一一 結:幻想郷のゆくえ

旭和ラノベ
ソード妖夢オンライン2/〇七 〇八 〇九 一〇 一一 一二

 人間が、妖怪の本体、魂の器へと科学のメスを直接入れ、なにを解き明かす?
 妖怪たちの驚愕がどよめきとなって室内に波立った。
 発言の効果の大きさにご満悦の様子で、紫はつづけた。
「さすがに私たち妖怪へはまだ辿り着いていないわ。人間の知性が生み出す意識というものを、デジタル技術とダイレクトに結びつける研究を盛んに行っている段階よ。アプローチはふたつあるわ。まず生体インターフェイスの可能性。生活とネットが一体化する感覚で、医療分野での研究がとくに進んでいるわ。もうひとつは人工知能の新境地を探る旅。こちらはほぼ軍事技術よ。基礎理論ができてから一〇年あまり。最初、研究はかなりゆっくりだったわ。でもね、直接神経結合環境システム――ニードルス技術が実用化されたことで状況は一変しているわね。私の予想では、人間は一〇年以内に魂の量子化、いわゆるデジタルデータ化に成功するわよ。おそらく軍事技術のほうで成し遂げるでしょうね。医療には倫理という巨大な壁が立ちはだかっているから」
 魔理沙が手をあげた。
「軍事っていうと、相手はどっかの外国なのか? アメリカや中国だったら超やっかいだぜ」
「幸いなことにご近所よ。防衛省と日本政府ね。まだまだ話が通じる相手だわ。米欧中は何年も遅れてるわ。ナーヴギア開発に成功したのは日本人よね。先にいっておくけどこの研究と開発を阻止するのは不可能よ。だって全世界で行われてるんだから。むしろ日本が都合良く最先端にいることを、私たちはあの茅場晶彦に感謝しなければいけないわね。理論につづく基礎研究を完成させたのはほとんど彼なのよ。私は茅場が公開した論文のすべてを暗記しているわ。ゲームデザイナーとしての茅場にはたいして関心がなかったから、こんな莫迦なゲームをはじめるとは思いもよらなかったけれど」
「……ということは紫のやってきたことは、外界に対抗するためか」
「対抗とはまた違うわね。私たちの幼年期は終わろうとしている。まだ半世紀は猶予があると思ってたけれど、このSAO事件で急加速しちゃったわね。事件がなくとも、幻想郷はいずれ安住安息の地でなくなるわ。魂の秘密が科学的に暴かれたら、たてつづけに霊力・魔力・妖力といった数々のパワーも認知され、解明されるでしょう。それら力の本質は元を辿れば知的生物だけが発生できる特殊なもので、源流はことごとく人間に由来するものなのだから。封印も結界も、数十年後には科学技術で解除できるようになるでしょうね。幻想郷をいくら隠そうとも、外に残っている遺物や伝承を足がかりに、遅くとも半世紀もすれば見つかるわ。もちろん私たち妖怪も白日にさらされるわよ。格好の研究材料ね」
 布都が挙手する。不安げな顔だ。
「我は捕まって解剖されるのかの?」
「そんなこと今時あるわけないじゃない。非破壊検査くらい知っておきなさい布都。とにかく日本政府と対峙してまともに交渉するなら、私たちは文明的にきちんとして、いろんな意味で大人にならないといけないのよ。妖夢とキリトに追いつくため、ギルドも作れずレベルアップに励んでいた攻略隊のようにね」
 紫は一度語りを止め、みなを見回した。
「――古い話をするわよ。かつて私が幻想郷に『幻と実体の境界』という妖怪集めの大結界を張ったとき、日本は史上最悪、泥沼の戦国乱世だったわ。第二次世界大戦――あの太平洋戦争よりも多くの人が死に、人の心は荒み、宗教ですら血を求め、末法の世。旧い素朴な妖怪がじわじわと減っていた。新しく生まれる妖怪は人心を反映して、生き血と殺戮と人食いを好む愚夫ばかり。そんな殺人鬼どもが長生きできるわけもなく、大半が誕生からほどなく滅びたわ。私もそんな莫迦どもを三桁は殺したわね。うんざりした私は天魔たちと協議して妖怪拡張計画を発動し、すでに人外の理に生きる者が大勢寄り添っていた幻想郷を、伝統的な妖怪があるていど力を保ったまま穏やかに生きてゆける桃源の地と定めたわ。不可視の結界で包み、外の幻想を積極的に取り込みはじめたの」
 一呼吸置いた。
「さらに明治はじめ、幻と実体の境界へ今度は『博麗大結界』を重ねて、幻想郷を地続きでありながら行き来できない、完全な異世界としたわ。理由は明治維新後の神仏分離・廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)・富国強兵よ。せっかく江戸時代を通じて回復していた信仰が、政教分離と産業革命によって喪われてしまった。多くの神や妖怪が人知れず消え、超大物の天照大神(あまてらすおおみかみ)が私ごときに愚痴をこぼされて永い眠りへとおつきになられるほど、それはそれは酷い有様だったのよ。ここに至って私は決断したの。もはや日本とは決別しないといけないと。神々すら恋する幻想郷は、別の歴史を歩むべきだと」
 にとりが頷いた。
「その辺りは私のような齢数百歳クラスの妖怪ならみんな知っていることよ――あ、魔理沙や妖夢に」
「ええ。魔理沙はたいして知らないわよね。最初から箱庭の幻想郷だったんだから」
「でも激動の平成時代だぜ。私が人間やってた期間、相次いで異変が起きて、大物が大量に幻想入りしたよな。ペースこそ落ちたがいまでも幻想入り異変は起き続けている。あれも最近の工業化に繋がってるのか?」
「そうね。そのときから私はすでに、時代は変わった、そろそろ外と再度、繋がるべきではないかと思い始めていたのよ。結界をわざと緩ませれば、幻想入りを希望する小勢力はいくらでもいたわ。レミリアが派手に暴れたせいで人死にの出にくいスペルカードルールを作っていたから、都合も良かったわね。そのルールを受け入れてくれる者でなければ、私は幻想入りと、挨拶代わりとなる異変を許可しなかったわ――その最初がじつは妖夢、あなたのご主人にして私の親友が起こした春雪異変よ。半分は私から依頼したようなものだけれどね。実例を用意しておけば、あとがやりやすいから」
「よく覚えています」
 ほぼ二〇年前のことだ。冥界の最高管理者、西行寺幽々子(さいぎょうじゆゆこ)が外界より春の成分を集め、自分の力の源となっている妖怪桜、けして咲かぬ西行妖(さいぎょうあやかし)を満開にしようと試みた異変があった。ターゲットは幻想郷。おかげで幻想郷はしばらく冬のままで、春の到来が遅れた。異変は博麗霊夢が解決したが、冥界と幻想郷が繋がってしまい、以来ずっとそのままだ。幻想郷へよくお遣いに出る妖夢は、冥界の住人でありながら幻想郷関係者でもある。
「あのとき私は幽々子さまより厳命されました。該当する連中が来ても、絶対に殺すなと。剣の封印を解いてはならぬと。急所斬りはもちろん、後遺症として残りかねない直接攻撃も一切許さぬと――ま、一番手の霊夢が型破りに強い神通力の持ち主で、杞憂に終わったんですけどね。若干一二歳の人間が、なんの道具も使わず気合だけで空を飛んで、膨大なホーミング霊弾をマシンガンのように撃ってくるんですよ? おまけに最大瞬間火力は私の数倍。たとえ本気で戦ったとしても、とても勝てる相手ではありませんでした――私がキリトを好きになったのも、根底は霊夢かもしれません。人間の天才に憧れ、同一化したい……そんな心理です。そういえばあのとき、バタンキューしてる私の頭上を、魔理沙がホウキに乗って素通りしていきましたね。何分かして追いかけたらこんがり焼けてました」
 変なことを思い出させるなよと、魔理沙が妖夢の頭を軽くぽんぽん叩く真似をした。
「幽々子のやつに手痛くのされてしまったぜ。そのあと道に迷ってた霊夢があの亡霊を退治して、おいしいところをみんな持って行きやがった。まったく天才は困るよな。私と妖夢は負けた者同士、お互いその場で天才論をまじえて、気がついたらリボンを交換して友達になってたぜ。おっと、脱線が過ぎた」
「スペルカードルールはレミリア対策として導入した割には、ちょうど良い踏み絵となってくれたわ。幻想郷の結界はその成立が妖怪の避難所としてだったから、物騒すぎる連中にあまり押し入られるのは困りものだったのよ――いくつかの事件は私のコントロール外だったけれど、おおむね上手く機能していたわね」
 八雲紫の張った博麗大結界は、結界の東端、博麗神社に暮らす博麗の巫女が管理を委ねられている。第一三代となる博麗霊夢が巫女に就いた年、まだ慣れない霊夢の影響で大結界が一時的に弱まった間隙を突いて、ロリロリ吸血鬼レミリア・スカーレットが紅魔館ごと強引に幻想入りし、大勢の妖精を含む数百の手勢でもって問答無用の侵略を働いた。吸血鬼異変と呼ばれたマジな闘争である。幻想郷側は最大勢力である妖怪の山を総動員してようやくレミリアを懲らしめた。しかし戦いの余波で森や湖がずいぶんと荒れもした。いくら妖力や魔法で直せるとしても限度がある。狭い幻想郷でガチバトルをしてはいけない。これを機会に考案・導入されたのがスペルカードルール、弾幕ごっこである。
 スペルカードがはじめて大々的に採用された戦いは、またもやレミリアが起こしたものであった。紅霧異変と呼ばれており、霊夢と魔理沙の本格的なデビュー戦ともなった。
「――以来、霊夢が成人になるまでだけでも、私が審査して許可した異変が数十回あったわね。たまに出し抜かれたりもしたけれど、みんなスペカは守ってくれたわ。ここ一〇年ほどはさすがに落ち着いてるけれど、当時の私は幻想郷にこれほど需要があったことにかなり驚いていたわね。わずかな期間に幻想入りした有力妖怪や神は数知れず。霊夢が巫女をやってた序盤期、ほんの四〜五年のうちに、幻想郷は歴史・物語の残滓や伝説の生き物どもが所狭しとひしめく、とんでもない坩堝となったわけよ。中には最初から幻想郷に隠れていて、勘違いついでの顔出しで余計な異変を起こした、奇特な人もいたわね」
 紫は輝夜へと茶化すような笑みを向けた。それを悠然と受けて冷笑し返すかぐや姫。双方とも、とんだ食わせ者だ。妖夢など口では死ぬまで敵わないだろう。ところで魔理沙はいつまで妖夢の頭をぽんぽんしているつもりなのだろう。でもリズムが良いので、なんかそのままだ。
 珍しくアルゴが手をあげた。
「ユーちゃん。どうして妖怪ハ、幻想入りする際、わざわざ迷惑を掛けるンダ?」
「いい質問ね。それが妖怪の逃れられないサガだからよ。妖怪の本分とは、人間に悪さをすることなんだから――だからお仕置きをする側は人間となるの」
 妖夢のこれ見よがしなため息。アルゴに聞かせるためだ。
「私は妖怪で、そのうえ幻想郷に住んでいないのに、半人って理由でときたま妖怪退治役をさせられています。最初は正義感もあったけど、いまは惰性ですね。魔理沙も妖怪化して以降もずっと、異変のたび出撃してますよ。人間サイドは何回でも挑戦できるから、いずれ最後は必ず勝つという仕組みです」
「茶番なのかヨ」
 心底あきれるアルゴの表情が面白かったのか、紫が破顔した。
「だ・か・ら、弾幕ごっこ、なのよ。スペルカードルール以前から、似たような暗黙の約束はあったの。博麗の巫女を殺してはならぬ、という不文律がね。博麗大結界は常識と非常識の境界を分離する結界だから、両者の属性を持つ超常の人間――巫女がいないと維持できないわ。妖怪は非常識オンリーだから、結界が長期間持たないのよ。大元を辿れば一〇〇年以上つづく、もはや伝統芸能ね。時代劇や推理物とおなじよ。考えてはダメ、感じるんだの領域かしら。人間が妖怪を退治する。この勧善懲悪で、里の人間も妖怪への恐怖を紛らわせることが出来るわ。たとえば『昔モノノケは人を食べていたが、巫女が強いので食べなくなった』と、こんな感じにね。実際のところは、人間を食べるような莫迦な妖怪はとっくに滅ぼされ尽くしたか、死ぬような痛い目にあって改心したかなんだけどね。こんな文明の時代に野蛮な食人? 頼まれてもゴメンよ。だから劇場型の異変と、弾幕ごっこで十分なのよ」
