第三章 宮家司 Iotowz kurryerez

旭和ラノベ
星よ伝え/序章 第一章 第二章 第三章 第四章 第五章 第六章 終章 小辞典

     * Ugwrlallna
 目が回る新国王の多忙な日々がはじまった。
 まずは停戦交渉からだ。エアーが放送局の屋上でドラマティックに述べた「早急に停戦を申し出るべきですわ」という意思表示は高い支持を受け、屋上の初勅とまで呼ばれていた。帝国への憎しみはあるが、王族二人の同時崩御はウグレラルナを厭戦の雨雲で覆っていたのだ。抗戦派はもちろんいるが、新王の詔には勝てない。
 つづけてエアーは知性図書館失陥の責と称して国防大臣を罷免し、エエ・クゥヴエ辺境伯を後任に推した。高齢を理由に軍部は難色を示したが、キークゥリの工作で、内閣のトップのエイ宰相が賛成し履行された。
 当の退役中将はエアーの御前で一度は断ったが、孫のエエ准将をあらたな親衛艦隊の核とする計画を鳴らすと、あっさり引き受けた。大臣にならないと、孫の出世が閉ざされるかも知れないとの打算だった。
 エアーの個室に呼ばれた新しい国防大臣は、険しい眉でいきなり文句を放った。
「無茶をなさいますな姫さま、ワシはとっくに隠居の身だというに」
「そのような苦虫を噛みつぶした顔をなさらないでくださいませ。せっかくの真新しい鶴の翼も可哀想ですよ」
「――ふんっ、最初から似合ってなどおらぬ。ワシには下に伸びた潔い軍羽が似合っておる。このような重力に逆らった宮羽などあちこちに引っかけるだけだ」
「似合っておりますよ、とても」
 鶴の翼はどこかで擦ったのか、すでに飾り羽根が幾枚か折れてしまっている。
「似合うだと? 嘘をいうでない! それでワシをここに呼んだのはなんの悪戯だ? 姫さま」
「今日はなにもしませんわ。じつは部下にして頂きたい人がおりますの」
 待っていたサリィが歩みでた。侍女でなく、麗人の衣装で。脇には小冊子を抱えており、表紙には『Orealakco tesw enitnitoiar《オーエアラククゥ・テス・エニトニトゥイアー》(一極陣の進化理論)』とある。
「――フォッリ・サリィと申します。お久しぶりでございます国防大臣閣下」
「なんだい、姫さまの宮家司じゃないか」
「ご存じでしたか、エエ大臣」
「ワシは姫さまの宮家司試験で最終選考委員の一人を務めたんだぞ、忘れるものか。こやつは面接で誰よりも繊細で誰よりも度胸が座っていた。だから強く推薦した」
「大臣の見る目は正しかったですわ。ですので信頼してお頼みします。彼女を首席補佐官としてエエさんの側に置いてください」
「王の側近をワシの補佐にだと? 王国軍になにをするつもりだ姫さま」
「詳細はサリィがご存じです。とにかく、軍制改革ですわ。人事も軍備も」
「残念ながらワシは便利なイエスマンではないぞ。気に入らなければたとえ女王陛下のご意向であろうとも突っぱねるが如何?」
 挑戦のにらみを利かせてくる。経験の差で怯んでしまったが、なんとか言い返した。
「……私は児戯で試みようと思っているわけではございません。勝つためですわ」
「帝国と停戦しようとしているのに?」
「停戦は策ですわ。実状は一時休戦ですの。サリィ、説明してさしあげてください」
「わかりました」
 サリィの説明は数分に及んだ。エエ大臣の険しかった眉は次第になだらかとなり、最後には丸くなっていた。
「あまりに壮大なホラ話にも聞こえるが、宮家司の力添えあれば実現できそうでもある。うまくいけば最高のいたずらとなるし、帝国を陥れるというのが気に入った――こんな楽しい祭りに参加しない手はない。ぜひとも特等席から見物させてもらうぞ姫さま」
「ごゆるりとおくつろぎくださいね。でもその姫さまというのは止めて頂けないかしら」
「姫さまは姫さまだ。こんなに小さくて可愛いくていたずらばかりするのに、それ以外で呼べるか」
「エエ准将とほとんど同様のことをおっしゃるんですのね……まあ、いいですわ」
 いたずら、という表現にエアーは苦笑するしかなかった。エアーをはじめ、近年のフェクト王家に増えている行動様式だからだ。どうして行動基準を「いたずら」に求めてしまうのか、エアー自身が理解できていない。強いて言えば生まれつき、つまり遺伝子のなす業だという他ないだろう。フェクト王家は総じて保守的だが、エアーの新奇探索傾向は規格外品のように強い。まるで銀河中心核への冒険を成功させた開祖のようだとサリィに評価されている。
 エアーの懸案はこれでひとつ片づいた。
 最前線にあるニトゥーニ星系で、対立する二国の外務大臣が停戦条約を調印したのはつぎの日だった。
 知性図書館の大敗からちょうど一週間が経過していた。これほど早く締結にこぎつけたのは、ソエセ三世の指示によって元から外務大臣同士が休戦を前提とした折衝をつづけていたからだ。八倍の国土、六倍の人口、三倍の国力を持つ帝国を相手にして、王国はそれだけ疲弊していたのだ。
 ニトゥーニ条約の内容はすぐに国内外へと伝えられたが、ウグレラルナ王国旗を仰ぐ者の多くは、激しい怒りか深い悲しみの、両極端どちらかの感情を覚えることになった。
 一、フェクト朝ウグレラルナ王国(以下甲)は、国境から一律四五〇光年と、知性図書館および図書館へ通じる航路宙域を、モフレ朝ブルガゴスガ帝国(以下乙)へ割譲する。
 二、甲は新たな国境に防衛部隊を置かない。
 三、甲は賠償金一〇〇〇兆ラトエを、五年以内に乙へ支払う。
 四、甲の乙に対する関税自主権は、これを放棄する。
 五、甲は乙皇帝の許可なく、対外へ戦争を仕掛けてはならない。
 以上の五項目により、第四次ブルガゴスガ=ウグレラルナ戦役におけるウグレラルナの敗戦が規定の事実となったのだった。領土割譲によりウグレラルナの版図は一〇パーセント近く減少し、人口も一〇〇億人以上減る公算となった。
