フリーク・コンタクト

小説
原稿用紙換算23枚
人類は孤独な存在ではない、かも知れない。

 最初はハワイの天文観測所でのことだった。
「谷脇くん! 見たまえ」
「これは……」
 モニターに写っている、おぼろな姿を確認した私は、自分の目を疑っていた。
「――なんでしょうか教授」
「わからん……としか、言いようがない」
 恒星の輝きに隠れている太陽系外惑星を、間接的にではなく、直接その目で観測してやろうという野心的な研究。その最中に前触れもなく、目的の天体を覆い隠す、可視光線で黄色く写る星雲状の一群が現れていた。
 通常ならありえないことだった。兆候もなくいきなり星雲が出現するなど、天文学的にあるはずがない。
 前原教授のチームは他の天体も追っており、奇妙なものにいつまでも気を取られているわけにもいかない。
 まだ駆け出しでもっとも若い私が謎の星雲状天体を担当することになった。せっかく発見したネタを、みすみすライバルの天文学者に横取りされる道理もない。
 担当になったとはいえ優先すべきは系外惑星の探求であるから、普段はスタッフとしてチームの手助けをし、チームが山頂の望遠鏡を使わないときを見計らって、くだんの天体を細々と調査した。
 分光スペクトルから組成を調べようとしたところ、とんでもない事実が浮かんだ。
 水素原子の青方変移が、光速の七パーセントという猛烈な速度で、地球のほうに接近していることを告げていた。
「非常識な。まるで銀河系中心核並の、激しい動きじゃないか」
 組成も炭素と珪素が不自然に多く、水素の比率が妙に低い。おかしすぎる。
 星雲の輝き方を分析してみると光源らしきものもなく、自身で輝いているようにしか見えない。
 赤外線撮像で推定された温度は、自然に発光していることがありえない低いレベルだった。
「まるで蛍の光のようだ」
 一ヶ月後にまた調べてみると、組成の結果は変わっていなかったが――
「加速しているだと!」
 水素原子の存在を示す吸収線の位置が、わずかだが移動していた。
 私はこの件を教授に報告し、他の研究員による確認観測を依頼した。科学では再現性が重視される。
 結果は、おなじだった。
 不可思議な謎の星雲は、元の恒星系の手前にあることだけは分かってるので、六〇光年以下と宇宙の規模から見ればごく至近距離にある。
 これだけ近いと太陽を回る地球そのものを基準点として、三角測量による年周視差から距離を求めることが可能だが、正確な距離が出るのはまだ半年以上先の話だ。地球がベストなポジションを2箇所通過してくれるまで、待つしかない。
 マウナケア山とハワイ、外洋を隔てた広大な世間ではどうやら、この星雲の正体を宇宙人ではないかと騒いでいるようだ。
 静謐な隠者の山麓に、おもに日本から報道陣が間欠泉のようにやってきた。いつのまにか発見者扱いされていた私こと谷脇圭司はたびたび、マスコミへの対応に忙殺される羽目となった。
 尋ねてくる内容とくれば、宇宙人、宇宙人、宇宙人。
「星雲人よりコンタクトを受けたと聞きましたが」
「いえ。観測を続けていますが、なにもありません」
「高名な教祖が地球人代表として、谷脇氏との会見を望んでいます」
「どこかよりなんらかの接触を受けた事実はありませんし、私は宇宙人とやらの代理でもありません」
 地球に巣くう人類という存在がすでにおり、宇宙には数え切れない惑星がある以上、私は地球外知性を否定はしないが、オカルト目線で語られても困る。
 だが私を悩ませていた星雲が、メディアを喜ばせる変化を見せ始めた。
 多くの天文学者が注目するようになったその光の雲は、見つかってより半年後からふいに、数ヶ月をかけて形をダイナミックに変化させていった。
 見事な渦巻き銀河系の形を取ったのである。
 なんらかの意志が働いている。
 それが明らかとなったとたん、世界中でほとんどの天文研究が中断され、プロアマ問わず、あらゆる望遠鏡が人工――と呼んで良いのだろうか、とにかくその人類以外によると思われる、人工の銀河へと向いた。
 私の所属するチームも惑星探しをやめて、謎の渦巻きを見ている。
 だからといって私がメイン研究者になるわけがない。ただ担当を外され、元の手伝いに戻っただけだ。
 研究者としてずっとハワイ島に籠もっている私にはネットより想像するしかなかったが、空前ともいえるものすごい騒ぎとなっているようだ。