「まるで終わりのない物語だナ」
「そうね。私たちの行動原理は人間とはすこしズレているわ。妖怪はね――ひたすら存在しつづけることが最大の目的なのよ。だから神のように何百年眠っても平気な種族になると、生きるのが辛い時代は自分を封印することすらあるわ。神仏習合(しんぶつしゅうごう)のおかげで消滅の心配がないから、日本神話や日本仏教のメジャーな神々はほとんどが眠ってるわね。妖怪にも最後の力で妖魔本に化けて人間の認識を待ち、なんとか生き残ろうとする子もいるわ。対して人間は生きる以外に繁栄することも目的だから、細かい部分で価値観の相違が生じるわけよ。妖夢が攻略隊へ時価数十万コルのアイテムを供出したり、文たちが情報プレイで死者を積極的に減らそうとしたり、私が攻略隊を元に攻略組を作ったのも、利他行為というよりは、すべて私たちがすこしでも有利に存在しつづけるためよ」
「それならおかしいヨ、幻想郷を見つかりやすくしてるのハ。隠れ棲むためダロ? 長生きするためなんダロ?」
「そこなのよ。すでに言ったように、魂の分離に成功すれば、その実験と分析によって、これまでオカルトや疑似科学として見下されていた様々なものが、近い将来、揃ってまともな研究対象となるわ。民俗学くらいしか扱ってこなかった広大な分野に日が当たり、学問として認められる。およそ二〇〇年ぶりに妖怪が復権する。妖怪にとって世界は劇的に変わるわね。その変容した新世界であれば、幻想郷をあえて隠れ里にしておく意味がどれだけあるのかしら。人間の科学技術は、数十年以内に幻想郷を見つけ、しかも容易に出入りできる域へと辿り着くのだから――さらにもうひとつ」
 紫はたっぷり一〇秒は置いてから、重大な未来を告げた。
「私たちの秘密が科学的に理解され、非常識が常識へと完全に移ろえば、博麗大結界の術式なんかそのうち自然に解けてしまうのよ。幻想郷はそのとき、妖怪の隠れ里という大役を終えるわ。もちろん条件を変えた新たな大結界を施術し、幻想郷を再度異空間とすることも、異世界のまま結界を置換することも可能よ。でも意味があるのかしらね。人間のほとんどが妖怪を信じるようになり、消滅の怖れより解放された、理想的な日本において。もちろん私たちが努力しないと、この素晴らしい未来は手に入らないわ。間違っても人間と戦うようなことになってはいけないの。だから私はごく一部の協力者を除けば、身内の藍と橙にすら教えず、じっと様子を見ていたのよ。門戸をすこしずつ開き、外を知ってもらうためにね――ほんの二〇年くらい前までは巫女も大結界も絶対のように考えていたけれど、あくまでも秩序として有効に働いていることが前提なのよ。革命と呼べる大きな変化には、こちらも同質の変革をもって当たるべき。でないと時代に滅ぼされちゃう。ナーヴギアで実現されてゆくものの延長には、それだけの未来が詰まっている」
 しんと、部屋は静寂である。まるで真夜中の草原のように。魔理沙が妖夢の頭を惰性でぽんぽんし続ける音だけだ。
 紫はにとりを見つめた。妖夢もにとりを見た。河童娘が会心の笑みを浮かべている。発明が完成した直後にしか見せない、珍しい表情だ。
「……やはり、ええ。大満足だ! 紫はどこまでも紫だった。その未来、私は一緒に勝ち取るよ。最先端をゆく研究者や建築家と交流できる日が来るなんて、とてもワクワクしちゃうわね。いえ、私自身が研究・設計・開発の徒になりたいよ。東京の一流大学に通って、しっかり学んで。何千億円という大規模プロジェクトに参加して、日本の骨格を創る最前線に身を投じたい。河童で反対する子がいても、私が説得してあげる。戦わずして勝つ、最良の未来のために!」
 文がペンを回しながら言った。
「勝つといえばまず茅場ですが、やつとの戦いに無事、勝ったとしましょう。紫さん。私たちは、その後にくる日本政府との駆け引きに、確実に勝てそうですか? いえ、すでに動いている可能性があるのでしたね。日本の警察は優秀ですから、いくら八ヶ岳山塊が広いといっても、あっというまに突き止めるかもしれませんよ」
「すでにてゐが結論を言ってるけど、私たちが眠っている間、外は外で任せるしかないわね。私のかわいい式、藍がなんとかするでしょう。羽を伸ばして橙と遊び飽きたら、このSAO事件を詳しく追ってみるくらいはすると思うわ。彼女なりに独自のルートで私とおなじ結論に到達する可能性もあるわね。あの子には境界操作を除けば私と同等の能力と知性を与えているのだから。九尾の狐ってだけでその辺の神よりも賢いわよ」
「私たちが起きたあとについては?」
「交渉と折衝に尽きるわ。戦うのは絶対にだめ。最初は圧勝できてもそのうち負けるわ。私たち妖怪の本体、すなわち光量子と霊素の精神体を直接攻撃できる兵器も二〇〜三〇年後には登場しているでしょう。必要は発明の母というじゃない。人間が銃一発で死ぬように、私たちも一発で殺される、そんな身も凍る武器がきっと開発されるわ。どうせ外では隠れきれなくなった野良妖怪が暴れたり陰惨な事件を起こしたりするでしょうから、私たち幻想郷の住人が揃って等しく友好的である限り、人間側の印象はとても良くなるはずよ。行政府の存在しない幻想郷は国として認められないから、独立なんてまず保てないわ。数年の調査や交流を経て、幻想郡幻想郷村といった地名で、長野県かあるいは東京都の飛び地として編入されるでしょうね」
「ずいぶんと風呂敷を広げていますが、防衛省はまだ魂の再現やコピーにすら成功していないんですよね」
「先の読めない妖怪には、現状だけでなお舐めてかかる阿呆もたくさんいそうね。でも私にはわかる。室町時代も明治時代もそうだったけど、一〇年後、二〇年後のおおまかな世相が読めてしまうのよ。時間の問題なだけなの。なにしろ私は約一〇年前、基礎理論の時点でナーヴギアのような装置の出現と、そこから先の展開を予見して、気の長い先手を打ったのだから。脳とデジタルを融合させる研究はいずれ世界を根幹より作り替える、重要な技術へと発展すると感じたのよ。人間と機械とネットがひとつにリンクし、世界と現実そのものがバーチャル化するの。三〇〜四〇年くらい先はさぞや面白い世界になっているでしょうね。純粋な科学技術だけで、妖怪も同然となった人間がわんさか現れるわよ。そのような狂乱の未来が迫っていて、私たちの里が見つかる日も近いのに、幻想郷を明治時代のままで取り残しておけると思う?」
 文が諸手をあげて降参する。妖夢が見ても清々しい表情だった。
「にとりさんが言ったように、戦わずして勝つなら、それが最善ですね。日本中の空を心おきなく自由に飛べる日がくるのなら、私もそのほうがいいです。今回も紫さんの方策へ全面的に従いましょう。どうぞ存分に、この射命丸文をやりたいように使ってください」
 その今回というのが、一〇〇年単位の悠久を意味していることに、妖夢はすぐ気付いた。
 紫が昔を思い返すように何秒か上を向き、古い友人へ接するように感謝の意を示した。
「ありがとう文。いくらすでにトップを説得済みとはいえ、下のほうはまだまだ。妖怪拡張計画も、博麗大結界のときも、暗愚な輩が多くて揉めに揉めたわね。だから妖怪の山に太いパイプを持つあなたが認めてくれるなら、私もやりやすいわ。幻想郷の歴史は一三〇〇年近いけれど、その中でいまのような真性の隠れ里であった時期はほんの百数十年にすぎない。いまの私は大結界の維持に、かつてほどこだわってないのよ。むしろ結界を張ったままでいるほうが危険ね。外にいて正体を隠せなくなった妖怪の中には、さっきも言ったように人間へろくでもない大迷惑をかけるお莫迦さんが必ず現れるわ。そんなとき幻想郷が秘境のままだったら、きっと逃げ込んでくるわね。最悪、自衛隊の攻勢を呼び込むわ。しかも対妖怪兵器を実装配備した精鋭部隊のね。どんな兵器かも私にはすでに見えているわ。と〜〜っても、痛いし怖いわよ。しかも殺されるのは、私たちのほう」
 殺されるという物騒な言葉に反応してか、妖夢をぽんぽんしていた魔理沙の手がついに止まった。
 輝夜が手をあげる。
「つまり近い将来、外の日本人と融和しつつ隣り合って暮らすのは既定路線ってこと? 堂々とゲームを買えるから私は別に反対しないわ」
「そうね――大結界消滅後の私たちは、日本の国籍や、住民票に選挙権まで持っているかもしれないわ。いいえ、そこまでもぎ取らないと、確実に生き延びるなんて出来やしないのよ。難民や動物みたいに扱われるなんてイヤでしょう? 一度人格権を認めさせれば、この国が平和主義を建前としているかぎり、私たちは安泰よ。これで満足かしら輝夜」
「その自信、よほど勝算があるようね。ここまでぶっちゃけたんだから、決定打といえる奥の手を明かしてくれないかしら? そこの布都とかが、まだ釈然としていないわよ」
 布都が灰色の眉をきつめにつり上げている。紫の方針がお気に召さないらしい。
「物部布都、あなたは反対なのかしら」
「日本国と矛を交えぬというが、我の気質に合わぬのじゃ。舐められはせぬか? 直に戦ってこそ得られる畏怖や崇拝もあると思うがゆえな。いずれ屈するとしても、人間どもに我らの力を見せつけておくべきであろう。むろん力の差が逆転する前であるぞ」
「それって外の人間を殺すことも辞さないってことよね」
「抵抗するのであらば、当然そうなろうな」
「よくて布都、いまの日本は法治主義が徹底しているわよ。一人でも殺したらもうおしまいなの。私たちの主張がたとえ正義であったとしても、もはや受け入れられなくなるわ」
「知らんがな。幻想郷は我らの世界ぞ。それを守る権利があるはず」
「妖夢の暮らす冥界ならその理屈も通用するけれど、残念ながら幻想郷は外とは地続き……うたかたの世界よ。しかも里には『帰順すべき元日本人』が実効的に居住しているんだから、公的に見つかった瞬間から日本の一部に戻るのよ。なによその顔。仕方ないわね――畏敬なんて、一撃でいくらでも得られるわよ。一〇年も時間があったんだから、最強のカードなんてとっくに見定めているわ。私は八柱(やつはしら)ほどの天津神(あまつかみ)国津神(くにつかみ)と知り合いよ。中には月夜見(つくよみ)ちゃんみたいに苦手な子もいるけど、彼女は月にいるから関係ないわね」
 話がさらに飛翔して、ついに天まで昇ってしまった。人間のアルゴはぽかんと口をだらしなく開いてしまっている。
 紫の隠し球が開陳されている。
「日本では中央政府の王統が血脈レベルで転覆されたことが一度もないわ。島国という地理的な好条件と、歴史時代に入った段階でほぼ単一民族化していたこと、朝廷が早い段階で大政(たいせい)を武家に預けた影響ね。神話と皇室はダイレクトに結ばれている。すなわち、伊勢や出雲や京都で眠りについておられる、古代神の皆様に覚醒していただくのよ。下手な妖怪だと触っただけで蒸発してしまうくらい激烈な封印が施されているけど、境界を操る私には、安全に打ち消す力がある。日本神話に名だたるお歴々が顔を出せば、天皇家のご先祖様なんだから、日本政府も襟を正すしかないわ。まさか天照大神や大国主(おおくにぬし)に武器を向けるわけにはいかないわよね――そのときには日本側も本物か偽物か判定する装置くらい発明しているでしょう。メーターが振り切って天地鳴動するほどおっそろしい霊威に、きっと腰を抜かすでしょうね。私でも霞んじゃうわ」
 たてつづけに絞り出すような長いしゃべりを終えて、こほんと咳をする紫。
 場の雰囲気があきらかに良くなっている。紫なら神の説得もなんとか出来るだろう。
 妖夢が手をあげた。大国主と聞いて黙ってはいられない。
「大国主さまは、たしか冥界の初代(あるじ)ですよね」
「ええ。白玉楼の前身、天日隅宮(あめのひすみのみや)の造営者よ。白玉楼があれほど無意味に広いのも、天日隅宮の敷地と縄張りをそのまま受け継いでいるからなの」
「おかげで庭師としての仕事が大変です。剣術の鍛錬場には事欠きませんが」
