ソード妖夢オンライン7 東方外伝録 〜 Addendum, Human Viewpoint.

旭和ラノベ ソード妖夢オンライン全話リスト

原稿用紙換算419枚以上(執筆中)
 東方Project×ソードアート・オンラインのクロスオーバー。東方およびSAOキャラ視点の外伝集。シリーズ最終章。


三七 外:香霖/ある日の映姫さま 〜 Addendum.

三七 三八 三九 四〇 四一 四二

 窓より入ってくるきつい日差しが惰眠へ誘導しようとしている。それへ儚げな抵抗を示しつつ、目前の作業をきちんと続けなければと脳の一部を奮い立たせる。自動的に腕が動きはじめ、PCパーツへ手を伸ばした。
 外はあれほど煩いのに、なぜ眠くなるのだろう。音といえば、まずセミたちのけたたましい大音声。店の音のシンボルとして置いた掛け時計の規則正しい音が消されている。冬場でもこの時計は強い風によってやはり音をなくしてしまうし、秋には秋の虫がそれなりに音色を響かせるから、意外なことに春しかこの店は静かになってくれない。
「ごめんくださーい!」
 時計の音を聞こえなくする要因はまだあった。この店へはよく少女が訪れる。ただの古道具屋に女とは珍しい組み合わせだろう。むろん理由があって、それは店のおもな客が人間ではないからだ。幻想郷の妖怪は八割が女の子だ。
 顔をあげると、僕の視界へ白い人魂がにゅるっと飛び込んできた。やあ幽霊さん――じゃなくて半霊、きみはまるでその子の従者みたいにいつも忠実だね。いまもユルユル小刻みに震えていて、はやる期待を隠せていない。
「出来ましたか、霖之助さん?」
 魂魄妖夢。この店の常連が遊んでいる最新ゲームへ興味を示し、急に日参するようになった。寺子屋に通っていてもおかしくない外見だけど、これでも軽く六〇年以上は生きているはずだ。
「そろそろOSのインストールかな。すこしずつ作業はやってるから、明日頼むよ」
「もう七日目ですよー。回線のほうはとっくに繋がってますから、あとはデスクトップだけなんですよ。早くしないとベータテスト期間が終わってしまいます」
「勘弁してくれよ。きみの予算が厳しすぎるから、こちらも大変なんだよ」
 古いものと新しいものを組み合わせるのは、相性の検証が難しい。だから外の世界ではみんな新しい部品を使おうとする。現行品かひとつ前の世代がより確実だから。それをこの子はできるだけ幻想入りしたパーツだけでやってくれという。数世代が入り混じっている。構築すべき環境などいくつかの理由でとても無理だから、どうしても新しい部品も必要で、新旧で互換性があるかどうかいちいち調べなければいけない。
「だって……ナーヴギアを買わないといけませんし。お金を浮かせられるの、香霖堂のほうくらいですもの」
 パーツ代のみで人件費を考慮しないのがこの子らしいが、その手間賃を取らない僕も人が良すぎると思う。この物件に関しては完全な赤字で、商売になっていない。
「明日また来ますね」
 慌ただしく去っていった。窓の入射が一瞬消え、僕の手元が日影になる。彼女が空を飛んで窓を横切ったんだ。人魂を連れ空を飛ぶ。ただの人間でない証拠だ。人の姿をした妖怪を人妖といい、僕はそのひとりだ。一五〇年は生きてるけど、これでも半分は人の血が流れている。半妖という。
 さて商売の再開だ。僕は両手に気合いを入れ、赤字を重ねるだけの作業へと戻っていった。
     *        *
「聞いたか香霖、妖夢が外の世界へ行ってきたって!」
 魔法使い帽子を激しく揺らし、金髪の少女が僕の視界いっぱいに広がっている。見慣れた顔だけどかつてはもっと大人の姿をしていた。その美しかった顔が一番元気だった――言い換えれば、もっとも迷惑だったころの姿へ若返って固定している。これはこれでとても愛嬌があって愛らしい。魔力が強く、理解力も高いからだというが、僕は美しさよりも可愛さを優先したからではないかと思っている。美は気品と優雅さを求められるけど、可愛いほうは元気なだけでも務まるからね。もう一〇年とすこしになるのかな、魔理沙が人間をやめ、いまの顔から変わらなくなってから。
「おい聞いてるのかよ香霖。だから妖夢のやつが」
「すまん、魔理沙の表情が面白くてつい」
 とたんに顔を赤くして離れる少女。分かりやすい反応だ。
「ななななな、なんだよ変態かよ。いまさら私の顔が気になるとでもいうのかよ」
 この子は僕に特別な感情と想いを持ってくれている。隠しているつもりだろうけど……無駄な努力だ。僕のほうが五倍近く生きてるからね。
「僕が変態かどうかはともかく、妖夢が幻想郷の外へ行くのはたびたびあることだが問題でもあったのかい? 白玉楼とは別件かな」
「だからなんで私の顔に見とれてたかって聞いてるんだよ」
 なぜか「見とれてる」に変換されている。
「魔理沙の顔が面白いと言ったんだ、間違わないでくれ。それで妖夢が外へ出た件でなにが問題なんだい?」
「あうっ」
