一六 転:ソードマスター

旭和ラノベ
ソード妖夢オンライン3/一三 一四 一五 一六 一七 一八

 第三五層主街区ミーシェ。その転移門広場の中央に、不思議なものが浮かんでいる。『水面のような空気の膜』としか言いようがない、シャボン玉が板状になったような何かが、ふわふわ空中を漂う。
 栗毛の少女剣士がその謎なものへと、おそるおそる右手を伸ばし――最初は手の平だったが、やはり怖いのか人差し指だけにして、ちょんっと、軽く押した。そのとたん、青い燐光が膜全体より迸った。輝きが少女を染め、まぶしさに目をつむってしまう。光が消えると、膜を覆っていた水面のようなベールが、少女の触れた部分を中心に剥がれてゆく。まるで割れる風船を超スロー再生するような、ゆっくりとした波紋の広がり。
「わあっ、おもしろい!」
 アスナの声には、感動の成分が混じっていた。
 転移門のアクティベートである。
 波紋が謎の膜の隅にまで達したとたん、広場の片隅になぜかいる八人組のNPC楽団が、ファンファーレを演奏した。楽団の前に立ったキリトが、指揮者の真似事をして遊んでいる。指揮棒は現在最強の片手直剣トライポッドだ。キリトの隣には妖夢が立っている。ネズミ耳のカチューシャを付け、腰からはネズミのしっぽも垂れている。背中の剣がなぜか二本とも曲刀で、いまはカタナを佩刀してない。
「アスナ下がって! 一気に来ますよ!」
「わかってるわよ。私だって何度も見てるし」
 妖夢の注意を受けて、アスナは慌ててキリトや妖夢のほうへ引っ込んだ。
 ――有効化された転移門周辺に、膨大な量の青い灯火が浮かび上がった。いずれも人の大きさだ。それがひとつ消えるたび、中から人が出てくる。そんな湧出が五〇、一〇〇……もはや数えられない。街開き直後、毎度ながらの大混乱だ。最初のほうはフロントランナーを見つけて手を振ったりもしたが、すぐ人混みに埋もれてしまう。
 そのような混雑にあっても、嗅覚鋭く目ざとい人種がいる。彼らはメモ帳や記録結晶を手に妖夢たちへ詰め寄ると、さっそく取材をはじめた。一〇人全員が『取材中』の腕章を付けている。文々。新聞がアインクラッドに広めた習慣だ。つまり彼らは新興の新聞や雑誌。攻略組から解放軍が分かれてこちら、前線は加熱する競争社会。攻略組の発刊物をありがたく拝読してれば良かった昨年末までと、事情が違っていた。なにしろ攻略組の少女集団が、私たちは幻想郷の妖怪だと、宣言してしまったのだから。むろん信じない者のほうが多い。その結果ボリュームゾーンを中心に、独自のジャーナリズムが生まれることとなった。
「銀髪さん、ナズーリンのコスプレ可愛いですね」
「一発で分かるとは、幻想郷通ですね」
「今回のフロアボスは、どのような敵でしたか」
「体高四メートルくらいで、全身けもくじゃら、原始人みたいな変なの。武器は錆びたカタナ。ものすごく弱かったです。名前なんだったっけアスナ」
「ザ・ラスティネールかな? フルボッコしてるうちに三分くらいで死んだから、印象は薄いわね」
 取材陣よりおおっと、どよめきが上がっていた。仮にもフロアボスを『ものすごく弱い』と言えるのは、フロントランナーだけだ。
「また冥界の剣術でイチコロでしたか」
 信じる信じないに関係なく、妖怪という主張へ最低限の敬意は払っている。相手は偉大なスーパーガールだ。誰にも真似できないスピードで層を重ねている。あの戦いからまだ二週間と経ってないのに、すでに三五層だ。
「今日は謎のスターバースト・ストリームの練習メインで行きましたから、冥界ではなくアインクラッド流でしょうか?」
「あの謎のソードスキルは派手なわりに隙が大きくて使いづらいと、第三三層攻略後にうちのインタビューに答えてました」
「ブーストの調整で隙をなくせることに気付きました。タイミングの最適化により、もう敵の反撃を許しません」
「以前おっしゃっていた、ブーストによる緩急ですね。ゆっくりブースト……と言いますと語弊がありますが、コツはなんでしょうか」
「第二二層のコラルに住んでおられる、釣り師のニシダさんをお尋ねください。彼の名人芸を間近で見れば、極意がわかりますよ」
 答える妖夢の顔は晴れやかだった。ニシダの手ほどきによる朝釣りを何回かしている。人より就寝の早い妖夢は日の出前に起きるので、キリトたちが起床するまで暇を持てあますこともあるのだ。釣りといっても、もちろん釣りスキルなしでだ。いまの妖夢はSAOの至宝、錦の御旗。スキルスロットのひとつも無駄にできない。とにかくその釣り研修で、緩める技を体得した。
 謎のスターバースト・ストリームと謎に呼ばれる謎のソードスキルは、謎の一六連撃という謎の大火力を謎に誇っている。だがモーション内容に不備があり、早い攻撃が連続すると、間を置いて無駄に重い一撃を挟むという、妖夢から見れば「連撃を舐めてる!」と突っ込みたくなるパターンが三度ある。雑魚にはいいが、ボス相手には効かず、反撃を受けて場合によっては繋がりが途切れる。だが技術でなんとかなった。緩急ブーストによって早い部分を遅らせ、重い攻撃との間隔を縮めることで、ダメージディレイ回復の早いボスにも反撃を許さず一六連を繋げる、使える技へとレベルアップできたのだ。
 インタビューへ答えてるうちに、妖夢の背中で鳴っていた演奏が終わった。つづけて風切り音。キリトが抜き身の剣で物騒なバイバイをしてるようだ。
「おー消える消える。いつ見てもまるで怪談だぜ」
 妖夢がふりむくと、見物人の拍手を受けたNPC楽団が、みなに丁寧なお辞儀を繰り返しながら、うっすらと姿を消していた。たしかに演出だと知らなければ、幽霊に見えなくもない。いまごろは上層へ転移を終え、つぎの出番までスタンバイに入ったはずだ。あの八人は妖夢たちとともに、ずっとアインクラッドを駆け上ってきたし、これからも一緒だ。
「ところで――いいですか、キリトさん。女神のキスについてですが」
 インタビュアーの一人、この中で紅一点の女性記者。右目の目元にある泣きぼくろと、ストレートのショートヘアがキュートだ。その口元が軽く微笑んでいる。
「きみは月猫タイムズの……サチさん、だったかな? 今回のLAはアスナだよ」
 この女記者は頭の中がいつも春のようである。それに慣れてきたキリトが、サチが質問する前に内容を予測し、あっさり返答した。
 男記者たちがあわててメモを取る。男の一人がアスナへと質問する。
「アスナさんは初のラストアタックですが、やはり王子様のキスは、キリトさんでしたか?」
「……参ったわね。ほかに誰を指定しろって言うの。ていうかさあ、別になにもないのに三角関係って煽らないでくれる?」
 頬を紅潮させたサチが、キリトへ迫るように進み出た。思わず後ずさるキリト。
「キ、キリトさんはキスを承諾したんですか?」
「妖夢が許可してくれたんで、いちおう頬に……」
 目を輝かせて妖夢のほうを向くサチ。コイバナ大好き、元気一杯である。
「みょんさん、懐が深いですね! 冥界の流儀ですか?」
 妖夢は勢いでなぜか胸を張った。鼻息をむふん。ネズミ耳が揺れる。
「あくまでも私が彼女ですからねっ! 何倍も生きてる年上の貫禄ってやつです。アスナのLAなんか、どうせ一〇回に一回ですよ。次は負けないわ」
「思いっきり悔しがってますね〜〜」
 こういう方面は任せてと、インタビュー側はサチの独壇場だ。アスナもため息しか出ない。
「妖夢ちゃん、この子に乗せられたらだめよ」
「アスナも嬉しそうだったじゃないですか〜〜」
 キリトがあきれて、頭をがくん。
「自分からバラすなよ」
 サチはもちろん食いついてきた。速記のような勢いでメモを取っている。
「ほうほう、アスナさんはやはり黒の双剣士に気があると……」
「なに書いてるのよ! 女の子なら誰だって、キリトくんみたいな勇者が相手なら……すこしくらいはその、嬉しいに決まってるでしょ。サチさんもそう思うわよね」
 おおっと記者たちが喜んだ。男どもの頬が赤くなる。写真を撮るフラッシュが何発も焚かれる。
「ツンデレだ!」
「閃光さまのツンとデレが同時に拝めたぞ!」
「ありがたやありがたや」
 ちなみにサチはコクコクと素直に頷いている。キリトへ注ぐ視線が熱い。
 写真が出回って以降、『人間最強』で『解放の英雄』のキリトは、女子プレイヤーのアイドルとなった。ディアベルと人気を両分している。こういう偶像は、彼女や想い人がいようが関係ない。妖夢も魔理沙も空気扱いだ。
 いつのまにか周囲が人だかりだ。二〇〇人以上はいる。なんとも手が付けられない。妖夢が手を強めに数度叩いた。
「人と会う約束がありますので、これで今回のインタビューはおしまい! ……行きましょう、キリト、アスナ」
 銀髪のみょん、黒の双剣士、閃光のアスナ。三人ともレベルは五〇以上と推測されている。レベル制MMOにおいてLVは絶対の等級だ。レベル四〇台に達した者すらろくにいない現状で、超越者となった彼らの進路を邪魔する無粋なプレイヤーはいない。みんなさっと道を譲り、英雄ご一行の後ろ姿を見送った。中には拍手を送る者や、その背中へ礼をする者もいる。サチの礼はとくに深かった。さまざまな思いあれど、彼らに共通する根っこの気持ちはひとつ。
 感謝であった。
     *        *
 ミーシェは統一感のない田舎街だ。レンガと石と木とガラスで出来ている。雑多な石積みの建物もあればしっかり造られた物件もあり、路面のほうもおなじランダム模様。建造物の高さはまちまちで、人によっては落ち着かず、人によっては活力を得るだろう。せいぜい赤い屋根が共通項だが、大きさがまちまちで特徴と言い表しにくい。自然に発展してきた末にいまがある、いかにも実在的にデザインされた、中世の市街だった。
 三人は宿屋のひとつへ入った。街開き前に見繕った安宿で、名を風見鶏亭という。裏通りにあるため人の姿はない。今夜になればこの辺もプレイヤーだらけとなるだろうが、いまならまだ人目につきにくい。
 宿屋の一階は食堂スペースになっていて、その最奥に席を取った。粗末な木製のテーブルで、窓も人の頭ほどしかない。壁はレンガを積み上げ適当に白く塗った安普請。日光以外の光源は机上にある鯨油ランプだけだ。ほんのりとオレンジ色に、うす暗い空間を作っている。
「ようこそミーシェへ。注文はなんだい」
 小綺麗な格好をした軽いノリのNPCが、よれよれのメニューを開いて寄越した。陶器の水入りコップを慣れた手つきで置いてゆく。
 食となればリードするのはアスナだ。料理スキルも五〇〇に届いている。
「まだ午後二時と中途半端よね。みんなスイーツにしましょう。ウェイターさん、この店でお奨めのデザートはなにかしら」
「それなら、チーズケーキが好評だよ」
 街開き直後でプレイヤーはまだ誰も食べてないのであるが、味覚がデジタル数値化されてるおかげで、NPCでも「こいつは美味しい」と断言できる。
「じゃあそれを。あと私に紅茶をストレートで」
「了解っと。そちらのお嬢ちゃんとお兄さんは?」
「私もチーズケーキひとつ。飲み物はミルクティーでお願いします」
「俺もおなじケーキと、ドリンクはホットミルク」
「マスター、注文が入ったよ〜〜」
 ウェイターが厨房へ戻っていくと、わずか一〇秒足らずでトレイをみっつ、器用に抱えて出てきた。調理時間まで現実通りとするような野暮はやらない。
「チーズケーキと飲み物だぜ。当店自慢らしいから、ありがたく食えよ」
 あっはっはと笑いながら厨房の前へ戻っていくNPCの兄ちゃん。
 木製のスプーンでケーキの角をすくい、口に入れたアスナが「はう〜」と声をあげた。さらに二口、一気にもぐもぐ食べてしまう。
 妖夢もご満悦だ。
「とろけるチーズ! およよっ。これで五〇コルって、安いわ!」
「B級食材料理並かしら。以前はNPCのお奨めなんてアテにならなかったのに」
 盛り上がる女子たちと違い、キリトが表情をあまり変えずに食べきった。さすが男の子、大口で一気だ。妖夢はゆっくり味わいながらなので、まだ四分の三以上残している。アスナも半分近くある。
「たしかに、うまいな。カーディナル・システムが学習してるってことかな? デジタル化した味覚に対するプレイヤーの反応を元に、最適化を進めてきたみたいな? アスナはどう思う」
「たぶんそんなところね。データベースからNPCにフィードバックしてるんでしょう。そういえば最近、新しくジェネレートされるアイテムも、まともな名前になって来てるわね」