「とにかく諸々の大御神(おおみかみ)を起こし、そのご威光のおこぼれに、私たちもあずかるのよ。名付けて『虎の威を狩る狐で悪いか作戦』ね。ネーミングセンスは突っ込まないでね。まさかここまで言うことになるなんて、私も思わなかったのよ」
 布都がうむむと唸っている。神を持ち出されたら、真の仙人を目指して修行中の道士は弱い。
「……のう紫殿。布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)さまのサインが欲しいの。我の名の元になった神ぞ」
「たしか神武東征で活躍した霊剣に宿る神霊ね――微妙にマイナーだからまだ存命か分からないけど、健在であれば頼んでみるわ」
 たちまち得意顔で両手を広げ、闊達に一声。
「約束だぞ!」
 それでいいのか布都ちゃん。
 一方、ある意味で布都よりも単純な妖夢は境界の大妖怪に感銘し、敬服するしかない。賢者にふさわしく、深謀遠慮のレベルが並の妖怪とはまったく違っている。紫はときにドジを踏むが、それは近すぎるがゆえにかえって見えないだけであって、はるか遠くを望む目が霞むことも、その評価が落ちることもない。八雲紫の目と頭脳は、高性能な天体望遠鏡なのだ。ご近所で拾いこぼしがあっても仕方ない。
「……気の長い囲碁ですね紫さま。それとも将棋でしょうか」
「最終的には和合が目的だから、囲碁でも将棋でもないわね妖夢。どちらかというと、日本を相手にした弾幕ごっこよ。あちらも乗ってくれるようコントロールするのが難しいけれど、日本人の感受性に訴えるなら期待できそうね」
「ほかにも作戦があるのですか」
 妖夢の問いに、紫は唇の端を軽く歪ませつつ首肯した。
「虎の威を借りるのはあくまでも最後の手段なのよ。私たちはまず日本政府よりも支持者層……国民のみなさんを味方にするべきよ。私たち女妖怪はほぼ全員が良い外見を持っているわ。第一印象はたいていプラス方向ね。その心象を増幅させて世論を味方につけ、政治判断をおとぎ話のステージまで引き摺り下ろすの。そのためには魔理沙や妖夢、あなたたちのように、誰にでもかならず実見できる人妖には、幻想郷を代表する対外スポークスパーソンになってもらうわよ。ふたりとも人気が出そうね。とくに魔理沙はアリスと一緒に歌手デビューでもしたらどう? 本物の魔法使いによる金髪コンビ。きっと受けるわよ」
 魔理沙は帽子を脱いで自分の顔を(あお)いでいる。想像以上の話の大きさに、頭を冷やしながら思考を整理しているようだ。
「正統派美少女のアリスと並んで、一億人を相手に歌えだぁ? 外道な私なんか、ただの引き立て役じゃないか」
「そんなことないわよ。魔理沙はもっと自信を持ちなさい。比較対象でいつも上を見すぎているのよ」
「スキマも余計なお世話だぜ。私は恋も魔法も友達付き合いも、なんでもかんでも不器用で極端だからな。ひたすらまっすぐ顔をあげつづけるしかない。だから私の魔法は夜空の星を模してるんだよ。そもそも結界がなくなったら当代の巫女はどうなるんだ? 博麗霊眞(はくれいれいま)は可愛い従姪(いとこめい)だぞ。私は目立ちたがり屋だからいいとして、あの大人しい姪御まで茶の間の好奇に晒す気か?」
 博麗の巫女は血筋による世襲ではなく、人間の里で霊力の強い女子が就く。霧雨家には異能の力に目覚める者が多く、一世代前で魔理沙を、いまの世代でついに博麗の巫女を輩出した。元の名を霧雨眞仮名(きりさめまかな)という。現在一四歳である。
 紫は落ち着いて諭すように言った。
「大結界が消えるのは、一〇年後かも、半世紀後かもしれない。博麗の巫女の在任期間は平均一〇年で、霊眞はすでに三年近く巫女をやってるわよね。だから彼女の代で終わる可能性のほうがむしろ低いわ。したがって現状で問題とは考えない」
「でも霊夢は一八年もつづけたぞ」
「霊夢は天才だから例外よ。あなた、霊眞に三〇近くまで巫女を務められる霊力があると思うの?」
 神に仕える巫女は、性質的に若い未婚の子にしか務まらない。修行期間は短く、霊力コントロールも代々受け継ぐ陰陽玉を介して未熟を補う。神主や僧侶、陰陽師が厳しい修行で高める霊力とは、まったく別のベクトルである。悪く言えば若い才能をひたすら削り、消費しつくすのが博麗の巫女だ。
 だが霊夢は陰陽玉を失ったいまでも自在に空を飛べるし、相変わらず高い霊力を維持しており、その影響で外見年齢も二〇歳くらいだ。巫女も辞めたというより、紫によって辞めさせられた、というのが実状で、理由は「このままだと生涯、本当に結婚できなくなる」からだった。人口の少ない幻想郷である。霊夢ほどの実力者には、その血を次代へ伝える義務がある。もちろん結婚すれば博麗の姓は失うはずだ。博麗とはそういうものなのだ。
 その本質に気付かされた魔理沙は、とりあえず矛をおさめた。
「……そうだな。身の振り方を考えるのはまず、この世界より脱出してからだぜ」
 妖夢が手をあげた。
「私は冥界在住ですけど、幻想郷のスポークスパーソンをする必然があるんでしょうか」
「幻想郷が見つかるタイミングによるけれど、キリトとの交際がこのゲームクリア後も繋がる可能性があるわよ。せいぜい攻略に励んでね」
「頑張る! ……およ?」
 両手で胸元ガッツポーズの妖夢。希望さえあれば、意欲もわくというものだ――が。なにか違う。
 魔理沙が苦笑した。また妖夢の頭をぽんぽんしてくる。
「おいおい妖夢、一瞬で言いくるめられるなよ」
「我は? 我も誰にでも見えておるぞ? 我におまかせを!」
 布都ちゃんが自分を指さしていたが、前回同様、華麗にスルーされている。物部布都は過去が暗すぎてダメだ。自分が生まれた物部氏の滅亡を裏より画策した悪女。とても報道官には使えない。見えるといえば蓬莱山輝夜もそうだが、地上に留まるため月の使者を皆殺しにしたという、アルゴに話せなかった真実が、致命的なスクープになりかねない。妖夢はずいぶんと妖怪や悪霊を斬り倒してきたが、どいつもこいつも見た目が本当にバケモノだから、あまりマイナスとはならないだろう。魔理沙はとくに問題ない。泥棒癖も親友限定だ。
     *        *
 長話が終わろうとしていたのであるが、二度あることは三度あるというように、一度起これば二度目も起きるともいう。布都が二度無視されたように。
「あとはにとりの、妖夢へのレクチャーくらいですよね……私は先に寝るわ」
 自室に戻ろうと古明地さとりが扉に手を掛けたとたんであった。むこうの廊下にいた少女が三人「きゃあ」と押し戻された。さとりは両手用の大剣を操るため、筋力値が高い。だから小さなアバターからは想像できない怪力を出す。ドアノブを回す音がしなかったから、どうもドアがほんのわずかだけ開いていたようだった。たしかきちんと鍵もかけたはずなのに――と妖夢。
「ごめんなさい。盗み聞きするつもりはなかったんですユカリさん。でもアルゴさんが」
「てへ、えへへ、聞いちゃいました〜〜。ごめん!」
「……その、すごい話ですね。SF映画みたいで、ちょっと興奮しています」
 八雲紫の渋面ぷりが半端じゃない。どうしようか思いっきり心の底より悩んでいる。自分が率いてきたパーティーの元メンバー、その人間全員に揃って知られてしまった。
「アスナ……リズベット……シリカ……あなたたち」
 室内へ連れられた三人は、正座姿勢で人妖たちに囲まれていた。ついでにアルゴも。
「人間サイドがオイラだけってのモ、立場が弱くて不利すぎるダロ? 攻略組の女の子みんなで一蓮托生ダヨ」
 怒られているはずのアルゴは、してやったりという笑顔で眩しく輝いている。
 五日前に紫や文より心胆がすくむ思いをさせられた鼠の情報屋。自尊心を傷つけられたことへの、痛烈なしっぺ返しであった。
 シリカの頭上でピナが鳴いた。ご主人様を守らんと周囲を威嚇する様子だ。その健気な姿を見てしまえば、妖怪少女たちはなぜかとてもいたたまれない気持ちとなり、それ以上なにも、怒ることも追求することもできなくなってしまった。
「外見に騙されるのは私たちも同じじゃないですか。幻想郷らしいです。楽天的で脳天気」
 独り言にも等しい妖夢の感想はまるで他人事である。幻想郷クラスタに合流して以来、妖夢は戦うこととキリトとデートする以外、ほとんどなにもしていない。頼もしい仲間が的確に考えて、妖夢よりも上手にいろいろやってくれる。魂魄妖夢は剣士らしく、黙って二刀を振るうだけでよかった。人間にバレたからといって、それがどうしたものか。
 アスナたちの説得というべきか説明というべきか、よく分からない混沌とした長話は、アルゴのときと違ってずいぶんと穏やかなものになった。信じるか信じないかについてアスナは材料不足として判断を留保し、リズベットはとりあえず信じないほう、ロールプレイ説で行くこととなった。まだ一二歳のシリカは素直に信じてくれた。すこしは疑ってくれたほうが妖怪たちもかえって気持ちが楽なのだが。
 とりあえず輝夜が例のチート剣技を披露してみたが、それをリズベットとシリカが見せ物としてやんややんやと楽しんだものだから、雰囲気がすっかり変わってしまった。
 室内はやがて、たんなる女子会の様相を呈してきた。
 デザートや菓子、ジュースに酒が持ち込まれ、妖怪がどうたら茅場がこうたらは、どこかに投げ捨てられた。話されるのはもっぱら無駄話。思いつくまま話題は移ろいゆき、カオスに流転する。
 唯一の彼氏持ちである妖夢はとくに標的とされ、散々ネタにあがった。妖怪・人間を問わずキリトとの関係をこれでもかと深いところまでほじくり返され、素直な妖夢はついなんでもしゃべってしまう。プライベートは皆無である。隠すほどピンクな体験もまだない。
 男子禁制のかしましい(うたげ)はそのまま日付が変わるまで続けられた。これにより文々。新聞・水泡風土記・アルゴのガイドブックの編集作業がいずれもまる一日遅れてしまった。
 最後は散らかし尽くした混沌の中で、全員が仲良くゴロ寝となった。
 若く瑞々しい一四人の平均年齢は、外見で見繕えば一五歳ほどである。じつに微笑ましい光景であろうが、実年齢の平均となると、一転して途方もないことになる。てゐの推定年齢を中間値で計算して、一五歳を七〇倍する必要があった。
 妖夢はアスナとほぼ隣り合って転がっていた。心地よい眠気に妖夢が意識を手放そうとしていた寸前、アスナが話しかけてきた。
「みょんちゃん……今日は楽しい会を、ありがとうね。おかげでずいぶんとさっぱりしたわ」
「ん〜〜?」
 妖夢はほとんど眠りかけていたので、返事は曖昧だ。
 唐突であった。
「私ね、このゲームを自分で買ったわけじゃないのよ」
 大事なことを話そうとしている。
 察した妖夢は見えぬ枕へと沈もうとしていた意識の天秤を強引に戻した。あまりいい加減に聞いて良い内容ではなさそうだ。
 目を開くと、妖夢は体を横向け、アスナを視界に入れた。
 アスナはじっと暗灰色の天井を見ていた。
 細長い睫毛に、整った美貌、瑞々しい唇。アスナはかなりの美人だ。妖夢には輝ける銀髪がもたらす不思議な雰囲気のアドバンテージがあるが、それを加味してもなお、妖夢が勝てないと思うほどに、バランスと均整の取れた美女であった。妖夢にはどうしても人形的な硬いイメージがつきまとう。アスナもやや硬質な印象を人に与えるが、血の通った人間味において、どうしても妖夢は勝てない。それは妖夢が人間ではないからだ。いまの妖夢は人間のキリトと付き合っており、自然と人間的な美しさを欲するようになっていた。その理想像のひとつが、目の前にいるアスナだ。
 年齢はおそらく一五から一六歳。キリトよりも年上であるが、背はキリトとほぼ同じ。妖夢はキリトより一〇センチ近くも低い。アバターが固定されるのでSAOにいる間は変わらないが、リアルに戻れば今後、離される一方である。アスナならキリトと並んでお似合いだろうなと、漠然とした不安を感じてしまう。だがそんなこと、いまは関係ない。アスナが大事な心の内を、正体の知れぬ自称妖怪の妖夢に打ち明けようとしているのだ。
