第六章 銀河中心核星戦 Zetryfoloreme tesw Arfoz ryiktoez necoloez

よろずなホビー
星よ伝え/序章 第一章 第二章 第三章 第四章 第五章 第六章 終章 小辞典

     * Enih Ryetor/Recoz
 エニフは誰かに売り込むため、皇帝は増援を待つため、互いに持久戦を求めていた。一日目は散発的なさぐり合いに終始し、双方ほとんど被害はなかった。天牙艦隊の面々は突然の反乱を命令されても、驚く者は少なかった。あまりに荒事が多いので慣れていたし、皇帝を憎む者も多く、むしろ積極的に参加した側面もある。それにいくら皇帝が残虐でも、荷担した兵の末端まで誅殺することなどありえなかった。彼らの感想はただ、将来の出世はなくなったな、という寂しい思いと、家族や恋人への謝罪だった。
 開戦二日目の一一月一〇日、銀河中心核宙域に最初の援軍が到着した。帝国軍覇王・雷牙の二個艦隊だ。覇王艦隊は先日大恥をかいたイエ・レメ元帥が指揮している。
『リートゥレさま、一対三です。困りました』
 あまり困っているようには見えない。
「各艦隊の旗艦を急襲して潰せば勝てるが、それだと持久戦にならんなイメーク」
『ならば、隠れるしかございませんね』
 スクリーンの向こうで足下を指さすイメークに、天馬レークゥセのコクピットでエニフは微笑みながら頷いた。
 合流した帝国軍はこしゃくな造反者を叩くべく猛攻に打って出たが、白い反乱軍は中心核ブラックホールの降着ガス円盤に身を潜めてしまった。騎士団による波状突撃が五回試みられたが、いずれもガスの雲海に入ったとたん蹴散らされ、白い死神の力を誇示させるのみに終わった。
 天馬の戦いではエニフにまったく勝てないことを悟ると、帝国軍は砲撃戦に専念した。しかし銀河系全体を回転させる巨大ブラックホールのガス円盤は、その分厚さも濃度も尋常ではなく、まさに嵐の雲海そのもの。ゆえに籠城した天牙艦隊は安全だった。
 戦いが膠着状態となって二日ほどが経過したところで、ツェッダ公国の金閣・銀閣、ラクシュウ神聖王国の伽藍・紗那・浄土の五個艦隊がタイミングを合わせて突入してきた。数で劣勢に立った帝国軍は慌てて陣形を縮小すると、一転して持久戦の構えを見せた。
 連合軍で一番身分の高い司令官が、代表として天牙に交信を求めてきた。
『私はツェッダ公王マインが三男、金閣艦隊司令ツェッダ・セエイーエ大将。エニフ殿と話がしたい。よければ応答されよ』
「…………」
 まだ早いと判断したエニフは沈黙し動かなかった。ツェッダとラクシュウはあえて帝国最強の白い死神に手を出そうとはせず、皇帝を追いつめる戦いに集中した。
 立場が再逆転したのはわずか五時間後だった。帝国軍木蓮・竜王・魁・死兆・黄牙・点睛の六個艦隊が束になって寄せてきたからだ。九対五となったことで、連合艦隊は防戦せざるを得なくなり、天牙に倣って最終降着円盤に降りようとした。
「イメーク、時機を伺うのも潮時だな」
『連合軍にお味方しますか、リートゥレさま』
「あっちが勝手に我らの隠れ家に逃げて来るのだ、仕方なかろう。いくぞ」
 天牙艦隊は重い腰をあげてガスから這い出ると、連合軍を守るように帝国軍に向かって猛攻を浴びせはじめた。
『エニフ・リートゥレ……内通しておったか……殺してやる』
 全回線に放たれたモフレ・クゥロの宣言が耳に届いたが、リートゥレの精神は微塵も揺るがなかった。
 他方の司令官は感激の通信を寄越した。
『おおっ! ツェッダ・セエイーエ、エニフ殿を信じておったぞ』
「我が全能力をかけてお味方します、セエイーエ殿下」
『待っていた言葉ぞ! 全艦、全砲門開け!』
 白い死神が味方になるとあって、連合軍の士気は盛り上がった。ガス円盤を背水の陣として踏みとどまり、攻撃を再開した。
 外周では騎士団同士の激戦が繰り広げられていたが、数では帝国側が上回っていた。しかしエニフの白亜騎士団は奇襲と疑似後退を繰り返し、不運な帝国の騎士たちに出血と死を振りまいていった。
 天馬レークゥセと対峙した帝国軍騎士は、不名誉な二者択一を迫られた。ひとつは戦って三〇〇メートルの光鎌にその命を吸われるか、もうひとつは一目散に逃げ、死神を宣伝する証人となることだ。ほかの結果はありえなかった。
 白亜騎士団にはほかにも、強力な死神がふたりばかりいる。イーレー・トゥーニセ千騎長と、フリー・ミエイーレ千騎長だ。前者は騎士団最年少で、後者は最年長の千騎長だった。彼らの部隊赴くところ駆け引きもなにも存在せず、一方的な駆逐が演出される。騎士の戦いでは指揮官の個人技が部下に精神安定として伝染し、そのまま部隊全体の強さに直結する傾向があるからだ。
 艦隊戦の勝敗は、どちら側の騎士団が先に敵艦隊に突入するかで決まることが多い。天馬の攻防こそが鍵で、その強さは戦局を支配した。
     * Mohr Colo
「たったひとつの騎士団が……敵の戦線を……支えてる……余の軍は敵に……一・五倍すると……いうに」
 モフレの驚きはもっともだったが、参謀長クリクゥ上級大将は落ち着いていた。
「たしかにこれは白い死神の働きによる結果ですが、戦局を覆すには至っていません。あくまで均衡させているだけです。まもなく逆転するでしょう」
「たしかに……そうだな」
 半日後、帝国軍に海牙・奈・赤銅牙・万歳の四個艦隊が来援として加わると、連合軍を半包囲下に置いた。
「陛下、敵が防御戦へと移ります」
「……よく……狙え……旗艦を」
 戦闘態勢を変えようとした一瞬、連合軍の陣形にわずかな隙が生じた。これを突いた砲撃の一部が防衛線をすり抜け、ツェッダ・セエイーエ大将の座乗艦ケウヒムを直撃することに成功した。傍受した情報によって大将が負傷し、一時意識不明に陥ったことが判明した。公国軍は動揺して金閣・銀閣の陣形が乱れた。
「いまだ……蹴散らせ」
 モフレ・クゥロは多くの国を呑み込んできただけのことはあって、戦機を掴む才能に長けていた。ここぞという瞬間はたいてい逃さず、それは今回も正答だった。
 帝国軍の猛烈な火線が一分ごとにツェッダを削り、その防御マストを揺さぶった。ラクシュウの伽藍と浄土がツェッダの前面に出て猛火を遮ろうと試みたが、三倍する火力で艦列を切断してやると連合軍は壊乱し、総崩れの気配を見せはじめた。
 帝国軍が力ずくで築いた有利な流れはしかし、あっというまに防がれた。
     * Enih Ryetor
「イメーク、派手に恩を売ってやれ!」
『了解しました。大安売りですが』
 連合軍はあっさりと救われた。天牙艦隊がラクシュウのさらに前へ出ただけで。帝国軍一三個艦隊の砲撃を受けて、天牙は微塵も崩れず、すべての砲弾を粉砕していた。それはあたかも、知性図書館の戦いで帝国軍が見せた防御力そのものの再現で、いやそれ以上の奇跡に等しい神業だった。
 帝国軍は戦略級のブラックホール爆弾や量子爆弾を一〇発以上放ち、天馬による輸送もほぼ同数は試みてきたが、ことごとくを見破って迎撃破壊し、無駄骨と徒労を量産するのみに終わらせた。それ以上の超兵器となると親征艦隊が宇宙項爆弾と超新星爆弾を一発ずつ保有していたが、あまりの破壊力に自身も巻き込まれ壊滅してしまうため、とうてい使用などできない。超戦略級弾頭は一発で数個艦隊が買える。
 発生したブラックホールどものせいで、帝国軍と連合軍の間に重力の密林が出現した。隙間から撃ち合うしかなくなり、遮蔽効果による天馬同士の駆け引きもあって、連合艦隊の防御力はますます上昇することとなった。いまや天牙はツェッダとラクシュウに受け入れられ、戦力の一部として同化していた。
 天牙艦隊は限界ぎりぎりの防御戦を行っていた。いくら防御の天才イメーク中将といっても、一〇倍以上の火線を相手にするには荷が勝ちすぎる。艦隊のすべての天馬は砲弾群の迎撃に当たっており、エニフまでもが秒単位で指令を送る作業に忙殺されていた。天牙は攻撃が行えない状態になっていた。
 白銀の天馬レークゥセで、さしものエニフが焦りを見せ、ひたすら祈っていた。
「来い……はやく来い、ウグレラルナ!」
 ――そして、それはついに訪れた。
 一一月一三日午前二時、ウグレラルナ王国軍親衛・西天・南天・中天・頂天の五個艦隊四〇〇隻が津波のように押し寄せた。それはウグレラルナが現在保有する母艦の五割にも当たる。ウグレラルナ軍の艦隊は遊撃任務を与えられた東天・白天艦隊を除き、この戦争でまだ一度も帝国と砲火を交えてはいなかった――戦力を温存していた。
 すべては、この最終決戦のために。
     * Yjallswlngwlwnnagr
