーナ礼拝堂天井画および壁画 1508-1512,1535-1541年
大塚国際は写真OKな美術館だ。なにしろ焼成した陶器だしニセモノだから、変色変質を気にする必要がない。2014年5月末時点でナンバリングされた範囲で1074点の名画を展示している。ひとつの番号で複数をカバーしてることもあり、実数はもうちょっとだけ多い。
朝一番から夕方までずっといて、全作品をゆっくり鑑賞してきた。普通に見学すれば余裕で6~8時間は必要だ。撮影数は700枚近くあり、500枚ほどを現像したが、このレポで実際に載せてるのは102枚に留めている。理由は後述。
このシスティーナ礼拝堂は大塚国際美術館に入って最初に見ることとなる目玉展示だ。全長40m・全高20mは圧巻。ローマのヴァティカン市国にある本物と寸分違わぬ同スケールで再現してある。大塚製薬などで知られる大塚グループが、創立75周年事業として1998年に開設した美術館。展示物は西洋の名画および壁画の精巧な陶板レプリカに限定しており、その規模および明確なコンセプトによって、来訪者年間およそ22万人と地方の美術館としては安定している。入場料は3000円ちょっとと高めだが、西洋絵画に興味があるなら一度訪れてみても良いかもしれない。
環境展示を除けば個々の「作品のみの撮影」がダメだったことに帰宅してから気付いたので、合成で「パチュリー」と「大塚国際美術館」を混ぜ込む力業で解決。ネットをあちこち見てきたところ、人間を前に置いたり(記念撮影など)人形を介して「ほかに使い道がない」状態にすれば良いみたい。
システィーナ礼拝堂壁画のハイライト、最後の審判だね。制作に何年もかかったルネサンスの超大作だ。
ここから大塚国際美術館が採用している時代区分(欧州)ごとに分けてみた。時代内の掲載順はだいたい作品ナンバー順。
古代
パチュリー(青丸内)だぜ。まず古代だ。解説に妙な温泉マーク付きがあるな。
温泉な漫画テルマエ・ロマエとコラボレーションしてるようだ。記念撮影セットまである。関係する絵がいろいろある。
No.9 貝殻のヴィーナス 70年頃
陶器だから野外展示も平気。なお文字(ウォーターマーク)やパチュリーを入れてないが、こういう絵以外の空間そのものを含めた環境展示の撮影は禁止事項に該当しないようだ。おなじく展示空間そのものを広角で写したものも同様。ダメなのは個々の作品のみを大写しにしてかつそれ単体で掲載する行為(ほかの用途に使用できる一次資料的な状態)っぽい。
貝殻のヴィーナス。中庭の一画を装飾していた壁画。ローマ美術だぜ。
ここが古代系統のメイン展示スペース(の一部)。かなり薄暗いが撮影に際し三脚&ストロボ(フラッシュ)は使用禁止だ。今回使用したカメラは高感度に強い Nikon Df のみ。D7000はお留守番だ。ひたすら静音モードで隠者のようにカポッ、カポッと写してた。
展示はどれも小綺麗でさっぱりしてて、美術館というより博物館・資料館の趣がある。実際この美術館を資料用途で利用してる研究者や画家の卵がいるという。わざわざ海外から訪れる人までいる。すべてが実物大だから、絵画のタッチなども原寸そのままだ。いろいろと便利なのだろう。
陶器だから床にも填められる。いくら踏まれようが汚れようが掃除すれば元通り。しょせん複製なので管理も神経質にならず済む。
よく見たらモザイクの微妙な凹凸まで再現していて芸が細かい。コストの問題からか再現してないやつも多いけど、これぞというやつは立体焼成してて、油絵には筆のタッチまで立体的に再現されてるものもあった。大塚グループの技術を駆使し、複雑な工程を経る特殊な焼き物だ。ただの「印刷」じゃないぜ。その気になればブロックの継ぎ目すらも接着技術でほとんど目立たせなくできるようだが、全作品であえて境界をはっきりさせてるのは、本物じゃないってことを納得してもらうのもあるのかな?