「アスナさんはもしかして、偶然巻き込まれちゃったんですか?」
 偶然といえば全員がそうなのだが、自発的にゲームを手に入れたのとそうでないのとでは、意味が多少異なってくる。それをアスナも正確に汲み取った。
「あの日、私は兄さんのナーヴギアを被ったのよ……なんで自分のものでないゲーム機を使って、自分のものでないゲームを遊ぼうとしたんだろう。急な出張で遊べないって、残念がっていた顔を見て、出来心で覗いてみたくなったのかもしれないわ。歳の離れた兄さんが生まれてはじめて興味を持った世界に。でもそれでまさかすべてが終わってしまうとは思わなかった」
「……私は一人っ子ですからアスナさんの気持ちはたぶん理解しきれません。もっと教えてください、あなたのこと」
 状況を考えればアスナの勇気をいい加減に躱すわけにはいかない。もし無下にすればきっと軽蔑されるだろう。人間に怖れられるのに妖夢は慣れているが、見下されるのは妖怪としての尊厳が許さない。おなじ軽く見られるにしても、間抜けさといった生来の欠点によってでありたかった。
「私の人生はね、ほとんど遊びのない、戦いの連続だったんだ。勉強・模試・受験・競争――兄さんはそれにすべて勝ってきたの。無事エリートコースに乗ったそんな兄さんが、ゲームはもちろん、アニメやマンガもほとんど見たことのない彼が、とつぜんSAOを買ってきたのよ」
「一緒ですね。私も戦いの連続でした。特別な剣術の継承者として期待され、お屋敷に住み込みで修業の日々。おかげで半人半霊としては飛び抜けて強くなれましたが、満足はしきれなかったです。だって私の世界は変わっているから、剣と剣で戦う場面がほとんどないんですよ。剣士なのに剣士と戦えない。異種格闘技戦が平常って、おかしいですよね。そんなとき魔理沙が教えてくれたんです。この世界、ソードアート・オンラインを」
 アスナの顔が妖夢のほうへ向いた。しっかりと見つめてくるその表情には、優しい笑みが浮かんでいる。
「やはりあなたに話して良かった。ヨウムちゃんを見てるとうらやましいの」
 ヨウムと呼んできた。それだけ心を開いてくれている証拠だ。キリトとはまた違った特別であり、すこし胸の内がくすぐったい。
「私がうらやましい?」
「この世界を全力で生きてるって感じがするわ。大切に毎日を重ねている。だからこんなことを話してみたくなったのかしら」
 アスナの語尾は最初から幻想郷のスタンダードな女言葉に近い。アルゴによればアスナのしゃべりかたはロールプレイにしても珍しいそうで、素であるならいいところのお嬢さんか、上品な校風の学校に通っているのだろうとのことだ。たしかにアスナの髪型はロングヘアをそのまま活かしたやや弱いハーフアップで、いかにもお嬢さまといった印象が強い。サイドを後ろへと集め、そこで編んでいる。激しく動くSAOにおいて、上品さを失わない髪型だ。輝夜はストレートロングにこだわっているので、戦闘後はいつも乱れた髪を直している。アスナはそれがあまり必要ない。
 アスナ以外にも、幻想郷組の影響を受けてかリズベットのしゃべりも若干、女言葉っぽくなってきている。リアルでの処世術だったのか、シリカは怒っても泣いても丁寧語を崩さない。てゐに対してすら。
「アスナさんも毎日を重ねていますよね。誰にも教わることもなく、自力でブーストをマスターしたって紫さまから伺いました」
「違うの。私は現実で毎日を失っている、勉強で同級生からどんどん離されているって、そう思っていたの。ブーストはがむしゃらに戦っていて、たまたまコツを掴んで、覚えてしまったわ」
「現実を毎日……アスナさんはもしかして、受験生ですか?」
「ええ。高校受験を数ヶ月後に控えてるわ」
 それは一大事だ。日本の義務教育期間は取り返しが利かない。
「一日でも早く、このゲームを終わらせたいわけですよね。いまならまだ間に合います。もしかしてヒースクリフを陥れる相談ですか? でも思っていたと過去形で言いましたよね。それに私は剣しか能がないですし」
「ええ、もちろん違うわ。マリサさんが言ったこと、私も妥当だと思う。血気に逸っても、準備なしではヒースクリフの変態を倒したときのイレギュラー要素が大きすぎる。道連れなんてふざけた死に方はイヤ――数学の問題にね、証明って分野があるのよ。きちんと理路をつけて、謎を追い詰めていくの。茅場を倒すのは、それに挑むこと。高校受験よりも難題よね。相手は現代史へと確実に名を残す、凶悪にして天才のテロリスト。命を張った緊迫のサドンデスバトル。あの天才に挑むにしても、私の学力は偏差値七〇をキープするのがいいところ。校内模試でこそトップを取れるけど、全国区はようやく三桁に入れるくらい。井の中の蛙もいいところだわ。茅場はどれくらいご立派だったのかしら? IQ換算なんて比較したくもないわね」
 その言い方がすこしコミカルで演劇じみていたので、妖夢は軽く笑ってしまった。
「アスナさんって、私たちのこと、信じるか信じないか、先延ばしにするって言ってましたよね」
「妖怪やゲンソウキョウと、茅場晶彦は別の話よ。あなたたちの正体なんかこの際どうでもいいの――私にとっては、この魂の牢獄でどう生きていくかが当面の課題なのよ。態度や姿勢の模範を、つまりは心構えをヨウムちゃんが示してくれて、今日になってユカリさんが最高の宿題を教えてくれた。とてもいい問題だわ。にとりさんの応用トリックをはやく聞きたいわね」
「アスナさん……あなたはこの世界で、自分自身でいられるものを見つけたんですね」
 彼女は力強く、妖夢へまるで宣誓するように言葉を紡いだ。
「ええ。迷いっぱなしだったけど、私はきっとこの世界で、結城明日奈(ゆうきあすな)ではなく、アスナとしての毎日をようやく刻めるようになる。私の人生はSAOのせいで終わったんじゃないって、自分とそして家族に証明してみせるわ。たとえ受験に間に合わなくても、後悔のない戦いをしたい」
 これはアスナ自身に向けられた表明だ。
「キリトも似たようなことを言って自己完結していました。メンタル面のウェイトが大きいゲームですから、自分で気付いて納得するのが一番ですよね」
「キリトくんがねえ。あれほど強くてマイペースな人でも、彼なりに悩むなんてことがあるのね」
 アスナはキリトのことを出会った初日こそ「キリトさん」と呼んでいたが、妖夢とおなじく当人の性格がアレなので、すぐ「キリトくん」になった。イメージが先行しすぎた英雄のメッキなど、すぐ剥がれ落ちるのだ。
「私も彼も、毎日いろいろ悩みっぱなしです。いまはちょっと恋の方面ですけど、それはこつこつと悩みをひとつずつ解決して、余裕ができたからです。なので次のステージへ、男女交際へと登ったのね」
「いいわね。私もそういうぜいたくな悩みというものを、体験してみたいわ」
 その美貌と頭脳で言うなと、妖夢は突っ込みを我慢した。持てる者はときに持たない者の心に鈍感になる。妖夢も弱いプレイヤーの悩みは理解しきれない。自分も弱い時期はあったはずだが、教える側、すなわち魂魄妖忌(こんぱくようき)が最初から最高の師だった。おなじく心が戦いに向かない者の悩みも理解できない。キリトやアスナのように、前線へ難なく適応しちゃう段階の子で、ようやく共感できるレベルだ。
 思えばアスナは紫の話に怖じ気づくどころか、積極的に関わるつもりになっている。それだけ自分の能力を発揮するのにふさわしい内容だと肌で感じたのだろう。あくまでも平凡な女の子にすぎないリズベットやシリカとはまったく逆の反応である。
 だから妖夢は、これ以上は親身になる必要はないと判断した。
「アスナさんならすぐ彼氏くらい出来ますよ」
「あっ、急に適当になったー」
「……鋭いですねあなた。その美貌と頭脳でおっしゃいますなと、私は思ったんですよ」
「ひど〜い。ヨウムちゃんもとても可愛いし、SAOで最強の剣士じゃない」
「うーん。これは重要なことなんですけど、私がいまのアスナさんの美しさや背丈を得るには、まだ何十年もかかるんですよ。美しい私を見せるときには、キリトは老いて寿命で死んじゃう……はあ」
「妖怪も妖怪なりの悩みを抱えてるのね」
「その顔、信じてるって感じですね」
「アルゴさんも言ってたけど、狂言や狂人にしては自然体すぎるのよ。いまの話で確信したわ。私の知らない異世界があるのだって。茅場にこの電脳世界へ閉じ込められたのよ? ゲンソウキョウくらい実在して、コミカルな妖怪がSAOへと紛れ込んでいてもおかしくないわよね。実際あなたたち、不自然なほど揃って顔が綺麗だし、髪も目も変わってるし。最大の謎が前線の異常な女子率よ。私とリズ、シリカちゃん、アルゴさんを除けば、全員が自称妖怪になるじゃない。ユカリさんと出会えなければ、リズとシリカちゃんは前線にいなかった。私はきっと前線を目指すけど、でも効率が確実に低下するから、たぶんいまごろようやく追いつく頃合いかしら――つまりヨウムちゃんたちがソードアート・オンラインを遊んでいなければ、この前線に女子は私とアルゴさんしかいなかったってわけなのよ。私はケープを手放さず、男避けに四六時中フードを深く被ったままでしょうね。息苦しいったらありゃしないわ。いまのような楽しい女子会もなかった。だから私は前線をここまで一気に開拓する原動力となったあなたに感謝するの」
 アスナは一呼吸置いて、とびっきりの笑顔を妖夢に見せてくれた。
「ありがとう、ヨウムちゃん。SAOを導いてくれて」
 妖夢は感心を通り越して感服した。
 このアスナ、頭脳明晰といっていいだろう。剣の腕もたつし料理のセンスも褒められたものだ。性格はとても良くて、キリトよりずっと懐が深い。才色兼備とはこのことだ。女としての潜在スペックは妖夢より数段高い。それを妖夢は別に過度にはうらやましいと感じない。幻想郷には妖夢より各方面で優れた連中がごまんといる。剣ひとつ取ってもいまだ天魔に及ばず。未熟者の分際でいちいち反目など詰まらんことをしていても仕方ないのである。すごい人は素直に認めるべきだ。妖夢はキリトにあっさり惚れてしまったように、アスナのことも好きになることにした。
「本当に頭の回転が早いですねあなた。もしかして浮遊城アインクラッドからみんなを解放するのは、私の剣じゃなくて、アスナさんの推理や機転になるかもしれないですね」
「なら競争ねヨウムちゃん。私はあなたの言う通り、アスナでいられるものを見つけたわ。だからようやくSAOに勝負を挑めるの」
「どのみちヒースクリフと最後に剣を交えるのは、たぶん私かキリトの役割になると思いますけど……でもいいわね勝負。リアルでなにを賭けます? 美味しいスイーツでも奢りましょうか?」
「ヨウムちゃんオススメなゲンソウキョウのスイーツ、楽しみだわ」
「まあ明治時代に毛の生えた幻想郷ではスイーツよりも甘味って言ったほうがまだ馴染みありますけどね。アスナの町のお菓子、ぜひお腹いっぱいご賞味してみたいです」
「あ、アスナって呼び捨てになったわ今」
「アスナならとっくに気付いてるでしょう? ずっと丁寧語口調な私の場合、呼び捨てこそが親愛のアピールですよ」
「もちろん。嬉しいから指摘したまでよ」
 ふたりして同時に笑い合った。
 おかしなものだと妖夢は心の中で笑う。思えばこのアスナだけでなく、クラインやアルゴのこともすでに一目置いて認めており、キリトに至っては化学反応が過ぎて心底より好きである。冥界にいたとき幻想郷に暮らす里の人間へは基本的に上から目線であったのに。SAOにログインしてクラインへとフレンド的な興味を持ってしまって以降、ずっと人間たちに驚かされっぱなしだ。
