第七話 恐竜狩りと新天地

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 すべての者が興奮していた。
 航海二カ月。その間に、戦いや嵐もあった。死と、未知との隣り合わせのなかで、意識の統一をこれほどの長期間にわたってなしえたのは、まさに奇跡としかいいようがない。航海の指導者はようやく成人の儀式を経たばかりの若者二人で、造反行為がその計画さえなかったのは、ほんとうに補佐した者たちの努力の賜物であった。
 そのことを、ウンラー、クアーダは十二分に理解していた。
「ありがとう、君たちのおかげだ」
 見つけた陸地はちょうど遠浅の浜であった。小船で上陸したその場所で、まずふたりは叙勲式をおこなった。
 にわか作りの勲章を与えられたのは、ターエン、ガナス、ブルーギル、各船船長、そして陸地第一発見者のヒムケットである。儀式はほんの数分で、手短かに執行された。
 叙勲の対象となった者たちは、みなそれなりに満足げな表情であった。歴史的大事業に参加し貢献しているということを客観的に評価され、正式に惜しみない感謝を受けているのである。自分の行動の成果を賞賛されて、うれしく思わない者は、そうはいまい。
 式が終わると、いよいよ現実的本題に取りかかる。すなわち、この地域の調査と、食糧の調達である。
 船に残る者はほとんどいない。ほぼ全員が、各作業に参加する。なにせ現在、船団に残存する食糧は、どんなに切り詰めても九日しかもたないのだ。問題は切迫していた。
 上陸した者は八五〇人。そのうち、浜に野営の準備をするために二五〇人が残り、探索に参加するのは六〇〇人である。
 ウンラー、クアーダ、ブルーギルは浜に残留することになった。こういうことは、やはり地位よりも経験、能力を優先したほうがいいにきまっているのだ。
 周辺の学術調査を、ターエンを中心とした三〇人ほどの学者団がおこなう。その護衛、先導に七〇人の人員を割くため、じっさいに食糧探索をする者は五〇〇人であった。五〇〇人のうち、近隣の森林での採集、狩りに四〇〇人が参加し、これらはガナスが指揮する。
 そしてやや遠方まで捜索範囲を広げるのが、サイオス指揮の一団であった。全員が船に乗せて中原からつれてきた竜に乗る。
 酒飲み将軍は捕虜のはずであったが、いつのまにやら食客あつかいになり、さらにいまではすっかり船団の仲間で、上層部の一員でもあった。みなに信頼されているのだ。
     *        *
 出発直前、サイオスはカーリヤを駆けてガナスに自分の雄姿を見せびらかした。
「ふふふ、ガナスよ、どうだ。これを見れば、俺の武勲がけっしてカーリヤのものではないということが分かるだろう」
 天牙竜は二足で歩く。カーリヤのすらりとした首、長い尾。肉食ゆえその目は鋭く、牙は鋭利な刃物だ。首の付け根に反り鞍を付け、そこにサイオスが納まっている。専用の鐙は足に合い、着ている皮鎧は相変わらず完璧な手入れがなされている。将軍の頭から伸びる濃灰色の双角は、天牙族の勇者にふさわしく、長くて太い。
 様になるどころではない。似合いすぎている。絵に描いたら、客間の壁に飾っておきたい、そんな凛々しく勇ましい姿だ。ガナスは正直にサイオスを誉めた。
「ま、これなら鬼竜でも仕留められるだろうさ」
 鬼竜は巨大な二足歩行の肉食恐竜である。近縁でさらに巨大な恐鬼竜がいる。中原では害竜として完全に駆逐されており、周辺では北方高原や西方にいるだけだ。物語にしか出てこない鬼竜を、ガナスは見たことはない。
「それにしてもよ、サイオス……まだ根に持っているのか? あのことを」
「ふんっ。長い船の生活で、俺の本領がずっと発揮できなかったんだ。これぐらいの意地悪は許されると思うのだがな」
「それもそうだな……」
 ガナスは破顔した。それにサイオスもつられて笑う。やっと上陸したという安心が、食糧不足という難題を前にしながらも、心に余裕を持たせているのだ。
「お父様、もうみんなの用意は出来ているわ。あとはお父様だけよ」
 そこにアーシャが、走牙竜に乗ってやってきた。後ろにはフィーンが乗っている。走牙竜は天牙竜とおなじ小型の肉食竜であるが、天牙竜にある翼は存在しない。かわりに後ろ足の爪のうちの一本が鍵爪状で、おおきな弧をえがくように動かすことができる。これは獲物にすさまじい力で突き立てることができ、口元にならぶ牙よりも強力な武器となる。
 アーシャはかつてラー二一六に乗り込んだときとほとんどおなじ服装である。短裾半袖の外軽衣で、胸当てを付け、小刀を携帯しているところが、狩りに行くということを暗に告げている。侍女のフィーンもまったくおなじ服装であったが、かなり恥ずかしそうだ。なにせこの服は少女用であって、女の子から大人の女性へと成長しつつあるフィーンには、相当な抵抗があるのだろう。
「ほう……さすがに将軍の娘であるだけあって、なかなか騎竜姿が似合いますな」
「そうだろう、ガナス」
 そしてサイオスは娘に笑いかけ、
「いま行く」
 と言い、ガナスに
「あまり足ばっかり見るな。この助平」
 と小声で注意すると、手綱を打ち、颯爽とカーリヤを走らせて、竜たちが集結している方に向かっていった。その後をアーシャの走牙竜も追いかける。
(ちっ、ばれていたか)
 それを見送りながら、ガナスは心のなかで舌を出した。
     *        *
 三〇人の学者団は、七〇人の兵士に守られながら、深い森を調査しながらゆっくりと進んでいた。
「おかしい、おかしい、おかしい……」
 ターエンはさきほどから、おなじ言葉を連呼し続けていた。
「ここはどこなんじゃ? まったく見知らぬ土地なのか? 西方ではないのか?」
 そして上を見上げる。森だ。ただし、木々は中原のものとはまったく違った植物で構成されている。
 木はいずれも幹が太く、巨大だ。しかしまったく枝はなく、高い先端にシダみたいな葉がぼうし状のようについているのみである。
 巨大なシダに似た裸子植物群――それだけが、視界いっぱいを埋め尽くしている。それは、中原ではとうてい拝むことのできない、不思議な光景であった。
「なんという植生じゃ」
