紫電改展示館 ストライクウィッチーズ関係で見てきたぜ 夢中 おでかけフォト よろずなホビー

撮影:2010/10/24

「ゆっくりしていってね!」 ストライクウィッチーズのアニメ第1期、坂本美緒少佐はゼロ戦を使っていたが―― 第2期では新型のユニット、紫電改に乗り換えていた。 調べてみると、どうやら Asahiwa.jp の中の人が住んでいる四国に珍しいものが。 坂本美緒少佐の使用していたストライカーユニットのモデル―― 紫電改そのもの、実機が残っているという。 これは違うけどな。 ジェット機の遊具を紫電改のカラーリングに塗り替えたもの。 が、設置されている建物。 「電」 わざわざ紫電改の石碑まで造るとは、いわくつきのようだ。 愛媛県南宇和郡愛南町馬瀬山 南予レクリエーション都市公園 馬瀬山公園紫電改展示館(保存館) 大戦後半の局地戦闘機・紫電改がでかでかと。今回の撮影に辺り坂本少佐のフィギュアを連れて行こうとしたが、埋もれて見つからなかった。それが残念。 サルベージの様子を展示した写真。つまりレプリカじゃなく本物。 ちょっとした解説。興味があれば読んでみて。 紫電二十一型太平洋戦争中期、ゼロ戦の不利が認知されるようになると、軍部は次期主力機を早急に求めたという。 その中で前倒して量産にこぎつけた局地戦闘機のひとつが、紫電だった。そして目覚ましい戦果により、一般にゼロ戦の後継機として認知されているらしいのが、紫電改だ。紫電と紫電改は、性能差から事実上まったく別の機体として扱われている。 紫電改の生産機数はわずか400機足らず。試作段階で終わった幻の名機・震電(宮藤芳佳の新ストライカーユニットのモデル)と比べたら、これでもまだ幸せなほうだろう。 米国の中型爆撃機や新型戦闘機ヘルキャットらと渡り合える数少ない機体だったが、登場が遅すぎて戦局を打開するには至らなかった。 軍部は紫電改の量産を喉から手が出るほど欲していたが、生産できる工場が米国に狙われ、めぼしいラインが焼かれてどうしようもなかったという。まさに遅きに逸した後継機だった。 すでに時代遅れとなっていたゼロ戦が、工場の数が多かったおかげで最後まで生産を続けられたので、皮肉としかいいようがない。零式艦上戦闘機は最終的に1万機以上が作られている。 以上のような事情から紫電改は、神風特別攻撃隊すなわちカミカゼアタックには、1機として出撃しなかった。最後まで生粋の戦闘機で有り続けた点が、薄幸の名機・紫電改の人気に影響しているのかも知れない。 本土空域に侵入してくる空襲編隊を迎撃すべく日夜死闘に赴き、損害よりも多くの撃破を重ねてゆく。だが、どれだけ奮闘しようが多勢に無勢、整備交換部品も不足しがちで実働率も低下し、紫電改はしだいに摩滅していった。 紫電改は今日、世界に4機しか現存していない。うち本機を除く3機は海を渡ったアメリカ合衆国にあり、もっとも保存状態の良い有名な機が、スミソニアン博物館の国立航空宇宙博物館別館に展示されている。過渡期の機体となった紫電は1000機が生産されながら1機も残ってないので、米軍が紫電改を特別視していたことが分かる。 日本で唯一きれいな形で残っている紫電改は、戦時中に失われたはずの1機だった。 エンジン不調など、なんらかの理由で宇和海に不時着し、そのまま沈んでしまったと推測されている。おかげでほぼ完全な形を保っていられた。 昭和54年に引き上げられ、沈んだ海を望む近くの山頂近くにこうして、展示というよりはむしろ、祀られている。観光のささやかな呼び水として利用はされているものの、日本の空を終戦の日まで守り続けた御盾であるからには、モノ扱いまではされていない。この辺は田舎の良心に素直に感謝だ。 プロペラは海水面への不時着時に衝撃で曲がってしまったと考えられている。