戦車物語

旭和ラノベ
原稿用紙換算39枚
 近代欧州で、領地を守るためレオナルド・ダ・ヴィンチの戦車を作った。

 西暦一六七二年初夏。
 大ポーランド王国とオスマン朝トルコ帝国の国境地帯に位置する小国、ワレサ侯国――
     *        *
 夜半――
 深い森から飛び抜けるように、ワレサ侯国の城は存在していた。
 城とその街は低い城壁によって囲まれている。戦場の主役は今や騎士ではなく火薬のため、銃砲を撃つために城壁は山や谷やと入り組んでいた。その様は空から眺めると、まるで星型の紋章に見えて美しい。
 その城壁からすこし離れた外れに、なにかの倉庫を改装した石造りの研究施設があった。
 周囲は静かであった。
 ねむっているのか虫の音は少なく、満月の明かりが静けさに映えていた。
 そんなところに、研究施設から規則ただしい音が響きはじめた。
 ジュー……ジュー……
 擦る金属と、炉炎に煮える水の音――
 蒸気――それは、生まれたばかりの蒸気機関の音であった。
 音は静寂に波紋のように浸透する。響きが調律を保とうとする、調和の秩序が生まれつつあった。
 それなのに、その終息――異変は、突然起こった。
 まず、爆発音であった。なにも前兆はなかった。とにかく爆発によってすべての秩序は崩壊したのであった。
 シリンダーが、前触れもなく破裂したのだ。
 湯気とともに大量の金属片が飛び散り、破損した部分から蒸気の熱流が放出した。
 研究施設内では、運の悪い幾人かが、破片の散弾を受けて倒れている。
 そこに蒸気が充満し、一寸先も見えなくなった。
 松明もいくつかが爆風で消え、室内はすっかり薄暗い。
 研究員たちは、パニック状態となっていた。
「な……なぜこんなことに」
 研究のリーダーであるスカルベック・ワレサ侯爵子息殿下も、ぼうぜんと立ちつくすのみであった。
「殿下! ここにおりましたか」
 スカルベックは突然、腕を引っ張られた。
「いまので炉の排気口がやられました。まもなく爆発しますぞ」
 長年の労働で鍛えられた中年顔が、至近にあらわれた。器械時計職人のアンドワープであった。
「早く!」
 だが、殿下は抵抗しつつ首を横に振った。
「アンドワープ殿、まだ倒れている者が……」
「もう間に合いません!」
 グラフ・アンドワープは固辞する殿下をむりやり危険な部屋から連れだした。
 そして短い廊下を抜け、建物の外に至った瞬間である――
 轟音が、した。
 後方が赤く光った。
 危険を感じた時計職人はとっさに殿下を庇って地面に伏せた。直後、爆風が吹き荒れた。
 ――爆風が去ったあと、起きあがった二人は急ぎ安全な距離まで走った。振り返れば、黒煙が建物全体を包んでいた。
 すすで顔を黒く染めたスカルベックは、自分の体の震えに動揺した。
 ……怖い?