 ターエンはうなる。周囲の学者たちも同様である。あまりにも中原とは異なる自然に、とうとう学者たちは調査どころではなくなり、一度集まって話し合うことにした。
 ひとりの中年の学者が、困惑した顔でターエンに話しかけた。
「ターエン様、これはどういうことでしょうか」
「わしに聞くな。『賢者』と呼ばれているからといっても、なんでも知っているわけではないぞ。自分で考えるんじゃ」
「……すいません」
 ターエンは学者たちを見回した。
「こんなに巨大な裸子植物を見るのははじめてじゃ。わしの知る範囲では、西方、南方、北方、いずれにも記録はない。誰か、これに関するなんらかの情報を持つ者はおらぬか?」
 しかしこの質問にたいして反応を示す者はいなかった。ターエンはややがっかりした顔をしたが――
 ターエンはひとりの若い学生風の女性が、遠慮がちに手を挙げているのを確認した。あまりにも目立たなかったので、つい見落としそうになったが、ターエンは奇跡的に彼女のちいさな右手が掲げられているのを見つけたのだ。
 その女性は、見た目は二〇代前半といったところで、背は女としてはやや低いほうである。うす紫色の目を持ち、手入れのされていない赤紫色の長髪は無造作に束ねてある。着ている服は科学技術院の制服であるが、銀の学者章を付けているから学生ではない。
 ターエンは、その女性の名前をなかなか思い出せなかった。ターエンは学者全員の名前を知っているはずだが、年のせいかときどき脳から情報を引き出すのに時間がかかる。
「たしか君は――」
「ユイリです。科学技術院で準学者(助教授)の資格を受けています」
「そうじゃった。化石屋、生物屋のユイリか」
 ユイリは数少ない、化石学者である。化石は生物学の範ちゅうであるから、生物学も修めている。
 この時代、化石が過去の生物の死骸であるという考えが、ようやく科学文化同盟圏で広まりだした時期であった。それまでは、化石は創世の神がつくり損ねた生物のなれのはてだと、ムック、ウゼラ両勢力圏で言われ続けてきたのだ。
 ユイリは化石というものが持つおおきな学問的可能性を信じて、希少な科学世界に飛び込んだ口である。
「ユイリよ、君はこの未知の巨大植物をどう考える?」
 全員が彼女に注目した。見た目にも内気だとわかるユイリは、すっかり緊張した様子であった。彼女がなかなか言い出せないのをみんながややイライラした気分で見守っていると、彼女の両隣にいたふたりの若者が、同時に彼女のそれぞれの肩に手を置いた。
「大丈夫だよ、ユイリ。君なら出来るさ」
 左肩に手を掛けたうす茶色の髪と目の若者が、ユイリを励ました。彼女とおなじくらいの歳の、地理学と地質学を修めている準学者のウェーラである。
 もうひとりの男はウェーラをすこしにらんで、
「そうですとも。この場でこの森のことを説明できるのは、貴方をおいて他には誰もいませんよ」
 と、やはりユイリを応援した。彼は社会学者のラルクスで、年はふたりよりすこし高めであるが、三〇まではいっていない、赤っぽい黒髪と黒目を持つ好青年である。彼は民俗学も研究しており、航海に参加した理由はむしろこちらの関係であった。
 ふたりの若い男の橋渡しで、化石学者ユイリは勇気が沸いたようである。
「ラルクス、ウェーラ。ありがとう」
 ユイリはふたりに微笑みかけると、二、三度深呼吸をした。そんな彼女の後ろで、ふたりはお互いをにらんで牽制しあっている。
「みなさん、この森の植物ですが、じつは私はこれとおなじものを見たことがあります」
 ユイリが説明をはじめるとふたりはすぐににらみ合いを中止して、彼女の台詞の一字一句も聞き漏らさまいという真摯さで、内気なユイリを見つめはじめた。
     *        *
 ガナスたちは有効な食糧を見つけられないので困惑していた。
 双角竜人の主食は肉であるが、雑食性でなんでも食べることができる。したがって、サイオスたちが大型動物を狩りにいき、ガナスたちは食べられる木の実などを採集しにきたのだ。もちろん、トカゲなどの小動物がいたら、即捕まえるくらいのことはする。
 ガナスは部下たちが次々と持ち寄る正体不明の植物やコケ、茸などが積まれてある山を傍目で見ながら、嫌そうな顔をしていた。
「まったく、なにかの実くらいはないものかな……こんなわけのわからないものばっかり、どうしろってんだ」
「隊長、こんな動物がいました」
 そこに、水夫のひとりがちいさなヘビともトカゲとも判断のつかない細長い生き物を連れてきた。棒などでたたいたのか、ぐったりとしている。
「なんだこりゃ?」
「わかりません。沼にいました」
「まあ、貸してみろ」
 じつは両生類の一種であるわけのわからないそれの尾を持ち、ガナスはそいつをぶらぶらと揺すってみた。
 そのとき、それがいきなり意識を取りもどし、頭をガナスのほうにむけて口をおおきく開けた。
「シャー」
「うわあ」
 本能で危険を感じたガナスは、とっさにそいつの口を素早く押さえて閉じさせた。するとしゅっというちいさな音がして、煙をだしながらそいつの頭が溶けだした。
「――酸を吐くのか」
 地面に放り投げた正体不明の動物は、苦しそうに暴れている。
「体内に相当量の強酸があるようだ。こいつは捕るなと、みんなに伝えてくれ」
 ガナスの指示に、水夫は困惑している。
「はい……分かりましたが、これって、どう言えば特徴を説明できますかねえ」
「知るか、適当に考えてくれ」
 ガナスは頭を押さえた。
「まったく、ここじゃあろくなものが集まらないぞ」
     *        *
 野営準備をしている浜辺である。
 ウンラー自身も作業に加わっていた。父である冒険公爵ウムラーの方針で、部下のすることは自分でもしなくてはいけないという教えを、忠実に実行しているのだ。
 テント幕を骨組みに張る作業をヒムケットとふたりでしていたところに、クアーダが走ってやってきた。
「ウンラー、ほら、この砂」
 そして近くで足をばたばたさせる。さすがのウンラーもしゃくに触って、
「クアーダ、むこうに行ってくれないか?」
 と、厳しい目をしながら友人を睨んだ。
「え、でもウンラー。これ、鳴くんだよ」
 たしかに、クアーダの足元で白い砂がきゅっきゅっときれいな音を立てている。鳴き砂だ。だが、ウンラーは取り合わない。