ゼロ戦のプロペラは3本だったが、紫電改は4つに増えている。爆撃機撃墜を重視していた紫電改には、小口径の機首機銃は存在しない。 この6人のうち誰かが、操縦していたという。候補者が6人出る――つまり6人とも還ってこなかった。 プロペラの上下にはゼロ戦にない広い間口が見られる。同時期欧米の高速機にも似たような機構があって、それだけ空気を大量に必要とするエンジンを積んでいたとか。この部分は坂本少佐のストライカーユニットでもしっかり再現されている。 排気ガスを効率よく吹き出す仕組み。エンジンが不調になっても排煙がパイロットの正面視界を遮らないとか。ゼロ戦でも後期型には同様の装置が見られるようだ。これもストライクウィッチーズで特徴的なディテールとして採り入れられている。 コックピット。中身は取り外されている。遺骨も遺品も見つからなかった。日本の温暖な気候では仕方がない。 30年以上海に沈んでいたせいで、ボロボロで穴だらけだ。 こんな状態でも最初に引き揚げた惨状からは雲泥の改善となっている。できるだけオリジナルを尊重し、新たな削りだし部品による補填は最低限に抑えられている。 翼のフラップなどは表面を覆っていたものが剥がれたままで痛々しいが、であるからこそ本物だと主張している。 日の丸 紫電改の主武装、20mm機銃。直径2cmなんて食らったら人間は一撃でミンチだぜ。黄色い部分もストパンの紫電改にしっかりある。 この辺りは機銃のメンテナンス用ハッチっぽい。 翼の尖端。 前輪。日本軍機は総じて軽かったので、未舗装の荒れ地にも着陸可能だ。 尾翼も丸裸になってしまっている。これでは飛ぶに飛べないが、静かに眠りについている感じでもある。翼よ眠れ。 海っぽいものが付着したままの後輪。 機体から取り出した、あるいは周囲に散らばっていた数々の部品が展示されている。まるで内蔵みたい。 なぜか別のところより拾ってきた、別の戦闘機(天山と見られている)のプロペラ。行き場所がなくてここに寄贈(むしろ奉納)されたのだろう。撃墜された機体はバラバラに拡散し雲散霧消してしまうので、綺麗に復元しての展示など夢また夢だ。 紫電改は穴だらけに劣化しても、ただのスクラップではない。投げ込まれた大量の折り鶴が、本機への想いをなお抱く人々の存在を物語る。 松山にあった紫電改の基地を再現したジオラマ。 各機体の番号は実際に所属し存在していたオリジナルのナンバーだ。愛媛県に迎撃基地があったという事実が、昭和19年から20年にかけての、日本の戦況を教えてくれる。 お馴染みな土産コーナーには、紫電改を中心としたプラモデルや完成模型がたくさん置いてあった。 そういうのは別にここでなくとも買えるので、現地ならではのものをゆっくりが見繕ってくれた。
紫電改のぬいぐるみ海軍カレーは自衛隊関連の施設や観光地でも売っている。でもちょっと高いぜ。 ここからは蛇足。総合公園なので、近くには宇和海展望タワーがあった。 残念ながら―― 雨天だったけど。見に行ったメインの紫電改が屋内施設で良かった。
大口径レンズを装着した一眼レフカメラだからこそ、うっすらながら麓が写ってるが、肉眼だとまるでなにも見えなかった。 動物園がある。しかもやる気のない入り口(ただのドア)で、看板もいきなり略してある。南予レクリエーション都市馬瀬山公園こども動物園。あー、略したくなるのも分かる。 中にはクジャクさんとか―― その辺のニワトリさんとか―― フラミンゴさんとか―― リスザルさんがいた。 適当なファミレスでカキフライが美味かった。愛媛県南部の宇和島周辺は、カキ養殖が盛んなんだって。


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