ソード妖夢オンライン5 東方妖精郷 ~ Cirno Dance, Udonge Barrett, Kero's Rosario.

小説 ソード妖夢オンライン全話リスト

原稿用紙換算654枚
東方Project×ソードアート・オンラインのクロスオーバー。ALO&GGO&マザーズ・ロザリオ編。


二五 前:あたいったら最強ね ~ Cirno Dance.

二五 二六 二七 二八 二九 三〇

 胸を軽く反らしつつ、氷の槍をギリギリでかわした。
 服を通して胸元にひやっと冷気が伝わってくる。HPバーが一ドット削れたけど、これぞ勲章だ。こういうの幻想郷(げんそうきょう)じゃ『グレイズ』って言うんだ。攻撃を見切っているカッコイイ避け方なんだよ。ツララが次々に飛んでくる。でもそんな単調な攻撃、あたいには利かないよ。空中で踊るように舞いみんなグレイズでかわしてみせる。足や肩や腕にヒンヤリが残る。どれも褒美だ。HPと引き替えにして見せている上手さの証拠なんだ。
 ギャラリーからおおっと歓声が轟いてくる。みんな良く見てるね。そうさ、わざとHPを犠牲にしていかに強いかって披露してるのさ。避けようと思えば完全にかわせるよ。でもすでに勝負はついている。あたいのHPはまだ八割残って緑色だけど、あいつは赤色。だから観客にサービスしてるんだ。そういうのも『本物の妖精』の役目だって、霧雨魔理沙(きりさめまりさ)が言ってたから。対戦してるあいつには――なんて名前だっけ、悪いけど長すぎて覚えてない。たしか通称でトラ?
 トラのやつ、青い髪を振り乱してさらに魔法を使おうとしてるようだけど、煙だけ出て失敗(ファンブル)。もう弾切れだね。分かってるから。あたいは元ベータテスターだから、どのくらい魔法を使えるか分かるよ。背中の羽根、輝きがけっこう弱まってるね。滞空限界も近いようだからそろそろ幕を引いてあげよう。
「いろいろと底を突いてるよね。その腰のものはお飾り?」
 煽ってみせる。そいつは腰に剣を、背中に凧みたいな盾を背負ってるんだ。戦闘がはじまってこれまで一度も抜いてなかった。エアレイド強豪のあたい相手に失礼なやつ。
 大男の羽根飾りが揺れた。こいつまるでジャングルの部族長みたいな、立派な羽根飾りの付いた冠を装備してる。派手な原色のボディペイントが、顔面や下腕といった肌の露出部分に描かれている。それ以外は金属鎧中心の重装備だ。ずばり密林の原始人がファンタジー風の甲冑を着ている。
「……ここに至れば仕方ない。きみとはできるだけ魔法で決着を付けたかったんだが。だが俺の本職はむしろこちら。覚悟してくれ」
 トラが右手で直剣を抜き、背中より外した盾を左手に構えたよ。全身の力が適度に抜かれていて、まるで剣術家みたい。ほほう、さまになってるね。まるで妖怪の山に住んでる犬走椛(いぬばしりもみじ)みたいだ。
「剣と剣で勝負だ」
 あたいも両手を前にかざし、魔力の言葉をつむぐ。最後に技名を宣言。
「アイシクルソード!」
 声に出すとか必要ないけど幻想郷のルールが染みついてて――いわば癖だ。
 体内よりせり上がってきた力が腕を伝わり手より溢れ、両手の先に水色の輝きが宿った。その光がすいっと伸びて剣の形を取る。氷の魔力剣アイシクルソード。それを握る。うん、心地よい冷たさだ。リアルのあたいが使っているものと、まったくおなじ。ベータテスト時代にレクトの人へ頼んだら作ってくれた。これがあたいの剣。ウンディーネなら誰でも使える中級魔法だけど、いまのところあたいが一番この魔法をうまく使っている。あたいは氷精(ひょうせい)だから、素手で持っても氷剣の冷たさにまったく動じない。遊びで妖精の真似をしてるだけの人間たちとは根性が違う。
「チルノちゃん気をつけて! その人まちがいなく『アレ』よ」
 ギャラリーからアスナの注意が届いた。妖夢(ようむ)の親友でもあるこの人間、まるで大妖精の大ちゃんみたいにあたいのこと構ってくるんだ。たしかアレってのは大会前に決めてた……秘密の言葉。なんだっけ……えーと。
「隙ありっ!」
 しまった。あたいがぼけっとしてたからトラが突っ込んできた。盾を前にかざして体の大半を隠していて、剣も見えない。椛と一緒の動き――これまでの盾持ちはみんな分かってなかったのに、こいつは盾の扱い方を心得ている。
「本職だ!」
 慌てて飛んでるイメージを弱め、重力に任せてすとんと落ちた。でも読んでたようで、盾の下より振られてきたトラの剣があたいの頭を掬おうとする。アイシクルソードで受けようとしたけどあいつの剣が急カーブを描いてすっとかわし、あたいの頭をきれいに撫で斬った。いやな感覚が斬られた部位に生じる。衝撃で小さなあたいの体がくるくる回転した。目が回りそう。痛くないのが助かるけど、HPバーが激減し緑色から黄色になった。HPが半分以下に減るなんてこの大会では初めてだ。ゲームプレイを通しても数えるほどしかない。
 こいつ、やる!
 同時にようやく思い出した。アレってのは『SAO(エスエーオー)サバイバー』のことだ。妖夢や魔理沙やアスナやキリトと一緒の、デスゲームを戦い抜いた剣士たち。魔法のないソードアート・オンラインで何ヶ月も戦ってたんだから、剣が強いのはあたりまえ。
 ヤバそう。あたいは最強だけど、いろいろで合わせて最強なのだ。剣だけでは最強じゃない。
 トラが追撃してくる。でも反応が遅いからなんとか死のレンジより離脱する。必殺の剣がむなしく宙を斬った。軌跡がほとんど見えない、ヤバイほどに速い剣だった。でもあいつ軌道がカクカクしてて、剣技との落差が激しい。まだ随意飛行にそれほど慣れてない証拠だ。あたいみたいにコントローラーなしですいすい飛べるやつなんか、ウンディーネじゃほかにまだアスナくらいしかいない。
 人間はふつう飛べない。みんなど素人だ。だからリアルでずっと空を飛び、我がものとしてきた本物のあたいが負けるわけにいかない。ここは勝つ! でも接近戦ではあいつの剣術がずっと上。
 あたいはアイシクルソードをトラ目掛けて投げ付けた。トラが盾で氷剣を弾くけど、それが隙となる。稼いだ時間でつぎの魔法を紡いでいた。体中よりパワーが多めに吸い取られる感覚。ウンディーネ中級でも高度な氷魔法――
「凍符――パーフェクトフリーズ!」
 あたいの周囲、なにもない空間より突如として氷の塊が一〇個ほど出現し、一斉に飛んでいく。どれも人間の頭くらいある。本来なら最低でも数十個は欲しいところだけど、この世界のあたいは残念なことに幻想郷よりはるかに弱い。パーフェクトフリーズといっても無名の弾幕より貧弱なのしか出せない。
 空気が冷たくなり、涼しい風が包む。それがあたいを高揚させる。いまの強さで大魔法に等しいものを使い、あたいのMPバーはのこり二割を切った。でも体力回復とおなじように魔力回復アイテムを使うのもルール違反。あたいはつづけてトドメ用の魔法を準備する。全身に疲労感が走ってるけど、構わず魔法を使う。
 トラのやつ、盾でパーフェクトフリーズを耐えるつもりのようだったけど、シールドが小さめなのが災いしたね。二個が足と脇腹に当たり、空中でバランスを崩した。その空隙へあたいが突撃していた。すでに魔法も発動寸前。
 振りあげた両手には、人間大サイズと特大の氷ハンマー。
 こいつはあたいより確実に接近戦が上手い。でも体勢を失っていれば別だ。
「グレートクラッシャー!」
 反撃も回避もできないトラへ、使用可能な最強の打撃技をお見舞いした。
 氷の戦鎚がトラの脳天に激突する。氷の巨塊に殴られ、瞬時にHPバーがからっぽになった。魔力の氷が砕けると同時に大男の全身が水色の炎に包まれ、その形を失っていく。やられたときの演出だ。エンドフレイムが収まったあとには、人魂が残る。
 ――勝利。なんとか勝てた。
「あたい最強!」
 ガッツポーズすると、周囲を囲むみんながわっと囃し立ててくれた。辛くも勝てた。もっと最強っぽく勝ちたいけど、難しいな。
 褒めてくれる連中はみんな髪が青い。水色から青、変わっていてもやや緑寄り。飛んでる者より生えてる半透明な四枚の翼はいずれも渓流の水のような色で、細長くて華奢。三〇〇〇人を超えるギャラリーのほとんどが、水の妖精ウンディーネ。なぜならこれはウンディーネしか参加できないご当地デュエル大会、その第一回だから。
 ウンディーネ領のお膝元、三日月湾の浜辺で開かれている。
 アスナが飛んできてトラの人魂――リメインライトへ蘇生魔法を掛ける。エナジードレイン死や自爆魔法死を除いて、この人魂が存在できる一分以内に生き返せばデスペナルティを受けない。他種族なら最上級となる蘇生だけど、回復魔法を得意とするウンディーネでは中級魔法にすぎない。おかげで使用者もぽつぽついて、デュエル大会でHP全損ありの真剣勝負ができる。現実のあたいは回復系魔法なんか使えないけど、この世界ではけっこうな使い手だ。蘇生魔法が使えるなら勝者が生き返すのがマナーだけど、いまは魔力が尽きてるからアスナが気を利かせてくれたんだ。ほんと大ちゃん並に気配りができるよ。
 生き返ったトラがアスナに礼をして、あたいに握手を求めてきた。ほかの男は負けたら悔しがるか恐がってたのに、出来る男だな。
「いまの俺では準決勝止まりだったか。決勝進出おめでとうチルノさん、やはり本場のエアレイドは強いね」
「おまえも強いぞ。あたいほどじゃないけどいい奴だ。さすがSAOサバイバーだな」
「ほう、剣を見て気付いたか。たしかに俺はあの世界で人より多少は上手い剣技を身につけた」
 アスナが後ろでくすくす笑っている。現実のアスナとほとんど同じで、とっても美人なアバターだ。髪は青いし耳も尖ってるけどリアルの姿によく似てる。
「そりゃわかりますよ――ね、ディアベルさん」
 トラの動きが止まった。ディアベルってなんだ?