No.26 アレクサンダー・モザイク 前100年頃
超有名なやつ。見たことのない人はまずいないかもってクラスの。横幅6mだぜ。でけえ。このレポめっちゃパチュリーだらけだけどネット公開可能な状態を維持するためなので許せ。フィギュアがいるから転載されても作品の例としては使い物にならない。もはやネタ画像にしかならん。
ポンペイ出土。余裕で世界遺産。イッソスの戦いでアレクサンダー大王がダレイオス3世(ダリウス3世)を破るシーン。
No.61 パン屋の夫妻 60-79年頃
あと知名度の高いメジャー作品を除けば個人的に気になったもの以外、ほとんど載せていない。理由は私が写真をすべて真っ正面から見た感じへと綺麗に整形してしまったせいだ。いかにも写したって感じじゃなく、ネットで画像検索したときに出てくる、額縁がきれいに方形を取って上下左右の長さもきっちり揃ってる感じ。メジャーなやつはみんな知ってるから載せてもリスクは小さい。でもマイナー系は数を載せるとヤバそうなので控えた。現地(鳴門市)に行ってのお楽しみってところ。
こいつはポンペイの肖像壁画だな。当時住んでた人たちの特徴をよくあらわしてるってことで価値があるやつ。パン屋じゃなく弁護士との説もある。
中世
大塚国際美術館にはこういう部屋が無数にあってかつ複雑に連なっている。連絡通路も多い。うまく巡らないと見落とすことも多いぜ。中学生の集団がいたが、データの扱いに慣れたいまどきの子だけあって上手にチェックしつつくまなく見回っていた。大人のほうがかえって迷いそうで、実際に「おっ、あいつ有名作品だぞっ!」て飛ばして見たらもう分からなくなって、迷い歩くおっさんやおばさんのグループが「たくさん」いた。私は一部を除いて単純に作品ナンバー順でつぶさに見ていった。歩く距離こそ長くなるが、確実に全作品を閲覧できる。
ジョット他
No.139 スクロヴェーニ礼拝堂 1304-1305年頃
何回か書いてるが、この美術館は欧米(東の端でもトルコまで)の絵画・壁画のみを扱っている。
北イタリアにあるカラフルな礼拝堂だ。大塚国際美術館ではほかにもいくつかの聖堂や遺跡壁画をまるごと再現している。
ジョット
No.227 小鳥への説教 1290年頃
写実描写への転換期に描かれた歴史の証人。暗黒とまで呼ばれた中世。その1000年あまりの停滞が動きだし、わずか数十年でガラリと変わった。つづく時代はルネサンスへ。その辺りの細部はネットで調べたらいくらでも出てくるぜ。
No.232 「わが唯一の望みの」(「一角獣を従えた貴婦人」より) 15世紀末
パリの美術館が収蔵しているタピスリー(綴織壁掛)。中世絵画は日本で知られている作品がとても少ないので、約100点と国内最大級でまとまって展示してあるこの美術館は貴重らしい。明治初頭の文明開化で受けたカルチャーショックにより、日本人はルネサンス期以降の洗練された西洋美術が大好物なもので、発展途上はどうしても見送られがちだ。
ルネサンス
長き沈黙を抜け、一気に人文人智の花開くルネサンス。再生・復興といった意味。あらゆるジャンルに波及し、欧州が世界に先んじて大発展してゆく原動力となった。
大塚アートくん。自動で案内解説してくれる。
ミケランジェロ
No.273 聖家族(ドーニ家の聖家族) 1503年頃
中世以前とあまりにもかけ離れた圧倒的な描写力。というよりはこういう表現が宗教上・慣習上などの理由によって「描きにくかった」のが、ルネサンスによってようやく解放されたというべきか。作家がおのれを主張できるようになり、ミケランジェロやラファエロ、レオナルドといった個性が花開いた。
ティツィアーノ
No.291 聖母被昇天 1516-1518年
定番の大作。ヴェネツィアの聖堂にある。当時これを見て感激する人が続出したそうだ。たしかに感性へ直接訴えかけてくるものがあるっぽい。
