第五章 堕天使 Nekloinicori

旭和ラノベ
星よ伝え/序章 第一章 第二章 第三章 第四章 第五章 第六章 終章 小辞典

     * Fekt Ear
 エアーは緊張していた。
 サリィとナウィ、それに数名の閣僚を証人として、これから処断を行うからだ。
 国王専用の執務室で待っていると、宮内省の管理官が丁寧な仕草で玉璽(国王の印鑑)を持ってきた。持ち手が純金、本体が玉製のそれは思ったより簡素な作りだった。しかし実際に持つと、子供のエアーには重かった。両手で握ってしまうほどだ。伝わる重量が、そのまま責任として感じられた。
 ウグレラルナでは、王の印は権威を示す伝国璽ではなく、実用の判子だ。国王のみに権限がある、重要事項を決済するときに用いられる。
 反乱が終息して半月が経っていた。警察・検察・憲兵を総動員してあらゆる方面へ強制捜査が行われ、潜んでいた反乱派を捕まえると共に、ウグレラルナの暗部が白日の下に晒された。貴族の一部が数十年に渡り、国家予算を組織的に横領していたのだ。毎年の額は微々たるものだが、「宇宙塵も積もれば星となる」の格言に違わず、経済が好調なのに財政赤字になる、という奇妙な現象を生んでいたのだ。
 伯爵以下は司法当局で対応するが、侯爵・公爵といった大貴族を処罰できるのは王のみとされている。エアーは法に則り、彼らに罰を与えなければならない。
 ナウィが持ってきた書類の表には目録が書いてあった。大公家ニ・公爵家一五・侯爵家二九――俗に大貴族と呼ばれる家の、三割にも相当する。これだけの数の家から爵位や財産を召し上げ、罪の軽い者にはお情けで伯爵以下の位階を与えるというものだ。これが実行されたら国庫には資産価値にして一京ラトエ近い臨時収入が転がり込み、積年の財政難は一夜で解決する。エアーは下に視線を動かしたが、ひとつの単語に、事前に知らされていたのに衝撃を覚えた。
『Oxefo eeimetolo《オクセフォ・エエイメットゥロ》(死刑)』
 該当者は一七名。いずれも一度は聞いたことのある名前ばかりで、エアーと直接顔を合わせ、話をした者は半分以上。
 エアーは自分が特別な温室にいたことを知った。思い知らされた。どれほど幸福だったのか、そして守られていたのか。温室から一歩出た外の世界は、じつはジャングルだった。どこに毒蛇やヒルがいるか知れず、いつ道に迷うかわからない。銃を携え、歩まねばならない。その武器をはじめて、撃つときが来ようとしていた。それを知った。
 血を流すことができるのか?
 先の星戦で、さっさと指揮権をエエ・クトゥーレイに譲ってしまったのは、自分の心の弱さが、銃の引き金を引くことを拒否したからではないか。
「いかがされました?」
 ナウィが尋ねてきた。
 エアーはあきらかに戸惑っていた。目録をめくると、いよいよ印押しの作業がはじまる。簡単な作業だ。だが、それができない。覚悟したと思っていたはずなのに、死という言葉を目にして、体が反応できなくなった。
(彼らは、死に値するようなことをしたというの?)
 と、つい思ってしまう。エアーの記憶にある大貴族たちはあくまで、国を支えてくれる優しい臣下だった。エアーは彼らの悪行を、情報でしか知らない。自分で体感したのは、王都での炎と、初陣での遠景だけだ。
 理性では分かっている。イエスだ。国王に牙をむけたら、強制された場合を除いて死罪で、一族は身分剥奪。超法規措置となったイトイー大将を除き、今回例外はいない。
 死は恐ろしい。
 三年前、エアーは死の国の入口まで迷い込んだ――帝国のテロで。だからあの仄暗い冷たさを知っている。それは再生槽のものだったが、永遠にも感じられる時間の中で、恐怖と戦慄をくり返し味わった。テロの記憶が幾度となくフラッシュバックし、死んだほうが幸運だったとさえ思った。つい先の前まで元気に動いていた人々と、兄と母が、気が付いて自分がようやく回復したら、すでに遠い王家の星の、深い地底に消えて――急にいなくなった。知性図書館の戦いで亡くなった父とフォーもおなじだった。死ぬところも、遺体も見ていない。
 エアーにとって、家族は消えたのではなく、会えなくなっただけ。それ以外の何物でもない。死を間近にした体験と、それに反する見取ることからの乖離。両者の作用で、気づかぬうちに死をタブー視していた。
 ようやく、唇が惑うように動く。
「あの、私、これをしないと……」
「国法に照らした対応です。王としての定めでございます」
 ナウィのしゃべりは相変わらずゆっくりだが、戸惑いはなくひたすら真っ直ぐだった。それを冷たいと感じ、嫌悪を抱いた。そもそもナウィが反乱を煽らなければ、エアーがこのような心の苦痛を味わう必要はなかった。幼馴染みウアリの死もなかっただろう。いや、嫌悪の正体をエアーは自覚した。これは転嫁だ。本当は自分に対するもの。
(覚悟なんて――格好だけだったのですわ)
 ウアリの死に対しても、エアーは自己嫌悪していた。もっと宰相を憎むべきなのに、憎みきれない。仕方ない部分もあったと納得している改革指向者の本音が、自分の胸中に存在しているのだ。それが許せない。そのせいだろう、エアーは多忙を理由にウアリの葬儀に参加せず、未だに墓前へのお参りも行っていない。心の整理が付かないのだ。
 それから数分、エアーは動けなかった。ナウィは黙ったままで、主上の動静を見守っていた。エアーの葛藤はつづいていた。
(オッラレ・リフ公爵)
 ふいに、悪人の代表として公爵が登場した。
 オッラレの行ったことは罪深い。亡くなった父と兄が戦力補充をしなかったのは、じつは手配が遅れたからだった。帝国軍が知性図書館に迫っており逃げるわけにいかない正念場で、後方勤務総部長オッラレは自身の物資横流しを優先させていた。軍を追われてもなお裏の人脈を駆使し、親衛艦隊の再建を妨害した。公爵が死んだとたん物流はスムーズになった。三週間で親衛艦隊は定数八〇隻すべてが前任地からの移動を済ませ、赤色への塗装と角装甲を装備できたのだ。
(貴族制度があるから、オッラレのような害毒が権力を握るんですわ!)