「アスナさん……なぜ見破ったんだ? 戦闘スタイルも変えたはずだが」
「だってトラさんのプレイヤーネーム、トラウィスカルパンテクートリって、アステカ文明の破壊神じゃないですか。デスゲームの体験がありながらそんな意識の高い名を付ける帰還者なんて少ないですから、おそらく攻略組か解放軍。あとは装備や話し方の癖から候補は自然と絞れてきますよ」
 トラウィス……とかいう長いやつ、すこし焦ってるよ。
「このことは秘密にしてくれ。元攻略組指揮官と知れたら投票で有利になりすぎる。俺の夢は知ってるだろう? 純粋に自分の力だけで領主になれないと意味がないんだ」
「男をあげるんですね、もちろん(うけたまわ)りましょう。たしか世界ごとに自分を作り直してるんでしょう? せっかく『SAOの容姿データを引き継げる仕様』にしてくれたのに、課金してまでウンディーネにあるまじき巨漢を選ぶなんて、魔理沙さんが見たら驚きそうね」
 トラは身長二メートル近いのっぽで、まるでサラマンダーやノームの大男みたいだ。平均的なウンディーネはもっと細くて背もアスナていど。トラは背だけは高いけど、肉までは付いてない。ひょろ長い虚弱なもやしだ。でも顔はすこし恐くて強そうだぞ。そのトラが語ってる。
「ウィッチにディアベルでもシシオウでもない、新しい魅力の形をアピールしたいんだ。これも深謀遠慮なんだよ」
「このあとの三位決定戦で勝てば、ほぼ確実に初代領主になれると思いますよ。応援してます」
「まだ優勝は決まってないけど、アスナさんとチルノさん――ウンディーネ二強が揃って抜けるのは残念だな。俺としては巨大なライバルが減るからありがたくもあるが、同時にやはり惜しいとも思う。補佐役に欲しかったにとりさんもさっさと央都アルンへ行ってしまったし」
 河童の河城(かわしろ)にとりもあたいとおなじウンディーネだけど、正式サービス開始一週間で赤髪の旦那が迎えに来てそのまま旅立った。
「年が明けたら本格的な受験シーズンなのに、領主なんて面倒なお仕事、頼まれてもお断りですから。それにテリトリーを接している北と南でも最強が抜けますから、勢力図的にはあまり変わりませんよ」
「スプリガン最強のキリトさんと、インプ最強の妖夢さんだね――いよいよ始まるんだな」
 トラが内陸のほうを向いた。あたいとアスナも連られて見てしまう。ウンディーネ族の首都は大陸の真東、三日月湾内の島にある。だから見ているのは西だ。遠くに連なる山脈のさらに彼方より、うっすらと巨大なものが生えている。普段は遠すぎて見えないんだけど、今日は条件が良いようだ。まるで木のように見える。ぼんやりとしたその正体は、まさに樹木。世界の中心にあるとてつもなく大きな世界樹。
「全種族より選抜した最強プレイヤーたちによる、グランドクエスト攻略か……いい作戦だね。さすがは魔理沙だ」
「最初に妖精王オベイロンと謁見した種族しかクリアできないなんて、条件としておかしすぎますからね。だから九種族同時ならどうなるって話です」
 ネットで提案したのは魔理沙だ。そしたらトントン拍子に話が纏まった。同時謁見でどうなるか運営側の回答はない。もしかすれば想定外だったから、いまごろ慌ててプログラムを組んでるところかもしれない。
「PK推奨ゲーだからもっといがみ合うかと思ったけど、すんなり実現できそうな運びになってるのは、やはり幻想郷のおかげかな」
 難しそうな話をしているトラが、あたいの頭を撫でてきた。ふんわりして気持ちいいな。氷精のあたいに人間はなかなか触れないけど、このゲーム世界のあたいは水の精だから誰でもみんな平気で触ることができる。可愛がられるのはわりと楽しい。
「あたいに任せろ。滞空制限をなくしてやる」
 グランドクエストを攻略したら、最長一〇分ていどの飛行時間制限が解除されるらしい。そうなったら空中散歩をもっと気軽に楽しめるようになる。あたいがトラに勝てたのも、滞空制限を気にしたトラが勝負を焦ったからだ。あたいは飛行延長スキルでまだ余裕があった。
     *        *
 五分の休憩を置いて、まず前座の三位決定戦。あたいもアスナもトラを応援した。トラの対戦相手、準決勝でアスナに負けたオベイロンとかいう優男は「僕もSAOをプレイしていたら、女なんかには負けなかったはずだよ」と阿呆な失言をして、あたいも女だから気分が悪かった。アスナは伝説の浮遊城アインクラッドで九二〇〇人を導いてきた勝利の女神なのに、そんな偉いやつに負け惜しみを言う男は嫌いだ。アスナを嫌らしい目で見てるのも気持ち悪い。だいたい妖精王とおなじ名前を使うとか、悪趣味がすぎる男だ。
 あたいによく分からない難しい理屈によって、このアルヴヘイム・オンラインでは男は男、女は女のアバターしか選べない。性別を偽ることができないからか「強い女」への風当たりが強いらしい。あたいにしても本物の妖精ってことで持て囃されたのは最初だけ、いまではたまに突っかかられるし、集団で狩られたこともある。でもあたいもアスナもズルなんかしてない。妖夢が言ってた。ゲームは子供と大人・男と女・人間と妖怪の垣根を取り払うって。現実の強さ関係を異世界にまで持ち込もうとする奴がいけないんだ。でもそれでもあたいは最強だよ。あたいがそう決めたから、みんな平等からスタートするこの世界で最強になってみせるんだ。
 対戦は二分くらいでトラが貫禄勝ち。魔法で翻弄しつつ一方的に切り刻んでほぼ完勝だった。オベイロンのやつ、死ぬときに「課金しまくったこの僕が負けるなんてありえない! ヒャアアアア!」と情けない奇声をあげて果てた。ざまあみろ。いくらすごいレア装備を揃えても、ごちゃごちゃ身につけすぎ。あれもこれも強化・防御しようとすれば、動きがにぶって肝心の回避がどうにもならなくなる。課金による底上げで準決勝まで来れても、本当の強者には通用しない。いまはまだみんなデュエルに慣れてないから四強まで進出できたけど、今後あいつはどんどん勝てなくなるだろう。
 蘇生されたオベイロンは今度はなにも文句を言わなかったけど、蘇生魔法を使ったアスナの手を取っていきなりその甲へキスしたので、背筋に凍るほどの怖気を感じたあたいが氷雪魔法で吹き飛ばした。アスナも「まるで須郷(すごう)みたい」と気味悪がって手をハンカチで拭いてる。これで初代領主はトラだろう。難しすぎることは分かんないけど、ウンディーネはこいつに任せておけばきっと繁栄する。オベイロンはほかにも問題行動を起こしてたらしく、累積レッドカードで大会運営が摘み出した。ゴミのお掃除完了。
 いよいよ決勝戦だ。
 あたいとアスナが浜辺より飛び立つと、観客どもが洪水のように騒ぎ出した。どこから話を聞きつけたのか、さっきより人がずいぶん増えている。幻想郷の人間や妖怪を合わせたよりもたくさんいそうだ。とても地面だけでは収まり切らなくて、一〇〇〇人単位で空を飛んでいた。あたいとアスナを遠巻きに囲むように、淡い水色をした円筒形の空間ができあがる。ウンディーネの四枚羽根は水色だ。ただしあたいだけ氷の翼で六枚。アスナたちが飛ぶときしか生やさない半透明の翼を、あたいだけ常時背負っている。広告塔の招待プレイヤーだから、幻想郷の姿そのままだ。あたい以外にもこの妖精郷にお呼ばれしている本物の妖精がほかにいる。
 高度数十メートル。あたいと一〇メートルほど距離を置いて、アスナが向き合う。ふたりとも補助コントローラーを使わないフリーの随意飛行だ。この飛び方をマスターしているのは、七〇〇〇人近くを数えるウンディーネでもまだ一〇人といないらしい。
「アスナに勝って、ウンディーネ最強になる――勝負だ!」
 左手を縦に振ってメニューを呼び出す。GMなら右手らしい。リストからデュエルを選び、アスナに試合を申し込む。
「望むところよ。空中戦を教わった恩返しをしてあげるわ」
 アスナが応じたのは全損決着モード。それがこのデュエル大会の基本ルールだ。かつてSAOでは完全決着モードと言われていたらしい。
 あたいとアスナの中間に数字が出現する。一〇……九……八……秒読みだ。SAOでは一分もあったらしいけど、ALO(エーエルオー)はずっと短い。
 アスナは動かない。あたいは支援魔法で飛翔機動力を上昇させた。
 七……六……五……。
 アスナはやはり動かない。あたいは支援魔法で阻害(デバフ)魔法耐性を上昇させた。
 三……二……一……。
 アスナは動かない。あたいはお決まりの魔法を紡ぐ。
 ゼロ!