 王国軍総旗艦ヤルスルングルーンナガレの艦橋では、エエではなく長身の青年が元帥杖を握り、鋭い声で命令を発していた。
「全艦防御帆展開、一極陣!」
 いや、青年ではない。顔には化粧で隠し仰せぬ薄い皺が走り、髪型も無理がある。若作りをしてるだけだった。彼こそ王国軍の新しい元帥の一人、イッフォク・クリトゥエエセ全艦隊司令長官その人、一四一歳だ。統帥本部長官たる双子の兄イッフォク・イク元帥は、後方から戦線全体を総指揮している。
 レーレ准将が敬礼して元帥に報告した。
「元帥閣下、帝国軍は推定一三個艦隊、母艦七三四隻を確認しました。損耗率三割です」
「味方は?」
「ツェッダとラクシュウ合わせて五個艦隊二七九隻、損耗率おなじく三割。天牙艦隊は七八隻、母艦の損害二隻です」
 天牙の堅牢さに半ば感心しながらも、イッフォク元帥はすばやく計算した。
「ということは数においてほぼ互角か。帝国の増援は今後どれほど見込まれる?」
「帝国本土に近いため、二四時間以内に六ないし七個艦隊です。味方側はやや遅れ、三六時間以内にイブンヤハートが一個艦隊、ミケンが二個艦隊といったところでしょうか。ウグレラルナも艦隊でなければ最高五〇隻近い母艦と、三万騎ほどの独立騎士隊を投入可能です。このぶんはいかがしますか?」
 元帥は後ろの指揮座にちょこんと座っているフェクト・エアーのほうを見た。
「大元帥閣下はどうお考えですか?」
「……あなたのお父君はキークゥリさんを守りました。こんどは元帥が私を守る番です」
「必ずお守りしてみせますとも――正念場だ、猫の手でも借りたいから、なんでもかんでも呼び集めろ!」
 イッフォクの大声に、艦橋は活気づいた。といっても例のごとく女性士官ばかりで、返ってきた声にはいくぶんか黄色い成分が含有している。
 エアーの横に立っているエエ・クトゥーレイが苦笑した。
「人気者だなあ元帥も。あの若作りダンディなアンバランスが受けるのかな。まあいいや、レーレもイッフォク閣下のほうが私より補佐しやすいようだし、姫さんの盾はイッフォク閣下に任せて、小官は剣に専念できそうだ」
「よろしく頼みますわ」
「モフレ・クゥロの生首を、レットゥ・フーレイの矛先に捧げて帰ってきますよ」
 エエはイッフォクやレーレに挨拶もそぞろ、ラシニ近侍官らを引き連れ、出撃するべく艦橋を去った。
「サリィ、この戦い、近年にない規模の大星戦になっていますわね」
「はい。銀河系で数年に一度あるかないかの大戦《おおいくさ》です。モフレ・クゥロが持つ磁力は凄いですね」
「それだけ奴は私たちにとって災厄、ということですわ」
「勝ちましょう。私たちの翼に誓って」
「もちろんですわ。私の黒衣にも誓います」
 イッフォク元帥が敬礼して言った。
「大元帥閣下、砲撃の準備ができました」
「わかりました――」
 エアーは座から立つと、数歩進んで元帥杖を掲げた。その姿は立体投影となってウグレラルナ艦隊の眼前に映し出され、いずれ敵味方双方が注目するところとなった。
 黒衣姫陛下は、無言で杖を振り下ろした。
 同時にウグレラルナ軍は第一射を放った。
     * Enih Ryetor
 エアーの巨像は三五分経ってようやくエニフ・リートゥレまで届いた。大戦力が展開しているぶん戦場が無辺なのだ。それでも銀河系中心核の構造規模と比べたら、公園の片隅で蟻が戦っているようなものだった。
 エニフ・リートゥレはうすれ消えゆくエアーの像を眺めつつ、笑った。ウグレラルナ軍と思われる反応は跳躍子妨害の干渉波ですぐに分かったが、帝国軍の可能性もある以上、目で確認するまでは安心できなかった。
「軽い政治宣伝をする余裕があるとはな」
 頃合いと踏んだエニフは、イメーク中将に連絡して天牙艦隊と麾下の騎士団をすべて引き上げさせた。果断たる迎撃戦によって砲弾やエネルギーの大半を消費しており、戦闘継続は困難だった。補給が不可能な以上、残った火力を効果的に再配分する必要もあった。
 ふたたびガス円盤に隠れゆく天牙艦隊を、助けられたツェッダとラクシュウの諸将は敬礼して見送ってきた。すくなくとも彼らは、エニフに対しすでに死神という考えは抱いていないようだった。何隻かの母艦が天牙艦隊に接触し、腹に抱えていた物資を丸ごと譲ったほどだ。天牙が稼いだ時間で再編成を済ませた五個艦隊は、帝国軍に向けて報復攻撃を開始した。壁となっていたブラックホールは銀河中心核の引力によりとっくに最終降着円盤へ引きずり落とされ、遮るものはなにもなかった。これら小型ブラックホールはもれなく銀河中心核の超巨大ブラックホールに吸い込まれる定めにある。規模に差がありすぎるため、中心核に影響はほとんどない。人類ていどの所行でどうこうできる相手ではなかった。
     * Fekt Ear
 ウグレラルナと連合軍は帝国艦隊を挟撃しようとしたが、互いに距離がありすぎた。皇帝は二正面作戦を指示したようだった。帝国軍はふたつに分かれ、一三個のうち八個艦隊がウグレラルナに対した。中には親征艦隊もいた。
 互いに激しい砲撃の応酬がはじまったが、もちろん一極密集陣にはまるで通用しない。艦重量の六割から七割にも達する巨大な角装甲により、鉄壁と化したウグレラルナの母艦には風格すら感じられる。母艦の後部にはさらに新しい変化が加わっていた。メイン推進部がスマートに削られてかわりに長くなり、おたまじゃくしの尾を連想させる、尋常でなく巨大な防御帆が覆っている。
 天牙艦隊が神経のすり切れる集中力と大火力投入で実現していた防御力を、一極陣はわずかな注意と数分の一の弾薬で再現できる。さらに攻撃する余裕があるぶん、次第に帝国艦隊を押しはじめていた。
「うほっ! うほほ! モフレ・クゥロどのは私の完璧な一極陣を相手に勝てると思ってると見える」
 ウグレラルナに一極陣をもたらしたニフォイ教授が高笑いをして、エアーの元まで駆け寄ってきた。後を白衣の助手がふたり追いかけてくる。なぜか三人とも古風にも眼鏡だ。
「ニフォイ教授、どうされたんですの?」
「私にはじつは秘密がありました。エニフさまに協力する不穏分子さんだったのです!」
 数秒ほど経ってから、エアーは口元を猫のようにゆがめ、笑った。
「うふふふふ……知っておりますわよ」
「うほっ!」
「サリィ、見せてあげて」
「わかりましたエアーさま」
 目を白黒させている教授の眼前に、電磁スクリーンが出現した。そこにはエニフによる工作の履歴が一覧として映し出されていた。
「エニフ・リートゥレ大将は帝国から教授が逃げられるよう、影で少なからず協力してくださっていたようです。それにサリィが教授に気づかなくとも売り込む工作をするべく、代理人を用意して王城に潜り込ませていました。不正調査の際に身分が発覚しましたが、あえて泳がせておきました」
 助手のひとりが体をびくりと震わせた。
「そして内乱時には一〇〇人以上が動いてキークゥリ大臣を守っています。同時にオッラレ公爵家に間者を送り込み、公爵に南天艦隊を分散して侵攻させるよう提案していますね。これは同様の工作をナウィ宰相が行おうとしていましたので判明しました――一個艦隊まるごとで侵攻を受けていたら、エエ・クトゥーレイ中将といえども勝てませんでしたでしょうから」
 助手のもうひとりも体を震わせた。
「うほっ、助手A《アー》と助手B《ブー》よ、信じていたのに」
「すいません教授。でも教授のような変態と寝食共にして毎日が苦痛です」
「すいません教授。でも安すぎますので給料もっとあげてください」
「AとB、可愛いやつらだ顔を出せ」
 三人で殴り合ったが、二対一なので教授のTKO負け。
「助手Aよ、助手Bよ。よくぞ私を越えた」
「……ていうかまず名前で呼んでやれよ」
 ぼそっと突っ込んだのはサリィ大佐だ。
「ニフォイ教授、白い死神の目的はなんですの?」
 目のアザをさすりながら教授は敬礼した。
「残念ながらあの方の真意までは存じておりません。私はただ、エニフさまのご協力により研究をつづけて来られただけなんです。机上の計算だけでは軍事の研究を先に進めることはできません。目が飛び出るほど『うほっ』な資金をエニフさまより戴き、航路外星系の小惑星帯で実験をくり返してきました」
「……真実はなんにせよ、戦いが終わってから、ということになりそうですわね」
 そのとき、オペレーターの一人が叫んだ。
「元帥、敵の陣形に奇妙な動きがあります!」
「大スクリーンに投影しろ!」
 イッフォク元帥の指示で出された映像は、正面に位置する帝国軍全体がわずかにこちらの一点を狙うように船体を傾けつつある光景だった。周囲に浮かぶ天馬までもが同様の動きを見せ、母艦と天馬による一斉長距離射撃を加えるつもりのようだ。