 スカルベックは、おもわず首を強く振った。
 そして周囲を急ぎ見渡す――そこには、脱出した人たちが同じように燃えゆく研究施設を見上げている。だが――数が足りない。もっといたはずだ。
「……みんなは?」
 そのつぶやきの意味をそくざに理解して、アンドワープが答えた。
「逃げられたのは……七割ほどかと」
「逃げ遅れた者を……」
「ダメです。火勢が強すぎます」
 天を焦がすほどの炎である。もはや全焼は免れない。
 それを理解すると、殿下の頭が真っ白になった。
 数秒の空白の後、どうしようもない事実が、認識として頭に刻み込まれた。
「し――死んだのか。僕のせいで!」
 スカルベックは、こみ上げる嗚咽を我慢できなかった。とにかく気持ち悪いのだ。
 城から、爆発事故に驚いた兵たちが、つぎつぎと駆けつけている。とはいえ、燃え落ちゆく建物を前に、遠巻きに見守ることしかできない。
「神よ――――」
 スカルベック・ワレサ殿下にできたのは、ただ一つ。
 懺悔のみであった。
     *        *
 翌朝、謁見の間。
「……蒸気機関の完成は延びたか」
 スカルベック殿下の父、ワレサ侯爵スタニワフは、常に物言いに抑揚がなく、かつ無表情で、感情を出さなかった。
 そこから彼は、周辺国から「黒狐」と呼ばれている。そして通称通りの手腕をスタニワフは持っていた。なにしろワレサ侯国は、スタニワフが建国した若い国なのだ。そしてポーランドやトルコといった超大国の狭間で、二〇年近くに渡って奇跡の独立を保ってきたのだ。
 そんな偉大な父の目前で、ひ弱な印象を否めないスカルベックがうなだれている。その顔はまさに、狼を前にした羊。
 羊の胸中など意に介さないかのように、黒狐ことスタニワフは淡々と続けた。
「時期が時期だから、一度の失敗で計画を中止するわけにもいくまい。南の武器庫を、新しい研究施設にするがよい」
 これでおしまいである。そして無言の強圧だ。退出を促しているのだ。
 が、今日の殿下はいつもとちがっていた。辞さなかったのだ。
 臣下の礼のまま、動かない。
「どうした?」
 侯爵は、父としての問いかけすら、まるで器械人形の語りであった。
「ち……父上、せめて、私の不徳の巻き添えとなって死んだ者たちの遺族に、補償金を」
「彼らは科学に殉じた。契約時に、事故が起きても自己責任だと成文で誓約したはずだ」
 殿下は、いきおいよく立ち上がった。
「それでは、あまりにも悲しすぎます」
 スカルベックは全身が火照っていた。心が、体が興奮していた――なぜだか、まったく分からなかった。
「父上は冷たすぎます。それだから、みなは黒狐だと陰口を叩くのです!」
 周囲の臣下たちは驚いた。学問に身を捧げ、従順でおとなしい殿下が、激情的になったことなどこれまで一度もなかったのだ。
 スカルベックはつづけた。
「トルコ軍はもうすぐやって来ます! だからこそ、科学者たちを大切にして――」
 しかし殿下の抗議は、そこで終わった。
 スタニワフが動いたのだ。侯爵は右手に持っていた錫杖を息子に投げつけた。
 こんどは殿下が驚く番であった。父は一度も、自分にこのような行為をしたことがなかったのだ。まるで腫れ物に触るかのように扱ってきたのに――と、杖は動けない殿下の胸に当たった。服にそって力なくすべり、乾いた音をたてて床に落ちた。
「おまえは、なにも考えるな」
 スタニワフは、なお能面を維持しつつ言った。
 ――考えるな?
 スカルベックは、意味を理解しかねた。
「おまえは人の死を前にして、ただ戸惑っているだけにすぎん。私に八つ当たりをするとは、まだまだ子供よ……」
 スカルベックは羞恥心で、身が裂けそうになった。
「……子供よ子供。私は大人だ。子供は口出しをするな。これは帝王学なのだ、黒狐で結構、冷たくて結構」
 そして座を立ち、
「気分が悪い……他の謁見は午後に回す。解散だ」
 最後まで冷静を保ち、鉄面皮のまま退出した。
 皆が散ってゆく中、殿下は広場の真ん中に立ちつくしていた。
 ――父上は、僕が信用できないのか?
