三五 結:幻想大戦・後編

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ソード妖夢オンライン6/三一 三二 三三 三四 三五 三六

 地鳴りであった。
 大地がかすかに振動し空気が震えつづける。空間全体が腹の底まで響きそうな重低音をひっきりなしに立てている。地平は真っ黒だが明瞭には見えない。土煙が激しく舞っており、なにが蠢いているのか詳しくは分からない。ただひとつ分かるのは、これが大移動により起こる音である、というくらいか。
 妖夢はこの音響を知っている。日本で毎日のように聞いて体験していたものだ。閑かな幻想郷や冥界では知ることのなかった、騒々しく活力にみなぎった大都会、東京大都市圏の持つ昼間のサウンド。四〇〇〇万人近くが暮らすそこで妖夢は中学校に通い、アイドルとして活動してきた。慣れてしまえばなんてことはないが、総人口二〇万にも届かないアンダーワールドでこのスピーカー音を聞くとは思わなかった。
 混沌とした賑わいの音だが、黒いうねりと波の正体は兵士アバターだ。何十万あるいはそれ以上のプレイヤーが、ザ・シードの機能を通じてアンダーワールドの決戦場へ寄せてきている。
「――壮観ね」
 幽々子が一言、妖夢の隣でみじかい感想を漏らす。妖夢と幽々子はいま、高度一〇〇メートルほどの高所で状況を見守っていた。飛竜が何頭か、黒い大海嘯とこちらの間を行き来している。暗黒騎士団に所属する竜騎士が偵察を行っており、その総数はわずか一〇騎あまりしかいないが、幸いなことに下より攻撃を受けることはなかった。
「アメリカ軍なのに、空を飛ぶ手段や攻撃する武器がないみたいですね。飛行を困難としてるアンダーワールドの仕様で助かってます。迎撃はわりと楽にできそう」
 妖夢が下を見れば、狭い谷へダークテリトリー軍三万余がしずしずと収まっていくところだ。広い大地にいれば四方八方より包囲されて短時間のうちに全滅するだろう。人界軍との緊急停戦はすでに合意へ至っており、この行動にとくに問題はない。あちらもあちらで慌ただしく動いている。両軍とも回廊の狭さを利用する方針で、戦闘範囲は正面に限られる。
「甘い観測ね妖夢。あまりにも数が多いから、あいつらは米軍じゃないわ。なんらかの手法で騙された一般のゲーマーで、ただの捨て石……きっと本命がいるわよ。米軍そのものか、または神や妖怪。そちらのほうは空を飛ぶだろうし、長距離攻撃手段も持っている――」
『そんなことよりも、その一般の方々を迎撃し倒してしまうほうが大事件ですよ。いまの状況、痛覚遮断が無効です。斬れば痛いし刺せば苦しい』
 半霊の頭より垂れ下がっている携帯で、ユイが厳しい現実を突き付ける。
『かつて妖夢さんがPoHをゲーム内で一〇〇〇回近く斬りまくった結果、そのストレスで脳内出血を起こした彼には障害が残りました。今回は死ぬ体験そのものですから、たった一撃の苦痛で同等のストレスを受けたとして不思議ではありません。アミュスフィアには精神性ストレスに応じて強制切断する機能が備わってますが、どうしても時間差が伴いますから、死の激痛を緩和できる方法はありません。一〇〇万人もいますから、中にはリアルでショック死する人も出るでしょう』
 とんでもない予測だった。妖夢の顔が蒼白になってくる。
「……その責任って、もしかして」
「まちがいなく幻想郷のせいにされるわね。ゲーマーの多くは弾幕を操る私たちが倒すことになるだろうから――」
「紫さまー!」
 八雲紫はシャスター新王の幕僚陣に混じり、参謀待遇で迎撃作戦を補佐している。だからこんな高所で大声をあげたところで届きはしないのだが――
『しっかり聞こえてたから大声あげないでくれる? 頭の中でガランガランと共鳴しちゃってるわ』
 賢者の念話が妖夢の脳へと響いてきた。
「紫さま、ユイが大変なことを予測しました」
『それは私もうすうす考えてたけど、ユイのおかげで確信できたわ。この過剰なまでの数、幻想郷のイメージに回復不可能で深刻なダメージを与えるのが敵の狙いね。レミリアの運命視は敵側に限って大幅に無効化されていた――幽々子、私に代わってシャスター王を補佐してちょうだい。私は一度、現実に戻って態勢を整えるわ』
「この世界って、リアルよりずっと時間の流れが速かったんじゃない? 外からの対策なんかとても間に合わないわ」
『それは大丈夫。STL以外の手段で部外者がログインしてきた時点で、テロリストがタイムスケールを一倍まで下げてるわよ。すくなくとも一〇〇万のプレイヤーのうちひとりでもログインしつづける限り、等倍からの変速はできないわ。切断を除いてね。強制退去は幻想郷の勝利を意味するから、敵は作戦が持続するかぎり加速できない。それにしても、まさか幻想郷そのものまでターゲットにしてくるとはね……恨みを持つ相手が黒幕とすれば、因縁はSAO関係かしら? それともエイリアンショック利権?』
 そのとき、妖夢の背後より尋常ならざる巨大な爆発音が届いた。
「なにっ?」
 あわてて振りかえると峡谷の反対側のさらに向こう、つまり人界側の大地に、七色のオーロラが降り注いでおり、不思議な光のカーテンが撫でている箇所から大きく裂けているところだった。一キロ以上離れてるのに地割れがくっきり見えてるわけだから、とんでもない規模の天変地異が起きている。
『アスナの作戦よ。アカウントが創造の神ステイシアだから、地形操作がチート能力として与えられてるの。さすがに無制限じゃないけどね』
 たしかに見れば光の出所に米粒みたいに小さいアスナがいた。飛竜の背中に乗って高度数百メートルより不思議な術を発動させている。いくら神のアカウントといっても、アンダーワールドは飛行制限が厳しい。アスナの周囲を五頭の飛竜が囲んでおり、不測に備えてガードしている。乗り手は全員が整合騎士だ。アスナを乗せている竜にも、黒髪の女性の整合騎士が乗っている。見た目の年齢は二〇歳くらいだが実年齢はずっと上だろう。名前は知らない。
『アスナはそのままこちらへ来るから、出迎えてあげて妖夢。幽々子は先に降りて私と代わって。いまは時間が金銀財宝よりも貴重よ』
     *        *
 アスナとともに妖夢が降りると、笑顔のシャスター新王が出迎えてくれた。いつのまにか赤いマントをあつらえている。黒いマントは黒騎士の証だが、いまは戦場にいながら公的に登極した王様だから、赤マントが似合っている。これもカデ子のずば抜けたシステム権限あればこそ。
「待っておりましたぞステイシア殿! 創世神の御技を我ら世捨てのダークテリトリー人のためにも行使してくださる大恩、とても言葉には尽くせぬ」
「下手な演技はなしにしましょう。この中身が外の人間だと、ご存じですよね」
「むろんだ。だが俺は王でそなたは神で、いまは世界の命運を賭けた大戦だ。演じるのも――なんといったかな、古代語でロールプレイング? 後世のためにも必要であろう。神話の最終章において、実際にそういう言葉がそれらしく紡がれたという事実がな」
 それなりに緊張してた様子のアスナが、思わず笑っていた。
「シャスターさんって、聞いてたよりお茶目な方なんですか?」
「どのように聞いてたかは知らんが、すくなくとも俺はありのままだ。俺の上位者はカデ子殿しかいないから、もはやなにも偽らなくてよい」
 アスナとの挨拶は良好に済みそうだった。対策案がまったく思いつかなかった妖夢もほっとしている。敵の作戦はステイシアの能力でなんとかなりそうだった。
 だが初対が良い関係ばかりともいかないのが世の中というもの。
「……おまえは誰だ女」
「…………」
「ずいぶんと細い体に剣も頼りないな? そんなので戦えるのか? ちゃんと食ってるか整合騎士さん」
「…………」
 妖夢の隣で、若い女性をナンパする男の声。
「整合騎士さん、相手にしたらいけませんよ」
 乳首を堂々と見せる上半身ほぼ裸の青年――というより茶髪の少年が、無表情の整合騎士へ話しかけている。あきらかに興味本位だ。火炎のように尖った眉が彼の性格を端的に示している。
 アスナを乗せてきた飛竜の操者に、武器を持たない革と布の装備だけの少年が絡んでいた。
「俺はイスカーン。拳闘士団のチャンピオンだ」
 冥界で先代の暗黒将軍より教えられた予備情報にあった。拳闘士でチャンピオンとは、ただの優勝者にとどまらず、組織全体のトップを指す。
 つまり……なんと将軍ユニットの一人だった。まだ二十歳にも達してないから、おそらく現役で最年少の「諸侯」だろう。見ればイスカーンの後方に何人か、彼の側近と思われる軽装の拳闘士が佇んでいる。みんな武器を一切帯びておらず、肉体のみで戦うスタイルだ。暗黒騎士団と並ぶ主戦力に位置づけられており、遠距離より撃たれれば弱そうだが、こと近接戦になれば爆発的な破壊力を発揮する。ダークテリトリーで彼らは意外に数が多く、その総数は暗黒騎士と並ぶ。妖夢が修行で一週間を過ごした道場参道にも拳闘士はたくさん歩いていた。物資に乏しい暗黒界だから、武器なしで強くなる戦闘術、すなわち拳法が発達したのだ。
 押しの強さに閉口したのか、無音の女性騎士が口を開く。
「――シェータ。シェータ・シンセシス・トゥエルブ」
「残念だなあ。人界との戦いが終わってしまったから、せっかく整合騎士と()り合えるチャンスだったのに」
「あなた、とっても『堅そう』。すべてが終わって生き残っていたら、戦ってもいい」
「おっ、約束だぜ! 俺が勝ったらシェータ、おまえ俺のものになれ」
 これには妖夢をはじめ、周囲の全員があっけに取られた。
 言われた当人も困惑している。
「……どうして?」
「野生の勘が告げたのさ。おまえは俺とおなじ魂を持っていると。俺はただ殴りたいだけのバカだが、シェータはたぶん、ただ斬りたいだけの同類」
「いつもそうやって誘ってる?」
 シェータが剣の柄へ手をかけた。表情は不変だけど、ちょっと怒ってる。
 するとチャンピオンの前にたちまち肉の壁ができあがった。イスカーンの部下が身をていして守ろうとしている。忠誠心の高さを示していた。
 側近のひとり、若い女がシェータへ告げる。
「うちの大将は軽そうに見えるけど、根は一徹でいつも大真面目さ。悔しいけど誰も言い寄られたことはない。だからガリガリ女、あんたはチャンプにこんなことを言わせた初めての女だ」
 しばし側近とシェータがにらみ合っていたが、女闘士の真剣さを感じとった整合騎士が先に身を引いた。
「信じる」
 それだけ短く言うと、もうイスカーンがなにを言っても無反応、無音のシェータへと戻った。
     *        *
 幽々子の従者という立場にあるから、その神話的な光景を間近より目撃する自由は許されなかった。それでもシャスター王の本陣より遠目で見物はできた。
 シェータの飛竜に乗ったアスナが両手を振ると、無より虹色のビームが生じ、まっすぐに地面へと突き刺さる。
 虹のカーテンとしか表現のしようのない鮮やかな壁が妖夢の視界いっぱいに広がった。北から南まで、扇の形に暗黒界軍を覆う神の輝き。同時に大地震が起こり、正面にあった大地がどんどん削れていく。一瞬にして谷が出現しようとしていた。
 ガブリエル・ミラーの件で神ユニットの中身が人だと知れてはいたが、それでも神の奇跡と同等の大技に、周囲の暗黒界人たちが思わずひれ伏し涙を流し、祈りに身を委ねる。やがて輝きが消えていくと、安全を保証する天然の崖が開いていた。奥行き一〇〇メートル前後、深さは真っ暗で底が見えない。自然にできた崖や谷ではなく、ほぼ垂直に切り立った人工的な絶壁が延々とつづいている。両端は果ての山脈へ綺麗に切り込んでおり、迂回しようにも山際のごく狭い範囲しか行けない。個人ならともかく軍隊レベルの回り道なんて不可能だ。
 仕事を終えたステイシア神が飛竜とともに降りてくると、彼女は歓呼の嵐に迎えられた。どんな大軍勢でもこの崖の突破は困難だ。しかもろくな長距離攻撃手段を持たないことがすでに偵察によって確かめられている。この一帯は橋を建設する資材にすら事欠く荒涼とした岩地が広がっている。長期間の攻防戦が起きないようラースが設定したのだが、まさにその地勢がアスナの作戦へ二重丸の合格点を与えていた。敵にとって難攻不落でも、アスナの力であればこの崖へ橋を架けるなど造作もないだろう。