「知性図書館を手放して戦争を終えるなど、王国はじまって以来の大恥だ。エアーさまの戴冠式すらまともに行えないではないか!」
「売国奴め二〇〇万英霊にどう弁解する気だ」
「夫を返して!」
「これではまるで無条件降伏ではないか。王国軍の半数以上がまだ戦えたのだぞ」
「帝国め、新王が幼いからといって足下を見やがって!」
「莫大な負債もあるのに、国家予算に匹敵する賠償金など、どうやってたった五年で支払えられるというのだ……」
「いまの政府はソエセ三世陛下のご威光に寄り添っていただけの、腰抜け貴族の寄せ集めだ!」
「名誉職で閣僚になってる無能者など要りません。即刻辞任すべきです」
「おかわいそうなエアー陛下」
 屈辱的な内容に経済も混乱した。株価や為替が記録的に落ち込み、批判の矛先は王国政府に、同情はエアーへと集中した。
 例の秘密の会議室で、同様の面々でエアーは途中経過の報告を受けた。
「予測通り、国王陛下を責める国民はまるでおりません。王宮への投書も宰相府宛ばかりでございます」
「私の若さも武器になりますのねキークゥリさん。まさか半分は私の考えでしたとは誰も思いませんでしょう――それでサリィ、フィーリック外務大臣は大丈夫ですの? 一部のお馬鹿さんが暗殺しようと動いてると聞きましたが」
「信用できる兵に守らせて、人口の多い経済特区星系に隠れてございます」
 サリィは国防省官僚の制服だ。背が高いので、未成年なのだが似合っていた。
「かえって目立ちますのではなくて?」
「木を隠すなら森の中と申します。不埒者は見当違いの辺境星系で撒いた、天馬の不自然飛行という疑似餌に引っかかっております」
「わかりましたわ。お馬鹿さんの掃除はエエ大臣に任せるとしまして、一極とやらのほうは無事に進んでおりますの?」
「論文を書いた研究者と連絡が取れました。進んで協力してくれるとのことです。近々ウグレラルナへ招くことになりそうです」
「帝国の大学教授だといいますのに、大丈夫ですの?」
「一極陣をたびたび敵対相手に使用された歴史背景から、某死神が言ったように一極理論が帝国で採用されることはあり得ません。かの教授は自身の新理論を実証したくとも、帝国にいる以上かなわぬ夢なのです」
 エアーは頷いた。
「たとえ自分の故郷に不利益をもたらすことになっても、夢を選ぶ――分かりましたわ、誠意をもって保護してください。なんにせよウグレラルナには選択の余地はすくないのですから、食べられるならば敵地で育った野菜でも収穫しなければいけませんわ」
「そうですね。味方の野菜のほうが、害虫の心配があって怖いくらいです」
「……どういうことでして?」
「近衛艦隊の再編成が、最優先事項なのにまるで進んでおりません」
「それと味方の害虫とが、どう関わっているんですの」
「悪意という問題ですね。改革に反対するお方がまだまだおられるようで。とりあえずエエ准将の分艦隊だけでもなんとかします」
「皆の理解を得るのは難しいんですわね。もっと宮家司やエエ一族のような、確実な味方が欲しいですわ。味方といえばナウィさん、例の方はミケン連邦に帰還していたところを補足したあと、どうなりましたの?」
「――すべての説得に成功しました」
 無口なので最低限のことしか言わない。
「ナウィさんはつぎの政府首班になられるのですから、一度にもうすこし多くのことをおっしゃってくださいませ。表情で伝えるにも限度がございますでしょう?」
「……努力致します」
 ナウィは恥ずかしいのか頭を掻いて、小声で答えた。それをサリィとキークゥリが寄り添って、面白がって見ていた。
 状況は洪水のように激変していった。
 帝国への怒りを転嫁した、貴族財界民衆が結託した政府への責任追及はきわめて高い圧力となっていた。王城ウグレクセトゥレメには連日のように大貴族や財界人、無数のマスコミが押し寄せた。各地でデモや暴動が発生し、政府関係の建物が投石や放火を受けるなど、混乱に拍車がかかるばかり。
 四日後、宰相エイ・ファレ公爵は第二離宮にある宰相府の解散を宣言し、内閣は総辞職した。世間はエアー一世の動向に注目した。議会のないウグレラルナ王国では、王が首相の宰相を任命し、宰相が組閣する手筈となっている。
 侯爵・公爵といった高い階位を持つ大貴族が頻繁にエアーへの謁見を求めてきた。案の定誰彼もが遠回しに宰相の地位を欲したり、特定の者を推したり、近年例のない摂政を擁立する働きかけをしたが、気のない返事をくり返し、適当に相手をするだけだった。
 そして運命の日が来た。
「ナウィ・ナウエ伯爵、あなたをウグレラルナ王国八八代宰相に任じます。人心を早急に鎮め、国土に安寧をもたらしてください」
「ははぁ」
 八月一八日、公開された宰相任命の儀式で、皆の驚きの中、権力の首座に登極したのは先の宮内大臣だった。伝統で侯爵以上が務める宰相に、伯爵位で指命されるのは四〇六年ぶりのことだ。さらに九三歳は王族を除いては史上二位の年少記録とされた。
 宰相の座を狙って工作をつづけていた大貴族どもはこぞって怒気の杯を床に叩きつけたが、財界や一般市民は好意的に受け止めた。数千万倍の倍率から選ばれる宮家司は、国難を任せる立役者として遜色などなく、かつ庶民希望の星だったからだ。
 倍率的に貴族が選ばれる可能性はなく、歴代の宮家司は例外なく平民出身だ。宮家司はそのまま貴族の一員となって血を残すが、初代より優秀な子孫を輩出した例はほとんどない。子に対する多少の遺伝子操作が認められているものの、確率の奇跡・宮家司は操作技術の上をゆく。
 二日後の夜、ナウィ・ナウエ新宰相が閣僚名簿を発表した。
 いくつかの役職は再任され、国防大臣のエエ辺境伯も含まれていた。軍部から文句はなかった。前フィーリック外務大臣の暗殺を策謀した不穏分子どもを憲兵が検挙しており、適正は疑うべくもなかったからだ。