 マスコミ陣はついに施設の外へテントを張り、衛星回線を繋いで、常駐するようになった。
 これまでのオカルティックな興味本位はなりを潜め、より真面目な視点へとシフトしはじめており、私への無意味な取材が消えて、正直ほっとした。それよりも最初は嫌がっていた宇宙人への興味が、私の中で急速に高まっていた。
 これは本当に、本当かも知れないぞ――と。
 世界が注視する中、遠方で形作られる壮大なマスゲームが、完成しつつあった。
 それはただの銀河ではなかった。
 中心に仄明るいバルジと、棒状の構造を持ち。
 細かくねじれる腕や、暗黒星雲。
 球状星団に――円盤内部の、細かい星雲たち。
 あまりに正確なその配置と色彩は、人類の長年に渡る観測結果を、目に見える形で示してくれるものだった。
 ただ違うのは、最後の仕上げとしてある一点がひときわ青く、激しく点滅しはじめたこと。
 そこにあるべき星の名は、天文学者でなくとも、科学にすこし詳しい者なら誰でも知っている。
 地球、だった。
 しかも点滅のパターンは、二・三・五・七・一一・一三・一七・一九・二三・二九――
 それは一とその数以外で割り切れない、素数の列だった。
 言語の壁に関係なく通じる、絶対の法則。ある文明が数に対してどのような進数を採用していようとも、素数の並びは変わりようがない。
 知性を示すにちょうど良い、決定的な証拠となった。
 その日のうちに大ニュースとして、世界を巡った。空前の興奮となってうねった。
『地球外知的生命を発見!』
『宇宙人の船団、人類の住む天の川銀河系を完全再現』
『銀河を渡る船の数は推定で数万隻』
『核融合動力で加速している模様』
『船の表面は炭化珪素やダイヤモンドと推定』
『距離は概算で三・五光年』
『銀河船団、太陽系に向けて接近中!』
     *        *
 それから三年のうちに、世界よりすべての紛争が消えた。
 すべての領土問題がなくなった。
 人類は結託して、訪問者を迎える準備を整え始めた。ふさわしい相手として、成長しなくてはならなかった。
 世界情勢はちょうど不況の連鎖より脱したところであり、運良く無様な混乱へは陥らなかった。本当は裏でアメリカや中国などが無理をしたようであったが、宇宙人に対する主導権を得ようと、どの大国も背伸びをして、全地球レベルの平和を強引に実現させた。
 世界が再構築される中、対外的にマイペースだった先進国は日本くらいだった。
 だが私自身を中心とした環境は激変した。歴史的な発見の渦中にあって立場的に脇役として終始した私は、こんどは象徴として主役に抜擢された。
 新しいポストと、新しい研究施設、そして大勢の部下を持った。
 四年半ほど天の川銀河系を維持したあと、地球の変化を見届けたかのように銀河船団はまた、初見の黄色い星雲に戻ってしまった。
 パフォーマンスのインパクトより銀河船団人と呼ばれるようになった彼らと、交信の試みがずっと続けられている。
 しかし光が往復するまで六年かかる遠さもあるのか、相手より通信波と思われる放出は不思議なほどにない。私の指揮するプロジェクトは暖簾≪のれん≫に腕押し状態で、簡単ではなかった。
 世界が新秩序を得ていつのまにか、二〇年が経過していた。
 現時点でも公式のレベルで銀河船団人との交信を試みようとしているのは、五カ国しかない。
 少数派となった日本も予算を大幅にカットしており、そういうのは他の米中印独、四大列強に任せておけと、毎年計画中止の議論が国会で起こるようになっている。
 船団はすでに〇・四光年にまで近づいているというのに。当初数万隻と見積もられた宇宙船は数十万、数百万と上方修正され、いまではそう簡単に口へ出せない、凄まじい数に達している。
 夜になると北天に彼らの船団が肉眼で確認できるようにもなっており、来年には満月大となる見込みだ。
 ごく近い将来、全天を覆い包む規模となり、夜は常の黄昏に染まるだろう。
 船団はすでに減速をはじめており、目的地が太陽系であるのは疑いようもない。
 通常の方法では一向に応答してくれずただ不気味に、人類の科学力では到底不可能な超速で接近してくる彼らは、いや、奴らは、もしかして船団ではなく、艦隊――
 だが慣れというのは恐ろしく、政治指導者のレベルでその懸念を口に出す者はいない。二〇年前のセンセーショナルな疑似天体ショーからすっかり、平和の使者であると盲信しているのだ。