 エアーはようやく貴族社会に対してまともに関心を持った。ナウィの言葉がいまなら実感できる。澱んだ水の小魚だったのだ。
 天の川銀河系では、地球から離れるほど王国・帝国の比率が高い。自由に連絡も取れず孤立した新社会では、社会制度は容易に先祖帰りする。混乱を鎮め、指導者として地域を統一した英雄は、自分の子孫にもその権勢を伝えたいと思うものらしい。
 ウグレラルナはそういった国家の中で、最古のものだ。西暦ニニ四三年一月一日、銀河中心核にはじめて到達した勇者ウクール・ソエツ(ウグル・ソエセ)は、同行し支えてくれたコミュニティ内で絶大なカリスマを手にした。成功の日は天の川銀河系内だけでなく、全人類社会で広く用いられている銀河標準暦の土台となったほどだった。
 標準暦開幕のわずか一年後、彼はたった数千名を従える王位に就いた。その後銀河中心方面へ渡った移民者は全員が迫害されたトフォシ・ソエセ人で、望んで王国へと参加した。当時宗主たる地球圏とウクーレライナの通信には片道二年、移動に至っては二五年もかかり、独立承認の有無や可否など問題にならなかった。
 だが――いまや時代は違う。跳躍子生成基地を経由する高速航路では、日に一〇〇〇光年を跳べる。宇宙は狭くなった。
 六〇年前、ウグレラルナは無価値だった天南西の辺境を開発してミケン星間国家群連邦と国境を接した。すると自由な社会を知ったウグレラルナでは、暴動やストライキが続発し、ミケンへの亡命が相次ぐようになった。やがて勃発したウグレラルナ=ミケン紛争はミケンの勝利に終わり、ウグレラルナは革命を未然に防ぐため、言論や経済活動の自由を保証する必要に迫られた。
 以後ウグレラルナは封建制の弱体と市場開放によって所得水準が倍増し、個人の収入が経済大国ミケン連邦を追い越すまでになった。そのマーケットを狙ったミケンの接近で、わだかまりを捨てて国交を正常化したのは六年前で、輸入された文化により民主主義思想は静かに浸透している。
 今回の事件で、ウグレラルナ貴族の権威は決定的に失墜した。明日にでも民衆蜂起となってもおかしくないほどに。
(もはや、民主化するしかないですわ)
 このときエアーは自分の求めていた解答の根を発見した。なぜ自分が日常的にいたずらばかりしていたのか。なぜ国難を冒険的な挑戦で乗り切ろうとしているのか。
 保守的な王国そのものにうんざりしていたのだ。変化こそがエアーの魂が求めるところで、力なければ奇抜なことでしか表現できない。幼いエアーの感情が、テロによって解放され、今にまで至るのだろう。いわばエアーの性格、つまり遺伝子のデザインそのものが、現状へと導いたのではないか。
 エアーが前例のない方法でミケンの力を借りようと思った時点で、千際一隅の機会と捉えたナウィの後押しにより、歴史の歯車は不可逆に回りはじめていたのだ。
(私自身の気質そのものが、改革者だったんですのね)
 ナウィは国内を大掃除し、キークゥリはその口先にすべてを賭け、ミケンを中心に国外を動いている。サリィも一極計画を進めた。内乱によって幼馴染みのウアリをはじめ、多くの人が死んだ。これからも墓石の数は増えるだろう。なにしろエアーの目的は復讐のため、そして自分の未来を築くため、戦争を起こすことだからだ。
(私だけが命じるだけで、きれいな手のままでいて、いいはずがないですわ)
 ようやく自分を納得させて、エアーはおそるおそる、表紙をめくった。
 二枚目にはさっそく、死刑対象者の一人がいた。ごくりと唾を呑む。
「…………」
 玉璽を朱肉につけ、持ち上げ、書類の印を押す部分に運ぶまで数十秒を要した。あと二センチまで下ろしたところで、筋肉が硬直し、とつぜん固まった。
(……いや)
 紙のうえに水滴が落ち、滲んだ。ぽたり、ぽたりと二粒、三粒。
 エアーの視界はぼやけていた。悲しかった。この場から立ち上がり、逃げ出したい強い衝動に駆られた。心とは別で、体や本能はあくまでストレスに正直だった。しかし……右肩にそっと、誰かの手が添えられた。
 優しい感触だった。視線を動かすと、肩には濃い肌色の、女性の手。いつも側にいてくれる、暖かい心の一部で絆そのもの――逃避の波が引いてゆく。落ち着いてゆく。
 気が付くと、呼吸が乱れていることに気づいた。涙はいまや汗に代わり、書類を雨粒に当たったように汚していた。エアーは猫背になっていた背中を伸ばすと、玉璽を持ち上げ、深呼吸をした。
「私は国王ですわ」
 サリィが顔や首筋にハンカチを当て、いやらしい汗をふき取ってくれる。呼吸がようやく収まると、エアーは自分の宮家司と目を合わせ、頷いてから、迷いを振り払って玉璽を下ろした。
 感じていた重さが消えた。開放感がエアーの全身を貫いたが、あくまで一瞬だけだった。これを持ち上げると、後に引き返せない刻印が紙の上に刻まれているはずだ。権力とは、紙切れでどんな軽重も決まってしまう。一ラトエであろうが、一〇〇ラトエであろうが、紙幣の重さが変わらないように。その権力をエアーはいま、自覚によって行使した。
「…………」
 おそるおそる、ゆっくりと持ち上げた。玉璽に貼り付いて紙がすこし浮き上がるが、自重で離れる。
 エアーは、自身の行った結果を見定めようと目を凝らした。
「……あ」
 そこには、うす赤い輪郭だけがぼんやりと刻まれていた。王の印号『SAMW eniklor tesw UGWRLALLNA』も、王家の家紋となっている風吹く丘の印章も、まるで見えない。
 サリィが予備の書類から、該当するものを取り出して交換した。
「お泣き遊ばされている間に、乾いてしまったようですね」
 またもや、涙がでてくる。
「みぃ……」
     * Fekt Ear
 すべてが終わって部屋に戻ると、侍女団がケーキを用意して待っていた。非番だったはずの者も含め二五名全員が勢揃いし、エアーが部屋に入ると同時に「お疲れさまですエアー陛下」と口をそろえて出迎えた。
「……どうしたんですの?」
 憔悴したエアーの鼻に、ほどよく甘い香りが飛び込んできた。エアーの好物・いちごのシフォンだ。それが部屋のまん中に据えられた大テーブルのうえに、小山となっている。
 侍女長のフォレー・メリが、なぜか机の影に隠れて目だけでそっとのぞき見てる。
 驚きと喜びが半分混じった顔で、エアーはテーブルに寄った。ケーキをひとつ手にとって、匂いをよく嗅ぐ。
「――これは王家御用達、銀河野苺堂の最高級品ですわね。一般向けには一日一五〇個しか作らないものが、一五〇個のほとんど、いえ、すべてがここにあるなんて……」
 ケーキを戻すと胸が一瞬で溢れ、感激でむせび泣きはじめた。
 侍女たちが慌ててエアーをなぐさめに入る。軽くしゃっくりをして、皆に一礼した。
「ありがとう。大丈夫ですわ。今日はすこし嫌なことがありましたので――このような嬉しいこと、どなたの提案ですの?」
「…………」
 相変わらず無口な副侍女長のエートゥ・レミが、机の端から覗いている頭を指さした。
「メリが?」
 おそるおそる、右手だけが挙げられた。
「……いえ、私は買っただけです陛下。昨日、今日は例の決裁があるから、たぶん気落ちされるとレミさんが私に耳打ちしまして。それで非番の人にもみんな集まって頂いて、あの……すいません。限度知らなくてつい、朝一番で買い占めてしまいました」
「怒ってなどおりませんわ。お顔を見せなさいな」
「……わかりました」
 フォレー・メリは机の上に顔をだした。
「――あああ、そういうことなんですわね」
 メリの口周りが、微妙に変色していた。
「こ、ここれはあの、出来心というか、違いますよ? もちろんエアーさまのぶんはちゃんとこんなにありますし」
「支離滅裂でしてよ。さあみなさん、メリの奢りで、ケーキパーティーといきましょう。紅茶のご用意を」
 侍女たちがわっと歓声をあげ、準備に入る。エアーのプライベートスペースは反乱終結後、一挙に広くなり、メインの大部屋を中心に個室が二〇ほど連なる屋敷のような構えになっている。その気になれば数百人規模のパーティーも可能だった。