「以前はひどかったですよ。私の曲刀も、おならボンバーとかおへそブレイカーとか、変な異名のばっかりでした」
「人工無能がようやく人工知能になってきたってところか。ルナー……えーと、輝夜だっけ? 彼女がアカウント停止になったのも、カーディナル・システムの独断だったんだよな」
 キリトの口の端が、軽くにやりと。面白いことになりそうだ、と言わんばかりだ。妖夢が首を傾げる。
「どうしたんです?」
「妙な想像をな。全自動GMのカーディナルがこのまま成長をつづけて、もし意識なんか生じちまったら、人間と連絡を取るため、どんな姿を取って、どんな内容をしゃべってくれるかって。なんとなくメガネの委員長タイプが映像に出てきた」
「妖夢ちゃん、たしか今、幻想郷で大結界を守っているリーダー役が、紫さんの式神なんでしょう? 幻想郷の式って、プログラムの実体版みたいな定義だったっけ? カーディナルが擬人化したら、そんなふうになるとか?」
「八雲藍は、妖怪の体に式神としての術式を宿してるだけです。元が九尾の狐なので、式神化してなくとも大妖怪ですよ。どんなに弱い式神でも、人や動物の形をした紙とか、文字を書いた呪符を使います。憑代(よりしろ)のない純粋なプログラムのみで動いている式神というのを、私は知りません」
「なるほど、情報や思念だけでは無理か。なにかの形であらかじめ特殊用途のアバターかなにかが設定されていないと、意識を得たところでどうしようもないわけなんだな。いくらバーチャルリアリティであっても。いやSAOだからこそか」
「輝夜さんのアカウント停止について永琳さんが、カーディナルが焦って原則をねじ曲げたって言ってました。NPCにも時々、意識があるんじゃないかと見紛う人もいますし、もしかすればとっくに自我らしきものはあるのかも知れませんね。なにしろあの天才が組んだシステムですから」
 キリトが腕組みをして、深く頷いた。
「サブプログラムでもいい。コミュニケーションが取れれば、このデスゲームをなんとか出来る糸口になればいいな。どこかで見てるだけの茅場に、俺たちの剣は届かない。だがカーディナルは違う。すでにルナーという実例がある」
 妖夢とアスナは苦笑いを返すのみ。キリトへ真実を伝えたら最後、この黒の双剣士は間違いなく、解放軍へ乗り込んでヒースクリフにデュエルを申し込むだろう。だが人を納得させうる証拠がどこにもない。長寿妖怪にしか看破できないていどの、小さくささやかなものだけだ。砂粒を見せてそれを大振りのダイヤモンドだと騒ぎ立てたところで、場は白けてカラスが阿呆と啼くだけ。ヒースクリフに攻略組の陰謀とでも返されたら、前線はますます混乱してしまう。それは第一〇〇層へと至るグランドクエスト攻略にも、無視できない悪影響をもたらすだろう。
「幻想郷はもちろん、政府も警察も、全力で解決する方法を探してますよ。だから安心してくださいキリト。あやふやなものに頼らずとも、私たちには剣と技があります」
「そうね。私たちは内側からゲームクリアに専念してればいいんだわ」
 キリトがとたんに不機嫌になった。自分の意見があからさまに逸らされたことに、気付いている。
「なんだよ、女子ふたりで結託して。俺の願望に賛同してくれてもいいじゃないか。たまにあんたらが一心同体じゃないかって思うくらい、揃って反応するときがあるよな。やはり俺がまだ知らないことでもあるのか?」
 怪しむキリトに見つめられて、妖夢とアスナの顔面に汗がたらり……。コミュ障を自称する割に、この少年はやたらと鋭い勘を持っている。茅場晶彦関連でこんなことをすでに幾度か繰り返していて、妖夢たちも気が気でなくなっている。
 一〇秒ほど無言の化かし合いがつづいたが、折れてくれたのはキリトだった。
「ま、いいか。いつか教えてくれるんだろ? ネットでリアルのことを聞くのはマナー違反だからな。といいつつ妖夢の側はモロバレすぎだけど」
「……キリト、好きですよ」
「その誤魔化しパターンは――飽きたぜ」
 キリトの顔が隣の妖夢へにわかに近づいて。
 ぺろんと。
 妖夢のほほを舐めてしまう。舐められたところがヒンヤリして、すぐ熱くなる。
「およ? ひゃあ!」
 座った姿勢で二〇センチほど飛び上がった。ぽとんと器用に、イスへ着地。
「クリーム付いてたぞ。まったく食べるのは遅いくせに、食いしんぼだな」
「キリトくん大胆ね〜〜。いっそのこと、お口へチューでもすれば良かったのに」
「……たぶん斬り殺されそうだから、よしとく」
 まともなキスはあれ以来、やはり完全にご無沙汰だ。いくらイチャイチャを解禁しても、恥ずかしいものがある。
「およよよ――あー、やはりこういうの、幸せ……ふわふわ」
 上半身をまっ赤にして、湯気までだして火照ってる妖夢。
「妖夢ちゃんも簡単に籠絡されすぎるわよ。このていどでメロメロとか、どこの世界にいるのよ」
「ここにいて、冥界に住んでます〜〜」
「不思議なもんだよな。俺はだんだん彼女とのじゃれあいに慣れてきてる。いまも普通だろ? でも妖夢はいつまでも新鮮なままだ。おかげで面白いし可愛いけど。これって、半人半霊の特性かなにか?」
「んー? わかりませーん。でもひとつのことをずーっと続けたり、意志を保ったりとかは、ありますね。仕事も家族も数百年単位ですし」
「半人半霊の寿命は一〇〇〇年以上……なにもかもが人間より長く持続されるってわけか」
「はーい。たぶん私はまだ二〜三年くらいは、こんな感じでほんわか初恋気分なままかも。いつも幸せでーす。ちなみに私たちのライフスケールは、あるていど成長してからは人間の二五倍くらいです」
 アスナがすこし眉をひそめた。
「二五倍? 楽しいことは二五倍だけど、反対に悲しいことも、過ぎ去るのに二五倍かかるってことよね。それって辛くない? 長生きといっても、いいことばかりじゃないわね」
「それは大丈夫です。喜怒哀楽の揺り動きは人間とおなじですよ。長く続くのは固定された情感とか好き嫌いとかでしょうか。それに半人半霊は大人しくて穏和で気楽な人がほとんどですから。元から争いを好みません。私は剣士なせいか、半人のわりに怒りっぽくて戦いを求める辻斬りですけど。でもそのおかげでSAOにログインして、こうしてキリトと知り合えました」
「好き嫌いが二五倍って、恋をするにも本来それだけ掛かるってことだよな……妖夢、もしかしてきみ、俺にはほとんど一目惚れだったとか?」
「いま思えばそうかも知れませんね。はじまりの夜にリトルネペントの群れをやっつけて、最後にあなたの素顔を見たとき、痺れたように体が動かなくなったんですよ。まるで体に電気が走ったと言いましょうか、どんな子がこの男の子を好きになるのかなって、突拍子もないことを考えてしまって。あなたから剣を下げてくれなかったら、浮ついた気分のまま、何分でも見つめてたかもしれません。あのあと圏内で一時的なホームシックにかかったキリトを見て、私のほうが情緒不安定になってましたし、翌朝には可愛い私を見せたくて、いそいそ服を買い換えたりとか」
 向かい席のアスナがキリトの頭をスプーンの柄で小突く。
「男冥利に尽きるわね、うりうり」
 キリトは沈黙していて、なにか考えている節だ。人の心を察するにまだ未熟な彼氏のこと。勘違いでもされたらイヤなので、妖夢はフォローした。
「私がべつに面食いとか、惚れっぽいとかじゃありませんよ。冥界でも幻想郷でも出逢いはいくらでもあったのに、私の恋心は二〇年以上、ずっと平静だったんですから。あの夜の戦いがあったからこそです。コペルは情けなかったのに、キリトは勇敢でとても上手かった。荒削りだけど、綺麗な剣筋が、まるでお師匠さまみたいで。リトルネペントを簡単に平らげていって、見事だった。実力を確信したのは翌日でした。魂魄二刀流の基本を、たった半日で覚えてしまって――千に一、あるいは万に一、あるかないかという剣の才覚。あの日からあなたはもう、私にとって特別な人になったんです。だから私は入浴後の肌すら晒して、無条件の信頼を示しました。私がSAOにログインした理由は剣と剣で戦いたかったからですけど、デスゲームが始まって根本から変わってしまった。私はもはやライバルではなく、隣にいてくれる、おなじくらい強い人が欲しくなったの。ゆえに私はあなたへ二刀剣術を教え、恋にも落ちたんです。自覚まで一週間かかりましたけど――大好きですよ、キリト」
 妖夢は真面目にキリトを見つめた。明るい紺碧の瞳が、歓喜の輝きをたたえている。体は全身が火照ったままだ。こういう表情をすれば、ウソでもなく真摯であると、キリトも分かってくれる。アスナも優しい目で妖夢を見守ってくれていた。
 神妙な顔をしつつも、照れ隠しに頬を掻いたキリト。
「参ったなあ。惚れ直した。不純な動機から彼氏になって、あとから好きになった俺なんかで、妖夢のどこまでも純粋な気持ちに応えられるのか……ふさわしい男になれるよう精進するよ。俺がまだふさわしくないから、余計な秘密が出来たんだよな? きみとアスナが俺に隠してることは、いずれ来るべき日に教えてくれたら、それでいいさ。これが俺の示す信頼だ。それまで俺は、妖夢の背中を守る剣と盾に専念していようと思う。いや、一緒に支え合う二対だな。俺と妖夢は、ふたりでひとつだ。もちろんアスナも重要だぜ。俺も妖夢も、あまり慎重な性格じゃないし、キレるとオツムが回らなくなる――それにしてもあれだな、まだ想像したくなかったけど、俺だけが一方的に落ち着く関係か。まあ妖夢がずっと甘えてくれるなら、それはそれで萌えるぜ」
「ありがとうキリト。私たちを信用してくれて」
 妖夢は素直に感謝したが、おまけ扱いされたアスナは気分を損ねたようで。
「未来のロリコン宣言ね」
「いや待てアスナ。俺はまだ、妖夢の正体が妖怪ちゃんだって、完全に信じてるわけじゃないぞ? きっと妖夢とアスナは、アーガスの謎エージェントで、俺は道中でたまたま選ばれたんだ。そんな可能性も捨てきれない。な?」
 コップをすする妖夢。
「さとりさまの読心通信によれば、アーガス社は倒産して解散準備中だそうですよ。SAO事件の賠償や補償で、全資産を整理しても返済不可能な負債を抱えたそうで。いまは国の監督と主導で色々やってて、サーバ維持管理と回線保守は大手電子機器メーカーのレクトが引き継ぐとか」
 レクトの名があがった一瞬、アスナの肩がぴくんと跳ねた。
「どうかしたんですアスナ? レクトという会社に知り合いでも?」
「……いえ、なんでもないわ。リアルの話だから、これ以上は勘弁してね」
「わかりました。キリトはなにか反論などありますか」
「――そうだな。じゃあ警察? それとも政府の秘密機関?」
 アスナが飛びつくように手をあげた。レクトから逃げたいかのように。
「よ、妖夢ちゃんが人間だとしても、中学一年か二年生くらいでしょ? そんな大層なとこから命をかける仕事なんか任されるわけないじゃない。だいいち労働基準法に違反してるもの。一六歳以下は、夜間のアルバイトが出来ないのよ。時間不定の長期任務なんて不可能よ」
「とっさにそこ突いてくるとは、さすが受験生だな。返す言葉が見つからん」
「じゃあ遠慮なくトドメいくわよ。妖夢ちゃんが突然使えるようになった謎ソードスキルの数々があるわよね、どうやって説明するのあれ? ――妖夢ちゃん、あなたの妖怪としての力はなに?」
「私の力……剣術を扱うていどの能力です」
「剣術? 人間でも修行すれば可能だよな」
「言葉足らずでしたね。妖力と霊力による、魂魄の妖怪剣術です。人間にはまず修得できませんし、万が一適性があっても段位級に達したころには寿命が尽きます」
「SAOで再現できない七〇の必殺技か! あー、思いつきで反論とか抵抗とかするんじゃなかった。そもそも魂魄流って連続攻撃前提だし、対空技まである時点で、どう考えても人間の剣術じゃないよなあ。自分でさんざん習っておいて、アホだ俺……だいいち君の仲間、浮かんだり落っこちたり、なんでも見通したり水を操ったり、みんな変になってるしなあ」
「私はキリトのそんなうっかりなところも気に入ってますよ。すこしだけ似たもの同士です」
「慰めになってねー。俺は妖夢をからかうのが好きなんだよ。反応がいちいち楽しいだろ? それが墓穴掘ってイジられてしまったー」
「イジりついでに、キリトくんへ問題よ。剣術を和製英語的に意訳したら?」
「泣きっ面に蜂だなあ。ソードスキルだろ? アスナ」