 新たな外務大臣には先の財務大臣キークゥリ・モニ子爵が就任した。宮廷でもっとも口数が多く、かつ口の上手い人物で気だてもよい。対外戦争が禁止された以上、柔和とならざるを得ない外交にはうってつけと皆が納得した。
 新閣僚には民間や公僕の登用が目立った。
 経済大臣には惑星緑化公社・対外営業局長のショオニ・クリフォが任命された。本業との兼任だ。ショオニは経営能力に特化した遺伝子を持つ財家の出身だった。
 エアーの昼食に呼ばれたショオニは、計画を部分的に打ち明けられて唖然とした。
「どう、実現できまして大臣?」
「……公社の幹部たちが納得いたしますかどうか」
「でもやりませんと、ウグレラルナは破産しますわ。ミケンと仲良くするためにどうしても必要ですの」
「わかっております。不肖ショオニ、閣僚に大抜擢していただいた御礼として、かならずや社内を説得し、実現しましょう」
 閣僚にはほかにも財界の成功者や優秀な学者が、大臣や長官として何人も名を連ねていた。官僚からの入閣も数名おり、いずれも有能な各分野の専門家だった。国の危機に対し、徹底して実力主義でゆくというナウィの強い意志が現れていた。
 身分では宰相ナウィの伯爵を上回る者は一人としていなかった。外に弾かれた大貴族が猛反発することは必至だったが、内閣を効率良く運営するためには仕方がないというのが世間の判断だった。
 だがそれよりも注目されたのは、王国史上三人目という異例の、外国人登用だった。原種人類としては初となる。
 財務大臣フライハイト・ヴィルトシュタイン。その名は国内外を驚嘆させた。
 彼はミケン星間国家群連邦の全権特使で、連邦中央銀行の特別顧問だ。国家レベルの借款を担当する重役だが、すでに辞職していた。ナウィの工作により連邦政府の許可も内密に取っている。帝国軍経由でいち早く国王崩御を知ったヴィルトシュタインは、借款の件を白紙としてさっさと帰国の途についていたのだが、自身の給与三〇年ぶんに相当する大枚で懐柔され、引き返してきたのだ。
 謁見の間にてエアーの御前で見事な財政再建案を披露してから、彼は嘆息した。
「私の仕事は国から国へと渡り、各国政府へ大金を貸し付けることだったのですが――まさか籠の鳥になろうとは思いませんでした」
「希代の立て直し屋でもありますわね。ウグレラルナの自由経済は半世紀しか歴史がございませんので、この方面の人材が極端に不足しておりますの。城は崩れかけ、壁には穴がたくさん空いて隙間風が寒いですわ」
「私はさしずめ、宮大工というところですな。たしかに腕には覚えがございます。穴を私より素早く修復できる大工は、この国にはおりませんでしょうな」
「ついでにミケン連邦との橋渡し役になっていただきますわ。条件はご存じですわよね」
「本当に可能なのですかな。原種を自然種と呼び変え、惑星緑化技術を連邦に公開し、王国に議会を開設することなど。ほとんど革命に近いですし、反対も多くおありだと思いますが。とくに特権階級は」
 まったく異なる政治体制である民主主義の信頼を得るには、実利と開明しかない。エアーは技術公開だけ考えていたが、それでは甘いとナウィに言われ軌道修正した。若いというより子供のエアーだからこそ、机上論と笑われそうなことを真顔で決定できる。
「伝統とか、慣例とかは偉い貴族さんたちから散々聞かされましたわ。それを無視してナウィさんを宰相に任じた以上、どこまで徹底しても、もはや同じですわ」
「議会開設が将来なにをもたらすか、陛下はあまり考えておられないとお見受けしますが」
「多額の借金がある上に、一〇〇〇兆ラトエもの賠償金を背負った今、ミケンの資金援助が不可欠ですわ。将来私が実権を失い、象徴王制の初代として歴史に名を刻むことになっても、王国さえ安泰であれば、後悔はしないと思いますわ――」
 お金の使い道に関しては半分嘘だったが、ヴィルトシュタインは納得したように頭を下げた。ともかくもエアーはミケンからお金を借りるのではなく、ただで貰うことに成功していた。一週間ほど前、国庫に入った援助金の第一弾は四五兆ラトエにも達した。
「ですが――この財政難、一筋縄ではいきませんでしょうね。危機になった理由は戦争だけではございませんし……」
「なんですの?」
「いいえ――まあいいでしょう。見込まれたからにはこのヴィルトシュタイン、生涯最高の大仕事をしてご覧に入れましょう」
     * Enih Ryetor
 白い艦橋で、母艦グラヴァドマの客人となっている銀髪の青年は酒杯を掲げた。
「銀河中心核に乾杯」
 壁面の全面パノラマには、ガスの巨大な濁流が映っていた。
 三本あるそれらの流れがゆっくりと、宇宙に浮かぶ嵐の雲へと落ち込んでいる。まるで巨大台風を地球表面から切り取ったようなガスの大渦が、真昼の砂漠を思わせる輝ける空間に、ぽかりと浮かんで時計回りに超高速回転している。ガス円盤の中心部はあまりの速度に、左側で赤みを帯び、右側で青っぽく偏移している。光速の数十パーセントという速さでしか見られない、いわば光のドップラー現象だった。最終降着円盤の上下へは光速度に近いジェットが吹いていて、偏移により上側が青く、下側が赤く変色している。
 それらのすべてはあまりの輝きの中、霧に漂う前衛芸術のように儚く、おぼろげにしか映らない。すこしでも円盤から離れれば、ガスは自らの光を失い、たちまちかすみ立つ幻燈に埋没してしまうのだ。
「うたかたのようですね、リートゥレさま」
 エニフ・リートゥレ大将の隣に、同年代くらいの茶髪の士官が寄ってきた。着ている軍服は騎士のそれではないが、軍羽は四枚で、高級将校のものだ。ブルガゴスガの軍羽は鳥の羽根一枚をそのまま巨大化した感じで、鈍い銀色に輝いていた。
「あの円盤の奥に、銀河系数千億の星々を強力な重力で従える、凶暴な超巨大ブラックホールが隠れているなんて、知識で知ってはいても、にわかには信じられません」
