第一章 黒衣姫フェクト・エアー Neklofewri Fekt Ear

旭和ラノベ
星よ伝え/序章 第一章 第二章 第三章 第四章 第五章 第六章 終章 小辞典

     * Fekt Ear/Freiheit Wirthstein
「――つまり民主主義とは、知識として理解するのではなく、議会の設置や普通選挙制の導入などにより、あくまで実践することにこそ価値があり、真髄があるのです」
 外国からの特使が、謁見の大広間にてすでに四〇分にも渡って長々と話をしていた。聞いているのは王女の座に腰掛ける黒ドレスの少女と、わずか数名の、退屈そうな家臣団のみ。中央に鎮座まします玉座は空だった。
「ご理解いただけましたでしょうか? エアー殿下」
 特使はようやく言葉の独壇から退いた。
 老化遅延技術の進歩した時代だ。人類が月にしか行けなかった大昔に換算するとせいぜい四〇歳前後相当の外見だが、いまの常識に換算して見た目五〇代半ばほどとなるダンディな壮年の男性は、そのままの年齢だった。
 遺伝子を操作していないナチュラルな体を持つ、原種人類社会からの来訪者だった。服装も機能美に溢れたシンプルなものだが、礼服らしくデザイン的に多少の遊びとファッション性が取り入れられている。付け羽根など、もちろんない。
 ひるがえって、ウグレラルナの家臣団は全員が無駄に過剰な服飾で、見た目が優先された格式張った貴族の服を着ている。付け羽根(宮羽)はツルが翼を広げたさまを思わせる大きなもので、やはり派手だった。王女とても例外ではなく、すぐにでもパーティーに出られる、宝石の散りばめられた豪華なドレスを着ている。付け羽根は座っている状態では見えないので、鶴翼の形状ではなく、垂れ下がるタイプのものだ。
 一〇秒ほどの沈黙が、謁見の間を支配していた。ウグレラルナ人の誰もが、しゃべる様子を見せない。片膝を付いた半腰の姿勢という苦行にすでに一時間近くも耐えている特使は、不躾を承知で少女に促した。
「ご感想を」
 少女の頭がびくんと動いた。
「み?」
 ツインテールの無駄に巨大なリボンが揺らめき、瞳が焦点を取り戻す。
「……なかなかに興味深く、造形ある面白いお話でした」
 エアー姫は寝ていたことを気にもとめず、そんな失礼などなかったかのようににこやかに微笑んだ。
「ですが私のような若輩では、民主主義というすばらしい思想がどれほどウグレラルナのためなるのか判断しかねます。父王に直接掛け合うが本道かと思います」
「は、私もそれがよいとは存じますが、なにしろ貴国はいま、非常事態でありますので」
 特使も内心怒りを覚えているはずだが、押し込めて普通に対応する。こういった無関心には慣れているようだ。
「たしかにウグレラルナはいま、ブルガゴスガ帝国との全面戦争をしており、父王や兄をはじめ、重臣は軒並み不在です。そのような中こちらから特使さまをお呼びしましたのに、本日も外務大臣はブルガゴスガとの折衝で忙しく、主だった王侯貴族では私くらいしか応対できずさぞや残念にお思いでしょう」
「そんなことはございません。戦費借款の件に関してはすでに貴国の財務省と大方済ませておりますし、なにより名高い黒衣姫《ネクロフェーレイ》さまと直にお会いできて不肖ヴィルトシュタイン、光栄の極みにあります」
「ありがとうございます。とりあえず日もすでに高いですし、昼はごいっしょにお食事といきたいのですが、いかがでしょうか?」
「謹んでご同席させて頂きます」
 エアーは椅子から立ち上がると、数段ある石段を下り、大理石の冷たい床に片膝座りをしているヴィルトシュタインへ戯れのように手をさしのべた。
「異邦の紳士フライハイト・ヴィルトシュタインさま、私をエスコートしてください」
「はっ」
 ヴィルトシュタインがその幼い手を取り、視線をエアーから逸らして立ち上がろうと体重移動をしたそのときだった。
 エアーが特使の、重心がかかったほうの足を払うように蹴ったのだ。
 彼女の顔には子供特有の、いたずら心に満ちた表情が湛えられていた――が、それはすぐに驚きに取って替わられた。
 バランスを崩して体《たい》を失ったのは、エアーのほうだったからだ。
 漫画のようにエアーは転び、ヴィルトシュタインと繋いだ手だけがぶらりと天井向けて伸びた状態となった。
 付け羽根になっている黒いカラスの羽根が数枚、宙に舞った。
「……いたーい」
「だ、大丈夫ですか殿下!」
 大理石にしこたま腰を打って、涙目で半泣きになってるエアーを、ヴィルトシュタインが力強く引き起こした。
「姫さま!」
 家臣団も慌てて走り寄ってくる。
 しかし態度だけで、目は笑っていた。
     * Retefewri/Fory Saly
 気まずい昼食が終わって自室に戻ったエアー姫は、たちまち癇癪を起こした。
 机に紙を広げ、ヴィルトシュタインの絵心ない似顔絵を描くと、天蓋つきのベッドに小走りで向かって枕を取り出し、絵をテープで貼ると踏みつけ、壁に放り投げた。そこにダーツを投げかけたが、すべてが外れたのでさらに怒り、護身用の小銃を取り出すと枕めがけて滅茶苦茶にレーザーを乱射した。
「あんなじいさんに! じいさんに!」
 大半が外れて壁に焦げ穴を量産し、周囲の家具を破壊していったが、下手な鉄砲も数を撃てば当たり、破れた枕から大量の鳥の羽根が散った。羽根は一辺が軽く二〇メートルはある広大なエアーの室内を飛び交った。
 エアーは銃のエネルギーパックが空になるまで撃ち続けた。最後には哀れな枕は落書きと共に燃え上がり、警報が鳴って噴霧消化器が作動し辺りは水浸しとなった。
「うふふふふ、せいせいしましたわ」
