四一 外:リーファ・ストレート

小説
ソード妖夢オンライン7/三七 三八 三九 四〇 四一 四二

 お兄ちゃんが苦手だった。
 剣道やめてお爺ちゃんに叩かれて、妹なのに庇った私が「代わりに続けるから」って余計なこと言っちゃったからなのかな? もっとちっちゃい頃は仲が良くてまた同時に悪くて、一緒に遊んだり喧嘩したり――私とお兄ちゃんの間には距離がなかった。でも小学校の三~四年生くらいから少しずつ変わってきて、お兄ちゃんが次第に笑顔を見せなくなった。怒る顔も泣く顔も、悲しむ顔も。
 学校のみんなが言うんだけど、兄妹って性別が違うとそのうち距離ができるんだって。でもちょっと違ってる。
 距離ができるんじゃない。距離以前に、繋がってない。見えてない。
 私だけでなく、お父さんやお母さんにも同じだった。まるで赤の他人だった。桐ヶ谷(きりがや)家の中にひとりだけ混ざっている、どこかの人。お兄ちゃんなのに桐ヶ谷和人(かずと)は桐ヶ谷家の一員として……なんと言えばいいんだろう、なにかがズレているような。お兄ちゃんは桐ヶ谷家の長男として演じてるつもりなんだろうけど、おかしいんだ。私もどうやって接すればいいか分からない。お父さんやお母さんに相談しても、先生が言ってるみたいな教科書やマニュアルっぽいことしか言ってくれない。どうして言葉をごまかしてるの? 秘密なんかあるわけないよねこの家に。
 みんなが変だ、この家はなにか根底でズレてる。
 その原因は間違いなくお兄ちゃんにある。和人が変だから、お父さんもお母さんもちょっとおかしい。やはり剣道のせい?
 剣道の師匠だったお爺ちゃんにも聞いてみたかったけどすでに病気で寝たきりで、なにも聞けないうちに天国からお迎えがきて逝っちゃった。でもお兄ちゃんは変わらなくて、じゃあ剣道は関係ないの? お兄ちゃんはどうして他人行儀なの? どうしてネットゲームばっかりしてるの? おなじ家にいるのに、私やお母さんやお父さんを見てくれないの?
 桐ヶ谷和人の心は何処にあるの? どうして私に関心がないの? 無視はしないけど結果的に無視とおんなじだ。
 機械的な自動の挨拶しかしない、家の中にいる赤の他人。なんとかしたいけど、どうにもならない。やきもきする。それが私のお兄ちゃんへのイメージになっていた。
 あの日まで――
 ソードアート・オンライン。
 死んだら本当に命を奪われるとんでもないデスゲームへ、お兄ちゃんは巻き込まれてしまった。運がないよ、どうして余計なことばかり起きるの?
 お母さんの取り乱しようはすごかった。お父さんはもうすこし冷静だったけど、海外に単身赴任してて家に帰れなかったからだ。もしベッドで眠ってるお兄ちゃんを見てたら、私の家族はみんな壊れてただろう。テレビではナーヴギアを強制的に外そうとして、耳や鼻から血を流して死んじゃったって話がいっぱい流れてた。国際電話でお父さんが指示をだして、お母さんはそれに大人しく従って、電源ケーブルが外れないよう保護したりブレーカーを落とさないよう消費電力を抑えたり、私はただ泣いているだけだった。
 運命の神さまはいじわるで、お兄ちゃんを変にしただけじゃ飽きたらず、またお兄ちゃんを利用して家を壊そうとする。中学校授業で習ったばかりの慣用句がよぎった。
 泣きっ面に蜂。
 お兄ちゃんは悪くない。悪者じゃない。私はまた幼いときみたいにお兄ちゃんと笑って話をして、遊んだり喧嘩したりしたい。今度のお正月はお年玉から一〇〇〇円を奮発して神さまにお願いするつもりだった。それを邪魔してお母さんを泣かせた機械。悪いのは運命の神さまで、ナーヴギアとソードアート・オンラインだ!
 お兄ちゃんを嫌う――そんな意識もたしかにあったよ。でも全力で封印したかった。
 だってお兄ちゃんは中学校でも孤立してた。家族まで離れたら、誰がお兄ちゃんを認めるの? ただ心が通じてないだけで、べつに私へ暴力を振るったりいじわるしたり、そんなことはなにもなかった。嫌う理由がないなら、あとは仲良くなりたいよね。お兄ちゃんは戻ってくるよねきっと――だからそれを邪魔したソードアート・オンラインが、本当に憎かった。
 正月は予定額の五倍、五〇〇〇円を大奮発してお賽銭箱に放り入れると、鈴をがしゃがしゃ鳴らして両手をぱんぱん強く合わせ、警察の人たちを全力で応援した。
 茅場って人をはやく捕まえてください!
 剣道の大会できっと優勝しますから、お兄ちゃんを殺さないでください。
 ――願いがゆっくりと通じたのか、三月になってようやく茅場が逮捕された。
     *        *
「……え? 妖怪?」
 テレビで信じられないニュースをやってる。
 ソードアート・オンラインから生還したプレイヤーがいて、幻想郷に隠れてた茅場を捕まえた上に、まだ戦ってるプレイヤーに憑依……して、クリアを目指す?
 その子は魂魄妖夢(こんぱくようむ)といって、噂だった幻想郷の使者だって。剣士と聞いてちょっと気になった。だって剣道やってるし私。
 で、妖怪さん。
 テレビに写ってる妖夢って子は、たしかにでっかい人魂を連れてる。幽霊なの? まるで死の闘技場と化したSAOを象徴しているかのよう。なのに怖くない。私なら転んじゃうくらい長い一メートル以上の刀を持ち歩いてるのに、妖夢が小さいから不釣り合いに大きくて、鞘から花が生えてて可愛い。それにものすごく綺麗だもん妖夢って子。銀髪でまるでお人形さんがしゃべってるみたいだよ。いいなあ、あんな容姿だったら、お兄ちゃんも私を無視しなかったのかな――なに考えてるんだろ私。だってお兄ちゃんだよ。
『はいっ、「ピー」は人間最強で、とても剣が達者です。「ピー」へ憑依して内側から第一〇〇層まで達し、クリアしてみせます』
 大丈夫かな妖夢って子、かなり間抜けそう。プレイヤー名を堂々と言ってるから、放送で自主規制音を入れてるよ。いくら実名じゃなくても日本中が注目してる大事件だから誰か特定されちゃうかもだよ。
 彼女の強さを疑問視する人たちもいて、テレビで二刀流の剣舞が披露されることになった。
 妖怪の剣術でしかも二刀流だからがぜん興味があって、練習前に顧問の先生へ「剣道の勉強になります」と提案し、サボることなく生中継を視聴できた。わざわざ道場へモニターを持ち込んだりして剣道部のみんなを巻き込んだけど、先輩たちも先生もみんな妖夢の剣を見たがってたよ。身長一五〇センチくらいなのに、おなじほど長い刀を苦もなく装備してる。扉といった狭いところを通過するときに自然と背中へ手をやって鞘を立ててる仕草から、あれは格好じゃなくきっと日常的に慣れてるんだろう――だからきっと使いこなせてるはずだって部長も言った。
 柄を含め身の丈とおなじ長さの剣を振り回すのがどれだけ大変なことか、剣道をやってる人にしか分からない。ちょっとした動きからも妖夢って子はかなりの実力を秘めてるんだって、なんとなく分かる。
 生中継がはじまると、撮影現場となる広い駐車場に登場した妖夢はびっくり、空を飛んで舞い降りてきて、それだけでテレビの中も外もみんな大騒ぎだ。ナレーターの驚きようといったら、スポーツカーみたいな高速飛行でトリックなんかありえないもん。彼女の左右にコスプレしたような派手な巫女さんと、テレビ東京のスクープで一躍有名になった魔法使いが固めていて、三人とも飛んできた。
 これを見せられたら、みんな幻想郷が普通じゃないって思うよ。だって茅場を除いて誰も辿り着けてなかったんだもの。
 身長ほどもある刀を右に、先生が持ってるくらいの刀を左にもち、一礼していきなり始まった。
 予定と違ってたらしくナレーターが慌てて解説を始めてたけど、きっと素人にも尋常じゃないって分かるよ。
 だってまったく止まらない。左・右・左・右・同時突き・旋回斬り・旋回・旋回・跳躍……五メートルくらいジャンプした。もう人間には絶対に不可能だ。兜割りで降りてきて、なお見えない敵を延々と刻んでいる。
 最初は圧倒されて黙ってたみんなも、そのうち手を叩いてすごいって連発したり、あれはきっと腕の筋肉を……って講釈はじめたりして、とにかく超越だ。剣道なんてものを突破してる。疑いないと思うけど、人間の剣士が人間の剣術とルールの範囲で挑むかぎり、妖夢に勝てる人って誰もいないと思う。
 そして――妖怪らしい技へと高まっていく。彼女が連れてる人魂が変形すると、おなじ妖夢の姿をとっていた。妖夢ふたりが長い刀と短い刀、普通の一刀になって、激しくチャンバラをはじめる。二刀流と同様に、やはり止まらない。人間らしい攻防なんてものを感じさせず呼吸の間合いすらなく、全力疾走するようなノンストップの激しい剣戟が二分でも三分でもつづく。二刀流だけじゃなく剣一本だけでも強い。私なんて何秒も持たないよ。
 二刀流のアクロバティックはまだ見せ物の要素もあったけど、一本の刀で見せられたこちらは剣道部のみんなも反応がすこし違っていた。剣道は特別なときを除けば竹刀一本で戦う競技だから、同等の条件でどれほど激烈なことをしてるか見せつけられる。目にも止まらないしかも重たい真剣による、ブレの一切ない美しく淀みない演武で、もうぐうの音も出ない。おまけに彼女の剣は長くて扱いづらい。素人は長いほうが有利だと思いがちだけど、それは違ってる。身長ほども極端に長い剣なんて、たぶん竹刀ですら先生にもまともに振れないと思う。あまり強くない人を相手にするならリーチが伸びていいけど、試合に出てくるようなレベルになるともうだめだ。
 剣舞はさらにエスカレートしていき、そのうち剣が手品みたいに何倍も伸びたり妖夢が五~六人に分裂したり、魔法のような桜色の巨大な花びらを散らせたり、瞬間移動としか思えない斬り込みや、射程一〇メートルなんて居合い斬りまで飛び出す。完全に人間を超えっぱなしで、ゲームやアニメにしかない世界が実際に披露されていた。
 レポーターも途中から驚きの声をあげるだけになって、解説とかまったくなくなった。剣術や剣道の偉い人もスタジオや現場に呼ばれてたけど、どう説明すればいいか悩んでる様子だった。これは人の技では生涯を費やそうとも及ばない、異次元の領域だ。
 長くて短い疾風怒濤の一五分間が終わり、鞘へ二刀を戻して一礼する妖夢。
 モニターの向こうもそうだけど、道場はしんと静まり返っていた。
「……すごい」
 一〇秒の沈黙を破ったのは私だった。
 無意識のうちに拍手をしていた。
 お兄ちゃんはきっと無事に帰ってくる。
 妖夢があの憎たらしい世界を、茅場を捕まえたようにあの剣で終わらせてくれる。ソードアート・オンラインを攻略してくれる。
 気がつけば道場は拍手と歓声の大合唱だった。疑いもなく本物の超剣だ。ゲームの剣士がやってるようなありえない必殺技じゃない。理論と実技に裏打ちされた、真実の必殺剣。こんなものを無料で見られるなんて、運がいい。とっても刺激になったよ。たとえ私たちには使えない極限の高みだとしても――
 幻想郷に抱いてたちょっと胡散臭いイメージが大きく変わった。
 これだけ強いんだから、ソードアート・オンラインでもトッププレイヤーだって誰でも理解できる。あのゲームは運動神経が良い人ほど、リアルで武道を習ってる人ほど有利になるシステムだから。素人でも遊べるようにしたのが、体が勝手に動いてくれるソードスキルなんだ。でも体の動かし方をしっかり知っていれば、ソードスキルとやらに頼らなくてもいい――って、SAOに詳しい人が解説してた。私はお兄ちゃんの心を拉致したあのゲームを憎んでいたから、あまり知らなかったんだ。
 ふうん、あの妖夢はあの強さをアインクラッドって世界でも発揮できちゃうんだ。
 これはクリアできたも同然だね!