「念のため、矢と術式に備えて陣地を構築せよ! 高さ一メルの土塁と耐火盾だけで構わぬ」
 シャスターの命は端的で、暗黒騎士たちが素早く作業に入る。王になりたての彼がこのような面倒な作業で動かせるのは、当面は暗黒騎士団だけだろう。ほかの集団や亜人たちはまだ王を心より認めたわけではない。絶望的な大敗と整合騎士アリスの鉄槌、闇神の退場からカデ子の登場、新王の誕生までなにもかもが早回し、あっという間だった。力ある者がトップに立つ。それを阻んでいたのは王ユニットに誰もなれないシステム的な不備だったからだが、今後は違う。
 暗黒界軍側の安心を見て取ったアスナは、シェータとともに人界軍の陣地へと戻っていった。
 その飛竜に同行したがってた妖夢だが、自分の立場を思い返すと動きたくても動けない。
「キリトの隣にいたいのね?」
「……すみません幽々子さま。命をかけた戦いの最中なのに」
 妖夢たちは紫の境界能力を通してこのデジタル世界へお邪魔している。もし死ねば本当にあの世へ導かれてしまう状態だ。すでに亡くなっている幽々子の場合は魂の完全消滅となる。いくらご主人のほうが強いといっても、幽々子の力の源は冥界の首府、白玉楼に生える妖怪桜・西行妖(さいぎょうあやかし)によるものだ。その冥界を遠く離れてしまっている。力を使いすぎれば、幽々子への供給が続くか不安な状況だ。ゆえに妖夢は幽々子にできるだけ力を使わせないよう、盾となり矛とならなければいけない。それが魂魄妖夢の公的な姿であった。
「人界軍側にはアリス・マーガトロイドがいるわ。アンダーワールド人の総合的な戦闘力では、もっぱら整合騎士に頼っているけど、人界軍のほうが上回っている。だからこちらには非常に備え、私と妖夢が必要なの」
「未熟ですね私、つくづく」
「あちらにはまだ切ってないカードがあるだろうから、どうせ簡単には片付かないわよ。レミリアが言ってたようにキリトは特殊な能力を持ってるわ。望まずとも英雄になってしまう能力よ。だからきっと彼には活躍の場が来るはず。そのときは勝利疑いなしだろうから、隣にいてやりなさい。英雄伝説には添える花が必要だわ。それは何本あっても困ることはないでしょうし、あなたは最初の花なのだから」
「はい」
 混乱を望むとはおかしなものだが、たしかにこれで終わるとは妖夢も考えていなかった。紫とレミリアを揃って出し抜くのがどれほどの壮絶な大事(おおごと)か、敵の正体は神を操る力を持っていたミラーだけでも底知れぬ深いものがある。
     *        *
 一五分後、一〇〇万を数えるプレイヤー混成軍とアンダーワールド連合軍三万五〇〇〇が衝突する。
 それは最初から崖を挟んだ一方的なものとなっていた。
 アンダーワールド側には弓矢や火縄銃、魔法がある。
 対してプレイヤー軍には剣や槍しかない。
 プレイヤーたちは全員、暗黒騎士に似た画一的な甲冑を身につけていた。それが暗黒界軍側で激しい怒りを呼び起こす。味方の姿を真似て攻撃してくるなど、いくら無法のダークテリトリーでも禁忌に類する非道かつ卑怯なタブー、その最上級に当たるものであった。少数が多数に抵抗して生き残るため、といった免罪符でもないと許されないのに、やつらと来たらアンダーワールドの総人口に五倍する大軍勢だ。
 人間プレイヤーは最初から無秩序な状態だった。誰も指揮官がおらず、ただこちらへ向かってくるだけ。突如として絶壁が開けてるのに、後ろからどんどん押してくるので、面白いように勝手に落ちていく。さらに崖を挟んで長距離攻撃が間断なく放たれるので、事情を知らぬ後陣の連中がやっきになって押す力を強める。
「……痛そうですね」
「うん、痛がってるわね」
 オーガの矢を胸に受けた少年が、背中を誰かに押され、悲鳴をあげて崖へ落ちていく。その隣では火炎魔法で焼けたおじさんが痛みにのたうち回っている。ペインアブソーバが無効化された、真実の死を体験してしまう戦場。そこへどのような宣伝文句で気楽に誘われてしまったのだろう。
 彼らが放つ言葉は千差万別だ。英語があって中国語があり、韓国語にフランス語ドイツ語スペイン語……さまざまな言語が入り混じっている。中には日本語も聞こえており、これがどれほどの全地球的な大問題へと発展するのか、頭痛がしてきそうだ。もはやアメリカの秘密作戦とか関係ない。
「幽々子さま、せめてシャスター王に攻撃を止めさせることは出来ませんか?」
「それは無理ね。彼らはミラーの無慈悲な命令によって二万人も死んでしまったわ。だからおなじ世界から来た彼らへ復讐しないと気が済まないのよ」
 たしかに放置しても崖へどんどん落ちていくのに攻撃を加えているのは、まさにそれがあるからだろう。人界との和平がなった以上、くすぶる不満をぶつけるには、ほかに相手がいない。
「……幽々子さま、私が彼らプレイヤーを説得する――というのは、無理でしょうか?」
「日本語を理解できる人って、あの中でたいしていないと思うわよ。それに幻想郷の者が姿を見せれば、幻想郷の責任がいよいよ明瞭になるわ。紫が戻ってくるまで待ちなさい」
「せめて痛みを伴わず殺す方法があればいいのですが……」
 妖夢が望めもしないものを欲した直後、遠くより「リリース・リコレクション!」という叫びがかすかに聞こえてきた。
「この声はたしかユージオさんのものですね。なにかあったんでしょうか?」
 妖夢が声のした右前方へ目を向けると、崖の端へ飛竜が舞い降りており、ユージオと整合騎士アリスが大がかりな術式を解きはなっていた。
 ユージオの持つ青い剣より冷気の薔薇が派手に枝分かれし、クジャクのような大輪となって宙へ広がりつつある。そこへアリスが金色の剣を前方へ掲げ、鋭く叫んだ。
「リリース・リコレクション」
 起きた現象は激しかった。つむじ風にも似た金色の嵐が発生し、せっかくユージオが咲かせた氷のローズ・ガーデンを粉々に砕いてしまった。だが金色は青味を帯びて薔薇を受け入れ、混ざった凍える嵐が竜巻へと成長し、崖を飛び越えていく。
 ユージオとアリスの手に剣はない。剣そのものが互いに通じ合い、ひとつの攻撃術式へと変身してプレイヤー軍へと襲いかかった。
 輝ける冷気の塊が対岸へ接触した瞬間、地面が激しく凍り付きはじめた。
 瞬間的な冷凍は走る速度で地面を這い、たちまちのうちに崖の南北すべてを覆ってしまった。さらに氷の蔓が伸びて、つぎつぎと不幸なプレイヤーたちを広範囲かつ無差別に絡め取っていく――アリスの鉄槌やアスナの神威にも等しい超大規模術式だった。
「妖夢、事情を聞いてきなさい」
「はいっ!」
 空を飛んでユージオたちの元へ向かう。すでにシャスター軍より亜人が幾人か向かっていたが、あっさりと追い抜く。
「間に合ったかな?」
「キリトの予想なら、これで大丈夫だと思います」
 どうやらキリトの要請でこちら側へ来たようだ。
「……ユージオさん、アリスさん。これはいったいどういう攻撃ですか? 王の許しは?」
「伝声器を通してシャスター王の許可は取ってるわ。これはちょっとした心理学の実験よ。剣を回収したら去るわ。それまでご免なさい」
「心理学……?」
 亜人たちがようやく追い付いて、抗議した。
「なにしでる! あれでは的が怯んで、こちらへ来なくなる!」
 オーク族の男だった。ちょっと整った顔をしており、丁寧な造りの鎧から身分の高さが伺えた。周囲の者も装備が良いから隊長か、または側仕えだろう。
「リル、どのみち私だちには矢も残り少ないから、オーク族にはあまり意味ないです」
 きれいに結わえられた髪をもつ高貴な装束の女オークが長を諭した。オーク族の発声には独特のダミがある。
「だがレンジュ、こいつらが余計なごとしなければ、もっと多ぐのイウムどもを殺しでやれるのに!」
 ユージオが首を横へゆっくりと振った。
「だからこそです。敵の正体が不明なうえ戦いはまだ先があるのに、有限の矢や空間力を無駄に消費するわけにはいきません」
 ――ああ、なるほど。
 妖夢はユージオたちの意図を知った。シャスター王もこれ幸いと乗ったのだ。新王は成り上がりだから、こういう勝ってる場面で中止しろと言われたら、暗黒騎士団以外は感情的な不満が積もる。なら物理的に攻撃不可能な状態へ持っていけば済む。
 つい先ほどまでがむしゃらかつ無意味に寄せてくるだけだったプレイヤー連中が、すっかりその足を止めていた。超ど派手な攻撃を前にして、目が醒めてしまったのだろう。おまけにこの即席氷雪地帯は崖の北から南までをきれいに覆ってしまった。足を踏み入ればたちまち(いばら)に捕まってしまう、おそるべき氷の罠。
 捕まった連中はざっと見で四~五万人にも及ぶが、みんな力が抜けてしまうようで、ただ動けずだらりと倒れ伏してるだけだ。ひとりまたひとりと次々に消滅しており、天命を奪う死のトラップらしかった。死体の残るアンダーワールド人と違い、あちらから来たプレイヤーはゲームよろしく即座に消滅するだけのようだ。彼ら罠へかかったプレイヤーの表情に、痛みや苦しさは感じられない。一〇〇メートル以上離れてるが、妖夢の視力なら彼らの顔がつぶさに見て取れる。ついさっき言った苦しませずに殺す方法、それがユージオとアリスの手で早々に示されていた。
 これがキリトの狙いだったのだ。説得とかそういうものじゃなく、お互いが戦闘できない状態へと持っていく。やはり英雄の相だった。たとえ指揮権を持たずとも、妖夢の恋人は英雄的なまさに「英断」を下して戦いを支配していく。このような方法を重ねて、彼は人界を救ったのだろう。SAOでは妖怪たちの監督が厳しくてキリトの英断はごく一部でしか見られなかった。だがあの少年は幻想郷や妖夢の助けがなくとも、自動的に正解への道を模索し、やがて辿り着いてしまうのだ。茅場の正体を見抜いた一撃で、その後の展開はそっくり激変してしまった。与える影響の巨大さにおいて、キリトの行動は比類ない。妖夢があの世界で得た「あらゆるソードスキルを操る能力」がゲームクリアに貢献した割合など、ごく微少なものにすぎなかった。
 最小の行動で、最大の効果をもたらす。
 それは繰り返し見せられてきたが、今回もきっちり活躍してくれている彼氏だった。
 英雄の相、主人公の運命を持つ少年。
 まったく凄い男を好きになってしまったものである。鼻が高いったらありゃしない。
 その男が仕掛けた罠が完成する前に見抜いてた亜人の隊長も只者ではない。ひとかどの武人だろう。
 妖夢の視線に気付いたオークが、いきなりきつい(まなこ)を返してきた。慢性的な嫉妬の感情を妖夢の半霊がキャッチする。
「おまえは幻想郷の妖怪だったな? おではリルピリン、オーク族の族長だ」
 まだ若いのに慎重だったおかげで生き延びた、亜人唯一の諸侯だ。思わぬ大物だった。シャスターに命じられて亜人の残存部隊をまとめているから、命令系統としては暗黒界軍で最大勢力のトップでもある。彼の指揮ひとつで一万人以上が動く。
「妖夢です。幻想郷の関係者ですが、住人ではありません。死後の世界、冥界で剣士をしております」
 正体を聞いたリルピリンの目の色が変わった。
「死後の世界だと! ……なあ、おでだちオーク族は死んだら、その魂はイウム族とおなじく神界へ召されるか?」
「神の国には神仙しか住んでいませんよ。しかも地上に降りて人の信仰を食べてる神も多いですから、意外とガラガラの過疎地です」
「過疎? まるでダークテリトリーの荒野みだい。そんな寂しいどこ、暮らしだくないな」
「亡くなった魂ですが、死後裁判を受けて、生前に重ねた行為によって極楽・浄土・地獄に振り分けられます」
「イウムとか亜人は、関係ない?」
「まったく関係ありません。神でも悪行あれば地底へ落ち、魔でも功徳あれば天上へ召します。普通なら冥界です。これを誤魔化すことは誰にも出来ません。この世が不公平と苦しみに満ちているからこそ、あの世は公平でなければいけないんです。それが日本人の信仰が数千年に渡って築き上げた死後の掟で、私はその秩序をささやかながら守る仕事をしています」
「数千年か――おでだちの歴史はいいとこ三〇〇から四〇〇年しかない。すごいなおまえら」
 彼より向けられていた敵意がいくぶん和らいでいた。妖夢はありのままを伝えただけだが、大戦で多くの同胞を失ったオークの長は救われたようであった。