「はい正解。おかげで妖夢ちゃんは、SAOのあらゆるソードスキルを操る力を獲得したわけです。ぱちぱちぱち〜〜」
 一月六日のことだった。
 第二八層のフロアボスとの戦闘中、妖夢に異変が起きたのは。取り巻きのガーディアンから武器落とし属性攻撃を受けてしまい、右手に握っていたカタナを飛ばされた妖夢。すかさずクイックチェンジで曲刀を高速装備し、左右とも片手用曲刀にして、ガーディアンの斧をクロスで受け、全力で弾いた――瞬間だった。
 バンザイのポーズで突如、両手の曲刀がソードスキルの燐光をまとったのである。あれよあれよの間に謎の一六連撃を爆発する星屑のように放ち、ガーディアンを撃砕していた。隙が大きかったので以後は再発動させず甲殻類型のボスを倒し、あとでメニュー画面より使用ソードスキルの一覧を見れば、スターバースト・ストリームという謎の二刀剣技がリストに加わっていた。
 発動ポーズと効果のみで、なんのスキルによるかは不明だ。検証してるうちに、それが同種の片手用武器を両手に装備した状態で発動する技だと判明した。武器はなんでも良かった。直剣はもちろん、短剣であろうが細剣や斧であろうが、片手用ならオールOKという、特殊にもほどがあるソードスキルだ。そのあと妖夢は細剣を手にして、アスナが使えるソードスキルをみんな発動させてみせた。キリトの使っている直剣用も、片手用直剣を握ったとたん使えるようになった。ついでに鍛冶や料理のソードスキルまで使えて、ふたりを驚かせた。そのかわりスキルレスなので、マイナス補正により動きはトロい。あくまでも実用は妖夢の取得している曲刀とカタナに限られる。
 未知の上級ソードスキルも発動モーションさえ分かれば使えるのだが、大問題が発生した。最初に突き止めた曲刀用の上位剣技フェル・クレセントが、あまりにも隙が巨大すぎて使い物にならなかったのである。いまの妖夢のレベルでは、使いにくい技だったのだ。実行まで六秒近いタメを必要とし、攻撃そのものは超高速で恐るべき疾風迅雷だが、モーションが終わったあと一〇秒以上も停止したままでは、実戦へ簡単に投入するわけには行かなかった。おそらく適性レベルであれば、しかるべきタメと硬直タイムとなるであろう。
 未知のソードスキル発動による突発事故を防ぐため、妖夢は曲刀スキルとカタナスキルのほぼすべてのソードスキルを見つけ出している。隙の大きな上位剣技は、使用直後に体術スキルを交えて技後硬直をキャンセルする工夫で、実戦にも投入はしているものの、長いタメは簡単に短縮できないので、どうしても長距離からの突進技が中心となっている。ショートレンジ型の上位剣技は使いづらい。タメが長すぎて、待ってる間に敵が反撃してくる。たとえば曲刀でレギオン・デストロイヤーという七連撃を見つけたが、タメ八秒では論外だった。技後も一五秒は動けない。
 謎の双武器スキルはろくに研究していない。スターバースト・ストリームひとつ取っても、隙が大きすぎてなかなか難しいのだ。タメ五秒、技後一二秒であるため、倒しきれなければ即座に体術を挟まないとヤバいし、当てるためにもキリトやアスナのフォローを必要とする。体術スキルは上位の足技をいくつか見つけているが、素手技のほうはエンブレイザーという刺突貫通技のみに留まっている。妖夢はあまり素手状態とならないので、体術スキルの出番はもっぱら足技とタックル技だった。柄を握っての裏拳などは、体術スキルに関係なくいつも使用している。
 永遠亭の謎技術によってせっかく自分の力を解放できた妖夢であったが、ゲームシステムの壁によって試行錯誤が続いている。いまのところ一番の成果はスターバースト・ストリームだったが、あくまでも仲間のサポートやフルアタックが前提という特殊技。雑魚を倒すスピードはやはりまだまだキリトのほうが早い。そのおかげかキリトとの間にこの件でなにか感情的なもつれが起きることもなかった。もっともキリトの性格であれば、逆転があったとしても喧嘩にはならないだろうと、アスナの評論である。妖夢が不安に感じて相談した際、キリトの呑気で包容力のある美点を色々と列挙して、あっさりと否定してみせた。おかげで安心した妖夢はスターバースト・ストリームを練習し、つい数十分前、ようやく物にしたわけだった。
 この特殊技は同種片手武器二対でないと発動できないため、いまの妖夢は曲刀二本を装備している。普段はもちろんカタナと曲刀だ。カタナ二本は重すぎるのでさすがに難しい。両手武器という扱いのせいで、カタナは曲刀と比べ設定的に重いのだ。見た目が軽そうでも手にすればずっしり来るし、攻撃力も高い。SAOはゲーム世界であるから、バランス優先で数値が調整されている。おかげでカタナ二本という理想の状態には、しばらくなれそうになかった。むろん初期のカタナを使えば別であったが、今度は威力が低くて話にならない。上層の武器ほど、重量比の攻撃力が向上する。おなじ重さであっても、より上層の片手用曲刀が、より下層の両手用カタナを攻撃性能で逆転してしまうのだ。
「スターバースト・ストリーム……俺も使いたいな」
 キリトは椅子に座ったままで、例の一六連撃モーションを再現しはじめた。序盤に吉祥降魔剣(ちきじょうごうまけん)とおなじ交差連撃が混じっている。
「思うんだけど、双剣とか二刀流ってエクストラスキルでもあるんじゃないのかしら? システム的に二刀装備が可能だった理由はきっとそれよ。たぶん片手用武器をどれかコンプリートするといった条件の、特殊スキルね」
「いまの攻略速度じゃ、誰も武器スキルのひとつもコンプリートできないと思うぞ。幻のスキルかぁ……」
 今日はまだ一月一二日。最前線を走り回れるプレイヤーはもはや一〇人ちょっとしか残っていない。攻略組も解放軍もレベルが追いつかぬ。
「私はさっさとクリアしたいです。死者を一人でも減らすために」
「いいのか妖夢? こんな事件が起きてしまった以上、VRMMOはおそらく規制される。ゲームをクリアしたら、俺ときみは、おそらく……」
 みんな黙った。三人とも表情がすこし暗くなる。アスナは交際の未来を冗談として語っていたものの、現実がそれほど優しくないとも知っている。キリトと妖夢もそうだ。妖夢は交際のはじめから理解していた。住む世界も種族も違う。妖夢には重い立場があり、キリトにも将来がある。まだ中学生段階の男女交際で、全人生を掛けるほどの熱愛を知らない。事件やドラマでも、ときに命を捨てるほどの深い愛とは、大半が若くともハイティーンからの領域だ。妖夢はまだ一四歳相当、キリトもほぼ同年齢であり、ローティーンの幼き恋愛。これから経験を積んでいく青き時代の突端にすぎない。おのれの未熟さを互いに痛いほど実感していた。妖夢はキリトのため自分のこれまでを捨てられない。キリトもまた。
「……言わないでください。分かっていますから。クリアして次に会えたときには、最悪、キリトはとっくに大人になって、私はまだチマチマしたまま――だから毎日精一杯あなたに好きと言って、思いっきり甘えてるんですから。でもそれ以上にやるべきことがあるわ。悲劇を減らし、早くみんなを解放してあげたい。私がキリトと出会ったのは、たぶん運命だったんだと思います。私だけでは、毎日ほぼ一層ずつ攻略するなんて、とうてい無理でした」
 妖夢はキリトへと身を寄せると、そのまま横になって、キリトの膝を枕としてしまった。膝枕となった彼氏がその銀髪を撫でる。ネズミ耳カチューシャと背中の二刀が感触の邪魔になったので、妖夢は装備を解除してストレージに戻してしまう。
「だから甘えさせてくださいね……ふわああ」
 あくびをして、目をつむる。
 そのまま三人は、なんとなく無言のまま、静かに時の流れへ身を委ねた。
 聞こえるのは、鯨油ランプの炎がゆらめくなびき音だけである。
     *        *
「遅れてすまぬの。迷ってしもうたわ」
 けろっとした声で、ようやく待ち人がやってきたとき、そこにはお昼寝中のフロントランナーたちがいた。
(われ)におまかせを!」
 布都が記録結晶と腕章を取り出し、記者へとジョブチェンジ。いまのアインクラッドで『取材中』腕章は、天下御免の代名詞。射命丸文が広めた積極的な取材姿勢が、困ったことにいつのまにやら標準となっている。妖夢たちが記者たちから逃げなかったのも、あまりに鬱陶しいので取材タイムを設けているからだ。おかげでその後の行動を邪魔されることはないのだが――よりによって幻想郷の同胞がそのお約束を破った。
「わっはっは! 月猫タイムズ、スクープであるぞ!」
 電子シャッター音と眩しいフラッシュ。
「およっ? 敵襲!」
 飛び起きた妖夢が、反射的に布都をテーブル上へと組み伏せてしまった。布都のスカートが派手にめくれ、純白のなにかが全開だ。
「いたた、痛いであろう。いや痛くはないが」
「……アホの子じゃない。なにしてるんです?」
「珍しく寝ぼけておるか半人!」
「うにゅ……あれ、布都さんじゃない。こんにちわ」
「呑気になに言うておるアスナ! 参った! 謝るから、ささっと離してたもれ妖夢」
「およよ?」
 黒髪の少年が頭を揺らした。
「ん〜〜、誰か来たのか?」
「うわっ! 殿方が起きる! おぬしの彼氏に我のが見られる! はよ離せ〜〜!」
 ギリギリで無料奉仕サービスは回避できた。
 ようやく仕切り直して、アスナの隣でしょぼーんと小さくなってる布都ちゃん。涙目の布都を、アスナがなだめている。
「……勝手に撮影してすまぬ。我は反省しておるゆえ、許してたもれ」
 布都は変わったしゃべり方をする。一人称は我。
「それで布都さん。渡したいものってなんなの?」
「――これよな、ほれ」
 布都がストレージよりオブジェクト化したのは、二冊の本だった。わざわざ革の装丁までしているハードカバー。
 表面に書いてあるタイトルは――堂々とした書体で『COPERNICUS』と読めた。
「コペルニクス総集編、出来たんですね」
 妖夢とキリトが、逸るように手にとってぱらぱらとめくる。SAOの刊行物にはスクリーン型と本型があるが、冊子タイプのほうが嵩張る。そのため発行者の多くは電子書籍タイプを選択するが、冊子型にも需要がある。たとえばアルゴの攻略本のように、フィールドにありながらどこでも読めるようにするため。ぺらぺらなスクリーンは強烈な日差しだとどうしても透けてしまい、屋外では読みづらいことも多い。それとは別に記念刊行も本型が多い。祝い事もあろうが、故人への追悼もあった。
 個人の足跡という重みを、妖夢は手にした本より感じていた。知らなかったコペルの、SAOにおける道筋を。
 最初のクエストで自分の焦りと勘違いから、あわや殺人と死にかけを同時体験したコペル。その後も前線にいたが、第一層が抜かれたと知って心中で変化が起き、はじまりの街に戻った。コペルニクス総集編には、彼の心情が事細かに綴られている。
 ――僕は弱い奴だ。知ってたから開幕ダッシュに集中し、キリトについで二番手として森の秘薬クエに挑戦できた。でも通用したのはそこまでだった。あのチュートリアルで放心した人が多かったから、僕はたまたま多くの人を出し抜けたにすぎない。僕はMPKを試みて失敗し、自分の命まで失いかけた。そのあと反省して高潔でいようとしたら、あっというまにみんなに追い抜かれた。一晩の先行も、アニールブレードのアドバンテージも、意味がなかった。狡猾に立ち回らないと、ズル賢くないと、僕ごときでは上にいけない。勝つためには卑怯者にならなければいけない。誰かを押しのけないと上を目指せない。それはゲーマーとして当然のことだ。でも僕は知ってしまった。
 本当に強ければ、卑怯も打算も、下らないものなんか不要だということを。
 長野ちゃんとキリトが、第一層の英雄になった。たった一週間でコボルトロードを倒し、第二層の門を開いた。僕は長野ちゃんのように正しくいられない。キリトのように寛容にもなれない。あのふたりは強い。技も速さも、心のほうも。どこまでも高くて純粋だ。なぜ僕は一時の欲のために、キリトへモンスターを押しつけようなどと、最低のことを考えたのか……長野ちゃんにも、お礼も謝罪もしてない。このまま先に進んでも、醜いままの僕でしか居られない。僕は弱いから薄汚れて愚かにならないと勝ち組になれない。それでもあのふたりには絶対に届かない。そこまでして上を目指す意味があるのだろうか。本物を知ってしまった僕が。
 決めた。銀髪の戦乙女に貰った命を、どう使うべきか――僕には僕のやり方が見つかるはずだ!