 DUELの大文字に閃光が走ると同時に、アイシクルソードの魔法を発動させていた。あたいは金属の武器を持たない。すべてのスキルを魔法と飛行関係に集中させている、空戦魔法使い特化ビルド。その魔力剣の威力はすでに古代武器(エンシェントウェポン)クラスらしい。魔力切れの保険で短剣を装備してるけど、スロット不足でスキルレスだから無補正。一から一〇まで氷の魔法を軸に戦う。
 斬りかかった先手必勝は不発、閃光と呼ばれた細剣使い(フェンサー)の居合い抜きがあたいの氷剣を受け止めていた。アスナには通用しないか。すぐ距離を取るあたい。トラにすら遅れを取ってるから、剣と剣の接近戦でアスナには絶対に勝てない。高度を取りつつ単発の氷魔法を放って牽制するけど、アスナは鳥のようにかわして追ってくる。
 激しい機動戦となった。アスナはあまり攻撃魔法を使ってこない。あたいが確実に避けると知っている。弾幕ごっこに慣れてるあたいは範囲魔法も追尾魔法も容易にかわしてしまう。あたいのほうも魔力を温存する。回避能力が高いのはアスナもおなじ。魔法は攻撃ばかりじゃないから、魔力が尽きればあたいに勝ち目はない。でも高速飛翔であれば魔力は使わない。急降下で体重を乗せアスナに氷剣での剣戟を挑む。ただし瞬間的なものだ。一撃離脱を繰り返す。
 アスナとはこれまで一〇回戦ってきた。通算戦績は五勝五敗。これまでのパターンから、とにかく動きを止めてその場に留まったら負けだ。七回目の衝突で氷剣が折れ、アスナのレイピアがあたいの脇腹を抉ってきた。HPが二割弱ほど減る。反射的に自由落下で緊急離脱し、安全圏へ退いて新たな氷剣を紡ぐ。アイシクルソードは高い攻撃力を持つけど、しょせん氷だから耐久度のほうはさほどない。
 上空より攻撃魔法が降ってくる。水流の槍で、数は七。それらをすべてかわしたところにアスナが細剣を懐に構えて飛び込んできた。先読みされていたか。こういう読みはアスナがずっと上手だ。あたいの氷剣はぎりぎりで間に合って体重の乗ったアスナの細剣を受け止め――
 いやな感覚があたいの体に侵入してきた。
 見れば腹にレイピアが刺さっている。
 おかしい。アスナの細剣はたしかに受け止めてるはずなのに……あ、左手が懐から伸びていた。もう一本か。
「……二刀流なんて、妖夢みたいな真似を」
「決勝まで温存してたのよ。悪いけど勝たせてもらうわ」
 いつのまにかクイックチェンジで二本のレイピアを装備していた。見えなかったし気付かなかった。アスナとあたいは密着して、もう一方の剣と剣で打ち合っている。この攻防に負けたらあたいは終わりだ。
 貫通継続ですこしずつHPが減っている。緑色から黄色になった。二試合連続で半分以上のダメージを受けるなんて。しかもいま、あたいは空中で動きを止めてしまっている。こうなれば剣技に劣るあたいに勝てる見込みはない――いや、まだ手がある。
「――……」
 小声で呪文を唱える。あたいの周囲に魔法文字が浮かんで力ある言葉を(かたど)りはじめた。数日前のアップデートで実装されたばかりのこの魔法はまだアスナに見せたことがない。だからきっと効く。接近戦用に覚えた。
「こんな至近で?」
 あたいが攻撃魔法をぶつけようとしていることに気付いたアスナが密着状態から離れようとした。たしかに他に手はない。このデュエル大会は試合中のHP回復魔法が使用禁止だ。ウンディーネの試合でそれを許可したら、あたいやアスナだったら連続で一時間は戦えてしまう。守るほうが禁止されてるなら攻撃するしかない。
 アスナが逃げを選択したのは正解だ。軽量の細剣は攻撃力が低いから、勢いのない静止状態から大ダメージは狙えない。アスナがあたいを倒すにはまだ五撃は必要だけど――逃さないよ。腹に刺さっているレイピアを左手で押さえる。抜こうとしたアスナの手が止まり、短い逡巡でさっと握りを離す。これでアスナは二刀流じゃなくなった。右手に残ってるレイピアも短時間ならあたいの氷剣で受けられる。
 胴体に細剣を刺したまま、あたいは魔法を完成させた。
「フロストコラムス!」
 この宣言は無意味だし相手に気取られやすいけど、スペルカードの癖だから仕方ない。魔法の名前も本当は違う。この世界で名称まで再現されているあたいオリジナルの魔法はアイシクルソードだけ。トラ戦で使ったパーフェクトフリーズやグレートクラッシャーも別の魔法だ。
 温存していた魔力を多めに消費した。軽い疲労感が体に降りる。同時に出現した氷の霜柱がいくつも宙を走っていく。初見だったみたいで、離れようとしていたアスナをきれいに巻き込んだ。この拡散系氷魔法は到達距離こそ最長四メートルていどと短いけど、かわりに威力が大きい。当たりようによってはグレートクラッシャー並のダメージが期待できる。
 砕けた霜柱のむこうに、HPバーを四割近く減らしたアスナがいる。のけぞってるからチャンスだ。あたいは腰に刺さってる細剣を抜いて投げ捨て、呪文を唱えながら追撃に移る。
 目には目を、歯には歯を――二刀流には二刀流を!
 広げたもうひとつの手の平に、ひんやりとした手応えが来た。それを掴むと、重さがぐっと掛かってくる。
 右手だけじゃなく、左手にもアイシクルソード。
 両手に氷の剣を持ち、アスナへ斬りかかった。まず右手の氷剣で泳いでいた彼女の足をえぐる。これでHPバーはイエローに落ち、ほぼドロー。このシーソーをあたいのほうへ傾けたい。さらに接近して左手の氷剣で腹を狙う。急所だからダメージ補正が大きい。
「お返しだ!」
 しかし白銀の剣身が円弧を描き、氷の剣をきれいに受けていた。あたいの刃は通らない。
 行動可能になったアスナがあたいに微笑みかけている。なんだよその余裕、気に入らないな。
「まだまだっ!」
 いまのあたいは二刀流。たったいま足を切った右手が残っている。これで――
 視界を遮る、もうひとつの白銀。右手の剣が弾かれる。
「えっ?」
 気がついたら返ってきたその輝きに眉間を突かれ、飛ばされていた。
 見えない。なんだこれ。まるで一瞬の光――そうだ、アスナのふたつ名は。
 閃光。
 頭を突かれたから、体がくるり縦回転している。それをなんとか戻そうとふんばって止まった。アスナがまた二刀流になったのかと思ったけど、違ってた。
 閃光のアスナはレイピアを一本しか持っていない。ほとんど半瞬の間に、左を受けてた剣を引いて右の攻撃を流し、さらに頭を突いてきた。あたいはまったく対応できなかった。
「速い! すごく速い!」
 悔しいというより興奮してた。接近戦でこう鮮やかに武器を使えるやつなんか、幻想郷の女じゃ妖夢と椛しかいない。本物といえる女流剣士だ。さっきのトラよりも強いぞ。いまのあたいは負けることよりも強いやつと戦えるほうが楽しい。それだけ歯ごたえのないやつばかりだった。
「にわか仕込みなんて、妖夢ちゃんに憑依されていた私には通用しないわよ」
「強いなアスナ!」
 忠告にしたがってアイシクルソードを一本捨てた。この魔法の剣はやはり両手で扱わないとまともに使えない。
 ――それからの戦いは一進一退。
 お互いに隠し球を使ってしまったので、もう打つ手がない。アスナは接近戦でこそあたいより強いけど、飛行と回避では劣る。だからほとんど互角だった。ついには滞空制限が来てしまい、浜辺へ降下してしまう。地に足を付ければアスナが圧倒的に強くてあたいに勝ち目はない。内心ヒヤヒヤしてたけど、運良くそこでタイムアップ。判定に持ち込まれた。のこりHPはあたいもアスナも一割を切ってレッドカラー。薄皮一枚で繋がった。
『DRAW』
 何秒か焦らしたシステムの表示は、なぜか安堵をもたらした。引き分けか……勝負はお預けになった。惜しみない拍手があたいとアスナに送られる。
 決め手を欠いた中途半端な戦いだったから、これで良かったのだろう。ギリギリで勝ったところでたぶん心からは喜べない。
「やったわねチルノちゃん。私たち、ウンディーネ最強よ」
「最強?」
 アスナお得意のおだてが始まったぞ。こいつ褒め上手なんだ。乗るまいとしても、体が勝手にウズウズしてくる。
「ええ。チルノちゃんの目標、立派に達成ね。チルノちゃんは最強よ! すばらしいわ」
「えへへ、そうか。あたい最強か! やった!」
 あたいは良くバカって言われるけど、いまはバカでいいや。
     *        *
「――ただいまっ」
 気分良く目を覚ましたあたいは、まず目元を覆う輪っか状のヘッドギアを外した。人間の開発した機械で、名をアミュスフィアっていう。妖精の怪脳波に対応できないから、河童が手を加えてくれている。体に力を入れ一瞬だけ飛んですいっと起き上がる。快適な冷たさが元気をくれる。狭い家の壁は白い氷。あたいの家は自前の氷で作ったかまくらだ。妖精郷へ連れて行ってくれたアミュスフィアの電源を落とし、近くに置いてある毛布にくるむ。そのまま放置してると氷の冷たさにやられてしまうから。
 外に出ると正面に一面の氷原。いまは冬だから本拠地でもある霧の湖は全面凍結している。家の様子を確認する。木製の電柱が近くに生えている。紅魔館(こうまかん)へ延びてる導線の一柱だけど、その電柱からあたいのかまくらへ電線とケーブル線が降りてる。あたいをゲームに招待したレクトなんたらがお金を払って、里の業者が工事してくれた。請け負ったおじさんが「妖精ってこんな家に住んでるのか」って感心してたけど、あたいは以前からずっと湖の岸辺、開けたところに暮らしてる。魔理沙がいうには妖精が教えてあげないかぎり、人間にも妖怪にも、さらには神にまで、妖精の家がそうだと気付けないらしい。見えてるしそこにあるのに分からないなんて、とっても変だぞ。面白いな妖精。まあ大自然の一部だしな。