「あああああ、割り勘の予定でしたのに」
 蒼白になったメリが、テーブルの影にまた沈没した。ケーキをちゃっかり一掴みして。
 副侍女長のレミがつぶやいた。
「愚か者め、願わくば体重計の針よ振り切れろ」
 いじけた侍女長にかわって、サリィが開始の音頭をとると、少女たちはネズミを前にした猫のようにケーキへ群がった。テーブルクロスの下から「痛っ! 蹴らないで!」とメリの悲鳴がした。
 エアーとサリィはさすがに争奪戦に加わることもせず、上座のサブテーブルに座って紅茶を飲んでいた。
「まったくメリにも困りますわ。お兄さんのクラーニセは武勲を挙げて、騎士に叙任されることが決まったといいますのに」
「機会というものがありますからね。大目に見てやってもいいでしょう。これでも前に比べたらすこしはましになっておりますよ」
「サリィはメリに甘くてよ。彼女は明日にも絶滅危惧種となる侯爵家の娘ですわ。貴族特権というものの不条理を、すこしはお考えになってくださいまし――貴族の頂点にある私がいうのも変ですが」
「エアーさま、今日は、いろいろとお考えになられたみたいですね」
「頭のエネルギーがもうございませんの。甘いものを食して、糖分を補給しませんともう何事もおぼつきませんわ。あら、レミ」
 副侍女長エートゥ・レミが優雅な足取りでやって来て、ケーキをさりげなく四つ置いた。
 サリィが感心して頷いた。
「こんなに早いなんて、気が利きますねエートゥさん。もっと後かと思っていました」
「まるでサリィのようですわ。事前に取っておいたんですのねレミ。さすがですわ」
「…………」
「それに今回のパーティー、レミが最初に考えてくださったんですってね? 功績を侍女長に譲ったり――まあメリは自沈なさいましたが、本当に嬉しいですわ」
 レミはほんのり頬を染め、蚊が鳴くようなかすかな声で「ありがとうございます」と言った。そしてごく自然なふるまいで空いた席に腰掛けた。
「それにしてもレミさん、このテーブルの真ん中に置いた、四つ目のケーキはどなたのでして?」
「…………」
 レミは数秒ためらって、答えた。
「――フィーリック・ウアリさまのために」
 エアーは言葉を失った。数十秒経って、エアーはレミに頷いた。もはや涙は出ない。
(いつかは笑うことも出来ますわ。だから今は、一緒に語りましょう、ウアリ)
「明日、ウアリの墓に行きしょう。サリィ、スケジュールを調整できまして?」
「お任せください。半日空けて見せましょう」
「ありがとうサリィ。さあ、しめっぽい話はここまでにしましょう」
 それからエアーとサリィばかりが世間話を交わし、レミが座っているだけの光景が数分つづいた。エアーは気を利かせてときどきレミに振るが、レミはうまく首を縦や横に振るだけで対応し、まるでしゃべらない。これが彼女のスタイルだ。そのレミ、エアーやサリィがレミから注意を逸らすと、すかさず静かな視線をサリィに投げかけていた。
「ああ、お姉さまに!」
「レミ先輩ずるいですぅ」
 半ば無礼講とされるパーティーの席上だ。争奪戦を終えた若い侍女の一部が今度は崇拝するサリィの奪い合いをしようと、小走りで寄ってきた。しかしサリィのいるテーブルには三人しか座れないため、どうしようもなかった。せめてもと近くのテーブルで席をかけて女の戦いがはじまった。
     * Ugwrlallna
 一〇月九日、王城の中央式典場にてようやく戴冠式が行われた。予定を変更して王太女を飛ばし、いきなりの戴冠だ。知性図書館以外で即位式典となるのは、三五〇年前の南北朝時代を除けば、ウグレラルナ王国史上初だった。
 付け羽根だけで十分なのか、王冠を日常で被る習慣はない。そのぶん式典用の冠は無駄に豪華で、巨大だ。それを抱え、エアーの頭に載せたのはナウィ宰相だった。本来は宮内大臣が行う役だから、列席した誰もが驚かざるを得なかった。
 指名したのはエアー当人だった。いまや民衆の絶大な人気を集める宰相を引き立てることで、ウグレラルナの未来を示そうという意図がある。しかし視覚の歪んだ者にはナウィの独裁としか映らないだろう。これで不埒者が策動すれば、ただちに捕らえるのみだ。一石二鳥の案だった。
 式典が済むと、昼休みを置いて午後はパレードとなった。国民に近い王をアピールするためだ。これが王太女の式をやめた理由で、同様にエアーの提案だった。
 王城ウグレクセトゥレメの正門を発したパレードは近衛による軍楽隊を先頭に、約二〇キロメートルもの長蛇となった。軍楽隊の演奏する曲は、テロで亡くなった国母フェクト・トエトゥエイの作曲した現在の国歌『星よ伝え《セトリロクニトゥ》』だった。
 パレードは内乱の戦勝記念も兼ねたため、軍事色が強かった。近衛団・機械兵団・憲兵隊・統帥本部隊・惑星治安軍・航路保安軍・国境巡察軍とつづき、艦隊は西天・中天・頂天・白天・親衛の順だ。内乱に参加したり、戦争で壊滅状態の部隊は見合わされた。
 守護神たちを祝福する民衆の歓声は洪水で、会話すらできないありさまだった。建物という建物の窓、踊り場、屋上、浮遊車から、国旗となっている神の翼に抱かれた契約の知性図書館を振って「ウグレラルナ、ウグレラルナ」と連呼し、親衛艦隊が近づくにつれてやがて瀑布のような大合唱となった。
 親衛艦隊を象徴する赤い騎士の列が登場したところで、民衆の歓呼はすでに悲鳴の域を超えて怒号の高まりとなり、救国の英雄たちを激しく祝福していた。
 艶やかな赤いハーフマントをなびかせ、親衛艦隊に所属する六個騎士団の精鋭たちが手を振る。アレク・ミナ准将率いる胡蝶蘭騎士団、エフォマ・オイ准将率いる夕顔騎士団、フィート・リニクゥイ准将率いる紫陽花騎士団、ニレク・セイ准将率いる水仙騎士団、トフォナー・レイ准将率いる沈丁花騎士団、そして烈花騎士団。エエ・クトゥーレイは前倒しで中将に昇進していた。親衛艦隊の司令官としていつまでも少将では、外聞に響くからだ。近い将来昇進に値する功績を挙げても、前倒しと相殺される予定だった。
 騎士たちの後に、主役の新国王となった。浮遊車ならぬ浮遊台に乗るエアーの周囲は、特別な兵士に囲まれていた。
 前半分は白い集団で、王族を守る親衛隊。先頭で旗持ちを務めるのは以前からエアーの身辺警護を担っているイートゥ・レエメで、このたび大尉に昇進した。後半は黒ずくめの騎士たちで、大元帥直属の近衛騎士隊。わずか二〇〇名余で構成され、保有天馬も一〇〇〇騎強しかいない。騎士隊長は御歳二一五歳、定年まであと五年のフォネックス・エニマレトゥ大将で、その苗字はずばり不死鳥を意味する。不死鳥じいさんは王国軍騎士総監で、二〇〇歳を迎えるフェクト・ケフェルの宮家司でもあった。宮家司が配置されたのは、いざというとき共有意識が役立つからだ。
 重い王冠を脱いでちいさな冠に替え、エアーは笑顔で手を振っていた。あまりにうるさいので力場で遮音しているが、共振で足場全体が震え、喧噪が伝わってくる。そのエアーにサリィ大佐より急報がもたらされた。
「エアーさま、ミケンの総首都、連邦議会星ニューヘヴンでテロが発生しました。キークゥリ外務大臣を狙ったものです」
 エアーの手が止まった。玉璽のイベントを切り抜けたこともあり、その体に怯懦の震えが来ることはなかった。人の痛みを知らない愚者のように喜ぶこともなかった。ただ、眉が引き締められたのみ。
 エアーは怪しまれないよう手の動きを再開すると、小声で言った。
「共有意識ですわね?」
「はい」
 力場のおかげでふたりの話は他の者には聞こえない。秘密の話をしても平気だった。
「キークゥリさんはどうなりました?」
「軽傷です。イッフォク氏が厳重に警戒していましたし、帝国の手法やパターンは、一年間のテロで散々学びましたからね」
「ミケン人の死傷者は何人でました?」
「路上でしたが一万人以上。死亡率九割です」
 さすがに息が詰まった。
「……ちゅ、中性子爆弾ですわね」