 いろいろあって僕が落ち着いたのが、ロザリア姐さん率いるタイタンズハンドだった。ここなら僕でも役に立てる。NPCがやってくれない特殊アイテムの流通と再分配を、プレイヤーの手で支えるんだ。第五層、第一〇層と上が広がっても、オークションハウスの拠点を第一層に据え留めたのは、僕の提案だった。フロントランナーがボスしか狙わなかったように、ずっと一所にあって生じる価値がある。動くべきではない。実際、タイタンズハンドを利用するためだけに第一層へ戻ってくるプレイヤーも多く、彼らの消費が周囲の店へ与える影響も無視できなかった。前線で戦うプレイヤーは金を持っている。貧乏なプレイヤーに遠慮して、良いアイテムを低価格設定する必要がない。タイタンズハンドの店舗を中心として、プレイヤーショップ群による小規模な商店街が形成された。第一層でありながら、最前線とおなじ。前線とともに移動する必要がないぶん、かえって品揃えやサービスに集中できる。攻略組がなかなか外へ回してくれないアイテム群を提供してくれる貴重な商店街として、そこはひとつの聖地と化した。攻略組以外の前線プレイヤー、ソロプレイヤー、攻略組を目指すプレイヤーのための。背伸びしたいだけの人も利用した。
 僕は誇らしかった。出来ることがあった。出来たことがあった。ありがとう。それを僕はあの夜、偶然に出会えたみょんさんとキリトさんに伝えたかった。だから僕はコペルニクスを書き続けている。
 やがてロザリアさんのはからいで、僕をリーダーとするパーティーが編成された。攻略組へ加わるためだ。『本当はてっぺんで戦いたいんだろ? 店はアタシらに任せて、暴れておいで。タイタンズハンドここにありって、派手に宣伝してきな!』――僕はロザリアさんが好きだ。彼女のためなら、どこにでも行ける。いまはまだ弱いけど、第一〇〇層を解放するラストバトルに参加するのはきっと僕たちタイタンズハンドだ!
「……いい子ですね」
 悲劇を知るだけに、涙なくして読めない妖夢であった。キリトはいつものように冷静沈着に見えるが、内心はきっと違う。ただ顔に出さないだけだ。どれだけ遠回りをしても、コペルにはコペルの生き様があった。それを泣くことも笑うことも、ましてや同情も憐憫も、勝ち組の頂点にいるキリトには許されない。男の理想像として、ただ受け止めるだけである。おそらくそういった価値観だろうと妖夢は考えた。でもキリトはまだ中学二年生、彼には重すぎる――だから代わりに女である妖夢が泣く。妖夢にはそれが許される。むしろコペルも望むのではなかろうか。
 最前線に戻ってきたコペルの喜びが行間から溢れてくる。めきめきレベルが上昇し、高級装備に見合った中身となる充実と興奮。あの夜、あの場所にいた銀髪と黒髪のふたりは、おなじ攻略組にいながらとんでもない高き(いただき)にいる。大きな差がついてしまったし、追いつけないことも分かっている。それでもいつか僕も、せめて彼らの隣で――そこで唐突に終了する。以上がコペルニクス総集編の内容である。全一〇号。文字数にして八万字弱。
 平均発行部数は創刊号を除けば二〇〇に届かず、もっとも売れた号でも創刊号の五〇〇部ていど。全体では赤字ですらあったコペルニクスは、コペルというプレイヤーの主観によって書かれた、ほぼ日記同然の書き物であった。MPKの件までわざわざ告白していることからも、コペルの実直な性格がわかる。ろくに推敲もされておらず誤字脱字も多いが、そのまま残されていた。
「ロザリアも全号集めるのにずいぶん難儀したそうよな。タイタンズハンドの全員が現物をろくに持っておらなんでな。最後は雑誌コレクターのホッカイイクラなる者より借り受け、ようやく発行にこぎつけたと」
 ごくごくと紅茶を飲む布都。チーズケーキは二個食べている。
「それからロザリアからの伝言を伝えおくぞ。『本来ならアタシから手渡したかったけど、号泣してしまうから済まない』とな。タイタンズハンドの近況もあるが、聞きたいかの?」
 キリトが頷いた。
「ぜひ、頼む」
「トンヌラとモサクが新たな六人パーティーを組んで、解放軍に参加しておる」
 妖夢は記憶を掻き回してみたけど……分からない。
「……誰?」
「私、話したことあるわよ。たしか黒髪のぷちハンサムさんと、柔道部みたいな体格の人ね」
 さすがアスナである。記憶力は抜群だった。
「トンヌラはいま、髪を水色に染めておる。どうもディアベルに憧れておるようでな。それでも解放軍に加わったのは、キバオウとの(えにし)らしい。あやつらはかつて第一層でキバオウに勧誘された口らしくての。何分か迷ってモサクと一緒に加わろうとしたところ、最後にヒースクリフが自分から名乗り出てパーティーが一杯になったとな。もし即答しておれば、いまごろ解放軍の幹部さまだったわけじゃな。運命のイタズラというわけよ」
「布都にしては珍しくスラスラですけど――メモを読んでなければ」
 メモ帳を閉じて、布都がケーキをあーんと口に含んだ。
「美味よのう……仕方なかろう。月猫タイムズの活動ですっかり習慣になってしもうたわ。ロザリアからのこたびの依頼も、取材ついででな。文々。新聞が前線しか見ておらぬゆえ、我ら新興メディアが、余りものをみんな見聞してやろうというわけよ」
 キリトが改まって頭をさげた。つづけて妖夢。
「ロザリアさんに伝えておいてくれ。深く感謝すると」
「私からも。これでようやく胸のつかえが取れそうですと」
「あいわかった」
 アスナが「あっ」とつぶやいて、布都に話しかけた。
「いま布都さんがいる月夜の黒猫団に、サチさんって子がいるわよね。やたらと私とキリトくんを噂にしたがってるのよ。困ってるって注意してもらえないかしら。妖夢ちゃんは親友だから、不和とかイヤなの」
「その件は許してたもれ。これまでの反動が出ておる。本来は物静かな大人しい子でな」
「反動?」
「ここだけの話じゃぞ。あの子はな、我が黒猫団に入ってすぐ、半日ほど行方不明になったことがあってのう――」
 布都がサチを偶然見つけたのは、タフト市街の水路だった。
 うずくまるサチは体をただ震わせていた。自分たちより強いレジェンド・ブレイブスと組むことで、黒猫団はめきめきレベルをあげてきている。だがサチは精神的に戦闘へついて行けなくなっていた。
 しだいに強力で凶暴、巨大化しているモンスターが恐ろしい。いくら安全に戦っていても、SAOに絶対がない以上、いつか負ける瞬間がやってくる。死ぬのが怖い。こんな気持ちだと、きっとみんなより早くに死んでしまう。迷惑をかけてしまう。戦いがイヤでイヤで溜まらない!
 第二五層ボス攻略戦の死闘は噂になって広く伝わっている。幻想郷とやらに暮らす謎の化け物たちが、最前線を支配しているとも。意味不明な神聖剣というスキルが登場して、これまで単純だった上層が混沌に狂っている。フロントランナーの異様な強さも不気味だ。人間業じゃない。なにもかもから逃げだしたかった。
 その不安を、布都はあまり理解も共感もできない。物部布都自身が戦乱の時代に波乱の生涯を送った身だ。現代に若返って復活した際の手違いかなにかで記憶がごっそり消え、「記録」としてしか知らないが、残っている一六歳までの記憶だけでも、当時の日本の混迷ぶりは大変なものだった。なにかあれば裏切られ罪を着せられ、簡単に一族郎党皆殺し。朝廷の力は大和一国を支配するにさえ十分ではなく、豪族たちは私兵を育て、自分の力だけですべてを守らなければいけなかった。不確実な未来に誰もが神経をとがらせ、神に祈り、またその神ですらいくつもの宗教・宗派に分かれて争う始末。疫病や飢饉も繰り返し起こり、妖怪まで暗躍し、混乱へさらなる拍車を掛ける。まだ貴族階級の力も強くなかった飛鳥時代は、そのような苦しみと死にありふれた末世だった。
『のうサチよ。我もその化け物なのだが、知っておろうよな? 我は教科書に出てくる男どもと、命をかけた権力闘争をしておったのじゃぞ?』
『布都さんは、怖くないもの。綺麗だし、優しいし、変だし、面白いし……私みたいに弱いし』
『後半は蛇足ぞ。傷つくのう。我を知ったように、おぬしも知ればよかろう。会ってみれば分かる』
『……誰に?』
 布都ちゃん、両手をびしっと広げてお決まりポーズ。
作麼生(そもさん)説破(せっぱ)。その妖怪どもよ! 魔理沙や紫、みょんたちに決まっておろう』
 あとはトントン拍子だった。レジェンド・ブレイブスが布都の熱狂的な支持者だったことが強味となった。わずか二日後には第二七層主街区ロンバールで、月猫タイムズという新聞を創刊していた。記者・編集は布都とサチ。男どもはATMである。ふたりの愛らしい少女記者は評判を呼び、第一層はじまりの街などで増刷。発行部数はたちまち五〇〇を突破している。ついでにその護衛兼助手はレジェンド・ブレイブスのメンバーが持ち回りである。今日のサチにもベオウルフ&クーフーリンという名前だけ立派な男が付いていた。いま布都たちがいる食堂の外にも、ギルガメシュ&エンキドゥの二人組が待機している。その他の男どもは二ギルド合同の六人パーティーを組んで、どこかで地道にレベリング中だ。
『私みたいなみそっかすでもみんなの役に立てる! しかも戦わなくていいなんて……ありがとう布都!』
 以来サチはずっとハイテンション継続中だ。黒猫団の男子ども――ケイタ・テツオ・ササマル・ダッカーの四人は、はじめこそ新聞活動へ消極的に反対していたが、いまでは積極的に編集作業などを手伝ってくれる。サチが明るく笑っているなら、なんでも良いらしい。また実際にサチは足手纏いになりつつあったので、いまの二正面活動のほうがお互いのためにも良かった。新聞の利益が、黒猫団とブレイブスの装備を充実させるからだ。だが彼らが中層より出ることはない。サチがそれを望んでないからだ。
 高層や前線を取材すると、やはり無謀な冒険による悲劇を知ってしまう。聞いてしまう。たとえば第二七層迷宮区では、モンスターアラームと結晶無効化エリアの二重トラップに引っかかって、すくなくとも五人が亡くなっている。フロントランナーもまんまと罠にかかったが返り討ちにしており、二重トラップだとすら気付かなかった。むしろ「経験値ごちそうさま♪」と笑う始末。それゆえ油断した後発に死者が出てしまったのである。誰もが妖夢たちのように生き残れるわけではない。淡い想いを寄せるサチから「行かないで」とせがまれて、なお上を目指すことなど、もはやケイタたちには出来なかった。
 ブレイブスも同様である。布都らの護衛によってギルドとしてのレベリング効率が低下し、もう一度前線へなどとは言ってられなくなった。だがこれも彼らの選んだ道である。物部布都という自称元人間の仙人道士。やることなすこと型破りで、見守っていないと危なくてほっとけない。どうせ前線にはいくらでも強いやつがひしめいていて、いまさら席はない。自分たちはこの灰色髪のはっちゃけ少女を守っていれば、それでいい。ブレイブスの六人は、自分たちの落としどころを見出したのであった。装備だけは上等なのに、延々と中層付近をうろつく変な集団。レジェンド・ブレイブスは、すでに名物となりはじめている。
 前線や幻想郷との不思議な巡り合わせで誕生した月猫タイムズ。まだ第三号だが、いずれ四桁部数は確実と見られている。ボリュームゾーンより出現した新メディアの顔になる日は近い。
 話が終わると、妖夢が目をまんまるにしていた。
「すごい……布都がまともに人の役に立ってるなんて! 紫さまが『ならいつもちゃんとしてなさい!』と、逆にお叱りになられますよきっと」
 布都は腕組みをして高笑いだ。
「鼻が高いわ! もっと褒めろ褒めろ!」
 感心していたキリトも、布都の反応に一瞬で目が覚めたようだ。
「いやちっとも褒めてないだろ。美談のはずが妖夢にこんな感想を言わせるなんて、普段どれだけ役立たずなんだよあんた」
 アスナもおなじ雑感のようだが、ひとつ思いついたようである。
「役に立つといえば、布都さんは能力、見つけたの? 妖夢ちゃんみたいな派手そうなの。たしか風水を操るていどの能力だったっけ。SAOなら――地形効果とかに当たるわよね」