 つぎの瞬間、殿下は首を振って否定した。はだはだしい見当違いの責任転嫁ではないか。
 と、そこにロシアひげの老軍人が近寄ってきた。
「――チャルトリスキー将軍」
 忠誠誉れ高き「ひげ」と勇名を馳せるタデウシュ・チャルトリスキー将軍は、殿下の足下に落ちた錫杖を拾い上げた。
「殿下、侯爵様のために人一倍頑張られるお姿は、それでほほえましいものがありますが……」
 スカルベックは悔しさを隠し、うなずいた。
「わかっている――もう、失敗は許されない」
     *        *
 黒狐侯スタニワフ・ワレサは、窓がひとつしかない薄暗い小部屋で濁り酒を飲んでいた。
 ――おまえは、なにも考えるな。
 杯を飲み干す。
 ――亡き父上の『迷言』を、ついに私も使ってしまったか。血が繰り返すなら、あいつも私と同じ道を辿るのか……認められようとして果たされず、反抗して心を閉ざし、狐めと罵られるように……
 自分で酒を注ぐ。
 ――せめて末のあいつには、私のようになって欲しくない……そう思って、学問だけやらせていたのだが……
 そこに、側近のチャルトリスキー将軍が入室してきた。侯爵に錫杖を渡す。
「ひげ」
「……はい」
「スカルベックは……優しすぎるな」
「はい。ですがさすがはスタニワフ侯爵様の子。ポーランドやトルコの侵攻に臆するどころか、蒸気の戦車を創ろうと、なかなか頑張られておりますな――体を壊さなければよいのですが」
「だがあいつは、為政者に向かぬ……あいつはやはり学問の徒だ……」
「ですが、世継ぎはもはや末のスカルベック殿下ただおひとり」
「ああ、わかってる……わかってるさ」
 スタニワフは、ため息をついた。
「みな死んでしまった――もうあいつしかいない。だからあいつは頑張っている……認めよう。それはな……だが――」
 スタニワフは酒を一気に飲み干した。
「だがな、ひげ、私はあいつに、ただ一人帝王学を教えなかったあいつには、変わって欲しくないのだ……」
 ひげ将軍ことチャルトリスキーは、やや戸惑って、
「ですがそれは……」
 口を濁す。それにスタニワフは軽く怒ったように、
「思うところがあれば遠慮なく言え。私のことは赤子のときから知ってるくせに」
「はい……父としては立派でしょうが、一国の主としては、わがままに過ぎるかと」
 スタニワフは肩をすくめた。
「わがままか。よし、今のは冗談だ、忘れろ」
「はあ……」
 ひげ将軍は困ったように頭を掻いた。
 黒狐侯は別の杯を老将軍に差し出した。
「ハンガリー産のいい酒だ。昼間だが、おまえも飲むか?」
「――ぜひ、つき合いましょう」
     *        *
 一年前から、北の超大国ポーランド王国と南の覇者オスマン朝トルコ帝国が、戦争状態に突入していた。
 両国の狭間にあったワレサ侯国は、戦場となって両陣営に踏みにじられた。各地で大国の軍隊による略奪や暴力が相次ぎ、受けて立ったワレサ軍はしかしポーランド軍とトルコ軍双方から攻撃を受け、さんざんに敗退した。この戦いで、スカルベックの兄たちは全員が還らぬ人となった。
 一人残って世継ぎとなったスカルベック殿下は、事態を打開しようとして、一世紀半ほど前にレオナルド・ダ・ヴィンチが考案した『戦車』なるものを創れないか提案した。学問殿下らしい奇抜な発想であったが、なんとそれを是としたスタニワフはなけなしの金をはたき、教会の迫害を受けていた西の科学者や技術者たちを、バチカンからの破門を覚悟で大量に迎え入れたのだ――すべては、勝利のために。
 ところが、彼らの三割もが事故で失われた。生存者にも寝込んでいる者が少なくない。
 彼らのリーダーであるスカルベック殿下は、臨時に増設された病室にいた。
「……すまない、サケッティ殿」