 あるいは絶望的な科学力の差から、信じ込もうとしているのかも知れない。
     *        *
 突然の変化だった。
「へへ、ヘンシンが――返信です!」
 三宅沙織から歓喜の声が、薄暗い室内に広がった。
「返信が来ました!」
 防音処理をしているとはいえ、その性能を発揮できる壁に届くまで、声は発せられたままの能力を周囲へと及ぼしつづける。
 彼女の大声は私を含め、管制室に釘付けとなっているメンバー全員に、少なからぬ驚きを与えているはずだ。
「来ました! 来ました! 来ましたよっ!」
 それまでの静寂から一転して、二五歳のオウムがリピートしている図だ。私は片手を挙げて、こちらを振り返っている三宅を制した。
 私の態度を見て、まだ若い彼女の顔にすぐ緊張が戻った。いや正確にはずっとそのままだ。
 張り詰めた気を、喜びの形で発散しただけなのだろう。
「……あっ。すいません、谷脇リーダー」
「お辞儀など後でしろ。まずは状況を説明するんだ」
「はい」
 インカムを調整し、深呼吸をすると、三宅はその場で席を立ち、情報を整理しているのか目をつむって黙った。
 室内の全員が注目している。各々の作業は最初の一声があった直後より完全に放り出した状態で、応答を求める外部からの無線が複数聞こえるが、誰も耳を貸さない。
 それだけの事件をいま扱っており、それだけの変化がいま、起こっているのだ。
 管制室にしばしの、奇妙な静寂が戻った。
 それが三宅がまた動くまでの、ほんのわずかなものであることは誰しもが承知しているが、もどかしそうに視線を泳がせる者も幾人かいる。
 三宅とおなじ受信役をしていた他の三人は、三人ともがその仲間だった。すでに若くなく、数歩退いて人を導く立場にある私には想像するしかないが、どうして自分は歴史の当事者になれなかったのであろうか、といった、運命のくじ引きに外れたことへの焦燥や嫉妬であろうか。どのみちこの部屋にいて、プロジェクトに参加している時点で、とてつもない幸運であることには違いないが。
 ラッキーにも受信波長を担当していた三宅沙織がこれから先、全世界よりただならぬ衆目を受けるだろうことは、これまでの歴史から簡単に予想できる。たとえば月面着陸は何万人もが参加した偉大なプロジェクトだったのに、フロンティアへ一歩目を踏みしめたアームストロングばかりがクローズアップされたではないか。人類最初の宇宙飛行士ガガーリンもしかりである。
 それに――私自身も体験したことだ。だからこそ今、この立場と、この状況を、規定の路線として約束されたのでもある。
「彼らは」
 彼女の口がようやく開いた。
 目をおおきく見開いてインカムに耳を傾けている三宅は、ファースト・コンタクトの台詞を、時代の目撃者となる私たちへと伝えてきた。
「彼らは、歌っています」
 歌?  それは耳を疑う内容だった。
「う、歌だと?」
「はい。合唱しています。私たち、地球の歌です」
 二〇年待って、歌。
 まるで想定も予想もしていなかったことだった。
 私は呆然としそうになるのをかろうじて留め、思考停止をかわすため情報の共有を求めた。
「……皆に聞かせることはできるか?」
「やってみます」
 慣れない手つきで慌てるように操作するが、上手くいかないようだ。
 見かねた私と同年代の中年自衛官が三宅へと寄ってきて、私に確認を取った。
「谷脇さん。自分が」
「頼む溝口二佐。手を貸してやってくれ」
 三宅と溝口が代わった。『管制室』は現在の状況となって急遽あてがわれたものだから、仕方がない。この部屋の正体は惑星軌道防衛戦術に特化した地上指揮所で、民生では考えられない性能の機器と観測網を使用できる。
『……るるる♪』
 子供のような唱和が、いきなり響いてきた。
『♪泣キタイトキデモ、キミガ一緒ニ~~』
 室内の全員が、黙って聞いている。
『♪夢ヲ叶エルノ~~』
 歌詞の内容は、かなり若い。確実に人類以上の高度な知性を持つ宇宙人が最初に発するべきものとは、容易には思えない。なによりその声。
 感動すべき声は、かえって戸惑いを生むものだった。
「ずっと待っていたものが、これなのか? これではまるで――」
 技術者の一人が、つぶやいた。
「まるで、アニメじゃないか」
「はいその通りです」
 三宅が即答する。
「これは一昨年放送された深夜アニメ『魔法プラン・AI』のオープニングです」
 片足を挙げてなにかのポーズを決めた。