「ミケン連邦は多民族国家ゆえの自助努力で安定しており、政治結社等の類も街宣ばかりでテロをむしろ蔑視してます。海賊はおりますが交易船や辺境を襲うだけの犯罪集団で、テロは誘拐止まりです。これだけの事件、国レベルで関与していると誰もが気づくでしょう。ブルガゴスガは焦りから、取り返しのつかない愚行をしでかしました」
 エアーは頷いた。
「サリィ。あえて黒衣姫の名で遺憾の意を示してくださるよう、宰相に伝えてください」
「わかりました」
 黒衣姫はブルガゴスガ帝国の非道を攻撃するときの代名詞となっている。
「サリィ」
「なんでしょうか」
「黒は死者を祀ると同時に、死を呼び司る色でもありますわ。私の黒衣はいまから、後者になります。いえ、すでに玉璽を押したときから、なりましたわ――」
「ずいぶんと可愛らしい堕天使ですね」
「……天使はこのような虫の羽根なんて付けておりませんことよ」
 軍羽のことだ。
「堕天使から魔王になった中には虫の王もおります」
「そうですわね――でもベルセーヴァブ(ベルゼバブ)って、ハエでございません?」
「小さくてすばしっこい虫ですから、堕天使陛下にはまさにお似合いですね」
 サリィは二人きりのときは本性を晒し、口が悪くなる。エアーの頬が膨らんだ。
「むぅ〜〜」
     * Qiecory Mni
 ウグレラルナ王国が水面下で広げた大風呂敷が、一斉に畳まれようとしていた。
 各国を巡り、ブルガゴスガへの反感を増幅させる煽動者キークゥリは帝国にとって目の上のたんこぶだった。しかし新任の外務大臣が近隣諸国へ二〜三ヶ月かけて挨拶回りするのは常識ゆえ、表立って非難することはできなかった。それにキークゥリは公の席で帝国敵視の発言を絶対にしなかった。
 彼女には同行者の中に影の味方がいた。民間に戻って生存している唯一の宮家司で、一九六歳のイッフォク・トゥオという。
 彼はファオトの叔父キャドゥに仕えていたが、半世紀前に主が第五次パルミラ星戦で亡くなると、世を儚み爵位を返上して王城を去った。数年後に精神的な復活を遂げると鉱山事業を興して成功し、わずか二〇年ほどで巨万の富を築いた。物心で余裕が出てきたため、共有意識と愛国心でもって、事あるごとに民間人の立場から協力してくれている。
 共有意識によって視界は二倍となる。互いの情報を分析し、手駒を配置することで、効果は三倍にも四倍にもなった。それだけ用心深くなり、安全となるのだ。
 キークゥリは自らの姿を危険にさらすことで、帝国を誘っていた。エアーはそこまでしなくて良いといったが、彼女は断った。キークゥリの主ラーファ大公も、エアーの家族同様テロに倒れていた。あるいは共にした時間が何倍も長いぶん、エアー以上に帝国を憎んでいたかもしれない。
 彼女は外遊の最初でいきなり知性図書館宙域に赴き、クゥロ二世にこびへつらって安心させていた。キークゥリを敵視していたのはむしろ、正体を知った軍諜報部など一握りの者だった。彼らは皇帝に幾度となく彼女の排除を提案したが受け入れられなかった。皇帝は図書館に夢中で、弱体化したウグレラルナを甘く見ていた。
 キークゥリの保険は生きた。内戦が起こって情勢が危うくなったときも、彼女はあえて皇帝の懐に飛び込むことで、母国への干渉を控えさせると共に、かえって自身の安全を確保した。帝国の忠臣は動けなかった。皇帝に殺す意志のない者を勝手に排除するということは、自分の死刑を招くことになるからだ。皮肉にもクゥロ二世の独裁と残虐さが帝国にとって仇となった。
 そして狙撃による穏便な暗殺計画が四度に渡って失敗すると、忠臣どもはキークゥリが帝国本土から離れたミケンに移動したのを良しと見て最後の手段に出た。ミケンとブルガゴスガは国境を接していないが、ミケンの情報発信力は近隣最高だ。ターゲットを生かしてしまったことで、最悪の形で失敗した。
 各国の非難声明が報じられると、モフレ・クゥロの怒りはその髪型にふさわしく怒髪天に達した。即座に内部調査が行われ、哀れな暴発者たちは三日もたたずに根こそぎ拘束された。そして五等親にまで至る一族郎党親戚が、女子供もお構いなく火焔放射器で生きながら焼き殺された。その様子は宇宙全体に配信されたが、実際に生中継したのは帝国内部だけで、あまりにも前時代的で凄惨な愚行に、どの国も放送などできなかった。しかしネット等のアンダーグラウンドで映像は出回り、帝国への興味と嫌悪をにわかに高まらせた。
 公開処刑を行ったというのに、モフレ・クゥロは粛正の理由をただ「国家反逆罪」とし、テロへの関与を認めなかった。これが帝国を叩くブームを煽ることとなった。おもにミケンの手によって帝国の暗部が次々とクローズアップされ、皇帝を揶揄したフリーゲームやマンガも登場した。
 一〇日もたつころには、あまりにも煩わしくしつこい報道合戦に、モフレ・クゥロは何者かの意志を感じずにはいられなかった。そしてそれを確信し、皇帝を動かすこととなる番組がミケンで放送された。
 現地で療養していたキークゥリが退院してはじめて出たそのニュース番組は、報道ジャンルではミケンで一、二を争う視聴率を誇っていた。狙われた当事者が出るとあって、ミケン連邦だけでなくウグレラルナをはじめ、多くの国で注目を浴びていた。
「ウグレラルナ王国外務大臣、キークゥリ・モニ子爵をご紹介します」
 司会進行役の男性キャスターに促され、キークゥリ外務大臣は喪服であらわれた。
 黒衣のキークゥリは流暢な原種共通語でまず、ミケン人を大勢巻き込んだことを長々と詫びた。モフレ・クゥロ二世の非道ぶりがあまりにも目立つため、遺族の一部を除き世間はキークゥリに同情している。
「――キークゥリさんは、帝国がなにを意図していたと思いますか?」
「……それにはまず、帝国の常套手段について考えなければいけません」
「なんの手段でしょう」
「侵略です」
 スタジオ全体がざわめいた。主導権を掴んだと判断したキークゥリは、キャスターの先導なしにつづけた。
「ブルガゴスガ帝国の方法論は、狙った国を工作により弱らせ、疲れたところで戦争に持ち込むというものです。先年のポルタ教国を例に取りますと、帝国内の宗教でポルタ教のみをいわれのない理由で全面禁止し、宗教弾圧を加えました。とくに産業もなく、お布施に頼るしかないポルタは収入の二割を失い、すぐに緊縮財政となりました。三年待って収支がマイナスに転じたところに、帝国はいいがかりを付けて攻め込んだのです」
「……キークゥリさんは、帝国がミケンを狙っていると、おっしゃりたいのですか?」
「ウグレラルナの場合は、経済は好調なものの財政は元より苦しく、軍備も旧式とあって長期間戦う継戦能力に疑問がありました。帝国はそこで王位継承者の層が薄いことを突き、要人暗殺を行いました。王族や大貴族ばかり狙うあからさまな国家テロをくり返し、しらを切ることで、ウグレラルナ側から開戦せざるを得ない状況を作り出したのです」
「つまり皇帝が認めないのは、ミケン連邦をそのうち攻撃する意志の裏返しだと? ミケンと帝国は国境を接していませんが」
「帝国はソエセ三世に先に手を挙げさせることで大義名分を手にし、ツェッダやラクシュウといったウグレラルナの友好国に軍事干渉させることなく、自由に料理できたのです。それを忘れないで頂きたい」
「ですが他方では、キークゥリさんは各国で帝国に不利となる発言をくり返し、秘密外交を重ねていたと聞きます。単に恨みによる犯行だという指摘もありますよ」
「それならば私だけを狙撃すればいいはずです。無差別殺人を行い、帝国への憎しみを集中させる意図は、どう説明を付ければいいのでしょう?」
 キャスターは黙った。打ち合わせと違うからだ。
「……そうですね。なにかの考えがあると思うのが普通でしょうね」
 差し障りのない表現に務めようとしたが、若干失敗していた。結局はキークゥリの問いかけにYESと答えたも同然だった。
「ウグレラルナ王国はまもなく、第五次の戦役を仕掛けられるでしょう」