 魔法使い帽子を前へずらし、とっさに表情を隠してくる。情緒不安定というやつかな――中高生相当の肉体はホルモン分泌も活発で、どうしても精神的に安定しない。魔導を究めたいならもっと高い年齢を選ぶべきだろうが、いちいち詮索しない。魔理沙にはあえて一五歳ていどを選ぶ理由があって、彼女のほうから言ってこないかぎり僕が口を出すべきことではないだろう。
 ようやく本題に入ってくれた。妖夢が東京に行ってきたらしい。それも魔理沙が羨望して溜まらない秋葉原へ直通だった。モバイルで動画を見れば、たしかにインタビューへ弾んだ顔で答えている。よほど遊びたかったのだろう、満開の花みたいな魅力的な表情だ。僕を何度も突っついた熱意がすこしは伝わってきた。
『はいっ、ナーヴギアは初めてです。早くアインクラッドで剣を自由に振って、いろんな化け物や人間を切り刻むのが楽しみ〜〜!』
 動画コメントは「長野ちゃん! 長野ちゃん!」で埋め尽くされている。人間を切り刻むという物騒な本音への突っ込みはない。この子は剣士だから、モンスターよりもまず剣を握る人間と戦いたいのだろう。現実の人間がどれほど弱くとも、仮想現実なら妖怪との差も大幅に縮まる。数値はおなじだし違いは技術的な経験量くらいだろう。妖夢は初めて剣士が剣士らしく輝ける世界へ踏み出せる。
「そうか、もう発売日をすぎてたのか」
 外より秋の穏やかな虫の音が届く。落葉が風に舞い、窓の外を流れた。山奥にある幻想郷の秋は短くて、すぐ過ぎようとしている。冬の足音もじき届くだろう。
「四日後には初日だぜ、腕がなるっ! さっさと攻略組織を作って勇者シシオウに勝ってやる」
 ゲームとなればいつもの魔理沙だ。やはり恋の姿よりこちらのほうが彼女らしい。僕もおしとやかよりも元気な魔理沙を見ていたいと思う。この娘は生まれたときから知っているし、それこそ幼少から店の常連だった。僕のことを香霖と店名で呼ぶのもその流れだ。幼児には名詞の細かい区別は付かないからね――
 最初は癖だったのだろうけど、魔理沙はおそらくわざと香霖のままで変えない。
「気が向けば香霖もSAOに来て見ろよ。私が手ほどきしてやる」
 ほかの誰も僕を香霖と呼ばないから――
     *        *
「……来ないな」
 SAO初日の夜。深夜の一二時がちかづき、日付が変わろうとしてるのにまだ興奮の突撃が来ない。こういう記念的な日だと魔理沙はまず僕か霊夢のところへ駆け込む。メディア情報源を文々。新聞しか持たない霊夢はSAOに詳しくないだろうから、間違いなく僕の香霖堂が突入先になるはずなのだが……
 魔理沙を待ちながら片付けていた仕事がまもなく終わる。人間の里からテレビチューナーとアンテナを頼まれ、その調整中だ。天狗を通すと高いから、僕の扱う格安品で済まそうとの魂胆なのだ。ただアンテナにはアナログ用とデジタル用があり、地上波の利用がなくなったアナログ向けは無用の長物になっている。
 幻想郷を異世界としてる大結界は内外を遮断してるはずだが、電波はしっかり通す。太陽光や風雨とおなじだ。そういえば太陽の光とテレビやラジオの電波はおなじ原理だと、紅魔館(こうまかん)の魔法使いに聞いたことがある。大結界の特性は興味深く、光や雲や雨風は通しても物質は簡単には通さない。だから外の汚れた空気は結界の境界で自動的に浄化される。おそらく世界最大規模の空調フィルターだろう。
 アンテナを立ててテレビに繋げ、スイッチを入れる。屋内だけどきちんと動いて画面が表示された。テレビドラマに俳優が映る。目尻のしわも見えるから、解像度はまあ良好だ。この辺りを知識と調べ物なしで確実に見分けられるのは、手にしただけで道具の役割や用途を自動的に理解する僕にしかできない。壊れてるか動くのか、そういった状態も一瞬で分かるので、直す場合も手間が大幅に減る。具体的な操作方法や使い方までは分からないのが玉に瑕だが、「個別のパーツ」に触ればあるていど推測できる。古物を扱ううえでとても有益な能力だ。
 幻想郷にはこういった特殊能力を持つ者が人間妖怪問わず多く、僕みたいに商売で活用してる例もあるし、魔理沙もよろず解決業の霧雨魔法店を営んでいる。親の反対を押し切り、勘当されてまで魔法使いの道を選んだ口だ。彼女が人里を離れ魔法の森に暮らしたのは、自分で望んだ道だ。能力持ちの多くが天より与えられた特別な才能を育て、ぜひ生かそうとする。とくに人間であればその傾向は強く――人生は一度きりだからこそ、情熱的に活動する。
 霧雨魔理沙が得た才能は魔法、生まれつき強い魔力を保有していた。
 常人離れした金髪金眼の赤子「真理沙(まりさ)」を得た霧雨家では、霊力の子、博麗の巫女が生まれたと喜んだそうだが、実際に授かったのは霊力でなく魔力だった。ほぼ同時期、他家に生まれた黒髪赤瞳の子が生まれながらに高い霊力を放っており、やがて歴代最強の巫女・霊夢になる。髪の黒い人間が最強の霊能力者とは、幻想郷でも珍しい事例だ。人間の里の超常者は、たいてい妖怪の先祖返りだからね。幻想郷が成立して一〇〇〇年以上も経ってるから、半妖の僕みたいに妖怪の血が広がっているんだ。ほとんどすべての人間に妖怪や神魔の血が含まれてると思う。この地では神さまや悪魔すら道端を歩き、店へ買い物に来て、飯屋でそばをすすり、宴会で騒いでいる。そんな中で千数百年も過ごして、人と(あやかし)が混血しないほうが不自然だ。