 さらに妖夢って子はSAO人間最強の男子と恋をしていて、彼氏彼女だという。
 日本中が恋してる素敵で強い妖怪の女の子を応援するようになり、私も全力で応援した。お兄ちゃんが帰ってくる。その一歩一歩を妖夢は確実に重ねていく。幽霊妖怪だから憑依でSAOに潜れる。幻想郷って、妖怪ってすごいね。すごいとしか言ってないけど、ほかになんて言えばいいのかな。すごい。
 九〇層からアインクラッドのフロアボス戦というのを放送で流すらしい。幻想郷オンライン――ハッキングで妖怪の紹介をするんだって。
 ちょっと前までソードアート・オンラインや茅場のことを憎くて憎くて仕方なかったけど、妖夢のおかげでお兄ちゃんが帰ってくるゴールが近いからあまり怒りもない。だからお兄ちゃんが眠ってる病室に携帯を持ち込み、軽い気持ちで特別番組を見て――
 お城の中を上下逆さまにしたような変な部屋に入ってきた人間最強の男の子を見たとたん、口にしていたカルピスを噴いた。
 けほけほっと咳をして、慌ててベッドに眠るお兄ちゃんを見る。ナーヴギアに拘束され、頭は顔の半分以下しか見えない。
「…………」
 また携帯のネット配信に目を戻す。全身真っ黒に統一した二刀流の男の子は、目にモザイク入ってるけど、見間違いようがない。体格とか歩き方、髪型……剣道やってるから人の動きには敏感なんだ私。
「……お兄ちゃんだ」
 ちょっとおかしくなってきた。どうしよう、笑うしかないじゃない。これってどういう神さまのいたずらなの? 神さまのいじわるでデスゲームに巻き込まれたお兄ちゃん、桐ヶ谷家が壊れそうになった事件。でも妖夢が切り開いてる解決の最前線にお兄ちゃんがいる。桐ヶ谷和人が。
 ボスがなかなか現れないので、予定が狂ったのか勇者さまご一行はそのままピクニックを始めた。
『キリトくん、はいサンドイッチ』
『サンキュー』
 A子――妖夢が憑依してるアスナって子からサンドイッチを受け取って、美味しそうに食べてる。声が流れたからもう決定だよ。だってこの声、完全にお兄ちゃんだもん。聞き間違いようがないよ。キリトってネーム、桐ヶ谷の「桐」に、和人の「()」だよね。目のモザイク以外は解禁なんだ。
「お兄ちゃん、最強だったんだ」
 存在が希薄になっただけで、家族として最低限のつきあいはしてくれる。だからゴハンくらい一緒に食べるし、細かい仕草なんていくらでも覚えてる。
 ネットって怖い。妖夢が憑依してた子は初日のうちに個人特定されてた。レクトって大会社の社長令嬢で、眉目秀麗・成績超優秀だって。すごいねそんな人がゲームやっててトッププレイヤーだなんて、私とずいぶん違う世界に生きていそう。うわすごい美人。妖夢といいこのA子といい、人間最強のお兄ちゃんは両手に花だね。しかもパーティーには天狗や河童までいて、みんな揃って綺麗だ。
 その後も毎回の放送を逃さず見続けた。妖夢の情報も細かく集めた。だってお兄ちゃんの彼女だもん、きっと家に来たりして、そのうち話とかするよ。
 あんな綺麗な有名人をしかも妖怪を彼女にしちゃうなんて、お兄ちゃんすごいね。
 しかもお兄ちゃん、とっても強い。アスナ――妖夢と二刀流で鮮やかに連続攻撃を決めていく。テレビで解説やってたけど、人間がやったら動きがすごすぎて骨折とかするそうだ。妖怪にしかできない剣で人間には無理。それくらいあの剣舞を見てた人はみんな判ってる。でもお兄ちゃんは使えてる。ゲームは人間が人間以上になれるから、そこで妖怪の剣を舞っている。
「お兄ちゃん、剣道を嫌いになっちゃってたわけじゃないんだね」
 予感がした。戻ってきたお兄ちゃんは、きっと以前のように笑って怒って喧嘩して、泣いて――私をしっかり見て妹として扱ってくれる、元のお兄ちゃんになってくれると。
「ありがとう妖夢さん……」
 ヤラセなのに途中で妖怪が急に強くなるトラブルもあったけど、まもなくお兄ちゃんは現実へ自力で帰ってきた。茅場はゲームの中で投身自殺した。日本中に迷惑をかけておきながら勝手な人。
 アスナって子には妖夢さんが抱きついて大きく報道され、和人は私だけがお迎えして、でも我慢して抱きつきはしなかった。
「おかえり、お兄ちゃん」
「スグ……ただいま」
 それは妖夢さんにしか許されないことだから。私は妹だから――なぜ胸が切ないんだろう。
     *        *
 夢だった理想のお兄ちゃんが帰ってきた。優しくて格好良くて、笑ってくれる。私を妹としてちゃんと見てくれる。でも同時にすでにお兄ちゃんはもう私だけの人じゃない。
 和人の心には妖夢さんが住んでいて、さらに結城明日奈(ゆうきあすな)さんもいる。芸能人みたいな美人ふたり同時に彼女さん? 片方は冥界の守護剣士で人間を超越した戦士、もうひとりは年商一兆円を超えるレクトグループ総帥のご令嬢……すごいねゲームの出会いって。もうすごいって連呼するしかないよ。お兄ちゃん、SAOから戻ってきたら大出世してたよ。お父さんもお母さんもどうしようって困惑している。すでに将来を約束したとか言って、結城家のお父さんが立派な車で乗り付けて挨拶に来たし。
 だから私はあれほど憎かったVRゲームへ興味を持ち、ナーヴギアを買ったりした。
 SAOの事件で規制などが検討されたそうだけど、フルダイブVRは医療分野や職業訓練ですでに採用や研究が進んでいて、ゲームだけダメってのはおかしいらしい。とくに医療分野は暇を持てあました患者さんがストレスを発散したりするのにゲームを活用するって話もあって、また全身麻痺とか目や手に障害があっても、フルダイブなら五体満足になれる。活動の場でもっとも洗練されたツールおよびジャンルはゲーム。競争が激しくてメーカーも力を入れている。だからこれを規制できない――
 妖夢さんの剣や魔理沙の魔法、霊夢の仙術を見て、剣道部のみんなも体験したがってた。とくに空を「飛ぶ」行為はぜひとも私もやってみたい。フルダイブ型VRゲームでしかそれは実現できない。だから駅前でやってた規制反対の署名にサインもした。
 お兄ちゃんはリハビリを終えると指定されたカウンセリングや中学生向けの短期集中プログラムで遅れた勉強を取り戻したり、とっても忙しそうだった。妖夢さんの彼氏なのに、連絡してないんだって。メールアドレスすら知らないらしい。剣道してる一剣士として、妖夢さんと話がしたいなあ、剣を教えてもらいたいなあって考えたりして、そんなうちにSAO事件が終わって半年が経過した。
 二学期初日、お兄ちゃんが学業へ復帰する日だ。夏休みの間に一気に追い付いて、教育なんとかってところからOKが出たんだ。
 始業式でびっくりサプライズ、幻想郷からの留学生がうちに来るらしい。誰かとか学年やクラスは教えて貰えなかったけど、あまり騒がないようにって釘を刺されちゃった。
 クラスでは妖怪留学生の噂でもちっきりだけど、いったい誰なんだろうね。SAOをクリアしたお兄ちゃんがいるから、うちの中学校が選ばれたのかな?