 銃を放り投げると、濡れねずみとなったエアーは呼び鈴を鳴らした。
 入ってきたのは、掃除用具や着替えを手にした少女の集団だった。いずれもエアーと同年代か、若干年上なだけで、成人はいない。全員がエプロンを付けており侍女だとわかる。宮羽は控えめに二〇センチていどしかなく、鳩の翼だ。
 先頭にいる背の高い侍女はとくに美しかった。肌が褐色だ。極端に混血や遺伝子操作が進んだ今日では珍しく、黒色人種の血を濃く受け継いでいる。痩身でグラマーではないが、超一流モデルとして通用する体格バランスと、身のこなしをしていた。
 扉を閉めると、侍女たちは我先にと室内の清掃に取りかかった。着替えを持つ数名は棒立ちのエアーを丁寧に脱がしにかかった。まるで壊れ物を扱うような大サービスを、当然のように黒衣姫は受ける。
 しかしゆっくりと近づいてきた黒人女性だけは違った。いきなりタオルをエアーの頭にぐりぐりと押しつけ、気安く笑った。
「宮内大臣さまから一部始終を聞きましたよエアーさま、またまた失敗しましたねえ」
 乱暴に頭を拭かれながら、ふくれっ面をしてエアーは黒人女性を見上げた。身長差は軽く四〇センチはある。
「あの寡黙なナウィさんから? いつもいつも私がなにをしたか素早く聞きつけておりますけど、サリィはどうやって情報を得ておりますの?」
「企業秘密ですよ。徳ってものです――それで失敗なされたご感想は?」
「いじわる。あれは転ぶのでなくてサリィ。一時間もあの体勢だったんですのよ、しびれてしびれて、おお大変、が普通ですわ」
「各国宮廷を廻り、同様の訓練を積まれた身ゆえ慣れているのでしょう。セイザの達人とおなじことですよ」
 正座と聞いてエアーの顔が青くなる。
「サリィ、セイザの話はやめて。クラーニセ(下着好き)のことは忘れたい過去のトップクラスですわ!」
 半年前フォレー侯爵家の子息を正座にて接待した際、エアーのいたずら心と自滅が産んだ事件があった。そのときエアーが子息に与えたあだ名をクラーニセという。
「それにしても、一国を代表する方へ仕掛けられるのは、感心しませんね悪戯姫《レートエフェーレイ》さま」
 悪戯姫、の部分をとくに強調した。黒衣姫ならぬ悪戯姫は仏頂面になった。
「だって、望み通りお金を貸してやるから、民主主義を布教させてくれって下心丸見えなんですもの。気に入りませんわ。姓名の並びが私たちと逆なのさえ、うっかり間違いそうで腹立たしく思えてきました」
「戦争はお金がかかりますからね――それで足払いが成功したとして、誤魔化しきる自信はおありだったのですか?」
 口ぶりとは逆に、サリィの目は笑ってる。優しくたしなめる感じだ。
 ほぼ全裸の状態で巨大なバスタオルに体を包まれて、エアーは反論する。
「なんとかなりますわ。そのために優秀なフォッリ・サリィ、あなたがいるんですのよ」
「私は清掃業者さんですか」
 エアー付き侍女長のサリィは怒った様子も見せず、あきれたようにため息をついた。
「ななな、なにが可笑しいのですか」
「謁見の間に、私はいなかったんですよ。どうやってフォローするんですか」
「あ……」
 エアーの顔がみるまに真っ赤になった。恥ずかしいのかその場でしゃがみこむ。
「場合によっては国際問題ですよ。一国の姫君が、個人的に気に入らないからという理由で、国交が正常化して日の浅いミケン連邦の代表に幼稚な真似をするなんて。まるで一〇歳のお子様ですね」
「私は二三ですわ。大学も修了しましたし、もう大人です」
「はいはい、原種なら大人でしょう。でも私たち遺伝子改良種の法的成人年齢は三六歳、身体の成長も精神の発達も同様に原種の倍かかるよう遺伝子がデザインされております。ご存じですか? エアーさまは原種でいえば、まだ一二歳に過ぎないんですよ。知識量はともかく、肉体とお心は」
 バスタオルに埋もれて、エアーは口を結んで唸った。
「むぅ……」
 エアーたちが分類されるトフォシ・ソエセ人は原種の半分の速度で成長し、一五年から二〇年ほど二〇歳前後の外見を維持したあと、原種の三分の一の速度で老いる。二二〇歳ほどで枷が外れて原種とおなじ速度で老い、平均二七五歳前後で亡くなる。原種の平均寿命は平和で豊かな社会では一三〇歳ほどだ。いずれも死因の九九パーセント以上は老衰で、第二位が自殺、第三位が事故死だ。
「お戯れは私たちにのみ。外国のお方には禁止でございますよ?」
「お祖父さまもお父さまも私くらいの年齢のときはよくやっておりましたと――」
「ですからって何代もつづけてお悪いところを真似されてよいという理屈はございませんよ。フォー殿下をお見習いくださいませ」
「……わかりましたぁ」
 エアーはあきらかに納得した様子ではないが、サリィはそれ以上なにも言わなかった。いつものことだった。
     * Fekt Ear/Fyeryik Uary
 新しい黒ドレス・化粧・装身具をあつらえ、カゲロウの黒い付け羽根を四枚装着すると、エアーはサリィと共に部屋を出た。その周囲を親衛隊が囲む。自動回廊を進みながらスケジュールを確認する。
「午後以降の予定はどうなっていますの?」
「二時からエエ・クゥヴエ辺境伯による戦略論の軍事講義です」
「む〜〜。ウアリとか一緒に大学出たのに、もうそんな授業もないのに」
 ウアリはエアーの幼馴染みで、大貴族フィーリック大公家の娘だ。数歳年上だが、大学ではずっと同級生だった。彼女の父親フィーリック・シオ大公は外務大臣をしている。
「めっ、はしたないですよ。王族たるものの義務です。それで――夕食はミケン連邦の特使に惑星緑化公社の幹部を交え午後六時半より、九時から国営放送局の生番組にて、戦意高揚番組に出演となっています」