 巫女にならず済んだ金髪の子は、五歳になって寺子屋で字を学ぶと、わずか一年で難しい漢字や英字を習得し、六歳ごろから貸し本屋や僕の店にある魔法の本を読み漁るようになった。魔法でおなじみのルーン文字やヘブライ文字、梵字まであっというまに覚えた。里の名家、稗田(ひえだ)の家に頼み込んで高度な魔術書を読むこともあった。真理沙は西洋魔術と東洋魔術を合体させた独自の魔法を習得していく。師匠がおらず情報源も限られ、書いてあることを片っ端から覚えるしかないから、どうしてもそうなる。幼い真理沙が生き急ぐように魔法の勉強をしていたのには理由があった。子供時代の終焉……時間制限が迫っていたからだ。
 はたして時が来る。
 九歳ごろから両親が娘の行動を制限するようになった。年頃の娘は結婚して家に入り、子供を作り育て夫を支えなければいけない。人間の里で女の結婚適齢期は一四から一八歳だ。二〇歳すぎれば行き遅れと言われる。だからそろそろ「遊び」をやめないと、嫁入り修行が間に合わなくなる――魔法は応用や研究こそが重要だから、真理沙の勉強は大成へ向けたまだ序の口でしかなく、里の常識や価値観と向き合いながら伸ばせる能力ではなかった。人間の里では結婚した女は一生涯、誰かのために働き続ける。そこから自由になれないと魔術の探究はとてもできない。
 真理沙は「女として誰かに尽くすだけのありふれた生涯」を嫌がった。
『なぜ魔法が使えるのに学んだらいけないんだ? みんな好きに修行し研究してるぜ』
 この「みんな」とは幻想郷に暮らす魔法使いや仙人のことだ。真理沙にとって彼ら彼女たちはすでに仲間だった。真理沙が好んで男言葉を使うのは、家庭と世間体に縛られる女の自分を捨てたかったからだろうと思う。
 一〇歳のとき、真理沙は名前の一部を勝手に変え、真を魔に置き換えた。真理沙には「(まこと)(ことわり)を選ぶ者」という高尚な意味があったが、魔理沙にするとただの当て字に見え、名付けの意義が崩れる。これが親父(おやじ)さんを激怒させ勘当の大きな原因となったようだけど、真理沙は自分の名前へ忠実に従っただけだった。魔力を持った者が「真理」を「選ぶ」なら、魔理沙となって魔法使いの道を歩むしかない。
 僕は僕の能力に導かれて自分の生き方を決めてきた。霧雨の道具屋で修行させてもらい、古道具屋として独立した。ただし店の場所は人間の里から離れた森の近くだ。客は限定されるけど幻想入りしてくる様々なものを集めるのにほどよい立地だし、のんびりした僕のライフスタイルに合っている。極論かもしれないけど、人は自分にできる生き方しか選べないと思う。だから魔理沙の早すぎる自立に反対しなかったし、お世話になった霧雨の家を裏切って、隠れるように黙って魔理沙の助けになってきた。それが彼女の能力を伸ばす道と信じて――親身になりすぎてすっかり懐かれてしまったけど。
 こうして「普通の魔法使い・霧雨魔理沙」が誕生した。人に舐められやすい「普通」をあえて名乗るのは、調子に乗りやすい自分への戒めだろう。夢はおおきく大魔法使い。魔理沙が捨てたものは大きかったが、その後に得たものもまた大きかった。
 僕はずっと店にいて、魔理沙の生活と成長、広がっていく世界を見聞きしてきた。きちんと自炊できるようになってからは、ほとんど手を貸していない。目立った贈り物は一人暮らしの選別に渡したミニ八卦炉とそのパワーアップくらいだろう。あとはみんな魔理沙が自分で考え、自分で行動し、自分で解決した。二〇歳くらいでいきなり人間をやめて種族魔法使いになったのは驚いたけど、その目的はだいたい分かっている。その年齢は行き遅れと言われる分水嶺だから――最初は自惚れだろうと思っていたけど、いまでは確信を持っている。状況証拠が多すぎるからね、たぶん当たってる。
 彼女は僕を男として好いている。
 魔理沙が人里を抜けて強引に魔法使いとなったのは、人間の里で女の生涯と常識に縛られたくなかったからだが、それは夫となる者の度量によって大きく変わってくる。魔理沙にとって僕は理想の伴侶だろう。僕は人生設計や人里の常識を必要としない半妖だ。人間の血が混じってるといっても第一世代だから、数百年単位の寿命を持っている。すでに一〇〇年は老化が止まっており、もしかして完全な不老かもしれないね。それなら大怪我や大病以外では死なないから、通常の妖怪とおんなじだ。
 僕が魔理沙の行動を制限することはないし、ありえない。子が欲しくなれば好きなときに作り好きなように育てるだろうし、飽きて僕に養育を任せふらりと出て行くかも知れない。僕はそんな彼女を何年でも平気で待ちつづけるだろうし、また魔理沙はまちがいなく戻ってくる。そんな気がするし、そう信じさせるだけの付き合いはある。魔法使いとしての活躍や人生と、女としての幸せや人生、両方をいいとこ取りできる相手として、独身の僕はちょうどいい存在だ。