 そういえば格下すぎる者に敬語を使わないあの射命丸文が、誰に対してもずっと丁寧な口調のままだ。紫や輝夜の高飛車具合もかなり弱まった。紫は冗長な問答を自粛し、意味深度が下がっている。輝夜はギルドの仲間に料理を作っている始末だ。てゐのイタズラも不気味なまでに鳴りを潜めている。古明地さとりは根本から見違えて、良い意味で人が変わったように活発だ。戦闘になれば両手大剣を元気に振り回している。にとりも人間の男から簡単には逃げなくなった。椛は強い剣士として頼られ、オドオドとした様子が消えて落ち着いている。
 逆に魔理沙と布都はそのまんますぎて、まるで変わっていない。ふたりは人間であった時期のほうが長いし、力を得て気が大きくなるには、幻想郷はあまりにも強者だらけ。人妖化しても性質の変わりようがない。だからこのSAOで人間に戻っても態度はおなじだ。三つ子の魂はすでに固定されている。
 妖夢はどうか――考えるまでもない。冥界や幻想郷とはまるで行動原理が違っている。人間としての妖夢は、なんと自由であることか。自分勝手というお茶目な方角であったが、我ながら輝いていることに驚く。
 SAOにログインするということは、人間になるということだ。それを妖夢は再発見した。
「人間になるとは、こういうことだったんですね」
「なに? ヨウムちゃん」
「……私ね、SAOを遊ぶまで、人間ときちんと向き合ってこなかったんです。まともな付き合いがあったのは、魔理沙のように特別な力を持つ、私たち妖怪に対抗できる者だけ――でも、キリトやクラ之介さん、アルゴ、アスナと知り合って、分かったんです。人間ってすごいねって」
「平均一日半で一層を攻略してきた子の言うことじゃないわね」
「キリトが一緒にいたからですよ。ソロでは無理だったわ」
「でもそのキリトくんに二刀流を教えたのはヨウムちゃんよね。あくまでも始まりの人はあなたなの。だから誇るべきよ」
「ありがとうアスナ。あなたとは親友になりたいです」
 つい出てしまった。こんなことを人間に言うのは、魔理沙に対して以来だろうか。
「じゃあヨウムちゃんって、これからも呼んでいい? 本名らしいからこれでも遠慮してたんだけど」
「もちろんいいですよ。魔理沙が私に扮して余計なサイン会を開いたせいで、初日からすでに知れ渡ってたし。ですからキリトも平気な顔で、人前で妖夢妖夢って連呼できるんです」
「やっぱりあのときの子は、ヨウムちゃんじゃなかったんだ」
 アスナがメニューウィンドウを呼び出し、メモ帳をオブジェクト化した。あるページをめくって、妖夢に示す。そこには『私には斬れぬものなど、あんまり無い! ヨウム アスナさんへ』と書いてあった。無駄に字が上手いので余計に腹が立つ。魔法使いは自分で本を書くが、正しい文字でないと魔導書として魔力を込められないので、自然と字がきれいになる。
「まちがいなく魔理沙の字ね。まったくあの子は」
 その困った魔法使いはとっくに撃沈して、二時間も前から熟睡中だ。しかもひとつしかないベッドを大の字に占領して。これで盛大ないびきでもかいていれば魔理沙の性格と合いそうなものだが、静かにすぴ〜〜と寝てるものだから、また腹が立つ妖夢である。口調や性格のイメージと違って、魔理沙当人は顔も仕草もいちいち可愛らしいったらありゃしない。
「ねえヨウムちゃん。あなたのこと、もっと教えて。リアルを聞くのはマナー違反だって知ってるけど、私ね、あなたのこと、そしてあなたたちのことを、きちんと知りたいの」
「……なにから話しましょうか。魔理沙がSAOについて教えてくれた日のことですけど――」
 妖夢とアスナの長話は、さらに深夜二時近くまでつづいた。その話に寝たふりのリズベットが聞き耳を立て、アルゴがずっとメモしていたが、とくに気にすることもなかった。
 むしろ妖夢は人間に知って欲しかったのである。
     *        *
 一一月二八日、午後三時。
 第一〇層迷宮区。
 この迷宮区にはナユタのNPCが教えてくれた別名がある。
 千蛇城。
 その名の通り、蛇型モンスターがうようよといる迷宮だ。しかしそんなものはたいした障害ではなかった。おそるべきは全体の四割を占めるサムライ型モンスターである。やつらの使う攻撃がやっかいである。雑魚のくせに熟練度二〇〇から二五〇以上で使える中級ソードスキルを頻繁に交えてくるのだ。
 攻略組はいまだに良くて第二段階のソードスキルまでしか使えない。理由は攻略速度が速すぎるからだ。経験値やコルが増えるので、レベルや装備は層に見合ったランクまで短期間で引き上げることが可能だ。ところがスキル熟練度はそうではない。誰よりも多くの敵を倒してきた妖夢とキリトですら、メイン武器の熟練度はまだ二〇〇台後半だ。威嚇・索敵・隠蔽・疾走といったサブ系スキルと違って、メイン系スキルは熟練度の成長が何倍も遅い。使用頻度に合わせてバランスが調整されている。
 敵が強力なソードスキルを繰り出してくるのに、こちらは連続攻撃でもせいぜい二連撃止まり。フラストレーションが溜まるが、我慢の字であった。攻略組は魔理沙式の横一列を守り、ターゲット外にいる最寄りの味方がすかさず加勢する戦術で、サムライ野郎を確実に撃退していき、ついに千蛇城の最上階、一八階に到達した。
 第一〇層のテーマは和風だ。ただしベースはあくまでもファンタジー系世界であり、印象としてはアメコミのファンタジー世界に和風が混じっているような感覚であった。
 その和洋折衷エリア最後の驚きが、千蛇城最上階に居座る、カタナスキルを使ってくるサムライ様ご一同であった。
 モンスターの名はオロチ・エリートガード。
 赤い具足に身を包んだ完全武装の鎧武者である。これまでのサムライ型モンスターは曲刀や直剣、槍に斧などで挑んできたが、オロチはどう見ても日本刀にしか見えない若干細身の武器を構えている。
 放ってくるスキルも第一層でイルファング・ザ・コボルトロードが使ったもので、もちろん中級混じりだ。コボルトロード以来となるレア武器で、しかも数段階を飛ばした中級レベルまでの攻撃群を受けるわけだから、初見殺しもいいところである。
 その湧出地帯に対し、攻略組は二レイド、七二名という大戦力で突入した。三〇人しかいなかった攻略隊と比べると、数量的におおきな飛躍である。攻略組は発足二日ですでに一二〇人前後の大組織へと急成長を遂げており、参加戦力の選択に事欠かない。攻略専門ギルドだけでも七つに達し、うちひとつはなんとソロプレイヤーの相互扶助ギルドという、矛盾に満ちた面白いものである。第九層のフィールドボスを倒した際に多くのギャラリーがいて、彼らが事前に噂を広めてくれていたことが幸いした。攻略隊に入りたいと思った連中が、すでにいろいろと準備を進めていたのだ。現在最大のギルドは予想通り聖竜連合で、全体の四分の一を超えた三〇人以上を抱えている。初期メンバーはてゐを除いて全員がリーダー職となった。見た目一〇歳ていどの因幡てゐは、いくら個人技に優れようとさすがに無理だ。
 ちなみに聖竜連合の名を提案したのは副騎士長リンドである。最初はナイツ・オブ・ラウンドやドラゴンナイツ・ブリゲードが候補に挙がっていたが、ありきたりでインパクトに欠けており、ディアベルを悩ませていた。そこで発想の転換で、リンドが連合名を挙げた。連合とは協力や同盟、あるいは合併の結果として名乗られるものだが、大きい組織というイメージが付く。攻略ギルドの雄を志す青騎士が気に入ったのは言うまでもなく、最初からいきなり聖竜「連合」となったわけであった。なんの連合かと問い詰めたくなった妖夢であったが、さしずめディアベルが(せい)を掛けて聖、リンドが竜の役だろう。
 うす汚れた灰色の石畳を進んでいくと、さっそく問題のモンスター、赤備え武者どもが二体出現した。全身をくまなく鎧で覆い、顔面にまでいかつい頬面具が装着されている。般若面の下半分だけを模したようなもので、憤怒の朱塗り口がこちらを威嚇する。兜のわずかな隙間より覗く眼光は鋭く、まるで本物の武者のようである。モンスターといってもリアルな人間タイプで、カーソルを確認しなければNPCと言われても気付かないだろう。
 SAOでは第三層からこういう人間そのものか近い容姿の亜人――たとえばエルフ族などが敵モンスターとして登場するようになり、モンスター然とした亜人より剣技やアルゴリズムに優れていることも多い。なまじフルダイブRPGのため、慣れない人はプレイヤーキルを連想してしまい、心理的な抵抗が意外と大きいらしい。
 むろん現実で散々果たし合いを経験してきた魂魄妖夢には、なんの問題ともならない。
 七二人の先頭をいく妖夢とキリトが、同時に叫んだ。
黒銀武踊(ヘイインぶよう)!』
 銀髪と黒ずくめのソードダンスがいつものように開幕する。ただしふたりで一体を挟むのではなく、ひとりで一体ずつに相対する。そこが黒銀乱舞と異なる。キリトはいつもの二刀流だが――妖夢はなぜか右の一刀しか手にしていない。
 エリートガードの居合い斬りが赤い剣閃とともに妖夢へと迫ってきた。カタナ専用ソードスキル辻風(つじかぜ)だ。間合いが読めないうえ速度もあるため、常人ならとても避けきれない。たとえ武器防御スキルの炯眼剣を使っても、勢いがありすぎて受けきれないだろう。
 ところが妖夢は勝手知ったるなんとやらの感覚で無造作に距離を詰めると、襲ってきた居合いの斬撃を、右手の曲刀に這わせたオレンジ色の斬りあげによって迎撃してしまった。絶妙のタイミングで力を逸らされた辻風が、明後日の方向へと流れてゆく。なるほど、ソードスキルをソードスキルで受けたまでだ。いまの妖夢は右手一刀だけなので、ソードスキルを使用できるのである。
 カタナの後を追ってきたエリートガードの身が、妖夢の目の前に飛び込んできた。絶好の的だ。
 すでに妖夢のソードスキルは二撃目へ入っている。オーパル・クレセント。三日月の名を持つ、曲刀用の中級ソードスキルである。その特徴は三連続攻撃だ。強烈な斬り下ろしがエリートガードの胴体を深く切り裂き、さらに腹部を抉る斜めの追撃。いずれも急所を正確に斬った。最初の斬りあげも含めて、きれいな三日月の形にオレンジの軌跡が完成する。この軌道は左右反対も、逆走パターンも取れる。受ける側にとっては読み外すと地獄が待っている、トリッキーなソードスキルだ。欠点は射程の短さ。
 だがそれでは終わらない。
 妖夢の体はすでに次の攻撃体勢に入っている。オーパル・クレセントが終了モーションに差し掛かると同時に、つぎの予備動作へと繋げたのだ。妖夢の右足に黄色の輝きが宿り、硬直タイムをキャンセルしてその場でオーバーヘッドキックをかました。体術スキルの弦月(げんげつ)、いわゆるサマーソルトキックである。エリートガードの顎へと正確に痛烈な一撃を与えたはず。
 空中で体勢を戻す妖夢の左手が素早く動いた。腰の裏側へ伸びている。地へ足が付いたとき、技後硬直はすでに終了していた。体術は威力こそ低めだが、それがゆえに隙も短いのだ。エリートガードのほうはまだダメージディレイ継続中である。三発もクリティカルを入れたのだから当然であった。
 妖夢の左手が目にも留まらぬ居合い抜きを披露して、エリートガードの喉笛をかっ攫う。二刀に戻ったことで、あとはいつもの剣舞がスタートした。四秒後、乾いた破裂音とともに赤い鎧武者が消えた。
 鮮やな手並みに、後方より惜しみない拍手があがっている。
 妖夢のやったことは高度すぎて、とても常人には真似できない。ソードスキルは敵本体を狙わないと狙点アシストが働かない。しかもモーション軌道があるていど決まっている。その厳しい制約内で、敵の居合いタイミングを予測してピンポイントで払い落とし、さらに自力で反撃へと繋げ、あまつさえ倒しきってしまった。オウンスイッチ、オウンフルアタック。一人三役である。