 現在の銀河系中心核に落ち込んでいるガスは、数千年前に爆発した新星の残骸だ。恒星の死を促したのも中心核ブラックホールそのものとされている。二〇〇〇年もすれば円盤は紙のように薄くなるというが、すでにつぎのガス供給源が重力に引かれてやってきていた。到着は数万年後の話だ。いずれにせよ、長寿を誇るトフォシ・ソエセ人の尺度でも気が遠くなる話だった。
 エニフ・リートゥレは頷いた。
「そうだなイメーク。我ら人類が行っていることなど、自然の雄大に比べたらなんと小さなことか。だからこそトフォシ・ソエセ人の第一世代ウクール・ソエツ一世は地球圏のすべてを捨て、この聖地を目指し、一番乗りに成功したのち知性図書館を得てウクーレライナ、現在読みでウグレラルナの初代王位に就いたという。真実はどうであれ、歴史上はそうなっている」
「過去数十億年で天の川銀河系およびその周辺銀河に誕生し、超光速技術を得るまでに至った知的生物は確認されている範囲で人類を含めて七種。いずれも空間跳躍を得てまず行った大事業が、それぞれの銀河系最深部への冒険航海だったとされています」
 それは名誉欲や好奇心だけでなく、種内における利権競争でもあった。中心というのは資源の宝庫で、どの方角へも近い地理上の要衝だ。生命の基本は欲だった。
「たしかこんな感じだったな……『かつて人が地上に降り立ったとき、すべての大地は新天地であった――しかし人は地球だけでなく、太陽系すべてを征服した。いざ来た、銀河の中心へ。神はちいさな我らに無辺の新天地をお与えくださった。歴史はここから広がって高らかに紡がれるであろう。私ウクール・ソエツは宣言する。本日より新たな一歩がはじまることを』 どうだ? イメーク」
 おおげさに両手をひろげ、スクリーンに映る宇宙を包むように見せる。艦橋後部にいた要員たちがおもわず拍手をした。
「……よく覚えておいでですねリートゥレさま。銀河標準暦開幕の宣言を」
「ウグレラルナは元々、母の故郷でもあるからな。だがまさか、征服者という形で中心核に帰ってくるとは思わなかったが」
 ニトゥーニ条約で帝国が手に入れた新領土の中には、銀河系中心核も含まれていた。
 前線に近かったため戦時中は誰も近寄れなかったが、銀河遺産の筆頭に登録されていることもあり、平時には天の川銀河系屈指の一大観光地として賑わっている。星間風や衝撃波が吹き荒れ、強度の宇宙放射線で満ちた過酷な自然環境とはいえ、対策の整った船や施設ならば平気だ。
 さすがにまだ観光船は来ていないが、無人で放置されていた大小一万余に及ぶ施設群の再整備は急ピッチで進んでいた。経営者の大半はブルガゴスガ人へと代わっていたが。
「それにしても民間人の護衛は暇でいかんなイメーク。大将という立場上、レークゥセで気楽に散策するわけにもいかんし」
「翼を奪われてお辛いでしょう。大将のご身分で民事の警備など、聞いたことございませんよ。皇帝陛下も現金なものです。リートゥレさまを忌避してらっしゃるくせに、ここぞという作戦ではお使いになられる」
「図書館が手に入った以上、お役ご免というわけさ。もっとも、私はそれ以上のものを手にしたがな――やはりこんなところより、図書館のほうが楽しそうだなあ。お忍びで乗り込んで、いっそおまえも来るか?」
「それはだめですよ」
 イメークはエニフの耳元に顔を寄せ、誰にも聞こえないよう囁いた。
「――開門してしまいますからね」
 エニフ・リートゥレの表情は変わらないが、瞳に宿る輝きは子どものように弾んでいた。
「……イメーク、おまえ性格変わっていないか? すでに承知のことを、お子様でも諭すように言うなどしなかったはずだぞ」
「私は本質的に天牙艦隊司令イメーク・ウゼ中将以外の何者でもありませんよ。なんら変わりません」
「だが影響はあるだろ、前のやつの癖とかな――そうか、それほどお子様な主人だったということか」
「はい」
 エニフは面白そうに相好を崩した。
「一瞬も迷わずだったな」
「私の中では記録にすぎません。体験した記憶とは異なります。故人とはいえ、どうして同情したり庇う必要がありましょう。私の上司は、リートゥレさまだけでございます」
 エニフがなにか答えようとしたとき、通信が入って正面スクリーンに何者かの姿が映し出された。
『死神が笑うところなど……珍しい……よほど……退屈と見える……』
 牛のような極度に低い声が放たれるや、艦橋にいた者が全員、一斉に敬礼した。エニフも例に漏れない。
 ――それは見紛うことなどありえない、脂肪の塊だった。ダイエット技術の進歩で肥満率が〇・二パーセントにすぎない時代にあり、どうすればこれほど太ることが叶うのか。目を疑いたくなる負の奇跡だ。
 誰も欲しがらないタイトルを防衛すべく、皇帝は現在もカロリーを摂取しつづけている。深く浮遊椅子に埋もれた体勢で、しゃべらないときは両脇に築いた菓子の小山を掴み、口へと運ぶ動作をひたすら反復する。甘そうな汁が口元や手から汚く垂れていた。
「皇帝陛下におかせられましては、ご健勝でお変わりもなく、臣らの喜びでございます」
『つまらない世辞を……いうな死神。余は自分が……豚……であることくらい……自覚しとるわ』
 艦橋内は井戸の底のような静寂だ。究極の笑えない話だった。不敬罪で即、逮捕となるだろう。
「クゥロ陛下、ご用件はなんでございましょうか?」
『なあに……暇つぶしよ。技術者どもが……無能でな、いつまで……経っても図書館に……入れぬわ……門の周辺にだけ……空気がある理由などと……詰まらぬことを……研究しくさっていたので……数名ほど見せしめで……死を賜ってやった』
 モフレ・クゥロ二世がいるのは知性図書館のすぐ側だ。自らの乗艦エルデスバインと、親征艦隊でシ・レフォーエメを囲んでふんぞり返っている。