 目の前のベッドには、右腕と左足に火傷を負った、若い女性が寝ていた。名
はルイーサ・サケッティ。女性としては非常に珍しい建築家であった。だからこそ迫害を受け、ワレサ侯国に流れてきたのであろうか……
 サケッティは、つとめて明るい顔をして、無事な左手で殿下の額をつっついた。
「なにを言いますか。たしかに、まだ理論段階でしかない蒸気動力の発明を最初に呼びかけたのは貴方だけど――あの爆発はやはり、関与した者全員の連帯責任よ。私も炉の設計に口を出していたわ――」
 サケッティはスカルベックの手を握った。殿下の頬が、みるみる赤くなる。
「――失敗は、成功で償えばいい。今回のことで離れる者もいるでしょうけど、その結果、あなたや私のように、骨の髄まで技術中毒に侵された精鋭部隊が生まれるでしょうよ」
「あ……ありがとう、サケッティ殿。勇気が沸いた」
 スカルベックは、サケッティの炎にも似た躍動的な性格に惹かれていた。それはまさに、父の役に立ち、かつ故郷を守りたい、今のスカルベックが欲しくてたまらない要素なのだ。
「僕は、こんどこそ、蒸気機関を、そして戦車を創ってみせよう! ――あの日、図書室で大レオナルド先生が思案した戦車……戦場を駆け、すべての戦いを勝利に導く魔法の車のことを知ったとき、僕は、これなら勝てる、と思ったんだ――」
 いつの間にか、みんながスカルベックに注目していた。スカルベックは、みんなを見回した。
「そしてみんなが来て、蒸気機関があそこまで動いた。成功目前だった! だから、創ろう! もう一度創ろう!」
 袖をまくり、スカルベックはガッツポーズ。それにみんなが乗って「そうだ!」と続いた。
 事故のときに殿下を救出したアンドワープなどが、さらに煽り立てる。
 にわかに喧噪の渦に包まれた簡易病室にあって、ひとりサケッティは苦笑していた。
     *        *
 それから一月が過ぎた。
 新しい蒸気機関の、試運転の日が来た。
 この日のために、大量の資材と、多くの新発想が投入された。
 早朝、うすい霧が立ちこめている。
 夏とはいえ、内陸である。すこし寒気がする。
 南倉庫前には、大勢の人々が集まっていた。
 スカルベックは、白い空を仰ぎ見た。
 問題は冷却と強度であった。今回は冷却機構を強化し、量産に成功した強い鉄、『鋼』を使い、テストも一番寒い時間帯を選んだ。
「大丈夫だ」
 殿下は独白した。と、スカルベックの手を握る、やわらかく、かつ暖かい感触。
 サケッティだ。彼女は無言で頷いた。
 ――成功するわ。
 そう解釈すると、スカルベックも頷き返し、指を鳴らした。
 すると、グラフ・アンドワープが歩き出し、一人で倉庫に入っていった。
 彼は振り子時計で有名なネーデルランドの熟練時計職人であった。
 石炭炉にはすでに火が入っている。
 アンドワープは、安全弁を閉じに行ったのだ。
 ――危険な目に遭うのは一人でいい。
 と言ってくじ引きを呼びかけ、自分で引き当てた上に、笑って受け入れた。
 わざと図ったな……
 だれもがそう思っていた。
 薄暗い研究室の中で、アンドワープは巨大で複雑な総鋼鉄製の機械を見上げた。
 炉の空気取り入れ口だけが明るい。炉の上にはボイラーがあり、中の水が沸騰して、弁から大量の蒸気が出ている。
 蒸気機関は、沸騰した水が膨張する圧力を利用した、連続動力である。
 いまの機関はまだ、動力ではない。動力部に至る圧力をすべて、逃がしているからだ。
 時計職人は安全弁のコックに手をかけた。体中から汗が吹き出る。
 ――もし失敗すれば……いや、南無三!
 アンドワープは、一気にコックをひねった。
 弁が閉じる。行き場を失った蒸気が狭い金属パイプの中を高速で進んだ。蒸気はすぐにシリンダーに達し、ピストンを押した!