 何度か背伸びして体の固さをほぐすと、あたいは空を飛んだ。真上を目指す。空しか見上げないまま一気に高度を取る。何分か経って加速をやめ、眼下を見渡す。あたいの瞳へ深雪と薄霧に沈んだ幻想郷の冬景色が入ってきた。
「……狭いなあ」
 深山幽谷。ひとつの窪地にひっそりと広がっている世界だ。つい何ヶ月か前まであたいの世界のすべてだった。暮らしてる霧の湖はさらに小さい。あたいは日本という国と、アルヴヘイム・オンラインという世界を知ってしまった。ALOはゲームなのに、ウンディーネの暮らす三日月湾一帯と周囲の湖沼地帯だけでも幻想郷の何倍もの面積を持っている。プレイヤー人口はすでに五万人以上で、毎日どんどん増加中。日本という国は幻想郷の一万倍も広いらしい。人口は一億の単位で、あまりにも多すぎて想像すらできないよ。でも妖怪はいるけど妖精はいないって。
 あたいの「チルノ」はもちろん、妖精族はどの子も日本人から離れすぎた名前と外見を持ってる。日本のあたいたちは、幻想郷にだけ生きてる不思議な生き物だ。外来種っていうらしい。難しそう。
 全力で空を飛んでみる。空を飛ぶのは氷を作るほど得意じゃないけど、そんなあたいでも幻想郷の端から端まであっというまだ。でもいくら飛んでも幻想郷から抜け出せない。結界の端に来たら、あとはおなじ景色が繰り返しつづく。ALOではこんなことはない。幻想郷って、おかしな世界だ。結界の影響で外にある真実の風景も見えない。遠くを見渡せば本当なら人間の町が見えるはずなんだって最近知った。どこまでもずっと深い山がつづいてるけど、じつはこれって幻想郷の稜線を合わせ鏡のように連ねてるだけらしい。それが不自然なんだって知ったのは、あたいがALOを遊んで本当の望遠を知ったから。世界樹や大海原を見たから。
 結界が出来る以前、高所より南東を眺めたら富士山が見えたらしい。その富士の山と妖怪の山――八ヶ岳は、大昔に背比べをしたって玄武の沢に暮らす河童から聞いた。そういえばあたいは、いつからこの幻想郷にいるんだろう。記憶がない。日本語しかしゃべれない。
 あたいは本当の故郷を知らない。
 そのためだろうか、最近はずっと仮想現実の妖精郷に夢中だ。
 アルヴヘイム・オンラインのベータテストへ誘われてからもう五ヶ月近くになる。妖夢のやつが日本へ留学するちょっと前。レクトって会社の人が、いま思えばアスナのお兄さんだったけど、彼がアスナや妖夢から話を聞いて、あたいに話を振ってきた。
 あたいは幻想郷で最強の妖精だ。最強とか天才とか言うたびバカにされるけど、「妖精で最強」と言ったら否定されない。だから紛れもない事実。あたいったら最強ね。妖精の強さとゲームの強さは関係ないはずなのに、なぜかベータテスターになった。
 幻想郷とレクトは直接の繋がりもないから、あたいに話をもってきたのは外交官の嘉手納(かでな)アガサだった。SAOで偉いやつだったらしい。
『本物の妖精も遊んでると宣伝されるじゃろうから、目立つのがいやなら断ってもいいんだぞ』
『いいねっ! 目立つのいいね!』
 なにも考えずすぐ飛びついた。レクトに読まれてたよ。最初から特別扱いで、あたいそのままのアバターを用意してくれた。
 ベータテストは楽しかった。あたいの周りにはいつも大勢のテスターがいた。やはり妖精の国で幻想郷の妖精が遊ぶって、とても珍しくてとても面白いことらしい。その主役になれて、あたいは得意だった。ゲームの内容について意見したら、いくつか採用されたりもした。
 まず魔法。
 ベータ時代、魔法を使っても体はなにも感じなかった。手のひらから勝手に魔法っぽいのが飛んでいって、HPバーの下にある青いMPバーが減るだけ。だからあたいが魔法を使えばどうなるか説明してあげた。でもレクトなんたらの人も判りにくかったみたいで、テスターに魔理沙とパチュリーとアリスが揃って追加招待された。彼女たち魔法使いトリオのアドバイスで「本当に魔法を使用した感覚」が実装された……実装って面白い言葉だな。
 でもゲームバランスなどの都合から、実際の魔法消費とは離れて再現されている。ALOの妖精は魔力容量が現実よりずっと少なく設定されていて、連射したら簡単に空っぽになるんだ。つまり疲れやすい。そうしないと魔法攻撃が強くなりすぎて、誰も武器を装備しなくなるんだって。もっともだ。剣士の妖夢が東京に行ってまでSAOを買った理由を考えれば同感できるよ。
 つづけて容姿。
 幻想郷の妖怪はみんな可愛いし美人だし格好いい。ベータ時代のALOはアバターがランダムに生成される仕様だった。しかも美醜の差が激しい。あたいはブスでデブな妖精なんか見たことがない。妖精は例外なくみんな痩せてて可愛いというのが常識だ。それを意見したら仕様が変わった。かつてのSAOみたいにあるていど自由にエディットできるようになった。
 そもそもこの嫌らしい仕様は、開発チームでアスナのお兄さんの先任だった、須郷伸之(すごうのぶゆき)とかいう変態の仕業だった。容姿が気に入らないならお金を払えば作り直すことができる。でもランダムだからどんなのが出るかは選べない、運任せ。ユーザーから小金を巻き上げる算段だったみたい。課金というんだって。コンプレックスを刺激する容姿を人質に取るなんて、せこいやつだ須郷。
 容姿の課金要素は一部で残った。髪や瞳や羽根の色、体格・身長には、種族ごとの特徴として範囲が決められてる。それを越えたい場合、たとえばウンディーネで大男になりたければ、トラみたいに金を払って権利を得るみたいな感じで。制限が気に入らなければほかの種族を選べばいいだけだ。
 さらに飛行。
 フライトエンジンってやつが最初、背中に仮想の翼と骨格をイメージしそれを動かす感じで飛ぶ仕様だった。でもそれはおかしい。妖怪もそうだけど妖精は全身で飛ぶんだ。翼や翅だけで飛ぶ妖精なんかいない。妖怪にはたまにいるようだけど、普通はちがう。体中へ均一に謎の力を込めて飛ぶ。体全体を押し出すように。飛べって思えば飛べる。用いる力は種族によってまったく違う。妖精は魔力らしいけど無自覚で使ってるから正体はしらん。とにかくそれが幻想郷の『飛行』だ。
 これもあたいの説明じゃ理解してもらえなくて、飛行のスペシャリスト射命丸文(しゃめいまるあや)が追加のテスターになった。文がいろいろアドバイスして、あたいの満足できる仕様になった。でも人間にはかえって難しくなったって、いまでもコントローラーで飛ぶやつばっか。空想の骨格みたいな屁理屈で飛ぶほうが良かったみたいな意見もあるけど、そもそも魔力や妖力に霊力とかもいまだ謎のパワーなんだからしゃーない。
 最後になぜか転生。
 妖精は「死んで」もすぐ復活するし、妖怪の中には変化する子もいると教えたら、ずっと先に実装する予定だった転生が前倒しで採用された。夜雀のミスティアは以前ドイツって国でローレライしてたって言ってたし、守矢神社の神も今と昔では変わってるそうだ。なんだったかな――――……
「止まりなさい妖精! ちょっとあんたチルノよね。なにしてるの!」
 後方より声をかけられ、思考を中断した。あっ、やべ。調子に乗って結界に突撃しすぎた。管理人を呼んでしまったみたい。
「……散歩」
 でもあたいは素直になれない。空飛ぶ巫女へとっさに嘘をつく。わざとALOと幻想郷を比べてたなんて本当のことを言ったら、問答無用で退治される。
 青と白の巫女服を着てる博麗の巫女、博麗霊眞(はくれいれいま)があたいを堂々と睨んでいた。先代の博麗霊夢(はくれいれいむ)ほど強くはないけど、伝統の陰陽玉(おんみょうだま)を受け継いでるからやっかいで手強い相手には違いない。魔理沙の親戚なので顔の輪郭が似てる。あたいの持っている印象は、強引に霊夢の真似をしてる魔理沙だ。でも目元がやや垂れ気味で言動ほどあまり強気そうには見えない。むしろ弱気な感じ。髪は黒色で、ショートボブの妖夢よりも短いおかっぱカット。魔理沙とおなじ金色の瞳で、能力保有者だとわかる。頭の上に青く巨大な蝶結びリボンが座っている。
「ただの散歩なら大結界でいたずらしない! せっかくクエスト達成って寸前にあんたの刺激で強制切断しちゃって、今日の冒険みんな無駄になったわよ」
 左右に陰陽玉を出現させて威嚇してきた。クエスト邪魔しちゃったのか、悪いことしたな。博麗の巫女は大結界と常時リンクしてる。フルダイブゲームだろうが外の状況を知れるらしい。なにかあればこうしてすぐ飛んでくるんだ。本来不可能な自力での強制ログアウトも巫女の力で出来ちゃう。逃げ得やマナー違反での乱用を防ぐため、決まった状態や場所でないと安全にログアウトできないから、博麗の巫女ってだけで規格外だ。あの八雲紫(やくもゆかり)にすら不可能だったのに。
「このあいだ私に勝ったからって、巫女を舐めないでよね。さっさと帰った帰った」
 かなり怒ってるぞ、嘘ついて正解だった。これは下手に逆らうとやばそう。逃げるに限る。いまは弾幕ごっこをする気分じゃない。
「ご、ごめんなさーい!」
「今度やったら五万ユルドはいただくわよ! しっしっ」
 無下にもなく追い払われた。当代の巫女は霊夢ほど理不尽じゃないけど、それでも手が早くてすぐ弾幕を放ってくる。霊夢の時代に受けた数々のお仕置きからあたいも苦手意識がある。霊眞には何週間か前にはじめて勝てたから、まだイケてるほうか。博麗の巫女は霊夢を境にずいぶんな武闘派になってしまった。それにしても五万ユルドはないと思うぞ。ALOでけっこうな大金だ。
 結界の境から離れるとすぐ湖が見えてきた。進む方はのれんに腕押しなのに、戻るのは一瞬。幻想入りした人間の半分以上がのたれ死にしてきた最大の理由は、結界の外側へ向かうルートに絶望しか待ってないからだろう。実際にある異世界のくせに、ALOより奇妙な世界かも。