     *        *
 奴らより指向性通信波が前触れもなく送りつけられてきたのは、ちょうど一年前のことだった。
 ピンポイントに日本の、私の宇宙通信基地へと届いた。そこは宇宙人と交信を成功させるためだけに、時の世論の後押しを受け、政府の鳴り物入りで作られたものだが、いまとなっては人の関心もすっかり薄れ、予算不足で研究も施設の管理も行き届かず、メインアンテナと制御室を中心とする区画だけを保守するに留まる、半ば閉鎖された状態となっていた。
 あわや待望のファースト・コンタクトかと思ったが、またもや数学的な暗号サインのようだった。今回は素数のような単純明快なものではなかった。
 膨大なランダムにも見える、十進数の数列。十進法は人類が普遍的に使用しているものであるから、前回と違って星団人側が地球への理解を深めていることが伺えた。
 暗号となっているのはおそらく、外部に漏洩しても容易には知られないため。
 先に取り組んだぶん、最初の受信者がもっとも先に答えを知る可能性が高い。
 なにより日本には天才こそ少ないが、十分に優秀といえる秀才クラスの数学者がとても多い。集団の才となれば、日本に叶う国はあまりないだろう。
 問題を解くため、国は秘かに数学者や暗号の専門家を招集した。
 日本がこの件を公とせず慎重になるのには、政治的理由があった。まず暗号であったこと。さまざまな情報網を駆使した結果、どうやらほかの国にはアプローチがなかったようだった。
 かろうじて先進国の末席に名を残しているとはいえ、国際的にすっかり没落している日本にだけ、どうして。
 銀河船団の正体がなんにせよ、彼らと優先的に交流することは、莫大な利益を生み出す可能性を秘めている。
 船団人の知恵、船団人の技術、船団人の文化、なにもかもが。
 世界秩序を揺るがす、大問題なのだ。
 黙っていてもこれほどの秘密、どこかより外部へと漏れる。各国が真相を知ろうと、裏で動き出した。
 対応を迫られた国は私の基地を閉鎖し、職員を含む全員が、洋上のイージス艦に寝泊まりする身となっていた。どれほどの凄腕工作員も、海に浮かぶ軍事隔離空間へと侵入することなど、簡単には出来ない。確実に国際問題となる。
 二週間ほどして自衛艦の生活に飽きてきたころ、京都大学の数学者チームが難問を解いたという連絡を受けた。
 得られた解はどうやら、「三六五・二四二二」という数字らしかった。
 それはいうまでもなく、地球の正確な一年を表している。
 国はこれを、一年後きっかりに連絡を寄越すサインだと受け取った。
 銀河船団はそのとき〇・六光年まで近寄っており、接近してくるぶんを差し引けば電波の往復にちょうど一年かかる。
 願ってもない意思表示だった。
 犬神総理大臣は機密上の理由から自衛隊の重要施設を受信用とすることを決定し、船団に向けてその旨をおなじ暗号方式で打電した。
 なにしろ数兆キロの彼方より、ひとつの建物へピンポイントに通信ビームを送りつけるような、とんでもないテクノロジーを持つ相手である。おそらく確実に応じてくれるだろう――
 そして、今日に至った。
 テストを兼ねて一週間前より受信網はフル回転し、多くの関係者が世紀どころか千年に一度ともいうべきイベントに心配と興奮を覚えている。
 総理大臣はまだ国民一般にも世界にも、ファースト・コンタクトの可能性は明かしていない。
 確実に連絡が来てからはじめて、満を持して公開するつもりなのだ。
 だが、しかし……
 その内容というのは、どうしたものか。
 犬神総理は本当にこれを、どんな顔をして公にしようというのだろう。
 私がかつて抱いていた懸念はもはや、完全に霧散している。
 彼らは人類を超越する科学力を持っている。一年前に送られた指向性ビームの出力と性能から推測される軍事力は、米国や中国ですら比肩しようがない。それに母数が決定的に違うのだ。
 一〇億隻の超船団に暮らす、日本はおろか世界人口など楽勝で上回るであろう彼らの正体はだが、間違いなく私たちを安心させてくれるだろう。少なくとも当面は。
 その意味では、私が捧げた歳月は無駄ではなかったのかも知れなかった。
『私タチ全員、日本ノあにめ、大好キデース! 今度ハ、姫サマ王サマノ、こすぷれ写真ヲ、送リマース!』
     *        *
     了 2010/03

© 2005~ Asahiwa.jp