『また……ウグレラルナに戦争でも……仕掛けてやるか……暇つぶしに……』
「いつでも滅ぼせます、まだ止められたほうが良いでしょう。それに図書館が開く瞬間を逃すことになるかもしれませんですぞ」
『いやだ……真珠は余のものだ……足かけ二二〇年に渡る……四度目の戦役でやっと……手に入れた……ほかの……誰にも……余に先んじる権利は認めぬ』
 帝国は四度ウグレラルナに戦争を仕掛け、そのいずれもが図書館目当てだった。
 エニフは下げていた酒杯を掲げた。
「私もこうして暇をもてあそんでおります。退屈な時間というのも、忙しいときにはうらやましくなるもの。たまには無為の惰眠へ身を委ねるのも良いのではと愚考いたします」
『……そうだな……帝都に帰れば政務が……面倒だ……このときを……楽しもうぞ』
 ふいに通信が切れた。艦橋に目に見えて安堵した空気が漂う。気まぐれな皇帝は、死神以上に畏れられているのだ。
 エニフ・リートゥレは指を鳴らした。
 空気が見えない壁に塞がれたように、艦橋内の音がふたりの周囲から消えた。
「遮音力場でも張らないと、またいつ誰かの要らぬ干渉を受けるかわからん。これで心おきなく我らだけの会話もできよう」
 イメークが早速ため息をついた。
「皇帝陛下にも困りましたね」
「私の手綱から離れない限り、大丈夫さ。この先も負けることはない」
「ウグレラルナも疲れておりますが、それ以上に帝国軍も足掛け六年に渡って連戦しており、疲弊しておりますからね」
「徹底抗戦だったポルタ教国に比べたら現実の見えるウグレラルナは何倍もましだからな。『図書館を得たら戦争は終る』と兵士たちに言い聞かせたからこそ、こたびの作戦は成功したのだ。それを理由もなく再戦などしてみろ、士気の低下は多大な影響をもたらし、いらぬ損害を出すだろう。ウグレラルナも窮鼠となって噛み付いてくるからな」
 エニフは空いている指でグラスを軽く弾いた。中の酒が跳ねた。
「もっとも、我が私心の産物が最高の形で達成されたとき、帝国は皇帝の愚かさではなく、私のせいで、期せずしておぞましき悪夢を見るだろうさ――兵士たちには悪いが」
 イメークは頷いた。
「リートゥレさまは思っていた以上の方です。私など必要としなくとも、やがて宇宙をお手に――」
 その口をエニフの酒杯がさえぎった。イメークの鼻をつまんで口を強制的に開かせると、むりやり酒を流し込む。
「やはり前の人格が多少出てきているようだな。イメークはそんなことを言う人間ではない。私の盟友で恩人で、運命共同体だ。『必要なくとも』などという思考自体ありえぬ。もしおまえがイメークをイメーク・ウゼ以外の何者かに仕立て上げてしまったら、私はいかなる手段を用いてでも、図書館を滅ぼす。覚えてろセトエトゥ!」
 杯が空になった。口元を汚し、咳き込んだイメークが「すいません」と謝るが、エニフの顔は険しかった。
「それでイメーク、ウグレラルナの状況はどうなっている。幼王を操った宮家司風情が国をほぼ乗っ取ってしまったというが、実力ある恐るべき連中だ。我らの工作が失敗する可能性が高くなるのではないか?」
「――かえって好都合かと。我らの目的に気づいても、あえて乗ることで危機の回避を図るほうを選択するでしょう。上級貴族や王侯が持つ独特の矜持やプライドとは、彼らは無関係ですので」
 声は届かずとも姿は見える。大勢の部下の前で恥をかかされたというのに、イメークに屈辱の色は微塵も見えない。まるで聖人にひたすら付き従う使徒のようだ。
「そうか――それでこそ広告塔として好都合だ。かのキークゥリとかいう外務大臣も精力的にあちこちの国を動き回って吹聴しているらしいしな。我らからも憂国な不穏分子の懸念をもっと煽れやれ」
「そちらは順調です。キークゥリの件は良いとしまして、王国内がすこしおかしなことになっています。宰相となったナウィは侯爵位の下賜を断り、さらに国の部分民主化と、原種社会と協調する政策を発表したようです」
 エニフが興味深そうに笑った。
「それはすごい動きだな。かの国は現存する中で最古の専制国家のはずだが、国民も貴族も反対するのではないのか?」
「それが平民に関しては逆の様子です。組閣したつぎの日にナウィは税率を開戦前に戻す方針を示し、二日後から実行して支持を得ました。先王の宮家司ということでソエセ三世の代理というイメージが強く、若さへの期待もあって無条件で信任されています。ソエセ三世は即位したとき美少年だったので、成長を見守ってきた民草に慕われていました。新王に至っては開花寸前の蕾です」
「見目の贔屓というわけか。内閣から締め出された年寄り貴族としては面白い道理がないな――たしか軍制改革で追放された一部不平派が貴族社会の裏側で蠢動しているというが、野合などして事でも起こるかな?」
「フェクト・エアーはその幼さゆえに、権力というものの魔力、人の欲や嫉妬をよく理解しておらぬ様子です。おそらくは――」
「イメーク、手を打つ必要はあるか? 宮家司としては隙を見せすぎている以上、どうせナウィらによる策略だろうが」
「私もそう思いますので、放っておいても大過はないかと。対策は万全でしょう」
「そうか。だが万が一暗愚な連中へとウグレラルナの主導権が移ると、夢の達成はまた何年も先延ばしになってしまう。なんでもいいからできる手を尽くせ。キークゥリのほうもまだ早いから、殺されないよう護衛しろ。ばれても構わん」
「はっ」
 イメークが対策のため場を去ると、エニフに近寄る者はいなかった。彼の基本は孤高だった。杯に新たな酒を注ぐこともなく、白い死神は中心核の暴れ雲をながめていた。
 やがて、つぶやいた。
「母上よ、あなたの無念は私の恨みとともにようやく、この大愚戦争を席巻することになるでしょう。誰もが思い知るがよい。一極陣よ、願わくば風雲となりて、この中心核のように全銀河を……」
 グラスを、思いっきり床にたたきつけた。