 幻想郷よりずっと異世界らしいアルヴヘイムで、まだ霊眞に会ったことがない。種族も知らない。もしかすれば央都アルンで会えるかもしれない。今回のグランドクエスト攻略に参加する最強どもは、その過半が幻想郷クラスタになる模様だ。人間側も半分がSAOサバイバーになる見込み。いろんな垣根を取り払う世界といっても、あたいたちは空中戦の大先輩だし、デスゲームを戦い抜いた連中も「死んでもいいヌルゲー」に慣れたヤワなやつらよりよほど鍛えられてる。
     *        *
 数日後。
 妖夢が指定してきた合流場所は何度も通行したことのある、虹の谷という回廊エリアの入口だった。
 無事に初代領主となったトラとイベント好きのウンディーネ数百人より、派手なファンファーレ付きで送り出されたあたいとアスナが飛び立って一時間とすこし。すぐに虹の谷へ近づいてきた。アルヴヘイムの大陸は九種族の領土が外周に点在し、内陸部はみんな中立地帯だ。そのさらにど真ん中に世界樹を抱える央都アルンがある。一帯は山脈にぐるりと囲まれていて、越えるには洞窟や谷を抜けるのが一般的だ。中央山脈はとても険しく、システムが決めてる飛行限界高度よりも高い。
 途中で一五回ほどモンスターと戦闘になったけど、あたいが後衛、アスナが前衛のゴールデンコンビは今日も絶好調だった。どれだけ数が多くてもあっというまに平らげてしまう。待ち合わせの時間指定があるからいつもと違って逃げる敵は追わない。飛行も一度で連続一〇分ほどが限界だし。できるだけ距離を稼いでは休む、また飛んで休むを繰り返す。インターバルを短縮できるスキルもあるようだけどまだ未実装だ。
 やがて迫ってくる山脈の一角に、カラフルな谷が開けている。見たまま虹色の谷。色の源泉はおもに花だ。ウンディーネ領からアルンへ抜ける最短ルート。この場所にウンディーネと領域を接する影妖精スプリガンと闇妖精インプの代表プレイヤーたちも集まってくる。種族ごとにふたりずつ。ウンディーネ族はもちろんあたいとアスナだ。
 目印のテーブルマウンテンには季節を無視した草花が百花繚乱に咲き乱れており、それを楽しむ人影がふたつ。すでにインプ族が来ていた。銀髪に紺碧色の瞳を持ち幻想郷というか冥界そのままの格好をした魂魄妖夢(こんぱくようむ)と、知らない無個性な黒髪の女。
 妖夢がていねいにお辞儀してきた。異変や任務時はけっこう乱暴なのに、プライベートだと礼儀正しい妖怪だ。
「アスナさん、バーチャルではお久しぶりです。チルノはこちらでは初めまして」
 半霊まで連れている。あたいの氷の羽根は本物の妖精だからってことでレクトが特別にエディットしてくれたんだけど、妖夢の人魂はどうやって再現してるんだろう。そういえば耳が――
「耳が尖ってない。妖精じゃないのかー?」
 あたいの耳は尖ってるぞ。羽根も体も顔も声もそっくりだけど、完全には幻想郷のあたいじゃない。
「ああ……私はこの世界に『私そのもの』として参加できるんですよ。見ての通り楼観剣(ろうかんけん)白楼剣(はくろうけん)もあります。理屈は分かりませんけど『刻斬りの技』らしいです」
「妖夢は弾幕出し放題か? うらやましいなー」
「そう簡単には行かないのよ。弾幕なんか出したら数秒でMPが枯渇しますから、あるていどシステムに縛られます。滞空制限なども受けるわよ」
「へーそーなのかー」
 妖夢の隣にいる黒髪の女インプが、唐突にあたいの知ってる言葉を発した。
「……ルーミア?」
「そーなのだー」
 両手を真横に広げ、首を傾げてお決まりのポーズ。頭に特徴的な片結びリボンもたしかにルーミアだ。見た目はただの平凡な女インプ……というより種族選択画面で表示される顔そのままだから、デフォルトだろう。よっぽどキャラメイクが面倒だったんだね。声もエフェクタを掛けてなくてルーミアのもの。幻想郷のルーミアは金髪だけど、設定上インプ族は課金しても金髪になれない。黒っぽい髪が多い。
 それにしても宵闇妖怪だから闇妖精か、分かりやすい種族選択だ。
 スプリガンを待ってる間、アスナと妖夢が近況を話していた。あたいはルーミアと冒険の話で盛り上がった。ルーミアはあたいの大切な親友だ。たとえ見た目が違っていても――うーん、違和感あるなあ。あっ、そういえば以前テレビで見たぞ。
「妖夢~~。ルーミアの姿、幻想郷のに出来ないかな?」
「んー? 出来るわよ。インプ領ではときどきやってたから。はいっ」
 白楼剣を軽く一薙ぎしたら、黒髪黒瞳で特徴のなかった女インプが瞬時に金髪赤眼のかつ美しい人妖少女になった。背も縮む。あたいとおなじ一三〇センチくらい。
「この姿を取るのは数日ぶりだわ。ログアウトしたらリセットされるし、妖夢がいるときしかなれないから、あまり頻繁に出来ないのよ」
 八重歯で微笑むルーミア。似合ってるぞ。
「闇の力、使える?」
「いまならね」
 両腕を広げた姿勢でふわりと浮かぶ。幻想郷の姿に戻って耳も丸いけど、妖精の羽根が生えてきて変だ。彼女の体を中心に、黒い闇の塊がふっと出現した。すぐにルーミアの全身を覆ってしまい、闇の塊となる。直径は三メートルほど。でも羽根より落ちる燐光の雫が闇から粉雪のように漏れてる。なんか間抜け。
 数秒ほどで闇を消し、降りてきた。
「弾幕も可能だけど、妖夢が言ったようにすぐ魔力が底を突くわね。闇のほうは出し放題よ」
「……妖夢! あたいも斬って、本物のチルノにしてくれ!」
「予想してたからおやすいご用よ。でも弾幕だけは気をつけてくださいね。魔力を根こそぎ切らしてしまいますから、疲労で動けなくなるわよ」
 軽く斬られる感覚。でも本当に斬られたときのいやな感触はこない。撫でられるようなくすぐったい、体のなにかがズレたような、そんな錯覚だ。
「見た目、あまり変わらないね」
 ルーミアの感想は適当だ。あたいは感じてるぞ。根っこから違うって。五感のリアルさが変わった。耳を触ってみる。よし丸い。それに――
「お~~っ、冷気が出てる。氷精のあたいだ」
 全身から薄い冷気を放っていた。幻想郷のあたいはいつも冷たい気を出している。夏場になると魔理沙などによくお呼ばれされるけど、クーラー代わりに利用されてるだけだ。MPは消費していない。あたいのこの能力は自然のものだから、ALOのシステムとは関係ない。
「ちゃんと触れるし冷たい! 背中の翅も本物の氷になってる……よし、本格的にあたいだ!」
 そうなんだ。この翼が氷かどうかって、けっこう重要なんだ。あたいの羽根は体から直接生えてるんじゃなくて宙に浮かんでる。ALOの妖精たちとおなじなんだけど、あたいのは本来、本物のしかし解けない特殊な氷で出来てる。ALOのアバターなあたいだと、これが触ることのできない透過しちゃうイツワリの翼だったんだ。
 試しに軽く飛んでみたけど、レクトが用意してくれたイツワリのほうは生えてこなかった。ほかのプレイヤーは飛ぶときだけ羽根が生えるけど、あたいは運営の配慮でいつも見えてた。たぶんそれが影響してる。もし生えてたら背中がごちゃごちゃするところだった。おかげで都合良くあたいの羽根が戻ってきた。壁にもたれたりドアを通ると引っかける、そんな不便な羽根があたいの本物の翼だ。とっくに慣れてるからALOでもそのつもりで行動してしまい――狭い扉をくぐるとき体を横向けにしたりなどしてよく笑われてる。便利になってかえって不満だった。
 みんなして本物になった~~って盛り上がってるところに、アスナがぽつりと素朴な疑問。
「もし私も『本物の明日奈(あすな)』になったら、どうなるかしら」
 妖夢が即答する。
「外見が人間のアスナになるだけで、とくに変わらないと思いますよ。私たち妖怪と違って能力が使えるといったメリットもありませんし」
 苦笑した美人水妖精。
「そうね。せっかく妖精に変身してるのに、わざわざSAO時代の姿へ戻る必要もないよね」
 人間がなりたいなにかになれる。それがゲーム本来の世界。現実の外見を強制されたソードアート・オンラインは残酷で異常だった。あたいたちが元の姿に戻ろうと考えるのは、リアルの顔とスタイルに自信があるからだ。もしあたいが不細工だったら、たぶん理想のあたいで遊んでリアルの顔は選ばないと思う。妖怪が気高く余裕しゃくしゃくでいられるのも、美しくて強くて不老だからだ。醜くて弱くて老いるから、人間たちはあそこまで成功し、あたいたちは幻想郷へ逃げ隠れたんだ。こんなこと誰かに言うと知恵熱で倒れるぞってからかわれるから、あたいの胸に留めておくけどね。
 妖怪どもはみんな長生きしすぎて感覚がおかしい。いっそのこと、あたいたち妖精みたいに昔すぎることなんて端から忘れてしまえばいいのに。
     *        *
「すまんっ! こいつが出会う敵をすべて、逃げるやつまでどこまでも追いかけてでも全滅させないと気が済まないタチなんで」
 一時間近くも遅れて来たスプリガン一行は、男と女の組み合わせだった。ふたりとも黒髪。
 男は線の細い体格で背丈はアスナくらい。ツンツン頭で巨大な剣を背負ってる。アスナと違ってSAOの姿は選ばず、トラみたく新しいアバターを作り直してる。こいつは自己紹介なんか不要だな。あたいも憧れた伝説の剣士キリトだ。デュアル彼女の妖夢とアスナがそわそわしてる。一方、女スプリガンのほうはどこかで見たことのある不遜な顔……というより表情だ。
「妖怪ばかりね。うっかり退治したくなっちゃうわ」
 この一言ですぐ正体に心当たり。バトルジャンキーめ。
「……霊眞?」
「あんたバカのくせに! 明日は賽銭箱に一〇貫文くらい入ってるかもしれないわね」
「だって何日か前リアルで会ったばかりだし声もおんなじだし。ていうか巫女が軽々しく人のことバカ言うな」
 博麗の巫女とスプリガンはイメージが合わない。スプリガンは遺跡探索や洞窟冒険が得意なトレジャーハンター種族だから、あたい的にはてっきり魔理沙が来ると思ってた。