 隣ではキリトが奔放に剣を振るい、妖夢より早くサムライを倒していた。隙の小さい幻月(げんげつ)を放ってきたエリートガードであったが、キリトは伏せるような低姿勢から弦月斬を放って掬い上げ、宙に浮いた赤サムライを吉祥降魔剣の剣撃で切り刻み空中お手玉、最後は左手の剣を捨て、ソードスキルを使えるようにした状態でホリゾンタル・アーク横斬り往復を敢行、あっというまに片付けてしまった。決着まで妖夢より二秒近くは早かっただろう。
 鼻歌混じりで剣を拾う彼氏を見ながら、妖夢は小さくつぶやく。
「ついに抜かれちゃいましたか……さすが天才ですね」
 迷宮区を登る途上で少しずつ差が生じていたが、もはや誰の目にも明らかに、キリトのほうが早く敵を倒している。
 短い間隔で赤武者が幾度となく出現するが、大半の戦闘でキリトのほうが終了が早い。
 まず反応速度が尋常ではない。ソードスキルへの繋ぎで、妖夢はゼロコンマ秒単位の遅延を残している。ギリギリで繋ごうとするとどうしても失敗するので、失敗したらあとが怖いエリートガード相手では、余裕を持たせた発動しかできない。つづけて戦闘の効率もキリトが上だ。二刀流だけなら妖夢とキリトはほぼ同等になっていたが、ソードスキルが混じれば使用に慣れたキリトが有利だった。
 妖夢はソードスキルを軽視してきた。使用頻度もそれほど高くなく、その報いがいま来ている。キリトはゲームバランスに則したベストの組み立てを行えるが、妖夢はどうしても自分の常識が邪魔をし、次善以下のパターンを選んでしまいがちだ。ゲーマーと剣士との違いが、ソードスキルを介して現れていた。剣舞の見た目は妖夢のほうが軽やかで芸術的だが、実際の効率はキリトのほうが巧い。
 だからといってソードスキルを使わない通常の二刀流にはもう戻れない。なぜならば魂魄二刀流にソードスキルの火力を加味した攻撃は、以前よりも単位時間で与えるダメージ総量があきらかに増えていたからである。黒銀乱舞が一秒台で終わってしまうので、挟撃をやめて黒銀舞踊へと切り替えたほどだ。
 キリトに抜かれてしまったが、妖夢に悔しさはない。それはキリトが天才であるとすでに認めて、恋までしてしまったからだ。心酔といった感情と同系列であろう。ソードスキルを舐めきっていた自身への悔悟もある。未熟ゆえの応報をキリトに転換してはならない。そのていどの分別ができるほどには、妖夢は人間が出来ていた。
 オロチ・エリートガードの領域と思われる通路を三分の一ほど来たところで、ディアベルが指示を出した。十分に観戦したと判断して、妖夢とキリトを下がらせる。戦闘は何倍ももたつくだろうが、経験を経ないと強くなれるものも強くならない。あとのことを考えれば必要なことなのだ。二番手としてクライン率いる風林火山が前へ出る。クラインたち六人は全員がボス攻略戦に参加できている。それだけの戦闘を積んでいた。
 妖夢とキリトのHPバー先端上にも、いまは風林火山の「四つ割菱」アイコンが表示されている。
 フロントランナーはクラインたちとすれ違いざまハイタッチを交わして、ディアベルたち本隊に合流した。戦闘に直接参加する連中とそうでない待機組は、すくなくとも二〇メートルは距離を開けていないと、敵のターゲットが思わぬ不確定な動きを起こすことがある。それが戦闘にどのような悪影響をもたらすか予測できない。そのためこれは必要なスペースなのだ。
 本隊の一部として吸収され、妖夢とキリトは仲良く並ぶ。さっそく攻略組に入ったばかりの新人たちが、妖夢に近寄って称賛を浴びせてくるが、妖夢は適当に愛想笑いを返すだけで、基本ほぼ無視だ。相手にすれば最後はサイン会になってしまう。
 キリトにも少数ながらファンができつつあり、彼に話しかけようと試みる者もいた。その中になぜかコペルが混じっている。
 たしかコペルは私のファンだったのでは? と妖夢。
「あらコペルくん、タイタンズハンドは? オークションハウス勤務から転向ですか?」
「仕入れですよ。ついでに僕のレベルアップと、コペルニクスの取材も兼ねています。僕が一番レベルが高いので派遣されたんです。なんと一二もあるんですよ」
 安全マージン以下だから、正規メンバーではないモグリだ。第一〇層ボス攻略戦にわずかレベル一二は、もはやお笑いでしかない。旧攻略隊で一番弱いシリカでもレベル一五はあったはずだが、今日の攻略戦には不参加である。今日ここに来ているほかの連中は、だいたいレベル一七から二〇には達している。コペルがばれなかったのは、レベルの割に身につけた装備の素性が良いからだ。それだけあのオークションハウスは儲かっているわけだ。
「そ……それは商魂たくましいですね。それでキリトになにか用?」
「もちろん取材です。女の子を口説く方法について」
 沽券に関わることなので、思わずコペル野郎の頭をふんづかまえてぐりぐりしていた。妖夢はキリトに口説かれたのではない。キリトの実力と人柄に魅入らされ、自分から進んで恋へと落ちたのだ。
「ねえ、コペルくーん。コペルニクスって硬派が売りだったわよね。いつからスポーツ新聞みたいになったのかしら〜? いまはディレイキャンセルについて取材すべきじゃな〜いの?」
 無表情で、目はとても冷たい。まさにそんな顔で静かにコペルを威圧する。
「は、はい。そうですね……そんな気がしてきました」
「よろしい。それではさようなら〜〜」
 突き放したコペルは、よろけながら逃げるように消えた。なおコペルはレイド編成外なので、いくら戦闘を見物しようが、経験値もコルもアイテムもまったく得られない。初日の夜に会ったときの落ち度といい、再会したときのオシリペンペンといい、コペルはどうも根っこの部分で足りていない。そのうち命取りとならなければいいけどと、妖夢はほんのすこしだけ心配した。南無阿弥陀仏。
 妖夢の気迫にびびった新人たちは、波が引くように距離を取った。これでずいぶんと楽になる。
「おお怖い怖い。さすがSAO最強剣士だな」
「キリトも黙ってないで、言い返せばいいじゃないですか」
「とっさにヨウムみたいには行かないよ。俺を誰だと思っている? 天下の口下手キリトさまだぞ」
「じゃあ今、スラスラしゃべってるのはどちらのキリトかしら?」
「困ったことに、内弁慶なのだ」
「そんなことじゃいけないですよ。私を追い抜いて最強になったんですから、第九層のフィールドボス戦のときにみんなを先導したように、しっかりしなきゃ」
「なにが言いたいんだ」
「F隊のリーダーになってくださいね。私と交替よ」
 パーティーメニューを呼び出し、リーダーをキリトへ移譲した。彼氏へお知らせウィンドウがポップアップされる。
「どうして」
「パーティーのリーダーは強いほうがするってキリトが言ったじゃないですか。次第に追いつかれて、ここ数日はほとんど並んでいましたけど、キリトは今日、ついに私より強くなっちゃったんですよ」
「それはソードスキルに俺ほど慣れてないからだろ。いや、ヨウムはすでに使いこなしていた。だからすぐ追いつくって思ってるんだが」
「いいえ。私はもう、追いつくことも、逆転することもできないと思います。だって反応速度という天性の要素で、私は最初から負けていたんですもの。しかもキリトにはまだ伸びしろがあります。私が得意としている急所狙いと格闘繋ぎをマスターすれば、私はもうあなたには絶対に敵わなくなるでしょう。そして私はそれを教える気まんまんよ。天井知らずのキリトがこの世界でどこまで強くなるのか、その限界と到達点を見てみたいんです」
 キリトは迷っている。
「……戦闘勘と戦いのセンスでは、ヨウムがずっと上だろ。直接戦えばヨウムが圧倒的に強い。俺はたぶん三〇秒と持たない」
「対人戦なんかもっての他ですよ。ブースト剣舞の私たちは攻撃力超過剰。本気でデュエルすれば、初撃決着モードでも危険です。対戦相手を殺してしまうおそれがありますから」
「ただの圏内戦闘ならいいだろ。俺たちはいつも即実戦投入派だけど、みんなが練習でよくやっている」
「あれは保護属性特有の反発現象で、一撃でも当てれば弾き飛ばしちゃいますから、連撃が前提の私たちでは実力を量れませんよね。牽制打ですら飛んじゃいますから、勝つための技術も方法論も違ってきます。だからこの場合、想定するのは対Mob戦だけでいいと思うんです」
「でも……いいのか?」
「私が好きになったキリトは、こんなことで迷う男の子じゃないですよね。差が決定的になる前に受けてください。キリトがリーダーよ」
 妖夢の意志は強い。まっすぐにキリトを見据えてくる。
「ずるいな。男のメンツを出されたら、俺は受けるしかないじゃないか。わかったよ、いまからリーダーやってやる」
 キリトが了承し、晴れて新たなパーティーリーダーとなった。
「これでキリトは自由にどこへでも行けますね。私は大人しくついて行くだけです」
「……それってこれまでと、ほとんど変わらないんじゃ」
「およ? たしかにそうですね。あはは、みょんな話になっちゃいました」
 どこへ行くか。それを決めるのは、八割以上がキリトの仕事だ。妖夢はおおまかな希望だけを示していた。細かい舵取りは常にキリトが行っている。
「そうだ。リーダーになった記念に、ちょっとその権限を行使しよう」
「なあに?」
「ヨウムの髪で遊ぶ! 俺がF隊リーダーだから、ヒラ隊員は抵抗したらいけないぞ。別にセクハラをするわけじゃないからな」
「はーい」
 背後に回ったキリトの手が、妖夢の黒リボンへと伸びてきた。彼氏のささやかなイタズラはいまさらなので、妖夢もされるがままだ。キリトは妖夢のカチューシャリボンをほどいてしまった。髪がすこし崩れる。
「どーするのですかー?」
 くすぐったい時間がすぎて、解放された。戦闘のほうはすでに風林火山が退き、第三のパーティーに移っている。周囲の視線が妖夢とキリトに集まっている。公衆の面前でイチャイチャされて、鬱陶しいかもしれない。あ、コペルが壁を殴っている。
 だが妖夢にはすこしの時間も惜しかった。アスナが言ったように、毎日を全力ですごしている。キリトと楽しめる機会はことごとく貪欲に消費してやろう。妖夢はもう迷ってはいなかった。公序良俗など気にしてはいられない。キリトと彼氏彼女としてすごせる時間は確実に有限で、いつ終わりを迎えるか分からないのだから。
 キリトがすこし得意そうな顔になっているので、結果が気になった。
 二つ折りのハンドミラーをオブジェクト化して、自分の顔を確かめてみる。
「あ、サイドアップ」
 髪が左に集まって、そこに房が作られている。ただ、リボンの結び方が雑だ。そもそもロングリボンで結ぶ髪型ではない。
「どうだ、似合うだろ」
「うーん、結び方が五〇点くらいですね」
「リボンを結ぶなんて、ほとんどやったことないからな」
「私のほうで結び直しますけど、せっかくキリトがやってくれたのですから、今日はこの髪型でいきますね」
 とりあえずそれっぽい結び方にしてみた。リボンの両端がずいぶんと残ったので、二〇センチ近く垂らしている。
 戦況を見やると四番目のパーティーに移っていた。風林火山のような固定パーティーではなく、アタッカーのみの臨時編成だ。その中にメイプルこと犬走椛が混じっている。パーティーより五メートルほど離れて射命丸文がカメラを構えており、おそらくキャンセルの実例を写そうというのだろう。情報が公開されてまだ半日も経っておらず、妖夢やキリトのようにキャンセル技を自由に操るプレイヤーは、さほど多くない。
 さっそく登場したエリートガードは二体。すかさず椛が咆哮する。威嚇スキルの基本技、ハウルを使っている。鋭い声にエリートガードの一体が引き寄せられ、不可視の居合い抜きとともに赤い剣閃を椛へと叩き込んだ。
 椛は慣れたもので、危険な辻風を安全にカイトシールドで受け止め――いや、瞬時にその体が動き、妖夢が行ったのとおなじオーパル・クレセントの三日月を赤武者に刻んでいた。盾の防御ディレイをキャンセルしたのである。昨日までなら不可能なタイミングでの反撃だった。ふたりはそのまま互いに硬直状態となり、二秒後ほぼ同時に回復した。椛は硬直寸前に盾を正面正眼に構え、ディレイ中も万全の体勢で待っていた。不利を悟ったか、エリートガードは距離を取る。
