東方神霊廟 聖地巡礼(蘇我氏・物部氏・聖徳太子) 夢中 おでかけフォト よろずなホビー

撮影:2014/01/12

奈良と大阪にある東方神霊廟関連の聖地を適当に訪問してきた。 案内役は博麗霊夢。 霊夢だよ。今回は単純に訪問順で行くぜ。 まずはここ。 世界遺産だってさ。さすが奈良京都の近辺は国宝がゴロゴロ転がっている。
奈良県奈良市元興寺(がんごうじ)雷撃がおそろしい蘇我屠自古(そがのとじこ)ちゃん関連。蘇我氏の氏寺(飛鳥寺)として始まった寺で、蘇我馬子(刀自古郎女の父)を本願とする。のちに奈良のこの地へ移築され、現在に至る。1998年、世界遺産に登録。 屋根瓦のうち古臭いのは飛鳥時代からそのまま使い続けられているとのこと。屋根瓦って耐久消耗品のはずなんだが、とんでもねえエコロジーな話だ。激しい風雪や落雷とかに幾度も打たれただろうに、耐えてきたわけだ。屠自古のスペルカードに「ガゴウジサイクロン」「ガゴウジトルネード」があるが、「ガゴウジ」は元興寺から来てるそうだ。この寺には雷神の鬼の伝説がある。 胴体のない頭だけの仏像とか。 境内にはいかにも古そうなものがたくさんあったぜ。素朴な造りながら、国宝や重文に指定されたものがそこかしこに。日本最古の寺のひとつだからな。 つぎはアホの子、布都ちゃんだぜ。 奈良県天理市石上神宮(いそのかみじんぐう)
鳥居にいきなり布都って書いてた。 さすが正月だな。 これは15日くらいに燃やすのかな? 石上神宮は伊勢神宮と並ぶ日本最古の神社。神を祀る社くらい縄文時代から日本各地にあったのだが、倭国を統一した最初の政府(大和朝廷)が公認し、日本書紀に記された、つまり初の神宮のひとつ。祭祀は物部氏。蘇我氏も物部氏も、その精神的支柱に日本最古の寺や神宮というステータスを持っている。 境内にニワトリがたくさんいる。ときどき啼いてるし。 拝殿は余裕で国宝指定。この後方にある禁足地から、1874年の調査で布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)が、1878年には天羽々斬剣(あめのはばきりのつるぎ)が出土した。いずれも国の重要文化財に指定されている。神代三剣のうち二本も持っているとは、さすが神話級の神宮。残り一本、草薙の剣として特にメジャーな天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)は熱田神宮にある。 石上神宮は神代の剣をご神体とする珍しい神社だ。この神社には国宝の七支刀(しちしとう)もある。主神は布都御魂大神 (ふつのみたまのおおかみ)。物部布都(もののべのふと)ちゃんの名前元だね。布都(ふつ)とは、なんと「ぶつ斬り」「ぶった切る」の「ぶつ」から来ているそうな。さすが神世の時代、まさかの当て字とは。そういや刀自古のほうも当て字っぽいな。「古」だと早死にしそうで、名前に使う字としては縁起が悪い。東方ではさらに屠自古と字を変え、パワーアップしてる。 奈良県生駒郡斑鳩町聖徳さんならこれは外せないぜ。 法隆寺
日本で一番有名な五重塔(ごじゅうのとう)だ。日本最古で国宝でついでに世界遺産。日本中の五重塔がこいつを真似した。 五重塔の先端、豊聡耳神子(とよさとみみのみこ)が持ってる剣の柄に似てるな。 金堂。この辺の目立つ建物はほとんどが国宝か国宝級。 聖霊院。なぜか縦に長い。 厩戸皇子(聖徳太子)のお堂。 法隆寺の通路、広いしでかいぜ。平城京や平安京の大路もこんな感じだったそうだ。 塀の壁で壊れてるとこ。古い造りだ。藁や砂利などが混じってるが、強度確保のため。いまでもセメントで砂を混ぜているように、時代変われど基本はおなじ。 版築。土とかを少し乗せて踏んで固め、また乗せて踏み――を繰り返す古代の工法。いまでも発展途上国では現役。 夢殿今回のメインディッシュだな。東方神霊廟で、神子が眠っていた夢殿大祀廟のモデル。主人公機と物部布都との対戦はこの眼前で行われた。 いかにも神子! この反り、いかにも古代風だぜ。 東方の弾幕戦をなんとなく妄想してるうちに30分も経っていたぜ。 夢と刺繍されたお守りを買った。鈴に霊夢が写ってる。 大阪府交野市
四ヶ所目は布都ちゃん関連。 磐船神社
布都ちゃんが乗ってる天ノ磐船(あめのいわふね)。それを祀る神社は全国にたくさんあるが、神話の世界であった京都・奈良に一番近い磐船さんがおそらくここ。京都にも磐船があるけど、歴史的には浅い。確実に1000年以上の歴史を持つこの磐船のほうが由緒正しい。物部氏の傍流・交野物部氏の氏神でもあり、布都ちゃんとの繋がりもより正統かと。 写真にわざわざ天ノ磐船大岩と記してるのは、撮影に失敗していたため。まさか写真全滅とは不覚。チェックしておくんだった。一部しか写ってなくて申し訳ない。とにかく社の3~4倍くらいある巨大なご神体だ。高さも幅も12メートルある。そのせいかこの神社には本殿が存在しない。ご神体が大きすぎて収納できないし、自然石だから露出したままでないと意味がない。よって拝殿のみで本殿不要。 この神社には岩窟めぐりという行(ぎょう)がある。なんとなく参加してみた。 こんなふうにでかい岩が重なっていて、その中にコースが出来ている。そこを潜ったりよじ登ったりする、古式ゆかしいアスレチックコースだ。何百年もの伝統を持っている。 ゴール地点。ちなみに内部は撮影禁止になっているが、そもそも素人には無理。タフネスモデルでもない限りカメラを高確率でぶっ壊しかねない。それほどのコース。 なんかあった。 天岩戸(あまのいわと)か。日本中に何十とあるな。とくに珍しいものではない。まだ磐船のほうが少ない。宮内庁が比定してくれたら神話ファンも楽なんだろうけど、政教分離の原則で皇族関連以外は手出ししないのがお約束だからね。 いかにもそれっぽい感じで祀ってる。 降りるぜ。 烏帽子を被った蛇さんだ。 つぎで最後。 大阪府南河内郡太子町叡福寺(えいふくじ)ここにはお墓がある。 聖徳さんの霊廟が。 とりあえず拝む。 叡福寺北古墳
縦に長い社だな。法隆寺といい、聖徳太子関連は長いのがトレンドだったのかな? 聖徳さんのお墓そのものは古墳だ。その一部がこんな感じになってる。 この独特の整備、宮内庁の証だぜ。皇族だったしね。 以上で終わりだぜ。なお物部守屋の墓とかも行こうと思えば巡れたけど、布都ちゃんとは直接関係しなかったから最終的にスルーした。 布都の夫、蘇我馬子の墓と伝えられる明日香村の石舞台は何年か前、すでに行っている。いちおう写真を。
石舞台古墳
土はとっくに失われている。 中に入れるぜ。 立派な墓だ。 これで身分は豪族にすぎないってんだから、すごい権勢だ。 つぎは機会があれば長野(東方風神録)でも行ってみたいね。


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