「土地の属性を短時間で変化させる方法なんてあるのか? 常識的なお天気の範囲ばかりで、せいぜい雨や雪が降ったり、砂嵐が起きるていど。使えたとして、戦闘の役に立つのか微妙だな。無差別だから俺たちまで巻き込まれる……もし人の役に立つとすれば農業系かな? ただの土地オブジェクトを、財産へと変えていく」
「農業だと? さような地味なものではないぞ! ボス戦で役立つ技よ!」
 妖夢が身を乗り出した。ボス戦と聞いて軽視できない。フロントランナーにとって固定Mobとの戦いは、大小を問わず日常そのものだ。
「能力が見つかったんですね! 教えて布都」
 今をときめくフロントランナー三人から注目を浴び、得意になる布都。あっはっはと大笑いだ。
「聞いて驚け。なんとだな、我が念じると、モンスターの無敵属性の保護が消えることが分かった!」
 三人の聴衆は凄そう! と顔に出したが、すぐ疑問を感じ、やがて失望を表情にあらわした。代表して妖夢が答える。
「……意味とかほとんどないでしょ、それ」
 当人にとって予想外の反応に、布都は不機嫌になった。
「あ、あるぞ! 判定有効化寸前のフロアボスを、遠距離から投剣スキルでちくちく」
「いったい何十時間かかるんだよそれ。投剣も数千本はいるぞ。それに戦闘判定外で倒しても、経験値もコルもアイテムも得られない。下手すりゃ上層への階段や扉が出現せず、グランドクエストが詰む」
「なれば、半分にまで減らしたところで近づけば良かろう」
「瞬時にHPフル状態になって、仕切り直されるだけよ?」
「バーサク演出時にフルアタック……」
「そのていどの隙、私たちフロントランナーにはほとんど関係ありませんよ」
「大丈夫じゃ! 別におぬしたちでなくとも、黒猫団のみなとクエストボス戦で――」
「並ボスのバーサクなんざフロアボスと比べたらちっとも怖くないし、バーサク化の時点で戦闘はすでに九割以上終わってるだろ」
 フルボッコで頬をむすっと膨らませたご機嫌斜めの布都ちゃん。
「むう――じつはな、我の能力にはとっておきの秘技もあるのだが」
 妖夢の目は冷たい。
「どうせろくでもない力でしょ」
「なにを! 凄いんじゃぞ。圏内でプレイヤーのHP保護を消滅ムグッ!」
 布都の口にコップが填っていた。犯人は女性に対して基本紳士のはずのキリトだった。
「それ以上いうな。悪いがあんたは疫病神そのものだ」
 アスナもやや青ざめた顔で首を左右に振った。
「まちがってもその力、街中では絶対に使わないでね」
 ちなみに布都の力はHP保護を消滅させるだけで、逆は出来ない一方通行、半端な能力だった。もしプレイヤー無敵化能力も伴っていれば、布都はSAO解放の立役者となれただろう。だが布都ちゃんはどこまでも布都ちゃんだった。風水を操るていどの能力――これを真実で表記すれば、こうなる。いずれ風水をきちんと操れるようになればいいな……な能力。物部布都。仙人を名乗ってはいるものの、いまだ正式な仙人ではない。なんとなく不老を得らえたがまだ不死は得ておらぬ、修行中の道士であった。不死を体得できないと、無敵能力はゲットできぬ。SAOにログインしている限り、それは不可能な夢物語であった。
     *        *
 午後五時、フロントランナーは観光客の見送りを受けてミーシェを出立した。あらゆる待ち伏せを見破る妖夢を先頭に、三人で全速力である。
 目指すは迷いの森。ここを抜ければ、つぎの町も近いという。ついでに野良ボスをひとつ平らげる。
 街を出る寸前、走ってきた鼠のアルゴが、慌てた顔で接触してきた。こちらに何も言わせず、一気にまくしたてる。
「ヤバそうな、はぐれボスがいるヨ! 一月の第二木曜日、つまり今日だネ、何処かのモミの木の下に、背教者二コラスが不貞寝をしていル。証言NPCたちのセリフや言い回しを分析したラ、本来これハずっと先、今年のクリスマスに出すつもりのフラグボスらしいネ? でもSAOに『次の』なんか来なイ! 三五層が開通した当日に設置して行くなんテ、カーディナル・システムがヤケになってるみたいダヨ――先行した風林火山ガ、北部エリアの迷いの森で不自然に高い木を見つけてル。オイラの予測だと、おそらくニコラスはそこにイル。蘇生アイテムまで落とすという噂だかラ、フロアボス並にやっかいそうダ。他の連中にハ、手に負えなさそうだし、アーちゃん、要らぬ犠牲が出る前にサクッと退治しといてくれヨ」
「わかったわ。妖夢ちゃん、キリトくん、迷いの森へ行きましょう」
「待っテ――情報料、九〇〇〇コル。いまなラ、アヤちゃんより買った迷いの森マップ情報もサービスしとくヨ」
「……相変わらず商売上手だな」
 キリトが気前よく言い値を支払った。一度の大ボス戦で得られる財貨からすれば、はした金額だ。なにしろいつも三人で山分けだ。
 ――走りつづけて一〇分あまり。途中で六回モンスターと遭遇したが、いつものように瞬殺して押し通る。やがて眼前に深い森が見えてきた。その入口で、アイテムを整理している男女八人の一団がいた。赤と黒が目立つ配色――風林火山だ。それと射命丸文に、犬走椛。
 赤バンダナ武士が、右手をあげて陽気な笑顔を向ける。武器はまだ曲刀。
「ようキリト、適当に戦いながら待ってたぜ」
「しぶとく生き残ってるようだな」
 クラインとキリトがハイタッチで互いの健闘をたたえあう。大きめの乾いた音が森に響いた。
 彼らの気安さを羨ましく思う妖夢であるが、男の世界やノリというものは、そう簡単に女の子を寄せ付けてはくれない。キリトとクラインはいつもだったが、妖夢はクラインと二回しかハイタッチを交わしたことがない。勢いのついででしか参加できないのだ。
「みょん吉も元気だったかい」
 クラインがふと、手をあげてきた。
「え? はっ、はい!」
 待ってましたと、妖夢も手をかかげて、小走りで近寄り、ハイタッチ。ぽすんと間抜けな音だった。それでも胸がすかっとして、にんまり大満足。
「わっかりやすい奴だなぁみょん吉。幸せそうでなりよりだ」
「クラ之介さん、大好きですよ♪」
「なんつーかっるい好きだ。キリトに言ってるやつの、一割しか心が籠もってねえや。そのセリフにとりさんにマジで言われてえ」
「あやや、ようやく追いつきましたね」
 射命丸文が「ふわふわ」と近づいてきた。
「この私がわざわざ主街区に戻ってまでアルゴさんに伝えたのに、遅かったですよ。もうこの辺りは調べ尽くして、クラインさんたちがフィールドボスまで狩っちゃいました」
 天狗の体が地面より二〇センチほど浮かんでいる。幻想郷でよく取る、片足をあぐらにして一本立ちとなる足組みをしていた。ミニスカートの下にはホットパンツを穿いており、いくらめくれようが我関せず。モダンな文は幻想郷ではアダルトなショーツを好んで穿く。取材相手がほとんど女なので中を見られようがどうでも良かったのだが、SAOは超男社会である。
 空中に浮かんでいるわけだが、誰もがとっくに見慣れていた。射命丸文の解放された、あるべき力だ。風を操るていどの能力という。
 SAOのモンスターMobには飛行属性を持つものがいる。射命丸文はその力をそっくり手に入れていた。飛ぼうと思えば一気に上の層にも行けそう……かと思いきや、見えない障壁とシステムアナウンスによって跳ね返されてしまう。すでに開通した層との行き来は出来る。いちおう風そのものを操ることも可能だが、攻撃手段としてしか使えない。飛行Mobの風操作スキルが、攻撃しか用意していないからだ。システムが実装していない事柄は、能力の範疇であっても再現できない。輝夜がとっくに証明している。
 アスナがかわいらしく、遅れてごめんなさいのジェスチャーだ。
「ごめんね文さん。ちょっとお昼寝しちゃって」
 アスナは幻想郷メンバーを本名で呼ぶようになっている。
「まあいいでしょう。とりあえず最新のマップデータを渡しますので、アスナさんが受け取ってください」
 マップ転送コマンドを実行してる隣に、こんどは犬耳髪の女性が。
「……何度見ても、やはりあの木ですね」
 森の奥をじっと見つめている犬走椛が、ある方角を指さした。妖夢たちには何も見えない。ただ木々の壁があるのみだ。
 妖夢が椛に聞く。
「椛、やっぱりいますか?」
「はい。アルゴが言ってましたが、不貞寝としか言いようがない、妙なポーズですね。ひときわ高いモミの木らしき大木の下で、赤いひげもじゃ老人が寝ています」
「背は?」
「おそらく八メートル前後はありますね。並のフロアボス以上の難物かもしれません。武器は斧のようです。長さは二メートルていどとボスとしては凡庸ですが、手のほうが猿みたいに長いので、リーチは……下手をすれば第二五層のあいつと同等でしょう。十分に気をつけてください。なお戦闘エリアは直径およそ四〇メートルです。ボスの大きさと比べたら、あまりにも狭いですね」
 キリトが感心したようにうなる。
「千里眼だっけ? 何度見てもすごく便利な能力だよな、それ」
「本来なら滝の水を通せるていどなんですけどね。なぜかSAOでは途中にどれだけ遮蔽物があっても知ることが出来ます。てゐとおなじ過剰再現ですよ。にとりが壁を突き抜ける特殊モンスターMobの能力だろうって予想してます。保護エリアに向けては使用できませんからね」
 外部からの干渉を受けないフロアボス部屋や、システム的に保護されたプレイヤー個室を調べることが出来ない。この超視力が未知のスキルによる効果であれば、システム保護を貫通できる可能性が高い。聞き耳スキルというものに、プレイヤー個室の遮音保護を貫通する機能が確認されているからだ。スキル系の力でないとすれば、モンスターMobが妥当だ。茅場の趣味により、SAOの敵はわざわざ五感によってプレイヤーを知覚する。敵も味方もおなじ条件というわけで、それによってリアルな戦闘を表現できる。
 この遮蔽貫通に、椛が取得している索敵スキルの遠見機能を合わせて、離れたオブジェクトのディテールを探るわけだ。同じ層の範囲しか見えないし、距離も数百メートルが限度だ。それでも椛の得た能力は先行偵察役として絶大な威力を持っている。
 射命丸文の飛行も便利な偵察能力だ。ふたり合わせて、万能の目である。ただし天狗たちだけでは戦闘単位として見れば火力不足であり、思わぬ強敵やトラップにかかったときの戦力が必要だった。それがクラインたち風林火山だ。
 最前線でまともに活躍している先遣隊といえば、いまや風林火山しか残っていない。これに文々。新聞の取材班ふたりを合わせた八人が、フロントランナーにつぐハイレベル集団である。この八人の中心戦力はメイプルこと犬走椛。
 風林火山がなぜレベルと強さを維持できるのかといえば、それはフロントランナーが三人ともこのギルドに所属しているからにほかならなかった。ギルドに所属すると、いくつかのボーナスを得られる。たとえばギルドメンバー同士でパーティーを組んでいると、筋力や俊敏にプラス補正が自動で付く。共通ストレージも便利で、持ちきれないアイテムの一時保管庫などに使える。メッセージ機能も拡充されていて、連絡を取りやすい。色々と便利なギルドシステムなのだが、かわりに入手コルの一部が自動的にギルドへ上納される。それの使用権限はもちろんリーダーのクラインにある。巨額のコルを得るようになった風林火山が、この大金をどう使うかといえば――答えはひとつ。装備の充実に向かった。
 クラインたちは、妖夢やキリトの鬼のような剣戟を幾度も見てきた。そのふたりが、最強なのにクラインを立ててくれる。ゆえにすこしでも追いすがりたいという熱意は、誰にも負けない。一コルとて無駄には出来なかった。ギルドホームを買ったりなど、思いはしても検討すらしない。攻撃力や防御力を一でも上昇させるほうへ注ぎ込む。
 妖夢たちは第三五層について三時間あまりを主街区ですごしたのだが、町を出てここに来るまでに、フィールドでは誰にも会わなかった。いまの最前線は、フロントランナーと風林火山たち以外、誰もまともに外へ出ることすら出来ない有様である。その理由はレベルの不足だった。毎日一層ずつ登るようなハイペースに、レベリングのバランスが追いつかなくなったのである。
 それに加え、第二二層の攻略組大量殺人事件と第二五層フロアボス攻略戦が、前線にひとつのお約束を普及させた。
『階層数プラス、レベル一〇のマージン』