 リルピリンは知らなかったが、彼の配下を瞬時にして半減させた者こそユージオとアリスだった。妖夢はむろんそれを指摘するような馬鹿はしなかった。いずれ知られるとしても、まだ当日である。やるせない戦いの沙汰を感情的にどうこうするには、時間という緩衝が必要だ。
     *        *
 氷の薔薇園は一〇分ほどで消失したが、プレイヤーたちはもう無意味に突っ込んでくることはなかった。遠巻きにこちらを見ており、あちこちで数十人から数百人が集まって話し合いを始めていた。ゲーマーらしく攻略方法を探ろうとしている。たまに単独や数人で突っ込んでくるアホもいたが、たちまちオーガや暗黒術士の長距離攻撃に天命を全損し、ゲームオーバーと果てていく。回り込んで山脈の端より挑もうという冒険者たちも、おなじ目に遭っていた。丸見えだし隠れる場所もない。こちらの損害はゼロだが、プレイヤー軍の戦死者はすでに五~六万人を超えている。大半は青薔薇と金木犀(きんもくせい)の武装完全支配術がもたらした穏やかな死であったが、激痛の中で退場した者も一万人以上に達する。そこよりリアルのショック死が出てないことを妖夢は祈るしかなかった。
「こちらで実証が取れましたので、あちらでも実践してきます。いいかげんベルクーリさんも衛士たちを抑えられないでしょうし。この大技は剣の天命がかなり減りますが、カデ子さんが瞬時に回復してくれます」
 話してるのはおもにユージオだ。アリスは大人しく恋人のリードに従っている。知らぬ間になにかあったようだが、妖夢の経験からすればたぶんキスとかだろう。だって頬が赤いし。恋人なりたての熱した乙女心で、頼もしい彼氏に常時ときめいてる、幸せ気分うきうき状態だ。
「あっちでは鉄砲で攻撃してないんですか?」
「キリトがまだ次の奇襲があると言って、ベルクーリさんが弾薬の温存を指示したんですよ。あの人たち無視してても勝手に崖へ落ちてますし」
 アスナの作戦を足がかりに、戦場全体の動向を紫より奪ってみせたキリトだった。紫の連絡網より弾かれた彼は、きっと彼なりの意地で主導権を確保したのだ。そのことに気付いて、じつに愉快で嬉しい妖夢だった。
 ……男の子だね。
 幻想郷は男のなにがしが必要だと茅場に諭され、その思考システムを嘉手納アガサという形で導入した。しかし紫そのものは未だに保守的で、今回も茅場級の敵に次々と先手を打たれっぱなしである。キリトの差し金でそれがようやく迎撃の形を取りつつあった。
 飛竜に乗って飛んでいくユージオたちへ手を振りながら、妖夢はこの戦いで桐ヶ谷和人が死ぬことはないだろうと、信仰に近い確信を得ていた。
 やがて人界軍側でも巨大な支配術が発動し、こちらと同じ状況が再現された。
 キリトによって崖を挟んでにらみ合う状況が仕上がり、武器と魔法を温存しつつ戦況は完全に膠着した。人界軍より整合騎士の半数が、回廊の内側へ移動していく。おなじく暗黒界軍側でも暗黒騎士団と拳闘士団、暗殺ギルドより選ばれた最精鋭が同様の動きを行っていた。亜人からはオーク族とゴブリン族も混じっている。さらに暗黒術士とオーガ族も配置をすこしずつ変えていた。
「……あれ? なぜこちらもあちらに合わせて動いてるんですか?」
「オークの族長がシャスター王へ意見具申したそうよ。たとえ空振りに終わってもどうせ崖のあちらから攻撃してくる可能性は低いだろうって。なら内側からの奇襲に備えておくに越したことはないと」
 たしかにユージオの話を横で聞いていたリルピリンだが、それを自分の手柄として活用するとは出来るオークだ。
 シャスターの指示はある意味において徹底しており、回廊の内側へ移動した諸部隊はあくまでも回廊の外を向いたままだった。補給部隊の半数をおいしいエサであるかのように無防備に置いてさえいる。糧食を積んだ荷駄隊はしっかり内側へ取り込んで保護してる。武器よりもまず食い物がないと軍は動けない。
「――うわぁ、これって襲撃に備えてるって、遠目では気付きませんよね多分」
「闘争へ身を置いてきた連中だから、みんな有能ね。整合騎士たちときたら、馬鹿正直にこちらに向いてるわよ」
 妖夢たちがいるシャスター王の本陣はすこし高い丘にあるので、振り向くだけで整合騎士の一団を視認できた。どうやら指揮してるのは聞いた特徴からベルクーリのようだ。二〇〇~三〇〇年かそれ以上を生き、無数の実戦を重ね、この世界で一番強い男である。絶対的というより技量的において。まだ妖夢は面識を得てないが、この戦いが終われば手合わせ願いたい戦士だった。妖怪の力を使えば勝てるだろうが、それを封印した素の状態であればたぶん歯が立たない。
 だがその長命最強の男であろうとも、こと「軍」の指揮に関しては経験不足に見えた。これでは襲う側も襲いようがない。個人として強すぎるのも困ったものだった。
「幽々子さま。これって、敵の出現ポイントは……」
「もし『見てる』なら、おそらくこちら側ね」
 はたして数分後、無数の光柱が暗黒界軍の後背へ反り立った。
     *        *
 妖夢がSAOやALOで見てきた出現エフェクトよりも、それらはずっと凝っていた。デジタル文字が表面に書かれてるが、現実感がまったく濃い。まるでSF系の実写映画を見てるようだ。あれは高性能PCで時間を掛けて作画するから、ゲーム機では再現不可能な超高精細の臨場感を見せてくれる。そのリアルさにみんなお金を払って映画館へ行くのだ。
 STLはそれをあっさりと見せてくれる。ゲーム的な光景を目撃して、妖夢は自分がいる世界が作り物であるとようやく思い出した。ただ残念なことに、これほどの体感を一般ゲーマーとしてログインしてる連中は知覚しきれないらしい。あくまでもアミュスフィアを通したノーマルプレイヤーだから、リアル感の上限はALO止まりである。ただし受ける痛みはSTLであってもアミュスフィアでも同じだ。脳の神経がその部分の再現性において優劣を受けることはない。残酷な公平さである。その公平を妖夢たちは侵入者へ下そうとしていた。
「広域焼却弾、放てぃ!」
 先制攻撃は暗黒術士の総長ディー・アイ・エルによって発せられた。
 生き残ったオーガ隊と暗黒術士、予備兵を含め再編されたおよそ四〇〇〇人による斉射。
 二〇〇〇本の矢へ二〇〇〇本の火炎魔術が乗る。燃える矢が三〇〇メートルあまりを飛翔し、風の魔法へ誘導され正確に敵の出現ポイント一帯へと突き刺さっていく。いくつもの術式を複雑に組み合わせた集団魔法、それが以前より研究されディー・アイ・エルが完成させた整合騎士用の滅殺術だ。妖夢は化学工場で起きた爆発事故の衝撃映像を見たことがあったが、いまそれと同じ光景が起きていた。着弾と同時に小規模な爆発まで起こす。いかな妖夢といえども、あの中にいて無事でいられる自信はない。回避など不可能だしダメージ量も半端なくおおきく、死んでしまう可能性もある。それほどまでに暴力的な破壊魔法をダークテリトリー軍は準備していたのだ。しかも継続性のものを。妖夢が斬ったミサイルの爆炎は十数秒で収まったのに。
 光の柱より湧出した兵士たちは、出現と同時に次々と炎に包まれ倒れていく。または爆風へ巻き込まれ人形のように飛んでいく。地へと倒れた彼らは即座にポリゴンへと帰りこの異世界より退場していった。激痛に見舞われているだろうが、なにも意識すら出来ないだろう。その死傷者数はあっというまに一〇〇〇人を超え――途中で妖夢は数えるのをやめた。
 慈悲のかけらすらない大攻勢に、妖夢はSAOの初めての夜を思い出した。キリトとともにリトルネペントの大群と戦った夜のことだ。あれはゲームだから上手なプレイヤーであればクリア可能な、生存できるバランスになっていた。もしいまのような実戦的バランスがゲームでも採用されていれば、妖夢はあのデスゲームで気楽な無双の旅路などしていられなかった。キリトと呑気なデート観光もかなわなかった。現実の戦いはいま起きている過酷な非道そのものであり、どんな剣の名人もその強さを発揮できる猶予はありえない。
 本物の異世界を創りたいと願いながらも、茅場晶彦はどこまでもゲーマーだった。
 ゲーム世界の住人でありながら、ダークテリトリー人はどこまでも人だった。
 人間であることを証明する行いが、第二楽章を迎える。
 シャスター王が腕を振り下ろす。
「暗殺ギルド、襲え!」
 かろうじて生き残った敵へ、黒服軽装の痩せた男たちが群がっていく。その数、わずか一〇〇人。敵兵は数百名単位だったが、機先を制されて戦意を喪失しており、吹き矢などで一方的に殺されていく。新たな湧出はまだまだ続いている。一度に数千といったログインは不可能らしく、先の惨劇を知らない兵士がいきなりの乱戦に慌てるもなく、武器を手にして――撃った。
 暗殺ギルドの暗殺者がひとり、横腹へアサルトライフルの掃射を受けて崩れた。
 そうなのだ。兵士はまさに兵士そのものだった。崖の向こうにいる一〇〇万人のプレイヤーは戦士だったが、こちらは兵士。
 現代の武器を手にし、デザート迷彩とハイテク装備で身を包むアメリカ合衆国の兵士。
 暗殺ギルドの精鋭たちは頑張ったが、連射式の銃を相手に、しかも訓練を受けた職業兵だったものだから、形成は短時間で逆転する。
 シャスター王の判断は早かった。彼はベクタ神ではない。
「幽々子どの、妖夢どの!」
 正式な要請が降りると同時に、妖夢と幽々子は飛び出していた。
 姿を消した状態で。
「言霊――アメリカ軍」
 透明人間による血の乱舞が踊る。
 殺してもリアルで死なないと分かってるから、妖夢も幽々子も全力で暴れた。なにせ殺さなければ殺される、まさにその場面だ。妖夢たちが手加減すればダークテリトリー軍に大きな被害が出る。待ちに待ったアメリカ軍の直接干渉であり、ためらう理由はなかった。軍人は死ぬことすら仕事なのだ。
 これまで抑えられてきた活躍の瞬間である。
 妖夢が楼観剣をふればエネルギー弾が生成、兵士を赤く塗装する。幽々子が扇子を揺らせば告死蝶が羽ばたき、不幸な兵士たちを鮮血に沈める。静かなる死を広める主人に、激しい斬撃の従者。幻想郷の弾幕が可殺仕様でゼロ距離から全方位へ拡散し、回廊の壁面をさまざまに鮮やかな色へと彩ってはつぎの瞬間には色を変えていた。
 アメリカ兵に攻撃者の姿はまったく見えない。なにに殺されてるのかすら不明だ。これぞ紫が冥界の主従を連れてきた真骨頂である。幻想郷の記憶をすこしでも敵味方より薄れさせるため。残るのは強烈な弾幕のイメージのみ。
 妖怪が妖怪と戦うため編み出された弾幕の宴が、デジタル空間とはいえ生身の人間を相手に振るわれている。しかも容赦ない全力モードであるから、アメリカ兵を擦り抜けた一部の光弾がダークテリトリー軍へも達していた。何人かの負傷者を出して学習した彼らは、新王が命令する前にみずから距離を取り、暗黒騎士団が最前列へ盾を並べると、亀のような鋳鉄の壁を築き上げた。
 圧倒的な展開に米兵たちの戦意は完全に挫けた。反撃しようにも妖夢たちが見えず、闇雲に撃っても一向に当たる気配すらない。逃げようとするがダークテリトリー側は盾の分厚い列に阻まれており、それを掃射して崩そうと試みる者もいたが、魔法や矢が飛んできて先に殺されていた。狙撃時を除きアサルトライフルの実戦的な射程はせいぜい数十メートルだが、魔法や矢は状況に関係なく一〇〇メートル単位だ。それでも流れ弾に当たって死ぬ騎士や拳闘士が続出する。米兵の絶対数がそれほど多かったのだ。
 人界軍側へ逃げた米兵も最終的に六〇〇人近くに達したが、待ち受けていた整合騎士隊の凄絶な洗礼を受けた。
 ただの歩兵銃など、整合騎士の敵ではない。整合騎士の生命力はせいぜい常人の数倍、ライフル銃に頭を抜かれれば一撃で死ぬ。なら当たらなければ良いのだ。
 少人数での戦いで、整合騎士は絶対的な強さを示す。アメリカ軍の弱点を膨大な戦闘経験から見抜いており、積極的に集団の中へと突っ込んでいった。
 米軍は騎士たちをとっさには撃てなかった。なにせ銃は外せば遠くまで飛んでいってしまう。味方に当たる危険が増すからだ。遮蔽物のない空間での乱戦ほど、連射式銃にとって戦いづらい環境はない。整合騎士の鮮やかな剣舞に、散発的な米軍の抵抗は着実に狩られていった。