 だからあとは僕の態度に掛かっている。はたして僕は、おしめを替えたことすらある魔理沙をそのような対象として見なせるのだろうか――
 時計が一度だけ鳴った。日付変更だ。
 ……悪い癖が出た。すぐ思考が横道に逸れる。いまは魔理沙の心配だった。
 SAOでなにかあったのだろうか。初日から日が変わるまでフルダイブしつづけるとは思えない。「攻略指揮官」とやらを目指す彼女は、ゲーム外でもやることが多いから。汎用な情報収集はログアウトしたほうが何倍も効率が高いと、僕の前で自慢していた。ゲーム内と外、どのタイミングで抜けるのが高効率か、その見極めができるのが良い女の条件らしい。RPGで攻略指揮官をしてる女性がどれだけいるのか知らないけど、魔理沙なら自分の言葉を忠実に守り、とっくに起きあがっているはずだ。
 なにかがおかしい。
 胸騒ぎがした。
 テレビのチャンネルを変えてみる。そうしたほうが良いような気がした。
 ニュース番組が流れ、キャスターが早口で物々しい内容のことを話している。
 ――ログアウト不能のSAO事件。サービス初日、一万人が電脳の捕虜に。
 ――ゲーム機のナーヴギア、恐怖の殺人マシンと化す。
 ――ゲーム中で死ねばナーヴギアに処刑される。外より解除しようとしても殺される。
 ――すでに二〇〇人以上が死亡。戦後最悪の大量殺人事件。
 ――解放されるには、第一〇〇層まで何ヶ月何年かけてでも登るしかない。
 現実として見るには、あまりにも恐ろしいものだった。
 いてもたってもいられない。僕はすぐ店を出て魔理沙の家へ向かう。
 真っ暗な中だし道もない。霧雨魔法店を訪れる者は人間でない者が多く、たいてい空を飛べる。ゆえに道など不要なんだけど、僕は飛べないごく少数派だ。半妖が親よりうけつぐ因子はさまざまだけど、僕は健康で老いない体とささやかな能力を得て、かわりに身体的な能力には恵まれてない。人間側の属性が強くて派手な戦闘はほとんどできないし、弾幕も出せず空すら飛べない。光弾のひとつすら放てない……それが今はもどかしい。
 足下が見えなくて木の根で転ぶ。服がびしょぬれで泥に汚れたようだ。気がつけば雨が降っている。こんなことにすら気がつかないほど焦ってるのか――すぐ立ち上がってまた駆け出す。
 魔理沙、魔理沙、魔理沙っ!
 せめて光の玉でも発生できれば行く先を照らせるのに、暗い中をみじめに濡れながら遅々と進んでいくしかない。魔理沙の家は幾度となく訪れてるから、闇の中だろうが正確にまっすぐ魔法店を目指せる。
 四回転んで膝に小さな痛みを覚えたが、そのまま片足を引き摺るように目的地へ着いた。深夜の秋雨が勢いを増し、数メートル先もろくに見えない。しかし小さな明かりが灯るその場所だけはここに文明の空間に守られた人がいることを示していた。
 霧雨魔法店。
 門前に掲げられた小さな看板を見上げ、荒い息を押し殺して扉を叩く。二度、三度……反応がない。ノブに手をかけ回すと鍵は掛かってなかった。小さい声がささやきのように聞こえてくるが、魔理沙のものではない。すでに先客が入ってる。誰がいるのか予想はつく。
「魔理沙……」
 店舗空間と廊下を早足で抜け、寝室と書斎を兼ねる部屋へ入った。ただ唯一、明かりの灯っている小さな空間だ。
 ベッドで寝ている魔法使いを見つけた。いつものつば広フリルとんがり帽子はなく、頭部にニュースで何度も見てきた灰色の忌々しい機械を被っている。名はナーヴギア。いまや日本全国で一万人をゲーム世界の捕虜としている悪魔の装置……
「アリス、パチュリー、彼女の状態は?」
 魔法の人形遣いアリス・マーガトロイドと、動かない大図書館パチュリー・ノーレッジだ。ふたりとも見かけは魔理沙とたいして変わらない若さだが、実年齢では魔理沙の大先輩にあたる。魔法使い仲間で、無二の親友同士でもある。
 パチュリーが肩を竦めた。すでに心配する友人の顔ではない。
「……ゲームの世界で宿屋にでも泊まったのか、とっくに就寝中よ。身体パラメーターは安定してて、あまり不安には思ってないみたい」
 アリスもおなじようにため息をつく。慌てて飛んできたら、肩すかしを食らったようだ。
「呆れた子ね。私も魔法で調べたけど、歴史に名を残す大事件に被害者として巻き込まれたのを、むしろ楽しんでる向きすらあるわよ。きっと幻想郷が救ってくれると疑ってないんだわ」
 彼女たちの態度で僕も落ち着いてきた。そうだった、幻想郷は奇跡が日常に転がっている……一度戻って傘を取ってくるんだった。
「魔法で魔理沙と連絡は付けられるか?」
 サーチングの魔法をかけながらパチュリーが冷静に答えてきた。
「これからそれを探るところよ。おそらく紫のテレパシーでも使わないと無理だと思うけど、ナーヴギアって知らない部分が多い装置だから、変な手は出せないわ。これが天狗や河童なら有無を言わさずナーヴギア引っこ抜けばおしまいだけど、魔理沙は人間をやめてまだ一〇年あまりしか経ってないから、人間に近いぶん危険よ。慎重を期さないとね」