「その顔、どうして魔理沙さんじゃないのかって言ってるわよ。あの従伯母(いとこおば)なら見た目を重視して金髪になれるケットシー選んでるわ。私は地毛とおなじ黒髪じゃないと嫌だし、魔理沙さんからキリトのこと頼まれたので、こうしてスプリガンやってるわけ」
 霧雨家出身のくせに先代の霊夢みたいにしゃべる女だ。博麗姓を得る以前の名は霧雨眞仮名(きりさめまかな)。本来の性格は魔理沙のほうに近いと思うのに、あえて霊夢のように振る舞ってる。あたいがアスナに憧れてるように、伝説的な霊夢に強く憧れてるのが分かる。でも剣舞郷異変じゃ使い走りにされて良いとこなかった。霊夢が現役だったら妖怪なんかに主導権を取られず、みずから先頭に立ってただろうに。ポーズだけで実力がまだ伴ってない小娘。まるであたいみたいなやつだ――いまのなし。
 自虐がすぎた。うん、どうせバカだよ。だから最強とか天才って口癖のように繰り返さないとプライドが持たないんだよ。いつのまにかそんなキャラで固定されちゃったし。
 あたいと霊眞の隣で、SAOの三英雄が痴話漫才してる。
「キリト~~、久しぶりです。会いたかったですよ」
「いや毎日学校で一緒だろ」
「ALOのキリトくんも、カッコイイ!」
「あんたもなんでいきなり腕に抱きついてるんだよ」
「だってリアルの私は春までキリトくんお預けだもん。今回のグラクエが終わったら受験に専念だし」
「アスナずるい! 年始から和人(かずと)と一緒に勉強する気のくせに!」
「いま妖夢ちゃんも久しぶりって言ったじゃない。和人くんは和人くん、キリトくんはキリトくんよ」
「でも私と明日奈は、どちらでも同名……やります! 私もキリトの腕に抱きつく!」
「両手に花で喜ばしいんだろうけど、愛が重い……」
「妖夢ちゃんは現在進行形でクラスメイトなんだから、いまくらい我慢してよ」
「私はちゃんとした目的があって同級生になってるわけですから関係ありません。ねっ」
「悪い虫が寄り付かないためって何回も聞いたわよ。でもそんな建前、意味ないわ。キリトくんが私たちを裏切るわけないじゃない。ねっ」
「ふたりとも満開の笑顔なのになんで悪寒がするんだろう」
 妖夢とアスナとキリトがいちゃいちゃしてる。この三人バカップルは放置するに限るな。そばにいると熱すぎて氷妖精のあたいがふにゃふにゃに溶けかねん。
 ルーミアがうらやましそうに見物してて、あたいへと奇妙な視線を向けた。なに? ルーミア、あたいとなんかしたいわけ? 大ちゃんがたまにこんな妖しい目を向けてくるけど、あたいたち女だぞ。あたいは性格がすこし男っぽいし最強最強いつも言ってるから、友達から時々男の子みたいに扱われたりする。バレンタインとか毎年チョコレートもらってるし。でもあたいだって女の子だからね。テーマ曲はおてんば恋娘っていうタイトルだし、頭にでっかいリボンだって付けてるし。
     *        *
 虹の谷を無傷で抜ける。大小の戦闘をすべて瞬殺で終え、楽勝気分のピクニックだ。この六人パーティーは戦力的に強大すぎる。SAOをクリアした英雄が三人もいて、ほかもみんな強い。あたいは幻想郷最強の妖精だし、ルーミアは闇をバトルに利用できる。モンスターに闇を投げかけたら、それだけでモンスターは大パニック。霊眞も妖夢にリアルの姿を斬りだしてもらい、巫女服姿となってお得意のお札攻撃を使っている。こいつの弾幕は霊力で形作ったお札なんだけど、それを単発でかつ手に持ってモンスターに貼る行為だと、魔力消費の対象外らしい。これで動きを止めあとは楽に料理できる。SAOでもそうだったらしいけど、ALOでもみんな自分の能力を有効に使えるようだね。
 しだいに行く先の巨大オブジェクトがその色を濃くしていく。遠くにあって霞んでいたものが、近づくにしたがってベールを取るようにはっきり見えてくる。かつその大きさも増してきた。前方の視界で背景にも等しい存在感。幻想郷だと妖怪の山がどこからでも良く見えるけど、それ以上にここにいるぞと主張しているように感じられる。ベータ時代も合わせてアルンには何回か来てるけど、いつ見てもマジでこれでっかいね。ほとんど壁だ。高さはどれだけあるんだろう。幻想郷を縦にしたよりもずっと大きそう。気象条件が良ければ大陸の端からでも見えるんだから、すごい規模だよ。
 世界樹って名前もいい。あたい好みだ。
 ウンディーネ領を発って六時間、あたいたちは世界樹のお膝元、央都アルンに到着した。常識では数日かかる旅だけど、全員が意思だけで飛翔する随意飛行だし。随意飛行はリミッターが緩いから、コントローラーを用いる補助飛行の数倍は楽勝に出せる。飛んでるって感覚もあるからみんなもっと積極的に挑戦したらいいのにね。
 アルンは世界樹の根本、おもに南側にこじんまりと拓けている。街の規模そのものは世界最大のはずなんだけど、世界樹が巨大すぎて小さく見えてしまう。それでも丘の斜面へ鈴なりに建てられてる家屋の数は、ウンディーネ首都の五倍以上あるだろう。人口は最大で数万人を抱え込むことも可能だという。この丘、木の根元によくある根っこの盛り上がりなんだよね。世界樹があまりに大きすぎて、根張りが丘陵にしか見えない。アルンも北方面からだと世界樹に隠れてしまって、家の一軒もろくに視認できなくなるんだ。
 世界最大の都市すらも隠せてしまうのが世界樹。
「大きいのはいいことだ!」
 最後の休憩としてアルンを遠巻きに見渡せる平原に降りたったあたいが、世界樹を「見上げ」ながらつい言葉に出した。まだ到着してないのにすでに首を上に向けなければいけないんだ。
「世界樹が好きなんだね」
 たまたま隣へ着地したキリトが話しかけてきた。うわっ初めてだよ。英雄だからちょっと緊張する。人間のくせに。
「あ、あ、あたいはどれだけ牛乳を飲んでもこれ以上大きくなれないチビだから」
 どもった。恥ずかしい。
「幻想郷の妖精って、みんな小学生相当以下の子供だって聞いたけど」
「小さいけど大丈夫。何人かで肩車したら、キリトよりも背が高くなれる!」
「そりゃそうだっ」
 英雄が笑った。やった。
「世界中の妖精が肩車しつづけたら、あの世界樹イグドラシルにも張り合えるぞっ。グランドクエストなんかしなくても、空中都市へ手が届く!」
 えっへん。すごいだろ?
「何万人必要なんだよ……それに下のほうにいる子は、重みで潰れるんじゃないか」
 またまたえっへんと胸を張るぞっ。
「問題ない。あたいが下になれば大丈夫だ。最強だからな」
「いくらなんでも無茶だろ」
「無茶なものか。ほかの妖怪と違って、あたいたち妖精は自然そのものらしいんだ。おかげで死ににくいから簡単に無茶できるよ。でも大きくなれないのが残念かな。『そう決めた』の人間だしね。たぶんヨーロッパあたりの」
 たぶんって曖昧なのは、あたいに幻想郷以前の記憶がまったくないから。幻想入りがいつだったかすら覚えてない。かつてのあたいは外国の自然だったけど、いまのあたいは幻想郷の自然だ。もしかしてそれで忘れたとか?
「いきなり難しいことを言ってきたな――決めた? 人間が?」
 キリトが首をかしげてる。おかしいな、妖夢が話してると思ってたけど、またあたいの話し方が下手だったのか?
「に、人間の想像力や信仰のパワーはすごくて、あたいたちはもちろん、異世界すら創れてしまう。妖夢の住んでる冥界もそうだ――ついにはSAOやALOみたいなのを自力で作るほど」
「たかがゲームの舞台と、血肉の通った世界を一緒にしないでよ」
 あたいの前に下降しながら霊眞が突っ込んできた。
「大陸を名乗ってるけどアルヴヘイムって日本よりずっと狭いのよ。地勢的には九州よりもすこし広いていどの、ただの島なんだから」
 そんなの関係ないね。あたいには同じこと。幻想郷から遠くへ出かけられないから、バーチャルという形で行動範囲を広げてくれたALOはあたいにとって立派な異世界だ。いくら本物といっても、幻想郷なんか全力で飛んだら端から端まで一〇分と掛からないほど狭いじゃないか。
 って、口には出さなかった。だって先日のこと蒸し返すことになるから、あたいこてんぱんに退治されちゃう。
     *        *
 九種族、一八人。
 アルン市の門前に集結した勇者たちの顔ぶれだ。おもに霊眞のアホが狩りに執着したせいで、あたいたち東方三種族が二時間近くも遅参してしまった。代表して妖夢が謝ってる。その姿を見たみんなが、なぜ幻想郷の姿を取れるのかって疑問を投げてきた。妖夢がカラクリを答えたら「じゃあ私たちも!」と幻想郷クラスタがみんな希望して、その場で全員が幻想郷本来の姿に戻った。おかげであたいも分かりやすい。メモ帳を広げたカラス天狗が「サーバへの負担は?」と質問したけど、「月都の結界と違ってなぜか起こらないんですよ」と楽しそうに返答する妖夢。なんのことだろう?
 最初に着いてたのは西南三種族。火妖精サラマンダーより不死者・藤原妹紅(ふじわらのもこう)、おなじくユージーンでこちらは人間の男。風妖精シルフはカラス天狗・射命丸文と人間の女リーファ。猫妖精ケットシーの霧雨魔理沙と博麗霊夢。魔理沙も霊夢も大きめのネコミミとキャットテイル生やしてる。妖夢の剣で元の姿に戻っても勝手に生えてくるみたい。ネコ魔女とネコ巫女だ。
 つづけて北方三種族。音楽妖精プーカからは和太鼓妖怪の堀川雷鼓(ほりかわらいこ)と花妖怪・風見幽香(かざみゆうか)。プーカにはあたいの友人、夜雀ミスティア・ローレライもいるんだけど、来れなかったみたい。代表として来たふたりが強すぎる。土妖精ノームはパチュリー・ノーレッジと人間の大男エギル。最後に工匠妖精レプラコーンのアリス・マーガトロイドと……なぜおまえがいるオベイロン!