「ただいまー、あれ?」
 剣道部の練習を終えて家に帰ると、知らない靴が増えている。色は黒。となりにお兄ちゃんの靴。ふたつ並んできれいに揃えられている。
「女物? 私とおなじサイズ」
 リビングへ入ると、お兄ちゃんがソファに座って、誰かと楽しそうに話をしてて。
 隣にいる子がこちらへ振り向いた。銀髪で黒いリボン、魅力的な笑顔で。おっきな人魂が横に浮いていて! 私とおなじ制服を着てる。
「あなたが直葉(すぐは)さんですね。はじめまして」
「しっ、師匠!」
 反射的に直立不動で背筋をのばし、頭を下げて挨拶しちゃってた。
「みょーん?」
 それが私と妖夢師匠との、奇妙な初顔だった。
     *        *
 私の家には古い剣道場がある。亡くなったお爺ちゃんが道場を開いてたわけじゃなく、桐ヶ谷家が地域にあった川越城下の武家だった流れを組んでて、以前からあっただけ。江戸時代から一貫してずっとおなじ敷地に住んでいるらしい。詳しくは知らないけど桐ヶ谷って地味に歴史ある家みたい。武士だった名残からお爺ちゃんは警察官だった。お爺ちゃんの息子だったお父さんは証券業界に就職して武士っぽい流れは途切れたしお兄ちゃんも二年くらいで止めちゃったけど、いまは私が剣道に打ち込んで道場を使っている。学校で練習し、家でも自主練だ。
 SAO以前は私だけの孤独なトレーニングで素振りしてるくらいだったところに、リハビリ中からお兄ちゃんが付き合ってくれるようになった。それでSAOを通じてお兄ちゃんが得たものを知った。筋力や反射神経は追い付いてない――体はぜんぜんだけど、センスが研ぎ澄まされていた。もしお兄ちゃんが万全の体を取り戻し、体をしっかり作ってたら、たぶん私は勝てない。そう思わせる剣をお兄ちゃんは振っている。
 でもお兄ちゃんの付き合いも学業復帰のための集中勉強が本格化してくると次第に減ってきて、夏休みの間はゼロだった。すこし寂しくまた残念に思いながら素振りしてる毎日だったけど、そこへ突然、最高の師匠が降臨してきた。
「ちょっと剣を見せてください」
 師匠は私の素振りを見て、腰の入れ方や腕の振り方などを細かく指示してきた。言われた通りにすると不思議なことに、切れがでてきたような気がした。
「……師匠、すごいですね。強くなれそうです」
「これから毎日、直葉さんを指導してみたいと思います。構いませんか?」
 これはっ、願ってもないお言葉だった。だってお兄ちゃんは師匠の手ほどきを受けてアインクラッド最強の人間剣士になったんだ。それを私も受けられるという。これってお金にしたら指導料どれくらいなんだろう。
「よろしくお願いしますっ!」
 妖夢師匠は、なんとうちに下宿するんだって。まさかの同居! お母さんから厳しい条件があり、いくら恋仲でもキスなどダメ。もちろんその先は絶対に厳禁って注意があった。師匠も強く頷いた。
「キスはもう何回もやってますから大丈夫です。思い出しただけで幸せですから。エッチ? そちらも大丈夫、和人がやってきたら斬ります。清く正しい中学生です」
 突っ込みたくなるセリフを大真面目で言う子だ。どこか変。
 お兄ちゃんったら恥ずかしそうに顔を染めて横向いてるし、お母さんもあっけに取られてた。
「和人、あなたすでにこの子とキスしてたの?」
「むろんゲームの中だけで、リアルじゃしてないよ。あちらはいつ終わるとも知れない有限の付き合いだったし、死んだらゲーム機に殺される命を張った極限環境だったんだ、ありふれた日常とは尺度も常識も違う」
「母上さま、大丈夫です。交際もキスも年上の私から願いました。和人はなにも後ろめたくありません」
 師匠って自分のイメージや立場が悪くなるようなことを平気でしゃべる……なにが大丈夫なんだろう。
「母さん、見てのとおり妖夢には裏表がほとんどない直球型だし隠し事も下手だから、大丈夫と言ったら大丈夫だよ。信用できる」
「……和人がいうんなら分かったわ。でも直葉にしてるように、お風呂の着替えを覗くとかしたらダメよ?」
「わっ、わざとじゃないよ」
 SAOから戻ってきたお兄ちゃんはなぜかラッキースケベって体質に目覚めて、すでに五回くらい下着姿を見られたり胸にタッチされたりしてる。私も本気で怒ったのは最初の二回までで、もう慣れてきた。だってわざとやってるようには見えないような、すごい偶然ばかりだし。狙ってたら天才だよ。
「和人の心を繋ぎ止め、ほかのメスからガードするには好都合です。私のを偶然かつ存分に見てください」
 師匠、なにもかも違うよそれ。
 さっそく初日から妖夢師匠の「みょーん!」って微妙な悲鳴が聞こえてた。
     *        *
 師匠は最初の一週間で四回も悲鳴をあげた。私の半年が二〇倍に濃縮されてたから、これが彼女補正ってやつ?
「うー、ダメですね。いざ見られたら恥ずかしいですし、足がすべって押し倒されるなんて不覚、未熟です。リアルだと斬るなんてやはり無理ですし、怒りに任せて叩くだけで怪我させちゃいますから、プンプンするだけでなにも発散できないのが。というか事故で押し倒されて一瞬とはいえ喜んでた私も異常です」
「それが自然だと思うよ。恋は盲目とも、親しき仲にも礼儀ありともいうじゃない」
「でも盟友との計画なのよ。私の役割は和人にほかの女を寄せ付けないことです。だから私は和人を魅了しつづけるっ。幸いなことに一緒に暮らしてるだけで和人が喜ぶハプニングが自動発生しますから、あとは私が我慢してれば丸く収まります」
 それを聞いたとき、ちょっと胸が疼いた。
「よく分かんないけどさ、せっかくお兄ちゃんと一緒に暮らせてるのに計画とか魅了なんておかしいよ。ましてや我慢なんて。もっとナチュラルに楽しもうよ――だって師匠、中三じゃん」
 しかも二学期スタートだし。
「しまった! そうです、中学生活いきなりラスト半年よっ。受験も本格化してくるわっ。高校は明日奈へバトンタッチだから、私の担当期間は短いんです」
「お母さんがおかしなことはダメって言ってたけど、デートくらいならいいんじゃない? 妹の私も奨めるから」
「私は有名ですから人目を引きすぎます」
「そういえば登下校時は幽霊妖怪の能力で姿を消してるよね」
「受験まですでに日がありませんから、日常を普通に送る中で精一杯のことを積み重ねていくんです」
「師匠が毎日私を鍛えてるのも?」
「そうです」
「師匠がALO(エーエルオー)で遊んでるのも?」
「そうです」
「お兄ちゃん両方ともいないじゃん」
「そうなんですよ~~」
 落ち込んだ様子が可愛いので、思わず頭を撫でちゃってた。
「学校ではクラス一緒よね? ならそれでいいじゃない」
「それだけは大勝利よねっ」
 師匠はいちおう先輩で何倍も長生きしてるのに、こんな感じだからついタメ口になっちゃう。身長も私のほうが一センチだけ高い。
「立ち直り早いなあ。じゃあALO入るから、また明日」
「私も二時間ほど狩りでもしていきましょう」
 妖夢師匠がうちへ来てちょっとしてサービスが始まったALO。念願だった空を飛べるゲームで、私も練習と宿題が終わったあとにログインしている。
 でも稼働が始まったばかりで、まだみんなそれぞれの種族ホームタウンから遠くまでいけない。妖夢師匠は暗中行動に優れた闇妖精インプ、お兄ちゃんトレジャーハンターな影妖精スプリガン。この二種族は領地こそウンディーネを挟んだだけでわりと近いけど、真面目な師匠は強くなってからと言って地道にスキルをあげている。お兄ちゃんとおなじスプリガンにせず、自分のなりたい種族を優先するあたり、ひとつの家に暮らしてる余裕だね。それともゲーマーのこだわりかな?
 私もALOを始めて、空を飛ぶのがもっとも得意な風妖精シルフを選んだ。
「へえ……妖夢さんって妖怪プレイヤーだから強いんだよね?」
 MMORPGは初めてだったけど、お兄ちゃんには頼らなかった。だってすでに師匠たちのものだし、あまり甘えちゃいけないよね。おかしな感情もあって心が乱れるから。
「剣の達者な師匠なら分かるけど妖怪ってだけで強いの? ゲームだからステータス一緒だよね。魔法も独自体系だし」
「ところが違うんだよリーファちゃん。じつはベータテストのときに――」
 得意そうに解説を始めたのは坊ちゃん刈りのチビなアバターだ。キャラクターネームはレコン。
 彼の中身は同じクラスの長田慎一(ながたしんいち)くん。一年のときから友達だったけど、ALOで遊ぶみたいな話を小耳に挟んだから捕まえて案内役を頼んでる。ゲームに詳しいからって、お兄ちゃんの代わりにしちゃって、ご免なさい。
「そのリーファちゃんっての、どうにかならない? リアルで同級生なのに」
「だって僕たちパートナーじゃないか。種族いっしょだし」
「私に付き合ってシルフにさせちゃったのは謝るわよ。あんたってなにやりたかったんだっけ? レコンって偵察兵って意味だし、やはり隠密行動に向いたスプリガンとか?」
「桐ヶ谷先輩の種族なんか、畏れ多くて選べないよ」
 お兄ちゃんは公然の秘密でSAOの英雄だと知れ渡ってたりする。それに師匠が彼女オーラ発散しててモロバレだし。それ思い出しただけでまた胸がすこし苦しい。
「……私も桐ヶ谷なんだけど」
「それでねリーファちゃん」
「だからちゃん付けはちょっと恥ずかしいんだってば」
「リーファちゃんにどうしてもと懇願されて、僕はシルフになってしまいました。飛行酔い体質なのに風に愛されてるシルフとは、なんというミスマッチ、なんという不幸」
「くっ、さっそくその手を使ってきたか。分かったわよリーファちゃんで。でも私はレコンとしか呼ばないわよ」
「くっくっ、じつは最初からシルフになるつもりだったんだ。シルフだと最速で逃走できるし、風属性の補助魔法にも偵察に向いたものは意外と多いんだよ」
「え? ずっ、ずるいわよあんたそれ」
「もうダメだもんねー。リーファちゃん」
 まさか長田くんにからかわれるなんて……
「……みょ、みょーん」
「え? なにそれ」
「なんでもない」
 お兄ちゃんとは剣道だけじゃなくゲームでも離れてるけど、レコンのおかげで寂しさはだいぶ紛れていた。ありがとう。
     *        *
「頼もう!」
「しっ、師匠?」
 剣道部にいきなり師匠がやってきた。なんか目がキラキラしてるんだけど――先生なにかした?