 宙を飛ぶ人形がタオルを僕に渡してくる。アリスの操るシャンハイだ。その後ろから声が届く。
「霖之助さん、いくら魔理沙が心配だからってその恰好はないでしょ? 汚れ濡れた服であまり屋内を歩き回らないでくれる? ここは女の子の私室なんだし、水気をきらう精密機械もたくさん置いてあるんだから」
「すまない」
「我を忘れるほど心配してくれる人がいるなんて、愛されてるわね魔理沙。羨ましい」
 パチュリーの感想に、僕はなにも言い返せなかった。
     *        *
 眠った子はすくなくとも七人が確認できた。全員が妖怪ないしそれに近い者だ。
 翌朝アリスが冥界に出かけ、SAO最強になるであろう妖夢の精神状態を魔法で診察する。死ぬゲームなのに「大はしゃぎ」だそうだ。魔理沙に言ってた「剣を振る喜び」とやらに夢中で、負の側面を見てないか忘れてるようだ。おそらく二刀流が強すぎて最前線をかっ飛ばしている。ニュースでは汗だくで苦しそうに悪夢にうなされている被害者たちの映像が流れており、デスゲームと化したソードアート・オンラインの真実が浮き彫りにされている。死にたくないけど、戦わないと先に進めないし、お金も稼げない。凶悪なゲームの仕様を考えれば、たとえ街に隠れていてもずっと安全でいられるとは限らない。その恐怖やジレンマと向き合って苦悩しているプレイヤーがたくさんいるようだ。
 我らが幻想郷の妖怪少女たちは、全員がお気楽なものらしい。背景にさまざまな能力を持つ僕たち妖怪がいるから、いつでも自由に解放されるものと思っているのだろうか。戦闘技能的にあやうい河城にとりですら「どきどき・はらはら」ていどで済んでるそうだ。おそらく連絡を取り合い情報を共有しているか、一緒に行動していると見られる。ナーヴギア解除については懸念事項があり保留されている。まずは前例がないこと、つぎは人間に近い魔理沙と妖夢が危ないこと、さらにこういうとき真っ先に動く八雲紫が一向に姿を見せないのが意味深らしい。
 緊急対策会議は博麗神社で行われた。僕も出席してみた。
「紫はサービス前日、プレイを予定してたみんなの前へ出て、不思議な問いかけをしたそうよ――それをまとめれば、どうやら今回の事件を予想していたとも取れるわ」
 紫がいないのでとりあえず場を仕切るのはカリスマの一人レミリア・スカーレット。運命を視て自在に操る能力を持つお子さま吸血鬼だが、相手や事象を特定しておかないと予言に似た強力な能力も発揮しようがなく、SAO事件はまったく分からなかったそうだ。
「すまぬが誰かうちの布都(ふと)を見なかったかしら? 三日前から帰ってこぬ」
 仙人道士の神子(みこ)が、行方不明になってる弟子の消息をたずねているが、誰も返事はない。
「人間の里ではSAOを欲しいと思った人間は何人かいたようだけど、初回を入手できた者がいなくて誰も巻き込まれてないみたいよ。郊外の庄屋さんからまだ報告が届いてないから確実じゃないけど、いまのところはね――二日後くらいに満月だから、その晩に一気に人間の里を調べてみるわ」
 人間の里に暮らす妖怪、上白沢慧音(かみしらさわけいね)が伝えてきた。彼女はこういうとき妖怪と人間の重要な橋渡し役となる。満月の夜だけハクタクとなり、喰らった歴史を纏める。この一ヶ月の「人間の歴史」を調べれば、見落としていた被害者がいても即座にわかるだろう。知らない出来事まで知覚し記録に残せる。
 ほかにはとくに情報もなさそうだったので、レミリアがまとめる。
「紫たちマヨヒガの者と、さらに旧地獄も動かないか。紫たちは幻想郷を出て日本へ潜入し、事件のことを調べている可能性があるわ――それまで輝夜たちの解放は保留としておく。こんなところでいい?」
 誰も反対はなかった。ほかにすべき対策もないだろう。紫がすでに調査をしてるなら、こちらは結果報告を待つのが有効な手だ。
「ねえ、せめてこの『異変』に名前を付けませんか?」
 紅魔館の門番、龍人娘の紅美鈴(ほんめいりん)がどうでもいい提案をしてきたように見えたけど、みんな意外にも乗ってきた。ほかに有益な議題もないからだろう。
「うちの妖夢はソードアート・オンラインの舞台、浮遊城アインクラッドのことを剣舞郷と言ってたわ」
 幽々子の発言が決め手となり、幻想郷と日本の双方へまたがる今回の事件はその名を『剣舞郷異変』と呼ぶことになった。
 長期化が予想されるので異変としては珍しく対策本部を設置し、本部は博麗神社、本部長は不在のまま八雲紫を満場一致で強制指名、さらに異変解決の実動リーダーとして博麗の巫女、博麗霊眞(はくれいれいま)が就く。サブリーダーにレミリアが立候補して受け入れられた。サブはもうひとり選ばれ、推薦で八坂神奈子(やさかかなこ)。ほかの実動人員はまだ置かず、後方の備えとして初代対策委員に聖白蓮(ひじりびゃくれん)豊聡耳神子(とよさとみみのみこ)。天狗と河童、鬼や仙人はまだ時期尚早と判断し様子見。大事化すればまず天狗が人を寄越すらしい。ほかはまだ不明な点も多いので決めず、流動的に対応する。