 見た瞬間、ニフォイ教授が大声で言った。
「あれは対一極陣の内照準照射ですぞ! 一極陣内の天馬を退避させ、母艦は後部大防御帆、エネルギー全開お願いします!」
「なんだそれは? そんなことをしたら砲撃に回す出力が足りなくなるぞ」
 元帥は一極理論の細部を知らない。理論に詳しいサリィが叫んだ。
「元帥閣下! 教授のいう通りにしてください! 全滅します!」
 サリィ大佐の真剣な眼差しを受け、イッフォク元帥は反射的に命令を下そうとした。
「――天馬退避! 全艦防ぎ」
 それ以上発することは許されなかった。
 すさまじい衝撃がヤルスルングルーンナガレに襲いかかってきたからだ。
 エアーは椅子から投げ出され、サリィがとっさに受け止めて怪我だけは逃れたが、艦橋内は暗転した。緊急用の赤い照明が灯ると、警報が鳴った。
 レーレ参謀長が同時に一〇枚以上の電磁スクリーンを周囲に展開させ、思考接続で収集した情報を開示した。
「ヤルスルングルーンナガレ被弾、後部サブ反重力エンジン溶解! 自動修理開始していますが、完全修復は不可能」
 頭から血を流したイッフォク元帥が、片膝で唸った。
「溶解だと? どういうことだ」
「親衛艦隊、母艦は第二列で撃沈四被弾一九、天馬は撃墜八〇〇騎以上!」
 悲しい報せとともに、通常電源が戻って警報が収まり、内壁の全方位スクリーンが回復した。レーレの不吉な報告で思わず後ろをみたエアーは、そこに白い花を見た。
 ヤルスルングルーンナガレは防御性能がほかの母艦よりもはるかに高いため、旗艦ながらあえて最前列に配置されている。その防御陣を突破して、後列に激しい被害が発生していた。またひとつ花が咲いた。
「沈丁花分艦隊旗艦ギルカンデツ爆散、イーセメ・ネマ提督戦死の模様! トフォナー・レイ沈丁花騎士団長は出撃により生存」
「……陣の奥にエネルギー兵器の集中照射か――密集しているぶん、反らしたエネルギーがやがて一点に集中し、超高温の嵐となる。母艦は角装甲のある前部はともかく、後部は脆い……全艦後部防御帆、全開だ! 各艦隊を護衛する騎士隊は一極陣内から退避」
 元帥の命令はようやく実行されたが、被弾して注文通りの性能を発揮できない艦はどうしようもなかった。
「後部防御マストを破損した艦の戦線離脱を許可する。急いで後方へ退け!」
 しかし帝国軍もわかっており、狙点を微妙にずらして母艦の退路を遮断してくる。だからといって六角格子の陣形を解放すれば、防御帆の相乗効果が急激に失われてしまう。無事な艦を守るために陣形を崩すわけにはいかない。ジレンマとのせめぎ合いで内照準照射による被害は拡大し、一隻、また一隻と沈んでゆく。身軽な天馬の被害が最初だけで済んだのがせめてもの救いだった。
「マスト破損艦は放棄せよ! 総員脱出!」
 元帥の命令が発せられた数秒後、レーレがまた一隻の損失を報告してきた。
「アフラカヌ撃沈! 脱出者なし」
 下着好きことフォレー少尉が所属する艦だ。さすがにエアーは反応した。
「……クラーニセは? レーレ准将」
「一少尉のことまではわかりませんが、おそらく天馬で出撃中かと」
「そうですか」
 強ばっていたエアーの表情が目に見えて柔らかくなった。アフラカヌの戦死者に対する差別ではあるが、知己の生死が最優先になるのは仕方のないところか。
「いちおう父君のフォレー中将にアフラカヌ沈没をお伝えください」
「了解しました――」
 その顔が固まる。
「どうしましたの?」
「……西天艦隊、被害甚大の様子です。旗艦ツォジは大破し、通信途絶。フォレー・フオートゥ提督の生死は不明です」
 エアーは思わず元帥杖を床に投げ出した。
「さすがは帝国ですわね。一極を仕掛けられては攻略してきた歴史は、一筋縄では覆せませんわ」
 元帥杖を拾ったサリィがエアーに渡す。
「そのために開発された大型の防御帆ですが、訓練もなしのぶっつけ本番では上手く機能させづらいですねさすがに。ただ、帝国の対策は陣形が完全に整っていないと使えません。ですから、たとえば騎士団突入により敵陣を部分的にでも崩せば解決する問題です」
「騎士団――エエ・クトゥーレイ中将は?」
 レーレがすかさず報告する。
「帝国軍の騎士団群と激しく交戦中です! むこうが積極的に攻めて来ず濃密な防衛線を敷いており、突破できません」
「特殊小隊たちは?」
「敵が相手にしないため、後背にて遊兵と化しています」
「なんですって!」
「そう来ましたか」
「どういうことですのサリィ」
「天馬の一極陣は薄っぺらい一枚板ですので、強行突破する以外とくに破る術はございません。ならば相手にしなければ良いのです」
「……天馬でこちらの艦隊を攻めないということですのね」
「はい。対峙する敵はこちらとほぼ同数の天馬を保有しています。攻撃するなら艦隊防御も考えて天馬を二分しなければいけませんが、防御に専念するなら、単純計算で倍の天馬を用意したのとおなじことになります」
 イッフォク元帥が悔しそうに手を打ち合わせた。
「見込まれる増援は帝国軍のほうがはるかに多い。それを待つつもりだ」
 地の利の問題だった。いまの銀河中心核は帝国領なのだ。
「モフレ・クゥロさえ倒せば、後はなんとかなります。エアーさま、叩くなら戦力が拮抗しているいまのうちしかないでしょう。集まる戦力が増えるほど、個人の指揮能力や奇策は通用しづらくなります。エエ中将を活かせられるのは今日までとお考え下さい」
 サリィ大佐の意見にエアーは頷いた。
「イッフォク元帥、犠牲が大きいですが、全艦突入をお願いしてよろしいでしょうか」
「……もとより承知」
 ウグレラルナ軍は陣形をなんとか再編すると、前進を開始した。
     * Mohr Colo
 帝国軍総旗艦エルデスバインの艦橋はざわめいていた。天馬に頼らないウグレラルナの動きが常識外れだったからだ。
「ウグレラルナ、接近して来ましたな」
「クリクゥ……おまえは……どう思う」
「母艦の前進で天馬の戦線もシフトさせ、混戦に持ち込もうという腹でしょう。ならばあるていどまで引きつけ、ウグレラルナに出血を強いてから、後退して距離を取ればよろしいかと存じます」
「そのように……計らえ」
「ははあ」
 帝国軍は動かず、内照準照射を続行した。
     * Fekt Ear/Fonex Enimarto
 思わぬ効果が生じた。ウグレラルナの母艦に被害が出なくなっていた。
 母艦の距離が縮まる場合、接近してくる側の損害が多いというのは常識だ。というのも迎撃した弾の残骸群を抜けることになり、艦隊運用に支障が出て隙となるからだ。逆に身軽な天馬だと影響が出ないどころか、破片を盾にすれば有利となる。母艦による接近とは有利な局面で行うのが普通だった。
 しかし――逆の事態が発生していた。
「ど、どうしてですの?」
 覚悟して指示した当人が困惑していた。
「うほっ、こんな効果があるなんて! 実戦じゃないとわからない! うほっ!」
 ニフォイ教授は助手A・Bと手を繋ぎ小躍りして喜んでいる。ちなみに助手たちの給料は交渉の末、一・七倍になっていた。
 サリィが状況をエアーの前で図示した。
「一極陣の表層を包む防御力場の層が、すべての破片や残骸を陣形の外側に弾いているようです。また前進によって後部マストを損傷した母艦が自然に離脱でき、内照準照射を完全に無効化できるようになりました」
 イッフォク元帥が喜んで杖を振った。
「話は早い――全艦、機関全速、光速の二〇パーセントまで加速し、一気に帝国軍艦隊へ突入せよ!」
 全艦が加速しだしてまもなく、エアーの個人回線に通信が入った。
 エアーが繋ぐと、電磁スクリーンにあらわれた顔は騎士総監フォネックスだった。近衛騎士隊長でもあるため、背景は黒い。乗っている天馬はエアーの母、現役時代のリオ・トエトゥエイを名に冠していた。元はエアーの専用機だが、親衛隊再結成の際にフォネックスへ下賜されたのだ。王族用でせっかくの超高性能機、乗る機会がないなら、使用されるほうがいい。
「なんの用件ですの、フォネックス大将」
『こんな強固なバリアがあるのでは、本官の果たすべきことはございません。主戦場にて騎士の総指揮を執ることをお許し願いたい』
 フォネックス率いる近衛騎士隊は司令部護衛のため、母艦ヤルスルングルーンナガレの周囲に展開している。最初の照射攻撃で一〇〇騎ほどやられたが、以後は一極陣から抜け出てやりすごしていた。
「そのお歳で大丈夫ですの?」
『なあに、私は指示を出すだけですよ。エエ殿が楽に動けるよう、監督役をしたいのです』
「……それは一理ありますわね」
 サリィが首を横に振り、発言した。
「エアーさま、フォネックス・エニマレトゥ閣下は貴重な宮家司です。危険はできるだけ避けるべ――」