「三年生はそろそろ引退の時期だそうですが、留学生で受験のない私には関係ありません。半年あまりの短い間になりますが、入部させていただきます」
 どうも顧問の先生ったら上手くおだてて妖夢師匠を剣道部にスカウトしたみたい。
 部員たちは驚きと同時に歓呼の嵐でSAO最強の剣士を迎えた。やはり春に見たあの剣舞はみんなの心を掴んで離さなかったんだ。年度が変わって部員の四割が入れ替わってたけど、一年生の全員があの超越の舞いを知っていた。
「ご存じのとおり私はプロの剣術家、中学レベルの剣道では無敵です。みなさんの大切な機会を奪うことになりますから、一切の公式戦および練習試合に出ません――代わりにみなさんを鍛えてさしあげたいと思います。魂魄妖夢に習ってここまで上手くなったと、そう胸を張って誇れる強さを授けてあげましょう」
 自信満々で断言する。いつもの「みょーん」な師匠はいない。剣を持てばこの人はとても輝くんだ。
 その日から剣道部のみんながハッスルして練習へ打ち込むようになった。とくに男子部員ったら分かりやすい。すでに彼氏持ちなんだけど関係ないよね、師匠とっても可愛いし。毎日帰宅が一~二時間プラスになったけど、強くなれて試合で勝てると太鼓判なんだから、文句をいう人は誰もいなかった。
 どうも師匠が剣道部に入部した理由って、やはりお兄ちゃん絡みだった。志望校の偏差値がとっても高くて、ブランクのあったお兄ちゃんじゃまだ学力が足りない。放課後は勉強に集中したいから、恋人といえどもシャットアウトなんだって。放課後は暇になってしょうがないから、剣道部で時間を潰す。留学してきた動機からそうだったし、妖夢師匠の行動原理はお兄ちゃんを中心に回ってる。
「すでに恵まれすぎてるのに、交際を優先するあまりワガママを言うのも罰当たりでしょう? 母上さまによれば、長持ちするカップルの秘訣はべったりより適度に距離を置いてるほうで、それぞれ自分をしっかり持ってることらしいのよ。私は剣の道、和人は将来そのものとゲーム」
 お父さんはずっと海外赴任してるけど、どんな生活してるか誰も知らない。お母さんはそんなお父さんを無条件で信用しているし愛もあるみたい。たまに日本に帰ってきたお父さんは私たちやお母さんへ全力で家族サービスしまくって、おまえたち愛してるよって家族愛を補充していくし、私たちも一家の大黒柱はやはりお父さんなんだなって短い時間で実感できる。お父さんは隠れて軽く遊んだりしてるかもしれないけど、お母さんはけっして詮索しないし、またお父さんもお母さんのプライベートには口を挟まない。私たちも知らない。たぶんそういう建前を上手にコントロールするのが、面倒くさいけど現実的な愛なんだろう。桐ヶ谷家はそうやって三〇〇年も家を守ってきた。
「ふうん……じゃ、私を鍛えてくれてるのも似たような一環から?」
「違います。家ではその気になればもっと和人といられるのに、わざわざ直葉さんの稽古を付けている――母上さまやあなたへの点数稼ぎに決まってるじゃないですか。むろん未来のため」
「ぶっちゃけすぎだよ……師匠って馬鹿正直すぎて、陰謀とか企みとか、そういうのまったく向かないよね。まあだから人として信用できるってのも逆にあると思うけど」
 私はすっかりこの頼りない師匠を信じてしまっている。この人ならお兄ちゃんをあげてもいいと。何があっても絶対に裏切らないって。もうひとりの明日奈って人が頭のとても良い全国模試ランクイン級の才媛らしいから、妖夢師匠みたいに単純な子が間に入っていれば周囲の精神衛生的にもバランスが取れてくると思う。
「剣があればなんとかなりますので、これまで通用してました。だからきっとこの先も生きていけます」
 よく致命的な事件に巻き込まれたりしなかったよね。日本って冥界や幻想郷と違って細かい法律いろいろあるんだけど。
「ユイちゃん、フォローお願いね!」
『任せてください』
 師匠の人魂にはいつも携帯がぶら下がっていて、電子世界の女の子が住み着いている。このユイって子はとっても聡明で、日本の活動で師匠を正しく導いてきたらしい。
 師匠が言ったように日常が静かに回っていく。私たちは確実に一日一日を積み重ねていった。
 息抜きも必要なので、お兄ちゃんはALOへ数日に一回くらいの頻度でログインしている。毎夜のようにALOで遊んでる師匠は、スプリガン領へ行けないんじゃなくて、行っても会えるわけじゃないからインプ領に留まってたんだ。ALOは他種族相手ならどこでも圏内戦闘が可能だし、ログアウトにも一定時間アバター残留のペナルティがつく。妖怪を倒して名をあげようって人も多いし、ソロで他領のホームタウンにいるのは自殺行為、推奨外だ。
 でも唯一例外がある。誰もが公平に扱われる圏内を持つALO最大の都市、世界樹をいただく央都アルンだ。話に聞けばすでにそこへ師匠がSAO時代にお世話になった風林火山ってギルドがホームを構えてるそうだ。
「師匠はアルンに行かないの? 私はアルン最強の風林火山ってギルドに参加するつもりだよ。お兄ちゃんも誘えばいいのに」
「勧誘がうるさいのですでに籍だけ置いてますよ。ただ大会があるって話だし、それが終わってからでもいいかなと」
「あー、そういえば」
 初代領主の選挙を占うものとして、妖精種族ごとの最強を決める個人戦のアナウンスが運営からあった。開催は一二月でまだ先だけど。
     *        *
 自分がどのくらい強いのか、それは試してみないと分からない。
 師匠と一緒にいる日常があたりまえになって、それがどれほど恵まれた環境にあるのか自覚していなかった。だって妖夢師匠ったらあんな愉快な性格だし、頼りないし。でも彼女の指南そのものは最短距離でかつ正確緻密で無駄がほとんどない。回り道することなく、まっすぐに駆け上がる。
 お兄ちゃんが一万人の頂点、人間最強のプレイヤーになってしまったように。
「コテェェェエエエエエ!」
「一本! 勝負あり!」
 気がつけばすご~~~~くなってたみたい。
「……優勝しちゃった」
 埼玉県の剣道錬成大会、堂々の頂点だ。
 団体男子、団体女子、さらに個人女子で私。
 大会本番に師匠はいなかった。勝った私たち自身が意外に思うほどの大戦果を予想していたのか、ほかの学校がどう思うか知っているから、応援したくても来られなかった。私たちもむろん知っている。誰のおかげで勝てたのか。
「剣道部一同、妖夢さんに感謝!」
 翌日、部長が深々と頭をさげ、師匠に礼をした。部員全員が妖夢師匠の指導者としてのすばらしさに魅入っていた。彼女が振ってるのは妖怪のアクロバティック剣術なのに、人間向けの剣道を見事に教示できる。それもおそらく一流の。
「よしてくださいよ。剣術指南は私の仕事の一部なんですから、これくらい普通なんです。みなさんが私のハードなトレーニングにしっかり付いてきたおかげですよ」
 謙遜じゃなく本気で思っている。表と裏にほとんど違いのない師匠だから、たいしたことじゃないと考えてる。それがすこし悔しくもあり、残念でもあった。見た目と性格はみょんだけど、彼女はたしかに何十年という長い時を生きてきた深い経験をその体に宿していた。おなじ中学生でも、まったく違う。私の師匠への評価はおおきく転換した。友達じゃなく文字通り真実の師匠さまだ。でもタメ口はいまさら変えられない。
 その日から雰囲気がさらに引き締まり、剣道部の絆はより深まったと思う。これで先が見えてきた。つぎは年明けの選抜戦で、勝ち続けていればいずれ全国に駒を進める。そのステージは来年八月――すでに妖夢師匠は卒業していないけど、師匠の残してゆくエッセンスは少なくとも当分の間は息づいていくだろう。先生も師匠の指導内容を事細かくメモに取っている。これほどの宝はそうない。
 そういった感謝の一切合切をこめて家の道場で師匠に伝えると、笑顔で首をよこに振った。
「私はすぐ気が大きくなって失敗しますから、直葉さんの気持ちに応えてあげられません。あのSAOだって私がいい気になっていなければ、自滅ゲームオーバーとならず、憑依に頼ることなく一ヶ月は早く終わらせられたのです」
「だからって慎重に動きすぎだよ。剣道の試合だって見に来なかったし。ホントは応援したかったんだよね」
「ええ、もちろんです。私の可愛い弟子たちが、どんな戦いを見せてくれるのか――ふふっ、じつは半霊を飛ばして観戦してたんですよ。姿を消して直接見るという手もありましたが、霊感のある人を恐がらせてしまいますからね」
 失言が多い残念な人のわりに、やってることは賢い。たぶんユイのサポートがしっかりしてるんだろう。
「師匠、とにかく私も気持ちが収まりません。全力でありがとうって言わせてください。できることがあるならお礼とかしますから」
「じゃあ、ひとつお願いしていいですか」
「はい」
「その師匠って呼ぶの、禁止しませんか」
「……えー、こだわりなのに」
 たまたま初対面で師匠って呼んでしまって、ずっと続いてた。ようやく真実の師匠になったのに、それを止めてくれだなんて。
「あなたとは今後何十年も友人でいたいんです。師匠だなんて、一方的な関係だと思いませんか?」
「はあ――」
 ちょっと変な想像をした。おばあちゃんになった私やお兄ちゃんの手を引く、孫みたいな師匠の姿だ。
「あっ、いま高齢者の(つど)いを考えましたね?」
「鋭いっ……妖夢のくせに」
「そう、それでいいんです。私のことは、ただ妖夢と呼んでくださいませ」
「せめて妖夢さんって言わせてよ。大会優勝させてもらったのに、呼び捨てなんて気が済まないよ」
「そうですね。それくらいは私も妥協しないと、みなさんとのコミュニケーションも円滑に進みません」
「円滑どころか、みんな崇拝してるわよ師し……妖夢さんのこと。部長も副部長もラブみたいだし」
「ええ。お二方から懇切丁寧な恋文をすでに頂戴いたしております。私の心の恋愛席はすでに和人だけで満員なのにチャレンジャーですね。返事もせず放置して、青少年をやきもきさせてますよ」
 にっこり笑ってそのままだけどなんか怖い。長生きしてるなぁって感じる仕草をこんなときに見せる。
 口では妖夢さんだけど、心の中ではずっと師匠だからね。
     *        *
 師匠の推薦が効き、最強ギルド風林火山から入団許可のメールがきた。リアルのコネだろうとも、利用できるものは使う。それが勝負の世界の鉄則だ。
 MMORPGが意外と汚くてドロドロしてると私も気付いてきた。闇のギルドまで存在してる妖怪狩り・妖精狩りなどがその「好例」だろう。彼らの気持ちは弱かったから痛いほどわかる。幸いなことに周囲や状況に恵まれ、いまのところ勝者の側にいるだけ。ちょっと違えば心に異常な闇をもつ私も彼らの側にいたかもしれない。