 たとえば、第三〇層であれば、レベル四〇になるまではフィールドに出ない。これまではボリュームゾーン以下で戦うプレイヤーたちの共通認識であったが、それが一挙に高層から前線にまで広まった。レベルをあげるためという目的で、より高い層へ挑むことが、無謀な冒険とされるようになった。
 河城にとりが年末までに単純化・一般化に成功した、攻撃における三種の神器、キャンセル・コンボ・ブースト。魂魄二刀流すらマニュアル化して、初歩ながら扱える者がぽつぽつ出始めている。これらの技によってマージンの不足ぶんを補ってきた攻略組だが、いざ守勢となればレベルの低さが裏目に出てしまう。攻撃力をいくら高めたところで、防御やHP総量のほうはどうしようもないのだ。攻撃は最大の防御というが、それは攻撃が封じられたら最後、防御が崩壊することを意味している。妖夢たちにも原則おなじことは言えたが、フロントランナーはフロントランナーというだけで天文学的量の経験値を独り占めでき、レベルマージンなどいつも楽勝である。現在妖夢がレベル五五、キリト五六、アスナ四九だ。クラインや文たちも偵察ついでにフィールドボスなどを頂戴しており、軒並み四〇台半ばを超えている。最高が椛の五〇ちょうど。
 攻略組と解放軍は、すでに最前線集団ではなくなっている。一文字抜けて、前線集団と称するべきだろうか、あるいは高層集団とすべきだろうか。境界は流動的であいまいだ。ほとんどの戦士は二五層から三〇層の間で戦っているありさまだった。安全第一でレベリング効率も急速に落ちており、差はますます開くだろう。前線集団に以前ほどの魅力がなくなっており、中層ゾーンも無理をしなくなっている。ブレイブスのように好きな女の子を見つけて、その人を守るんだと目的を転換し、簡単に諦めを付けるギルドもいた。黒猫団の男たちもサチ一人の希望に添っている。これらによって良い兆候も出てきた。死亡ペースの鈍化だ。それはフロントランナーにとっても歓迎すべき状況であった。妖夢とキリトは、SAOを解放する勇者であると自らを既定している。
『ヒースクリフの暴走ってなんだったんだろうな? 第二六層までの競争って……』
 第三三層で、キリトが妖夢に尋ねた疑問だ。第二七層からこちらは、勝負ですらなくなっている。
『うーん。神聖剣なんて面白いスキルをゲットしたから、攻略組から独立したくなっただけじゃないですか?』
『なるほど。解放軍を得たから、もう無理をして前に出てくる必要もないしな。どうせ俺らには絶対に勝てないし』
 キリトは事実のみを語っており、自慢でも増長でも誇張でもなかった。一瞬だけ期待の新星として輝いたヒースクリフは、大量のニュースに流されて、あっというまに過去の人となってしまったのである。フロントランナーの大活躍はそれほどの超新星だった。現在攻略組はおよそ二五〇人と、そこそこの数を保っている。一〇〇人が抜け、五〇人が加わった。解放軍も一五〇人へと一挙に膨らんだが、すでに頭打ちとなりつつある。もっともこれだけの人数がいれば、ヒースクリフは自分を守る強固な殻を確保できたといえる。紫やにとりが茅場の正体を見抜く高度な作戦を考えついたとしても、肝心のヒースクリフが乗らなければ手の出しようがない。人の壁、組織の傘というものを、ヒースクリフは完成させてしまった。規模としては攻略組の六割あまりだし、最前線を行ける「真のハイレベルプレイヤー」は一人もいない。だがそれで十分である。
 デスゲームを第一〇〇層まで出来るだけ引き延ばす。茅場晶彦の真の狙いがそこにあったことに、魔理沙たちも気付いている。神聖剣スキルの特徴がまさにそれだ。自分自身がずっと最前線にいる必要はない。ドラマは勝手にフロントランナーたちが作ってくれる。茅場晶彦はそれを、ゲームの中にいながらにして、楽しく観賞するのだ。まさに当初の目的といわんばかりに。
 攻略組と解放軍の仲はすこぶる悪い。攻略組は解放軍を汗臭いと笑い、解放軍は攻略組を軟弱だと笑う。
 お互いたしかにその通りであったが、口論となっても実力行使に及ぶことはほとんどなかった。それぞれのトップ、ディアベルとヒースクリフが、ふたりとも騎士道的なプレイを好んでいるのがおそらく歯止めに役立っていた。何度か喧嘩沙汰も起きたが、当事者は即刻の除名処分となっており、嘆願もすべて蹴られている。ディアベルは魔理沙にふさわしい男となるため、ヒースクリフは組織の綱紀を守るため、違反者を厳罰に処する必要に迫られていた。とくにヒースクリフは自分の夢や命もかかっているようで、キバオウに専横の影あらば絶対に許さず、徹底的に引き締めた。したがって原爆を腹にかかえたような、冷戦ともいえる不思議な雰囲気が両組織の間に横たわっている。ただし相手側のパーティーが危機に陥ってるところを見つけた場合は別である。相手を嫌っていようとも、命を失うシーンなど見過ごすわけにはいかない。その辺りはいかにも日本人らしく、ロールプレイの分別はしっかり付けていたのである。男性的なものを好めば解放軍へ、女性的なものを望むなら攻略組へ。あまりにも明快なコンセプトの二極化により、第三のグループが登場する様子はない。前線は複雑なように見えて、そのじつ単純なままであった。前線集団としての総数は以前の三〇〇人から四〇〇人へと増えており、選択肢の増加が良い方向に働いているようにも見えた。いずれかの組織に属しないフリーの前線プレイヤーは、すでに一〇〇人を切っているとも言われる。
 妖夢はこれら前線の変化を冷静に見つめている。自分が新たに獲得した『あらゆるソードスキルを操るていどの能力』は、状況の改善にたいして寄与してない。それなのにヒースクリフの神聖剣は、たったひとつで凄まじい激変を前線にもたらしてしまった。幻想郷の少女たちは、茅場の正体を見抜くなど二の次となっており、いまは自分の立場を確立することに精一杯。日夜奔走している。新たな攻略組は妖怪信奉派によってがっちり固まっている。信じない者はみんな去ったし、中層以下には最初からあまり期待していない。テレビもラジオもない世界であるから、どうせ全員を納得させるなど不可能である。あるのは写真だけだが、誰かがトリックだと言い張れば、その動揺を鎮火させるのは容易ではなかった。なにせSAOはあらゆる表現媒体がデジタル記号の産物にすぎない。憤慨した文がアインクラッドより最大限まで飛んで離れ、浮遊城の全景を写した。蒼穹に浮かぶ見事なラピュタである。その写真を最新の文々。新聞に掲載している。だがそれでもなんでも言い張れるものだろうと、文も妖夢もあまり希望は抱いてない。自分たちだけでも確実に守れる人間の石垣を確保していればそれで良かった。
 とどのつまり幻想郷クラスタは図らずして、茅場晶彦が取ったのと同じ手法によって、自らの安全を守るしかなかったのである。敵の猿まねで助かる! それに気付いた八雲紫は憮然として、近くにたまたまいたシリカとピナに抱きつき、三〇分ほど可愛がって現実逃避にふけったという。そのあと魔理沙を通じてヒースクリフ宛に変わったメッセージを送ったと妖夢は聞いている。
『?』
 意味深っぽい真意をとらえかねる手紙への返答は、おなじく一文字であった。
『!』
 紫はこの返信の意味がすぐにわからず、真剣にまる一晩は悩んでしまった――が、いずれ思考を投げ出した。
『相手は天才だものね。どうせ私は秀才どまりよ! しょせんは小さな世界の小さな賢者よ』
 開き直った弱気の賢者に、魔理沙がデコピンをかました。
『自分で仕掛けておいて、ビクトル・ユーゴーの故事を知らんのか頭でっかち。ギネスブックにもある、世界一短い手紙だぜ――解放軍の調子は良好だよ、くらいの意味しかない』
『フランスの文豪でしょ? レ・ミゼラブルくらいしか知らないわよ。明治から大正と、大結界を作って維持して生き残るだけでも大変だったのに、そんな細かい枝葉まで知る余裕なんかなかったわよ〜〜!』
『それは同情してやってもいいが、昭和・平成と寝過ごしすぎだぜ。三〇年ちょっとしか生きてない私のほうがおまえより雑学に詳しいって、どういう冗談だよ』
 霧雨魔理沙と八雲紫は、今後は基本的に最前線へ出ないと決めている。SAOにおいて見つかったふたりの能力は、布都ほど物騒ではないが、基本的に役立たずなものであった。
 魔法使いの魔理沙は、結晶アイテムの使用効果が最大になるだけ。SAOの世界設定では、クリスタル類はかつて存在した魔法技術の残滓とされる。ただしいずれも高価なアイテムゆえ、どれだけ運が悪くとも八割くらいの効果を発揮できる。八が一〇になったところで、さしてありがたみはない。使用回数無制限・効果範囲極大といった万能ヒーラー・万能テレポーターになりたかった魔理沙だが、システムとの相性が悪いようで、運がなかった。
 境界を操る紫は、自分自身の接触判定をオンオフ出来るだけ。困ったことにオフにした瞬間から床を突き抜け、永久に落下しつづける笑えないホラーを味わうことになる。自分の能力がいかに役立たずかを自覚するまでに、転移結晶を七個も無駄にしてしまった。中層から下層では、天井や岩盤や大地を突き抜けながら、悲鳴とともにどこまでも落ちてゆく美女の怪談が誕生した。足下だけ判定を残すといった器用なことが出来ない。オール・オア・ナッシングだ。おそらくオフ属性のMob――たとえば幽霊みたいなのには、総じて浮遊能力が与えられているのだろう。システム未実装の壁に、スキマ妖怪みずから大活躍する明日は永遠に閉ざされた。
 古明地さとりは心を読む妖怪らしく、プレイヤーの精神状態や体調を、感情の起伏や脈拍に至るまで、具体的な数値として参照できるようになった。SAOはプレイヤーの心理パラメーターを読み取って表情を再現する。そのソース情報をアバターやMobがモニタリングできるかどうかはまた別の機能のはずであったが、なぜかさとりは力を得た。SAOのシステムに、NPC精神科医や、カウンセラーのような機能が用意されているのではと、にとりの推測である。本来の能力である相手の思考そのものを読むことは出来ないが、与えられた力をさとりはフルに使っている。攻略組の面々を細かく観察し、無理をしそうな人に注意をして冒険を思い止まらせたり、不安を抱えている人の相談に乗ったりと、心のケアと余計な事故の防止に活躍中だ。
 攻略組に聖女あらわる。うわさを聞きつけたサーシャという女性の請願により、第一層はじまりの街に呼ばれもした。そこでさとりは、教会施設で共同生活をしている子供たちと交流を持った。SAOにはシリカのような低年齢プレイヤーが三〇人前後ログインしており、多くがメンタル面になんらかの傷を抱えている。うち二十数人がサーシャ先生の借りている教会で暮らしており、解放の日を待っている。年少のギン・ケイン・ミナといった子らと、古明地さとりは見た目の年齢がほとんど一緒だ。さとりと遊ぶことで、彼らの心は癒されていった。ギンとケインは三回目にはさとりに好きだと告白してきたほどで、ミナまでもが妖しい同性愛趣味に目覚めてしまったようである。たしかに古明地さとりは、大人ですら見とれるほど、とびきりの美少女に違いなかった。
 のこる河城にとりは、河童らしく無難に水棲Mobの力を得た。水中を自由自在に泳ぐことができるが、能力テストに付き合ったクラインが恍惚の表情で鼻血を噴いてしまったように、水からあがると衣服が大変なことになる。SAOにも水着はあるが、その用意を怠るほど嬉しかったようだ。幻想郷では真冬だろうと水に潜ってるにとりであるから、多少の寒さなど平気なものだ。ただ困ったことに、うかつにマスター釣り師の近くを泳ぐと、体が勝手に釣り針へと引き寄せられ、魚のように釣られてしまう。ニシダ氏が一度、にとりを釣り上げて大騒ぎとなった。ニシダとにとりは、おなじ第二二層に居を構えているのだ。液体オブジェクトを操り、遠距離攻撃が出来るようにもなったが、元から戦闘へほとんど参加しないので宝の持ち腐れである。
 以上のような大小の喜劇が繰り返されて、いまがある。
「迷いの森は、一定時間で道がどんどん変わります。ランダムワープが面倒ですね。中にいるモンスターにも、体力回復酒を持った酔い猿とか、妙なのがけっこういて鬱陶しいですよ。ですから私が例のフィールドまで直接、ご案内しましょう」