「それはもう知っているし、飽きた。夕方までに、こいつをあと三つも建てないといけないんだ。俺には遊ぶ暇がないから、手伝うか、他に行くか、どちらかにしてくれないか?」
「……わかったよ」
 そう邪険に言われると、クアーダには何の反抗もできない。クアーダはしょんぼりとしながら、砂浜を海岸のほうに歩きはじめた。
「うげっ」
 お約束で、砂に足をとられてこけた。砂が盛大な悲鳴をあげる。クアーダは顔中を砂だらけにしてウンラーを見たが、彼が自分にまったく興味を示していないのを確認すると、やけになって砂を強く踏みつけながら、海にむかって走りだした。その後を、どこからともなく現れたブルーギルが追いかける。
「殿下、一八にもなる世継ぎとなろう御方が、遊戯に夢中とは、なさけないですぞー」
 ……なさけない。
「公子、なかなか手厳しいですな。私の役目を自らひきうけてくださるとは」
「言うなヒムケット。俺はクアーダにやつあたりをしただけだ」
 ウンラーは慣れないテント張り作業が思うようにはかどらないので、いらいらしていたのだ。しかし、いらだちの原因はそれだけではなかった。
(彼女もこちらに残ると思っていたのに……)
 心のなかでつぶやかれたこの言葉は、若いウンラーの、悲しく切実な本音であった。しかしわずかな表情の変化を、意地悪な侍従は見逃さなかった。
「そうですね。フィーン殿さえいたら、かわいそうなクアーダ王子も、こける羽目にはならなかったでしょうに」
「まったくそうだよ、ヒムケット」
 ウンラーは気づかずに作業を続けている。ヒムケットは、噴き出しそうになるのを必死にこらえなければいけなかった。
     *        *
「はっっっくしゅん」
 おおきなくしゃみが森に響いた。周囲の男たちが一瞬だけフィーンに注目する。フィーンははずかしさで赤くなった。
「誰か貴方のうわさでもしているのかしら」
 前に座って手綱を握っているアーシャが、赤い髪をなびかせてフィーンに笑いかけた。
「まさかアーシャ。ただ、そでの空気の通りがいいから、寒く感じただけだわ」
 アーシャの主義で、侍女であるフィーンは、アーシャの前では彼女を呼び捨てにする。アーシャにとって侍女は友人なのだ。
 とはいえ、このフィーンの言い訳は、蒸し暑い森のなかでは成り立たない。そう、この陸地はひたすら暑いのだ。
 この暑さは、この未知の大地に上陸する数日前から続いている。陸に近づくにつれて、気候が急激に穏やかになり、空気は暑く、湿っぽくなったのだ。
 ここの気候は、中原とはまったくちがっている――それに、誰もが気づいている。この陸地の気候サイクルは、中原の常識では説明できない部分がたくさんあるにちがいない。
 それがこの見たこともない植生に関係あるのかどうかはわからないが、中原よりも歩きづらいこの森は、狩り部隊にはすこぶる不評であった。茂みがひどいのではなく、ぬかるみがひどいのだ。乗っている恐竜たちの負担が大きく、思ったほどに進めない。
 あちらこちらに沼が湧き出ている。とはいえ、魚がたくさんいるわけではない。奇妙な両生類や爬虫類が沼を占領している。サイオスたちの目的は一度に大量の肉を獲得することであるから、いちいちこれらの小物を相手にはしない。目指すは恐竜である。
 中原では、このような水気の多い森林地帯には、体高がブルガゴスガ人の三倍ほどの、沼竜という二本足で歩く、足の鈍い草食恐竜がいる。肉食恐竜が来たら沼の中に逃げるのだが、ブルガゴスガ人にとっては、これこそ格好の的である。肉はやわらかくて、容易に薫製にしたり乾燥食にすることができ、保存に適している。大型の沼竜を一頭仕留めれば、一〇〇〇人が二日は食べていける。
 ところが、この森の沼はいずれもちいさく、沼竜が棲息するには酷な環境である。
「だいいち、こんなものを沼竜が食えるとは思えねえがな」
 サイオスは足もとの植物を見回す。沼竜が食べそうなものは、まったく見当たらない。
「まだ恐竜はいないのか」
 サイオスたちは、出発以来、もう二刻は収穫がない。竜の足跡すら発見してないのだ。
 そのうち、一行は森の外れに来てしまった。海岸からひたすら内陸を目指していたのだが、とうとう森を抜けてしまったようである。
 そこには草原が広がっていた。地平線が果てまで続き、所々に大小の森、林が散らばっている。これはむしろ平原といってよい。
「なんて安定した気候なんだ。高原よりもいい場所じゃないか」
 そうサイオスはつぶやいた。サイオスの出身地は中原の北部にひろがる、標高のわりあい高い広大無辺な高原地帯である。そこは季節の変化はあまりなかったが、一年を通じて寒冷で、食料はすくなく、生活は苦しい。
 視界には目下の目標である、「肉」はまったく存在しない。サイオスは自らも含めて、足の速い小型肉食竜に乗った連中に、また森にもどって、半刻だけ散らばって探索するように指示をだした。
「これまではすぐに獲物を襲えるようにまとまっていたが、これからは散らばることにする。各々で恐竜を探索し、半刻後に集合、獲物を発見したときは全員で速やかにその場所に行くことにする。鎧竜はここで待機」
 四つ足の鎧竜は、草食の中型恐竜である。肉食恐竜からの防御のために、進化で頭から尾まで覆うぶ厚い骨状の装甲を獲得している。鉄砲の玉でさえ、天然の鎧を貫通するのは容易ではない。さらに尾の先には捕食者に打ちつけるための骨のスパイクまで持っていた。
 とはいえ、鎧竜はやはり大人しい恐竜で、背中が平らなため、仕事は主に運搬役である。戦争のときには輸送隊に使われたりもする。自然には鎧竜の近縁で、甲竜という背の皮膚を硬化させたものもいるが、こちらは背中が丸いので双角竜人の食用にしかならない。
 走牙竜に乗っているサイオスの部下たちは一斉に森に走り出した。鎧竜に乗っている連中は、休憩のためにさっそく火を起こしはじめている。
「さてと……私たちも行きましょうか」
 アーシャも冒険心をくすぐられて、後ろに侍女を乗せたまま、単騎で森に向かおうとしたが、そこをサイオスに通せんぼされた。
「わたしも恐竜を探すわ。探したいの」