 突然顔を耳まで真っ赤にして、サリィはフォネックス大将を睨んだ。共有意識でなにか言われたのだ。
「セクハラ爺さん!」
 スクリーンのむこうで、大将は笑った。
『この通り本官は健康なウグレラルナ男児だ。陛下が危険に身を晒しているというのに、宮家司で高齢という理由で、安全に高みの見物ともいかないだろう?』
「わかりました、無理はなさらないで下さいね。一極陣を――クラーニセ特殊小隊辺りを護衛にお付けください」
『それはありがたい。道すがら、陛下の下着についてでも語り合いましょうか』
「フォネックスさん!」
 大将の顔は退散するように消えていた。
     * Ee Ktowri
 ウグレラルナ軍の接近で、天馬の戦いも急展開を迎えた。ウグレラルナの母艦を守るため控えていた天馬も前進してきて、攻撃部隊と合流したのだ。四〇万VS四〇万と互角になると、一極陣を持つウグレラルナ側が断然有利となる。しかも幸いなことに、帝国側にはエエ・クトゥーレイに匹敵する騎士団長が一人としていなかった。
 天馬レットゥ・フーレイにフォネックス大将から連絡が入った。
「不死鳥閣下。出てこられたんですね」
『エエ殿を楽にしてやろう。前方の騎士団を突き抜けて反転し、包囲体勢を作ってくれ。後の指揮は私が受け持とう』
「了解しましたぜ、不死鳥閣下!」
 エエは親衛艦隊の六個騎士団から一極陣担当を除いた機動部隊を束ねると、巨大な桜の花びらへと陣形を整え、敵陣の中央へ強行突入した。帝国軍は激しく抵抗したが、数で勝っていたときなら許さなかった突破も、同等では叶わなかった。レットゥ・フーレイゆくところ死と破壊が咲き乱れ、誰も逆らえない。真っ赤な天馬たちはケーキでも切るように帝国軍を抜けると、すかさず展開して帝国軍を包囲下に敷いた。
 エエが頷くと、スクリーンの向こうで目配せを返したフォネックス大将が絶妙のタイミングで命令を下した。
『全騎、ミサイル乱射!』
 一方向からの攻撃だったら帝国軍もなんとかなっただろう。しかし挟まれたうえ、ウグレラルナの突破を防ぐべく密集していたから溜まらなかった。多少の足掻きをすり抜けたミサイル群が爆発すると、帝国軍は瞬時にして一万騎を失い、総崩れ状態となった。
 エエは混乱している帝国騎士を無視してすぐに部隊を再反転させると、帝国軍艦隊から飛んできた援護射撃を迎撃した。
 その間にフォネックスの指示で前進したウグレラルナ軍と帝国軍が混じり、密集して大混戦となった。帝国軍は母艦のほうへ逃げる動きを見せ、ウグレラルナはそれに乗った。帝国軍艦隊は味方を撃つのをためらい、ウグレラルナ天馬の接近を阻止できない――ように思われた。
 帝国軍親征艦隊が放った四発の輝きに、エエをはじめ誰もが恐怖した。三発は有効距離前で迎撃できたが、一発が騎士たちの喉元で炸裂した。真っ暗な闇が出現し、すべてを無に呑み干すと、エネルギーを解放して大爆発した。戦略量子爆弾だった。効果範囲はブラックホール爆弾の一〇倍以上で、爆心半径四〇〇〇キロ以内ならあらゆる物質を殲滅する。密集していたため敵味方合わせて三万騎が失われ、失敗を悟ったウグレラルナ軍は逃げ散るように帝国軍艦隊から離れた。
 エエの部隊も帝国軍と距離を取った。
「もうすこしだったのに。モフレ・クゥロって男は……なんて恐ろしいやつだ。あいつの部下は、抗命罪で罰せられるよりも、味方の虐殺を選択するのか――ラシニ、親衛艦隊騎士の被害を調査してくれ」
『了解』
 混戦からやや離れて進撃していたため、親衛艦隊の騎士団長は全員が無事だったが、それでも一〇〇〇騎ほど被害を出していた。
 エエの部隊さえ健在ならば負けたとはいえなかったが、この攻撃はウグレラルナにとって取り返しのつかない結果を生じていた。
     * Fore Eirtoezzmez
 フォネックス大将の天馬リオ・トエトゥエイはクラーニセ特殊小隊の後ろに位置して守ってもらっていたが、爆発は残念ながら正面ではなく斜め上からやってきた。
 爆破が去って逃げに移ると、クラーニセことフォレー少尉は大将機が見あたらないのに気づき、通信を送った。
「大将閣下! 大将閣下!」
 しかし回線は繋がらない。
 捜索範囲を広げると、〇・二光秒離れてリオ・トエトゥエイを発見した。部下の黒い天馬三騎に曳航される傷だらけの大将機は、防御帆の輝きを失い、動力も消えていた。
 フォレー少尉は大将の部下に聞いた。
「大将閣下はご無事ですか?」
『わからない。母艦に戻らないと――いまは一刻も早く離れなければ』
「……お怪我をされたのですか」
『生命維持の機能は生きているようだが、ご返事がない』
 クラーニセの脳裏で、重傷を負った父親とフォネックス大将とが重なった。西天艦隊旗艦ツォジは航行不能寸前の大打撃を受け、三〇〇名以上の死者を出していたが、フォレー中将はかろうじて命を拾っていた。中将の副官メー少佐から直接、生存の報告を受け、なにも出来なかったクラーニセは報復を胸に、戦いに臨んでいた。
(今回もまたご無事だ。きっとお元気だ)
「こ、ここは私にお任せ下さい」
『恩に着るクラーニセ』
 クラーニセ特殊小隊は大将騎を庇うよう展開した。敵から離れつつ射撃をつづけたが、それが皮肉にも弔いの号砲となった。
     * Fekt Ear
 結局、フォネックス大将は助からなかった。
「不死鳥が亡くなりますなんて――そんな馬鹿な現実、認めませんですわよ!」
「落ち着いてくださいエアーさま。宮家司フォネックスさまが亡くなられたことで、唯一の王位継承権保有者、フェクト・ケフェルさまが権利を失効されました。もはや知性図書館の門扉を開き、フェクト王家の生粋を名乗られるのは、エアーさまご本人しかおりません……文字通り、フェクト朝の至宝です」
「なにを言っておりますのサリィ?」
「お覚悟なさいませ、エアーさま。そのちいさな双肩に、すべての運命が乗ったということです。肩代わりをしてくれる人はもはや、どこにもいないということです」
「……わかりましたわ」
 フェクト・エアーは黙祷したが、戦局の変化が長い沈黙を許さなかった。一〇秒で老臣の霊を慰めると、エアーは席より立ち上がった。六枚の黒色軍羽が決心を示すように輝いた。
「戦略ブラックホール爆弾を使用しますわ」
 ウグレラルナが保有する戦略級兵器はブラックホール弾頭のみだ。それも王国全体を合わせてもわずか三〇発。うち二四発を、今回の戦いに合わせて持ってきていた。
     * Mohr Colo
 ウグレラルナ艦隊はブルガゴスガ軍親征艦隊に二光分まで接近していた。この距離だと敵の未来位置を予測せずとも、直接照準で当てることが叶う。多少移動したところで、砲弾のホーミング機能が補正してくれるからだ。高い命中精度で集中砲火を受ける親征艦隊は防御線を維持できなくなりつつあった。
 モフレ・クゥロは八個艦隊のうち四個を上下左右に展開させ、ウグレラルナを十字砲火で叩きつぶそうと試みた。これも対一極の手なのだが、一極陣の備えは万全だった。真球形に展開してすべての方向に角装甲を突き出すと、ウグレラルナ軍は機動要塞となった。帝国の古い策はもはや通用しなかった。
 予想以上に強固な陣に、皇帝は恐怖を感じはじめていた。
「のこった……戦略弾を……すべて……使え」
 ほぼ唯一の正解だった。一極陣最大の弱点は通常容積の数千分から一万分の一にも及ぶ一極密集で、戦略弾頭の陣中炸裂を許せば、たちまち全滅する。あくまで許せば、の話だったが。
 帝国軍は一五発ほど、ブラックホール爆弾と戦略量子爆弾を残していた。これらを全弾、成功率の高い天馬輸送にして放った。しかし待ち受けていたエエ・クトゥーレイによって迎撃され、偽装で密集陣を敷き同伴していた帝国軍の騎士団が誘爆により壊滅的大損害を被った。帝国の手は尽きたかと思われ、皇帝は苦々しい思いで当面の後退を指示した。
     * Fekt Ear
 ウグレラルナ軍の戦略弾頭が、大将の亡骸を本陣まで護衛したクラーニセ特殊小隊によって前線に運ばれてきた。エエ・クトゥーレイはもはやすべての騎士団長から信頼と尊敬を勝ち取っていたので、全弾の扱いが親衛艦隊騎士に委ねられた。エエ・クトゥーレイは二四発を仲良く四発ずつ六個騎士団で分割すると、艦隊の支援砲火と呼応して親征艦隊を襲う手はずを取った。
 しかし問題が発生した。
 緻密な陣形維持と角装甲の重量のため、一極陣母艦は反応が鈍い。最高速度こそ通常とおなじだが、加速・減速・旋回などの所要時間が長い。