 何秒かにらみ合いとなったが、椛が盾を下げてわざと胸を晒すと、エリートガードがバカの一つ覚えでふたたび辻風の居合い斬りへと入った。椛は今度はその斬撃を受けず、右へと跳躍してかわし――空中でぴたりと体が止まった。物理的にありえない挙動で、エリートガードへと突進する。オレンジ色の曳航は、リーバーターンだった。
 綺麗なカウンター二連撃が決まり、エリートガードが消滅した。椛は二回ソードスキルを使い、五撃を当てただけであるが、妖夢とおなじくフルブースト、かつ急所狙いとカウンターによって、三倍近いダメージを与えている。しかもソードスキルというだけで通常攻撃よりダメージ量を稼ぐので、五発でエリートガードを倒せるのだ。カウンターを高頻度で狙えるのは盾持ちの利点であったが、キャンセル技によって反撃の発動を早められる。今後はずいぶんと楽になるだろう。
 メイプルの剣技に、多くの関心と注目が集まっている。妖夢やキリトの剣は異次元すぎてとても真似できたものではないが、犬走椛の装備はスタンダードな剣と盾である。彼女が行う剣舞は魂魄二刀流と比べたら地味には違いないが、より現実的で実現可能な選択肢を示してくれる。メイプルは妖夢につぐ二番手の女流剣士であり、攻略組全体でも三番手の強豪プレイヤーだ。純粋なレベルでもおなじく第三位。
 またもやメイプルが新たな可能性を見せてくれた。通常攻撃でエリートガードを袈裟斬りにした直後、すかさず曲刀用中級剣技のベア・ノックに移る。通常攻撃の終了アクションを、ソードスキルのプレモーション位置に重ねたのだ。隙の大きめな中級ソードスキルであっても、この方法によって素早い斬撃から連続技として発動できる。通常攻撃のディレイをすっぱりキャンセルしているのも見逃せない。この攻撃は妖夢とキリトがすでに頻繁に使っていたが、メイプルも自在に操るという事実が、見る者たちの向上心を刺激する。フロントランナーはどちらかというと見とれる剣技、というほうに近いだろう。参考にしようとは思いにくい。だがこちらの白髪で犬耳のような髪型をしているお姉さん剣士は違う。おなじ技であっても、まだまだ手が届きそうなものだと思わせる効果があった。
 撮影している射命丸文や、ここにいない河城にとりの狙いも、そこにある。今後のことを考えたら、攻略組全体に強くなってもらわないと困るのだ。幻想郷のみんながいなくなっても、戦っていける攻略組として。
 河城にとりと蓬莱山輝夜が突き止めたSAOのキャンセル体系は、以下の二項目であった。
 ひとつ、ソードスキルはあらゆる動作を上書きする。
 ふたつ、ただしおなじ部位のソードスキルは上書きできない。
 わずかこれだけのシンプルなものであったが、意味するところは大きい。いくらでも応用が利く。
 ソードスキルのプレモーションがキャンセルしてしまうのは、硬直だけではなく、あらゆる動作そのものであった。ダメージディレイをキャンセルできないのは、単純にその状態でソードスキルのモーションへ持っていくことが不可能だからだ。にとりはこの体系をディレイキャンセルではなく、単純にキャンセルと呼ぶことにした。もっとも誰がどう呼ぶかはいずれ現場の流行が決めるだろう。妖夢は輝夜が放ったチート剣舞のインパクトが強くて、実態を無視してずっとディレイキャンセルと呼んでいる。RTSの経験を持つディアベルは、バースト・ソードスキルという、奇妙な呼び方をしていた。
 ソードスキルのキャンセルができることも大きい発見だったが、武器スキルと体術スキルを延々と繰り返す夢のコネクトは空想に終わった。なぜならば各々のソードスキルにはクーリングタイムという制限が設定されており、一度発動した技は一定の冷却時間を経ないとふたたび使用できないからである。ソードスキルからソードスキルに繋げるとしても、プレモーションの取り方で無理なものも多く、連続一回がいいところだ。
 最後にキャンセル体系の副産物として、ソードスキルのモーション終了から硬直タイム寸前まで、あるていど体を自由に動かせることが周知の事実となった。たとえば盾持ちは自分の体を守るようにシールドを構え直して、長い硬直をより安全に耐えるといった、小手先の技に使える。妖夢とキリトも居合い抜きなどに利用している。
 いずれも地味に見えて、確実に攻撃の幅を広げる有効な技の数々であった。浮遊城アインクラッドを生き抜こうと積極的に戦っている人々の生存率をささやかながら上昇させるだろう。これらの技を、にとりは無償で公開した。戦士として別に強くもなんともないにとりが、こんなものを独占しても仕方がないからだ。共有してこそ有為となる情報であり、さらに誰かが思わぬ発見を導き出してくれるかもしれない。にとりがどれほど有能な河の便利屋さんといっても、一個人にすぎない以上、発想にも限度がある。
 これまでも多くのノウハウを教えてくれたアバター名ニトリであったが、今回は極めつけだった。下層を中心に、ある意味でフロントランナー以上に崇められている。もし彼女の実物を前にすれば、その場で反射的に求愛する男が続出するだろう。攻略組として最前線近くにいることは、この少女にとって幸いであった。
 三〇〇メートルほどあったオロチ・エリートガードの螺旋通路を無事に通過しきったのは、およそ一五分後だった。死者はゼロ。なかなかに立派な結果だろう。エリートガードの湧出回数はなんと五〇回あまり。一二〇体ほどの赤武者が登場した。
 通路の果てに、とぐろを巻いたヘビの台座があり、その口が黒い水晶をくわえている。いかにも不吉そうな水晶へと青騎士ディアベルが近づき、剣を一閃した。
 黒水晶が割れ、砕け散ると、エリートガードが大量にいた通路に亡霊のおたけびのような不気味な音がとどろき、残響音とともに通路を照らしていた見えない明かりが一斉に消失した。あとにはただ、暗いだけの無害な空間がそこに佇んでいる。
 ディアベルが剣を腰に戻し、みなに伝えた。
「呪いの守護廊下、クエストクリアだ」
 迷宮区を突破するというグランドクエストと結びついたサブクエスト。それがこのオロチ・エリートガードの通路だ。ベータ時代、キリトはこの長大な螺旋回廊をどうしても突破できず最終日を迎えたが、ソロでは絶対に勝てないファクターがこの場所には隠されていた。
『人数が少ないほど、出現する敵が際限なく増えてゆく』
 それがこの通路のいまいましい呪いだ。適性攻略人数はなんと七五人以上。ベーター時代は六五人以上だったから、難易度が微妙に上昇している。レベルの足りない者が多くてどうしても七五人を集められなかったが、それでも七二人……モグリのコペルを含めて七三人で突入した。もしキリトと妖夢がふたりきりでこの通路に侵入すれば、最初は良くても延々とつづく戦闘に疲れ、そのうち限界に達しただろう。しかも時間が経ちすぎれば後方よりも再湧出するため、気がついたら挟撃されてしまっている。進むも退くも不可能となり、大量の敵に囲まれて、いずれ倒れる。
 呪いの守護廊下クエストを受けられるのは、第一〇層の主街区ゴウガシャだ。第二層にはフロアボスの弱点を教えてもらえるクエストがあったのだが、それは迷宮区近くの森だったので、いやらしい。呪いの守護廊下クエは、第一〇層のフィールドボスが全滅すれば設定される。それをアルゴはベータ時代に知った。ベーターの終盤、前線グループはみんな迷宮区タワーの近くにしかいなかった。したがって情報屋のアルゴのように、あちこちをくまなく繰り返し巡るプレイヤーでないと、第一〇層の謎には気付けなかったのだ。
 妖夢は単純な感想をのべた。
「一度きりのクエストって惜しいですね。何層かあがればこの敵さん、誰にも楽勝でしょうから、ちょうどいい狩場になったのに」
「そうでもない。まずここに来るだけで大変な手間だ。迷宮区の中だから、外と連絡も取れない。無尽蔵型の敵だから、ひとつ判断を誤ればすぐ殺される。割に合わないね」
「そうかもしれないですね。私もつい、自分の強さを基準に考えてしまう癖がついていますね。キリトのことを注意できる立場じゃないです」
 第二層やこの第一〇層のこともあり、攻略組は今後、いくつかの役割分担を決めている。ひとつはフィールドボスとフロアボスの殲滅に専念する最高レベル集団。つづけてややレベルが低いが、最前線層の各種クエストを片っ端から受けて攻略してゆく集団。これによってグランドクエストと結びついたサブクエストを探し出し、余計な被害を抑え、さらにはレベル水準も維持するのである。ついでに最前線の一次リソースを徹底的に攻略組で吸い尽くす効果もある。あとから来る連中には悪いが、せっかく開拓したのだから、できれば美味しくみんな戴きたいのが攻略組の総意でもある。のこりはサポート部隊である。
 第一〇層フロアボスの扉は、呪いの守護廊下を抜けてさらに一〇分ほど進んだ先にあった。
「今回も無事、一人の死者も出さずにここまで到達できた――茅場晶彦の負け犬野郎!」
『茅場晶彦の負け犬野郎!』
「俺たちは、きさまのトラップを見事に突破してやったぞ! ――ざまあだな茅場晶彦!」
『ざまあだな茅場晶彦!』
「俺たちは強い! 必ずこの城を一〇〇層まで登り切ってやる! ――泥を食わすぞ茅場晶彦!」
『泥を食わすぞ茅場晶彦!』
「よし! その怒りを、この扉の先にいるボスへ、全力でぶつけよう! 俺たちは勝つ!」
 第一層・第九層とおなじく、天才テロリストを罵倒して戦闘開始を告げる。ヒースクリフに候補を絞った以上、これはあまりやりすぎると茅場晶彦がどう動くかわからないので、折を見て廃止する方向らしい。
 なお女神のキスはディアベルら男性陣の強力な要請により、攻略組ルールのひとつ「女神と王子のキス」として正式採用されてしまったので、いちいち宣言はない。ただ女性陣の抵抗もあって、あくまでもフロアボス戦に限られ、指名された側に断る権利も与えられた。これで妖夢がキリト以外に指名されたからといって、それを受ける義務もない。かわりに攻略組所属であれば、戦闘に参加してなくとも指名されることになった。これはクラインがとくに望んだことで、ようは今後ボス戦へほとんど出てこなくなる河城にとりへの執着からだった。
 扉を開けると、攻略組はぶっつけ本番で一斉突入した。フロントランナーという最強の偵察役がいるから、二段構えといったまどろっこしい戦い方はしない。第一レイド、第二レイド、全員が入ってゆく。マニュアルによればボス部屋には定員の上限があるらしいが、七三人入ってまだOKだった。
 円形の広々とした空間。直径は六〇メートルほどあるだろう。足下はすべて砂だ。中央奥に祭壇があり、その前で緑色のヘビがたくさん絡まった塊が佇んでいる。いや、それは複数のヘビではなく、たった一体のバケモノだった。八つの長い首とおなじく八つの頭を持つ、巨大なドラゴンだ。根本にはまるっこい胴体があって申しわけていどに四つ足がついているが、武器を持てるわけでもなく、どう見てもメインウェポンは自在に動く長い首と、頭の牙だろう。おかしいのは、ただのモンスターなのに、なぜか人型モンスターのように防具を着ていることだ。古墳時代くらいの和風甲冑である。
 ボス名が表示された。HPは四段。
『Yamata the Ancient Dragon』
 攻略組の視線が、ひとりの曲刀使いに集中した。浅黒い肌で濃い二重まぶた、頭頂のこんもりちょんまげが特徴のヤマタ。聖竜連合のアタッカー隊隊長だ。彼のアバター名の由来がいま、目の前で大ボスとなって立ちはだかっている。
「おのれヤマタノオロチ! 俺の名を騙るとは、そこへ直れ! フロントランナーさまが退治してくださるぞ!」
 自分ではなにもしないのかよっ!