でけえよこいつ。高さ7m。デジタルティルトシフトではものすごい補正をかけている。
サンドロ・ボッティチェッリ
No.292 ヴィーナスの誕生 1485年頃
こいつもメジャーな作品。フィレンツェ。イタリアのが多いな。
ヴィーナスの女神が全裸で描かれるのは古代ローマ以来だったらしい。ルネサンス期は空想の女性がメインだったみたい。実在の裸婦画がジャンルになるにはまだ時間がかかる。
サンドロ・ボッティチェッリ
No.293 春(ラ・プリマヴェーラ) 1478年頃
これもそこそこ有名なやつ。宗教画だけでなく、古い神話に題材を取った絵も多い。
ピーデル・フリューゲル(父)
No.317 バベルの塔 1563年
こいつも有名だね。バベルの塔だ。
旧約聖書の話。おごった人類が天までそびえる塔を建てようとした。怒った神は人の話す言語や心をたくさんに分けた。
こうして人は言葉や文化の違う不和な集団同士で競い争うようになったとさ。
レオナルド・ダ・ヴィンチ
No.344 モナ・リザ 1503-1506年
おそらく日本でもっとも著名な絵のひとつ。いろいろと凄いらしい。すごすぎて素人には平凡な絵にしか見えないが、定番・普遍になるほど後世に模倣やオマージュ、パロディ作品が大量発生した。そのエポックメイキング傑作。そういう「始まり」は後世の視点から見れば「なんで凄いの?」となりがちだけど、登場した当時、ないしは価値が認められた当時は「すげえ!」の一言だった。
この絵をレオナルド爺さんはどれほど極貧に陥っても生涯手放さなかったという。その後は世紀の傑作ゆえの名声から時の権力者がこぞって欲しがり、各地を転々とした。現在はフランスのルーヴル美術館で防弾ガラスに守られて公開されている。
有名すぎて幾度も盗難や攻撃の対象となり、表面はずいぶんと荒れている。この半世紀あまりだけでも4度、心ない観客がフランスを象徴するモザ・リザの破損を試みており、うち一度は大きな損傷となった。最近2度は厳重な保護によって攻撃を跳ね返している。
レオナルド・ダ・ヴィンチ
No.346 最後の晩餐 1495-1498年
モナ・リザと並ぶレオナルド・ダ・ヴィンチの代表作。ミラノにある修道院の食堂の壁を飾っている。当時再発見され発展途上だった遠近法を一挙に完成の粋にまで高めたらしい。ただし食堂という立地からどうしても痛みやすく、第二次大戦の空爆で被害を受け、さらに昔の修復の方法が杜撰だったため、見るも無惨なありさまだった。
修復後
1977年から1997年にかけて修復されたもの。表面を濃く覆っていた汚れがすべて取り除かれ、後世の画家が独自に解釈して書き足されたまたは誤って直された部分はすべて消された。分からない部分は空白となり、分かる部分はできうる限りレオナルドの色と筆遣いでもって再現された。
修復によって若返ったキリストさん。
アルブレヒト・アルトドルファー
No.363 アレクサンドロス大王の戦い 1529年
なぜか重装の甲冑を着てたり旗が滅多やたらでかかったり城砦が進歩しすぎてたりするが、そういう誤りも含めて名画。今みたいに豊富な資料が手に入る時代じゃなかったから考証も大変だ。
ドッソ・ドッシ
No.475 魔女キルケ 1523年頃
マイナーだがこいつを載せたのはある部分が気になったので。
人面犬! 魔法で犬にされた元人間らしい。
ジュゼッペ・アルチンボルド
「四代元素」より2作・「四季」より2作。見るからにシュール。
No.479 夏(「四季」より) 1563年
ランダムに組み合わせたわけではなく、個々の作物や体の部位に意味があるらしい。込められたものが多すぎて説明されないと分からないけどね。当時どのような評判だったのか気になるけど、批評の風雪に耐えていままで無事に残ってる。