 米兵の中には騎士たちのおかしな動きに気付いた者もいた。騎士には角度的に見えてないはずなのに、狙ったときにはすでに視界にはいない。そして死角より剣が振り下ろされ、激しい痛みの中で思考にクエスチョンマークを生やしつつこの世界よりつぎつぎと強制排除されていく。
 整合騎士たちが発動させているのは妖夢が気や勘と呼ぶものと同様の特殊技能だ。攻撃で発動させる気を端的に心眼とするなら、危険を察知する気すなわち勘は防御の心眼といえる。ベルクーリになればさらに進化し、気の流れで遠近にいる個々人がそれぞれどういう動きをしてるかすら感じ取ることが可能になっている。それは妖夢がまだ到達してない神のごとき高次領域であり、おそらく妖忌級の超越感覚だった。それを一連の通常攻撃で常時使用しているのである。必殺技はいざというときの隠し球だし達人相手には容易には当たらないが、こちらは違う。基本能力にそのまま付加される、剣技などよりもはるかに価値と重みを持つ盤石の生存スキルだった。
 透明な冥界娘たちの壮麗なる舞いが止まったとき、制圧された米兵の生存者は皆無だった。およそ七〇〇〇~八〇〇〇人規模の第二陣は、現代戦の常識でありえない完全な全滅をもって終了する。
     *        *
「黒幕はアメリカ軍じゃない」
 黒の剣士が出した結論に、誰もが首肯するしかない。
 キリトの献策が連続してベルクーリの承認を得たのは、彼が独裁者アドミニストレータを倒した勇者であったからだが、こうも良い方向へ舵が取られるとその言葉はさらに重みを増してくる。
 整合騎士長ベルクーリの呼びかけによりシャスター陣営も加わり、回廊の中心で臨時の作戦会議が行われていた。妖夢たちも万が一に備えて同行している。外国の神々が襲ってくれば撃退できるのは空を自由自在に飛べる幻想郷クラスタだけだ。
「ならば敵の狙いは整合騎士アリスだけではなく、幻想郷そのものじゃと?」
 カデ子の問いにキリトが頷く。
「そう考えればすべてのつじつまが合うんだ。アメリカの奇襲は一般に知られてはいけない類のものなのに、プレイヤーの動員規模があまりにも大きすぎる。使用した軍事力も最初は無人だったのに、つぎはいきなり有人でしかも訓練外の運用だった」
「訓練外?」
「外の世界の進んだ国では、正規部隊の歩兵は全員で情報を共有している。だから指揮所と司令の人員がいないとまともに運用できない。これは本陣とか参謀なんて水準じゃないんだ。高度な機器によって、まさに目と耳が繋がってる。後方が前線の視界で指揮し、また前線も後方の視野を得ている。それをまるで自殺行為に等しい、粗雑にすぎる投入を行った……こんなことは主導者がアメリカ軍であれば、絶対にありえないんだよ。米軍の誇りが適当な運用を許さない」
 幻想郷の賢者が複数の意見を元に得た結論へ、独力で到達している。
「さっきの一軍はこの世界にない武器と装備だったから、神の能力を使っているか、またはIT技術を駆使して真似たものだ。つまりアメリカ軍はその気になればより強力な兵器を送り込めたはずなんだ。それが小銃に留まっている。助かっているのは、幻想郷を陥れたいのは黒幕だけってこと。アメリカそのものはまだアリスを諦めていない。もしアリスが不要なら、実体化と同時に起爆する爆弾を無数に転送すれば安直に終わる」
「……幻想郷は全力を出せず、アメリカも全力を出せない。それでも整合騎士みたいな暴れっぷりときた。外の連中はおっそろしい奴らばかりだな」
 シャスター王が憮然と腕を組んでいる。理解するにも話が大きすぎる。
 王の後方にいる参謀が手をあげた。妙齢の女性術士、ディー・アイ・エルだった。
「――ダークテリトリーは関係ないわ。アリスも幻想郷も。だから我が軍の撤退を提案します。その際は人界軍に援護をお願いする」
「それが無関係でもないんだなこれが」
 シャスター王は以前からカデ子より接触を受けていた。
「この戦いに負けちまったらな、世界そのものが消滅してしまう可能性が高いらしいんだわ。逃げるところなんて何処にもねえ。で、その破局を防ぐことができるのが、どうもあちらのアリスとこのキリトだけらしい。幻想郷が全力で戦えないのも、この二人を守る方法が限られているからだそうだ」
 指をさされたアリスとキリトが、軽く会釈する。
 ディー・アイ・エルの双眸に戸惑いが揺れている。
「え? しょ、消滅?」
「そうさ。天も地も裂けてなにもかもが消え、俺たちはいきなり死ぬってわけ」
「それは本当なのですか? なぜそのような信じられないような与太話を――」
「だって俺、言われる通りにしただけで朧霞の武装完全支配術を使えちまったからなあ。暗黒騎士団が何百年かけても解き明かせなかった秘術をだぞ? とりあえず信じとくしかねーだろ」
 王とは思えない軽妙な口調である。まるでクラインだ。
「……なっ」
 どう判断すればよいか、葛藤に揺れている様子だ。
 そこへカデ子が割ってはいる。
「ディー・アイ・エルよ。おぬしの焼却弾はアメリカを撃退するのにまだまだ必要な大技じゃ、だからしばし味方のままでおってくれぬか?」
「えっ」
「おぬしが深い野心を持っておることくらい、わしにはお見通しじゃ。なにせ魂の喜怒哀楽すら参照できるからの。闇神ベクタの参謀長に率先して就いておったのも、王位や永遠の若さを狙ってのことであろう?」
「…………」
 蒼白になって、なにも言い返せない女であった。
「地位や不老長命など簡単な話じゃ。わしに服従しシャスターへ全面協力せよディー・アイ・エル。裏切らなければ、すくなくとも一〇年の美貌を与えよう。さらに忠勤に励めば、より長きを得られると知れい」
     *        *
 会議で採択されたキリト第三の作戦が、そのまま実行に移された。
 妖夢と幽々子さらにキリトにアスナが、回廊の上――すなわち果ての山脈の上まで一気に移動していく。キリト&アスナは飛竜に乗っている。
「さっきの米軍の襲撃で分かったのは、黒幕はそれほど軍事に明るくないってことだ。さらにこちらの陣容を細部までリアルタイムで確認できる状態にある」
 キリトはずっと冴えたままだ。もう妖夢は胸が高鳴って仕方ない。彼氏の甲斐性は彼女の誇りだ。
「……シャスター王の仕掛けへ簡単に引っかかりましたものね」
「俺が知ってる範囲だと、アンダーワールドの各ユニットはカデ子の権限をもってしても位置とステータスしか確認できない。立ってるのか座ってるのか、どちらを向いてるか――そういう情報を、STLコントロール室からでは特殊な画像化処理を行わない限り、知ることがきわめて困難なんだ。しかも時間倍率の変換アルゴリズムを通すから、タイムラグを伴ってくる。つまりあの米軍の転送を指示した者は直接ログインしており、戦場全体をリアルタイムで見渡せる場所にいる可能性がある。そいつが黒幕かはまだ断定できないけど、すくなくとも近い立場にいるとは思う」
 幽々子がいじわるそうな口ぶりでキリトへ問う。
「外部と連絡を取るコンソールの問題があるし、神の力で遠視している場合は? 予知能力も逆探知は困難よ」
「そのときはお手上げだけど、可能性がある以上、ためしてみる価値はあるだろう? なにもしないよりはましだ。ただ待ってるだけなんて、いくらでも敵を有利にするだけだからね。時間を与えてやるなんて悔しいだろ」
 騎乗にありキリトの腰へ腕を回してるアスナが、不思議そうに聞いた。
「……急に冴えきってるけど、どうしたのキリトくん? なにか変なものでも食べたの?」
「キリトはたまに覚醒しますよ。茅場の正体を見破ったときもそうですが、須郷(すごう)によるALOテロ事件でも似た感じになってました。それには共通の条件があります。想定外のトラブルが起きて予定調和が崩れたとき、キリトは名探偵になるんです」
「名探偵ねえ――それが英雄のなんたらってやつ?」
「アスナも誰かからその能力の話を聞いてましたか」
「そりゃねえ。特別に色男というわけでもないし、リップサービスも平凡なのに、あれだけ女の子から次々と好かれてるんだから、もうなんとかするていどの能力としか考えられないわよ」
「そちらは勘弁してくれよ。きみたちだけで手一杯だって」
「大丈夫です、あなたが浮気しないと知ってます」
「私も心配してないわ。キリトくんの馬鹿正直な誠実さはこちらこそ感謝しきれないほどよ」
「俺も自分で不思議に思ってるよ。なにかがそういう立場を強制してるんじゃないかって、当事者なりに怖いんだ。SAOへログインして妖夢と会ったその日から、なにもかもが劇的に変わってしまった。まるで物語の主人公にでもなってしまった気分だったさ――まさか何年も継続するなんてな」
 これがレミリア・スカーレットの言っていたことだろう。物語のようなサクセス・ストーリーが現実に「在る」とみんなが考えるから、たまにそれのレールへ本当に乗ってしまう異能の幸運を得た者が登場するという。むろん真の超ラッキーマンや揺るぎなく卓越した実力で成功を掴む者のほうが多いだろうが、たしかに幸運の連続が積み重なったとしか思えないような人もたまに存在する。妖怪の発生と似たようなもので、桐ヶ谷和人は無意識の集団魔法によって選ばれた人間のひとりだ。しかも全世界へ重大な影響を与える変化のキーマンになってしまうというのだから、驚きなんてものじゃ済まない。
「おかげで私とアスナはお姫さまのようなヒロインになれています。それなりに苦労はしてますが、誰にでも自慢できる彼氏で幸せよ」
「だったらこのリアルの物語、ハッピーエンドの鐘の音まで突っ走らないとね」
 アスナが言いたいのは結婚式のことだろう。まだ一〇〇〇年以上を生きる妖夢は「できたら」だが、いきなり白馬の王子様を射止めた明日奈は「是が非でも!」なのだ。
「要求が高くて大変なお姫さまたちだぜまったく……」
 たとえなんとかの能力に影響されて好きになったのだとしても、それはせいぜい「きっかけ」にすぎず、お姫さまたちにとってこの恋はまちがいなく本物の愛だ。惚れ薬みたいな不自然な恋愛ではなく、きちんとドラマの流れがあった。この少年は能力抜きでも疑いなく将来有望な優良物件であり、浮気や裏切りなど心配無用、一緒にいて楽しいのだから細かいことはどうでもいい。幸せなままでいられそうな安心と信頼の高さたるや鉄壁だ。しかも和人に冒険心があるおかげで適度なハラハラを含んでおり、一方的に依存したり支えて貰うような間柄でなくて済む。妖夢も明日奈も独立心は意外と持っている。
『クリアです』
 携帯の中でユイがGJサインを妖夢へ示した。一週間前に白玉楼への階段でユイに指摘された課題を、いま果たせたようだった。
 話をしてるうちに山脈の上空へ到達した。さっそく妖夢の半霊レーダーで一帯を走査するが――
「……なにも感じません。誰もいない不毛地帯ですね。幽々子さまは?」
「私の探知にも反応はないわね。キリトくん、整合騎士の扱う神聖術に、探索系ってあるかしら」
「任せてくれ。アドミニストレータが開発した遠方監視の術式を覚えてる。禁忌目録を絶対なものとしていた忌々しい術だけど、こんなときに出番があるなんてな……」
 飛竜の背中でキリトがいきなり座禅みたいに足を組み、ぶつぶつと神聖術を使いはじめた。ちいさなウィンドウが開いては閉じ開いては閉じ――まるでユイが高速でネットを検索して回るときの行為に似ている。
 三分ほどして、キリトが術を中止した。その表情にはすこし疲れが見える。
「不発だ。幽々子さんが言ったように、神の力で外から見てたのかなぁ――」
 キリトの発言は途中で遮られた。
 下より発生した白い輝きが、キリトの顔を照らしていたからだ。
「敵襲ですね……今度は手強そうです」
 妖夢の勘がぴりぴりと肌を刺激していた。下手な戦いをすれば妖怪でも危ない相手が、戦場へ登場しようとしている。神のような強烈な存在でないのだけが救いだ。
「同時に三箇所とは……」
 回廊の中心と両端に、さきほどの米軍とおなじ光柱群が立ち上がっている。
「すぐに迎撃を……来ますっ!」
 とっさだった。今度は直接的な危険を察知したのだ。白楼剣を抜いてその場で特殊な霊力の壁を斬り出す。大気中の水分が分離し、妖夢の目前で水滴の薄霧が生じる。直径四~五メートルほどで、霊力を含んで青くかつ淡く輝いた。妖夢だけでなく、幽々子やキリトとアスナの飛竜も隠している。
 水を斬る技の初歩、反射下界斬。