 射命丸文の作戦は単純だった。
 飛んでいく。
 基本魔法のない世界でありながら、なんというチートだろう。でもすべては一日でも早くこのゲームをクリアするためだ。幻想郷クラスタは、得た能力のうち有効なものを精一杯に利用して、ささやかながらでも攻略の役に立てようと頑張っている。さまざまな間接情報から、茅場晶彦が妖夢たちの正体をとっくに知っていたと判明したわけだから、もはやどうでも良かった。ほかの人間など眼中にない。感情的にどう思われても知ったことではない。紫たちにとって、茅場がどう知ってどう動いているかだけが、あらゆる選択の基準である。
 背教者ニコラスの討伐戦は、安全優先ということで、フロントランナーに射命丸文と犬走椛を加えた五人で行うことになった。風林火山は森の外で待機であるが、「適当にその辺で経験値稼ぎしてても構いませんよ」と、文もあっさりしたものだ。空が飛べるから、容易に合流できるのだ。椛もどんな遮蔽物も貫通して見えてしまうので、おなじく簡単に追いつける。
 文はまず相棒の犬走椛を抱えて飛んでいった。五分ほどして戻ってくると、次はアスナ。
「上を見ないでね! 見たらクラインさんでも殺すわよ!」
 アスナはミニスカのガードがオーバースカートしかない。椛はロングのフレアスカートだし、中身もスパッツ。妖夢もキュロットにタイツだ。
 三番手は妖夢。大きくぶんぶんと手を振る。
「キリト〜、クラ之介〜、みなさーん、いってきまーす」
 最後はキリトだった。
「……まさかSAOで空を飛ぶ体験をするとは」
 モミの木フィールドに揃った五人は、戦闘エリアギリギリで攻略戦前の夕食を取ることにした。
 時刻はちょうど午後六時。周囲もすっかり暗くなっている。すこし離れたところで、背教者ニコラスが不貞寝中だ。愉快な巨人サンタが、シュールないびきを響かせながらずっと寝ている。このまま放置しておけば六時間後にはタイムリミットで消えてしまうだろうが、蓬莱山輝夜を強制退場させてからこちら、カーディナル・システムに変化が起こり、今回のような妙な挙動を取るようになっているようだ。いつ再出現するか分からないフロアボス級のモンスターMobを、主街区間近にあるフィールドダンジョンで野放しにしておくわけにもいかなかった。この手の特殊ボスは、一度撃破すれば二度と復活しない。
 夕飯は携帯食だが、アスナの手作りであった。アスナは毎朝、冒険へ出る前に宿屋の厨房を借りて料理を作ってくれる。さすがに朝昼晩三食は大変なので、多くて二食分だ。今日は昼と晩がアスナ弁当となる。閃光さまの料理は有名なので、文たちも欲しがった。そこで三人ぶんを五人で再配分した。文と椛もNPCメイドの携帯食を持っており、妖夢たちに配って仲良く食べる。
 文が舌鼓を打っていた。
「……うまい! もしかしてこれ、餃子です? 中華なんて二ヶ月ぶりですよ。どうやってタレまで再現したんですか」
「本当は醤油を作りたかったんですけど、まだまだ経験不足で、ちょっと失敗しちゃって。そしたらこの酸っぱさが、ちょうど餃子のタレみたいになって――ならついでだと、本当に餃子にしてみました。システムアシストの限界から形までは再現しきれませんでしたけど」
 椛もイヌミミな髪をぴくぴくっと嬉しそうに揺らしている。新聞活動のため、アスナの料理を食する機会があまりなかった。
「これは求婚者が出るほど大評判になるわけですね。私もリアルで料理の嗜みがありますが、スキルのオート機能に頼らず独自に研究をつづけるその姿勢、お見それしました」
 茅場へ手が届かなくなった今、アスナはますます料理へと熱中するようになっている。いいものを作って妖夢とキリトを喜ばせれば、きっと戦いもうまくいく。それはそれで、第一〇〇層まで最短で辿り着くための、ひとつのエッセンスとなるだろう。思い込みでも良かった。なにかせずにはいられないのだから。それを妖夢も感じている。キリトはさすがに察することはできないが、褒めることは忘れない。それがアスナにとってもモチベーション維持に役立っていた。以前と違っていまは料理をふるまう相手が限られる。どんな感想でも求めるところだった。
 美味しいものを食べて気力充実。五人はひとつのパーティーを組んで、戦闘に挑む。
 作戦は単純だ。妖夢とキリトを中心戦力として、あとは適当にちくちく。タンブルすれば全員で囲んでフルアタック。復活しそうになったら距離を取る。盾のない特定プレイヤーが集中的に狙われたら、椛が威嚇スキルでターゲットを取る。よくある連携プレイだ。ただ違うのは、約一名、ずっと空を飛んでることくらい。
 フロントランナーのリーダー、アスナが最後尾で舵を取る。
「……戦闘、開始!」
 妖夢とキリトが先頭となり、涅槃仏みたいに横たわっている老人サンタへと突撃した。
「――ギギギ」
 金属音みたいなうなり声を立て、背教者ニコラスのHPバーが出現した。判定有効化、戦闘時判定の印である。HP段は「四つ」。これこそが待ち望んでいた重要な情報であった。
 確認した瞬間、アスナが叫ぶ。
「見た目は怖いけどありふれたフロアボス級よ! 二五層のあいつより確実に弱い! みんな思いっきり攻めて!」
 第二五層の悪夢、デュアルヘッドは五段あった。いまのところ唯一の五段バーである。イベントボスおよびクエストボスが一段ないし二段、フィールドボスおよびキャンペーンボスが二段たまに三段、フロアボスが四段ごくまれに五段。これが常識だ。今回、レアなカテゴリとなるフラグボス、背教者ニコラス。その格式はフロアボスと同等らしい。
『Nicholas the renegade』
 表示されたボス名も、強力すぎる敵ではないことを示している。もしこれがフロアボスと完全同格なら、レネゲイドのRは確実に大文字だ。それが小文字に留まっているということは、HP段との兼ね合いから、キャンペーンボスとフロアボスの中間ということ。最高位のザ・デュアルヘッドに至っては『the』のTまで大文字だった。
 ニコラスが起き上がって武器を手に取ろうとする寸前、すでに黒と銀のアタックがはじまっていた。
『黒銀乱舞!』
 まさかの武器手放し状態で先制攻撃を受けたニコラスは、いきなりの大量ダメージでディレイを科せられ動けない。その間にふたり合わせて一〇連……一五連と、猛烈な勢いで攻撃を当ててゆく。通常攻撃はもちろん、ソードスキルの輝きも挟まれている。キャンセル技によって繋がりにムラはない。キリトは片手用直剣のトライポッドとトリンカー・ソード、妖夢はカタナの将校准士官刀(しょうこうじゅんしかんとう)と曲刀ホイリーコーン。ソードスキルの連撃は、キリトより妖夢のほうが長い。妖夢はすべてのソードスキルを発動できるため、使用不可能なはずのソードスキルまで使いたい放題なのだ。いまの装備だとカタナスキルを扱える。
 ホイリーコーンを鞘に戻した妖夢が、両手で士官刀を握り、赤い炎のような輝きをまとわせる。体重を乗せた強烈な全力斬りを上下二回、やや間を置いて苛烈なる突き。三連の軌跡が勢いのまま広がり、真っ赤な扇の形を作って消えていった。かつてコボルトロードに殺されそうになった因縁の剣技、緋扇(ひおうぎ)だ。中級技なので、カタナスキルを覚えてまだ二週間の妖夢には、本来はまだ使えない。でも使えてしまう。それが妖夢の能力ゆえに。少女はすでに足へと黄色い輝きを灯らせている。二連回転脚、ツイスター。技後硬直の前に前方跳躍を入れ、さらに曲刀を抜いて二刀に戻る。距離を詰めて生死流転斬、三撃目の跳躍カブト割りはふたたびカタナ一本となっていて、ソードスキル鷲羽(わしゅう)のタメに入っている。この技は緋扇よりランクが高くタメに時間がかかるので、ジャンプ斬りに混ぜ込んだのだ。地に足を付けて一・五秒後、鷲羽が発動した。真紅の剣閃が上下斜めと水平に五連。妖夢のフルブーストによりわずか一秒前後で叩き込まれる。今度の光跡は羽ばたく猛禽へと形を変え、空中へ拡散した。技後硬直に入る寸前で大きく後方ジャンプ。その三秒後、銀髪のいた空間を巨斧がにぶく薙いだ。
「……遅いですね、こいつ」
 ゆったりした反応に、妖夢は手応えのなさを感じている。子供だましだ。
 背教者ニコラスの攻撃は最初から空回りしっぱなしだった。長い腕によるリーチこそおよそ一〇メートルと、かのデュアルヘッド並であったが、動きのほうはずっと遅い。武器を振るうパワーも足りず、キリトのスラント・アークで簡単にパリイできてしまった。武器弾きの隙を逃さずスイッチ、椛のベア・ノック四連撃が決まる。
 楽勝ムードに射命丸文は突撃槍をしまい込み、とっくに取材モードへと入っている。空中をふわふわ泳ぎながら記録結晶をぱしゃりぱしゃり。たまに強風攻撃で巨人サンタの視界を遮り、妖夢たちを支援する。
 指揮に集中するつもりだったアスナも、細剣のヤー・チァーイカにソードスキルの発光をみなぎらせ、一緒に攻撃へ参加していた。一分後、最初のタンブルが発生する。赤服サンタが奇怪な声をあげながらモミの木へと倒れ込んだ。モミの大木は破壊不能オブジェクト判定の反発でニコラスを押し返した。長いヒゲをイカの足みたいに踊らせながら、ニコラスが仰向けに転ぶ。
「フルアタック!」
 アスナの叫びで、四人によるリンチがはじまる。五回ほど斬ったところで、妖夢はクイックチェンジを使い、刀を曲刀ネグローニに変えてしまった。摺り足より腰を沈めてバンザイポーズを取った瞬間、二本の曲刀が激しくオレンジに発熱する。
 レベル不足により通常の状況であればまだまだ実用に耐えない技だが、こういう確実に当たるときは別だ。長いタメに見合う火力を持っている。
「スターバースト・ストリーム!」
 横回転斬り三連、クロス交差、小ジャンプで体を宙に浮かせ斜め斬り二回、逆手に持ち替えて二回、地に降りて縦・斜め・横を繰り返し――最後に左で溜めて、全力の突き。反撃が来ないのは知っているが、あえて緩急ブーストできれいに繋いだ。ボスをディレイより回復させない連携だ。爆発的なエフェクトの乱打に、キリトがうらやましそうな顔をしながら吉祥降魔剣の変則クロスに入る。縦と横のクロスだ。やや捻りが入ることで、通常の斜めクロスより若干攻撃の重みが増すらしい。赤い十字架が幾層にも刻まれる。
 妖夢はスターバースト・ストリームの硬直をさっさと体術スキルで解除すると、キリトの吉祥降魔剣を見て、たとえ遅くとも、なんとなく真似しようと剣を胸元でクロスさせ、下段のポーズを取った……そのときだった。
 二本の曲刀、ネグローニとホイリーコーンが、新たな輝きをまとったのである。
 タメが長い。三……四……五……八……一〇……まだ必要だ。まちがいなく新たな二剣の、とてつもない大技の予感がした。
 体が解き放たれたのは、タメ開始より一二秒後だった。唐突だったので短縮ブーストは途中からだったが、それでも一〇秒はかかるだろう。ノーマルであれば一五秒は必要ではなかろうか。
 はじめての連続攻撃が解放された。それは激しい乱舞だった。スターバースト・ストリームのような楽しい演出が皆無の、ひたすら高速で繰り返される剣の嵐。両足をしっかり地につけ、すこしずつ前進しながら、両手両肩をいじめぬく。剣に力はしっかり籠もっているが、おもに上半身しか使っていない。妖夢からすれば力任せでしかなく、洗練よりほど遠い技であったが、デザインしたのが本当の連撃を知らぬ素人であるから仕方がない。こんなものでも、攻撃力補正などはSAOで再現している魂魄剣術より上だろう。有効であればなんでも使ってやる。技の終盤で小ジャンプして回転斬り。これで距離を大きめに詰めて、腰を沈め、最後にスターバースト・ストリームとおなじ、左からの鋭い突き。全身の力が一点に集中する。いったい何連撃したのだろう。妖夢は途中で数えるのをやめていた。体術スキルでの硬直キャンセルを忘れない。この超連撃の停止時間は軽く二〇秒以上に達するだろう。致命的な隙となる。
 妖夢のチート級かつ猛烈な異常連撃により、ニコラスの巨体が二メートルほど押されていた。ほかの三人が邪魔そうに妖夢へと視線を送るも、キリトだけはあんぐりと口を開けていた。アスナと椛が自分の攻撃にのみ集中していたのと違い、しっかり妖夢の新技を目にしていたようだ。さすが黒の双剣士。むろんずっと激しい二刀連撃をつづけている。