「えー、シルフ領を出ちゃうのリーファちゃん」
「ごめんねレコン。シルフ領の敵はもう弱すぎて、刺激が少ないんだ。アルン周辺や地下にはすごい敵がウヨウヨいるって聞いてる。ステップアップにもアルン行きは避けられないよ」
「たかがゲームじゃないか。こちらでまで遠くに行っちゃうことなんてないよ」
 ……だめだねレコン。「たかが」で終わらない人がたくさんいるんだよ。だから突き放したくなっちゃった。
「私ね、妖夢さんから教えられたんだ。挑戦することの大切さを」
 レコンの気持ちは知ってる。あんた私を好きなんでしょう? だからリーファちゃんなんて呼び方にこだわる。リーファってアバターはどう見ても「ちゃん」じゃない。リアルの私よりお姉さんで美人系だ。レコン――長田くんは、それこそ「ちゃん」を付けて私を呼びたいんだよね? 直葉ちゃんって。リアルの私はそういう幼めの容姿だから。でも勇気がなくて出来ないからゲームのALOで代用してる。私がコネを使ったように、レコンもおなじことしてる。あいこだ。
 リーファちゃんくらいで満足しないで! 欲しいなら動いてみなさいよ。お兄ちゃんを好きになってる異常な私を解放してよ。妖夢師匠を妖怪――人間として深く尊敬することで、私はやっと自分のおかしな恋心へ終止符を打とうとしてるんだから。
 口には出さない。本音を叫ぶとレコンを傷つけそうで怖いから。
「大会のときには一時的に帰ってくるから、そのときまた冒険に付き合ってよ」
「リーファちゃーん!」
 私はその足でシルフ首都スイルベーンをあとにした。
     *        *
 風林火山は想像以上のエリート集団だった。前衛向きのバトルジャンキー揃いで、ソロで飛竜を狩れるようなハイレベルな人すらこの最強ギルドには入れない。少数精鋭。妖夢師匠やお兄ちゃんもすでに籍だけ置いている。大会が終われば領地を出て、アルンをホームにするんだろう。
 私は攻撃魔法と回復魔法をバランスよく修得してるバランス型の魔法剣士だから、いい感じにミドルレンジのポジションを確保できた。見ていると後方支援が不足している。水妖精族のにとりは河童の妖怪で、粋なリーダー・クラインの奥さん。リアルでも婚約してる。
「もしかしてレコンを推薦したら、支援型だから入れたりするのかなあ?」
 疑問にふと思うこともあったけど、やりがいのある戦闘に集中しないとすぐ殺されちゃうから、いつも忘れちゃってた。
「チェストォオオ!」
 蚊の巨大なモンスターを一撃で斬殺、今宵の愛刀は血を求めておる。なんちゃって。
「なあリーファよぉ、ちょっとその掛け声、うるさくね?」
「すいません。リアルの癖でつい」
 剣で全力攻撃するとき、大声を出さないとどうしても調子が崩れる。
「リーダー、大目に見てやんな。剣道って打点を叫ばないとポイントになんねえんだよ」
「まあみょん吉の一番弟子だしなあ、仕方ねえか」
「え? 私が一番弟子?」
「メッセージで愚痴られたんだよ。キリの字が受験に精だして指南できねぇから、いつまでもリアルで弱いって。一番弟子が入れ替わったって」
「へえ……そうか、いまは私が一番なんだ」
 嬉しくなった。お兄ちゃんを諦めるため、一層と力を入れて打ち込んできた剣道。積極的に認めたくて師匠と仰いできた妖夢さん。嫉妬でおかしなことになるのが嫌だから、せめて剣道だけはちゃんとしたいから、前に出ていくほうを選んだんだ。すべて師匠があんな面白い性格だったから出来たこと。許せてしまう人だから、お兄ちゃんを安心して託せるって思える人だったから。
 いま私は、名実ともにそんな師匠の一番弟子なんだ。
「お兄ちゃんを蹴落としちゃった。てへ」
 やはりスイルベーンを出て正解だった。新しい場所には、思いがけない発見がある。
「ところでおめぇ、あの話についてみょん吉からなにか聞いてねえか?」
「グランドクエストですか? いくら同居してるからって、とくになにも」
 実装されたばかりのグランドクエストを全種族合同で攻略しようって話が持ち上がってる。提案者はケットシーの魔理沙。SAO時代は攻略女王だったらしい。
「俺たちへグラクエ偵察の依頼してきたの、魔理沙じゃなくまさかの紫さんなんだよ――みょん吉なら裏くらい知ってるかなって思ったんだが」
「師匠ってそういう情報から隔離されてるって言ってました。すぐ周囲にバレるからなかなか教えて貰えないって」
「言えてる――まあいいや、俺の未来の嫁にでも聞いてみるよ。おっと本題忘れてた。リーファは偵察のほう、不参加なんだな?」
「ええ。私は大会で二位以内に入って、グランドクエスト本戦に参加します」
 ALOのグランドクエストに、各種族の公式大会で二位以内に入った強者(つわもの)で挑む計画だ。最初に謁見した種族が滞空時間を解除されてこの世界をいつまでも自由に飛び回れるというけど、いろいろ不満や心配も指摘されて、人気のあるすでにグラクエを攻略した種族が、グラクエへの援助をエサに不人気種族をこき使うんじゃないかって懸念があった。そうなるとみんな戦闘スキルに秀でたサラマンダーやシルフ、支援スキルに特化したウンディーネやケットシーに集中してしまう。お兄ちゃんが選んだスプリガンなんか地味だからシルフの一〇パーセントくらいしか人がいないのに、それがさらに拡大する。
 だから九種族合同なんだ。死亡による落伍者を想定し保険含めて二人ずつ、合計一八人で挑む。
 運営へはすでに提案済で、どう反応するかは分からない。とにかく作戦は動きはじめた。
 どのみち大会には腕試しで参加するつもりだったから、風林火山を離れ一度戻った。
 コントローラーを使わない意識だけの随意飛行を覚えてる私は、アルンからスイルベーンまで一日でつける。だからソロなら行き来は楽だった。
     *        *
 大会は順調に勝ち進んだ。
 ……というほど楽な戦いじゃなかった。
 シルフ族の大会参加者は全種族一位だ。つまり最難関。ALOはアルヴヘイム・オンラインの略で、妖精の国って意味だ。妖精は羽根を生やし空を飛ぶものってイメージが強いし、幻想郷に暮らしてる本物の妖精族は全員が生まれながらに飛べるという。
 全種族でもっとも飛行に長けたシルフ族だから、人気が集まるのも仕方ない。私だって飛ぶのが得意だって説明を読んでシルフを選んだんだ。つまり強豪だらけなのは自業自得! 誰のせいにもできない。
 私は敵が強ければ強いほど燃えるなんて精神が薄い。せいぜい歯ごたえがある相手がいいねくらいにしか思わない。師匠とすこし違う。桐ヶ谷家の武士っぽいエッセンスはお兄ちゃんが継いでしまったけど、桐ヶ谷和人のレールはエリートコースに傾こうとしている。もうひとりの恋人、明日奈と釣り合うためだ。すでに親公認の仲にまでなっている。師匠は仮想現実の奥さんなんだって笑ってる。だからお母さんがエッチなの禁止と言っても動じてなかった――すごい精神構造だと思った。これも敵が強いほど燃える太い芯を、あの身へ備えてるからだろう。
 敵は弱いに越したことはない。
 それが弱い私の本音。桐ヶ谷の伝統を継いでいくのは私になりそうなのに、武士らしい思考じゃない。これって足軽のほうだよね。
 足軽にすぎない私は、足軽らしく戦い足軽らしくみっともなくとも勝つ。
 勝てればOK、勝てば正義。
 剣だけならこの大会はもっと楽だった。飛行禁止ならさらに楽勝だっただろう。でもみんな飛べるし魔法も使える。使う武器も剣以外――槍やナイフや斧もある。素手や足による格闘も許可。回復魔法およびアイテム以外、なんでもありの無差別格闘戦。
 イレギュラー要素だらけで、剣道だけに秀でていた多少の自信なんか吹っ飛んだ。情けなく逃げ回り、そこら中のオブジェクトを利用し、とにかく勝つ。
 正面より堂々と粉砕するなんて武士の戦いは、最初の三戦だけ。あとは足軽にふさわしい泥まみれな殺し合い。リアルで剣道に励んでるぶんプレイ時間は人より短く、使えるスキルが少ないから戦闘の幅も狭い。そんな私が風林火山で通用してたのは、前にいても後ろにいても良いミッドポジションだから。でもいまは敵を倒す全ダメージを自分の腕と機転だけで稼がないといけない。アタックもディフェンスもサポートも、リーファが一身に背負う。
 それがソロの大会。
 頼れるのはリアルで培った剣の冴えと、わずかな攻撃魔法。そうなればあとはすばしっこく動き回って、情けなくとも勝つトリッキーなスタイルになってしまう。
 剣道とはまるで違ってた。剣道じゃない試合だ。
 いくら物影に隠れようとも、相手の魔法力が尽きるまで逃げ回ろうとも、卑怯だと思われない。ペナルティも取られない。
 ――こんな戦いもあったんだ。
 大会を勝ち進んでいく短時間の中で、多くのことを学んだ。
 私は師匠やお兄ちゃんほど武士じゃないけど、これもまた戦いだね。ルールで固められた剣道にはない、自由なバトル。
 ……決勝の相手は妖怪だった。
 射命丸文(しゃめいまるあや)。アバター名もシャメイマルアヤ。準決勝でカタナ使いのサクヤを二分あまりで退けた。でもそれ以外はすべて数十秒以内にケリを付けている大本命。SAOの英雄パーティーにいたソードマスターのひとりで、武器は槍。SAOで黒髪赤瞳だったのがいまは碧髪橙目。
「あなたの戦い、見ていましたよ」
「どうもです」
「さすがキリトさんの妹ですね、まるでお兄さんと同じです」
「……え?」
 お兄ちゃんは武士だけど私は足軽だよ。ぜんぜん違う。
「おやおや、自信がないからそんな顔を見せるんですね。剣道の精神性にすっかり染まりきってる様子ですが、これはゲームです。楽しければいいんですよ。心はあまり考えないほうがより広いものが見えますよ? みなさんまず楽しむためにここへ来てます。そこに道や心なんかなーんにもありません」
 あ……
 なるほど、私もおかしかったんだ。本質に気付いていながら、まだまだ「剣道」だった。
「いい顔になりましたね。殻を破ってくれてありがたいです。これで私も心おきなく全力であなたを粉砕できるものです」
「――バトルジャンキーですね」
「ええそうです。敵は強くないと面白くない」
「あはは、まるで妖夢さんみたい」
「さてあなたは、私を真に楽しませてくれるにふさわしい剣舞を見せてくれますか?」
「見せてみせましょう!」
 激しい機動戦になった。基本スペックは文が上、プレイ時間の短い私は限られたスキルを活かすため、とにかく逃げながら考える。どうやって倒す? いかにして隙を見つける?