 しかし、父将軍は黙って首を横に振る。姫は拗ねたように首を傾け、ふたたび許可を求めたが、この仕種に弱いはずの父も、さすがにこれにはどうしても応じられなかった。
「駄目だ。ここは未知の世界、どんな危険なものに出くわすかわからないのだぞ、ここで待っていろ」
 その一言で、アーシャとフィーンの残留が決定した。
     *        *
 サイオスもカーリヤで森に消えたあと、アーシャとフィーンは座って、兵士が沸かしたお茶を飲んでいた。
「まったくこれじゃあ、なんで来たのかわからないわ」
「しょうがないわ、アーシャ。集団なら安全だと、同行を許可されたんですから」
「せっかくウンラー様のために恐竜を見つけるチャンスだったのに……ねえ、フィーン、本当にウンラー様って奇麗でかっこいいわ。そう思わない?」
 アーシャは親友に思いっきり顔を近づける。
「ええ、そうね」
 フィーンは複雑な思いでそれに答える。フィーン自身は、ウンラーが自分にただの好意とは違うものを抱いていることをうすうす気づいているので、アーシャのことを単純に応援することはどうしてもできなかった。また、自分が公子をどう思っているのかもよくわからないのだ。一六歳のフィーンは、そういう意味ではやはり恋愛には未熟であったし、それはウンラー、アーシャにも言えた。
(わたしは、彼のことが好きなのかしら……)
 そのときである。
 ずし~ん……
「あらっ、お茶が揺れている」
 アーシャがお茶を覗いている。
 ずし~ん……
 回りの者がざわめき出した。
「なんだなんだ?」
「こんな地響きははじめてだ」
 にぶい音とともに、確実に振動も大きくなっていく。
「鎧竜で円陣を組め。全員集合、まだ時間ではないが、笛を吹け!」
 すぐに、サイオスから現場の指揮を委託されたザゼン切り込み一〇人頭の指示で、散在して休憩していた数十人の男たちは、いそいで集合して鎧竜を集めて円形に陣を固めた。そこにアーシャとフィーンも加わる。
 ひとりの兵士が貝笛を吹いた。小型の羅針盤を備え付けた携帯用の日時計で一時間が経過したら、みんなを集めるために吹く予定だったものである。
 ズシーン!
 ひときわおおきな音がした。全員が特定の方角を見た。
 灰色のそれはいた。
 小山か?
 いや、生きている――恐竜だ。
 しかし、まったく見たことのない種類である。おまけに、やたらと巨大だ。
 首が異様に長い。それとおなじくらいに尾も太く、長い。中原のどんな船でも、これにはかなわない――いや、すでに沈没したラクシュウのセレムスコルならば、なんとか対抗しえただろうか。
 全長は鎧竜五頭分、体重は船団の仲間がまるひと月は食べていけるくらいはあるだろう。
 それが、鎧竜の円陣からはるかに離れた場所で、食事を開始した。
 あの巨大樹木に首をのばす。しかし葉がついている先端には届かない。なんと、後ろ足で立った。シダみたいな葉をほおばった。首を横に引いて葉をひき千切り、あごを動かして軽く粗嚼してすぐに飲み込む。草食だ。
 林の蔭から、食事をしている巨大草食恐竜とおなじ種類の仲間が、つぎつぎと姿をあらわす。群れで生活をするのだ。
 その様子にみんなは圧倒され、じっと無言で見つめつづけた。
     *        *
 海岸である。
 夕方になってガナスの隊が帰ってきた。結果は惨々たるものであった。確実に食べられると判断できたものは一部の植物、昆虫で、船団の食事一回分にしかならない。半日かけてこれでは、いずれ飢えに苦しむことになる。
 次に、ターエンたちが帰ってきた。こちらは、ものすごいサンプルの山を抱えてきた。未知の大地には、多くの研究課題がそこら中に転がっているのである。
 そして日が暮れてから、サイオスたちが戻ってきた。彼らはとんでもない情報を持ち帰ってきた。
 学者団と船団のおもな者がみんな集まって、焚火を囲んでサイオスの報告を聞いた。みんなが見ぬ恐竜に驚いた。
「山のごとき巨大な竜だと、しかも草食の!」
 この場合、草食であることは大切である。肉食と草食では、狩るときの苦労がまったくちがってくる。たとえば最強の肉食恐竜である鬼竜、恐鬼竜などはいずれも一〇〇人単位の人間が必要となる。
 巨体の恐竜は罠に追い込んで動きを封じてから、執拗な攻撃をくり返し加えてじょじょに体力を奪うのが、狩りの常套手段である。肉食恐竜の体力は底無しで、草食恐竜に比べて労力のわりに実入りがすくない。
 いまや食糧はどんなに節約しても一週間分しかない。採集による確保が困難な以上、その恐竜を狩る以外に有効な手段はない。もはや、打つべき手はひとつしかなかった。
「有志を募ってその恐竜を狩る。明日の朝は、狩りに備えて思いっきり食べるぞ!」
 ウンラーの決定に、誰も異を唱えなかった。
     *        *
 翌七月二八日朝、まだ日も出ない早朝、三〇〇人の勇者たちは急いで、しかし久しぶりに腹いっぱいの食事をすませ、たらふく餌を食べさせた竜をしたがえて、野営地をあとにした。
 サイオス、ガナスはもちろんのこと、一行にはウンラー、クアーダ、ヒムケット、そしてなぜかアーシャとフィーンも加わっている。その恐竜を見物したいと、学者からはターエンと、そして三人の次代をになう若学者たちが参加していた。狩り部隊全体の四分の一が竜に乗り、のこりは歩きである。荷物はすべて鎧竜の背だ。余談だが、残留組の統率責任者は貧乏くじを引いたブルーギルである。
「今日獲れなかったら、次はガナス、おまえが残れよ」
 よほど見たかったのであろう。いつもの冷静さは影を潜め、言葉も荒かった。
「彼女も学院の学生だったから、知的好奇心は人一倍旺盛なんだよ」
 いつも厳しい補佐官の意外な側面を見たからであろうか、クアーダの口調は軽かった。
 すでに道はわかっているので、朝のかなりはやい時間には一行は森を抜け、草原地帯に到着した。
 足の速い走牙竜に乗って、先行して周辺の様子をしらべていた兵士が、恐竜の足跡を発見したと伝えてきた。
 一行はそのまま足跡のある場所まで移動する。草原のなかに、それはあった。林と林のかたまりの間を、まるで多くの人が歩いた道のへこみに似たようなひとすじの線が、遠くから見てとれた。