「ギ……ギギ」
 ニコラスがタンブルより回復し、金属質の声をあげつつ斧を乱暴にふりまわす。キリトがいらついたように一言。
「うるせえよ」
 さすがの彼氏も、こればかりは突発的な嫉妬を抑えられなかったようだ。
 背教者ニコラスが青い輝きとなって散ったのは、それより一分半後だった。
 ラストアタックはちゃっかり射命丸文が取った。上空より突撃槍を抱え「疾走風靡(しっそうふうび)!」と叫びながら、渾身の一撃をヒゲサンタの胸元へ突き刺した。飛翔能力により、フルブーストをさらに上回るハイパーブーストとでも言うべき高速重攻撃を使えるようになっている。ただの通常攻撃であるが、ソードスキルを軽く凌駕する一〇倍近い超ダメージを稼ぐのではなかろうか。距離と空間が必要なため、頻繁に使える技ではない。
 文がボーナスとして獲得した謎のアイテム『還魂の聖晶石』をオブジェクト化して、興味津々にこね回している。きっと彼女の宝物となるだろう。死んだら終わりのゲームで、どうやって蘇生とやらを実現するのか妖夢も気になって、文へと近寄った。
「あやややや……死亡判定から一〇秒以内ですか。シビアですね」
 プロパティを見て、文が落胆していた。
「常にオブジェクト化して携帯しておかないと、いけないわけですね。しかも死者が出るほどの強敵を前にして、冷静に一〇秒以内で対象者を指定して、使う必要がある……その間、無防備をずっと晒すわけですか――無理でしょ!」
 怒った文が、蘇生アイテムを地面に叩き付ける。文が珍しく激情を顔に出していた。
「馬鹿馬鹿しい! なんですかこれは。さんざん期待させておいて、実用からほど遠いにも限度がありますよ!」
 妖夢は青い宝石のような聖晶石を拾うと、そっと文に渡した。
「いいえ文。このアイテムは、あなただけが使いこなせると思いますよ」
「……どういうことです?」
「あなたは空を飛べるじゃないですか。安全な高さからコマンドを実行すればいいんです。正しいときに正しく使えるのは、文しかいません」
 妖夢の言葉を受け、文はいつもの冷静さを取り戻した。
「――あやや、たしかに。生死をかけた戦いの最中にそんな芸当ができるのは、いまのアインクラッドでは清く正しい私くらいしかいませんね。ありがたく預かりましょう。これでいつか、誰かを救えるなら」
 帰りはなんとなく迷いの森を歩くことになった。もはや時間にせっつかれる必要はない。すでにフィールドボスも倒され、つぎの町の場所も分かっている。今日の攻略活動はもう終わりだ。明日は朝のうちに第三五層の迷宮区へ突入し、一挙にボス部屋を狙うことになるだろう。風林火山と文たちは迷宮区に入らず、適当に周辺を探索しつつレベルアップに励む。
「二七連撃とは、鬼神のような連続攻撃ですね」
 ソードスキルの履歴に、新たな技が加わっている。スターバースト・ストリームとおなじ攻撃スキル。それの最上級か近い剣技だろう。
 キリトが妖夢の隣でそわそわとリストを覗いてくる。妖夢はプロパティで視認化を選び、キリトにも見えるようにした。
「ジ・イクリプスか……日蝕とは、渋くていい名前を付けるな」
「剣術家から見れば未熟にすぎますけどね。私個人としては、スターバースト・ストリームのほうが面白い技ですよ。理論が存在しないものを想像だけで下手に本物ぶるより、あえて大袈裟なほうが、ファンタジー剣術らしくて私も割り切りやすいですから」
「そんなものか。俺にそんな分析は出来ないからなあ。あー、使いたい。覚えてやるぞ。片手用直剣を極めて、絶対にその技、使えるようになってやる。妖夢には絶対に追いつけないのは知ってるけど、せめてSAOのシステムが用意した剣技だけでも最強になりたい!」
「使えますよ」
「……え?」
「魂魄流の作法へと最適化して、正しい足捌きと体重移動、あるべき力の強弱およびタイミングへとリメイクするなんて、私ならお手の物ですよ」
 妖夢は二刀を抜き、いきなりスターバースト・ストリームを再現した。それはオリジナルよりもはるかにしなやかで、派手な中に洗練された動きを持つ、たしかな技だった。数百年をかけて磨かれた、連続攻撃に特化した魂魄二刀流。その神髄は、生兵法をすらいっぱしの技に変えてしまう、懐の深さにある。膨大な種類の基本技と必殺技を持つがゆえに、どのような組み合わせのリクエストにも対応できてしまうのである。
 最後の突きをして、キリトに微笑む妖夢。
「どうです? 敵に与えるダメージはソードスキル版の五割か六割止まりだと思いますけど、見た目は効率優先ないつもの二刀流よりずっと面白くはありますね――つづけて、ジ・イクリプス」
 またもや激しいソードダンスが開幕する。全身を軽やかなバネとする、確実な技へと大幅に改善された二七連撃が、空気を裂く剣撃の螺旋を構築してゆく。華奢な体よりあふれ出すエネルギーが、妖夢を実際よりもはるかに大きく見せる。終盤に軽く跳躍するのが、ちょっとだけ目立つ演出だ。ラストに低姿勢からの、深い突き……両手の剣が勝手に輝いた。
「あー、また技をひとつ見つけたみたいで――」
 声を残して、妖夢が空間を突きながら飛んでいく。夜間の森であるから、一瞬にして暗闇に消えてしまった。五秒と経たず「硬直で動けないです〜〜。暗いの怖いよー。みょーん、キリト助けて〜〜」と情けない泣き声が聞こえてきて、彼氏が慌てて追いかける。妖夢はオバケが怖いのとおなじくらい、そのような雰囲気で行動が制限されるのも怖いのだ。
 その二刀剣技はダブルサーキュラーといった。速度ゼロからいきなり猛速度で突撃するこの技は、さすがにSAOのノーマル魂魄流では再現不可能だ。ソードスキルには物理法則を無視できる突進系や滞空系の技があり、キャンセルを交えて変則的な機動戦を展開できる。キリトはやはりそういう部分を考え、あくまでも謎の二刀スキル獲得の方向で修行すると決意したようだった。
「魂魄版ジ・イクリプスとか、どうしましょうか?」
「……教えてくれ」
 それはそれ、これはこれだった。
「もちろん喜んで。そんな正直なキリトも好きですよ」
     *        *
 翌一月一三日、午前一一時。第三五層フロアボス撃破。
 ラストアタックはキリトによるオリジナル技「スターキリト▼みょんリプス」。キリトとみょんの間にハートマークを挟んできた。さすがリアル充実、露骨な自己愛だ。恥ずかしすぎる名前に妖夢とアスナは頬を引きつらせたが、キリトは中学二年生まっさかりである。だがネーミングセンスより火力のほうが凄絶だった。
 その連撃数、怒濤の四二。前半が魂魄版スターバースト・ストリーム、後半が魂魄版ジ・イクリプス。スターバースト・ストリーム最後の刺突をなくし、そのままジ・イクリプスの頭へ繋ぐ。妖夢の緩急調節により、タイミングは徹底的に錬られている。それを一晩で実現したのは、さすが妖夢の名人芸であり、またキリトの天才性でもあった。
 妖夢がオリジナルの五〜六割と評価していた火力は、キリトの手にかかれば七割強にも達した。キリトの重い攻撃あればこそである。妖夢は筋力値が低めだし、リーチも短くキリトほど威力が乗らない。さらに武器もバランス優先で選んでおり、総合火力で劣っている。背が低く反応も遅い妖夢がキリトと並ぶには、どうしても攻撃力と腕力を犠牲にして、敏捷性と速度を取るしかなかった。
 ソードスキルのハイレベル技を魂魄流にデザインし直す。その魅力にキリトは取り憑かれ、妖夢も喜んで協力した。わずか数日のうちに直剣のスター・Q・プロミネンスとファントム・レイブ、細剣のフラッシング・ペネトレイター、曲刀のレギオン・デストロイヤー、カタナ用の散華をいずれも再現し、さらに二刀アレンジとした。この五種類にスターキリト▼みょんリプスを合わせた六種類が、キリトの新たな持ち技となる。ほかの武器種は片手用直剣だと扱いにくいので見送られた。アスナも器用なことに魂魄版フラッシング・ペネトレイターを覚えてしまった。ソードスキルとして使えるのは半年以上は先だろうし、いまのペースならとっくにゲームをクリアしている。再現版であろうがなんだろうが、使えるならなんでも使うという姿勢は妖夢とおなじだった。おなじく文と椛もいくつかの再現技を習得した。残念なことにクラインたち風林火山は誰もなにも覚えられなかった。さすがに奥義級のソードスキルを普通の人が再現するのは困難なようだ。
 射命丸文はこのエピソードをもって妖夢とキリトを『ソードマスター』と書き立て、新たなる異名としてあっというまに定着させた。文々。新聞の発行部数は三〇〇〇部近くを誇るので、フロントランナーはすぐソードマスターズと呼び称せられるようになった。もはや先駆者(フロントランナー)では弱い。
 最前線はさらに加速し、第四〇層でついに風林火山も届かなくなった。有為な特殊能力を持つ射命丸文と犬走椛だけが、妖夢たちと行動を供にする。
 こうしてソードマスターズは五人パーティーとして再編された。都合のため、文と椛もギルド風林火山へ移籍する。先遣と本隊が一緒になったことで、あらゆる一次リソースを徹底かつ貪欲に食い尽くす五人。一〇〇人ぶんからの経験値やアイテムをたった五人で独占しているわけだから、その成長効率は単純換算でも二〇倍と、とてつもない高速回転だった。しかも走ってるぶんさらに加算される。コルもアイテムもすぐ山と溜まり、余剰は攻略組へと吐き出している。
 フロアボスと連動したクエストがあろうとも、すべて正面よりあるいは搦め手で突破してゆく。アスナの機転と文&椛の力を使えば、大半のトラップは数分以内に無効化できた。力押し要員の妖夢とキリトは、適当にイチャイチャしながらダメージディーラーに徹している。五人の役割分担は適材適所の見本といえ、うまく歯車が噛み合っていた。なんとなく続いていた女神と王子のキスも、文の提案によって廃止された。なにしろ男が一人しかいないのであるから、心配性な妖夢の身が持たない。
 ほかにプレイヤーのいない原野を走る五人。攻略組も解放軍も遠くへと追いやられ、完全に名前だけのハリボテへと成り果てる。だがそれこそが紫たち幻想郷クラスタの狙ったところでもあった。届かぬ頂点、埋没する前線。これにより確保されるは、いろんな意味での安全である。身内に対して、仲間に対して、さらに外野や犯罪者プレイヤーに、最後が茅場晶彦――この天才のロジックには不鮮明な部分が多い。
 一月二四日、妖夢たちは第四九層に達した。
 魂魄妖夢、レベル六七。キリト、レベル六八。アスナ、レベル六二。射命丸文、レベル六二。犬走椛、レベル六五。
 ソードマスターズにつづく集団はやはり風林火山であったが、リーダーのクラインですらレベル五一と、すでに一回り以上の大差を付けられている。アルゴの調査によれば、ヒースクリフの推定レベルは四〇前後に留まっているようだ。それでも妖夢たちは休まない。あの天才へうかつに手を出せば、どんな反撃を受けるか分からない。カーディナルもどこか変らしい。
 一番確実なのは、さっさと第一〇〇層に登ってしまうことであった。あの日、茅場はたしかに言ったのだ。
『諸君らが解放される条件はただひとつ。このゲームをクリアすれば良い』
 現在の生存者、九二五三人。
 サーバログイン数を確認して、妖夢は思う。
 ――このうち何人を、生きて返すことが出来るのかしら。


※曲刀でも二刀流スキル
 原作の取得条件「すべてのプレイヤーで最大の反応速度を持つ者」があいまい。武器種に依存する仕様では不都合が生じる。
※トンヌラ
 アニメのリンドと原作のリンドは違う。原作のリンドはアニメでその役割をキバオウ・トンヌラ・名無し槍使いの三人に分割されている。トンヌラは容姿を受け継いだ。アニメ五話では黒髪。青髪で第二・一三・一四話に登場。モサクはデブの人。
※ボスの格
 大文字小文字混じりはアニメ表現のまま。theがTheになるのは単純にトップに来るかどうかだけだろうが、あえて独自解釈を取った。

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