 突然の重大発言で、キャスターはにわかに興奮した。
「な、内戦のとき帝国はウグレラルナに手を出しませんでした。なぜミケンへのテロで開戦となるのですか?」
「知性図書館の秘密です」
「秘密とは!」
「知性図書館の門は、図書館が祝福したフェクト王家の純血者、フェクト・エニクローが、本人の宮家司と手を繋いで同時に触れない限り、絶対に開かないのです」
 ――スタジオに衝撃が走った。
 それは、はじめて公に語られた秘密中の秘密だった。宮家司には知性図書館の真実を暴露しようとすると自殺してしまう精神的な爆弾が仕掛けられているが、図書館を守るためなら無効となる。王族に告白するときも同様だ。
「な、ならば帝国は図書館を手に入れたのに、なにもできませんね。中を破壊せず入口だけを破る技術を、人類はまだ持っていないと聞きます」
「その通りです」
 事実はちがっていた。星系を丸ごと消滅させるほどの威力を持つ、人類が発明した現在最凶の二大超戦略兵器、宇宙項爆弾と超新星爆弾でさえ、図書館には通用しないことをキークゥリは知っている。
「現在図書館を開放できるのは、フェクト・エアー国王陛下とフェクト・ケフェル大公閣下のみ。モフレ・クゥロ二世は図書館の意志・博物者《メソーエメ》に振られ続けることに我慢ならなくなり、王国の内乱が終息したころから、開門方法を教えるよう再三秘密裏に催促してきました。しかし方法が方法のため、良しとするわけにはいきません。エアー陛下を図書館にお送りするにも理由がございませんし、ケフェル閣下は先年来より体調をお崩しになり、空間跳躍に耐える体力がございません。それにまだ、ふたつほど理由があります」
「まだといいますと?」
「まず帝国が図書館の力を利用できるようになれば、宇宙はブルガゴスガのものとなるでしょう。メソーエメの知るテクノロジーはそれほど我々の水準を超越したものなのです」
「……もしそれが事実だとしたら、ウグレラルナはなぜその力を一〇〇〇年以上も使って来なかったんですか。これだけの歴史があるなら、誰かひとりくらい、野望に焦がれた王がいてもおかしくなかったはずです」
 それは暗に半世紀前のファオト王を示していた。ミケンにとってファオトは恐るべき侵略者で、悪しき暴君だ。
「知性図書館を守るだけでなく、力も使用しない。かわりに神話を授かり、王位は安泰となる。それが契約の内容だったからです。事実ウグレラルナは一〇〇〇年を越える長い歴史の中で、王朝が一回しか交替していません。ウグレラルナはエデンの園とおなじなのです。契約を違えて林檎を食すことは、楽園の終焉とともに、メソーエメから神罰を受けることになります――かつて堕落したウグル家から遠縁に当たるフェクト家へ契約が移ったとき、戴冠の日にウグル姓を持つ直系は子を成せない老人以外全員変死しました。これが帝国の要求を断らざるを得ない最後の、そして最大の理由なのです」
「それはフェクト家による後顧の憂いを残さないための暗殺だったと言われてますが」
「亡命の機会を伺い潜伏中だった者まで、ことごとく同時刻に死亡しました。亡くなったことで正体が判明したほどです――どうして暗殺することができましょうか」
「……知性図書館の力とは、そこまで恐ろしいものなんですか」
「はい。ですが契約者が門を開け、同行した部外者が力を利用すれば、死ぬのは契約者のみで、漁夫の利は達成されてしまうでしょう――だからこそ、ウグレラルナは皇帝の要求を受けるわけにはいかないのです。ミケンで私が狙われたのは、知性図書館を開かせないウグレラルナへの見せしめと同時に、ウグレラルナと急速に接近するミケンへの牽制だと言えるでしょう。皇帝が何ヶ月も図書館に居座ることからも、ブルガゴスガはいずれウグレラルナを併呑する気でいるのは間違いありません。病に伏していたウグレラルナが名医ミケン連邦の手で健康になるのを、帝国は止めさせたいのです」
 キークゥリの話を信じるか信じないかは問題外だった。すでに帝国包囲網の原型は整っており、あとは民衆が納得できる名分さえ降ってくればよかった。
 会話にはキーワードが仕込まれており、ずばり『病に伏していたウグレラルナ』だった。各国に出向き秘密交渉をつづけていたウグレラルナ外務省の外交官たちは、テレビを消すや着替えも早々、各国政府へと最後の働きかけに赴いた。資源超大国ウグレラルナの各種採掘プラントを一定期間無償使用させるという、上等のメニューを用意して。
     * Ie Larry
「お返事は如何?」
 ブルガゴスガ帝国の重厚な軍装束に見るからに頑丈な肉体を内包した男は、姓をイエといった。一〇〇歳になるかならないかという、帝国の若き元帥だ。短く揃えられた金髪にブロンドの髭が長く横に張り、彫りの深い顔が歴戦の風格を感じさせる。
「……そうですわね」
 玉座のエアーはさして恐れる様子もなく、泰然として使者の前であくびまでした。
 イエ元帥の眉根に皺が寄った。
「臣への愚弄は、帝国への挑戦となりますが、そう取って構わないですな?」
「そんなことをおっしゃっても、このすばらしい内容に、ただただ感激しているばかりでございますわ、元帥閣下」
 古風な羊皮紙による手紙を片手でぶらぶらと揺らし、ついでに両足も振り子のように往復させた。
「こうして無粋な軍人の臣が使者として赴いているのは、それだけモフレ・クゥロ二世陛下がお怒りであらせられる、ということなのですぞ。それを一国の王ともあろう御方が、亡国の瀬戸際に立っているというのに、お戯れで馬耳東風とは、いかにお考えか」
「こういう考えですわ」
 エアーは羊皮紙を両手に持つと、それを思いっきり横に――ぴんと張った。
 裂ける音は、しなかった。
「…………」
 力を溜めると、また勢いよく引っ張った。
「……みいいぃぃ!」
 たった二回で息切れするほど力を込めたが、どうにもならなかった。
 三回目も失敗すると、汗をサリィに拭ってもらい、肩を上下に揺すりながらエアーは使者に伝えた。
「私がしようとしたことが、考えですの……イエ・レメさん」
「よくわかりました。黒衣姫陛下は非力だと」
 イエ元帥は立ち上がるや、八メートルは離れた玉座めがけて一挙に跳躍した。人間離れした軍家の血だった。
 親衛隊のイートゥ大尉がとっさに銃を抜き撃つが、鳥のような動きなので当たらず舌打ちした。現在この場で銃の携帯を許されているのは彼とサリィのみだが、素人のサリィはようやく腰に手をかけたところだ。
 間に合わない――と誰もが感じたそのとき、諸侯の列から一陣の風が飛び出していた。エエ・クトゥーレイだ。彼女は元帥がエアーに掴みかかるかと思われた刹那、神速の勢いで体当たりし、その身を弾いた。
 イエ・レメは空中で体勢を整え、一〇メートルは離れた場所に降り立った。近くにいた諸侯らがあわてて元帥から逃げる。イエ元帥の手には、エアーから奪った国書があった。
 イートゥ大尉の笛で親衛隊が元帥を半包囲する。黒衣姫陛下の前にはエエ・クトゥーレイをはじめ、臣下が人の壁を作っていた。
 エアーの表情はさすがに引きつっていた。驚かせたことで肝も冷えただろうと、元帥はあきらかに満足していた。そして不敵な表情になると、大声で怒鳴った。
「最初からどいつもこいつも示し合わせておったか! 王だけの意志ではないな! おまえか、おまえか!」
 イエ元帥は適当に誰彼となく指差し、そしてある顔を見つけた。
「貴様が独裁者ナウィ・ナウエだな。ウグレラルナを私物化し、幼い国王を騙し、こたびはブルガゴスガを謀った」
「…………」
 元帥は大声で吠えるように笑うと、皇帝の字が書かれた羊皮紙を頭上に掲げると、自らの手で破り捨てた。
「ニトゥーニ条約は汚された! 図書館を譲ることは、その鍵や秘密も渡すことだ! 許さぬというのであれば、帝国はウグレラルナに対して近日中に宣戦布告するであろう。首を洗って待っていろ!」
 全員に背を向け、大股で歩きだした。親衛隊が追おうとしたが、エエ・クゥヴエ国防大臣が片手で制した。