バロック
写真は昼飯。美術館内のレストランで。
ルネサンスのあとに来たバロックは、ギリシャローマの活力を再生させたルネサンスから、一皮剥けた新時代のヨーロッパとしての新たな文化を獲得する試みらしい。たしかに停滞から復活したなら今度は進歩しなくては、また中世のような停滞となる。そしてバロックの挑戦者たちはその活動に勝利した。バロックとは複雑さや難解を意味する。
エル・グレコ
No.2 大祭壇衝立画復元 1595-1605年頃
戦禍によって散逸した大祭壇を復元した環境展示。オリジナルはこの姿としては世界のどこにも現存しておらず、散らばった個々の絵が伝わるのみだ。多くをマドリードのブラド美術館が所蔵している。
別アングルで画像補正なし。
レンブラント・ファン・レイン
No.390 夜警 1642年
本来は市民の射撃隊を描いた集団肖像画だが、レンブラントがすごすぎて絵の持つ意味が一人歩きしてしまった。夜警は後世の名付け。アムステルダム。
ディエーゴ・ベラスケス
No.426 ラス・メニーナス(女官たち) 1656年
侍従長みずからが仕えるスペイン王族を描くことで、おそろしく謎かけの多い不思議な絵画となったらしい。たしかに良くありがちな宮廷肖像画からかけ離れている。なにしろ娘を見守ってる王様が後方に追いやられ、構図の左端は衝立(キャンバス)が占拠して狭っくるしい。画家(ベラスケス自身)が主役である幼い王女のすぐ近くにいて王様よりずっと大きい。ただのお着せの肖像画家には畏れ多くて、王様相手にこういうチャレンジは出来ないだろう。
イアサント・リゴー
No.434 ルイ14世の肖像 1701年
王族肖像画の定番。参考書や教科書でもよく見かける、絶対王政フランスの太陽王ルイ14世。ブルボン王朝の絶頂期だった。
72年間も王位にいたんだってさ。名言として「朕は国家なり」が残る。家臣に任せるばかりではなく、積極的にみずから政治を行った。
フランシスコ・デ・ゴヤ
No.493 1808年5月3日、プリンシペ・ピオの丘での銃殺 1814年
もっとも有名な戦争絵画のひとつ。5月2日に鎮圧されたマドリッドの暴動。その逮捕者を翌日まとめてフランス軍が処刑した一幕。400人以上が殺されたとされる。ゴヤの怒りがそのまま絵に込められているようだ。
陶板の迫力がよく伝わる部分を見つけた。
白い袖のところが分かりやすいが、絵の具のタッチが立体的に浮き上がってる。芸の細かい「焼き付け印刷」だ。凹凸焼成により、絵筆のタッチがはっきり再現されている。
フランシスコ・デ・ゴヤ
No.489 着衣のマハ 1800-1805年
裸のマハと対になる絵。マハとはスペイン語で粋な下町娘を意味する。
No.490 裸のマハ 1796-1800年頃
実在の女性を裸婦画の対象とした絵。これまでは神話から題材を取ってくることが多かったが、時代はヌード絵にも写実を要求するようになった。
マティアス・ストーム
No.969 聖ヒエロニムス 1640年頃
トリックアートの古典。銀メッキの筒がないと描かれてる主題が見えない。
ヤン・フェルメール
No.1060 真珠の耳飾りの少女(青いターバンの少女) 1665-1666年頃
このはっとする絵筆。暗い背景に光を受け明るい姿を浮かばせる少女。コントラスト差が大きい。
近代
短期間でどんどん移り行く時代。それぞれの時期の代表作も膨大だ。大塚国際美術館では一括りに近代としてまとめてる。
写真はモネの睡蓮を飾ってる池のハス。ちょうど開花する時期。
クロード・モネ
No.483 「大睡蓮」 1916-1926年
印象派の大作。パリのオランジェリー美術館にあるものを再現。オリジナルは屋内展示だ。
陶板の利を活かして本物の蓮池で囲った野外展示となった。