 ミケン連邦の特使というのは、午前中に講釈をしたヴィルトシュタイン氏のことだ。
「今日は厄日ですわ。あの特使とまた会わなければなりませんし、講義にしても――前のトゥーア先生のほうが良かったですわ」
「有能な方ですから、エアーさまだけのためにいつまでも予備役というわけにも参りませんからね。たしかいまはフォー殿下の司令部でオペレーターをされているはずです」
「替わったいまのエエ退役中将って、苦手ですの」
「純粋な軍家の方だからですか?」
 軍家とは兵士や指揮官として極めて優秀な遺伝子を代々受け継ぐ一族の総称で、勲功を重ねて出世する傾向から貴族が多い。遺伝子操作を蓄積し、ある方面に特化した血筋はトフォシ・ソエセ社会では珍しくない。
「ちがいますわ。差別というわけでなく、なにを仕掛けてもかわされるんですもの」
「……失敗はいつものことだと思いますが」
「いいえ、その、すべて失敗するというわけではなくて、困った顔もしませんし、怒らないんですのよ。それが楽しみなのに、私の生き甲斐ですのに、怖いですわ」
「いまさらりと凄いこと言いませんでした?」
「忘れてくださいませ」
「まあ、あの御仁の、度量の深さは海溝より深いですからね――それでは私は別の用事がありますので、ここでお見送りです。がんばって生き甲斐を全うしてくださいね」
「いじわる」
 サリィに見送られて親衛隊に守られて自動回廊をさらに進むと、エアーは見知った顔に出会った。
「ウアリ〜〜!」
 表情がゆるみ、手を振ってしまう。
 対向の自動歩道を進んできた少女は、エアーの幼馴染み、フィーリック・ウアリだった。エアーと似たような格好の従者を数名連れている。私兵のボディガードだが、王宮への出入りを許されている。貴族の最高位たる、大公の一人娘だから当然だった。
「お久しぶりですエアーさま」
 彼女はまだ若い。原種でいえばせいぜい一三歳かそこらの外見で、背丈もエアーより七、八センチ高いていどだ。白いドレスを揺らしてエアーのいる自動歩道に移り、やや腰を落とす優雅な挨拶をする。エアーも同様に返す。
「ごきげんよう。今日はどうしたんですのウアリ。外務大臣閣下は宰相府にはおられませんわよ」
「お父さまに用があったわけではございませんの。学習院にできあがった論文集を受け取りに来ましたわ。でもね、じつはエアーさまにお会いしに行く口実でしたの」
 やや癖毛のある短髪が似合い、笑顔が映える子だ。エアーの通っていた大学、すなわち王立学習院は王城の中にある。王族がわざわざ外へと通うのは警備等の経費が掛かりすぎるからだ。エアーは初等教育からずっと、広大な王城で青春の大半を過ごしてきた。城といっても都市ほどの緑地に無数の建物が点在し、回廊で結ばれる形式だった。
「お元気なようで嬉しいですわウアリ」
「どうエアーさま。今度、私と天南のフォッレメ星系に息抜きで遊びに行かれません?」
 いきなり誘われてエアーは目を丸くした。
「フォッレメというと、日帰り距離ですわね。なにがおありなんですの?」
「銀河野苺堂の新しい分店が、要塞軌道のシ・セマト商業ステーションに開店したんですの。来週までケーキ半額セールですわ。本店から応援のパティシエも呼ぶそうよ」
「半額ですって! しかも本店から!」
 王女の目が輝く。釣られてウアリまで輝く。互いに高貴な身分で不自由しないはずなのだが、現実主義な女性の本能か、こういうことには弱いのだ。
 エアーとウアリはしばらく楽しく語り合った。ケーキの約束を交わして別れると、エアーは講義室を素通りしたことに気付いて慌てて戻った。親衛隊の隊員は誰も注意しなかった。エアーの性格を熟知しており、後でいたずらを仕掛けられるのを知っていたからだ。エアーの一般的な愛称は黒衣姫だが、あだ名は悪戯姫だ。しかも王城今様七不思議のひとつに数えられるほどの。
 戻る道すがら、エアーはウアリの意図に気付いた。誘うとき、息抜きに、という単語を使ったのを思い出したからだ。
 エアーは忙しい。とくに最近は。
(ありがとう……ウアリ)
 ウアリの優しさが、素直に嬉しかった。
     * Fekt Ear/Ee Cove
 親衛隊に見送られて入った広い講義室には、講師たるエエ伯爵しかいなかった。御年二五一歳になる辺境伯は、原種では見た目九〇歳すぎ、白色の深い髭に包まれた、仙人のような風体だ。髪は灰色なので、髭とのコンストラストが個性的だった。古い軍服と軍羽に身を包み、胸元には大量の勲章がぶらさがっている。
「九分の遅刻だぞ、姫さま」
「すいません、先生」
 素直に謝り、最前列の席に着く。教材はいっさいない。すべてそのときに覚える、というのがエエ老伯の方針だった。
「言い訳しないのはよろしい。国王陛下やフォーさまの代理で忙しいのは承知しておる」
 エアーは内心で恐縮するしかない。まさかおしゃべりで遅れたとは言えない。
「いまは半世紀ぶりの非常時だからな、いくら人がいても足りぬ。そのせいでとっくに一線を退いたワシまで教鞭に駆り出される始末だしな」
 この老人、エアーに対してまったく敬語を用いない。当初は不満に思っていたが、誰に文句を言っても濁して済まされ、相手にしてもらえない。あまりに寛容なので調べてみると、幾度もウグレラルナを勝利に導いた軍神だった。無礼ながら裏表のない言動でかえって王の信任と部下の忠誠を得、三代に渡り王の傍らにあった。現在は機械人種系のイブンヤハート首長国との国境でにらみを利かす、辺境伯として余生を送っている。
「今日でワシの授業になってちょうど一ヶ月だな。そろそろつぎの段階に進むぞ」
「はい」
「知っておるだろうが、ワシは王国最強で、軍事の天才とも呼ばれた。自ら指揮した戦闘での生涯戦績は三五戦三四勝一敗。どうしてワシは強かったと思う?」