 戦闘が始まったとたん文は無言になった。余計なことは一切言わず、情報なんて与えない。これはつまり私を強いと認めてくれている証拠だ。
 射命丸文の戦闘スタイルは魔法などで体勢を崩し、大槍の重突撃で一撃必殺。とても単純だけどスキル特化してるぶん破壊力は高い。彼女はパターン化した動きの効率をソードスキルのような職人芸にまで高めている。ゆえに誰もが一撃で死ぬ、まさに必殺技。
 つまり突撃の先触れに必要な文のマナポイントをすべて消費させれば、私にも勝機がある。
 魔法攻撃をことごとく回避してみせる!
「…………」
 攻撃する素振りも見せて、文に判断の余裕を与えない。私が思いつくていどの作戦だから、どうせほかの対戦者も似たような戦い方で勝とうと試みたはず。サクヤだって文の周りをくるくる踊ってた。
 一分もしないうちに文の魔法使用ペースが落ちた。おかしいな、こちらも魔法攻撃してたのに――
 すると文がふっと笑ってた。あっ、馬鹿にしたな。
 やっぱりあからさますぎるとダメか。見え透いてるもんね。文がマナ温存に切り替えるだけで私の機動戦は効果の多くを失う。相手は一〇〇〇年以上を生きる大妖怪、剣道一直線中学生の即興なんて通用しない。
 作戦を常道に切り替えた。攻撃し回避する、普通の攻防へ。
 文の表情に張りが戻る。これが正しいみたい。奇策など無用、ただ戦いを楽しめと。
 たしかに奇襲が通用しそうなプレイヤーじゃない。幾度か剣を合わせて気付く。師匠とおなじで高い壁がそびえてる気分だ。
 私はショートレンジの剣なのに、その戦闘距離で突撃槍を自在に使ってくる。突撃槍で鋭いのは尖った先端だけで、あとは金属や木製の三角錐。この質量の重みすべてを先端へ集め、突撃の破壊力へと変える武器。それが中世欧州で怖れられた騎士の馬上突撃。
 いきなり槍の側面で横っ面を張られた。盾に殴られる要領で。
「そんなのアリ?」
「アリです」
 三分ぶりくらいに文がしゃべった。槍で怖いのは先っちょだけって思い込み、そこを突かれたんだ。
 槍そのものは重いから殴る武器にもなる。
 そんなあたりまえのことに気付いたけどもう遅い。文の追撃は高速詠唱の風魔法、軽く体勢を崩してた私にそれを回避する手はなく、モロに受けてくるくる空中回転。体勢大崩れ。
 やばいやばい、やばいよ。
 文の必殺チャージがくる、きちゃう!
 脇を固めて槍と一体化している様子を一瞬だけ見た。
 目が回る視界の大回転で、思考を巡らせようとするけど、なかなか思いつかない。
 どうしよう、どうする?
 槍が迫ってくる。すごい速さでこちらを正確無比に狙っている。
 正確?
 そうだっ。
 体が勝手に反応していた。いくらダメージ硬直で自由が利かないといっても、全身すべてが動かせないわけじゃない。
 勘で右足だけ軽く前方に振り、回転方向がズレて――直後、私の脇腹を掠める文の「やるな!」って目が合った。
 ここで師匠やお兄ちゃんなら文の背中へ斬りつけるなんて離れ業ができただろうけど、私は避けるだけで精一杯だった。
 それでも反撃したいなあって剣を手に追撃っぽい接近を試みたら、すでに技後硬直を終えてた文が待ちかまえている。
「……それ宇宙遊泳の技ですよ。さきほど退けたサクヤさんですら全身で藻掻いて動けなかったのですが」
 普通なら全身で抵抗するから、いろんなベクトルが相殺してかえって不利。回避するだけなら一部に力を入れるだけでいい。
「柔よく剛を制す。あの英雄キリトの妹よ、敵わないとしてもただじゃ負けないわ」
「いいですねその思考と行動、飛翔していく若い躍動の熱さ。同時に清涼でもあり、幾度正対しても飽きません。あなたをキリトさんと同じとはさすがに認められませんが、それに準じる好敵手としてなら認めましょう」
「その言い方、典型的な負けフラグですよっ」
「真の英雄たちに追い付かれ追い抜かれつづけた身ですからね。永遠に成長も上達もしない深遠など、あなたには分からないでしょう」
「どうせ不変の若さと美貌があるから、おまえらいくら鍛えてもすぐ衰えるぞって思ってるんでしょう?」
 不敵の笑みを浮かべてた文の顔が急にシラフへ戻った。
「あややっ、ここまでストレートにスペルカードバトルっぽく受け答えしてくれるなんて、リーファさんが初めてですよ」
「あれ? ロールプレイ、なにかおかしかった?」
「いいえ正しいですよ。初めも今のも、弾幕格闘式の所作で合ってます。通常の弾幕式は比喩や由来などにこだわって、もうちょっと回りくどくなります。あやや、せっかく口上を楽しんでたのに、ついびっくりして止めてしまいました。すいません」
「無意識で妖夢さんに近づきたかったのかな? なんか変だね私たち」
「楽しそうでいい表情です。さらに一皮剥けましたね」
 笑っちゃいそうな空気になったけど、仕切り直して決勝再開、お互いに手の内はだいたい分かる。私はスキルが少ないから剣に活路を求める、文は槍が怖い。
 警戒しちゃったから決定打がなく動きだけ激しい戦いがつづき、ついに一〇分間の滞空時間が尽きて地面に降りちゃった。数千人に達するギャラリーの声援がいっそう大きくなる。ここからが決着の本場だ。
 シルフ族は全種族でもっとも空中回避に優れてるから、エアレイドだけじゃ決着が付かない試合も多い。だからこの大会ではデュエルモードの対戦時間は最長の二〇分に指定されている。空でつかない勝敗なら地べたで殺し合えと。半端な判定は許さない。
「……地上戦なら私の勝ちです」
 すでに文のマナポイントはほぼ尽きている。
「残念でした」
 槍を投げ捨てた文がクイックチェンジで即座につぎの武器を実体化させた。
「え……剣?」
「本当は槍で抵抗するフリから奇襲してやろうかと思ってたんですけど、あなたが正々堂々と戦ってくれますから、合わせたくなりました」
 軽々と片手用直剣を振っている。とても使い慣れた様子だ。
「もしかしてそちらが本業?」
「しょせん下手の横好きにすぎませんが、こう見えて剣は三〇〇年くらい扱ってました。当時はまだ薙刀も突撃専用の槍もありませんでしたからねえ」
「どんだけ長生きしてるのよ」
「とりあえずこれで完全に等価の条件です。勝負をつけるのにふさわしくありませんか?」
「……あっ、文ったらそれで私に残ってるマナポイントを封じるつもりでしょ」
「あややややバレましたか。じゃあこれから問答無用といきましょう」
「望むところです!」
 実力は完全に伯仲、さらに戦いは一〇分近くつづき、初にして唯一の判定試合にもつれ込むかと思われた決着は、私の集中力が切れた瞬間にようやく訪れた。
 気がつかないうちに蓄積していた精神的な疲労から、視界の一部がくらっと傾いたわずかな空隙に、白刃がさっと伸びてきて私の首筋をきれいに――薙ごうとした瞬間、自然に動いた左手がその執行を払っていた。
「あれー?」
 面白い顔をした文の伸びきった右腕を掴み、勢いに任せて投げる。右手の武器は離さず、左手の腕力と腰から背中の力点だけで文の体を反転させた。ふたりとも転ぶような体勢で技が決まる。文が仰向きで背を地へつき、受け身に失敗し衝撃で剣まで手放してしまった。こちらは覆い被さって武器もあり、圧倒的に有利。
 飛翔力がすこしは回復してたから、あわてて羽根を生やし飛んで逃げようとしてた文の胸元へ、間髪おかずとどめの一撃を刺す。
 我ながら鮮やかな手際、即死判定だった。
 草色の煙とともに肉体が消失し、リメインライトになった文。運営公式より派遣されてたウンディーネ族の蘇生術で生き返して貰った。まだ正式サービスから数ヶ月しか経ってなくて、蘇生アイテムは高価、蘇生魔法もウンディーネしか使えない。
 周囲の観客がずっと騒いでいる。戦った私たちも興奮してたけど、見てるほうも楽しんでくれたようでなにより。いい試合だった。
「体術技で、しかも利き腕じゃないほうでやられるとは思いませんでした。ナイスファイトでしたよリーファさん。優勝おめでとう」
「ALOじゃ握力は左右ともおんなじだしね」
 右手で剣を握り振ってるだけで、左手の握力やさらに脚力まで勝手に増幅補正していくゲーム世界。項目ごとに数字がひとつしかないから起こる、不思議な現象。おかげで勝てた。
「いまの投げ、威力が小さく剣でのトドメが前提ですから、魂魄流ですよね」
「はい、妖夢さんから余興で教わりました。腕なんとかって暗殺術で、リアルだと反則以前に人間として道徳的にヤバいから、暴漢相手かALOに留めておけって」
「ALOに留める――じゃあそのうちあなたも二刀流を覚えますか」
「アルンで合流したら頼むつもりです」
 師匠の大会は明後日だけど、すでに結果なんて分かってた。
     *        *
 グランドクエストは大興奮だったよ。たくさんの守護騎士が群がってきて、クリアまでにいったい何百体を斬り倒したのか覚えてない。でも師匠とお兄ちゃん、アスナに私の四人がひとつの塊となって敵の壁を突破、猛烈な至福の時間をすごせた。