 すでに一線を退いた先代巫女の博麗霊夢が意見役に呼ばれてたけど、天才肌の霊夢は「動くべきなにか」を勘として感じないと興味もないらしく、当代巫女に御神酒(おみき)をつがせて飲んだくれていた。当代巫女の霊眞は初の大規模異変で、いきなりリーダーとか言われ右往左往している。霊夢の代にもなかったような超大規模な異変へと発展しそうな予感があって、僕もまだ一四歳の彼女に同情した。
     *        *
 僕の能力で貢献できることは今のところなさそうだった。帰りに魔理沙の家へ寄り、急に電源が落ちないようチェックしておく。魔理沙はナーヴギアに殺される危険があるから、「生命維持」はきちんとしておくべきと考えてね。会議に顔を出さなかった永遠亭の賢者がいま、ナーヴギアの殺傷能力を電源オンのまま外部より無効化する方法を開発中だという。ぶっつけ本番になるから、確実に安全と見られる術式を組んでいるそうだ。
 乱雑だった霧雨魔法店の中がずいぶん整理されている。物もずいぶん減ってるように見えるが、おそらく魔法使いの友人ふたりが魔理沙に「失敬」された諸々のアイテムをこの機会とばかりに回収したのだろう。僕が幻想入りしてきた物を拾い集めるのを真似てか、この子には親しい友人に限って泥棒業もどきを営む困った癖がある。こそこそ隠したり売り払ったりはしないので、魔法店を適当にさらうだけで簡単に見つかる。これも魔理沙なりの親愛の表現なのだろうが、迷惑なものだ。そういえば僕の香霖堂からも幾つか知らない間に物が消えていた気がする。
 済まないね魔理沙、女性の家だけどきみは例外だ。堂々と家捜しさせてもらうよ。売り物または非売品を回収するためにね――
 三〇分ほどで一〇個ほど、魔理沙に売った覚えのないものが出てきた。なくした記憶のないものまであって、手癖が悪いねこの娘は。
 眠る魔理沙にでこぴんでお仕置きしてやろうと思ったが、おでこが丸々ナーヴギアに覆われている。仕方なく眉間の低いところ、ほぼ目と目の間をぴんと軽く弾いた。
「……うーん」
 魔理沙が寝返りを打って、指がずれた。そのまま鼻のうえを滑り、口に吸い込まれる。
 くちゅくちゅ――
 反射的か、魔理沙が僕の指を舐め始める。まるでおしゃぶり……偶然とはいえ、どうしてもみだらなイメージを想起してしまう。一〇〇歳以上も年下の娘を意識するだと? しかも魔理沙だぞ? これもパチュリーが「愛されてる」などと余計なことを言うからだ。
「しかし――これはエロいな」
 こう見えて魔理沙は黙っていればかなりの容姿だ。それがこの行動。だめだ恥ずかしくて正視できない。耐えろ、耐えるんだ森近霖之助! 頭がおかしくなりそうなので、背徳的な気分を抑えるため指を離した。魔理沙の唾液が糸を引く。
「……あれ? もう止めちゃうの?」
 背後より声がして背筋が凍るほど驚いた。振り向けば月の賢者、八意永琳(やごころえいりん)に見られていた。助手の鈴仙(れいせん)も一緒だから、どうやら無効化の術式が完成してさっそく施術に来たようだ。
「これは偶然で……」
「さあさあ未来の旦那さんはどいたどいた。七人のトップバッターはもっとも危険なこの子だからね。きっちり無効化しておけば、たとえゲームオーバーになっても死の電子レンジは起動しないわ」
 賢者と助手がにやにや顔で僕をどかし、施術に入る。なんてことはなくたった数十秒で終わった。注射器みたいなものをナーヴギアの後ろへ無造作に突き刺し、謎の気体か液体かよく分からないものを注入するだけだ。術には見えないけど、原理すら理解できない高度な魔法や法術、科学技術が使われているはずだ。進歩しすぎた科学は魔法と見分けがつかなくなり、また逆もそうだ。月の都は地上を凌駕する魔法科学の技術を保有する。そこより落ち延びた医者であり科学者でもある永琳には、幻想郷でも最上級の奇跡が可能だという。
 永遠亭の医療スタッフが去ったあと、のこされた僕は安全宣言が出された魔理沙のナーヴギアへなんとなく手をかけた。これを思いっきり引き抜けば、この子はすぐ解放される。だけどどうしても手に力が入らない。対策会議とそのまま発足した対策本部は「様子見」を決定している。紫の動きも不明だ。命を奪われないと分かってるなら、あちらの世界にいてもらったほうがゲームプレイを通じてより詳しい情報を集積できる。しかも魔理沙はベータテストで攻略集団のトップにいた。ここで彼女を早々にゲームオーバーとしてしまうのは、人間のプレイヤーにとってマイナスにしかならない。SAO事件――剣舞郷異変がすぐ解決するとは限らないからだ。
 異変はただ終わらせればいいわけではない。幻想郷だけなら七人をさっさと起こせばそこで終了する。ただしほかの人間の被害者がいるなら、彼らも救済するのが基本的な「解決」の思考だ。今回は日本全国が巻き込まれてしまっているから、レミリアはおそらく茅場晶彦なる天才テロリストを探しだそうと言い出すだろう。幻想郷の総力を結集すればおそらく可能ではないか?