 みんなは最初それを興味津々にながめていたが、しかしそれは近づくにつれて、しだいに驚愕の対象へと変貌していった。
 巨大。
 足跡ひとつが、個人風呂のようにおおきい。それが、たくさんある。
「気をつけろよ。足跡に落ちるぞ」
 そう注意しなくてはならなかった。
「まだあたらしいな」
 サイオスがつぶやく。彼ほど、船団のなかで狩猟に長けた人物はいない。天牙族は、中原一帯では陸の狩りにおいて天才なのである。ヒムケットも天牙族ではあったが、彼は幼くしてセルに亡命してきたため、経験としての本格的な恐竜狩りは、今回がはじめてである。
「数は八頭か…‥よし、追いかけようか」
 ほんの一分ほどで、草原の民は群れの数まで見抜いてしまった。みんなは、やはり彼にまかせてよかったと、つくづく実感した。
 昨夜のことである。
「どうやって狩るんだい?」
 というクアーダの素朴な疑問に、だれも答えをかえせなかった。この超巨大恐竜を狩る手段は、これまでのやり方ではいけないのだ。そのうえ、かれらの生態もよくわからない。
 しかし、それに明解な答えを返したのがサイオスであった。
「王子、足跡を追いかければ、群れの行動パターンなんかすぐに判明するぜ。あとは簡単だ。先回りして、罠を作っておく。そして群れがきたら、そのうちの一頭だけを追いたてて、罠にさそう。うまくいけば、相手はこちらの切り取り自由だ」
 この発言で、この狩りはサイオスに一任することに決定した。サイオスの要請により、大量のスコップと、予備用の帆縄が用意された。そしてなによりみんなを驚かせたのが、大砲の使用要請である。これには誰もが気がつかなかった。たしかに、大砲を一発ぶちかませば、槍で一〇〇回突くよりも効果があるだろう。
 とにかく、第一段階である群れの発見に、今は集中しなくてはならない。
 一行は足跡を追いはじめた。
「どうしたんだい、ユイリ」
 ウェーラが笑いながら、ユイリに話しかけた。彼女は、じっと足跡を見つめたままである。
「これ、見たことがあるわ。ほら、南ラクシュウ山脈、ピラリ山の……」
 ウェーラは脳から記憶を取りだした。
「たしかに、あの変な化石にそっくりだな」
 足跡化石のことである。
「……化石って、生物だけではないのね。でもこれで、これから見る恐竜が、もしかしてあの化石と同一のものかもしれないという可能性が、ますます高まったわ」
「おなじくピラリで見つかった、という例の巨大な骨か?」
 ラルクスが話に割り込んでくる。ユイリの近くには、かならずこのふたりがいる。他の若い学者たちは言うものである。「ユイリのどこがいいのだ」と。髪はぼさぼさ、皮膚はぱさぱさ。身だしなみというものにまったく興味のない女性であったが、なぜかこのふたりの男は、内気なユイリを気に入っている。
「そうよ、ラルクス。そうなれば、やはりおなじピラリ南ユイリ層から発見された植物化石がここにたくさん生えていることの説明に、さらに有力な証拠を提示することになるわ」
 昨日、ユイリが学者たちの前で発言した、「見たことがある」というのは、化石のことであった。この見知らぬ陸地に生えている植物に似たものが、彼女が研究している地層から、大量に見つかっているのだ。まだろくな記載すらできない、おぼろげとしたよくわからない動植物相の世界であったが、現物を目の前にして、ユイリは幸せであった。
「はあ……昔は、中原はここと同じ風景だったのね――夢みたいだわ」
「おい、ユイリ。もうみんな行ってしまったぞ……おいってば」
 二人がユイリを揺さぶるが、彼女は完全に別の世界に行ってしまっていた。
     *        *
 巨大草食恐竜の群れは、足跡をたどりはじめて一刻ほどたって見つかった。ある林の端でかたまって、食事をしている。
「昨日の群れとはちがうな」
 サイオスがつぶやく。でも、それはどうでもいいことだ。要は肉が目の前にあるという事実が大切なのだ。
 群れはこちらに気がついているはずだが、まったく無関心である。まさか自分にとって小トカゲのような存在のブルガゴスガ人が、自分たちを狩ろうとしているなどとは思いもしないだろう。彼らにとっての敵とは、一定のおおきさを越えた肉食恐竜だけなのだ。
「かれらは林から林へと、草原を移り渡りながら移動している。おなじ場所ではすこししか食べないな……木を枯らせないためか」
 移動を開始した恐竜たちを見て、サイオスはそう判断した。
「サイオスよう。ならばあいつらはつぎの餌場へと移動するということだな」
「ああガナス……すぐちかくの林は――あれだな。よし、先回りだ」
 即断即行である。群れを見つけて二分もたたないうちに、サイオスは待ち伏せ場所を指定して、一行は動きだした。狩り部隊の大半はこの巨大恐竜をはじめて見るから、もうすこし見物していたかったが、どうせすぐ否応なしにその威容を見せつけられることになるから、おとなしく将軍の指示にしたがった。
「おおお、やっぱり、やっぱり!」
 化石学者が狂ったような叫びを連発する。
「わああ見てよ見てよ、あの首! 尾! 胴体! 足! まちがいないわ、地震竜よ地震竜! 中原はかつてここと同じだったのよ」
 興奮して恐竜にむかって走りださんとしているユイリを、ウェーラとラルクスが必死になって押さえつけている。
 それを横目に、ターエンが笑っていた。
「ふぉふぉふぉ、地震竜か。あの竜には、たしかにぴったりの名前じゃな」
 こうしてかの恐竜は、これから地震竜という名前で呼ばれることとなった。
     *        *
 一刻後、つぎの林へと移動していた八頭の地震竜の前に、数頭の走牙竜と、一頭の天牙竜が姿をあらわした。彼らは小型ではあるが肉食なので、地震竜たちはいちおう警戒をして密集した。小型竜たちにはブルガゴスガ人が騎乗しているが、地震竜の視力と知能でそれを判別することはできない。ただ、肉食竜の小集団に囲まれたとしか認識しなかった。
 数頭の肉食竜は、まったく整然として、つかず離れずの距離を保ちつづけている。まったく威嚇もせず、そして襲いかかる気配も見せない。これは、いつもの連中とはまったくちがった行動であったが、時間がたつうちに、そのうち地震竜たちは心に多少の余裕を見せたのか、ふたたび散乱しはじめた。