 グゴゴ……ゴトン……
 ……シュゴー……ゴトン……シュコー……コト……シュー……コト……シュ……コト……
 右、左、右、左……巨大なやじろべえ状の腕が、支点を中心に規則正しく振れだした。
 この瞬間、蒸気機関に命が与えられたのであった。
 アンドワープは、はじめて経験する金属の規則運動を、しばらく見つめていた。
「や……」
 心拍が人工調律の四倍に達したところで、
「……やったぞ!」
 グラフ・アンドワープは大声を発して感激に震えた。
 外まで響いた奇声を合図に、倉庫の前では歓喜の大合唱が始動した。
 スタニワフは、いきなり息子に笑いかけた。
「……戦車の件は、第二段階に移るな。どうやら期待してもよさそうだ」
 錫杖を突き、ひげ将軍を伴って城に戻った。
 スカルベックは、信じられないという顔をしていた。
 ――父上が、笑ってくれた! 鉄面皮を崩さなかった父が、態度で示してくれた。
 まさに、生涯最高の瞬間の一つであった。
     *        *
 それからさらに、一ヶ月近い時がすぎた。
 東のロシアは農民戦争の痛手で、西のハンガリーはドイツの干渉で、余裕がない。
 それをいいことに、北のポーランドと南のトルコは、小規模な会戦を幾度となく繰り広げていた――そしてついに、ワレサ侯国全土の無血併合を、双方が求めてきたのだ。
 それこそ、ワレサ侯国が息を呑んで待っていた、最終通告に他ならなかった。
 だがそのとき、切り札である戦車はすでに完成していたのであった。
 城の無血開城を迫るべく、トルコの示威部隊がワレサ侯爵の城に迫りつつあったある日――
 命運を決する、御前会議が開かれた。
 皆は完成した戦車で、迫り来るトルコ軍といかに戦うかを議論していた。逃げようと言う者など一人もいなかった。
 そのような臆病者は、すでに城から逃げ出していたのだ。そして彼らがどういう運命をたどったかは、想像に難くない――多くの者が敵軍に見つかり、強奪を受けてみじめな死体を街道にさらした。愚かにも全財産を持って、戦場を抜けようとしたからだ。
 だが――だが、スタニワフは恐るべき結論を発表した。
「……国を捨てることにした」
「戦うべきです! 自らが開拓し育てた国、という誇りが、兵たちにはあります」
 さしもの忠臣チャルトリスキー将軍も、白いひげを揺らして反対した。
 対する、侯爵の論旨は明確であった。
「精神力では勝てぬぞ」
「戦車があります!」
「スカルベック、たしかに強いだろうが――一台で何ができる?」
 これにスカルベック殿下は反論できなかった。
 そして他の者が、
「民はどうなりまする!」
 と尋ねたが、侯爵はまたもやはっきりと答えた。
「トルコにとって『外国』のままでいる今が、民にとってもっとも危険極まりないのだ。帝国の民ともなれば、トルコ帝国は白人にいきなり寛容になるという。民というものは生活さえ保障されれば、為政者にはこだわるまい――」
 ――すなわち、民はトルコに任せ、侯爵一族と有志は、一戦もせずに脱出する。
 さらに驚いたことに、スタニワフは密かに北のポーランドに密使を送っていた。
 ――我らの国を譲ろう。だから一族ごと引き受けてくれ。
 それに対し、ポーランド王国はスタニワフ・ワレサを伯爵(降格!)に叙し、ワルシャワ近郊に領地を与える旨を伝えてきていた。
 形式上は、すでにワレサ侯国はポーランド王国の一部であり、戦争の最前線なのであった。
 だから併合したばかりのポーランドにトルコ軍がいようと、それは戦争の一過程であるから、ポーランドをだましたことにはならない。ポーランド軍は、全力をもって自国の領土を守るために戦うのだ。だが大ポーランドは首都が遠いこともあり、トルコ軍に押され気味である。おそらくこの地での戦いは、トルコが勝つだろう――
 なんということだ。
 皆は驚愕を隠しきれなかった。
 スタニワフという傑物は、トルコとポーランドを手玉に取ろうというのか!
 失敗すれば、殺される可能性も高いというのに――なんという冒険だろう。
 だがこれらは、おそらく眠れぬ夜を重ね、考えに考えたすえに決意したことだろう。
 さすがに合理主義の黒狐。創建の熱意のままに、愛国に殉じるという消滅の美学には、ついに毒されなかったのだ――誰もがそう考えた。いくら戦車があるとはいえ、最終的に勝ち続けるだろうと考える脳天気な者など、ここには一人もいなかった。だれもが、せめて一矢報いようという、悲壮感をもって会議に臨んでいたのだ。
 しかし国の主は、あくまで生き残る可能性を選択した。せっかく開発した『戦車』を使おうとは、考えなかった――そうか、なにせ戦車を使うことは、我々が死ぬまで戦うことを意味していたのだから……だが生き残れ、と侯爵はおっしゃる。わかりました。戦車を使わないのは惜しいが、潔く従いましょう。
 ――と、誰もがむりやり自分を納得させたときである。
「とはいえ、オスマン=トルコ軍は優秀だ、おとりが必要だろう。私が戦車でトルコ軍を引きつけよう」
「父上!」
 スカルベックを含め、誰もが心底から仰天した。
     *        *
 戦車は、最強の地上機動兵器に冠する名称である。
 大昔、戦車は世界中で活躍した。
 それは複数馬の馬車という代物であった。
 やがて馬具・乗馬術の発達により単騎の戦力が向上し、戦車はその効力を失った。
 だが、レオナルド・ダ・ヴィンチは『車』の持つ突進力・衝撃力を再定義してみせた。
 彼はある王に宛てた手紙でこう述べた。
「私は『鎧車』なる無敵の荷車を考えました。矢も槍も跳ね返す鉄の冠を被った車に人が乗り、その後を兵士が続けば、どのような敵陣も崩れましょう。そうすれば、どのような大軍にも勝てましょう」
 しかしこの時代では、重い鉄の覆いを支える車輪など存在しなかったし、存在しても人力ではとうてい動かせない重さにちがいなかった。
 レオナルドの発想は、時代をいささか先取りしすぎていたのであった。
 だが、今、蒸気機関を得て、戦車が生まれた。
 城近くの丘陵地帯――
 朝日が昇る彼方に、戦車が登場した。
 巨大なおわんをかぶせた、黒い金属の車。
 山熊のような威圧感を発散している。
 対峙するは、トルコ軍約二〇〇〇!