「追わんでよい。陛下の仕掛けがある」
 イエ元帥がある場所にさしかかったところで、エアーがやや硬い声で話しかけた。
「帝国軍西方軍団長イエ・レメ元帥さん、イエ・ラーリという少女をご存じ?」
 元帥は立ち止まると、振り向いた。
「なんの話だ? 娘はいないぞ」
「奇遇にも名字がおなじですわね。それでラーリは、こういう少女ですわ」
 エアーがスイッチを押すと、イエ・レメの真下の床が輝き、軍服が突然変化した。
 やたらと巨大な帽子を被り、軍事パレードで近衛隊の女性隊員が着るような派手な服装に、白いミニスカート姿だ。おめでたいリボンがそここに目立ち、腰から吊したスティックは巨大な銃になっている。
 本来は可愛らしいはずだが、中の人が筋骨隆々とした男だから大変だった。突然のピエロ出現に、謁見の間には失笑のさざ波が広がった。魔法少女イエ・ラーリのコスチューム姿だからだ。
 エアーは涙をこらえながら拍手した。
「めでたいお姿ですわ。お似合いですわね、魔法青年イエ・レメさま」
「……覚悟しておけ」
 イエ・レメ元帥はスカートをひるがえしつつ小走りで去った。両開きの大扉を抜けると同時に、立体投影が消え、元帥の服装は本来のものに戻った。
 元帥が全員の視界から消えると、誰ともなく拍手が起こった。それは玉座に向けられていた。エアーは立ち上がると、スカートの両端をつまみ臣下たちに一礼した――が、そのとき誤って例のスイッチを押してしまった。エアーの足下が輝くと、女王さまは瞬時にして魔法少女イエ・ラーリへと変身していた。
 先の被服対象だった元帥が座標限界から外れたため、照準がスイッチの起点に戻っていたのだ。
「…………」
 臣下たちはまさか王のコスプレを笑うわけにもいかず、ほほえましい格好となったエアーに対して拍手をつづけるしかなかった。エアーもしばし硬直していた。
     * Enih Ryetor
 このいたずらは帝国軍の威信を甚だしく傷つけた。しかし白い死神ことエニフ・リートゥレだけは違っていた。エアーを讃え、左遷された任地としていまだ離れられない銀河中心核に酒を捧げた。
「いいかげん見飽きたが、宴の到来を思うと美しく見えるな」
     * Bullgagoswg/Ugwrlallna
 一〇月二九日早朝、ブルガゴスガ帝国はウグレラルナ王国に対し、宣戦を布告した。第五次ブルガゴスガ=ウグレラルナ戦役の開幕だった。
 戦役勃発わずか二時間後にはニトゥーニ星系に帝国の一個分艦隊が押し寄せ、戦略量子爆弾を五発放って恒星ニトゥーニを爆発させた。
 ニトゥーニ星系は条約によってブルガゴスガのものとなっており、七〇〇万人ばかりの元ウグレラルナ人が暮らしていたが、恒星爆発の衝撃により地上や衛星軌道に住んでいたほとんど全員が即死した。三つあった有人惑星はどれも大気を根こそぎはぎ取られ、裸の遊星となって宇宙をさまよいだした。
 ニトゥーニ散華の報を聞いたモフレ・クゥロは大笑いして手を叩いたが、他方フェクト・エアーは一〇秒もせずして泣き出した。
「サリィ……これって……私がイエ元帥にしたことが原因ですの?」
「ほとんど関係ございません。モフレ・クゥロが仕掛けた過去のパターンから見ても、いつも通りです」
「でも……でも……」
 玉座にてすすり泣く幼い王の姿は、頂上に立つ者としては不釣合いかもしれなかったが、子供としては合格だった。その場に居合わせた者全員が、かえって忠誠を誓った。
 いくら魔の領分に堕ちた天使とはいえ、エアーのまっとうな感受性は幾分も削がれてはいなかった。年齢に応じた感情の起伏は、黒衣姫陛下の愛称にふさわしいものだった。
「帝国も愚かな。やりやすくなりました」
 傍らのナウィが冷たく言うと、サリィに涙を拭ってもらいながら、エアーは頷いた。
「な、七〇〇万の血を一滴たりとも無駄にすることがないよう、政治利用してくださいナウィ宰相。それ以外に、私、いえ、私たちにできることはありませんわ」
「心得ております。陛下の聖なるお涙も無駄にならぬよう致しましょう」
 同日夜、ウグレラルナも宣戦布告を返したが、戦いはすでに各所ではじまっていた。一極陣を実装しているのはもっぱら艦隊で、最初に矛を交える治安軍・保安軍・巡察軍レベル同士の衝突では、いままで通りの戦いが繰り広げられていた。
 帝国軍の間隙を突いて、ニトゥーニの生存者およそ三万人がウグレラルナ軍白天艦隊によって救助されたのは四日後だった。同時に数騎の天馬がニトゥーニから五光日離れた宇宙より、恒星爆発の一部始終を観測記録した。光の早さは秒速三〇万キロと有限のため、たとえば一光年離れた空間に行けば一年前の情報を生で得ることができる。
 救助と爆発のさまが報じられると、帝国への非難は過去最高の高まりを見せた。いくつもの国が国交を断絶し、交易を中止した。そして事前に打ち合わせでもしていたかのように、ミケン星間国家群連邦・イブンヤハート首長国・ツェッダ公国・ラクシュウ神聖王国が一一月四日、ブルガゴスガ帝国に対して宣戦布告した。それはおりしも、知性図書館《シ・レフォーエメ》でウグレラルナが大敗してからちょうど三ヶ月の節目だった。
 これにより戦争の公式名は第七次シ・レフォーエメ継承戦争へと改められた。
     * Ugwrlallna
「外交工作の成功に、乾杯」
「外務大臣殿に乾杯」
「ウグレラルナの勝利を祈って、乾杯!」
「乾杯!」
 超高層ホテル・ニュアージュの展望レストランで四日夜、閣僚たちはささやかなパーティーを開いた。
 主催はナウィで、主賓は本日ミケンより帰還したキークゥリ外務大臣だ。
「ありがとうございますみなさん。ですが私が安心して活動できたのも、多くの方々の下支えがあってのことです」
 功労者はわかっていた。
 国防大臣エエ・クゥヴエと、閣僚外ながら特別に招待された民間の宮家司イッフォク・トゥオだった。閣僚たちはふたりにも惜しみない称賛の声をかけた。
「いやいや、戦いはまだはじまったばかり。国防大臣たるワシの仕事はこれからだ」
 初老のイッフォクが笑った。
「国防大臣の仕事はもう終わっていますよ。ここからはお孫さんのエエ中将とイッフォク統帥本部長官、イッフォク全艦隊司令長官に任せて、こうして酒でも飲んでましょう」
「イッフォク、息子が揃って軍人の最高峰を極めたからといって、それは嫌味か? だいたい推薦したのはワシだぞ。大将でほかに若くて軍務に誠実で活きがよくて軍閥化の怖れがないやつがおらなんだからな。現役時代のおまえを彷彿とさせるわ堅物退役大将」
 イッフォク当人は半世紀前に軍と王城を去ったが、双子の息子は軍籍に留まり精進をつづけ、内乱の引責で先の長官たちが去った後任として、五人ばかり間を飛ばして選抜された。まだ一四一歳と若い。
「嫌味だなんてめっそうもない、光栄の極みですよ出鱈目退役中将閣下。それに事業を手伝いもしなかった不肖の我が子らに比べ、エエ・クトゥーレイ中将といえば当代きっての名将、一〇〇歳ごろにはとっくに元帥へおなりでしょうよ」
「もちろんだ。ワシの子は地方の防御司令官に留まってしまったが、孫のクトゥーレイは長官までゆける器だ」
「そのときイク、クリトゥエエセのどちらかが国防大臣になってるかも知れませんがね」
「なんだと、ならばワシの孫は天の川を津々浦々平らげているぞ」
「片腹痛いですね。こちらは宇宙そのものを手に入れておりますでしょうな」
「天界魔界冥界霊界妖精界をも支配できるわ」
「すべての次元にイッフォク家の旗が」
「お二人ともその辺でおやめくださいませ。まるでお子さまのようですわよ」
 当の子供に諭され、さすがに押し黙った。ふたりが一世紀来からつづく犬猿の仲なのは周知だった。
 猿山のボス争いのような対立とは別に、政治色のある会話もあった。
 窓際で佇むキークゥリに、ほろ酔いのヴィルトシュタイン財務大臣が話しかけた。
「四ヶ国も味方につけるとは、まさにMVPですね大臣。おかげでミケン連邦がウグレラルナに資本投下してきた一〇〇〇兆ラトエも無駄にならずに済みそうです」