 霊気と水のバリアへ、超遠距離より不可視の飛翔体が何本か、超音速で襲ってきた。視認できたのはゼロコンマ一秒未満。
 激しい音がしたが、障壁が仕事を果たし敵の武器を余裕で遮った。
「――剣? ナイフ?」
 飛竜で回り込んだキリトが、落ちていく武器のひとつを空中でキャッチして見聞してる。まるでペーパーナイフのように細いが、形状は意外と刃の厚みを持つ。色は黒と灰色の中間。長さは四〇センチほどもある。
「……これは暗殺者の類が使っている暗器の一種です。SAOやALOでもレアスキルとして設定されてました――というより」
 つばを呑み込む音。いまの酷い状態を招いた遠因が、まさか自分にあったとは。神仏にすがって懺悔したい気分の妖夢だった。
「あのソードアート・オンラインで、忌々しい集団が使ってましたよそれ」
 この剣ともナイフとも呼べそうな半端な武器と、直接的に会敵したことはない。だがある銃器の世界の大会で、妖夢が憑依した相棒・ウサミミ少女が戦っていた。
 辛い独白のように、不快な推測を伝える。
「――ラフィン・コフィンが」
     *        *
 三箇所同時に出現した光の柱は、人界人たちを恐慌の渦に陥れた。
 公理教会に囲われていたヒューマンエンパイアの住人は、戦争をまともに体験したことがない。だから挟撃されただけでなにをどうすれば良いのか判断が付かなくなってしまったのだ。アスナが作った谷と人界軍との中間に出現したのは、米軍の工兵部隊だった。ワイヤーで臨時の橋を架ける装置のほか、装甲車などで武装した本格的な機械化部隊である。人数こそ九〇〇人台と少ないが、保有火力は先ほどの部隊とは比較にならない。そんなことを知るわけもない衛士隊は、少数と侮って命令の前に激発した。銃士隊が火縄銃を砦より撃ちまくるが、彼我の火力差は雲泥、重機関銃やグレネードランチャーの返礼を呼び込み、たちまちのうちに数百人単位の死傷者を山なりに築き上げる。
「退きなさい! ここは私が守ります!」
 アリス・マーガトロイドが前へ出るが、自身の守りだけで精一杯だった。魔法陣のバリアで飛来してくる現代兵器を防ぎつつ武装人形をつぎつぎと召喚していくが、実体化する端から機関銃によってバラバラに砕けていく。虎の子の巨人ゴリアテ人形は、最初の戦闘で弓矢やレギオンの盾となり全機を喪失している。
 一方の回廊内側は、戦車や自走砲を一〇〇輌前後も備えた完全な制圧部隊であった。攻撃力は比較以前、最大射程は人界の首都すら収まるほど。
 それへ整合騎士が果敢な攻撃を加えていた。
「リリース・リコレクション!」
 上位整合騎士の武装完全支配術が起動して戦車を襲うが、燃える矢や鞭くらいで効果があるように見えない。かろうじて副騎士長のビーム剣とシェータのカミソリ剣だけが有効だったが、敵の数が多すぎる。整合騎士の後方より銃士隊の斉射もつづくが、どうにも豆鉄砲だった。
 苦戦する人界軍側と反対に、暗黒界軍側はまだましだった。
「広域焼却弾、放て!」
 ディー・アイ・エルの先制攻撃がまた有効に働いてくれた。戦術・戦略を知るシャスター王は、優先的に潰すべき敵を即座に回廊外側と定めたのだ――実物が出現する前に。
 ゆえに暗黒術は間に合い、米軍の工兵部隊は出現と同時に地獄の業火へと投げ込まれた。装甲車や輸送車へ乗車していなかった歩行(かち)の兵士たちは瞬時に全滅した。車に乗っていた者もその天命が尽きるまで幾ばくかの猶予を得たにすぎず、時間をかけて蒸し焼きに焦げ死ぬ苦行を味わうことになる。装甲車は地雷など瞬間的な高熱や衝撃には耐えてくれるが、何分も継続する長時間の灼熱はとても防ぎきれない。車体がかろうじて無事でも人間のほうが限界を迎える。妖夢が本能的な恐怖を覚えたのもこの持続にあり、すなわち息を吸い込めば肺をやられ、妖怪といえどもあの世行きというわけだ。
 時間差で出現したため助かった装甲車や兵士たちには、肉弾戦という古代式戦闘の出迎えが待っていた。暗黒騎士団と拳闘士団およそ一万人が、生き残った機械化工兵部隊の残存戦力へと総攻撃を仕掛けたのだ。現代兵器の恐ろしさはすでに身を以て知っており、余計な駆け引きなどしない。生き残るためには怯んでる間に近寄り、徹底的に叩くしかない。
 殺伐とした原始の殺し合いが起きた。暗黒界軍側が一方的に蹂躙するような掃討戦にはならなかった。米軍とて訓練を受けたプロだし、近接戦闘のさまざまな手法を知っている。着込んでいるボディアーマーは簡単には刃物を通さず、魔法の直接攻撃にもあるていどの耐性を持つ。最初の獄炎で大勢がやられたのは、ほとんどが呼吸器系からの焼死や酸素欠乏による窒息死だった。防護服そのものは仕事をこなしていたのだ。
 ファンタジー世界らしい戦士の技が、ヤンキーボーイたちを翻弄する。
 暗黒騎士のソードスキルが米兵の複合繊維を深く切り裂き、拳闘士の気によって鋼と化した手刀が銃身をへし折っていく。アメリカ軍の優位は小銃が当たれば簡単に相手を無力化できる攻撃力の高さにあったが、どれほど倒されようとも味方を乗り越えてくる騎士と闘士の気迫――闘気に圧倒され、次第に防御ラインを狭めていった。
 戦闘開始よりわずか五分あまりで正面の米軍は全滅した。またもや生存者のひとりも出ぬ、完全な殺戮である。捕虜を捕らえて尋問し敵状を知る……といった発想にすら至らない。それほどまでに銃の持つ攻撃力はダークテリトリーの戦士たちにとって恐怖の対象となりつつあった。銃を持つ敵は恐ろしいが、ちゃんと対処すれば倒せる。この勝利は彼らに自信を与えた。まだソードスキルと鋼化の意思でなんとかなる!
 しかしこの勝利は一方に犠牲を強いていた。回廊中心に出現した車輌部隊は、暗黒界軍でなく人界軍側へ猛撃を加えていたのだ。整合騎士たちが真っ先に襲いかかった結果であったが、先制攻撃そのものは戦術として間違ってなかった。ただ相手の防御力があまりにも高すぎた。容赦なく撃ち込まれる砲撃で人界守備軍の陣地はつぎつぎと崩され、整合騎士も衛士たちも絶え間ない土煙と爆風に晒されていた。
 暗黒界軍は回廊内側へオーク族とゴブリン族を中心とする迎撃部隊を編成・配置していたが、整合騎士がろくに効きもしない武装支配術を使いまくってるせいで、挟撃したくとも近寄ることすら躊躇われた。確実に巻き込まれてしまう。それについさっきまで戦っていた相手で、何百年もの因縁がある。むしろここで死んで数を減らせと、亜人たちは心中で期待している。もっとも中には例外もいて。
 イスカーンが土煙の彼方で装甲車の側面を紙のように切り裂くシェータを確認し、じたんだを踏んでいた。
「ちくちょう、あっちで戦いたい。あいつの隣で拳をぶつけ、助けになってやりたい……なんで俺はチャンピオンなんだよ」
 一団の長であるから、勝手に動くなんて許されない。拳闘士団はたったいま激戦を終え疲れていたし、もし動くとしても命を受けたリルピリンに優先権がある。
 衛士だけでなく整合騎士にも被害が出ている。アメリカ軍が配備している戦闘車輌の攻撃力・防御力は歩兵などとは桁どころか次元が違う。
 また一人、整合騎士が戦車砲の直撃を受け膝下を残し粉々に消し飛んだ。一二〇ミリ砲の破壊力はシノンが使ってるヘカートIIの七五〇倍、拳銃の数万から一〇万倍だから、まともに喰らえば妖夢とて即死する。
 攻撃をあるていど察知できる心意の勘も、絶望的な力の差を前にはどうしても鈍ってしまう。精神力で補えるものにも限度があった。
「……何人目だ?」
 焦燥のベルクーリが、恋人のファナティオへ尋ねる。
「五人」
「――ハッ、もうそんなにやられちまったか。二〇〇年以上も掛かってんだぞこちとら」
 悪態をついた瞬間、ベルクーリに向けて戦車の機関銃が掃射された。
「遅いっ!」
 整合騎士長が剣で虚空を一閃しただけで、超音速の弾がすべて斬って捨てられた。その斬撃射程、およそ数十メートル。ついでに機関銃とその射手まで切り裂く。これぞ『心意の太刀』と呼ばれる意思の具象化だ。強固な確信によって「ない」ものを「ある」ことにし、「あった」ことを「なかった」ことにする。アンダーワールドがデータによって管理されるデジタル世界だから可能なチート技だ。レミリアが視たもうひとつのSAOで、最後の一騎打ちに負けたはずのキリトが発動させた、逆転の奇跡。
 神業を見た整合騎士たちの戦意がすこし回復し、アメリカ側が軽く動揺した。
 戦車に乗ってる米兵は生身の人間を相手におおげさな戦車砲まで使って対応しなければならないわけで、有利に進めてるわりに内心では怖れている。
 何者なんだこいつら。
 なぜ戦車へ剣で向かってくる。
 なんなんだ!
 その心意をベルクーリの超感覚が受信する。
「おいおい、あいつらビビってんぞ」
 時穿剣をひとふりし、気を落ち着ける。
 さらなる気の捜索で、やつらが嫌がってることを探る――何秒かで結論に至った。
「死角なし! 勝てねえわこりゃ」
 今回の兵士は死んでも痛くないと嘘を教え込まれているようだ。一台に群がって数で勝負……なんて手が使えない。その戦車ごと周囲より燃やされて終わりだ。
 もしベルクーリらが戦車の構造を細かく知っていたのなら、心意の太刀で内部をピンポイントに斬り裂くことも出来ただろう。しかし勝手が悪すぎる。見えない意思の斬撃を使える超人は整合騎士でも数えるほどしかいないし、心意の太刀は発動の条件もシビアだ。
「あとは幻想郷に任せるぞ! 全員撤退ぃいい!」
 ちょうど真上の空間に、やたらと細長いスキマの切れ込みが発生してるところだった。その両端にはリボンが結わえられている。
     *        *
 妖夢たちは下で苦戦する味方を救援できない。
 あらゆる角度より、つぎつぎと暗器が超音速で飛来してくる。
 弾幕シューターの妖夢と幽々子には回避などお手のものだったが、いかんせん飛竜は簡単にはいかなかった。キリトの騎竜歴はまだ数ヶ月だ。妖夢と幽々子のエネルギー弾によって、キリトとアスナを狙う暗殺の魔の手を迎撃しつづける。
「……足手纏いになってすまない」
 済まなそうな彼氏に、妖夢は余裕の笑顔で返した。
「気にしないでください。人にはそれぞれ得手あれば不得手もあります。やっとキリトの役に立ってるんですから、いまは存分に頼ってくださいよ」
 いつもの弾幕ごっこでは何百何千というエネルギー弾が飛び交っており、弾速も軌道も様々だ。どれほど高速であろうとも直線的な数本ずつの攻撃など、妖夢にとっては呼吸するように回避できてしまう。だがキリトとアスナが安全にならない限り、下へ向かうわけにはいかなかった。おもに幽々子が反撃として無差別な弾幕を放っているがなんの収穫もみられない。
 携帯のユイが大きめの声で叫ぶ。
『妖夢さん、敵の正体が判明しました! 那咤が言ってた名前で私のデータベースに総検索を掛けてましたが、ようやく見つけましたよ。灯台もと暗しですね。総務省と接触した際に手に入れたSAOの名簿にありました。ヴァサゴ・カルザス、その正体はあのPoHです。SAO事件時は日本にいましたが、生まれ故郷のアメリカへ移住してますね。さすがにその先はいまの私には追えませんが、これで十分だと思います』
 妖夢がなにか言う前に、推理屋モードのキリトがさっさと発言する。
「くまのPoHさんならアメリカがどれだけ不利になろうとも、幻想郷を陥れるためにはなんでもやりそうだな――幽々子さん、障害者となった人間がこれほど強力な超常の能力を扱う方法ってあるか?」
「どうして私なのかしら?」
「いやこういう呪いっぽいことに詳しそうな気がして」
 華麗に針剣を避けながら、扇子を開いて涼しそうにあおぐ幽々子。ひっきりなしに無数の告死蝶を発生させては、あちこちに飛ばしている。当たれば幸い。
「漫画の定番だけど、たぶん悪魔と契約してるわね」
「……悪魔?」
「私が知覚できない相手だから、おそらくね。先年、妖怪の実在が証明され死後世界が公となり、ついには神の存在まで全世界的に実証されたわよね。なら悪魔もいるだろうって話になるわ。レミリアみたいな自称じゃないわよ、これほどの奇術を立て続けに起こしてるから、もう魔王クラスの超大物ね」
「なるほど、いまはバリアフリーが発達してるから半身不随だろうとも本気になればいくらでも情報は手に入れられる。かけがえのない代償やあるいは自分の命を差し出してでも、復讐しようと超常へ手を伸ばしたとして不思議じゃないか」
