日本最大の復元古墳(五色塚古墳) 漫遊 おでかけフォト よろずなホビー
復元整備古墳としては特大だ。なにしろ国が主導した10年越しプロジェクトによるものだし。国の史跡にも指定されている。
ここはどこかな?
明石海峡だぜ。
明石海峡大橋
単独橋で世界最長の吊り橋。3911m。
橋を渡っていると――
注意しないと分からないが、北岸東側に、住宅地に混じって変わった構造物を確認できる。
兵庫県神戸市垂水区
日本最大の垂水ジャンクションで下りて、あっというまだ。
五色塚古墳(千壺古墳)
ここは過去に2度も訪れている。3度目の撮影をしてるのは、単独記事にまとめるレベルできちん見てないからだ。用事ついでの観光だと、満足な撮影時間が取れなかったり、同行者の都合などに合わせなければいけない。だから今回は神戸の模型イベントに単独参加した延長で、おなじく一人で訪れて心おきなく長時間撮影してきた。
墳丘部の全長194mは、前方後円墳ランキング第41位。ただし復元・再現レベルで整備された古墳ではダントツの1位だ。おかげで歴史教科書では定番だね。日本では特大古墳の多くが天皇陵などに比定されており、発掘が禁止ないしシビアだ。
古墳の解説だぜ。すべてが再現されているわけではない。
整備前は普通の小山というか遠目にはただの丘陵だった。古墳にはなにがし丘とかなんとか山という名前が多い。古墳時代の日本にはまだ文字がなかったので、ほとんどの古墳で本来の名が失われている。
展示室みたいなところに、写真があった。
完成当時の五色塚古墳は、海を往く船からよくその威容を誇ったことだろう。
それでは実際に登ってみようかね。
いやあ、2005年以来8年ぶりに古墳へ入れたぜ。明石大橋が綺麗だ。
ここは前方部だな。死者を祀る祭壇部が発達して、気がつけば大型化ってのが定説っぽい。
下段の葺石は古墳周辺のものだぜ。発掘研究した結果を復元時にきちんと再現している。
前方の端から。長いのう。
後円部へ登る。
上部2段の石は淡路島東部より運ばれたものだそうだ。復元である以上、できるだけオリジナルを使用。墳丘を覆う葺石の総数は223万個。前方部は発掘された石を用い、後円部は新たに持ち寄って葺いた。
高さ18.8mのてっぺん広場。
ここがそのほぼ中央。おそらくこのずっと深いどこかに、埋葬された豪族が眠っていることだろう。
その解説だぜ。ちなみに五色塚古墳の石室は、諸般の事情から発掘調査そのものを行っていない。江戸時代の文献で石室露出はおろか石棺まで見えていたとの記述があり、残念ながらすでに盗掘を受けて埋葬品はほとんど残ってないと推定されているようだ。
こういう勾玉などが残っているかもしれないね。
五色塚古墳の特徴は総石葺き以外にもあって、それが大量の円筒埴輪。
復元古墳を飾っている埴輪たちは、オリジナルを元に再現したもの。
レプリカとはいえ、もちろん焼き物だ。そうでないと復元の意味がないからね。数はざっと2000個。4世紀末から5世紀初頭に築造された当時は、およそ2200個あったと推定されている。
視線を墳丘の周辺構造に移してみよう。
墳墓を囲む環濠ないし掘だ。
墳丘部分はほぼ復元されているが、濠は3割ほどが道や線路で消えている。
祈りや祀りの場であったと推測される方形のマウンド。古墳によっては墳墓に直接くっつき、造出しと呼ばれるはみ出し部を形成する。基本的に大型の前方後円墳でないと見られない。
小壺古墳
五色塚古墳に隣接する円墳。いわゆる陪塚。直径67m、高さ9m。
そいつの解説。小さい壷とあるのは、五色塚古墳が別名で千壺と呼ばれているのと対になってるからかな?
レポートもどきとしては、こんなものだろう。たっぷり1時間はいたかな。興味のない人なら10分ほどで飽きるだろう。
200m近い規模の墓がきっちり造築当時の姿で見られるのは、日本だとここだけだ。研究と考証を重ねながらの整備だったので、完成まで10年もの月日がかかっている。
いまを遡ることおよそ1600年前の西暦400年前後、この場所より明石海峡と淡路島を睥睨する、墓の主がいたことだろう。あるいはその子孫か。