 つぎの餌場に近づいたときには、彼らは自分たちを包囲した者たちの巧妙な誘導によって、罠のある方向へと誘い込まれたことに気がつかなかった。
「いまだ、おたけびをあげろ!」
 サイオスの大声で、群れを囲んでいた走牙竜兵たちが、大声を張り上げた。
「おおう!」
 それに竜たちも追従する。
「シャシャシャ~!」
 カーリヤも鳴く。
「ガー!」
 地震竜たちはおどろき、一気に恐慌状態になった。突然の混乱は狂乱怒濤の波となって群れを襲い、群れは麻のように乱れた。
「最後尾のいちばん鈍そうな奴を囲め! 穴に追い込むぞ!」
 サイオスは群れの中でもひときわ巨大な体をもつ高齢の雌をターゲットに選んだ。ここにいるすべての地震竜を一網打尽にしようとは思わない。現実的に不可能だし、もしできたとしても、それは無意味な殺戮であるからだ。この一頭を仕留めたら、当面の食糧問題は解消する。それでいいのだ。
 群れの混乱に乗じ、走牙竜と天牙竜は獲物を囲んだ。他の地震竜は混乱するにまかせて、一頭の地震竜を追いたてる。老齢の雌は周囲を走り回ってさかんに威嚇する肉食竜から逃げるため、必死になって竜のいない方向へと走る。
 サイオスたちも必死である。地震竜たちが秩序を取り戻したら、まちがいなくこの雌を助けようとするだろう。相手が鬼竜ならともかく、小型の走牙竜など、本来は地震竜にかなうはずがないからだ。地震竜が本気になって向かってくるだけで、走牙竜たちは背上の御者を無視して逃走するにちがいないのだ。
 獲物をなんとか林を四半周したあたりまで追い立てたときである。
 ずぼっ!
「グアアアアァァァァ~」
 ながい首を通して出た音はエコーを響かせて、周囲にこだまする。地震竜は両前脚が地面に半分も埋まってしまった。地面を一回掘って、葉っぱなどを混ぜて極端にやわらかく埋め戻した落とし穴であった。
 あまりにも速く移動していたため、そのまま前脚にものすごい物理的力が加わる。そしてすさまじくいやな音がしたかと思うと、変な形に右前脚が変形し、体重を支えられなくなった体が崩れた。骨折したのだ。
「よしっ、成功だ」
 みんなが成功に喜んで勝鬨をあげた。しかし、まだ安心はできない。七頭の地震竜が、サイオスが予測したとおり、派手な音をたててこちらに向かってくる。周囲は名のごとく、大地震のように揺れる。
「全騎、林に逃げろ!」
 サイオスの指示にしたがい、みんなは林に駆け込む。そのすぐあとに地震竜たちがやってきた。水分の多い気候なのに、土ぼこりが立つ。草が土ごと掘り返されるのだ。
 林のなかには、狩り部隊三〇〇人全員が隠れていた。林のなかにいるかぎり、体の極端におおきい地震竜には、なにもできないはずである。
 地震竜たちは悲しげに骨折した仲間を見守っていた。まだ動けるのならよかったが、足の骨折は自然に生きる野生の恐竜にとっては、すなわち死を意味していた。
 それは当の高齢の雌にもわかっている。彼女は仲間との最後の別れをすませたと判断すると、名残惜しげにそのまま力なくうつぶせになった。
 その行動を合図に、七頭の地震竜たちはゆっくりと林をあとにした。
「なにかかわいそうね」
 そうアーシャがつぶやいたが、アーシャ自身にもわかっていた。こうしなければ、自分たちはいずれ飢えてしまうことを。
 となりのフィーンが、アーシャの頭をやさしく抱えた。
「だから、残さずに食べてあげないとね」
 間抜けな言い方ではあるが、食糧不足のこの状況では、たしかな真理であった。
 そのとなりで、なぜかクアーダもうんうんとうなずいていた。
「そうだね、戦争のときには飢餓で苦しむ人々がたくさんいるからね。ぼくたちは食べ物を粗末にしてはいけないんだよ(偽善度一〇〇パーセント)」
 王子をアーシャとフィーンはあっけに取られて見つめた。クアーダがアーシャに微笑みかける。その顔を赤い瞳におさめたとたん、お転婆姫はなぜかむしょうに腹が立った。
「今はぜんぜん関係ないじゃないのよ!」
 クアーダはアーシャにまともにお腹を蹴られ、苦しみながら転がり、闇に消えていった。
 ……なさけない。
 きっと、アーシャと話す口実が欲しかっただけだろうに。
     *        *
 しばらくして仲間が帰ってこないと判断すると、狩り部隊は獲物に止めをさすために、わらわらと林から姿をあらわした。
 怪我をした地震竜は、自分をこんな苦境に追いやったちいさな生き物を、完全に憎悪の対象として意識していた。自分はもう助からない。とはいえ、連中に自分の体を提供するいわれはまったくなかった。生存本能をまる出しに、最大限の抵抗を試みるつもりだ。
 それは狩人たちもよく理解している。相手は手負いで四肢は動かなねど、長い首と尾は驚異である。軽く撫でられただけで、ブルガゴスガ人はミンチになるだろう。
「縄!」
 遠くから帆縄を投げて、尾と頭の動きを封じる作戦である。しかしようやく縄がかかったと思っても、地震竜が体をくねらせるとすぐに落ちる。上を通して両側に杭で打ち付けて固定するという荒っぽいやりかたで、ようやく尾と胴体を押さえたところで、手持ちの縄は使い果たしてしまった。
「頭を攻撃するのは危険すぎる。仕方がないから、背のほうから攻撃しよう」
 サイオスの指示で、攻撃隊が地震竜に襲いかかった。
 槍や剣を持った一〇〇人ほどの兵士が、つぎつぎと獲物の巨大な背中の後ろのほうに群がる。相手は動けないので、背骨のあいだを正確に狙って攻撃を加えた。ヒムケットも参加している。
「本当は腹が出ていたらよかったんだが、相手も頭がいいや」
 腹はほとんどの動物の急所である。地震竜は弱点をさらすまいと腹を地面にこすりつけていたので、しょうがなくそのままの状態で固定するしかなかった。
 この地震竜は痛覚というものが欠落しているのだろうか。執拗な攻撃にもかかわらず、狩人の蛮行にじっと耐えている。
 しかし脊髄を攻撃されだすと、さすがに我慢の限界にたっしたようである。
「グアアアアァァァァー」
「うわああ」
「みんな離れろ!」
 地震竜は激しく体をゆらしはじめた。何人かが足をすべらせて地震竜の背中から墜落し、数名の負傷者をだした。
「しょうがない、鉄砲!」
 ダダダダン!