 強力な単発銃と曲刀で武装した軽快なトルコ騎兵と、水滴状のとんがり兜が
妙に目立つ軽装の歩兵部隊。
 トルコ軍の将軍ハッサンは、戦車を目の当たりにして、文字通り度肝を抜かれた。
「な……なんだあれは!」
 となりの下士官がすかさず報告する。
「あれこそ戦車です」
「判っておる! だから、なぜ、敵はあれのみで、ほかには一兵すらおらぬのだ?」
「あの車にワレサ侯が乗り込んだという間者の報告があります。もしや、親族を逃がす陽動かと」
「どこに逃がすというのだ? はん、ポーランドか。やはりぎりぎりでは同じキリスト教圏のほうがいいというわけか? イスラームの寛大さを食わず嫌いで拒絶するというわけだな。だが、情報ではワルシャワは黒狐を消すつもりのはずだぞ……まあいい、こちらはおバカな侯爵殿を引き裂くとしよう」
 一方、戦車の車内。
 スタニワフは、慣れぬ手つきで戦車を操縦していた。じつにひどい乗り心地である。
「老人の遊びにつき合わせてすまないな」
「高齢を武器にするには、まだ若いですわよ、侯爵様」
 戦車には、なんとルイーサ・サケッティも乗り込んでいた。
「……お前も、死ぬにはいささか早すぎるのではないかな?」
「いいのよ――私は、トルコに仕事と恋人を奪われた恨みがあるから」
「――もしや、クレタ島に住んでいたのか」
「あの島は、女だてらの私が建築家としてやっていけた唯一の場所だったわ。
だから戦車計画に参加したの」
 オスマン=トルコ帝国は三年前の一六六九年、ヴェネチアからクレタ島を獲得している。サケッティはその混乱で恋人を殺され、脱出した結果として天職も奪われたのだ。たんなる政治的駆け引きだったにせよ、国家とは、なんと罪作りなものなのだろう――自ら国を放棄しようとしているスタニワフは、複雑な想いであった。会議ではああ言ったが、ワレサの地が安定するまでには、おそらく多くの血が流されるだろう。
「――だからこそここで戦い、侯国六万の民に詫びよう……私も、バカになったものだな」
「……それにしても、最近、すっかり表情が豊かになりましたわね、侯爵様」
「まったく、頑張ることしか知らぬ、あほ息子の悪い影響だな……」
 照れ隠しの咳をすると、スタニワフは軽砲の発射窓を開けた。
「そろそろ行こうか、レオナルド号」
 レオナルド号が、最初の砲撃を響かせた。
     *        *
 そのころ、北のポーランド領目指して、一五〇人ほどの小集団が街道を進んでいた。
 スカルベック率いる、脱出隊である。
 馬上にあり、スカルベックは悩んでいた。
 戦車には、自分が乗るべきではなかったか。
 彼は思う。
 ――かつて、母上が病で亡くなったとき、父上は母上の亡骸に会わなかった。
そのときは冷たい人だと思ったが――今はこう思われてならない……もしかして隠れて悲しんでいたのでは? と。なにしろ父上は、なにかあると一人隠れて、ひげ将軍と酒を酌み交わす癖があるという……そういえば、あのときもひげ将軍はいなかったではないか!