 臆面もなく言ってくるところが凄い。
「ええと……発想の転換や、機敏な判断力に長けていたから?」
「ちがうな。戦闘における的確な判断など、その辺の機転の利く者になら誰でもできる。発想の転換は戦術予測シミュレーションをランダムで繰り返せばいい」
「……なら、部下の育成がうまく行ったからですの?」
「それも違う。正しい命令を味方に徹底して実行させたからだ」
「…………」
「よくわからない、という顔をしてるな。実際の戦場に出ればわかる。正しい道筋があるのに、誤って道に迷う場面をワシは幾度も見てきた。その中で最大なのが、先代の王フェクト・ファオト陛下が亡くなられた、第五次パルミラ星戦だった……ワシが指揮した戦いで唯一、敗北したものだよ」
 これはエアーも知っている。半世紀前、祖父のファオト王はミケン連邦領へ乗り込み、エエの指揮により初戦で大勝した。つぎの戦いでも勝った。そして血気に逸った王は三度目の決戦でエエ元帥の再三に渡る進言を無視し、ミケン連邦が構築した罠に突入して敗死したのだ。そのときエエ元帥は責任を問われて少将まで降格されている。
「あのときの混乱は聞いておりますわ。暗殺が横行する血で血を洗う政争が起こり、貴族や王族の一部が国を捨て、周辺国家へ亡命したほどだと聞きます……先生、私、疑問に思うことがありますの」
「なんだ」
「ウグレラルナではどうして、王族が軍の総司令官として戦場に赴くのでして? 軍を率いる能力に関しては、私たちフェクト王家の者は皆、凡将にすら遠く及びません。何千・何万という倍率から選出された将校のほうがはるかに優秀ですわ。現場での最終的な決定権があくまで私たち王族にあるのは、変な気がしますの……それにフォー兄さまがおりますのに、私が大学を出てもなお、こういう授業を特別に受け続けるというのも。まるでフォー兄さまにまでなにかあったときのため、という気がしてあまり気分よく受けることができませんの」
 エアーの兄はかつて二人いた。長兄のセニトゥ、次兄のフォーだ。セニトゥは今はいない。矛を交えているブルガゴスガ帝国のテロにかかり三年前に死亡した。その際、母のトエトゥエイも亡くなっている。
 エエ辺境伯はしばらく考えていたが、うなずいて返答した。
「……それはやはり、知性図書館を守るのが王族の義務だからだ、姫さま」
「もはや形式だけですわ。王族が図書館に直接赴くのは、戴冠式のときと一〇〇年周祭、そして攻防戦くらいではありませんの」
「神話を維持するためには、大事なのだよ」
 ウグレラルナ王家は、知性図書館という遺跡を守るという使命を帯びている。遺跡にメソーエメという意志があり、契約したという建国神話だ。エアーにとって眉唾ものだが、伝統として確立してすでに一〇〇〇年以上経っていた。
「神話なんて、私には信じられません。お兄さまも信じておりませんでしたけど、あの図書館はただの太古の遺跡ですわ。そんなものに宇宙の秘密があって、図書館そのものにも意志があるなんて、とうてい」
『ある。意志は』
 辺境伯は即座に断言した。なぜか突然、かわいい声で。
「…………」
『…………』
 ふたりは見つめ合った。エアーは挑戦するような目つきで、エエはまたなにかしたな、という顔で。
 エアーが机の脇から片手を出し、小さなスプレーを辺境伯に向けて噴霧していた。パーティーで用いる、声が変わる気体だった。
『――意志はある。秘密もだ。ないならば、これまで一〇〇回以上も知性図書館が戦場になってきた説明にならない』
 幼女のようなハスキーボイスで、エエは粛々と話をつづけた。
『一〇〇〇年間も人が盲目的に愚かでありつづけたとは思えないだろ。たとえ現代が大愚戦争と俗に呼ばれる、銀河大戦のさなかにある不名誉な時代であってもな』
 エアーの身体が震えだす。痒がっているように身をよじり「なかったことにしないで」と賢明に主張するが、先生は一向に気にしなかった。
     * Eornew eewtoew eewcow
 午後五時にようやく解放されると、エアーは一時間ほど休憩してから、夕食に赴くためサリィを伴い、浮遊車に乗った。前後に親衛隊の護衛車が何台も随行する。
 時速数百キロで五分ほど走ってようやく広大な王城ウグレクセトゥレメ(風の城)の正門を通過したところで、同乗してるサリィに電話が入った。ほかの同乗者は屈強で優秀な親衛隊員三人で、うち一人が運転手をしている。電話の応対で表情をやや硬くしたサリィをエアーは訝しんだ。
「どうしたんですの?」
「本宮から連絡がありました。ミケン連邦特使のヴィルトシュタイン氏が、お食事をキャンセルされるそうです。危急を要する用事が入ったそうで」
「え……」
「嬉しそうな顔をならさないでください。特使の気分ひとつで、国益に響くんですよ。ミケンの経済力は我が国の五倍、人口は六倍なんですから」
「お飾りの人形ですから関係ありませんわ」
「そんな態度は許されませんよエアーさま。ヴィルトシュタイン氏は特使になる前、企業の立て直し屋として勇名を馳せたそうです」
「それがどうかしましたの?」
「国を正確に査定する能力に秀でているということです。政府の民への借金――つまり国債発行残高が四七〇〇兆ラトエに達し、戦時国債も増税も限界まで来てる以上、もはや外国から借金するしかありません。ソエセ三世陛下の命を受け、フィーリック外務大臣もずっと休戦の機会を探ってます。とにかく財政は火のようなんです。エアーさまの情に訴え、貸し渋りを防がないといけません」
「……いっそのこと、ヴィルトシュタインさんでも雇いましたら?」
「ご冗談はよしてください。とにかく公社のほうに連絡を取ってみます」