「不正なんかしてないさ。転生したに決まってるじゃないか~。これでもれっきとした準優勝なんだよ」
 悪びれず軽く言う男だ。こんな奴と長時間の行動を強制されたアリスも見るからに煙たがってる。
 レプラコーン領はスプリガン領の北にあり、生産職系の種族だからそれほど人口も多くない。戦闘系スキルを集中的に鍛えてる人はさらに少ないだろうから、デュエル大会で勝ち抜くのも楽なはず。もう二度と大会上位に来れないだろうと思って安心してたら、早々に実装された転生システムを使いやがったか。見た目は以前とそっくりだけど、髪の色が水色からオレンジへ変わっている。
 とりあえずオベイロンはルールの範囲で代表になったようなので、誰も口出しはできないみたい。あたいもアスナも我慢する。
 キリトへリーファという子が軽く挨拶してる。なんだろうと近づいたら紹介された。シルフでは変わってる黄色い髪を持ち、なかなかグラマーなボディのアバター。中身はなんとキリトの妹さんなんだって。今回SAOサバイバー以外の日本人は三人しかいないって話だから、さすが英雄の身内だ。
「妖夢さんにはいつもお世話になってるわ。剣道部まるごとしこたま鍛えられたおかげで、先月あった剣道の錬成大会で男女とも団体優勝できちゃった。私は個人戦でも優勝」
 ダブルで優勝か。それがどれくらい凄いことかあたいには分からないけど、これだけは分かるぞ。
「最強になったんだな。いいことだ!」
「いやあ、せいぜい数十校のトップだからね、まだまだ小手調べ。本番はまず春の東日本選抜優勝、県大会はむろん全勝して、最終目標は最後の夏に全中優勝よ! 個人団体問わずにね」
 キリトが妖夢に見せてるような優しさを込めた目で、妹の頭を撫でた。
「リアルのことはあまりゲームで言うなよ? ま、目標を高く持つのはいいことだ」
「せっかく家に道場残ってるんだから、お兄ちゃんも練習に参加したらいいじゃない。妖夢さん、いつもお兄ちゃんを鍛え直したがってるわよ。いくら反応が良くても肉も骨もないって」
 亡くなったキリトのおじーちゃんが自前の稽古場を持つほど偉い剣道家だったらしい。妖夢はキリトの実家でわざわざ通い稽古を付けてるみたいだ。
「……俺、こう見えても受験生なんだけど」
 アスナとキリトはまもなくALOプレイを中断し、数ヶ月ほどMMOから離れる。ふたりの志望校は偏差値七〇近いハイレベルな進学校だ。入試では難問奇問相手に八割以上の点を取れないと合格しない。偏差値七五前後のアスナはとっくに合格率ほぼ一〇割だけど、キリトのほうがまだ安全圏へ届いてない。それを理由にアスナ先生の個人授業がはじまるらしい……ところで偏差値ってなんだ?
 妖夢は高校なんか行けないから関係なく剣を振ってるだろう。誰でもいける中学だから通えているんだ。学力のない妖夢にキリトやアスナとおなじ高校いくなんて無理だ。中学のテストも歴史や国語を除けばほとんど一桁得点らしいし。あたいのことバカバカ言えないぞアホたれ妖夢。
 どこにいるアホアホ妖夢ってあたいが探してると、なぜかオベイロンへ白楼剣を向けていた。
「……どうして『あなた』がここにいるんですか」
 顔に冷や汗を浮かべたオベイロンが、下半身を震わせながら否定してる。
「な、なんのことかなぁ。僕はきみとはしょ、初対面だよ」
「オベイロン、あなたは私へずっと深刻な恨みの念や、殺気に近いものを放っています。いまも恐がりつつ強い反感を持ってますね」
「言いがかりだ! 勝手な妄想だ。そ、そうだ、ウンディーネ領での話を聞いたんだね。あれは僕はなにも悪くない!」
「私には半霊があるんですよ。この天然レーダーの感度は高いですし、私自身も剣士で陰の気に敏感ですから、そんな嘘など誤魔化せません」
 妖夢の横でふわふわ浮かんでる白い塊が軽く踊ってるよ。
 突発的な物騒事に、みんなが注目してる。アスナが「なにをしてるの!」と妖夢の横行を留めようとしたけど――
「アスナ、こいつはあなたへ劣情とおぼしき思念を向けてましたよ。とにかく斬ればわかります。正体見たり枯れ尾花だったなら全面的に謝罪しましょう。ですがいまはまず検証です」
 軽い一閃。それだけで済んだ。斬られたオベイロンは反応もできず……つぎの瞬間には上下ジャージ姿の痩せたメガネ男に変わっていた。あまり特徴が掴めない。しいていえばお利口そうで、神経質そう。年齢は二十代前半から半ばくらい。
 気がつけばアスナがレイピアを抜いて切っ先をそいつに向けていた。
「すっ、須郷さん! もう出所してたんですか!」
 その名を聞いたとたん、キリトも二本の剣を抜いて戦闘態勢だ。
「あんたとは初対面だし個人的な恨みはないが、わざわざ古巣にデリバリーしてまでなにか企んでるなら話は別だ」
 どうも聞いた以上の因縁があるらしい。ここはあたいも乗ってやるぞとアイシクルソードを作りだした。まだアルン市の門前だし、BGM変わってないからギリギリで圏外だ。思い出した。こいつもしかしてあれか、ALOの前プロデューサーみたいなやつ。アスナに痴漢して懲役刑食らった変態。人生棒に振ったバカ。
「きっ、キャーァァアアア!」
 いきなり発狂したような叫びで猛々しく吠えた須郷が、メニューを呼び出してログアウト。さっさとゲーム世界より逃げだした。
 でもアバターだけは残ってる。動かない抜け殻だ。こういうときの逃げ得を防ぐため、テリトリー外圏内では数分、圏外フィールドに至っては数十分単位でアバターがその場に留まるんだ。ダンジョン内やイベント演出中はログアウトすら選べない。あたいも最初のころよく理解してなくて失敗した。
 ログアウトから一〇秒ほどして、ジャージ男が元のオベイロンに戻った。仰向けで脱力した待機姿勢のオベイロンを短槍で突っつきながら、射命丸文が提案する。
「こいつをとりあえず狩って、レア装備などをみなさんで山分けしませんか? たしか課金アイテムを大量に抱え込んでるんですよね」
 誰も反対しなかった。狩りとは殺すことを意味してる。妖精の国でありながら、アルヴヘイム・オンラインはなんとプレイヤーキル推奨ゲームだ。
 妖夢やアスナと因縁浅からぬ元犯罪者が、その正体を知られていまさらグランドクエストに参加できる道理なんかない。パーティープレイ中の逃亡も重大なマナー違反だ。狩るのは迷惑を掛けられた側にとって権利ですらあるんだよ。この男もアホだ。ほんの三〇メートルくらい先がもうアルン圏内だから、そこまで飛んでログアウトすれば助かったのに。
 個人的に一番深く恨んでるアスナがちくちく刺したら簡単に死んだ。あきれた顔で処刑人が言う。
「こんなに早く死ぬなんて、HPほとんど初期値のままじゃない。本当にただ課金しただけのなんちゃってプレイヤーね」
 ALOにはレベルがない。使用可能な能力を増やしていくスキル制ゲームだ。筋力・俊敏・防御・幸運などはすべて隠しステータスとして種族ごとの基本値のまま、あとは装備による補正とプレイヤーの操作技術に依存する。HPとMPは各種スキルの成長に合わせて伸びていくけど、今のところせいぜい数倍増がいいところ。だからお金に頼れば短期間で見せかけだけは強くなれる。
 大量のアイテムを持ってたようで、オベイロンは二〇個近くもドロップした。それをみんなでランダム分割する。あたいがゲットしたのは変な灰色のカード。なんだこれ? 触ってもプロパティが表示されず、無地でなにも書いてないから使い方も分からない。外れかな? すぐ飽きてポーチに放り込んだ。
「自分の決めたコンセプトに陥るなんて、皮肉だな須郷って男」
 キリトの評価だ。あたいにも分かるぞ。プレイヤーキル推奨ってところだろう。あたいはほとんど又聞きでしか須郷の悪行を知らないけど、あの優しく気高いアスナが抵抗できないオベイロンをためらわず刺し殺したほどだから、ものすごく嫌ってる。きっと悪いやつなんだな須郷。プレイヤーを殺していいよって奨めるなんて、意地が悪そうだ。
 他人への盗みも殺しも許可。簡単だし手っ取り早いから日常茶飯事にPKや追いはぎが起きている。あたいやアスナみたいな有名プレイヤーを狩ろうと付け狙う変質者ギルドもある。ウンディーネにはすでに初心者を守る自警団があって、公認された正義の味方としてカウンターPKを楽しんでる団員までいるくらいだ。
 開発中期、須郷のあとを継いだアスナのお兄さんが殺伐とした基本仕様を改善しようと試みたらしいけど、システムの根っこの部分まで入り込んでるようで諦めたみたい。このゲームはなんと種族間の全面闘争まで可能なんだ。ベータ時代にシルフとサラマンダーがテスト戦争して、あたいもシルフの傭兵として参加した。お互い一〇〇人単位が参加する戦いもあって、奇襲によって双方のGM領主が戦死し、シルフ首都スイルベーンとサラマンダー首都ガタンを互いが同時占領しちゃったりなど、かなり変てこりんであたい的には燃える展開となった。その際アイテムドロップによる報酬がないと盛り上がらないことが判明して、デスペナルティの一部として残された。結局PK推奨のまま売り出されたわけだ。
 それでも人気なのは「飛べる」からだろう。幻想郷の人妖でMMOをプレイしてる子は、その大半がアルヴヘイム・オンラインを選んでる。あとやはり徹底した実力主義な雰囲気がかえって妖怪たちの気質と合うんだろう。あたいもそうだ。
     *        *
 宿屋の酒場スペースを借り、須郷が抜けた穴をどう埋めようか話し合いとなった。
 レプラコーンのアリスが言う。
「ほかの種族がみんな複数いるのに、レプラコーンだけ私ひとりだと、妖精王と謁見できない可能性がそれだけ高まるわ。戦いにも集中できない」
 ふたりずついるのは保険だ。グランドクエストのさなかで戦死すれば王と会えない。ふたりいれば、どちらかが生き残れば済む。レプラコーンを補填しておかないと、アリスは生存を優先して消極的に戦うしかないから、戦力としても期待できない。
 魔理沙が手を挙げた。
「偵察パーティーにレプラコーンいなかったか? 風林火山の」
 情報なしでいきなりグランドクエストに挑戦しても仕方ないので、魔理沙が風林火山というアルン草の根のギルドに偵察を依頼してたらしい。一週間近く前からグラクエを受けては撤退、受けては撤退を繰り返しているそうだ。アスナが記憶を探って、嬉しそうに答えた。
「……たしかクニミツさんがレプラコーンだったわ」
 皆で採決を取った。幻想郷クラスタとSAO帰還者はすぐ意見一致を見た。あとはALOから参戦した人間たちだ。