 なぜわざわざ面倒な遠回りをするのか。
 それは異変を解決する者が「正義の味方」になるからだ。近年の幻想郷は妖怪が迷惑をかけ、それを人間ないし人間に近い者が退治して、平和を取り戻す――という勧善懲悪の演出をしつこく繰り返し、平和を維持してきた。過去には本当の争乱がいくつも起き、多くの命が失われている。それを忘れないために、また正義の人間と悪の妖怪という立場を明確にしておくため、スペルカードルールによる異変と退治の仕組みが霊夢と紫によって「発明」されたのだ。異変を起こす側は自動的に悪となる。主張の内容は関係ない。悪の覚悟ができた者だけが事件の黒幕となれる――「正義と正義のぶつかり合い」など、現在の幻想郷ではありえない。
 対策本部を作ってしまった時点で、参加している妖怪は全員が正義の側に立ってしまう。それはすなわち、見も知らぬ人間の被害者もできるだけ助けよ、という暗黙のメッセージにほかならず。ゲームに捕縛された魔理沙にしても、被害者でありながら同時に正義として動くだろう。きっとゲームの中から解決を目指すに違いない。それを邪魔するなんて、僕にはとてもできなかった。
「未来の旦那か……」
 彼女はこれまで僕と一ヶ月以上離れたことがない。だがこの異変が長くなれば、自然とその最長記録を塗り替えるに違いない。想いが募らなければいいが……魔理沙も僕も。もし魔理沙が目覚めてアプローチがあった場合、僕はどこまで理性を保って避けていられるだろうか。香霖の呼び名が彼女にとって唯一であるように、僕にとっても唯一なのだから。
 たぶん僕も金髪の眠り姫が好きなのだ。それは一〇歳の少女が泣きはらした顔で香霖堂の門を叩いたあの日、すでに決まっていた運命だったのだろう。
 香霖よ、そろそろ年貢の納め時なのかもしれないな。
     *        *
【ある日の映姫さま】
     *        *
「たっ、助けてください閻魔さまぁ! 冥界なんて嫌だー!」
 鬼たちに連行されていく七〇歳ほどの男性、冥界行きを地獄行きみたいに重く受け止めている様子だ。
「あの世で生前を振り返りなさい。それがあなたに積める善行です」
「仕事一筋の人生で、誰も傷つけなかったし、万引きひとつしなかった。晩婚だったけど、ちゃんと子をつくり立派に育て上げた。なのになんで冥界なんだ! お慈悲を、お慈悲を〜〜」
 それがダメなのよね。仕事も子育ても人間として自然の営みだからプラス査定にならない。天界へ行くには善行を重ねないといけない。悪いことをしなかったのは、ただニュートラル、灰色でいただけ。
 冥界の別名は浄土だから、いちおう天国行きの範疇なのよ。それをどう解釈するかは、受ける人次第ね。
 死後裁判は白の天国か黒の地獄かだけなんだけど、それじゃいくらなんでも乱暴すぎるから、黄泉から転じた冥界が白黒の間に挟まり、天国寄りの一部を担ってるわけ。冥界のはるか上空に極楽の天界がある。両方を合わせて極楽浄土という。
 冥界のおそらく地底は地獄かもしれないけど詳しくは知らない。ただ幻想郷の上下構造がひとつのヒントになる。天界は妖怪の山のはるか上空とも繋がっており、山の地下には旧地獄が繋がっている。ちなみに地獄も多層構造で、表層にあるのが三途の川と彼岸。ここに集まってきた死者を天国と地獄へ振り分けるのが私たち閻魔の役割。死後裁判を地獄で行ってるのは、審判を受けず逃亡した愚か者が得をしないようにだ。
 老人はさっさと連れて行かれた。これ以上、文句を聞いてあげるほど私も優しくはない。
「さてと、つぎの魂は……ついに来ましたか」
 鬼に背中を突かれ、入廷してきた痩身の男、どうしてこうも堂々としてるのか。檀上にいる私を見上げてこゆるぎも驚きすらしない。まるで観察されてる気分だ。
「閻魔の世界はよほど人手不足なのか? こんな子供がやってるなんて」
 最初の一言がこれか。死んだばかりでもっと色々アレだったりコレだったりするものなのに、落ち着き払っていて変わった男だ。世紀の天才というのはこんなものなのかしら。
「うるさいわねあなた。順番待ちの列からすでにブツブツ聞こえてましたよ――すこしはお黙りなさい。私はこう見えて神の一柱で、千数百年は生きてます」
「声も威厳からはほど遠いが、閻魔大王ではないのか?」
 彼岸が発生した当初に出現した閻魔たちのことだ。
「私も閻魔ですけど、さすがに『大王』じゃないわね。人間が増えすぎて十王さまたちだけではまったく捌ききれません」
 十王さまは東京・京都・奈良・愛知・大阪といった、大都市や信仰上の要地を担当している。それ以外はあとから閻魔になった私たちのような者が配置されている。大昔は四九日もかけて丁寧に審判してたけど、次第に簡略化されてゆき、いまでは混んでなければすぐ判決を下す。たいてい当日中だ。
「このような女の子が長野県を任されているとは、地方閻魔の選抜基準がどのようになっているのか気になるな」
「能力優先に決まってます」
 私には人を裁いて動揺しない能力がある。人の話を聞いて影響もされにくい。そういう魂の形容をしているの……絶対の基準と価値観。それが閻魔に必要な才能のひとつだ。
「見た目は重要でないと」
「私たちとの対話を覚えたまま転生していく人なんか原則的にいないのに、閻魔に威厳が必要なんですか? ――前置きはこの辺にして、裁判を開廷するわよ。あとがつかえてますからね」
「弁護人すらいないのにか。誤審の元にならないかね?」
 質問の多い男だ。まるで子供のようにつぎつぎと興味を示してくる。
「文句ならこう決めた古代の人間たちに言ってください。人の意識が客観的で公平な死後裁判を望まないかぎり、変わりようがありません――私は信濃国を担当している閻魔のひとり、四季映姫です」