 なんか面白くない妖夢だった。
「キリト~~、すこしは私にも考えさせてよー。どんどん自分だけで結論を出しちゃって、しかもみんな正しいっぽいですし」
『妖夢さんは笑顔で剣を振って辻斬り人生を送っていればそれで良いと思いますよ』
「いやだからユイ! それ実践しちゃったせいで恨み辛みのPoHがこんなに暴れてるんでしょ? 考えなしの結果が回り巡って、大戦争になっちゃってるのよね」
 アスナが注意してきた。
「妖夢ちゃん、それ言いふらさないほうがいいわよ。不満に思った人たちが責任追及しかねないから」
「……みょーん」
「妖夢にあるのは負い目だけで(とが)はない。SAO内の殺人では誰もリアルで検挙されなかったから、PoHの障害も不幸な事故であって法的になにも追求できない。これは関係ない人の命を巻き込むなんて最低の復讐に走ってるPoHの倫理に帰する問題だ。あのとき妖夢はやりすぎたかも知れないが、アインクラッドには罪人を直接的に罰する『刑』がなかった。だから代わりに執行してくれたきみを誰も悪いとは思わなかっただろ」
 妖夢もPoHを障害者にしてしまった件を悪いと思ってこなかったし反省したこともなかった。PoHの復讐は一〇〇倍返しなんてものじゃなく、迷惑至極にトラブルをまき散らしている。少なくとも最初の歩兵部隊はPoHの誘導に違いない。米軍では数千人がPTSDを発症するだろうし、兵としてはもう役立たずなうえ年金や保障に大金が遣われる。すなわち連隊規模の戦力が喪われたも同然で、日本円にすれば一〇〇億円以上の損失となる。体験者と目撃者があまりにも多すぎて、この問題を隠蔽するなど不可能だ。アメリカ軍と米国政府が国内外でどれだけ苦しい立場へ追い込まれるのか、現実世界は大変な騒動になりそうだった。
「ありがとうキリト」
 乱れそうな感情がすこしは和らいだ。
     *        *
 スキマより出てきたのは八雲紫と幻想郷からの頼れる増援だった。
「マスタースパーク!」
 開幕一番、霧雨魔理沙の極太レーザーが真下にあったエイブラムス戦車を焦がしてしまった。しかしさすがは複合装甲、マスパ一撃くらいでは動きを止めない。
「うわっ、こいつ強そう。ここはみんなに任せて私は自分の役割を果たしにいくぜ……で、どこにいるんだキリトは?」
 ホウキに腰掛ける魔理沙の脇には、鞘に入った剣が一振り。見事な片手用直剣である。
「反応があったわ、こちらよっ。付いてきなさい」
 焼け焦げあちこち破れた巫女装束の霊夢が猛スピードで空を飛んでいく。服のほうが大ダメージを受けてるのに、霊夢の柔肌には傷ひとつ残ってない。
「待てよっ、こいつ思ったより重たいんだよ」
 へろへろ飛んでいく白黒の魔法使いだった。
 アメリカ軍の制圧車輌部隊は、真上より降ってきた人妖たちによって玩具のように弄ばれた。
 幻想郷の妖怪たちのパワーは間接的に伝えられてはいたが、幻想郷縁起やテレビで笑顔を見せる人妖アイドルを見れば、とても強そうにはみえない。だがしかし、幻想郷とは弾幕を扱えるレベルの妖怪が大量に巣くう魔の都でもあるのだ。おもに八雲紫の女性主義的な趣向と、さらに男妖怪どもがふがいなく死んでいってしまったため、たまたま彼女たちは揃って美しいのである。
「やっと壊せる! 楽しいよ! コインいっこなんて勿体ないよね!」
 幻想郷オンラインではいいとこなかったフランドール・スカーレットが、ここぞとばかりに大暴れだ。この幼女吸血鬼が手を一握りするだけで、近くにいる戦車や自走砲、装甲車が面白いように変形しひしゃげ、爆発して果てていく。レミリアの妹として産まれ、ずっと長らく禁忌とされた能力を、初めて褒めてもらえることに使って幸せいっぱいだった。機関銃に掃射されても小さなコウモリの大群へと分裂し、すぐ元の姿へと戻る。宝石の翼が妖しくきらめき、法喜の表情で許された破壊へ浸っていく。
「――いくら死んでも平気だからって、なぜに私が?」
 炎を全身にまとうもんぺ姿の白髪少女、藤原妹紅(ふじわらのもこう)
 彼女はとくにアクションを見せない。両手をズボンのポケットに入れ、ゆっくり舞っているだけだ。しかしその背には炎の鳥が舞っており、周囲の戦車を次々と煮えるような熱線地獄へと落としていく。時間をかけて燃やされていくだけに、乗ってる兵士たちが可哀想でもあるが、不死鳥の少女にためらいや感情の起伏はない。それだけ長生きしすぎてきた人間だった。
「……想起・テリブルスーヴニール」
 ふたりほどは目立たないが、地味に活躍してるのが半目の少女、古明地さとりだ。オーシャンタートルを防衛してた妹のこいしが神々の襲撃で怪我をしたため、怒りのあまり地霊殿(ちれいでん)より参上した。魔法陣を背負いつつ弾幕を派手にまき散らし、辺り構わず無差別に攻撃している。これでも地底の女王さまだから、怒らせると怖いのだ。さとりの左右をペットの人妖が固めている。火焔猫燐(かえんびょうりん)霊烏路空(れいうじうつほ)であった。いまはご主人のヒステリーが鎮まるのを見守ってるようで、戦車などの攻撃に注意してる以外、なにもしていない。
 ほかにも十数名の人妖が控えてるが、紫ともどもこの破壊には加わっていない。まだ役割があった――最後にスキマより出てきたのは、九尾の狐である八雲藍と、賢者の杖をしゃらりと付くメガネ少女だった。その名を嘉手納アガサという。
「さてと、(よわい)を経た妹はどこにおるかの?」
     *        *
「なに間抜けなお遊戯してるの?」
 ふいに背中へ投げかけられた疑問に、防ぐだけで有効な手を打てない妖夢が腹を立てた。いまも飛竜を狙った剣を打ち落としたところだ。
「仕方ないじゃない! 敵がどこにいるか分からないんだから」
「勘に頼りすぎてるからダメなのよあんた」
 といいつつも、その勘だけで世渡りしてきた女が合流してくる。
「紫さまが帰ってこられたんですね。ところでどうしたんですか霊夢? あなたが必要なのは下のほうでしょうに」
 先代巫女・博麗霊夢は肩をくるくると怠そうに回した。
「下なんかフランだけで十分。すでに散々戦って疲れてるのに、紫になぜか連れてこられたのよ。紅魔館にも寄ってたようだから、またレミリアが変なこと言ったんじゃない?」
 呑気に話をしてるが針剣の来襲はつづいている。弾幕ごっこへの慣れとは、回避しつつの世間話を可能とするのだ。
 霊夢は優雅に漂う幽霊の姫を見つけて軽く驚いた。
「あれ? 幽々子までいるのにあいつが見えないの?」
「どうも私より強い魔の力を借りてるみたいなのよ。神仙の領域に棲んでるあなただから『視え』てるのね」
 なるほど、これが紫が霊夢を連れてきた理由だろう。この仙女はなにも伝えられなくともキリトのように正解の行動を取ってしまう。キリトが論理的思考によって結論へ至るなら、霊夢は自然体によって正答をチョイスする。
「仕方ないわね、ちょっとどきなさい――はっ!」
 だから教える必要などないのだ。勝手に動いて自動的に活躍してしまうのだから。
 呪文も唱えず、気の放散だけで済んだ。
 一〇〇メートルくらい上空に浮かび上がったおぼろなる姿。
 ゆらゆらとうごめく影法師は、中東の古いおとぎ話に登場してくるような、魔法使いのような格好で。ランプの精に上半身をすっぽり覆う被り物をした感じ。
『ふっ、よくぞ見破ったな女……』
夢想天生(むそうてんせい)!」
『グァワァァァ!』
 いきなり霊夢の最終奥義だ。当たるとめっちゃ痛い光球群が異邦の悪魔を取り囲み、激しくどついている。場面が場面だし、聞く耳なんか持たない。おかげさまで針剣の襲撃がようやく止んだ。ほっと落ち着く妖夢と幽々子。
 瞬間的なボコボコと無敵ぶりに、人の命が失われてる戦いの最中なのに苦笑するしかない妖夢だった。夢想天生の火力を妖夢が発動するには、何秒も溜めなければいけない。むろんそんな悠長な攻撃があの影に当たるわけがなかった。
 雑巾みたいにボロボロになった影が、ふらふらと落ちてくる。その首根っこを掴み、霊夢が凄味ある顔で尋問だ。
「あんた誰?」
『……シャイターン』
 どこまでも輪郭が薄く顔すら見えないが、声質は老人だ。
「シャイ?」
『この国ではサタンと言えば分かりやすいだろう』
 中東っぽい言葉で話し、同時に日本語へ訳されている。アラビア系にしてはテレビで聞くようなイントネーションが弱いので、かつて話されていた古い言語か、あるいは神らしい仰々しい発声か?
「なんで大魔王がこんなに弱いのよ? あれほど凄い奇跡を使いまくってるのに」
『我はヘブライからペルシアを縄張りとするアル・シャイターンだ。魔王といっても種族は魔人(ジン)、願いを叶えてやる以外の力はそれほどない』
「宗教や地域ごとに何人もサタンが誕生してるのか」
 キリトの予想に頷く妖夢。冥界ひとつ取っても地球上にはたくさんの冥界がある。超広域の神や魔もおなじだ。
 胸元より悪霊退散のお札を持ち出した霊夢が、シャイターンへ要求する。
「封印されたくなかったら、いますぐ下の大軍勢を引っ込めなさい」
『無理だ……こたびの願いはその多くが科学と結びついている。我には誘導する力しかなく、知識と技術はない』
 そういえば幻想郷がスリーピングナイツを治療したときも、最新医学のお世話になったらしい。正確な知識があればピンポイントで病理を退治できるし、前もって副作用を抑え込める。
「……あんたと契約してるテロリストはどこに潜んでるの? そいつなら解決できるのよね」
『それは我の存在理由を否定してしまうため、絶対に教えられぬ。おのれの力で解き明かせ』
「なによケチね」
 霊夢は簡単に言ってるが、悪魔の契約は不可侵な誓約だ。
 揺れる影の輪郭がざわっと立った。たぶん怒ってるのだと妖夢は思った。
『そうだ女、魔王へ一撃を見舞ったお礼に良いことを教えてやろう。我にはべつに根源の名がある。それは――イブリース』
「洗剤みたいな名前ね」
 魔王の口調はおなじで霊夢もとくに態度を変えなかったが、半霊をもつ妖夢は違っていた。
 なにこれっ。
 半霊を通して、脳髄へまるで大地震が突発したかのような、動物的な恐怖がもたげてきた。
 根源とはなにか、それは由来である。由来とはなにか、それは道筋である。
 あらゆるものには正体があり、それぞれに辿ってきた履歴があり、その歴史が結果としていまの姿を象るのだ。
 だから遡ってゆく名には真の姿が隠れている。
 キリスト教のサタンは神の敵対者であり悪魔の王にふさわしい超越的なパワーを持つが、イスラム教のシャイターンは人間の敵対者であり、人が勇気・知恵・機転によってかろうじて勝てる相手と「設定」されている。ランプに封じられてしまうような存在だ。そうでなければ預言者の威徳を示せない。
 だがしかしさらに太古、自然崇拝の時代はどうだった? とても太刀打ちできない自然の脅威を、砂漠の民はどう考え擬人化したのだ?
 全身が震えてくる。
 ぐっと恐ろしい反応が発作のように妖夢の感情をかき混ぜ、暴れさせる。体温がまるで五度は下がったような肌寒さだ。
 最近でも感じなかった、激しい「勘」の浸食だった。
「――霊夢! 離れて!」
「なにっ?」
 警告は間に合わず、ついに魔王の言霊が宣言された。
『イブリースはすべてのジンの王、人にあらざる魔の中の魔、神へ叛逆する堕天の神、すなわち魔神なのだよ!』
 認識こそ具現化する言霊の基本なり。ただの音の羅列だったものが意味をもった――その瞬間。
 真っ赤な炸裂が魔王と霊夢を覆った。
 人体発火のごとく、巫女仙女の体が激しく燃え上がっ――
 違う。
 助けに来たはずなのに。
 一緒に戦うために来たのに。
「なぜ……なぜ……」
 どうして彼は、ひとりで先に動いてしまうのか。
 これでは「また」じゃないか。妖夢の時間スケールで一週間前、アリス・マーガトロイドをかばったのと、おなじ行動。
 先代巫女をとっさに押して、分け入った影。
 飛竜より跳躍した黒服の男が、炎に包まれながら魔王へ両手を伸ばしている。漆黒の剣芯へ心意が乗せられようとしていた。
「リリース・リコレクション!」
 激しい輝きが辺りを染め、イブリースの奇襲――火炎魔術が跡形もなく消し飛ばされた。
 これは奇跡なのか?