「ただ表を散歩していた私などよりも、裏庭で各国政府と交渉し、すべての調整を行った外交官たちを褒めてやってください」
「そうですな。実務面ではどの国でも官僚のほうが勤勉ですからな。大臣は指針となるだけで、あとは人脈を作り信頼関係を築くのに忙殺されてしまいます。たとえそれが国民には遊んでいるように見えても」
「お互いに苦労しますね。でもほかにも、図書館の秘密という切り札がなければ、こうも上手く糾合などできませんでした――今度の危機をうまく回避できても、今後はどうなるかわかりません。なにしろ図書館を利用する方法を、銀河系中の国が知ってしまったんですから」
「あれは真実なのですと、あくまではったり通すおつもりですか」
「……あなたというより、ミケン連邦そのものが私の言葉を信用してないようですね。たしかに虚偽もありましたが、事実も多いです。どれがどうとまでは明かしませんけどね。なぜ連邦は参戦を決定なされたんですか」
「自然種というアイデンテティーがありますから神話に飢えずに済み、リアリストだらけにもなります。市民軍には信じるようけしかけてるみたいですが、まあ近未来の災難を、巻き込まれついでの予防接種で駆除してしまえというわけです」
「思い切った転換ですね」
「それに内乱で勉強しましたが、たまには戦争をしないとエエ中将のような有為な人材は見分けられませんからね。我が母国の軍はお世辞にも強いとはいえない」
「ミケン連邦もなかなかお怖いです」
「一〇〇〇年以上も滅びず、天の川銀河系中央に在りつづける、この王国の生命力こそ恐ろしいですよ。興味を持って歴史を紐解いてみましたが、いまのような危機的状況が訪れるたび、まるで金鉱脈のようにどこからともなく救国の人材が集い、滅亡の淵から正道へと導いてきたんですから。現代に蘇った円卓の騎士に名を連ねている行幸を、他国人ながら誇りに思うほどです」
「たったいまリアリストだと含ませておきながら、その実はロマンティストの夢想ですか。まだ勝ったと決まったわけではありませんよ、ヴィルトシュタイン大臣」
「勝ちますとも。私の目に狂いはありません」
 キークゥリはガラス張りの彼方に見える、宇宙へと羽ばたく光の群れを眺めていた。
「――そうですね。戦士たちの成功を祈りましょう」
「おお! つわものどもが出陣だ!」
 真っ赤に酔っている経済大臣ショオニ・クリフォが、キークゥリ・モニにつづいてこれに気づき、指をさして皆の注目を誘った。
 光の配置でエアーが即座に見分けた。
「あれは……フォレー・フオートゥ提督の座乗艦ツォジですわね。一時間以上早いですわ」
「それだけ張り切っているという証拠ですね。士気はさぞや高いでしょう」
 サリィの言葉に頷き、エアーは夜空に浮かぶ西天艦隊に手を振った。
 趣味人が立ったつぎの朝にはフェクト・エアーとエエ・クトゥーレイの親衛艦隊も出陣する予定となっていた。
     * Bullgagoswg
 知性図書館宙域に置かれているブルガゴスガ軍の大本営は目に見えて混乱していた。つい半日前までは楽勝ムードだったのが、一転して暗中模索となり、加速度的に増えてゆく損害に頭を悩ましていた。
 帝国に宣戦布告した五ヶ国連合のうち、国境を接する四ヶ国の総戦力は、推定で母艦三〇〇〇隻、天馬四五〇万騎、人員八五〇万と見積もられた。それでも帝国軍の総兵力よりなお二五パーセントも劣っていたが、布告が突然だったため帝国軍は対応が間に合わず、前線に展開している戦力ではすでに三割も少なかった。
 広大な帝国内に散らばる諸部隊を編成し、迎撃体勢を取るのに一週間はかかると見込まれ、戦線縮小の必要性が急務となった。
「なんだと……帝国本土へ……六五〇光年も退け……というか」
 知性図書館に執着する皇帝は参謀たちの申し出を蹴り、貴重な時間を三日も空費した。
 その間にウグレラルナの高速軍道を強行軍で走破してきたミケン連邦市民軍一〇個艦隊が、ついに戦線参加を果たした。
 母艦八〇〇隻、天馬一六〇万騎、人員不明。
 全戦力が艦隊であり、母艦は一隻に二〇〇〇騎も格納した平均一〇キロ近い最新式の巨艦ばかり。原種は三五年ほどで世代交代するので半世紀ぶりの戦争に大半が初陣だったが、装備の新鮮さと性能は群を抜いていた。天馬も従騎からして他国では指揮官機に当たる火力と出力を持っていた。
 その怒濤ともいえる圧力は、歴戦の強兵であるはずの帝国をも屈服させた。戦う相手がミケンだけならば、戦力集中でもって慣れていない相手を蹴散らすことも可能であっただろう。しかし四方八方から攻められてる中での参陣は、泣きっ面に蜂だった。
「原始人どもめ……やりおるわ……仕方がない……退くぞ」
 モフレ・クゥロもさすがに重い腰を上げざるを得なかった。皇帝は戦犯として大本営の上級大将を二名私刑に処すと、ミケン軍が迫るわずか半時間に、三ヶ月以上に渡って滞在した知性図書館を後にした。
     * Yjallswlngwlwnnagr
 図書館宙域を一番乗りで解放しようと、ミケン市民軍のうち二個艦隊が競争していた。第四・第九の二個艦隊合わせ、五度の星戦でわずか三隻の被害しか出しておらず、楽勝ムードで邁進していた。エエ中将から幾度か退くようにと要請があったが、連戦連勝に酔う初陣の司令官たちには通じなかった。
 二個艦隊は三分違いで知性図書館に到着した。一五七隻の母艦はすかさず騎士団ならぬ騎兵団を展開し、霧中に浮かぶ真珠を取り囲んで天馬を遊翼させた。その誇れる姿は見事で、同行していた民放の従軍リポーターも、感涙ながらに解放のさまを宇宙全体に向けて生中継していた。
『解放です! 解放しました! 天馬たちが赤熱する光器を思い思いに振っています。騎兵たちの喜びが私にも伝わってきます。戦わずして勝つ、まさに自然種の大勝利です』
 エアーはその放送を数百光年離れた宇宙から、王国軍総旗艦ヤルスルングルーンナガレの艦橋にて眺めていた。
「嬉しいのは分かりますが、政治色臭いですし、いささか児戯じみてますわね」
 エエ・クトゥーレイは賛同した。
「まあ帝国人にはひとつの衝撃にもなるかも知れないが――あるいは逆に、こちらにとっての仇となるか」
「仇ですって?」
 その間にも、リポーターの若い女性は、思いつく言葉を片っ端からしゃべっている。
『見てください! この美しさを! 宇宙の秘密と歴史をすべて抱え、四〇億年に渡り七種の知的生物と交流してきたという、時の生き証人。よってかの名は知性図書館です。遺伝子操作人類の帝国が白き賢者の威厳を汚し、おのれの野望で天の川を生き血流れる地獄に染めようとしていたのを、私たち連邦市民軍の第四艦隊と第九艦隊が未然に防いだのです。ミケンは自然種人類史にあらたな栄光の一行をいま、書き――』
 メインスクリーンに映っていた女性の足下に、不吉な閃光がよぎった。
『――記しま?』
 エエ・クトゥーレイは両眼を見開き、なにかに気付いたのか叫んだ。
「ウィンドウを消せ!」
 担当のオペレーターはしかし不思議な顔をしてエエを見返してくるだけだ。
 間に合わない、と見るや、エエはエアーの前に立ちふさがり、王の目を覆うと共に、自分の目を強くつむった。
「みんな目を閉じろ!」
「え? なんですの」
「黙ってろ姫さん!」
『したぁ――きゃああああ――』
 爆音と、世界が真っ白になるほどの輝きが、艦橋に一瞬だけ溢れた。
『…………』
 太陽が間近に出現したような光は三秒となかっただろう。しかしそれで十分だった。艦橋に元のあかるさが戻ると、そこは目を灼かれた被害者で満ちていた。艦橋要員の数分の一が自力では動けなくなっている。スクリーンは真っ黒に染まっていた。
「こ、これはどうしたんですの?」
「おそらく、超新星爆弾です。近隣では帝国しか保有していません」
 サリィはどこから取り出したのか、サングラスを掛けて体を震わせていた。
 エエは艦隊司令官としての仕事に手一杯だった。