 四〇挺の鉄砲による一斉射撃である。サイオスは地震竜の胸を、心臓を狙わせた。
 しかし肉の防御が厚く、獲物が激しく暴れるだけである。つぎは背中の頂上を狙わせた。脊髄を打ち抜いて、せめて半身だけでも動きを封じる作戦である。しかし弾切れになるまでの十数回の一斉射撃にもかかわらず、地震竜はまったくびくともしなかった。
「……大砲か」
 最後の手段であった。
 狩りのために、ギルガンデツとウイルの大砲を、計四門持ってきている。砲弾は火薬炸烈弾五発、青銅弾二発、石弾三発である。
 問題はどこを狙うかである。心臓は、おそらくむりだろう。肉厚がありすぎる。
「背中だ」
 火薬炸烈弾、青銅弾を二発づつ撃ってみた。爆裂が肉を飛ばし、青銅塊が背骨をつぶした。しかし、まだ前半身が健在である。
「なんて生命力だ」
 サイオスは舌打ちした。そこにガナスとウンラー、ヒムケットがやって来た。
「もう頭を狙うしかないと思う」
 ウンラーの意見である。それをサイオスはよしとした。
「たしかにそうだな。なんとかして頭をつぶせば、いくらなんでもくたばるだろう」
 そう言うと、サイオスはしばし考えたが、酒仲間を見て、
「ガナス、俺は今からあのくねくねとうっとうしい頭を大砲の射線軸へとおびきよせるおとり役をやるから、砲撃を頼む。大砲の指揮は、おまえのほうが上手いからな」
 ガナスはあきれたようにサイオスを見た。
「どうせ誰が止めても聞くまい。わかった。おまえの作戦でこの状態までもってこれたんだ。わがままを聞いてやるから――」
 ガナスはサイオスの顔面に顔を寄せて、
「――死ぬなよ」
 と、彼にしか聞こえない声でつぶやいた。
「ふん」
 サイオスはそう言うと、カーリヤに乗って、一路地震竜の首にむかった。
「まあ、一騎討ちかしら」
 アーシャが、父の雄姿に興奮している。
「大丈夫かしら」
 そうフィーンが心配したが、アーシャは「大丈夫よ」と言わんばかりの笑顔でフィーンに笑いかけた。
「お父様が負けるはずがないわ」
 アーシャ姫は、父将軍サイオスを信頼しているのだ。
 地震竜は、自分の首のとどく範囲にのこのこと入り込んできたふとどき者に、表現しきれぬ怒りを感じた。数々の理不尽な仕打ちとこの痛みに、彼女はせめてこの者を道連れにしないと気がすまないと思っただろう。
 サイオスは専用の騎竜槍をかかげた。カーリヤはこの地震竜にまったくひるんでいない。それはサイオスとて同じである。
「ハイヤァ!」
 人竜一体となった竜騎士が、するどい軌跡を描いて首にむかって突進しだした。
 地震竜はありったけの声を張り上げ、威嚇をする。そして首を上段にふりあげ、一気に首全体を敵に叩きつけた。
 しかしサイオスとカーリヤはぎりぎりのところでかわした。
 地震竜もそんな曲芸を見せられたからといって、黙ってはいない。おなじことを何度もくり返すが、サイオスの神技的乗竜術とカーリヤの類希なる脚力の前に、殺人的な一撃はことごとくかわされ、あろうことか、逆にサイオスに首を刺される始末である。
 その間にも、ガナスの指示のもとで大砲が撃たれつづけたが、なかなか頭部はおろか、首のどの部分にも命中しなかった。それほど首の動きが激しいのだ。
 とうとう火薬弾を一発残すのみとなった。
「サイオ~ス! あと一発だけだぞ!」
 ガナスは、遠くでがんばる酒仲間にその旨を伝えた。
「けっ、あのへたくそが……ようし、絶対に避けられない態勢に持ちこんでやるか」
 サイオスは、一度地震竜の首攻撃がとどかない範囲まで出て、そしてじゅうぶんに距離を取ってから、一気に加速しだした。
 地震竜も、決着の時だと感じとったようである。首を静かに構え、迎撃態勢を取った。
「飛べぇ!」
 サイオスの叫びに、カーリヤは腕をひろげ、地面を蹴った。おおきく跳躍し、腕の羽根がぱっと広がる。尾の羽根も広がり、翼が完成し、揚力が生み出された。
 一回、二回、三回……
 そして四回目の跳躍で、カーリヤは羽根を激しくはばたかせた。天牙竜が飛んだ!