印象派の筆運びだ。近くだとなんだこれって感じだが、離れたら「!」となる。
テオドール・ジェリコー
No.521 エプソムの競馬 1821年
これだとまるでウサギで実際の馬の走り方と違うが、この当時は正確に描写するよりイメージや勢いを優先したほうが賞讃されることも多く、必ずしも写実的である必要はなかった。だからこそこの絵は名画の仲間入りをしている。嘘や想像100%で書かれる「物語」が爆発的に生産されるようになったのも近代。
ウジェーヌ・ドラクロワ
No.571 民衆を導く自由の女神 1830年
ロマン主義の傑作。有名になるべくして生まれた絵。制作同年に起きた革命を描き、同革命によって誕生した政府が翌年買い上げた。
主役の女性は「自由」の擬人化マリアンヌ。日本では「自由の女神」と意訳されている。米国ニューヨークにある自由の女神像も「マリアンヌ」でポーズまで似てるが、この絵と直接の関係はない。それだけあちらでは一般的な題材ということか。
マーティン・ジョンソン・ヒード
No.579 カトレアと3羽のブラジルハチドリ 1871年
とくに有名というわけではないが、一部分が気に入ったので。
幻想郷の雰囲気をちょっとだけ持ってる感じがする。
ジャン・フランソワ・ミレー
No.596 落ち穂拾い 1857年
大塚国際美術館を訪れる元となったミレーの作品。農民を描き続けたミレー、代表作のひとつ。
ジョン・シンガー・サージェント
No.610 カーネーション、リリー、リリー、ローズ 1885-1886年
明治時代はヨーロッパで日本趣味が流行った時期。日本を題材のメインないし一部に用いた絵がいろいろ描かれ、そのうちのいくつかは世界的な名画となった。これも日本趣味をあらわす作品のひとつ。作者のサージェントはアメリカ生まれで、本場欧州に渡って画家として認められた。
クロード・モネ
No.612 ラ・ジャポネーズ 1876年
タイトルから直球ストレートの日本趣味ど満開作品。日本趣味といえばこのラ・ジャポネーズやゴッホの梅の花などが取りあげられやすい。
オーギュスト・ルノワール
No.613 ムーラン・ド・ラ・ギャレット 1876年
かなり有名な絵。印象派らしく光のコントロールに長け、木漏れ日による陰影の表現が徹底している。
エドゥアール・マネ
No.622 フォリー・ベルジェールのバー 1882年
マネの集大成と位置づけられている作品。印象派の掲載率が高いな。個人的に好みらしい。
エドガー・ドガ
No.652 舞台の踊り子(エトワール) 1876年
これも印象派。ドガの踊り子シリーズでもっとも有名な作品。
ジョルジュ・スーラ
No.678 グランド・ジャット島の日曜日の午後 1884-1886年
自分の絵を求めて点描に辿り着いた男の代表作。スーラにしか描けなかった独特の世界。
フィンセント・ファン・ゴッホ
No.706 ヒマワリ 1889年
ヘタウマの天才ゴッホ。綺麗に描こうとする努力をきっぱり否定し、心の目で描く心象の世界だ。なおゴッホはひまわりの絵を7枚描いている。これはそのうちの6枚目。
フィンセント・ファン・ゴッホ
No.709 種まく人 1888年
ミレーへのリスペクトで描かれた作品。ミレーの種を蒔く人は1850年の作。
ジャック・ルイ・ダヴィッド
No.736 皇帝ナポレオン1世と皇后ジョセフィーヌの戴冠 1806-1807年
新古典主義の大作。横9メートル縦6メートルはルーヴル美術館でも最大級の作品。作者のジャック・ルイ・ダヴィッドは自らがフランス革命活動家だった。バスティーユに参加し、国民議会議員となり、ルイ16世の処刑に賛成票を投じている。
細部まで見事かつ鮮やかに描かれている。ナポレオンは大層気に入ったと伝わる。