「各部署に連絡、ただちに艦隊全体の被害を調査しろ。衛生兵と軍医を総動員だ。なんだレーレ、参謀長のおまえまで間抜けに目をやられたのか!」
「すいません提督!」
 親衛艦隊はしばらく動けそうになかった。
「いまごろ銀河では毎秒何億という単位で、病院行きの患者が量産されてるでしょう」
「そ――それよりサリィ、あの……連邦市民軍のみなさんはどうなったんですの?」
 エアーの唇も震えていた。ショックを受けている。サリィはサングラスを外し、目を伏せて首を横にゆっくりと振った。
「恐れながら、ほとんど誰も」
「……救出隊を派遣しませんと」
「わかっております。万が一、がありますし、我らの義務でしょう。ですが現場は母艦クラスでないと入り込めない猛烈な熱とエネルギーの嵐となっております。天馬は丸一日以上は飛ぶことも叶わないでしょう」
「そう――サリィ、ナウィさんに連絡して、ただちにミケンへ弔問の声明を発表させてください。これで連邦に脱落され、モフレ・クゥロを逃したら、私は本当にただの大量殺人者に堕ちてしまいますわ」
 身震いは全身に波及していた。むろん寒いわけではない。サリィはそんなエアーの頭をそっと抱いた。
「殺戮者はモフレ・クゥロですよ。あの大愚戦争の申し子さえ来なければ、エアーさまが苦労する必要はなかったのです。動く肉饅頭めが生きている限り、同様の蛮行は今後も重ねられるでしょう。こたびの戦役で失われる命はすべて、不幸な連鎖を断ち切り、あらたな歴史を築くための礎です――あまりご自分を責めないでください」
「ありがとうサリィ。私はもっと早く強くなりたいですけど、どうしようもないですわ。だからサリィや、ほかの人に、戦場ではずっと心配をかけています。さっさと終わらせてしまいましょう」
 エアーの震えは収まっていた。
「そうですね。モフレ・クゥロが銀河中心核を抜ける前に、寝ていた化け狐を鉄砲で叩き起こしましょうか」
「――本当に味方なんですの?」
「真実はパンドラの箱を開いてみればの、お楽しみですよ。皇帝があのモフレ・クゥロである以上、違っていても現出する状況はおなじになりますから」
     * Elldeswbain
『肉の塊が落ちてきた。白き虎は牙を研ぎ、サンドイッチにして食べる』
 跳躍子によって銀河中心核方面に発せられた暗号伝文は、帝国軍もキャッチして解読されるところとなった。
 ウグレラルナ軍が緊急時に用いる簡易暗号で、しかも正式なものだったから、意味する内容は深刻を極めた。
 肉の塊とはモフレ・クゥロ以外の何者でもないし、白き虎はエニフ・リートゥレ大将の白亜騎士団を、牙は大将が席を置くイメーク・ウゼ中将の天牙艦隊を、サンドイッチは挟撃を示すものと考えられた。
 モフレ・クゥロの帝国軍親征艦隊は現在、知性図書館と銀河中心核の狭間にいる。知性図書館から帝国本土へは、天北東の銀河中心核方面へと転進するのが最短ルートだからだ。一回の空間跳躍ではせいぜい四〇光年弱を飛ぶのがやっとだから、知性図書館と銀河中心核の一〇〇光年を一挙に渡るというわけにはいかなかった。しかもこの航路には跳躍子を生成している中継基地がひとつもないので、渡航に半日かかる。
 皇帝は、俊英で鋭気に満ち、見目も良いエニフ・リートゥレを内心嫌っており、彼が出世して目立つようになると、いざというときしか参戦を許さなくなっている。そのくせエニフ・リートゥレの意見は妙に採用する癖があり、バランスが悪かった。こんどの開戦に際しても、一度エニフへ聞いているほどだ。ただし出陣はいまだ許していなかった。
 そのエニフがウグレラルナに荷担しているというのだ。モフレ・クゥロの猜疑が一気に膨らんだ。
「エニフめ……やはりいつか……余を裏切るつもりで……あったか」
 参謀長クリクゥ上級大将が進言した。
「陛下、裏切りの真偽はともかく、ウグレラルナの罠だと言わざるを得ません」
「なぜ……だクリクゥ・オーセ」
「解読した暗号が、ほとんど平文も同然だからです」
「だが……パターンは敵軍……正式のものと……いうではないか……時間がない……のでわかりやすく……なったのではないか」
「だからこそです。陛下の足止めか進路変更を狙った罠と見るのが自然でしょう。ここはまっすぐ銀河中心核方面を目指すがよいかと。中心核宙域には立ち寄らず、素通りしてしまえばどのみち関係ありません。エニフ閣下には追撃してくる敵の迎撃をお命じなさいませ。裏切って攻めてきたときの備えで、近くの艦隊をあらかじめ呼んでおけば万全でしょう」
「…………」
 しかし皇帝にしてみれば、普段からエニフ大将を冷遇している自覚と後ろめたさが勝った。逆に自分を正当化するため、彼を排除したいと信じ込もうという心理も働いた。
「……一度、銀河中心核に……寄る……」
「陛下!」
「エニフは……信用できない……簡単には余の背中を見せ……られぬ。二心あるか……確かめ……怪しければ殺し……なければ余に同行させ……帝国に帰って……から、後顧の憂いを……なくすべく……殺す」
     * Gwlvadma
 半日後、事前予告もなく銀河中心核に出現した帝国軍親征艦隊の姿を見るなり、エニフは美しい相貌に激しい怒りを込め、ワイングラスを床にたたきつけた。
「終わった! 可能性が高いので危惧はしていたが、あんな子供だましを信じるとは、我らが皇帝陛下さまの頭蓋骨内は正真正銘の脂まみれだ!」
 イメーク中将はすでに覚悟している面もちで頷いた。
「助かる道はふたつしかありませんね、リートゥレさま」
「ああ。総旗艦エルデスバインにゆけば、私は半分ほどの確率で殺されるだろう。助かったとしても権限を一時凍結という名目で剥奪され、半ば虜囚となって本国に戻ったのち、適当な理由をつけて殺される――あいつが疑った人間の行方は、おとなしく従えばもはや冥界しかない」
「それがゆえにあえて反旗によって起死回生を託した者もいますが、ことごとく失敗しています。となれば、亡命しますか?」
「反抗が失敗してきたのは、帝国軍に白い死神がいたからだ。その張本人が首魁になれば、負ける道理はあるか? ええ?」
「ございませんとも」
「いい笑顔だな、イメーク。最近やっと元に戻ってきた気がするぞ。宮家司とかの意識を食ったのか?」
「それはよくわかりませんが、私が変わりすぎていたのは、先任者の無念がやや強すぎたせいでしょう」
「セトエトゥ・エエメか――まあよい。私は唯物主義ゆえ自滅したフォーではないし、子にすべてを任せるような反戦主義のソエセでもない。自分の道は自分で切り拓く。これまでおまえと二人三脚で来たようにな」
 イメーク中将の肩を軽く叩くと、大将はグラヴァドマ艦橋の後部に向かっていった。
「私は天馬レークゥセで出撃する。帝国軍の増援、ウグレラルナ軍やほかの勢力がどれくらいで集うか、各軍に潜む同志を総動員して予測・算出し、逐一私に報せてくれ」
「持久戦ですか」
「宮家司の見識を得たのなら私の意図は分かるだろ? 現状であの肉塊を屠るなど私には造作もないことだが、帝国軍が徹底的に私の敵になってしまうし、その後、どこの国に投降したとしても白い死神はあまりいい扱いを受けないだろう。だいいち大愚戦争を終わらせるという夢が永遠にその道を断たれる」
「状況に応じて、売り込むというわけですね」
「そうだ。帝国内にも皇帝を憎む者は多い以上、帝国に戻る道もわずかながらあるし、弱兵といわれるミケンやツェッダ辺りが危機に陥れば、それを助けて恩を売る手もある――この私が行き当たりばったりに運命を委ねなければならないとは」
「行き当たりばったりだとしても、それを乗り越える実力を持つからこそ、これまで勝利者でありつづけて来られました。これからもそうですよ、リートゥレさま」
「運など力づくで捕まえてくれる!」
 一〇分後、第二三次銀河中心核星戦と呼ばれる戦いの、開幕を告げる砲弾が放たれた。

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