 帝国の逃げる動きに、ウグレラルナ艦隊はなすすべもなく離されるだけだった。一極陣が突っ込んでくる方向にまっすぐ逃げてくれたらよかったが、そんな愚かはさすがにしない。一極陣が転舵する間に帝国軍はさらに経路を変え、距離はますます開いてゆく。
 イッフォク元帥は直接照準から予測照準に戻す命令を下した。離れるとどうしても命中率が下がるので、砲撃による支援効果は大幅にダウンする。しかも流れ弾が味方の邪魔をする確率も高まる。
「悔しいが、あとは天馬がすべてだ」
「そうですわね。エエ・クトゥーレイ中将……」
     * Ee Ktowri
 頼まれなくとも、エエはすでに三度に渡って突入を試みていた。目指すは親征艦隊のみ、ほかの敵艦隊には目もくれない。
「モフレ・クゥロ二世だ、皇帝だけを狙え!」
 帝国軍の天馬が迎撃に出てくるが、数はもはやウグレラルナが優っていた。
 エエの実力ならば突破も可能なように思われたが、しかし帝国軍は正念場とあって必死だった。無事に勝ったとしてもこれほどの苦戦、冷えた心胆を温めるため、モフレは不利だった場面ごとに戦犯を決め付けては代表者を処刑するに違いない。ここで突破を許せば、明日には墓の下なのだ。
 帝国軍の野獣じみた非人間的な圧力にウグレラルナは出血を強いられ、帝国軍本陣へ突入するどころか、距離を開けられつつあった。一発・二発と、見つけられたブラックホール爆弾が破壊され、真昼の宇宙に黒い薔薇を咲かせる。広く展開しているため、有効範囲数千キロていどの小型ブラックホールに巻き込まれる天馬は少ないが――黒い花が二〇個に達したところで、エエの忍耐は尽きた。
「情けないぞ! 私の翼はこれほど小さかったのかエエ・クトゥーレイ!」
 悔しさでレットゥ・フーレイの内壁を叩いたそのとき、天馬サラレ・メナァーのラシニ近侍官から急報がもたらされた。
『団長! 帝国軍の背後に、白い艦隊が出現しました! 皇帝を足止めしています!』
「なんだと! ――あの野郎!」
 朗報のはずも、苦い思いでしか受け取れなかった。
     * Imewk Uze
 エニフの出現はあまりにも鮮やかで、帝国軍は誰も防ぐことができなかった。
 ガスに隠れた天牙艦隊は天馬を収容して再編成を終えたあと、残った火力を皇帝に叩きつけるべく移動していたのだ。
 その動きは大胆で、まず降着ガス円盤内を銀河中心核ブラックホールに向けて進んだ。あまり近寄ると太陽に数百万倍する重力から逃れられなくなるが、母艦の性能ならば侵入の仕方によれば二〇光分くらいまでは大丈夫だった。
 加速するガスの負荷に母艦が耐えるぎりぎりの地点で、天牙艦隊はガス円盤の外に出た。そこから円盤の上を滑るように進み、さらに危険な内側に入っていった。
 ガスは光速の領域目がけ猛加速しており、莫大な位置エネルギーの解放によって、ブラックホールの両極から強力なジェットが噴出している。円盤表面から仰ぐそれは、果てしなく高い一本の塔となる。
 天牙艦隊は重力から逃れられなくなる限界距離でガス円盤から離れると、ブラックホールを利用したスイング・バイによって常識外の加速をしつつ一路ガスの塔を目指した。あまりの引力と加速率に天牙艦隊の各母艦内で人工重力の制御が困難となり、体調不良や船酔いを起こす者が続出した。
 この動きは当然ツェッダ・ラクシュウと対峙する帝国軍の知るところとなったが、奇襲するにしてはすでに離れすぎていたので警戒はしなかった。正面の敵を相手にするのに忙しかったので、皇帝のいる本営へは事実のみを報告していた。それを受けた本隊はエニフ・リートゥレの意図を挟撃だと見抜いていたが、そのときはまだ逃げる体勢ではなかった。それに――まさか、さらに常識外の加速を追加してくるとは思わなかった。
 というのも、ジェットの速度はすさまじく、いきなり光速近くに達する。果てしない塔は断続的に数百光年以上も伸びつづけ、銀河竜巻と呼ばれるほどなのだ。こんなガスの激流に入ったが最後、母艦といえども小舟のごとく破壊されてしまう。過去の星戦にはジェットへ追い込んだ殲滅戦の記録もある。
 危険なのはだが、あくまで踏み入れば、の話だった。
 天牙艦隊はジェットの表面すれすれに吸い付くと、掠めるように移動していった。ジェットの猛烈な力を、母艦が耐えきれる紙一重の位置で受け取ったのだ。
 それは宮家司の知識を得たイメークによる、天才的な自動操舵プログラムだった。艦隊は一枚の布のように広がり、塔の表面を這いつつ異常なる二次加速を敢行した。兵士たちは恐怖を感じてはいたが、エニフやイメークへの信頼が優っており、命令はことごとく忠実に行われ、完全な成功を修めた。そして誰もが思いもしなかった短時間で、皇帝の後ろを取るに至った。
 天牙艦隊旗艦グラヴァドマの主砲が、親征艦隊を射程に捉えた。
「全艦、敵の退路を断つように撃て! 残弾を一発たりとも無駄にしないように。リートゥレさまの露払いをするのだ!」
 イメーク中将の鋭い命令が発せられると、砲手たちはこれまで防御戦に徹してきた鬱憤を晴らすかのような猛攻を行った。
     * Sezma Irn
 あうんの呼吸というわけではないが、ウグレラルナ側もイッフォク元帥の指示で、攻勢に定評がある南天艦隊を前に押しだした。
 エエに貫かれた艦橋の修復がやっと済み、角装甲への換装も終えた南天艦隊総旗艦ラウディエンテルンで、巨漢シエセマ中将は地震竜の名に恥じぬ地響きを立てて咆吼した。
「大一番での指名は栄誉だぞおまえら! 全艦の全砲門、親征艦隊のみを狙え!」
 エニ参謀長が首をかしげた。
「はて、前に出たためほかの敵部隊から砲撃を受けていますが、防御はいかがしますか?」
「それは上が考えることだエニ・フォレ。おれたちが無防備になれば、あわてて勝手に弾幕を張ってくれるさ。南天の使命は皇帝の首を引っこ抜くことだ。それに南天が盾を掲げるなんて、似合わねえだろ?」
「たしかにその通りですね、了解しました――全艦の全砲門、同調しました」
「一瞬だな、さすがだエニ・フォレ。よおし、撃てい!」
 地震とともに、強烈な弾雨が放たれた。
     * Mohr Colo
 逃げ腰であったぶん、帝国軍本隊の混乱は醜態をきわめた。皇帝の恐怖による支配はもはや、一極と白い死神を両ばさみにして、限界に達しようとしていた。
「皇帝陛下の御前である。秩序を保て!」
 クリクゥ上級大将の叱咤も、もはやなんの効果も持たなかった。なにしろ当主たるモフレ本人が怯えていたからだ。
「ちょ……跳躍だ……逃げろ……死神から」
 醜い顔をさらにゆがませ、モフレは浮遊椅子の手すりを叩いた。肉より脂肪の多い指で、手すりは湿った音を立てた。
「恐れながら敵味方の空間跳躍妨害が激しく、三〇光分は離れないと跳躍は叶いません」
「クリクゥ……逃げれば勝てるのでは……なかったか?」
「天牙の動きが、小官の計算を超えておりました」
「負ける……のか……死ぬ……のか」
「いいえ、まだ大丈夫でございます。天底の別動艦隊群と合流すれば、ふたたび大軍対大軍となり、エニフやエエの働きも小さくなりましょう。そして時を待つのです。来ている援軍はこちらのほうが多いのですから」
 モフレの血走った目が、それをよしとしなかった。
「――だめだ……あいつは追ってくる……死神はどこまでも……」
「陛下」
「逃げるんだ……跳躍だ」
 だが逃げ道など下にしかなかった。白い渦巻き円盤が網を広げ、天頂方向から親征目がけて降りかかろうとしていた。
     * Enih Ryetor
 死神の鎌を防ごうと、帝国軍覇王艦隊が進路上を塞いで盾となった。覇王はイエ・レメ元帥が指揮する帝国最強クラスの艦隊だが、星戦の序盤から戦いに参加しており、すでに疲労の極みにあった。半日近くの休息をとり、英気を養った白亜騎士団の敵ではなく、散々に蹂躙され、分艦隊すべての旗艦を撃沈され艦隊は一〇分で四散した。
 白亜が覇王を相手とする間に、動揺した敵天馬の防御線を突破してきたエエの桜花陣も追いついてきた。白亜は二万騎弱しかいないが、エエは一個艦隊全体の騎士を率いているので七万騎近くいる。
 白と赤は一部で交差したが、剣は交えなかった。わずか一例を除いて。
 覇王艦隊総旗艦メヌゴビスをその光鎌の供物とし、爆発の輝きに白い髪を黄色に染めたエニフ・リートゥレの視界に、血の色をした光点が入った。
「――っ!」
 条件反射でレークゥセを急後退させた空間を、赤熱する二本の槍が掠めた。
『白い死神! エニフ・リートゥレ!』
 至近用のオープン回線に割り込んだ声はエエ・クトゥーレイのものだった。
 レットゥ・フーレイは旋回すると、至近弾を乱射しつつ、光器をかざして再突入してきた。あまりの鋭鋒にエニフの胸が高鳴った。
(この者、真に強い!)