 よく分からないけど、これがなんとかの境地なのかな。
 剣道の大会で優勝したときは「あれ?」という思いがあってまだこんな快感を感じられなかった。師匠に鍛えられて強くなったからってイメージが強かったから。強くさせて貰ったって感覚だったから。でも今回は違う。
 剣士として純粋に喜んでいる。
 ゲームなのにマジになって、おかげで得られた達成と幸福感――
 そうだ、これも射命丸文に勝てたからだ。あの戦いと勝利があって、いまの喜びがある。今回は自分の実力だって自信があったから。
 妖精王との閲覧イベントが終わったあと、空中都市を歩きながら文に改めてお礼をした。
「ああ……いいんですよ。人の実力を引き出すのは鞍馬山に在駐してたときから私の趣味みたいなものでした。伸びるはずの人が余計なものに囚われてたりすると、その枷をつい外してあげたくなるんですよね」
「文さんは師匠パートツーです」
「よしてください。私はどうやっても不変ですから、変わりゆく世相や人々を記録していくのが好きなんですよ。けっこう入れ込むこともあって、あまり知られてませんが歴史上のいくつかの事件や人物とも関わっちゃったりしてます――それはいいとして、リーファさんが今回の高みを体験できたのは、元からあなたにそれだけの潜在能力があったからです。だから……今後もリアルで追体験できますよ、きっとね」
「はいっ!」
「いい返事でよろしいです。それから私のこと師匠って呼ばないでね。この世界ではあなたのほうが強いんだし、妖夢さんと違ってリアルで会う機会もありませんから、せいぜいでも心の中だけに留めておくこと」
「うわ速攻でダメ出し」
「年の功ってやつですよ。囲碁将棋のプロみたいに先が見えますから、余計なトラブルは事前回避したくなるんです。まあ反対に取材演出でトラブルを作ることもありますが、それもまた私の個性」
「なら私は私の個性でもっと上を目指します」
「期待しますぞリーファくん。そのうち妖夢さんにも勝てたりしてね」
「いやそれはさすがにない」
 せっかく気分良かったのに一瞬で冷静になっちゃった。冗談でも無理なものもあるよ。リビングで油断しきったところを不意打ちしたら一本くらい取れそうだけど、万全な状態で剣を交えたら――師匠が発する気迫の濃度って、冷や汗が浮かぶほどものすごくて恐ろしい。あの綺麗な顔の内側に、殺人剣術を継承してきた必殺仕事人の凄味が潜んでる。
     *        *
 クリアイベントの最後で地上へ還ることになったんだけど、転送装置が動かなくなった。女王さまが近くのGMを引き留める。グランドクエストで転移する空中都市って、オンラインサポートセンターも兼ねてたんだ。
「……な、な、なんだろう。ぼぼんぼ僕の行使レベルじゃ分からないね。ただの僕アルバイトだし。うん」
 緊張しまくった裏声でどもってる魔法使い妖精――ん?
「レコンじゃない! こんなところでなにしてるのよ? ――ってバイトか」
 そういえば大会に出たとき、一度も顔を見なかった。自分のことに夢中ですっかり忘れてたけど……
「ごめんね黙っててリーファちゃん。でもスイルベーンにはしばらく戻らないって聞いたから、会うならこれしかないって思ってたんだ」
「うちの学校アルバイト禁止じゃない。まったくバカね、ただ脱領者(レネゲイド)になったらいいだけじゃないの」
「それじゃダメなんだ」
 いまどきの男子には珍しいおかっぱ頭にアホ毛を揺らし、レコンが真摯な顔で私の手を取ってきた。
「リーファちゃんが英雄になったら、遠くにいっちゃう。だから僕も立派になりたくて応募したんだ。アルンと思ってたのにまさか空中都市が勤務地になるなんて想定外だったけど、すぐクリア――いけない、禁則事項だった」
 緊張で赤かった頬がさらに別の意味で朱色になっているレコン。うわもうこれ誰が見ても気持ちダダって漏れてるよね。嬉しい。困ったけど嬉しい。忘れててゴメン。でもしっかり届いてるからキミの想い。
「遠くにいっちゃうって……ギルド風林火山に入ったら、すぐ私とパーティーくらい組めるわよ。知ってるわよね? お兄ちゃんと妖夢師匠も参加してるから」
「ぼ、僕なんか無理に決まってるじゃないか。だってあの熱血最強ギルド、確実な入団条件もいまだ不明なんだよ。ソロでイビルグランサーを二〇匹退治できるあのシグルドですら門前払いだったのに」
 大会で私も五~六回戦くらいで当たった。五分以上もかかって薄皮一枚でようやく倒せた強敵だった。でも私は風林火山に入れた。
「シグルドが断られたのはアタッカーだからよ。変なイメージ持たれてるみたいで、風林火山ってフォワード向けの人ばかり希望してくるのよね。ソードマンはとっくに一流が揃ってるから、本当は私みたいなオールラウンダーやにとりさんみたいに優秀なバックアップが欲しいのに」
「……えっ?」
「レコンはスカウトに特化してるわよね。風林火山にまだいないスキルビルドだからちょうど良いわ。偵察やトラップが巧みだって言えば、私の推薦で大丈夫よ。直接戦闘の苦手なにとりさんが入ってるんだから、十分いけるわ。出立時に伝えてなかった?」
「き、聞いてないよそんなこと」
「ごっめーん。教えるつもりでついうっかり忘れてた」
 てへへと頭を掻きながら舌をだして誤魔化す。ホントはアルンに来てから気付いたことだし。
「ひどいよリーファちゃん」
 私の中で確実に男をあげたよレコン。大会で会える機会を潰して、校則違反までしてGMになっちゃうなんて、しかもすべて私のためだっていう――その努力に免じて、私の心にきみの席を用意するよ長田くん。
 この直後にサポートセンター乗っ取り事件が発生、強制ログアウトしたりお兄ちゃんにパンツ見られたり五人で肩車してチルノが事件解決したりと大冒険になった。
     *        *
 世間さまの関心はともかく、私個人にとって大きな事件は、やはりレコンがGMになってたことだ。
 実の兄に恋愛感情を持つなんて不毛の恋に苦しんでいた心の流浪は、師匠を剣士として強く尊敬することで落ち着き、長田くんのバイトGMで心の旅路へと転換した。
 一度そういう対象として意識しはじめると、つぎつぎと良いところが見つかってくる。
 長田くんって意外とハンサムだったりした。リアルだとメガネで魅力が隠れてたんだ。なんでゲームのレコンはあんなお坊ちゃまスタイルなんだろ。私が好きなら格好良くすればいいのに。簡単にときめいてあげるのに。
 長田くんは普段からゲームのレコンと一緒で鈍くさいし、お兄ちゃんみたいに熱血だったり格好良いわけじゃない。それに彼はいつもオタクっぽさ全開でモテない。でもたまに熱血する。この地味さが私的には重要だったりする。
 お兄ちゃんてば、モテてモテて、もうどうしようもないくらい女の子を惹き付け回っている。私のクラスでも知ってるだけで三人くらいお兄ちゃんに恋してたりする。私もきっとそういう謎のオーラかなにかに当てられたんだろう。勝手に好きになっていきなり失恋してたから、新しい恋は長田くんくらいでいい。
 私には剣道で中学女子日本一になるって夢があるから、恋愛は片手間レベルじゃないとバランスが取れない。だから告白するなんてことはせず、長田くんに気があるアピールを始めた。
 まず年明けに男子女子がそわそわする大イベント、バレンタイン。道場裏に呼び出した。
「すっ、直葉さん! いいの、こんな大きなチョコレート」
 直径二〇センチはさすがに大きすぎたかな……
「サポセン、アバター類似がバレてクビになったって聞いたよ。だからせめて慰め」
 GM用のアバターと普段のアバターを似せてしまえば、不正を企んでると疑われても仕方ない。アバター凍結だけは免れたけど、色々とペナルティを受けたようだ。男の子だから細かいところは教えてくれない。どれだけ情けなく見えても、彼なりにプライドがある。
「えーと、思いきり義理って書いてるんだけど……」
「なによ悪い? ていうか、ここで開けちゃう普通」
「いいえ……ごめんなさい」
 でもね、長田くんから告白したら即OKだよ。私から告白しない縛りなんだ。
 長田くんに気があると行動で発信するようになった。
 机が隣だから、消しゴム落として拾ってもらったり。
 教科書忘れたふりして、机並べて見せてもらう。
 天気が御機嫌斜めなら傘忘れたふりして、相合い傘。
 テスト勉強は頼んで一緒にする。長田くん成績いいんだ。
 ゲーム中でもなにかあればレコンを頼り、相談する。
 これまでアウトオブ眼中で軽視してたのに、あからさまに態度をひるがえし、男として立てるようにした。
 長田くんも次第に自信を持ち始めて、私のことを直葉ちゃんと呼ぶようになり――どこかもどかしいような、甘酸っぱい中途半端な関係になってきて。
 四月……五月……六月……七月――夏休みがきた。
     *        *
「いったい、いつになったら告白してくれるわけ!」