 疲労による誤判を防ぐため、閻魔は一二時間ごとの二交代制だ。幻想郷ではなぜか幻想郷担当と思われてるけど、そんな「超閑職」が閻魔に許されるはずがない。長野県にあるから担当の一部になってるにすぎないのよ。幻想郷の死者に対しては四季映姫・ヤマザナドゥを名乗る。ヤマは夜摩天で閻魔のこと、ザナドゥは上都と書き桃源郷を意味する。
「私は茅場晶彦。はじめまして」
「さて、あなたの白黒を拝見させてもらうわよ――」
 卓上に置いてある鏡を掲げる。八角形の持ち手に固定された水晶の鏡。銀の蒸着メッキなどさせておらず、水晶のまま。
 |浄玻璃《じょうはり》の鏡。神が極限まで磨き上げ、真実を映す神具となった。
 その鏡を裏返し、水晶の面を痩身の男に数秒ほど向け、すぐ表に返す。すると水晶の表面に、茅場晶彦の生涯が流れるように映し出されてきた。一分ほどじっと見つめる。ほかの閻魔は知らないけど、一言も発さず集中して観察するのが私のやり方だ。誤審なんかいやだからね。
「……あなた、不思議な男ですね。まあいいわ」
 それ以上は言わない。茅場は多少の悪行が吹き飛ぶくらい余裕で天国へ行ける大功績をいくつも立てていた。社会にさまざまな変革をもたらしている。中には医療業界へ貢献する技術もある。メディキュボイドという仮の名前が付いてるけど、これが実用・小型化されれば天界の門を二度は叩く権利が与えられるだろう。だけどその試用前にこの男はとっとと死んだ。
 自殺という形で。
 みずから死を選ぶ。これはかなりのマイナス評定となる。江戸時代以前だと自殺はたいした罪じゃなかったけど、明治以降すこしずつ評価が変わってきた。人が長生きできる社会ほど、自殺の意味が重くなる。命の価値がまったく違うんだ。
 さらに――SAO事件。これは聖者級の善行をも打ち消されるほどの大罪だ。
 一万人余の拘束に、八一三人の大量虐殺。さらに彼らの家族や知人恋人のうち絶望から自殺した人、体調を崩して亡くなった人も七人いるから、プラスして八二〇人。社会的な悪影響も絶大だ。生存者の今後の人生など……そろばんを取り出し、いろいろ加味していく。数々の善行要素はあっというまに消費しつくし、マイナスに落ちた。すごい数字が弾き出されそうだ。
 私はずっと閻魔でいたわけじゃない。元がお地蔵さんだから、最初から閻魔として誕生した生粋の大王さまと比べ、長期間の重責には心身が耐えきれない。激務だからこそ任期が決まってて、閻魔でいるときとただの道祖神でいるときがある。それでも累積して何百年かは閻魔をしてきた。そのけして短くはない閻魔人生の中でも、この男の所業は最悪のクラスだ。
 手に汗が滲んできた。いくら動じにくい体質といっても動揺するときはする。数百年に一度あるかないかの大犯罪人を担当して、緊張しないほうがおかしい。神といっても生き物だ。
 計算結果が弾き出された。やはり歴史的な大事件だけに、すごい数字だ。はたしてこの刑期が終わるまで地獄は存続しつづけていられるんだろうか。いちおう検算してみる。間違ってない。
「茅場晶彦。あなたを大量殺戮などの重罪により、無間地獄にて懲役二万二四四四年とします」
 前置きもなくいきなり判決。戦後に日本で行われたあらゆる死後裁判でまちがいなくダントツとなる巨大な数字だ。いつもの私らしくなく緊張している。説教タイムもなしとは――言うだけ無駄みたいだし。
「……ふむ」
 動じてないの? ――覚悟くらいしていたと思うけど。むしろ彼の後ろで待ってるほかの新米死者たちが驚愕している。大丈夫だよあなたたち。この男が特殊すぎるだけだから。
「ひとつ聞きたいのだが、おそらく日本人で最長の刑期を受けた織田信長は何万年だった?」
 あくまでも研究者の目線だね。あまりにも変人だから、すこし意地悪がしたくなった。私とて人妖には違いなく、長生きしていようがこの若い外見に縛られた多感な中身を持っている。女の子としてのね。口うるさい説教癖はそのひとつだ。
「彼はもう地獄におりません。神さまになったから」
 |建勲神社《たけいさおじんじゃ》という。生前一〇万人を「積極的」に殺した信長は三〇万年以上の刑期を受けたと思うけど、もう晴れて無罪放免の身だ。祀られたのは死後三百年近くも経ってからで、一般的な英霊と比べればだいぶ遅かった。地獄の苦難を何百年も味わってきた信長公は、神として「救われた」結果、人が変わったような聖人になってるそうだ。
「ほほう、人の信仰心は閻魔の判決すら覆すのか」
 ささやかな希望を与えてしまった。口は災いの元だね。
「……地獄へ落ちなさい。それがあなたに積める唯一の善行です」
 まさに負けた気分で退廷を命じた。これは紫も泣きだすわけだ。
「私の夢はすでに放たれ、おそらく順調に動き出している。その結果を直に見られないのは残念だが、しでかした罪は償わねばならない……行こう、地獄へ」
 誰も聞いてないのに勝手に語ると、鬼に連行されるまでもなく、自らの足で地獄行きの門へと向かっていく。なんて男だろう。学者で技術者なのにまちがいなく英雄の相があるね。人を殺しすぎれば殺人鬼を超越して英雄になる。戦争の時代だけでなく平和な時代でもおなじなのだろうか。なら嫌な言葉だよ英雄とは。
 高名な学者や英雄は死後直後ないしもれなく神として祀られる率が高いけど、茅場晶彦が何百年かしてそういう特別な存在にならないことを祈った。神なのに神へ祈るとは――。
「つぎの人」
 季節の移り目は体調を崩して亡くなる人が増える。まだまだ今日は仕事が溜まっている。たとえ私の閻魔人生で最大の記録的な犯罪者を扱ったとしても一瞬のこと、あくまでもひとつの裁判にすぎない。でもプライベートでは死ぬまで忘れられないだろうね……私が「口で負けた」茅場晶彦のことは。


※香霖/ある日の映姫さま
 デスゲーム開始直後と終了直後を、ちょっと外野な人物の視点から描いてみるのが主旨。

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