 母艦同士の乱戦ならともかく、天馬となると数があまりに多いため、総大将機同士が戦場で見えることなど滅多にない。とくにそれが超一流の騎士となると。彼女はエニフが直接出会った敵としては、過去で最強クラスの相手だ。戦士としての本能が、戦いたい、という衝動を抑えきれなかった。
「エエ・クトゥーレイか! 一騎打ちか!」
『勝負を所望。昔日の返礼だ!』
「受けて立った! みなの者、手を出すなよ。私が倒れても赤と協力し、皇帝だけを狙え。指揮はフリー千騎長とイーレー千騎長に任せる」
『ラシニ、各騎士団長へおなじように伝えておけ。手出し無用! 敵討ち無用と!』
 レークゥセとレットゥ・フーレイは一騎打ちへと突入した。光器がうなり、射線が交差する。赤熱する超震動武器の光器は、あまりの切れ味のため相手の光器を受けることができない。ひたすらかわし、撃ち、鎌と槍を打ち据える。蝶のように舞って、蜂のように刺す。だが互いに桁外れの技量なため、かするのみ。
 いつしか周囲ではすべての戦いが終わり、白も赤も団長同士の戦いを傍観するのみだ。いや、陣形を維持しつつ、確実に親征艦隊へと近づいていた――そしてこの奇妙な状態が正常化するのを、帝国軍は当然ながら待ってなどくれなかった。
 帝国軍の海牙・魁・点睛の三個艦隊が、皇帝を守るあらたな盾として眼前にあらわれた。新手の騎士団も出てきたため、赤い花弁は一枚をのこして散った。夕顔・紫陽花・水仙・沈丁花の四束が、こしゃくな邪魔者を排除しにかかる。さらに黄牙艦隊が横撃をしかけてきたため、備えとして最後の一枚も散り、胡蝶蘭の壁となって本隊を守った。
 のこった烈花騎士団と白亜騎士団は、紅白の交わりとなって親征艦隊に覆い被さった。
     * Fore Eirtoezzmez
 烈花騎士団が持つ戦略ブラックホール爆弾は、あと一発だった。保有しているのは、クラーニセ特殊小隊。
『いけっ、クラーニセ!』
 ラシニ・トゥエシの掛け声とともに、クラーニセことフォレー・エイレトゥエッセメセ少尉は飛び出していた。
「全騎、角装甲強制排除! 最高速!」
 指揮官機クラーニセをはじめ、従騎すべてが摩耗した角装甲を外した。そうなると天馬本来の身軽さを回復する。
 最後のブラックホール爆弾は、一〇〇騎以上の無人従騎によって守られていた。戦略弾頭を運び、爆発させる危険な任務は当然ながら従騎の担当だ。だがこれだけの数で厳重に守っていたのはクラーニセ特殊小隊のみだった。一極陣のエースたるフォレー少尉だからこそ可能で、これまで無事だった。
(よくも父上を怪我させたな! それにフォネックス大将閣下の仇!)
「突入!」
 クラーニセ特殊小隊は一匹の竜となり、損害にお構いなく目標へと接近していった。
     * Mohr Colo
 真上から舞い降りてくる刺客たちを見上げ、モフレは発狂したように叫んだ。
「――宇宙項……爆弾を……使え!」
 クリクゥ上級大将の顔が青ざめた。
「それはなりません陛下! 陛下ご自身も、この戦場にいる全兵士も亡くなりますぞ!」
「エニフが……死を……連れてくる」
 モフレ・クゥロは起床時の半分は食い物を掴んでいる右手でゆっくりと銃を取ると、なんの予告もなしにクリクゥの頭を撃った。
 物言わぬ死体に唾を吐き捨て、狂った皇帝は半ば給仕係と化してる高級副官に言った。
「宇宙項爆弾の……スイッチを……ここへ」
 皇帝の目はまるで死んだ魚のように濁っていた。副官は心底から恐怖を覚え、菓子山盛りの盆を落としてしまったが、敬礼して狂った命令に従った。自身の命の灯火が消えるのを、ほんのわずかだけ延ばすために。
 クラーニセが戦略ブラックホール爆弾を放ったのと、モフレが狂乱した奇声とともに宇宙項爆弾の発射スイッチを押したのは、ほぼ同時だった。
「くく……死神め」
 ブラックホール爆弾は弾幕をかいくぐって母艦エルデスバインの至近で炸裂し、モフレ・クゥロは死の痛みや苦痛を感じる暇もなく、暗君にふさわしい笑顔のまま即死した。
 一方、宇宙項爆弾は花火のように撃ちあがっていた。その直径は五〇〇メートルはあるだろう、まさに破格の巨大爆弾だ。多少の迎撃弾はものともしない。
 人類史上最高の破壊力を持つ爆弾は、クラーニセ特殊小隊の横を突き抜け、千日手状態となっているレットゥ・フーレイとレークゥセの脇をかすめ、親征艦隊と天馬たちが戦う戦場の外に達して、その恐るべきエネルギーを解放した。
 宇宙を膨張させる力、常闇の暗がりに潜むダークバリオンに、秘密のエネルギー。可視バリオン最強の兵器が超新星爆弾なら、対となるものが宇宙項爆弾で、その威力は恒星をも消滅させるものだ。
 戦略級以上の爆弾は起爆方式が複雑で、信管が入っていない限り、つまり発射されない限りは破壊しても誘爆などしない。だからその保有を知っていても、エアーは艦隊戦を仕掛けられたのだが――最終兵器が、愚帝の自棄によって起爆した。
 すべてが白くなり、光速を超える勢いで破局が場を支配した。それは破壊でなく、消去だった。蒸発でなく、消滅だった。
 手傷だらけでなお魂をぶつけあうエニフとエエも、ガッツポーズを取るクラーニセも、まだ知らぬ勝利を祈って手を合わせるフェクト・エアーも、あらゆる鑑艇が瞬間的に素粒子レベルへと還元された。
 銀河中心核ブラックホールの降着円盤もジェットも、消し飛ぶ。この過酷な煉獄に平然として耐えられるのは、自身が地獄の体現にちがいない、巨大な中心核ブラックホールのみであった――
     * Fekt Ear/Si rforeme
(……あれ?)