 奇跡としか言えない。
 イブリースの害意を正確に見通し、攻撃を封じると同時に巨大な一撃を加える。そう簡単にはできない行動だ。しかもキリトは飛べない……
「キリト!」
 慌てた妖夢が光の中へ突っ込み、眩しい輝きの中心にいる彼氏を背中より両手で抱えた。急いでたので楼観剣を手放してしまったが、いまはキリトだ。
 重力に引かれて落ちようとしていたキリトを、なんとか支えた。
「間一髪だったぜ、ナイス妖夢」
「私がとっさに助けると信じてましたね?」
「だってそれがパートナーだろ」
 光の奔流が収まると、驚きの光景が広がっている。キリトの剣が黒い針葉樹ギガスシダーへと変化(へんげ)し、イブリースをまるでハエのように叩き落としていたのだ。その大樹のすさまじい重さで、妖夢もキリトを支えるのが大変だ。
「キリト、早く戻して……お、重いわ。腕がもげそう」
「あ、悪い」
 軽く念じるかなにかしただけで、するするっと逆回しのようにギガスシダーが剣へと帰り、妖夢の肩へ掛かってた重みも軽減されていく。
「そういえばキリト、魔神の炎に包まれてましたよね? 火傷の痕跡すら見あたりませんが」
「聞いてると思うけど、これも心意だよ。最高司祭と戦ってるうちに覚えたんだ。じつは短時間なら空も飛べるんだけど、今のは咄嗟だったからね」
「ほとんど妖怪ね……もうあなたを弟子として扱わないほうがいいみたい」
「なんなんだいまの光」
 下より聞き慣れた声だ。
「魔理沙?」
「彼氏と彼女で空中二人羽織(ににんばおり)か? そのプレイ、私も香霖としてみたいぜ」
 ホウキに腰掛けた黒白の魔法使いが、二本の剣を抱えつつフラフラと重そうに上昇してきた。
「びっくりしたぜ妖夢。いきなり大切な剣を投げ捨てるなよ」
 落ちていた楼観剣を途中で回収してくれたようだ。
「キリトくん、妖夢ちゃん」
 同時に飛竜が寄ってくる羽ばたき。なんとアスナが手綱を握っており、見よう見まねで乗りこなしてる。さすが才女。
「悪いアスナ、いきなり放ってしまって」
 足場を確保したキリトが竜へ降り、妖夢も両手が自由になった。
「ほら妖夢、もう落とすなよ」
「ありがとう」
 魔理沙より楼観剣を受け取るが、魔法使いはさらに一本の剣をキリトへ無造作に渡した。
「スキマから聞いたぜ。ユージオってのが生き返って、剣が一本に減ったと。だから代わりにそれを二本目として貸してやる」
 キリトが鞘より抜くと、なんとも神々しい煌めきを放つ堂々とした直剣ではないか。しかもつい一週間前に妖夢も見たばかり――じゃなく、この剣を持つ男と一〇時間以上も戦った。回収され香霖堂へ戻っていた。
 古代の剣が発する異様な波動に威圧されるでもなく、キリトが言った。
「紅玉宮で妖夢のおじいちゃんと戦ったときのミスリルソードだよな……」
「そいつの銘は霧雨の(つるぎ)だ」
「魔理沙んとこの家宝か? そんな大事なもの俺が使っていいのか」
「神が敵なのに出し惜しみしてられないぜ。そいつの正体は源平合戦で壇ノ浦に沈んだ三種の神器、天叢雲剣だ。別名は草薙の剣。もう見つからないとみんなが考えたから幻想入りしてたんだな」
「じゃあこれって、本物?」
「いや違う。オリジナルは最後の使い手となったヤマトタケルの死後、剣を預かった彼の妻が熱田神宮として祀っている。皇室が代々受け継いできた剣は形代(かたしろ)だ」
「……ニセモノってことか。だけど魔剣のようなすごい気を感じるぞ」
「代用品といっても超常で忠実に象ってるし、魔法金属を使ってるうえ歴代天皇が一〇〇〇年近くは拝んでた実物だからな。ちなみに皇室が所蔵する草薙は二代目の形代だぜ」
 魔理沙の注釈も堂に入ってる。
「霧雨の剣は莫大な想いと祈りを取り込み、濃縮してます。どれだけの力を解き放てるかは、使用者の力量に掛かってます――心眼を持ち心意までも得たキリトなら――『斬れば分かる』はずです」
「分かったよ妖夢。さっそく試そう」
 飛竜にまたがりながら振りかぶるや、いきなり振り下ろした。一人前の鋭い剣筋に妖夢が感心する。この世界で過ごした三年あまりで、すっかり剣豪の域に達していた。
『ギャアアァァア!』
 ちょうど憤怒の形相で妖夢たちに襲いかかろうとしていた魔神をナイスに斬った。まだ一〇メートルはあって直接は当ててない。ベルクーリとおなじ心意の太刀だった。
 おぼろな影だったアル・シャイターンは、いまやはっきりとした形を持つ身の丈三メートル近い筋骨ムキムキ巨人になっていた。悪魔らしく青白い肌をもち、立派な二本の角に壮漢な三〇代ほどの顔立ち。神へ叛逆した証として二枚の黒い翼を生やしている。灰色のターバンを巻き、砂漠の遊牧民みたいな長衣で全身を覆っていた。手足には金の腕輪や足輪が輝いている。
 キリトの一撃で頭をかち割られたが、さすが魔神イブリース、頭が左右に分割することもなく、くるくると縦回転して落ちていく。妖夢が斬り刻んだ那咤もなんともなかったから、大陸の神は全力で攻撃してもおおむね平気というわけだ。
 というわけで空中を転がる魔神を霊夢と幽々子が心おきなく弾幕で虐めている。
『おのれー! 雑魚どもがー!』
 イブリースの気が一挙に巨大化し、熱風が発生した。その風圧だけで全員が飛ばされてしまう。
 つづけて巨大な火炎球が大量に生成され、辺り一面へ猛烈な速度で拡散していった。ほんの数秒でその数は数百――数千――星の数ほどに増殖していく。まさに弾幕の一〇倍返しだった。火力なんてものを超越するあまりの火勢にみんな避ける以外の行動ができない。
 輻射熱で周囲の気温がどんどん上昇していく。妖夢やキリトたちの顔や体から汗が吹き出てきた。周囲の空間は赤一色で、空気もどことなく黄色い。
 弾幕シューターたちは良いが、キリトとアスナの飛竜だけは回避が下手だ。ついに避けきれない一発が迫り、悲鳴をあげたアスナのとなりでキリトが草薙を強く振った。
 伝説にたがわぬ性能を発揮してくれた。突風が起こり、火炎が霧散する。それでも残留した熱波は浴びてしまうが、直撃よりはずっとましだ。
 妖夢たちは反撃もままならず、すこしずつ追い込まれつつあった。
「天津神よりも格段に強いですね。こいつは危なそうです。霊夢に策はありますか?」
「契約者よ! そいつを撃退すればイブリースは去るわ」
 霊夢の勘は正しいので、おそらく間違いない。しかし肝心のPoHが見あたらない。
「私の半霊に反応はありません……」
「PoHはたぶん、すでに死んでる」
 キリトの思わぬ言葉だった。
「……え?」
「必勝と見込んだ仕掛けがことごとく失敗したら、最後の手段として魂を(にえ)に捧げ、仇を直接殺すよう願うだろう。おそらくターゲットは俺や妖夢だ。そのどちらかまたは両方が死ぬまで、あの魔王は暴れる」
『よくぞ看破した小僧。やつの魂はすでに我とともにあり。イッツ・ショウ・タイム』
 火の勢いがさらに増す。視界の九割が真っ赤に染まるような空間にあっては、もはや回避すらできず、全員が防御用の魔法陣を展開した。
 だがこの場でもっとも弱い魔理沙がついに防御を破られた。爆炎が起きる。
「…………」
 本当に痛いと悲鳴すらあげられない。被弾した勢いで無言のまま煙をあげ落ちていく。霊夢が魔理沙を拾い、魔法陣で追撃を防いだが、動きがにぶって火炎球の集中攻撃を浴び始めた。妖夢がみても魔理沙の傷はあきらかに重く、すぐ治療しないと危ない。全身火傷だ。
 草薙の剣をひっきりなしに振って風の防壁を維持しながら、キリトが大声で語りかけた。
「おいイブリース。こんなに力を使ってしまったら、収支は大赤字じゃないのか?」
『……もはや損得ではない。我の誇りが傷つけられた』
「じゃあ取引といこうぜ――」
「キリト!」
「俺の命と引き替えだ! ただし俺を殺したらいまやってる攻撃をすべて中断しろ」
『聞いてるぞ。貴様はこの世界で殺したところで、「死んでも死なぬ」……信じられぬ。悪知恵に長けた人間どもが』
 過去に煮え湯を幾度も呑まされたのだろう。悪魔を呼ぶような人間は奸計にも長けている。
「ならリアルで殺せばいいだろう。信じてくれ、この俺の目を見ろ」
『幻想郷の妖怪どもが総力をあげて貴様の肉体を守るに決まってる。我に駆け引きを持ちかける奴に正直者はおらぬ!』
 黒の剣士と魔神が、弾幕を挟んで妙な口げんかをはじめてしまった。妖夢はすぐ近くにいて、彼氏がやろうとしてることになんとなく気付いた。
 SAOやALOで見慣れたシステムウィンドウが控えめに、妖夢の胸元で開いていたからだ。妖夢だけでなくキリトやアスナ、霊夢や幽々子もおなじメッセージを目にしている――
     *        *
 賢者ふたりが仲良く並んで杖を大地に突き、巨大な奇跡を行使していた。
「わしにつづけ妹よ。システムログイン、IDヒースクリフ!」
「システムログイン、IDヒースクリフ!」
 欠けていたプロセスが埋まり、カーディナルはメインとサブ、本来のデュアル機能を完全に回復していた。最高権限保有どころではなく、完璧な世界操作の超越権を。カーディナル・システムの『神』にして最高IDヒースクリフ。おなじカーディナルであるから多重ログインも可能だ。そもそもふたりが揃って初めて、このIDはようやく有効となる。
 ふたりのメガネ少女が、交互に巨大な操作を行っていく。以心伝心だ。
「システムコマンド、コード・エイトセブンワン・ディスエイブル!」
 アガサによってアメリカと内通していたラース技術者による悪意のコードが無効化された。
「システムコマンド、オールアイディー・ペインアブソーバー・トゥ・マックス!」
 カデ子によって全員の痛覚が遮断された。
「システムコマンド、エヌヘッドナンバー・デュラビリティ・マキシマム・トゥルー!」
 人界IDの天命が最大値で固定された。
「システムコマンド、ディーヘッドナンバー・デュラビリティ・マキシマム・トゥルー!」
 暗黒界IDの天命がおなじく固定された。
 ほかに数種の奇跡を使ってから、二〇〇年以上を生きる妹がたずねた。
「余計な連中の強制ログアウトはどうする? コマンドひとつで一掃できるぞ」
 二年半しか生きてない姉が答える。
「紫どのが楽しい『お祭り』を考えておる。災い転じてなんとやらじゃ」
 ふたりの目前一面に燃えた戦車や装甲車の残骸が散らばっている。迷彩服の兵士は影も形もない。外からログインしたプレイヤーは死ぬと完全消滅する。ただし無機オブジェクトは残骸の天命が発生し、通常の物体とおなじく消えるまで猶予を得る。この世界のルールに則って。
 人界軍を東西より圧迫していたアメリカ軍二部隊は、幻想郷の増援によってきれいさっぱり全滅していた。半分以上がフランドール・スカーレットの手柄だ。整合騎士・衛士・銃士のみんなが、あまりの蹂躙に口をあんぐりするしかなかった。ユージオとアリスのカップルも活躍以前になにもしておらず、見せつけられただ圧倒されていた。妖夢たちと違い、フランらは姿を隠せとか自重せよなど紫から言われてない。緊急事態でとてもそれどころではなかったからだ。そのせいで多くの者が妖怪の強大さをまざまざと見物する結果となった。
 砦の高台にアメリカ軍を蹴散らした妖怪たちが集まっており、二手に分かれるところである。
「神奈子はあっち、そちらは違う、北は天子――」
 人妖を振り分けてるのは八雲紫だ。お祭りのため、人気の高い人妖を中心に二〇名ほど揃えている。いつのまにか気絶してたはずの古明地こいしもニコニコ笑顔で混ざっている。姉のさとりも精神の均衡を回復してさっぱり顔だった。
「紫さまは出られないので?」
 式神にして九尾の狐、八雲藍。セキュリティを攻略・突破してアンダーワールドへ幾度も潜り込み、さまざまな説得や工作を行ってきた影の功労者だ。キリトも藍を通じて自分の役割を知らされてきた。八雲藍がアンダーワールドで過ごした主観時間は八ヶ月にも及ぶ。なにせラースに知られず侵入できる人材が幻想郷には八雲紫と藍のふたりしかおらず、紫が幻想郷の顔として多くの仕事を抱えてる以上、藍の負担は自然と大きくなっていた。
「私はいいから、あなたも(ちぇん)といっしょに参加してきなさい」
「藍しゃま、行きましょう」
 狐の裾をひっぱるネコミミ幼女。中国生まれで藍の式神だ。紫の式ではないので八雲は名乗っていない。ただの橙という。
「――ではお言葉に甘えて、お祭りを楽しんで参ります」
 一礼すると、橙の手を引いて飛んでいった。
 従者たちが見えなくなってから、幻想郷のオーナーが低い声で誰へともなく話す。
「あなたもいいの?」
「……いいのよこれで。今回は予定外のことばかり起きてしまったから、最後の締めは控えたほうがいいわ」
 レミリア・スカーレットだ。例によって簡易の洋風テーブルセットを持ち込んでおり、パラソルの下で椅子に座って高みの見物。メイド長の咲夜が紅茶を煎れている。一杯は吸血鬼のぶん、もう一杯は紫。