 ついに我慢できなくなって爆発したのは私のほう。
「えっ、どうしたの直葉ちゃん。え? こっ、告白?」
「長田くんがアルンまで追いかけてくれたおかげで心機一転、朗らかに全力で打ち込んでるうちに、剣道が順調すぎて全中優勝しちゃったんだけど?」
 いまその授賞式が終わったあと、でっかいトロフィー抱えてる。個人戦を一本も取らせない圧勝でストレート優勝した。
 着替えて控え室から出て、待っててくれた応援の長田くんが、おめでとうって言ってくれる前に理不尽なこと叫んじゃったよ。周りにいた人たちも驚いてる。
「……参ったなあ。えーと、言わないとダメ?」
「私の気持ち、とっくに知ってるよね」
「――はい」
 頷いた。いくら鈍感でもあれほどスキンシップ仕掛けてたら、いい加減に気付く。私と長田くんはすでに剣道部内でもクラスでも公認同然の仲だ。でもまだ付き合ってない。そんなフワフワな青春風景の間柄。
「…………」
 なかなか言ってくれない。顔を真っ赤にして、棒立ちのままだ長田くん。
「ほらさっさと言ってよ。いくらでも明るく楽しい毎日が待ってるわよー。夏休みはまだ一〇日以上も残ってるよー」
「みっ、みんなが見てるからっ」
「あ、ごめん」
 顔を真っ赤にした長田くんがようやく絞り出してくれた抗議の声。
 だから手を引いて移動した。トロフィーと賞状をニヤニヤ顔の後輩へあずけ、誰もいなさそうな場所を探して――
「どこもかしこも人だらけね」
「まだ大会終了直後だし」
 だから武道場の屋上。強い風がびゅうびゅう吹いて、私のスカートが派手に揺れている。夏休み中といっても課外活動だから制服。
「直葉ちゃん、見えてるっ」
「試合で汗かくからどうせ見せパンだし、長田くんならいい!」
 師匠の影響かな、私も大胆になったものだ。
「……良くないよ。直葉ちゃん日本一になって遠くに行くのに、僕なんかと」
 師匠はお兄ちゃんに告白させられたけど、付き合ってとお願いしたそうだ。欲しいなら手に入れよう。そうしよう。
「私は長田くんがいいの。今回の優勝で私は推薦確実、あなたも成績いいから推薦枠はほぼ確定。まだ中学時代は半年以上も残ってるわよ。受験しなくていいのに、空いた時間をどう有効に使うべきだと思う? お互い追う夢が違うから高校は離れるのに」
「遠くてもALOで会える」
「リアルの私を見て。リーファちゃんと言ってたレコンはいま、私を直葉ちゃんと言ってくれるわ」
「……直葉ちゃんはずっと長田くんじゃないか」
「わかったわ慎一くん。これでいい?」
 ――どうだい慎一くん。あなたが好きになった私は、こんな子なんだよ。
 剣道でおおきな自信がついて、その自負のまま動いてる。人によっては鼻持ちならないだろう。でもいい。それが勝つってことだ。
 勝ってるんだから、せめて勝者にふさわしい行いをしておかないと、負けた人に失礼だ。
 優勝はたった一人しか勝ち取れない極上のもの、それに添える最後のご褒美が、私にとっては長田慎一くんだった。
「…………」
 モジモジしてなかなか踏み出せない慎一くん。
 この期に及んでなお、自分が私にふわさしくないと思ってる。でもあなたは私よりずっと頭がよく成績もいい。GMになってたように男を見せてくれるときもある。私は中学生にしてはけっこう強いから、盾になってくれる男の子はたしかに不要かもしれない。長田くんが私へ強く出られないのもそれだろう。でもアニメにもいるじゃない、とりたてて強いわけじゃないけど、いろんな理由から女の子に好かれてるって主人公。隣にいて安心でき、嬉しい時間を共有できる人なら、それで十分だよ。
「…………」
 しょうがない、背中を押してあげよう。
「――リアルにはALOのモンスターみたいなの、そう滅多にいないわ」
「直葉ちゃん?」
「リアルの私に、剣の強いヒーローなんかいらない」
「……うん」
「リアルで私たち生徒の、最大の敵ってなに?」
 質問の方向性が掴めず、慎一くんが迷っている。私の誘導に気付いて慎一くん。わざわざリアルって繰り返し、生徒という単語を使った意味に。
 頭がいい彼だ、すぐ気付いた様子だったけど、すこし戸惑い気味に答えてくれた。
「……勉強?」
「そうよ。私は生徒の本分で、あなたにまったく届かないわ。いくら剣道日本一でも、それで数学の公式が解けるようになるわけじゃない。だから私の苦手な分野で、慎一くんは立派に支えとなってくれる」
 いったん言葉を止め、胸に手をゆっくりと当て、伝えたいものを吐き出した。
「あなたは学業でヒーローなの」
「あはは、僕なんかでも、ヒーローなんだ」
「うん、私のヒーローだよ」
 本当はどうでもいいけどね。たぶん慎一くんが成績普通でも好きになってたって自信あるよ。お兄ちゃんと同じで強さなどにこだわってるみたいだから、そういうことにしてあげよう。男の子だもんね。
 やや猫背だった慎一くんの背筋が、ぴんとまっすぐに立った。
「……直葉ちゃんのこと、好きだ」
 よく言った! これで慎一くんは「ヒーロー」だ。この儀式を経ておかないと、私はあなたを男として認められない。GMの件だけじゃさすがに不足してたんだ。だから私から告白しなかったんだよ。最初は剣道に集中するためだったけど、途中から慎一くんのためになった。
 関門をクリアした彼に、即答してあげた。
「ありがとう! 私も慎一くんが好きだよ!」
 私らしい雰囲気に欠けた強風の屋上で、直球勝負の幸せをもぎ取った。
     *        *
 二ヶ月後、一〇月最初の日曜日――
 お母さんが爆弾発言をした。
「明日がお兄ちゃんの誕生日だから、秘密を教えてあげるわ。そろそろ直葉も知るべきだって」
「なあに~~?」
「じつはあなたと和人はね……従兄妹(いとこ)なのよ」
「……へ?」
「あなたお兄ちゃんに恋してて、とっても悩んでたじゃない? いとこは結婚できるから、どう伝えようか迷ってたんだけど、長田くんって素敵な彼氏を見つけてきたし、もうカミングアウトしてもいいかなって。ちなみに直葉は私のちゃんとした実の子だから安心してね」
「……はあ」
 なんだ私の初恋って取り越し苦労だったんだ。すでに恋の熱は収まってるからショックはなかった。さすが親だね。誰にも相談してなかった私の秘密、お見通しだったんだ。
「詳しいこと聞きたい?」
「あとでいいよ。だって今日はこれから慎一くんと楽しいデートだし」
 世間の中学三年生はみんな受験勉強で大変だけど、私と慎一くんは揃って推薦入学が決まってる。高校に進学して付き合いがいつまで続くか分からないけど、お兄ちゃんや妖夢さんや明日奈さんの不思議な関係を見ていたら、たぶん大丈夫な気がしてきた。
「へえ……いとこなんだ」
 さっそく公園のベンチで話をしてた。私がお兄ちゃんを好きだったって初めて明かして。
「うん。あっ、慎一くんがお兄ちゃんの代わりってわけじゃないよ? だってその前に妖夢さんの……言い訳にしかならないか」
「僕の感覚だと直葉ちゃんは高嶺の花だから、どんな理由でも彼氏になれてありがたいよ」
「ありがと、このお礼はいま精神的に」
 頭を彼の肩に寄せて甘えの姿勢。
 キスなんてしない。私が剣道日本一で慎一くんとの仲は公認級だから、学校の目も光ってる。校則で男女交際禁止はないけど、中学生らしくない不純な行動は絶対にいけないって書かれてて、破れば推薦を取り消されるんだよ。だから高校にあがるまでキスすら無理。清い男女交際なのさ。
「どうして直葉ちゃんは、自分が不利になる内容を僕に教えてくれるの? 僕はいろいろ直葉ちゃんに隠してるよ」
「べつに合わせなくていいよ。師匠――妖夢さんの真似をしてるだけだから。たぶんこちらのほうが慎一くんが安心するんじゃないかって。このお付き合いって、立場的には私のほうが上位っぽいから、せめて秘密とか情報とか、それだけでもあなたに上でいて欲しい」
 慎一くんが頭をそっと撫でてきた。
「ありがとう――」
 しばらくしてぽつっと言う。
「私ね慎一くん」
「なんだい」
「どうも桐ヶ谷家を継がなきゃいけないみたいなの」
「…………あいや?」
「えーとほら、うちって三〇〇年くらいつづいてる古い武士の家でさ、お兄ちゃんがいとこで養子よね。しかもお兄ちゃんは結城家のほうへ婿入りしちゃう可能性があるのね。または家を出て確実に独立しちゃう。だからね、将来もしも、そのね、この交際がずっと続いてね、もしもだよ、そういうすごい関係にまでなっちゃったらね――慎一くんが、桐ヶ谷になってくれる?」
 慎一くんの顔が沸騰しちゃった。
「まっ、まだ早すぎるよ!」
「うん早いと思う。でも私は妖夢さんの一番弟子だから、師匠とおなじやり方で欲しいものを手に入れるの」
 初秋だけど、すっかり火照ってまるで真夏のようだった。


※長田くんを積極的に好きになる直葉
 原作に沿った行動パターン。正体を知らずキリトへの恋で払拭しようとし泥沼化した。

© 2005~ Asahiwa.jp