 学問殿下は断定した。いや、ようやく気が付いた。すると、不思議なことに、無性に父を救いたくなった。
 ――父上!
 殿下は、こみ上げる想いをサケッティにうち明けたくなった。炎のような彼女なら、もしかして策を授けてくれるかもしれない――スカルベックは、自分が学術的発想以外にはあまり有能ではないことを自覚していた。
 だが――ところが、サケッティが見あたらない。
「……もしや、戦車に!」
 大いにありえた。いや、まさにその通りであったのだが。
 殿下はいそぎチャルトリスキー将軍のところに馬を進め、戻ろうという意志を伝えた。
「だめです」
 ひげ将軍は、頑迷なまでに拒絶した。
「私の任務は、殿下を無事に送ることです」
 勅命を厳守する見事な忠誠だが、いまの殿下にはかえって腹立たしかった。
 そのとき、隊の最前列で急に騒ぎが起こった。
「……伏兵だ! 裏切りだ! ポーランド王国軍が、こちらに襲いかかってくるぞ! 殺される!」
 駆けてきた時計技師のグラフ・アンドワープが、恐怖にひきつった顔で殿下らに報告した。
 仰げばたしかに、ポーランド王国軍の軍旗が遠くに見える。しかも歩兵たちは槍をこちらに倒し、さらに銃を持つ一隊が横陣を組んで小走りで向かって来ている――確認するまでもない、完全な臨戦態勢だ。掃討対象は我々に違いない。ただ王国軍のプライドがあるためなのか、奇襲せずに堂々と布陣しているあたりが間抜けだが。
 このあたりが、ポーランドやハンガリーが、いまいちトルコに勝てない理由だろう。騎士道など、はるかな昔の遺物だというのに。いや、かつて本当に騎士道というものがあったのかさえ、学のあるスカルベックには疑問の種であった。どうにも騎士道とは近年生まれた、無知無策無能を隠す言い訳のように思えてならない……
 と、いきなりスカルベックの目の前で、タデウシュ・チャルトリスキー将軍が我が意を得たり、という表情に一変した。
 叫び一喝。
「やっと牙を剥きおった!」
 なんだ? と呆然とするスカルベックにひげ将軍は笑いかけた。
「殿下、裏切り者に一泡吹かせてやりましょうぞ! ついでに、これで侯爵様をお救いできますぞ」
 スカルベック殿下は、すぐにひげ将軍の意図に気づいた。
「今度ばかりは、最初から命令を破るつもりだったんだね!」
「いやなに、侯爵様は、死なせるには惜しい御方ですので。これも忠誠の形ですよ」
     *        *
 数時間後――
 戦車は煙突から大量の煙を出し、てきとうに砲を撃ち、丘陵を縦横無尽に巡っていた。
「つ……強いぞ! あの変な鉄の車は!」
 トルコ軍は一台の戦車に翻弄されていた。
 槍も銃も、鋼鉄装甲に阻まれる。砲は相手がつねに動くので狙いを付けられない。
 飛び移ろうにも、溶接加工によって継ぎ目もなく、表面は滑らかにすぎる。
 うかつに前に出れば、ひき殺された。
 足が鈍く、武装も二門の軽砲だけなのに、戦車という存在はじつに恐ろしかった。
 トルコ軍は、陣を乱して積極的に戦車を避けはじめた。
 戦いは、陣が崩されれば兵が動揺し、半ば負けたのと同じになるという。
「もしあの車の後から騎兵が突撃でもすれば……おそらく、三倍の兵にも容易に勝てるだろう……驚嘆すべき新兵器だ」
 ハッサン将軍は、額に冷や汗を垂らした。
 敵は未知数、圧倒的に情報が不足している。
 慎重に対処せざるをえない。
 一方、戦車のほうは、じつは限界が近づきつつあった。
 サケッティが、墨色の顔でわめいた。
「燃料が……石炭の残量が少ないわ!」
「それ以前に、すでにシリンダーが臨界温度に達しようとしているぞ」
 スタニワフも、アルコール温度計のコイル状の表示管を見て青くなっていた。
「外の温度が高いのよ。もう、蒸気機関を動かすには危険な温度だわ」
「――朝しか動けないとは、欠陥品だな」