「全銀河の血を呑み尽くせ!」
 派手な音が響いた。エニフ・リートゥレは狂ったように笑いはじめた。それはこれからはじまるであろう、激動の予兆に贈るファンファーレだった。だが遮音力場のせいで、エニフ自身以外の誰にも届かない。まるで水面下で秘かに進む計画と同様に――
     * Ugwrlallna
 フェクト・ソエセ三世とフォー王子の国葬が行われたのは八月ニ五日だ。
 近衛に守られた霊柩車が二台、王城ウグレクセトゥレメを発し、幹線道路を進んでゆく。沿道に見送るため集まった市民は一五〇〇万人にも達していたが、これでもくじ引きで制限したほどだった。ネットで募集したところ、希望者はニ〇億人近くもいた。
 ニ時間ほどかけて着いた葬祭会場は、パルミラ戦没者慰霊公園だった。半世紀前の歴史的大敗北を教訓として作られた公園で、過ちを繰り返さないという意味も込めて、エアーはあえて一般兵の追悼を含ませた形式を取ることにした。
 晴天の下、喪主フェクト・エアー一世は相変わらずの黒衣で国教と古式に則り葬祭を取り仕切った。背景音楽の一部にマニアックな曲を潜ませたこと以外、とくにいたずらが発生することはなかった。
 曲の半分近くはエアーの母フェクト・トエトゥエイのものだった。シンガーソングライターだった彼女は、リオ姓だった現役時代にミケンとの戦争を嘆く追悼や反戦の歌をいくつも書いており、ソエセ三世はそれに感銘して身分を隠しファンクラブの活動を行っていた。成人した後、八歳年長のリオ・トエトゥエイを無事に口説いてから身分を明かし盛んに話題となった。ソエセ三世は基本的に穏健な反戦主義者で、それがゆえに半世紀の間、ウグレラルナは平和でありつづけたのだ――トエトゥエイが殺されるまでは。
 三時間に及んだ式が終ると、葬儀の列は一路港を目指した。ここで霊柩車は信用できる代理人の手にゆだねられ、王室貨物船に乗ってウグレラルナ王族が代々眠る王家の星へと旅立っていった。
「……個室から採集した頭髪しか入ってない棺桶が、永遠を約束する安息の世界に向かう。でも、墓は墓ですわ。明日、私は戴冠式です。さようなら、お父さま、お兄さま」
 空を見上げての見送りのつぶやきは、風に乗って消えた。
 盗掘を避けるため、惑星の所在が一般に明かされることは決してない。一基数百メートルから数キロに及ぶ巨大な墳墓が、整然と並んでおり、あらゆる技術を用いてカムフラージュされている。二基の墳墓の造営と、副葬品を一式揃えるのに時間がかかるため、国葬まで三週間も要したのだ。
 いつしかエアーは、若き日の母が戦死した友に送った鎮魂歌「風の丘へ」を歌っていた。母親譲りでエアーの歌は上手い。透き通る声は、多くの者の涙を呼んだ。
     * Fekt Ear
 すべてのスケジュールがようやく終了し、エアーが自分の部屋に戻ってきたときは夜の一一時を回っていた。
 部屋には侍女部隊が待ち構えていて、さっそくエアーの世話をはじめる。
 エアーはなされるがままに身を任せた。自動的に夜着へと着替え、マットに寝そべってマッサージを受けた。べつにエアーの命令というわけではなく、侍女たちの気遣いだった。焚かれた香木のアロマセラピーもあり、落ち着いたエアーは「にゃ〜〜」と、仔猫のような歓声をあげた。
 マッサージを見守っていた新任のフォレー・メリ侍女長が口を開いた。
「プライベートでメールが届いております」
「どなたからですの、メリ?」
「フィーリック・ウアリさまからです」
 エアーが顔をあげると、印刷したメールを携えていた。印章はたしかに大公家で、サインはウアリのものだった。いきなり国王になって駆け足の日々を送っているため、ケーキの約束をしてからこちら、だいぶ顔を合わせていない。自然やりとりはメールが中心になるが、短期間でずいぶんと内容が変わってしまった。
「ありがとう。その辺の机に置いておいてください」
「いまは読まれないんですね。分かりました」
 鈍感なメリは変化に気付いていない。ウアリとエアーは本来、親友ともいえる間柄だ。手紙を後回しにする、という選択の重さに、周囲の侍女たちはざわめいた。
(――だってウアリったら、ナウィ宰相やキークゥリ外務大臣のこと悪くいうんですもの。どうせ今回もですわ)
 ウアリは大貴族側の人間で、その父親はつい先日まで外務大臣だったがいまは無官だ。大貴族を政治の中枢から閉め出した以上、ウアリとエアーの関係に微妙な壁が生じるのは仕方がないともいえた。
(今日の葬列でも厳しい顔してましたわ。でも……一度会って直に話し合えば、きっと分かり合えますわ。そうですわよね、ウアリ)
 戻ってきたメリが聞いてきた。
「気分はいかがです?」
「まるで天国ですわ」
「よほど疲れておりましたのね。手も足も見るからに硬くなっております」
「みなさまなかなか腕がよくてよ」
「ありがとうございます。それでは私も」
 侍女長は袖をまくってマッサージをしている中に混ざってきた。
 しかし、メリがエアーの脇を触ったとたん、エアーは身をよじった。
「みいいぃ!」
「陛下?」
「あの、そこ、ちょっと」
「気持ちよかったですか?」
 侍女長はさらに脇腹を攻めてくる。
「あはははは、ううっ!」
 涙を流して手でばんばんとマットを叩き、止めてとの意思を示す。侍女たちが一斉にマッサージを中止するが、メリだけはつづけていた。
「ややや、やめてくださらない? く、くすぐったいですわよメリ」
「え、す……すいません!」
 侍女長はようやくエアーから離れた。開放されたエアーは身を起こしマットに座り込んだ。動悸がはげしく、胸が上下している。
「メリ、あなたの奇才をまたひとつ見つけましたわ。天才でしてよ、くすぐりの」
「す、すいませんでした。この責任、不肖私めの命で」
 自分の首を締めようとする。エアーは慌てて周囲の侍女に止めさせる命令を発した。