 と妖夢は突っ込まず、黙って二刀を抜いて前進し、緑色と青色がまだらに混じった八岐大蛇(やまたのおろち)と対峙する。隣にはもちろんキリトだ。ディアベルの指示は毎回おなじ。できるだけ戦闘を引き延ばして、敵のパターンを探る。弱点を見つけたら、なおのこと良し。爆発的な攻撃力を持つ連撃系は、緊急時を除いて禁止。
 ――戦闘は時間こそかかったが、あっさり気味だった。
 第一〇層のクライマックスはやはりあの廊下トラップであったようだ。オロチ・エリートガードの繰り出すカタナスキルと比べたら、ヤマタ・ザ・エンシェントドラゴンは首が多いだけの、ただの大型ドラゴンだった。弱点はそのまま首。胴体は鎧を着ていて、またウロコもあって防御が厚く、懐に飛び込めば楽勝という相手ではなかった。ビジュアル的にはユーモラスであったが、鎧の意味がしっかりあったわけだ。竜頭たちと戦っていればヤマタノオロチは倒せる。範囲攻撃の麻痺ブレスだけが鬱陶しい。オロチの攻撃力は戦闘時回復を持つキリトが一度わざと受けて確かめた。基本は噛みつきと、咥えて放り投げる二連続攻撃だ。合わせて三割持って行かれた。キリトのレベル二五でこうだから、ほかの人なら四割から五割は喰らうはずだ。ソードスキルがないぶんかなり高めに設定されている。
 情報はそれだけあれば十分だった。
 HPの一段目を削った段階で妖夢とキリトは退き、あとは観戦モード。攻略組の面々がそれぞれの実力に応じた戦いを行うのを、じっと観察していた。新人の中にはフロントランナーに憧れて二刀流を真似する者も何人かいたが、あまりうまく行っているとはいえなかった。人にあらざる動きを要求される二刀流は、ブーストよりはるかに高難易度のシステム外スキルである。おそらく一〇〇人に一人もいないだろう。
 戦闘は順調に推移し、七三人のうちモグリのコペルと回復・報道要員を除く六九人が直接戦闘に参加できた。戦闘は最終局面を迎えていた。現在ターゲットを取っているのは第二レイドである。率いているのはリンドだ。参謀にアスナがついている。第二レイドの後方に控える第一レイドは、ディアベルと魔理沙の黄金コンビが組んでいる。
 第二レイドに所属する八雲紫は回復POT要員として、ボス部屋の扉近くにいる。取材班の射命丸文と犬走椛もおなじ場所に待機していた。周辺では何人かが回復中である。ヤマタ・ザ・エンシェントドラゴンは一撃が大きいので、HPバーがイエローゾーンに入ったらすぐ退く必要があった。ポーションを配る役にコペルも混じっているが、誰も相手にしないので、ほぼ空気だ。やはり誰しも、綺麗な八雲紫からもらうほうを選びたがる。コペルはレベルが低すぎて一撃で即死か数十秒の行動不能ペナルティを受けるおそれがあり、ボスに近づくことすら許可されていない。この回復スペースの護衛役はメイプルこと犬走椛が担っている。フロントランナーにつぐ強さは折り紙付きで、彼女ひとりで剣士数人ぶんの戦力だ。ボス攻略戦であまり前に出てこないのは、強すぎて他者との連携を取りにくいからである。だからといってF隊に入るには力不足という微妙な立場のため、スーパーサブとして控えることが多い。
 HPバーの最終段が黄色をすぎ、いよいよ赤く染まった。ヤマタノオロチがすべての首を上に向け、一斉に咆哮をあげた。
「リンドさん、バーサクです!」
 アスナ参謀の進言に、素早く頷く聖竜連合副騎士長リンド。アスナとほぼ同等の背丈しかないチビ指揮官だ。
「I隊、J隊、距離を取れ!」
 リンドの叫びで、現在前に出ていたI隊とJ隊が数メートル下がった。
 ヤマタノオロチに劇的な変化が起きた。胴体部が青い輝きに包まれたかと思うと、いきなり巨大な翼が生えていたのだ。それを羽ばたかせて、宙に浮かんでしまった。
 それを見てアスナが後ろを向いた。対象は青騎士。
「ディアベルさん! 私たち第二レイドの対処能力を超える敵と判断します!」
「レイド交替! 盾持ち前進、ハウルでタゲ取れ!」
 風林火山などの主戦力は第一レイドに集中させている。もちろん妖夢とキリトも。
 交替はさっと短時間で済んだ。その間、先行した第一レイドの盾持ちが数名、威嚇スキルでヤマタノオロチのターゲットを引き受けた。その中には例のヒースクリフも混じっている。とくに訓練をしたわけでもないのに、皆の動きは澱みなくきびきびとしている。ディアベルの指揮下で戦死者なし。その不敗神話が彼の統帥力を高めている。急ぐべきとき、ディアベルの命令は短くて的確だ。
「ディアベル、空を飛ぶ大ボスは初めてだ。ここは出し惜しみなんかするなよ」
 魔理沙の忠告に無言で頷き、ディアベルは剣を振り下ろした。
「F隊前進、乱舞解禁! 削り切れ! 盾持ちは機を見て後退! 残りの者は横列陣に展開!」
 すかさず妖夢とキリトがハーモニーで叫んだ。
『黒銀乱舞!』
 ヒースクリフへ攻撃していた首のひとつにターゲットを絞り、左右より挟み込んでしまう。妖夢が生死流転斬、キリトが円心流転斬だ。ほんの二秒未満でふたり合わせて九連撃を叩き込み、ヤマタノオロチのHPバーが目に見えて減った。
 すでにヒースクリフは後方へ飛び退いている。
 ただの連続攻撃で終わらないのがいまのフロントランナーである。それぞれ動作硬直をキャンセルし、妖夢がベア・ノック、キリトがシャープネイルを放つ。むろんソードスキルを使えるようにするため、左手の剣は一時的に鞘へと収められている。これだと連携がやや遅れるが、剣を手放すのは確実に倒せると分かりきっているときだけだ。
 妖夢がベア・ノック四連撃最後の刺突を行おうとしたとき、背後に敵の気配を察した。すかさず強制キャンセルして、横へと飛び退く。向かいのキリトも避けている。左右よりほかの首が援護のかみつきをしていたところだった。まともに受ければかなり痛い。
 妖夢はかつてコボルトロード戦でモーションキャンセルができず死にそうな目に遭っている。以来練習にはげみ、おかげさまで即座にスキルモーションの途中停止ができるようになった。ついでに硬直タイムへ入る寸前にジャンプすれば、安全な距離を取ってスキルディレイをしのげる。
 オロチのHPバーを確認すると、たいして残っていない。もう一度乱舞を当てれば倒せそうだった。
 しかしヤマタノオロチはほとんど天井に張りつくほど、六〜七メートルほどの高さで羽ばたいてなかなか降りてこなくなった。ターゲット優先度は大きなダメージを与えた妖夢とキリトに固定されているはずだが――首のひとつが麻痺性のブレスを浴びせてきたが、もちろん当たりなどしない。簡単に避けてしまう。
 オロチが羽ばたきつづけ、十数秒に一度のペースでブレスを吐くという、妙なパターンに入ってしまったようだった。キリトや魔理沙が投剣スキルを使っても反応が薄い。投剣ではダメージが少なすぎて、もちろんこのオロチを倒せはしない。六〜七メートルもの高さをカバーできる対空ソードスキルなんて、まだ誰も使えない。
 そんな状態で一分ほど経ったとき、第二レイドに控えていたアスナが手をあげて、リンドに意見を具申した。それを受けたリンドが得心した表情でディアベルの元へと駆け寄り、内容を伝える。アスナはリンドに花を持たせた形だ。レイド交替の際、緊急だったとはいえリンドを飛び越えて直接ディアベルに言ってしまったことへのフォローだろう。
「F隊、左右に分離!」
 なんてことはない、単純な理屈だ。ふたりが離れれば、ヤマタノオロチのアルゴリズムも変化する可能性が高い。どちらかを攻撃しようとするかもしれない。そこに乗じれば済む。大ボス相手に単独行動など普通なら危険すぎる行為だが、妖夢とキリトは個人としても規格外の超戦士である。
 妖夢とキリトが別れると、ヤマタノオロチはキリトの頭上に貼り付いた。やはりキリトのほうが与えたダメージは多かったようだ。キリトに魂魄流二刀剣術を教えた当初、単位時間に与えるダメージは妖夢のほうがずっと多かった。それは次第に縮まり、並んで、いまやキリトのほうが多い。
 逆転されるまでわずか三週間。
 これほど早く抜かれるとは、妖夢は夢にも思わなかった。さすが天与の才能である。
 今後ダメージ量の差はさらに開いていくだろう。その加速を止める気など、妖夢にはまるでない。時間の許すかぎり、自分のありったけを教え込むつもりだ。キリトが言ったように、習得に何十年もかかる戦闘勘を伝えるのはさすがに無理だが、基本スペックを高めるのであれば可能なのだから。
 妖夢の限界を突破してくれたキリトが、どうしようもなく愛おしい。
 内心で妖夢は、あることを決意した。
 ヤマタノオロチがソロになったキリト目掛けて舞い降りた。やはり一人きりになると慎重よりも攻撃を優先するようだ。HPバーはほとんど残っていない。
 妖夢が駆けつける前に、キリトの乱舞がはじまっていた。頭のひとつへ、まずソードスキルのスネークバイトから。左右往復の横二連撃だが、超高速でまるで一度に斬ったようにしか見えない。キリトのフルブーストによる妙技だ。体術スキルの閃打(センダ)でディレイキャンセル。体術スキルの隙は小さいので、わずかな硬直のあと二刀流となり天界法輪斬。三回転した六撃目で跳躍、縦方向に一回転しつつ左手の剣を背中に戻す。空中でソードスキルに繋げてスラント・アーク。斜め斬り下ろし、返して横斬りの二連撃が決まった直後、体術スキルの月輪(げつりん)。強烈な蹴りあげが決まる。床へと降りながら左手はすでに居合い抜きの準備を整えていた。足が地についた瞬間に硬直が終了、二刀流による吉祥降魔剣の猛攻に入る。コンボはいつまでも止まらない。まさに変幻自在である。
「桜花閃々!」
 反対側より妖夢がリーバーで突っ込んできた。疾走スキルも併用しており、ど派手なライトエフェクトが弾けて通常の四倍近いクリティカルダメージを与える。駆け抜ける寸前で体術スキルを挟み瞬間停止、二刀流に繋げた。ヤマタノオロチはまったく反応しない。体が地に伏し、翼も動いていない。どうも転倒ステータスに陥ったようだった。すべての首が行動不能。チャンスだった。
 ヤマタノオロチがいびつに膨らみ、おなじみの巨大ライトエフェクトとともに花火となって爆散したのは、それから間もなくのことだった。
 勝利に沸く攻略組の面々。もちろん参加者の半分以上が初体験だ。
 二〇人近いアバターが淡く白い輝きに包まれている。レベルアップの光だった。それだけフロアボスの経験値は膨大だ。その経験値の三割近くを寡占した妖夢とキリトも、揃って体が光った。これでレベル二六。
 じつに無難で手堅い戦い方だったと、妖夢は自画自賛していた。
 今後はこの戦い方が標準となるだろう。偵察や手を焼きそうな場面は安全にフロントランナー。それ以外は全員で経験を積む。
 キリトがクイーンズ・ナイトソードを一度軽く振り、感触を確かめるような感じで背中の鞘に入れる。それを左右二度。第七層辺りからはじめた収め方で、さまになってきた彼の新たな癖だ。
 妖夢の正面に特殊なウィンドウが表示されていた。
 すでに何回も見慣れた、ラストアタックボーナスの印だった。
 ゲットしたアイテムは関係ない。キスの指名権を得たことに意味があった。
 ディアベルが拍手しつつ近寄ってきた。妖夢がLAを取ったことに気付いていたようだ。
「第一〇層の勇者は、みょんさん! 女神様のキス、いや今回は王子様のキスだな――白馬の王子には誰をご指名かな?」
「もちろんキリト」
 心臓がすこしずつ高鳴ってきた。
 ディアベルに手招きされ、何も知らないキリトが軽い足取りで近寄ってきた。周囲の男どもよりやっかみと冷やかしの言葉が浴びせられているが動じない。友人といえるクラインですら嫉妬を隠さなかったのだから、ほかの男からどう見られるか、キリトも良く自覚するようになったようだ。その意味でクラインの裏表ない正直なキャラが妖夢にはありがたい。ひとつの指標にできるからだ。
「さてヨウム姫。キリト王子様の登場だぞ。こたびはどこへご所望かな?」
 妖夢は迷わず、はじめての箇所へリクエストを出した。
「口にお願い」
 爆弾発言となった。


※人間と機械とネットがひとつにリンクし、世界と現実そのものがバーチャル化する
 SAO作者・川原礫先生の別作品、アクセル・ワールドの世界観。SAOのパラレル世界未来でもある。

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