「あたりまえよ、まだ二号基目だもの。こういう複雑な技術は、何年もかけて、ゆっくりと個々の欠陥を埋めてゆくしかないわ」
「まあよい、さいごまで暴れてやる! 突撃!」
「そうよ、突撃!」
 と、つぎの瞬間、どこからともなく聞き慣れぬ鬨の声が聞こえてきた――
 不審に思ったルイーサ・サケッティは、小窓を開けてびっくりした。
 的にしてよ〜としか主張していない、無意味なほどに華麗で派手な軍服に身を包んだ、長槍と旗指物がやたらと目立つ、歩兵と騎兵の集団――
「ポーランド王国軍だわ!」
 なんと、トルコ軍とほぼ同数のポーランド軍が、いきなり丘陵に現れたのだ。
「なぜ、ポーランドの連中がこんなところに!」
 トルコ軍は浮き足だった。
「しまった、トルコ領に近寄りすぎた!」
 ポーランド軍も動転した。
 とにかく、政治的に敵対する者同士である。
 地上から消えつつある小国の戦車など無視され、たちまち壮絶な遭遇戦が開幕した――
     *        *
 レオナルド号は、これ幸いと戦場を抜け、ある池のほとりに向かった。そこにはちょっとした窪地があり、木々が戦車を隠してくれることを、スタニワフは知っていた。
 蒸し暑い戦車から躍り出た侯爵は、思わぬ再会に狐につままれたような顔をした。
「……息子よ、なぜここに?」
 まるで申し合わせたかのように、窪地にはスカルベック殿下たちの一行が待っていた。
 スカルベックは苦笑いをした。
「待ち伏せていたポーランド軍に、かっこうわるく追われただけですよ」
 説明を受けた後、侯爵はひげ将軍と握手を交わし、目を細めて息子の頭をなでた。
「なんとも私が甘すぎたようだ、狐の名を返上しないとな……それにしても、おまえやひげに、そういう面があるとはな……」
 そこに、炉を停止させたルイーサ・サケッティが戦車から降りてきた。
「やはり、見えないと思った貴方も……」
 スカルベックはおもむろにサケッティに近づくと、平手で軽く――彼女の頬を打った。
 サケッティは、気が抜けたような顔をした。
「僕は……女性を囮にして生き延びるような卑怯者にはなれない。ましてやそれが、いとしいサケッティ殿なら――なおさらです」
 頬をさすって、すこし照れを含んで、サケッティは涙目でほほえんだ。
「そうね、ごめんなさい……これでいい? かわいい年下の殿下さん」
 スカルベックは、顔を真っ赤にして頷いた。
「やりますな殿下!」
 グラフ・アンドワープが大声で笑った。
「ですが、一人称が『ぼく』では、いささか口説く迫力に欠けますなあ!」
 それで緊張が解けたのか、みんなは一斉に笑いはじめた。
 しばらくして笑いもおさまったころ、侯爵が深刻な現実問題を持ち出した。
「さて、どこに行こうか……」
 すかさず、スカルベックが西を指さした。
 ――アメリカの新天地がありますよ。
 天空を、一羽の大鷲がゆうゆうと旋回していた。
     *        *
 西暦一六七二年夏、ワレサ侯国はオスマン=トルコ帝国に併合され、二〇年あまりの短い一生を終えた。この国が存在した記録も跡も、現在には残されていない。
 レオナルド・ダ・ヴィンチが発想し、スカルベック・ワレサらが実現させた奇怪な戦車は、その場で池の底に沈められ、二度と発見されることはなかった。
 蒸気機関、転炉、鋼鉄、ペダル、溶接、油圧機、内燃動力……時代を数十年から一〇〇年は先取りしていた各技術は、日の目を見ることなく、歴史の闇に消えたのである。
 新大陸に去った発明者とともに――
 ちなみに、戦車が再登場するには、なんと一九一五年まで待たねばならない。
     *        *
     了 2000/04

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