「ですから軽く命を捨てようとしないでくださいませ。軍家の怪力ですので、本当に死んでしまいましてよ」
 見た目はか弱いくせに、フォレー・メリの握力は一五〇キロにも達する。侍女たちが散々苦労して侍女長の自殺を未遂で終らせたとき、室内はちょっとしたありさまになっていた。そこに扉がノックされ、返事も待たずにフォッリ・サリィが入ってきた。
「……どうされたんですか? 突風でも吹いたような荒れようは」
「サリィお姉さま〜〜」
「やはり侍女長はフォッリさましかおりませんわ」
 侍女たちが前の侍女長フォッリ・サリィの元に集まってゆく。エアーは腰砕けたようにマットに座ったままで、ため息をついてサリィをにらんだ。
「サリィ、どうしてメリが後任の侍女長なんですの? 変すぎますわ」
 国防省に出向するためサリィは侍女長を辞めており、いまは軍官僚の制服だ。
「陛下、ひどいですよう」
 フォレー・メリが涙目で訴えるが、無視する。
 サリィは悪びれもしなかった。
「いたずらを考える暇もろくにございませんでしょう? すばらしい効果です」
「むぅ!」
 たしかに最近、いたずらの数が目に見えて激減している。精神的に疲れるのでベッドに入るやいなや、急速潜行して眠りについてしまうのだ。いつ考えているのかサリィに明かしたのがまずかった。
「おかげさまで、葬儀中、目立ったいたずらもなくてよかったです」
「ひどいですわ。いくら私でも、大切なお父さまお兄さまを送る葬儀で仕掛けるほど、愚かな娘ではありませんですことよ」
「……演奏中のあれは?」
「うふふふふふふふ。気づかれましたわね、ワトソン君。でももう遅くてよ」
「たしかに手遅れです。なにしろマイナーな深夜アニメ軍国魔法少女イエ・ラーリの挿入曲、『救国マーチ』ですからね!」
「ま、魔法少女?」
「はい」
 エアーの目が点になった。
「……オタクさん向けの?」
「まさにその通り」
「――そ、そんな出自でしたの!」
「やはりご存じなかった。ネットの一部では『悪戯姫エアーさまはアニメオタクだった』とお祭り騒ぎになっております。ナウィ閣下を通じて手を回しておきましたので、国内のマスコミは報道してませんが、国外では結構な話題になっておりますよ? 穴を掘っておいて勝手にご自分で落ちるのは毎度のことですが、今回の墓穴はいささか深すぎますね」
「私はアニメをそれほど嗜みませんわ」
「存じておりますとも。それで曲の出何処、どこですか?」
 エアーの冷たい視線はある人に注がれていた。ほかの侍女もみな同様だ。
「――ああ、やはり彼女ですか」
 またメリだった。
「……すいません、ほかはあまり知らなくて。その、スカートが短くて兄が好きなもので。私は戦闘シーンが可愛くてドラマも良いので、一緒に見ておりました――」
「スカートが短いですって? 下着好きの呪い炸裂でございますわ! メリに頼んだ私が悪かったです。サリィ、やはりメリの件どうにかなりません?」
「フォレーさんは前の副侍女長なので対外的には妥当な人事でしょう? それに親のご身分も侍女の中では一番高い侯爵ですし」
「それでもニ九歳は侍女長になるには少々お若いですわよ。平民で飛び級なしならいまだ中等教育学校生でなくて?」
 いくら全員が未成年とはいえ、ニ九歳は侍女団でも平均に近い歳だった。貴族や富豪の子は通常の反復教育に加え、高価な圧縮睡眠学習を受ける。そのため二四歳前後で高等教育まで修めてしまい、大学に進学してもたいてい二八歳までには修了する。したがって成人するまで社会勉強を兼ねた奉公に出る慣習があり、エアーの侍女団はそういった富裕層の子女で構成されていた。大半が民間の富豪や、爵位を持たない王国騎士の娘だ。
「ですからって若さを理由に降格させたら、お父上の中将閣下が黙っていませんよ?」
「がんばります!」
 メリはガッツポーズを取り、余った勢いで袖が破けた。エアーは顔を押さえた。
「そもそも軍家というだけでも、侍女として適正に欠けすぎておりますわ。やはり試験も受けずに入ったのはまずかったですわね」
 王族の侍女といえば経歴としてステータスになる。したがって倍率も高い。
「最初に受け入れられたのはエアーさまですよ。例の事件のお詫びとして――あ、はしたないですよ、裾が乱れてます」
「下着好きのあいつがいたら大変ですわね」
「兄のエイレトゥエッセメセの件もすいません。かならずや私が償います」
 フォレー・メリの謝罪で、思い出した。
「……ああ、そういえばそうでしたわね。あまりにも長いのですっかり忘れていましたわ。クラーニセ(下着好き)の本名」
     * Kulrniz
 半年前、一年近く前線にいた西天艦隊司令官フォレー中将がソエセ三世の許しを得て休暇を取り、一家を呼んで王城の近くでバカンスとしゃれこんだ。王国に一〇〇家とない侯爵、しかも一個艦隊を預り忠誠篤い提督の来迎ともなれば、王族もプライベートで相手をする。エアーの相手はフォレー侯爵子息となった。エアーはいつものように一計を案じた。正座事件と宮廷内で呼ばれている。
 トーヨーノシンピ・茶道と称し、相手にのみ正座を強いる。成功すればエアーとしては久しぶりの大物となったはずだったが、ソエセ三世が聞きつけて同席することとなり、事態は一変した。エアーも正座をする羽目となったのだ。
「エアーさま、大丈夫ですか? 顔色がお悪いですよ?」
 彼は存外平気な顔で心配してきた。しかもなぜかスカートから覗く膝ばかり見てくるので、エアーはその嫌らしい視線が気になって仕方がない。
「いえいえフォレー・エイレ……トゥ……」
「フォレー・エイレトゥエッセメセです」
「え、エイレトゥエッセメセさま、お構いなく。大丈夫ですわ」
「エアー……無理をするなよ」
「お父さま、私は平気です。ですので、ささ、お茶を――」