 サリィはただの侍女長ではない。特殊な身分で宮家司《みやけいし》といい、エアーが幼い頃から世話役的な役目を担ってきた。側近であり、幼馴染みであり、姉役だ。今後もエアーの成長に合った役職を確実に与えられるだろう。ウグレラルナの強固な制度となっており、厳しい選抜を経て選ばれた宮家司《イオトゥーセ・クウッリーレエセ》は王族個々人の直臣として一生仕える例が大半だ。それどころか王位に就く前に宮家司が死んでしまうと、その王族は王位継承権を失うという鉄の掟があるほどだった。
「夕食は構わないようです。ほかの用事は入っていないそうで」
「よかったですわ。せっかくの新名所、大展望ですしね」
 浮遊車は高度を二〇〇メートルに取ると、交通整理の行き届いた高速空路に入り、一気に飛んだ。上下左右に前後を一〇台以上の護衛車に囲まれたご一行は、すべての緊急車両に優先する。普通の道を走るとそれだけで国民の大迷惑になってしまうのだ。
     * Fekt Ear/Shooni Kryfo
 ホテル・ニュアージュはミケン星間国家群連邦の資本で作られたはじめての超々高層ホテルで、例の特使も宿泊している。この春オープンしたばかりだった。
 高度三キロメートルに達する雲の上のレストランに、エアーはサリィを伴い入ってきた。サリィはエアーに合わせて黒い質素なドレスに着替えている。付け羽根は白鳥だ。
 王族ということで当然貸し切りになっている。案内されるまま赤い絨毯を進み、総ガラス貼りの壁際へと来ると、その一番景観のよい席で待っていたのは、見た目原種四〇歳くらいの精悍な男性だった。実年齢は一二〇歳前後だろう。惑星緑化公社の幹部だ。付け羽根はビジネスマン御用達の簡易な布製のもので公羽といい、マントに近い。
「はじめましてフェクト・エアー殿下。私は惑星緑化公社、対外営業局長のショオニ・クリフォと申します」
 名刺を受け取り、握手を交わす。
「フェクト・エアーです。ショオニさん、今夜はご招待くださり、ありがとうございます。ただ、本来の主賓でありますヴィルトシュタイン氏がご同席できないのが残念ですね」
「いえいえ、また機会もございましょう」
 惑星緑化公社は金の卵を産むニワトリで、王家直轄となっている。本来は特使との間に人脈を築き、将来の商談相手を探す足がかりを作るのが目的だった。虎の子ということで、エアーは箔付けのおまけだったのだ。
 目的が空回りになったことで、夕食はかえって良い息抜きとなった。ショオニ・クリフォはエアーの扱いを心得ているようで、プライドを満足させる美辞麗句を繰り出し、退屈させることはなかった。
 窓の外には警護の天馬が一〇騎ほど飛び回っている。騎士と呼ばれる選ばれた兵士が操る、全長二〇メートル前後の戦闘艇だ。浮遊車ではここまで上昇できない。
 外の景色はやがて赤から青みがかり、夜へと移っていった。赤道の高原地帯にある王都に四季はないが、まるで真夏の夕刻のようにいつまでも空はうす明るく、夜が来た感じがしない。下界の灯りが原因ではなかった。空の星々が、あまりに多いからだ。
 下に広がる眩しい光の大洪水は三億人を抱える首都エオーネー・エエートゥエー・エエークゥーが誇る夜景だが、それ以上にもやのような全天を埋め尽くさんばかりの星々の大海と、望遠鏡を必要としない鮮やかで巨大な星雲の数々が夜空を彩っていた。ウグレラルナ王国首都星クニフォセは、大量の恒星が密集する銀河系の中心近くにある。
 銀河の中心部へ近づくほど宇宙の危険は加速度的に増し、惑星上とて生物が半永久的に住むには適さなくなる。具体的には、太陽系をいきなり銀河中心宇宙にもってきてバリアもなしで放置した場合、地球はもれなく強力な衝撃波と放射線の豪雨に叩かれるか、星系外より小惑星が飛来し、多くの生物が死に絶えてしまうほどだ。
 そのリスクを背負ってウグレラルナは国土の多くを銀河系中心部、老齢の恒星が集まるバルジ領域に得ている。知性図書館を版図に抱える宿命で、不毛の大地を可住環境にする技術を高める原動力となった。
 ウグレラルナの基幹産業はこの惑星緑化と、もうひとつは資源の輸出だった。膨大な星と星間物質が集まる銀河中心では、他国より安く資源を提供できるのだ。
 話が弾んでくると、やがてエアーに余裕が生まれた。こうなるとまたよからぬことを企んでくる。
 ショオニが「失礼」と席を立ち、トイレに出た隙に、エアーはにやりと笑うや「ふふふ」と薄気味悪い笑い声をあげつつ席を離れ、ウエイターが運んできたばかりのショオニのワイングラスに、小さな薬を放り込んだ。
「うふふふふ」
 薬が溶けてゆくさまを、得意に見つめる。
「また妙なものを持ち歩いて……エアーさま、炭酸爆発をやらかすおつもりですか?」
「もちろんですわ♪」
 特殊な炭酸で、激しく揺らすと一気に泡立つ仕組みだ。
 やがてショオニが戻ってきた。ワイングラスを見ると、嬉しそうに手に取った。
「これはいい白ワインですね」
 グラスをゆっくりと回しつつ目をつむり、香りを嗅ぐ。薬の影響で、小さな泡がぽんと弾けた。その様子をはらはらしながらエアーは見守っている。
「殿下にも新しいジュースが届いたようですね、また乾杯といきましょう」
 ショオニがグラスを向けてきた。
 エアーは「へ?」という表情を一瞬だけ見せたが、さすがに断るわけにもいかず、やや青ざめたつくり笑いの表情で、おそるおそる自分のグラスを掲げた。
「乾杯」
「か、かんぱぁい?」
 ガラスを合わせる音とともに液体が噴き上がり、お姫さまはワインまみれになった。グラスは絶妙にエアーのほうへと傾けられていた。
 驚き慌てるショオニやレストランの従業員。