ナポレオンのイメージとして多くの人が思い浮かべる絵がある。馬に乗って堂々と指揮を執る「サン・ベルナール峠を越えるナポレオン・ボナパルト」という作品だが、それもダヴィッド。
グスタフ・クリムト
No.769 接吻 1907-1908年
象徴主義の作家。これは黄金様式の代表作。見たまんま、金色を多く使う。
エドヴァルド・ムンク
No.813 叫び 1893年
説明不要の絵。叫び! 色褪せないネタ要員として100年以上ひっぱりだこ。アニメや漫画でキャラがこんな顔やポーズを取ってるのを見たことがある人も多いだろう。おそらく100年後のアニメや漫画でも確実に残ってるギャグ表現だろう。「名画になる」とは、そういうことだ。
年代別にぜんぶで5点存在する「叫び」。これはそのうち初期の一枚。
ポール・ゴーギャン
No.987 われわれは何処から来たのか? われわれは何者であるのか? われわれは何処へ行かんとしているのか? 1897年
タヒチの暮らし。一見下手ともとれる独自の絵柄からゴッホとおなじく生前は不遇で、死後しばらく経ってから評価された画家。
エドヴァルド・シュタインレ
No.1053 ローレライ 1864年
あまり有名じゃなさそうだし私も初見だったが、気に入ったので載せる。なにしろ題名がローレライだ。
東方キャラにミスティア・ローレライというのがいる。
その名前ネタはドイツの水の精。19世紀にいろんな表現でモチーフとなった。これもその一枚。
ジョヴァンニ・セガンティーニ
No.1058 悪しき母たち 1894年
これも知名度は低めだがエピソードが面白いので。インド仏教僧の詩がネタ元なのに、どう見てもキリスト教圏的なファンタジー絵画になってしまった。
現代
多様化・特殊化の極みで、私のような素人にはとても理解できない作品が多い。せいぜい近代までだな。
サルバドール・ダリ
No.914 ナルキッソスの変貌 1937年
ダリといえば時計がぐにゃぐにゃ曲がったインパクトのおおきな絵で知られる人だ。ほかの絵もこういう変なのが多いようだね。印象の強かった一枚を載せてみた。パチュリーも歪むぜ。
マックス・エルンスト
No.916 雨上がりのヨーロッパ 1940-1942年
第二次世界大戦がエルンストにこの絵を描かせた。
パブロ・ピカソ(パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・フアン・ネポムセーノ・マリア・デ・ロス・レメディオス・シブリアーノ・センティシマ・トリニダード・ルイス・イ・ピカソ)
No.951 ゲルニカ 1937年
ピカソのフルネーム、すごい長いな。ゲルニカはスペイン内戦の無差別空爆を批判したものらしい。キュビズムの大作だ。高さ3.5m、横8m近く。
閉館間近の4時半すぎ、美術館を出た。あとは適当に鳴門市をうろついてみる。
妙見山
なんだこれ? 以前から鳴門を訪れたもしくは通過するとき、見えてた楼閣。
撫養(むや)城趾城跡に天守を模した博物館を建ててたけど、すでに閉館(移転)してた。本来の撫養城に天守はなかった模様。
徳島県鳴門市大津町大代
大代古墳
高速道路の工事中に発見された前方後円墳。全長54メートル。元の計画では完全に崩す予定だったそうだが、この遺跡を残すため下にごく短いトンネルを通した。
入れん。どうも年に1回しか公開しないようだ。まあ場所が場所だしな。
ところで今回の土産物は――大塚国際美術館の売店にとっても昭和時代っぽいのが。
大塚グループの一社、大塚食品のボンカレーだ。世界初の市販レトルト食品らしい。その当時の復刻版。2007年に突如として50万食限定で復活し、以降ほそぼそと思い出したときに生産。そういえば三ツ矢サイダーとかグリコのビスコとかもときたま初代復刻版が売られてるな。