 座ったままで移動しようとして腰を浮かせた瞬間、経験したことのない痺れがエアーの両足を直撃した。
「――――!」
 エアーは畳の上で前のめりに転び、あられもない姿をその場にいた者、八名全員に晒してしまった。
「絶対領域!」
 と小声で叫んだ子息の声が、いつまでも耳に残っていた。エアーは赤い顔をして「言わないでくださいませ!」と何度も懇願した。
 が、しかし。
『黒衣姫はじつは白かった』
 との風聞が宮廷内に広まったのは、その夜のうちだ。うわさの出所をサリィに調べさせると、案の定侯爵子息が浮上してきた。夕べのパーティーで、騎士見習い仲間にささやかな武勇伝として語ってしまったのだ。さらに子息の恥ずかしい風聞も耳にした。
 翌朝エアーは王城を発とうとする彼を捕まえ、衆人環視の中で長々と怒りをぶちまけた。
「未成年というのにお酒を召し、レディの切なる願いを無下になされるとは、フォレーさまもお人が悪うございますわね。私のイメージが台無しでございましてよ。しかもあのとき私のスカートはぎりぎりで留まって、どなたにも見られていないはずですわよ――黒衣姫が白いわけございませんわ。もちろん真相は秘密ですけれど。聞くところによりますと、かなりお若い異性に執着がおありのようで、館のメイドは全員ニ〇代でミニスカートしか許さず、可愛い女の子ばかりお出になるアニメをご愛好とか。さぞや妄想力が豊かなんですのね。あなたのお名前、エイレトゥエッセメセでしたわね。つまり最強って意味ですわね? ブルガゴスガ皇帝モフレ・クゥロ二世の大英雄に匹敵しますわ。なんと大層で、かつお長い名前でございましょう。もっと短くしてさしあげますわ――下着がお好きなようですから、クラーニセで十分ですわよね!」
 最強君はその日から下着好きと社交界で呼ばれるようになってしまった。
 助平長男の将来を憂慮した侯爵は、半月後にはクラーニセの妹メリをエアーの侍女として寄越した。
 本来なら厳しい試験が待っている侍女採用だったが、上級貴族の御息女となれば話はべつとなる。エアーは侯爵を察して受け入れたが、すぐに正体を知っていやがった。メリは軍人の遺伝子を濃く持っており、性格もあって失敗ばかり。しかもソエセ三世が御前でメリを励ますという鶴の一声があり、下手に解雇できなくなった。
 エアーには悪戯はしてもいじめを是とする精神構造はなかったので、フォレー・メリが虐待されるようなことはなかったが、クラーニセの徒名を撤回する気は微塵もない。侯爵の思惑は空回りしていた。
     * Fekt Ear
 散らかっていたエアーの室内はてきぱきと片付けられていた。新しい副侍女長となった年嵩の古株(といっても未成年)エートゥ・レミの指示による。
「…………」
 すさまじい美人だが、ナウィ宰相がおしゃべりに見えるほどの無口で、そのうえ無表情だ。なのに手振りの指示だけで的確に事を処理してゆく。
「いつもありがとうレミ。あなたがいなければ私の部屋はいまごろあばら屋ですわ」
「…………」
 エアーの礼にレミは軽い会釈で応えた。
「あばら屋なんて、ひどいですぅ」
「泣く暇がございますなら働いてくださいまし、イエ・ラーリな侍女長さん」
「はい〜〜」
 すごすごと手を動かしはじめたメリに、かすかな呟きが届いた。
「愚か者め、雑巾でも煎じて飲むがよい」
「……ええ?」
 近くには副侍女長のレミしかいないが、メリに話しかけた様子はない。フォレー・メリは首を傾げた。レミはにやりと微笑んだ。
 エアーはサリィに向き合った。
「それでサリィ、軍国魔法少女とやら以外で、べつに用はありますの?」
「……クラーニセの件です」
「なっ! どういうおつもりでして? 今日はお葬式で厄日でしたというのに、さらに私の心をかき乱すんですの?」
「はあ……とにかく一極が進展した話です。候補生の中から、メインのテストパイロットとして彼の採用が確定しました」
「クラーニセは思った以上に有能でしたのね」
「仮にも軍家の直系ですからね。しかも侯爵家ともなれば素質は最高級で、エエ大臣閣下もお気に入りのご様子です」
「無類の下着好きのくせに」
「仕方ありません。殿方の宿命ですからね」
「達観してますわね? 面白くないですわ」
「お国の興亡が掛かっている瀬戸際に感情で判断なさらないでください。なんですか、たかが布ではありませんか」
「……むうぅ!」
 両手を振り回してサリィに刃向かおうとするが、頭を押さえられると圧倒的な身長差とリーチの差で、まるで届かない。
「最近は大好きなケーキもあまり食べられませんし、いたずらがやりにくくてストレスは溜まりますし、ウアリから妙に諭すような手紙が届きますし、クラーニセは格好いいと思ったら変人ですし、新しい侍女長は怪力ドジ娘さんですし、運が悪いったら仕方ありませんわ。聞いておりますのサリィ!」
 ――しかし元侍女長の動きが急に止まっている。エアーは押さえをかいくぐると、サリィを見上て首をかしげた。
「サリィどうしたんですの?」
 不動の体勢で、額から汗が一筋、垂れた。
(もしかしてこれが宮家司の意識共有?)
 だが、いままではエアーに悟られることなく情報の交換をしていたという。そのサリィが余裕なく立ちつくすなんて。
「――なにかおっしゃいなさいよ」
 いやな予感がして、エアーはサリィを揺さぶった。周囲の侍女たちが異変に不安な顔を見せるが、エアー本人にもそれを察する余裕はなかった。
「サリィ!」
 はっとしてサリィの瞳が動き、隠れるほど低いエアーを捉えた。
「あ……エアーさま」
「なにが起こったの? ねえ」
「…………」
 ごくりと唾を呑み込み、サリィは絞り出すように報告した。
「内戦です――少なからぬ数の貴族が結託して、大規模な反乱を起こしました」

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