「……くしゅん」
「これは美味しいフォアグラですね」
 サリィだけ動じず、食事をつづけた。
     * Fekt Ear
 また着替えて、ようやく本日最後の予定地、国営放送局に着いた。
 戦意高揚の特番だ。
 番組が番組ということで、ドレスの飾りはすべて外し、付け羽根はトンボ状の軍羽になった。四枚あり、准将以上の階級のものだ。真新しい軍羽は背が一四〇センチに届かないエアーには大きかった。
 打ち合わせによると、番組の内容はありきたりなものだった。
 すわ、戦争には負けていない、敵の損害は大きい。勝利は我らのもの。兵士よ来たれ。現在のウグレラルナは領土拡大政策を採ってないので、徴兵制ではない。
 エアーはこういった番組に出るのははじめてだったが、リハーサルを通じてほとんど緊張する様子を見せなかった。
 番組がはじまり、出番まで休憩となったエアーは、控え室でリラックスしていた。そこにサリィが話しかけた。
「エアーさま。公の場ではいたずらを仕掛けないでくださいね」
「いいい、いくらなんでもそこまで浅はかではなくてよ? サリィ」
「ご立派です」
 と言っていきなりエアーの身体をまさぐる。
「く、くすぐったいですわ」
「ほらほらほらほら、これはなんですかぁ?」
「あはははは、やめて死ぬう」
「どうかされましたか!」
 ドアが開き、親衛隊の中隊長が入ってきた。エアーとサリィが怪しく重なってる姿を見てなにを勘違いしたか赤面する。
「ちがうのイートゥ中尉! その気なんてないことなんてないの! じゃなくて、誤解しないで!」
 錯乱して墓穴を掘るエアーだったが、サリィがエアーのスカートから見つけたクラッカーを引いてネタを破裂させると、観念し黙った。天井から『IRCORMENI《イレクゥレメニ》(有罪)』と書かれたパラシュートがふわふわ落下してきて、エアーの頭に着地する。
 雄弁と語る返答に一瞬で納得すると、イートゥ中隊長は笑いを必死にこらえつつ、敬礼して下がった。
 その後もサリィによるくすぐり攻撃ならぬ身体検査がつづき、エアーは涙を流して耐え続けた。
「みいぃ……」
 出てくるわ出てくるわ、様々な道具があちこちから。机の上で、こんもりとした小山になった。
「やはり何かしでかしてやると考えていて、浮かれてたんですね。とんでもないことですよ。これは預からせて頂きます。とにかく番組を成功させることに集中してくださいませエアーさま」
「……はぁい」
「道具を使わない言葉遊びや奇行もだめですよ。もしいたずらを行ったら、後でさらにくすぐり地獄ですからね」
 両手を広げ、わきわきと指を動かす。それを見るや、エアーは汗を浮かべて「ごめんなさぁい!」と叫び、ドアを開けて控え室を飛び出した。
「お待ちください!」
 親衛隊の中隊長に呼び止められる。
「……え、まだ……なにかありますの? ……イートゥ中尉」
「頭の上にそれをお載せになったままで、カメラの前にお出になるおつもりですか」
 ドアの外にいた親衛隊、全員に思いっきり見られてしまい、エアーはトマトのように真っ赤となった。
「どうせ有罪でしてよっ!」
 親衛隊になだめられて控え室に戻ると、サリィが机の上で半透明の電磁端末を操作していた。つぎつぎとウィンドウが開いては閉じてゆく。
「……どうしたのサリィ? 車内でもずっと調べものしていましたけど」
「ヴィルトシュタイン全権特使が急にキャンセルしたのが気になって、私のルートで理由を調べていたんです。王族との食事を取りやめるなんて尋常ではありませんからね。でも情報が強力にブロックされています」
 サリィの手は止まらない。半透明な端末を操作できるのは、それがただの立体投影ではなく、ナノマシンと呼ばれる粉末大の浮遊型自律機械が構築した膜も組み込んでおり、感触を得ることができるからだ。端末の像を投影しているのもナノマシンだ。
「サリィの腕でも得られない情報って、どんなレベルになるの?」
「国家機密ですね」
「……さすがは私の宮家司ですわね」
「だてに二〇〇〇万倍の競争を勝ち抜いてはおりませんよ――宇宙の情報屋といわれるミケンがこれほど秘匿する事件となると、政変でしょうか? ミケン軍の一部が臨戦態勢に移行してるらしいのが気になります」
「国内動乱なんて困りますわ。せっかく資金を確保できそうですのに」
 キャンセルされた直後は「関係ない」と本音で言ってはみたものの、やはりいざ現実味を帯びるとなると違ってくる。
「ミケンは政治的に安定してるはずですが――間接的な情報をシミュレーターにかけて、予測してみます」
「私の名で、王国中央コンピュータの使用を許可しますわ」
「了解しました――」
 一分後に返ってきた答えに、エアーとサリィ、二人とも言葉を失った。
     * Neklofewri
 一〇分後、ようやく落ち着いたエアーは、スタッフに呼ばれて本番を迎えていた。
 サリィはスタジオの影でエアーに向けて作り笑いでうなずいた。エアーの表情はずっとこわばったままだ。
「今夜の主賓として我が国の至宝、黒衣姫ことフェクト・エニクロー・ウグレ・エアー殿下にお越し願いました」
 司会者の中年男性に紹介され、ステージの中央に進み出てエアーは挨拶した。
「臣民の皆さんこんばんわ、エアーです」
「エアーさまは先月からはソエセ三世陛下やフォー王太子殿下のご名代として、行事や謁見でお忙しいと聞きます。まだお若いのにご立派です。王族の鑑ですね」
「はい、大変です。ですが国家存亡の危機です。子供だからといって、私だけ楽をするというわけにも参りません」