 それと同時に、渾身の首がカーリヤとサイオスにおそいかかった。
 サイオスは手綱をきびきびと動かし、寸手のところで地震竜の口をかわした。
 そして地面の大砲を眺め、砲口がちょうどこちらを向いていることを確認して満足すると、カーリヤを一気に失速させた。
 天牙竜が空から地面に避難した瞬間、ガナスは今とばかりに静かに命令を発した。
「撃て」
 ごうん。
 つぎの瞬間、地震竜の頭は木端微塵に吹き飛んだ。
     *        *
 その女は走っていた。
 黒髪が人工の風になびき、長い双角が振動で揺れ、黒の両眼には視界の風景がすさまじい速度で左右に流れてゆくさまが映る。
 皮と植物繊維でできた栗色のしゃれた貫頭衣を身にまとい、片手には数種類の草がはいった籠をかかえている。
 この数日間、薬草を採るために遠出をしていたのだが、その帰り道の途中で、聞いたことのないおおきな音が耳にはいり、音のしたほうにむかって走っているのだ。
 乾いたような妙な音は断続的に続いている。いったいなんだろうか。
 女は林を抜けた。
 音源がいた。見たことのない連中だ。彼女は足を止めてじっと観察する。二点にはとほうもない距離があったが、目のいい女にはなんでもない。個人個人の顔さえ区別できる。
 どうやら、巨大な恐竜の狩りをしているようである。その方法は、その女の部族にしてみれば、じつに不合理きわまりない大がかりで幼稚なものである。
 天牙竜が空を飛んでいる。彼女の村のどの天牙竜よりも立派なものだ。竜が地面に降りたったとき、巨竜の頭がいきなり破裂した。
 女はびっくりした。あんな現象ははじめて見る。まだおどろきが終えないうちに、音が響いてきた。自分をここに導いた、あの妙な音である。
『なんだ、あれは……』
 若い女は、異邦人たちに鮮烈な興味を抱いた。
     *        *
 大海原。
 バッタはカーズ・シャの船首楼で、ひたすら東を見つめることを日課としている。だいぶ髭ものび、ふけも溜まり、さすがに精悍な顔もやや不潔ぎみだ。もうずいぶんと、水浴もしていない。
 バッタは視界にちいさな白い塊をとらえた。それは空を飛んで、こちらに近づいている。
 やがてそれは、一羽の翼竜だとわかった。
 翼をひろげるとバッタの二倍はあるだろう巨大な翼で滑空して、ポンパーは――フィンの白い翼竜は、バッタの肩につかまった。
「よう、なにか収穫はあったか?」
 いつも通りにバッタはたずねる。
 ポンパーはなにも答えない。
「そうか、陸はまだか……」
 バッタはただそうつぶやいた。
 彼の片手には、一冊の本が握られていた。娘の、フィンの部屋にあった本である。
 その題名は――
【大地と海流についての諸仮説――大地は丸く、東に西の陸地あり 著者ターエン】
 とあった。
     *        *
 地震竜の解体作業は急ピッチで進められた。まだ日は高かったが、せめて夜までにはあらかたの作業をすましておきたかったのである。とはいえ、この巨大な恐竜を解体するのは、本当に骨の折れる作業である。
「これで、まるひと月は大丈夫ですね公子」
 ヒムケットが大型ナイフを片手に皮を器用に剥いでいる。
「そうだな……まったく、すごい恐竜だったよ」
「ええ、すごい大物です。こんなものが西方にいたとは、まるで夢を見ているようですよ」
「ヒムケット、西方との交易には、俺はこの超巨大恐竜を対象に加えてもらおうと考えている。どうだ?」
「そりゃいいや。皮や骨からどんなものが作れるか、さっそく学者たちに調べてもらいましょうよ」
 一行の大半が、この陸地が西方の一部だと思っている。東に行けば、いつか西方にたどりつく。なぜならば、世界は丸いからだ。
 それがターエンの仮説であり、すでに死者となったニンに押しつけられながらも、正気を保ってここまでの冒険航海を成し遂げたクルーの心のよりどころが、これであった。
「ふぉふぉふぉ、若いのう。ここはおそらく西方ではないぞ」
 ヒムケットとウンラーに注意をうながしたのは、ターエンであった。彼のうしろには、三人の若い学者たちが付いている。歩きながら議論をしていたようだ。ターエンは、ふたりの話を聞いてどうしても口を挟まずにはいられなくなったのだろう。
「それはどういうことですか?」
 ウンラーがやや厳しい口調でたずねる。
「わしは、陸地があるとは言ったが、それが西方であるとは一言も言ってないぞ。だいいち、こんな竜が西方にいたのなら、とっくに情報として伝わっているはずじゃろ。こんな格好の取り引き材料を、西方諸国が隠蔽するほうがおかしいわい。たとえ宗教的理由などがあったとしても、密輸者というものはかならずおるからのう。いつのまにか希望的観測に支配されていたようじゃな、心せよ公子」
 ターエンのやはり厳しい言い方に、ウンラーはまったく返答できなかった。
「頭が冷えたかな、旅はまだ長いぞ。ふぉふぉふぉふぉふぉ」
「……じゃあ、ここはどこなんですか?」
 公子の心配そうな質問に、ターエンは即答した。
「新天地じゃ」
「新天地……」
 ぼうぜんとするウンラーに、準化石学者のユイリがうれしそうに話しかけた。
「ここの動植物は、かつて中原にいたものばかりなのよ。失われた世界がそのまま残っているの! すばらしいわ~」
 さらに準地理学者のウェーラが付け加える。
「それならば、もしかしてここの気候も、かつての中原の気候だったのかもしれません。おもしろい研究課題です」
 民俗学、社会学者のラルクスは、現地人がいないとなにも言えず、不機嫌であった。
 いずれにせよ、ウンラーの頭のなかでは、「新天地」という言葉が、ただ繰り返し響くのみであった。
「旅は長くなりそうだな……」
 ウンラーは空をながめた。
 日はもう傾きかけ、吸い込まれるように透明な空はもうすぐ赤くなりつつあった。
 時に、ムック歴三四一年七月二八日。
 長い旅は、まだはじまったばかりであった。
     *        *
     了 1996/12

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