 フェクト・エアーは自身が宇宙空間に浮いていることに気づき、戸惑った。寸前までヤルスルングルーンナガレの艦橋にいて、通常光の観測でいよいよ皇帝を追いつめたらしいという朗報が入ったところだったのに。
 宇宙は明るかった。ただし白ではなく、星間ガスが淡いオレンジ色に輝いている。突然の浮遊感は、エアーがはじめて体験する無重力だった。
「ここはどこですの?」
 口にだして、驚いて手を口元にやった。空気がないはずなのに、しゃべることが叶う。
「……呼吸まで。それに暖かいですわ」
 どうやら自然を超えたなにかに巻き込まれているようだと察したエアーは、誰かいないか探した。
「サリィ? イッフォク元帥、レーレ准将」
「……エアーさま! そこにおられましたか」
 サリィが返事してきた。
「サリィ!」
 声のしたほうに体を反転させ、泳ごうとするが、変な方向に回転をはじめた。
「みいぃいいい!」
 目まぐるしく変化する視界に、エアーは目を回しそうになった。
「落ち着いてくださいエアーさま! イメージするんです」
「い、イメージ?」
「止まれ、と」
「…………」
 ふしぎなことに、複雑な回転が止んだ。
 目の前にサリィが浮かんでいる。
「サリィ――ここはどこですの?」
「どうやら、知性図書館のようです」
「知性図書館?」
 サリィが足下を指さした。その一点を見つめると、なんと映像でしか見たことのない、白い真珠が月のように浮かんでいた。
「……超新星爆弾を受けましたのに、やはり無事でしたのね」
「メソーエメが呼んでいます。いきましょう」
「え?」
 サリィが手を繋いできた。不思議な感触だった。まるでサリィと一体化しているような心地よさを感じる。
 エアーは宮家司に引かれ、図書館目がけて高速で飛行した。方向転換もしないので、周囲の星々はまるで動かないが、ガスの濃さに変化があるので、雲間を抜けるように速さを体感できた。ときおりガスの濃い部分に入ると、真夏の野外のような暑さを感じた。
 知性図書館はみるみる大きくなっていった。硬貨ほどの大きさからホットケーキとフライパンを経て、例えるものがなくなる巨大さになっても、どこまでもつるつるとして、細かい構造はまるで判別がつかない。
 ついには視界全体を覆う広さに図書館が迫った。もはや落ちるという感じだ。サリィは姿勢を変え、足下に白い大地が来るようにした。前方に見ていた図書館が、真下になった。
 その間エアーは状況に圧倒されっぱなしで、黙ったままだった。白い大地の一部に、凹凸があるのを発見した。色にはまるで変化がないが、周囲が信じられないほど一様なため、わずかな差であっても判別がついた。
 サリィはそこを目指しているようだった。
「もしかして……門?」
「そうです。図書館に入ります」
「……門」
 本来はあそこで戴冠式を行うはずだった。
 まさか戦闘中に、いきなりこのような場に来ることになろうとは。
「あのサリィ――モフレ・クゥロ二世は?」
「クラーニセが仕留めたそうです」
「そう……」
 あまり喜びは湧かず、興味は目前の超自然的な現象に集中していた。やがて重力を感じはじめた。上下の感覚が生じたのだ。図書館のものだろう。
 門といっても円形の窪地だった。真珠の大地に空いた、深さ数十メートルの穴。広さは直径数百メートルはある。
 門には先客がいた。数はふたり。
「エアーさま、スカートを押さえてください。見られてしまいますので」
「え?」
 条件反射で裾を押さえる。サリィも自分のスカートを股で挟んでいた。スカートの中を見られるのがいやな相手――すなわち男性だ。
 いよいよ五〇メートルほどにまで寄って、エアーの視力でようやく相手が何者かわかった。帝国軍の軍装をしている。マントをしていることから、片方が提督、もう片方は騎士団長だ。しかも全体的に白いから、天牙艦隊の司令官と、白亜騎士団の団長しか思い浮かばなかった。そして合っていた。
 白い髪をした青年と、控えめで目立たないやはり青年だ。
 エアーとサリィは、彼らとわずか数メートルの距離を置いて降り立った。
「……エニフ・リートゥレ」
 エアーの心の奥底から、火山のように衝動的な怒りがこみ上げてきた。
「お父さま、お兄さまの仇!」
 腰の銃を抜こうとしたが、サリィがその手を押さえていた。
「サリィ!」
「おやめください。あらたな契約者と、その宮家司です」
「……え?」
 サリィは右手でエアーの銃を押さえたまま半腰になると、左手で足下の大地に触れた。
「エアーさま、門に触れてみてください」
「…………」
 エアーが座ると、サリィの右手がエアーの手を掴んできた。
(これは――開門の儀式)
 エアーは空いた方の手で、おそるおそる大地に触れた――
 ――なにも起こらなかった。
「こういうことです。エアーさまは三年前のテロで半死半生を得たとき、体中の遺伝子が一度破壊されたことで魂の形が変わり、図書館からは死者と見なされたのです」
「…………」
 よくわからなかった。そもそも開門の儀式を見たことがなかった。その瞬間は秘密中の秘密とされ、映像すら残されない。エアーが知っているのはいきなり開いている門の奥にある広間で、戴冠式を執り行うシーンのみ。ここだけは録画され、国内外に広く放送される。神話を示すために。
(契約者?)
 エニフ・リートゥレを見つめる。エニフは白い髪を揺らして、エアーの元に歩み寄った。身長差は五〇センチはあるだろう。ほとんど見上げるも同然となったが、エニフはレディの目線に合わせて膝を折った。
「フェクト・エニクロー・ウグレ・エアー、お初にお目にかかる。私はエニフ・リートゥレ侯爵。隣はイメーク・ウゼ提督。ご存じだとは思うが、私の母リサーは噂に違わず、フィーリック大公家の姫だった。この間の内乱では面識のない伯父とはいえ、愚かな大公が済まないことをした」
 エアーの脳裏に、大公の巻き添えで亡くなったウアリの顔が浮かんだ。
「――そ、そんなことはどうでもいいですわ。それよりも、私の家族を殺しておいて、どうしてウグレラルナに助力されたんですの?」
「大愚戦争を終わらせるためだ」
「誰にも止められない銀河大戦を終わらせるですって? 一〇万光年に及ぶ天の川銀河系を、まさか一代で統一するおつもり?」
「詳しいことは、図書館に入ってからだな」
 エニフは立ち上がって戻ると、イメーク中将と手を取り合った。そして腰を沈めると、同時に床に空いた手をついた。
 ――音もなく、それは起こった。
 真珠の底が、微震動とともに、その色を薄くしはじめたのだ。
「サリィ、床が消えて……」
「大丈夫です。理力の現象です」
 やがて足下が完全に消えると、円形の竪穴が広がっていた。四人は下へと落ちはじめた。その速度はじつにゆっくり。周囲の内壁は真珠の光沢が一転して灰色となり、エアーが記録映像で見たことがある風景だった。穴の底へは五分ほどでたどりついたが、その間、誰もが無言だった。
 底はやはり殺風景な場所で、即位用の飾りや道具だけがそのまま残されていた。すでに数百年に渡って受け継がれてきたそれらは、映像で見るぶんには華やかで美しく見えたが、実際には時の風化に晒されており、いくぶん色褪せて見えた。
 戴冠の儀式が行われる中心の台座には、高さ三メートルほどの黒い岩が立っていた。宮内大臣より王冠を得た新王は、この岩に触れてメソーエメと契約を更新するという。
「…………」
 エアーは誰に促されるでもなく、岩に向かって歩いていた。隣をエニフがついてくる。振り向くと、サリィとイメーク、ふたりの宮家司は礼をして見送っていた。
「サリィ――もしかしてこれって」
「契約の正式な受け渡しです。フェクト家からエニフ家への」
 フェクト・エアーは思い出した。
「かつてフェクト家がここで戴冠した瞬間、ウグル家の直系が全員亡くなられたと聞きますが、大丈夫ですの?」
「エアーさまには意識の断片は三年前からまったくございませんので、メソーエメの制裁は利きません。フェクト家直系の生存者はほかにはケフェルさまだけですが、彼はメソーエメが認める年を逸脱し、ご高齢であられます」
 子を成せない年齢の者は、メソーエメが選定する対象から除外される。それが王太子フェクト・フォーが戦死したとき、メソーエメがケフェルより血の遠いエニフ・リートゥレを選んだ理由だった。
 納得したエアーは、エニフに遅れて岩に向かった。ふたりは契約の岩を前にした。岩の表面はきれいに磨かれ、不思議な幾何学模様が走っていた。エアーは手を伸ばし、岩に触った。エニフも一秒ほど遅れて触れた。
 だが、エアーはなにも感じなかった。
 エニフは目をつむって一分ほど黙っていたが、口元をにやりとゆがめると、手を離した。エアーはなお数十秒粘ったが無駄だった。
 宮家司の元に戻る途中、エアーはエニフに話しかけた。
「良いものでもご高覧になれました?」
「四二億年に及ぶ暇人どものつぶやきだった」
「私にはなにも見えませんでしたわ」
「そちらのほうがいいと思う。あまり面白い話ではない」
「よければ、お聞かせください」
「王朝が交替するときの初代にしか明かされない秘密の内容らしいが、まあいいかな」
 エアーの体がぶるっと震えた。
「……王朝交替、ついにしましたのね」
 黒衣姫陛下の内心に興味がないようで、エニフは平気な顔で語った。
「図書館を作ったやつらは個体レベルで永久に近い命を手にするため、この宇宙から高次元にある夢の異界へと引っ越したのさ。だが故郷が心配で、監視役として知性図書館と、そして管理者メソーエメを置いていった。その後近辺で星間文明を築くに至った知的生命を片っ端から導き、時機を見計らっては高次元生命へとランクアップさせていった。故郷をできるだけ自然のままにして、荒らされないようにするためにな」