「ブルガゴスガ帝国は強大ですが、我が国は一致団結のもと、フェクト・エアー殿下もがんばっておいでです。正義は我らにあります。宣戦布告も行わず、テロを繰り返してきた悪逆非道な帝国は悪魔なのですから」
 そして背景に編集されたビデオが流れる。
『ウグレラルナ暦一〇六二年六月二一日、辺境での記念式典に出ておられたフェクト・トエトゥエイ王妃陛下のご一行に、非道にも帝国の間者による中性子爆弾が撃ち込まれた』
 フェクト・エアーは映像から目を背けない。
 新式の惑星緑化技術が成功し新たに入植がはじまったレーフォレ星系第二惑星。その入植一〇周年の記念式典に王妃、長男セニトゥ、末の姫エアーが招待された。
 当時のエアー本人の姿も映る。まだ黒衣ではない。白やピンクのフリルが多い服を愛用する、無邪気なお子さまだった。
 周囲の景色はのどかな田舎だ。ビルは一棟もなく、街の建物はすべて平屋の一軒家。舗装路は土と肥料にまみれ、遠くを見れば有機栽培の畑が延々と地平線までつづき、自動機械が農作業に従事している。人口は、わずか一〇万。
 ――だからこそ油断があった。
 式典はつつがなく進み、最後にパレードとなった。白いオープンカーに分乗して皆に手を振っていたときだった。最前列を走っていた浮遊車に閃光が走ったかと思うと、輝きと共にすべてが呑み込まれてしまった。
 気がつくと、エアーは車の下敷きとなり、地面に倒れていた。
 何百キロという重みが身体にのしかかり痛い痛いと泣きわめいていたらしいが、あまりのショックで覚えていない。映像では滅茶苦茶になった列に、周囲の観客が騒然となって逃げ出す混乱のさまが映し出されていた。エアー自身が乗っていた車は、爆発のかなり後ろのほうだった。
 死者一五四五名、負傷者三六一名。死者が圧倒的に多かったのは、人体に致命的な破壊をもたらす中性子によりほぼ即死したことによる。一度死亡してからの蘇生成功はわずか一九名だった。いくら医学が進歩しても、完全に死んでしまった人間を確実に生き返すことなどいまだ不可能なのだ。
 エアーが命長らえたのは奇跡だった。あと三〇メートルも前にいたら絶対に助からなかったという。それでも全身を大量の放射線が駆け抜け、遺伝子も体組織もずたずたの重体だった。二ヶ月間も再生槽に浸かったままで、全身の細胞と遺伝子を順次修復、置換した。同伴していたサリィも同様の重傷で、隣の再生槽でおなじ期間治療につきあった。
「……って、あの、私の全裸……いくらモザイク入っても……これ全国放送ですわよね」
 赤くなって小さくつぶやくが、映像が流れている最中なので、幸い放送にエアーの音声は混じらない。
 入院していたため、エアーは母と兄の葬儀に参加できなかった。壮大な国葬を録画で見るしかない。父ソエセ三世が公の場で男泣きしている唯一の映像が流された。
 その様子を見て、エアーの心臓がとくんと高く鳴った。失うことへの恐怖が、にわかに頭をもたげてくる。もしあの予測が当たっていたら――この番組をこれ以上、予定通りにつづけること自体が無意味だった。
 フェクト・トエトゥエイ、享年九〇歳。フェクト・セニトゥ、享年四四歳。二七〇年余の長寿を約束された長命種トフォシ・ソエセ人としては、あまりにも短い人生だ。母は元歌手で二〇〇年ぶりに民間から入った王妃であったため、誘う悲しみは一層おおきかった。
 映像はそのまま、これまでの経緯に入っていた。
 その後も一年近くに渡って断続的におもに大貴族の若い者が狙われ、相次いでテロに倒れていった。様々な間接的事実からおなじトフォシ・ソエセ人の大国、天北から天東にかけて国境を接するブルガゴスガ帝国が犯人だとわかったが、いまに至るまで公式では認めていない。
 宇宙の北とは、地球の北極側から天の川銀河系円盤を見下ろして、銀河系中心核方面を指す。そこから左が東、右が西となる。天頂は北極側、天底は南極側だ。
 フェクト・エアーが喪服の色を好んで着るようになったのは退院後まもなくだった。最初は自分なりの弔いだったが、ブルガゴスガが犯人らしいと判明してからは四六時中黒しか着なくなった。
 いたずらばかりするエアーならではの復讐パフォーマンスだ。黒衣姫といえばいまや、帝国を非難するときの代名詞として国内外問わず認識されている。
 帝国のテロによって王位継承権を持つ者が激減し、フォー、エアー、そして高齢のフェクト・ケフェル三人だけになってしまった。ソエセ三世や先王ファオトは人より若くして結婚し子を成し、近年戦乱などで減っていた王族の増加を目指していたのに、フェクト王朝は存続を危ぶまれる事態に陥っていた。
 二年前、業を煮やしたソエセ三世は帝国に宣戦布告を行い、ウグレラルナはほぼ半世紀ぶりに戦争状態へと突入した。ウグレラルナとブルガゴスガが衝突するのは約一世紀ぶりで、今回の戦争は名前を第四次ブルガゴスガ=ウグレラルナ戦役という。
 最初の電撃作戦でウグレラルナは帝国領を一四〇〇光年ほど奥まで掠め取ったが、やがて押し返された。以後国境地帯でのにらみ合いと小競り合い、決戦が繰り返され、一進一退をくり返した。前線と周辺で両国合わせ一〇〇億人近い難民が発生し、その大移動により外国にまで影響が広がっていた……
「半年前、状況は一変しました。原種人類系のポルタ教国がブルガゴスガ帝国に降伏したからです。ご存じの通り帝国は二七〇年ほど前に勃興した侵略国家で、戦国乱世という銀河大戦の時流に乗り、定期的に全面戦争をしています。その敵対国が、ポルタの陥落で我らウグレラルナだけとなったのです」
 ポルタ戦線に投入されていた帝国軍がウグレラルナ方面へと次第に流れてきた。国力も軍事力も帝国がはるかに上だ。ウグレラルナ王国軍では戦線を支える戦力が不足し、予備役の動員がはじまった。しかし二ヶ月前、ついに戦線の一角が崩された。