 すすめられるままティーカップを受け取ると、紫は咲夜の引いた椅子へ優雅に座った。
 彼女の視界一面に、黒い人の洪水が地の果てまで続いている。アスナがつくった崖を挟んで行き場を失った数十万のプレイヤー軍勢だ。おなじ数が後方の暗黒界側にも広がっているはずだ。PoHに騙されてログインしてきた彼らに、幻想郷らしい出迎えをしてあげよう。
 カップを掲げ、一言。
「さあ、これが本当のイッツ・ショウ・タイムよ!」
     *        *
 妖夢たちの真下で突如として開始された弾幕と閃光と爆発の嵐。
 崖を飛び越えた妖怪少女たちによる容赦ない攻撃が、いまだ九〇万人近くを数えるプレイヤー軍へと向けられていた。
 それを視認した魔神が、火炎の弾幕を中断して、急に高笑いをはじめる。
『……気が狂ったか? これで我の勝ちだ! 魔の勝利なり!』
 PoHの狙いは幻想郷の妖怪たちに人間を大量に殺させることだった。それを防止するためアスナの崖と谷が作られたのに、いまになって方向転換だ。
「どう取るかはあんたの自由だが、時間稼ぎへ律儀につきあってくれてありがとよ」
 キリトの全身に破線が入っていた。妖夢も体験したことのある限界突破のエフェクト演出。輝く線が通ったあとは、騎士の鎧が消えていく。かわりに現れたのは、黒い服と黒い革に小さなマント、裾の長いインナー。鎧のデザインは妖夢もかつて幾度も目にしてきたもの――
「SAOねっ!」
 心意によってソードアート・オンラインのキリトが出現した。整合騎士ではなく、黒の剣士キリトが。九〇層以降の装備だ。
 ただしキリトの背中にある剣は、夜空の剣と霧雨の剣。その二本を同時に手にしたキリトが、マントを羽ばたかせ始める。彼の意思力だけで、服がまるで鳥の翼のように動いていく。ぱっと伸びてキリトの背中へと移動し、そのまま黒い翼を形成した。
「行くぞ妖夢」
「はい」
 翼をはためかせたキリトが飛竜より飛び立ち、まさに飛翔してラスボスに迫る。妖夢も楼観と白楼を抜き「言霊、イブリース」とターゲット指定、白銀の霊光を放つ二刀流でぴたっと横に付ける。
『バカが、わざわざやられに来たか』
 ひときわ巨大な火球を生成する魔王。極限まで熱をこめ、青白く輝かせる。たちまち直径二〇メートルをこえた。
『消えろっ』
 蒸発しかねない超高温の悪逆非道へ、臆することもなく正面より突っ込む黒と銀。銀のほうは寸前で大きく回避したが、黒はそのまま小さな恒星へ自殺的に重なり――
 すっぽんと抜けてしまう。キリトのIDは人界人のものだ。持ち物も含め天命完全保護、痛覚も遮蔽されている。
『え?』
 呆然とした驚きの顔をさらしてるイブリースの耳へ、かつてSAOで幾度も繰り返された必勝の技名が届いた。
黒銀乱舞(ヘイインらんぶ)!』
     *        *
 一〇〇万人という途方もない人間が騙されてしまったのは、幻想郷のネームバリューとブランド力ゆえである。
 革命的な新ゲームのベータテストと銘打ち、幻想郷の妖怪少女と弾幕ライブで楽しもう、弾幕に当たって殺されよう、いや回避しつづけて生き残ってもラッキーかもよ? どう遊ぶかはあなた次第! そんな適当なうたい文句。それは妖夢と魔理沙の弾幕コンサートがヒントとなっていた。マスパみょんの安全弾幕に当たればみんなラッキー、幸せになれるという宣伝。これまで日本国内かつリアルでしか楽しめなかったそれを、オンラインで体感できると全世界へ告知したのである。しかもゲームだから、弾幕に殺されても安全だ。弾幕ごっこを一度は体験したい者、仮想現実でもいいからライブで見たいと思う人は世界中にたくさんいた。効率の極端に低い弾幕によって、しかしなぜか美しさで優劣を競うという派手で不思議な決闘スタイルは、地球広しといえども幻想郷にしかない独特のものである。何事も突き抜ければ芸となる。無駄だらけでありながら魅せられもするその物珍しさから、一〇〇万という突出した接続数をわずか一~二時間で達成したのだ。
 で、痛覚が封じられたいま、プレイヤーたちは本来におけるVRゲームとおなじ状態へようやく置かれたわけで。
 死したPoHの煽り通りにお祭りが開始された。
 あまりに長い時間を待たされたプレイヤーは、積極的に弾幕へと当たって自分から殺されていった。なにせこのクソゲームは欠陥だらけで、自力によるログアウトすら不可能なのだから。脱出するにはゲームオーバーになるしかない。
 彼らの行く手でカラフル模様の華麗にして優美なる弾幕をばらまく人妖は、みんな可愛らしい少女たちだ。
     *        *
 ボロボロのイブリースが地へと落ち、力を失って元のうつろな影へと戻った。彼が受けた斬撃は五〇〇連以上におよんでいた。いくら天津神より強大な存在力をもつ大魔王でも、魔剣四本にこれほど執拗に斬られれば激しく消耗する。
 偶然にも魔王の墜落した箇所はヴァサゴ・カルザスがログインしてきた場所でもある。果ての山脈、東大門の回廊を見下ろせる山頂の崖際であった。
 アル・シャイターンを追うように舞い降り、きれいに取り囲む勇者ご一行さま。あとからきた魔理沙と霊夢はいない。霊夢が仙術で魔法使いを治療中だ。
 夜空の剣の漆黒に染まる切っ先を向け、キリトが聞く。
「負けたときの契約内容は? 俺たちにちょっかいを出さないと誓うか?」
『そんなもの最初からない。まさか「英雄」が混じってたとは、どうしようもないな。負けるべくして我は勇者に負けたのだ。勧善懲悪の運命にまたまんまと踊らされただけ。ゆえに遺恨もなく、我がおぬしらへ復讐するなど詰まらぬこともしない。誓う以前にそれが魔の頭目たる我が抱える、存在理由のひとつだ』
 負け慣れてるようで、聞かれてもないことまであっさりと白状した。
『むしろ運勢の連環より外れた名もしられぬ人間や病気にこそ注意したほうが良いぞ。我に勝利した英雄の少なからずが、「物語」の演目に呼ばれもしなかった無名の災厄によって命を散らせたものだ……蚊に殺されたアレクサンドロス大王のようにな』
「ご忠告、ありがたく受け取っておく」
『ではサラバだ――』
 霧のように急速に散っていく。
 イベントに依らない戦いの終わりは、演出などと無縁のものだった。疲労感のみがあって達成も感動もなにもない。
 魔王が去って一〇秒以上たって、ようやく妖夢は剣を鞘へおさめた。キリトとアスナもならう。また破線が走ってキリトが元の整合騎士に戻った。
「これで終わったのかしら?」
 アスナの疑問をいきなり否定しなければいけない。また勘がうずうずしている。
「終わってはいないようです。さっそく無名のなんたらが起きたようですよ」
 妖夢たちから数メートル離れた場所に、誰かがログインしてくる光の柱がふたつ。
 すごい存在力を放散している。アスナと同等のパワーは、おそらくスーパーアカウントだろう。
 おさまった光よりでてきたのは、分かりやすい知り合いだった。
「リーファ、シノン」
 地神テラリアの格好をしたリーファ、太陽神ソルスへと扮したシノン。アスナと合わせ、宝塚歌劇みたいなど派手な創世三神がいちどに会した。
「ほかに連絡手段がないから、六本木の分室からログインしてるの。時間がないわ、お兄ちゃん、妖夢師匠、アスナさん。私たちは『勝手』にログアウトしてしまうらしいけど、お兄ちゃんとアスナさんだけは違うって」
「あの菊岡さんから緊急の伝言よ。詳しいことは聞かされてないけど、ハッカーがあれしてなにしてこの世界が大暴走を始めるらしいの――数百万倍? 二〇〇年? なんの数字かよく分からないけど、キリトとアスナ、早くログアウトしてって。外側からはそのハッカーがロックして無理なんだって。そのため内側に脱出用コンソールを用意するって」
     *        *
 幻想郷が独自に動いてたように、菊岡らラースのチームも最善を尽くそうと働いていた。その結果、運命のいたずらが交差する。
 紫が手配していた念のための保険、ALOプレイヤーを中心とした一団およそ一五〇〇名が、回廊の中心付近へ転移してきた。
 それはクライン率いる風林火山や元ディアベルのウンディーネ軍を筆頭とした、幻想郷クラスタと関わりを持ってきた集団である。リズベットとシリカ、鼠のアルゴ、エギルやレコン、ユウキにランのスリーピングナイツやロザリア姐御とタイタンズハンド、サチたち月夜の黒猫団、カインズ&ヨルコの黄金林檎まで含まれている。ユージーン&サクヤ&アリシャのALO連合軍もなかなかの数だが、頭数が一番多いのはキバオウ率いる三〇〇名のウンディーネ自警団。キバオウは「輝夜はんがこないなバカなことするわけあらへん!」と団員たちを熱心に説得して回り、出動があると信じて突出した大人数の確保に成功していた。ほかの者も幻想郷の特性や傾向を知ってるだけにPoHの煽りになど容易に乗らず、慎重にいたおかげで紫や藍からの接触を受け、そこよりさらに連絡が広がっていった。数こそ少ないがGGOより薄塩たらこ&ゼクシード&闇風&ベヒモスらを中心とする強力なガンナー集団がおり、ネズハたちレジェンドブレイブスも末席に加わっていた。
 彼らはザ・シードのコンバート機能を使い、ほかの騙されたプレイヤーと一線を画すそれぞれのオリジナル容姿&装備のまま幻想郷の援軍となったのであるが、すでに戦いと呼べるものは終わってしまっていた。援軍と息巻いたクラインたちの決意は無駄足になったのである。もっとも実際に戦闘となれば激しい痛みを受けるシビアな世界であったから、予備戦力のままでラッキーだっただろう。
 しかしアンラッキーもまたあった。そこはなんと、菊岡が用意したキリト&アスナ脱出用コンソールオブジェクトが配置された場所でもあった。人の考えることは似てる。回廊の中心とは要所であるから、選ばれやすいポイントでもあった。
 精密機械の真上に、高いステータスを持つ「重い」プレイヤーが大勢わらわらと降りてきたものだから、どうなるかは言うまでもなく。
 高優先度を誇る頑丈なせっかくの装置であったが、ボコボコに破壊されてしまった。
「なンだこれ?」
 クラインがコンソールだったものの破片を拾い、首をかしげてそれを投げ捨てた。
 回廊の底は一面に戦車や装甲車の残骸で埋め尽くされている。区別なんか付かない。
「こりゃ、ちーっとばかり遅かったかな?」
 クラインの感想にとくに失望は含まれていなかった。ペインアブソーバ無効の説明を事前に受けているから、正直なところ多くの者が安堵していた。それでも駆けつけたのは、キリトたちの危急を救いたい英雄的な自己犠牲の精神からだった。それにみんなが参加しようとしてるのに、置いてけぼりになるのも後味が悪い。
 またもやアメリカか? とリルピリン率いる亜人一万余が臨戦態勢で近づいている。彼らへ友好的に手を振って最初に話しかけたのは元ディアベルとアリシャであった。ALOには亜人族NPCと触れ合うクエストがたくさんあり、異形の者がいたところで驚きも怯みもしない。みなが生粋のVRゲーマーなのだから。反対側よりも警戒に当たっていた整合騎士レンリと衛士数百人がやってくる。彼らの顔に緊張のこわばりはなく、期待と好奇心のみが浮かんでいる。
 ここで起きた短時間の異世界交歓が、のちに多大な影響をアンダーワールドへ与えることになる。平時において普通の人をもっとも感化させうるのは、おなじく普通の人たちである。特別な英傑が必要とされた激動が、まもなく終わろうとしていた。
     *        *
 紫とレミリアが休息する砦へ降りてきた妖夢たちに、ねぎらいの言葉が掛けられることはなかった。
 それよりも幽々子よりいきなりのお達しだ。
「コンソールは運命の強制力で壊れたわ。すべての状況が整った……妖夢にちょっと長い休暇をあげるわ。二〇〇年ほど結婚生活を楽しんできなさい」
「――およよ?」
 紫より宿題もだされる。
「ついでに刻斬りの最終奥義を体得してきてね。阿求の命を救い、大結界を穏やかに斬るためよ。あなたのお爺ちゃんね、年老いすぎてじつは使えなくなってるのよあの技」
「みょーん?」
 嬉しいとか考える以前に、情報が不足しすぎて理解がまるで追い付かない妖夢だった。


※霧雨の剣が壇ノ浦に沈んだ神器の剣
 原作ではとくに言及していなかったが、幻想入りの条件を考え解釈。形代システムにより、歴史上に存在する正規の草薙剣は三本。うち二本が現存し、熱田神宮と皇室がそれぞれ所有。最後の一本が壇ノ浦でロストしたもの。仮想世界の最強剣士たるキリトにふさわしい伝説の片手用直剣といえる。南北朝期などにも盗難防止の複製が作られたが、魔理沙が拾ったのは性能的に魔剣級なので候補は絞られる。

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