「……気の遠いお話ですわね」
「銀河を飛び越える規模で宇宙に拡散した知的存在は、半永久的に滅亡しなくなる――という逆説を知っているか?」
「宇宙最大の謎ですわね。すべての知性はかならず滅びておりますのに、シミュレーションでは何億年でも繁栄しつづける……」
 隣の銀河・大マゼランにゆくだけで、高速航路を使っても半年以上かかる。すでに一〇以上の銀河系に入植した人類では、全滅戦争など想像できない。空間跳躍は理論値の限界まで来ており、過去に存在した知性も同様だった。さらに生命種として衰えることも考えにくい。トフォシ・ソエセ人のように遺伝子を操作する社会がひとつでもあれば、種としては変化しても、連続する知性存在としては滅びたことにはならない。
「謎の正解がお引っ越しだったのさ。だが未熟な人類が神々からお呼ばれするのは、まだかなり先の話らしい。それまでメソーエメの苦労をすこしでも軽減するため、契約者は存在するらしいな。なにしろ近寄ったブラックホールをひとつ消すだけで、億年単位で図書館の寿命は縮むとか。もっとも図書館はまだ三兆年は稼働できるらしいが――」
 皮肉屋のように肩をすくめるエニフに、エアーは首を傾げた。
「せっかく王になれますというのに、あまり嬉しそうではございませんね」
「王座なんかに興味はない。義務を果たさなければメソーエメに殺されるので守ってはやるが、その形はいろいろあるさ。だいいちメソーエメが私にしてくれるのは宮家司と神話の世話だけで、兵器も軍隊もどこからも湧いてこない。自身の努力で王になってみせろと来た。面倒だから君に任せよう。エアーはフェクト朝を勝手につづけてゆけばいい」
「……あなたも図書館も、無責任ですのね」
「そうさ、無責任だよ私は。私の目的は母の生涯を奪った大愚戦争を終わらせることだ。一世紀前、母リサーは第三次ブルガゴスガ=ウグレラルナ戦役の混乱で帝国へさらわれ、皇帝の近縁でもある軍家エニフ家の当主イフォーレに戦利品として捧げられた。この不名誉にフィーリック大公家は事実を認めず、母は本来帰る場所すら失った。およそ三〇年後に生まれた私は、母の呪詛で育った」
「生涯を奪ったって……リサーさまは今は?」
「心を病み、私が初陣を飾った年に自殺した」
「お亡くなりになられたんですね」
「大愚戦争さえなければ、母はもっと幸せになれたはずだ。私は戦場の混乱を利用してイフォーレを暗殺したが、母の慰め、いや、私の渇望を充たすにはまるで足りなかった」
「リートゥレさま!」
 はじめてイメークが口を開いたが、エニフが手で制した。
「父親殺しをなさったんですね」
「軽蔑したくば存分にするがいい黒衣姫。だが価値観とは相対的なもので、絶対はない。だから犯罪も戦争も決してなくならない。これは必然なんだよ。それゆえ私は理想を描いた。すべての戦争を終わらせる方法だ。いつもそれを考えていた。高次元生命の都合や、ウグレラルナの命運なんぞに興味はない。この戦いでウグレラルナが滅んでも関係なかった。派手に宣伝さえ成功すれば」
 エアーはべつの生き物を見るような目つきでエニフを見上げた。
「……一極陣が大愚戦争を終わらせますと?」
 エニフの口元がゆがんだように見えた。それはほんの一瞬のことだったが。
「終わるさ。ニフォイの一極陣は完成寸前だから、たちまち宇宙中に広まるだろう。対戦略弾頭の克服もすぐに終え、一極陣を確実に破る方法は、戦力の集中以外にはなくなる。一極がさらに集まった、超一極となる。超一極戦力集中だ。今回ですでに一〇〇〇隻単位だった。おそらく一〇年とかからず万隻単位の戦いが見られるようになるだろう。戦いが大規模になるほど、一度の被害は甚大なものとなる。地勢の要衝は未曾有のスクラップと屍で舗装され、人も金も足りなくなり、たちまち戦争継続どころでなくなる。やがて強制的に平和が到来し、同時にメソーエメの心配を減らすことにもなるだろうさ」
 エアーの体がべつの意味で震えはじめた。
「勝手な平和ですわね。で……でも、その通りとなりますとは限りませんわよ?」
「なるさ。さっき私の中に流れてきた過去の知的生物の歴史に、同様の事例が三度あった。歴史はくり返す。イメークが宮家司になったとき、彼が得た歴史の中には例のうちひとつが含まれていた。それだけでも時期的に計画を実行に移す価値はあったが、もはや私は確信している」
「それが本当なら……私は……歴史にのこる魔性の引き金を弾いた子になりますわ」
 エアーは無意識のうちに、銃を取り、エニフの胸元に向けていた。手に持つ銃が震えている。エニフは両手を広げ、堂々としてほほえんでいる。
「すでに歴史は動いている。一極は登場するたび進化してきた。私がニフォイを援助しなくとも、いずれどこかの国が理論を完成させ、実行に移していただろう! 知性図書館は莫大な理力を用いて時の歯車を逆行させ、宇宙項爆弾を無効化させた――つまり私の方針はメソーエメに認められたのだ。私を撃ち殺したところで、フェクト家に近いほかの縁者が契約者に選ばれるだけだ。もはや遅い」
 エアーにはわかった。エニフはすでに目的を果たしたのだ。喜んでエアーの銃口に胸を晒している。撃つだけ無駄だろう。
 ためらっている間に、エニフの前にイメーク中将が立ちはだかった。彼はほとんど口を開いていないが、その眼光は鋭かった。エアーはふたりの間に一蓮托生、運命共同体と呼べる強い絆を感じた。
 エアーの肩に、サリィが手を置いた。
「死神を撃ったところで無意味です。エアーさま、もうすべては終わりました。ですので、つづけなければなりません」
「……なにを、ですの?」
「ウグレラルナの再建です」
「――私はもう、王では」
「国王です。私は戴冠式をしっかり見ました。ウグレラルナは図書館の束縛から解放され、本当の自由な国として一歩を記すのです」
「サリィ――」
「私が真実を知ったのはここに飛ばされてからです。でもそれが意味するものは大きいのです。意識を次代に伝える力をすでに奪われましたが、私は生涯メソーエメの意識から逃れられません。そのかわり図書館の深淵たる知恵を部分なりとも役立てることができます」
「……ありがとう」
 エアーは銃をゆっくりと下ろし、泣きはじめた。その頭をサリィが優しく包み込んだ。
     * Ee Ktowri
 銀河中心核では、炸裂したかと思われた宇宙項爆弾がまるで闇に吸われたように消滅したことで、誰もが狐につままれた思いだった。しかもフェクト・エアー、フォッリ・サリィ、エニフ・リートゥレ、イメーク・ウゼの四名が神隠しにでも遭ったかのように忽然と消えたので、大騒ぎとなっていた。
 エエ・クトゥーレイは目前で動かなくなった天馬レークゥセに暫し光槍を向けていたが、動きそうもないことを悟ると、矛を収めた。
「ラシニ、帝国軍はどうだ?」
『大混乱に陥っています』
「よし、このまま追討戦に移る。敵に向かってふれ回ってやれ。皇帝は死んだ、おまえらは敗残者だ、とな」
『了解しましたぜ、団長!』
 天牙艦隊や親衛艦隊の混乱もおおきかったが、帝国軍はその比ではなく、まさに壊乱だった。皇帝の嗜虐性が極度に増し、暗愚だったのは、知性図書館の幻像に魅了された最近のこと。それまでのモフレ・クゥロ二世は強圧的でときおり残虐性を誇示しつつも、指揮官として一流の将帥で、侵略者として冷静で有能だった。
 輝ける巨星が失われた。兵士たちの皇帝への畏れは、裏返せば従ってさえいれば負けない、という保証でもあった。事実クゥロ二世の軍は常勝で、それゆえ領土を拡大しつづけてきたのだ。
 帝国軍は五分とたたず総崩れとなった。
 あちこちで陣を乱し逃げまどう。もはや戦いというレベルではなく、狩りだ。
     * Fekt Ear
 そのような混沌とした狩猟場に、また前触れもなく消えていた四人が戻ってきた。誰しもがいろいろと聞きたがっていたが、フェクト・エアーは有無をいわさず戦場全体にむけて回線を開かせると、思い切り叫んだ。
「エニフ・リートゥレはマザコンですわよ!」
     * Enih Ryetor
 レークゥセのコクピットでエニフは顔に手を当て、大笑いを堪えた。
「……いってくれるわ、黒衣姫陛下。いや、むしろ悪戯姫陛下かな?」
 突飛な情報は戦況になんらの影響も及ぼさなかったが、発言者はささやかな復讐を叶えられて満足していたし、ウグレラルナ軍は黒衣健在を知り、安心して戦いに専念できた。
     * Zetryfoloreme
 六時間後に中心核へ突入した帝国軍増援は、戦況を知るや一発の砲弾も放たず逃げ去ろうとしたが、あまりに空間跳躍妨害が激しく果たせなかった。そのうちに到着したイブンヤハートとミケンの増援が、これを散々にうち敗った。
 一一月一五日未明、足掛け一週間に渡った第二三次銀河中心核星戦は閉幕した。帝国軍の戦死者は八〇万人に達し、連合側は二四万人だった。ブルガゴスガ軍死者の七割以上が、皇帝が戦死して以降のものだった。
 銀河中心核の結果は戦線全体へ波及し、帝国軍はわずか四日で本土へと撤退した。ウグレラルナ軍が進駐して旧領をすべて奪回し、一一月末に帝国でクゥロ二世の末娘トリクシが即位すると、一二月初旬、帝国から使者が来た。ニトゥーニ条約を破棄して、新たに相互不可侵を根幹とするヤクゥレット条約を結び、ようやく平和が到来した。

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