 ここで細切れに紹介されてきた映像が完全に終了した。大事な本題に入ったのだ。
「そこからウグレラルナ領奥深くへと侵攻してゆく一軍がありました。ブルガゴスガ帝国皇帝、モフレ・クゥロ二世自らによる親征です。しかし皇帝の目的は首都星クニフォセを抱くウグレサーロ星系ではありませんでした」
 司会者は棒を取り出すと、スクリーンに表示したウグレラルナの地図を指した。
 それは銀河系中心核のすぐ間際、もっとも危険な宇宙空間の一点だった。真珠のような美しい天体が浮かび出る。
「事もあろうか、神器にも等しい知性図書館《シ・レフォーエメ》だったのです!」
 スクリーンに皇帝モクレクゥロ二世が映し出される。極端に肥満した中年の男だ。不摂生が祟った濁った目と怒髪天が特徴的で、椅子に腰掛けるというより寝ている。
「浮遊椅子に頼らないと移動もままならないこの脂肪の巨塊は、一日に数万カロリーの暴飲暴食を行い、体重は推定六〇〇キロを超えています。食欲の権化ともいえるそのどん欲さは野心にも現れています。七一年前に実の父と兄三人を暗殺して皇位を簒奪し、即位後は中小五つの国を呑み込んできました」
 その悪役と対比するように、フェクト・ソエセ三世とフェクト・フォーが映し出された。
「皇帝の醜悪な野望はフェクト・フォー王太子殿下がご掣肘なさり、追い返すまでには至らぬも数週間の足止めに成功されました。が皇帝は戦力を補充し進撃を再開しました。そこでソエセ三世御自ら八ヶ月ぶりにご出陣になられ、フォー王太子殿下と合流なされて現在、一大決戦を繰り広げられておいでです」
 スクリーンがあがる。エアーにスポットライトが当たった。
「王国を守護なさいます大元帥がおふたりとも同時にご出陣と相成りましたのは戦争がはじまって以来はじめてのことです。それだけ現在は大事な正念場なのです。それではフェクト・エアーさま、お言葉をどうぞ」
「…………」
 しかし、口が開かなかった。
(あの予測がもし当たっていたら……意味がないですわ。ありきたりのことを言ったらかえって……)
 スタジオ内がざわめきだした。
「フェクト・エアー殿下、お言葉を」
「……あの」
 視線をカメラに合わせられない。この映像はいま、二八〇〇億の全国民に向けてリアルタイムで流されているのに。宇宙で一番速い光速の壁を突破する跳躍子に乗って、どんな辺境にも一〇秒もあれば届いてしまうのに。
 なのに――
「この戦いは……」
「殿下?」
 そのとき、緊急を告げるサイレンが鳴った。
「……なんでしょうかこれは?」
 スタジオのスタッフがボードになにかを大急ぎで書いて、掲げた。
『Coryezez lotoewlo!《クゥリーセセ・ロトゥエーロ》(艦隊が戻ったぞ!)』
 新しいスクリーンが下りてきて、軍港の様子を映し出した。それはエアーのよく知っている景色だ。いや、首都エオーネー・エエートゥエー・エエークゥーに住む者なら、風景のように見慣れている。軍港は首都の郊外に隣接し、母艦は山のように巨大なのだから。 ――だが、違和感がある。色が違う。
 これではまるで、夕焼けだ。
 エアーはいきなり席を離れると、スタジオを走り出た。後ろで騒ぎが聞こえるが、気にしない。親衛隊の脇もすり抜け、階段を駆け上がる。この放送局は五二階建てでスタジオは四八階、屋上はすぐだ。
 屋上の扉を開け、端まで駆け寄った。
 町中に耳障りな警報が鳴り響いている。
 空が――赤かった。
「エアーさま!」
 いつのまにか、傍らにサリィもいる。親衛隊も駆け寄ってきた。
「どうしてコンピュータって正しいのかしら、嫌になりますわ。だって……」
 黒衣姫はすでに泣き始めている。
「エアーさま……」
「だってサリィ……普通に艦隊が帰ってきたなら、いきなりサイレンなんて鳴るはずなくてよ。これは……敵襲かなにかと勘違いした警報ですわ。燃えてるんですのよ、船が」
 うしろからカメラマンと司会がやってきた。
「空気のない宇宙では燃えなくても、大気に触れて燃えるんですわ、損傷箇所が。大敗して、命からがら! 応急修理をする余裕すらなく!」
 大敗という言葉に、司会の顔がこわばる。カメラはエアーと、背景で地平が赤くゆれる軍港を映している。肉眼でも、戻っている船は数えるほどしかなく、ほとんどが炎と煙をあげている。
「ウグレラルナは負けました。あの艦隊は、大切なことを危急、かつ直接伝えるために帰還したんですわ。通信では万が一、第三者に傍受される危険がありますから――」
 ほぼ真上で閃光が広がった。収まるとひとつの大爆発がはるか上空で起こっていた。音はしない。地上に音が届くまで何分もかかるだろう。
「大気圏突入に失敗した……」
 サリィがつぶやくと同時に、エアーは自らに言い聞かせるように、はっきりと口にした。
「お父さまもお兄さまも崩御なさいました。ウグレラルナはブルガゴスガへ、早急に停戦を申し出るべきですわ」
 どちらかでも生きているのなら、あのような危険を冒す必要はないからだ。
 エアーの顔は引き締まっている。運命をすでに受け入れた、そんな気丈さで。しかしその両目からは、涙が絶えず溢れつづけ、四肢はひたすら震えていた。
 爆発した母艦の破片が、流星雨のようにしかしゆっくりと赤い尾を引き、茜立つ夜空に広がっていた。
 隕石と化した破片が塊で地上に届くのを防ぐため、地上から対空砲が放たれはじめた。
 銀河標準暦一〇六六年・西暦三三〇八年・ウグレラルナ暦一〇六五年八月五日。フェクト・エアーは姫としての、最後の一日を終えた。

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