「この際、仕方あるまい。領地から代わりを呼ぶとなれば、時間もかかりすぎる。この町でレプラコーンの補欠大会を開いたところで、どうせそのクニミツとやらが優勝するに違いないさ」
「私もその案でいいと思います。ほかに人いなさそうだし」
 ユージーンとリーファは意外にあっさり合意してくれた。
 ところが二〇分後に招集された槍使いが条件を出してきた。
「リーダーたちも参加させてくれ。何度か挑戦してるうちに、偵察だけじゃもう我慢できなくなってきた」
 壁際に整列してる風林火山のお兄さんたちも頷く。風林火山が七人まるごと攻略本番に加わりたいという。その中に紅一点、河城にとりが混じってた。なんだ、にとりの好きなやつって風林火山の人だったのか。
「どうするの魔理沙。一部種族が偏っちゃうけど」
 風林火山には赤色の妖精が多い。アリスに話を振られ、とまどってる魔法使い。SAO時代の攻略女王さまはALOでもリーダーシップを期待されている。だが魔理沙のやつなんか苦悩してるみたいだ。なかなか答えないでいるうちに、ひとりの男が手を挙げた。サラマンダーのユージーン。威圧的な仰々しい鎧を身につけてる。たしか将軍を名乗ってる。
「種族間の公平を期するなら簡単なことだ。クニミツ以外の風林火山メンバーを盾として、決死隊のように送り込めばいい。先陣の誉れというわけだ」
 魔理沙の顔に憤怒がわいた。とんがり帽子よりはみ出たネコミミの毛が逆立っている。
「……おまえ、戦闘の苦手なにとりがいるのにそんな酷いことっ!」
 将軍という呼び名にふさわしい、いかつい顔で応じるユージーン。
「おまえが同じことを思いついて悩んでたことぐらいお見通しだぞ。俺はすでにサラマンダーの軍政に関わってるからな。おまえこそケットシーの執政部にいるのだから、アリシャ・ルーのようにもっと打算で考えろ。情に篤いのもいいがSAO時代のデスゲームを引き摺りすぎている――このゲームは死んでもいいんだ。遊びにすぎないってことを念頭において、あまり現実と混同するなよ」
 手元の水杯を取ると、魔理沙はその中身を一気に飲み干した。頭を落ち着かせるための間合い。
「つい頭に血がのぼっちまったぜ、マジになってすまん。ユージーン将軍の言も一理ありか……おいクライン、当事者としておまえはどう思う?」
「俺はべつにそれでいいぜ。武士の生き様としちゃ、むしろ腕が鳴らぁ」
 赤い髪のバンダナ男が言った。クラインというのか。にとりを迎えに来たサラマンダーはこいつだ。
「たしかにこのままじゃ、サラマンダーが有利すぎんからよ。武士道とは死ぬことと見つけたりってな」
 風林火山にはサラマンダーが三人もいる。ユージーン将軍が死ねと過激に言ったのも、自分の種族を贔屓したと見られたくないからか? 野武士みたいなクラインが不安そうに佇んでるにとりの頭に手を置き、真剣な顔をしてあたいたちに頭を下げた。
「でもにとりさんだけは勘弁してもらいたい。ウンディーネで――すまねえが、どちらか代わってくれねえか」
 その嘆願を聞いた直後、あたいは思わず手を挙げてた。
「やるっ! あたいやる!」
「……バカねあんた」
 霊夢がちいさく呟いたけど、構うもんか。
 だって先陣だぞ? そのまま無双してしまえば、あたいの大好きな最強になれそうな予感がしたんだ。
     *        *
 翌日、グランドクエストへの挑戦が始まる。
 偵察の結果を総合して、一度での攻略は困難だと見られてる。だからみんな大切なアイテムをまとめて宿屋に預けてきた。変換ポイントまで達してるスキルは可能な限りModを取得しておく。ゲームオーバーの損失をすこしでも抑えるためだ。決死隊となるあたいは死ぬ確率が高いので、ロスト耐性ボーナスを持つ防具中心に切り替えた。腰のアイテムポーチには魔力回復アイテムだけ入れる。ウンディーネだから体力回復アイテムより魔法でヒーリングしたほうが早い。
 ポーチの中を整理していて、ひとつのアイテムに気付いた。
「須郷の変なの、オブジェクト化したままだった」
 アイテム分配はランダムで行われたんだけど、外れを引いてしまったと落胆したあたいは、ストレージへ入れずそのまま放置してたんだ。
 灰色無地のカードを再度調べてみる。指でタップすればプロパティが出て、鑑定スキルがなくても名前くらいは分かるんだけど――やはりなにも出てこない。正体不明だ。にとりにでも見て貰おうかなと思ったそのとき、カードにひとつの白い幾何学結晶が降り積もった。
「あっ」
 カードの表面に触れたとたん、すぐ水のしずくに変わった。
 見上げてみる。しずかに絵筆を滑らせたような均一の曇り空より、無音の結晶が降ってきていた。それは数十秒とせずこんこんと降りゆく雪となり、全員の周囲を急速に白銀の世界へと塗り替え始めている。
「雪の花――ホワイトクリスマスね」
 花妖怪の幽香がさみしそうな顔をしている。その緑色の髪を軽い苛立ちで震わせていた。彼女の「季節」はいまの時期じゃない。木だったら冬に咲くものがけっこうあるけど、幽香が愛するのは草の花だ。幻想郷では太陽の畑というところで、おもに大量のヒマワリに囲まれて暮らしてる。でもいまは枯れ野原。
「まるで私たちの成功を祝うみたいね! これは景気がいいわ!」
 感傷を吹き飛ばす元気な声を発したのは霊夢だ。
 ネコ巫女でやる気を取り戻したあたいたちは、改めてグランドクエストへと注意を引き締める。
 みんながたむろしてるのは世界樹の根元。アルン市街最上部にある丘のてっぺん。長い階段のはてに世界樹の幹へ接する広場があり、そこにひとつの巨大な扉が居座っている。高さは二〇メートル以上。門の両脇に一〇メートル近い石像。重装甲の鎧剣士だ。
 挑戦者たちを代表してユージーン将軍がクエストを受ける。昨日の魔理沙との受け答えもあって、なんとなく上位者みたいに振る舞ってる。少数派の人間側プレイヤーとして、ここは手綱が欲しいんだろう。プレイヤーとしての強さそのものでは、この中だとかなり下位にランクされると思う。同種族でもクラインのほうが現状かなり強いはず。あたいが苦戦したトラですら風林火山のリーダーよりも弱いってアスナが言ってたから。あのバンダナがにとりとの冒険生活を優先してくれたおかげで、ユージーン将軍はここにいる。クラインがデュエル大会に出場しなくて助かったね。あたいにはあんたの気持ちがすこしは分かるよ。だって勝てなくても最強ってずっと言ってるから。
 あたいは強いやつばかりにスペルカードバトルを仕掛けてるから、勝率がじつは二割もないと思う。アクティブな弾幕屋の中じゃ、おそらくダントツに近いビリッケツだ。しかしそれでもあたいは妖怪賢者の紫や鬼の萃香(すいか)、神の諏訪子(すわこ)にだって勝利した体験がある。数をこなせばそのうち勝つこともある。ほとんどすべてのカリスマに対し、すくなくとも一回以上は勝っている。勝率が高くても上格者へ勝った経験のない妖怪をあたいは何人も知ってるよ。そいつらはあたいから見たら意気地なしだ。あたいをバカって笑ってるのを見て、あたいのほうも内心でバカめと返してる。でも大ちゃんにルーミアにリグルやミスティといった同格の友達は、あたいにとって対戦相手じゃない。みんな日本以外――海外出身という連帯感からくる、大切な遊び仲間だ。喧嘩したら弾幕合戦になることもあるけど、本格的なものじゃないからカウントしない。
 ユージーンはサラマンダーで指導者の道を選んだ。しかも腕っ節を頼まれる役職だから、きっと人知れず頑張るだろう。そのうちクラインより個人技で優るようになるかも知れないね。あたいだって最強を意識しつづけて、本当に妖精の最強になれたから。
 彼が重厚な門の近くへ踏み入れると、騎士の巨像が石臼を大量に回したような音を立てて回転し、内側を向く。手に持つ剣を斜め上に掲げた。左右の剣が扉の中央で交差し、世界樹を守るような姿勢で止まる。象牙色かな? すこしクリーミーな色。
『いまだ天の高みを知らぬ者よ、王の城へ到らんと欲するか?』
 巨像が演劇芝居のように問う。グランドクエストの開始フラグだ。ユージーンが受諾すると『さればそなたが背の双翼の天翔(あまかける)に足ることを示すがよい』と言いつつ剣が扉の守りより外れる。扉がゆっくりと自動的に開いていく。落ち着いた荘厳な音だ。
 挑戦するのは全九種族合同、二四人の中規模レイド。
 まず前衛として変則風林火山の六人だ。クラインをリーダーとしたサラマンダー三人、にとりの代理に入ったあたいウンディーネ、あとはシルフとスプリガン。レプラコーンが穴埋めに抜けて第二陣に回っている。露払いの六人は全滅覚悟で突撃しつづける。理由は全種族揃って妖精王に会うという、この作戦の主旨と公平を保つため。またすこしでも攻略の成功率をあげるため。
 第二陣となる本隊は各種族のデュエル大会を勝ち上がった初代王者と第二位。全一八人。各種族がひとりずつでも生き残ることが目的だ。正体バレしたオベイロンが逃げて、レプラコーンにひとり補填された。ウンディーネであたいとにとりが交替した。にとりはサポート魔法が得意らしいから、人数の多い本隊に混じってればまだ安全だろう。
 代表は妖怪だらけだったけど、風林火山の参加でアンバランスが修正され、二四人の内容は幻想郷一三、日本一一。SAOサバイバーが一二人もいる。本物の妖精はあたいだけだな。ほかの妖精はみんな予選敗退か、最初から関心なくて参加しなかったか。あたいの親友ではルーミアだけが残ってる。ミスティもリグルもトーナメントで負けちゃった。なかなか厳しいね。
 だからあたいは頑張るよ。みんなの期待を背負って! ……期待されてるか知らないけどさ、されてるって思い込んでやる。だってあたいは最強だから。すくなくともウンディーネではいまのところ最強だ。アスナと引き分けだったけど考えないでおこう。
 背景BGMが勇壮なものに変わった。戦闘開始有効の合図。
 いつものアイシクルソードを両手でしっかり握り、あたいが一番槍で突っ込んでゆく。
 気合いを入れるため、決め台詞で自分をあおり立てた。
「――あたいったら最強ね!」


※バカだけど割と賢いチルノ
 ⑨のイメージが強いが、原作のチルノは新聞を読めるし難しい言葉も使える。公式でバカといってもトンチが苦手とか判断が雑といった説明で、スポーツ根性な方面の脳筋バカと解釈。
※アルヴヘイム大陸が九州よりすこし広いていど
 情報源はツィッター。川原礫先生が明かした大陸のサイズから計算し比較。

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